批評言語と私-小説-論 ヴァレリーから小林秀雄へ...

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言語社会 第 5 号  150 稿000000- -

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言語社会 第 5号  150

 

近代文学において表現主体とエクリチュールの関係が特権的

な主題となったことはよく知られている。十九世紀後半以降

徐々に活動が活発となるフランス象徴主義は、世紀前半に主体

の解放を表現の自由化と一体化させて推進しようとしたロマン

主義に対して、この問題に関しさらなる変革を迫り、「作品」

の自律性の要求を通して主体なきエクリチュールの次元へと移

行していった。「発話主体の消滅」を語ったマラルメはこうし

た変化の象徴的存在であるが、ボードレールからマラルメ、ラ

ンボー、ヴァレリーへとつながるフランス象徴主義を受容した

小林秀雄においても、主体とエクリチュールの関係はきわめて

大きな、そして切迫した問題として現れた。

 

この点について本稿では小林の初期批評から「私小説論」へ

といたる流れを対象として考察を試みてみたい。ヴァレリーの

批評集『ヴァリエテ』(一九二四)に収められた二つのダ・ヴ

ィンチ論、『覚書と余談』と『レオナルド・ダ・ヴィンチの方

法序説』(以下、『方法序説』)をとりわけ熟読した小林は、そ

こから自分の批評言語や方法を構築する重要なきっかけを得た。

あとで触れるように、「私小説論」(一九三五)はそうしたヴァ

レリーの読解体験を考慮に入れた上で読まれるべきテクストで

あるように思われる。小林はヴァレリーを読み、考えることで、

自意識の操作の徹底が文学―

創作であり批評でもある文学

にとって不可欠な作業であることを理解した。またその過

程において、言語の社会性

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とそこから派生する文学者の社会的

な位置とを自覚することが近代文学の営為にとって本質的であ

特集 

生表象の動態構造 

虚構と現実のあいだ

批評言語と私-

小説-

論  

ヴァレリーから小林秀雄へ

森本淳生

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151  批評言語と私 -小説 -論

ることも了解したのである。以下では、この問題をヴァレリー

のテクストを視野に入れながら具体的に考察し、「私小説論」

にまで議論を進めていく。こうした作業を通して、「私小説論」

というタイトル、あるいは〈私-

小説-

論〉とでも書かれるべ

き概念とは、小林秀雄の深く省察した近代文学の本質を端的に

表現するものであることが分かるはずである。

騒然たる夢はやみ ―

 

批評家の誕生

 

よく知られているように、小林がヴァレリーから学んだ文学

上の最も重要な問題は「自意識」であった(

1)。「人生斫断家ア

ルチュール・ランボオ」(一九二六)や「悪の華一面」(一九二

七)といった初期批評において、小林はまず自意識の中に文学

を含むすべての世界事象を還元することから始めている。しか

し詩人は、自分の自意識の世界―

「象徴の森」や「意識の

夢」―

を彷徨する中で、意識によっては改変しがたい現実Y

「驚く可き個性」をもった「街衢の轍の跡」(一五〇(

2))

に遭遇することとなり、そこから自意識の「外部」に脱出

する可能性をかいま見る。この現実Yは「様々なる意匠」(一

九二九)においては批評の根拠となる「個性」として捉え直さ

れ、そうしたかけがえのない個性をもった他者と対峙すること

こそが批評なのだ、という自覚とともに小林は自己の「批評」

を確立していくことになる。

 

議論を始めるにあたり確認しておけば、「様々なる意匠」は、

批評が「潑剌たる尺度」をもつためには「生々たる嗜好」が必

要であるとし、批評が「人を動かす」ために必要なのは(マル

クス主義者が考えるような)論理や理論ではなく情熱や夢であ

ると述べて、「最上の批評は常に最も個性的である」と断じる

テクストである(一〇三(

3))。批評家が自己の個性的な情熱を

もって作家の同じく個性的な情熱を見ることが優れた批評なの

だ、というわけである。つづく箇所で小林は、人間の驚くべき

個性についての有名な一文を書いている。

人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学

者にもなれたらう、軍人にもなれたらう、小説家にもなれた

らう、然し彼は彼以外のものにはなれなかつた。これは驚く

可き事実である。(一〇四)

 

これはヴァレリーの『覚書と余談』の変奏であるように思わ

れる。

驚くべきことは、事物が存在するということではない。事物

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がこのような

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ものであって、他のようなものではない、とい

うことなのだ。(1221

(4))

 

ヴァレリーはここから逆に純粋意識の普遍性を導き出すのだ

が、小林はおそらくはそれを逆手にとってゆるがしがたい個性

の方を見出した。注意すべきは、ここで小林が、自意識の「外

部」に見出される特異な現実を、「悪の華一面」の「Y」とは

ちがい、事物ではなく個別具体的な人間存在として捉え直して

いることである。先ほどの『覚書と余談』の一節は、同じテク

ストでヴァレリーが展開した個々人の個別具体的で偶然的な

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特性としての「個性」personnalité

と普遍的な

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純粋自我との対

比(1226

)に結び合わされて「様々なる意匠」の一節になって

いったように思われる。科学者、軍人、小説家云々というのは

ヴァレリーの言う「個性」であり、小林はヴァレリーの言う普

遍的な純粋自我を個々人のもつ本質として捉え直してこれに対

置させたのではないか。もちろんこれは仮説であり、小林の創

作ノートのようなものから実証されたわけではないが、以上の

ようにテクストをつき合わせてみることで小林がヴァレリーを

自分なりに読み替えていく作業の一端をいくらか想像できるよ

うに思われる。

 

この流れの中では「様々なる意匠」の主張する「作者の宿命

の主調低音」も、「人生斫断家アルチュル・ランボオ」のそれ

や「悪の華一面」の純粋自我とは(微妙だが)異なる内実をも

って現れてくる。

 

一体最上芸術家達の仕事で、科学者が純粋な水と呼ぶ意味

で純粋なものは一つもない。彼等の仕事は常に、種々の色彩、

種々の陰翳を擁して豊富である。この豊富性の為に、私は、

彼等の作品から思ふ処を抽象する事が出来るのだ、と言ふ事

は又何物を抽象しても何物かが残るといふ事だ。この豊富性

の裡を彷徨して、私は、その作家の思想を完全に了解したと

信ずる、その途端、不可思議な角度から、新しい思想の断片

が私をさし覗く。ちらりと見たが最後だ、断片はもはや断片

ではない、忽ち拡大して、今定著した私の思想を呑んで了ふ。

この彷徨は正に解析によつて己れの姿を捕へんとする彷徨に

等しい。かくして私は、私の解析の眩暈の末、傑作の豊富性

の底を流れる、作者の宿命の主調低音をきくのである。この

時私の騒然たる夢はやみ、私の心が私の言葉を語り始める、

この時私は私の批評の可能を悟るのである。(一〇四)

