武蔵の剣法 -...
TRANSCRIPT
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved.
Buddhism All-Japan Network
武蔵の剣法
仏教の生きる意味を現代へ
通信コース[初級]21
この通信コースは、2600年前、仏教に解き明かされた本当の生きる意味を、半年で
体系的に理解するための講座です。このコースを終了した時、あなたは現代の誰より
も深い人生観が身についたことに気づくでしょう。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 1
著作権について
本教材は著作権法で保護されている著作物です。
本教材の著作権、その他あらゆる権利は、Buddhism All-Japan Networkに属します。
著作権者の書面による事前許可なくして、本教材(テキスト、動画含)の一部または全部をあらゆるデータ
蓄積手段(印刷物、DVD、電子ファイル、CD、テープレコーダー、ビデオ、インターネットサーバー等)に
より、複製、流用、転載、翻訳、販売(オークション含む)することを禁止します。
使用許諾契約書
以下は、あなた(以下、甲と称す)と Buddhism All-Japan Network (以下、乙と称す)との契約となり
ます。本教材を開くことをもって、甲は本契約に同意したとみなされます。
第1条 本契約の目的
本契約は、乙が著作権を有する本教材に含まれる情報を、本契約に基づき甲が非独占的に
使用する権利を許諾するものです。
第2条 一般公開の禁止
本教材に含まれるあらゆるコンテンツは、著作権法によって保護されています。
甲は、本教材から得たコンテンツを、乙の書面による事前許可なくして、各種媒体(電子メディア等
の配信を含む)により公開、並びに転売してはならないものとします。そのようなことをせずとも、希
望者は以下のサイトで乙が正規に公開している本教材を入手することができます。
http://buddhism.ne.jp/
第3条 契約解除
甲が本契約に違反したと乙が判断した場合、甲に何の通告もなく、本契約を解除することが
できるものとします。
第4条 損害賠償
甲が本契約第2条に違反した場合、本契約の解除に関わらず、甲は乙に対しその違約金として
違反件数と基準額を乗じたものの10倍の金額を支払うものとします。またインターネット等で公開
した場合は一律、基準額に700を乗じた金額を支払うものとします。
第5条 責任の範囲
本教材に含まれるコンテンツの使用の一切の責任は甲にあり、このコンテンツを使用して
発生した損害に関して、乙は一切の責任を負わないものとします。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 2
通信コース21
武蔵の剣法
今回も、前回に引き続き、なぜ人は、一生苦しみ続けて、
死んで行かねばならないのかという原因を明らかにしています。
この内容が分からなければ、
何の為に生まれてきたのかも分からず、
本当の幸福にもなれず、
一生を終わらねばならないという重要なものです。
ところで、いよいよ21回目となり、終わりが近づいてきましたので、
余談ですが、やはり重要なことを伝えておきたいと思います。
仏教は、頭で理解し、知識が増えるだけでなく、
実際に、教えられている本当の幸福になれる教えです。
ですから、昔、比叡山で修行していた僧侶も、
仏教の学問をするだけでなく、
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 3
実際に教えの通りに修行も行っていたのです。
自転車に初めて乗れた時でもそうだったのではないでしょうか。
「倒れそうになった方向にハンドルを切るんだよ、そうしたら倒れないから」
と教えてもらい、
いくら頭で分かっていても、実際やってみるとそう簡単にはできません。
何度も練習して、ようやくできるようになるのです。
これは、数学でも料理でも何でも言えることです。
いくら証明を理解しても、問題は解けませんし、
いくらレシピを覚えても、すぐさま美味しい料理ができるわけではありません。
その通りに何度も練習して、できるようになっていくのです。
練習はしたくないけど、
「世界一美味しい料理を作れるようになるんだ」
と言っている人がいたら、笑って
「目を覚ませ!」
と言ってあげたくなると思います。
ところが同じように、
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 4
「忙しいし、大変そうだから仏教の教えの通りはやりたくないけど、
本当の幸福にはなりたい」
という人が案外多いのです。
本気でしょうか?
