『写真週報』に見る人物表象の量的分析...本稿では国内向け宣伝グラフ雑誌「写真週報」の表象に対し,ジェンダーとエスニシ...

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要約:世界各地でグラフ文化隆盛が起こった 1930 年代,写真は国家と結びつき,プロパガ ンダのメディアとして成長した。日本においてもその例外ではなく,1938 年には国策宣伝 のためのグラフ雑誌として『写真週報』が創刊された。総力戦体制のもとで,国家から 人々に向けられた眼差しは『写真週報』という雑誌においていかに可視化されたのか。国 家が主導して,人々のうえに塑形された像とはいかなるものだったのか。本稿ではジェン ダーとエスニシティに注目しながら,『写真週報』に掲載された写真群の数量的な分析を行 い,戦時期グラフ雑誌のメッセージ性について明らかにする。 キーワード:写真・ジェンダー・プロパガンダ・エスニシティ・表象 目次 1.はじめに-『写真週報』とは 2.戦時グラフ雑誌の量的分析 2-1 国家宣伝としてのグラフ雑誌 2-2 分析方法 3.『写真週報』におけるジェンダーとエスニシティ 3-1 対外宣伝の副産物としての『写真週報』 3-2 エスニシティから読み解く写真週報 3-3 『写真週報』に描かれた女性像 4.結論と総合考察 1.はじめに-『写真週報』とは 世界の各地でグラフ雑誌文化が盛り上がりをみせた 1930 年代,写真は大衆向けの宣 伝のツールとして国家と強く結びつき,ラジオや音楽と同様に国家の記録を作り出すメ ディアとなった。日中戦争突入後に各国が写真を用いた宣伝合戦を繰り広げる中,日本 でも 1937 年(昭和 10)には内閣情報部 1に写真報道事業が設置され,日本でも本格的 ──────────── 同志社大学大学院社会学研究科博士後期課程 *2010 12 15 日受付,2011 1 12 日掲載決定 論文 『写真週報』に見る人物表象の量的分析 家永 47

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Page 1: 『写真週報』に見る人物表象の量的分析...本稿では国内向け宣伝グラフ雑誌「写真週報」の表象に対し,ジェンダーとエスニシ ティの両観点からの数量的分析を行う。これまで,プロパガンダ研究の多くは文芸雑誌や婦人雑誌など活字を中心にした媒

要約:世界各地でグラフ文化隆盛が起こった 1930年代,写真は国家と結びつき,プロパガンダのメディアとして成長した。日本においてもその例外ではなく,1938年には国策宣伝のためのグラフ雑誌として『写真週報』が創刊された。総力戦体制のもとで,国家から人々に向けられた眼差しは『写真週報』という雑誌においていかに可視化されたのか。国家が主導して,人々のうえに塑形された像とはいかなるものだったのか。本稿ではジェンダーとエスニシティに注目しながら,『写真週報』に掲載された写真群の数量的な分析を行い,戦時期グラフ雑誌のメッセージ性について明らかにする。

キーワード:写真・ジェンダー・プロパガンダ・エスニシティ・表象

目次1.はじめに-『写真週報』とは2.戦時グラフ雑誌の量的分析

2−1 国家宣伝としてのグラフ雑誌2−2 分析方法

3.『写真週報』におけるジェンダーとエスニシティ3−1 対外宣伝の副産物としての『写真週報』3−2 エスニシティから読み解く写真週報3−3 『写真週報』に描かれた女性像

4.結論と総合考察

1.はじめに-『写真週報』とは

世界の各地でグラフ雑誌文化が盛り上がりをみせた 1930年代,写真は大衆向けの宣

伝のツールとして国家と強く結びつき,ラジオや音楽と同様に国家の記録を作り出すメ

ディアとなった。日中戦争突入後に各国が写真を用いた宣伝合戦を繰り広げる中,日本

でも 1937年(昭和 10)には内閣情報部(1)に写真報道事業が設置され,日本でも本格的

────────────†同志社大学大学院社会学研究科博士後期課程*2010年 12月 15日受付,2011年 1月 12日掲載決定

論文

『写真週報』に見る人物表象の量的分析

家永 梓†

47

Page 2: 『写真週報』に見る人物表象の量的分析...本稿では国内向け宣伝グラフ雑誌「写真週報」の表象に対し,ジェンダーとエスニシ ティの両観点からの数量的分析を行う。これまで,プロパガンダ研究の多くは文芸雑誌や婦人雑誌など活字を中心にした媒

