開発法学2015 カースト制度とネパール - keio …291 開発法学2015...

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291 開発法学2015 カースト制度とネパール カースト差別是正法の立法趣旨を巡って 高見澤昌史 杉本 久華 辻本 理紗 (松尾研究会 3 年) Ⅰ 導 入 1 カトマンズでの殺人事件 2 本稿の目的 3 ネパールの概要 Ⅱ カースト制度 1 カースト制度の起源 2 ネパールにおけるカースト制度の導入 3 小 括 Ⅲ カースト制度の法的変遷 1 ネパールにおける近代のカースト体系 2 1963年ムルキ・アイン大改正によるカースト制度の法的撤廃 3 小 括 Ⅳ カーストのネパール社会における変化 1 内側からの動き 2 外側からの動き 3 小 括 Ⅴ 2011年法を巡って 1 2011年法の内容 2 2011年法に対する考察 Ⅵ 結 語

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291

開発法学2015 カースト制度とネパール ―カースト差別是正法の立法趣旨を巡って―

高見澤昌史 杉本 久華 辻本 理紗

(松尾研究会 3 年)

Ⅰ 導 入 1 カトマンズでの殺人事件 2 本稿の目的 3 ネパールの概要Ⅱ カースト制度 1 カースト制度の起源 2 ネパールにおけるカースト制度の導入 3 小 括Ⅲ カースト制度の法的変遷 1 ネパールにおける近代のカースト体系 2 1963年ムルキ・アイン大改正によるカースト制度の法的撤廃 3 小 括Ⅳ カーストのネパール社会における変化 1 内側からの動き 2 外側からの動き 3 小 括Ⅴ 2011年法を巡って 1 2011年法の内容 2 2011年法に対する考察Ⅵ 結 語

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Ⅰ 導 入

1 カトマンズでの殺人事件

2010年10月20日、ネパールの首都カトマンズで29歳の男が死んだ。男は借間の

梁からぶら下がっている状態で発見され、当初警察は男の死を自殺だと考えてい

た。しかし、捜査を進めると男の致命傷は鋭利なものによることが判明した。そ

して、警察は男の義理の父親を殺人容疑で逮捕する。義理の父親とはすなわち、

男の妻の父であった。

それから 5日後、インドのザ・タイム・オブ・インディア紙は事件をネパール

の「名誉殺人」として報じた1)。バングラデシュやパキスタン、インド等で見ら

れた「名誉殺人」がついにネパールにも広がったという。

事の発端は、ネパール東部オカルドンガ地区の若い男が首都カトマンズに近い

カヴレの少女と恋に落ちたところに始まる。しかし、少女の父親は 2人の関係に

反対をしていた。というのも、男が少女ら家族とは異なるカーストの人間だった

からだ。それでも 2人は家族の反対を押し切って結婚をするが、その幸せも束の

間、殺人事件という形で結婚生活は終わりを迎えた。

ところで「名誉殺人」と一口に言ってもその内容は様々である。イスラーム文

化圏では、婚前交渉や家族の勧める人と結婚しなかったこと等を理由に親族が自

ら娘を殺してしまう「名誉殺人」が昨今問題視されている。一方、インドやネパー

ルといったヒンドゥー文化圏でしばしば「名誉殺人」を引き起こす原因はカース

ト制度であると言われている。そして、稀ではあるが、被害者は女性から本件の

ような男性にも広がりを見せている。このように様相は異なるにしても、どちら

も文化的・宗教的背景と深く結びついている。それゆえに決して一朝一夕に解決

できる問題ではない点で共通しているといえるだろう。本件の場合は後者、カー

スト制度によって引き起こされた悲劇であると位置づけることができる。 1人の

男を「名誉殺人」と呼んで死に追いやってしまうカースト制度が確かにネパール

に存在するのだ。

カースト制度それ自体は1963年のムルキ・アイン2)改正で条文上撤廃された。

しかし、今なお根強くカーストへの差別意識が残る状況に対し、ネパール議会は

2011年 5月24日、法律制定をもって対処しようと法案を可決させた。「カースト

に基づく差別と不可触制(罪と罰)の法」である。ネパールがカースト差別と不

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可触制の重大な犯罪に特定的な法律を制定するのはこの法律が初めてだった3)。

2 本稿の目的

何故、法律学研究でネパールの殺人事件が出てくるのかと思われるかもしれな

い。本節では本稿の目的について明らかにしておきたい。本稿は開発法学という

学問領域に基づく。法制度の改革を通して、社会の開発を促し、その構成員であ

る人々の幸福を増進させる方法を探求する学問分野であると定義づけられてい

る4)。

本件においてはネパール議会によって可決された「カーストに基づく差別と不

可触制(罪と罰)の法」(以下、2011年法と呼ぶ)がある種の法制度の改革にあた

ると考える。その上で本稿は2011年法の立ち位置を明らかにすることを目的とす

る。手法として、まずカースト制度それ自体の出自をまとめた後で、その変遷を

追うこととする。変遷とは、一方でカースト制度がネパールで法律上認められた

統治制度であった背景から法的変遷として捉えることができる。他方でカースト

制度は統治制度という域を超えて広くネパール社会に浸透していることから、法

律上に留まらない社会の中での変化も看過できない。よって本論では法的変遷を

軸とした上で、そこに法的変遷の枠に収まらないネパール社会の中での変化も加

味し、2011年法の立法趣旨を明らかにしていきたい。

3 ネパールの概要

我々がネパールと呼ぶ国の正式名称はネパール連邦民主共和国という。東、西、

南の三方をインドに、北を中国チベット自治区に囲まれた南アジアの内陸国であ

り、人口は約2,800万人5)、国土面積は約14.7平方キロメートルで北海道の約1.8倍

に相当する。その国土は世界最高地点エベレストを含むヒマラヤ山脈および中央

部丘陵地帯と南部のタライ平原から構成され、ヒマラヤ登山の玄関口としてもト

レッカーたちに親しまれている6)。

ネパールの特色として特筆すべきことのひとつに、多民族・多言語国家である

ことが挙げられる。ネパールには大きく分けてインド・アーリア系の民族と、チ

ベット・ミャンマー系民族が暮らしている。ネパール語を母語とする民族(ブラー

マン、チェットリ、職業カースト等)に加え、ネワール、グルン、マガル、タマン、

ライ、リンブー、シェルパなど、約125のエスニック集団で構成されている7)。ま

た、公用語こそネパール語であるものの、それ以外にもマイティリ語やボージュ

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ブリー語など多くの言語が存在し、ネパール語は全体の47.9%を占めているにす

