〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) ·...

21
─ 55 ─ BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに ここで紹介する資料は、BC級戦犯裁判にお いて、性暴力関係事件(「強かん」「強制的売春 のための婦女子の誘拐」)によって起訴された 裁判を各国別に一覧したものである。紙幅の都 合により、アメリカ・イギリス・オーストラリ ア・オランダ・フランスを扱った本誌前号に引 き続き、本稿では、中華民国・フィリピンを紹 介する。 本誌前号で指摘したように、極東国際軍事裁 判(東京裁判)とBC級戦犯裁判というかたち で実施された戦犯裁判における性暴力関係事件 に対する取り組みは、前者における取り組みを 中心に研究が進められている。また、本資料の 手がかりとなる『戦争犯罪裁判概見表』は、「起 訴事実、所属、階級氏名、判決年月日、弁護人 等を事件別、事件番号順に表示したもので、事 件の外貌を知ること」(豊田隈雄『戦争裁判余 録』泰生社、1986年)に留まるものであると指 摘されている。こうした指摘をふまえ、以下で は、注目すべき裁判に触れつつ、本資料につい て紹介したい。 フィリピンが実施したBC級戦犯裁判におけ る性暴力関係事件は、「強かん」事件のみとなっ ている。これら「強かん」事件によって裁かれ た者は、主に実行犯であるが、「指揮下の日本 海軍軍人に、不正かつ不法に比島市民■■■■ (姓不詳)を強姦することを許容した」事件(フ ィリピン裁判・事件番号33)や「指揮下の日本 陸軍軍人に故意、不正、かつ不法に十二才の氏 名不詳の少女を強姦することを残忍に命令し、 指示し許容した」事件(フィリピン裁判・事件 番号48)に示されるように、上官としての責任 を問われた者も含まれている。また、この資料 から、「性交の目的で脅迫し、監禁し、強姦」 した事件(フィリピン裁判・事件番号8)や、 「暴力及び脅迫を用いて拘留し、誘かいし、繰返 し強姦」した事件(フィリピン裁判・事件番号 23)など、「強制的売春」が伴われたものである かどうかは明確ではないものの、「脅迫」・「誘か い」・「監禁」などを伴ったかたちで、一定期間 にわたる「強かん」事件の存在が確認できる。 一方、中華民国が実施したBC級戦犯裁判に おける性暴力関係事件では、「強かん」事件が多 いものの、慰安婦問題を取り扱った裁判も存在 していることが、最近明らかにされた(「「慰安 婦強制」で新資料6点、河野談話に含まれず」 『京都新聞』2013年11月21日)。「強かん」事件に よって裁かれた者は、実行犯だけではなく、上 官としての責任を問われた者も相当数含まれて いる(中華民国の広東裁判・事件番号85, 86号、 上海裁判・事件番号138, 143号など)。また、慰 安婦問題を取り扱った事件は、「中国人婦女を脅 迫して肉体的慰安の具に供した」事件(中華民 国の南京裁判・事件番号6)や、「中国人婦女を 徴集し、強迫して娼婦となした」事件(中華民 国の太原裁判・事件番号3)などが存在する。 国立公文書館に所蔵されているBC級戦犯裁 判資料には、各国別に作成された『戦争犯罪裁 判概見表』に加え、各事件ごとに起訴状、判決 文、証拠資料などが綴られたものが所蔵されて いる。そこで、それを利用し、太原裁判の第3号 事件について触れてみたい(以下、『BC級(中 華民国裁判関係)太原裁判・第三号(一名)』、 本館-4B-037-00・平11法務05759100を参照)。 この裁判において、山西省平魯縣警察隊指導 官■■■■は、「驢馬を」「没収」した容疑や、 「中国人婦女を徴集し、強迫して娼婦となした」 容疑で起訴され、前者は有罪、後者は無罪と認 〈資料〉 BC 級戦犯裁判 性暴力 (2) ── 戦争犯罪裁判概見表』を がかりに 佐治暁人 大阪経済法科大学 アジア太平洋研究センター

Upload: others

Post on 27-Oct-2019

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 55 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

ここで紹介する資料は、BC級戦犯裁判において、性暴力関係事件(「強かん」「強制的売春のための婦女子の誘拐」)によって起訴された裁判を各国別に一覧したものである。紙幅の都合により、アメリカ・イギリス・オーストラリア・オランダ・フランスを扱った本誌前号に引き続き、本稿では、中華民国・フィリピンを紹介する。

本誌前号で指摘したように、極東国際軍事裁判(東京裁判)とBC級戦犯裁判というかたちで実施された戦犯裁判における性暴力関係事件に対する取り組みは、前者における取り組みを中心に研究が進められている。また、本資料の手がかりとなる『戦争犯罪裁判概見表』は、「起訴事実、所属、階級氏名、判決年月日、弁護人等を事件別、事件番号順に表示したもので、事件の外貌を知ること」(豊田隈雄『戦争裁判余録』泰生社、1986年)に留まるものであると指摘されている。こうした指摘をふまえ、以下では、注目すべき裁判に触れつつ、本資料について紹介したい。

フィリピンが実施したBC級戦犯裁判における性暴力関係事件は、「強かん」事件のみとなっている。これら「強かん」事件によって裁かれた者は、主に実行犯であるが、「指揮下の日本海軍軍人に、不正かつ不法に比島市民■■■■

(姓不詳)を強姦することを許容した」事件(フィリピン裁判・事件番号33)や「指揮下の日本陸軍軍人に故意、不正、かつ不法に十二才の氏名不詳の少女を強姦することを残忍に命令し、指示し許容した」事件(フィリピン裁判・事件番号48)に示されるように、上官としての責任を問われた者も含まれている。また、この資料から、「性交の目的で脅迫し、監禁し、強姦」

した事件(フィリピン裁判・事件番号8)や、「暴力及び脅迫を用いて拘留し、誘かいし、繰返し強姦」した事件(フィリピン裁判・事件番号23)など、「強制的売春」が伴われたものであるかどうかは明確ではないものの、「脅迫」・「誘かい」・「監禁」などを伴ったかたちで、一定期間にわたる「強かん」事件の存在が確認できる。

一方、中華民国が実施したBC級戦犯裁判における性暴力関係事件では、「強かん」事件が多いものの、慰安婦問題を取り扱った裁判も存在していることが、最近明らかにされた(「「慰安婦強制」で新資料6点、河野談話に含まれず」

『京都新聞』2013年11月21日)。「強かん」事件によって裁かれた者は、実行犯だけではなく、上官としての責任を問われた者も相当数含まれている(中華民国の広東裁判・事件番号85, 86号、上海裁判・事件番号138, 143号など)。また、慰安婦問題を取り扱った事件は、「中国人婦女を脅迫して肉体的慰安の具に供した」事件(中華民国の南京裁判・事件番号6)や、「中国人婦女を徴集し、強迫して娼婦となした」事件(中華民国の太原裁判・事件番号3)などが存在する。

国立公文書館に所蔵されているBC級戦犯裁判資料には、各国別に作成された『戦争犯罪裁判概見表』に加え、各事件ごとに起訴状、判決文、証拠資料などが綴られたものが所蔵されている。そこで、それを利用し、太原裁判の第3号事件について触れてみたい(以下、『BC級(中華民国裁判関係)太原裁判・第三号(一名)』、本館-4B-037-00・平11法務05759100を参照)。

この裁判において、山西省平魯縣警察隊指導官■■■■は、「驢馬を」「没収」した容疑や、

「中国人婦女を徴集し、強迫して娼婦となした」容疑で起訴され、前者は有罪、後者は無罪と認

〈資料〉

BC級戦犯裁判と性暴力(2)──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

佐治暁人(        )大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター

Page 2: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 56 ─

定され、10年の判決が言い渡された。後者に関しては、1945年3月15日、大同に出張し、そのまま大同警察指導官に転勤となったとの主張に加え、「婦女を徴集して脅迫して娼となしたのは警備隊太■中尉が主管であ」り、「関係がなかった」と主張し、無罪となっている(後者に関して、判決では、「被告に上述行為があった」ことを「証明」する「証拠がない」と指摘されている。)。

太原日本連絡班が作成した「公判傍聴記」によれば、同公判において、同警察隊指導官■■■■は、「娼婦ハ何処附近カラ徴集シタモノカ」との問いに対して、「部隊ガ集メタ」もので、

「私デハアリマセン」と答え、「警察隊ガ集メテヤッタノデハナイカ」とのさらなる問いに対しても、「違ヒマス。警備隊長デス。」と回答しており、「強制的売春のための婦女子の誘拐」事件の責任の所在をめぐって激しい応酬が為されている。同警察隊指導官■■■■は、1947年4月16日に「具情書」を作成しており、「婦女ヲ徴発強制シ娼妓ト為サシム」件に関して、「日本軍警備隊ニ於テ慰安所ナルモノヲ開設シ」たもので、

「軍ニ於テ総テ実施シタルモノ」であると説明しており、このような説明に沿って回答していることが確認できる。

つまり、この裁判における「強制的売春のための婦女子の誘拐」事件は、警察隊と警備隊のどちらに責任があるのかが争点となっており、

「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定したものではない。むしろ、同警察隊指導官■■■■は、この裁判において、「強制的売春のための婦女子の誘拐」の全責任が軍にあると主張して無罪となっており、慰安婦問題を考える上で、興味深い裁判であると言える。

以上のように、本資料は、BC級戦犯裁判における性暴力関係事件に対する各国の取り組みを明らかにする手がかりを与えるものである。しかし、本稿において言及した中華民国の太原裁判第3号事件の例に示されるように、本資料は、各事件ごとに綴られたファイルへのアクセスを容易にし、日本軍による戦時性暴力の実態を明らかにすることを含め、個々のBC級戦犯裁判の検討を促すことを目的とするものでもある。

Page 3: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 57 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

裁 判 地

事 件 番 号所

属階

級身

分本

籍氏

名判

決日

判決

確認

起訴

理由

概要

マ ニ ラ8

三五

軍司

大尉

山口

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

首1

,下記

の者

及び

氏名

不詳

の他

の者

たち

は、昭

和十

九年

一〇

月、比

島C

ebu州

Med

elle

nの

Pan

ugna

wan

地区

附近

にお

いて

不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■及

び■

■各

家に

属す

る不

動産

、個人

財産

、動産

、製品

、商品

を焼

却し

、不正

に利

得し

、略奪

し、破

壊す

るこ

とを

許容

し、か

つ参

加し

た。2

,下記

の者

は、昭

和十

九年

一〇

月、前

記Pa

nugn

awan

地区

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に、い

ずれ

も非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島及

び中

国市

民■

■■

■、■

■■

■等

二六

名の

拷問

、殺害

、及び

、未遂

に終

った

■■

■■

の殺

害を

許容

し、か

つこ

れに

参加

した

。3,■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■は

、昭和

一九

年一

一月

、前記

Med

ellin

-Bog

o砂糖

中央

市場

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に二

名の

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

を銃

剣に

より

殺害

する

こと

を許

容し

、かつ

、これ

に参

加し

た。4

,■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

は、昭

和一

九年

九月

及び

一〇

月中

、前記

の砂

糖中

央市

場附

近に

おい

て、不

正か

つ不

法に

比島

市民

■■

■■

及び

■■

■■

を反

復強

姦す

るこ

とを

許容

し、か

つこ

れに

参加

した

。5,■

■■

■は

、昭和

一九

年一

〇月

、前記

の砂

糖中

央市

場に

おい

て、不

正か

つ不

法に

比島

市民

■■

■■

、■■

■■

及び

二名

の氏

名不

詳の

女性

及び

二名

の氏

名不

詳の

非武

装の

非戦

闘員

たる

スペ

イン

人の

殺害

を強

要し

、かつ

これ

に参

加し

た。6

,下記

の者

は、昭

和一

九年

一〇

月前

記の

砂糖

中央

市場

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に比

島市

民■

■■

■及

び■

■■

■を

反復

強姦

する

こと

を許

容し

、かつ

これ

に参

加し

た。7

,■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和一

九年

一〇

月、前

記砂

糖中

央市

場附

近に

おい

て、不

正か

つ不

法に

比島

市民

■■

■■

を性

交の

目的

で脅

迫し

、監禁

し、

強姦

する

こと

を許

容し

、かつ

、これ

に参

加し

た。8

,■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■

■■

■、■

■■

■は

、昭和

一九

年九

月及

び一

〇月

前記

の砂

糖中

央市

場附

近に

おい

て、

いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

多数

の比

島市

民を

柔道

を用

い彼

等の

体を

投げ

飛ば

して

拷問

し、殴

打し

、虐待

する

こと

を許

容し

、かつ

、これ

に参

加し

た。9

,■■

■■

は、昭

和一

九年

一〇

月C

ebu州

Luya

地区

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に、非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■及