な写真宣伝事業が始まる。その情報部が主体となって刊行したグラフ雑誌が『写真週

報』である。情報局の資料に,

「週報が官報に次ぐ政府の発表機関的要素を多分に有するのに引き換へ,写真週

報は多分に国民啓発的要素を持ち,且つ直接に大衆に食い入らうとするものである

点は,大きな相違点である。写真という大衆に親しみやすく,また感情を引きつけ

やすい宣伝媒体を武器に,文字と相まって国策をわかりやすく理解させ,時局常識

を植えつけることに主眼を置いている」(2)

とあるように,『写真週報』はカメラを用いて,国策をわかりやすく国民に身近なも

のとして宣伝することを目的として刊行された。また,実際の誌面制作の過程におい

て,写真撮影に関しては財団法人写真協会に委託しつつも,テーマ設定および編纂は情

報局のスタッフが担っていたこと(3)からも,『写真週報』は政府の意向を直接的に反映

して制作された雑誌であったと考えることができる。その誌面には内外の状況を記録し

た写真が数多く掲載された。総力戦体制下で,ひとびとに向けられた「まなざし」は,

『写真週報』という写真を用いたプロパガンダ雑誌のなかで,いかに可視化されたのか。

国家が主導となって,人々-女性・男性,日本人・植民地の人々-のうえに塑形しよう

とした像はいかなるものであったのか。

日露戦争以後,植民地拡大に向け「帝国」化を進めるなかで,「国民」という存在が

内外の他者との差異化を図りながら形成されていく過程については,国民国家研究で議

論が進められている。そのなかで,曖昧な境界として議論が分かれているのが「植民

地」への視線である。本稿では『写真週報』の分析軸の一つとしてエスニシティを置

き,「植民地」の人々が誌面上においてどのようなイメージ,そしてどのような役割を

付与されたのかを明らかにしたい。

これらの議論に加え,国民化の過程がジェンダー化をも伴っていたという視点が語ら

れ始めている(4)。Liz Conor(2004)が欧州を対象にした議論の中で,近代空間のなか

で女性が「眼差しの循環や交換に参加すること-見られる存在(スペクタクル)となる

ことは近代的主体性を構成する特質と深く関わっていた」とし,さらに「20世紀の現

代では女性の可視化は公共空間,とりわけ支配国における公共空間への女性の参入に始

まって,映画の大衆化や商品文化の表象を通じた女性のイコン化へと発展していっ

た」(5)としたように,20世紀の大量情報伝達が可能になったことによって,女性のイコ

ン化はさらに促進され,戦争へと突入とともにそれはプロパガンダと強く結びついてい

った。では,イメージの戦争が本格化した 1940年代に日本政府が行ったプロパガンダ

において,女性はどのような文脈で国家と結びつけられたのだろうか。

『写真週報』に見る人物表象の量的分析48

Page 3: 『写真週報』に見る人物表象の量的分析...本稿では国内向け宣伝グラフ雑誌「写真週報」の表象に対し,ジェンダーとエスニシ ティの両観点からの数量的分析を行う。これまで,プロパガンダ研究の多くは文芸雑誌や婦人雑誌など活字を中心にした媒

