自然が輝き・人が輝き・まちが輝く 三和の里学校・家庭・地域がそれ...

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姿姿寿地域情報誌 GURU-TO MIWA 自然が輝き・人が輝き・まちが輝く 三和の里 発行/三和町地域振興協議会 企画・編集/広報委員会 住所/いわき市三和町下市萱字竹之内114番地の1 (三和ふれあい館内) TEL/0246-86-2111 FAX/0246-86-2544 広報みわ VOL.3 [平成24年3月30日発行]

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Page 1: 自然が輝き・人が輝き・まちが輝く 三和の里学校・家庭・地域がそれ ぞれの機能を果たし、同 一歩調で児童を育てる。地域に支えられてきた風土

三和町地域振興協議会 

会長 

柴崎  満

福島工業高等専門学校 

建設環境工学科   

齊藤 充弘

 

三和町の今後のまちづくり

の指針となる「三和町まちづ

くり基本構想」を策定するた

めに、区長会・地域振興協議

会役員・まちづくり作業委員

により構成された「三和町ま

ちづくり基本構想策定委員

会」を平成二十三年八月に立

ち上げ、これまで三回の策定

委員会、六回の作業部会を開

催し、取り組んでまいりまし

た。

 

この度、素案に対する市民

意見募集(パブリックコメン

ト)を実施し、これらを踏ま

えて、基本構想の確定版が策

定されました。

 

この間、福島高専の齊藤先

生には、大変お世話になり、

この場をお借りしてお礼を申

し上げたいと思います。

 

今後は、基本構想に位置づ

けられた、地域の魅力・財産

の継承や発展などを通して、

様々な課題に、三和町全体で

取り組んでいかなければなら

ないと思いますので、皆さん

のご協力をお願いします。

(※基本構想の内容は、後日

冊子で各戸に配布いたし

ます。)

三和町まちづくり基本

構想の策定に携わって

 

これまでの三和町における

まちづくりへの取り組みが、

「まちづくり基本構想」とい

う形になりました。これは、

良い点も悪い点も含めてまち

の現状を明示するとともに、

それを踏まえて三和町の将来

を見すえたまちづくりを推進

するための指針となるもので

す。

 

縁あってこのまちづくりに

参加させていただいて、四年

が経過しようとしておりま

す。各地区のみなさんの、作

業を重ねる度に高まるまちに

対する熱い思いや積極的な姿

勢を心強く思い、刺激を受け

て、学びながらまちづくりの

実践に挑戦しています。

▼三和地域の将来の姿を思い

描く作業に携わり、沢山の地

域文化・歴史・自然環境の再

認識を致しました。今後は福

島県よりいわき市、いわき市

より三和を知って頂くため

に、常に新鮮な地域の情報発

信が大切になってきていま

す。        (大竹)

▼昨年八月から六回の作業部

会を開き、構成等について協

議検討を行い基本構想をまと

めることができました。

 

この間、福島高専の齊藤先

生にはアドバイザーとして適

切な助言を、また、学生さんに

は結果の取りまとめ等にご協

力いただき心より感謝を申し

上げます。そして作業部会の

皆様ご苦労様でした。(佐藤)

▼BS局が入るようになり、

「ニッポンの里山」の番組が

楽しみ。「棚田を守り彼岸花

を満開に咲かせる集落」凄い

な!

 

三和にだって「福寿草、ア

カヤシオ、桜も二輪草」もあ

る。みんなで力を合わせて土

手いっぱい水仙でも咲かせた

ら素敵な「里山」(集落)に

なる。頑張ってみましょうよ。

(永山)

▼まずはじめに、福島高専の

齊藤先生、学生さんたちにお

礼を申し上げます。

 

私が思ったことは、先生た

ちが三和町をいかに住みよい

三和の里にしようかやってい

るのに対して、三和の人たち

があまり本気でなかったので

はないかということです。

 

発言をする人は、だいたい

決まっていて同じことの繰り

返しではなかったかと思いま

す。三和町全体の人たちが

もっと本気で作業にかかわっ

ていたら、もっと違うほうに

行ったのではないかと思いま

す。

 

