自閉症児童・生徒への視覚支援に重点を置いた授 業実践研究 · 2011. 10....

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35実践研究助成───219 研究課題 自閉症児童・生徒への視覚支援に重点を置いた授 業実践研究 副題 ~視覚支援ICT機器の製作及び活用を通して~ 学校名 福島県立あぶくま養護学校 所在地 963-0714 福島県郡山市中田町赤沼字杉並139番地 児童・生徒数 321職員数/会員数 168学校長 高坂 研究代表者 真部 知子 ホームページ アドレス www.abukuma-sh.fks.ed.jp 1.はじめに 本校には現在、小学部、中学部、高等部を合わせ、321 名の児童生徒が在籍している。そのうち、自閉症及びその 周辺の発達障害等を有する児童生徒が近年急増し、その割 合は全校児童生徒の半数を超えている。そこで、自閉症児 への理解を深めるとともに支援方法を確立するため、本校 ではこれまで様々な研修を行ってきた。 2.研究の目的 自閉症の子ども達は、自らの意思を伝えることが苦手な ど、コミュニケーション上の特性や、集団適応が困難であ るなど、行動上の課題がある。また、自分の身体の動きや 力加減を確認できないため、動きがぎこちなく、コントロ ールが難しいという身体上の課題が多く見られる。こうし た様々な特性を有する自閉症の児童生徒に対し、今回は特 に、身体の動き、姿勢、運動・動作などの身体上の課題に 焦点を絞り、研究を進めることとした。 自閉症児の多くは、じっとしていることが困難でかつ、 姿勢が悪い。その理由を探りたいと行動観察を続けてみる と、彼らの多くが、自分の重心をうまくつかめていないの ではないかという考えに至った。障害の有無に関わらず、 人間は重心をずらし、それに気づかないまま生活している ことが多いが、彼ら自閉症児の多くは、我々以上に大きく 重心をずらしたまま生活しているのではないかと思われた。 また、身体の動きがぎこちないのは、多くが自らのボディ イメージを確立していないためではないか。つまり、自分 の身体をどう動かせばよいのかがわからないのではないか、 と考えた。 そこで本研究では、まず自閉症及びその周辺の発達障害 を有する児童生徒に向けた視覚支援 ICT 機器をソフトウェ ア、ハードウェア両面において開発することとした。そし て、開発した視覚支援 ICT 機器による身体の動きの練習を 行うことにより、二つのねらい「自分の重心を見つける」、 「自分の身体の動きを覚える」を達成し、自閉症児の身体面 の課題の改善を図り、主体的・意欲的な活動を引き出して いくことをテーマとした。 3.研究の方法 今回、研究を進めるにあたって、ゲーム機器として馴染 み深い任天堂の Wii の活用を考えた。 (1) 第1に、Wii リモコンの活用である。赤外線タッチペン を自作し、Wii リモコンをフリー・ツールでパソコンと つなげることで、簡易電子黒板を構築することができ る。これを実用化し、集団活動等でプロジェクタを利 用した視覚支援を行うこととした。 (2) 第2に、今回の研究の中心となる Wii バランスボード の活用である。これは、主として WiiFIT というゲーム ソフトを使って遊ぶための 機器である。バランスボー ドには、「体重計」、「重心 計」としての優れた機能が 内蔵されている。本体裏側 の写真(写真1)にあるよ 実践研究助成 特別支援学校 写真1

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Page 1: 自閉症児童・生徒への視覚支援に重点を置いた授 業実践研究 · 2011. 10. 19. · る。これを実用化し、集団活動等でプロジェクタを利 用した視覚支援を行うこととした。

