小学校での外国語教育は必要か ·...

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小学校での外国語教育は必要か -アジアとの比較を中心に 学籍番号:16151034 名:浦部 敬太 指導教員:岡本信広 卒業予定:2020 3

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  • 小学校での外国語教育は必要か

    -アジアとの比較を中心に

    学籍番号:16151034

    氏 名:浦部 敬太

    指導教員:岡本信広

    卒業予定:2020 年 3 月

  • i

    要約

    本論では、多様化する社会の中で必要なコミュニケーションを考察していく。グローバ

    リゼーションの影響で社会は大きく変化し、世界共通言語である英語の必要性が高まって

    いる。また在留外国人の増加に伴い、日本語指導を必要とする児童・生徒が多くなってい

    る。このような背景から、「小学校段階における外国語教育が必要である」という仮説を

    検証していきたい。

    まず序章では、本論の背景、目的、構成を述べている。

    第 1 章では、早期教育の有効性について検証する。ここでは、教育哲学と教育心理学の

    2 つの観点から早期に教育を開始することの重要性を述べる。教育哲学の事例として、エ

    ラスムス、ラッセル、貝原益軒の教育に対する思想を取り上げる。教育心理学の事例で

    は、スキャモンの発達曲線と学習の臨界期から早期の言語教育の有効性を考察する。

    第 2 章では、第 1 章で述べた早期教育の有効性をもとに、アジア圏での英語教育を見て

    いく。中国、タイ、台湾で行われている英語教育から小学校段階での英語教育を考察して

    いく。また、台湾の博如幼稚園での現地調査から早期外国語教育の有効性を改めて述べ

    る。

    第 3 章では、在留外国人数の増加に伴い、日本語指導を必要としている児童・生徒が増加

    していることを指摘したうえで、小学校での日本語教育の必要性を述べていく。横浜で行わ

    れている日本語指導の事例をもとに、今後の小学校での日本語指導のあり方を考えていく。

    終章では、まとめと展望を述べている。まとめとしては、以下のことが言えた。

    (1) 早期外国語教育は有効である。教育哲学や教育心理の視点から早期教育の有効性を

    考察した。その結論は早期外国語教育の有効性を証明するものであったといえる。また、

    外国語学習は 10 代前後までに開始した方がよいという結果を得ることができた。外国語

    教育は小学校以前に開始することが望ましい。

    (2) 来年度から実施される小学校での英語教育は必要だ。アジアの事例、台湾での現地

    調査から早期英語教育には一定の効果が表れているといえる。また、アジア地域全体で教

    科としての英語が小学校段階で実施されている。日本の英語力を上げるためにも小学校で

    の英語教育が重要だ。

    (3) 小学校に在籍する外国人の児童・生徒への日本語指導は今後さらに必要とされる。外

    国人の児童・生徒が今後さらに増加することが見込まれている。国籍に関係なく、外国人

    の児童・生徒が日本語指導を受けられる制度を構築せねばならない。

  • ii

    目次

    序章 本卒論の背景と目的 ............................................................................................. 1

    第 1 節 背景 .................................................................................................................. 1

    第 2 節 目的 .................................................................................................................. 2

    第 3 節 構成 .................................................................................................................. 3

    第1章 早期教育の有効性を考える .................................................................................. 4

    第 1 節 教育思想史の考えから ..................................................................................... 4

    第 2 節 教育心理学の考えから ..................................................................................... 8

    第 3 節 野生児の研究記録から ....................................................................................12

    第2章 早期外国語教育を各国の事例から考える ............................................................16

    第 1 節 中国の事例 ........................................................................................................17

    第 2 節 タイの事例 ......................................................................................................21

    第 3 節 台湾の事例 ......................................................................................................24

    第3章 日本で暮らす外国人の視点から考える ...............................................................32

    第 1 節 日本語教育が必要な背景 ..............................................................................32

    第 2 節 学校現場での取り組み ~横浜市を例に~ .......................................................36

    第 3 節 今後の課題 ......................................................................................................40

    終章 まとめと課題 ......................................................................................................42

    第 1 節 まとめ .............................................................................................................42

    第 2 節 結論 .............................................................................................................43

    第 3 節 課題 .............................................................................................................44

    <参考文献リスト> ..........................................................................................................45

    <参考文献> .................................................................................................................45