 

この有名な一節で述べられていることは大きく言ってしまえ

ば、批評家が作家の作品についてあれこれと考えた末、作家の

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153  批評言語と私 -小説 -論

本質(「宿命の主調低音」)につき当たる、ということだけであ

る。単純と言ってしまえばそれまでだが、ヴァレリーとの関連

を考えると、小林はこの簡潔な立場をきわめて理論的に正当化

していたのではないかと考えられる。

 

まず簡単に指摘できることから始めよう。文中の「私の騒然

たる夢はやみ」はほぼ間違いなくヴァレリーの影響下に生まれ

た表現である。『方法序説』では、対象認識以前の純粋な現象

が「夢」(1167

(5))と呼ばれたり、曖昧な意識現象が「覚醒し

た睡眠者の夢」(1162

)と呼ばれていたが、「悪の華一面」は、

おそらくそれにならいつつ、「小児の昏迷状態」(一四六)や

「意識の夢」(一四九)を描きだしていたように思われる。この

テクストは、「小児原始人」の状態を「昏迷状態」とし、普通

の人間の状態を「覚醒した」状態として、自意識の通過する

「象徴の森」を眠った状態、ないしは夢をみている状態と考え

るが、こうした設定は、『方法序説』においてヴァレリーが明

晰な知性の成立を一種の「覚醒」に喩えていたことと対応して

いるように思われる。ちょうど数学的帰納法によって無限の系

列が一般的定式によってまとめられ、そのことで系列の「外

部」に出られるように、知性は、精神の内的世界の夢にも似た

生成変化をくぐった後で成立する。それをヴァレリーは、「あ

まりにも持続しすぎた思考の外部へと覚醒する」se

réveiller

hors d’une pensée qui durait trop

(1162

)ことに喩えた。「覚

醒した睡眠者」の夢(内的思考)を描写することは、ヴァレリ

ーが一八九八年以降断続的に執筆を試みた『アガート(

6)』の目

的とするところでもあったが、『方法序説』では、こうした

「夢」の世界に沈潜し、そこでの生を継続していくと、この不

定な世界に「知覚可能な

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ひとつの規則性」が発展することが明

らかになる、とされる。これを極限まで押し進めるとき、精神

の自己認識はいわば自己の不定な根底から明晰な規則的状態ま

でを辿ったことになり、そのとき「すべてはちがっていること

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だろう

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」(ibid.

)とヴァレリーは夢想する。というのも、この

とき意識は、行為や対象についてあらゆる可能性を認識してい

るはずだからである。以上のような「夢」からの(真の)「覚

醒」―

「思考の外部へと覚醒する」こと―

のイメージをい

わば変奏することで、「様々なる意匠」の「私の騒然たる夢は

やみ」という表現は現れたのではないかと考えられる。

 

しかしもちろんちがいもある。『方法序説』のこの箇所はた

だ意識の内部のみを問題にしているのに対して、「様々なる意

匠」は作家という他者に対峙して自意識を考えている。そして

この点こそ小林の批評家としての脱皮を示すもの、あるいは

「悪の華一面」から「様々なる意匠」への認識の深化を示すも

のにほかならない。

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言語社会 第 5号  154

 

小林の言う「宿命の主調低音」が『覚書と余談』の純粋自我

に由来することに関してはすでに指摘がある。しかし、こうし

た意識を純化していったときに現れる自我の本質のようなもの

を他者のうちに

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どのようにしたら見出すことができるのか。批

評が他者―

ランボー、ボードレール、レオナルドなど―

関わる以上、この問いは避けて通ることができない。たしかに、

『覚書と余談』(1216

)でも、「悪の華一面」(一五二)でも純粋

自我を描き出すにあたって、作家の内面を見てみよう、という

導入の言葉が置かれていた。しかし、実際の叙述においては、

語り手の位置はほぼ消去され、純粋自我のありようは直接的に

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提示されている。同じように、「宿命の主調低音」を語ってい

た「人生斫断家アルチュル・ランボオ」においても(一九

二(7))、叙述は語り手の位置を明示せずに

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直接的に行われてい

る。批評家は創造する詩人の内面に直接参与して観察している

ように見える。この段階での小林はまだ「どのようにして批評

家は他者について語れるようになるのか」という問題について

十分には考えていなかったようなのだ。文献や逸話に頼らず、

作家の自意識をのぞき見るようにしてその創造の場を再構成し

て見せる「悪の華一面」の議論にも、そもそもそのようにして

作家の自意識を想像し語っているのがほかならぬ自分(批評

家)であるという意識や、創造の場は批評言語によって再構成

するしかないという創造に対する批評の媒介性ないし二次性の

意識がほとんど感じられない。この頃までの小林は創造者の自

意識に飛びこんでその秘密を探すことに性急で、批評の原理に

ついての自覚がともすれば希薄であったように見える。

「様々なる意匠」の先ほど引用した箇所がそれまでの小林の批

評と大きく異なるのは、語り手の位置を明示しつつ

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対象作家の

宿命(純粋自我)を語っている点である。少なくともテクス

ト・レベルの比較から言えば、このとき小林は『覚書と余談』

で純粋自我を語った後にヴァレリーが述べた言葉を厳密に考慮

に入れている。そこでヴァレリーは、レオナルドという多くの

傑作を創作しえる人物を「作りだす」inventer

必要を若き日に

感じていたことを告白し(1230

)、自分の精神の無秩序を彼の

精神の複雑さとして彼のうちに投影していたのだと述べている

のである(1232

)。つまり―

当たり前といえばそれまでだが

、ヴァレリーの描くレオナルドは彼の発明品であって、そ

れ以外のものではない。真の批評は、まずこの批評家の位置と

いう当然の前提を自覚しなければならない。ヴァレリーはその

ことに意識的であったし、小林もヴァレリーを読みこむ中で、

少なくとも「様々なる意匠」を書くときまでにはそのことを自

覚するようになっていたはずである。

 

こうした批評家の立ち位置の自覚については別の箇所でも簡

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155  批評言語と私 -小説 -論

単に指摘したことがある(

8)。ここではそれをヴァレリーとの関

連で捉え直してみたい。実際、例えば小林らが絶大な影響を受

けたというアーサー・シモンズの『表象派の文学運動』を繙い

ても、語り手の位置についての反省は見られない。それは優れ

た批評文ではあるだろうが、それ以上の反省を批評家志望の青

年にもたらしてくれるものではなかったように思われる。この

点でヴァレリーのふたつのダ・ヴィンチ論の影響はきわめて大

きかったのではないだろうか。

「方法」と「問題」

  ―

 

