会計測定論と測定様式論〔ii・完〕 - yamaguchi...

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(151)-39一 会計測定論と測定様式論〔II・完〕 1.はじめに 2.測定様式論の源流 3.会計学における測定様式論(以上,前号) 4.測定様式論の展開(以下,今号) (1)基本測定と誘導測定の区別 (2)規約的測定の意味 5.指標による会計測定と指標としての会計測定値 一会計測定の特質一 6.おわりに 4.測定様式論の展開 (1)基本測定と誘導測定の区別 キャンベルに端を発した基本測定と誘導測定の区別は,その概念規定の曖 昧さのため,以後の測定論者に様々な解釈のもとで用いられるようになっだ。 以下では,我々なりに測定様式論の展開を眺めることにする。そして基本測 定と誘導測定の区別は,その意味内容から次の二つの分類基準に分けること が妥当であると考える。一方の分類は,ある尺度の体系を前提にしたうえで の基本尺度による測定と誘導尺度による測定との区別である。もう一方は, 前述した会計測定委員会の提唱するような,観察データを得る一次的測定と

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(151)-39一

会計測定論と測定様式論〔II・完〕

永 野 則 雄

1.はじめに

2.測定様式論の源流

3.会計学における測定様式論(以上,前号)

4.測定様式論の展開(以下,今号)

(1)基本測定と誘導測定の区別

(2)規約的測定の意味

5.指標による会計測定と指標としての会計測定値

 一会計測定の特質一

6.おわりに

4.測定様式論の展開

 (1)基本測定と誘導測定の区別

 キャンベルに端を発した基本測定と誘導測定の区別は,その概念規定の曖

昧さのため,以後の測定論者に様々な解釈のもとで用いられるようになっだ。

以下では,我々なりに測定様式論の展開を眺めることにする。そして基本測

定と誘導測定の区別は,その意味内容から次の二つの分類基準に分けること

が妥当であると考える。一方の分類は,ある尺度の体系を前提にしたうえで

の基本尺度による測定と誘導尺度による測定との区別である。もう一方は,

前述した会計測定委員会の提唱するような,観察データを得る一次的測定と

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一40-(152) 第33巻 第3・4号

その数学的変換を行なう二次的測定との区別である。44)この2種類の分類を

行なうことが会計測定を考察する場合においても有益であると考えるのであ

る。

 手始めに,2節で取り上げたトージャスンによる基本測定と誘導測定の区

別を検討しよう。

 トージャスンによる区別は,大まかに言って,操作的定義によって操作的

意味を直接得る構成概念の測定が基本測定であり,構成的定義によって間接

的に操作的意味を得る構成概念の測定が誘導測定であるとするものであっ

た。彼はキャンベルに倣って重量や長さを基本測定の対象としているが,中

範囲の領域での測定に限定する。すなわち,物理学において基本測定が行な

われるのは中範囲の領域の性質であって,ミクロやマクロの領域の性質の測

定は,法則を用いて誘導的に測定されるというのである。45)それゆえ,ミクロ

やマクロの世界での重量や長さの測定は誘導測定となる。

 トージャスンが基本測定を中範囲の領域の測定に限定したことは,それな

りに意味を持っている。ところが,後述するように,ミクロやマクロの領域

の測定だけではなく,中範囲の領域の測定にも法則が関与する。すなわち,

操作的定義の実行の手段となる測定具それ自体が法則に依存せざるをえない

のである。法則を利用する測定という意味では,中範囲の領域の測定の多く

もミクロやマクロの領域の測定と異なるところはない。こうした点だけでも,

トージャスンによる区別の問題点が明らかにされよう。

 操作的定義が法則に依存することは,構成概念が操作的意味を得るために

は構成的定義の助けをも必要とすることを示す。すなわち,第1図では構成

概念から観察可能データへと足が伸びていたが,この足の伸長も構成的定義

すなわち法則の手を借りなければならないのである。測定が法則に依存する

44) 「一次的測定」・「二次的測定」よりも「直接測定」・「間接測定」と言ったほうが分か

 りやすいかもしれない。本稿では後者の用語を別の意味で用いるので,一般的な用法で

 はないが,前者の用語を採用している。

45)Warren S. Torgerson, Theory and Methods of Scaling(Wiley,1958), p.23.

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (153)-41一

という事実は,現代の科学論でいう「観察の理論依存性」の一端である。46)こ

のことは,2節で述べた測定による理論の検証が,必ずしもトージャスンの

言うようにはならないことをも意味するものと言えよう。

 こうしたことから,トージャスンによる測定論と科学論の結合は成功して

いないと言わざるをえない。また,両者を必ずしも結び付けなければならな

いものでもない。我々が既に述べているように,理論の構成と検証とに関係

しない測定も多く存在するからである。47)

 そこで我々は,基本測定と誘導測定の区別をキャンベルに遡って検討して

みたい。

 キャンベルによる測定の定義は,2節でも述べたように,諸特性を表現す

るために法則に従って数詞を割り当てることである。測定が基本測定である

ためには,更に,他の特性の測定を含まないこと,加法性の成立することが

条件とされている。48)以下,法則への準拠,他の測定への非依存性,加法性の

成立の三つの条件について,1頂次,その問題点を列挙することにしたい。

 法則への準拠であるが,これは基本測定だけではなく誘導測定にも必要な

条件である。キャンベルの場合,物理量の測定に限定しているので,法則は

自然科学の法則に限定される。しかしこの限定は,現在の社会科学や心理学

における広範な測定活動を排除することになる。これらの分野における測定

をも正当に測定として扱うためには,社会科学や心理学の法則を含むように

拡張しなけれぼなるまい。あるいは,これらの分野において法則が存在する

ことが疑問視されることもあるので,測定から法則の条件を外すことも考え

られる。測定の定義としてしばしば引用されるスティヴンズの定義が「法則」

に代えて「規則」を用いているのは,こうした事情によるものと言えよう。

鴛駆醐(鴇論謙齢欝騰撫縄童灘茎総13年).47)拙稿,「会計測定論の方法論的基礎」,『山口経済学雑誌』,第31巻第5・6号(1982年

 3月)。

48)Norman R. Campbell, Foundations of Science(Dover,1957. Originally published

 in 1920 under the title Physics:The ElementS), p.267.