本稿では国内向け宣伝グラフ雑誌「写真週報」の表象に対し,ジェンダーとエスニシ

ティの両観点からの数量的分析を行う。

これまで,プロパガンダ研究の多くは文芸雑誌や婦人雑誌など活字を中心にした媒

体,もしくは映画を対象としており,写真を対象にした表象分析は軽視されがちであっ

た。また,戦時期の写真についての論考は美学的見地からの作品論・写真論に限定さ

れ,メディア論的立場からの研究は数少ない。しかし,メディアと国家との関係が強化

されていった総力戦体制期において,政府が主体的に参加した写真によるプロパガンダ

を分析することは,これまでの文字によるプロパガンダの研究史では見えてこなかった

新しい知見をもたらすと考えられる。

戦争と表象をめぐる研究は,1990年代以降急速に研究が進められた。ナチス・ドイ

ツにおける女性表象を扱ったのが Mosse(1996)であり,ナショナリズムとセクシュア

リティ(性的規範)との関連を論じている。日本の戦時期の表象研究として,図像を中

心に分析を行った若桑みどりは『主婦之友』に掲載された図像群を分析対象に,戦時女

性の普遍的役割として「母」「労働者」「チアガール」が押し出されたことを明らかにし

た。また,佐々木陽子(2000)は,各国で大戦期に行われたポスターに現われた女性像

の類型化を試みている。しかし,成田龍一(2002)が指摘するように,日本「内地」に

おける女性像・男性像の考察が進む中,植民地(6)もしくはアジアという視線での表象研

究は,いまだ始まったばかりである。

上述のように政府が主体的に制作した宣伝雑誌である『写真週報』には,当然,政府

が描きだしたい「女性像」,「国民像」,そして「アジア像」が反映されているはずであ

る。しかし,グラフ雑誌である『写真週報』についての先行研究では,これまで表紙の

みが分析対象となり,その誌面に掲載された図像全体が分析対象として扱われることは

なかった(7)。雑誌メディアにおいて,顔ともいうべき表紙が伝えるメッセージが果たす

役割は非常に大きい。その一方で,『写真週報』という雑誌の全体像を捉えるにあたっ

ては,これまでなされてこなかった全誌面を対象にした分析もまた,新しい知見をもた

らすはずである。本稿では,戦時宣伝雑誌の特性を明確化するための基礎作業として,

分析対象期間に掲載された表紙を含めた全図像の量的特徴の分析から,グラフ雑誌とし

ての『写真週報』のメッセージを明らかにしたい。

2.戦時グラフ雑誌の量的分析

2−1 国家宣伝としてのグラフ雑誌

1937年 4月に国家総動員法が公布された翌年の 1938年,内閣情報部は国策を国民に

わかりやすく宣伝,徹底させるための国策グラフ雑誌『写真週報』を創刊した。廉価な

『写真週報』に見る人物表象の量的分析 49

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定価設定,政府による広報グラフ誌であったことなどの要因から,『写真週報』は戦時