『方法序説』における想像的再構成の議論

 

実際、こうした小林自身の批評家としての深化には、『方法

序説』冒頭部分の議論をいま一度深く読み直すという作業が介

在していたように思われる。ここでヴァレリーが詳細にわたり

問題にしたのはまさにこうした批評家の立ち位置の問題であっ

たからである。有名でもあり長くもあるが、ヴァレリーが自己

の批評の方法論を述べた決定的に重要な箇所なので詳しく引用

したい。

 

ひとりの人間の死後に遺るものとは、彼の名が想像させる

ものであり、また、この名を賞賛や憎悪や無関心を指し示す

印にしてしまう彼の業績が想像させるものである。この人物

は思考したのだとわれわれは考える。そしてわれわれはこの

思考を彼の業績の中に再発見することができるのだが、再発

見というのも、この思考はわれわれの方から彼のもとに到来

するものだからである。実際、われわれはこの思考を、われ

われの思考に合わせて作り直すことができる。普通の人間を

思い描くのは容易である。〔……〕この個人がなんらかの点

で優れているとするなら、彼の精神が行う作業とそれが辿る

道程とをわれわれが思い見ることにはもっと多くの困難があ

ろう。彼を漠然と賞賛することにとどまらないためには、彼

において支配的な特性、おそらくはわれわれがその萌芽しか

持っていないような特性について、われわれは自分の想像力

をある方向に拡張せざるをえないであろう。しかし、選ばれ

た精神のあらゆる能力がすべて同時に大きく発展していたり、

あるいは、この精神の行動の残したものがあらゆるジャンル

において重大なものに思われる場合、その姿を統一的に捉え

ることはますます難しくなり、われわれの努力の及ばぬもの

になりがちである。この心的な広がりの一方の極点から他方

の極点へといたる距離はきわめて大きいために、われわれは

決して踏破することができないのだ。〔……〕しかしながら、

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言語社会 第 5号  156

立ち止まり、そこで〔困難に〕慣れ親しむことで、われわれ

の想像力には異質な諸要素が、このように結びつくことでわ

れわれの想像力に無理矢理押しつけてくる労苦を乗り越えな

ければならない。全知能はここで、ただひとつの秩序、唯一

の原動力を発明することと分かちがたい。知能は自らに課す

システムに生命を吹きこもうとするが、それは〔考察の対象

とした傑出した精神を自己の〕一種の同類〔とみなすこと〕

によってなのである。知能はひとつの決定的なイメージを作

りだすことに専念する。そしてついに、知能は自分に固有の

統一をふたたび得るにいたるが、そのさいに必要となる知能

の広がりと明晰さとは暴力的な激しさを伴わずにはいないほ

どのものである。ある機械の作用によるかのように、ひとつ

の仮説が現れる。そして、すべてをなした個人、すべてがそ

こで生じたはずの中心的ヴィジョン、あまたの形態の間に無

数の純粋な繫がりを紡ぎ、ああしたさまざまな謎めいた構築

物を作りだす仕事をした怪物的脳髄ないしは奇妙な動物が姿

を現す。本能とはこの存在の住処をなすものだ。こうした仮

説を作りだすことは〔……〕われわれがこれから考察し、わ

れわれの役に立つことにもなる方法の根底をなすものである。

 

私はひとりの人間を想像してみたい。彼の行動はそれぞれ

きわめて異なるものなので、かりにそれらの行動〔の根底〕

にひとつの思考を私が想定するなどということになれば、こ

れ以上広い思考など存在しないと思われる、そんな人間を想

像してみたいのだ。さらに、彼は諸事物の間の差異について

この上なく鋭敏な感覚を持っており、こうした感覚の冒険が

まさしく分析と呼ばれうるような、そんな人間であってほし

い。(1153-1155

 

ヴァレリーはこのように述べてからレオナルド・ダ・ヴィン

チの名前を導入するのである。偉大な人物はどれほど偉大であ

り優れていても、他者、とりわけ後世の他者にとってはその

「名前」nom

と「業績」œ

uvres

で知られるしかない。ヴァレ

リーが、多彩な才能を示したルネサンスの偉人ダ・ヴィンチに

対してもたざるをえなかったこの距離は、小林がランボー、ボ

ードレール、ヴァレリーに対して強いられた距離と相同的と言

ってよいだろう。小林はすでに亡くなっていたボードレールや

ランボーは言うまでもなく、同時代人のヴァレリーのことでさ

え、当時の状況においては名前と業績によってしか知ることが

できなかったからである。

 

ヴァレリーは、そうした名前と業績によってしか知るすべの

ない他者を考えることはどのようなことなのか、という批評の

原理そのものを問うことから『方法序説』を始めている。自分

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157  批評言語と私 -小説 -論

と同様の平凡な人間ならば想像することはたやすいが、偉大な

人物の内的思考の世界を想像するのはきわめて困難である。そ

こでヴァレリーはひとつの「仮説」hypothèse

(9)を設定し、自

分の「知能」intelligence

をすべて傾けて、きわめて多岐にわ

たる行動と思考を可能にするようなひとりの「人間」hom

me

を「想像」im

aginer

してみようとするのである。彼が言う「方

法」m

éthode

とは、自己の自意識において他者をひとつの優

れたシステムとして想像的に再構成し、そのことでこの偉人の

創造の秘密を探るというものであった。

『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』というタイトルに現

れる「方法」は、ダ・ヴィンチの方法(と若きヴァレリーが想

像したもの、つまり「想像力の論理」(1193-1194))に対する

序説を意味するだけでなく、このようなヴァレリー自身の方法

を示唆するものと考えてよいかもしれない。少なくともヴァレ

リーは自己の批評の「方法」にきわめて自覚的である。他者の

制作行為を自分の側で再構成する必要は『覚書と余談』でも次

のように明確に説かれている。

こうした外面的な細部をすべて排除して、ひとりの理論的存

在、ひとつの心理的なモデル

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を想像すること。このモデルは

多かれ少なかれ粗雑なものではあるが、われわれが理解しよ

うとした制作行為〔l’œ

uvre

〕を再構築するわれわれ自身の

能力をいわば表すものなのである。成功はきわめて疑わしい

が、この作業は報いの少ないものではない。知的単性生殖の

解決不可能な諸問題を解決しないまでも、この作業は少なく

とも、そうした問題を立て

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、しかも比類ない的確さでそうす

るのである。(1231

 