別に忙しくしているもので本当の幸福になれるのなら、
仏教を聞く必要はないのです。
自分の人生ですから、自由です。
一体誰が幸福になるためなのか、
それにはどうすればいいのか、
一人一人、よく考えていただきたいと思います。
さて、もうすぐこのコースも終わってしまうかと思うと、
ちょっと厳しくなってしまいましたが、
気を取り直して、今日の内容に入って行きたいと思います。
少しでも多くのことを受けとめて頂き、
このコースを受講しておられる方には、
必ず本当の幸福になって頂きたいと思います。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 5
無碍の一道とは?
結局、生きる目的は何なのでしょうか?
仏教では、私たちの生きる目的は、苦悩の根元である
無明の闇を破り、「無碍の一道」へ出ることだと説かれています。
「無碍の一道」とは、
「碍」とは、さわり
「一道」とは、たった一つの世界ということですが、
「無碍の一道」は、さわりがなくなった世界ではありません。
「さわり」が「さわり」のまま、「さわり」とならなくなった世界
ということです。
では「さわり」とは何かといいますと、
私たちの幸せを妨げるものです。
例えば
私たちの健康という幸せを妨げる、病気や怪我は、「さわり」です。
幸せな大学生活をさまたげる、
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 6
試験やレポートも、「さわり」となります。
幸せな社会生活をさまたげるリストラや借金、
人間関係のいざこざも「さわり」です。
このような、私たちの幸せを妨げるものを「さわり」といいます。
これらのトラブルの解決に、私たちは、
相当時間や労力をつぎ込みます。
しかし、たいていうまくはいきません。
「さわり」はなかなか手強いのです。
どんなになくそうと思っても、
なかなか「さわり」をなくすことはできません。
そもそも、これらの「さわり」はなくせるのでしょうか。
子供は、子供なりの「さわり」に苦しみ
高校生は高校生なり、
大学生は大学生なり、
社会人は社会人なりの苦しみ悩みがやってきて
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 7
とてもなくせそうにありません。
これで「さわり」をなくしきったということがあるのか
考えてみてください。
ちょっと想像ができないと思います。
振り払っても、振り払ってもなくならず、
「人間に生まれてよかった」
という体験ができません。
世界中の人がこれらをなくそうと、
一生懸命苦労しているんですが、
誰一人、実りません。
政治も、経済も、科学も、医学も、
結局「さわり」をなくそうとするんですが、
全然できていないのです。
ですから、
これらのさわりをなくすことは、
できませんので、
さわりをなくすのではありません。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 8
さわりがさわりのまま、さわりとならない世界に出るのです。
それが生きる目的だと教えられたのが仏教であり、
親鸞聖人なのです。
仏教とそれ以外の違い
ここが、仏教以外のいかなる思想や教えとも、
政治や経済、科学や医学とも異なるところです。
政治や経済、科学や医学、人間の営みのすべては、
さわりをなくして快適に生きようとしているのです。
ところが仏教では、
「さわり」をなくそうというのではありません。
だから仏教によって、病気が治るかというと、治りません。
病院に行きましょう。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 9
では仏教で、成績良くなるかというと、なりません。
勉強が必要です。
仏教でお金が儲かって貧乏を脱することができるかというと、
できません。働きましょう。
そういったことを期待しているのであれば、無理です。
このようなさわりはなくなりません。
