自動車用ディーゼルエンジンの燃焼改善 -...

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自動車用ディーゼルエンジンの燃焼改善 1. はじめに 近年のディーゼルエンジン技術向上 には目ざましいものがあり,かつての 悪いイメージはかなりふっしょくされ てきた.高トルク,低騒音化,排気ガ ス低減などに高度な技術が適用・実用 化されている.本稿では,とくにディー ゼルエンジンの排気ガス低減,熱効率 向上のための燃焼改善技術について, 最近の動向を紹介する. 2. 最近のディーゼルエンジンの 動向と課題 近年の性能向上を支える主要な技術 として,コモンレール式燃料噴射装置, インタクーラ付 VG(Variable Geom- etry)ターボチャージャ,クールド EGR(Exhaust Gas Recirculation: 排 気ガス再循環装置),高速大容量電子 制御装置などをあげることができる. 現行排気ガス規制に適合するうえで これらの技術はいずれも不可欠であ り,現在市販されているディーゼル車 両のほとんどに搭載されている.排気 ガスのクリーン化に加え,運転性能, 静粛性,燃費改良,低 CO2 化などで, 大幅な改善を実現している.さらには PM(Particulate Matter)フィルタ装着 により,スモークや PM はほとんど 問題ないレベルに低減されている. 今後 2009~2015 年ころにかけて, さらなる排気ガス低減(とくにNOx を1/3~ 1/5 にする)と燃費改善(CO2 低減)を求める規制が日米欧いずれで も計画されている.これへの対応とし て,NOx 低減用後処理装置の導入とい う選択肢も含めた研究開発が盛んに進 められている.エンジン本体では,排 気ガス,とくに NOx と PM の同時低 減と,熱効率の改善との両立を目指し た燃焼技術の開発が進められている. 以下最近のディーゼル燃焼技術につい ての開発動向を概観する. 3. 低温予混合燃焼 ディーゼルエンジンの排気ガスでと くに問題となるNOx と Soot(PM 中 の主成分であるすす)は,それぞれ燃 焼室内の局所的な温度と等量比(空燃 比の逆数)で生成領域を規定できる. 通常のディーゼルエンジンでは,局所 的な温度と等量比の分布がこのどちら の領域にも重なるように存在してい る.図 1 に示すように,この分布を低 温側に移すことで,NOx と Soot の同 時低減を狙うのが低温燃焼である.局 所温度を下げるために,高 EGR 率や 低圧縮比などにより,燃料の噴射から 着火までの予混合時間を長くとること から,低温予混合燃焼とも呼ばれてい る.燃料噴射後すみやかに着火させる 従来のディーゼル燃焼とは大きく異 なった概念の燃焼である (1) (2) 理想的にこの燃焼が実現できると, NOx,Soot ともに次期規制にも十分に 適合可能なレベルに低減でき,かつ燃 費悪化も少ないことから期待は大きい が,以下のような課題の解決が必要で ある. (1)この燃焼の実現可能領域が低負荷 側に限られており,領域拡大が必要. (2)高負荷側は従来燃焼とせざるを得 ず,燃焼方式の切り替え制御が必要. (3)着火時間が大気条件や燃料特性に 影響されるため,補正制御が必要. 研究開発が盛んに行われているが, 実用化にはもうしばらく時間を要する とみられている. 4. 高過給+高 EGR +高圧噴射 燃焼 既存技術である高圧噴射+ターボ過 給+EGR をさらに高めることで燃焼 改善する狙いである.EGR 率を高め るほど NOx は低減できるが,酸素量 の不足により PM が増加する.過給 圧力をより高めることで,必要な酸素 量を確保しつつ高EGR率にでき, PM 増加の抑制と NOx 低減が可能に なる.シリンダ内空気密度が上がるた め,燃料噴射圧力はさらに高くして, 燃料噴霧の拡散混合を促進する必要が ある. 図 2 では,単気筒試験用エンジンで の試験例である.外部過給装置により 4bar まで過給しつつ,EGR 率を上げ た場合の NOx と PM および燃費率の トレードオフを示している.EGR 率 45%では,全負荷点でも PM の若干の 増加で,NOx は 0.5g/kwh 程度であり, 次期規制に近いレベルである.燃費率 の悪化はわずかである (3) これらの条件は現在の車両用エンジ ンとしては現実離れした設定であり, 実用化は一朝一夕にはいかないが,基 本的トレンドとしては,より高い過給 圧力,より広い範囲でのより高い EGR 率,より高い燃料噴射圧力の実 現に向けた開発が進められている. 5. まとめ 自動車用ディーゼルエンジンにおけ る近年の排気ガス低減技術について は,一つのオプションとしては後処理 装置の導入があり,PM フィルタに続 いて,NOx 触媒の実用化が始まってい る.本稿ではもう一つのオプションで あるエンジン燃焼での改善について, 近年の開発動向を概観した. NOx と PM を同時低減し,かつ燃 費を悪化させないディーゼル燃焼とし て,「低温予混合燃焼」や「高過給+ 高 EGR+高圧噴射燃焼」があり,基本 的な考え方はほぼ固まってきた.排気 ガスは大幅な低減が可能であるが,実 用化には依然として困難な課題が多い. (原稿受付 2008 年 2 月 1 日) 〔中田輝男 いすゞ自動車(株)〕 ●文 献 ( 1 )Sasaki S. ほ か,Investigation of Alterna- tive Combustion, Airflow-Dominant Control and Aftertreatment System for Clean Die- sel Vehicles,JSAE20077094,(2007-7), 992-1001. ( 2 )Watanabe S. ほ か,Technologies for Fu- ture Clean Diesel Engine,2007 JSAE/ SAE International Fuels and Lubricants Meeting,(2007-7). ( 3 )長田英朗・ほか,単気筒エンジンによる高 過給・広域多量 EGR のディーゼル燃焼, 自動車技術会学術講演会前刷集, No.76-07,(2007-5), 11-16. 図 1 低温予混合燃焼での温度等量比分布 燃焼室内局所等量比 従来のディーゼル 燃焼での分布 Soot Soot 燃焼室内局所温度 (K) 1 800 2 200 2 600 3 000 低温予混合 燃焼での分布 1 2 3 4 5 6 図 2 NOx と,PM,燃費率のトレードオフ エンジン回転数=1 200rpm 軸平均有效圧=2.0MPa 過給圧=401.3kPa 燃料噴射圧=200MPa 燃焼室口径 スワール比 EGR率 45% E G R 増 D107,SR=1.4 D98, SR=1.4 D89, SR=5.6 D98R, SR=1.4 0.20 0.15 0.10 0.05 0.00 240 220 200 180 0 1 2 3 4 5 BSNOx g/kWh PM g/kWh BSFC-Sc g/kWh 540 日本機械学会誌 2008. 6 Vol. 111 No. 1075 ─ 76 ─

