英国援助政策の動向 - jica...はじめに...

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………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… 英国の援助は、1997年労働党のブレア政権が成立し、海外開発庁(ODA)が国際開発省(DFID) に再編されて以降、非常に大きな改革を経てきた。 この改革の規模とインパクトは当時の大方の予想を超えるもので、1997年から2003年までDFIDの 長官(国際開発大臣)であったクレア・ショート(ClareShort)のリーダーシップの下でDFIDは次々 に新たな改革や提案を打ち出し、それを支える組織や援助手続き、手法も改革、新方式の導入を推進 してきた。 この改革のポイントをまとめると; 1.援助実施官庁としてのDFIDをそれまでの海外開発庁の時代と異なり外務省から独立した存在と し、且つその長官は閣内大臣が務めることにより、政府内で援助政策の声がより強く通るように し、また他の関連政策との整合性、一貫性が図られるようになったこと。 2.貧困削減を援助の唯一の基本目的とし、他の援助目的はこれに従属する下位目的として整理し 直すとともに、貧困削減にそぐわない目的は援助目的から排除したこと。特に貧困削減活動を行 うにあたってDACの国際開発目標(IDT)、(後にミレニアム開発目標(MDG)を新たに導入) をベースにし、これらの目標がどの程度成果をあげたか、計測可能な目標設定と実際の援助のモ ニタリング・評価の制度を整備したこと。 3.上記2.の関連でこれまでの英国の商業利益に基づくタイド援助は中止し、貿易産業省の中に 設けられた援助貿易準備金(ATP)のタイドによるマッチング・ファシリティーも廃止された こと。 4.人道支援において紛争削減と紛争後の持続的開発のコンセプトを新人道主義の概念の下で導入 したこと。 5.新たな援助に係る戦略、政策を1997年以降DFIDの国際開発白書の形でまとめ、これをDFIDの 具体的な活動・目標につなげるとともに、援助受入国の様々なステークホルダー、他ドナーとの 協調(パートナーシップ)、及び援助活動の広報、情報公開、学界・NGO・市民団体等との連携 促進を図ったこと。 以上の中でも国際開発目標を柱とする貧困削減支援に徹底した援助姿勢、無償協力も含めた援助調 達のアンタイド化、援助と他の政策の一貫性を図る方針などは単に英国援助の枠を超え、DACの場 を含め世界の援助政策に大きなインパクトを与え、また英国政府自身が世界の援助潮流のリード役の 一員として自らの役割を位置付けていくこととなった。 クレア・ショートは、2003年5月に退任し、後任のバロネス・エイモス(Baroness *2 Valerie Amos)を経て、同年10月よりヒラリー・ベン(Hilary Benn)が国際開発大臣を務めている。ヒラ リー・ベンもクレア・ショートの下で進められた援助改革の基本方針を踏襲することを明らかにして 英国援助政策の動向 1997年の援助改革を中心に 開発金融研究所 次長 飯島 佐久間真実 *1 本稿は、国際協力銀行が英国の研究機関Overseas Development Institute(ODI)に委託した「援助機関動向調査(Changing aid policies of the major donors)」の結果を中心に、英国の援助改革の背景と動向、並びに今後の見通しについてまとめたも のである。 *2 女性男爵の意。 2004年6月 第19号 121

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Page 1: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

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要 旨

英国の援助は、1997年労働党のブレア政権が成立し、海外開発庁(ODA)が国際開発省(DFID)

に再編されて以降、非常に大きな改革を経てきた。

この改革の規模とインパクトは当時の大方の予想を超えるもので、1997年から2003年までDFIDの

長官(国際開発大臣)であったクレア・ショート(Clare Short)のリーダーシップの下でDFIDは次々

に新たな改革や提案を打ち出し、それを支える組織や援助手続き、手法も改革、新方式の導入を推進

してきた。

この改革のポイントをまとめると;

1.援助実施官庁としてのDFIDをそれまでの海外開発庁の時代と異なり外務省から独立した存在と

し、且つその長官は閣内大臣が務めることにより、政府内で援助政策の声がより強く通るように

し、また他の関連政策との整合性、一貫性が図られるようになったこと。

2.貧困削減を援助の唯一の基本目的とし、他の援助目的はこれに従属する下位目的として整理し

直すとともに、貧困削減にそぐわない目的は援助目的から排除したこと。特に貧困削減活動を行

うにあたってDACの国際開発目標(IDT)、(後にミレニアム開発目標(MDG)を新たに導入)

をベースにし、これらの目標がどの程度成果をあげたか、計測可能な目標設定と実際の援助のモ

ニタリング・評価の制度を整備したこと。

3.上記2.の関連でこれまでの英国の商業利益に基づくタイド援助は中止し、貿易産業省の中に

設けられた援助貿易準備金(ATP)のタイドによるマッチング・ファシリティーも廃止された

こと。

4.人道支援において紛争削減と紛争後の持続的開発のコンセプトを新人道主義の概念の下で導入

したこと。

5.新たな援助に係る戦略、政策を1997年以降DFIDの国際開発白書の形でまとめ、これをDFIDの

具体的な活動・目標につなげるとともに、援助受入国の様々なステークホルダー、他ドナーとの

協調(パートナーシップ)、及び援助活動の広報、情報公開、学界・NGO・市民団体等との連携

促進を図ったこと。

以上の中でも国際開発目標を柱とする貧困削減支援に徹底した援助姿勢、無償協力も含めた援助調

達のアンタイド化、援助と他の政策の一貫性を図る方針などは単に英国援助の枠を超え、DACの場

を含め世界の援助政策に大きなインパクトを与え、また英国政府自身が世界の援助潮流のリード役の

一員として自らの役割を位置付けていくこととなった。

クレア・ショートは、2003年5月に退任し、後任のバロネス・エイモス(Baroness*2 Valerie

Amos)を経て、同年10月よりヒラリー・ベン(Hilary Benn)が国際開発大臣を務めている。ヒラ

リー・ベンもクレア・ショートの下で進められた援助改革の基本方針を踏襲することを明らかにして

英国援助政策の動向―1997年の援助改革を中心に*1―

開発金融研究所 次長 飯島 聰佐久間真実

*1 本稿は、国際協力銀行が英国の研究機関Overseas Development Institute(ODI)に委託した「援助機関動向調査(Changing

aid policies of the major donors)」の結果を中心に、英国の援助改革の背景と動向、並びに今後の見通しについてまとめたも

のである。

*2 女性男爵の意。

2004年6月 第19号 121

Page 2: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

おり、当面現在の英国援助政策のモーメンタムは維持されていくと考えられる。

Abstract

The development cooperation of the United Kingdom has undergone sweeping reforms

under the Labour Administration of Prime Minister Tony Blair, which came to power in1997.

Under the reforms, the Overseas Development Administration(ODA)has been transformed into

the Department for International Dvelopment(DFID).

The scale and the impact of reforms exceeded most people’s expectations, under the

leadership of the first Secretary of State for International Development, Clare Short, during1997―

2003. During this period, DFID came up with a continuous stream of new policies and reforms.

These included organizational and procedural changes to support broader reforms, and the

promotion of entirely new aid modalities.

The key points of these reforms are as follows:

1.The status of the institution responsible for aid management was elevated from that of a

agency(ODA)which had been located within and had been responsible to another ministry

(the Foreign and Commonwealth Office), to an independent ministry(DFID), which was

headed by a Cabinet Minister. DFID received a mandate to comment on all aspects of UK

Government policy that had a bearing upon the prospects for poverty reduction in the

developing world and to ensure consistency and coherence.

2.Poverty reduction was identified as the overarching objective of aid and development policy.

To track progress towards this objective, quantifiable and measurable global targets were set,

based upon the International Development Targets(IDTs), which had been adopted by the

Development Assistance Committee(DAC)of the OECD as the basis for development

cooperation policy (later on, IDTs were expanded to become Millenium Development Goals

(MDGs)of the United Nations).

3.Related to the above 2., the promotion of UK economic interests was excluded from aid

objectives and tied aid schemes including ATP(Aid and Trade Provision)under Department

of Trade and Industry(DTI)were abolished.

4.The policy framework for the‘new humanitarianism’was laid out, which developed the

rationale for including conflict reduction and post―conflict sustainable development in

humanitarian assistance.

5.Since1997, DFID has conceptualized its new aid strategies and policies in the form of a White

Paper, the content of which has subsequently been reflected in actual activities and

objectives. DFID has developed partnerships with stakeholders of aid recipient countries and

with other donors, while at the same time promoting public relations, dissemination of

information, and cooperation with academia, NGOs and public groups etc.

DFID’s policy focusing on poverty reduction based upon the International Development

Targets, untying of procurement including that of grant aid and developing coherent policies with

other related policy issues did not only affect UK development cooperation. DFID’s policies have

had a major impact on global development policies including discussions at the OECD/DAC and

the UK government has positioned itself to lead action in international development cooperation.

122 開発金融研究所報

Page 3: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

はじめに

開発金融研究所開発研究グループでは、日本の

途上国開発援助の世界における位置付けをより良

く理解する一助として主要先進国の援助動向を

フォローし、そのデータを蓄積している。

本稿は英国援助政策の最近の動向を英国のODI

(Overseas Development Institute:海外開発研

究所)に委託した調査結果(2003年11月)、及び

OECD/DACの対英国援助審査(ピアレビュー)

会合結果(2001年10月に同会合開催)、その他本

行の収集した複数の関連情報をもとにまとめたも

のである。

今後、フランス、北欧諸国等順次その成果を当

研究所報で紹介していく方針である。

第1章 英国援助の果たしている役割

世界援助の潮流をリードする役割を担う主体と

しては、まず世界銀行や国連の諸機関を思い浮か

べるが、現在二国間援助を行っている国で援助改

革の上で最も活発、且つ斬新なアイデアを出し続

け、途上国援助に新風を吹き込みつつあるのは英

国である。

その影響力は単に他の援助国や援助受入国に対

するに留まらず、世銀を含めた国際機関にも及

び、また援助の枠を超えて途上国の開発に関連す

The first Secretary of State, Clare Short resigned in May2003. Initially Baroness Valerie

Amos replaced her, however in October 2003, Hilary Benn took over her position and has

remained there ever since. It is said that Hilary Benn would basically follow DFID’s policy under

Clare Short and the momentum of the current UK development policy would be maintained.

目 次

はじめに

第1章 英国援助の果たしている役割 ……………………………………………………………………123

第2章 1997年以前の援助動向と援助の実施体制 ………………………………………………………124

第3章 1997年以前と以後の比較 …………………………………………………………………………127

第4章 DFIDの設立と援助改革 …………………………………………………………………………132

第5章 DFIDの組織改革 …………………………………………………………………………………137

第6章 援助のパフォーマンス評価に向けて ……………………………………………………………141

第7章 DFIDの分権化 ……………………………………………………………………………………144

第8章 人道援助及び紛争と開発 …………………………………………………………………………146

第9章 経済インフラ援助と民間セクター振興 …………………………………………………………148

第10章 貿易政策と開発援助のリンケージ強化 …………………………………………………………151

第11章 調達政策 ……………………………………………………………………………………………153

第12章 債務削減政策 ………………………………………………………………………………………156

第13章 政策の一貫性 ………………………………………………………………………………………157

第14章 新しい援助手法の模索 ……………………………………………………………………………159

第15章 NGOとの関係 ……………………………………………………………………………………161

第16章 援助広報・開発教育 ………………………………………………………………………………163

第17章 英国援助政策の今後の見通し ……………………………………………………………………164

第18章 まとめ―日本へのインプリケーション …………………………………………………………166

2004年6月 第19号 123

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る貿易、投資など他の政策分野にまで及んでい

る。

それでは英国が過去継続的にそのような役割を

世界の途上国援助に対して果たしてきたのかと言

えばそうとは言えない。

特に1980年代、1990年代前半は、1970年代末

までの長期にわたる英国経済の停滞、サッチャー

政権の登場による援助予算を含めた財政削減もあ

り、英国の援助額は大幅に減り、一時は同国の

ODA額自体日米仏に加えイタリアにも抜かれる

ような状況で、援助社会における存在感もかなり

マイナーなものになっていた。

英国にとり転機となったのは、1997年の労働

党政権登場であり、それ以降貧困削減を旗印に据

えて、1997年の援助白書(国際開発白書)にお

いて表明されたように援助のアンタイド化、貿易

と開発の一貫性確保、PRSP(貧困削減戦略ペー

パー)への取り組み強化、債務削減の推進、人道

援助と紛争削減への協力強化などを推し進めてき

た。

同国の援助額が1997年以降顕著に増加したこ

とも確かだが、それ以上に「新しい援助」を世界

に示す「提唱者」としての立場を確立したいとい

う意向が同国の政権中枢部に強く働いたのがこう

した矢継ぎ早の援助改革を進めてきた背景ではな

いかと思われる。

近年英国は貧困削減への直接的支援をを基軸と

しつつ、ミクロ的なプロジェクト援助という伝統

的な援助スキームに対する新しい概念スキームと

して、セクターワイドアプローチの採用を図って

きた。この延長線上で途上国の公共支出管理強化

支援、プログラム援助や財政支援の意義の強調、

援助国が個別に「旗」を立てず、開発の共通基金

を設け、同基金に対して各国が共同で資金を提供

しあうコモンファンドのアプローチなどを次々に

打ち出してきた。

特にこれらの考え方、手法に共鳴するオランダ

や北欧各国とは‘Like―minded Group’を構成し

つつ、国際会議や援助対象国におけるフィールド

での活動に影響を与えてきた。

このような考え方は、日本などがこれまで経済

協力のベースとしてきたプロジェクト援助、また

自国の協力であることが目に見える援助の重視、

貧困削減への直接支援よりも経済インフラや投資

に基づく経済成長を通じた間接的な形での貧困削

減を追求する考え方と大きく異なるものである

が、英国流の考え方が世界の援助界の主流となる

ものとして注目を浴びている。

しかしながら、後述するように、英国の援助に

対する考え方も、経済インフラに対する見方を含

め、多様性を内に有しており、また英国援助関係

者の考え方も決して一様、或いは一枚岩なもので

はないことには留意する必要がある。また英国の

援助哲学や手法が日本にとって参考となる点も少

なくない。その意味でも日本と英国が援助の協調

をする余地は必ずあると考えられる。

本稿では、まず英国援助がかつてどのような状

況に置かれていたかを見、その上で1997年の劇

的な援助改革、それを支えた動因、改革を進める

上での組織再編、新たな援助改革の内容に順次触

れ、最後に今後の同国援助の見通しと日本にとっ

て参考とすべきと思われる点を述べることとした

い。

第2章 1997年以前の援助動向と援助の実施体制

1.英国の開発援助の原型は、遠く1920年代の

植民地における支援に遡ることができるが*3、現

在の体制に直接つながる本格的な援助体制が形づ

くられたのは1960年代初頭である。

1950~60年代に英国の植民地が次々に独立し、

また1961年にはOECDのDAC(開発援助委員会)

が設立される中で、英国も外務省(Foreign and

Commonwealth Office: FCO)の中に技術協力課

を設置、引き続き1964年には技術官庁の技術協

力部門と外務省の援助担当部門を統合し、海外開

発省(Ministry of Overseas Development: ODM)

を設立した。

ここにおいて現在の国際開発省(DFID)まで

系譜を引く一元的な援助官庁が同国に登場するこ

とになった。

*3 1929年に植民地開発法(Colonial Development Act)を制定。

124 開発金融研究所報

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2.これに併せて援助の関連法や議会の開発援

助関連の委員会なども順次整備されていく。

まず1963年には英連邦開発法、そして1964年

には海外開発法が制定され、援助の法的基盤が設

けられることになった。

併せて1968年には英国議会下院において、海

外援助特別委員会が設置された。

一方、英連邦諸国に対して投資を中心とした開

発の支援を行う政府機関として、1948年に英連

邦 開 発 公 社(Commonwealth Development

Corporation: CDC)がODMに先立ち設立されて

いた(当時はまだ英連邦の大半は植民地であり、

英国の植民地経営の一端を担うという色彩が強

かった)。

3.さて、新たに発足した海外開発省(ODM)

は、その後続いた労働党と保守党の2大政党間の

政権交替の下で、外務省の一部門になったり、同

省から分離して独立性を強化することを繰り返し

た。そもそもODMの発足自体が1964年に発足し

た労働党(キャラハン)政権の方針によるもので

あったが、その後の変遷を参考として記すと以下

の通りである。

・1970年11月

労働党から保守党に政権交替

(ヒース政権)

ODMは外務省傘下の機関(Overseas

Development Administration: ODA)

として再編

・1974年3月

再び労働党が政権復帰

(ウィルソン政権)

再度ODAを外務省から切り離しODM

を発足

・1979年11月

労働党から保守党に政権交替

(サッチャー政権)

ODMを改めてODAに戻し、外務省の

外局とする。その後1990年代半ばま

で保守党政権が続いたため、外務省傘

下のODAという図式が続く。

4.これまでを振り返ると、保守党政権下では

開発援助を外交政策の一環として組み込み、外務

省の下に開発援助機関を置き、一方労働党政権下

では外交政策から開発援助政策を独立させ、後者

の政策を保守政権時に比べ重視する傾向があった

と言えよう。

これには、労働党が途上国支援を自らの福祉政

策の一環として位置付け、その意義をより重く見

ていたということもあろう。

ただし、開発援助を一元的に管理する体制は維

持されたため、援助の実施体制上援助のオペレー

ションが大きな影響を受けることはなかったと言

われる。

保守党の時代には、海外開発庁(ODA)のトッ

プ(長官)としては、閣外国務大臣である海外開

発大臣が置かれたが、同大臣は外務大臣の指揮下

にあった。

海外開発庁は援助政策立案・決定にあたって

は、外務省のみならず、貿易産業省(DTI)、大

蔵省、中央銀行(イングランド銀行)等と協議・

調整を行っていたが、外務大臣が援助に関しても

議会に対して全体の責任を負っていたこともあ

り、特に外務省とは密な連絡がとられた。

同庁の援助政策部(Aid Policy Dept.)には外

務省スタッフも出向しており、政策立案段階から

外交的見地が色濃く反映される体制になってい

た。

5.サッチャー首相からメージャー首相にわた

り、17年近く続いた保守党政権の下では、海外開

発庁(ODA)により援助を行う体制そのものに

は大きな変化はなかったが、援助供与額や援助方

針、或いは援助機関の人員等に大きな変遷が見ら

れたのも事実である。

最初に援助供与額について見ると(図表1)、

サッチャー政権が登場した1979年時点では21.6

億ドル(ネット・ディスバースメント・ベース)

のODAが供与されたが、1980年代前半は同首相

の「小さな政府」の政策、財政緊縮政策を反映し

て、援助額は顕著な低下を示した(底をついた

1984年にはODAは14.3億ドルに減少)。

ただし1980年代後半以降は援助額は徐々に増

加傾向を示し、1988年には26.4億ドルとなり

1979年のレベルを上回り、その後1990年にサッ

2004年6月 第19号 125

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7,000

6,000

5,000

4,000

3,000

2,000

1,000

0

(百万ドル)�5.5�

5.0�

4.5�

4.0�

3.5�

3.0�

2.5�

2.0�

1.5�

1.0�

0.5�

-0.5

-1.0

-1.5

-2.0

-2.5

0.0�

(%)�

ODA額(百万ドル)� 対GNI比(%×10)� 実質GDP成長率(%)�

1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003(年)

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

チャーから政権を引き継いだメージャー首相の下

ではほぼ30億ドル台を維持した(保守政権末期の

1996年において32億ドル)。

サッチャー政権の後半に援助額が回復したの

は、1つには英国経済が同政権の経済改革の効果

も出て1980年代半ばには好調であったこと(英

国の実質GDP成長率は1980年の△2.1%から、

1988年の5.1%まで上昇、また後述のATP(援助

貿易準備金)の活用による輸出促進型援助にメ

リットを見出したということもあろう。

6.なお、援助機関である海外開発庁の職員数

でみると、1978年に2,300名であったのに対し、

1988年には1,500名まで減り、「小さな政府」の

政策がこうした人員面にも大きく表れていたこと

が分かる。

援助政策面で見ると、サッチャー政権発足直後

の1980年に海外開発協力法が制定され、1966年

以来使われていた海外援助法に置き換えられた。

この新法は現在のブレア政権が成立し、新たに制

定された2002年の国際開発法にいたるまで約20

年間にわたって英国援助を規定することとなっ

た。

1980年代~1990年代前半の保守党政権下にお

いても途上国の貧困削減を主たる目標とし、農

業、保健衛生、教育セクターを重視していたが、

まだ1980年代には経済インフラ向けの支出がエ

ネルギー、運輸を主体に全体の1/4強を占めて

いた。

また、援助対象地域としては、英連邦中の貧困

国、英国統治領を重点地域としていたが、1983

年のデータ(グロス・ディスバースメント・ベー

ス)で見ると、貧困国を含む低所得国が全体の

82%、うち最貧国(LDC)が30%を占めていた。

国別ではインドが24%で圧倒的に1位、これ

に続いてスリランカ、ケニア、スーダンが各

6%、バングラデシュ、タンザニアが各5%、

パキスタン、ジンバブエ、ザンビアが各3%と

図表1 英国援助額(ODA)・ODA対GNI比*4・経済成長率の推移(ネット・ディスバースメント・ベース)

出所)OECD/DAC統計、財務省(2004)より国際協力銀行作成

*4 図表スペースの関係上、ODA対GNI比を1000%スケールで表示した。(対GNI比(1000%)=対GNI比(100%)×10)

例えば、実際のODA対GNI比の値が0.33%の場合、グラフ上では3.3%で表示されている。

126 開発金融研究所報

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いう構成であった*5。

7.サッチャー首相は、援助については二国間

援助よりも多国間援助、特に世界銀行との協調を

重視していた。これは多国間援助を活用すること

により、自国の援助体制を出来るだけ軽くしたい

という気持ちが働いていたと考えられるが、ま

た、この時代はアフリカを含め途上国の多くが対

外債務、財政の危機に直面し、IMF・世界銀行

のイニシアチブで構造調整融資により国際収支支

援・経済改革支援が大々的に実施された時期でも

あった。サッチャー及びメージャー首相は、

IMF・世銀のこうしたイニシアチブをサポート

するとともに、後述のように特にメージャー首相

の時代になって、G7サミット、パリクラブの場

を活用し、途上国の債務削減にも徐々にサポート

を強化していくこととなる。

なお、有償資金協力(ODAローン)は、1960

年代には無償資金協力と並ぶODAの柱であった

が、1970年代の初めには援助の無償化方針が打

ち出され、1970年代半ば以降は大幅に減少した

(1984年頃にはほぼ消滅)。(第12章図表16参照)

1980年代初頭において借款と無償の供与基準

は、原則として世界銀行のIDA(第2世銀)適格

国は無償協力のみ供与、それ以上の所得水準の国

は有償協力も出来たが、この場合金利4%、償

還(据置)期間12(4)年のタイプと金利0%、

償還(据置)期間15(10)年の2種類の融資条件

を持っていた。

最後に、英国の開発援助は海外開発庁に一元化

されていたが、援助に係る調達・貸付(ディス

バース)手続きは同庁傘下にあるクラウン・エー

ジェンツが行っていた。クラウン・エージェンツ

は1997年に民営化されたが、引き続き海外開発

庁との委託契約を結ぶ形でこれら手続きを請け

負っている。この体制はDFIDになってからも変

化はない。

第3章 1997年以前と以後の比較

1.援助額とODA対GNI(GNP)比の推移(図表

2)