これは、私だけかもしれま

せんけど、齊藤先生や学生さ

んたちは、どう思っている

か?もう少し人の話を聴い

て、自分の意見も言った方が

良かったかもしれないと反省

ばかりです。

 

自分の周りだけでなく、全

体をよく見れるようにしてい

きたいと思います。 (根本)

ぐる~と

地域情報誌

GURU-TO

MIWA自然が輝き・人が輝き・まちが輝く 三和の里

●発行/三和町地域振興協議会●企画・編集/広報委員会●住所/いわき市三和町下市萱字竹之内114番地の1    (三和ふれあい館内)●TEL/0246-86-2111●FAX/0246-86-2544

広報みわ VOL.3[平成24年3月30日発行]

Page 2: 自然が輝き・人が輝き・まちが輝く 三和の里学校・家庭・地域がそれ ぞれの機能を果たし、同 一歩調で児童を育てる。地域に支えられてきた風土

 「おちょんこ」=(袖無しはんてん)、

「綿入りはんてん」、「もんぺ」、「山着」

=(農作業用の上着)、「刺し子」

 

私達が幼い頃、家族の者が、近所の

おばちゃん、おじちゃん達が日常着と

して着ているのが当たり前の﹃物達﹄

でした。

 

それは又、三和町には、この地域に

はなくてはならない﹃物達﹄でした。

そして、そこには農閑期の晩秋から冬

にかけて、縁側で、囲炉裏の側で、家

族のために当たり前のように針仕事を

している祖母や母の姿がありました。

 

でも、年の移り変わりと共に便利な

物が大量に安価に出回るようになる

と、このような﹃物達﹄は、ダサイ、

古くさい、というレッテルを貼られ、

一部の方達が着用しているのを見かけ

るだけになってしまいました。

 

また、このような﹃物達﹄を仕立て

る人も年々高齢となり、このままでは

地域に古くから伝わっている、このす

ばらしい手仕事が無くなってしまうの

ではないか、今のうちに、まだ間に合

ううちに先輩達に教えて頂こうという

思いから、三年前サークルを立ち上げ

ました。少しでもいいから、この﹃物

達﹄を祖母や母がしていたように家族

のためだけにでも作り続けていけるよ

うに、若い人達にも伝え、残していけ

るように、の願いを込めて。

 

私達は、現在十名程度の会員で三月

から十一月までの間、月二回の例会を

開き活動しています。会員の中で、個々

技術を持っている人が講師となり、和

裁・パッチワーク・布ぞうり・編み物・

刺し子と、計画を立てながら和気あい

あい年代(七十代から五十代までいろ

いろ)を越えて、時には息抜きをしな

がら、楽しい時を過ごしております。

 

そして、昨年末から一月にかけては、

三和公民館の事業に便乗させていただ

き﹃つるしびな﹄作りに会員六名で挑

戦してみました。

 

これからも、三和町に眠っている﹃物

達﹄を発掘しながら、新しい事柄にも

目を向けて、会員相互の絆を深め、ま

い進していきたいと思います。

輝き人

 

今回から、「輝き人」と題して、地域の色々な方々

を紹介していきたいと思います。

 

第一回目は、三和町内の最高齢者三瓶ケサノさんを

紹介します。

 

ケサノさんは、明治四十三年二月

二日生まれで、今年、満百二歳にな

りました。

 

百二歳は、三和町ではもちろん最

高齢ですが、市内でも二十番目位の

長寿者になるそうです。

 

事前にお孫さんから取材の許可を

得てはいたものの、相手の方は百二

歳の高齢者、迷惑にならないか不安

を抱えながら玄関を入りましたが、

そのような思いは一瞬で消え去りま

した。

 

そこには、百二歳のおばあちゃん

のイメージとはほど遠い、ふくよか

で色艶の良いお顔に、笑みを浮かべ

て迎えてくれた"ケサノばあちゃん"

の姿がありました。

 

話を聞いて、さらに驚いたのは、

目も耳も健在で悪いところが無いと

いうことと、話し方がしっかりして

いて、とても百歳を超えた方の受け

答えとは思えない程はっきりしてい

たことでした。

 

お孫さんの話では、家の中では歩

いて移動しているし、食事も三度、

家族と同じものを好き嫌い無しに食

べているとのことでした。

 