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一42-(154) 第33巻 第3・4号

 次は,加法性の条件についてである。2節で述べたように,基本測定の対

象となるものとしてAマグニチュードが挙げられた。AマグニチュードとB

マグニチュードは,いわゆる外延量と内包量とに対応する。この外延量と内

包量は加法性が成立するか否かによって分けるのが通例である。49)こうした

ことから,会計測定においても加法性の成立する測定方法が求められ,それ

が基本測定を保証するかのような議論が行なわれている。3節において引用

したチェンバースやスターリングなどの主張がこれに該当する。

 しかし基本測定と加法性の成立とは必ずしも結び付かないとする批判も強

い。例えばエイコフが指摘するところによれば,加法的ではないとされてい

る密度でも,限定された条件のもとではあるが,加法性を成立させるような

測定操作があるという。5°)密度は誘導測定の代表例であるとともに,内包量の

代表例であることは周知のことであろう。

 また逆に,外延量であって基本測定の対象と考えられているものでも加法

性が成立しない場合があることは,しばしば指摘されるところである。例え

ば,相対速度は通常は加法的であるが,光速度に近いものであれば加法的で

はなくなる。51)また質量もミクロの領域では質量欠損が生じて加法性は成立

しない。52)このように,加法性に関しては微妙な問題が存在するのである。53)

49)加法性の条件についてのより詳しい説明,ならびに外延量と内包量との関連について

 は,次著を参照されたい。原田富士雄,『情報会計論』(同文舘,1978年),104頁以降。

50)Russel L. Ackoff, Scientzfic Method(Wiley,1962), p.199.

51)R.カルナップ(沢田允茂・中山浩二郎・持丸悦朗訳),『物理学の哲学的基礎』(岩波書

 店,1968年) 76頁。

52)Mario Bunge,“On Confusing‘Measure’with‘Measurement’in the Methodology

 of Behavioral Science,”in M. Bunge(ed.), The Methodological Unity(of Science

 (D.Reidel Pub.,1973), p.116.

53)加法性が成立する量(加法量)と外延量とを区別する見解もある。例えばカルナップは,

 両者を区別するとすれば次のような方法ですべきであると説いている。「すなわち,具体

 的な連結操作と思われる操作を考えることができ,またそれに対して目盛りを考案する

 ことができるとすれば,この量を外延的とよぶのである。つぎに,選択した目盛と,選択

 した操作について,加法原理が成立することがわかれば,外延量であるとともに加法量

 とよばれる」(カルナップ,『物理学』,75-76頁)。またブンゲは,数学の測定論による区

 別を採用して,外延量は測度であり,内包量はそうでないとしている。そして,外延量

 を加法的なものと準加法的なものとに分けている(Bunge,“On Confusing,”pp.115-6)。

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (155)-43一

 最後に,他の測定を前提にしないという条件である。これは誘導測定と区別

する最も大きな条件であるが,またその解釈の曖昧さのため最も紛糾すると

ころでもある。「他の測定を前提にしない」ということが,基本測定・誘導測

定の概念と直接測定・間接測定の概念とが入り乱れる原因となっている。こ

の点は後に再度述べるとして,この条件についての問題点を挙げよう。

 しぼしば指摘されることであるが,基本測定の対象とされる特性の測定値

が他の測定値から導出され,また逆に誘導測定の対象とされる特性の測定値

が他の測定を介することなく得られることも多いのである。前者の例として

は,2節で言及したが,ミクロやマクロの領域での長さや重量の測定が挙げ

られる。また,中範囲の領域の測定であっても,離れた所にある建物や山な

どの物体までの距離を音の反響を利用して測定することも,この例である。

後者の例としては,液体の密度を浮秤によって直接的に測定することや,自

動車の速度を速度計によって直接的に測定することが挙げられる。54)

 より根本的な批判としては,他の測定を前提としないような測定はありえ

ないとするチャーチマンの批判がある。彼は,科学的な方法において他のも

のより単純なものとか基本的なものが存在することはない,と言う。そして

そのような考えを「基本主義(fundamentalism)」と称して,これを批判す

る。55)この「基本主義」批判の一環としてキャンベルの基本測定の概念を批判

するのである。例えば天秤で物の重量を測定する場合においては,天秤の腕

は釣り合いがとれているか,対流現象は起きていないか,などが問題になる。

これらの問題に対処するには,必ず重量以外の他の量の測定を行なわざるを

えない。56)こうした意味で重量の測定は決して基本駒なものではない,と

チャーチマンは主張する。そして次のように述べる。「正確な測定値はすべて,

54)カルナップ,『物理学』,97-98頁。

55)C.West Churchman,“A Materialist Theory of Measurement,”in R.W. Sellars,

 VJ. Mcgill and M. Farber(eds.), Philosophy for the future(Macmillan,1949).

56)同様のことをカルナップは長さの測定と温度の測定の相互依存性を例にして説明して

 いる。そして次のように述べる。「両方の概念の絶対的に完全な測定法に到達することは

 けっしてない,ということは認めなければならない。しかし,この手続き一一 2つの大

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一44-(156) 第33巻 第3・4号

理想化された状況において得られるものである。現実の実験による数値は,

理想的な条件が達成できたならば生ずると思われるものの推定値とみなすべ

きである」誓)

 チャーチマンの特異な批判は別にしても,キャンベルによる基本測定と誘

導測定の区別の問題点は明らかになったと思える。法則と加法性の条件は,

その後の測定様式論の議論でも重視されてはいない。この点を踏まえたうえ

で,基本測定と誘導測定の区別が現在でも意味があるとすればどのような解

釈によるべきものか,考えていきたい。

 議論の糸口としてエリスの測定様式論を取り上げよう。エリスは,キャン

ベルの区別を参考にして,次のように測定様式を分類している。58)

 エリスによれば,直接測定は他の量の測定に依存しない測定であり,間接

測定は他の量の測定に依存する測定である。初歩測定(elemental measur・

ment)はモース尺度による硬度の測定に代表されるように,順序が成立すれ

ば適用される測定方法である。量は順序が成立するものであるから,すべて

の量についてこの測定が可能である。2節でトージャスンが直感的な判断に

よる順序付けも基本測定に含めていることを述べたが,エリスはこれを初歩

測定に含めて,キャンベルの基本測定と区別したのである。

 ざっぱな概念から出発して,それぞれの概念を他方の概念を用いて改良すること一を

 くりかえせばくりかえすほど,測定は正確になってくる。この逐次近似法というやり方

 で,はじめに循環論だと思われたものをまぬがれるのである」(カルナップ,『物理学』

 99-100頁)。

57)Churchman,“Materialist Theory,”p.489.

58)Brian Ellis, Basic ConcOpts of Measurement(Cambridge Univ. pr.,1968),pp.53ff.