び■

■■

■を

刺突

を以

て殺

害す

るこ

とを

許容

し、か

つ、こ

れに

参加

した

。10

,■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和一

九年

八月

中前

記の

砂糖

中央

市場

附近

にお

いて

、非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

を背

後か

ら射

撃す

るこ

とに

より

、殺害

する

こと

を命

令し

、かつ

、これ

に参

加し

た。1

1,■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■は

、昭和

一九

年九

月、前

記の

砂糖

中央

市場

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■、■

■■

■を

射撃

及び

刺突

によ

り殺

害す

るこ

とを

命令

し、許

容し

、かつ

これ

に参

加し

た。1

2,■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

一九

年九

月前

記の

砂糖

中央

市場

附近

にお

いて

、非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■(

名不

詳)な

る者

を刺

突に

より

殺害

する

こと

を許

容し

、かつ

、これ

に参

加し

た。

13,■

■■

■及

び■

■■

■は

、Ceb

u州B

ogoの

Mal

ingi

n地区

にお

いて

、不正

かつ

不法

に氏

名不

詳の

比島

市民

を強

姦し

た。1

4,■

■■

■は

、昭和

一九

年一

〇月

前記

Bogo

のBo

ac地

区附

近に

おい

て、不

正か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

を殴

打及

び足

蹴に

より

拷問

し虐

待す

るこ

とを

許容

し、か

つ、こ

れに

参加

した

。15

,■■

■■

は、昭

和一

九年

一〇

月前

記B

oac地

区に

おい

て、■

■■

■、■

■■

■の

財産

、宝石

、衣類

、銀製

品そ

の他

高価

な財

物を

不正

に獲

得し

、略奪

し、窃

取す

るこ

とを許

容し

、かつ

、これ

に参

加し

た。

一〇

二師

司獣

獣医

・中

尉北

海道

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

独歩

一七

三大

中尉

大分

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

海軍

二〇

一航

海軍

・主

・中

尉栃

木■

■■

■19

48/0

5/27

絞首

絞首

独歩

一七

三大

少尉

佐賀

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

歩七

七曹

長長

崎■

■■

■19

48/0

5/27

絞首

絞首

独歩

一七

三大

曹長

大分

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

セブ

憲分

曹長

長野

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

独歩

一七

三大

伍長

大分

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

伍長

大分

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

伍長

大分

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

上等

兵大

分■

■■

■19

48/0

5/27

絞首

絞首

兵長

大分

■■

■■

1948

/05/

27絞

首絞

フィリ

ピン

法廷

の性

暴力

関係

事件

一覧

Page 4: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 58 ─

マ ニ ラ10

バヨ

ンボ

ン憲

兵分

隊憲

・中

尉山

形■

■■

■19

48/2

/23

無罪

 

1,昭

和二

〇年

一月

二一

日頃

、Nue

va V

izca

ya州

Bay

ombo

ng附

近に

おい

て彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人及

びそ

の地

に派

遣さ

れた

その

他の

者等

に、故

意か

つ不

法に

いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

又は

■■

■■

等六

名及

び氏

名不

詳の

その

他の

者を

拷問

する

こと

を命

令し

指示

した

。2,昭

和二

〇年

一月

二一

日頃

前記

Bay

ombo

ng附

近に

おい

て同

じく

、■■

■■(

名不

詳)、

■■

■■

及び

氏名

不詳

のそ

の他

の者

を殺

害す

るこ

とを

命令

し、指

示し

た。3

,昭和

二〇

年一

月二

八日

頃、前

記B

ayom

bong

附近

にお

いて

同じ

く、■

■■

■を

殺害

する

こと

を許

容し

た。4

,昭和

二〇

年二

月七

日頃

、前記

Bay

ombo

ng附

近に

おい

て同

じく

、■■

■■

、■■

■■

夫人

の両

名を

拷問

し、虐

待す

るこ

とを

許容

した

。5,昭

和二

〇年

三月

二五

日頃

、Nue

va V

izca

ya州

Sol

ano附

近に

おい

て同

じく

、■■

■■

を虐

待し

、かつ

殺害

を試

みる

こと

を許

容し

た。6

,昭和

二〇

年三

月二

五日

頃、前

記S

olan

o附近

にお

いて

同じ

く、■

■■

■及

び■

■■

■を

殺害

する

こと

を命

令し

指示

した

。7,昭

和二

〇年

三月

及び

四月

頃、S

olan

o附近

にお

いて

同じ

く、■

■■

■等

一二

名及

びそ

の他

の氏

名不

詳の

者を

拷問

し虐

待す

るこ

とを

許容

した

。8,昭

和二

〇年

三月

頃、S

olan

o附近

にお

いて

同じ

く、■

■■

■を

拷問

し、強

姦す

るこ

とを

許容

した

。9,昭

和二

〇年

三月

頃、S

olan

o附近

にお

いて

同じ

く、■

■■

■を

拷問

し、

強姦

する

こと

を許

容し

た。

マ ニ ラ23

独立

歩兵

第一

七四

大隊

伍長

熊本

■■

■■

1948

/06/

14公

訴棄

1,■

■■

■は

、昭和

二〇

年一

〇月

二四

日頃

、Boh

ol州

Jagn

aのB

alili

地区

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■を

射撃

によ

り殺

害す

るこ

とを

試み

、その

結果

前記

の者

は重

傷を

負わ

した

。 代

置及

び修

正を

行な

った

起訴

事実

詳細

1。

1,■

■■

■は

、昭和

二〇

年一

〇月

二五

日頃

、Boh

ol州

Jagn

aのTu

big

Dio

地区

附近

にお

いて

、故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■を

強姦

した

。 2

,下記

一九

名は

、昭和

二〇

年一

〇月

、一一

月、一

二月

及び

昭和

二一

年一

月、二

月の

同前

記Jg

ana附

近の

Tubi

g D

ig地

区に

おい

て、不

正か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

繰返

し強

姦し

た。

修正

を行

なっ

た起

訴事

実詳

細2

。 2

,■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

は、昭

和二

〇年

一〇

月、一

一月

、一二

月、及

び、昭

和二

一年

一月

、二月

の間

、前記

Jagn

a附近

のT

ubig

Dig

地区

近傍

にお

いて

、故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■を

暴力

及び

脅迫

を用

いて

拘留

し、誘

かい

し、繰

返し

強姦

した

軍曹

熊本

■■

■■

1948

/08/

2730

30

上等

兵■

■■

■19

48/0

6/14

公訴

棄却

上等

兵熊

本■

■■

■19

48/0

8/27

3030

二等

兵(兵

長)

広島

■■

■■

1948

/06/

14公

訴棄

上等

兵熊

本■

■■

■19

48/0

8/27

3030

上等

兵熊

本■

■■

■19

48/0

6/29

公訴

棄却

兵長

熊本

■■

■■

1948

/08/

2730

30

上等

兵■

■■

■19

48/0

6/14

公訴

棄却

上等

兵熊

本■

■■

■19

48/0

8/27

終身

終身

兵長

熊本

■■

■■

1948

/06/

14公

訴棄

上等

兵熊

本■

■■

■19

48/0

8/27

終身

終身

上等

兵(伍

長)

熊本

■■

■■

1948

/06/

14公

訴棄

一等

兵熊

本■

■■

■19

48/0

8/27

3030

伍長

熊本

■■

■■

1948

/06/

14公

訴棄

上等

兵熊

本■

■■

■19

48/0

6/14

公訴

棄却

上等

兵熊

本■

■■

■19

48/0

6/14

公訴

棄却

一等

兵熊

本■

■■

■19

48/0

8/27

3030

伍長

熊本

■■

■■

1948

/08/

27終

身終

Page 5: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 59 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

マ ニ ラ27

三一

特根

海・

少佐

千葉

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

身1

,■■

■■(

別称

ドク

ター

■■

)は、昭

和二

〇年

四月

頃、比

島Ta

yaba

s州(

現Q

uero

n)In

fant

a町B

alub

o地区

附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に故

意か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等七

名の

殺害

を命

令し

、指示

し許

容し

た。

2,■

■■

■(別

称ド

クタ

ー■

■)は

、昭和

二〇

年四

月一

三日

頃、前

記In

fant

a町B

alub

o附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本海

軍軍

人に

故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■、■

■■

■(二

才)、

■■

■■(

一才

)、■

■■

■(六

才)、

■■

■■(

三才

)、■

■■

■(一

才)等

一〇

名及

びそ

の他

の者

の殺

害を

命令

し、指

示し

許容

した

。3,■

■■

■(別

称ド

クタ

ー■

■)及

び■

■■

■は

、昭和

二〇

年四

月一

七日

頃、前

記In

fant

a町A

litas

地区

附近

にお

いて

、故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

一二

名及

びそ

の他

氏名

不詳

の二

〇名

の殺

害を

命令

し、指

示し

許容

し、か

つ殺

害に

参加

した

。4,■

■■

■は

、昭和

二〇

年四

月二

九日

頃、前

記In

fant

a町B

atan

gan

附近

にお

いて

、故意

かつ

不法

に比

島市

民■

■■

■を

強姦

した

。5,■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月七

日頃

、前記

Infa

nta町

Min

ahan

地区

附近

にお

いて

、日本

海軍

軍人

に、故

意か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

、■■

■■

及び

その

他八

名の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

、かつ

殺害

に参

加し

た。6

,■■

■■(

別称

ドク

ター

■■

)は、昭

和二

〇年

五月

九日

頃、前

記In

fant

a町附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本海

軍軍

人に

、故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

六名

を殺

害す

るこ

とを

命令

し、指

示し

許容

した

。7,■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■(別

称ド

クタ

ー■

■)は

、昭和

二〇

年五

月二

一日

頃、I

nfan

ta町

Pila

way

地区

にお

いて

、日本

海軍

軍人

に、故

意か

つ不

法に

、いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

中国

市民

■■

■■

等九

名の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

、また

、殺害

に参

加し

た。8

,■■

■■

及び

■■

■■

は、

昭和

二〇

年五

月二

一日

頃、前

記In

fant

a町P

ilaw

ay地

区に

おい

て、日

本海

軍軍

人に

、故

意か

つ不

法に

、いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

中国

市民

■■

■■

等九

名の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

た。9

,■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

二一

日頃

、前記

Infa

nta町

Pila

way

地区

にお

いて

、日本

海軍

軍人

に、故

意か

つ不

法に

いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

及び

中国

市民

■■

■■

等九

名の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

、また

は殺

害に

参加

した

。10

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

二一

日頃

、前記

Infa

nta

町P

ilaw

ay地

区附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本海

軍軍

人に

故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

、また

殺害

に参

加し

た。1

1,■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月二

一日

頃、前

記In

fant

a町P

ilaw

ay地

区附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本海

軍軍

人に

、故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

五名

、その

他の

者の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

、また

殺害

に参

加し

た。

12,■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月二

一日

頃、前

記In

fant

a町P

ilaw

ay地

区附

近に

おい

て、日

本海

軍軍

人に

、故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■、■

■■

■等

五名

、及び

二名

の幼

児の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

、また

殺害

に参

加し

た。1

3,■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月二

一日

頃、前

記In

fant

a町P

ilaw

ay地

区に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本海

軍軍

人に

、故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■及

び■

■■

■並

びに

氏名

不詳

の二

名を

殺害

する

こと

を命

令し

、指示

し許

容し

た。1

4,■

■■

■及

び■

■■

■(別

称ド

クタ

ー)は

、昭和

二〇

年五

月二

一日

、前記

Infa

nta町

Kat

ambu

gan地

区附

近に

おい

て、日

本海

軍軍

人に

、故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

八名(

幼児

三名

を含

む)の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

、また

殺害

に参

加し

た。1

5,■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

海・

少佐

神奈

川■

■■

■19

49/0

2/19

絞首

不承

三一

魚雷

艦艇

海・

少佐

東京

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

旭車

丸海

・大

尉山

口■

■■

■19

49/0

2/19

絞首

終身

二二

一空

海・

大尉

富山

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

比韮

空海

軍・医・

大尉

新潟

■■

■■

1949

/02/

19公

訴棄

北韮

空海

軍・医・

大尉

長野

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

九五

五空

海・

中尉

新潟

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

北韮

空海

・中

尉鹿

児島

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

三一

特根

海・

中尉

長野

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

北韮

空海

・中

尉熊

本■

■■

■19

48/0

8/27

審理

停止

Page 6: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 60 ─

マ ニ ラ27

九〇

一空

海・

中尉

熊本

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

身び

■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

二一

日頃

前記

Infa

nta町

Ban

ugao

地区

にお

いて

、日本

海軍

軍人

に、故

意か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

及び

氏名

不詳

のそ

の他

の八

名の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

、また

殺害

に参

加し

た。1

6,■

■■

■は

、昭

和二

〇年

五月

二一

日頃

前記

Infa

nta町

Ban

ugao

地区

にお

いて

、日本

海軍

軍人

に、

故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

一二

名の

殺害

を命

令し

、指

示し

、許容

し、ま

た殺

害に

参加

した

。17

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

二一

日頃

前記

Infa

nta町

Ban

ugao

地区

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、故

意か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等三

名の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

、また

殺害

に参

加し

た。1

8,■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月二

一日

頃前

記In

fant

a町Lu

al地

区に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本海

軍軍

人に

故意

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民に

して

氏名

不詳

の三

二名

の殺

害を

命令

し、指

示し

、許容

し、ま

た殺

害に

参加

した

。19

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

二一

日頃

前記

Infa

nta町

Lual

地区

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、故

意か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■(

一才

)、■

■■

■(八

才)■

■■

■及

び■

■■

■(六

才)の

殺害

を命

令し

、指示

し、許

容し

た。

20,■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■(別

称ド

クタ

ー■

■)、

■■

■■

及び

■■

■■

は、

昭和

二〇

年五

月二

一日

頃前

記In

fant

a町附

近に

おい

て、日

本海

軍軍

人に

、故意

かつ

不法

に、い

ずれ

も非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■、■

■■

■(一

才)等

五名

及び

氏名

不詳

のそ

の他

の一

五名

の殺

害を

命令

し、指

示し

、許容

し、ま

た殺

害に

参加

した

七六

三空

海・

中尉

東京

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

三一

特根

海・

中尉

鹿児

島■

■■

■19

49/0

2/19

絞首

終身

北韮

海・

三等

兵曹

静岡

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

海・

少尉

長野

■■

■■

1949

/02/

19絞

首終

マ ニ ラ33

海軍

三二

特別

根拠

地隊

海・

大佐

東京

■■

■■

1948

/10/

09無

1,■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月二

日頃

、比島

Min

dana

o島D

avao

市B

acac

a附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

比島

市民

■■

■■(

姓不

詳)を

強姦

する

こと

を許

容し

た。2

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

二日

頃、前

記B

acac

a附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等一

〇名

、及び

その

他氏

名不

詳の

二二

名の

殺害

を許

容し

た。

3,■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月二

日頃

、前記

Bac

aca附

近に

おい

て、不

正か

つ非

武装

の戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等一

〇名

、及び

その

他氏

名不

詳の

二二

名の

殺害

に参

加し

た。4

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

三日

頃、B

acac

a附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■の

殺害

を試

み、そ

の結

果傷

害を

与え

た。

5,■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月三

日頃

、Bac

aca附

近に

おい

て、不

正か

つ不

法に

彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

八名

の殺

害を

許容

した

。6,■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月三

日頃

、Bac

aca附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本海

軍軍

人に

、不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■の

殺害

を許

容し

た。7

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

三日

頃、D

avao

市B

ajad

a附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等七

名の

殺害

を許

容し

た。8

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

三日

頃、前

記B

ajad

a附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、不

法か

つ不

法に

、非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等七

名の

殺害

を許

容し

た。9

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

三日

頃、B

ajad

a附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

、非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

三名

の殺

害を

試み

るこ

とを

許容

した

。10

,■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月四

日頃

、前記

Bac

aca附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本海

軍軍

人に

、不正

かつ

不法

に、非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

五名

の殺

害を

許容

した

。11

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

四日

頃、B

acac

a附近

にお

いて

、彼の

Page 7: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 61 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