期の雑誌としては最大の部数を誇り,清水唯一郎(2002)によれば,各号 20万部から

40万部が発行され,1冊 10名ほどで回覧されたことから読者は 200万から 300万人程

度であったという(8)。その読者層については,『写真週報』177号(1941年 7月 16日

号)で読者調査が実施されており,その結果から男女比までは判明しないが,地域・学

校・職場・隣組単位での購読が多いことがわかっている(9)。読者の学歴は,小学校卒業

程度が 61.8%,中学校卒業程度が 26.6%,高専卒業程度が 7.8%であった。

『写真週報』とは内閣情報部が直接の製作者であったことに加えて,掲載された数少

ない広告も政府関連のもの(国債の告知など)が中心で外部スポンサーを持たなかっ

た。『同盟グラフ』や『アサヒカメラ』といった同時期のグラフ雑誌と比較しても,最

も政府の視線が色濃く反映された雑誌であったといえる。これらの理由から,本稿では

戦時下の国内向け宣伝イメージを分析する対象として『写真週報』を取り上げる。

分析期間は,太平洋戦争開戦後の 1942(昭和 17)年 1月 201号から,写真週報が発

行サイズ・ページ数を維持していた 1943(昭和 18)年 12月 22月 302号までとし,1944

年以降に関しては,『写真週報』のサイズ・ページ数に大幅な変更が見られたために,

分析対象から除外した。また,時系列に表象の特性の変化を見るために,発行月単位で

の分析とともに,対象である 1942年~1943年までの計 102号を①1942年前期(201号

~226号:計 26号)②1942年後期(227号~252号:計 26号)③1943年前期(253~277

号:計 25号)④1943年後期(278~302号:計 25号)の 4期に分けた変数も作成し

た。

2−2 分析方法

分析対象は上記期間に『写真週報』に掲載された写真のうち,人間を被写体としてい

ることが確認できるもののみとした結果,写真数は該当する 3611枚で,号平均 35.4枚

が掲載されていた。本稿では,これら写真表象について量的内容分析を行い,戦時期に

政府が行った写真広報活動の図像的特性を明らかにする。メディア史研究においてはテ

レビや広告の内容分析研究が進められているのに対し,写真画像を対象にした数量的分

析はいまだ数が少ないのが現状である。本稿では,分類およびコーディングに関して

は,国広陽子(2008)のドラマ研究での分析方法を参考にした。具体的な分析方法とし

ては,当該期に掲載された全写真について,画像をもとにコーディングを行った(10)。

コーディング・シートに設けた分析項目は以下の通りである。

図像全体に関する項目

① 掲載号:写真が掲載された『写真週報』の号

『写真週報』に見る人物表象の量的分析50

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② 発行年:上記参照

③ 撮影地:「日本」「日本以外」「判別不可」の 3つのカテゴリーに分類

被写体に関する項目

① 性別:「男性」「女性」「こども」(11)「男性とこども」「女性とこども」「男女

混合」(12)「判別不可」の 7つのカテゴリーを設けた

② 被写体の人数:「単数」「複数」に 2つのカテゴリーに分類

③ エスニシティ:「日本人」「アジア人」「白人・黒人」「その他」の 4カテゴリ

ーに分類

④ 被写体の職業:「兵士」「商・工業労働者」「農業・漁業労働者」「政治家」

「婦人会・女子挺身隊」「学生」「混合」「その他」の 8つのカテゴリーに分類

⑤ 表情:被写体のなかに一つでも笑顔が確認できるかによって「笑顔」「笑顔

以外」「確認不可」の 3つのカテゴリーに分類

3.『写真週報』におけるジェンダーとエスニシティ

3−1 対外宣伝の副産物としての『写真週報』

発行年ごとの撮影地の割合を分析した結果(表 3−1)によれば,時局の変化とともに

減少するとはいえ,『写真週報』掲載の写真は海外を撮影地とした割合が多く,1942年

は年間を通して 4割を超えている。『写真週報』はその創刊の辞において,「カメラを通

じて国策をわかりやすく国民に知らせようという趣旨」(13)と語り,カメラのもつ解説機

能を利用したメディアであること強調した。国策とは内外�

両方を意味し,植民地をもそ

の対象に含むことはもちろんである。しかし,『写真週報』の想定読者が日本人に限定

されていることや撮影にかかるコストを考えれば,海外を撮影地とする画像の 4割とい

う数値には,製作者側の意図的な比重の跡が感じられる。

これら海外で撮影された図像を概観すれば,戦地における日本軍の日常や戦況を報告

するもの(図 3−1参照),と,大東亜共栄圏内の各地の生活や政治状況を報告する図像

(図 3−2参照)に大別することができる。清水唯一郎(2002)は,『写真週報』の概略

を明らかにした研究の中で,その創刊の背景

には,総動員体制に向けての国民の意識改革

を目的とした国内向けの宣伝の需要の高まり

があったと同時に,イギリスと中国が行う反

日宣伝に対抗できるよう,対外宣伝に向けて

の資料収集およびそれらを用いた写真報道冊

子の作成・販売の必要性が強く存在していた

表 3−1 発行年ごとの撮影地の推移

日本 海外 判別不可 合計

1942前1942後1943前1943後

54.3%53.6%65.0%70.1%

43.7%43.4%33.5%29.9%

2.0%3.0%1.6%0.0%

100.0%100.0%100.0%100.0%

合計 218660.5%

136237.7%

631.7%

3611100.0%

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1

0.8

0.6

0.4

0.2

01942.01 1942.05 1942.09 1943.01 1943.05 1943.09

発行月

男性像数を1とした

ときの女性像数

ことを指摘した。さらに,日本政府の写真事業開始の直接的契機として,井上祐子

(2006)はアメリカの『LIFE』に掲載された日本軍の爆撃の様子を記録した写真が,米

英の反日感情を刺激したことを挙げている。この一連の動きから政府内に対米写真宣伝

の強化への危機感が増幅し,情報局は自国での写真の制作・収集・流布の事業に乗り出

したのである。こういった当時の写真をめぐる政府の思惑を踏まえて,『写真週報』図

像の分布(表 3−1)を見直すと,対外宣伝のための写真収集という『写真週報』創刊当

時の目的が,「外」への視線として,実際に構成・制作された誌面においても確認でき

るのである。

次に,被写体の男女比を時系列で見ると(図 3−3参照),対象期間のほとんどの時期

において圧倒的に男性の被写体が多いという結果が明らかになった。この男女比は戦果

を強調して語る戦時期のプロパガンダとしては想定されやすい結果である。その一方

で,本論で分析対象とした期間(1942~1943年)は,太平洋戦争開戦から戦況が悪化

していく時期であり,銃後の護りとしての女性への関心が増加した時期として語られて

きた。しかし,図 3−3の結果は,この時期において銃後の女性への視線以上に,戦地

の男性もしくは国内在留の男性を中心にして『写真週報』の物語が語られたことを明ら

かにしている。『写真週報』が解説・教化・宣伝をその刊行目的として掲げていたこと

から考えれば,国内に残った女性の存在は,被写体としても読者としても意識されるの

図 3−3 男性像に対する女性像の割合

図 3−1 ハワイ開戦詳報第二報(出典)『写真週報 204号 1942.』

図 3−2 昭南島の人々(出典)『写真週報 230号 1942.』

『写真週報』に見る人物表象の量的分析52

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が妥当であろう。ここに,国内向プロパガンダにおけ

る男性中心主義的な姿勢が表れていると考えられる。

その一方で,戦況の悪化に伴って 1943年後半から

各号で表象上の男女比が大きく変化していっているこ

とは興味深い。特に,女性表象数が誌面上で急激に大

きな役割を果たしたのが,男性図像 100に対して 91

を占めるまでに女性表象が増加した 1943年 10月であ

る。この月に発行された号では表紙(図 3−4参照)