ヴァレリーの考え方はダ・ヴィンチだけによって触発された

ものではない。それは彼がマラルメの詩を前にしたときに感じ

たことにも由来している。一八八九年頃(

10)、マラルメの詩に出

会ったヴァレリーはその詩―

とりわけ「海の微風」や「窓」

などの初期詩篇―

が一方でたぐいまれな美しさを示すのに対

して、他方で―

とりわけ後期のソネットが―

完璧であるが

茫然とさせるほど難解であることに驚愕し、そこに自分には理

解しえない詩の、あるいは文学一般の問題があるのではないか

と感じたのであった。

私は、これほどの美、これほどの魅惑、これほどの障害、こ

れほどの光、これほどの闇を結びつけることのできる詩人を

どのようにして思い描いたらいいのか分からなかったのです。

私はマラルメ問題を考察していたのです(

11)。

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言語社会 第 5号  158

 

ヴァレリーの言うこの「マラルメ問題」le

problème

Mal-

larmé

は他の文脈では「レオナルド問題」として現れたが、小

林秀雄においては「ランボー問題」、「ボードレール問題」、「ヴ

ァレリー問題」として現れたと言ってよいだろう。この問題は

ひとつの「謎(

12)」として迫ってくる。謎は、たんなるノイズと

して無視してしまうことができない。このふたりの文学者は、

謎として迫ってくる問題に遭遇し、自己とこの謎たる他者とを

隔てる距離に愕然として、それをなんとか乗り越えるために

「方法」を編み出す必要があった。ヴァレリーはそれを彼一流

のやり方で作りだした。小林はヴァレリーを深く読みこむこと

でそれを習得した。小林における「ヴァレリー問題」とはこの

ように考えられるのではないだろうか。

 

実際、小林は後年、「「テスト氏」の方法」(一九三九年)の

中で、「作者の精神の内奥の変らぬ主題」(「宿命」の言いかえ

であろう)について語った後、次のように述べている。

 

人間は、自分以外のものを、本当に理解出来ないといふ事

は、僕には疑ひのない真理と思はれる。考へる人も行ふ人も

その方法の源泉をメトドロジイといふ空しい知識から離れて、

自分のうちに探らねばならぬ。自分の資質といふものの、一

と目で極め得る単純さに堪える事、どんな複雑な問題に処し

ても、これだけを固執して成功する事、それは大変難かしい

仕事である(

13)。

 

これは、これまで見てきたヴァレリーの言葉と呼応する。

『覚書と余談』からさらに次の一節を引いておこう。

〔……〕われわれがひとりの精神

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に呼びかけるとき、われわ

れ以外の誰が答えることができようか?

答える者は自分の

中にしか見出されない。われわれ自身の働きこそが、それだ

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けで

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、あらゆることについて何かをわれわれに教えることが

できるのである。(1232-1233

自己表出と他者批評

 

清水徹も指摘する通り(

14)、「様々なる意匠」の有名な一節は、

ここまで見てきたヴァレリーのエゴティスム的批評方法の小林

的な言いかえであろう。

人は如何にして批評といふものと自意識といふものとを区別

し得よう。彼〔ボードレール〕の批評の魔力は彼が批評する

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159  批評言語と私 -小説 -論

とは自意識する事である事を明瞭に悟つた点に存する。批評

の対象が己れであると他人であるとは一つの事であつて二つ

の事でない。批評とは竟に己れの懐疑的夢を語る事ではない

のか、己れの夢を懐疑的に語ることではないのか!(

15)(一〇

三)

 

他者を批評対象としても結局は自己の意識の上で想像的に他

者を再構成せざるをえないのだから、他者の批評とは結局自己

の意識の探求にほかならないことになる。小林がここで挙げて

いる「懐疑」は当然自意識の特性であるが、「夢」は、先に見

たように、ヴァレリーのダ・ヴィンチ論で強調された自意識に

おける曖昧なものの領域を背景として小林がヴァレリーの記述

に基づいて展開した―

「悪の華一面」の表現に従えば―

「意識の夢」(一四九)をまずは指していよう。小林はそれを

「己れの夢」とさらに展開してみせた。それは作品を読むさい

に自意識で喚起される種々の思いのことである。そしてその延

長線上に、先ほど引用した「かくして私は、私の解析の眩暈の

末、傑作の豊富性の底を流れる、作者の宿命の主調低音をきく

のである。この時私の騒然たる夢はやみ、私の心が私の言葉を

語り始める、この時私は私の批評の可能を悟るのである。」(一

〇四)という一節が現れてくる。

 

しかし、他者に対する批評が批評家自身の意識を通過しなけ

ればならないというエゴティスム的原理の自覚において小林が

ヴァレリーと一致するとしても、両者の遭遇は一時的なもので

しかない。清水徹は「精神の機能の普遍性という認識によって

支えられている」ヴァレリーの批評に対して、「小林は、出会

いの劇という彼自身の個別的経験と、対象とする作家の核心的

真実という個別性とにあくまで固執する」と述べているが(

16)、

的確な指摘である。これをわれわれの議論の文脈で捉え直して

みたい。ヴァレリーが―

先ほどの引用(1231

)で述べられて

いたように―

マラルメやレオナルドという「問題」を自らの

意識において「立て」てみるとき、彼が求めるのは結局のとこ

ろ、そうした反省の営為を通じて自己の制作の「能力」を高め

ることである。「ひとりの人間に何ができるのか?」«

Que

peut un homme?»

(17)というテスト氏の言葉はここではヴァレ

リーのものでもある。小林はこれに対して自己の意識を通り抜

けて他者へと直面することを試みる。「私の騒然たる夢」はや

む必要があり、その時に、私の「心」は他者の宿命の主調低音

と呼応しながら自分の本当の批評言語を語ることができる、と

いうわけである。

 

以上のような批評のエゴティスム的原理が「悪の華一面」と

「様々なる意匠」とでどのように変化しているのかを図式化す

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言語社会 第 5号  160

ると次のようになる。

《現実↑作家》 

↑ 

批評家

〔「悪の華一面」〕 

他者(作家)  

↑ 《作家↑批評家》

〔「様々な意匠」〕 

(《 

》は自意識の領域を示す。)   

「悪の華一面」では批評家は語り手としての位置を明示せずに

作家の自意識をのぞきこみ、そこで作家が動かしがたい現実Y

と遭遇するのを観察した。「様々なる意匠」では、問題となる

自意識は批評家のものであり、彼は他者を語る自己の位置に自

覚的である。批評家はそうした自意識の語りの中でゆるがせに

できない他者としての作家と遭遇するのである。

作品、言語、商品

 