第35回 実践研究助成───219

特別支援学校

研究課題

自閉症児童・生徒への視覚支援に重点を置いた授業実践研究

副題

~視覚支援ICT機器の製作及び活用を通して~

学校名 福島県立あぶくま養護学校

所在地 〒963-0714

福島県郡山市中田町赤沼字杉並139番地 児童・生徒数 321名

職員数/会員数 168名

学校長 高坂 均

研究代表者 真部 知子

ホームページ アドレス www.abukuma-sh.fks.ed.jp 1.はじめに

本校には現在、小学部、中学部、高等部を合わせ、321

名の児童生徒が在籍している。そのうち、自閉症及びその

周辺の発達障害等を有する児童生徒が近年急増し、その割

合は全校児童生徒の半数を超えている。そこで、自閉症児

への理解を深めるとともに支援方法を確立するため、本校

ではこれまで様々な研修を行ってきた。

2.研究の目的

自閉症の子ども達は、自らの意思を伝えることが苦手な

ど、コミュニケーション上の特性や、集団適応が困難であ

るなど、行動上の課題がある。また、自分の身体の動きや

力加減を確認できないため、動きがぎこちなく、コントロ

ールが難しいという身体上の課題が多く見られる。こうし

た様々な特性を有する自閉症の児童生徒に対し、今回は特

に、身体の動き、姿勢、運動・動作などの身体上の課題に

焦点を絞り、研究を進めることとした。

自閉症児の多くは、じっとしていることが困難でかつ、

姿勢が悪い。その理由を探りたいと行動観察を続けてみる

と、彼らの多くが、自分の重心をうまくつかめていないの

ではないかという考えに至った。障害の有無に関わらず、

人間は重心をずらし、それに気づかないまま生活している

ことが多いが、彼ら自閉症児の多くは、我々以上に大きく

重心をずらしたまま生活しているのではないかと思われた。

また、身体の動きがぎこちないのは、多くが自らのボディ

イメージを確立していないためではないか。つまり、自分

の身体をどう動かせばよいのかがわからないのではないか、

と考えた。

そこで本研究では、まず自閉症及びその周辺の発達障害

を有する児童生徒に向けた視覚支援 ICT 機器をソフトウェ

ア、ハードウェア両面において開発することとした。そし

て、開発した視覚支援 ICT 機器による身体の動きの練習を

行うことにより、二つのねらい「自分の重心を見つける」、

「自分の身体の動きを覚える」を達成し、自閉症児の身体面

の課題の改善を図り、主体的・意欲的な活動を引き出して

いくことをテーマとした。

3.研究の方法

今回、研究を進めるにあたって、ゲーム機器として馴染

み深い任天堂の Wii の活用を考えた。

(1) 第1に、Wii リモコンの活用である。赤外線タッチペン

を自作し、Wii リモコンをフリー・ツールでパソコンと

つなげることで、簡易電子黒板を構築することができ

る。これを実用化し、集団活動等でプロジェクタを利

用した視覚支援を行うこととした。

(2) 第2に、今回の研究の中心となる Wii バランスボード

の活用である。これは、主として WiiFIT というゲーム

ソフトを使って遊ぶための

機器である。バランスボー

ドには、「体重計」、「重心

計」としての優れた機能が

内蔵されている。本体裏側

の写真(写真1)にあるよ

実践研究助成

特別支援学校

写真1

Page 2: 自閉症児童・生徒への視覚支援に重点を置いた授 業実践研究 · 2011. 10. 19. · る。これを実用化し、集団活動等でプロジェクタを利 用した視覚支援を行うこととした。

220───第35回 実践研究助成

うに、4隅のセンサーにより、重さを計測し、重心を

割り出している。この性能は、医療機関で使われてい

る重心測定機器とほぼ同等の正確な重心の測定が可能

である。このバランスボードとパソコンとを連動し、

身体の動きを身につけるためのソフトウェアを開発し、

授業で活用することとした。

(3) 第3が、Wii 本体の活用である。今回は、WiiFIT とい

うゲームソフトを利用して、余暇活動の選択肢の一つ

として提供することとした。

4.研究の内容

(1) 身体の動きの練習

①バランスボード用いすの製作(写真2)

座位姿勢の改善をねら

い、バランスボードがし

っかりと設置できるよう

に工夫して製作している。

バランスボードから正確

なデータを受け取れるよ

う、いすの4つの脚をセ

ンサーの下に配置した。

製作は、木工の専門である本校の実習助手に依頼した。ま

た今回、2名の生徒を研究対象としていることから、上に

重ねて使用できるいすとして作り上げた。これにより、身

長の大きく異なる2名の生徒が、スムーズに練習に取り組

むことが可能となった(自閉症児の多くは、待つことが苦

手という特性に配慮した)。また、継ぎ足し脚を必要に応じ

て製作することとした。これにより、今後、身長が伸びて

も速やかに対応することが可能となった。

②身体の動きの練習用ソフトウェアの開発(写真3)