海・

中尉

兵庫

■■

■■

1948

/10/

0920

20

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

四名

の殺

害を

試み

るこ

とを

許容

した

。12

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

五月

五日

頃、B

acac

a附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、不

正か

つ不

正に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等五

名の

殺害

を許

容し

た。1

3,■

■■

■は

、昭和

二〇

年五

月三

日頃

、B

acac

a附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

海軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■(

■■

)等一

九名

の殺

害を

許容

した

マ ニ ラ44

第四

一軍

令官

中将

福岡

■■

■■

1949

/05/

23銃

殺終

日本

帝国

陸軍

の軍

司令

官陸

軍中

将■

■■

■は

、彼の

指揮

下の

日本

軍隊

の作

戦を

指導

すべ

き司

令官

とし

ての

義を

遂行

する

こと

を怠

り、無

視し

、日本

軍隊

をし

て残

虐行

為及

びそ

の他

の高

度の

犯罪

を非

武装

の非

戦闘

員た

る市

民に

行な

うこ

と、並

びに

、軍事

上の

正当

性な

くして

公私

の財

産を

故意

に焼

却、又

は、破

壊す

るこ

とを

不正

かつ

不法

に指

令し

、又は

許容

し、戦

争法

規及

び慣

例に

違反

した

。1

,昭20

-2-1

~20

-4-1

0 La

s B

anos

町約

1790

名虐

殺、公

私財

産焼

却、破

壊。2

,昭20

-1-2

8、La

s B

anos

収容

所米

人■

■■

■殺

害。3

,昭20

-2-1

2、C

alam

bo町

493名

殺害

、虐待

、200

名殺

害未

遂。4

,昭20

-2-2

4、S

an P

ablo

市72

4名虐

殺。5

,昭20

-2-

10~

2-23

、Tan

aun町

495名

虐殺

。6,昭

20-2

-18頃

、Bat

anga

s州 T

aal町

2000

名虐

殺。7

,昭20

-2-3

~3-

20、C

uenc

a町97

8名虐

殺。8

,昭20

-2-2

0、S

an J

ose町

500

名虐

殺。9

,昭20

-2-2

8、B

auan

町40

0名虐

殺。1

0,昭

20-2

-28、

Bau

an町

100名

傷害

。11

,昭20

-3-1

8、R

osar

io町

45名

虐殺

。12

,昭20

-2-1

5~3-

12、L

ipa町

1000

名虐

殺。1

3,昭

20-2

-16~

3-19

、St.T

omas

1500

名虐

殺。1

4,昭

20-2

-6~

2-8、

Riz

al州

18名

殺害

、Man

daiu

gong

1名強

姦殺

害。1

5,昭

20-2

-11、

同州

Pas

ay 6

名殺

害。1

6,

昭20

-2-1

2、P

asay

16名

殺害

。17

,昭20

-2-1

2、P

asay

■■

■■

等4名

虐待

拷問

、家

屋焼

却。1

8,昭

20-2

-2~

2-4、

Mun

tingL

upa、

政治

要人

、俘虜

、■■

■■

等31

名殺

害。1

9,昭

20-2

-3、マ

ニラ

Tond

o、■

■■

■等

3名拷

問。2

0,昭

20-2

-3、マ

ニラ

Tond

o、11

2名虐

殺。2

1,昭

20-2

-7、マ

ニラ

Sin

gato

ng、マ

ニラ

港警

察署

長■

■■

■大

佐等

7名

を含

む13

名殺

害。2

2,昭

和20

-2-7

、マニ

ラP

aco、

8名殺

害。2

3,昭

20-2

-13、

マニ

ラTa

lt街C

ampo

ssty

、■■

■■

刑事

等10

0名(

夫人

子供

を含

む)虐

殺。■

■■

■夫

人の

所有

家屋

焼却

、私有

財産

の没

収。2

4,昭

20-2

-13、

同上

の□

所、■

■■

■殺

害。2

5,

昭20

-2-8

、マニ

ラIn

tram

uros

、7名

殺害

。26

,昭20

-2-1

7、In

tram

uros

、5名

以上

殺害

。27

,昭20

-2-7

~2-

10、マ

ニラ

Mal

ate、

10名

殺害

。28

,昭20

-2-9

、マニ

ラM

alat

e、9名

その

他氏

名不

詳20

0名虐

殺。2

9,昭

20-2

-10、

マニ

ラE

rmita

、San

Mar

celic

o寺院

。神

父■

■■

■等

カソ

リッ

ク僧

侶6名

ブフ

サー

3名及

び20

名殺

害。3

0,昭

20-2

-10、

マニ

ラE

rmit

a、■

■■

■□

□□

40名

以上

虐殺

。31

,昭20

-2-1

1、マ

ニラ

Erm

ita、

6名殺

害5名

傷害

。32

,昭20

-2-1

0、マ

ニラ

Pac

o、30

0名虐

殺。3

3,昭

20-2

-10、

マニ

ラP

aco、

100名

傷害

。34

,昭20

-2-1

0、マ

ニラ

Kan

sas街

614、

15名

殺害

。35

,昭20

-2-1

0 マ

ニラ

Erm

itaド

イツ

人ク

ラブ

、150

0名虐

殺、3

0名婦

人強

姦。ド

イツ

人ク

ラブ

焼却

。36

,昭20

-2-1

0、マ

ニラ

Erm

ita

ドイ

ツ人

クラ

ブ、4

名以

上拷

問、虐

待、傷

害。3

7,昭

20-2

-11、

マニ

ラE

rmit

a Is

aac、

Per

al、T

abac

aler

aビル

ディン

グ、1

1名及

び氏

名不

詳40

名殺

害。3

8,昭

20-2

-12、

マニ

ラS

inga

long

、9名

及び

氏名

不詳

20名

殺害

、個人

の住

宅を

焼却

。39

,昭20

-2-1

2、マ

ニラ

Sin

galo

ng、5

名拷

問、殺

害未

遂。4

0,昭

20-2

-7~

2-14

、マ

ニラ

De-

La S

alle

校附

近、■

■■

■刑

事等

7名及

び氏

名不

詳38

名殺

害。4

1,昭

20-2

-7~

2-14

、マニ

ラD

e-La

Sal

le校

附近

、■■

■■

神父

等4名

及び

氏名

不詳

14名

拷問

。42

,昭20

-2-9

~2-

17、マ

ニラ

Erm

ita B

ay V

iew

Hot

el、A

lham

bra

Apa

rtmen

t

Page 8: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 62 ─

Hot

el、M

inam

ar A

partm

ent

Hot

el、M

anila

Hot

el、4

00名

婦女

子を

拷問

虐待

し、4

0名

を強

姦、B

ay V

iew

Hot

elを焼

却。4

3,昭

20-2

-17、

マニ

ラIs

aac

Par

al街

、30名

以上

殺害

、3名

の婦

人を

強姦

後殺

害。4

4,昭

20-2

-17、

マニ

ラIs

aac

Per

al街

、25名

虐待

、私有

財産

徴発

、焼却

。45

,昭20

-2-2

0、マ

ニラ

Intr

amur

os、■

■■

■神

父等

9名及

び氏

名不

詳10

名の

虐殺

。46

,昭20

-2-2

0、マ

ニラ

Intra

mur

os、■

■■

■神

父等

7名拷

問虐

待。4

7,昭

20-2

-6~

2-22

、Int

ram

uros

、St.

Aug

ustin

e C

hurc

h、60

00名

、食糧

、医療

なく

拘禁

され

、不必

要な

放火

にさ

らさ

れ、飢

餓、疾

病、虐

待の

ため

死亡

し、多

くの

婦人

が虐

待さ

れ、強

姦さ

れた

。48

,昭20

-2-6

~2-

22、マ

ニラ

Intra

mur

os S

t. A

ugus

tine

Chu

rch、

その

中に

収容

して

いた

市民

の私

有財

産が

盗ま

れ、徴

発さ

れ、教

会の

神聖

な財

産が

敵火

の下

で破

壊さ

れ、軍

事上

の理

由な

く尼

僧院

及び

教会

が焼

かれ

、破壊

され

た。4

9,昭

20-2

-6~

2-20

、Int

ram

uros

San

tiago

、400

0名虐

殺。5

0,昭

20-1

-1~

2-17

、マニ

ラE

rmit

a、市

民病

院に

使用

され

てい

る比

島ゼ

ネラ

ル病

院に

防御

工事

を施

し、火

器を

配置

して

作戦

し、敵

火を

誘致

した

結果

、多数

の患

者及

び避

難者

を殺

害し

た。5

1,昭

20-2

-10

、ゼネ

ラル

病院

■■

■■

及び

他の

2名の

婦人

を虐

待し

強姦

した

。52

,昭20

-2-1

0、比

島赤

十字

本部

の建

物、■

■■

■等

男女

14名

、その

子た

ち7名

及び

氏名

不詳

の40

名殺

害。5

3,昭

20-2

-10、

比島

赤十

字本

部建

物、3

名拷

問虐

待。5

4,昭

20-2

-8、マ

ニラ

Mal

ate、

4名殺

害。5

5,昭

20-2

-5~

2-7、

マニ

ラ大

寺院

(Cat

hedr

al)に

おい

て、多

くの

婦女

子を

虐待

、強姦

し、か

つ、宗

教目

的に

捧げ

られ

た前

記大

寺院

を焼

き、破

壊し

た。5

6,昭

20-2

-13、

マニ

ラTa

ft街16

09、在

マニ

ラ、ベ

ネゼ

ラ国

領事

■■

■■

等を

殺害

し、前

記家

屋を

焼毀

した

。57

,昭20

-2-7

~2-

10、マ

ニラ

■■

■■

等10

名殺

害。5

8,昭

20-2

-7~

2-8、

マニ

ラ、P

anda

can、

居住

だけ

に使

用さ

れて

いた

300の

家屋

焼毀

した

。以上

マ ニ ラ48

臨時

歩兵

一中

隊兵

長福

岡■

■■

■19

49/0

3/24

絞首

終身

1,昭

和一

九年

一二

月頃

、比島

Rom

blon

州R

ombl

on附

近に

おい

て、故

意、不

正、か

つ不

法に

、非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

を殺

害し

た。2

,昭和

一九

年一

二月

二五

日頃

、Rom

blon

附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

陸軍

軍人

に、故

意、不

正か

つ不

法に

、いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等八

名及

び氏

名不

詳の

三二

名を

拷問

し、虐

待す

るこ

とを

命令

し、指

示し

、許容

した

。3,昭

和二

〇年

一月

二八

日頃

、R

ombl

on附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人に

、故意

、不正

、かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■を

強姦

する

こと

を、命

令し

、指示

し、許

容し

た。4

,昭和

二〇

年二

月一

日頃

、Rom

blon

附近

にお

いて

、故意

、不正

、かつ

不法

にい

ずれ

も非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

一一

名を

殺害

し、ま

た、彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人に

、殺害

を命

令し

許容

した

。5,昭

和二

〇年

二月

頃、R

ombl

on附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人に

故意

、不正

、かつ

不法

に十

二才

の氏

名不

詳の

少女

を強

姦す

るこ

とを

残忍

に命

令し

、指示

し許

容し

た。

マ ニ ラ49

船舶

工兵

一野

補充

隊中

尉長

野■

■■

■19

49/0

6/27

無罪

1,昭

和一

九年

一一

月三

〇日

頃、比

島C

ebu州

Cam

otes

群島

Pon

son島

Pila

r ka

wit

地区

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民の

女性

を強

姦し

た。2

,昭和

一九

年一

二月

八日

頃、前

記P

onso

n島S

itio

Too

ng附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人に

、不正

かつ

不法

に■

■■

■等

三名

を含

む約

三〇

名の

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

の拷

問、殺

害を

許容

した

。3,昭

和一

九年

一二

月二

七日

頃、

Pon

son島

Sito

Opa

o附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

陸軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等五

名を

拷問

し、殺

害す

るこ

とを

許容

した

。4

,昭和

一九

年一

二月

二九

日頃

、Pon

son島

Sit

o O

pao附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

Page 9: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 63 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに日