  • 1

    序章 本卒論の背景と目的

    第 1 節 背景

    現在の日本社会はグローバリゼーションの影響から逃れられなくなってきている。現代

    は国際化の流れの中で、政治や経済、社会などが国境を越えて国同士で結びついている。財

    やサービスだけでなく、情報や人の往来も地球規模で行われており、その規模は年々高まっ

    ているといってよい。

    地球規模での人の移動は日本も同様だ。外務省と法務省の統計調査によると、海外在留邦

    人と在留外国人の数は年々増加している(図 1)。2017 年時点で、海外在留外国人数はおよそ

    135 万人、在留外国人数はおよそ 256 万人とされている。この約 10 年でそれぞれ約 21%、

    約 20%の上昇だ。このように日本社会においても人の移動という点でもグローバリゼーシ

    ョンが進んでいることは間違いのない事実である。

    図 1 : 海外在留外国人数と在留外国人数の推移

    (出所) 外務省 海外在留邦人数調査統計(2017)と

    法務省 在留外国人に関する統計(2017)をもとに筆者作成

    社会の急速なグローバル化が進展していくことで、私たちの暮らす社会も多様化してい

    る。多様化の中で人々が仲良く暮らすには、共通言語によるコミュニケーションがとても重

    要になってくる。コミュニケーションが適切に行われないと、お互いに無用な争いや誤解を

    なくすことができない。多様性を尊重する社会になればなるほどコミュニケーションは重

  • 2

    要になってくる。

    グローバリゼーションの進展に伴って、コミュニケーションの中心になる言語は英語で

    ある。英語は世界共通の言語であり、世界の多くの国や地域でコミュニケーションをとるこ

    とが可能な言語である。グローバリゼーションの進展は、英語の重要性をますます高めてい

    くと考える。

    また、多くの外国人が日本に流入してくることによって日本社会も多様になってくる。日

    本を訪れる外国人の国籍は様々であり、文化や価値観もそれぞれ異なっている。文化的・社

    会的背景を異とする人々を日本社会に受け入れていくことは、多文化共生社会をつくりあ

    げていくことを意味する。多くの外国人を受け入れることで日本社会は徐々に変化してい

    くであろう。

    多様化した日本社会の中で外国人が十分なコミュニケーションを行うには日本語が不可

    欠である。日本は日本語を主要言語としており、生活をしていくうえで日本語は欠かせない。

    世界的に見ても日本語を使用しているのは日本だけであり、多くの外国人にとってはなじ

    みのない言語ではなかろうか。来日した外国人が日本で充実した生活を送るためには、日本

    語の教育が必要になってくるのではないかと考える。

    以上のように、多文化共生が順調にかつスムーズに進むためには、言語教育が重要になっ

    てくる。日本人にとっては英語が、外国人にとっては日本語の教育がそれぞれ必要であると

    いえる。とくに学校における教育支援体制の構築が今後より重要となる。

    第 2 節 目的

    以上の問題意識から、本卒論では、「小学校段階における外国語教育が必要である」とい

    う仮説を検証していきたい。

    まず、言語の学習舞台を小学校に絞る。現在の日本の学校教育において外国語は中学校か

    ら学習することとなっている。しかし、新学習指導要領が来年 2020 年から実施されること

    で、その学習時期は小学校高学年からとなる。外国語教育が早期化されたと言ってよい。ま

    た、多くのアジア地域ではすでに小学校英語教育が始まっている。来年度からの小学校英語

    教育1が始まるにあたって、早期段階での外国語教育の必要性を考察していきたい。

    1 教科としての英語教育がスタートする。これまでの英語は「外国語活動」であり、正式

    な教科ではなかった。以下、小学校英語教育は教科としての英語教育とする。

  • 3

    また、本論では英語だけでなく、外国人児童・生徒への日本語の早期外国語教育も述べて

    いく。第 1 節ですでに述べたが、今日の日本社会はグローバリゼーションの影響から多様

    化しており、多くの外国人が暮らしている。日本で暮らす外国人児童・生徒の視点から、小

    学校段階での外国語教育を考えていきたい。

    松畑(1983,p2)は早期教育について「小学校入学より前の段階」と定義づけしている。だが、

    あえて小学校教育に注目するために、本論では「小学校就学前から小学校卒業までの期間」

    と幅広に定義していく。英語教育の開始時期が中学校から小学校に移行するということは、

    英語の教育期間がこれまでよりも早期に行われることを意味するからである。

    第 3 節 構成

    以上の問題意識と仮説を検証するために、本卒論では以下の構成をとる。

    まず第 1 章では、早期教育の有効性を述べる。小学校の英語教育全面実施を来年に控え

    る中、教育を早期の段階で行うことが有効であるのかを考えていく。具体的には、教育哲

    学と教育心理学の視点で早期教育を考察していきたい。

    第 2 章では、アジア各国で行われている小学校英語教育の事例をもとに、小学校での外

    国語教育の必要性を考えていく。アジアの多くの国や地域は英語を母国語としていない。

    英語を母国語としていない国の英語教育の特色を見ていく。また台湾の博如幼稚園での現

    地調査や園長先生へのインタビューをもとに、早期段階に外国語教育を開始することの重

    要性を述べていく。

    第 3 章では、外国語人児童生徒を対象とした日本語指導を取り上げながら、小学校での

    外国語教育の必要性を考えていく。在留外国人が増加する中で、日本語指導を必要として

    いる児童・生徒も増加している。横浜市での取り組みを挙げ、日本語指導を必要としてい

    る児童・生徒への支援体制を考察していく。

    終章では、本論のまとめと結論、課題を述べる。まとめとしては、以下のことが言える

    のではないだろうか。

    (1) 早期外国語教育は有効である。

    (2) 小学校での英語教育は必要だ。

    (3) 小学校に在籍する外国人の児童・生徒への日本語指導は必要だ。

    このことから筆者は小学校における外国語教育の必要性を主張していく。

  • 4

    第1章 早期教育の有効性を考える

    本章では、早期教育2の有効性を教育思想、教育心理学、および野生児の記録から考察し

    ていく。まず第 1 節では、教育思想の歴史において早期教育の必要性を唱えた人物を 3 人

    挙げ、述べていく。第 2 節では、教育心理学の視点から早期教育を考えていく。そして第 3

    節では、「アマラとカマラ」、「アヴェロンの野生児」などの野生児の記録から、言語獲得の

    失敗事例を取り上げていく。

    第 1節 教育思想史の考えから

    本節では、教育の歴史の中で早期教育の必要性を主張していた、エラスムス、ラッセル、

    貝原益軒を取り上げていく。この 3 人の思想に共通していることは、「幼少期からの教育の

    必要性を認めていること」である。それぞれの早期教育に対する考えを取り上げ、早期教育

    の必要性を考えていく。

    1. エラスムスの教育思想

    エラスムス(Desiderius Erasumusu:1469~1536)は、15~16 世紀を代表する人文主義者

    である。教育思想史辞典(2017,pp52-55)では、「エラスムスは人間形成という意味での教育

    という概念を明確にし、理論化を試みた中心人物の一人であった」と記述されている。

    笠井(2009)によると、キリスト教徒であったエラスムスは、神との関係において、人間存

    在を「教育を受ける存在」と規定し、人の手による教育の重要性を説いたとされている。こ

    のエラスムスの思想は、後世で登場するルソー3の説いた消極的教育4の考えとは異なった思

    想を持っていたといえる。そのうえでエラスムス(1994,p219)は、「人間には教育に向いた精

    神が神から与えられており、人間の精神は教育されることによって本来の人間になり、そし

    てその教育が最高に優れたものであれば【神の似姿に最も近付ける】ことができる」と考え

    ていた。

    エラスムスは教育の中でも、子ども時代の教育の重要性を訴えた。笠井(2009)によると、

    エラスムスは覚書である『子どもたちに良習と文学とを惜しみなく教えることを出生から

    2 ここでの早期教育には、早期の外国語教育も含まれる。 3 ルソー(Jean-Jacques-Rousseau:1712~1778)は哲学者である 4 人間による教育ではなく、自然による教育。教員採用試験にも頻繁に出題される。

  • 5

    直ちに行なう、ということについての主張』 (以下、『主著』とする)の中で、エラスムスは

    幼少期を、基礎を学習する時期、記憶力に優れた時期、柔軟で従順な精神の時期、悪徳の性

    質の方に傾きやすい時期、また悪徳の棘が繁殖して完全に絡みつく時期と捉えたそうだ。こ

    のエラスムスの考えから、幼少期は良し悪し関係なく吸収する時期であると解釈すること

    が可能だ。幼少期の記憶力が優れているだけに、得た知識や技能が消えづらい。同時に、幼

    少期に得た悪い行いや習慣も消去することが難しいことがわかる。子どもを良い方向に育

    てるためだけでなく、悪い方向に進まないためにも幼少期の教育が重要であると訴えてい

    たといえる。

    エラスムスは早期から教育を開始する必要性を主張していた。『エラスムス教育論』を訳

    した中城(1994,p229)によると、エラスムスは『主張』において、「学習」を六歳、七歳から

    改めってはじめるものではなくて、生まれた時からすでに始まっていると考えていたそう

    だ。幼少期の子どもについてエラスムスは、「辛苦や困難さを感じるどころか、幼少の時期

    の独特の自然の傾向によって子供は熱心に自ら進み、ある時は容易にまたある時は苦もな

    くしっかりと習得する」と捉えており、教育の早期開始を考えていたと笠井(2009)は指摘し

    ている。

    このようにエラスムスは、幼少期を優れた記憶力だからこそ、善悪関係なく吸収してしま

    う時期であると指摘していた。幼少期の子どもは善い事柄や習慣のみを学習することがで

    きないため、悪い事柄や習慣までも吸収してしまう。子どもを悪い事柄や習慣に染めないた

    めにも、幼少期より善い事柄や習慣のみを教えていく必要がある。これらのことから、エラ

    スムスが早期教育の必要性を唱えていたことがわかる。

    2. ラッセルの教育思想

    ラッセル(Bertrand Arthur William Russell:1872~1970)は、イギリスの哲学者、評論家

    である。北岡・東(2013)によると、ラッセルの著書『教育論』では、子どもの誕生と共に始

    まる養育から青年期の大学教育に至るまでの広範な教育を対象として考察してあるそうだ。

    ラッセルの教育観について、幼児期に獲得すべき「生きる力」とは何であるのかという問い

    に対するひとつの明確な回答となっていると北岡・東(2013,p59)は指摘している。

    ラッセルの教育に対する考えは、フロイトの精神分析学に影響されることが多いと金子

    (1968,p123)は述べている。鎌原と竹網(2015,p222)によれば、フロイトは人間の人格の発達

    段階を 5 つに分類し、発達とともに幼児が快感を得る主要な身体的部位(性感帯)が変化する

  • 6

    と主張したそうだ。幼少期の体験が大人の人格形成にとって非常に重要であると考えてい

    た(鎌原・竹網,2015,p227)。このことから、ラッセルの教育に対する考えには、フロイトの

    精神分析学が影響しており、幼少期の教育をとりわけ重要視していたことがわかる。

    教育思想史辞典(2017,pp787-789)によると、ラッセルは早期教育の必要性を唱えたそうだ。

    そのラッセルの早期教育論の柱は大別して2つに分けることが可能である。

    まず一つは、「性格の教育(道徳教育)」を重要視していたことだ。ラッセル(1990,p249)は、

    知性の早期教育の前提には、性格の教育が備わっている必要があると述べている。ラッセル

    (1990,p249)は、幼少期に正しく道徳教育を受けた少年少女は、正しい方向へ向かう習慣と

    欲望を備えており、知性の教育は左右されないと指摘している。つまり、知性の早期教育を

    行うためには、性格の教育をある程度完了させておく必要があると主張した。

    2つ目の柱は、早期の言語教育に賛成していたことだ。ラッセル(1990,p280)は『教育論』

    の中で、「幼年時代には、外国語を完全に話すことができるようになるが、大きくなるとそ

    んなことは決してできない」と主張している 。その根拠としてラッセルは、自分が幼少期

    に複数の言語を学び、堪能であったことを挙げている(ラッセル,1990,p281)。ラッセルの早

    期言語教育に対する考えが、自身の経験に基づいていると解釈することができる。他方でラ

    ッセルは、早期の言語教育によって母語が失われてしまうという意見に対し、子ども演劇的

    本能のおかげで混同されることはないと断言している(ラッセル,1990,p281)。

    このようにラッセルは自身の著書『教育論』の中で早期教育の重要性を訴えていたことが

    わかる。

    3. 貝原益軒の教育思想

    貝原益軒(1630~1714)は江戸時代の儒学者である。藤田(1993)によると、益軒は、わが国

    においてはじめて幼児期の教育のあり方を体系化して著した学者である。益軒の生きた時

    代である江戸時代の前半は、家庭内の父母による教育を第一に位置付けつつ、外の寺子屋な

    どの師匠による教育により補完されていたと考えられている(松田,2015)。

    益軒の考える教育は、早期教育を肯定するものだ。益軒が著した『和俗童子訓』(1969,p186)