ソフトウェアは今回、

Adobe 社 FLASH CS4 で

開発し、「重心きたえよ

う計」と名付けた。この

ソフトの概要は、バラン

スボードに座る(乗る)

と同時に、自分の重心を

黒い丸、重心の遷移を線でリアルタイムに表示する。目標

ポイントを赤い丸で表示し、そこへ自分の重心を移動し、

一定時間とどまり続けると目標ポイントが次の場所へ移動

する、というシンプルなものである。1 セッション終了時

に日付、時間及び成果をパーセンテージ表示し、HDD に自

動保存している。このソフトウェア開発にあたっては、会

津大学の学生の協力を得て共同で作業を進めてきた。また、

授業での実践のたびに「動作法」という訓練技法で SV(ス

ーパーバイザー・以下同じ)の資格を持つ教諭と話し合い

をし、改良を重ねて現在の形に至っている。

③身体の動きの練習内容

今回、上記①、②を用い、自閉症児を対象とした姿勢の

改善を行うこととした。これは、いわゆる「正しい、良い

姿勢」ではなく、「落ち着いて長時間座っていることができ

る姿勢」を意味する。つまり、重心をしっかり保持した姿

勢である。視覚で自らの重心を確認しつつ、SV の支援によ

る身体の動きの練習を積み重ねることで、「重心を見つけ

る」、「身体の動きを覚える」ことが可能になると考え、実

践を進めてきた。

(2) 簡易電子黒板利用のための赤外線タッチペンの製

作(写真4)

続いて、自閉症児への

視覚支援 ICT 機器として

の Wii リモコンを使った

簡易電子黒板の活用に取

り組んだ。Wii リモコン

とパソコン、プロジェク

タがあれば、黒板が電子

黒板に早変わりしてしま

うという、非常に優れた教育機器としての可能性を秘めて

いる。ホームページからヒントを得た自作赤外線タッチペ

ンを同じように製作したところ、反応が悪く、実用に耐え

ないものであった。そこで、実用可能なレベルの機器とし

ての製作を進めてきた。

(3) 余暇活動の拡充

次に、余暇活動を拡げるための方法として、Wii が持つ機

能を十分に活用することにした。自閉症児の多くは、ある

程度のスケジュールが提示されれば見通しをもって動くこ

とはできる。反面、自由な時間の使い方がわからない。休

み時間等、好きなことをしていいと言われても動けなかっ

たり、逆に不適応行動に結びついたりすることもある。そ

こで、自由な遊びの選択肢の一つとして、Wii を活用するこ

とを提案してみることにした。

5.研究の経過

(1) 身体の動きの練習

今回、研究にあたり、対象生徒2名を抽出して研究実践

を行った。1名は落ち着きがなく、一定時間いす座位をと

ることが難しい。もう1名は、身体の動きがきこちなく、

バランス感覚が悪い。今回の実践は、準備がある程度整っ

た9月末より行ってきた。実践回数は、週1回程度で自閉

症である対象生徒が見通しをもてるように、曜日と時間は

固定とした。身体の動きの練習については、SV の教諭に指

導を依頼して取り組んできた。

練習時間は、集中力が持続で

きるよう、1名 10 分程度で

取り組んできた。こうした取

り組みにより、対象児からは

この時間を楽しみにする様子

が見られるようになってき

た(写真5)。

写真2

写真3

写真4

写真5

Page 3: 自閉症児童・生徒への視覚支援に重点を置いた授 業実践研究 · 2011. 10. 19. · る。これを実用化し、集団活動等でプロジェクタを利 用した視覚支援を行うこととした。