長生きの秘訣は何ですか?との問

いに、「自由に過ごしていることか

な、指示されるのが嫌いだからデイ

サービスには行かない」と、はっき

りとした答えが返ってきました。

 

日常の楽しみは、テレビを見るこ

とで、特に民謡や歌謡番組が好きと

のこと、また、自分で歌うことも大

好きで、お風呂に入ると自然に鼻歌

がでるそうです。

 

そして、一番の楽しみは、娘さん

たちが遊びに来てくれて、お茶を飲

みながら、たわいもない話をする「女

子会」だそうです。

 

現在、下市萱字堀ノ内の自宅で息

子さん、お孫さん夫婦、二人のひ孫

さんに囲まれて、ゆったりとした時

間を過ごしています。

 

笑顔の素敵な"ケサノばあちゃん"

いつまでもお健やかに‼

針仕事に

思いを寄せて

=三和レディースサークル=

代表 

若松 律子

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学校・家庭・地域がそれぞれの機能を果たし、同一歩調で児童を育てる。地域に支えられてきた風土

今年度は、震災や原発事故により屋外での行事の実施は慎重に取り組みました。運動会やなかよし祭り(学習発表会)等行事の実施に関しては、地域の方々との共同実施であることから、放射線量や食料は大丈夫か、屋外での運動会、森林探索や水田での体験活動は可能かなど、保護者の方々や区長さんはじめ学校評議員の皆様からもご助言を頂き、地域が常に共通理解を図りながら同一歩調で歩んできました。地域の子どもは地域で育てようという風土が、この永戸小学校の特徴です。

プールのトイレが損壊いわき市の多くの学校が被災

する中、本校も例外ではありませんでした。プールのトイレが半壊し瓦礫は通学路にまで転がっていました。また、通学路からは水が噴き出してしまいました。児童の安全に関わる事案ですから即時対

応が原則です。半壊のトイレを建設現場で使用す る サ ポ ー ト(金属の柱)で補強して針金で固定し、道路の湧水は、近くの配水管に穴をあけて湧水を誘導し て 逃 が す 等し、応急処置をしてしのぎました。地域の方の経験に裏付けられた知恵と奉仕と行動力にはただただ驚きと感謝。

猛暑対策緑のカーテン 児童を放射能の砂埃と猛暑から守るためすだれや緑のカーテンを設置しました。すだれやよしずは母の会が準備。緑のカーテンは地域の方々の協力を得て約半日で完成。朝顔の苗まで頂きました。写真は、緑のカーテンを設置している様子です。

   分遣所の方々と避難訓練

地域と共に児童を育む学校

永戸小学校永戸小学校教育コンセプト 楽しく、厳しく、温かく、そして美しく 永戸小誕生から今年で42年

分遣所の方々と避難訓練

気づく 子ども考える 子どもやりぬく子ども

不審者対応訓練池田小学校の事故の後取り入れられました。永戸駐在所の野地さんからご指導を受ける。

地域の子どもは地域で育てる学校は規律を家庭は躾を地域は奉仕を

永戸小教育目標

永戸小学校いわき市立

学校紹介

永戸小学校教育コンセプト 楽しく、厳しく、温かく、そして美しく

地域と共に児童を育む学校好間川流れにそい、猫柳遠

くかすんで、、新校舎完成から18年

水石の山は緑杉木立高くそびえて

好 間新新新新

半壊のトイレを応急手当

通学路に湧水

初夏の日差しの中で 「こどもらのために」

秋の給食試食会

春の運動会

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差塩良々堂三十三観音

福寿草まつり実行委員会 

委員長 

佐藤 

良廣

松﨑 

秀孝

 

今年も地域の皆様方のご支

援・ご協力により「第十四回

三和の里福寿草まつり」を三

月三日(節句)に雪の中でし

たが開催することができまし

た。厚くお礼申し上げます。

今年の福寿草まつりも一時開

催をするかどうか迷ったこと

は事実であります。しかし農

家のお母さん達の熱意と要望

で地区民の皆様の後押しもあ

り、開催することとなり、地

区民が一致団結して絆を深め

ることになりました。また、

自然の美しさを保ち、今年も

福寿草の開花から三和の里も

賑わいが始まることを期待し

開催しました。

 