ぎない。宗教についても元国教であったヒンドゥー教を筆頭に仏教、アニミズム

等とその習合が混在している8)。このように多様性に富むネパールを一言で捉え

ることは難しい。多様性こそがネパールの魅力でもあるのだが、同時にそれがネ

パールの統治を難しくしているのも確かである。

ネパールの政治は王政の時代を経て、1989年の民主化運動以降大きく変化して

いる。1996年からはマオイスト9)と呼ばれる者たちが武装闘争を開始し、ネパー

ルの情勢は不安定な状態が続いた。決着がつくのは2006年の包括的和平合意の成

立、実に20年もの歳月が経った後である。その翌年、2007年には暫定憲法が公布

され、国連の支援の下、2008年の制憲議会選挙でマオイストが第一党となった。

同年 5月発足の制憲議会初会合では王制が廃止され、連邦民主共和制への転換が

決定され、現在も移行中である。しかし、その制憲議会では政党間対立により憲

法制定作業が停滞し、当初 2年間だった任期が 4回(計 2年間)延長され、政権

も 3度交代する事態となった。結局2012年 5月27日、憲法制定に至らないまま任

期切れで制憲議会は解散した。その後主要 4政党の協議の結果、13年 3月制憲議

会を開くための選挙を再度実施することで合意が成立し、選挙管理内閣が発足し

た。同年11月19日、憲法制定のための議会再選挙が実施され、14年 1月、議会が

開会した。同年 2月にはようやくスシル・コイララネパール会議派(NC)党首

を首相とし、同月25日に NC及びネパール共産党(CPN-UML)による 3党連立内

閣が発足した10)。その矢先の2015年 4月25日、ネパールを大地震が襲った。大地

震による混乱のさなか、復興に集中するためにも憲法の制定が急がれ、ついに

2015年 9月20日に憲法公布された11)。そして同年10月、新憲法の規定に基づき、

立法議会における首相投票の結果、K.P.シャルマ・オリ CPN-UML委員長が新首

相に選出された12)。

ネパールの経済についても言及しておきたい。ネパールは経済的には後発開発

途上国である。GDPは年々成長を続けているが、2012/2013年度においても名目

GDPは195億米ドルとまだ低い13)。その中で GDPに占める第一次産業の割合は

36.9%で、南アジア地域協力連合(SAARC)諸国の中で一番高い。一方で製造業

は14.8%に留まっており、工業化の遅れが分かる。観光や情報等を含む第三次産

業は GDPの49.4%と約半分を占めており、ネパール経済の成長を推進する要素

となっている14)。

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Ⅱ カースト制度

本章ではそもそもカースト制度がいかなるものであるかを明らかにする。カー

スト制度自体に対する理解を深めることが2011年法を理解するのには不可欠だか

らである。手順として本章第 1節ではまずカーストの起源としてインドのヴァル

ナ制度とジャーティ制度を考察し、第 2節ではネパールにおけるカースト制度の

導入からネパールにおいてどのようにカースト制度が根付いたのかを見ていくこ

とにする。

1 カースト制度の起源

( 1) カースト制度の概説

カーストとはそもそも、人々を階層分けする、ヒンドゥー社会の根幹をなす制

度のひとつである。具体的には 4種類の「ヴァルナ」によって構成される。また、

階層に含まれない不可触民と称される人々も存在する。これらのカーストは古代

インドにおいて、社会の発展とともに自然発生的に誕生し、今日に至るまでに社

会制度の根幹をなしてきている15)。特徴的な現象を抽出すると、通婚における制

限の存在、職業の継承体としての機能、位階の存在が挙げられる16)。

今日ではカースト制度に対応した在来の概念は、ヴァルナ制度とジャーティ制

度の 2つとされている。ヴァルナ制度とは、バラモン教及びヒンドゥー教法典に

規定された理想的な社会階層における身分制度である。歴史上、インド・アーリ

ア人は、五河地方(パンジャーブ地方)に侵入した際、先住民を征服した。この

支配された先住民を第 4階層の奴隷階級(シュードラ)として、その上に最高位

の僧侶階級(ブラーマン)、第 2階層の武士階級(クシャトリヤ)、および第 3階層

の商人階級(ヴァイシャ)を合わせて 4つの階級(ヴァルナ)を定めた。ヴァルナ

とはサンスクリット語で「色彩」を意味するが、おそらく肌の色を表していたの

であろうと言われている17)。

一方、ジャーティ制度は、実際の社会生活において内婚集団として機能してお

り、その限られた範囲において、水のやり取りと食事をともにすること(共食)

とともに、通婚を許容し、また、主として男系をたどる職業の継承体でもある18)。

ジャーティはサンスクリット語で「出自」を意味する語で、現在その数は2000か

ら3000にも及ぶ19)。

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( 2) ヴァルナ制度

(a) ヴァルナ制度の成り立ち

世界は、互いにはっきりと異なる社会的階級ないしカーストから成っていてこ

そ、バランスがとれたものになる、という観念は、ヴェーダ20)期の原人解体(プ

ルシャ・シュクタ)と言われる讃歌に起源をもっている。

かれら(神々)が原人(プルシャ)を「宇宙的な祭祀における犠牲獣として」

切り刻んだとき、いくつの部分に分割したのか?

かれらの口は何になったのか?かれの両腕は何になったのか?

かれの両腿、かれの両足はなんと名づけられたのか?

かれの口は、バラモン21)であった。

かれの両腕は、王族(クシャトリヤ)とされた。

かれの両腿は、庶民(ヴァイシャ)とされた。

かれの両足からは、隷民(シュードラ)が生まれた22)。

『マヌ法典』では、このヴェーダ讃歌はヒンドゥー教がヴァルナを社会制度と

していることの正しさを説いたものだと主張している。ヴァルナ、すなわち四姓

をこのようなものだと規定する歴史的記録は何もないが、少なくともヴェーダの

讃歌からは、当時の社会制度が、司祭階級のブラーマン、貴族・戦士階級のクシャ

トリヤ、商人・農民階級のヴァイシャ、奉仕者階級のシュードラの、主として 4

つの階級から成っていたことが明らかになる。

( 4) ヴァルナ制度の変遷

インドの前期ヴェーダ時代(紀元前1500から前1000年頃)においては、おそらく

外来者であったと想定される新たな支配者と、在来住民というおおまかな区分し

か存在しておらず、その両者における内的文化も明確に形をなしていなかったと

考えられる23)。 4ヴァルナの枠組みが形をなすのは、前1000年から前600年にか

けての後期ヴェーダ時代においてであったと考えられる24)。その後、前600年か

ら前200年頃にかけて律法経文献が、前200年以降にはマヌ法典に代表されるダル

マ・シャーストラが編纂され、ヴァルナの枠組みを理論づけていったのである25)。

更にそれが戸籍制度の下で法制化されるのはインドがイギリスによって帝国支配

されるときである。この時、カースト制度として確立する。

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4ヴァルナのうち、ブラーマン、クシャトリヤ、ヴァイシャは、再生族(ドヴィ

ジャ)とされ、出生後の通過儀礼をへて、ヴェーダの祭式に連なりうるとされた。

それに対して、シュードラは、一生族(エーカジャ)とされ、ヴェーダの儀式か

ら排除されるなど、法典上の規定ではさまざまな差別的処遇を余儀なくされてい

た。

キリスト紀元が始まるころには、ヴァルナはすでに規範的な枠組みとなってい

たのだが、紀元後の 7世紀にかけて、インド世界の形成が進むにつれ、その機能

と意味内容に変化をみせていったと考えられる。このように、中世期においても

ヴァルナが意味を持っていたのは事実であった。それが、 4つのヴァルナ全てに

同じように及んだわけではなかった。大きな意味をもったのは、ブラーマンとク

シャトリヤの 2つのヴァルナに限られていた。

( 5) ヴァルナ制度の義務

ヒンドゥー教における創造神ブラフマーは、この世界におけるすべての創造物

を保護するためにそれぞれの義務を定めたという。 4つのヴァルナは 1つの実用

的な制度を作りあげて、社会のメンバーは誰も互いに支えあって生きているのだ

という図式を描き出している。ブラーマンの義務はヴェーダ聖典の学習と教授、

自己および他人のための儀礼の執行、施しをすることと受けることであり、ク

シャトリヤの義務は、人民の保護、施し、供犠、ヴェーダの学習などである。ヴァ

イシャには牧畜、施し、供犠、ヴェーダの学習、商業、金銭の貸与、土地の耕作

が義務として定められた。シュードラ(隷属民)の義務はいま述べた 3階級への

奉仕である26)。また「不可触民」とは、普通 4つのヴァルナの下に位置付けられ

「第 5のヴァルナ」と呼ばれることもあるが、ジャーティとしての「不可触民」

は中世以降実体化されてきたとされる27)。

2 ネパールにおけるカースト制度の導入

ネパールのカースト制度における最大の特徴は、インドの社会制度を参考に、

社会統治の手段として意図的に歴代統治者によって社会に組み入れられたという

点である28)。歴代の統治者たちは自身の体制安定を図るために、ヒンドゥー教徒

か否かに関わらず、国内に存在する様々な民族をカーストの中に組み込んだ。そ

して、その結果として独自のカースト体系が構築されていったのである。

社会基盤としてのカースト制度の起源は、 4世紀後半に建国されたとされる

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リッチャヴィ王朝に遡る。この王朝の建国者とされるヴリシャ・テーヴァは、当