    の中で益軒は、教育を始めるのは早い時期が良いと述べている。その理由として、何もわか

    らない小さい時から習うと、先に入ったことが先入主となり、すでにその性質となってしま

    い、あとでまた善いこと、悪いことを見聞きしても、変わりにくいと主張している。

    つまり、益軒は早期教育を行う理由として、悪い事柄や行いに子どもたちを染めさせない

  • 7

    ためであることが理解できる。この益軒の考えは、前述のエラスムスの考え方と似ている。

    『和俗童子訓』(1969,p187)の中で益軒は、10 歳にならないうちに教え戒める必要がある

    と述べている。この 10 歳という区切りについて、益軒はその理由を述べていない。しかし、

    この 10 歳という区切りは、後述するスキャモンの発達曲線と重なる部分があると考えられ

    る。スキャモンの発達曲線によると、脳や神経などの神経型の器官は 10 歳前後でその発達

    をほぼ完了することがわかっている。この点から考察すると、益軒の 10 歳という区切りは

    説明がつくだろう。

    益軒は幼少期の教育を主張するうえで、随年教法5を定めた。松田(2015,p55)によると、こ

    の随年法には、年齢、性別に応じて何を学ぶべきか、その順序などが示されているとされて

    いるそうだ。

    表 1: 貝原益軒の定めた男女別の随念教法

    男子の学ぶべき内容 年齢 女子の学ぶべき内容

    数字、方角、和字の読み書きなど 6 歳

    礼法、真書・草書を書き習うなど 7 歳 仮名、男文字(漢字)を習わせるなど

    無礼を戒める、『小学』等を読むなど 8 歳

    五条の理や五輪の道を教えるなど 10 歳 織縫や糸をつむぐ技を習うなど

    大学の学問を始めるなど 15 歳

    元服 20 歳

    嫁入り 女徳(夫の家を守る教え)の教えを知る

    (出所) 松田(2015)の内容をもとに筆者作成

    益軒の定めた隨念教法(表 1)では、字を書く手順や、書体などを指導する手順が細かく示さ

    れている。この指導の順序について、今日の小学校国語科教育法の順序性に非常に似ている

    と松田(2015)は指摘する。益軒の考える教育方法が、今日の教育の礎となったと言っても過

    言ではないだろう。その一方で、女子の随年教法は男子の教法に比べ、詳細に示されていな

    いことがわかる。この点について松田(2015)は、益軒が女子を家の中にいて外に出ない存在

    と規定していたと述べている。益軒の教育思想の根底には、「女よりも男のほうが優れてい

    5 益軒が定めた児童の発展に応じた教育法。

  • 8

    る」という考えがあったと考えられる。

    早期教育を肯定する益軒の思想について藤田(1993)は、ルソーやフレーベル6の思想を先

    駆しており、ロック7の思想にも相通じるものがあると述べている。益軒の教育思想が西洋

    教育思想ともつながることが理解できる。益軒の思想には男女差別的な考えが含まれてお

    り、現代では問題視される点もある。しかし、男女ともに幼少期からの教育の開始を訴えた

    ことに間違いはない。

    4. まとめ

    本節ではエラスムス、ラッセル、貝原益軒の 3 人を取り上げてきた。この 3 人に限らず、

    ルソーやフレーベルなども幼少期の重要性を認識していた。早期教育を巡っては、「子ども

    の負担を大きくする」といった意見などを根拠に反対する声も少なくない。しかし、エラス

    ムスやラッセル、益軒が述べていた「記憶力」の面から考えると、早期教育は有効なもので

    あると考える。とくにラッセルは、言語教育は早期から始めるべきと主張していた。幼少期

    からの教育は有効であるとまとめることができる。

    第 2節 教育心理学の考えから

    ここでは教育心理学の観点から、早期言語教育の有効性や必要性を考えていく。人間の発

    達を巡っては、これまでに多くの研究者が様々な理論を唱えてきた。早期の外国語教育を考

    えるうえで有効な研究の中で、「スキャモンの発達理論」、「学習の臨界期」「野生児の研究」

    を取り上げていく。この 3 つの研究は、早期教育を人間の発達面で考えていくうえで必要

    なものであるといえる。これらの研究に共通していることは、「どの時期までに教育を開始

    すべきか」ということである。この点を中心に本節では、教育をいつまでに開始するとよい

    のかを考えていく。

    1. スキャモンの発達理論

    身体の発達を理論家した研究者の一人に、スキャモン(Scammon Richard Everingham :

    1883-1952 )が挙げられる。藤井(2013)によると、スキャモンは「成長と文化」をテーマに、

    6 フレーベル(Friedrich Wilhelm August Frebel:1782−1852)はドイツの教育学者である。 7 ロック(John Locke:1632−1704)はイギリスの哲学者。イギリス経験論を唱えた。

  • 9

    ヒトの身体所属性の発育について検討を試みたそうだ。1928 年には自身の研究をもとに、

    人間の身体機能ごとを示したスキャモンの発育曲線を発表した8。このスキャモンの発達曲

    線は、人間の身体の発達を 20 歳で 100%としてグラフ化したものである(図 3)。

    図 2 : スキャモンの発達曲線

    (出所) 山下ら(2002,p27)を参考に筆者が作成)

    表 2:スキャモンの発達曲線の各器官の名称と該当する器官

    ① 神経型 脳や神経などの器官

    ② 一般形 骨格や筋肉、内蔵器官など

    ③ 生殖型 精巣、卵巣など

    ④ リンパ型 扁桃腺、リンパ型

    (出所)山下ら(2002,p27)を参考に筆者が作成)

    スキャモンの発達曲線では、身体の各器官を4つに分類している(表 2)。山下ら(2002,p27)