こうして小林は自意識の「球体」を外部へと脱出し、他者と

出会う。とはいえ、「様々なる意匠」は自意識からの脱出劇を

素朴に叙述するテクストではない。別の箇所で述べたとおり(

18)、

ここで小林は理論と実践の間にいわば「自己言及」の仕掛けを

ほどこしているのである。これは自意識の問題をある意味で最

もつきつめてみた結果と考えてよい(その意味で少なくともこ

の時期の小林秀雄は「理論的な」批評家である)。小林は、現

代社会における「商品」の支配を主張するマルクス主義者の理

論がそれ自体として「商品」になってしまっていることを指摘

する。実際、ジャーナリズムで猛々しく議論されていた唯物論

がそれ自体として(言説として流通する)商品であるというの

は的確な指摘である。そして、いかなるものも商品である以上、

マルクス主義理論すら例外ではないだろう。しかし小林が批判

するのは、理論が商品になってしまっているということではな

く、マルクス主義理論が自身の商品化を自覚していない、とい

うことである。

 

理論がその対象とする世界にのみこまれてしまう逆説

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。これ

を小林はバルザックの『人間喜劇』に関してさらに展開してみ

せる。「この世はあるが儘だ」というのがバルザックの認識理

論だと小林は言うが、しかし『人間喜劇』を書くという実践は

この理論のたんなる適用ではない。小林の叙述はやや混乱して

いるように見えるが、要するに、「あるが儘」の理論も『人間

喜劇』を書くという実践にとって超越的な位置にはないことを

主張しているはずである。なぜなら、この「この世はあるが儘

だ」という認識理論から見れば書く行為もその対象の一部にす

ぎないが、しかしまた逆にこの認識理論自体が『人間喜劇』と

いう人間世界全体を表象する作品

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の中に書き

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こまれなければな

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161  批評言語と私 -小説 -論

らなくもあるからである(一一一)。以上の第五節の議論を、

「私は、バルザックが「人間喜劇」を書いた様に、あらゆる天

才等の喜劇を書かねばならない」(一〇四)という一節と呼応

させるとき、小林秀雄の批評の逆説性も明らかになる。彼が書

こうとする「天才等の喜劇」は、「宿命」の理論とでもいった

ものを適用して書かれるものではない。「様々なる意匠」で小

林が批評の可能性や原理に関して述べていることは、たしかに

批評という書く行為を対象としているのだが、しかし他者につ

いて批評文を書くという行為は、まさしく実践においてこの原

理を実現しなければならない。理論と実践がこのように相互言

及に関係におかれているのは、自己を自己によって意識する自

意識の問題を小林なりに追究した結果であろう。批評的な書く

行為の真の実践性は自己言及的連関の中からネガとして浮き出

すようなものとしてこの時期の小林には意識されていたはずで

ある。「様々なる意匠」はその意味で最初期のヴァレリー的な

自意識の問題圏とその後の悟入的で独断的な立場とのはざま

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位置するテクストなのである。

 

従って、「様々なる意匠」において小林が自意識の外部に見

出そうとした他者や書く行為の実践性は、素朴にあらかじめ実

在しているような存在や行為ではない。それは言うなれば「理

論化」あるいは「象徴化」のフィルターで濾過されたような存

在や行為である。小林は自意識を通過することで、素朴実在的

レベルとは異なる次元に位置する他者と実践性とに到達しよう

とした。このことは彼の初期批評を熟読するとき疑うことがで

きない。

 

そのことを端的に示すのが小林の言語観と作品観の深化であ

る。「悪の華一面」までとは異なり「様々なる意匠」以降「ア

シルと亀の子」を始めとする初期批評において、小林は書かれ

る作品が社会を流通する商品であること―

つまり、いわば

「象徴化」されたものであること―

につねに自覚的であった。

 

社会の或る事情が商品といふ物質をこの世に送り出す様に、

文学作品といふものも、ある人間の自然過程に依つてこの世

に送り出された、言葉といふ、単なる物質である事に聊も変

りはない。単なる商品が意味をもたぬ様に単なる言葉は意味

をもたぬ。人がこれらに交渉する処に意味を生ずる。商品が

人間の交渉によつて帯びる魔術性は、言葉が人間の交渉によ

つて帯びる魔術性に比べたら凡そ比較を絶する程単純であら

う(19)。

 

こうした文学の経済学は、言うまでもなく小林が当時生きた

マルクス主義との緊張関係に由来するものだが、しかしまた、

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言語社会 第 5号  162

それがヴァレリーのダ・ヴィンチ論を始めとするフランス象徴

主義批評の読解によって強く示唆されたものであったことも忘

れてはならない。実際、若き小林が着目したエドガー・アラ

ン・ポーの「構成の原理」T

he Philosophy of Composition

主張する「効果の詩学」は、周知のとおり、読者に対する効果

を意図的に計算して作品を構成することを説く。作者と読者の

間には緻密に作り上げられた装置としての作品が介在するわけ

である。『方法序説』の冒頭でヴァレリーが他者については

「名前」と「業績」―

この「業績」œ

uvres

はもちろん「作

品」を含む―

を通してしか知ることができないと述べたとき、

彼の念頭にはポー流の物質的作品観があったと言ってよい。作0

者を読者が直接的直観的に知ることなど不可能である

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。それは

物質的媒介(作品)を通じてしか可能とはならない。『方法序

説』では効果の詩学は次のように定式化されている。

作品はこうしてひとつの機械仕掛け〔m

écanisme

〕の性質を

帯びる。この機械の目的は受容者〔un

public

〕に印象を与

え、感動を引き起こし、イマージュを互いに呼応させること

である。(1185

 

この議論は作者と受容者の間には厳然とした深淵が存在する

という意識と不可分である。

〔……〕他者の精神の中に自分自身の精神の空想的産物を作

りだそうと望むことは幻想である。(1197

 

生産者(作者)と消費者(読者)の間には作品が介在し、両

者は決して一元的に見通されることがないというのは、ヴァレ

リーがコレージュ・ド・フランス開講講義など晩年にいたるま

でくり返し強調した基本的前提であった。いずれにせよ、小林

は『方法序説』を熟読することを通じてもこうした考え方を身

につけていったと考えてまちがいはないと思われる。

 