(1)前述のように、サッチャー政権の下で1980

年代前半に英国のODA供与額は大きな減少を見

た。これをODAネットディスバース額で見ると、

供与額が底を打った1984~1985年には1,400百万

ドル台にまで落ち込んだが、その後持ち直しメー

ジャー政権が登場した1990年代前半は大体3,100

~3,200百万ドル台の水準を維持した。

ただ、英国経済自体が1990年代初頭の落ち込

みはあったものの、1980年代半ば以降拡大基調

にあったため(1991年はGDP成長率が△1.4%と

なったが、それ以外の年は概ね2~3%の成長

を達成した)、ODAの対GNI比はむしろ低下傾向

を示した。1984~1985年において平均0.33%台

であったODA対GNI比は1997年には0.26%まで

下がっている。

(2)以上に対して1997年に労働党のブレア政権

が成立し、抜本的な援助改革が進められて以降の

ODA供与額はどのような推移を示したであろう

図表2 英国の援助額とODA対GNI比の推移(1997年以前と以後の比較)(ネット・ディスバースメント・ベース)

暦年1984―1985平均

1988―1989平均

1996 1997 1998 1999 2000 2001 20022003(暫定)

ODA額(百万ドル)

1,480 2,616 3,199 3,433 3,864 3,426 4,501 4,579 4,924 6,166

対GNI比(%)

0.33 0.32 0.27 0.26 0.27 0.24 0.32 0.32 0.31 0.34

出所)OECD/DAC統計

*5 英国は海外開発庁の時代、重点国、重点地域について、例えば低所得階層別、或いは発展段階別のような明示的な指針は設け

ていなかった。この点は現在のDFIDにおいても変わらない。

2004年6月 第19号 127

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…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

か。

まず、1997~1999年におけるODA供与額は34

~38億ドル台でメージャー首相の時代に比べ顕著

な増加は見られなかった。このため、1999年に

はODA対GNI比も0.24%のレベルまで落ち込ん

だ。しかしながら、2000年にはODA供与額は

4500百万ドル台へと大幅に増加、その後2003年

の最新データを見ると6000百万ドル台に急増し

ている(1990年代初頭に比べ倍増)。この結果、

ODA対GNP比も2000年以降は0.3%台に回復し

ている。

(3)実は労働党政権発足直後に英国のODA額が

すぐ増加に転じなかったのは、1997年の選挙

キャンペーンにおける同党の公約が関わってい

た。

すなわち同キャンペーンにおいて労働党は、

「もし労働党が政権をとれば最初の2年間は

ODAを含め政府の支出を増やさない」と約束し

ていたのである。

これは、同党が英国内において「財政バラマキ」

をする党とのイメージを強く持たれていたため、

そうしたイメージを払拭する意図が込められてい

た。このためODAも最初の2年間は支出を増や

せず、その分ブレア政権は当面援助量よりも援助

の質を高めると強調した。これに対しては、当時

「結局量的に援助を増やせない代わりに援助の質

を強調しているだけ」という懐疑的な見方も英国

内には出ていた。

(4)しかしながら2000年には財政支出増の「凍

結」期間を終え、DFIDは予算上、大蔵省から非

常に好意的な予算割当をもらうこととなった

(2000年にはODA予算は前年比3割増)。

第4章以降で述べるように英国政府は1997年

以降、貧困削減、ミレニアム開発目標の達成を柱

として開発援助を重視、2000年の国連ミレニア

ム総会、2002年の国連開発資金会議(於モンテ

レー)、持続可能な開発に関する世界サミット

(WSSD;於ヨハネスブルグ)を積極的に支援、

先進国の援助増額の必要性も訴えてきたが、援助

データを見る限りにおいても2000年以降自らの

援助増について約束を反故することなく努力して

きていると言えよう。

英国政府は現在ODAの対GNI比を0.7%とする

国際目標を自らの公約とすることをコミットして

おり、2000年のODA予算増はその第1ステップ

として位置付け、ODA対GNI比を2005~2006年

には0.4%まで引き上げることを中期目標として

発表している*6。

2.二国間援助と多国間援助

英国の多国間援助は他ドナーと比べODA全体

に占めるシェアが高い。他のドナー諸国が概ね3

割台であるのに対し、1980年代以降4割台の水

準を維持してきた(図表3)。

サッチャー政権は世銀を中心とする多国間援助

を重視したが、その姿勢はブレア政権のもとでも

基本的には引き継がれてきていると言えよう

(1999年及び2002年は多国間援助額が下がり、

ODA全体に占めるシェアも下がったが、これは

世銀に対する支出時期のタイミングのずれという

技術的な問題が絡んでいた)。

1997年以降の多国間援助内訳を見ると(図表

*6 DFIDの2001年4月2日付プレス・リリースによる。

図表3 英国二国間援助と多国間援助の推移(ネット・ディスバースメント・ベース)(単位:百万ドル)

暦年 84―85平均 88―89平均 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003(暫定)

ODA総額 1,480 2,616 3,199 3,433 3,864 3,426 4,501 4,579 4,924 6,166

内二国間ODA 822 1,446 1,790 1,979 2,132 2,249 2,710 2,622 3,506 3,842

内多国間ODA 658 1,169 1,409 1,454 1,732 1,178 1,798 1,957 1,419 2,324

多国間ODA比率(%) 44.5% 44.7% 44.0% 42.4% 44.8% 34.4% 39.9% 42.7% 28.8% 37.7%

公的援助総額(ODA除く) n.a. 129 362 337 435 407 439 461 494 683

出所)OECD/DAC統計

128 開発金融研究所報

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4)、EC向けが圧倒的であることが分かる。多国

間援助に占めるEC援助の比率は50~60%でほぼ

推移し、多国間援助の過半を占めている。

他方、国連諸機関、世銀及びその他地域開発銀

行を足し合わせると、対EC援助に近い規模が出

されている。ただ、サッチャー政権の時期に比べ

世銀グループの比重がやや下がり、その分国連グ

ループの比率が高まっているという印象を受け

る。

この点ブレア政権が国連グループを保守党政権

に比べより重視しているという表れと言えるかも

しれない。

なお、国連向けと地域開発銀行向けの内訳を見

ると(図表5)、WHO、UNDP、UNICEF、並び

にアフリカ開発銀行(AfDB)グループの比率が

非常に高い。

いずれにせよ、保健・教育分野、アフリカ重視

の姿勢がよく表れていると思われる。

3.地域・国別供与動向

(1)途上国所得階層別配分

まず英国のODAについて途上国の所得階層別

に見ると(図表6)、6~7割が低所得国向けで

あり、且つそのシェアは近年増加傾向にある。こ

れはDFIDが貧困削減支援にフォーカスを当てて

いることも関係していよう。

このうち最貧国が大宗を占めており、例えば

2001年度で見た場合、低所得国向けがODA全体

の78%を占めているが、最貧国のみで43%の

シェアを有している。

これに対して低位中所得国は20%内外、中進

国(上位中所得国)は10%内外であるが、低所

図表4 英国多国間援助内訳(グロス・ディスバースメント・ベース) (単位:百万ドル)

暦年 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002

国連諸機関 210 210 283 242 359 349 318

EC 707 718 843 819 975 824 925

世界銀行グループ 334 315 441 3 271 561 59

地域開発銀行 58 110 88 34 130 81 103

その他 103 108 84 79 59 170 56

多国間ODA総額 1,411 1,461 1,739 1,178 1,793 1,985 1,460

出所)OECD/DAC統計

*7 WHO:世界保健機構、UNDP:国連開発計画、UNICEF:国連児童基金、UNRWA:国連パレスチナ難民救済事業機関、

UNHCR:国連難民高等弁務官事務所、WFP:世界食糧計画、AfDB:アフリカ開発銀行、AsDB:アジア開発銀行、IDB:

米州開発銀行

図表5 国連諸機関、地域開発銀行を通じた英国援助の機関*7別内訳(1999~2000年平均) (単位:%)

機関名 比率 機関名 比率

国連諸機関 WHO 30 地域開発銀行 AfDB 62

UNDP 19 AsDB 34

UNICEF 8 IDB 1

UNRWA 7 その他 3

UNHCR 4

WFP 3

その他 29

計 100 100

出所)OECD/DAC統計

2004年6月 第19号 129

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3,000

2,500

2,000

1,500

1,000

0

500

(百万ドル)�

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000(年)�

不特定LDCオセアニア�ヨーロッパ�アジア�アメリカ�アフリカ�

得国向けとは逆に近年低下傾向にあり、2001年

度では各 1々7%、5%というシェアであった。

(2)対象地域

次に対象地域別に過去の長期的動向を見ると

(図表7)、もともとアジアとアフリカ向けが1980

年代まで大きく2分しているような感じであった

が、1990年代に入るとアジアが徐々に比率を落

とし(特に1990年代半ば以降)、代わりにアフリ

カの比率がさらに高まる傾向が出ている。また中

南米も依然全体の中ではシェアは小さいが、

1990年代半ばからややシェアが増加している。

(3)主要援助対象国

続いて主要援助対象国の推移を見ると(図表

8)、前述のとおり英国二国間ODAにおけるアジ

アの比率は低下気味であるが、インドに関しては

図表6 英国二国間援助の途上国所得階層別配分 (単位:%)

年度 1997/1998 1998/1999 1999/2000 2000/2001 2001/2002

低 所 得 国 65 73 67 76 78

(うち最貧国) (33) (39) (40) (45) (43)

低位中所得国 23 18 26 19 17

上位中所得国 12 9 7 5 5

出所)DFID(2002c)

図表7 英国二国間援助の対象地域別供与額推移(グロス・デイスバースメント・ベース)

出所)OECD/DAC統計

図表8 英国二国間援助の主要対象国推移(二国間援助全体に占める各対象国のシェア)(グロス・ディスバースメント・ベース) (単位:%)

順位 1989~1990年平均 1994~1995年平均 1999~2000年平均1 インド 11 インド 11 インド 92 バングラデシュ 7 ザンビア 6 ウガンダ 83 ケニア 6 バングラデシュ 5 タンザニア 64 ナイジェリア 5 旧ユーゴスラビア 5 バングラデシュ 65 マラウィ 4 ウガンダ 4 ザンビア 5

6 パキスタン 4 マラウィ 4 マラウィ 57 ガーナ 4 インドネシア 3 ガーナ 58 タンザニア 4 パキスタン 3 中国 49 スーダン 4 中国 3 モザンビーク 410 モザンビーク 3 ジンバブエ 3 ケニア 3

11 ウガンダ 3 ケニア 3 旧ユーゴスラビア 312 ザンビア 3 エチオピア 3 南アフリカ 313 セントヘレナ 3 ルワンダ 3 シエラレオネ 214 中国 2 モザンビーク 3 インドネシア 215 スリランカ 2 タンザニア 3 ルワンダ 2

1~15位計 65 62 67

出所)OECD DAC(2002b)

130 開発金融研究所報

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4,500

4,000

3,500

3,000

2,500

2,000

1,500

1,000

0

500

(百万ドル)�

1973 1978 1983 1988 1993 1998(年)�

その他�緊急支援�債務削減�プログラム支援�マルチセクター�生産セクター�経済インフラ�社会インフラ�

常に援助受入額で首位の座を保ち続け、英国にと

り同国がいかに重要な位置付けを持っているのか

が示されており、非常に印象的である(インドの

シェアは10%内外を維持してきている)。

またバングラデシュもやや順位を下げてきてい

るが、常時5位以内に入ってきた。

一方アフリカについては、近年ODAの中での

シェアはさらに高まっているが、国別内訳をみる

とこの10年あまりの期間をとっても、かなり変遷

があった。

まず1990年代初頭において重点供与国であっ

たケニア、ナイジェリアのシェアは下がり、逆に

ザンビア、ウガンダの上昇が目立ってきた。

いずれにせよ、アジアであれ、アフリカであれ

歴史的に関係が深い旧英領が大宗を占めることに

変わりはないが、旧英領以外では、この10年の間

に、中国及びモザンビーク(旧ポルトガル領)の

シェアが高まっていることが注目される。

旧英領の場合、PRSP(貧困削減戦略ペーパー)

作成国など経済改革、債務問題解決にコミットし

ている国を重視し、旧英領以外の場合、紛争国や

英国にとり政治、経済的に重要な国々を重点国と

して位置付けていることが多いものと思われる。

但しモザンビークはPRSP、債務削減プログラム

に基づく支援が目的であろう。

(4)対象分野

対象分野の動向について過去の長期的動向をま

ず見ると、1990年代初頭まで大きなシェアを占

めた経済インフラは1990年代に入り大幅に減り、

一方社会インフラのシェアが増加したことが分か

る(図表9)。

この他では、1990年代に入る頃から生産セク

ター向け援助、プログラム、マルチセクター向け

援助および緊急援助が増加する傾向にあり、開発

を複数セクターにまたがって多角的にとらえ支援

する方式、或いは紛争問題への関与による持続的

開発への基盤作りを重視する政策が、実際の援助

動向に反映してきているものと見られる。

上記につき、さらに細かい内訳を1989~1990

年、1994~1995年、1999~2000年の各時期につ

き比較すると、社会インフラは30%程度の比率

であるが、保健分野が増加し、教育分野の比率は

やや減っている(図表10)。

図表9 英国援助の対象分野別供与額推移(グロス・ディスバースメント・ベース)

注)対象分野の特定できる多国間援助を含む出所)OECD/DAC統計

図表10 英国二国間ODA対象分野シェア推移(2カ年平均)(グロス・ディスバースメント・ベース)

(単位:%)

暦 年1989~1990平均

1994~1995平均

1999~2000平均

社会インフラ 28 → 30 → 30(教育) (13) (11) (8)(保健) (4) (5) (8)(人口) (0) (2) (3)(上下水) (4) (3) (2)(政府・市民) (3) (6) (4)(その他) (3) (3) (4)

経済インフラ 26 → 15 → 10(運輸) (9) (4) (3)(通信) (2) (1) (0)(エネルギー) (13) (8) (4)(金融) (0) (1) (2)(その他) (1) (2) (0)

生産セクター 18 → 15 → 14(農林水産) (12) (10) (8)(工業・建設) (6) (4) (6)(貿易・観光) (0) (1) (0)

マルチセクター 0 → 2 → 6プログラム 15 → 14 → 14債務救済 4 → 2 → 0緊急支援 2 → 16 → 12ドナー諸国行政経費 5 → 7 → 8NGO補助 2 → 0 → 0

出所)OECD DAC(2002b)

2004年6月 第19号 131

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一方経済インフラは20%台から10%までシェ

アが落ち込み、中でも2大分野の運輸・エネル

ギーが大きく減少している。

生産セクターは全体の15%前後、内訳では農

林水産、工業・建設が大きい。またその他ではプ

ログラム援助の比重は15%前後で、生産セク

ターと同程度のシェアとなっている。

第4章 DFIDの設立と援助改革

1.1980年代から1990年代前半においての英国

援助は、サッチャー首相及びメージャー首相とい

う2代の保守党政権の下で、援助削減とその回

復、商業的利益に基づく援助の重視、債務削減に

向けたイニシアチブ、そして持続的開発を主目的

に据える援助の開始へと、めまぐるしくその政策

が変化していった。

英国の援助にとり停滞感の強い時代ではあった

が、ある意味では次の時代を予感させる動きを先

取りした側面もあった。

しかしながら、1997年にブレア首相の下で発

足した労働党政権は、それまでの変化とは質的に

異なる大きな変革を英国援助の世界にもたらし

た。

この1997年を境に、英国の援助はそれまでの

時代と全く異なる時代に入ったと言え、また同国

が援助の世界においてそれまでの守りの姿勢から

攻めの姿勢に転じていった時代とも言える。

2.まず労働党政権発足当初、1997年のうちに

援助改革のベースとなる2つの取り組みがなされ

た。

第一に従来の海外開発庁(ODA)に代わる国

際 開 発 省(Department for International

Development: DFID)の設立。

第二に1997年11月に国際開発白書(1997White

Paper on International Development�Eliminat-ing World Poverty: a challenge for the 21st

century�)が出されたことである(コラム1参照)。

後者の白書は新政権の援助に対する考え方、目

標を公式に示すものである。

この二つは、英国の援助がそれまでとは大きく

性格の異なるものとなる出発点としての意味合い

を持った。

3.DFIDの設立と、新しい国際開発白書を核と

する援助改革の考え方は、要約すると以下の5つ

の柱からなっていた。

� DFIDのトップとして「閣内大臣」を置く

ことにしたこと。

� 「貧困削減」を開発援助の基本目標として、

すべての援助政策を同目標との関連で位置

付けることにしたこと。また、この関連で

OECDのDACで採択された国際開発目標

(International Development Targets:

IDT)をベースに、その効果を定量的に計

測可能な目標を導入した。

� 上記�に基づきつつ、援助と英国にとって

の商業利益追求の目的との関連性を徐々に

断ち切っていったこと(援助のアンタイド

化)。

� 開発における「政策一貫性」の概念を導入

したこと。これによりDFIDは貿易、投資

など他の官庁が一義的に責任を有している

分野においても開発効果を高める観点から

政策形成に参画することとなった。

� 英国内外の開発に関係する主体とのパート

ナーシップ強化を強調したこと。

以上�から�について以下4.~8.において具体

的に見ていくこととしたい。

4.閣内大臣の導入

既に述べてきたように、DFIDの発足前、すな

わち海外開発庁の時代には、同庁は外務省

(FCO)の直接の管轄下にあり、そのトップで

ある長官も内閣の閣外に置かれた国務大臣に過ぎ

なかった。

当然、海外開発庁の意思決定は外務省の承認・

了解の下で行われ、開発協力の実施にあたって

も、英国としての様々な国家的利害に基づく外交

政策に影響されていた。

1997年の総選挙において、労働党は「新たな

る援助官庁として国際開発省を設け、これを閣内

大臣が率いる」旨その選挙公約(マニフェスト:

コラム2参照))の中で示し、同党が与党となっ

132 開発金融研究所報

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てから早速その公約を実現に移した。

これにより、新たに発足したDFIDは純粋に途

上国の開発、特に貧困削減を柱とする援助の政策

立案とその実施に専念すればよいこととなり、英

国内の様々な政治的介入により、DFID自体の政

策に一貫性がなくなることを避けることが出来る

ようになった(特にDFIDの最初の長官かつ閣内

大臣として登場したクレア・ショートは、その立

場をフルに活かして英国の援助改革に大きなリー

ダーシップを発揮していくこととなった)。

コラム1:1997年国際開発白書の骨子

〈開発への挑戦〉

1)我々は、国際開発への取り組みの焦点を貧困撲滅と貧困層に裨益する経済成長の促進に絞る。

我々は国際的な持続可能な開発目標と貧困者の持続可能な生活を生み出す政策を支援し、人間開

発を促進し、環境を保護することを通じてこれを実行する。

〈パートナーシップの構築〉

2)我々は、貧困撲滅への貢献を強化するために途上国とパートナーシップを築いている他のドナー

や開発機関と密接に働くことで、国際開発目標(International Development Targets: IDTs)の

達成に向けた政治的意思の動員に寄与すべく、我々の影響力を行使する。

3)これらの目標を、自国のために貢献している貧しい国々とパートナーシップの下で追求する。

4)CDC(Commonwealth Development Corporation:英連邦開発公社)のPPP(官民パートナー

シップ)化を含め、IDTに向けた英国の民間、ボランティアセクター、研究機関との新しい協働

の道を整備する。

5)世界の最貧困層を2015年までに半減するという目的を含め、目標に対する我々の取り組みとそ

の他の取り組みの効果を測定する。

〈政策の一貫性〉

6)我々は環境、貿易、投資及び農業政策を含む途上国に影響を与える全ての政府政策において、持

続可能な開発の目的を確実に配慮する。

7)人権の尊重、透明で説明責任のある政府と中核的な労働基準には特に注意を喚起し、国際関係へ

の政府の道義的なアプローチを構築する。

8)我々の資源を政治的安定と社会的統一の促進、紛争への効果的な対応に積極的に用いる。

9)金融の安定と途上国の対外債務の持続可能なレベルまでの削減を奨励する。

〈開発への支援の構築〉

10)相互依存と国際開発の必要性に対する一般の理解を促進する。

11)開発に向けられた資源が意図された目的にのみ用いられることを確実にし、新しい国際開発法の

制定を考案する。

12)開発プログラムに必要な資源を提供する。政府は開発援助に充てる資金の減少を増額に変え、英

国の貢献を国連の0.7%目標に向けることを再確認する。

コラム2:労働党選挙公約

ブレア政権が実施した援助政策の転換は、政権が発足した1997年の選挙時における労働党の選挙

公約に準拠している。A fresh start for Britain―Labour’s strategy for Britain in the modern world

と題された公約の「国際開発協力戦略」の章には、貧困削減に向けた取り組みが宣言され、ODAの

廃止と独立援助省庁の設立(当初は「Department of International Development」という名称)、開

発に関する啓蒙活動への注力、援助額減少の食い止めと対GDP比0.7%の援助目標の達成など、ブレ

2004年6月 第19号 133

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5.援助の目的を貧困削減に絞る

既に過去長い間にわたって貧困削減は英国の援

助の重要な目標として位置付けられてはいたが、

依然援助が達成すべき多くの目標の1つという扱

いとなっていた。

1997年の国際開発白書は、「貧困を撲滅し、貧

困層に裨益する経済成長」に援助の基本目的を絞

り込み、貧困削減は究極的な援助目標となり、他

の目的は直接・間接に貧困削減目標に貢献するも

のとしてその下に編成され直すこととなった。ま

た貧困削減目的に沿わない目的は援助目的から排

除されることとなった。

これにより英国はオランダや北欧諸国と援助に

対する考え方において共通の基盤が広まり、これ

らの国々と�Like―minded group�として国際会議や援助のフィールドにおいて行動をともにする

ことが多くなった。

DFIDの中でも海外開発庁の時代から長く働い

てきた者の中には、以上のような新援助戦略によ

り英国の援助が社会セクター分野に集中し、経済

成長に直接資する援助が完全に排除されるのでは

ないかと危惧する声も当時かなり出たと言われ

る。

新援助戦略により社会セクター分野が一層重視

されたのは事実であるが、この戦略の本来のポイ

ントは、途上国の開発問題を貧困削減に関連させ

てより包括的に理解させようというところにあ

り、経済成長の視点自体を排除するものではな

かった。

むしろ英国内でもNGOを中心に強かった「市

場の失敗論」の見方、及びサッチャー元首相を支

える関係者に根強かった「政府の介入が市場を歪

める」という見方の双方と一線を画し、よりプラ

グマティックな「第3の道」を行くものであった

との見方が今日強まっている。

6.アンタイド化の促進

開発援助の目的を貧困削減に限定することによ

り、援助における調達を英国企業に限定するタイ

ド援助も否定されることとなった。

これに伴い、貿易産業省(Department of

Trade and Industry: DTI)の管轄下に置かれて

いたタイドの無償資金協力スキームであるATP

(Aid and Trade Provision)も廃止されること

となった。

ATPは保守党政権下で数々のスキャンダルを

引き起こしたとして英国内のNGOや世論の批判

が強まっていたが、労働党政権は過去との訣別の

象徴としてATPの廃止を決め、それをテコに英

国自らの援助アンタイド化、そして他援助国への

アンタイド化の働きかけを強めていった。

7.政策の一貫性

貧困削減という目標を達成するためには、援助

のみでなく開発に関連してくる他の様々な政策の

インパクトを総合的に見ることが必要であり、貧

困削減を効果的に達成していくためには、政策体

系全体として一貫性をもたせるべきとの認識が

1997年の白書で示された。

同白書では、「環境」「貿易、農業、投資」、「政

ア政権の改革の核となった政策構想が提示されている。

この公約で貧困削減を重視する理由として挙げられているものが、世界の貧困状況に対する道義的

責任と、貧困削減による持続的発展が英国にもたらす国益の2点である。後者について、世界の最貧

国が経済成長を遂げることは、貿易の促進、輸出・投資市場の拡大、紛争・大量移民・環境劣化・人

口の爆発的増加といった問題の回避と国際情勢の安定化に繋がると説明されている。安定化という観

点では、東欧や中央アジアを中心とした国々の民主化と市場経済化の支援も重視する方針が示されて

いる。

Like―minded groupに位置付けられるブレア期以降の英国援助の源泉も、「単に利他的な貢献では

なく」、英国民の利益に寄与することが意図されている。

出所)Labour Party(1997)