本陸

軍軍

人に

、不正

かつ

不法

に、■

■■

■等

三名

を含

む二

八名

の非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民の

拷問

殺害

を許

容し

た。5

,昭和

一九

年一

二月

二九

日頃

、Pon

son島

Dap

dap地

区附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人に

、不正

かつ

不法

に、■

■■

■等

四名

を含

む一

五名

の非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民の

拷問

殺害

を許

容し

た。6

,昭

和一

九年

一二

月二

九日

頃、P

onso

n島D

apda

p地区

附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

陸軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

、非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等五

名の

拷問

殺害

を許

容し

た。7

,昭和

一九

年一

二月

二九

日頃

、前記

Dap

dap地

区に

おい

て、

彼の

指揮

下の

日本

陸軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

、■■

■■

を含

む非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民約

三〇

〇名

の拷

問殺

害を

許容

した

。8,昭

和一

九年

一二

月二

九日

頃、

Dap

dap地

区附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人に

、不正

かつ

不法

に、非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

四名

の拷

問殺

害を

許容

した

。9,昭

和一

九年

一二

月二

九日

頃、D

apda

p地区

附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

陸軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等四

名の

拷問

、殺害

を許

容し

た。1

0,

昭和

一九

年一

二月

二九

日頃

、Pon

son島

Esp

eran

g地区

附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

陸軍

軍人

に、不

正か

つ不

法に

、■■

■■

等三

名を

含む

約三

〇〇

名の

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

の拷

問殺

害を

許容

した

マ ニ ラ58

イロ

イロ

兵分

隊憲

・大

尉山

口■

■■

■19

49/0

8/15

絞首

終身

1,昭

和一

八年

一月

一一

日か

ら昭

和一

八年

八月

一八

日の

間、比

島マ

ニラ

Fort

San

tiago

にお

いて

、故意

かつ

不法

に、非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■を

拷問

、虐待

し、

また

、彼の

指揮

下の

者に

拷問

し、虐

待す

るこ

とを

命令

し、許

容し

た。2

,昭和

一九

年二

月二

三日

頃、I

loilo

州Ilo

ilo市

附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

者に

、故意

かつ

不法

に、い

ずれ

も非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

五名

の殺

害を

命令

し、指

示し

許容

した

。3

,昭和

一九

年二

月二

八日

から

昭和

一九

年六

月二

三日

の間

、Ilo

ilo市

附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

陸軍

軍人

に、故

意か

つ不

法に

いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等五

名に

対す

る拷

問虐

待を

命令

し、指

示し

許容

した

。4,昭

和一

九年

二月

二八

日か

ら昭

和一

九年

六月

二三

日の

間、I

loilo

市附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人に

、故意

かつ

不法

にい

ずれ

も非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■及

び氏

名不

詳の

一一

名の

殺害

を命

令し

、指示

し許

容し

た。5

,昭和

一九

年六

月頃

、Ilo

ilo市

附近

にお

いて

、故意

、不法

かつ

残忍

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■夫

人を

強姦

した

。6,昭

和一

九年

一一

月頃

、Ilo

ilo市

附近

にお

いて

彼の

部下

日本

陸軍

軍人

に故

意か

つ不

法に

いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等六

名の

殺害

を命

令し

、指示

し許

容し

た。7

,昭和

一九

年一

二月

頃、I

loilo

市La

pas附

近に

おい

て、彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人に

故意

かつ

不法

に、い

ずれ

も非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民で

ある

氏名

不詳

の三

〇名

の殺

害を

命令

し、指

示し

許容

した

。8,昭

和一

八年

一二

月二

〇日

から

同三

一日

の間

、Ilo

ilo市

附近

にお

いて

、彼の

指揮

下の

日本

陸軍

軍人

に、故

意か

つ不

法に

いず

れも

米陸

軍軍

人で

日本

の俘

虜で

ある

■■

■■

兵を

残忍

に拷

問虐

待す

るこ

とを

命令

し、指

示し

、許容

し黙

認し

た。

マ ニ ラ61

第一

揚陸

医・

中尉

長野

■■

■■

1949

/09/

20絞

首終

身1

,■■

■■

は、昭

和二

〇年

九月

二四

日頃

、比島

Buk

idno

n州S

amila

o附近

にお

いて

、不

正か

つ不

法に

いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等三

名を

拷問

虐待

した

。2,■

■■

■は

、昭和

二〇

年九

月二

四日

頃前

記S

amila

o附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

にい

ずれ

も非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

四名

を殺

害し

た。3

,■■

■■

、■■

■■

及び

中村

武一

は、昭

和二

〇年

一〇

月中

、Sam

ilao附

近に

おい

て不

正兵

長沖

縄■

■■

■19

49/0

9/12

公訴

棄却

Page 10: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 64 ─

マ ニ ラ61

伍長

愛媛

■■

■■

1949

/09/

20絞

首不

承認

かつ

不法

に六

名の

氏名

不詳

の非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民を

殺害

した

。4,■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二〇

年一

〇月

一日

頃、S

amila

o K

ulam

an附

近に

おい

て、不

正か

つ不

法に

、非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

を殺

害し

、その

体を

切り

、肉を

料理

して

喫食

した

。5,■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二〇

年一

〇月

一〇

日頃

、Kul

aman

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■を

拷問

虐待

した

。6,■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二〇

年一

〇月

一〇

日頃

、Kul

aman

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■を

強姦

した

。7,■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二〇

年一

二月

中、S

umila

o附近

にお

いて

不正

かつ

不法

に氏

名不

詳の

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

一名

を殺

害し

、その

体を

切り

料理

し、そ

の肉

を喫

食し

た。8

,■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二〇

年一

二月

から

昭和

二一

年八

月の

間、

Buk

idno

n州In

tava

s附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に約

八才

の氏

名不

詳の

比島

人の

少年

を誘

かい

し、報

酬な

く奴

隷の

よう

に使

用し

、労働

を強

要し

た。9

,■■

■■

は、昭

和二

一年

三月

一四

日頃

、Sum

ilao附

近に

おい

て非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■T

ON

DA

LASを

殺害

し、そ

の体

を切

り料

理し

、その

肉を

喫食

した

。10

,■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和二

一年

三月

一四

日頃

、Sum

ilao附

近に

おい

て、不

正か

つ不

法に

、非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

及び

■■

■■

の両

名を

拷問

し、虐

待し

た。1

1,■

■■

■は

、昭和

二一

年六

月及

び八

月の

間、B

ukid

non

州In

tava

sのS

atoa

n附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に、三

名の

氏名

不詳

の非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民を

殺害

した

。12

,■■

■■

は、昭

和二

一年

九月

頃、前

記In

tava

s附近

にお

いて

不正

かつ

不法

に彼

の指

揮下

の日

本陸

軍軍

人に

一名

の氏

名不

詳の

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

の殺

害を

許容

し承

認し

た。1

3,■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二一

年九

月頃

、Buk

idno

n州D

alw

anga

n附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に他

の一

名と

共謀

して

、いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

等四

名を

殺害

し、前

記の

者た

ちの

体を

切り

料理

し、そ

の肉

を喫

食し

た。1

4,■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二一

年九

月一

三日

頃、B

ukid

non州

Inpa

sugo

ng S

itio

Pat

pat附

近に

おい

て、不

正か

つ不

法に

、いず

れも

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

を拷

問虐

待し

、銃剣

で刺

した

。15

,■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和二

一年

九月

一三

日頃

前記

Sit

io P

atpa

t附近

にお

いて

不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■を

殺害

した

。16

,■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和二

一年

九月

一三

日頃

Siti

o P

atpa

t附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に■

■■

■を

殺害

し、料

理し

、その

肉を

喫食

した

。17

,■■

■■

、■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和二

一年

九月

及び

一〇

月の

間、

Buk

idno

n州In

pasu

gong

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に、い

ずれ

も非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■等

四名

及び

その

他氏

名不

詳の

一〇

名を

殺害

した

。18

,■■

■■

、■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和二

一年

九月

及び

一〇

月の

間、前

記In

pasu

gong

附近

にお

いて

、不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■を

拷問

し、

虐待

し刺

突し

た。1

9,■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二一

年一

一月

及び

一二

月の

間、S

umila

oにお

いて

不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■及

び■

■■

■の

二名

を殺

害し

た。2

0,■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二一

年一

一月

、一二

月の

間、S

umila

oに

おい

て、不

正か

つ不

法に

非武

装の

非戦

闘員

たる

比島

市民

■■

■■

及び

■■

■■

の二

名を

殺害

し、前

記の

者の

体を

切り

料理

し、そ

の肉

を喫

食し

た。2

1,■

■■

■、■

■■

中尉

山口

■■

■■

1949

/09/

20無

軍曹

大分

■■

■■

1949

/09/

20絞

首終

兵長

福岡

■■

■■

1949

/09/

20終

身終

兵長

新潟

■■

■■

1949

/09/

20絞

首終

捜索

第三

〇連

伍長

鳥取

■■

■■

1949

/09/

20終

身終

第一

五揚

陸隊

兵長

徳島

■■

■■

1949

/09/

20無

歩兵

第七

四連

兵長

島根

■■

■■

1949

/09/

20絞

首終

捜索

第三

〇連

軍曹

兵庫

■■

■■

1949

/09/

20無

第一

五揚

陸隊

軍曹

宮崎

■■

■■

1949

/09/

20絞

首終

第一

五揚

陸隊

伍長

高知

■■

■■

1949

/09/

20絞

首終

兵長

大分

■■

■■

1949

/09/

20絞

首終

歩兵

第七

四連

隊伍

長茨

城■

■■

■19

49/0

9/20

絞首

終身

Page 11: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 65 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

伍長

鳥取

■■

■■

1949

/09/

20絞

首終

身■

、■■

■■

、■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和二

一年

一一

月、一

二月

の間

、Sum

ilao

にお

いて

、不正

かつ

不法

に、■

■■

■及

び■

■■

■を

強姦

した

。22

,■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和二

一年

一一

月、一

二月

の間

、Sum

ilao

にお

いて

、不正

かつ

不法

に非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■及

び■

■■

■の

二名

を殺

害し

、前記

の者

たち

の体

を切

り料

理し

、その

肉を

喫食

した

。23

,■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

及び

■■

■■

は、昭

和二

一年

一一

月、一

二月

の間

、不正

かつ

不法

にい

ずれ

も非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■を

拷問

虐待

し、■

■■

■及

び■

■■

■の

両親

であ

る■

■■

■及

び■

■■

■の

肉を

喫食

する

こと

を強

要し

た。2

4,■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■及

び■

■■

■は

、昭和

二一

年一

一月

、一二

月の

間、I

ntav

as附

近に

おい

て、不

正か

つ不

法に

氏名

不詳

の非

武装

の非

戦闘

員た

る比

島市

民一

名を

殺害

し、そ

の体

を切

り料

理し

、その

肉を

喫食

した

第一

五揚

陸隊

兵長

長崎

■■

■■

1949

/09/

20終

身終

兵長

群馬

■■

■■

1949

/09/

20公

訴棄

捜索

第三

〇連

兵長

兵庫

■■

■■

1949

/09/

20絞

首終

裁 判 地

事 件 番 号所

属階

級身

分本

籍氏

名原

審日

原審

覆審

起訴

理由

概要

漢 口6

新堤

公立

診療

所医

師大

分■

■■

■19

46/0

9/24

無罪

■■

■■

は、新

堤維

持会

公立

医院

医師

として

在職

中、昭

和十

四年

四月

同院

に洗

濯婦

として

働い

てい

た■

■■

■を

強姦

し、そ

の後

一ヶ

月の

後、同

女の

夫■

■■

■を

殺害

し、

亦同

二十

年三

月六

日夜

、民権

路の

自宅

に於

て妻

■■

■■

と些

細の

こと

より

口論

し、激

怒の

余り

鉄棒

を以

て同

女の

頭部

を殴

打し

て死

に至

らしめ

た。

漢 口17

第十

六師

団第

一渡

河材

料中

隊大

尉滋

賀■

■■

■19

46/1

1/09

死刑

昭和

二十

年旧

暦三

月よ

り日

本投

降ま

で第

一渡

河材

料中

隊長

として

衡山

萱州

市の

警備

隊長

を兼

任し

てい

たが

同年

旧暦

四月

七日

■■

■■

等七

名を

殺害

して

、その

屍体

を湘

江河

畔に

放棄

し、次

で三

百八

・九

十名

に及

ぶ良

民を

相次

で殺

害し

、亦同

日兵

五十

余名

を高

坪嶺

に派

して

家屋

五十

余棟

を焼

き、娘

■■

■■

等十

四名

を強

姦後

殺害

し、強

姦後

殺害

され

ざる

者七

十五

名に

達せ

り。更

に朱

陽、衡

山、□

縣、安

仁等

にお

いて

、七・

八回

にわ

たり

米四

万石

、牛豚

三十

余頭

その

他衣

類等

三十

二隻

相当

を掠

奪し

、更に

同年

四月

一月

譚泳

秋を

逮捕

拘禁

して

死刑

に処

せん

として

抗戦

智識

分子

の消

滅を

図っ

た。

漢 口23

第六

四師

団独

立歩

兵第

百三

三大

少尉

岡山

■■

■■

1947

/11/

20未

逮捕

■■

■■

は、湖

南省

九江

廟警

備隊

長に

して

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

は、何

れも

同警

備隊

班長

であ

るが

同人

等は

、昭和

十九

年七

月頃

、長沙

合浦

郷に

於て

、婦人

を輪

姦し

、財物

を掠

奪し

、■■

■■

を殺

害し

た外

、■■

■■

、■■

■■

、及、■

■■

■兄

弟を

拘禁

し、且

隣室

に拘

禁中

の十

余名

に殴

打暴

行を

加へ

て傷

害を

与へ

、亦、■

■■

■、■

■■

■は

、同年

七月

頃、前

記合

浦郷

に於

て、同

地第

六保

長■

■■

■を

間諜

容疑

を以

て、逮

捕の

上、共

同殺

害し

、■■

■■

は、同

年二

月頃

、湖北

省通

山縣

監林

橋に

駐屯

中威

勢を

藉り

て中

国平

民を

殺害

した

軍曹

山口

■■

■■

1947

/11/

20無

軍曹

京都

■■

■■

1947

/11/

20無

独立

混成

第一

七□

団独

立歩

兵第

九〇

大隊

一等

兵新

潟■

■■

■19

47/1

1/20

無罪

漢 口44

漢口

憲兵

隊憲

・軍

曹岡

山■

■■

■無

罪應

城に

おけ

る婦

女強

姦容

疑。

中華

民国

法廷

の性

暴力

関係

事件

一覧

Page 12: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 66 ─

漢 口45

漢口

憲兵

隊應

城分

隊憲

・大

尉兵

庫■

■■

■無

罪應

城に

おけ

る婦

女強

姦容

疑。

漢 口47

独立

混成

第十

七旅

団第

九十

大隊

兵長

千葉

■■

■■

無罪

■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

等は

、昭和

十八

年十

一月

十二

日よ

り同

年十

二月

十九

日に

至る

間、湖

北省

崇陽

附近

の監

林橋

に於

て殺

人、強

姦、什

器掠

奪等

をな

した

上等

兵千

葉■

■■

■無

上等

兵千

葉■

■■

■無

一等

兵新

潟■

■■

■無

漢 口52

中国

軍特

務団

長■

■■

■無

罪河

南省

開封

に於

て中

国軍

特務

団長

として

勤務

中、現

在の

中国

人妻

を強

姦に

より

獲得

し亦

広大

なる

土地

を強

制買

収し

た。

漢 口55

第二

十軍

司令

参謀

長、

少将

千葉

■■

■■

1947

年6月

[日

付不

明]