    によると、スキャモンは身体の各器官を、①神経型、②一般型、③生殖型、④リンパ型に分

    8 スキャモンの発達曲線の論文は 1930 年に発表されており、オリジナルを見ることがで

    きなかった。この曲線は、教員採用試験でもよく取り上げられるものである。

  • 10

    類し、それぞれの発達段階について研究したとされている。

    スキャモンの発達曲線から、脳や神経などの神経型の曲線が生まれてから 5 歳ごろまで

    に 80%の成長を遂げ、12 歳前後で 100%になっていることがわかるだろう。人間の神経型

    の器官が 12 歳前後までに形成されていると考察することができる。一方で、12 歳以降の曲

    線が緩やかになっている。発達の割合が 12 歳以降では小さいことがいえる。したがって、

    神経系の発達曲線は、出生後から一気に増加し、12 歳前後には 100%の状態にまで達する

    とまとめることができる。

    このスキャモンの発達曲線から、脳や神経などの神経型の諸器官の発達が 5 歳までに

    80%の成長を遂げ、12 歳前後にかけて 100%になることがわかった。この理論を教育に当

    てはめて考えると、学習の刺激は、5 歳前後までに、遅くとも 12 歳までに与える必要があ

    るといえる。本論のテーマである「小学校の外国語教育」もこの時期に該当される。

    スキャモンは人間の神経型の器官が 12 歳前後で 100%になると発表したとされるが、こ

    れは人間の発達がそこで止まると表現したものではない。山下ら(2002,p26)によると、スキ

    ャモンは人間の発達は 100%を迎えた後でも発達をすることは可能だと主張していたとさ

    れている。しかし、その発達は小さいものであり、学習の効果は発達期に比べ、薄いとされ

    ている。

    以上のスキャモンの発達曲線から、脳などの神経型を刺激する早期の外国語教育は、5 歳

    前後までに、遅くとも 12 歳までに始める必要があるといえる。この 12 歳前後という区切

    りは、本章 1 節で述べた、「貝原益軒の隨念教法」における年齢区分と重なるため、この年齢

    には大きな意味をもつだろう。

    2. 学習の臨界期

    外国語の習得と習得年齢との関係を考えるうえで、重要な要因として挙げられるのが「脳

    の発達」と森島は自身の著書で述べている(2015,p120)。そのうえで森島(2015,p120)は、言

    語の習得可能な期間を考えるうえで「臨界期説」が重要と述べている。

    この臨界期説は、これまでに複数の研究者がその考えを研究してきた。その中でも、この

    考えを最初に唱えたのは、カナダの脳生理学者であるペンフィールドであった。

    ペンフィールドとロバーツが著した『Speech and Brain-Mechanisms』において、ペン

    フィールド(Penfield,pp242-244)は、人間の言語学習には生物学的な時間があると報告して

    いる。中山(2001,p12)は、ペンフィールドが言語習得に「生物学的時間帯」があると主張した

  • 11

    と述べている。つまり、ペンフィールドの主張は、ある一定の年齢を過ぎると外国語の習得

    が難しくなると解釈することができる。

    ペンフィールド(Penfield,p243)は、言語習得の最適期を 4 歳から 9 歳までの期間である

    と主張し、言語習得の最適期と捉えた。三幣(2017)や五島(1997,p18)、中山(2001,p120)、森

    島(2015,p120)らも、ペンフィールドが捉えた言語学習の最適期について述べており、信頼

    性は高いと言える。

    このペンフィールドの考えを後に発展させたのが、アメリカの神経言語学者、レネバーグ

    であった。レネバーグは著書『Biological Foundations of Language』の中で、幼児が言語

    を習得する能力は、思春期が限度」とする説を唱えている(Lenneberg,1967,p142)。この説の

    根拠としてレネバーグ(Lenneberg,1967,p151)は、「脳機能の一側化9」を挙げている。レネ

    バーグは、この脳機能の一側化が終わる思春期頃までを言語獲得が可能な時期と唱えた

    (1967,p151)。中山(2001,p12)は、レネバーグが唱えたこの期間を臨界期として捉えること

    ができると述べている。

    ペンフィールド、レネバーグ、両者の考えた臨界期説は言語学習の最適な時期を考えるう

    えで有効な説であると考える。だが、この「臨界期説」をめぐっては、研究者の間で意見の

    分かれる問題であった。スコベル(Scovel,1988, p175)は、統語や語彙においては臨界期が存

    在しないと述べている。学習の臨界期を過ぎてからでも言語学習は可能であり、学習開始年

    齢が上がるにつれて語彙力や文法能力、構文能力などの学習が容易になるという説を唱え

    ている(Scovel,1988, p175)。また早期の外国語学習は、脳の発達に余計な負担をかけ、知能

    の発達を阻害する可能性が高いと五島(1997,pp26~27)は指摘している。

    このような反論もある中で、筆者は臨界期説を有効なものとして考える。ペンフィールド

    が示した最適期は、前述のスキャモンの発達曲線の神経型器官の発達時期と重なっている。

    また貝原益軒が唱えた随年教法の年齢とも一致していることから、臨界期説は、早期の外国

    語教育を考えるうえで重要な要素であるといえる。

    9 右半球と左半球の機能が分化することを指す。森島(2015,pp120-121)によると、レネバ

    ーグは一側化によって脳の可塑性が失われると指摘し、言語習得能力の喪失の原因と考え

    ていた。幼児期はまだ一側化が完了していない。

  • 12

    3. まとめ

    本節では、スキャモンの発達曲線、学習の臨界期を取り上げてきた。これらの考えは、早

    期の外国語教育の必要性や有効性を考えるうえで重要な要素であった。本節で取り上げた

    スキャモンやペンフィールド、レネバーグの考えの共通点は、「人間の発達には限界点が存

    在すること」、その限界点は「10 代頃に訪れる」ということだといえる。

    これらの理論の解釈を巡っては様々である。加藤(2002)は、これらの理論を学問的にはそ

    の存否について明確な決着がついていないと指摘しており、否定的に主張している。一方で、

    言語学者の柴田(1956,p247)は言語形成期という理論を打ち出し、言語が形成できる期間を

    明確に示している。この柴田の考えは、スキャモンやレネバーグの理論と非常に似ているも

    のであるといえる。

    様々な解釈や意見はあるが、筆者はこれらの理論について肯定的に考えたいと思う。

    第 3節 野生児の研究記録から

    本節では、言語獲得の失敗事例を取り上げながら、幼児期が言語獲得の面で優れているこ

    とを考えていく。具体的には「オオカミに育てられた子ども」で有名な、「アマラとカマラ」、

    「アヴェロンの野生児」の 2 つの事例を取り上げていく。この 2 つの事例は、実際にあっ

    た記録として有名であり、言語獲得の失敗事例として取り上げられることが多い。だが本論

    では、言語獲得の失敗事例を取り上げて、早期段階が言語(外国語)獲得の最適期であること

    を述べていきたい。

    1. アマラとカマラの記録

    野生児に関する研究の中で最も代表的なものとして挙げられるのが、「アマラとカマラ」

    に関する記録である。この記録は、シング10が残したものであり、狼に育てられた 2 人の少

    女を養育していた様子が書かれている。以下、シングの著書『狼に育てられた子』(中野,清

    水訳)(1977)をもとに、シングの記録の概要をまとめる。

    シング(1977)によると 1920年にインドのカルカッタの西南 110キロほどのゴダムリとい

    う村で、狼に育てられていた 2 人の少女が発見された。2 人の推定年齢は、それぞれ 8 歳と

    10 シング (Joseph Amrito Lal Singh)はイギリス人キリスト教牧師であった

  • 13

    16 か月とで、2 人は付近の孤児院に引き取られた。年長の少女はカマラ、年少の少女はア

    マラと名付けられ、シングらの手によって育てられた。

    アマラは保護してから約 1 年後に死亡したが、カマラは 17 歳(1929 年)まで生きることが

    できた。そのカマラは発見当時、四つ足での歩くことや人に向かって歯をむき出す、暗闇を

    好み夜行性であったなど、その行動には人間らしいところは見られなかった。もちろん言葉

    を話すこともできず、夜の 1 決まった時間には遠吠えをしていた。

    亡くなる 1929 年までの 9 年間でできるようになったことは、45 語程度の単語を用いて

    の 3 語文の理解、二足歩行、食事や着衣の習慣などであった。アマラもカマラも人間として

    の発達が非常に難しいものであった。

    2. アヴェロンの野生児の記録

    「アマラとカマラ」の記録と同様、野生児の研究として有名なものに、「アヴェロンの野生

    児」の報告がある。この報告は、学校付きの医師であったジャン=マルク・ガスパール・イタ

    ールが残したものであり、南フランスのアヴェロン県で保護された男児の様子が書かれて

    いる。以下、イタールの著書『アヴェロンの野生児』(古武訳)(1975)をもとに、アヴェロン

    の野生児の概要をまとめる。

    イタール(1975)によると、1800 年 1 月に南フランスのアヴェロン県で推定年齢 12,3 歳の

    少年が保護された。発見されたこの少年は四つ足で歩いており、臆病で落ち着かず、折りさ

    えあれば脱走しようとしていた。発見当時、少年は素裸であり、森の中で育ったと推測され

    た。

    捕獲されたこの野生児は、イタールによってヴィクトールと名付けられ、イタールによっ

    て教育が施された。ヴィクトールは発見当時、言語機能も含め、社会的にも道徳的にも発達

    しておらず、人間として備わっているべき能力が著しく劣っていた。ヴィクトールには、野

    性的な能力が備わっていてだけでなく、その後の診断で知的障害を抱えていたことも分か

    っている。

    3. 考察

    2 つの野生児の記録から 2 つのことが考察できる。

    まず 1 点目は、人間の発達は環境によって左右されるということだ。アマラとカマラ、そ

    してヴィクトールも人間社会と分断された場で成長していた。田嶋ら(2016,p25)は、野生児

  • 14

    のケースは極端だが、人間としての能力を獲得させる環境が整っていなかったり、そのため

    の働きかけが欠如したりすると、人間としての能力の発達が阻害されてしまうと述べてい

    る。また山下ら(2002,p168)も、人間が人間として発達するためには、幼少の時期に人間的

    環境の中で過ごすことが必要と述べている。つまり、人間としての発達には人間が発達する

    ための場が必要だといえる。現代社会における人間の発達の場としては、「家庭」や「学校」、

    「地域」が挙げられる。これらの場の中で生活することで、人間は人間として発達することが

    できる。アマラとカマラ、ヴィクトールも人間としての発達の場で生活をしていたならば、

    その一生を人間として生きることができたのではないかと推察する。

    そして 2 点目は、言語の獲得が不十分であった場合、言語の再獲得が困難であるという

    ことだ。カマラは 9 年間の教育の中で習得できた言葉は、わずか 45 語程度とされていた。

    北川(1975)は、45 語程度のカマラを 3 歳 6 ヶ月程度の知能水準と述べており、9 年間の教

    育と発達効果が相乗していないことを指摘している。また、ヴィクトールの言語獲得につい

    て森島(2015,p122)は、5 年間の教育を受けても、充分な言語能力を身につけることはでき

    なかったと述べている。

    これらの野生児の記録から、言語能力面の発達時期、言語獲得の時期が決まっているので

    はないかという仮説を立てることができる。この仮説と第 2 節で述べた「臨界期説」を踏ま

    えると、野生児が言語獲得に失敗した原因として、「野生児たちはすでに言語獲得の臨界期

    を過ぎていた」と考えることができる。森島(2015,p122)は、野生児たちの言語の臨界期が

    発見された時点で過ぎていたことを指摘している。そのうえで、保護された後の言語訓練の

    効果を薄いと断言している。野生児の記録から、臨界期を過ぎての言語獲得がいかに困難で

    あるのかが理解できる。

    4. まとめ

    本節では、アマラとカマラの記録、アヴェロンの野生児などの野生児に関する記録を取

    り上げてきた。これらの記録を巡っては、フィクションだと指摘する者も少なくない。森島

    (2015,p122)によると、アマラとカマラの記録には信憑性に疑いがかけられていると指摘し

    ている。田嶋ら(2016,p23)も、野生児の記録の解釈に疑問を投げかけている。

    しかし筆者はこれらの理論は、早期外国語教育を考えるための有効な事例と考える。野生

    児の記録は、我々に対して、人間として発達するための場が必要不可欠なこと、そして人間

    の言語獲得時期が決まっていることを示してくれているのではないだろか。

  • 15

    本章では早期外国語教育の必要性を教育思想、教育心理学、および野生児の記録から考察

    してきた。過去の偉人が残した主張や人間の発達面、そして過去の記録などから早期教育が

    有効なものであることがわかった。

    一方で、早い時期から教育を開始することについて稲垣(2005)は、早期教育が学習能力全

    体に大きな影響を与えることになると述べ、警鐘を鳴らしている。小宮山(1995,pp169-172)