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (157)-45一

 関連測定は,当の測定対象と関連する性質を選び出し,測定対象とその性

質の問に成立する法則を利用して測定する方法である。水銀の体積が変化す

ることを利用した温度の測定とか,2節で述べた中範囲以外の領域での測定

が含まれる。これらについては,後に再び触れる。誘導測定はキャンベルの

用法と同様である。59)

 エリスによれば,少なくともこの四つの測定様式が実際に用いられている

という。この包括的なエリスの分類は,トージャスンにみられる曖昧さを免

れているように見える。しかし関連測定の概念を導入することによって,逆

に,直接測定と間接測定の区別,また関連測定と基本測定・誘導測定との関

係について幾つかの問題点が生ずる。実際の測定においては,測定具を用い

た関連測定が多い。こうした測定具との関連で測定を考察することによって,

上記の問題点を検討しよう。

 測定における測定具の役割は,測定対象の量を我々に身近な量へと変換す

ることである。例えば,温度計は水銀やアルコールの体積が温度によって変

化することを利用して,温度という量を水銀などの体積へと変換するのであ

る。測定具が測定器から測定機,とりわけ現代におけるエレクトロニクスを

利用した測定機へと変化し,素人にはブラックボックスとしか見えない装置

となっても,量から量への変換のメカニズムを内包している点では同じこと

である。6°)この間の関係を図で示せば,次の第5図のようになろう。61)

59)ヘンペルは,誘導測定を規定(stipulation)による誘導測定と法則による誘導測定に

 区別している。前者はエリスの誘導測定に対応し,後者は関連測定に包含される。次著

 を参照されたい。Carl G. Hempel, F吻4α〃36η姐s Of ConcePt」Formation in Enzpin’cal

 Science(The Univ. of Chicago pr.,1952), p.70.

60)この点については,次著が詳しくかつ平易に説明している。高田誠二,『計る・測る・

 量る』(講談社,1981年),特に4章。

61)ここでは,測定対象と測定具との関係だけを取り上げている。測定の過程を研究する

 には,他に測定者や測定環境などの要因も考慮しなければならない。例えばブンゲは,

 測定を次のように示している(Bunge,“On Confusing,”p.119.)。

    測定=測定対象+測度(例えば指標)+測定具+観察者

   これは,「具体的な測定は,測定対象と測度と測定具と観察者から構成される」と読

 むことができよう。この場合の測度とは,第5図の目盛と針で示されるような観察可能

 な量のことである。

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一46-(158) 第33巻 第3・4号

 目

1盛

第 5 図

 第5図では,測定対象から目盛・針へ矢印が伸びているが,これが量から

量への変換過程を示すものである。我々は目盛における針の位置,温度計で

言えば水銀の頂点の位置を読みとることによって,対象を測定する。目盛と

針に代って,デジタル表示がなされていても,原理的には同じことである。

測定対象の法則的関係を利用した測定具を介して測定する。とりわけ物理量

の測定において測定具を利用せずに対象の直接的な測定を行なうことはあま

り考えられない。62)この点で,エリスの分類での直接測定としての基本測定は

ほとんど意味を持たないものとなろう。関連測定に吸収されてしまうからで

ある。

 エリスが関連測定と名付けたものは,量の変換を行なう測定具を利用した

ものに相当する。「関連」というのは,測定対象の量と法則的に関連する量に

依存するからである。前述したように,この関連測定には,中範囲以外の領域

62)例えば次のように言われる。「われわれが,ある物理量を観測する場合には,直接その

 物理量を観測,あるいは測定することは,きわめてまれで,ほとんど,必ず観測装置を

 用いて,・その観測装置の記録を,われわれが読みとることによって,対象とする物理量

 を観測するのである」。(柳瀬睦男,「観測の理論」,大森荘蔵・沢田允茂・山本信(編),

 『科学の基礎』(東京大学出版会,1969年)所収,82頁)。またブンゲも,「純粋科学にお

 いては,直接測定は原則ではなく例外である,と述べている。M. Bunge, Scientzfic

 Research II(Springer・Verlag,1967), p.235.参照。

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (159)-47一

での測定も含められている。また,樹木の年代調べから地球や宇宙の年代調

べも含められている。これらに共通することは,何らかの量を測定すること

によって,それと法則的には関連する測定対象の量を測定する点である。樹

木の年輪からその樹齢を測定したり,放射性炭素の放射能の測定によって物

質の年代を測定するが,これらに介在する法則が理論的に解明されているの

である。

 エリスではミクロやマクロの領域の測定が関連測定に含められている。し

かし,中範囲の領域の測定においても,法則を利用した関連測定を行なう場

合が多い。例えば,山に遮られた2点の距離を三角法によって測定したり,

                            ゆ音の反響を利用して何らかの距離を測定することなどが挙げられよう。この

ように,関連測定の対象となる領域は中範囲の領域には限られないのであ

る。63)

 このように考えてくれば,エリスの挙げた2種類の関連測定は次のように

区別できよう。測定具の針の表示がその測定対象の測定値を示すものとする

測定と,測定具による測定値に法則なり公式なりを適用することによつて測

定対象の測定値を得る測定とである。すなわち後者は,法則なり公式なりを

利用して計算する過程を含むと考えるのである。64)しかし現代のコンピュー

ターを加えることによってこのような計算の過程を測定具に内蔵することも

難しいことではなかろう。それゆえ,2種類の関連測定の区別も曖昧なもの

となろう。この点で,エリスがこれらを同じ「関連測定」の名称で包括した

ことは首肯できるのである。

 先に関連測定と基本測定とが区別しにくいものであると述べた。関連測定

と誘導測定の区別についても同じことが言える。法則を利用した測定具を開

発することによって,誘導測定の対象とされていた量までも計算の過程を経

63)「中範囲の領域」よりは,ブンゲの「経験的に接近できるシステム(empirically acces-

 sible systems)」が適当と思われる。 Bunge, Research II, p.234.参照。

64)これがブンゲの「間接測定」に該当する。すなわち,ブンゲは「(何らかのものの)直

 接測定と計算とを含む測定」として間接測定を捉えている。Bunge, Research II, p.234.