134 開発金融研究所報

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治的安定、社会的統一の推進と紛争への効果的な

対応」、及び「経済社会の安定化」の4分野で政

策の一貫性を実現していくことが目指された。

DFIDは途上国に対する開発援助の所管省とし

て、英国政府の関連各省庁と他の関連政策につい

て調整していくという重要な任務が与えられた

が、DFIDが外務省から独立した官庁として設け

られ、且つ閣内大臣をトップに戴くという構造と

なったということは、他省庁との調整を容易にし

た。これもこうした政策一貫性の追求が非常に重

要であり、且つそのための調整権限を援助官庁に

与えるべきとの考え方が労働党政権において徹底

していたからであるということが言えよう。

以上のような政策一貫性の追求とそのための実

施体制の枠組み作りは、当時の援助世界において

非常にユニークな試みであった。

英国におけるこうしたイニシアチブは、OECD

を含め政策一貫性に係るその後の世界における活

動の盛り上がりに大きな影響を与えたということ

が出来よう。(詳しくは第13章参照)

8.パートナーシップ

1997年の白書は、途上国の開発、とりわけ貧

困削減の目的を効率的かつ一貫性のある形で実施

していく上で、パートナーシップを構築していく

ことが非常に大切であることを訴えた。

この場合考えられているパートナーシップは大

きく分けて2種類あり、1つは援助国たる英国と

被援助国の間のパートナーシップ、もう1つは英

国国内の関係機関の間のパートナーシップであっ

た。

前者については、貧困削減のために途上国政府

が援助計画から実施に至るプロセスに主体的に関

与することを求め、そのプロセスにおいて開発の

パートナーたる援助国として支援を行っていくも

ので、パートナーの相手先としては、以下の条件

を充たすことを求めた。

� DACの国際開発目標(IDT)(及び後のミ

レニアム開発目標)にコミットしているこ

と。

� �の目標達成のため、ドナー側諸国と協調

していくことを希望していること。

� 開発のための責任感を有し、説明責任を果

たす政府であること。

後者については、英国内の関連省庁、NGO、

市民団体等とのパートナーシップであるが、上記

白書ではCDC(英連邦開発公社)を通ずる協力

を含め、民間企業の開発への積極的関与とDFID

との協調も謳われた。

1997年の白書の時点ではパートナーシップの

内容もまだ抽象的なものに留まっていたが、開発

援助のオペレーションの中でパートナーシップは

さらに重要性と具体性を与えられていった。

特にPRSP(貧困削減戦略ペーパー)や財政支

援等プログラム援助においては、援助対象国との

パートナーシップを超えて、他ドナー諸国・機関

との協調、関係強化も図られてきている。

9.国際開発目標(IDT)の達成

(1)前述のように、英国政府は1997年以降開発

援助の目的を貧困削減に限定し、その目的達成の

ためにDACにおいて合意された国際開発目標

(IDT)を積極的に活用していくスタンスを明ら

かにした。

IDTは1996年にOECDより発表された新開発戦

略(�Shaping the21st Century: The Contributionof Development Cooperation�)の中でまとめられたもので、2015年までに�途上国の絶対的貧

困下の人口を半減させる、�初等教育の普及を達

成する、�5歳以下の乳幼児死亡率を2/3に、

産婦死亡率を1/4に減少させる、�基礎保健シ

ステムを通じたリプロダクティブ・ヘルス・サー

ビスへのアクセスを可能にする、2005年までに

�初等・中等教育におけるジェンダー格差をなく

す、�持続可能な開発に向けた国家戦略を実施

し、2015年までに環境資源の欠乏傾向をグロー

バル、ナショナルの両レベルで逆転させる、など

の目標から構成されている。

(2)DFIDは、IDTをDFIDの活動の実施レベル

に反映させていくために、以下の3つの戦略ペー

パーを作っていくこととした(コラム3参照)。

� 目標戦略ペーパー(Target Strategy

Paper: TSP)

� 組織戦略ペーパー(Institutional Strategy

Paper: ISP)

� 国別戦略ペーパー(Country Strategy

2004年6月 第19号 135

Page 16: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

Paper: CSP)

TSPはIDTに代表される基本目標をいかに実現

していくか分野別に示すもので、3つの戦略ペー

パーの中で最も長期的な計画を示すペーパーであ

る。

一方でISPとCSPはTSPの下位目標としての位

置付けを有し、中期戦略を示している。

このうちISPは特にDFIDが協調する国際機関

を分析し、それとの協調の仕方を述べており、

CSPは援助対象国毎の支援計画を示している。

ISPもCSPも3年程度の頻度で改訂されていく

ことになっている。なお、CSPは各被援助国の貧

困状況レビュー、支援ニーズ、支援計画から構成

されているが、その後世銀主導によりPRSP(貧

困削減戦略ペーパー)の策定が多くの国々で進ん

だため、信頼できるPRSPが存在している国で

は、PRSPがCSPのベースとしての役割を果たし、

DFID自身はCSPより内容の簡潔なCAP(Country

Assistance Paper)のみ作ることとなった。

(3)DFIDの国際開発白書は、1997年に出され

た後、2000年に改定された。タイトルは「世界の

貧困撲滅に向けて:貧困問題へのグローバリゼー

ションの活用」(�Eliminating World Proverty:Making Globalisation Work for the Poor�)である。

2000年の白書はタイトルの通り、グローバリ

ゼーションの問題への分析、取り組みを述べると

ともに、2000年の国連ミレニアム総会の結果を

受けて、ミレニアム開発目標(Millennium Devel-

opment Goals: MDGs)を新たなベースとして取

り組むことを謳っている。

コラム3:1997年国際開発白書に基づくDFID戦略ペーパー(TSP・ISP・CSP)

Over the years following the production of the first White Paper, DFID has rolled out ten Target

Strategy Papers(TSPs)which provided more detail on how the Department was going to go

about achieving the targets(derived from the IDTs)identified as the objectives of DFID’s work

in WP97.

・Halving world poverty by2015: economic growth, equity and security(January2000)

・Poverty elimination and the empowerment of women(January2000)

・Realising human rights for poor people(October2000)

・Achieving sustainability: poverty elimination and the environment(October2000)

・The challenge of universal primary education(January2001)

・Better health for poor people(March2001)

・Addressing the water crisis: healthier and more productive lives for poor people(March2001)

・Meeting the challenge of urban poverty(April2001)

・Making government work for poor people(September2001)

・Eliminating hunger(July2002)

Responding to the theme of partnership in WP97, a separate series of Institutional Strategy

Papers(ISPs)was published. Each of these provides DFID’s analysis of the strengths and

weaknesses of the multilateral institutions with which it must work, and lays out a strategy for

engagement designed to lead to improved performance. The ISPs are meant to be rolling

documents, each of which should be revisited on a two― to three―yearly basis. These are now27

documents in this series, covering25different multilateral institutions, with two institutions―the

International Federation of Red Crescent Societies(Januay1999and July2002)and the UNHCR

(October1999and July 2002)―studied twice.

Finally, Country Strategy Papers(CSPs)set out how DFID aimed to contribute to achieving the

136 開発金融研究所報

Page 17: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

10.国際開発法の制定

(1)DFIDが設立された時点において援助の根

拠法となっていたのは、1980年に制定された「海

外開発協力法」であったが、1997年以降の援助

改革を受けて2002年7月に同法に置き換わるも

のとして、新たに「国際開発法」が制定された。

同法は1997年の国際開発白書をベースとしつ

つ、1998年、1999年の開発政策フォーラム

(DFIDと英国内の開発パートナーたるNGO、市

民団体、民間企業、学界関係者等が援助政策のあ

り方について協議したもの)を経て内容が固めら

れた。

(2)この法律では開発援助の対象として:

� 貧困削減に資する事業

� 英国の海外領土開発支援、人道支援、外国

開発銀行に対する貢献

� 途上国開発に貢献する団体・基金への支援

を挙げたが、最も重要な点は、DFIDの業務が貧

困削減にあり、それ以外の目的に使用されること

を封じることにより、英国の商業的利益につなが

るタイド援助の供与を法律的に禁じたことであ

る。

第5章 DFIDの組織改革

1.1997年に外務省(FCO)の傘下から離れて、

閣内大臣を戴く、より独立性の高い官庁として発

足したDFIDは、組織的には海外開発庁(ODA)

の組織の基本的な構造をそのまま引き継ぐことと

なった。

しかしながら、1997年以降貧困削減を究極的

な援助目標とし、援助とその他政策の一貫性を確

保するため、数次にわたる組織的手直しを今日ま

で行ってきている。

2.2001年時点のDFIDの組織図は図表11のとお

りであるが、国際開発大臣(Secretary of State)

の下に、政務次官(Permanent Under Secretary

of State)、上院(House of Lords)スポークスマ

ン、各種特別アドバイザー等の一群の補佐がつい

international development targets in each country in which DFID provides development

assistance. DFID had produced CSPs in the past, but they had until 1997 been internal and

confidential documents: from1997, the CSP became a public partnership document, providing a

point of reference for DFID’s partners in the recipient government, other donors, and NGOs.

It was intended that under normal circumstances a new CSP would be produced every three

years. With the emergence of PRSPs, however, DFID has stated that it will use any existing PRSP

as the basis for its medium―term country―level planning. As a result, CSPs have since2002been

replaced on a rolling basis with a shorter Country Assistance Paper(CAP)which explains how

DFID will support the partner Government’s own poverty strategy. In countries in which a PRSP

is available and DFID is confident that it reflects the country’s intentions, the CAP will be largely

based on the country’s PRSP.“Change forecasts”with attendant“change indicators”will describe

how actions in the CAP will contribute to the country’s own PRSP targets. In countries where

there is no PRSP, or there is a PRSP but DFID judges that it does not serve as a viable basis for

development cooperation, the CAP will detail actions to be taken to continue engagement with

government and maintain investment through non―government organisations. Importantly, the

CAP will give data on country’s progress against key MDG target areas, thus also illustrating the

strengths and weaknesses in local data collection systems. CAPs will be used both as a forward

planning document(something that CSPs and the Annual Plans for Policies and Resources have

achieved in the past)as well as evaluations of performance. This will provide a country level basis

for DFID’s outcome based monitoring of its programmes.

2004年6月 第19号 137

Page 18: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

Secretary of StateSpecial Advisors

Information

Director-General�(Resources)�

Director-General�(Programmes)�

Permanent Secretary

Permanent Under�Secretary of State

Civil�Society

Africa Asia�&�

the Pacific

Eastern Europe�&�

Western�Hemisphere

International

International�Economic�Policy

International�Financial�Institutions

International�Trade

Human�Resources

Finance�and�

Development�Policy

Economics,�Statistics &�Enterprise

Rural�Livelihoods�

&�Environment

Health and population�*�

Education *�

Social development *�

Infrastructure &�Urban develop. *�

Governance *�

Environment�Policy

Informa�-tion�Systems

Statistics *�

Economic�Policy &�Pesearch

Enterprise�Development *�

Development�Policy

Private Sector

Finance

Accounts

Evaluation

Internal Audit

Procurement

Human�Resources�Operations

Human�Resources�Policy

Overseas�Pensions

United Nations &�Commonweath

European Union

Conflict and�Humanitarian�Affairs

Central &South�Eastern EuropeEastern Europe�& Central Asia

Latin America &�Caribbean

Western Hemi-�sphere&Eastern�

Europe�EconomicsOverseas�

Territories Unit

Overseas�Offices

DFID Caribbean

Western AsiaAfrica Greater�Horn

Africa Policy &�Economies

West and North�Africa

Eastern Asia &�Pacific

Asia Regional &�Economic Policy

Overseas�Offices

Overseas�OfficesDFID: DFID:

・India�・Bangladesh�・Nepal�・Pacific�・S.E.Asia

・Southern� Africa�・Eastern� Africa�・Tanzania�・Uganda�・Central� Africa�・Malawi�・Mozambique�・Nigeria�・Zambia

Members of DFID Management BoardProfessional advisory groups

N.B. Only overseas offices with delegated financial authority are listed.

Rural�Livelihoods

*�

ていた。

オペレーションを行う組織としては、3つの地

域局(アフリカ、アジア・太平洋、東欧・西半

球)、国際局及び市民社会局から構成されるプロ

グラム総局、並びに財務・開発政策、経済・統

計・企業、人的資源、農村生活・環境、保健・人

口・教育、社会開発、インフラ・都市開発

(IUDD)、ガバナンスの各分野別局から構成さ

れるリソース総局の2大総局編成となっており、

これを統括するのが事務次官(Permanent Secre-

tary)であった。

3.プログラム総局の3地域局の下には海外事

務所が置かれ、また国際局には国連・英連邦、世

界銀行等国際金融機関(IFI)、EU、及び紛争・

人道関連の各部が設けられた。

またリソース総局の中で、財務・開発政策局に

は開発政策、財務・会計、内部監査、調達、及び

評価の各部が、経済・統計・企業局には統計、経

済政策、研究、国際経済政策、企業開発、民間セ

クター、国際貿易の各部が置かれた。

4.海外開発庁からDFIDに再編成されるにあ

たっては;

(1)リソース総局の中に国際経済政策部、国際

貿易部が設けられ、国際経済・貿易に係る政策立

案、他省庁への提言・働きかけを行っていく体制

が整備されたこと(国際貿易部には貿易産業省

(DTI)から多くの専門家が出向してきて活動を

支えた)。

図表11 DFID組織図�(2001年9月時点)

出所)OECD DAC(2002b)

138 開発金融研究所報

Page 19: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

SECRETARY OF STATE�FOR INTERNATIONAL�DEVELOPMENT�Hilary Benn MP

Principal Private Secretary�Moazzam Malik

PARLIAMENTARY UNDER�SECRETARY OF STATE�Gareth R Thomas MP

Parliamentary Private�Secretaries to the�Secretary of State�Dr Ashok Kumar MP�Tom Levitt MP

House of Lords�Spokesperson�Baroness Amos

Liaison Peer�Baroness Whitaker

Special Advisers�Alex Evans�Beatrice Stem

PERMANENT�SECRETARY�Suma Chakrabarti

Non-Executive Directors�Nemat Shafik, Bill Griffiths

Director General for�Regional Programmes�Nicola Brewer CMG

Director General for�Policy and�International�Masood Ahmed

Director General for�Corporate�

Performance and�Knowledge Sharing�Mark Lowcock

Africa Division�Director: Graham Stegmann

Asia and Pacific Division�Director: Martin Dinham CBE

Europe, Middle East and�Americas Division�

Director: Carolyn Miller

Policy Division�Director: Sharon White

Office of the Chief�Advisers

International Division�Director: Peter Grant

Finance and Corporate�Performance Division�Director: Richard Calvert

Human Resources�Division�

Director: Dave Fish

Information, Knowledge�and Communications�

Division�Director: Owen Barder

Evaluation Dept�Head: Mike Hammond

Private Sector�Infrastructure/CDC�Department�

Head: Gavin McGillivray

(2)プログラム総局の国際局に紛争と人道支援

をリンクする部署(Conflict and Humanitarian

Affairs Department: CHAD)を設けたこと、

などの新たな変更があったが、全体として国内外

の開発関連組織とのパートナーシップ強化、貧困

削減を基軸とする政策一貫性を追求するための体

制強化が目指された。

なお、1997年から2002年までの段階では、ま

だ政策を横断的に見る体制は整備されておらず、

リソース部の開発政策、国際経済政策、セクター

別各部における政策担当セクション、或いはプロ

グラム局の各地域局に政策担当部署が散在してい

た。

5.以上のような体制に対して、貧困削減目的

を組織的に浸透、徹底させ、DFIDの本来の設立

趣旨を実現させるため、2003年3月にさらに大

きな組織再編が実施された。

この新たな再編では、DFIDの開発政策機能を

統合するとともに、組織をセクター別構成から横

図表12 DFID組織図�(2004年4月現在)

出所)DFIDホームページ(http://www.dfid.uk/)

2004年6月 第19号 139

Page 20: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

断的テーマ(Multi―disciplinary)別の編成に変

えることとなった。

2003年の組織改革以降におけるDFIDの組織図

は図表12の通りであるが、これまでのプログラ

ム、リソース2つの総局体制から、地域プログラ

ム総局、政策・国際総局、コーポレートパフォー

マンス・ナレッジシェアリング総局の3総局体制

に変更された。

このうち地域プログラム総局は、もとのプログ

ラム総局のうち3地域局が編入されたもので、地

域局としての基本的変更はない。

6.今回の組織改革の1つの目玉は政策・国際

総局であるが、政策局、国際局、チーフアドバイ

ザー局(Office of Chief Advisors)の3局からな

り、このうち政策局は次の3つのハブから構成さ

れている。

�成長ハブ:

農業、投資、競争、ビジネス開発、金融シス

テム、プログラムマネージメント、公共資金

管理、マクロ経済シナリオ、貧困・社会イン

パクト分析、援助効率性を取り扱う。

�戦略挑戦ハブ:

グローバル・ローカル環境、都市・農村変

化、最貧層への対応、低パフォーマンス国

(poor―performer)への対応、移民、変化

に対するドライバー、腐敗に対する対応、紛

争を取り扱う。

�ミレニアム開発目標(MDG)ハブ:

エネルギー・鉱業、人的資本、サービスデリ

バリー、医薬品アクセス、グローバル保健イ

ニシアチブ、エイズ、万人のための教育等を

取り扱う。

各ハブは横断的なテーマ別のグループ課題設定を

行い、DFIDが貧困削減を行っていくにあたって

のエンジン機能を与えられている。

7.他方国際局は、基本的にもとのプログラム

総局国際局の機能をそのまま引き継いでいる。

また、もともと財務・開発政策局にあった評価

部、経済・統計・企業局にあった企業開発・民間

セクターの各部およびインフラ・都市開発部は編

成され直して、コーポレートパフォーマンス・ナ

レッジシェアリング総局の下に評価部、民間セク

ターインフラ・CDC部として組み込まれること

となった。

この他同総局には財務・コーポレートパフォー

マンス、人的資源、および情報・ナレッジコミュ

ニケーション(NGO、市民団体との関係もここ

で扱う)の各局が入った。

なお、旧来のセクター別局は、前述のように政

策局の中にテーマ横断的に再編されたが、セク

ター別課題をフォローする体制を残すため、チー

フアドバイザー局にセクター別アドバイザーを置

くこととなった。

8.以上のような大規模な組織改革は、DFIDの

組織目標により良く対応するという意味でロジカ

ルなものであるが、セクター別部署編成に慣れた

内部の職員にはまだ新しい体制への当惑も残って

いるようである。

DFIDの事務次官は1997年のDFID設立以降

ジョン・バーカー卿(Sir John Vereker)*8が勤め

てきたが、同氏の退官とともに2002年からはそ

れまでDFIDの地域プログラム総局長だったスー

マ・チャクラバルティ(Suma Chakrabarti)氏が

引き継いで今日に至っている。

2003年の組織改革もチャクラバルティ氏の主

導により行われたものである。

9.なお、DFIDの職員数は1997年以降増加傾向

にある。サッチャー政権の下で海外開発庁の職員

数は大幅に削減されたが(1978年末の約2,300名

が1988年末には約1,500名まで減少)、2000年末

には2,259名まで回復した。

また、サッチャー政権は、政府機関がロンドン

に集中している状況を緩和する一環として1981

年から海外開発庁の一部をスコットランドの

East Kilbride(Glasgow近郊)に移し始めたが、

労働党政権も1997年以降その政策を継承し、既

に500人近い職員が同地に移っている(人的資源、

財務、内部監査、海外年金、評価、調達等の各

*8 2002年4月、バミューダ諸島の総督に任命された

140 開発金融研究所報

Page 21: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

〈開発目標設定〉�

〈政策・予算目標とのつながり〉�

国際開発目標�

国別戦略書� 組織戦略書�目標戦略書�

サービス提供協定�公共サービス協定�

(対象期間3年)�

(Public Service Agreement=PSA)�

(International Development Targets=IDT)�

(Service Delivery Agreement=SDA)�

(Target Strategy Paper)� (Country Strategy Paper)�(Institutional Strategy Paper)�

…ミレニアム開発目標(MDG)�

部)。ただ、この分割はコミュニケーションの問

題も含め、批判も内部にはあるようである。

第6章 援助のパフォーマンス評価に向けて

1.国際開発目標と公共サービス協定

(1)英国の援助においても、従来援助の効果に

ついては個別プロジェクトの評価を主体にイン

プット・アウトプットの量の観点から評価されて

いた。よりマクロ・レベルでも、GNP比でODA

がどの程度供与されたかというような評価に基づ

き、援助の進むべき方向について議論がなされて

きた。

ブレア労働党政権の登場により国際開発大臣と

なったクレア・ショートは、既に野党時代から

OECDの21世紀開発戦略策定を踏まえて、国際開

発目標(International Development Targets:

IDT)の熱心な「唱道者」となっていた。このこ

とから同氏は、貧困削減をコアの援助目標としつ

つ、援助のパフォーマンスをIDT、後のミレニア

ム開発目標(MDG)達成にどの程度貢献したか、

その成果との関係で評価していこうという立場を

表明した。

この結果、クレア・ショートの下で最初に出さ

れた1997年のDFID国際開発白書では、IDTを

DFIDの活動フレームワークに組み込んでいくこ

とを明らかにし、以後IDTとDFIDの具体的活動

をリンクしていく努力が続けられた。

(2)1999年以降は、これに加えてDFIDは公共

サービス協定(Public Service Agreement: PSA)

を策定することを大蔵省に求められることとなっ

た。これは英国の全省庁に課せられることとなっ

た協定で、それぞれの政策目標に対し、如何に目

標を達成するかを示す政策の実施計画の位置付け

を有する。また、PSAは予算の使用に対するパ

フォーマンスを見ていくという役割も果たす。こ

のため、IDTに示される目標がPSAに反映される

こととなった(図表13)。

なお、PSAには、その技術的注釈としてサー

ビス提供協定(Service Delivery Agreement:

SDA)が添付されることになっている。また、

図表13 国際開発目標(IDT)と公共サービス協定(PSA)