にも工場労働者の女性が登場したのをはじめとして,

紙面でも女性の労働に対する理解と支援を呼び掛ける

記事が目につくようになる。政治的な動きに目を転じ

てみれば,これにひと月先んじた 9月には,女性労働

の緊急性が増したことによって,次官会議で「女子勤労動員ノ促進ニ関スル件」が決定

され,女子挺身隊の結成による労務動員が行われた。奥健太郎(2006)によれば,これ

は初めて女性に焦点を絞った労務動員政策であったという。『写真週報』に掲載された

女性表象の割合の急激な増加は,この一連の政策を宣伝しつつ,政策に沿ったかたちで

の女子の就労参加とその理解を促すために写真が用いられていたことをあらわしてい

る。

逆に男性図像が顕著な増加を見せたのは,1943年 11月,さらには 12月である。1943

年 10月 21日には,当時の首相東条英機出席のもと,入隊予定学徒約 7万人を集めた

「出陣学徒壮行会」が開催されている。11月の急激な男性表象の増加は,11月発行の計

3号が壮行会関連記事に誌面を割いたことによるものであった。同様に,同年 11月 6

日には東京にて各首脳が終結した大東亜共栄会議が開催された。12月に発行された

『写真週報』ではこの会議の記録と,大東亜 2周年記念に関する写真が誌面に多く登場

し,政治家を主とした被写体に据えたために男性表象の割合が高くなっている。このよ

うに,『写真週報』上では,大規模な政治上の動きが記事とそれに付けられた写真表象

にも直接的に反映されていたことがわかる。量的視点から見るに,『写真週報』が写真

を用いて,直接的に政府の映させた誌面作りをしていた雑誌であったといえる。

3−2 エスニシティから読み解く写真週報

前節で明らかにしたように,『写真週報』は政府の思惑を視覚化した記事を中心に構

成されていた。では,具体的に『写真週報』がアジアに向けた眼差しはどのようなもの

だったのだろうか。そこに込められた政府の眼差しはいかなるものだったのだろうか。

「日本」と「アジア」間で見られる表象の差違について焦点を当てて分析するため,『写

図 3−4 女子機械工の労働(出典)『写真週報 293号』

『写真週報』に見る人物表象の量的分析 53

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13.2%

13.7%

51.9%

50.6%

34.9%

35.7%

0% 20% 40% 60% 80% 100%

日本(N=2532)

アジア(N=716)

笑顔笑顔以外判別不可

真週報』が捉えた被写体のエスニシティと「表情」「描写人数」「職業」の 2項目につい

ての関連を調べた。

図 3−5は,被写体のエスニシティと表情についての分析結果である。各エスニシテ

ィ図像群全体に占める,被写体に笑顔が確認できる画像の割合はほぼ同じ(日本人:

13.2%,アジア人:13.7%)であることがわかる。女性限定して同じ分析を行った結果

も,両エスニシティ間において大きな差が見られず,さらには日本人女性の方がカテゴ

リー内の笑顔の割合は僅かにではあるが,多かった(日本人:19.0%:N=436,アジア

人:18.1%,N=105)。これまで,表紙を対象に同様の分析を行った先行研究では,中

国人をはじめとする外国人女性の場合には,日本人女性に比べて笑顔である確立が高い

とされてきた(14)が,本稿の分析対象である誌面においては,それら知見とは異なる知

見が得られた。

被写体のエスニシティと職業との関連との分析結果が表 3−2である。プロパガンダ

雑誌であることから,日本人の表象において兵士に比重が置かれるのは自然なことであ

るが,その他の各職業分類において,日本人-アジア人との間での大きな差異が見られ

ないことがわかる。戦時期の日本において多くの場合,植民地をはじめとするアジアの

人々は「弱さ」「無気力」「後進性」といったイメージを伴って語られ,都市表象に対し

て農村や自然と結びついた表象に重点が置かれた。しかし,少なくとも職業という視点

から見た場合,『写真週報』に掲載されたアジアの表象からは農業従事者の過剰描写や

ある種の職業への差別的な眼差しは確認できなかった。

表 3−2 エスニシティと表象に見られる職業分布

兵士 商・工業労働者

農・漁業労働者 政治家 職業情報

無し 学生 複数職業が混在

婦人会挺身隊 その他 合計

日本 22.9 10.8 8.7 5.3 10.1 21.7 14.5 2.2 3.7 100.0%

アジア 15.2 13.9 11.9 6.2 21.3 15.9 9.5 0 6.1 100.0%

合計 67921.2%

36911.5%

3019.4%

1775.5%

40212.6%

65420.4%

43013.4%

551.7%

1364.2%

3203100.0%

図 3−5 被写体のエスニシティと表情

『写真週報』に見る人物表象の量的分析54

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0% 20% 40% 60% 80% 100%

女性女性とこども

82.4%

83.1%

83.3%

92.3%

17.6%

16.9%

16.7%

7.7%

1942前(N=119)

1942後(N=160)

1943前(N=215)

1943後(N=155)

3−3 『写真週報』に描かれた女性像

戦時期の女性表象については,おもに活字メディアの分析を中心に,近年幅広い視点

からの論考が進められてきた(15)。それらの研究によって,戦時期における女性に対し

て,愛国心をもった良妻賢母像の流布が積極的に行われた実態が明らかになるととも

に,「人的資源の増強=多産」を担うものとしての役割が強調されていたことが示され

ている(16)。では,写真がもたらすイメージの力によってわかりやすく政府方針を宣伝

することを目的としていた『写真週報』においても同様に,「種族の発展」の担い手と

しての「母」が強調されたのであろうか。

『写真週報』の図像の全体特徴として,「母子」であることが明記されている記事およ

び写真図像が非常に少なかったことから,本稿ではコーディング時の定義を広げ,こど

もと撮影された女性像を「母性」表象と分類して分析を行った。図 3−6は,全女性表

象内における「母性」表象の割合の推移である。1942年から 1943年の間では,「母性」

表象は全体の 2割に満たず,時局の変化とともに減少している。

では,戦況の悪化とともに男性が労働市場からいなくなり,女性に対して国内生産へ

の参加要請が強まる中で,女性の労働はどのように描写されていったのか。

女性表象全体に占める就業者の割合を見てみると(図 3−7参照),男性の動員が本格

化した 1943年後半には,その割合が増加していることがわかる。さらに,就業婦人や

学生や婦人会・挺身会といった何らかの役割を付与された女性像が時局の変化とともに

増加する一方で,職業に関する情報が,画像・キャプション双方に記載されていない女

性たち(17),すなわち社会の中で明確な役割付与がされていない女性たちは 1943年後半

には 10%未満にまで減少している。

図 3−6と図 3−7の結果からは,1942年から 1943年にかけての『写真週報』の女性表

象に付与されたのは就労者,つまり労働力という役割が中心であり,同時代の活字雑誌

や絵画における表象の中でも中心的な役割を担っていたとされる「母性」は副次的な位

図 3−6 女性図像群における「母性」表象の割合

『写真週報』に見る人物表象の量的分析 55

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20

40

60

80

100

日本女性アジア女性

日本女性アジア女性

1943年後76.980.0

1943年前52.059.1

1942年後42.542.5

1942年前41.745.4

0% 25% 50% 75% 100%

47.4%

37.4%

36.2%

71.8%

11.6%

21.4%

33.3%

11.3%

10.5%

2.3%

12.4%

9.9%

30.5%

38.9%

18.1%

7.0%

1942前(N=95)

1942後(N=131)

1943前(N=226)

1943後(N=142)