 参照。

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一48-(160) 第33巻第3・4号

ずに測定できるのである。65)先に挙げた自動車の速度計がこれである。また交

通取締りやテレビの野球中継で御馴染みのスピードガンによる速度の測定も

これに該当する。これらは,他の測定値に依存することなく直接に測定値が

得られる。こうした点からも,他の測定値に依存するという誘導測定の概念

規定自体も検討しなければならないことは明らかであろう。

 直接測定と間接測定の区別も,エリスに限らず,多くの論者の見解では必

ずしも明確ではない。エリスによれば,間接測定は他の量の測定に依存する

測定であり,直接測定はこれ以外の測定であった。温度計を初めとして,多

くの測定具は量の変換を行なう役割を有している。それゆえ,多くの測定は

間接測定に含められることになろう。直接測定として残るものには,直感的

な判断による順序付けや,他の量に変換しない測定具を用いた測定に限られ

てしまう。後者の例としては,測定対象と測定具が同様のもの,例えば長さ

を定規なり巻き尺で計ることが挙げられよう。しかし,これでは直接測定は

きわめて限定されたものとなってしまう。我々の感覚からしても,温度計に

よる測定や天秤による測定が定規による測定とは異なる間接測定に属すると

は思えない。また,このような意味で区別された直接測定と間接測定の意義

もあまりないと考えられるのである。

 我々は,直接測定・間接測定の区別に代えて,データ処理の観点から一次

的測定と二次的測定を区別することが有益であると考えている。測定具を用

いたりして観察した結果として得られる数値が一次的測定値であり,それを

加工・処理して得られる数値が二次的測定値である。前者は生のデータであ

り,後者は加工データである。前者の測定が一次的測定となり,後者の測定

が二次的測定となる。3節でのAAA測定委員会の区別と同じであるが,こう

65)シューピス=ジンズは,測定具の針を直接読むことによって数字を割り当てる測定

 を針による測定(pointer measurement)と呼んでいる。彼らは基本測定と誘導測定と

 を明確に区別するが,この針による測定を第3の測定様式としている。基本測定や誘導

 測定の対象とされるものの測定も,実際には,この針による測定に頼らざるをえないであ

 ろう。 P.Suppes and J. Zinnes,“Basic Measurement Theory,”in RD. Luce,

 R.R Bush and E. Galanter(eds.), Handboole(of Mathemαtical Psychology(Wiley,

 1963),pp.20-21参照。

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (161)-49一

した区別は他の分野の測定論においても適用できると思われる。66)同委員会

も述べているように,二次的測定の材料となるデータは一次的測定値である

こともあり,またそれ自体が二次的測定値としての加工データであることも

ある。一次的測定値と二次的測定値の区別が変換の程度問題であることも,

同委員会の言うとおりであろう。

 キャンベルに由来する「基本」と「誘導」の名称は,尺度の体系との関連

で残すことができる。ブンゲによれば,力学においては,長さ,質量および

時間が基本量とされ,独立した始発概念と考えられる。他の量はすべてこの

基本量に基づいて認識され測定される誘導量なのである。67)このように,例え

ば力学の単位システムを前提にして,基本量の尺度を基本尺度,誘導量の尺

度を誘導尺度とする。すなわち誘導尺度は基本尺度なり他の誘導尺度なりか

ら合成された尺度となる。それゆえ基本尺度と誘導尺度は,基本単位と組立

単位とも言われ,68)また独立尺度と従属尺度とも言われる。69)力学の単位シス

テムでは,その基本量である長さの単位(m),質量の単位(kg),時間の単

位(s)の名称に基づいたmks単位システムが国際的単位システムとして利用

されている。学問分野が異なれば,他の量が基本量として導入される。例え

ば,熱力学では温度が,電気力学では電流が基本量として加えられるのであ

る。

 ところで,この基本量と誘導量,あるいは基本尺度と誘導尺度の区別は絶

対的なものではないことに注意しておきたい。ブンゲによれば,その区別は

理論的文脈に関して相対的なものであり,ある量が現在では基本としでの地

位を占めていそも,それが自然のなかにしっかりと固定して最終的なものだ

66)例えば次著を参照されたい。池田央,『調査と測定』(新曜社,1980年),35~36頁。そ

 こでは,基本測定による測定値を「生のデータ」と捉えている。

67)Bunge, Research II, p.225.この点については次稿が詳しい説明を行っている。小口

 好昭,「評価理論への測定論的接近」,『経済学論纂』(中央大学),第20巻第4号(1979年

 7月),95頁以降。

68)高田誠二,『単位の進化』(講談社,1970年),270頁以降。

69)Ellis, Basic Concepts, p.130.

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一50-(162) 第33巻 第3・4号

というわけではない。7°)また次のようにも言われる。「こうしてわれわれは,諸

量の定義,相互関係,いくつかの法則をにらみ合わせながら,結局は“便利さ”,

“簡単さ”を判断の目安として“約束”を設けつつ,長さ,時間,質量の三つを

基本量と見なして“基本単位”の組をまず構成するところまでたどりつい

た」。71)

 以上のようにして我々は,データ処理の観点から一次的測定と二次的測定

を区別し,尺度体系の観点から基本尺度と誘導尺度を区別した。各種の測定

はこの二つの観点に従って分類することができよう。例えば,基本尺度の適

用される長さでは,定規や巻尺で計る測定は一次的測定であり,音の反響を

利用して距離を計算する測定は二次的測定となる。また,誘導尺度の適用さ

れる速度でも,スピードガンによる瞬間速度の測定は一次的測定となり,距

離の測定値と時間の測定値から平均速度の値を得る測定は二次的測定となる

のである。

 (2)規約的測定の意味

 規約的測定と言っても,まったく根拠のない任意の規約によって測定され

るものではない。何らかのものを手掛かりにして測定を行なうのである。こ

の手掛かりとなるものを指標(index)とか徴候(indicant)とか称する。規

約的測定の鍵となるこれらの概念について,トージャスンも参考にしている

スティヴンズの見解を尋ねてみよう。

 スティヴンズは心理学者として心理学の例を取り上げ,徴候を未知の法則

によって心理学的次元と関連している結果(effects)もしくは相関物(corre-

lates)と規定している。72)この結果なり相関物を媒介にして心理学的な現象

を理解するのであり,そのためにこれらを測定するのである。指標や徴候の

具体的な例については2節で述べた。73)

70)Bunge, Research II, p.225.

71)高田,『単位』,277-9頁。

72)S.S. Stevens,“Mathematics, Measurement, and Psychophysics,”in S.S. Stevens

 (ed.)Handbooll of Experimental Psychology(Wiley,1951), p.47.