出所)国際協力銀行作成

2004年6月 第19号 141

Page 22: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

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PSAは3年間を対象期間としてローリングして

いくこととなっており、2002年7月には第3次

PSA(2003~2005年度が対象)が出されている

(コラム4参照)。

(3)PSA/SDAのスキームは目標達成度を厳格

に管理していく上で有用と評価されている一方

で、目標を過度に使用することへの弊害も指摘さ

れている。

DFIDの援助においても、IDTの一連のプロセ

スとPSA/SDAが、DFIDの組織と活動目標を中

期タームで明確に設定していく上で貢献している

と見られているが、途上国の開発がそもそも複雑

な因果関係により進んでいくものであり、DFID

自身がコントロールできる範囲が限られているこ

と、IDTのどの部分をDFIDの貢献とし或いは失

敗とするか、判定することが難しいことも明らか

である。

特にDFIDが対象としている多くの援助受取国

は、目標計測のベースとなる信頼すべき統計デー

タがとれない国が多く、目標そのもの、或いは達

成度の把握自体が困難な場合が多い*9。

MDGの目標にしても、多くの国に分かれ実施能

力が脆弱なサブサハラ諸国を相手にするよりも、

貧困人口が多く実施能力が高い中国やインドに努

力を集中したり、貧困層でなく、より豊かな階層

の社会指標改善を図るだけでも、相当程度目標は

達成されてしまうはずとの考え方も有り得る。

この意味でも、こうした目標管理をどの程度、

如何に行っていくことが現実的であるかは、

DFIDとしても今後さらに検討していくべき課題

となっている。

(4)IDT/PSAの試みは、英国におけるニューパ

ブリックマネージメント(NPM)の興隆に即し

た動きであり、公的セクターの経営効率化に向け

て政策評価の徹底を行い、各公的機関がそれぞれ

の政策目標を明示し、その達成度を指標に基づき

評価していくという方向性を、DFIDとしても援

助の世界で実施していくというものであった。

しかし一方で、対象が広大で、援助ドナーを含

め多くの活動主体の存在する途上国向けの援助に

おいて、このような目標に対する�result―ori-ented�な成果評価を行っていくことは、技術的に多くの難しい課題をはらんでいることも確かで

ある。

DFIDが敢えて他ドナーにも先駆ける形でこの

ような道に進んでいったのは、英国が途上国援助

の世界でリーダーの立場を担い、途上国の開発を

自らが関わっている自国の援助の世界に留まら

ず、総体として理解し関与していくという気概を

示したものとも言えよう。

技術的困難のあることは当然として、ドナーと

してこのような努力を行っていくことは十分意義

のあることであり、その発想から日本として学ぶ

べきところも多々あると思われる。

2.DFIDのパフォーマンス評価に対するモニタ

リング体制

(1)DFIDの中で、以上のような指標に基づく

成果を評価しているのは、コーポレート・パ

フォーマンス・ナレッジ・シェアリング総局内に

ある評価部(Evaluation Department)である。

DFIDの評価でも、1990年代初めの段階におい

ては、援助予算が減る中で説明責任を果たそうと

して、結果的に「手続き的なこと」ばかり強調す

るペーパーが作り続けられたと言われる。1990

年代半ばには、個別案件の事後評価をするだけで

は組織としての経験を政策上十分フィードバック

できないという問題意識が高まってきた。このた

め、セクター別などの形で複数の完成案件に対す

る集合的評価(Cluster Evaluation)を図るよう

になり、これによりセクター・国別開発戦略に貢

献しようと考えられた。しかし、これもまだ事後

の評価に留まっていた。

(2)これに対し、1997年以降はIDTに基づきつ

つ評価指標を具体的に定めて、事前評価と事後評

価をよりシステマティックに行い、国別・セク

ター別の戦略に評価結果を直接的に反映させやす

い体制を作っていくこととなった。

*9 DFIDはPSAの下でNAO(National Audit Office)の監査を受けることとなっている。2002年の監査でNAOはDFIDの1997年

以降の活動を全般として好意的に評価したが、一方でDFIDが測定可能で成果を評価しやすい目標設定をする上で困難に直面

していると指摘している。

142 開発金融研究所報

Page 23: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

この作業の流れの中で、評価部は1999年から

の第1次、 第2次PSA策定も行うこととなった。

しかしもともと評価部自体小さな所帯であり、

DFID全体の目標設定まで行うことは無理がある

という判断から、2002年に就任したチャクラバ

ティ新次官の指示で、PSA作成そのものは新た

に財務・コーポレートパフォーマンス局の中に設

けられた「パフォーマンス・効果部」に移管され

た。これにより評価部自体はより本来業務たる評

価作業そのものに専念できることとなった。

なお、評価作業の量が大幅に増加し、また求め

られる質も高まっている中で、DFIDは2001年か

ら各評価作業の技術的側面については外注するこ

とになった。最初の3年間はPARC(Perform-

ance Assessment Resource Centre)に委託を

行っている。

コラム4:公共サービス協定 2003―2006*10

Aim:Eliminate poverty in poorer countries in particular through achievement by2015of the Millennium Devel-

opment Goals:

a. Eradication of extreme poverty and hunger

b. Achievement of universal primary education

c. Promotion of gender equality and empowerment of women

d. Reduced child mortality

e. Improved maternal health

f. Combating HIV/AIDS, malaria and other diseases

g. Ensuring environmental sustainability

h. A global partnership for development

OBJECTIVES AND PERFORMANCE TARGETS

Objective1: Reduce poverty Sub Saharan Africa

1: Progress towards the MDGs in16key countries demonstrated by:

・a sustainable reduction in the proportion of people living in poverty from48% across the entire region;

・an increase in primary school enrolment from58% to72% and an increase in the ratio of girls to boys enrolled

in primary school from89% to96%

・a reduction in under―5mortality rates for girls and boys from158per1000live births; an increase in the

proportion of births by skilled birth attendants from49% to67%; and a reduction in the proportion of15―24

year old pregnant women with HIV from 16%;

・improved effectiveness of the UK contribution to conflict prevention and management as demonstrated by a

reduction in the number of people whose lives are affected by violent conflict, where the UK can make a

significant contribution. JOINT TARGET WITH FCO AND MOD; and

・effective implementation of the G8Aciton Plan for Africa in support of enhanced partnership at the regional

and country level.

Objective II: Reduce poverty in Asia

2: Progress towards the MDGs in4key countries demonstrated by:

・a sutainable reduction in the proportion of people living in poverty from15% to10% in East Asia and the

Pacific and40% to32% in South Asia;

*10 2000年を基準として設定された2006年の目標値

2004年6月 第19号 143

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第7章 DFIDの分権化

1.アウト・ソーシング

(1)既に海外開発庁(ODA)時代から、調達、

貸付(ディスバース)、案件監理の大半はクラウ

ン・エージェンツ社に業務を委託していた。この

他評価業務を含め、現在では多くの業務を外部委

託している。

他方、国・地域別の政策立案を含むオペレー

ション業務については、1990年代初めより海外

事務所への権限委譲の案が検討されていたが、

1997年に至るまで基本的にはロンドンの本部が

・an increase in gross primary school enrolment from95% to 100% and an increase in the ratio of girls to boys

enrolled in school in primary school from87% to94%;

・a reduction in under5mortality rates for girls and boys from92per1000live births to68per1000; and an

increase in the proportion of births assisted by skilled birth attendants from39% to57%; and

・prevalence rates of HIV infection in vulnerable groups being below5%; and a tuberculosis case detection rate

above 70% and cure treatment rate greater than85% are achived.

Objective III: Reduce poverty in Europe, Central Asia, Latin America, the Caribbean, the Middle East and North

Africa.

Objective IV: Increase the impact of key multilateral agencies in reducing poverty and effective response to

conflict and humanitarian crises

3. Improved effectiveness of the international system as demonstrated by:

・a greater impact of EC external programmes on poverty reduction including through working for agreement

to increase the proportion of EC ODA to low income countries from38% to70%; and

・ensuring that three―quarters of all eligible HIPC countries committed to poverty reduction receive irrevocable

debt relief by2006and work with international partners to make progress towards the United Nations2015

Millennium Development Goals. JOINT TARGET WITH HM TREASURY

4. Secure agreement by2005to a significant reduction in trade barriers leading to improved trading opporunities

for the UK and developing countries. JOINT TARGET WITH DTI AND FCO.

Objective V: Develop evidence―based, innovative approaches to international development

Value for money

5: Increase the proportion of DFID’s bilateral programme going to low income countries from78% to90% and a

sustained increase in the index of DFID’s bilateral projects evaluated as successful

WHO IS RESPONSIBLE FOR DELIVERY?

The Secretary of State for International Development is responsible for the delivery of this PSA. The Secretary

of State for International Development is jointly responsible for a number of targets in the PSA: with the Foreign

Secretary and Secretary of State for Defense for the target on conflict prevention; with the Foreign Secretary

and the Secretary of State for Trade and Industry for the target on trade; and with the Chancellor of the

Exchequer for the debt relief and Millennium Development Goal element of target 3, who also shares

responsibility for agreed measures to improve the effectiveness of the EC external cooperation programme.

出所)DFID(2003)

144 開発金融研究所報

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担ってきた(バングラデシュ、バルバドスの2カ

国については、現地事務所に大幅な手続きの権限

委譲が早くからなされていた)。

(2)1997年、海外開発庁がDFIDに再編される

とともに、DFIDの体制の分権化を本格化すべし

との議論がさらに高まってくることになった。こ

の場合、単に手続き的な話に留まらず、国・地域

別の政策形成に関しても現地事務所への権限委譲

を行うところまで話は広がっていった。

この議論の結果として海外事務所にはより多く

の責任と権限が与えられることとなるが、まず試

行的な試みとして、2000年において東・南部ア

フリカの5つの事務所に対して調達、案件監理の

責任・権限を委ねることとなった。またインド事

務所でも、現地事務所における契約権限(local

contracting)が与えられた。

(3)その後ガーナ、ナイジェリア、ベトナムな

どでも順次事務所への権限委譲が進められてきて

いる。ただし、こうした分権化は各事務所におい

て一様のスピード、内容で進んでいるというより

も、事務所によってかなり異なっているというの

が実情である。

分権化の効果も事務所によってまちまちで、例

えばナイジェリア事務所では権限委譲が早くから

進められたが、その後いくつもの問題が発生し、

委譲のペースが停滞している。一方でガーナ事務

所は、より長い時間をかけて委譲の準備を行った

が、委譲が開始されてからは順調に委譲範囲の拡

大が行われている(2002年9月に委譲手続き完

了)。

(4)こうした分権化には、DFID本省でも部署

によってはその促進に困難を感じている面もある

ようである。例えば民間セクターインフラ・

CDC部は、事務所側で民間セクター支援業務に

あまり馴染みのないスタッフが多く、事務所側に

同業務の重要性、分権化の必要性を理解させるの

に苦労しているようである。またアフリカ局など

では、局内のスタッフが減る一方、分権化は進み

つつあるとは言え、多くの事務所を抱えてそのマ

ネージメントにしわ寄せが生じ、DFID以外の行

政府との調整に十分な人・時間をかけられない状

況も生じているということである。

このような状況を踏まえると、分権化の効果を

正確に把握するのには、今しばらく時間がかかり

そうである。

2.DFIDの海外事務所ネットワーク

(1)図表14に示すように、DFIDの海外事務所

は全体で46カ所あるが、国・地域事務所とフィー

ルドオフィスに大別される。

フィールドオフィスは、国別プログラムが小さ

く、駐在員に与えられる権限が少ない。逆に地域

事務所とロンドン本省が直轄している部分が多い

ことを示している。当然、駐在員の人数もその分

少なく、通常現地英国大使館内にDFID事務所が

併設され、独立した事務所を構えていないことに

特徴がある。

国・地域事務所(全38カ所)については、南部

アフリカ、東南アジア、カリブ、太平洋事務所を

除き、国別事務所である。

一方フィールドオフィスは全部で8カ所ある

が、すべてアフリカに所在する。

アフリカにおいては全体で20の事務所があり、

海外事務所の半分近くを占める。基本的に東・南

部を中心に主として英語圏アフリカに事務所を置

いているが、モザンビーク、ルワンダ各事務所及

びアンゴラ、ブルンジ、コンゴ民主共和国の各

フィールドオフィスは、ポルトガル語圏、乃至仏

語圏にある。旧英領以外で事務所を置いていると

ころは、いずれも紛争が発生したか現在も紛争中

の国々であることに注目したい。

逆に旧英領ではあるが、シエラレオネ、リベリ

ア、ガンビア、モーリシャスには現在のところ事

務所は置かれていない(モーリシャスは途上国と

しては所得水準が高いため、援助対象国としてあ

まり位置付けられていないという事情があろう)。

(2)一方アジアでは、南アジアが中心となって

いる。インドでは、インド事務所に加えて4つの

州事務所を抱えている。その他にバングラデ

シュ、スリランカ、ネパール、アフガニスタンに

事務所を置いている。旧英領のミャンマーにはこ

れまでのところ事務所が置かれていない。

また東・東南アジアは、中国、ベトナム、カン

ボジア、及びインドネシアに事務所を置いている

が、日本が力を入れているASEAN諸国であるタ

イ、ラオス、マレーシア、フィリピンにはDFID

2004年6月 第19号 145

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の事務所はない。

(3)中南米は南米にブラジル、ボリビア、ペ

ルー、ガイアナ、中米・カリブではカリブ地域事

務所に加えて、ホンジュラス、ニカラグア、ジャ

マイカに事務所を擁している。

これ以外の地域としては、ロシア、ウクライナ

に事務所がある一方、中近東、北アフリカには事

務所を一つも置いていない。

第8章 人道援助及び紛争と開発

1.DFIDの人道支援政策と「新人道主義」

(1)英国も1997年以前は、人道・紛争支援に対

する政策、戦略はまだ明確ではなく、同分野にお

ける援助資金も少なかった。メージャー保守党政

権末期である1996年に同分野に対する新たな問

題意識のもとに戦略が打ち出され、1997年DFID

発足とともに労働党政権においてより組織的に対

応がなされていくこととなった。

(2)まず1990年代後半において認識された問題

意識であるが、これは政府の人道支援に対する以

下の2つの批判を踏まえたものであった。

� 1994年のルワンダ紛争など過去の紛争時

の援助に係る経験に基づけば、援助は紛争

をかえってあおることもあり、「人道、政

治、軍事的観点の一貫性」が必要。援助は

国際政治を司る主体によりしっかり管理さ

れるべき。

� 緊急支援は中長期的に現地の住民の置かれ

る状況を「脆弱」にしかねない。緊急支援

と持続的開発というコンセプトを設けるべ

き(スポット的支援から援助の目的をより

広い定義に置く)。

(3)英国政府は上記(2)��の批判を念頭に

置き、1996年のまだ保守党政権下において

チョーカー海外開発庁長官が持続的開発を政策に

織り込んだ新人道支援策を打ち出した。1992年

のリオデジャネイロにおける「環境と開発サミッ

ト」などで持続的開発の重要性が認識され、海外

開発庁の援助でも持続的開発がキーワードなって

きていたこともあり、これは自然な流れでもあっ

ただろう。

図表14 DFID海外事務所ネットワーク

アフリカ アジア・太平洋 欧州・中東欧・中南米

(国・地域事務所)ウガンダエチオピアガーナケニアザンビアジンバブウェタンザニアナイジェリア南部アフリカマラウィモザンビークルワンダ

(フィールドオフィス)アンゴラコンゴ民主共和国スワジランドソマリアナミビアブルンジボツワナレソト

(国・地域事務所)アフガニスタンインドインド アンドラプラデシュ州インド オリッサ州インド 西ベンガル州インド マディアプラデシュ州インドネシアカンボジアスリランカ太平洋中国東南アジアネパールパキスタンバングラデシュベトナム

(国・地域事務所)ウクライナカリブギアナジャマイカニカラグアブラジルペルーボリビアホンジュラスロシア

出所)DFIDホームページ(http://www.dfid.gov.uk/)

146 開発金融研究所報

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しかしながらその直後に保守党政権から労働党

政権に交替したことから、新人道支援策はDFID

の最初の長官(国際開発大臣)となったクレア・

ショートの下で整備・強化されることになった。

(4)新たな人道支援策は「新人道主義(New

Humanitarianism)」と 呼 ば れ、既 に1997年 の

DFID国際開発白書においてもこの言葉が言及さ

れているが、その意味するところは、人道支援を

単に緊急時の一過性支援としてのみでなく、紛争

や災害と絡めた持続的開発の観点でとらえ直し、

それらへの支援と人道援助を合体させようという

ということであった。特に援助政策アジェンダの

中に紛争削減を明示的に加え、紛争問題の解決そ

の後の復興に対して、英国として従来より尚一層

積極的に且つ組織的に対応していこうという姿勢

を示したことが重要である。

DFIDはその中核として、政治・軍事的リソー

スを英国が動かしていく上で触媒的役割を果たし

ていくことが期待された。

(5)1997年の白書での言及を手始めとして、

DFIDは新たな人道支援のコンセプト作りを進

め、その1つの成果として1998年4月にDFID人

道支援業務のガイダンスとして「新人道主義の10

の原則」が出された(ODI/ECHO(EU人道支援

局)会議でのクレア・ショートスピーチによる)。

(コラム5参照)

引き続き1999年には、紛争削減と人道支援ス

テートメントがDFIDより出されたが、これは紛

争削減戦略の目標設定により緊急援助、持続的平

和をDFIDとして目指すことを明らかにしたもの

である(紛争解決のための国際的メカニズム提案、

貧困国の不適切な軍事支出削減、紛争リスクアセ

スメント、適切な軍事力構築のためのアドバイス

等)。

(6)また2003年にDFIDは、「英国の対アフリカ

紛争予防戦略」を発表したが、これは特にアフリ

カの紛争国・地域であるシエラレオネ、スーダ

ン、アンゴラ、コンゴ民主共和国、ルワンダ、ブ

ルンジなどの「大湖」地域が対象国・地域になっ

ている。

2.紛争・人道支援部(CHAD)の設置

(1)以上のような新人道主義に基づく新たな人

道援助を行っていく基盤として、97年DFID設置

コラム5:新人道主義の10の原則

�Uphold international and human rights laws and conventions.�Promote a universal approach, and equal status and rights for all people in need.�Work with others tackling underlying causes of crisis and building peace and stability.�Work with other members of the international community, seeking partnerships across theNorth/South divide.

�Agree‘ground rules’that prevent the diversion of aid and collusion with unconstitutionalarmed groups.

�Be impartial, relieving suffering without discrimination, and prioritising the most urgent need.�Assess needs and have a clear framework of standards and accountability.�Encourage the participation of those affected by crisis to help them find long―term solutions.�Rebuild livelihoods and communities and build capacity so that communities will be lessvulnerable to future crises.

�Base decisions on explicit analysis of choices and ethical considerations and communicateconclusions openly to partners, recognising that humanitarian interventions in conflict situations

often pose genuine moral dilemmas.

出所)ODI/ECHO会議(1998年4月8日)でのクレア・ショートスピーチより

2004年6月 第19号 147

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に あ た っ て は、早 く もCHAD(Conflict &

Humanitarian Affairs Department)が国際局内

に設けられている。国際局にCHADが設けられ

たのは、従来人道援助が支援対象となる地域オペ

レーションの枠内でとらえられているところが多

かったのに対し、より政策作りの観点から見てい

こうとするものであった(かつてCHADの前身

部署も地域局の中に設けられていた)。

もちろんCHADになってからも、現実の支援

策の企画・遂行にあたってCHADと地域局の緊

密な連携が求められていることは当然である。

(2)CHADは現在43人程のスタッフを抱え、

�Global Institutions(対国際機関との関係)、

�Humanitarian Response(実施段階の対応)、

�Conflict & Security Policy(紛争と開発の原則、

戦略作り、紛争防止基金(Conflict Prevention

Pool)も管理)、�Arms Export Control(武器

削減)を担当している。

これらの活動においては、外務省、貿易産業

省、国防省との調整が重要なポイントになってい

る。DFIDの人道支援はかなりの部分が国連、

EU(ECHO)、国際赤十字やNGOを通して行わ

れている。また具体的な支援のオペレーションは

クラウン・エージェンツにもかなりの程度アウ

ト・ソーシングをしている。

3.人道支援の動向と課題

(1)英国は新人道主義の考え方に基づき、人道

支援に関しては世界の中でイニシアチブをとる存

在となってきている。

CHADの活動をベースとしつつ、英国はアフ

リカを中心に活発な援助活動を展開し、それを支

える形で大幅な予算増も実現した。現在英国の人

道援助額の規模は米国に次ぎ世界第2位になって

いる(2001年における英国の人道援助額は411百

万ドルであり、世界の人道援助総額の約1割を

担った)。

(2)現時点でDFIDの組織体制上問題となって

いるのは、CHADがいついかなる時点でどのよ

うに紛争・災害と復興活動に関わっていくのか、

地域局との境界線はどこに引かれるのか、明確な

ガイドラインが存在していないことである(例え

ばCHADはボスニア、コソボの復興には携わっ

たが、1997年の東南部アフリカの洪水、ソマリ

ア、スーダン、エチオピアにおける飢餓の問題で

は、CHADではなく地域局としてのアフリカ局

が関与した。依然地域局が自ら行う部分は大きい

というのが実情のようである。

(3)また紛争削減・人道支援の目標自体は明確

であっても、測定・評価可能な形とはまだなって

いない。国際的な定義も固まっておらず、ミレニ

アム開発目標(MDG)も人道支援に係る明示的

な目標設定をしていない。DFID自身が試行錯誤

の中で改善に向けた努力をしているというのが現

実である。

(4)人道援助の今後の取り組みにおいて、2001

年9月のニューヨークにおけるテロ事件以降の一

連の動きが大きな陰を投げかけていることは疑い

得ない。

DFID自身はアフリカにおける地道な人道支援

活動に精力を注ぎたいところであろうが、アフガ

ニスタン、そしてイラクにおける対テロ戦争、そ

してパレスチナにおける紛争の一層の激化という

大きな政治のうねりの中で、人道支援を持続的開

発との関連でどう扱っていくかは、更に大きな課

題となっている。このことはイラクを中心にブレ

ア政権が対米協力の形で軍事的関与を積極的に

行ってきただけに尚更である。ただし今のところ

アフガニスタン、イラク、パレスチナともに復興

に向けた問題解決の出口が見えていない中、

DFIDとしても明確な支援方針を打ち出せていな

い状況にある。

第9章 経済インフラ援助と民間セクター振興

1.DFIDの経済インフラ支援に係るスタンス

(1)英国の援助が貧困削減を究極的目標に据え、

教育・保健セクターへの援助の傾斜配分、セク

ター・ワイド・アプローチとプログラム援助の積

極的推進を行い、またPRSPへの関与を行ってい

る関係から、英国は経済インフラへの援助、そし

て同援助と経済成長の関連について軽視してきて

いるというイメージが日本では根強い。

このイメージはある程度当たっているところも

あるが、英国援助の実態をより良く理解するため

148 開発金融研究所報

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…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