ですが、さわりがさわりのまま、さわりとならない世界へ
出られるのだと教えられています。
これが、仏教と、それ以外の一切と、
まったく違う点です。
武蔵の剣法
では、さわりをなくすのと、
さわりがさわりのまま、さわりとならない世界に出るのと、
どこが違うのでしょうか。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 10
それでは宮本武蔵の剣法に学んでみましょう。
宮本武蔵は、生涯60数度の真剣勝負に一度も敗れたことがない
「剣聖」といわれています。
巌流島で佐々木小次郎を破り、天下一といわれます。
ところが、60数回の真剣勝負の中には、
武蔵たった一人で、複数の敵を相手にせねばならない時も
あったのですが、そんなピンチも、武蔵は切り抜けて、
勝ち続けたのです。
一体どうして、複数の敵に囲まれても、破れなかったのでしょうか。
普通、日本刀は、複数の敵は切れません。
何人か切ると刃こぼれしてしまって、
使い物にならなくなってしまうそうです。
ですから、時代劇などは、多少、脚色が入っています。
「水戸黄門」は、最後敵に囲まれた時、
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 11
すごい勢いで角さんと助さんが、暴れまくりますが、
実際には無理ということです。
「暴れん坊将軍」でも、
最後、吉宗が、
「余の顔を忘れたか」
というと、
悪代官の脳裏に、お城で謁見した時のシーンがよぎって、
「はっ!まさか……上様!?」
と一瞬思うのですが、
「ええい、上様がこんなところにおられるわけがない
上様の名をかたる不届き者、皆の者、切り捨てよ」
と襲いかかってきます。
しかし吉宗は、すごい勢いで全員倒したあげく、
ボスに迫って行きます。
ですが、現実には、これはできないのです。
武蔵は現実の世界で戦ったので、
この方法では、やられてしまいます。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 12
子分と戦っているうちに、親分に手の内を知られ、
自分が疲れ、刀が使いものにならなくなった頃、
最後は一番強い親分にやられてしまうのです。
では一体どうすればいいのでしょうか。
実は武蔵の必勝のパターンがあります。
1 まず最初に一番強い親分を見極める。
2 そして真っ先に飛びかかり、
3 親分を、一刀のもとに切り倒す
という方法で、武蔵は勝っていたのです。
すると子分達は、逃げ出してしまうので
戦わずして勝つことができるのです。
子分が親分に従うのは、自分より強いからであって、
その親分が一刀両断されたとなると、
子分達は、自分はさすがにかなわない、
と冷や汗を垂らします。
後ずさりしながら
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 13
「武蔵、覚えてろよ」
と捨てゼリフを残して言って逃げてしまいます。
だから戦わずして勝てるのです。
ではどうすれば、親分を見極められるのでしょうか。
それには、親分と子分の違いを知らなければなりません。
一体どこに、違いがあるのかといいますと
まず第一に、
子分は、次々と飛びかかってきますが、
親分は、陰で隠れて見ています。
つまり、子分は、表面に見えやすいですが、
親分は見えにくいという特徴があります。
第二に、子分は沢山いますが、親分は一人です。
親分が五人いる、という場合、その人は親分ではなく、影武者です。
親分は、たった一人です。
第三に、親分は一番強いのです。
子分も弱くはありませんが、親分ほどではありません。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 14
この違いから、親分が見極められないと、負けパターンに陥ります。
子分を相手してるうちに、親分にやられて、すべてパーです。
必勝パターンをやろうとしても、
親分を見極められないと負けパターンに陥ってしまいます。
私たちの人生では?