時インド地方を中心に隆盛を誇ったグプタ朝への隷属を拒み、現在のネパールに

あたる地域にネーパーラ王国を建国したとされる。その際にインド・アーリア系

の出自を持つ彼は、同王朝でもカースト制度を社会基盤に据えたのである29)。こ

の頃のカーストは四種姓18カーストであった30)。同王朝は 9世紀後半まで存続す

るが、この間に制作された多くの碑文からカースト制度が社会基盤に据えられて

いたことが窺われる。 5世紀後半頃に在位したマーナ・テーヴァ 1世は、布告文

の中で自身がクシャトリヤであることを宣言し、ブラーマンに対し布施を行なっ

ていることを表現している31)。また、王朝の最盛期を創出したアンシュ・ヴァル

マーも布告の中で「……アーリヤ規範(四種姓、四住期)の保持に努め……」と

述べており32)、王朝では一貫してカースト制度が用いられていたことが裏付けら

れる。そして結果として、カトマンズ盆地を中心にヒンドゥー的思想が次第に波

及していったのである。また、この時代から既に先住民がカースト体系の中に組

み込まれていたことも大きな特徴である33)。

リッチャヴィ王朝が崩壊すると、カトマンズ盆地ではいくつかのネワール34)

系王朝が興亡した。その中のひとつであるマッラ王国のジャヤ・スティティ・

マッラは、ヒンドゥー教司祭の進言の下、従来の 4種類のヴァルナに加えて新た

に36のカーストを設けたとされている。ここには盆地の先住民に端を発するネ

ワール集団も組み込まれ、人々は職業によって64のカーストに分類された35)。こ

の規定はムルキ・アインの制定まで、一定の影響力を持っていたものとされてい

る36)。この時代になると、カトマンズ盆地には多くの民族が流入し、先住民と移

住者の間で職業に関する紛争が頻発するようになった。そこで、この時代には

カースト毎に規定されている職業的権利を保護し、違反するものへの罰則も強化

された37)。

マッラ王国は後にバクタプル、カトマンズ、パタンの三王朝に分裂し相互の紛

争が増加していき、18世紀中頃にグルカ王朝38)によってカトマンズ盆地は征服

される39)。この征服によりネパールの統一がなされた。この後約50年間は、王を

中心とした領土拡大政策の下で体制安定期が続いた。しかし18世紀の末頃から、

王族と執権、首相勢力の間の確執や、イギリスなどを相手とする対外政策の迷走

によって、政局は混迷を極める。この時、力を付けていたのが、ジャンガ・バハ

ドゥール・ラナである。彼は後の王宮大虐殺事件で時の首相とその配下を一掃し、

王を廃位すると、自身の息のかかった新たな王を立てて傀儡とし、自身は首相に

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就任して、全権を掌握した。これにより、その後100年以上にわたって首相の地

位に就き、国を支配したラナ家政権が誕生したのである40)。

彼らは自らのカースト体系(パルバテ・ヒンドゥー41)のカースト体系)をもとに、

ムルキ・アインの制定によって国内に居住する多くのジャートとエスニック・グ

ループをひとつのカースト体系の中に組み込んだ42)。そして、歴代の王と同様に

ヒンドゥー的階層性に基づく統治政策を推進していった。

3 小 括

カースト制度は古くはインド由来のもので、ヒンドゥー社会の根幹をなす制度

のひとつである。また、カースト制度はマヌ法典でその正当性が担保される社会

制度として捉えられていた。

ネパールのカースト制度で着目すべき点は、その導入過程である。インドでは

カースト制度は自然発生的に誕生したのに対し、ネパールでは統治者たちが体制

安定を図るために意図的に導入した。その際には、ヒンドゥー教という枠組みを

超えてネパールに住むすべての民族をカースト制度に取り込んだ。ネパールにお

いてカースト制度は社会制度というより統治制度の色合いが濃かったことが分か

る。

Ⅲ カースト制度の法的変遷

本章では前述のうちの法的変遷について扱う。前章ではそもそものカースト制

度が何者であるか、更にそれがネパールでどのように導入され、統治制度として

利用されたかを述べたが、カースト制度はその後の歴史で法律の文言上に登場す

ることになる。本章では法律の文言として表れているカースト制度の姿を時系列

に沿って追うこととする。

1 ネパールにおける近代のカースト体系

ムルキ・アインで規定されたカースト体系は大きく 3つの特徴を持つ43)。これ

はそのまま、ネパールにおけるカースト制度の特徴となっている。

第一の特色として、従来の 4ヴァルナとは異なっている点が挙げられる。ネ

パール式カーストは通常 4階層ないし 5階層に分類されるが、これはインドなど

で用いられる正統ヒンドゥーの階層制とは微妙に異なる。ネパール式 4階層区分

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300 法律学研究55号(2016)

の場合、第 1階層が正統のものでいうブラーマンとクシャトリヤ、ヴァイシャを、

第 2階層がシュードラを包含するものとなっている。また、第 3階層は「水を受

け取ることはできないが、不可触ではない人々」、第 4階層は「水を受け取るこ

とができず、不可触な人々」とされているのである。他方、 5階層区分の場合は、

シュードラにあたる第二階層を、「奴隷化できないマトワリ」と「奴隷化できる

マトワリ」に分類している。

次に、ネワールやタライ平原の諸民族といった異なるカースト体系を持つ民族

も同一の階層の中に組み込まれ、最高位カーストの同列化や各々の階級の重合が

なされている点が挙げられる。後掲の図 1で示すように、ヴァルナの中で若干の

階層こそ生まれたものの、パルバテ・ヒンドゥーのみならず、被征服民であるネ

ワールやタライ平原の人々も第一階層に組み込まれているのである。この背景に

はラナ政権が西洋諸国の侵攻に対する脅威があり、国内の統合を最優先に考えた

結果生まれた融和の形であると指摘される44)。

一方で、パルバテ・ヒンドゥーの人々にとって、ネワールやタライの人々はあ

くまでネワールやタライの人々という認識であり、不可触かどうかを除き、それ

以外の民族内でのカースト帰属はさして重要な問題ではなかったものとされてい

る45)。

更に、山岳地帯や南部平原地帯に住む非ヒンドゥー教徒のエスニック・グルー

プも、このヒエラルキーに組み込まれている点も特徴的である。このことから、

過去の王朝と同様に、政権が国内を一元的な体制のもとで支配しようとする思想

が窺える。

また、その中には、グルカ王朝がカトマンズを征服した際に徴兵したマガル族

やグルン族が含まれ、第 2階層に位置付けられている。彼らは卓越した戦闘技能

を有し、征服に非常に大きな役割を果たしたとされている。そのため、政権は彼

らを傘下に残すためにこのような方針をとったのであろうと考えられている46)。

次ページに示すのがムルキ・アインから読み取れるネパールのカースト制度を

図式化したものである47)。

2 1963年ムルキ・アイン大改正によるカースト制度の法的撤廃

20世紀に入るとネパールにおいても欧化、近代化が進み、ムルキ・アインで規

定されていた死刑制度や奴隷制度の相次ぐ廃止によって、カースト制度の存続に

大きな影響が生じた。更に1951年にはラナ家による専制政治の崩壊により統治手

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図1 ムルキ・アインによるカーストの位置づけ

カースト

ジャート(ジャーティ)

浄・不浄

ネ的

4階層

印的階層

ネ的

5階層

パルバテ・ヒンドゥー

ネワール

タライ

その他

浄カースト

第1階層

バラモン

クシャトリヤ

ヴァイシャ

タガタリ

ウパデャヤ・ブラーマン

ラージプート(王家)

ジャイシ・ブラーマン

チェトリ

チェトリ

デオバシュ(ブラーマン)インド・ブラーマン

その他諸外国のブラーマン

セクト(サンニャーシ)

(「低位」ジャイシ・ブラーマン)その他高位カースト

第2階層

シュードラ

奴隷化

不可能な

マトワリ

マガル

グルン

スンワルなど

その他諸カースト

奴隷化

可能な

マトワリ

ガルティ(解放奴隷の子孫)

クマル

タルー

ダヌワール他

ボティヤ

チェバン

キランティ他

不浄カースト

(ダリット)

第3階層

水を受け取

ることがで

きない人々

可触

カサイ(食肉処理)

テリ

ムサルマン

(イスラム教徒)

ムレッチャ

(西洋人)

クスレ(楽師)

ドビ(洗濯)

クル(革加工)