には、もう少し掘り下げて見ていく必要がある。

すでに1980~1990年代前半の英国援助(DFID

以前)において、インフラ援助は英国の援助の中

でマイナーなシェアしか占めなくなっていた。逆

に1990年代末以降社会インフラの比率が高まっ

た。唯一、英国の輸出促進と結びついていた

ATP(援助貿易準備金)スキームの下で経済援

助が引き続き行われていたが、1997年の労働党

政権成立、援助改革の中でATPの廃止が決まり、

DFIDの中のインフラ援助関係者の間では、貧困

削減に焦点をあてることで経済インフラ支援が軽

視され、彼等の役割がマージナルとなってしまう

のではないかとの懸念が強まった。すなわち、

ATPの廃止により、インフラ部の存続が困難に

なるのではないという危惧があった。

(2)確かに英国のNGO、マスコミ等世論、労働

党政権の多くの政治家の間では、1990年代に入

りインフラ援助をODAの古い体質を示すもので、

今後は減らしていくべきものとの認識が広まって

いた。

しかしDFID大臣に就任したクレア・ショート

は、早い段階から貧困削減型経済成長の環境作り

が必要と認識し、そのための経済インフラ支援を

どのように行うべきか問題認識を持つに至ってい

た。

1997年の国際開発白書は「民間資金、投資を

基礎的インフラ(特に貧困住民に直接裨益するイ

ンフラ)に回すべき」との目標を設定したが、2002

年1月、DFIDとしてのインフラ戦略を示す

�Making Connections�のペーパーを出し、その中で貧困関連、バートナーシップに即した

�New Infrastructure Agenda�を打ち出し、よくデザインされたインフラ支援は継続すべきとの

スタンスを示した。ここにおいてクレア・ショー

トの関心は、大きなインフラの資金ニーズと限ら

れた公的資金の中で、どこまで援助で経済インフ

ラ支援をするかということに向かっていった。

ただ、DFIDとしての考え方は、あくまでも

DFIDの役割は民間セクターのインフラ投資を促

進するため投資リスクカバーと技術支援の両面で

触媒的役割を果たすということであった。その意

味では、日本などと異なり、ODA予算の大きな

部分を経済インフラ案件向けに改めて振り向ける

というものではなかった。

2.DFIDの経済インフラ支援体制

(1)こうしたインフラ支援を行う部門として、

DFID内には前述のようにIUDD(インフラ・都

市開発部)が設けられた。同部が中心となって、

新アジェンダの下でインフラを貧困コンテクスト

で新たな位置付けをする可能性が出てきた。ただ

し、当初リソース総局にあったIUDDはその後

2002年に民間セクターインフラ・CDC部に変

更・再編されることとなり(コーポレート・パ

フォーマンス・ナレッジシェアリング総局内)、

DFID組織内でややマイナーな扱いを受けている

感は否めない。(なお、都市開発は主として政策

局の中のGlobal & Local Environment Urban

and Rural Changeのグループに吸収されたと思

われる。)

(2)民間セクターによるインフラ整備の支援に

ついては具体的にはまず、1999年7月に民活イ

ンフラ・アドバイザリー・ファシリティー

(Pubic―Private Infrastructure Advisory Facil-

ity:PPIAF)*11をインフラ支援の中核として設け

た。PPIAFは、民間セクターが途上国のインフ

ラ投資を盛んにするよう図るものであり、特に途

上国政府の民間資金引き込みのためのインフラ戦

略作りの技術支援を主業務としている。

2003年時点で既に11の他ドナーの参画も得、か

なり成功したと見なされている(2003年現在の

ドナーは、日本、英国、ドイツ、フランス、カナ

ダ、スイス、ノルウェー、オランダ、スウェーデ

ン、世銀、ADB、UNDPである)。

(3)また同じく1999年にDFIDはPPIAFに対し

て「アフリカ・インフラ基金(Africa Infrastruc-

ture Fund)」に係るスタディーをするよう依頼。

この結果、2002年1月に�Emerging Africa In-frastructure Fund(EAIF)�を創設した(DFIDの100百万ドルの出資、並びに3開発金融機関(オ

*11 1996年に日本が提唱した「民活インフラ促進のためのアクションプログラム」を継承し、世銀とも協調しつつ日・英の共同イ

ニシアチブの下で創設された。

2004年6月 第19号 149

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ランダFMO、ドイツDEG、南アフリカDBSA)

の劣後出資85百万ドル、及びスタンダード銀行と

バークレイズ銀行の貸付金120百万ドルで構成さ

れる)。 EAIFは官民パートナーシップに基づき、

サブサハラアフリカにおける経済開発のためのイ

ンフラ整備促進を目指すもので、入札の結果スタ

ンダード銀行グループが運営を受注した。

EAIFは期間15年までの主にドル建て長期ロー

ンを民間に提供するとともに、地場銀行のローカ

ルファイナンスを保証する。

(4)2003年3月のDFID体制変更により(国際

局設置)、インフラ援助政策を直接統括する部署

は政策部門には存在しなくなり、前述のように民

間インフラ・CDC部がオペレーションを含め見

ることとなっている(あくまでも民間投資を前

提)。ただし第5章で述べたように政策局の中に

横断的テーマを見る複数グループが設けられてい

る中で「成長ハブ」があり、一般論としては貧困

削減コンテクストを前提として、経済成長とイン

フラの関係を見ていく体制とはなっている。

3.CDCの民営化

(1)英連邦開発公社(Commonwealth Develop-

ment Corporation:CDC)は1948年に設立され

た植民地開発公社をその前身とし、1953年に英

連邦開発金融公社(CDFC)が設立され、その後

変遷しながら今日に至っている。DFID自身が公

的セクターとしての経済インフラ援助はあまり行

わない中、民間セクターを通じたインフラ開発を

支援するという意味でCDCの役割は益々大きく

なっている。もともとCDCは100%英国政府出資

の公的機関であるが、労働党は政権に就いた直後

からCDCを部分民営化させ、これによりCDCの

財務基盤を強化して途上国向け民間投資を活発化

しようと考えた。

(2)まず1997年10月にはCDCの株のうち60%を

売却するブレア首相方針が示された(この時点で

CDCは16億ポンド、404事業、54カ国への出資を

行っていた)。

英国政府の調査の結果としてCDCは既存の組

織マンデートに縛られており、もし公共セクター

の中に留まっているとしたら、公共部門借入所要

額(Public Sector Borrowing Requirements:

PSBR)の関係で、CDCは商業借り入れは出来る

ものの、英国内で資金調達し途上国に出資すると

PSBR上マイナスにカウントされる(その分DFID

の開発資金配分が減らされる)ことが判明。すな

わち既存の枠組みでは、CDCの活動を活性化し

ようにも困難であることが認識された。

これを克服するためには、長期的な官民パート

ナーシップ(PPP)の形態が好ましく、�公共機

関から株式会社(Public Limited Company:

PLC)への転換および�貸付政策の変更が求めら

れた。

(3)1999年7月には、1年半に及ぶ議会審議を

経てCDCをPLCに移行するための法案がエリザ

ベス女王の同意を経て成立した(CDC Act1999)。

CDCは、PLCに組織体制が変わった後3年程度

で民間に株を売却することを目指した。

2000年には、CDC Capital Partnersに改組さ

れ、カイロ、メキシコシティー、ラゴス、北京に

海外支店を、またマイアミ、シンガポール、ワシ

ントンDCに事務所を開くに至った。

さらにCDCの株式の民間移譲を進めるため、

ゴールドマンサックスに務めていたアラン・ギレ

スピー(Alan Gillespie)氏をCDC代表に雇用、

同氏は2001年よりロンドン・シティーの投資家

と数次にわたり協議、CDC株の民間への売却、

CDCを民間にとって魅力的にするための方策に

ついて協議した。しかし結局は2001年まで赤字

経営であったことに加えて2001年9月の米国同

時多発テロ、米国エンロン社破産、英国政府の他

のPPP案件(鉄道など)の失敗が続き、民間投資

家の関心を引くことが出来ず、CDC株放出は困

難な状況が続いた。

(4)2002年7月の英国政府の国際開発委員会会

議においては、「CDCはアフリカ貧困国、農業と

いう重要地域、分野でマンデートを果たしておら

ず、むしろ通信やショッピングセンター、火力発

電など民間と競合するような分野に関与してい

る」という非難も浴びることとなった。

このように、CDCを民営化するという構想は

中途であるが、2004年には、DFIDの管轄下に

Actis(持ち株会社)を設立し、CDCの10百万ポ

ンドの出資金(利益処分より計上)を保有する形

態(1株の黄金株を含む)でCDC Groupも設立

150 開発金融研究所報

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…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

し、PPPを具現化した。CDCは当面政府機関と

して引き続き業務を継続し、将来的に民間にとり

魅力的なものとした上で、民間資金取り込みを改

めて図ることとしている。

いずれにせよ、民間投資家が特定セクター・地

域への出資には関心を持つとしても、開発目的と

同様の途上国一般の広いポートフォリオへの投資

には消極的であることが鮮明となった。

(5)CDC民営化に係るいきさつを見ると、日本

がこれまで主張してきているように、途上国の経

済成長・貧困削減のプロセスの中で公的援助資金

が民間資金とともに補完的役割を引き続き果たし

ていくべきことを象徴しているように思われる。

DFIDとしても公的セクターのあり方という点で

さらなる検討が望まれよう。

第10章 貿易政策と開発援助のリンケージ強化

1.1997年以前(海外開発庁時代)

(1)英国の1997年以前における援助実施機関で

あった海外開発庁(ODA)は、1990年代半ばま

で貿易問題にはあまり関心がなく、貿易にかかる

取り組みは少なかった。むしろ当時は、開発にか

かるすべての側面に同庁が責任を有するとはとら

えていなかった。

EU関税同盟のメンバー国として、既に1973年

には英国は独自の貿易政策を放棄していた。EU

は特にACP(アフリカ・カリブ・太平洋)諸国

との関係で特恵政策、貿易振興支援などで貿易問

題に積極的に関わりを持っていた。しかし英国政

府自身はEUのACP貿易支援には関心が薄く、海

外開発庁も貿易面の協力の動きは鈍かった。

(2)当時は貿易政策は貿易産業省(DTI)を中

心とする行政側と国内産業界の調整を行う「国内

問題」と考えられていた*12。ただ、1980年代の

ワシントンコンセンサスにおいて、途上国の市場

を開き、国際市場と向き合うべきとの考え方が主

流となっていく中で、国際市場と途上国開発政策

がお互いに影響を与え合うという問題意識は徐々

に深まっていった(特に途上国の輸出促進)。

この関連で海外開発庁は、EU統合の効果、ウ

ルグアイ・ラウンドの効果に対する調査を1991

~1992年に行うなど若干の貿易関連の活動を

行った。1996年には同庁は「持続的開発のため

の国際政策」を正式に援助目標として掲げること

となったが、このうち貿易政策との関連で海外開

発庁内に�Trade and Development Unit�を設けている。ただ同庁は、通常国別プログラムに基

づき援助を「技術的」に企画・実施しており、貿

易のようなクロスカッティングな課題の取り扱い

は苦手だった。こうした傾向はDFIDになってか

らも体制内部の話としては根本的に変化した訳で

はない。

2.1997年の援助改革と貿易

(1)1997年に労働党政権が樹立し、DFIDが設

立されるとともに貿易を巡る取り扱いが大きく変

化する。新政権のもとでDFIDは政策立案上広い

権限が与えられ、その中には貿易政策も含められ

ることとなった。

DFIDには国際経済政策部(IEPD)が設けら

れたが、同部はクレア・ショートに「1999年12

月からの新貿易ラウンド(ドーハ・ラウンド)で

は、貿易問題に開発的側面を焦点として当て、

『開発ラウンド』とすべき」と進言した。クレア・

ショートはこの考え方に基づき、貿易大臣ではな

かったが、積極的に英国政府内部の関連会議や

EUの貿易関連会議等多国間会議の場に参加し、

開発の立場から発言した。1999年のシアトル

WTO会合にも開発大臣として出席している。

1999年よりは�Building Trade Capacity�を合言葉にDFIDは途上国が貿易交渉に関わり、貿

易利益を確保していくよう途上国側を強くサポー

トするとともに、貿易新体制の構築に係る調査分

析を継続的に行い、貿易分野におけるグッドガバ

ナンス、効果的政策作りを目指した。

(2)これらの成果の下に、DFIDはEUとは立場

*12 特に英国内では、DTI、外務省(FCO)、環境・食糧・農村地域省(DEFRA)、大蔵省が貿易政策に関与、必要に応じた調整

を調整委員会を通じて行っていた(1997年以前、海外開発庁はFCOの一部であり、同委員会に対しても直接代表としての参

加はなかった)。

2004年6月 第19号 151

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を異にした英国としての独自の貿易政策を推進す

ることとなった。ただ、DFIDも1997年の白書で

はまだ貿易を明示的に扱ってはいなかった(英政

府内での調整に至っていなかったため)。

しかし、2000年の白書では、貿易・国際資本

移動を開発上の中心テーマの1つとして採り上げ

た。貿易は貧困削減と直接リンクしないが、間接

的経路で大きなインパクトを与えると認識し、

DFIDは、貿易が開発上ポジティブな効果をもた

らすよう、新たな貿易の体制作りと途上国の貿易

に係るキャパシティービルディングに関与してい

くこととなる。

3.DFIDが貿易政策への関与を強化出来た背景

(1)DFIDになってなぜこれまでの英国援助の

活動から見ると異質な要素である貿易政策にこれ

ほど関与していくことが出来たのだろうか。

この点はまず労働党政権内に貿易をポジティブ

なものとしてとらえようとする動きもあったこと

が大きい。これは当時貿易について反グローバリ

ゼーションの立場から援助の中心課題の一つとし

て採り上げることに批判的だったNGOとは立場

を異にするものであった。1990年代において労

働党がまだ野党であった時代から、同党は学界関

係者も巻き込んで援助政策作りを図ったが、その

中で貿易問題のあり方についても積極的に検討

し、世界市場をガバナンスも含め改善していくこ

とにより途上国の開発に役立つものとしていこ

う、という考え方が形成されていった。

(2)特にクレア・ショートはこうした「進歩的」

な貿易と開発の考え方が強く、同大臣の強いリー

ダーシップの下で、DFIDがある意味では貿易産

業省や外務省が主管している領域にまで立ち入っ

て、貿易政策の立案、情報発信まで活発に関与し

ていったことが特筆される。

シアトルの1999年WTO会議ではクレア・

ショートが貿易産業大臣を差し置いて英国代表と

してのイニシアチブをとり、途上国の立場をサ

ポートした。結果としてWTO会議の先進国・途

上国対立が先鋭化し、そのために同会議がまとま

らず流れてしまったとの見方さえある。こうした

中、DFIDは英国の他省庁から「DFIDは途上国

の利益を代弁する唱道者」と見なされ、時には

DFIDに対する反発も見られたと言う。

(3)クレア・ショートの貿易イニシアチブを

DFID内で支えたのは上記の国際経済政策部、及

び1997年にともに設けられた国際貿易部であっ

た。

両部には大蔵省、外務省、貿易産業を含め、貿

易に係るエキスパートが数多く集まってきて、そ

の専門性を生かしながら、DFIDとしての貿易政

策を次々に立案していった。このプロセスで、貿

易産業省との協力関係は特に緊密であったと言わ

れる。

(4)EUは1997年以降その貿易政策を転換し、

ACP諸国を含め国・地域毎のFTA交渉を推進し

ていくことになった*13。

しかし、DFID自身はEUのこうした新たなイ

ニシアチブにはあまり貢献せず、むしろ国際貿易

全体の枠組み作りのため、WTOの場や世銀、

UNCTADとのコンタクトを通じて活発に活動を

展開していった。貿易のキャパシティービルディ

ングも、WTOなどの働きかけを進めつつ、EU

を通じてというよりも二国間ベースで行う道を選

んだ。

(5)DFIDのこうした貿易と開発にかかる活動

は当時非常にユニークなものであり、その分開発

の世界におけるインパクトも強かった。貧困国、

貧困層の立場を踏まえたpro―poorな貿易政策作

り、貿易における開発側面への配慮は、英国政府

内(貿易産業省も含め)はもとより世界の中でも

その後「常識」になっていった。NGOですら、

従来の反貿易・市場主義の立場を徐々に変え、慎

重な見方ながら貿易の側面をより前向きにとらえ

ていこうという気運を高まっている。

キャパシティービルディングについては、

DFID自身例えば、1999~2001年を対象期間とす

る貿易キャパシティービルディング・プログラム

を作っている。

*13 南ア、メキシコ、チリ(メルコスール)、地中海諸国等

152 開発金融研究所報

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4.今後の見通し

(1)DFIDの以上のようなイニシアチブは、大

きなインパクトをもたらしたが、今後もDFIDが

英国の貿易政策に大きなイニシアチブを持ち続け

ることが出来るかについては英国の関係者も疑問

を呈している。

� まず、DFID内の国際貿易部を牙城とした

「貿易派」はその後の人事異動でDFIDか

らその多くが去っていき、DFID自身のこ

の分野での専門的能力が低下している。

� また貿易産業省など他の省庁は、1997~

2000年の時点で、あまりリーダーシップ

を持ち得ない状況にあったが、DFIDがあ

まり強いリーダーシップをとることには抵

抗があり、その後他省庁の力も回復し、そ

の分相対的にもDFIDのこの分野での影響

力は低下してきている。

� これに加え、DFID内部で政策作りを行う

国際貿易局とオペレーションを行う他部局

(貿易キャパシティービルディングも実際

に行うのはこれらの部局である)の間の関

係は必ずしも円滑に行っていない。

特に地域局は、国別に案件を積み上げる傾向が

いまだに強く、且つ貿易についての知見が低いた

め、国別プログラムの中に貿易支援計画の案件を

取り込むことにあまり積極的でないと言われる

(むしろ国際貿易部が現地の状況をよく勘案しな

いで、政策作りをすることに反発もあった)。

もちろん、こうした状況は改善しつつあるが、

DFIDのオペレーション上貿易政策が主軸となる

ことはフィールドとの関係でも難しい面も多々あ

るようである。

(2)いずれにしても1997~2000年における

DFIDの貿易政策にかかるイニシアチブは、クレ

ア・ショートのリーダーシップの下での特異な経

験とも言え、同様のモーメンタムでDFIDが同政

策に関わっていくことはもうないだろうというの

が英国内関係者の多くの見方である。一方で政策

一貫性的な観点は引き続き存在し、DFIDが将来

の活動に貿易側面をどう取り込んでいくかは今後

も大きな課題であり続けるだろう。

第11章 調達政策

1.1996年迄の時代

(1)英国海外開発庁の援助は1990年代前半まで

はかなりタイド性の高いものであった。例えば、

1983年の二国間援助を支出ベースで見た場合、

ODAローンの67.4%、贈与の74%が英国製品、

サービスにタイドであった。当時は、原則として

英国からの調達が特に困難な時、援助受取国とそ

の周辺国からの調達を認めるというものであ

り*14、借款援助に限っては英国と国連の定める

後発途上国(LDC)からの調達を認めるという

形で、無償援助に比べやや調達適格国の範囲を広

げていた。いずれにしても、商品援助や債務救済

型の援助を除けば、その大半がタイドであったと

見られる。

(2)当時から調達手続きは海外開発庁と援助受

取国の取決めに基づき、英国のクラウン・エー

ジェンツが受取国に代行する形で入札等調達手続

きをとることが殆どであった。ただし、入札に関

しては一般的な競争入札は行わず、クラウン・

エージェンツが保有する応札候補企業リストの中

から適格国の企業を数社選定して募集され、入札

評価にあたっては、英国産品の比率が高く、納期

の早いものが優先されたといわれる。

(3)以上に加えてマッチング・ファシリティー

についても述べておく必要がある。

これは、1977年に他ドナー諸国の混合借款に

対するマッチングを行い、英国企業が不利を被ら

ないよう英国政府の贈与資金(ODA)に非ODA

資金を加え、混合借款とすることにより、他国の

応札企業と競争条件を同一にするために創設され

たものである。同ファシリティーはAid and

Trade Provision(ATP:援助貿易準備金)と呼

ばれ、貿易産業省(DTI)の中に設けられたが、

援助としての手続きそのものは海外開発庁の職員

が行っていた。

当然のことながらATPは英国企業にタイドで

*14 英国タイドであっても、援助調達の10%以内、乃至1.5万英ポンドまたは外国産品調達が用いられることがあり、調達先に係

る若干のフレキシビリティーが与えられていた(同様のことはフランスのタイド援助などでも見られた)。

2004年6月 第19号 153

Page 34: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

あり、創設時において二国間援助総額の5%程

度を占めたが、後に8%迄拡大した。1980年代

前半サッチャー政権の下で英国の援助予算は大幅

に切り込まれていたことから、ATP予算のみが

伸びていたことになる。その末期である1997年

においてもATP援助は80百万ポンドに達してい

た。マッチングということではあるが、他先進国

の企業もATPの資金が競争相手の英国企業に出

されるという話が出てくると「クイーンズ・ギフ

ト」として恐れたとも言われる。

(4)1980年代においてATPの下で商業目的の贈

与資金を享受している一群の英国企業がいたのは

事実である。英国政府とこれら企業の関係が不透

明であるという批判も英国内からも出ていた。こ

れらのATP援助は、サッチャー政権下ではしば

しば大きな軍事調達を計画している途上国に対し

て行われ、英国の武器輸入を受取国政府に促す目

的でATP資金が多用されたとも見られている。

こうした中で1990年代にはATPにまつわる

数々のスキャンダルが発覚し、特にマレーシアに

おいて起きたペルガウ・ダム事業の汚職事件に関

しては、英国内でも大問題となった。マレーシア

政府はATPを受けた英国企業が不正を働いたと

して、同国企業の応札を禁じ、この事件を受けて

英国のNGO(WDM)が裁判所に提訴し、結果と

してハード外相がATP資金234百万ポンドを同事

業に割り当てたことを違反と断じた。

2.1997年以降の調達政策大転換

(1)以上のタイド援助にこだわった英国の調達

政策は1997年の労働党政権とともに大きな転換

を経験することとなる。

英国内(特に一部のマスコミやNGO)でATP

のスキャンダルを中心にタイド援助について強い

批判が出ていたことに対して、1990年代の半ば

においてまだ野党であった労働党が積極的に呼応

した。

前述のように同党は1997年の選挙時に�A freshstart for Britain�というタイトルの選挙公約文書(コラム2参照)を出したが、その中で「タイ

ド援助は競争を阻害し、15%程度のコスト増を

援助予算に及ぼすことになる。労働党が政権を

とった場合、国際社会をアンタイド化に向けて動

かすとともに、英国自身のODAも徐々にタイド

援助を減らしアンタイド化を進めていく」とアン

タイド化に向けたそのスタンスを明らかにしてい

る。

(2)1997年に労働党政権が成立し、DFIDが設

立されたが、その最初の援助白書である1997年

の国際開発白書では、「開発援助は貧困層の利益

に向けられるべきで、英国の国家利益が援助政策

に影響を与えてはならない」と述べ、貧困削減を

援助目的の柱に据える中でアンタイド化を進めて

いく方針を公式に宣言し、且つ批判の多かった

ATPスキームを廃止する方針も示した。ただこ

こで注意すべきは、この1997年の白書ではまだ

英国が単独でアンタイド化する可能性は排除して

おり、あくまでも他ドナーのアンタイド化を働き

かけつつ、英国もその進捗を見つつアンタイド化

を進めていくというスタンスであった。

実はローン、グラントのいずれであるかにかか

わらず、タイド援助が経済的に高いコストがつく

という結論は、英国の学界の中でも意見として出

ており、1997年白書の示したアンタイド化方針

を英国の学界は歓迎した。しかし1997年白書が

ATPを廃止する姿勢を示しても、それだけでは

混合借款が出される可能性がなくなったとは言い

切れず、今後の動向をよく見ていく必要があると

慎重な見方を学界側は示した。

(3)他ドナーに対するアンタイド化の働きかけ

は、新たに国際開発大臣に就任したクレア・

ショートの手で進められていくことになった。

まず1998年の欧州サミットで援助のアンタイ

ド化が議題に上がり、クレア・ショートは「全て

の援助のアンタイド化」の必要性を他欧州ドナー

に訴え、欧州のコンセンサスを得ようと努めた。

続いて1999年にはOECDの会合で、改めて英国は

アンタイド化を提言し、欧州以外のドナーも含め

たアンタイド化推進への理解を求めた。ただしこ

の時点では、前述のようにまだクレア・ショート

も英国単独のアンタイド化は考えていなかった。

OECDの会合も日仏等複数のドナーがアンタイド

化に慎重姿勢を示したこともあり、コンセンサス

は得られなかった。

(4)常日頃援助のアンタイド化を求めていた英

国のNGOは、OECDにおけるアンタイド化に向

154 開発金融研究所報

Page 35: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

けた議論の遅れに対応し、自らアンタイド化を求

める行動を英国政府のOECD等での働きかけに並

行して起こすことになった。すなわち英国の

NGOの1つであるAction Aidは、「EUメンバー

国のタイド援助はEC法に違反している。」と主張

し、1999年9月に欧州裁判所に提訴した(第15

章脚注*19参照)。

ここに至って英国政府は他ドナーの動きに合わ

せたアンタイド化戦略を放棄し、DFID自身の援

助を単独でかつ完全にアンタイド化する方針に転

換した。英国援助の完全アンタイド化宣言は

2000年12月になされ、2001年4月1日より実行

に移すこととなった(これは国際収支支援、構造

調整融資(SAL)、セクター・プログラム、投資

プロジェクトを含め援助の全てを含むこととなっ

た)。

(5)この宣言は2000年のDFID国際開発白書に

明記され、この後2002年7月に法案が成立した

英国の国際開発法においても、英国援助が貧困削

減以外の目的に使われることを禁じ、アンタイド

化されることになった。

こうした英国側が自らアンタイド化に邁進する

姿勢は、他ドナーにも大きなインパクトを与え、

2001年4月25日に開催されたDACの上級会合で

は最貧国援助でのアンタイド化を勧告し、アンタ

イド化に向けた英国の他ドナーへの働きかけが一

定の範囲で実を結ぶことにもつながった。1990

年代前半までのタイド援助政策から1997年以降

の徹底したアンタイド化政策への転換は英国政府

自身を含めた英国内、そして他ドナーの大方の予

想を大きく超えて進み、結果として英国のみなら

ず他ドナーの政策にも大きな影響を与えることと

なった。

3.アンタイド化路線が成功した背景

(1)以上のような大きな政策転換が可能となっ

た理由は、以下のいくつかの点が考えられる。

� 英国民(マスコミ、NGO、学界が中心)