これは一体何をたとえたのかというと、
「子分」とは学校の試験や借金、健康上の問題や
人間関係のいざこざといった「さわり」です。
生きていく上で、次々と襲いかかってくる苦しみ悩みを
「子分」にたとえています。
では「親分」とは何かといいますと、死の大問題です。
これは、なかなか見えづらく、普段は潜んでいるんですが、
最強のパワーをもった大問題です。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 15
しかも、何の前ぶれもなく、死は突然やってくるんですが、
それまでに子分を何人倒したかは全然関係なく、
一気にやられてしまいます。
ところが逆に、死の問題を先に解決すれば、
子分の問題は、さわりとならなくなるということです。
その理由を飛行機のたとえで
なぜなら、生きることを、飛行機が飛ぶことにたとえると、
生まれた時が飛び立った時です。
小学、中学、高校と、ものすごい勢いで、飛んできました。
「光陰矢の如し」
と言われるように、私たちは、
昨日から今日、今日から明日へと、
時間から時間へ旅をしています。
ところが、この飛行機はいつまでも飛び続けることはできません。
やがて必ず、燃料が切れる時がやってきます。
私たちの命に限りがあるということです。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 16
しかし、この飛行機は、目的地の飛行場がどこにあるか分からない。
海また海、空また空、島影一つ見えない太平洋の上空を、
どこへ向かって飛べばいいのか分からずに、ただ飛んでいる。
そんな燃料は刻々と減っていく飛行機の中で、
機内食や機内映画が楽しめるかというと
とても楽しめるものではありません。
「有無同然」
飛行場が分からなければ、
機内食や機内映画は、有っても無くても満たされません。
このように、私たちが人生で、
どれだけ、お金や財産、地位、名誉を手に入れても、
心から楽しむことができないのは、
ちょうど、私たちの人生が、
目的地を知らずに飛んでいる飛行機のようなものだからなのです。
目的地があってはじめて空の旅が楽しめます。
目的地が分かれば、
機内食というのは、なくても、空の旅は楽しめますし、
有れば有ったで、よけい楽しい空の旅となります。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 17
この機内食が、武蔵の剣法でいう「子分」であり、健康やお金、
人間関係といった「生きる手段」の問題にあたります。
そして目的地というのが「親分」であり、
死の問題の解決であり、「生きる目的」です。
このように、機内食と、目的地の飛行場は、
根本的に違う、次元の異なる問題なのです。
この「生きる目的」を知らず、
「生きる手段」ばかりに心を奪われると、
苦しみ悩みはなくならず、
最後は必ず後悔に終わるのです。
武蔵の剣法は、
生きる目的は、死の問題を解決して
無碍の一道へ出ることであり、
また目的と手段の関係を教えられたものとも言えるのです。
苦悩の根元から考えると?
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 18
学問的に深いことですが、前々回の
「苦悩の根元」ということから考えると、
「子分」が煩悩、
「親分」が無明の闇にあたります。
煩悩を満たそうとしたり、なくそうとしても、
煩悩は減りもしなければなくもならない。
私たちは、煩悩具足ですから、
煩悩をなくしたら私がなくなってしまいます。
死ぬまでなくなりません。
しかし、無明の闇は、一念でなくなります。
煩悩をなくす努力は、死ぬまでなくならないですから、
報われない努力なんですが、
無明の闇は、破ることができる。
無明の闇が破れると、煩悩即菩提
煩悩がそのまま喜びの種となる
幸せの身になれるのです。
これを「無碍の一道」といわれます。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 19
さわりがさわりのままさわりとならない世界。
煩悩が、そのまま喜びの種と転ずる。
これが無碍の一道であり、
幸せが完成するということです。
歎異抄では、
「摂取不捨の利益」
とも、現代の言葉遣いでは、
「絶対の幸福」
とも言われます。
人生は苦なり。
人生の目的を知らぬ人の苦しみは果てしなく悲惨ですが、
人界受生の目的を知らされた者の苦しみは、
必ず報われる苦しみです。
煩悩しか知らないと、煩悩を満たそうとか、なくそうという努力は、
使ったお金も時間も労力も、全部無駄になりますから
果てしなく苦しまなければなりません。
死ぬまで苦しみの悲惨な人生になってしまいます。
しかし、無明の闇を破ろうという努力は必ず報われるのです。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 20