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (163)-51一

 指標を用いた測定は,2節で述べたトージャスンの見解では,前科学的概

念もしくは常識的な概念を抱いており,それらがアプリオリな理由で重要で

あると思えるが直接的に測定できる方法を知らない場合に行なわれる。トー

ジャスンは基本測定それ自体が理論の構成と検証の一例と考えており,社会

科学や行動科学において基本測定を求める努力を肯定している。74)このこと

は3節でデヴァインの引用に示されているとおりである。トージャスンでは,

科学が未発展であるから,指標や徴候に頼らざるをえないと考えている。3

節でのプリンスやベッドフォードの主張は,こうした見解に基づいていると

言えよう。逆にスティヴンズが「科学は成熟するにつれて,数値化された徴

候をより一段と用いる」75)と述べているように,発達した科学においても徴候

が用いられる。指標や徴候を用いる規約的測定は科学が未発展のために用い

らざるをえないのか,また科学が発展しても用いられるものか。これを知る

ために,規約的測定の意味するものをより深く追究することにしたい。

 スティヴンズによれば,徴候は未知の法則によって心理学的な次元と関連

している結果ないしは相関物であった。「未知の」という限定が付いているも

のの,法則が介在している点で,エリスの関連測定を想い起こさせる。実は,

規約的測定の一部は関連測定であるとも言えるのである。しかし,関連測定

とは言えないような規約的測定もある。すなわち,規約的測定には大別して

二つの意味が,.あるいは二つの測定様式が存在すると考えられるのである。

73)指標と微候の区別であるが,後者は何らかの現象を指すのに対して,前者はその数値

 化されたものと考えればよかろう。場合によっては指標それ自体が現象として現れるこ

 ともあり,また微候と同義に指標が用いられることもあって,両者は区別しがたい。

 本稿では特に区別していないが,指数(index)と指標(indicator)を次のように区別す

 ることもある。「誤解を避けるため強調しておきたいのだが,本項では『指標』という用語

 を一つの特定の観察値に言及するときに用い,『指数』という用語を幾つかの指標を一つ

 の測定値へと結合するときに用いている。文献では,指数という用語は今述べたと同じ

 ように用いられる場合もあるが,指標と同義語とされる場合もある」(Paul F. Lazars-

 feld and Morris Rosenberg(eds.)The Language of Social Research(Free Press,

 1955),pp.15-16.)。

74)Torgerson,7物θoη, p.25.

75) Stevens,“Mathematiccs,”p.48.

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一52-(164) 第33巻第3・4号

この二つの規約的測定を区別する作業として,ある意味で関連測定が測定の

基本であると考えているブンゲの測定論を我々なりに利用することにしよ

う。

 ブンゲは,測定対象が観察不可能な物(unobservable)である場合,測定

具がそれらを観察可能なもの(observable)へと変えて測定すると考えてい

る。場合によっては測定具がなくとも観察可能物が得られる例として社会指

標や経済指標を挙げている。そして,測定具と観察可能物と観察不能物との

関係を次の表のように例示するのである。76)

第 1 表

「測定具」一塑→「観察可能物」」塾「観察不能物」

風力計

温度計

筋電計

脳波計

角速度

水銀柱の長さ

筋電波

脳波

所得

1人当りのGNP

風速

分子の運動

筋肉の活動

脳の活動

経済的地位

技術水準

 第1表において温度計が例示されているので,エリスの関連測定の説明か

らもこの表の意味するところは理解できるであろう。測定対象の量から観察

可能な量への変換はここでは観察可能物による観察不能物の具体化として捉

えられている。測定具の助けを得ることなく観察可能物が得られる,しかも

数値化されたものとして得られる例として所得やGNPが挙げられているこ

とは,今後の我々の議論にも役立つものである。

76)Bunge,“On Confusing,”p.119.なお,かぎカッコ内の文字は原文ではイタリック体

 であることを示している。表で「水銀柱」と記入してあるところは,原文では「温度計の

 柱(thermometric column)」であり,理解しやすいように直しておいたものである。

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (165)-53一

第1表の理解も含めて,ブンゲの測定論を理解するには,ブンゲによる次

の図を説明することが役立つと思われる。77)

                      第6図を具体例を用いて説明しよう。Rは測定対象であって事実的関係シ

                      ステムと言われ,例えば重量の程度の集合(R)と,それらの問に成立する「重

くない」といった具体的な順序関係(≦)から成っている。Rは理論上の抽

象的関係システムであり、実数の部分集合(R)と,それらの間に成立する「同

                            じか少ない」という算術的関係(≦)から成っている。Rの物理的順序が反

「事 実」

       「定量化」

R=〈R・≦〉 璽R=〈R・≦〉

「測定」

部分写像

M*=〈M*・≦〉 蔀再濠M=〈瓢≦〉

真の数値(実数)

測定値(有理数)

「抽 象」

第 6 図

77)Bunge, Research」IZ p.119.なお,かぎカッコの用法は前注と同様である。また,

 原図ではMからRへの部分写像(Partial mapping)の矢印となっているが,筆者がブ

 ンゲに問い合わせたところ,RからMへの矢印の誤りであることが確認された。事実

 (facts)は物や事象,現象などの具体的なもの(concrete objects)を,抽象(ideas)

 は概念や理論といった抽象的なもの(ideal objects)を指している(ibid., p.156参照)。

 本図とそれに関連した事柄の説明については,小口,前掲論文が詳しいので参照された

 い。

  最近になってブンゲは,この第6図の表記法を修正している。それによれば,測定対象           *

 のRがMに反映される過程が「指標化(indication)」として表示されている。また,第

 6図の「測定」に代えて「尺度化(scaling)」という用語が用いられている。そして「測

 定」は,定量化と尺度化から構成されると考えて,RからMへの矢印によって表示

 されている。Bung, Treaties in Basic Philosophy,(D. Reidel,1983), p,94を参照され

 たい。

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一54-(166) 第33巻 第3・4号

         映されるように,RからRへ写像される。この写像は定量化とも言われる。78)