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Page 1: 自動車用ディーゼルエンジンの燃焼改善 - jsme.or.jp自動車用ディーゼルエンジンの燃焼改善 1.はじめに 近年のディーゼルエンジン技術向上

自動車用ディーゼルエンジンの燃焼改善

1.はじめに 近年のディーゼルエンジン技術向上には目ざましいものがあり,かつての悪いイメージはかなりふっしょくされてきた.高トルク,低騒音化,排気ガス低減などに高度な技術が適用・実用化されている.本稿では,とくにディーゼルエンジンの排気ガス低減,熱効率向上のための燃焼改善技術について,最近の動向を紹介する.2. 最近のディーゼルエンジンの動向と課題

 近年の性能向上を支える主要な技術として,コモンレール式燃料噴射装置,インタクーラ付 VG(Variable Geom-etry)ターボチャージャ,クールドEGR(Exhaust Gas Recirculation: 排気ガス再循環装置),高速大容量電子制御装置などをあげることができる. 現行排気ガス規制に適合するうえでこれらの技術はいずれも不可欠であり,現在市販されているディーゼル車両のほとんどに搭載されている.排気ガスのクリーン化に加え,運転性能,静粛性,燃費改良,低 CO2 化などで,

大幅な改善を実現している.さらにはPM(Particulate Matter)フィルタ装着により,スモークや PM はほとんど問題ないレベルに低減されている. 今後 2009~2015 年ころにかけて,さらなる排気ガス低減(とくに NOx