第4階層

不可触

カミ(鍛冶)

カドラ(カミとサルキの子孫)

サルキ(皮革)

ダマイ(縫製)

ガイネ(吟遊詩人)

バディ(楽師)

ポレ(革加工・漁師)

チャメ(清掃人)

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302 法律学研究55号(2016)

段としてカースト制度を使用するものがいなくなった48)。これにより、カースト

制度は急速に社会統治手段としての意味合いを失っていった。そして、1963年の

マヘンドラ・ビクラム・シャハ国王によるムルキ・アインの改正によって、法の

前での平等が謳われ、カースト差別的な法体制は撤廃された49)。一方で、ヒン

ドゥー的な「穢れ」に基づく差別行為を罰することは宣言されていなかった。ま

た、カースト制度の枠組みそのものの否定はなされなかった。そのために、高

カーストの低カーストに対する態度に変化は現れなかった。

差別行為に対する罰則規定が明言されるのは、1990年に改正された憲法の中に

おいてである。同憲法11条などにおいて、「何人も、カーストに基づき、不可触

民として差別されることもなく、公共の利用する場所への立入を拒否されること

もなく、あるいは公衆に公開された施設の利用を拒否されることもない。このよ

うな行為は法により処罰される」ことを宣言したのである。しかし、立法におい

てはこの規定が定められることはなかった。更に、1991年のムルキ・アインの追

加規定では、「伝統的に」存在していた差別の存在を認める旨の記述がなされ、

憲法が掲げた差別に対する姿勢の規定は空文化した。

このような立法化においては差別是正が見られるはずもなく、カーストに基づ

く差別は許容され、凶悪事件も発生した。1993年にシンドゥパルチョーク郡で起

こった事件の概要を以下に引用する50)。

3歳のラクシュミ・ヴィシュヌカルマという女の子が、遊んでいる間に地

元の井戸に無意識に触れた時、P・バタライによって打擲された。翌日彼女

の身体が同じ井戸に浮いているのが見出された。その死は事故として報告さ

れた。(以下省略)

この「事件」から窺うことができることとして、まず高カーストの低カースト

に対する意識や態度には変化がない点が挙げられる。詳しくは後述するが、被害

者の名字であるヴィシュヌカルマ(ビッスカルマと同義)は不可触のカミ・カー

ストに属することを意味する。宗教上、穢れの意識から高カーストの者は低カー

ストからは水を受け取ることができないことになっている。つまり、低カースト

の者が井戸に触れたということは、高カーストの人間はその井戸を使えなくなる

ことを意味するのである。本件はこのような意識が存在したが故に発生してし

まったと考えられる。また、2010年には冒頭に詳述したような名誉殺人事件が発

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303

生している。

これらの凶悪犯罪の背後には、カースト的差別意識が存在しているものと思わ

れる。憲法はカーストに基づく差別の禁止を宣言しているが、国民の意識に大き

な変化は見られない。そこで、このような悲劇を減少させるためのひとつの手段

として、罰則規定が明文化された新たな立法が要請されたのである。

3 小 括

ムルキ・アインでカーストを成文法上認めた後も、カースト制度は依然として

統治制度として機能していた。その意図も過去の王朝と同様に、政権が国内を

「一元的な体制」の下で支配するためであった。ところが20世紀に入ると、前近

代的な諸制度の廃止やラナ家の崩壊に伴い、カースト制度の存続も影響を受けた。

そして、1963年のムルキ・アイン改正でカースト差別は禁止された。しかし、カー

スト制度は依然としてネパール社会を規律していたので、1990年憲法には差別禁

止規定が盛り込まれた。それもその矢先、1991年のムルキ・アイン改正では伝統

的なカースト差別の存在を認め、憲法規定は実質的に意味をなさなくなった。そ

の結果、新たな立法等の施策が要請された。

Ⅳ カーストのネパール社会における変化

本章では公的ともいえる法の変遷を超えて社会の中でカーストが変化を遂げて

きたかを論じる。変化には政府が積極的に生じさせようとしたものもあれば、ネ

パール社会の中からいわば自然発生的に生じたものもある。よって本章において

は内側からの変化と外側からの変化とに大別した。それぞれどのような動きだっ

たのか、果たしてその動きがカースト制度に対してどのような影響をもたらした

のか、あるいはもたらしうるのかに着目した。

1 内側からの動き

( 1) 各地に見られる名字の変化

ネパールにおいては、自分が属するカーストの名前がそのまま自分の名字に

なっている例は少なくない51)。そして、特に低カーストにおいてそれが顕著にみ

られる。先に述べたように、同国はヒンドゥー的な思想の下、ジャートごとに固

有の職業を与えることで社会管理を行ってきた。そのため、名字を変更するとい

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304 法律学研究55号(2016)