無罪

■■

■■

は第

二十

軍参

謀長

で、■

■■

■は

昭和

十九

年湖

南省

長沙

失陥

後同

軍復

興部

政務

部長

兼情

報長

とな

った

が、右

両名

は長

沙進

入後

市内

外に

おい

て、

焼殺

掠奪

を擅

にし

農民

俘虜

をし

て堤

防を

構築

、道路

を掘

らし

め、老

弱の

ため

、之を

忌避

せん

とし

た■

■■

■、■

■■

参等

を殺

害し

、亦そ

の所

属兵

士は

、■■

■■

、■

■■

■、■

■■

■等

を輪

姦し

、■■

■■

は、そ

の辱

を受

くる

に堪

えず

入水

自殺

し、亦

■■

■■

は、十

六歳

の姑

娘を

捕え

て■

■■

■に

献じ

たが

、今日

まで

生死

不明

なり

。更に

、■■

■■

、■■

■■

は、漢

奸■

■■

■と

結托

し、長

沙街

に銀

行を

設立

して

高利

を以

て貸

款民

財を

詐取

する

と共

に儲

備券

を濫

発し

て金

融を

撹乱

し、亦

賭博

場を

開設

して

博徒

を誘

引し

、阿片

館を

開設

して

阿片

を吸

引せ

しめ

、八角

亭に

日本

語講

習会

を開

設し

中国

民衆

の奴

化を

図り

、昭和

二十

年旧

暦一

月一

日、

漢奸

に使

嗾さ

れて

大屯

営を

政団

して

数百

名を

屠殺

し、亦

中国

工作

員を

捕え

て郊

外に

連行

して

銃殺

した

外、南

門外

及び

北門

外に

おい

て中

国人

民家

を破

壊し

た。

少佐

静岡

■■

■■

1947

年6月

[日

付不

明]

無罪

漢 口64

第六

十八

師団

長中

将宮

崎■

■■

■19

47/1

1/28

無期

無期

■■

■■

は、昭

和十

九年

七月

、第六

十八

師団

長と

なり

湖南

省衡

陽、□

縣、醴

陵、資

興等

各縣

の警

備に

当っ

てい

たが

、昭和

二十

年旧

暦正

月八

日部

下を

放任

して

、衡山

縣石

灘郷

に至

らしめ

、■■

■■

の妻

■■

■■

、妾■

■■

■を

強姦

せし

めた

外、廟

石祝

塘大

屋場

島に

おい

て十

数戸

の婦

女を

悉く

姦淫

し、昭

和十

九年

七月

より

日本

投降

まで

の間

、その

所属

であ

る第

五十

七旅

団第

六十

四大

隊将

兵は

、□縣

駐屯

中、同

縣内

夏泉

、馬鞍

等各

郷村

にお

いて

住民

■■

■■

等三

十六

名を

逮捕

し、火

焙り

、銃殺

、腰切

り等

あら

ゆる

惨虐

方法

を以

て殺

害し

殊に

■■

■■

の妻

に至

って

は殺

害後

胎児

を取

り出

して

銃剣

に突

き刺

して

娯楽

に供

した

外、■

■■

■等

多数

の婦

女を

強姦

の上

死に

至らし

め、ま

た、■

■■

■等

二十

数人

の家

屋を

焼燬

して

多量

の家

畜、什

器等

を掠

奪し

、萱州

警備

隊長

■■

■■

及び

その

部下

兵士

は昭

和二

十年

四月

より

日本

投降

に至

る間

、衡山

、月山

郷、そ

の他

各地

にお

いて

住民

陳足

国等

七名

を殺

害し

、その

屍体

を湘

江に

投棄

した

外、住

民三

百八

・九

十名

を殺

害し

、■■

■■

等十

四名

の婦

女を

強姦

して

死に

至らし

めか

つ馬

華嶺

地方

の民

家五

十余

棟を

焼燬

し糧

食四

万余

石牛

豚三

千余

頭衣

類、什

器等

船に

て三

十余

隻分

を掠

奪し

、また

資興

縣三

都市

地方

に駐

屯し

てい

た第

五十

七旅

団第

六十

一大

隊小

隊長

代理

■■

■■

は、昭

和二

十年

旧暦

三月

同市

淅贑

路警

察署

副署

長■

■■

■、安

源子

弟学

校長

■■

■■

、教員

■■

■■

を殺

害し

た。右

は、師

団長

として

その

所属

部隊

の指

揮監

督の

地位

にあ

りな

がら

、右犯

行に

耳を

籍さ

ず防

犯制

止の

能□

を盡

さな

かっ

たの

は共

犯の

責を

負う

べき

であ

る。

Page 13: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 67 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