この段階では,例えぼ重量を実数で表せるような量的なものと考えただけで,

具体的な測定とは結びついていない。測定するためには具体的な測定具が必

                             の要である。M*は,例えば天秤の目盛上の線からなる印の集合(M)と,それ

                             らの間に成立する「同じか左にある」といった物理的関係(≦)から成る事

実的関係システムである。Mは,目盛におけう針の位置を読み取ることに

よって得られる具体的な測定値の集合である。このM*からMへの変換の過

程が具体的な測定である。測定値の集合Mは,直接的にはM*の像となって

                                 いるが,図における矢印が示すように,Rの像であり,かつ測定対象Rの像

ともなっているのである。すなわち,天秤の目盛上の針の位置から読み取っ

た数値が測定対象の重量の測定値となる関係がこれによって示されることに

なる。また,概念的には重さの程度は連続した量として,すなわち無理数を

も含む実数で示される量として考えられるのに対して,実際的な測定値は有

理数,しかも測定具の性能と観察者の知覚能力によって得られる限りでの有

理数の範囲に限られることも理解されるであろう。

 ところでトージャスンにおいては,構成概念の指標ないしは徴候は,その

操作的定義であると考えられていた。ところが,以下の理由でブンゲはこの

ような解釈は誤っていると言うのである。79)すなわち,測定対象である観察不

能物(U)と,指標をも含めた意味での観察可能物(0)との問の関係(0-

U関係)は単に定義の問題ではなく,法則の問題,したがって理論の問題で

ある。というのは,0がUの信頼できる指標となるのは,Uの値から0の値

へ上からの写像をする関数Fが存在し,「U=F(0)」の型の命題がすべて法

則命題である場合である。すなわち,Fが客観的な関係をかなり正確に表現す

78)この定量化とは対象を量的に考えることであり,次の文中の概念的定量化と同じ用法

 と考えてよい。「観察可能な一つの事実を定量化することは,第1に,それを1つの量と

 考えるか,あるいはそれを量的タームで考え始めることを意味する。これは概念的定量

 化と呼ぶが,それは本質的には,われわれの考え方における1つの変化を反映する,1つ

 の認識作用である」(ヤン・ドレヴノフスキ(阪本靖郎訳),『福祉の測定と計画』(日本

 評論社,1977年),3-4頁。

79)Bunge,‘℃On Confmsing, p.118.

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (167)-55一

る場合かつその場合に限られる,と。ブンゲの場合,指標の問題も第6図での                                                                                             の

RとM*との関係の一例と考えられているのである。RとM*の関係は,測定

具における量から量への変換に示されるように,法則的な関係にある。それ

ゆえブンゲにとっては,指標は定義の問題ではなく法則の問題であると考え

たのであり,そのことが心理学や社会学の測定論の誤りの一つと考えたので

ある。

 しかし,この程度のことはスティヴンズにも分っていることである。スティ

ヴンズが次のように言っていることは,まさにこの事柄についてである。「勿

論,測度と徴候との間にあるこの区別は,徴候と我々が関心を持つ対象との

間の量的な関係が分かれば消滅する。この場合,徴候を数値化し,当の現象

を測定するために用いられるからである。我々は電流を測定するときには,

磁場においてばねで支えられている一巻きの針金から成る数値化された徴候

を用いるのである」。8°)この例にある電流の測定は,電気の法則を利用した測

定具を用いる,まさに関連測定そのものにほかならない。科学は多くの現象

を徴候として利用することによって,多様な測定方法を開発してきた。先に

スティヴンズから引用したように,こうした意味で科学は発展するにつれて,

数値化された徴候をより一層用いるようになるのである。

 このように考えれば,指標もしくは徴候による測定,すなわち規約的測定

はエリスの言う関連測定の一部になってしまい,ブンゲの測定論の構図にも

難なく収まる。また,ブンゲの主張は心理学者や社会学者の無知を暴露した

ことになろう。規約的測定の概念が不用ということであれば,それはそれな

りに問題ではない。しかし,規約的測定の概念は,ブンゲの主張にもかかわ

らず,なしには済まされないものがある。むしろ,ブンゲの側に,とりわけ

経済指標について誤解があるように思われるのである。この点について考え

ることによって,もう一つの規約的測定,すなわち関連測定としては分類し

80)Stevens,“Mathematics,”p.48.スティブンズによる測度の概念は,関心のある対象

 である現象それ自体の尺度化された数値を指している。ブンゲの場合は注53で示したよ

 うに数学的な用語として用いられているので,スティブンズの場合とは異なる。一

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一56-(168) 第33巻 第3・4号

がたい規約的測定の存在について論じよう。

 ブンゲは,観察可能物0が観察不能物Uを具体化する役割を遂行するに

は,U=F(0)という法則があり,しかもFが観察可能物の値と観察不能物

の値との問の一対一対応であることを条件としている。81)しかも偶然の推測

ではなく,ある科学理論に属する仮説としての法則であることに注意を喚起

したうえで,次のように述べている。「この条件が成立しておれば,0はUを

測定する,あるいは0の値はUの値の測度もしくは指標を構成すると言っ

てよかろう。例えば,GNPや失業率,消費者物価は経済状態の指標である,

他方,ダウ=ジョーンズ社の発表する指数は,経済状態と株所有者・証券会

社の心理状態とを結合して具体化したものである。たとえそうであっても,

ダウ=ジョーンズ指数が科学的な指標を構成するものかどうか疑わしい。こ

の指数が宿っているダウ=ジョーンズの『理論』はまったく粗雑なブラツク

ボックスにすぎないからである。ともかくダウ=ジョーンズ指数には科学的

な資格はない。この点で,確率の指数としでの頻度や生理学的な年数の指標

としての凝固時間とは同じ資格はないのである」。82)

 同じ経済指標であっても,ダウ=ジョーンズ指数は「科学的な」指数では

ないが,GNPや失業率,消費者物価はそうであると言う。先に挙げた第1表

の所得と1人当りのGNPも「科学的な」指標となろう。ブンゲが「科学的な」

指標と考えるのは,観察不能物の値と観察可能物の値との問に一対一の対応

が成立する場合ということである。ダウ=ジョーンズ指数は,その理論がまっ

たくの粗雑なブラックボックスにすぎないゆえに,すなわち,一対一の対応

の条件が満たされるにほど遠い状態にあるゆえに,「科学的な」指標としての

資格は与えられなかった。しかし,他の経済指標は本当に「科学的」なので

あろうか。

 指標もしくは徴候と測定対象との関係は次の7図のように示すことができ

る。

81)Bunge,‘て)n Confusing,”p.118.

82)Bunge,‘‘On Confa8ing,”p.118.