う行為は社会に混乱を与えかねず、本来禁忌であるとされるはずである。しかし、

今日では農村部を中心に低カーストに属する人々が能動的に自身の名字を変えよ

うとする動きが現れている52)。

カトマンズからおよそ 2時間の距離にあるセラという村のカミは今日では「鉄

筋を扱う人」を意味するビッスカルマという名で呼ばれているとされる53)。加え

て、彼らのことをカミと呼ぶことは差別的であるから控えるべきであるとまでさ

れているとされるのである54)。また今日では、サルキに属する人々がミザール55)、

ダマイに属する人々がネパリーやパリヤル56)、ガイネに属する人々がガンダル

バ57)と称されるようになっている。これらの名は、サンスクリット語に由来す

るものが多い。更に、地方の村からカトマンズ等の大都市へ移住する者の中には、

地元を離れれば出自が分からないであろうと考え、移住を機に改姓する者も存在

するとされる58)。

ここで、着目すべき点に、低カーストの人々が新たな姓を名乗っているだけで

なく、周囲の村民の中にも彼らの改姓を認めている人々が存在するという点があ

る59)。ネパール国内でもカーストに関する考え方に変化の兆しが表れている一例

といえよう。もっとも、このような出来事はネパール社会の一断面にすぎず、そ

の裏には多数のカーストに基づく差別が残存しているという事実を否定できない

旨は留意すべきである。

ところで、先に述べたように改姓はカースト制度に反する行為であるため本来

は禁忌とされるはずである。しかし、過去には統治する側の人間の中に改姓の例

が見られた。カサ王国の時代の王であるアショーカ・チャッラ王の王子ジターリ

はチャッラ姓を捨ててマッラ姓を名乗った。また、先住民の王統のひとつケー

ラー家のソナムという人物がカサ王統を継承してブニャ・マッラと名を改めた60)。

前 2章からの繰り返しになるが、これらの例からはネパールにおけるカースト制

度の宗教的色彩の薄さ、そしてやはり社会統治手段的な性格が強いことが窺われ

る。

( 2) 職業カースト

(a) 職業カーストの概略

カーストの特徴である職業の継承体としての機能の最たるものに職業カースト

という存在がある。職業カーストという言葉には広義のものと狭義のものが存在

する。ここではまずそれらの定義づけをおこなう。

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305

広義の職業カーストは、ヒンドゥー教におけるジャーティのことで、ネパール

では「ジャート」と呼ばれている。ジャーティとは職業や食卓を共にする生活集

団であり、またその集団内で婚姻が結ばれる内婚集団である61)。この集団が今日

までネパール社会において職業選択の自由を奪い、社会の流動性を阻害する要因

のひとつになっている。

ジャーティが誕生した背景には、都市が形成され、貨幣経済が発展し始めたこ

とによって、専門職の多様化がなされ、専業集団が生まれたことがある。これら

の職業はヴァルナ制度の下で厳格な世襲制度によって引き継がれていくことに

なった62)。言い換えると、「人は生まれによってどの社会集団に所属するかが先

天的に決められることになった」63)のである。

他方、狭義の職業カーストは、鍛冶を行なうカミや皮革工のサルキといった、

ヒンドゥー的価値観の中で「不浄」であると判断される職業に就く人々、及びそ

の集団のことを指す。またそれに伴い、ムルキ・アインに規定されている代表的

な職業カーストは前記図 1において太字で示されているジャートである。特徴は

第三階層及び第四階層に集中していることが挙げられる。これは職業カーストが

不浄な職務を課されていることと深く関係している。彼らは主にヴァルナの外に

置かれており、上位ヴァルナに属する人々と比して教育、収入などの水準が低い

ことが問題となっている。また、今日ではこのようなカーストに属する人々が自

身を「ダリット」と称し、地位向上や待遇改善に向けて様々な活動を行っている。

以下、本稿の中で職業カーストという語句を用いる際には、断りがない限り後

者の意味で用いるものとする。

(b) 職業カーストから見る社会流動性

前述のように、ヒンドゥー教ではジャーティと呼ばれる職業、内婚集団が形成

され、世襲によって集団固有の職業に就くことが慣例となっている。そのため、

基本的には社会の流動性は非常に小さい。

ネパールにおいても職業の流動性は伝統的に非常に小さかった。カーストの歴

史で触れたように、ネパールの歴代支配者たちは既得権益を手厚く保護する一方

で、異なるジャートの職業に就くことを禁じる政策を推進してきた。法典にもそ

の姿勢は明確に表れている。ムルキ・アインはいくつかの規定をすることによっ

て、専門や職業の選択を制限していた。具体例のひとつに以下の規定を挙げる。

「近しい親戚も財産もない孤児は、自分のカーストに所属するために職業訓練や

教育を受けなくてはならない。しかし、教育を受けるべきはブラーマンからヴァ

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306 法律学研究55号(2016)

イシャまでの階級の子どもたちだけで、シュードラ以下の子どもたちは職業訓練

を受けるべきである。」64)

この規定はたとえ世襲を受けるべき親を亡くした孤児であっても、自らが生ま

れたジャートが生業とする職業に就かなくてはならないこと、そして、そのため

の公共機関が存在することを示す。また、教育の機会がヴァルナによって制限さ

れうることも窺われる。

このように、非常に厳格な職業規定が存在していたが、自らのジャートに設定

された職業に必ず就くというわけではなかった。たとえばブラーマンは司祭階級

であり、司祭が規定の職業であるが、ブラーマンに属する全ての人間が司祭の地

位に就いていたわけではない。中には農業に従事する者もいたのである65)。また、

「新種の職業を選択する自由は開かれている」66)ということも指摘されており、

一定の範囲内で職業選択の可能性は存在したといえる。一方で、他のジャートに

属する人間が司祭の地位に就くことは決してなかった。

(c) 現代ネパール社会における職業事情の変化と職業選択

ネパール社会における職業選択に目を移すと、かつて法律によって定められて

いた職業との関わりに少しずつ変化が生まれてきている例が見受けられる。ただ、

変化は一様に生じているのではなく職業によって差がある。本項では、具体例と

して「ガイネ」を紹介する。

「ガイネ」は山地ヒンドゥーというネパールの中間丘陵山地部に居住し、ネパー

ル語を母語とする 1カーストであり、ネパールのカースト序列における地位は極

めて低く、カミ、サルキ、ダマイといったカーストと共に、「不可触」の低カー

スト層として位置付けられてきた67)。このカーストの伝統的な職業は「門付け」

であり、彼らは「吟遊詩人」と呼ばれる。門付けとは、人家の門口に立ち、音曲

を奏したり芸能を演じたりして金品を貰い歩くことである68)。サランギと呼ばれ

る木製の簡素な弦楽器を使用し、男性が単身で従事する。サランギ伴奏による歌

い継いできた歌の弾き語りや、健康祈願、まじないによる病人の治療なども役割

である69)。

1960年代、国営ラジオ局のミュージシャンに一人の「ガイネ」が採用され、こ

れをきっかけにサランギは国民音楽に欠かせない楽器となった70)。ここから

「ミュージシャン」として、ラジオ局やレストランでの演奏、スタジオ録音など

現金収入が得られるチャンスが一部生まれた。1970年代以降になると、ツーリズ

ムが急速に発展し71)、門付けを離れて「ツーリストビジネス」に従事する人々が

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307

現れた72)。外国人ツーリスト相手に伝統楽器サランギを演奏、販売することで現

金収入を得ようとしたが、2000年代になると政情不安から外国人ツーリストが減

少し、それに伴いサランギの売り上げも減少している73)。サランギはネパールの

楽器として注目を集めていることから、今後、サランギに対する注目がガイネの

注目にもつながる可能性はある。その反面、高カーストにサランギが奪われ、職

が失われるおそれもある。多くのガイネは「息子にはこの仕事に就かせたくない。

娘は門付け者のもとに嫁がせたくない」という74)。子供が将来自由に職業を選択

し、安定した暮らしができるように願いガイネが今日、子供の教育に熱をいれて

いる現実もある。しかし一方で、サランギ演奏自体は「ガイネの文化」として受

け継がれなければいけないと考える人も増えている。

このように、職業カーストは社会変化の影響を受け変化せざるを得なくなるこ

ともある。他にも、サルキは衛生状態の改善などに伴って牛の死亡数が減少した

り、外国から安価な革製品が流入するようになったりしたことによって、カース

トに定められた本来の職業を失ってしまっている75)。一方で、鍛冶屋を営むカミ

は農業に不可欠な農具の修繕などの仕事が存在することから、職業的安定を得て

いるとされる。また、カトマンズ盆地に居住し清掃を生業としてきたポレは、役

所やオフィスの新設に伴って就業機会を増やしているといった例も見受けられ

る76)。

もちろん、カーストに関する差別が禁止されたからといって直ちに職業選択の

自由化がなされたわけではない。そして、「職業を世襲化するジャートが存在す

ることによって失業が生まれにくくなっているという事実を理由に、ジャートの

存在を肯定する意見も存在する」77)とされている。カースト制度による差別は法

制上では撤廃され、職業選択の自由化が次第に見受けられるようになってきては

いるものの、現実の生活の中には未だにジャートによる制限が影を落としている

というのが実情であるといえよう。

2 外側からの動き

( 3) 教育制度

(a) 教育制度の概略

ネパールは国家開発計画の一環として教育にも力を入れている。その取り組み

の中で低カースト層、とりわけダリットに対する配慮があり、また1864年時点の

ムルキ・アインでは教育を受けるべき階級をブラーマンからヴァイシャまでに限

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308 法律学研究55号(2016)

り、シュードラ以下には職業訓練のみ必要だとしていたのに対し画期的である。

以上の点を理解するためにもまずは教育制度全体について概観する。

ネパールでは国際的な目標である「万人のための教育(Education for All :

EFA)」78)を達成すべく努力が続けられている。ネパール政府は、暫定 3ヵ年中期

計画79)(2010/11-2012/13年度)において、教育セクター開発を貧困削減に向けた

主要戦略のひとつとして取り組みをおこなった。また2009年からは 5ヵ年間の国

家教育政策として「学校セクター改革プログラム(School Sector Reform Program:

SSRP)」をスタートさせ、 5歳から12歳までの全ての子どもが等しく質の高い教

育を受けられるよう、SSRP終了時点で純就学率99%を目標値として掲げてい

た80)。

ネパールの教育課程は、 1~ 8年(基礎教育)、 9~12年(中等教育)の12年制

である。高等学校卒業の10年生までが義務教育81)にあたる。10年生及び12年生

終了時に各々全国共通の認定試験 SLC(School Leaving Certificate)がある。この

成績は大学への入学、公務員の採用試験の際に必要とされる。

(b) 授業料無料化(ダリットへの優遇)

「バフン・チェットリ、ネワール以外の民族が彼らと肩を並べ、240年間82)の

格差を縮小するには、長期を要するが、子どもの教育から始めるしかない。」83)

とされるように、カースト制度の差別に対しても教育が重要な対策のひとつだと

いえる。2001年時の人口調査時点で、ネパール全体の初等学校の就学率は73.5%

であった84)。その中で、タライのブラーマン・チェットリの就学率は86.8%であ

り、ネワールも88.1%と高い。一方で、タライのダリットは37.5%と極端に低

い85)。タライは都市に比べ差別が厳格であり、一般的にダリットは極めて貧しい。

この就学率の差は、教育におけるカースト格差を明確に示している。

このような状況に対し、1975年、ネパール政府は 3年生までの公立小学校の授

業料無料化を行った。1977年には小学校教育無料制度を確立し、1996年には10年

生の一部生徒までが授業料無料になった。現行制度は2009年から、 8年生まで授

業料無料、 9 /10年生は女子及びダリットのみ授業料無料とされる。また、教科

書は10年生まで無償で配布される86)。就学率と最終学年の上昇は、授業料の無償

化とみごとに一致している87)。2011年では、小学校に通う 5~12歳( 1~ 8年生)