が、タイド援助が汚職・不正につながると

認識し、英国政府のアンタイド化政策を強

くサポートしていたこと。

� 野党時代からATPの濫用に反対し、保守

党政権を困惑させていた労働党としては、

その政策の一貫性、継続性からもアンタイ

ド化を進めていくことに党内のコンセンサ

スが得られていたこと。

� 英国政府内でも、貿易産業省(DTI)など

は英国の経済的な国益、雇用を重視したい

という誘惑を引き続き感じていたが、これ

に対してはクレア・ショートが自らの政治

力に加え、英大蔵省のサポートも得て乗り

切ったこと。

� ATPでの業務に不満やストレスを感じて

いた旧海外開発庁の職員は、DFIDに変

わってからATPの廃止を含む一般アンタ

イド化に積極的に応じたこと。

� 英国政府としては運の良いことに、こうし

たアンタイド化を進めていく時期において

英国経済が好調であり、景気の問題からア

ンタイド化の足を引っ張るような動きはあ

出なかったこと。

(2)筆者は、1990年代初頭に英国に対する援助

審査(Peer Review)会合に出席したことがある

が、同会合では英国のタイド援助比率が高く、

ATPの使用による援助予算の濫用がなされてい

ることに他の参加国から懸念が示された。これに

対して英国代表は、「英国の経済状況から考えて

も、援助をアンタイド化することは英国民の支持

を得られず、結果として英国援助はさらに大幅に

削減されることになってしまうであろう。それで

もよいのか。」という開き直りとも見える反応を

示していた。

それからたった数年後に同国がアンタイド化を

他ドナーに働きかける役割に転じたということは

驚きでもあり、且つ政策というものは自らの見方

を変えることにより大きく変化し得、そのことが

他者にまでインパクトを与えるものであるという

ことに改めて印象づけられている。

2004年6月 第19号 155

Page 36: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

2,500

2,000

1,500

1,000

0

500

(百万ドル)�

1976� 1981� 1986� 1991� 1996� 2001�(年)�

タイド� アンタイド�

図表15 英国二国間援助額のタイド・アンタイド別推移(グロス・ディスバースメント・ベース)

注)技術協力・管理費を除く出所)OECD/DAC統計

(百万ドル)�

(年)�

400

300

200

ー200

-300

100

1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000

-100

0

ODAローン(グロス)� ODAローン(ネット)�

図表16 英国ODAローン供与額の推移

出所)OECD/DAC統計

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

第12章 債務削減政策

1.援助の無償化政策(1970年代半ば以降)

(1)英国はかつては援助ローンもかなり出して

いた。1960年代~1970年代半ばまでは援助ロー

ンの供与額は無償協力とあまり変わらず、1970

年代前半には年3億ドル規模の援助ローンを出し

ていた。

しかし1970年代半ばから援助ローンは急減し

逆に無償協力は大幅増となった*15。ローンは

1980年代半ば以降は年50万ドル程度まで供与額

は下がっている。

(2)以上のデータはグロス・ディスバースメン

ト・ベースのものであるが、ネット・ベースでは

1970年代末以降、1990年代半ばまで援助ローン

の供与はマイナスになっている。なお、1990年

代半ばから2000年にかけて援助ローンは一定の

増加傾向を示しているが(これはDFIDではなく

CDC(英連邦開発公社)からの融資による)、い

ずれにせよ1990年前後には、英国の持つODA

ローンの債権は小さなものとなっていた。

2.債務削減政策

(1)それでは英国の債務削減政策はどのような

ものであったか。

1980年代に入ると英国援助の無償化、債務削

減も進展した。1980年代半ばにはパリクラブで

も債権国による対最貧国債務削減スキームが本格

化したが(1985年には1/3削減のトロント・ス

キームを導入)、1980年代中は英国は表立って債

務削減でのイニシアチブをとる動きはまだ出てい

なかった。

(2)英国が本格的に債務削減イニシアチブで積

極的な姿勢に転じたのは1990~1996年に首相職

であったメージャー氏の下であった。

パリクラブは1985年以降債務削減スキームの

削減率を徐々に上げ、債務削減もフロー・ペース

からストック・ベースに移行していったが(対象

期間中の期日到来分を削減する方式から、債権残

高全体の一定割合を削減する手法に変更)、メー

ジャー首相はG7サミット及びパリクラブの場を

通じ、最貧国への100%元本削減を強く求めた

(「メージャー提案」と呼ばれる)。

(3)これはそのままの形では他の債権国から受

け入れられなかったが、トロント・スキームから

始まったパリクラブの債務削減を大きく突き動か

し、結果的に90~100%元本削減にいたるケル

ン・イニシアチブにつながることになる。まだ

1997年のブレア労働党政権登場前のことでは

あったが、このことは英国が援助の世界で1つの

流れを作ろうとした端緒の1つと言うことは出来

*15 1978年のUNCTAD貿易開発委員会(TDB)における最貧国向け債務削減勧告も影響していよう。

156 開発金融研究所報

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よう。このときより英国大蔵省は債務削減の推進

に前向きで、クレア・ショートの時代に入ってか

らも債務削減戦略を引き続き同省中心に進めてい

くこととなった。

(4)メージャー首相が債務削減に熱心であった

まず第1の理由は、当時より英国NGOがジュビ

リー2000運動*16の盛り上げを図って、大蔵省を

中心に債務削減を英国政府に対して強く求めてい

たことが挙げられる(英国政府としても高まる削

減要請運動と折り合いをつける必要があった)。

また第2に、サッチャー首相の下では援助予算

は大きく切り込まれたが、保守中道のメージャー

首相は開発援助に大きな関心を有していた。この

ことはODA供与額の回復にもつながるが(英国

経済も回復に向かった)、何よりも債務削減で国

際的リーダーシップを発揮することが英国の存在

感を世界に再認識させ、アピールをする上で早道

と判断したと思われる。

第3の点としては、英国にとり有償援助の残高

が小さくなっている以上、国際的に債務削減を提

唱しても自ら失うものは小さいと考えることが出

来たことがあると言えよう(この点は同国大蔵省

が削減に前向き姿勢をとった大きな理由であろ

う)。むしろ英国提案に基づき、日本やフランス

などに債務を削減させることにより、途上国に英

国の貢献を印象付ける効果も狙ったことは容易に

想像できる。

(5)1997年にクレア・ショートがDFID長官と

して登場すると、債務削減は貧困削減を柱とする

開発援助政策の中で新たなエレメントとして組み

込まれることになる。

ただし削減そのものは引き続き大蔵省の管轄下

にあり、DFIDはむしろ削減された資金を貧困削

減にどう活用するかということに関心を持ってい

た。DFIDの公共サービス協定(PSA)(対象期

間2003~2006年)では、Objective IVとして、

「HIPCと位置付けられる国々の3/4(貧困削減

にコミットしている国)は、2006年までにはHIPC

スキームの債務救済が与えられる。これらの国々

はMDG(ミレニアム開発目標)の2015年目標に

向けて国際パートナーとともに歩んでいくことと

なる」と述べている。

(6)NGOからの強い要請を受けてということも

あったが、MDG目標達成のためには、過去の対

外借入から発生する債務償還が貧困削減のために

必要な初等教育や保健に回るべき予算を食ってし

まうことは避けたいという思惑があり、このため

にも有償ローンを多く出している日本などのド

ナーを債務削減に参加させることは不可欠と判断

していた(1999年のG8ケルン・サミット直前に

は、旧英領諸国であり、まだHIPC債務削減を受

けることに消極姿勢を示していたガーナやマラ

ウィが債務削減を受けるよう活発な活動をNGO

とともに国際的に展開した)。

(7)英国政府は、現在HIPCイニシアチブの実現

をサポートすることをその債務削減オペレーショ

ンの中核に据えており、HIPCトラスト・ファン

ドにも大きな資金拠出を約束した(221百万ドル)。

これに加え、IMFの対ウガンダ債務救済措置の

関連でIMFに対し43百万ドルを供与、また他の

一部の債権国と共同でHIPCキャパシティー・ビ

ルディングのプログラムにも貢献している。

第13章 政策の一貫性

1.1997年に始まるDFIDを核とする援助改革の

中でも、疑いなく重要な変化を及ぼしたものは、

途上国の開発に対する視点を単に援助の枠組みの

中で技術的にとらえるだけでなく、貿易、農業政

策、環境など援助国としての他の政策をも視野に

入れて、全体としての政策一貫性をもたせた形で

協力を進めていく方針を明確にしたことであった。

このことは、DFID設立にあたって英国援助の

唯一最大の目的を途上国の貧困削減におき、すべ

ての協力活動はその目的に沿って組み立てていく

ことで自然に出てくる発想でもあり、またそのよ

うな簡素な目的を立てることで、何をもって一貫

性があるかその姿勢を明確にしやすくなったとい

うことも出来よう。

2.すなわち、途上国の貧困削減の動向に影響

を与えるのは、単に援助だけでなく、援助国側の

*16 2000年において新たなる1000年(ジュビリー)が始まるにあたり、貧困国が抱えている累積債務を帳消しにしようという運動。

2004年6月 第19号 157

Page 38: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

市場開放を含めた貿易・農業政策、投資政策、環

境政策、移民政策等々様々なものがある訳で、仮

に援助で途上国の開発に対しプラスの効果をもた

らせても、別な政策でマイナスの効果を与えてい

れば、プラスの効果は相殺されてしまう。あるい

は、援助以外の政策も、そのとり方により援助と

同様に開発にプラスの影響を与え得るという考え

方である。

このような考え方から、DFIDは単に援助の技

術官庁に留まるばかりでなく、開発に対して影響

を与える英国のほかの政策官庁に対し、政策面か

ら様々なコメントをする機能を与えられるように

なった訳である。1997年のDFID国際開発白書

は、「我々は英国政府の政策群の中で、環境、貿

易、投資や農業政策など途上国の開発に影響を与

える政策について、その各々が持続的開発の目的

を考慮に入れて遂行されていくよう、政策を総体

としてみていかなければならない」と述べている。

3.二国間援助機関自身が、援助政策のみでな

く他の関連する様々な政策について注文をつけら

れるようになったのは英国が初めてであっただろ

うと考えられるが、1997年の援助改革の中でも

非常に急進的な部分であったと思われる。

このような機能をDFIDが果たしていくため

に、DFIDが旧海外開発庁時代のような外務省

(FCO)の付属機関という位置付けを脱し、閣

内大臣をヘッドに抱える独立した官庁として振舞

うことが許されるようになった。これにより開発

政策が外交政策への従属から離れ、またDFID長

官(国際開発大臣)以下、DFIDの職員が他の官

庁との政策調整委員会に正式メンバーとして参加

し、開発に関連する政策について他省庁にコメン

トを直接出来るような体制がとられるようになっ

た。

1997年の上記白書においては、特に�環境、

�貿易・農業・投資、�政治的安定と社会的統一

の推進および紛争への効果的対応、�経済・金融

の安定化の4項目を挙げ、それらの政策一貫性を

開発の観点から英国政府の諸官庁に求めている。

4.政府内の政策調整の場としては、以下のよ

うにいくつもの閣僚レベルの委員会が設けられて

いる。

・国際開発委員会(IDC)

・貿易産業委員会(TIC)

・国防・外交委員会(DFAC)

・人権共同委員会 等

以上に述べたようなDFIDと他省庁の調整は、

このような委員会の場で行われるとともに、外務

省(外交関係での調整)、大蔵省(債務問題での

調整)、貿易産業省(貿易政策やアンタイド化で

の調整)、国防省(紛争予防、地雷削減等での調

整)、環境・食糧・農村地域省(環境・農業政策

での調整)などとの2省間調整も行われていった。

当然のことながら、このような調整は省庁間の

利害の対立ということで摩擦も生んだが、閣内大

臣ポストの立場を得たクレア・ショートのリー

ダーシップにより克服されていった。省庁間の対

立ということでは、外務省とDFIDの間で時とし

て問題が起きたようである。外務省側とすれば、

DFIDの独立により開発政策の自らの権限の下に

置いておくことができなくなり、且つ予算もその

分大きく減らされたため被害者意識もあったであ

ろうし、また何よりも、時々刻々と動く国際情勢

の中で外交政策をとりもつ外務省の立場と地道に

継続的に開発・貧困削減に取り組んでいくDFID

の立場はぶつかることが多いことも容易に想像し

得る。

5.なお、1997年の白書が示している政策一貫

性を求める4つの主要分野のうち、紛争への効果

的対応に関しては、「紛争予防は貧困撲滅の前提

条件である」として、開発政策に紛争予防への貢

献を盛り込むことを正当化した。これにより、

DFIDは外交・軍事政策と人道支援の統合的な運

用実現に向けて役割を果たしていくこととなっ

た。

6.以上に見られる政策の一貫性に関わる英国

の考え方、アプローチはその後世界の援助界にも

大きなインパクトを及ぼしてきている。特に

OECDでは2002年の閣僚会議で「政策の一貫性」

をOECDが今後中期的にフォローしていくべき重

要なテーマとして位置付け、そのフォローを

OECD事務局にマンデートとして与えている。ま

158 開発金融研究所報

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…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

た、欧州の他ドナーでも、スウェーデン、オラン

ダ等政策一貫性を自らの開発協力政策の中に取り

込んでいく動きが活発化しつつある。

2001年にはOECD/DACにおいて対英国援助審

査会合が開かれているが、同会合に対するDAC

事務局の報告上、英国の政策一貫性に対する取り

組みに対して非常に高い評価を与えている。同報

告では、政策の一貫性が英国の開発援助に根付い

た理由として、�強いリーダーシップ、�既存の

政府内調整メカニズムの効果的活用、�DFIDが

自らの経験と分析能力を新しい展望を導入してい

くにあたって最大限に動員していることを挙げて

いる。

特に英国の国際政策の中で、開発の観点が制度

的に組み込まれ、貧困削減を柱としてグローバリ

ゼーションの問題も含む新たな政策目標(その範

囲は知的財産権、移民にまでわたっている)を提

示したことを評価している*17。この組織上の枠

組みとしては、開発にかかる省庁間ワーキンググ

ループの発足(国際開発大臣が議長)、DFID内

に国際経済政策部を設け、様々なアイデアを出し

ていく発信局としての役割を果たしたことを指摘

している(同部は後に国際貿易部と民間セク

ター・CDC部に分離)。一方で、DAC事務局報告

では、「まだ一貫性の達成には大きな困難が予想

されるため、DFID中心に一層の努力が必要であ

り、1997年白書の求める一貫性を英国政府全体

で共有していくことが貧困削減アジェンダの周知

徹底の上で重要。そのためにもDFIDが主宰する

上記省庁間ワーキンググループに期待している」

旨述べている。

7.政策の一貫性に対するDFID、そして英国政

府のスタンスは今後どうなっていくのか。この問

題は強いリーダーシップ抜きに語ることは出来な

いが、クレア・ショートが2003年に降板してか

らDFID自身が他省庁をプッシュする強力なリー

ダーを失ったことも事実である。

現労働党政権期間は慣性の法則が働こうが、他

の政権に替わった時、この勢いがどの程度維持さ

れるかは未知数と言える。

第14章 新しい援助手法の模索

1.1990年代半ばまでは英国の援助でも協力の

手法(モダリティー)は限られていた。プログラ

ム型の援助は重視されているにしろ、まだプロ

ジェクト型の援助が主流であった。

しかしながら、1980年代に入りプロジェクトと

いうミクロ・ベースの支援にかかわる様々な問題

点が認識されるようになり、また1990年代に入る

とIMF、世銀により1980年代から推進されてき

た構造調整融資が求めるコンディショナリティー

の効果について否定的な見方がドナー諸国の中で

も強まってきた。他方、英国の援助において「持

続的な開発」が1990年代に主要援助目標として

浮上してきたことと相俟って、従来のプロジェク

ト援助から脱却して新しい援助のモダリティーを

形作ろうという気運が英国内でも出てきた。

例えば、1990年代前半には海外開発庁の関係

者の一部は、似たような考え方を持つ他ドナーの

関係者と共同で「セクター・ワイド・アプローチ

(SWAp)」のコンセプト作りを始めていた。

2.SWApは、ドナー諸国と援助受取国政府が

協力して整合性のあるセクター戦略を作るもので

あるが(コモンアプローチの導入)、同戦略の下

で各ドナーの援助資金を各受取国政府の設けた勘

定にプールし、全体として資金管理をしていく方

法も考えられた(コモンファンドの設立)。これ

により援助資金の「取引費用」を引き下げ、且つ

この延長線上では、1つのセクターに留まらず、

受取国の国家予算全体にかかる公共支出管理の強

化を支援し、これを前提として援助資金は、個別

のプロジェクトやセクターにこだわらず、国家予

算そのものに投入する「一般財政支援」の方式も

編み出されていった。

英国の援助関係者はこのような新しい援助モダ

*17 DAC事務局報告中、「DFIDはbusiness behavior推進に係る様々なイニシアチブを作り出した(労働基準、腐敗、人権、紛争、

環境、ローカル経済へのインパクト、投資等)。ここから英国の例えばCDCやECGD(輸出信用保証局)における新たなビジ

ネス原則にも進んでいった」と述べている。

2004年6月 第19号 159

Page 40: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

リティーの概念作りをしていく上で大きなイニシ

アチブを発揮したが、1997年にDFIDが設立され

ると英国はさらにそのようなスタンスを加速させ

ていった。DFIDの1997年国際開発白書には、

「政策、財政プロセス、効果的な実施能力の点で

信頼のおける受取国政府に対しては、伝統的なプ

ロジェクト型援助からセクターワイド或いは経済

全体に対する支援(一般財政支援)を行うことを

検討する」と述べている。

3.1997年以降、DFIDはより明示的、意図的に

援助の「上流」部分を他の一部ドナーとともに目

標におき、包括的、マクロ的な視点から革新的な

アプローチをとるよう図り始めた。

具体的には「公共支出管理と政策対話の強化」

をモットーに、中期支出フレームワーク

(MTEF)や貧困削減戦略ペーパー(PRSP)へ

の関与を強めていった。

この時期、重債務貧困国(HIPC)に対する債

務削減の促進が課題となっており、その一環とし

て債務救済によって生じた余裕資金を受取国がい

かに効率的・効果的に活用していくか、またいか

に持続的な開発を債務削減後に実現していくかが

IMF、世銀及び二国間援助関係者等の間で議論

になっていた。構造調整融資のコンディショナリ

ティーに係る経験に基づき、HIPCに対してコン

ディショナリティーの押し付けを排して、ド

ナー・受取国のパートナーシップ、並びに受取国

コラム6:英国による一般財政支援の例

Recent examples of direct budget support from the United Kingdom

�Bangladesh Health and Population Sector Programme: GBP25million over five years. Three

other bilateral donors participate. Pooled funds cofinance an agreed Programme Implementation

Plan which supports an evolving sector―wide approach.

�Ghana Programme Aid: GBP40million over2years. Linked to Ghana’s Poverty Reduction and

Growth Facility with the IMF. DFID’s funds are disbursed into Ghana’s Consolidated Fund as

reimbursement against teachers’salaries.

�Malawi Programme Aid: GBP75million over 3 years. Three other bilateral donors partici-

pate. Decisions on disbursements are based on judgement by international financial institutions

of progress in implementing economic reforms and the absence of concerns about corruption.

DFID’s funds are linked to the reimbursement of multilateral debt repayments.

�Mozambique Programme Aid: GBP40million over3years. Six other bilateral donors partici-

pate. Donors monitor budget execution through quarterly budget execution reports. DFID’s

funds provided against spending on the central civil service payroll.

�Rwanda Budget Support: GBP42million over3years. Linked to Rwanda’s Poverty Reduction

and Growth Facility with the IMF. Provided as reimbursements against salaries and allowances

for teachers and civil servants.

�Rwanda Education Sector Support: GBP21million over3years. Linked to the development of

a sector―wide approach for the education sector.

�Tanzania Budget Support: GBP135million over3years. Seven other donors participate.

�Uganda Budget Support: GBP60million over3years. After the initial disbursement, further

disbursements are dependent on progress made. Notional earmarking to specific programmes

and disbursed against actual non―education pro―poor public expenditure.