漢 口67

第三

十四

師団

長中

将福

岡■

■■

■19

48/0

1/29

10

■■

■■

は、第

三十

四師

団長

にし

て、そ

の所

属で

ある

第二

十六

、第二

十七

、第二

十八

の各

連隊

長■

■■

■、■

■■

■等

を率

ひて

、江西

省南

昌附

近に

駐防

して

いた

が、そ

の所

属部

隊に

おい

て、昭

和十

九年

三月

より

同年

五月

に至

る間

、中国

平民

■■

■■

、■■

■■

等二

名を

殺害

し、■

■■

■、■

■■

■等

六名

の非

軍人

を強

迫し

て日

軍の

軍需

品の

輸送

に従

事せ

しめ

、昭和

二十

年五

月よ

り同

年七

月に

至る

間、湖

南省

新寧

に駐

屯し

てい

た部

属は

中国

婦人

■■

■■

を強

姦し

た外

、無辜

の平

民■

■■

■、■

■■

■等

四名

を殺

害し

、昭和

十九

年六

月、そ

の部

下■

■■

■は

、湖南

省永

修縣

にお

いて

、平民

盧礼

望、

揚意

全等

五名

を殺

害し

、更に

同年

十一

月よ

り同

年十

二月

に至

る間

、広西

省灌

陽に

おい

て相

前後

して

平民

■■

■■

、■■

■■

等三

名を

殺害

した

が、右

は師

団長

として

部下

の右

犯行

を許

容し

、また

は防

止し

なか

った

事実

が明

瞭で

自ら

共犯

の責

任を

負う

べき

であ

る。

漢 口68

独立

歩兵

第五

旅団

第二

百十

大隊

少佐

鹿児

島■

■■

■19

47/1

2/21

無期

昭和

十九

年四

月十

五日

より

日本

投降

に至

る間

、第二

百十

大隊

長とし

て、湖

北省

公安

縣閘

口に

駐屯

警備

に当

った

が部

下を

駆使

して

昭和

二十

年春

樟木

郷に

おい

て氏

名不

詳の

聾子

に負

傷兵

の担

架運

搬を

なさし

めん

とした

が、之

に應

せざ

りした

め、そ

の場

にお

いて

殺害

し、且

同時

更に

氏名

不詳

の老

婆を

何等

の理

由な

く殺

害し

、同年

三-

四月

の間

にお

いて

、その

所属

兵士

六十

余名

は閘

口第

草街

地方

にお

いて

、婦女

■■

■■

を輪

姦の

上、

疾病

に罹

らしめ

、同年

五月

三日

更に

所属

兵士

は、沙

江郷

にお

いて

人夫

徴発

の目

的を

達せ

ざりし

に憤

怒し

平民

■■

■■

等の

家屋

三軒

を焼

却し

た。

北 京18

華北

特別

警備

隊第

四大

隊憲

・曹

長兵

庫(

■■

)■■

■■

1946

/06/

0810

河北

省定

縣に

駐屯

して

情報

係を

担当

して

いた

が、昭

和十

九年

旧暦

一月

頃密

偵長

■■

■■

方に

おい

て、同

人よ

り、電

話交

換手

■■

■■

を紹

介さ

れて

交際

中、同

年四

月■

■方

にお

いて

、同女

を脅

迫し

て姦

淫し

、その

後、安

国、保

定、北

京等

に転

出後

も引

続き

転出

地に

同女

を誘

拐し

て連

続姦

淫し

た。

北 京60

戦車

第三

師団

大佐

静岡

■■

■■

1947

/03/

085

無罪

機動

砲兵

第三

連隊

長に

歴任

し、中

日戦

争開

始さ

るや

部隊

を率

ひて

戦闘

に参

加し

、昭和

十二

年九

月以

来、徐

州、鄭

州、洛

陽等

の作

戦に

従事

し、包

頭、許

昌、龍

門、魯

山、裏

城等

各地

の警

備に

当っ

たが

、此の

間、所

属部

隊員

にお

いて

、財物

掠奪

、婦女

姦淫

、平民

焼殺

等を

なし

、亦昭

和二

十年

五月

十九

日、蘆

氏縣

境に

おい

て、河

南高

等法

院推

事■

■■

■の

法弊

五千

元金

、指輪

一個

を捜

し出

し掠

奪し

た。

広 東2

第二

十三

軍司

令官

中将

兵庫

■■

■■

1946

/10/

18死

■■

■■

は、中

日戦

争勃

発し

、昭和

十三

年十

月第

二十

一軍

参謀

長とし

て軍

司令

官安

藤利

吉を

補佐

して

華南

恵陽

のバ

イア

ス湾

上陸

作戦

を計

画し

て広

州を

占拠

し、昭

和十

五年

より

同十

六年

に至

る間

、第二

十一

師団

長に

任じ

華中

、江蘇

、河南

、河北

、山東

諸省

に転

戦、昭

和十

八年

第二

十三

軍司

令官

に陞

任し

、南支

にお

ける

日軍

の最

高指

揮官

とな

り、廣

九、西

江、両

豊(陸

豊、海

豊)三

南等

の各

作戦

を指

揮し

たが

、その

政略

せる

地区

にお

いて

偽政

府を

扶植

して

同政

府の

勢力

を助

長し

以て

中国

政府

を転

覆し

土地

を潜

奪す

るの

陰謀

を遂

げん

とした

が、そ

の任

期の

間に

おい

て、屡

々国

際戦

争法

規に

違反

し、部

属を

縦容

して

各種

の残

虐行

為を

なせ

り。即

ち、俘

虜及

び非

戦闘

員を

屠殺

し、故

意に

囚人

を餓

死せ

しめ

住民

を放

逐し

、人民

を強

制徴

用し

て軍

事上

の工

作に

従事

せし

め、民

家、学

校、

歴史

的建

造物

を焼

燬破

壊し

、糧食

、家畜

、その

他の

物品

の掠

奪、婦

女強

姦、無

防備

都市

及病

院の

爆撃

、毒瓦

斯の

使用

、平民

を濫

補し

て酷

刑を

加え

て自

供を

強要

し、阿

片を

販売

せし

めて

毒化

政策

を推

行し

た。

Page 14: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 68 ─

広 東18

南支

那派

遣憲

兵隊

憲・

中佐

高知

■■

■■

1946

/12/

28死

刑11

■■

■■

は、昭

和十

八年

八月

、華南

憲兵

隊警

務部

長と

なり

、その

下に

警務

、特高

の二

課を

管掌

し警

務課

は、日

本軍

の軍

紀、風

紀を

維持

する

任務

に当

り、特

高課

は、治

安を

維持

する

任務

にあ

りて

、日本

軍の

占領

区内

にお

いて

、中国

人を

強迫

威嚇

して

統治

政策

の達

成を

企図

し擅

に逮

捕酷

刑を

加え

て計

画的

恐怖

行為

をな

した

が、■

■も

警務

部長

の名

を以

て此

の種

行為

に参

興又

は実

施し

たが

、■■

の直

轄で

ある

警務

、特高

両課

員及

び所

属の

各地

憲兵

隊員

にし

て平

民を

酷刑

又は

残害

等の

事実

によ

り、公

訴せ

られ

たる

者又

は有

罪の

判決

を受

けた

る者

を挙

ぐれ

ば■

■憲

兵隊

長■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■、■

■■

■等

の濫

捕、酷

刑、殺

人、強

姦等

の事

件が

ある

が小

野は

、右隊

員の

指揮

監督

の地

位に

あり

なが

ら、そ

の犯

罪を

未然

に防

範制

止し

なか

った

のは

共犯

の責

を負

うべ

きで

ある

広 東21

南支

那派

遣憲

兵隊

広州

中央

地区

憲兵

憲・

曹長

静岡

■■

■■

1947

/01/

25無

罪昭

和二

十年

五月

十六

日、廣

州市

西華

路に

おい

て、通

行人

に対

する

検問

服役

中、■

■■

■及

びそ

の夫

を呼

び止

めて

、その

場に

おい

て夫

を殺

害の

上、■

■■

■を

蘭亭

酒店

に連

行し

て強

姦し

た。

広 東29

第百

二十

九師

団歩

兵第

九十

二旅

団長

少将

静岡

■■

■■

1947

/02/

22死

昭和

十五

年三

月、独

立歩

兵第

六三

大隊

長に

任ぜ

られ

江西

省徳

安縣

城一

帯に

駐屯

し、

昭和

十六

年九

月、湖

南省

長沙

第三

次会

戦に

参加

した

が、そ

の所

属部

下を

放任

して

中国

人に

対し

集団

屠殺

、強姦

、掠奪

、酷刑

、財産

破壊

等を

なさし

めた

。即ち

、昭和

十五

年六

月二

十四

日及

び七

月七

日徳

安縣

太平

郷に

おい

て平

民■

■■

■の

妻■

■等

男女

八十

一名

を屠

殺し

、■■

■■

の妻

■■

等三

名を

強姦

の上

殺害

し、牛

五百

余頭

豚七

百余

頭財

物九

千余

万元

を掠

奪し

民家

六百

余戸

を焼

却し

、同年

五月

四日

、同縣

蒲亭

鎮に

おい

て住

民■

■■

■三

十八

名に

体刑

を施

した

上、土

牢に

監禁

し、昭

和十

七年

十月

五日

之を

東門

外桐

子山

にお

いて

集団

惨殺

し、昭

和十

五年

六月

より

昭和

十七

年九

月二

十八

日ま

での

間に

おい

て、徳

安縣

何家

坡楊

村に

おい

て、■

■■

■、■

■■

■等

五名

を殺

害し

て、多

額の

財物

を掠

奪し

、潘村

にお

いて

は■

■■

■を

強姦

し、昭

和十

五年

五月

より

昭和

十七

年九

月二

十日

に至

る間

にお

いて

、■■

隊長

及び

■■

軍曹

等は

徳安

縣贔

橋郷

にお

いて

平民

■■

■■

等三

名を

殺害

し、■

■■

■等

の家

屋十

三軒

を焼

却し

、昭和

十七

年七

月、

■■

部隊

長は

、徳安

縣黄

□郷

にお

いて

、■■

■■

を殺

害し

、昭和

十六

年九

・十

月間

大隊

を率

ひて

第三

次長

沙会

戦に

参加

した

際、そ

の所

属部

隊は

青山

郷に

おい

て、■

■■

■を

殺害

し、同

人及

び■

■■

■等

五名

の家

屋を

焼却

して

財物

を鳥

有に

帰せ

しめ

、同年

十月

二十

八・

九日

頃長

沙縣

嵩南

郷に

おい

て、■

■■

■等

三名

を惨

殺し

、所持

金、衣

服、糧

食等

を掠

奪し

た。以

上の

如く

部下

の累

犯行

為は

その

直属

上官

であ

る■

■に

おい

て縦

兵殃

民の

責任

を負

うべ

きで

ある

広 東49

在海

南島

舞鶴

海軍

第十

五警

備隊

大尉

山口

■■

■■

1947

/05/

15死

刑■

■■

■は

、在海

南島

日本

海軍

第十

五警

備隊

文昌

派遣

隊長

、■■

■■

は同

警備

隊文

教分

遣隊

長■

■■

■は

同警

備隊

東坡

派遣

隊長

であ

るが

、右三

名は

、昭和

十七

年七

月よ

り同

十八

年十

一月

まで

の間

、共同

して

連続

的に

兵を

率い

て海

南島

文昌

縣東

閣、文

教両

郷に

所属

する

文田

村等

二十

一ヶ

村に

おい

て、戸

口調

査、遊

撃隊

員、捜

査等

の口

実の

下に

平民

を逮

捕拘

留し

、銃撃

、刺突

、斬首

等の

方法

によ

り、計

画的

集団

屠殺

をな

し、

縦に

家屋

を焼

燬し

、又は

婦女

を強

姦致

死せ

しむ

る等

の暴

行を

なし

たが

、その

焼燬

した

る家

屋合

計六

百八

十二

間に

達し

、■■

■■

等合

計六

百六

十五

名を

殺害

し、更

に、■

■■

■等

五名

の婦

女を

強姦

致死

せし

めた

外、数

知れ

ざる

財物

を掠

奪し

た。

大尉

山口

■■

■■

1947

/05/

15死

中尉

三重

■■

■■

1947

/05/

15死

Page 15: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 69 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

広 東85

第二

十一

師団

長中

将東

京■

■■

■19

47/1

0/24

無期

■■

■■

は、曽

て南

京特

務機

関長

に充

任し

南京

偽組

織を

作っ

た重

要犯

人に

して

、漢奸

を操

縦し

て中

国の

主権

を僣

奪し

、流□

土匪

等を

買収

して

四方

にお

いて

財物

を掠

奪せ

しめ

、かつ

多数

の抗

日志

士、地

下工

作員

を惨

殺し

たが

、昭和

十八

年仏

印駐

屯の

第二

十一

師団

長と

なり

、同十

九年

十一

月二

十九

日そ

の麾

下第

八十

三連

隊及

び第

六十

二連

隊を

して

、仏印

より

広西

省を

侵犯

せし

め、馮

祥、龍

州、上

金、寧

明等

の各

地を

政略

した

が、同

二十

年一

月十

七日

まで

の間

にお

いて

、龍州

方面

にお

いて

は、韋

六等

数十

名の

無辜

の住

民を

惨殺

し、寧

明方

面に

おい

ては䝉

日高

等十

数名

を死

傷せ

しめ

たる

外、到

る処

にお

いて

、婦女

を強

姦し

、財物

を掠

奪し

肆に

家屋

を焼

却ま

たは

破壊

する

等あ

らゆ

る罪

悪を

なし

、ま

たそ

の所

属部

隊は

昭和

二十

年四

月二

十七

日よ

り同

年七

月一

日ま

での

間に

おい

て、

夏江

、多倫

、潭其

等の

各地

にお

いて

墜落

せる

米航

空人

員■

■■

■中

尉、■

■■

■中

尉、■

■■

■中

尉(何

れも

音訣

)等十

数名

を捕

獲し

て苛

虐惨

殺し

た。■

■■

■は

、昭和

二十

年一

月よ

り第

二十

一師

団参

謀長

に充

任し

たが

、米航

空員

の捕

獲及

び同

捕虜

の処

理等

は参

謀部

の責

任に

属す

るも

のな

るを

以て

前記

米航

空員

捕虜

の殺

害に

対し

ては

当然

共犯

の責

を負

うべ

きで

ある

。■■

■■

は、在

仏印

日軍

憲兵

隊特

高班

長等

に充

任し

、日軍

が前

記米

航空

員を

捕獲

し憲

兵隊

本部

に送

致せ

る時

、これ

を虐

待し

て衣

食を

給せ

ず罰

として

跪か

しむ

等の

不法

行為

をな

し、ま

た俘

虜を

殺害

して

同憲

兵隊

内草

むら

に埋

葬し

たこ

とに

関し

、共犯

の責

を負

うべ

きで

ある

第二

十一

師団

参謀

長大

佐山

形■

■■

■19

47/1

0/24

無期

南方

軍第

一憲

兵隊

憲・

大尉

福岡

■■

■■

1947

/10/

24無

広 東86

第百

四師

団長

中将

福岡

■■

■■

1947

/10/

2710

昭和

十五

年二

月、第

三十

八師

団歩

兵団

長と

なり

、広東

仏山

、新会

、三水

等を

侵略

し、同

十六

年五

月九

日恵

陽を

侵犯

して

平民

二十

四人

を殺

戮し

、商店

民家

等千

余戸

を焼

燬し

て一

旦後

退し

、同十

七年

一月

二十

三日

、再び

恵陽

を陥

入れ

て三

千余

人を

火屠

殺す

ると

共に

擅に

民家

を焼

いて

退却

し、次

で第

百四

師団

長に

昇任

して

日本

南支

派遣

軍の

主要

部隊

とな

りて

恵陽

、海豊

、増城

等に

駐屯

、更に

、同年

秋、師

団を

率ひ

て西

江、開

封、羅

定、高

要等

を経

て広

西省

□坪

を侵

略し

て華

中の

日軍

を会

同し

桂平

、柳州

等を

犯し

て兵

を転

じて

曲江

を攻

め、昭

和二

十年

春、更

に恵

陽、海

豊、陸

豊一

帯に

転進

した

後、河

原、和

平、江

西等

に進

入し

たが

、軍の

進む

所、偽

政権

を組

織扶

殖し

て中

国政

府の

転覆

を図

り、国

際戦

争法

規に

違反

して

兵を

放任

して

地方

に害

悪を

加え

るこ

と其

の烈

しさ

は人

の世

の罪

悪を

盡し

右今

戦未

曾有

なり

、即ち

、その

明確

なる

もの

を示

せば

、昭和

十九

年九

月十

四日

より

同年

十月

二十

二日

まで

の間

、その

所属

落合

部隊

及び

米山

部隊

は、羅

定縣

、□南

縣等

にお

いて

、殺人

、財物

の掠

奪、家

屋の

焼燬

、及び

破壊

、平民

酷刑

、婦女

強姦

、軍事

行動

工作

の強

制、

無防

備地

区爆

撃等

によ

る被

害者

羅定

縣に

おい

て梁

鼎等

五百

五十

件、株

□縣

にお

いて

陳伯

欽等

五百

五十

四件

に達

せり

、更に

昭和

十九

年九

月四

日よ

り同

十二

月五

日ま

での

間封

川縣

にお

いて

、■■

■■

等三

名の

財物

を掠

奪す

ると

共に

蘇江

養等

五名

を殺

害し

、昭和

十九

年十

月十

一日

、広西

省桂

平を

陥入

れて

平民

の殺

害、民

家焼

却、掠

奪等

を檀

にし

て生

を得

たる

者数

人に

過ぎ

ず、そ

の死

情惨

憺た

るも

のあ

り、か

つ陳

中を

強姦

し、昭

和二

十年

春、再

び、恵

陽、海

豊、陸

豊等

を陥

入れ

たが

、その

通過

途次

民夫

百余

名を

強制

拉致

して

軍用

品を

運搬

せし

め、そ

の凌

虐に

堪え

ず死

亡せ

る者

■■

■■

等七

名あ

り、亦

■■

■■

等三

名の

財物

を掠

奪、又

は破

壊す

ると

共に

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

等二

十三

名を

屠殺

し、同

年六

月十

八日

、恵陽

、梁化

坪に

おい

て、日

軍と

戦闘

を交

えて

日軍

数名

を射

殺し

た恵

陽警

察隊

員十

三名

を捕

虜とし

、鉄線

を以

て手

掌に

穴を

穿ち

て銃

剣を

以て

刺突

殺害

した

が、右

の如

き所

属部

隊の

犯行

に対

し指

揮監

督の

地位

にあ

る長

官とし

て、そ

の犯

行を

予防

制止

しな

かっ

たの

は、自

ら戦

争犯

罪の

共犯

を以

て論

ずべ

きで

ある

Page 16: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 70 ─

広 東87

南支

那派

遣憲

兵隊

憲・

曹長

福岡

■■

■■

1946

/12/

12無

殺人

、強姦

、掠奪

、放火

等容

疑。

憲・

曹長

宮城

■■

■■

1946

/12/

12無

憲・

軍曹

愛知

■■

■■

1946

/12/

12無

広 東89

第二

十三

独立

歩兵

第二

十三

旅団

独立

歩兵

第百

三十

大隊

大尉

大分

■■

■■

1947

/07/

18死

刑無

■■

■■

は、独

立歩

兵第

二十

三旅

団独

立歩

兵第

百三

十大

隊第

三中

隊長

にし

て、■

■■

■等

は、同

隊員

であ

るが

同人

等は

、昭和

二十

年六

月雷

州半

島を

出発

し、化

縣陽

江恩

平仏

山等

を経

由し

て、同

年八

月広

州市

に至

りた

るが

、その

間■

■■

■は

、部下

■■

■■

軍曹

に命

じて

中国

平民

を逮

捕し

て、過

重の

食糧

を運

搬せ

しめ

て擅

に殴

打虐

待を

加へ

た上

、疲労

のた

め歩

行緩

慢の

者を

殺害

せし

め、且

仏山

通過

の際

、民間

の布

足を

掠奪

して

広州

到着

後こ

れを

販売

して

利を

図り

、亦中

国に

接収

せら

るべ

き弾

薬信

号、榴

弾等

を汕

河附

近に

埋没

隠匿

し、■

■■

■は

、恩平

附近

に於

て民

家五

棟を

焼却

した

が、そ

の中

には

天主

堂一

戸あ

り。■

■■

■は

、共同

して

強姦

及び

児童

を殺

害し

、且財

物を

掠奪

し、

■■

■■

は、陽

江附

近に

於て

婦女

を強

姦し

、■■

■■

は、陽

江附

近に

於て

□□

郷民

を一

ヶ所

に集

合せ

しめ

て銃

殺し

、■■

■■

は、広

州河

南に

於て

、通信

筒、石

油及

び武

器等

を埋

没隠

匿し

た。

准尉

大分

■■

■■

1947

/07/

18死

刑無

曹長

大分

■■

■■

1947

/07/

18死

刑無

伍長

大分

■■

■■

1947

/07/

18死

刑無

兵長

大分

■■

■■

1947

/07/

18死

刑無

軍曹

大分

■■

■■

1947

/07/

18死

刑無

兵長

大分

■■

■■

1947

/07/

18死

刑無

伍長

宮崎

■■

■■

1947

/07/

18無

罪無

伍長

大分

■■

■■

1947

/07/

18無

罪無

兵長

福岡

■■

■■

1947

/07/

18無

罪無

南 京1

第二

十三

軍司

令官

中将

東京

■■

■■

1946

/08/

27死

■■

■■

は、日

本陸

軍の

少壮

派に

して

天津

駐屯

軍歩

兵隊

長、参

謀長

、第二

十八

旅団

長、駐

蒙軍

司令

部附

、駐張

家口

興亜

院連

絡部

長官

、駐広

東第

二十

三軍

司令

官等

歴任

し、来

華在

任二

十余

年に

及ん

で中

国の

事情

に通

じ、土

肥原

賢二

、梅津

美治

郎と

共に

中国

侵略

の主

要人

物で

あっ

たが

、此の

間漢

奸■

■■

■等

の便

衣隊

をして

北京

、天津

を擾

乱せ

しめ

、亦■

■■

■等

に暗

殺機

関を

設置

せし

めて

、天津

市党

部書

記■

■■

■、新

聞記

者■

■■

■を

殺害

し、昭

和九

年五

月、漢

奸記

者■

■■

■が

殺害

され

たこ

とに

藉口

して

砲兵

及び

空軍

を以

て河

北省

政府

主席

■■

■■

、天津

市長

■■

■■

を強

迫し

て罷

免し

、河北

五省

を中

央政

府よ

り離

脱せ

しめ

て独

立政

府を

樹立

せし

むる

等、中

国政

府の

顛覆

陰謀

を逞

うし、亦

作戦

期間

中、徐

州、広

東其

の他

各地

に転

戦し

て、各

所に

おい

て、暴

行の

限り

を盡

した

が、昭

和十

六年

十一

月よ

り同

十七

年三

月に

至る

間、広

東南

海一

帯の

作戦

時に

おい

ては

、その

所属

部隊

が村

民百

余名

を屠

殺し

、多数

の平

民に

吊打

、灌水

等惨

虐な

る酷

刑を

加へ

婦女

を強

姦し

、食糧

、家畜

等を

掠奪

し、村

民を

境外

に駆

逐し

、民家

を焼

却し

、亦昭

和十

六年

十二

月、自

ら大

軍を

率ひ

て香

港を

攻略

した

際、中

、英人

の非

戦闘

員を

大規

模屠

殺し

、俘虜

及び

病院

収容

中の

傷兵

の殺

害、婦

女強

姦、物

資、図

書、文

化珍

品等

の掠

奪等

種々

の暴

虐を

なし

た。

Page 17: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 71 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