の、純就学率は93.7%、残存率は62%に留まっている88)。これらの指標は年々改

善されている。一方、進級率(小学 1~ 5年生)は平均で79.1%(男子79.0%、女子

79.2%)89)と低く、教育の持続性も問題となっている。

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309

(c) 教育現場での状況

ネパールの低カースト層「ダリット」の教育の現状について、ネパール山間部

西部地域ゴルカ郡のダリットコミュニティにある小中高一貫学校での先行研究に

よる事例90)から明らかにする。憲法でカースト差別、不可触の慣行が禁止され

た現在、学校など公的な場での明示的な差別はほとんどなくなった。しかしなが

ら、学校の中においてダリットへの暗示的な圧力や不当な扱い、無視が行われて

いる。これは差別意識が教師や非ダリットの生徒の心の奥に根強く残っているこ

とからである。ダリットは不可触民として、飲料水や座席等で強く差別されてい

る。また、本名で呼ぶことは尊敬することになるため、ダリットを尊敬する必要

がないと考える教師や生徒は不適切な呼び方で氏名を呼ぶ。これがいじめの対象

につながることもある。このことがダリットの生徒を物理的、心理的に教室から

遠ざけ、学校教育への参加率を低くしている91)。

ネパールの低カースト層のダリットの教育は、カーストに対する偏見や意識に

問題があり特殊といえる。固定的な観念が現代でも根強く残っていることがダ

リットの教育向上を妨げ、阻害している。教師の無意識な教育によって、高カー

スト中心の価値観が子どもたちの学習プロセスの中で植え付けられていることも

問題である。

ネパール政府によるダリットにより重点をあてた授業料無料化は就学率の向上

として一定の効果を挙げた。しかし、ゴルカ郡の小学校におけるダリットの差別

のように、学校教育における見えない差別により教育の機会を奪われる生徒も多

い。その意味で国の金銭面による支援だけでは、ダリットに対する差別は抑えら

れず進級率は向上しない。

( 4) 異カースト婚推進方策

(a) 異カースト婚推進方策の概略

カースト制度は本来、ジャーティが「内婚集団」を意味するように、異なるカー

スト出身者同士の婚姻を禁止していたが、1990年憲法のカースト差別禁止規定に

よって制度上可能になった。ところが実情は、カースト制度がネパール社会に根

強く残り、いまだ異なるカースト出身者同士が結婚することは世間から冷ややか

な目で見られる。特にそれが不可触民であるダリットとの結婚ともなればより一

層厳しさを増す。

そこでネパール政府は2009年 7月13日、ダリットへの差別対策として、異なる

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310 法律学研究55号(2016)

カースト間の新婚カップルに10万ルピー(当時、約12万円)を給付すると発表し

た92)。本稿ではこれを「異カースト婚推進方策」と呼ぶことにし本節ではこの対

策について考察を加えたい。政府は当初、世間の風当たりの強い異なるカースト

出身者同士の結婚生活を10万ルピーの給付金によって、少しでも楽に始められる

のではないかと期待していた93)。異なるカースト出身者同士の婚姻を推し進める

ことは社会に身分の移動の流動性を生む効果がある。カースト制度においてしば

しば問題視される流動性が改善されることが見込まれる。

(b) 方策実行の状況

この方策に対する反応はあまり芳しいものではなかった。ダリットに属するあ

る活動家は、今回の方策を歓迎する一方で、夫が10万ルピーを受け取ったあとで

妻を捨てるといったような悪用の可能性を指摘している94)。また、ヒマラヤン・

タイムズは、この方策を机上の空論と揶揄し、現実的に厳しいと見ている。その

具体例として、実際にチェットリの少女とダリットの青年が結婚をしたものの、

家族や周辺住民から受け入れられず村を追われ、殺害の脅迫まで受けた話や、高

カーストの少女と結婚したダリットの若者が、社会秩序違反を理由に 6万ルピー

もの寄付を強要された話を挙げた。また同紙は政府の対応についても懐疑的だ。

その裏付けとして地方当局長官(CDO)補佐が前述の出来事について不知を装っ

たのにも関わらず、もし訴訟が提起されれば厳格な対応を取ると誓ったという矛

盾がある。結局のところ、政府は訴訟が提起されなければ動けないというのだ95)。

政府は当初、ダリットへの差別対策としてこの施策を打ち出したが、現実はど

うであろうか。報道によれば差別はむしろ助長されていると評価せざるを得ない。

更にこれらの状況に対する政府の対応も不十分である。政府は訴訟が提起される

のを待つ姿勢だが、ネパールには不処罰の問題もあるため不安は残る96)。

本件のような積極的差別是正措置が上手く働かないことの背景には、カースト

差別が第 1章で述べたように、ネパール社会の奥深くに根を下ろしたカースト制

度に由来していることがある。カースト差別を是正するにはより抜本的な対策が

必要なことが分かる。

3 小 括

本章では内側からの動きとして改姓と職業カースト、外側からの動きとして教

育制度と異カースト婚推進方策を取り上げた。実態として、職業事情の変化や

人々の意識の変化によって、カーストは全くの旧態依然ではないことが分かった。

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311

内側からの動きを低カーストの人々による自発的な地位向上に向けた働きかけ、

外側からの動きを低カーストの地位向上対策だと見ることができる。カースト制

度を変えていこうとする人々の意識がそこにはある。しかし、その動きはどれも

カースト差別を劇的に改善させるものとはいえないだろう。

Ⅴ 2011年法を巡って

1 2011年法の内容

( 1) 2011年法の目的

前 2章にわたる変遷を経て、2011年 5月24日、ネパール議会はカーストに基づ

く差別と不可触制に関する法案を可決した。本稿における件の2011年法である。

審議が開始されてからおよそ 2年もの年月をかけての成立だった。2011年法は、

前述のように、公的及び私的両空間においてカースト差別と不可触制の慣行や行

為を禁止している。更に公務員がその差別に責任があると裁定された場合、処罰

はより重くなる。ネパールがカースト差別と不可触制の重大な犯罪に初めて特定

的な法律を制定したという意味でこの法律の意義は大きいといえるだろう97)。

2011年法の目的はその前文に表れている。まず確認されているのが「権利」と

「人間の尊厳」の名の下に、万人が平等であるとの認識である。その上で被害者

に救済を与え、関係性を強めることで国内の統一を強化し、平等主義の社会を構

築することを目的としている。そのために必要なのが、習慣・伝統・宗教・文化・

儀式等の名目で、不可触制や差別がカースト・民族・祖先・地域・職業によって

流布することのないような環境だという位置付けである。

( 2) 2011年法の概観

本節では2011年法の全体像を大まかにつかむためにその規定する内容に触れて

おく。

第一に本法の施行範囲はネパール全土及び在外ネパール国民による同法違法行

為である。その構成としては前文と17の条文から成り、内容としては 3条でカー

ストに基づく差別と不可触制の行為・慣行の禁止、 4条でカーストに基づく差別

と不可触制法に該当する違法行為を示している。違法行為とは公共サービス利用

の拒否、職業差別、結婚差別、公共の場への入場拒否、宗教的行為の拒否、差別・

排除の助長行為などを含む13項目がこれに当たる。更に 6条には事実調査におけ

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312 法律学研究55号(2016)