出所)OECD DAC (2002b)

160 開発金融研究所報

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のオーナーシップに基づき持続的な開発を達成し

ていけるよう、ドナー側の支援の下でPRSPを

作っていくことになった*18。

英国はHIPCへの債務削減を英国大蔵省・

DFID共同で他ドナーに働きかけていくとともに

(最終的に1999年のケルンG8サミットでケル

ン・イニシアチブとして共同宣言がなされる)、

PRSPについてもクレア・ショートのリーダー

シップの下でその概念作りに大いに協力を行って

いった(PRSPのコンセプトはDFIDの国際開発

白書に示される援助目標・手法とも類似性が強

い)。実際にPRSPの活用については、英国

(DFID)が最も熱心な唱道者、且つ実践者であ

り、自らの開発協力活動フレーム作りにも早くか

ら使用を目指した。具体例としては、「信頼でき

るPRSPが存在する場合には、DFIDは自ら独自

の完全な国別戦略書(CSP)は作らず、PRSPを

活用する」としている。PRSPそのものについて

は、その後HIPC諸国の枠を超えて、他のカテゴ

リーの国々にも適用するような、より一般化の方

向を辿りつつある。

4.なお、以上のような新しい援助モダリ

ティーへのDFIDの取り組みを形成していく過程

では、DFID内も一枚岩とは行かず、様々な議論

が行われたことも事実である。

例えば、DFID内のアジア向け援助の関係者

は、「SWAp、財政支援やPRSPはサブサハラに

は向いているかもしれないが、援助依存度がより

小さく、受取国側のキャパシティーも高いアジア

の多くの国々では不適当である」とした。また

DFID内に伝統的なプロジェクト型援助を守りた

いと考えている向きもかなり強く残っていた。

このような従来型の援助維持派と新しい援助モ

ダリティーの推進派の間の議論を経つつも、

DFID全体としては新しい援助手法を概念化し、

他ドナーにも働きかけて実践に移していこうとす

る方向で進んでいった(こうした動きに懐疑的で

あったDFIDのアジア関係者においても、ベトナ

ムやカンボジアなどにおいては、PRSPを含めた

新しい援助手法の導入に積極姿勢を示している)。

第15章 NGOとの関係

1.英国にはOxfamに代表されるように国際的

な活動を途上国で展開しているNGOがいくつも

あり、また援助額の増加、貧困層への直接支援、

或いは債務削減などNGOにとっての関心事項に

従って、英国政府に対し様々な政治的圧力をかけ

たり、協議・協調を行ってきた。

1997年にDFIDが発足する前の時期について言

えば、援助額に関してODA対GNP比の0.7%目

標を早く達成するよう援助の速やかな増加を強く

求め、また1990年代に入ってからは、前述のよ

うにメージャー政権に対して重債務最貧国への

100%債務削減に向けて政府がイニシアチブをと

るように求め(特にキリスト教系NGOによる

「ジュビリー2000運動」)、これがパリクラブに対

する債務削減に係るメージャー首相提案を経て、

最終的にケルンG8サミットでの債務削減合意に

つながった。

また1980年代サッチャー政権下でATP(援助

貿易準備金)のタイド援助スキーム濫用による

様々な汚職事件が頻発したことに触発されて、

NGOはこうした事件を糾弾するとともに、援助

のアンタイド化に係る活動を活発に行った*19。

*18 PRSPの諸原則

� 成果主義(result oriented)であること(貧困削減のため具体的、測定可能な目標を設定する)。

� マクロ経済、セクター、社会的課題を包含する包括的なフレームワークを提示し、当該国のオーナーシップ、改革への国

家的コンセンサスを前提とすること。

� 参加型アプローチをとること(すべてのステークホルダーが政策作りに参画する)。

� パートナーシップ・アプローチをとること(特に当該国政府と他のアクター間)。

� 短期目標に加え、組織改革、キャパシティービルディングを長期タームで見ていくこと。

*19 第11章「調達政策」において述べたようにマレーシアのペルガウ・ダム建設事業に係るATPの不正使用事件に対して、英国

のNGOの1つであるWDM(世界開発運動)は94年に英国の裁判所に提訴した。その後欧州の援助アンタイド化を求めて英

国NGOのAction Aidは1999年9月に欧州裁判所に対し「EU諸国はタイド援助の継続によりEU内の物・サービスの自由な移

動を原則とし、不当な政府補助金を排しているEC法に違反している」として900に及ぶEU内のNGOのバックアップを得つつ

提訴し、英国政府の国際会議におけるアンタイド化働きかけ、また英国自らの援助アンタイド化に向けて強い圧力をかけた。

2004年6月 第19号 161

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2.1997年にDFIDが発足し、国際開発白書を出

すと英国のNGOも積極的に反応したが、これは

必ずしも同白書に対し手放しでほめるという性格

の反応ではなかった。

実際のところクレア・ショートの下で、DFID

が貧困削減を援助の目的の柱として打ち立て、商

業目的に援助を使うことを禁じる方針を示したこ

とはNGOも評価したが、同時点においてDFIDの

政策とNGOの考え方にはかなりの開きがあった

ことも事実である。

DFIDとNGOに開いた溝の最たるものは、貿易

とグローバリゼーションに対する見方であった。

DFIDは世界の貿易発展を肯定的に受け止め、そ

の制度を改善、強化することにより途上国の貧困

削減に役立てようと考え、DFIDの貿易政策に対

する関与を活発化した。これに対し多くのNGO

は、特に1990年代後半の反グローバリゼーショ

ンの動きに合わせて、DFIDが貿易政策に関与す

ることに批判を強めた。

この他DFIDのODA対GNP比0.7%目標達成コ

ミットを懐疑的に見る動きや、環境への取り組み

が不十分であるとする批判(グリーンピース、

IIED等による)、世銀、IMFやWHOなどの国際

機関に肩入れしすぎるという批判などが相次い

だ。

3.クレア・ショートはこれらのNGOの批判に

かなり神経質に反応することも多く、NGOとの

関係は(貧困削減支援の基本的な政策に意見の不

一致はないものの)必ずしもしっくりした関係と

はいかなかったと言われる*20。

こうした状況において、NGOはクレア・

ショート下のDFIDの援助政策(特に貧困削減支

援)に対して、間接的な影響を与えられたとして

も、直接的なインパクトを与えることは出来な

かったとも言われた。

クレア・ショートが頼りにしたのは、NGOよ

りもDFID内部の職員であり、また開発分野等の

学界関係者であった(唯一の例外がアンタイド化

政策であった。債務削減はDFIDというよりも、

大蔵省への圧力により実現した側面が強い)。

4.しかしながら、クレア・ショートを含め

DFIDがNGOを含めた世論の啓発のため様々な努

力を行い、その中でNGOとの信頼関係を高めて

いったことも事実である。

1998年に英国内で始められた開発政策フォー

ラムの会合(クレア・ショートも参加)では、開

発にかかる重要なテーマが討論されていったが、

これには多くのNGO関係者が招かれ、NGO側も

政府に対するNGOロビー活動上新たな機会が設

けられたと評価された。政府の援助広報・学校で

の開発教育でも、DFIDの活動に対し多くのNGO

がサポートしている。

またDFIDは近年かなりの金額をNGOへの拠出

金として出している。その供与額は1996年には65

百万ドルであったが、その後毎年増加し、1999年

には132百万ドル、2002年には226百万ドルに達

した。

5.DFIDからNGO(及び市民団体)への資金は

コア・ファンド・スキーム、紛争と人道プログラ

ム、様々な研究プログラム等を通じて出されてい

る。

このうちコア・ファンド・プログラム(DFID

のNGO支援スキームの中核をなすもの)は、1998

年までBlock grant fundingメカニズムとJoint

fundingスキームの2つから構成されていたが、

*20 クレア・ショートは自信をもって世に出したDFIDの1997年国際開発白書が予想以上にNGO側から否定的な見方を示されたこ

と、スーダンの緊急援助に対してNGO(特に赤十字)が必要以上のキャンペーンを行ったことに不快感を示した。

図表17 英国二国間援助におけるNGOへの支援額(ネット・ディスバースメント・ベース)(単位:百万ドル)

暦 年 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002

NGOを通じたODA供与額 65 76 111 132 169 189 226

出所)OECD/DAC統計

162 開発金融研究所報

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1999年に大幅な変更が加えられ、それぞれ

Partnership Programme Agreement(PPA)、

及びCivil Society Challenge Fundに置き換えら

れた。

このうちPPAは、多年度ベースでより戦略的

な資金配分を目指すもので、DFIDとNGOの間で

開発戦略につき密なやりとりを行いつつ、目標達

成度を指標に基づき共同でモニターしていくメカ

ニズムをとることになった*21。一方、Civil Soci-

ety Challenge Fundは英国の市民団体が貧困問

題、特に貧困層の強化(empowerment)におい

てイニシアチブを高めることを目的としており、

2000年においては100の活動に4百万英ポンドが

割り当てられた(1つの活動に最大25百万英ポン

ド、最長5年間供与可能)。

6.この他開発教育、援助広報ではDevelop-

ment Awareness Fundを通じてNGO、市民団体

に資金を供与しており、その額は1998年度の1.5

百万ポンドから2001年度の6.5百万ポンドに急増

している。全体としてDFIDは伝統的な開発協力

NGOから様々な市民団体、労働組合、学界の関

係機関など国内のパートナーの範囲を近年拡大し

ている。

なお、DFIDの長官(国際開発大臣)はクレア・

ショート、その後任のバロネス・エイモスを経て

2003年10月にヒラリー・ベンに交替したが、英

国のNGOは現長官をNGOとの協調に積極的とし

て好意的に見ているようである。これもDFIDの

ODA供与額の増加、貧困削減支援への真摯な姿

勢、国際社会におけるDFIDのイニシアチブ、

NGOとの対話努力が評価されるとともに、開発

協力における貿易問題の重要性についてNGO側

の理解が深まってきたことが働いていよう。

第16章 援助広報・開発教育

1.英国が狭義の援助の商業主義を廃止し、か

つ援助額の増加を達成するにあたっては、英国民

の広汎な援助に対する理解、コンセンサスが存在

していることが前提となることは疑い得ない。英

国政府は、国民の援助に対する理解をかち得るた

めに実際にどのような努力を行っているのだろう

か。

実は、1980年代を通じて英国援助は「冬の時

代」であった。サッチャー政権における「小さな

政府」のかけ声の下、援助予算にも大鉈が振われ

たことも一因であるが、英国内でODAについて

の効果・効率性に多くの疑問が寄せられ、これら

の批判が援助を維持していく上で大きな障害と

なったことも事実であった。他方でサッチャー首

相自身、英国の商業的利益に資する援助には熱心

で、ATPの活用も図ったが、結果としては援助

の下での汚職の問題も噴出し、国民の援助に対す

る不信を増長することとなった。

既に述べてきたように、労働党自身が政権に就

く前から保守党政権批判の中で援助改革の必要性

を強調してきたのであるが、労働党は政権に就く

と同時に援助改革を推進するとともに、援助広

報・開発教育もそれ以前にも増して力を入れてい

くこととなった。

2.現実にDFIDは開発協力の国内向け情報発信

のため、多くのチャネル、ツールを使ってきてい

る。これらは�Building Support for Develop-ment�という政策フレームワーク(1997年)の下で順次整備されてきている。

(1)まず第1に援助白書、TSP、CSP、ISPなど

のペーパーは刊行物、ウェブサイトとして国民の

誰もがアクセス可能となっており(スーパーマー

ケットでも購入可能)、且つ言語も移民の人たち

の便宜のため、インド系、中国系言語に訳されて

いる。

(2)また、�Target 2015: Halving World Pov-erty�というMDG及びDFIDの援助政策と活動を紹介するパンフレットを作り、一般市民の関心と

理解の向上に努めている。

(3)これらの活動を円滑に進めるため、前述の

*21 最初の3年間を対象に英国のNGOに150百万英ポンドを供与することで11のNGO(Action Aid, Oxfam, Save the Children UK,

Christian Aid, CAFOD, CIIR/ICD, WWF, VSO, Skillshare Africa, International Service及びBritish Executive Service Over-seas)と合意。

2004年6月 第19号 163

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Development Awareness Fundも設けられた。

これは教育セクター、マスメディア、産業界、組

合、市民団体をターゲットとして援助の理解向上

を目指すもので、DFIDの情報・市民社会部が運

営管理をしている。

なお、DFIDの中で広報・開発教育は「情報・

知識コミュニケーション局」の「情報市民社会部」

が担っている。

3.また1998年以降、DFIDは数次にわたって開

発政策フォーラム(DFID大臣も参加)を開催し、

NGO、組合、マイノリティーグループ、産業界、

自治体などに参加を求めた。このフォーラムで

は、1998年に引き続き2000年には貿易、腐敗、

アンタイド化、2001年には環境、貿易、民営化、

グローバリゼーションをテーマとして、毎回約

140名が参加する形で開催した。

さらに、日本の外務省が主宰するタウンミー

ティングのように大臣の地方巡回も行われてい

る。この他、学校教育カリキュラムにおける「開

発協力」の組み込み、テレビ等の媒体を使ったマ

スメディアのサポートも行われている。

4.ある意味では英国の経済が困難に至った時

期にこれらの活動がどう進んでいくかが注目され

るが、英国政府が援助改革そのものを実施しつ

つ、政府としての説明責任・透明性を強化するた

めに多くの努力を払っていることは、日本として

も学ぶべきところが多いだろう。

第17章 英国援助政策の今後の見通し

1.国際開発大臣(DFID長官)の交替

(1)これまでは、1997年以降特に、クレア・

ショートのリーダーシップの下で進められてきた

DFIDの援助政策と改革の動向を見てきた。

その後クレア・ショートはイラク戦争への英国

政府としての対応にかかるブレア首相との考え方

の相違もあり、2003年5月に辞任した。この後

を継いだのは元外務省政務次官のバロネス・エイ

モスであったが、同年10月に上院リーダーであっ

たウイリアム・モスティン卿(Lord Williams of

Mostyn)が死亡したことに伴い、急遽バロネス・

エイモスは同氏の後任として任命され、5ケ月の

短い国際開発大臣としての仕事を終えた。

バロネス・エイモスの後任のヒラリー・ベン

は、1999年に下院議員に選出された後、2001年

6月から1年間クレア・ショートの下でDFIDの

政務次官を務めてきた。その後他のポストを務め

た後、2003年5月バロネス・エイモスの下で閣

外大臣としてDFIDに戻った。同年9月には、ブ

レア首相のため、G8アフリカ代表の役割も担っ

た。

(2)以上のようにDFID長官はバロネス・エイ

モスを経て、ヒラリー・ベンになったが、英国内

の見方は概ね「英国の援助政策は今後当面大きく

変化せず、クレア・ショートの下で作られた路

線*22を踏襲していくだろう」というものである。

また、クレア・ショートに比べ、ヒラリー・ベン

はブレア首相との関係を含め、摩擦を出来るだけ

避ける方向で動くだろうとも見られている。

本行ロンドン駐在員事務所が本年3月にまとめ

た報告(参考資料参照)によると、今後のDFID

の政策について以下のような点が指摘される。

� DFIDの長期戦略は、2000年発行の国際開

発白書(世界からの貧困撲滅を目標とす

る)、及び2002年に制定された国際開発法

(貧困削減を開発政策の主要目的とし、英

国のあらゆる開発援助をアンタイド化す

る)に定められている。また、DFIDはミ

レニアム開発目標にもコミットしており、

DFID長官の交替によりDFID政策の方向

性が大きく変わるとは見られない。

� ただブラウン大蔵大臣と良好な関係にあ

り、且つ政界の実力者であったクレア・

ショートの退任から、DFID自身の政治力

が低下し(ヒラリー・ベンにクレア・

ショートのようなリーダーシップを期待し

得るかという問題もある)、このことによ

*22 特に2000年に発表されたDFIDの白書�Eliminating World Poverty:Making Globalisation Work for the Poor�で提示された長期政策に基づく。

164 開発金融研究所報

Page 45: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

り、開発援助予算の減額*23、DFIDの独立

性低下といった負の影響が出て来る可能性

がある。

� クレア・ショートの時代に関係が悪化して

いた外務省とDFIDとの関係は、バロネ

ス・エイモス以降改善している。また貿易

産業省とDFIDの関係は引続き良好であ

り、同省のDFIDへのサポートは今後も期

待できる(途上国の貿易活性化支援も含

む)。また大蔵省も国際金融ファシリ

ティー(IFF)*24のイニシアチブをとって

おり、PRSPや対HIPCの債務政策との関

連でDFIDをサポートしている。

� ヒラリー・ベンは、他の省庁が開発援助に

目を向けるよう引き続き努力するととも

に、国民や援助関係者との関係を重視して

いる。特に「メディアのイメージ」、DFID

の活動に係る正確な情報発信への問題意識

は高く、またクレア・ショートに比べ、

NGOとの協調をより重視している。

� なお、DFIDの次官は2002年2月よりチャ

クラバルティ氏になっているが、同氏は

DFIDの内部改革に着手しており、前述の

ように特に政策立案部門を援助の効率化や

サービス・デリバリーといったテーマ別の

政策立案部門に編成し直した。これは

DFID内の意思疎通を円滑にし、同一テー

マの専門家を一つにまとめて効率的な運用

を図ることにあったと見られるが、今のと

ころトップダウンの改革の域を出ず、新体

制の役割が不明確であるとして旧組織の

チームヘッドが不満を抱いていることか

ら、まだ順調に行っているとまでは言えな

い模様である。

(4)以上を踏まえると、今後の見通しとしては、

DFIDは貧困削減を柱とした1997年の改革以降の

路線を引続き踏襲していくと見られ、先進国の中

で政策提言面を中心に重要な役割を果たしていく

こととなろう。ただし、DFID自身が新機軸を援

助政策において打ち出していかない限り、援助政

策の唱道者としての英国の影響力は徐々に弱まっ

ていくことも考えられる。

一方で、今後例えばブレア首相の率いる労働党

政権が退陣に追い込まれ、保守党政権が登場する

場合、新政権が援助予算、アンタイド化改革、或

いはそもそもDFIDの独立性などについてどうい

う対応をとるかは注目されるところではある。な

お、労働党政権が続くにしても、2005年には

2006~2009年までの次期開発援助予算を決定し

ていく必要があるが、クレア・ショートのリー

ダーシップの下で実現した援助予算増額に続い

て、新たなる援助予算の増額を見込むのは難しい

という見方もある。

勿論、援助予算のレベルについては英国経済の

動向にもよるため、クレア・ショートの在任期間

のような英国経済の好況が継続されることは、援

助予算の今後の維持・拡大の前提条件といえるで

あろう。

2.英国援助の当面の重点課題

前述の本行ロンドン駐在員事務所によれば、英

国援助の今後のポイントとしては以下の点が注目

されるとしている。

(1)MDGへの対応(女子教育普及率の目標達成

期限を2005年に迎えるが、今の状況では同目標

達成は困難な見通しである中で、英国としてどう

対応していくか)。

(2)PRSPに対する見通し(DFIDは2004年夏に

PRSPに係るペーパーを発表予定)。

(3)HIV/AIDSに対する援助の重視(近年英国

は国連エイズ合同計画に対する拠出を倍増するな

ど同分野に係る新戦略を2004年中に公表予定)。

(4)プロジェクト支援の最重視(ヒラリー・ベ

ンはクレア・ショートに比べ一般財政支援に熱心

ではないとも見られている)。

(5)ドナー間の協調重視

*23 但し今般DACから発表された2003年のDAC諸国のODA実績を見る限り、英国のODA額は今のところ引き続き増加傾向を見

せている。(図表18)

*24 IFF(International Finance Facility)は、MDGを達成するためにODA増額に加え、国際資本市場も活用して追加資金を調

達する枠組みで、2003年1月に英国が国際社会に提案したもの。

2004年6月 第19号 165

Page 46: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

18,00016,00014,00012,00010,000

4,000

8,0006,000

2,0000

(百万ドル)�1.00.90.80.70.60.50.40.30.20.10.0

(%)�

米国�

日本�

フランス�

ドイツ�

英国�

オランダ�

イタリア�

カナダ�

スウェーデン�

ノルウェー�

スペイン�

ベルギー�

デンマーク�

スイス�

オーストラリア�

フィンランド�

アイルランド�

オーストリア�

ギリシャ�

ポルトガル�

ルクセンブルク�

ニュージーランド�

(6)開発援助に「失敗した」国の分析と対処方

(7)アフリカ援助の重視

2005年は英国がG8サミット及びEUの議長国

となるため、労働党政権はその機会に開発援助に

力点を置くと明言している。また2005年秋には

国連においてミレニアム開発目標のレビュー会合

が予定され(一部目標の達成期限も迎える)、

PRSP見直し時期に重なるため、英国のイニシア

チブが改めて期待されるところでもある。

なお、2004年9月にはDACにおいて対英国援

助審査会合が開かれるため、現在DACにおいて

準備が進められている。同会合においてDAC側

が最近の英国援助動向をどう評価するかという点

も注目される。

第18章 まとめ―日本へのインプリケーション

1.英国の援助を日本としてどうとらえるか。

1997年以降、英国は援助の唱道者として、貧

困削減とミレニアム開発目標(MDG)を主柱と

して、国際社会の中で大きなイニシアチブを発揮

してきた。その中には、債務削減、アンタイド

化、教育保健への傾斜、アフリカ重視、民間ベー

スの経済インフラ支援、援助国としてのフラッグ

ダウン、SWAp、コモンファンド・スキームの提

案など、日本のODAの政策や方式とは異なる立

場での提案が多く、日本にとっては英国のイニシ

アチブは違和感を感じられることも多かった。

当然英国と日本はその立場、事情が異なり、英

国のやり方をそのまま日本に導入しても、それで

うまくいくとも思えないが、それにも関わらず、

日本として参考にすべきところを英国は多く持っ

ていると思われる。

2.英国の援助の特徴

ここで現在の英国の援助の特徴をまとめ直すと

以下の通りである。

(1)DFIDへの援助の一元化

援助官庁としてのDFIDに援助に関連する諸機

能が一元化されており、援助全体を総合的に見た

上で総合目標を設定し、さらに同目標を実際のオ

ペレーションに反映させていきやすい体制となっ

ている。DFIDは単に二国間援助の資金協力と技

術協力を一元化しているだけでなく、さらに多国

間援助の大半をも所管する形となっている。

図表18 2003年におけるDAC諸国の実績額・ODA対GNI比(暫定値)

順位 国 名実績額

(百万ドル)対GNI比(%)