無明の闇を破るには
ではどうすれば無明の闇は破れるのでしょうか。
これは、次回詳しく解説しますが、
「仏法は聴聞に極まる」
といわれます。
「聴聞に極まる」とは、
「聴」もきくなら
「聞」もきく
きいてきいて、聞き抜く一つで、
無明の闇が破れるのです。
煩悩を相手にしていても、手強いし、根本的に解決することはできません。
だから無明の闇をまっさきに解決するのが大事なのです。
夏休みの宿題
ちょうど小学校の時、夏休みになると、
7月25日頃から、約40日間、学校はないんですが、
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 21
宿題が山ほどあります。
大変賢いお友達は、夏休みの宿題を7月中に、
全部終わらせてしまいます。
すると残りの30日間は、心の底から楽しめる夏休みです。
ところが、そんな偉業はなかなかできないので、
7月中は、まあせっかく夏休みに入ったんだから、
ぱーっと遊ぼうということで楽しみます。
ところが8月に入ってくると
「そろそろ宿題もやらないといけないな」
と思います。
でも8月に入ったから、海にも行かないといけないし、
山にも行かないといけない。
色々遊ばねばならないので、宿題なんかやっている時間はありません。
8月中旬になると、お盆に行かないといけないし、
色々行かないといけないので、宿題なんかやってる場合じゃない。
ところが8月20日くらいになると
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 22
全校登校日なんかがあって、
学校へ行くと、もう宿題終わらせたという友達がけっこういる。
そしてもう昆虫採集を持ってきている人もいる。
焦ります。
「……まだ自分は何もやっていない」
そうなると、夏休み、楽しもうと思っても、楽しめません。
サッカーをやっていても、
そのサッカーボールの5角形が、
算数の図形の宿題に見えてきます。
テニスをやっていてもラケットのガットが、
読書感想文の原稿用紙に見えてきます。
花火を見に行っても、
花火の赤くなったり青くなったりするのが、
化学の炎色反応に見えてきます。
(ナトリウムは黄色、銅は青緑とか)
不安で楽しめなくなってしまう。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 23
それでもしぶとく宿題をやらない為に、
最後の8月29、30、31日あたりには、
家族総出で、
お父さんも、お母さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも
みんなで宿題やって
何とかぎりぎり9月1日に宿題を持っていくことになってしまいます。
これは大変愚かな夏休みの過ごし方です。
結局やっている宿題の量は同じなのに
楽しめなくなってしまいます。
宿題の量は同じなのに
7月中にやってしまった人は、
8月は思い切り楽しめます。
夏休みの宿題は、早くやってしまった方が、
夏休み全体が、楽しく、心から満足できる。
目を背けていると、やがてつけが回ってくるということです。
同じように、無明の闇を破るというのは、
すべての人に課せられた、人生の宿題のようなものです。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 24
残せば残すほど、苦しくなって、最後はすべてに裏切られて
死んで行かねばなりません。
しかし、なるべく早く終わらせてしまえば、
あとは、心から大安心、大満足の人生になってくる。
ですから生きている時に、
やがて必ず来る死の問題、生死の一大事を解決し、
一切がさわりとならない無碍の一道へ出ることが、
生きる目的なのです。
武蔵の剣法は、
親分を見極めて、真っ先に倒すというのが
必勝パターンでした。
そういうことも、武蔵の剣法では教えられているのです。
Copyright(C) Buddhism All-Japan Network. All Rights Reserved. 25
まとめ
「無碍の一道」とは、碍りが碍りのまま碍りとならない世界です。
剣豪宮本武蔵は、たった一人で、多くの相手に囲まれた時、
普通、日本刀では、次々飛びかかってくる子分を斬っていると、
すぐに刃こぼれしてしまうのに、それでも勝つことができました。
それは、まず親分を見極めて、
真っ先に親分に直行し、一刀両断にしてしまう、
すると子分は逃げ出してしまう、という必勝パターンです。
私たちの人生でいうと、
「子分」は、病気や借金、煩悩であり、生きる手段です。
「親分」は、死の大問題であり、無明の闇であり、生きる目的のことです。
この親分を見極めて
真っ先に切り倒すのが、人生の必勝パターンなのです。
ちょうど夏休みの宿題のように、後に残せば残すほど苦しくなってきますが、
早く解決すれば、残りの人生が心から喜びに満ちたものになるのです。