    は早期教育が賭けであると述べ、成功する場合と失敗する場合の両者があると指摘してい

    る。そのほか早期教育を否定的に捉えるものも少なくないのが実情である。

    しかし本章で筆者は早期教育の有効性が高いことを立証した。この考えをもとに早期の

    教育の重要性を改めて主張したいと思う。

  • 16

    第2章 早期外国語教育を各国の事例から考える

    本章では、第 1 章で述べたことを踏まえ、アジア諸国で行われている小学校英語教育の

    を取り上げ、早期外国語教育の有効性を考えていく。日本においても、来年度より新学習指

    導要領(小学校)が全面実施され、教科としての英語教育がスタートする。外国語教育が早期

    化するといってよいだろう。

    日本以外の東アジア諸国では、小学校段階での英語教育をすでに行っている。文部科学省

    によると、東アジア諸国では小学校 3 年生から外国語教育を開始している国が多いとされ

    ている。下記の表でもわかるように、中国、韓国、台湾に比べ、日本の英語教育が遅れてい

    ることがわかるだろう。加えて、現在の日本において実施されている小学校第 5 学年から

    の英語教育は、正式な教科としてではない。中国・韓国・台湾などの教科としての英語とは、

    違ったものであるといえる。

    表 3:アジア各国の英語教育

    日本 中国 韓国 台湾

    外国語教育の開始学年 小学校

    第 5 学年

    小学校

    第 3 学年

    小学校

    第 3 学年

    小学校

    第 3 学年

    授業時数(小学校) 週に 1 コマ 週 4 回以上 3~4 年:週 2 コマ

    5~6 年:週 3 コマ

    週 2 コマ

    (出所) 文部科学省「諸外国における外国語教育の実施状況結果」(2014)をもとに筆者作成

    今日のアジアにおける英語教育について河添(2005,前書き)は、都市部を中心にドラステ

    ィックに変化を続け、かつ多様化していると指摘している。アジアにおける英語教育が急速

    に、かつ早期化しているといえるだろう。

    本章では、アジア諸国における早期英語教育について、国や地域ごとの事例を挙げながら

    述べていく。具体的には、中国、タイ、そして台湾を取り上げる11。これらの国の共通点は、

    「日本に比べ、英語教育が早期に行われている」という点だ。第 1 節では中国における早期

    外国語教育の事例、第 2 節ではタイの事例、そして第 3 節では台湾の事例に加え、台北市

    11 この 3 つの国を取り上げたのは、日本と比較するのに適当だと考えたからである。まず

    中国は東アジアとして急速に国際的地位が上昇してきていること、台湾は当初からアメリ

    カと関係が深いこと、東南アジアの代表として植民地化を経験しなかったタイが、日本と

    比較するのにふさわしいと考えている。

  • 17

    にある博如幼稚園の園長、王妙涓氏への聞き取り調査も取り上げ、述べていきたい。

    第 1 節 中国の事例

    本節では、中国における英語教育を取り上げていく。早期に英語教育を導入するようにな

    った背景、早期英語教育の現状、そして課題を述べ、まとめていく。

    導入の背景

    世界最大の人口を抱える大国である中国。日本と同じく、公用語を英語としない国であり

    ながら、その英語水準は日本を上回っていると諏訪ら(2005,p37)は述べている。その背景と

    して、小学校における英語教育の導入があると指摘している(諏訪ら,2005,p37)。

    中国が小学校教育課程の中に英語を組み入れたのはそう遠い話ではない。柳・高橋

    (2016,265)や上西(2013,p103)によると、中国の小学校において英語教育が始まったのは

    2001 年とされている。また矢野・池田(2008,p149)によると、導入当初は 3 年生からの開始

    であった英語教育が、今や大都市の小学校においては第 1 学年から導入され、早期化の傾

    向にあると指摘している。中国の教育改革が今日までの約 20 年の間に大胆に行われている

    ことがわかるだろう。

    中国が英語教育を小学校の段階で導入した背景には経済的な要素が大きいといえる。と

    りわけ、改革開放政策が大きな影響だったと本名(2002,p128)は指摘する。中国は 1990 年

    の改革開放政策以降、社会主義市場経済が導入され、その結果、教育にも市場原理が影響を

    及ぼした。また宮内(2005)は開放政策をとったことで、経済発展のための諸外国との交易が

    より必要となったと述べている。国際的な市場競争に勝つため、そのための手段として英語

    を重要視した結果、小学校において英語教育が導入されたと考察できる。

    また開放政策によって、ソ連(現ロシア)との関係性が開放政策前後で変化したことも要因

    の一つといえる。改革開放政策を実施するまで、中国はソ連との結びつきが強かった。宮内

    (2005)によると、開放政策を実施する前の教育では、外国語としてロシア語が扱われていた

    とされている。しかし開放政策後では、資本主義国家との交流が盛んになったため、英語や

    日本語が主流となった(宮内,2005)。

    経済的な背景だけでなく、中国人の意識的な背景もあるといえる。新保(2011)は、中国国

    内において英語が日常生活に必要とされているわけではないと指摘している。宮内()は、多

    くの中国人にとって英語を学習することは、金持ちになるための一つの手段にしか過ぎな

  • 18

    いと指摘している。「金持ちになりたい」、「だから英語を学ばなければならない」という中国

    人の意識がうかがえる。

    また河添(2005,p17)は、学力競争、受験競争などに対する意識が強いことを指摘している。

    その理由として、人口の多い中国であるからこそ、個々がそもそも激しい競争社会の中に身

    を置いていることを挙げている(河添,2005,p17)。競争を生き抜くためには英語が必要であ

    り、英語を学ぶことは早ければ早いほうがよい」いう意識が中国人の中で浸透しているので

    はないだろうか。経済的な理由のみならず、中国人の英語教育に対する意識が、早期化につ

    ながったのではないかと推察する。

    以上のように、改革開放政策を中心とした経済的な背景、および中国人の意識的な背景が、

    英語教育の早期化を後押ししたといえる。

    中国の早期英語教育の現状

    英語教育の早期化を盛り込んだ 2001 年の教育改革は大胆なものであった。矢野・池田

    (2008,p149)によると、2001 年の改革では、英語運用能力の向上と専門知識の吸収を、国際

    化対応のための戦略的政策と位置づけられた。そのうえで本名(2002,p130)は、この教育改

    革をきっかけに義務教育期間 9 年間の英語教育が可能になったと述べている。

    中国における英語教育の大きな特色は、「聞く・話す・読む・書く」の 4 技能を重視した英語

    教育を小学校の段階から導入している点である。河添(2005,p23)は、中国における全ての教

    育は知識詰め込み型であると述べている。宮内(2005)によると、90 年代までの英語教育は

    知識暗記型、文法や語彙力、読解力に重きを置いたものであったとされている。知識暗記型、

    文法や読解力に重きを置いた英語教育は、今日の日本の英語教育と似ているのではないだ

    ろうか。「日本人は、文法や読解力はできるが、会話ができない」という意見をよく耳にする

    が、過去の中国においても同じ状況であったことが推察できる。

    しかし、2001 年の大胆な教育政策によって英語教育の内容は大きく変わった。宮内()に

    よると、この改革で中国の英語教育は 4 技能を重視した教育へと転換されたとされている。

    河添(2005,p23)は、従来の文法重視から脱却したいという中国政府の思惑が背景にあったと

    指摘する。そのうえで、英語を単なる知識として捉えるのではなく、コミュニケーションと

    して、実用的型の言語能力としての育成を目標に舵を切ったと宮内(2005)は指摘する。

    この教育改革以降に導入された教科書は、4 技能の資質・能力の育成を目的としたものと

    なっている。実際に大連市の小学校の英語教育を視察した須部(2010)によると、中国国内で

  • 19

    使用されている教科書は国家管理の下で作成された国定教科書とされている。現在の日本

    の教科書12とは異なり、内容が画一化された教科書が使用されていることがわかる。

    北京の小学校を参観した矢野・池田(2008,p151)によると、中国で使用されている教科書は、

    オールカラーでイラストが多用されて視覚的にわかりやすい構成になっているそうだ。そ

    の内容は、小学校第 1 学年の段階から「聞く・話す・読む・書く」の 4 技能の育成を目指したも

    のとなっており、一般的に難易度が高いと新保(2011)は指摘している。上西(2013)によると、

    1 年生の段階から「I wash my face.」、「I go to school.」といった英文が教科書の中に記載さ

    れており、子どもたちは読む、聞く、書くなどして学習をしているとされている。また矢野・

    池田(2008,p151)は、小学校の英語教育の段階で文法の解説まで行っていることを述べてい

    る。一方、日本の小学校では、アルファベットや簡単な会話表現のみの学習となっている。