1 米国 15,791 0.14

2 日本 8,911 0.20

3 フランス 7,337 0.41

4 ドイツ 6,694 0.28

5 英国 6,166 0.34

6 オランダ 4,059 0.81

7 イタリア 2,393 0.16

8 カナダ 2,209 0.26

9 スウェーデン 2,100 0.70

10 ノルウェー 2,043 0.92

11 スペイン 2,030 0.25

12 ベルギー 1,887 0.61

13 デンマーク 1,747 0.84

14 スイス 1,297 0.38

15 オーストラリア 1,237 0.25

16 フィンランド 556 0.34

17 アイルランド 510 0.41

18 オーストリア 503 0.20

19 ギリシャ 356 0.21

20 ポルトガル 298 021

21 ルクセンブルグ 189 0.80

22 ニュージーランド 169 0.23

DAC合計 68,483 0.25

出所)OECD/DAC統計

166 開発金融研究所報

Page 47: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

(2)政策の一貫性

途上国の開発、特に貧困削減をDFIDの基本的

な組織目標と設定した上で、その基本目標と関連

する限りにおいては、援助の枠を超えて、先進国

の市場開放、貿易、投資、民間セクター振興、人

道支援、紛争と開発まで視野に入れ、途上国への

開発インパクトを総合的に評価し、自らの援助も

それに合わせて新たに位置付け、他の関連省庁と

も政策上の意見交換を活発に行い得る体制になっ

ている。

この面で、DFIDが外務省(FCO)から独立性

を保持していることも、DFIDが援助の立場から

政策一貫性を追求していく上で役立っている面が

あろう。

(3)援助のアンタイド化

過去のタイド援助へのこだわり、援助の商業利

益追求を断念し、アンタイド化の徹底を図った。

このことにより、英国の内外において英国自身が

援助の「唱道者」としてイニシアチブをとる上で

大きな影響力、説得力を手に入れることとなっ

た。

(4)援助実施における目標と成果評価のリン

ケージ強化

ミレニアム開発目標をベースとして、貧困削減

目標を実際のオペレーションに組み込み、且つ、

その成果が具体的・計量的に評価される体制と

なっている(これは英国内の公的機関の評価シス

テムとOECD/DACにおけるガイドラインや議論

の流れを踏まえたものとなっている)。

(5)貧困削減の方針設定や援助スキーム提案に

おける国際的イニシアチブ

英国は自らが供与している援助額以上に大きな

国際的影響力を有しているが、これは英国内に国

際的イニシアチブをとっていく上での基盤が存在

していることを意味している。

特に英国の学界、コンサルタントはDFIDと密

接に連携し、EUや国連、OECD等、国際会議で

援助のアイデアを書面の形で続々に出していく

「生産工場」の役割を果たしている。このネット

ワークは単に英国に留まらず、途上国の開発に関

連する政治・行政、学界関係者のネットワークと

もつながり、英国自身の政策作りに現地の情報、

ニーズが反映されるような仕組みとなっている。

この結果、英国は政策面で豊な資源と成果物を

有する�Policy Rich�な環境を作りあげている。

3.日本へのインプリケーション

(1)もちろん1997年以降の援助改革がいくら英

国にとっての利害を捨てたところで生まれたと

言っても、英国の援助が引き続きインドを含め旧

英領諸国に集中しているのを見れば分かる通り、

広い意味で英国の利益を考えて援助を行っている

ことは疑い得ない。またそうしなければ、英国民

のサポートを得ることも出来ないであろう。そも

そも1997年以降援助改革が行われた時期は、英

国の景気が上向いた局面と重なり、ODAに対す

る国民の理解が得られやすかったこと、債務削

減、アンタイド化してももう失うものはあまりな

かったこと(むしろ英国企業に新たなビジネス

チャンスが生まれた)には留意する必要がある。

(2)しかし、多くの国内の制約を乗り越え、時

には他ドナー、特に日本をも叩き台として使いつ

つ、広い国益を実現していくしたたかさ、決して

狭い国益にとらわれない広い視野、単に他国に唱

道するだけでなく、ODAの自国の方針としてア

ンタイド化やODAの増加など自ら他に範を垂れ

ていく自助努力などは、小さなカラに閉じこも

り、国際的に孤立しやすい立場にある日本にとっ

て大いに学ぶべきところがあろう。

(3)英国がこのように活発にイニシアチブをと

るようになったのも、1970~1980年代の英国の

経済停滞の中、財政赤字削減、政府機能の縮小が

進められ、同国のODAがぎりぎりまで追い込ま

れた結果、国際的な援助の社会の中で英国の存在

が弱体化したこと、そのような環境において、一

種の「開き直り」の精神でより広い国益で援助を

とらえられるようになったことがあったと思われ

る。

翻って日本について考えると、1990年代以降

の経済停滞、財政赤字、ODA削減、途上国開発

問題への国民の関心の低下、より狭い国益へのこ

だわりという悪循環が見られ、かつての英国の状

況と重なり合うところが多い。ある意味では、追

い込まれたところで発想を根本から変えて逆転の

発想をしてみると、新たな展望が開けてくる可能

性があるという点が、英国から最も学ぶべきとこ

2004年6月 第19号 167

Page 48: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

ろかもしれない。

(4)債務削減の是非をどうとらえるか、有償援

助の活用可能性をどう考えるのか、プロジェクト

かプログラムか、直接的な貧困削減支援か経済成

長を通じた貧困削減か、アンタイド化をどう進め

るのか、日英のアプローチの違いは多々ある。

しかし経済インフラ支援を含めて、英国内にも

様々な立場、意見は存在し、決して日本と関心を

共通にしうる部分がないわけではないことも明ら

かになりつつある。学界も含めた日本内外の開発

関係者とのネットワークを整備しつつ、英国とは

互いに意見を戦わす中で協調していき、より高い

次元での援助協力を積極的に行い、日本としても

より「政策的に豊か(Policy Rich)」な援助国に

なっていくよう努力していくべきではないかと考

える。

[参考文献]

[和文文献]

大野純一、立入政之(2000)「主要援助国・機関

の動向について―援助実施体制の合理化、

分権化の動き―」『開発金融研究所報』(2000

年7月、第3号)、国際協力銀行

財務省(2004)『主要経済指標 外国主要経済指

標』平成16年4月

国際協力銀行開発金融研究所(2004年7月刊行

予定)「対外政策としての開発援助」『JBICI

Research Paper』、国際協力銀行

[英文文献]

DFID(1997)Eliminating World Poverty: A

Challenge for the 21st Century. HMSO:

London.

DFID(2000)Eliminating World Poverty: Mak-

ing Globalisation Work for the Poor.

HMSO: London.

DFID(2001)Public Service Agreement 2001―

04 and Service Delivery Agreement2001

―04. London, DFID.

DFID(2002a)Making Connections: Infrastruc-

ture for Poverty Reduction. Private Sec-

tor Infrastructure/CDC Department: Janu-

ary 2002. Online on DFID website(use

“Search this site”)

DFID(2002b)Security Assistance Guidelines.

London, DFID.

DFID(2002c)Statistics on International Devel-

opment1997/98―2001/02. London: DFID.

DFID (2003) Departmental Report 2003.

HMSO: London: May2003.

JBIC Representative Office in London(2004)

Changes in DFID Policy over the Last

Year.

Labour Party(1997)A Fresh Start for Britain:

Labour’s Strategy For Britain in the Mod-

ern World. Labour Party: London.

OECD DAC(2000)The DAC Journal: Develop-

ment Cooperation 1999 Report. Vol. 1

No.1.

OECD DAC(2001)Develompent Co―operation

2000 Report.The DAC Journal Vol. 2

No.1.

OECD DAC(2002a)Develompent Co―operation

2001Report.The DAC Journal Vol.3No.

1.

OECD DAC(2002b)Development Cooperation

Review: United Kingdom. Pre―print of the

DAC Journal Vol.2No.4.

OECD DAC(2004)Development Co―operation

2003 Report.The DAC Journal Vol. 5

No1.

168 開発金融研究所報

Page 49: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

(参考資料)

Changes in DFID policy over thelast year*

Introduction

DFID has gone through some major changes

of leadership over the last year. Clare Short, the

first Secretary of State for international devel-

opment, resigned in May 2003 over the Iraq

war. Baroness Amos, a junior Foreign Office

minister, initially replaced her. However, on5th

October2003Baroness Amos was unexpectedly

made the Leader of the House of Lords, a move

made necessary by the death of the former

leader. Hilary Benn, a minister in DFID from

May 2003, took over her position and has re-

mained there ever since. There is not likely to

be another change before the next election.

However, these changes of leadership will not

change DFID’s overall policy. DFID’s long term

strategy is outlined in the government policy

White Paper 2000: Eliminating World Poverty:

Making Globalisation Work for The Poor and

the International Development Act of2002. The

Act and the White Paper establish a structure

for Britain’s development aid, which means that

policy does not change fundamentally even

when ministers do, as has happened with DFID

over the last year. DFID is also committed to

the Millennium Development Goals, which pro-

vides the basis for DFID’s public service agree-

ment, where it justifies the use of its money to

the Treasury.

The International Development Act was

passed in2002; the government thought that a

new act was needed as the last act governing

UK development work had been passed in1980

and was considered out of date. Before 1997,

when the Labour party came to power, aid was

still the responsibility of a Foreign Office

agency, the Overseas Development Agency.

This new Act is supposed to reflect the very

different situation in British aid today. The1980

legislation did not make poverty reduction the

aim of development policy, which was DFID’s

new focus, and it allowed aid to be tied to Brit-

ish goods and services, which DFID did not

want. It also meant that DFID was not allowed

to support some private sector activity and had

no authority to promote development aware-

ness, which is becoming an important part of

DFID’s work.

The2002International Development Act gov-

erns when the UK can give development assis-

tance, what forms it can be given in and on

what terms. The two most important parts of

the new International Development Act are es-

tablishing poverty reduction as the central pur-

pose of all British development assistance and

untying all aid. It will remain the basis for Brit-

ish development aid for some time as changing

or revoking the Act would be difficult and un-

popular; the Labour government has designed

the act to create a permanent legacy.

The White Paper 2000 also emphasises this

theme of focusing development around poverty

reduction and the Millennium Development

Goals. It also advocates strengthening poor

country governments, improving trade, increas-

ing investment, using national poverty reduc-

tion strategies and delivering aid more effec-

tively. These issues have all continued to be im-

portant themes in DFID’s work.

Although the change in leadership will not

change DFID’s long term policy, Hilary Benn

will bring a different style and a new emphasis

to DFID’s work. This report describes changes

in DFID over the last nine months and looks at

how DFID’s policies might continue to develop

in the future. It is based on published informa-

* 国際協力銀行ロンドン駐在員事務所作成(2004年3月)

2004年6月 第19号 169

Page 50: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

tion from DFID, conversations with policy lead-

ers in DFID and interviews with development

researchers at the Overseas Development Insti-

tute.

1.Changes in DFID since the depar-ture of Clare Short

This section looks at the main changes in

DFID since Clare Short’s departure. It looks at

how the loss of Clare Short, who was a vivid

character, might change the department; how

DFID’s relations with other departments are

changing; how Hilary Benn, as a very different

character, might change DFID; significant

changes in DFID’s internal organisation; the im-

portance of2005and new policy developments.

1.1Clare Short and Hilary Benn: Relation-

ships with other departments

Clare Short was well known and she helped

make development issues very visible. She was

also a powerful political force and had a close

personal relationship with Gordon Brown, the

Chancellor of the Exchequer. One of the conse-

quences of her departure, now that Gordon

Brown is looking to reduce public expenditure,

could be that DFID’s budget decreases slightly

or at least does not rise so rapidly in the me-

dium term. Clare Short spent a lot of her time

fighting off threats to DFID’s funding from

other departments. Hilary Benn is a newer,

more junior and less controversial politician

who has a reduced political profile; he may find

it more difficult to defend DFID. It is still small

and not very well established and is vulnerable

to having its budget‘captured’by other de-

partments.

One of the interviewees suggested that DFID,

as a relatively new department, might lose

some independence now that Clare Short has

left. Clare Short was very assertive and was

successful in establishing development coopera-

tion as an aim in its own right. Previously, aid

was less important than the DTI and the FCO

in foreign affairs and was seen more as a tool of

foreign policy. However, other departments still

have strong international interests and may

look to influence DFID; Hilary Benn will have to

work hard to maintain the poverty focus of

DFID’s work.

As stated, Clare Short made DFID a very

strong and capable department. At Seattle, for

example, Clare Short possibly knew more about

international trade than Patricia Hewitt, the

Minister for Trade and Industry. Although

strengthening DFID made it into a very effec-

tive department, relations with other govern-

ment departments suffered. Three other de-

partments would ideally like some of DFID’s

budget: the Home Office, the Ministry of De-

fence and the Foreign Office. The Home Office

would like to use the money to deal with asy-

lum and immigration, the Ministry of Defence

would like to see more allocated to strategic pri-

orities and the Foreign Office feel that their

work should be given priority over DFID’s.

Relations between the Foreign Office and

DFID were particularly bad when Clare Short

was in charge. It is worth remembering that

DFID’s budget is now larger than the Foreign

Office’s. Baroness Amos was a junior minister in

the Foreign Office before she became interna-

tional development secretary and in DFID she

was especially involved with improving rela-

tions with the FCO. Hilary Benn has continued

this work of building bridges with other depart-

ments.

The relationship between DFID and the De-

partment of Trade and Industry(DTI)is very

good at the moment. The International Develop-

ment Act made it illegal to tie British aid and

changing that policy would involve passing an-

other international development act, so it is

very unlikely that it will be altered. Untying aid

was a difficult process to go though with DTI

170 開発金融研究所報

Page 51: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

and British industry but the government

thought that increased effectiveness and value

of aid would make it worth it.

Now that British aid is untied and that proc-

ess is completed, DTI and DFID are on very

good terms and this situation will probably con-

tinue. DTI is quite supportive of DFID’s work,

particularly on trade. Both DFID and DTI take

the same very long term view over trade, judg-

ing that fair trade equals global economic

growth. Trade in developing countries can also

be beneficial to the UK industry. They work to-

gether in international trade negotiations, hav-

ing the common aim of ending farm subsidies

and protectionism and have started a joint in-

itiative to support developing countries over

trade, providing technical expertise and re-

sources.

Despite the fact that Clare Short, who had a

very close relationship with Gordon Brown, has

left, the Treasury is still notably involved with

development issues―the International Financing

Facility, a proposal to raise levels of aid, is en-

tirely a Treasury initiative. Finance ministers in

Britain have often been quite involved in devel-

opment; Nigel Lawson, the Conservative Chan-

cellor of the Exchequer, was also quite inter-

ested in aid issues. The Overseas Development

Institute interviewees suggested that the

Treasury had helped DFID develop its policy

on PRSPs and the HIPC initiative. They said

that Gordon Brown’s support for development

is partly based on sincere concern about pov-

erty; however, development is a fashionable is-

sue and supporting it may also be a way for

Brown to court wider popular support.

1.2Relations with the Prime Minister

In comparison to Clare Short, Hilary Benn is

more aligned with Tony Blair than Gordon

Brown and he may have been appointed partly

because he is thought to have been more loyal

than Clare Short, who was often quite critical of

the prime minister. He has much better rela-

tions with the Prime Minister than Ms. Short

and as Mr. Blair is quite dedicated to develop-

ment issues, this relationship could help DFID.

Mr. Benn is also likely to maintain better rela-

tions with the Foreign Office and has very good

relations with the Treasury.

These improved interdepartmental relations

mean he is likely to get more cooperation in

Cabinet and other departments may give

DFID’s work more support. DFID may be mov-

ing into a new stage under Hilary Benn. Previ-

ously it has focused on improving its spending

and effectiveness within the department but

DFID could now start expanding, looking at

how to make other departments more focused

towards development―by, for example, persuad-

ing the Home Office to make their immigration

policy more development friendly. Mr. Benn is

likely to concentrate on official level cooperation

and try to spread DFID’s agenda into other de-

partments.

1.3Communication with the public and

non―government organisations(NGOs)

Since Hilary Benn has only been in the post

for five months, it is difficult to say how the de-

partment has changed or might change now he

is in power. However, there is one clear change:

Mr. Benn is much more concerned about com-

munication issues and relations with other de-

partments, the public and the aid community

than Clare Short was. Unlike Clare Short, Mr.

Benn does not want to be a controversial figure.

Hilary Benn is also much more interested in

having a positive media image than Clare Short

was and communicating DFID’s activities accu-

rately to the outside world. For example, he has

already written a number of letters and article

in The Guardian explaining or defending

DFID’s work*25. Mr. Benn’s greater involvement

in public discussion about development work

could have more effect on public arguments.

2004年6月 第19号 171

Page 52: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

In addition, Mr. Benn will probably try to

build better relations with British development

charities, which are quite influential. Clare Short

was intent on directing development through

government systems whereas charities would

naturally like to have seen it go through non―

governmental organisations. Therefore, there

were often disagreements and fights between

Mr. Short and charities―and sometimes, the in-

ternational development community. Hilary

Benn is likely to be more cooperative and con-

cerned about maintaining good relations with

this community.

As far as can be judged from his speeches,

Mr. Benn is quite assertive. He emphasises the

right to intervene in countries but he also

stresses the importance of handing over control

of aid programmes. He also talks about chang-

ing donor behaviour by increasing harmonisa-

tion, coordination, cooperation and country own-

ership; he believes it is important to strengthen

the participation of developing countries in IMF

and World Bank.

1.4Internal organisation

Suma Chakrabarti became the new perma-

nent secretary of DFID in February2002 and

he has instituted a lot of changes in the depart-

ment’s internal organisation. The most changes

have taken place in DFID’s Policy Division,

which was previously arranged around differ-

ent divisions and areas of expertise: economists,

social development advisors and governance ad-

visors, for example etc. Now the division has

been rearranged around themes and issues

such as aid effectiveness and service delivery.

The aim of this reorganisation is to improve

communication in DFID and to make sure that

all the experts are working together on one

topic. It is also supposed to improve implemen-

tation of ideas, as the department should be bet-

ter coordinated.

Although this change needed to be made, as

policy and research were not connecting very

well with implementation, the rearrangement

has been a painful process and the teams are

not working very effectively yet. Some critics

say it was done too hastily. The changes have

been very‘top down’, imposed by Mr. Chakra-

barti. At the moment, the heads of the old

terms are unhappy because there is a lack of

clarity about their role and the new teams. The

division still needs to attract qualified and expe-

rienced staff, which will take some time. For ex-

ample, the trade term has lost several key peo-

ple and may have less capacity for Cancun.

Sharon White, the director of the Policy Divi-

sion, is also new.

1.5Next year

All the interviewees we spoke to stressed

that next year(2005)will be a very important

year for Britain and its development policy.

Britain has the presidency of the G8and the EU

in2005; the first deadline for the Millennium De-

velopment Goal will be reached and PRSPs― the

main instrument for delivering the MDGs―are

also due to be reviewed in 2005. All these

events will provoke a discussion about how well

these methods are working and what should be

done next.

The Labour government has made it clear

that it intends to use its presidencies in2005to

prioritise development aid, to try and raise lev-

els of funding and to discuss the best ways to

deliver aid. It will also try and build more of a

consensus around aid and how to use aid. DFID

is therefore trying to position itself and to draw

*25 Please follow these links to read examples:

http://www.guardian.co.uk/letters/story/0,3604,1160585,00.html orhttp://www.guardian.co.uk/comment/story/0,3604,1119141,00.html.

172 開発金融研究所報

Page 53: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

up clear policy positions and priotiries for2005.

In 2005 there will also be another spending

round for DFID, which will determine how

much money the department will get from the

Treasury over the next three years, 2006―9.

The2005spending round could be difficult for

DFID, as the department has already had a big

increase in their budget; it is unlikely that it will

get such a generous raise again.

1.6Policy developments

Although, as described in the introduction,

DFID’s long term policy is firmly laid out by the

White Paper and the International Development

Act, Hilary Benn will bring a change of style

and emphasis, It is not possible to say exactly

how policy might change but this section out-

lines the direction DFID is going in and sug-

gests which areas will be given the most em-

phasis. Interviewees from within DFID said

that2005, as described, would be an important

year and DFID is preparing to position itself

within the global policy environment, working

out policy priorities.

Tthe first Millennium Development Goal

(MDG)deadline, on the participation of girls in

education, is in2005. It is already clear that the

deadline will not be met. This failure will lead to

a discussion about ways to make sure the world

can meet the MDGs, which will raise questions

about DFID’s own work. The Overseas Devel-

opment Institute pointed out that DFID is com-

mitted to the MDGs but it is also committed to

working in the poorest countries. These two

aims may not be entirely compatible; it might

be easier to meet the MDGs by working in

slightly less poor countries with better capacity

and with people not so far below the poverty

line― for example, Vietnam and India. The issue

may lead DFID to address problems of absorp-

tion and capacity in Africa more.

PRSPs will also be reviewed in2005and the

development community will look at how well

they are being implemented. DFID will publish

a policy paper on the subject in the summer.

The debate within DFID is likely to revolve

around politics and political change, monitoring

PRSPs, and ways for citizens to hold the

government accountable for its promises, Inter-

viewees from the Overseas Development Insti-

tute suggested that DFID is likely to argue that

PRSPs could be adapted somewhat and that re-

cipient government strategies serve equally

well as a focus for development aid.

HIV/AIDS is another important issue. The

UK recently doubled its funding to UNAIDS(to

£6m)and announced that it intended to make

HIV/AIDS―with Africa―a centrepiece of its

presidencies of the G8and the EU in2005. Brit-

ain wants to make sure that every country af-

fected by AIDS has a coherent national strat-

egy and to encourage better donor coordination.

A full strategy will be published in2004. AIDS

is apparently seen as an issue on which to en-

gage the Americans and to build a common

view(as otherwise the Americans are sceptical

of some forms of aid).

Global funds such as those for AIDS and

Women are also concern in DFID at present.

There are a large number of these vertical

funds and they are growing. DFID is looking at

to what extent the Funds add value, if there are

problems and where the problems are. Do these

funds result in parallel systems doing the same

job? Britain supports over30Global funds al-

ready and DFID thinks it needs to look at

which are the most effective.

Interviewees from the Overseas Develop-

ment Institute noted that they felt Hilary Benn

was not quite as keen on General Budget sup-

port(GBS)as Clare Short and would like to fo-

cus on doing projects better as well as develop-

ing sector support instruments. DFID’s attitude

on GBS is still quite cautious: they believe it has

inherent strengths but only in the right circum-

stances with good systems. The Policy division

2004年6月 第19号 173

Page 54: 英国援助政策の動向 - JICA...はじめに 開発金融研究所開発研究グループでは、日本の 途上国開発援助の世界における位置付けをより良

feels they are still learning about GBS and will

continue to look at where it is appropriate, ex-

amining the risks and the problems of monitor-

ing this form of aid.

There are several other DFID priorities.

These include improving harmonisation and co-

ordination of aid among donors; the department

will also look at aid volumes and financing and

examine evidence for the case for more aid.

DFID is doing work on conditionality, as well. It

wants to take a wider look at the issue, finding

out more about concerns. The aim is to improve

transparency and mutual accountability.

Poor performing or failed states, particularly

in Africa, will be another important priority; half

the countries that Mr. Benn has visited in Af-

rica since he joined the department were very

poorly performing states: Ethiopia, the Demo-

cratic Republic of Congo and Sierra Leone. He

has also given two speeches on the subject

since he has joined the department, so it is

clearly a priority of his. A large proportion of

the world’s very poor live in failed states so

reaching the Millennium Development Goals is

partly dependent on reforming these countries.

Mr. Benn also argues that interfering in states

before they fail is economically more efficient

and points out that failing states are a security

risk.

Lastly, Africa itself will be at the centre of

much of DFID’s work. The Labour government

has promised to spend £1bn―half of DFID’s bi-

lateral budget―on Africa in2005. Six out of the

seven countries that Mr. Benn has visited since

becoming Secretary of State are African: Ethio-

pia, Ghana, Sudan, Kenya, the Democratic Re-

public of Congo and Sierra Leone, which demon-

strates that it is an increasingly high priority.

174 開発金融研究所報