る協力の義務が示されている。そして本法には 7条の処罰の規定がある。処罰の

重さは違法行為によって異なる。例えば公共サービスの利用を拒否した場合は 3

か月から 3年の実刑、あるいは1,000~25,000ルピーの罰金が科せられる。結婚差

別をした場合は 1か月から 1年の実刑、あるいは500~10,000ルピーの罰金が科

せられる。また、これら行為の協力、幇助、扇動は該当する犯罪に科せられた刑

罰の半分が科せられる。行為者が公務員による違法行為の場合は、刑罰が1.5倍

になる。付随義務として 8条には調査の妨害に対する処罰、 9条には補償制度と

して裁判所は刑確定者に被害者に対する25,000~100,000ルピーの補償金の支払い

を命令できる旨が定められている。被害者が実害を受けた場合は、治療費の支払

い命令も可能である。本法の提訴期限は、違法行為発生時から 3か月以内だ。そ

して競合するムルキ・アインの「良識」(Decency)節については廃止される98)。

( 3) 2011年法の普及対策

ネパールにおけるカースト差別は現在も広く根強く存在している。そしてこれ

までに見てきたように一筋縄では解決ができない問題であり、2011年法について

ももちろん例外ではない。そこで2011年法の普及に際し、ネパール国家ダリット

委員会(NDC)と国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)ネパール事務所は、この

法律を広く知らせるための100日啓発キャンペーンを2011年 9月16日、ネパール

大統領立ち合いの下、開始した。開会式には政府関係者、人権活動家、NGOな

ど100人余りが参加し、同年12月24日までの100日間で、この法律の内容を広く知

らせるためのさまざまなプログラムが展開された。また、この法律が効果的に実

施されることをネパール政府に求めるオンラインの署名キャンペーンもウェブで

行われた。名前とメールアドレスと好きな色をクリックするだけで、このキャン

ペーンに参加できる、という気軽に取り組みやすいものであった99)。

2 2011年法に対する考察

( 1) 2011年法が必要となった経緯

本稿では第 2章においてカースト制度それ自体について理解を深め、第 3章で

はカースト制度の法的変遷を、第 4章では社会におけるカースト制度の変化を

追ってきた。カースト制度は当初、統治制度としてネパール社会を確かに規律し

ていたが、時代の変化に伴い、その効果は廃れていったといえる。法的側面から

は、1990年憲法の規定と、1991年のムルキ・アインの追加条項の間に矛盾が存在

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313

した。また、凶悪事件が後を絶たなかったこともあり、憲法の徹底のために新た

な立法的措置が要請されていたことが読み取れた。一方の社会的側面からは、名

字や職業の変更といった低カーストの人々による自発的な地位向上の動き、ある

いは、教育の普及や異カースト婚の推進といった政府による向上対策が見られた。

これらの動きは社会の流動性を高めるようとするものだが、低カーストからの社

会に流動性を持たせたいという要請に対応するために、低カーストが正当に保護

される立法が必要とされていた風潮を見て取ることができる。

以上を鑑みると、2011年法は上記 2点の要請を満たす存在として位置付けるこ

とができる。議会としてもカースト制度に対する姿勢を改めて立法で示す必要が

あり、また社会からも流動性を阻害するような差別、不可触制ひいては差別意識

に対する何らかの対応を政府に求めていた。1996年から2006年までのマオイスト

らとの内戦を経て、国家体制が落ちついた2009年以降に改めてカースト差別につ

いて解決を試みたと見てよいだろう。

( 2) 2011年法の効果と限界

2011年法は一体どれほどの効果をもたらし、また2011年法は対策としてどんな

限界を有するのだろうか。本節ではこれまで見てきた先例の傾向や2011年以降の

実際のネパールにおける反響をもとに考察を試みる。

まず過去の法変遷から考えると、憲法とムルキ・アイン(立法)を調整してい

る点では確かに意義深い。またカースト差別や不可触制が何たるかを定義付けし、

従来のムルキ・アイン「良識」の節より処罰を重くしている点に立法側の強い意

志も現れている。更に過去の対策の失敗原因から考えると、今までのものは教

育・結婚とアプローチとして間接的だったのに対し、本法は直接的かつ一元的に

カースト差別対策に取り組んでいるのは分かりやすい。しかしこれだけで本件立

法が効果的に作用するだろうか。従前の政府の対策は、結局社会に染みついた慣

習の方が強いために無視され、社会に大きなインパクトをもたらさない画餅と

なってしまっていた。本件立法を実現したからには、実体法を支える手続法の存

在が欠かせない。現在、刑事訴訟法の改正についても推し進められているが、そ

のように周辺の法律にも並行して力を入れていく必要があるだろう。本稿では字

数の都合上取り扱うことができないが、今後の研究課題として残る。

最後に2011年以降のネパール国内における実際の反響を紹介したい。2014年 7

月 9日付ネパーリ・タイムズは、立法自体 NDCの最大の成果で、ダリットコミュ

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ニティの経済的、社会的及び政治的権利を保障するために委員会の努力は立派だ

と称賛する一方で、適切に実施されてないと評している100)。また2014年 6月 1

日付のカトマンズ・ポストでは、法律が制定されカーストに基づく差別を有罪だ

としても偏見は根絶されないと指摘する。その理由のひとつは市民が警察に差別

の存在を報告することが難しいことだ。この社会を好きであれ嫌いであれ、この

社会で生きていかなければならず、不平を言うことは容易ではない。同紙面にお

いてダリットの研究者は警官が法律の存在を知らないか、または知っていても付

随規則がないと言って初期報告をしないことについても指摘している101)。また

司法長官事務局の年次報告によれば、2012/2013会計年度で14件、前会計年度で

19件の訴訟が提起されたが、刑務所に送り込まれたのはたった 1人だった102)。

2011年法は確かに立法措置として画期的であった。しかしカースト制度そのも

のの根深さからカースト差別をなくすことは容易ではない。各紙報道からその阻

害要因は付随規則の未整備や変わらない人々の意識だと読み取ることができる。

それでもなお確かなことはネパールの中でカースト制度は変わりつつあるという

ことだ。

Ⅵ 結 語

ここまでカースト制度の変遷を法的側面、並びに社会的側面から考察し、2011

年法がなぜ制定され、どのような意味をもつのかについて検討してきた。

本法の制定意義は、止まるところを知らないカースト差別に一石を投じるため

に、憲法理念であった罰則規定を個別の法律として確立させた点にある。しかし、

施行から 4年が過ぎた現在でも、法が当初意図されたとおりに機能しているとは

言い難い。罰則が軽すぎる可能性は拭いきれないであろう。また、そもそも無意

識的に差別が行われているのであれば、本件立法程度ではどれほど大きな効果を

得られるか定かではない。2000年以上にわたり人々の生活の根幹をなしてきた制

度に起因する差別問題を、ひとつの法規制によって廃止することは極めて困難な

のである。少なくとも現時点では、差別根絶への目覚ましい進歩は見られない。

しかし、この状況が2011年法の失敗を意味する訳ではない。この法の運用によ

り、どのような周辺の法律が必要とされるかが明らかになり、今後の法整備を加

速させることができるであろう。また、この法が存在することによって、人々の

意識の中に「カースト差別は好ましくない」という考え方が生まれる契機になり

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うる。2011年法の制定がどのような意味を持つかは、これからの立法や、人々の

意識変化にかかっているのである。

今日、ネパールでカーストについての考え方が変容しつつあることは本論で述

べた通りである。また国内外で、ダリット解放の機運が高まっていることも疑い

の余地はない。しかしその解決策として、カースト的差別を無理に減らそうとす

るような規制的法律を制定するだけでは限界があるということが今回改めて浮き

彫りになった。カースト間融和を図るような立法や施策と、差別規制的な立法を

並行して行いながら、数十年から数百年という長い時間をかけて、内部から更な

る変化を促す方法を模索するような支援が要請されるのではないだろうか。

1) THE TIMES OF INDIA, October 25, 2010 “Honour killing comes to Nepal” <http://timesofindia.indiatimes.com/world/south-asia/Honour-killing-comes-to-

Nepal/articleshow/6809708.cms> (2015年10月12日閲覧)2) 1854年に、時の首相ジャンガ・バハドゥール・ラナによって発布された国の統一法。ネパールの慣習法を成文化したものと位置付けられ、その内容は民法、民訴法、刑法、刑訴法を包含していた。各規定の根底にはヒンドゥー的思想が存在し、厳格なカースト制度の実施に関わる内容も含まれた。ここで規定されたカースト体系が、今日もネパール社会に影響を与えている。