    上西が指摘した英文の学習、矢野・池田が指摘した文法の解説は中学校以降に学習すること

    になっている。日本の中学校で学習していることを、中国では小学校段階で学習しているこ

    とがわかるだろう。英語教育を早期に行っているだけでなく、学習内容の質も高度であると

    いえる。

    こうした中国における英語教育の早期実施は結果を残している。TOEFL を実施している

    ETS によれば、2017 年に発表された中国の平均スコアは、表のようになっており、日本よ

    りも高い結果を残している。中でも日本が中学や高等学校等で力を注いでいる Reading や

    Writing でも、日本は中国に及んでいないことがわかるだろう。

    表 4:TOEFL スコア

    Reading Listening Speaking Writing Total

    Japanese 18 18 17 18 71

    Chinese 21 19 19 20 79

    (出所) TOEFL iBT Tests : Test and Score Date January 2017―December 2017

    中国の英語教育は 2001 年の改革以降、着実に結果を残し続けている。新保(2011)によ

    ると今日の中国では、年々英語教育に対する熱が全国的に高まってきており、その勢いはシ

    ンガポールを彷彿とさせるものだとされている。経済発展の余地がある中国だが、英語教育

    も発展し続けるといえる。

    12 戦前の日本の教科書も国定教科書であった。

  • 20

    課題

    文部科学省によると、中国の小学校における英語教育は一定の評価を得ていると報告し、

    中国国内では肯定的に捉えられていると述べている。その一方で小学校における英語導入

    による課題として、諏訪・斉藤(2005,p37)は「教育の地域間格差」を挙げている。その具体的

    な内容として、教師の数や質が地域によって異なることを家近・唐・松田(2005,p207)は指摘

    している。

    小学校の英語教育に伴い、英語を指導できる教員の需要が高まった。文部科学省によると、

    北京や上海などの大都市では英語の専門教員が確保され、質の良い教育が展開されている

    一方で、農村地区を抱えた省や自治区では、教員の確保問題が解決されていないとされてい

    る。その要因として諏訪・斉藤(2005,p37)は、都市部において教員が積極的に採用している

    点を挙げている。また南・牧野・羅(2008 p231)は、2010 年の中国統計年鑑をもとに、2009

    年の都市住民の一人当たり平均年収は、17,174.7 元なのに対して、農民の収入は 3 分の 1

    以下の 5,153.2 元と指摘している。この 2 つから、賃金などの条件が良い都市部に教員が流

    れていることが推測できる。賃金格差が教員の不足を引き起こしているといえる。

    教師の質も地域間も異なっている。家近・唐・松田(2005 p207)によると、日本の教師の大

    半は大学出身者であるが、中国の小学校教師には中等師範学校出身者(日本の高卒程度)が多

    いとされている。その理由として家近・唐・松田(2005 p207)は、高卒程度でも教壇に立つこ

    とができることを挙げている。とくに農村部では中等師範学校出身者教師が集中している

    ことを文部科学省(2014,pp172-173、2015,pp167-169)は指摘している。

    教員の数の確保、教員の質の向上の 2 つの課題を「どのように克服するか」が、今後の小

    学校の英語教育を左右しているといえる。

    まとめ

    本節では中国の小学校における英語教育を考察してきた。中国の小学校における英語教

    育は、20 年という短い期間の中で急速に発展、高度化していると言ってよいだろう。地域

    間の教育格差などの課題を抱えているものの、今後の経済的な発展とともに英語教育も変

    化し続けていくと思われる。

  • 21

    第 2 節 タイの事例

    本節では、タイ王国(以下、タイと表現する)における英語教育を取り上げていく。早期

    に英語教育を導入するようになった背景、早期英語教育の現状、そして課題を述べていく。

    1. 導入の背景

    熱心な仏教国であるタイ王国(以下タイと表現する)では全国共通の公用語としてタイ語

    が使用されている。松村(1978,p89)によると、19 世紀途中まで(ラーマ 3 世時代まで)、自国

    の文化や伝統を守り育てるため、欧米の影響力の浸透には厳しい態度を示していたとされ

    る。周辺のアジア諸国のように植民地化された経験も無いため、タイ語の文字は英語と違う

    と河添(2005,pp219-220)は述べている。

    タイが小学校において英語教育を開始したのは 1992 年13とされている(鈴木,p2)。河添

    (2005)によると、英語教育が始まるまでのタイでは、英語は完全な外国語としての位置づけ

    とされており、ごく一部のエリート官僚のみが使用していた。当時のタイの国民にとって英

    語が縁の遠い存在であったことがうかがえる。鈴木(2005)によると、1992 年に導入された

    英語教育は、「特別経験活動」としての選択科目としての位置付けであり、対象学年も小学校

    第 5 学年と第 6 学年に限定されていた。小学校第 5 学年からの導入、そして正式な教科で

    はなかった点は、今日の日本の小学校英語教育と似ているといえる。その後の 1996 年、タ

    イ政府は「1996 年英語教育カリキュラム」を告示し、小学校第 1 学年第 2 学期より英語教育

    を必修教科とする早期英語教育政策を実施するようになったと鈴木(,p2)は述べている。

    このように、タイの小学校における英語教育は 2 つの段階を経て、実施されるようにな

    った。

    タイが英語を早期化するようになった背景には、1990 年以降の急激な社会変化があると

    いえる。鈴木(,p2)によれば、1990 年代のタイでは政治面、経済面で急激な社会変化を経験

    したそうだ。

    政治面の変化について鈴木(,p2)は、軍部独裁政権が崩壊し、民主化が急速に進んだと指摘

    している。玉田(2005,p1848)は、軍政を特色としていたタイが、1990 年代の独裁政権崩壊

    によって、東南アジア諸国でもっとも民主的になったと述べている。政治が民主化したこと

    13 参考文献によっては諸説あるようである。

  • 22

    によって国の方向性が変化し、英語教育の早期化に向かっていったことがうかがえる。

    経済面について鈴木(,p2)は、1990 年代の高度経済成長による都市化や消費社会化への変

    化を指摘している。河添(2005,p220)によると、バンコクやチェンマイなどの大都市におい

    て経済が発展したため、国内において国際化が進展したとされる。また本名(2002,p99)は、

    タイ国内で国際化が進展した結果、大都市における英語の重要性が増したと述べている。経

    済発展によって、タイの国際化が進んだため英語教育を早期に取り入れたことがわかる

    以上のように、タイにおける早期英語教育導入の背景には、1990 年代の国内政治・経済の

    変化があるといえる。

    2. タイの早期英語教育の現状

    1996 年にタイは小学校における英語教育を全面実施した。その英語教育は非常に興味深

    いものである。鈴木(,p3)によると、今日のタイにおける英語教育は小中高一貫の 12 年間カ

    リキュラムとなっているようだ。そのうえで、小中高の学校段階によって 4 段階の英語レ

    ベルを設定しているとされる(泉,2009,p98)。

    本名(2002,p101)、泉(2009,p98)によると、タイの英語教育システムの以下の表のように

    なっている。特徴としては、小学校から高等学校までの 12 年間の期間を 4 つに分け、その

    発達段階に応じて授業時間数を配当していることだ。12 年間のカリキュラムを採用してい

    ることから、それぞれの段階で育成したい力が明確になっているのではないかと推察する。

    表 5:タイの英語カリキュラム

    レベル 対象学年 授業時間数 教育課程

    Primary 1-3 小学校第 1~3 学年 20~30 分×800~

    1000

    /年間

    義務教育 Primary 4-6 小学校第 4~6 学年

    Lower secondary 7-9 中学校 1~3 学年 50 分×1200

    /年間 Upper secondary 10-

    12

    高等学校 1~3 学年 中等教育

    (出所) 本名(2002,p101)、泉(2009,p98)をもとに筆者作成

  • 23

    中国は 4 技能の育成を小学校の段階から目指しているのに対し、タイの小学校英語教育

    では主に 2 技能の育成を目指している。泉(2009,p99)によると、タイの小学校における英語

    は、おもにリスニングとスピーキングを中心としているようである。本名(2002,p101)も、

    タイの小学校における英語教育の目的について、リスニングやスピーキングなどを中心と

    したコミュニケーション能力の開発であると述べている。また泉(2009)によると、小学校終

    了までに、語彙レベルが約 1050 語から 1200 語を習得するといった英語教育の到達度が明

    確に示されているそうだ。具体的な到達度が示されていることは、タイの英語教育の特色の