しかし、小林の読解はここでとまりはしない。彼は「様々な

る意匠」でポー、ボードレールからマラルメにいたる象徴主義

を「言語上の唯物主義の運動」(一〇九)と呼んでいるが、こ

こではただたんに作品が社会を流通する商品に比されるのでは

なく、精神内部の言葉自体がひとつのモノとして把握されるわ

けである。「アシルと亀の子〔Ⅳ〕」の表現に従うなら、「人間

精神とは言葉を生産する工場以外の何物でもない、言葉を個人

とする社会以外の何物でもない(

20)」ということになる。

商品といふ物の実体概念を機能概念に還元する事に依つて、

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163  批評言語と私 -小説 -論

社会の運動の上に浮遊する商品の裸形が鮮明された。人間精

神といふ社会に於いてもこの事情は同じである他はない。

たゞ、精神の運動は社会の運動と同程度に複雑だが、遥か精

密で神速であるに過ぎぬのだ(

21)。

 

最後に出てくる「神速」という言葉に注目したい。これは、

「人生斫断家アルチュル・ランボオ」に現れる意識現象の「神

速純粋な置換」(一九九)や「悪の華一面」の「神速な交代」

(一四九)に呼応しているだろう。そう考えれば、かつては自

意識の諸現象のめくるめく出現と消滅として考えられていたも

のが、ここでさらに商品にも似た言葉というモノの社会的交換

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関係

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として把握されなおされていることが分かるはずである。

小林はこうして『方法序説』の内的意識論と『覚書と余談』の

純粋自我の思想を彼なりに押し進め、精神を「物質化」してし

まうのだ。その時、認識主体はアプリオリな自律性を喪失し、

認識はそれ自体が唯物論的次元におけるひとつの出来事

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となる。

次の一節は小林の初期批評において決定的に重要である。

 

若し人間の認識機能中に、根拠として如何なる先験的な自

律性も思へる時は無用であるなら、われわれは自身の精神中

を如何んなに駆け廻つた処で、信用するに足りるものは言語

しか見付からない筈だ。〔……〕精神といふ一自然運動が認

識するとは、言語を素材として新しい形態を創造するに過ぎ

ない事は自明の理である。人が認識する時、今まで、世界に

なかつた存在が一つ附加されるにすぎない(

22)。

 

これは、マルクス主義的唯物史観との緊張関係の中でヴァレ

リーを読んだ小林が得た結論と言ってよい。しかし、話はまだ

終わりではない。小林にとって問題は、このような精神の唯物

論的地平の上でなおかつ「文学」をすること、その中で唯物的

な過程とは質的に異なる出来事としての他者との遭遇を行うこ

とだったからである。小林は「アシルと亀の子〔Ⅱ〕」の中で

当時の作家や批評家に向かって次のように書いている。

 

諸君の綿々たる饒舌は一体如何んな地盤の上に立つてゐる

か、言ふまでもなくそれは文学といふ地盤であらう。そして

その文学なるものは昔乍らの素朴さで理解された文学ではな

いか。諸君の鼻の下には昔乍らの文学といふ大提灯がぶらさ

がつてゐるではないか。文学に就いて騒々しい論議をしてゐ

る現代の青年文学者達が一人として文学といふものを疑はな

いとは妙な現象である。〔……〕

 

一体マルクス主義の大社会運動が西洋に起つた時、文学無

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言語社会 第 5号  164

用論は当然起らねばならなかつた。だが、起らなかつた。こ

れには大きな理由があるのである。それは西洋近代文学とい

ふものが、その発生当時から今日に至るまで、文学無用論と

血戦をつゞけ乍ら生きて来たが為なのだ。十九世紀浪漫派音

楽は勿論の事絵画に於ては表現派、立体派等々、又文学身内

に於ても象徴派、ダダイスム等々の運動はすべて文学自体、

文字自体に対する痛烈な嘲笑であつた点で聊も相違はなかつ

たのだ。〔……〕近代文学は文学への懐疑に胚胎したと言つ

ても決して過言ではない。エドガア〔・〕ポオは近世唯物論

者の冷酷な手つきで文字を取扱つてゐたのである。吾が国の

近代文学者にとつて文学は屢々愚痴の対象となつたが、文学

が正当に懐疑された事は嘗つてない。日本の近代文学程悠然

と構へてゐる文学もあるまい。〔……〕諸君の喧嘩の基底に

於いて、文学は昔乍らの感傷と素朴とをもつて是認されてゐ

る点で、プロレタリヤの諸君も芸術派の諸君も同じに私には

見えるのだ(

23)。

 

西洋近代文学がつねに唯物論との緊張関係の中で展開されて

きたというこの小林の主張で言われる「唯物論」の起源は、逆

説的だが、ヴァレリー的な意識的批評作業、自己を完全に対象

化してしまう作業にほかならない。そして小林は、精神を「物

質化」することで文学を―

「無用」にするどころか、さらに

すすめて―

消滅させたかったのではもちろんなく、そうした

「物質化」された地平で精神などなくなってしまいそうなのに、

にもかかわらずいかにして文学は可能であるか、と問うている

のである。「様々なる意匠」に見られた批評の成立を語る言葉

「私の騒然たる夢はやみ」、他者の「宿命の主調低音」を

聞いて「私の心が私の言葉を語り始める」―

は、こうした精

神の唯物論的地平の上で理解されなければならない。批評とは

イデアルな、ないしはフィクショナルな対他関係なのである。

初期批評と「私小説論」の関係

 

最後に、以上に見た初期批評の延長線上に昭和十年に発表さ

れた「私小説論」を置いてみたい。この評論は「社会化した

「私」(24)」といった表現を始め、その意味するところがしばしば

議論の対象となってきたが、小林のヴァレリー読解の内実から

照射してみると、彼が言わんとすることにはほとんど曖昧なと

ころがない。

「私小説論」が日本文学の伝統、ドストエフスキーに代表され

る伝統なき近代文学であるロシア文学、西洋の伝統を押し進め

て開花したジイドらの個人主義文学といった少なくとも三つの

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165  批評言語と私 -小説 -論

「声」が響くポリフォニックな空間を構成しており、その中で

小林が新しい日本の文学を求めていたこと、それがまた新しく

「私小説」と呼ばれていたことについてはすでに拙著(

25)で指摘

したのでくり返さない。ここでは本論の視角から見えてくるこ

とについて指摘しておくにとどめたい。

 

周知のように、「私小説論」には次のような自然主義を論じ

た有名な一節がある。

この文学〔自然主義文学〕の背景たる実証主義思想を育てる

ためには、わが国の近代市民社会は狭隘であつたのみならず、

要らない古い肥料が多すぎたのである(

26)。

 