就労者学生婦人会・挺身隊職業記載無し就業者

置づけにあったことがわかる。

戦時期の女性表象をめぐってはこれまで,植民地女性の過剰な「女性性」の強調がし

ばしば語られてきた(18)。同じアジアの国でありながら,植民地の女性表象については

男性表象とは異なる文脈で「オリエンタリズム」の投影がなされ,民族衣装の着用やメ

ディアによって意図的に「弱さ」「無気力さ」といった表象を作りだされてきたことが

明らかになってきている(19)。国内向け宣伝を目的とした『写真週報』においては,ど

のように植民地女性は語られたのだろうか。そして,それは日本女性の描かれ方とどの

ように異なっていたのか。

図 3−8は,日本女性およびアジア女性の表象全体に占める就業率の変化である。戦

況の悪化とともにその割合が増加していっていることは図 3−7の分析結果からも明ら

かであるが,それ以上に興味深いのは,1942年当初に全表象の 40%超であった就業者

率が 1943年には倍近い 80%にまで届こうとする日本女性とアジア女性の増加ライン

が,ほぼ重なりあっていうという点である。すなわち,『写真週報』が日本-アジア女

性に対して向けた眼差しには,エスニシティによる大きな差はなかったといえる。

図 3−8 アジア女性および日本女性表象の就業率の変化

図 3−7 図像に見る女性への役割付与

『写真週報』に見る人物表象の量的分析56

Page 11: 『写真週報』に見る人物表象の量的分析...本稿では国内向け宣伝グラフ雑誌「写真週報」の表象に対し,ジェンダーとエスニシ ティの両観点からの数量的分析を行う。これまで,プロパガンダ研究の多くは文芸雑誌や婦人雑誌など活字を中心にした媒

これまで,『写真週報』をはじめとする戦時雑誌に関しては検閲の観点から,政府に

都合の良い情報に偏りがちといったプロパガンダ的側面への批判を強調した論考が多く

なされてきた。また,ジェンダー的観点からは,同じ女性像に現れるエスニシティ間の

恣意的な差異が語られてきた。しかし,本稿の分析の結果,戦時下の総力戦体制化にお

いては銃後を守る労働力としての女性が最も重点を置いて語られ,それは内地-植民地

の枠を超えた共通の枠組みとして機能していたと考えられる。

4.結論と総合考察

本稿では戦時期の国内向け宣伝グラフ雑誌『写真週報』が掲載した写真図像に着目

し,「エスニシティ」と「ジェンダー」という 2軸から量的分析を行った。エスニシテ

ィ的視点から『写真週報』表象を分析した結果,これまでの絵画や総合雑誌・婦人雑誌

を分析対象にした先行研究が明らかにしてきた,植民地を「差異化」もしくは「差別

的」する視線とは異なり,国内向け宣伝雑誌『写真週報』が作り出した文脈のなかでは

「植民地」と「日本」との間には,明確な差異があるとは言えない実態が明らかになっ

た。少なくとも,本稿が対象とした 1942年から 1943年の『写真週報』の紙面上におい

ては,植民地諸国と日本との差異化というよりはむしろ,T. フジタニ(2008)が指摘

する人種差別を否定する「同化」の構図が存在したのではないだろうか。

フジタニは,戦時期の日本における朝鮮出身兵士の言説を対象に,人種主義の否認が

もっとも可視化される場として強調されていたと明らかにした。本稿で得た,植民地の

人々の表象が日本人と同じ分量であったという知見は,フジタニの議論の対象(=兵

士)をさらに広げる可能性を示唆している。もちろん,その一見して差異を排した表象

の裏には,人的資源の補強や植民地拡大政策に対する国民の理解を広めようとする日本

政府の功利的な思惑があったことは疑うべくもない。しかし,これらの日本-植民地の

共通性を持った図像の流布が積極的に行われたことで,その図像が作り出す平等な表象

空間に人々は多少なりとも巻き込まれざるを得なかったはずである。従来の一般的な常

識はもちろん,学問的な議論においても,戦時中の日本をファシズム的で全体主義的だ

として,人種平等主義の対極として捉える視線が主流であった。しかし,本稿で得られ

た知見からは,戦時期における日本の人種主義の在り方にも従来の通説とは異なる展開

があったことが考えられる。

ジェンダー的視点からの分析結果からは,『写真週報』の写真図像が同時期の活字メ

ディアと同じく男性を中心に据えたものであったことを確認した一方で,時局の変化に

伴い,被写体の女性に対して明確な役割を付与するようになっていたことが明らかにな

った。戦時の女性の主体化=国民化を促す方向で『写真週報』というメディアが機能し

『写真週報』に見る人物表象の量的分析 57

Page 12: 『写真週報』に見る人物表象の量的分析...本稿では国内向け宣伝グラフ雑誌「写真週報」の表象に対し,ジェンダーとエスニシ ティの両観点からの数量的分析を行う。これまで,プロパガンダ研究の多くは文芸雑誌や婦人雑誌など活字を中心にした媒