当日は、雪と寒さもありま

したが、たくさんの参加者が

とん汁を

食べ福寿

草を見

て、やっ

ちきおど

りを楽し

み、お帰

りになる

前には、

三坂の農家の母ちゃんたちが

丹精込めて作った野菜などを

購入していただき、ひと時を

ご歓談いただけたのではない

かと思います。また、当日は

桃の節句だったので、下三坂

の若いお母さん達が手作りし

た「つるし雛」を飾ってある

下三坂集会所に立ち寄り、目

の保養をしてお帰りいただけ

たと思います。

 

差塩良々堂三十三観音は、

建立されて、まもなく二百年

を迎えます。この三十三観音

は、江戸時代文政年間に宮城

県女川町生まれの僧、独国と

弟子無涯によって建てられた

と明治の初めの村誌に書かれ

ています。

 

昨年の大地震による大津波、

その生地である女川町の有様

は、他の町とともに何度も繰

り返し映し出されました。

 

中興してくれた独国和尚の

縁ということでより悲しく見

た次第です。

 

彼の地にも差塩同様に、

三十三観音が造られていると

のことです。

 

つい、六年前に女川町の教

育長とともに、十一名の方々

が当地を訪れ、町が生んだこ

の僧について調査して行きま

した。

 

三十三観

音の石仏を

除くと僅か

に残る伝承

くらいで、

確証といえ

る資料は殆

ど無いとの

ことでした。幸いにして差塩

においては、巨石に彫られた

独国和尚の自画像、その横に

は、長い石に刻まれた八百字

を超える碑文があり、和尚の

生誕の地は勿論の事、生を受

け示寂した年まで知ることが

出来、苔むしたとはいえ、刻

みこまれた一文字一文字は、

拓本により鮮やかに浮かび上

がります。

 

曹洞宗に帰依し、仏の教え

は当然のことですが、曹洞宗

開祖である道元の山奥に入り

て座禅にて悟りを開かんとし

た姿を重ね感じることが出来

ます。幾つかの独国が読んだ

漢詩もあり、その中には、難

解な仏法の教義は除いても、

お酒を多飲しないこと、トイ

レットペーパーの代用とし

て、朴葉を晩秋拾い集めて使

用していたこととか、今日の

私共でも理解できる当時の有

様も記されています。

 

五十四体の石仏、等身大の

自画像、二つの供養塔、天明

の飢饉を乗り越えた当時の生

活を考えますと、寄進して下

さった多くの方々の浄財とと

もに大事業だったことでしょ

う。

 

この地に何故に建立された

のか推し測る術はありません

が、二百年という時を過ぎて

も、差塩の地に残り、生誕の

地の方々と時代時代に交流で

きることを嬉しく思っていま

す。

 

残念にも、以前来宅し、そ

の後も交流して下さった方々

が津波で命を落とされた事を

知りました。地震によるお堂、

石仏の被害を見に行った折、

来村して巡礼して下さった他

の方々の無事を願った次第で

福寿草

まつり

 

後日、地区民の皆さんから

「三和の里福寿草まつり」も

年々盛り上がりを見せてお

り、毎年続けてほしいという

お話も伺いました。私たち実

行委員一同「ほっ」としてい

るところです。

 

福寿草は「福の神の花」で

あり、地主の方々の好意によ

り黄金の桃源郷を作り出して

おります。心を癒す場、そし

て地域の財産として大切な場

所です。TV・ラジオ・新聞

などマスコミによる報道で、

見に来られる方々にも是非同

じ気持ちで見ていただけたら

す。

 

平穏を願

い、安置さ

れている差

塩良々堂三

十三観音を

守り伝えて

いきます。

幸いです。

 

今後の開催については、雪

が舞う寒中での開催、後継者

問題、また放射線による風評

被害など、問題もあります

が、前向きにそして大局的に

検討していきたいと考えてい

ます。

 

最後に地元実行委員会の皆

様に対して改めて感謝を申し

上げ、また福寿草を守るため

常日頃から維持管理に精を出

していただいております地主

様、周辺農家の皆様に厚くお

礼申し上げます。福寿草まつ

り開催についての皆様方への

感謝を述べて終わりといたし

ます。