この「古い肥料」はすぐ後で「長く強い文学の伝統」と言い

なおされるが、こうした文学伝統に活かされてきたために作家

は文学そのものを否定するところまで懐疑を徹底させることは

なかった、と小林は考えているように見える(もっとも、文学

伝統の必要性は第四回で強調されており、この問題に関して昭

和十年前後の小林はかなり揺れている)。花袋とジイドを対比

して小林は、ジイドは「凡そ文学といふものが信ずるに足りぬ

といふ自覚」にまで懐疑を深めたが、花袋は技法の変革だけで

自己の日常生活をそのまま表現しえると信じえた、述べる(

27)。

よく知られているとおり、小林はこうして日本の私小説作家た

ちの「創作行為の根底に日常経験に対する信頼」を見、『和解』

(一九一七)や『暗夜行路』前編(一九二一)以降、断続的に

休筆していた志賀直哉―

「私小説論」の段階で『暗夜行路』

後編(一九三七)は完結していない―

を取り上げ、父との和

解が済み実生活上の危機がすぎてしまったために「手近かに表

現の材料を失つた小説家の苦痛」をそこに認める。志賀は創作

の要求に合わせて生活を芸術化したが、これに対して、そうし

た生活の芸術化に「疑念」を感じる菊池寛や久米正雄は大衆小

説に推移していった(

28)。小林はこのように生活をそのまま表現

につなげようとする日本の私小説的前提が近代日本文学に生み

出した種々の現象を分析してみせるのである。

「私小説論」がこれに対置するのはジイドの『贋金つくり』だ

が、ジイドは「私のうちの実験室(

29)」だけを信じて文学を否定

するところまで懐疑を押し進めたのだ、と小林が指摘できたの

は、ヴァレリーの読解を通じてすべてを自意識の内部に還元す

ることを学んでいたからでもあろう。「悪の華一面」の次の一

節は「私小説論」と呼応している。

詩人は何を歌はんとするか?

彼の魂には表現を要求する何

物も堆積してゐない、何故なら彼は一つの創造といふ行為の

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言語社会 第 5号  166

磁場と化したから。一端に星の如く消えんとする自我の生の

姿があり、一端に改変し難き現実の死の姿がある。(一五二)

 

即自的に表現できるものなど内面には存在しなくなるまで、

意識の世界を「物質化」し「非人称化」すること。これはもち

ろんヴァレリーが『覚書と余談』で作家の「個性」personnalité

を否定して(1209-1210

)純粋自我を語ったときに現れていた

論点であった。

〔……〕それ〔書くこと〕は作家が分裂し自分自身に対して

対立することを要求する。厳密にこの点においてのみ人はま

るごと作家

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なのである。残りの部分はすべて彼0

のものではな

く、彼の逃れ去ってしまった部分に属するものなのである。

(1205

 

書くことは、こうした個人史的ないし自伝的なもの

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とは関係

のない次元で把握される。制作にさいして「たえず働かせなけ

ればならないのは、われわれのうちで選択をしている者、作品

化している者なのである」(1208

)。非人称的な作者は「顔とは

関係を持たない」(1229; cf. 1222

)し、その自我は「名前も歴

史ももたない形容不可能なあの自我」ce m

oi inqualifiable, qui

n’a pas de nom, qui n’a pas d’histoire

(1228

)と呼ばれるわけ

である。この「顔」の件は、「私小説論」でマルクス主義が抹殺

したのは「わが国の私小説の傑作」が持っていたような「個人

の明瞭な顔立ち」であるという一節と呼応しているように見え

る。ここには日本の私小説作家が持っていたとされる、表現素

材としての自己の日常生活への素朴な信頼はもはや存在しない。

「私小説論」の時代診断は、転向問題を機に顕在化した思想と

個人との徹底的な対峙を西洋の個人主義文学を参照しながら直

視すべきだ、その時に新しい日本の近代文学は生まれてこよう、

ということになろう。小林が「私小説論」において思想を徹底

的に個人の外部に存在するもの

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と捉えていることに注意する必

要がある。文学の観点から言えば、それは「文学の外から」働

きかけてくる「思想の力」のことである(

30)。つまり、「私小説

論」において思想とはそもそも社会的なもの

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なのである。

 

何故か。ひとつにはもちろん当時の代表的思想がマルクス主

義という社会思想だったからである。しかし、小林のヴァレリ

ー読解や初期批評を見てきた本論の視角から言えば、それは小

林が言語という社会的なモノ

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によって意識を完全に表現する作

業をすでに行っていたからである。「悪の華一面」では「象徴」

と呼ばれる現象の蠢く場であった意識が、「様々なる意匠」で

は明確に社会的存在物として捉えられた言語によって満たされ

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167  批評言語と私 -小説 -論

る場―

「言葉を個人とする社会」としての精神―

に変わっ

ていたことを思いだそう。ヴァレリー読解がもたらした自己の

意識世界の徹底的な対象化を、小林はさらに社会的で唯物的な

思想によって継続してみせたのである。小林の言う「非情な思

想」としての実証主義とは、そのような意味での唯物論にほか

ならない。

「十九世紀自然主義思想の重圧の為に、解体した人間性を再建

しようとする焦燥(

31)」がフランス近代文学にはあると言うとき、

小林はヴァレリー読解以降初期批評で自ら行った自意識の操作

を思い出していたはずである。「社会化した「私」」という現在

でもその内実が不明とされることのある(

32)表現は、以上をふま

えれば、ごく容易に理解されるだろう。つまりそれは、社会的

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事物たる言語によって

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「物質化

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」された自我の地平

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を意味して

いるのである(これを小林は、実生活上の「私」が「非情な思

想」によって「殺される」ことであると表現してもいる(

33))。

そうした精神の唯物論的地平の上で新しい精神的価値として文

学を生起させること、つまり新しい「私」としての「表現」を

創造することこそ小林が望んでいたことであった。新しい文学

は従って―

新しい意味での―

「私小説」となるはずである。

「社会化した「私」」の先には新しい「私」とその表現としての

新しい「私小説」があるべきだ―

これが「私小説論」で小林

が夢想したことであった。

〈私-

小説-

論〉としての近代文学

 

考えてみると、「私小説論」というタイトルはフランスの個

人主義小説を参照しつつ日本の私小説/心境小説を―

断罪と

まではいかないまでも―

批判的に扱うということを意味して

いるだけではなく、小林が初期批評以来省察してきた近代文学

論を端的に要約する概念になっていることに気づく。それは

〈私-

小説-

論〉とでも書かれるべき概念、つまり、〈私〉とい

う問題、〈小説〉で示される作品と創造、そして批評的反省と

しての〈論〉という三つの契機から近代文学が構成されている

ことを示す概念なのである。

 