たと言えるのではないだろうか。

本稿では紙幅の都合上,全体的特徴および労働に限った議論のみを論じたが,国内宣

伝雑誌としての『写真週報』における「ジェンダー」及び「エスニシティ」を語る際に

は,より詳細な写真表現の分析や属性比較が求められる。今後の課題としたい。

注⑴ 1937年(昭和 12年)9月に,情報委員会が発展改組されたものが情報部であり,1940年 12月には情報部へと昇格改組した。

⑵ 内川芳美(1973)p 302「情報局ノ組織ト機能」⑶ 同掲書,p 302

⑷ 加藤千香子(2007)⑸ Liz Conor(2004)p 54

⑹ 『写真週報』が撮影したアジア諸国には,発行当時に日本の「植民地」でなかった国々の表象も含んでいるが,それらは政府の大東亜共栄圏構想の射程に入っていた植民地予備軍であるとの立場から,本稿ではアジアの人々を総称して「アジア」と判別し,分析対象として扱っている。

⑺ 『写真週報』に関する先行研究としては,加納実紀代(2004)の研究が先駆的であり,ジェンダーとエスニシティという 2軸からその表象の描かれ方を分析しているという点でも,本稿にとって示唆的である。ただし,加納氏の研究は『写真週報』の表紙のみを分析対象としており,誌面全体に掲載された写真については分析されていない。

⑻ 清水唯一郎(2008)p 1−2

⑼ 同掲書,p 38

⑽ この際,キャプションによって補足情報が得られた場合(職業・撮影地など)には,それを参照の上,コーディングを行った。

⑾ 「こども」と「男性」「女性」のコーディングは,キャプションや図像情報から中学生以上であると明治されているものを「男性」「女性」とし,それ以外の児童を「こども」とコーディングした。

⑿ 「男性」該当者「女性」該当者が混在している場合および,そこにこどもが混在する場合は「男女混合」にコーディングした。

⒀ 奥平康弘監修『戦前の情報機構要覧』(「言論統制文献資料集成」第 20巻),日本図書センター,1992,

p 277

⒁ 加納実紀代(2004)⒂ 広瀬(2004)は満州事変以後の『婦女新聞』において女性の役割がどう伝えられたかを分析した結果,女性に対しては「平和」「愛」「精神」の象徴としての役割分担がなされていたことを明らかにしている。また,『主婦之友』のグラビア等を分析した若桑(1995)は,戦時の女性表象の固定役割が「母」「労働者」「チアガール」であったとした。

⒃ 成田龍一(2002)は,『主婦之友』上での言説において,女性が何よりも「家庭」の生活担当者として位置づけられ,「母」もしくは「主婦」としての役割が強調されていたと述べている。

⒄ 分析のカテゴリー分類においても,曖昧さをはらむ懸念から「主婦」のカテゴリー分類は採用していない。

⒅ 加納実紀代(2004)は,『写真週報』の表紙分析の結果から,中国・朝鮮・東南アジアの諸国の女性たちが「学ぶ女」と「ほほ笑む女性」に大別されていると指摘した。また,それら表象が工場労働というテーマで撮影されることによって「男性性」を付与された日本人女性と対をなす「女性性」を転化されたという論考を展開している。

⒆ 金惠信(2005)は,殖民地時代の朝鮮美術展覧会(鮮展)の表象を対象に,支配と被支配の力学の中で生まれた表象について分析し,朝鮮の人々に付与された「他者性」について述べている。

『写真週報』に見る人物表象の量的分析58

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内川芳美解説(編)(1973)『現代史資料 41 マス・メディア統制』みすず書房ヴェラ・マッキー(2010)菅沼勝彦訳「宗主国のまなざし-視覚文化にみられるモダンガール」伊藤るり他編『モダンガールと植民地近代』岩波書店

『写真週報』に見る人物表象の量的分析 59

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This work aims to uncover the nature of Japanese government domestic propaganda by in-vestigating issues of the graphic magazine, “Shashin shuhou” published during World War Ⅱ,from 1938 up until near the end of the war. I have investigated the Japanese government’s gazewith respect to gender and ethnicity during World War Ⅱ. Although many scholars have begunto study Japanese government propaganda, few works focus on graphic propaganda of the pe-riod. In contrast, this paper undertakes a careful investigation of images utilized in “Shashinshuhou”, to show that the nature of Japanese government domestic propaganda.

According to my findings, “Shashin shuhou” didn’t emphasize the motherhood in wartimeand there were not big different in the way of depicting between Japanese people and colonialpeople. These findings haven’t uncovered by precedent research which mainly analyzed literaturein wartime.

The research on gender and ethnicity

in the images of Shashin shuhou

Azusa Ienaga

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