3)『IMADR- JC通信 No.168』2011

4) 松尾 2012: 1頁。5) 国勢調査(2011)による。6) 在日ネパール国大使館 HP「連邦民主共和国ネパールについて」<http://www.

nepalembassyjapan.org/japanese/?p=149#more-149> (2015年 9月22日閲覧)7) 在ネパール日本国大使館「図説ネパール経済2014」<http://www.np.embjapan.

go.jp/jp/pdf/economy2014.pdf>(2015年11月 1日閲覧)8) 在日ネパール国大使館 HP 前掲(注 6)9) マオイストとはネパール共産党毛沢東主義派の通称。

10) 外務省南西アジア課「最近のネパール情勢と日ネパール関係」(2015年 3月作成)<http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000072753.pdf>(2015年10月15日閲覧)

11) 日本経済新聞「ネパールで新憲法公布 「憲法不在」ようやく解消」<http://

www.nikkei.com/article/DGXLASGM20H43_Q 5 A920C 1 FF8000/>(2015年 9月23日閲覧)

12) 外務省 HPネパール基礎データ <http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nepal/data.

html>(2015年11月 1日閲覧)13) 在ネパール日本国大使館 HP前掲(注 7)14) ADB key Indicators 2013

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15) 山本・村中 2013:136頁。立川 2014:55頁。

16) 藤井 2007: 2頁。17) 橋本・宮本・山下 2005: 8頁。18) 藤井 前掲(注16): 3頁。19) 橋本・宮本・山下 前掲(注17): 9頁。20) ヴェーダは紀元前1200年頃から古代インドで編纂されたとされる、インド最古の文献。ヴェーダは「知る」を意味するサンスクリット語から作られ「知識一般」を指すが、後に古代インドにおける宗教的知識が集成された聖典そのものの名称となる。

21) バラモンとは婆羅門と書く。サンスクリット語でブラーマンの音写である。22) 橋本・宮本・山下 前掲(注17):186-187頁。23) 藤井 前掲(注16):23頁。24) 藤井 前掲(注16):24頁。25) 藤井 前掲(注16):24頁。26) 立川 前掲(注15):54-56頁。27) 立川 前掲(注15):56頁。28) 山本・村中 前掲(注15):136頁。29) 佐伯 2003:76-79頁。

沖浦・寺本・友永 2004:156-157頁。30) 石井 2008:10頁。31) 佐伯(訳)1999:45-51頁。

原典:Dhanavajra Vajracarya編32) 佐伯 前掲(注31):449-450頁。33) 佐伯 前掲(注29):147-148頁。34) ネワール人は古くからカトマンズ盆地に居住し、18世紀に征服されるまで同盆地を支配していた民族である。独自の言語であるネワール語を話す。

35) 石井 前掲(注30):10頁。36) 中川 2011:95頁。37) 佐伯 前掲(注29):321-322頁。38) 彼らのルーツはネパールの中西部に12世紀頃までに流入したインド・ヨーロッパ語系の民族にある。彼らは複数の小王国を建国し、カースト制度などを用いた統治を行なっていた。

39) 佐伯 前掲(注29):456-458頁。40) 佐伯 前掲(注29):493-543頁。41) パルバテ・ヒンドゥーは、ネパール語を母語とする人々の総称である。「パルバテ」は現地の言葉で「山地の」という意味である。他の民族と比べて国土の広範囲に居住しており、現在でも国の人口の半数以上を占める一大勢力となっている。

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先述のゴルカ王朝もこの人々の系統をひく。42) 沖浦・寺本・友永 前掲(注29):155-157頁。43) 畠 2007:46-47頁。44) 山本・村中 前掲(注15):141頁。45) 名和 1997:52頁。46) 山本・村中 前掲(注15):142頁。47) Hofer 1979: p.45.

畠 前掲(注43):48頁。名和 前掲(注45):49頁。三瓶1997:91頁。上記 4文献をもとに執筆者図表作成。図中太字は職業カーストを、アミかけ部分はエスニック・グループを意味する。上位ジャートから上部に記載。ただし序列づけが不明確とされる部分はセルを結合した。

48) 石井 前掲(注30):12頁。49) Wahlquist 2008: p.485.

畠 2002:10-11頁。50) 桐村(訳)2004:176頁。

原典:Robertson, Mishra 1994

51) Maharajan 2005: p.109.

52) 名和 2000:98頁。53) 石井 前掲(注30): 9頁。

清沢 2007:53頁。54) 清沢 前掲(注53):53頁。55) 清沢 前掲(注53):70頁。56) 清沢 前掲(注53):82-83頁。57) 石井 前掲(注30): 9頁。58) 清沢 前掲(注53):57頁。59) 清沢 前掲(注53):53頁。60) 佐伯 前掲(注29):244-245頁。61) 森本 2003:141-142頁。62) 森本 前掲(注61):141-142頁。63) 森本 前掲(注61):142頁。64) Hofer 前掲(注47):p.119.

65) 石井 2005:392頁。66) 石井 前掲(注65):392頁。67) 今井 2008:14頁。68)『広辞苑第五版』

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69) 今井 前掲(注67):15頁。70) 今井 前掲(注67):18頁。71) 今井 前掲(注67):18頁。72) 今井 前掲(注67):19頁。73) 今井 前掲(注67):19頁。74) 今井 前掲(注67):19頁。75) 清沢 前掲(注53):72頁。

名和 前掲(注52):97-98頁。76) 名和 前掲(注52):97-98頁。77) 清沢 前掲(注53):72-73頁。78)「万人のための教育(EFA)」は、2015年までに世界中の全ての人たちが初等教

育を受けられる、字が読めるようになる(識字)環境を整備しようとする取り組みである。

79)「暫定三カ年計画」基本戦略は経済・社会変革を実現するための基盤構築、貧困削減とグッド・ガバナンス、社会正義実現と包摂的な開発の確保である。

80) 国際協力機構南アジア部南アジア第四課「事業事前評価表」<http://www2.jica.

go.jp/ja/evaluation/pdf/2011_1161180_ 1 _s.pdf>(2015年10月30日閲覧)81) ネパールの義務教育は、修学希望者を学校側が受け入れる義務で、学年以外を含めた就学者総数と出席実数の間に開きがある。

82) 240年間はゴルカ王朝統一期間と考えられる。83) 伊藤 2008:187頁。84) Huebler, Friedrich, 2007“International Education Statistics”. <http://huebler.

blogspot.com/2007/05/caste-ethnicity-and-school-attendance.html>(2015年10月28

日閲覧)85) Huebler, Friedrich 前掲(注84)86) 外務省 HP 国・地域の詳細情報(平成26年11月更新)<http://www.mofa.go.jp/

mofaj/toko/world_school/01asia/infoC10900.html>(2015年10月30日閲覧)87) 伊藤 1997:253頁。88) 国際協力機構南アジア部南アジア第四課「事業事前評価表」 前掲(注80)89) 国際協力機構南アジア部南アジア第四課「事業事前評価表」 前掲(注80)90) ADHIKARI ARYAL(2013)91) ADHIKARI ARYAL 前掲(注90): 5頁。

ADHIKARI ARYAL(2011):208頁。92) AFP BB News(2009年 7月14日掲載)「異カースト間の結婚に給付金、差別対策で」

<http://www.afpbb.com/articles/-/2621140?pid=4358520>(2015年10月20日閲覧)93) AFP BB News 前掲(注92)94) AFP BB News 前掲(注92)95) Himalayan Times, December 15, 2009“Inter-caste marriage spells trouble”

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<http://thehimalayantimes.com/news-archives/latest/inter-caste-marriage-spells-

trouble/>(2015年10月22日閲覧)96) 石井・小尾・林:2015

97) IMADR-JC通信 前掲(注 3):14頁。98) IMADR-JC通信 前掲(注 3):14頁。99) IMADR-JC通信 前掲(注 3):14頁。100) Nepali Times, July 9, 2014“No discrimination” <http://www.nepalitimes.com/

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news/2014-05-31/untouchability-crime.html>(2015年11月 2日閲覧)102) Office of the Attorney General, Annual Report of OAG 069-70  <http://www.

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