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (169)-57一

ブラツクボックス線

一一一一m-一一潮徴

第 7 図

 第7図が第5図に類似していることは,直ちに理解されるであろう。第5

図は第7図の特定の形態である。すなわち,測定具が量から量への変換を行

なうブラックボックスとなつている。この場合では,例えば温度と水銀柱の

長さの間に一対一の対応が成立する。測定具は介在しないが,樹齢と年輪と

の関係もブラックボックスは解明されており,一対一の対応が成立する。し

かし,経済指標としてのGNPや所得はブラックボックスが解明されている

のであろうか。ダウ=ジョーンズの「理論」だけを粗雑なブラックボックス

として,その指数だけを非科学的指標と非難してよいのだろうか。

 ブンゲは,所得を経済的地位を示す指標としていた。彼の論文においては,

これに関する説明は特にない。所得も経済的地位も必ずしも確立した概念規

定があるわけではないので,より詳しい説明が望まれるところである。幸い,

ブンゲからの私信において,次のような具体例が示されていたので紹介して

おきたい。すなわち,地位というのは,経済的なものであれ,社会的なもの

であれ,政治的なものであれ,観察不能物である。しかるに,所得はそうで

はない。勿論,株式会社の会長は,社内では最も高給取りであっても,経済

的権力を実際には何ら行使するものではないかもしれない。名目的な長にす

ぎないということもあるから,と。

 ブンゲの説明で少しは理解しやすくなったが,依然として曖昧さは残され

ている。所得という概念をどのように限定するかは問題であるが,会社から

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一58-(170) 第33巻第3・4号

支払われる給与総額と考えればそれほど外れた意味ではなかろう。しかし,

経済的地位という概念は定義付けが十分ではない。また十分な定義付けが行

なえるものではないと思えるのである。ブンゲにおいては,経済的地位とい

う概念によって経済的権力の行使関係が考えられているとみてよい。この関

係は,会社組織内の序列,すなわち会長から平社員あるいはパート社員に至

るまでの序列に対応するものでは必ずしもない。それはブンゲの挙げている,

名目的な会長の例でも明らかである。しかし,権力(power),更にはそれに

「経済」を付けた経済的権力という意味も明確ではないのである。

 温度の上昇が温度計の水銀柱の長さを伸ばす原因である。この論理でゆけ

ば,経済的地位が高い所得の原因となるべきものである。経済的地位という

概念自体が曖昧であるだけに,これによって所得が高くなるという「因果関

係」も妥当なものと考えられようか。先に述べたように,観察不能物と観察

可能物との間に一対一対応の法則的関係が想定されることが,後者が前者の

信頼される指標としての条件であった。経済的地位と所得との間には,かな

りの相関関係があると考えられても,法則的な関係があるとは思えないので

ある。もっとも,ブンゲは私信において何度か指標が多義的(ambiguous)な

ものであることを指摘している。法則的関係を必須の条件とは必ずしも考え

ないようになったのではないかと思えるが,これはあくまでも我々の推測に

すぎない。

 法則関係が認められないことは,次のような尺度の問題となって現われる。

すなわち,経済的地位を測定するのに,所得の表示単位である貨幣尺度を用

いざるをえないということである。同様のことは他の指標についても該当す

ることが多い。技術水準の測定には貨幣尺度が適切であるとは思えないのに,

1人当りのGNPを使うことによって貨幣尺度で表わすしかないのである。

法則に基づく関連測定では事情は異なる。例えば,温度を測定する場合,水

銀柱の長さを示す尺度による教値,例えば1ミリとか2ミリで表示すること

はない。華氏なり摂氏なりの温度そのもの尺度で表示するのである。経済的

地位や技術水準の測定は,貨幣尺度を借りてこれによって表示するのであ

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (171)-59一

る。83)経済測定ではたまたま両者の尺度が同じ貨幣尺度で表わされる場合も

あるけれども,測定対象の測定に指標の貨幣尺度が借用されるというメカニ

ズムには変りないのである。

 このように考えてくれば,もう一つの規約的測定,すなわち関連測定に該

当しない規約的測定の存在を認めることができよう。この二つの種類の規約

的測定は,シペルスキが経営における量的術語を論じた際に,間接測定の二

つの意味として述べたものと同じものとみられる。そこでシペルスキの説を

借りて,二つの規約的測定の区別に関する議論を補強しよう。84)

 シペルスキは,本稿における規約的測定の意味で間接測定という用語を用

い,徴候と同様の意味で代理的事実(Ersatztatbestand)を使用する。間接測

定は強制的間接測定(Zwangsweise indirektes Messen)と選択的間接測定

(Wahlweise indirektes Messen)とに区別される,強制的間i接測定は,測

定対象に固有の測定方法がないので,無理にでも利用しなければならない間

接測定であり,測定対象Aは代理的事実の測定値B*によってのみ表現する

ことができる。これに対して選択的間接測定は,合目的性という理由から,

直接測定に代って選ばれる間接測定であり,測定対象Aに測定値A*を直接

割り当てることができる。

 以上のシペルスキの説明で,彼の言う間接測定の二つの方法が規約的測定

の二つの種類に対応するものであることが明らかであろう。関連測定として

83)指標による測定として,社会学における例を既に2節の注15で取り上げた。参考のた

 め,同じ著者が取り上げている別の例を挙げよう(高根正昭,『創造の方法学』(講談社,

 1979年),51-52頁)。そこでは,「経済成長が進むと政治的イデオロギーが衰弱する」と

 いう社会学の仮説を日本の社会において数量的に実証しようと、している。「イデオロギー

 の衰弱」を表わす指標として,代表的な二つの総合雑誌に現われた論文内容のイデオロ

 ギー的要素の減少を採用し,「経済成長」の指標として自家用車の普及率を使用している。

 そして「経済成長」が原因となって「イデオロギーの衰弱」が生ずるという因果関係を

 数量的に実証しようというのである。指標による測定の一つの典型例であることが理解

 されるであろう。84)以下の説明は次著による。Norbert Szyperski, Zur Problematile der quantitativen

 T、。min。1。9ゴ幽伽B・triebswirtschaftslehre(Dun・k・・&H・mbl・t・1962)・PP・67ff・

 本文中のAは測定対象の集合を,Bは代理的事実の集合を, A*とB*はそれぞれの測定

 値を示す。

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一60-(172) 第33巻 第3・4号

の規約的測定すなわち選択的間接測定は,ブンゲの説からも理解されるよう

に,測定の基本的な形態である。これらに強いて規約的測定とか間接測定の

名称を付ける必要はさほどない。我々は以下では,関連測定ではない規約的

測定すなわち強制的間接測定のみに間接測定の名称を使用する。選択的間接

測定も直接測定と考えることにしたい。この提案は我々の以上の議論からも

理解されるであろうし,また文献を見ても必ずしも的外れなものではないか

らである。85)勿論,このように区別するにしても,いずれかに分類しがたい規

約的測定が存在することは認めざるをえないところである。

 間接測定としての規約的測定の存在を認めると,指標は定義ではなく法則

の問題だとするブンゲの批判は,関連測定としての規約的測定には妥当する

ものの,間接測定としての規約的測定には妥当しないことになる。となれば,

間接測定としての規約的測定はブンゲの測定論から縁切りされ,測定として

の資格を剥奪されてしまうのであろうか。ブンゲの測定論は,経済指標をも

考慮した測定論でありながら,以上述べてきたように,また次節でも述べる

問題点からしても,誤解に基づいたものがあるように思えるのである。もし

間接測定としての規約的測定がブンゲの測定論から縁切りされるとすれば,

測定論の現代を代表するシューピスの測定論に続いてブンゲの測定論もその

ままの形では会計測定に適用できないという結果となる。86)