    1 つといえる。

    タイの小学校で使用されている英語の教科書の構成も面白い。タイの教科書を実際に研

    究した上西()によると、タイの教科書には歌やゲーム、絵を書く部分が設定されているそう

    だ。この点について上西(2003)は、小学校の児童達を英語嫌いにさせないなどの 配慮がさ

    れていると述べている。また泉(2008)によれば、タイの小学校英語教育では、教科書に練習

    帳などの補助教材がついているとされる。

    3. 課題

    1996 年の小学校における英語教育必修化から今年で 23 年となった。今日まで順調に進

    んできたように思えるが、現実として課題が多いことも現実である。

    本名(2002,p102)は、2000 年にタイのバンコク市内の教員を対象に行われたアンケート結

    果をもとに、問題点として以下の 7 つを指摘している。

    ① 生徒数が多く、理解度に差異が生じている。

    ② 文法と語彙がタイ人の小学生には困難である。

    ③ 視聴覚教材不足により、リスニングや発音指導が困難である。

    ④ ライティング指導が困難である。

    ⑤ 授業時数が不足している

    ⑥ 英語の重要性を生徒が理解せず、学習意欲を示さない

    ⑦ 教室外で英語に触れる機会が少ない。

    ②に関してだが、河添(2005,p220)は英語とタイ語の文字は 異なっていると述べている。

    タイは日本と同様にその国独特の文字を使用しているため、アルファベットも一から学ば

    なければならない。小学生にとって困難であることは理解できる。

  • 24

    また⑥に関しては、タイ人の意識が影響していると考えられる。本名(2002,p98)は、タイ

    語はタイ人にとって誇りとする言語であると指摘し、重要なアイデンティティーの 1 つと

    述べている。外国語に対する意識、学習への関心も低いのではないかと推察する。

    4. まとめ

    本節ではタイの小学校における英語教育を考察してきた。タイは発展途上国ながらも、小

    学校における英語教育においては、日本よりもその位置は上だといえる。まだまだ経済発展

    の余地があるタイ。経済だけでなく、英語の教育も大きく発展するだろう。

    第 3 節 台湾の事例

    本節では、台湾における英語教育を取り上げていく。早期に英語教育を導入するようにな

    った背景、早期英語教育の現状、博如幼稚園の現地調査および王妙涓園長へのインタビュー、

    最後に課題を述べ、まとめていく。

    1. 導入の背景

    日本と同じく 6.3.3 制の教育制度がとられている台湾。1895 年から 1945 年まで日本の

    統治下におかれていたこともあり、歴史的に見ても日本とのつながりが深い地域といえる。

    そんな台湾の英語教育について河添(2005,p122)は、急ピッチで英語教育が低年齢化してい

    ると指摘する。

    文部科学省によると、台湾の小学校(国民小学)における英語教育は、2001 年から第 5 学

    年を対象に必修教科として開始された。稲垣(2005)によると、全面実施の 2001 以前にも第

    5 学年を開始学年とし、週 2 回の英語授業を部分的に実施していたそうだ。この 2001 年は、

    中国の小学校英語教育がスタートした年と同じであることがわかろう。

    2001 年に始まった小学校英語教育は年々早期化していく。文部科学省によると、2003 年

    に英語の開始学年が 3 年生に早めることが決定され、2005 年からは第 3 学年での必修の英

    語教育が実施されている。開始わずか 2 年で開始学年が早まっていることから、急速に教

    育改革を行ったことがわかる。また河添(2005,p122)によると、2003 年度の新学期より、台

    北市や新竹市、台中県、台南県などでは、第 1 学年の段階から英語をカリキュラムとして導

    入したとされる。この点について大城(2016)は、日本の学習指導要領のように国レベルで規

  • 25

    定するのではなく、地方自治体がかなり自由な形で教育課程を編成できるような仕組みが

    あるからだと述べている。

    小学校において英語教育が実施されるようになった背景には、グローバル化の進展が挙

    げられる。平井(2017)によると、台湾における英語教育は 2001 年以前から始まっていた。

    だが、2001 年以前の英語は単に入試のためだけであり、文法・語彙中心の英語教育の形だっ

    たと稲垣(2005)は指摘する。英語がコミュニケーションとしての言語ではなく、大学に合格

    するための手段であったことがわかる。しかし、グローバル化の進展によって実用的な英語

    が必要となった。大城(2006)は、従来型の「読み・書き」を中心とした指導法ではグローバル

    化に対応できなかったと述べている。

    グローバル化の進展以外の背景もある。諏訪・斉藤(2005,p37)によると、台湾の英語教育

    早期化の背景には、中国との政治的な不安定があると指摘する。そのうえで諏訪・斉藤

    (2005,p37)は、中国との緊張関係が悪化した際にアメリカやカナダに生活の拠点を移すこと

    ができるよう、万が一の際の対策として英語教育を求める人もいると述べている。つまり、

    英語を受験のためのツール、意思疎通のためのコミュニケーションとしてではなく、護身用

    として必要性を訴える者もいることがいえそうだ。

    2. 台湾早期英語教育の現状

    台湾の教育制度は、地方自治体ごとにかなり自由な形で教育課程を編成できるような仕

    組みとされていることが本節(1.導入の背景)でわかった。小学校における英語教育に関し

    ても自治体ごとに違いがあるといえる。大城(2016)によると、台北市は小学校第 1 学年から

    の英語教育を 2002 年度から開始したとされる。教育部の規定では、小学校第 3 学年である

    が、実際には地方自治体ごとの裁量であるといえる。現在の台湾では、台北市を含む 3 分の

    1 の市・県において、小学校第 1 学年からの英語教育が実施されている(大城,2016)。

    文部科学省によると、台湾の小学校英語教育の目標は以下の 3 点である。

    ① 基本的な英語コミュニケーション能力を育成する。

    ② 英語学習への興味と学習方法を育成する。

    ③ 本国と外国文化の風俗習慣に対する認識を促進する。

    これらの目標から、台湾の小学校英語教育はコミュニケーションに重きを置いた教育で

    あるということがいえる。2001 年の小学校での英語教育義務化に伴い、従来の「読み・書き」

    から実用型の英語教育へと転換されたことはすでに示した。文部科学省によると、台湾小学

  • 26

    校で実施されている英語教育 4 技能の中でも「話す(スピーキング)」を中心にした教育だそ

    うだ。河添(2002,p124)が事例として挙げている仁愛国民小学(台北市)では、教室で英語の歌

    を歌ったり、リンゴやパイナップルの絵を見て、その果物を英語でどう発音するかなどを学

    んでいるようである。小学校 3 年生以上は、リスニングやスピーチを重点的に学び、授業中

    は中国語を使わずに英語を用いた授業になっている(河添,p124)。台湾の小学校英語教育は

    日本で行われている英語教育と似ている部分が多いのはないかと推察する。

    「話す(スピーキング)」を中心とした英語教育は小学校に限ったものではない。本名

    (2002,p115)によると、台湾で実施されている「全民英語能力分級検定測験」では、1 次試験、

    2 次試験ともにスピーキングが必修だそうだ。稲垣(2005,p127)は、現在の台湾社会では、

    国際化と経済の繁栄に伴って、英語の重要性が増してきていると指摘している。観光や旅行、

    あるいは公務などで、「英語を話す」機会が増え、国民が英語と触れる機会が多くなってきて

    いる(稲垣,2005,p127)。

    台湾の求める英語教育が「話すこと」であり、小学校においてもその目的を達成するため

    の英語教育が行われているといえる。

    3. 台湾の博如日本幼稚園の事例から

    本論の中心である「早期の外国語学習は有効である」という仮説に基づき、本節では中国、

    タイ、台湾の小学校で実践されている早期英語教育を事例として述べている。今回、筆者は

    「早期の言語教育が有効なのか」を実証するために、台湾の博如日本幼稚園(以下、博如幼

    稚園とする)を対象に調査を行った14。研究対象が小学校ではないものの、松畑(1983)が指摘

    した早期教育の定義には含まれると考える。

    博如幼稚園は 1990 年に台北市に開園した幼稚園である。博如幼稚園では、日本の幼稚園

    教育をモデルとした教育課程を編成しており、台湾の一般的な教育課程とは異なる154 月始

    業・3 月卒業となっている。現地で生活をしている日本人の子どもだけでなく、台湾の現地

    の子どもたちも在園していることから、多文化教育に力を注ぐ幼稚園といえる。実際に 1 年

    間の教育課程の中には、日本と台湾の年中行事を取り入れている。これまでに 1,000 人を超

    える子どもたちが卒園している台湾を代表するバイリンガル教育の幼稚園であるといえる。

    14 令和元年 10 月 30 日から同年 11 月 5 日の間調査を行った 15 台湾の幼稚園や小学校などでは、9 月始業・6 月卒業というシステムが一般的である。