南 京12

第六

師団

長中

将東

京■

■■

■19

47/0

3/10

死刑

■■

■■

は、陸

軍大

学を

卒業

し、日

本の

侵略

運動

の一

急進

軍人

であ

るが

、昭和

十二

年八

月、第

六師

団長

として

、日本

の中

国侵

略戦

争に

参加

して

永定

河、保

定、石

家荘

等に

転戦

し、そ

の途

上保

定に

於て

、その

所属

部隊

は、■

■■

■の

衣服

、骨董

品等

二十

八箱

及び

家具

等を

掠奪

し、亦

中国

人婦

女を

脅迫

して

肉体

的慰

安の

具に

供し

た。更

に、同

年十

一月

初旬

転じ

て柳

川兵

団に

所属

し、中

島、牛

島、末

松の

各部

隊と

共に

杭州

湾よ

り上

陸し

て、崑

山、太

湖を

経て

南京

戦に

参加

し、谷

部隊

は、中

華門

を政

略し

、同年

十二

月十

三日

、南京

に入

城し

、中華

門一

帯に

分駐

した

が、中

国の

抗戦

精神

と民

族意

識を

破摧

する

目的

を以

て、■

■■

■部

隊と

共に

世を

挙げ

て□

□せ

しめ

た矌

古の

残虐

南京

大屠

殺を

発動

し、そ

の被

害実

に数

十万

に達

せり

、即ち

、その

所属

部隊

は、同

年十

二月

十三

日よ

り同

月二

十一

日ま

での

短期

間内

にお

いて

、中華

門外

鶏所

、南村

、沙洲

坪、□

紅橋

、雨花

台等

及び

城内

転龍

巷、仁

厚里

等の

各地

にお

いて

、■■

■■

、■■

■■

、■■

■■

等九

百余

人を

銃殺

、刺殺

その

他残

酷な

る方

法を

以て

殺害

する

と共

に米

薪等

を掠

奪し

、亦沙

洲坪

、□紅

橋等

の各

地に

おい

て、■

■■

■等

四十

余人

の婦

女を

強姦

した

外上

記の

各地

にお

いて

肆に

■■

■■

等十

数人

の家

屋財

産を

破壊

した

南 京19

元香

港総

督中

将東

京■

■■

■19

47/0

7/22

無期

■■

■■

は、陸

軍省

、参謀

本部

、教育

総監

部等

の各

要職

を歴

任し

、関東

軍参

謀長

、駐華

大使

館付

武官

として

、多年

にわ

たり

田中

内閣

の大

陸政

策に

基き

、中国

に対

する

侵略

戦争

の計

画陰

謀に

参画

し、昭

和十

二年

七月

七日

、盧溝

橋事

変発

生す

るや

同年

八月

姫路

第十

師団

を率

ひて

天津

太沽

より

上陸

、津浦

線を

南下

し、魯

南□

荘、台

児荘

等を

猛攻

し、更

に隴

海一

帯を

猛攻

して

、□山

、歸徳

を政

占し

、徐州

包囲

を企

図し

て、南

京占

領部

隊と

相会

した

が、此

の期

間所

属の

部隊

を縦

に行

動せ

しめ

てそ

の所

属部

隊は

、昭和

十三

年五

月十

一日

、山東

省済

寧縣

内に

おい

て縣

立大

流□

小学

校長

■■

■■

及び

老幼

男女

四十

名を

殺害

し、同

年十

二月

二十

九日

、泰安

縣内

にお

いて

、麺販

売業

■■

■■

の媳

を輪

姦致

死せ

しめ

、かつ

■■

■■

の妻

を殺

害し

、同年

一、二

月頃

、河南

省を

擾乱

せる

時、孟

縣に

おい

て掠

奪を

擅に

し豪

商■

■■

■老

父を

殺害

して

、同人

の家

屋五

棟を

焼却

し、亦

博愛

縣内

にお

いて

糧秣

を掠

奪し

、泌河

の水

門を

開放

して

田畑

を掩

没せ

しめ

退避

し得

ざりし

■■

■■

等三

名餓

死す

るに

至っ

たが

河北

省逐

縣内

の駅

にお

いて

平民

■■

を銃

殺し

た。昭

和十

六年

太平

洋戦

争勃

発し

、香港

陥落

する

や、香

港総

督とし

て来

任し

、その

在任

中大

量の

阿片

を公

開販

売し

て中

国人

民に

対す

る毒

化政

策を

企図

した

外、昭

和十

七年

二月

より

同十

九年

十二

月ま

で右

総督

在任

中糧

食不

足の

故を

以て

香港

在住

の中

国人

を大

量放

逐せ

り。即

ち、街

頭に

憲兵

を派

遣し

、通行

人を

濫捕

して

壮点

集中

営に

拘禁

した

後、憲

兵の

厳重

なる

監視

下に

連続

数次

にわ

たり

板船

を以

て、大

鵬湾

に放

逐し

たが

、その

間、飢

餓又

は虐

待非

刑等

によ

り放

逐の

途上

又は

大鵬

湾上

陸後

一日

平均

三名

乃至

十余

名の

死者

を出

すに

至っ

たた

め、華

民代

表羅

旭□

等が

数次

にわ

たり

抗議

した

るも

之を

聴き

容れ

ず、か

つ香

港憲

兵隊

■■

■■

等が

無辜

の中

国人

及外

国人

を拘

捕す

るこ

とを

許容

し、そ

の拘

禁中

にお

いて

吊打

灌水

その

他非

人道

的拷

問に

より

、多数

の死

者又

は傷

害者

を出

した

が、■

■は

長官

として

指揮

監督

の地

位に

あり

なが

ら所

属部

隊の

右犯

行を

予防

制止

しな

かっ

たの

は共

犯の

責を

負う

へき

であ

る。

Page 18: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 72 ─

徐 州1

独立

警備

隊歩

兵第

一大

隊大

尉神

奈川

■■

■■

1946

/06/

15死

独立

警備

隊第

一大

隊第

一中

隊長

として

安徴

省合

肥県

城内

を警

備中

昭和

十八

年十

一月

二十

五、二

十六

日の

両日

にわ

たり

、連続

して

騎兵

五十

余名

を引

率し

て■

■■

■方

に至

り中

央と

連絡

あり

と誣

ひ、財

物家

畜を

掠奪

して

、■■

■■

、■■

■■

兄弟

及び

姪■

■■

■を

逮捕

して

、合肥

城内

に拘

禁し

、犬に

咬傷

又は

、吊打

、灌水

等の

酷刑

を施

し、拘

禁二

十余

日後

身代

金とし

て挙

銃二

挺弾

丸三

百発

法幣

五百

万元

を強

取し

て釈

放し

、昭和

二十

年三

月二

十日

、合肥

県西

門外

にお

いて

、■■

■■

に犬

をけ

しか

けて

同人

の陽

物を

咬傷

させ

た上

、両足

を切

断し

て殺

害し

、更に

部下

を使

嗾し

て■

■■

■の

妻を

強姦

した

外、部

下を

して

婦女

を強

迫さ

せて

娼婦

とな

し、又

自ら

も観

音院

の十

八才

の尼

僧■

■を

弄び

淫慾

発散

の具

とした

上 海22

第六

十八

師団

工兵

隊上

等兵

兵庫

■■

■■

1947

/07/

24無

罪昭

和十

七年

十一

月十

八日

、軍に

随い

江西

省九

江縣

沙月

鎮を

占拠

した

時、姓

名不

詳の

中国

人婦

女一

名を

強姦

した

上 海60

独立

歩兵

第五

五大

隊少

佐広

島■

■■

■19

47/1

0/27

無罪

作戦

期間

中、所

属部

下の

中国

人殺

害、財

物掠

奪、婦

女強

姦容

疑。

上 海93

杭州

特務

機関

軍属

徳島

■■

■■

1947

/07/

19死

満鉄

及び

南満

毛業

公司

等に

永年

勤務

した

前歴

ある

中国

通に

して

、上海

、杭州

地区

の方

言に

通ず

るの

で、杭

州、金

華、密

波等

各地

の陸

軍特

務機

関に

勤務

した

が、そ

の在

職期

間中

、無頼

の徒

を集

めて

爪牙

として

専ら

情報

の蒐

集、物

資の

統制

を行

うと

共に

、中国

資産

家を

強迫

して

搾取

的欲

望を

肆に

し、殊

に杭

州特

務機

関情

報主

任とし

て在

職中

は、

湖賓

路第

六公

園前

に秘

密室

を設

置し

て、中

国婦

女蹂

躙の

魔窟

として

婦女

を誘

惑強

姦し

、その

数甚

大に

上り

、また

一面

特務

機関

の要

職に

あり

て計

画的

侵略

戦争

を援

助し

て和

平を

破壊

した

上 海98

第六

十八

師団

第五

十七

旅団

長少

将山

口■

■■

■19

48/0

2/25

無期

昭和

十七

年来

華し

、第二

十軍

第百

三十

三連

隊長

に任

じ、淅

江、江

西、安

徽の

各省

間を

転戦

し、昭

和十

八年

第五

十七

旅団

長に

昇任

して

、昭和

二十

年六

月、湖

南省

衡陽

作戦

に参

加後

、その

所属

部隊

は祁

陽一

帯に

駐屯

した

が、同

月八

日■

■は

、兵を

率ひ

て祁

陽地

区中

国自

衛軍

指揮

部所

在の

流海

沖地

方に

進攻

し、同

地附

近の

村落

を縦

に放

火焼

燬し

、機関

銃を

以て

無辜

の平

民を

掃射

して

、■■

■■

等十

名を

殺害

し、財

産の

損失

も一

億元

以上

に達

せり

、また

、男女

数十

名を

拉去

して

恣に

姦淫

、殴打

等を

なし

、更に

、その

所属

六十

四大

隊の

将兵

は、昭

和十

七年

七月

より

日本

投降

まで

の間

、湖南

省□

縣内

の夏

泉、馬

鞍、洞

井、大

同等

の各

郷に

おい

て、平

民■

■■

■等

数十

名を

惨殺

した

が、■

■は

長官

であ

りな

がら

所属

部隊

の右

犯行

を放

任し

、予防

制止

の能

事を

盡さ

なか

った

のは

共犯

の責

を負

うべ

きで

ある

上 海10

3鉄

道警

備隊

李哥

庄駅

警務

段警

備員

神奈

川■

■■

■無

罪鉄

道警

備隊

員に

して

、山東

省膠

縣李

哥庄

駅に

おい

て勤

務中

、昭和

二十

年五

月頃

、逃亡

中■

■■

■と

共に

中国

人一

婦女

を強

姦の

上、殺

害し

、亦昭

和十

九年

十月

■■

部隊

情報

班■

■■

■に

協力

して

■■

■■

等九

名を

逮捕

して

殺害

した

厦門

海軍

武官

府海

・大

佐兵

庫■

■■

■19

48/0

4/07

無罪

第二

支那

派遣

艦隊

軍法

会議

厦門

分廷

海・

法務

大尉

栃木

■■

■■

1948

/04/

076

Page 19: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 73 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