日本の私小説はつねに〈私小説についての言説〉と表裏一体

になって実践されてきたと言ってよい。私小説の自然で素朴な

執筆というものはなく、それはつねに「私小説とは何か」とか

「この作品は私小説か」とか「私小説は文学か」といった議論

から離れることができないのである。この意味でも日本近代の

私小説作品は文字通り私小説論として存在してきたと言えるの

だが、小林秀雄はそれをいわばさらに徹底させ、近代文学の諸

作品がそもそも一般に〈私-

小説-

論〉としてしか存在しない

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言語社会 第 5号  168

こと、理論的批評的視線によって対象化(あるいは「物質化」)

された地平においてかろうじて現れる作品、自意識(あるいは

メタ言説)と不可分の作品としてしか存在しえないことを示し

て見せたのである。

 

表現主体とエクリチュールとはこうしてたんに〈表出〉の関

係で理解されることをやめ、不可分に混淆しはじめ、―

言語

化できない〈残余〉を残るにせよ―

ほとんど主体とはエクリ

チュールである、というところにまでいたる。〈生表象〉は、

素朴に生の現実を反映するのではない。近代においては生その

ものが表象であり、生は〈生表象〉としてしか存在しえないの

である。小林にとって文学とはそうした〈生表象〉の空間に生

起する特異な出来事なのであった。

(1)小林の初期批評に対するヴァレリーの影響に

ついては次の二つの論稿が現在でも重要であ

る。清水孝純「小林秀雄のヴァレリー援用

 ―

 

「『悪の華』一面」について」、『小林秀

雄とフランス象徴主義』、審美社、一九八〇

年、三〇―

四六頁。清水徹「日本におけるポ

ール・ヴァレリーの受容について ―

 

小林秀

雄とそのグループを中心として ―

 

」、『文

学』、第一巻第四号、一九九〇年、四四―

三頁。日本におけるヴァレリーの受容につい

ては拙論「創造的フランス ―

 

竹内勝太郎の

ヴァレリー」(宇佐美斉編『日仏交感の近代

 ―

 

文学・美術・音楽』、京都大学学術出版

会、二〇〇六年、一五八―

一七七頁)の註に

主要なものを挙げておいた。

(2)「悪の華一面」、『仏蘭西文学研究』第三輯、

一九二七年。以下、頁数のみを記す。

(3)「様々なる意匠」、『改造』、一九二九年九月号。

以下、頁数のみを記す。

(4)«

Note et digression

», in Œuvres, édition

établie, présentée et annotée par Jean Hy-

tier, 2 vol., Gallimard, «

Bibliothèque de la Pléiade

», 1987-1988, t. I, p.1199-1233.

以下、

『覚書と余談』からの引用は頁のみを記す。

またこのヴァレリー著作集はŒと略記する。

(5)«

Introduction à la méthode de Léornard de

Vinci», Œ

, t. I, p.1153-1199.

以下、頁数のみ

を示す。

(6)ポール・ヴァレリー『アガート 

訳・注解・

論考』、恒川邦夫編、筑摩書房、一九九四年。

(7)『仏蘭西文学研究』第一輯、一九二六年十月。

以下、頁数のみを記す。

(8)『小林秀雄の論理 ―

 

美と戦争』、人文書院、

二〇〇二年、二一―

二二頁。

(9)この「仮説」的方法論は、やや後の箇所では

「このエッセーのまったく仮説的な意図」と

言われて、実証的方法論と対比されている

(1156

)。ここにヴァレリーが読んだポワンカ

レの『科学と仮説』の影響を見ても、あなが

ち間違ってはいまい。後の箇所でヴァレリー

はポワンカレの説明した数学的帰納法につい

ても述べている(1163

)。

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169  批評言語と私 -小説 -論

(10)ヴァレリーがマラルメの名前を知ったのは一

八八九年のことであるらしい(«

Stéphane M

allarmé», Œ

, I, p.662

)。一八九〇年九月十

四日付けの書簡で、ヴァレリーは知り合った

ばかりのピエール・ルイスに、地方都市のモ

ンペリエではマラルメの詩をなかなか見つけ

られないと不満を述べている。これに答えて

ルイスは、九月二二日付けの書簡でマラルメ

の『エロディアード』を三一行ほど筆写して

送った(A

ndré Gide,

Pierre Louÿs,

Paul Valéry, Correspondance à trois voix 1888-

1920, édition établie et annotée par Peter Faw

cett et Pascal Mercier, Gallim

ard, 2004, p.285, 300-301

)。

(11)«

Stéphane Mallarm

é», Œ

, I, p.666.

(12)小林が、ドストエフスキーとは「表現」によ

って汲みつくせぬ「問題」であり、その意味

で「巨きな非決定性」、「解いてはならぬ謎の

力」なのだと述べていたのが想起される(『新

訂 

小林秀雄全集』、新潮社、一九七八―

九七九年、第五巻、二三三―

二三四頁 ―

 

下、『全集』と略し、巻と頁を記す)。

(13)『全集』、二、三一〇頁。

(14)清水徹、前掲論文、五二頁。

(15)最後の一文は現行版では「批評とは竟に己れ

の夢を懐疑的に語ることではないのか!」と

簡潔になっている(『全集』、一、一三頁)。

(16)前掲論文、五二頁。

(17)«

Une soirée avec M

onsieur Teste

», Œ, II,

p.23.

(18)『小林秀雄の論理』、前掲書、二二頁以下。

(19)「アシルと亀の子〔Ⅱ〕」、『文藝春秋』、一九

三〇年五月号、五一頁。以下、区別するため

に『全集』に従いローマ数字を振るが、初出

にはない。

(20)「アシルと亀の子〔Ⅳ〕」、『文藝春秋』、一九

三〇年七月号、五一頁。

(21)同前。

(22)同前、五〇頁。なお、この一節は『全集』に

はない。

(23)「アシルと亀の子〔Ⅱ〕」、四七頁。

(24)「私小説論」、『経済往来』、一九三五年五月号、

三五三頁。「私小説論」はこの五月号以降、

八月号まで『経済往来』に四回連載された。

以下、各号掲載時のタイトルに従い、「続私

小説論」、「続々私小説論」、「私小説論(結

論)」と表記し、頁数のみを記す。

(25)『小林秀雄の論理』、前掲書、第三章。

(26)「私小説論」、三五三頁。

(27)「続々私小説論」、四六七頁。

(28)「続私小説論」、三二〇―

三二二頁。

(29)「続々私小説論」、四六七頁。

(30)「私小説論」、三五五頁。

(31)同前、三五三頁。

(32)「しかし、何が社会化で何が社会化でないか、

などということは曖昧だし、社会化されてい

ないとなぜいけないのかも、今では分からな

くなっている。」(小谷野敦『私小説のすす

め』、平凡社新書、二〇〇九年、九頁)。

(33)「私小説論」、三五四頁。