  • 27

    (博如幼稚園 2019 年 10 月 31 日 筆者撮影) (ハロウィンの様子 2019 年 10 月 31 日 筆者撮影)

    博如幼稚園での言語面での特徴としては、日本語中心とした活動が挙げられる。幼稚園で

    の活動は原則、日本語を用いている。そのため、日本語を母語としない子どもたちも日本語

    で会話をしなければならない。筆者が参観した年長クラスの台湾人の園児らは、流ちょうに

    日本語を使ってコミュニケーションを行っていた。

    また日本語、中国語、英語の活動を設けていることも幼稚園の特徴だ。博如幼稚園では日

    本語、中国語、英語の 3 言語の活動をそれぞれ毎週行っている。それぞれ活動はコミュニケ

    ーションを中心とし、ひらがなやアルファベットなどの練習も行っているため、「4 技能」の

    活動であるといえる。基本的に活動中はその言語を用いて会話をしなければならない。

    日本語、中国語の活動はそれぞれ日本人、台湾人の教師が指導しており、ネイティブスピー

    カーによる言語活動を行っているといえる。週に 1 回(40 分)行われている。

    (日本語の活動の様子 2019 年 11 月 1 日筆者撮影) (中国語の活動の様子 2019 年 11 月 1 日筆者撮影)

  • 28

    英語の活動は、アメリカでの生活経験のある台湾人教師が指導している。博如幼稚園はと

    りわけ英語の教育に力を注いでおり、年長クラスだと週に 2 回(それぞれ 40 分)の活動が行

    われている。英語の活動では歌やゲームなどを取り入れ、子どもたちが飽きないような工夫

    がされている。また英語の本の読み聞かせもあり、「話す・聞く」に重点を置いた教育が行わ

    れている印象だった。筆者が調査した際は、翌日に控えたハロウィンパーティーに向けて、

    ハロウィンに関する単語を歌やゲームなどで学んでいた。また、園児数人が自分の将来の夢

    について英語でスピーチしていた。英語教育に力を注いでいる理由として、博如幼稚園の王

    園長は、英語が世界共通語であること、グローバル社会の中で英語を使って子どもたちそれ

    ぞれが活躍してほしいという園長の願いがあることの 2 つを挙げていた。

    (英語の活動の様子 2019 年 10 月 30 日筆者撮影) (英語の読み聞かせ 2019 年 10 月 30 日筆者撮影)

    それぞれの言語活動を参観した後、筆者は博如幼稚園園長の王妙涓園長(以下、王園長と

    する)に早期外国語教育に関する聞き取り調査を行った。

    王園長は早期外国語教育の必要性について、「必要」と述べた。とりわけ、幼児期からの外

    国語教育を行うべきと主張した。

    まず外国語教育の必要性について尋ねた。王園長は、幼児教育に 30 年以上携わってきた

    経験から、「幼児期は発達が著しく、特に聞く力が高いため、多くのことを吸収する」と指摘

    した。「幼稚園にいる台湾人の子どもで、在園期間が長いほど、卒園時に長けた日本語能力

    を有している。」と台湾の園児を例に挙げ、幼児期の発達能力が優れていることを説明した。

    幼児期に外国語教育を開始している子どもたちについて王園長は、「言語を音楽のようにリ

    ズムで習得していく」と表現した。そのうえで、「大人で言語を学ぶ人よりも、子どもの方が

  • 29

    すぐに理解する」と述べ、言語獲得が大人よりも子どもの方が優れていると述べた。王園長

    のこれらの考えは、本論で取り上げた「スキャモンの発達曲線」や、ペンフィールドらが立証

    した「臨界期説」と似ており、過去の心理学研究者の研究結果とも合致していると考えた。

    次に、言語を学ぶ際の環境について尋ねたところ、「外国語を学ぶときは、年齢のほかに

    環境が大事になる」と答えた。王園長によると、言語を学ぶときはその言語の環境の中で学

    習したほうが、学習の効果は高いそうだ。実際に博如幼稚園を卒園し、台北日本人学校へ進

    学した台湾人の子どもたちも多いという。反対に、日本人の子どもたちで、現地の小学校に

    進学した子どももいるとされる。日々の幼稚園で行っている言語教育の成果ではないかと

    推察した。

    王園長はこれまでの経験から、「言葉が通じないのが一番つらい」と述べた。過去に、自分

    の言葉が通じず、自分の思いを伝えること、そして相手の思いを理解することができなかっ

    た経験があるそうだ。そのうえで「思いを知るためにも言葉が重要」と語った。「言葉はその

    国の歴史や文化、思いが込められており、言葉を学ぶことで相手やその国を知ることができ

    る」と述べた。

    最後に今後の夢について尋ねたところ、「日本と台湾の架け橋」という答えが返ってきた。

    王園長は現在、台湾太鼓協会の代表も兼ねている。台湾太鼓協会は、和太鼓の演奏を台湾の

    様々な地域で行い、日本文化の普及活動を行っている。平成 30 年には友好親善に寄与した

    として、外務大臣からの表彰を受けている。王園長は、「博如幼稚園での教育活動と太鼓協

    会の活動を通して、日本と台湾の交流をより活発にしていきたい」と述べ、インタビューが

    終了した。

    博如幼稚園の言語教育を中心とした教育活動、王園長とのインタビューからも、早期言語

    教育が有効であることがわかったといえる。改めて協力していただいた博如幼稚園、王妙涓

    園長、協力してくださった関係者の方々に感謝の意を示したい。

  • 30

    (王園長への聞き取りの様子 2019 年 11 月 4 日 筆者撮影)

    (外務大臣からの表彰状 2019 年 11 月 4 日 筆者撮影)

    4. 課題

    台湾における英語教育は国内で肯定的に受け止められている。河添(2005,p123)によると、

    台湾で行われている早期英語教育について大多数の保護者がネガティブに受け止められて

    いないそうだ。その一方で、台湾の早期英語教育の課題を指摘する声も少なくない。

    台湾の早期英語教育の課題の 1 つとして、「地域格差」が挙げられる。自治体ごとに教育

    課程を編成することができる台湾だが、地域によって格差があるといえる。大城(2016)は、

    自治体によって英語教育の質、及び量についてかなりの地域差があると指摘している。すで

    に述べたように、現在の台湾では、台北市を含む 3 分の 1 の市・県において、小学校第 1 学

    年からの英語教育が実施されている。残りの 3 分の 2 の市や県では実施しておらず、早期

    英語教育に対する取り組みも地方自治体によって異なっているといえるだろう。

    また英語教育の早期化を問題としてとらえる声も少なくない。河添(2005,122)によると、

  • 31

    英語教育の早期化の背景には保護者の強い要望があったそうだ。今日の小学校第 1 学年か

    らの英語教育は、教育部や地方自治体の取り組みというよりも、むしろ英語熱に踊らされた

    保護者らによってスタートしたといってよいだろう。この早期化政策について稲垣(2005)は、

    英語の学習時間は実際には国語や台湾語を上回っていると指摘している。母語も満足にわ

    からないうちに英語を押し付けても、母語習得に支障をきたすばかりか英語も片言の会話

    しかできなくなる可能性があると稲垣(2005)は言う。台湾の英語教育が過熱しすぎて、母語

    の学習が疎かになっているといえるだろう。

    5. まとめ

    本節では、台湾の小学校における英語教育、博如幼稚園の調査をもとに早期外国語教育

    の有効性を考察してきた。台湾の英語教育に対する過熱ぶりは、中国やタイよりも激しい

    といえるのではないだろうか。稲垣(2005)によると、台湾の多くの保護者が放課後に子ど

    もを英語塾などに通わせているそうだ。過熱する一方で、課題も多い台湾の英語教育。課

    題解決のためには、教育部や地方自治体の政策だけでなく、保護者の意識が変わることも

    必要といえる。

    本章では、中国、タイ、台湾で行っている英語教育を事例に、早期外国語教育の有効性

    を考えてきた。3 つの事例を考察した結果、小学校以前からの英語教育は一定の成果が出

    ているといってよい。とくに博如幼稚園での現地調査から、幼児期の外国語教育は効果が

    高いということがわかった。その一方で、アジア地域の英語教育が子どもの大きな負担と

    なっている、母語教育が疎かになっているなどの課題が表面化してきている。来年度らの

    日本の小学校英語教育がどのような方向を歩むかはまだ