上 海10

5

厦門

領事

館警

察署

署長

長野

■■

■■

1948

/04/

0712

■■

■■

等七

名は

、昭和

二十

年五

月共

同会

議を

開い

て、厦

門、鼓

浪嶼

地方

の住

民に

親英

米分

子あ

りと

なし

、同地

住民

■■

■■

等三

十数

名を

逮捕

拘留

し、そ

の取

調に

当り

拷問

を加

えた

るた

め、■

■■

■は

楼上

より

飛び

降り

自殺

し、数

名は

傷害

を受

け死

亡し

、また

、■■

■■

等は

前記

■■

■■

逮捕

の際

、同人

の妻

■■

■■

を殴

打し

て死

に至

らしめ

た。■

■■

■は

、前記

■■

■■

等を

監禁

中同

人等

の看

守に

当っ

たが

、その

間同

人等

を殴

打し

、また

はや

いと

を施

す等

の酷

刑を

加え

て非

人道

の虐

待を

なし

た。■

■■

■は

、日本

海軍

主計

にし

て貨

物輸

送事

項を

担任

して

いた

が、中

国商

人に

種々

の難

癖を

つけ

て金

銭を

強要

し、物

品を

押収

して

私腹

を肥

やし

た。■

■■

■は

、厦門

偽警

察局

に勤

務し

、昭和

二十

年六

月、居

民■

■■

■等

数名

を血

魂団

員な

りとし

て逮

捕し

、その

取調

に当

り、非

刑を

加え

て供

述を

脅迫

した

。■■

■■

は、厦

門海

軍武

官府

嘱託

にし

て、昭

和二

十年

六月

、厦

門公

園爆

弾事

件発

生す

るや

無辜

の民

衆を

濫捕

し、ま

た同

月夜

、中国

婦女

■■

■■

の寝

室に

侵入

し、強

姦せ

んとし

たが

、同女

が大

声を

上げ

て抵

抗し

たた

め、そ

の目

的を

達し

なか

った

厦門

領事

館警

察署

外務

省巡

査宮

城■

■■

■19

48/0

4/07

2

厦門

領事

館警

察署

外務

省巡

査福

岡■

■■

■19

48/0

4/07

12

厦門

領事

館警

察署

外務

省巡

査千

葉■

■■

■19

48/0

4/07

12

厦門

領事

館警

察署

外務

省巡

査大

分■

■■

■19

48/0

4/07

12

厦門

領事

館警

察署

外務

省巡

査富

山■

■■

■19

48/0

4/07

6

厦門

領事

館警

察署

外務

省巡

査東

京■

■■

■19

48/0

4/07

6

第二

海軍

刑務

所厦

門支

法務

・上

等兵

曹佐

賀■

■■

■19

48/0

4/07

無罪

厦門

海軍

武官

府主

計・

大尉

青森

■■

■■

1948

/04/

07無

厦門

海軍

武官

府海

軍嘱

託広

島■

■■

■19

48/0

4/07

7

厦門

警察

局警

正岡

山■

■■

■19

48/0

4/07

6

厦門

警察

局警

部広

島■

■■

■19

48/0

4/07

6

上 海11

2杭

州憲

兵隊

嘉興

分隊

憲・

曹長

宮城

■■

■■

1947

/12/

296

8■

■■

■は

、昭和

二十

年八

月六

日、軍

に随

って

淅江

省嘉

興縣

新篁

鎮を

掃蕩

した

際、同

鎮の

平民

百余

名を

同鎮

小学

校運

動場

に集

合整

列せ

しめ

て輪

流殴

打し

て集

団刑

罰を

加え

ると

共に

同縣

国民

党幹

事■

■■

■及

び同

縣警

察隊

長■

■■

■を

惨殺

し、ま

た、淅

江省

第十

一戦

区専

員公

署視

察■

■■

■が

同鎮

香山

堂薬

局に

外避

し居

たる

を逮

捕し

て、毒

打酷

刑を

施し

て重

傷を

與え

、更に

、同公

署の

■■

と称

する

女職

員を

強姦

し、か

つ同

鎮大

華商

店の

貨物

を掠

奪し

た。

憲・

軍曹

京都

■■

■■

1947

/12/

296

8

上 海12

0第

六十

四師

団長

中将

東京

■■

■■

1948

/05/

31無

■■

■■

は、昭

和十

八年

六月

十六

日、来

華し

、第六

十四

師団

長に

充任

し、蘇

北丹

陽一

帯に

駐防

した

が、昭

和十

九年

五月

、長衡

会戦

のた

め転

じて

湖南

省に

入り

作戦

に参

加し

て、同

年七

月よ

り同

二十

年五

月ま

で同

省長

沙、湘

□、茶

陵、沃

江等

各縣

の警

備に

当っ

たが

、その

警備

期間

中、そ

の所

属部

隊は

縦に

右各

縣内

にお

いて

、平民

■■

■■

等三

百二

十二

名を

殺害

し、■

■■

■等

十八

名を

強姦

致死

せし

め、■

■■

■等

の家

屋十

四棟

を焼

燬し

■■

■■

等の

糧穀

二百

九石

を掠

奪し

たが

、船引

は長

官とし

て所

属部

隊の

右犯

行に

対し

、自ら

その

刑責

を負

うべ

きで

ある

Page 20: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

アジア太平洋研究センター年報 2014-2015

─ 74 ─

上 海12

1第

二十

七師

団長

中将

栃木

■■

■■

1948

/05/

31無

■■

■■

は、昭

和十

九年

六月

、長衡

会戦

起る

や第

二十

七師

団に

充任

し、同

作戦

に参

加し

た外

、更に

、平江

、瀏陽

、茶陵

等を

攻撃

した

が、昭

和二

十年

一月

韶□

作戦

起る

や、

湖南

省茶

陵よ

り江

西省

に転

じ、蓮

花、永

新、泰

和、遂

川、□

縣、南

康等

の各

縣を

擾乱

し、

同年

三月

中旬

広東

省始

興、曲

江等

を経

て、恵

州に

下り

、更に

、北返

して

沿道

を掃

蕩し

南昌

に至

った

が、此

の間

、その

所属

部隊

は、各

地に

おい

て暴

虐を

なせ

り、即

ち、湖

南省

の長

沙、茶

陵、江

西省

の蓮

花、永

新、遂

川、泰

和、南

昌、広

東省

の和

平、連

平、新

会、開

平、

恩平

、台山

、広寧

等の

各地

にお

いて

、平民

■■

■■

等五

百九

十二

名を

殺害

し、■

■■

■等

四十

八名

の婦

女子

を強

姦致

死せ

しめ

、■■

■■

等の

財物

を掠

奪、ま

たは

、破壊

せる

もの

六千

八百

八十

二万

元、牛

豚四

十頭

、糧穀

百九

十二

石に

達し

、■■

■■

等の

家屋

九十

二戸

を焼

燬し

た。

上 海12

2山

東国

民自

衛軍

総司

令東

京■

■■

■19

48/0

6/01

死刑

■■

■■(

中国

名■

■■

■)は

大正

十三

年来

華し

て、張

作霖

の少

将顧

問と

なり

、九・

一八

事変

後、満

州国

陸軍

少将

とな

り、三

年に

して

中将

とな

り、軍

機に

参画

して

叛逆

行為

を助

長し

、七・

七事

変後

東北

より

天津

に潜

入し

、■■

大将

の命

を受

けて

■■

■■

等の

大匪

賊部

隊を

改編

して

、山東

自治

連軍

を組

織し

て、そ

の総

司令

とな

り、武

定に

駐屯

して

日本

軍の

山東

侵略

の先

鋒と

なり

、昭和

十三

年二

月、同

大将

の命

によ

り□

縣に

駐屯

して

第五

師団

■■

中将

の指

揮下

に入

り、自

治軍

を率

ひて

山東

省諸

城、日

照、安

東、平

度、牟

平、烟

台等

の各

地を

通過

して

、放火

、掠奪

、強姦

、殺戮

等悪

事の

限り

を盡

して

、■■

師団

長よ

り嫌

忌さ

れて

部隊

を解

散せ

しめ

られ

、昭和

十四

年八

月退

官し

て青

島に

あり

たる

が、昭

和二

十年

三月

再出

馬し

て、■

■司

令官

の命

を受

けて

山東

国民

自衛

軍を

組織

して

、その

総司

令と

なり

、即墨

、膠州

等に

駐屯

せり

。伊達

は、斯

くの

如く

二回

にわ

たっ

て、部

隊を

組織

した

が、そ

の目

的と

する

とこ

ろは

、日本

軍の

先鋒

とな

り、防

務に

当る

と共

に日

本の

占領

地区

にお

いて

、中国

民衆

の奴

隷化

政策

を企

図し

、民衆

の国

民的

地位

を剥

奪し

日軍

の一

翼と

なり

て、日

本の

中国

侵略

を助

長し

た。

上 海13

6第

四十

師団

長中

将東

京■

■■

■19

48/0

5/31

12無

■■

■■

は、昭

和十

八年

八月

、第四

十師

団長

とな

り、同

十九

年八

月長

衡会

戦後

部隊

を率

ひて

桂林

に進

攻し

たが

、その

所属

部隊

は、興

安県

界首

西山

、溶江

等に

おい

て、老

弱平

民の

惨殺

、婦女

強姦

、財物

掠奪

、家屋

の焼

燬等

種々

の罪

行を

なし

たが

同師

団が

桂林

市に

駐屯

中、麗

沢門

外に

あっ

た将

校、食

堂に

大□

、草坪

一帯

より

婦女

子数

十名

を強

拉し

来た

りて

軍属

の姦

淫取

楽に

供し

、また

心田

村の

秦姓

の男

子の

生殖

器を

切断

する

の酷

刑を

施し

、また

同師

団が

広西

省南

寧を

退却

する

時、広

東省

欽縣

にお

いて

、財物

の掠

奪、

婦女

の強

姦、平

民惨

殺、財

産の

破壊

等を

なし

た。

上 海13

8第

百十

六師

団長

中将

東京

■■

■■

1948

/06/

07無

■■

■■

は、第

八十

四旅

団長

とし

て、山

西省

新□

に駐

屯中

、昭和

十九

年五

月、第

百十

六師

団長

に昇

任し

、湖南

省宝

慶、邵

陽に

転駐

せり

、その

使命

は、□

江を

奪取

して

、白

馬山

に至

る湘

西進

攻に

あり

たる

が、中

国軍

王耀

武部

隊に

撃破

せら

れた

るに

激怒

して

邵陽

、安仁

、綏寧

、武岡

、茶陵

等各

地に

おい

て、縦

に中

国平

民千

六百

名を

殺害

し、婦

女子

六百

余名

を強

姦し

て、そ

の中

、八十

八名

を致

死せ

しめ

、民家

千百

五十

八棟

を焼

燬、ま

たは

、破壊

し、米

穀五

万七

百七

十一

石、家

畜一

万千

百七

十七

頭、衣

類千

六百

九十

一件

を掠

奪し

、家具

百一

件を

破壊

し、中

国民

夫二

千余

名を

強制

、拉致

して

軍夫

として

軍事

行動

に従

事せ

しめ

た。

Page 21: 〈資料〉 級戦犯裁判と性暴力(2) · 「強制的売春のための婦女子の誘拐」自体を否定 したものではない。むしろ、同警察隊指導官

─ 75 ─

BC級戦犯裁判と性暴力(2) ──『戦争犯罪裁判概見表』を手がかりに

上 海14

3支

那派

遣軍

総司

令官

大将

東京

■■

■■

1949

/01/

26無

■■

■■

は、中

国派

遣軍

総司

令官

であ

るが

、同人

は、昭

和十

九年

十一

月二

十六

日よ

り同

二十

年八

月日

本投

降に

至る

間、そ

の隷

下で

ある

第二

三軍(

司令

官■

■■

■中

将)、

第二

七師

団(師

団長

■■

■■

中将

)、第

一一

六師

団(師

団長

■■

■■

)、第

六四

師団

(師

団長

■■

■■

中将

)、第

□□

旅団(

旅団

長■

■■

■少

将)の

各兵

団が

、江西

、湖南

、淅江

、広東

等の

各省

内に

於て

、多数

の中

国平

民を

屠殺

、婦女

の強

姦、民

家の

焼燬

破壊

また

は物

資掠

奪等

の暴

虐行

為を

なし

たこ

とは

最高

の指

揮官

として

部属

に対

する

防範

制止

の能

事を

盡さ

なか

った

もの

で共

犯の

責を

負う

べき

であ

る。

太 原3

蒙疆

政府

平魯

縣警

察隊

指導

官北

海道

■■

■■

1947

/04/

3010

■■

■■

は、昭

和十

八年

十二

月来

華し

、山西

省平

魯縣

警察

隊指

導官

とな

り、屡

々所

属を

率ひ

て中

国軍

と戦

い肆

に暴

行を

なせ

り、即

ち、昭

和二

十年

五月

平魯

県内

にお

いて

、■■

■■

の媳

を強

姦し

人民

の驢

馬を

鹵獲

と称

して

没収

し、ま

た中

国人

婦女

を徴

集し

、強迫

して

娼婦

とな

した

太 原10

太原

憲兵

隊臨

汾分

隊憲

・上

等兵

兵庫

■■

■■

1947

/12/

28無

罪昭

和十

七年

来華

し、第

三九

一二

部隊

に配

属さ

れて

いた

が、北

京に

おい

て憲

兵の

訓練

を受

けて

憲兵

とな

り、昭

和十

九年

十二

月臨

汾憲

兵分

隊、霍

縣分

遣隊

に配

属さ

れて

服務

中、同

縣城

内居

民■

■■

■の

布、銀

等を

没収

した

上、同

人の

妻を

強姦

した

(出

典) 『

比国

戦争

犯罪

裁判

概見

表』、

本館

-4B-

024-

00・

平1

1法

務07

1321

00、『

中国

戦争

犯罪

裁判

概見

表』、

本館

-4B-

024-

00・

平1

1法

務07

1351

00、

いず

れも

国立

公文

書館

所蔵

。(

注1

) 「強

かん

」「強

制的

売春

のた

めの

婦女

子の

誘拐

」に

よっ

て起

訴さ

れた

裁判

を抽

出し

た。

それ

以外

の性

暴力

を裁

いて

いる

場合

は、

収録

して

いな

い。

(注

2)

ひと

つの

裁判

にお

いて

、「強

かん

」「強

制的

売春

のた

めの

婦女

子の

誘拐

」と

とも

に、

それ

以外

の犯

罪を

裁い

てい

る場

合が

ある

。し

たが

って

、こ

の表

に記

載さ

れた

全員

が「

強か

ん」「

強制

的売

春の

ため

の婦

女子

の誘

拐」

によ

って

起訴

され

たも

ので

はな

い。

(注

3)

国立

公文

書館

にお

いて

公開

され

てい

ない

氏名

は、「

■■

■■

」と

表記

した

。(

注4

) 原

史料

でも

判読

でき

ない

もの

は□

とし

た。