第35回 実践研究助成───221

特別支援学校

(2) 簡易電子黒板利用のための赤外線タッチペンの製

今回、タッチペンの製作にあたってこだわったのは、実

用に耐えうるよう精度を高めるという点である。また、普

及を考え、誰にでも安価で簡単に作れるような製作方法の

確立にも力を注いだ。その結果、実用上問題のない精度で、

扱いやすく、安価な製品として完成させることができた。

(3) 余暇活動の拡充

今回、Wii の使用にあたって、協力学級を中学1年の4つ

の通常学級とし、水曜日と金曜日の5時間目に活用すると

いう形で足並みをそろえて実践を行ってきた。校内の学部

研修としても取り上げ、方向性等、定期的に情報を交換し

ながら研究を進めてきた。

6.研究の成果と今後の課題

(1) 研究の成果

①身体の動きの練習

○練習時間での変容

・活動の流れをある程度固定化したことで、生徒にとっ

ては活動内容がわかりやすくなり、実践回数を重ねる

ごとに、他動的な動きから、自発的な動きが見られる

ようになってきた。重心を移動する際の軌跡について、

無駄な動きが減ってきていることが練習結果を保存し

た画像で確認することができる(写真6、写真7)。ま

た、画面内の目標を見続けることが難しかった生徒が

注視できるようになるなど、集中して取り組む様子が

見られるようになってきている。

写真6 写真7

○日常生活での変容

・バランス感覚が悪く、日常生活の動きに支障があった

生徒について、給食の配膳時に汁物をこぼさないで運

ぶことができるようになるなど、改善が見られた。

・落ち着いていすに座っているのが難しかった生徒が、

一定時間、座位姿勢をとることができるようになって

きた。

・2名ともに、重心を意識した安定した座り方ができる

ようになったことが、手指の巧緻性の高まりにつなが

り、文字がきれいに書けるようになったり、はさみ等

を使った作業的な学習にも改善が見られたりした。

②簡易電子黒板利用のための赤外線タッチペンの製作

校内研修や、外部に開かれた研修を通して普及を図ると

ともに、儀式行事や集団活動等を含め、授業での活用方法

を検討していきたい。

③余暇活動の拡充をねらいとしたICT機器としてのWiiの活用

について

○対象学級の利用、活用の様子

協力学級からは、「生徒から、休み時間にも使用したいと

いう要求が出てきた。」、「Wii を使った遊びを介して、子ど

もたち同士のコミュニケーションが増えてきた。」、「順番を

待てなかった生徒が待てるようになってきた。」、「父親の趣

味のスポーツを疑似体験することによって運動を身近にと

らえ、意欲の高まりが見られた。」、「家庭で『Wii を家でも

やりたい』、『楽しかった』という言葉が聞かれるようにな

り、家族も驚いている。」、「Wii でできるようになったフー

プ・ゲームを学校祭で発表するなど、他の場面に広げるこ

とができた。」といった成果が報告された。

(2) 今後の課題

Wii のすばらしさを生かした授業の実践を通して、身体の

使い方を自己コントロールしようとする意識が高まるとと

もに、バランス感覚が培われてきている。また、本来体験

することが難しいスポーツの疑似体験を通して、生徒の興

味関心が高まり、楽しんだり、自信を深めたりすることに

つなげることができたと考える。Wii を使用した指導は、教

師にとっても初めての経験であり、手探りの部分が多い実

践であった。ただ、まだ成果は多くはないが、自閉症の児

童生徒にとって有効な活用手段であることは確かである。

今後は、一過性の楽しいだけの活動に終わることなく、長

期的な展望をもって実践研究を継続していきたい。

7.おわりに

本年1月、日本教育新聞社の取材を受けた。また同月、

国立特別支援総合研究所の視察を受け、本プロジェクトに

ついて評価をいただき、次年度、「経済産業研究所」、

「国立特別支援研究所」及び複数の民間会社、療育相談員、

理学療法士等で構成されたプロジェクトに、「重心きたえ

よう計」を活用していただける方向で話が進んでいる。ま

た、そのプロジェクトに協力校としての参加の打診をいた

だいた。今後は、本校独自の実践にとどまらず、複数の協

力校との連携による協議(Web 会議等)・実践・検証を通

し、自閉症児に対する ICT 機器を用いた実践のさらなる可

能性を模索していきたいと考えている。