を 1/3~ 1/5 にする)と燃費改善(CO2

低減)を求める規制が日米欧いずれでも計画されている.これへの対応として,NOx 低減用後処理装置の導入という選択肢も含めた研究開発が盛んに進められている.エンジン本体では,排気ガス,とくに NOx と PM の同時低減と,熱効率の改善との両立を目指した燃焼技術の開発が進められている.以下最近のディーゼル燃焼技術についての開発動向を概観する.3. 低温予混合燃焼 ディーゼルエンジンの排気ガスでとくに問題となる NOx と Soot(PM 中の主成分であるすす)は,それぞれ燃焼室内の局所的な温度と等量比(空燃比の逆数)で生成領域を規定できる.通常のディーゼルエンジンでは,局所的な温度と等量比の分布がこのどちらの領域にも重なるように存在している.図 1 に示すように,この分布を低温側に移すことで,NOx と Soot の同時低減を狙うのが低温燃焼である.局所温度を下げるために,高 EGR 率や低圧縮比などにより,燃料の噴射から着火までの予混合時間を長くとることから,低温予混合燃焼とも呼ばれている.燃料噴射後すみやかに着火させる従来のディーゼル燃焼とは大きく異なった概念の燃焼である(1)(2). 理想的にこの燃焼が実現できると,NOx,Soot ともに次期規制にも十分に適合可能なレベルに低減でき,かつ燃費悪化も少ないことから期待は大きいが,以下のような課題の解決が必要である.

(1)この燃焼の実現可能領域が低負荷側に限られており,領域拡大が必要.

(2)高負荷側は従来燃焼とせざるを得ず,燃焼方式の切り替え制御が必要.

(3)着火時間が大気条件や燃料特性に影響されるため,補正制御が必要.

 研究開発が盛んに行われているが,実用化にはもうしばらく時間を要するとみられている.4. 高過給+高 EGR+高圧噴射燃焼

 既存技術である高圧噴射+ターボ過給+EGR をさらに高めることで燃焼

改善する狙いである.EGR 率を高めるほど NOx は低減できるが,酸素量の不足により PM が増加する.過給圧力をより高めることで,必要な酸素量を確保しつつ高 EGR 率にでき,PM 増加の抑制と NOx 低減が可能になる.シリンダ内空気密度が上がるため,燃料噴射圧力はさらに高くして,燃料噴霧の拡散混合を促進する必要がある. 図 2 では,単気筒試験用エンジンでの試験例である.外部過給装置により4bar まで過給しつつ,EGR 率を上げた場合の NOx と PM および燃費率のトレードオフを示している.EGR 率45%では,全負荷点でも PM の若干の増加で,NOx は 0.5g/kwh 程度であり,次期規制に近いレベルである.燃費率の悪化はわずかである(3). これらの条件は現在の車両用エンジンとしては現実離れした設定であり,実用化は一朝一夕にはいかないが,基本的トレンドとしては,より高い過給圧力,より広い範囲でのより高いEGR 率,より高い燃料噴射圧力の実現に向けた開発が進められている.5. まとめ 自動車用ディーゼルエンジンにおける近年の排気ガス低減技術については,一つのオプションとしては後処理装置の導入があり,PM フィルタに続いて,NOx 触媒の実用化が始まっている.本稿ではもう一つのオプションであるエンジン燃焼での改善について,近年の開発動向を概観した. NOx と PM を同時低減し,かつ燃費を悪化させないディーゼル燃焼として,「低温予混合燃焼」や「高過給+高 EGR+高圧噴射燃焼」があり,基本的な考え方はほぼ固まってきた.排気ガスは大幅な低減が可能であるが,実用化には依然として困難な課題が多い.

(原稿受付 2008 年 2 月 1 日)〔中田輝男 いすゞ自動車(株)〕

●文 献( 1 )Sasaki S. ほ か,Investigation of Alterna-

tive Combustion, Airflow-Dominant Control and Aftertreatment System for Clean Die-sel Vehicles, JSAE20077094, (2007-7), 992-1001.

( 2 )Watanabe S. ほ か,Technologies for Fu-ture Clean Diesel Engine,2007 JSAE/SAE International Fuels and Lubricants Meeting,(2007-7).

( 3 )長田英朗・ほか,単気筒エンジンによる高過給・広域多量 EGR のディーゼル燃焼,自 動 車 技 術 会 学 術 講 演 会 前 刷 集,No.76-07,(2007-5), 11-16.

図 1 低温予混合燃焼での温度等量比分布

燃焼

室内

局所

等量

従来のディーゼル燃焼での分布

SootSoot

燃焼室内局所温度(K)

1 800 2 200 2 600 3 000低温予混合燃焼での分布

1

2

3

4

5

6

図 2 NOx と,PM,燃費率のトレードオフ

エンジン回転数=1 200rpm軸平均有效圧=2.0MPa過給圧=401.3kPa燃料噴射圧=200MPa

燃焼室口径 スワール比

EGR率45%

E G R 増

D107,SR=1.4D98, SR=1.4D89, SR=5.6D98R, SR=1.4

0.20

0.15

0.10

0.05

0.00240

220

200

1800 1 2 3 4 5BSNOx g/kWh

PM

g/k

Wh

BS

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c g

/kW

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540 日本機械学会誌 2008. 6 Vol. 111 No.1075

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