85)例えば池田,前掲書では,直接測定と間接測定を区別し,本稿と同様の意味で用いて

 いる。また,トージャスンの規約的測定を間接測定にあたるとしている(池田,『調査』,

 33-35頁)。他に,ドレヴノフスキが福祉の概念は間接的にのみ測定できると述べており,

 これも同様の見解であると思われる。すなわち彼は,福祉のフローと状態が概念上定量

化が可能である旨の確信を述べた後に,「それらが直接に測定可能でないのは,それらを

数値として表現する明白な方法が存在しないからである。その結果,それらは間接的に

のみ測定することができる」と言っているのである(ドレバノフスキ,『福祉』,30頁)。

86)シューピス流の測定論から縁切りされていることについては前掲拙稿を参照された

 い。シューピスらが基本測定と誘導測定のほかに針による測定の形態を挙げていること

 については,注65で述べた。このほかにシューピスらは,我々の言う間接測定としての

 規約的測定に該当するものとして擬似針という用具(pseudopointer instruments)を用

 いる測定を挙げ,次のように述べている。「そのような用具を用いることは,これによっ

 て意味のある事象がどの程度予測できるかということによって正当化されるにすぎな

 い。 『通常』の基本測定の場合とは異なり,経験システムと数システムとの間の準同

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (173)-61一

 シューピスは社会科学や行動科学の測定の大部分を排除して測定論を構築

し,ブンゲは指標の意味を十分に認識することなく測定論を構築していると

言える。社会科学や行動科学の測定を軽視しているという意味では,心理学

者のスティヴンズやトージャスンの努力に反する測定論であると評せよう。

間接測定としての規約的測定は測定の名に値しないと考える人もいるであろ

うが,こうした考えは社会科学や行動科学の現場から見てむしろ現実的では

ないのである。87)

 間接測定としての規約的測定が用いられるのは,測定の対象となる構成概

念が抽象的もしくは複雑なものである場合である。このような構成概念でも,

理論上ではブンゲの言うような定量化されたものとして概念化きれる。とき

には,エリスの言う初歩測定によって直感的な判断で順序付けが行なわれる

場合も考えられよう。個人の判断による順序付けに代って,客観的な測定が

求められたときは,その手掛りとして客観的な指標が要求され,それによる

測定値が利用されるのである。

 指標にはさまざまの形態が考えられる。価格や所得といった経済指標のよ

うに自然に生み出されてくるような指標から,知能テストの得点のように測

定対象に働きかけることによつて得られるものもある。また,指標と測定対

象とが法則的な関係にあり,関連測定と言ってよいようなものから,両者の

関係が低い相関関係を示すにすぎないものも考えられる。指標は客観性が要

求されるため,個数で示されたり比率尺度で示されたりすることもその特徴

となっている。

型によって正当化されるのではない」(Suppes=Zinnes,“Measurement Theory,”p.

21.)。シューピスらは擬似針による測定として,知能テストや指標の例を挙げている。

我々はこの意味で,会計測定も擬似針による測定であると考えている。モックを初めとし

てシューピス流の測定論を援用する会計学者も多いが,知能テストと同様に会計測定も

シューピス流の測定論から縁切りされていることは,この点でも明らかである。なお,経

営情報システムとの関連で測定を論じたスタンパーは,何故か針による測定に擬i似針に

よる測定をも含めて用いており,実質的には擬似針による測定の正当化の方法について

述べている(Ronald Stamper, Information in Business and、4dminis. trative Sys tems

(Batsford,1973), pp.122ff.)。

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一62-(174) 第33巻 第3・4号

 測定対象が個数なり比率尺度なりで測定できるものかどうか明確でない場

合でも指標として個数なり比率尺度なりの測定値が用いられるということ

は,測定対象に関する経験的データが示すより高い水準の測定尺度が使用さ

れる可能性を示している。いや現実に使用されている。その理由を心理学者

のクームズは高位の尺度ほどデータ分析の際に数学が利用できるからとして

いる。88)すなわち,2節でも述べたように,順序尺度より区間尺度,さらには

比率尺度へと高度化するにつれて,各種の統計操作が可能となり,多くの分

析ができるのである。このことは規約的測定では,測定対象に妥当すると思

われる測定尺度より高位の測定尺度が用いられることを意味するから,指標

を利用する際にはその限界について十分に注意する必要がある。

 クームズは,規約によって経験的データを超えた測定尺度を用いる測定を

 「無理強いの写像(enforced mapping)」と呼んでいる。無理やり高位の測定

尺度を適用させることになるからである。無理強いの写像としての性格は,

指標によって表わされる順序や間隔などの諸特徴が,そのまま測定対象の順

序や間隔などにも強制される点にも現われる。所得と社会的地位の例で言え

ば,名目的な長でも経済的地位は高く,いわゆる実力者と言われる人でも所

得が少なければ低く順序付けられることになる。所得に代えて他の指標を用・

87)行動科学者もこの間を事情が次のように説明している。長くなるが,参考のために掲げ

 ておく。

   「このような間接測定は,測定の本質からいって不完全なものにみえるかも知れない

 が,社会科学や行動科学の研究には不可欠で排除するわけにはいかない。指数(index)

 とか指標(indicator)といわれているものの多くはこうして間接的に得られた数値であ

 る。測定を直接測定だけに限ることは社会科学や行動科学の研究の枠組を著しく狭くす

 ることになり現実的でない。また,長さや重さのような物理量は測定できるが,幸福感

 とか創造力は測定できないと考えている人はこうした指標の役割を認識しない人であろ

 う。行動科学の研究はこうした一定の約束によって定義づけられた数値の比較から成っ

 ているのであり,その努力を放棄すれば研究は成り立たないといってよいであろう。

 つまり,測定は研究者が相互に理解可能な共有できる用語を確保するための手段であり,

 測定値を得るまでの手続きを明確化することによって,相互に比較可能(comparable)

 でかつ伝達可能(communicable)な概念を形成することができるようになるのである」

 (池田,『調査』,34-35頁)。

88)Clyd・H・Cp・mb・,“Th…yand M・th・d・・f S・・i・I M・a・u・em・nt,・i・LF,,ti。g。,

 and D. Katz(eds.), Reseαrch Methods in the Behavioral Sciences(Dryden,1953), p.

 487.

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (175)-63一

いても,同様の状況が現われることは明らかである。こうして間接測定とし

ての規約的測定においては,二重の意味で無理強い写像を行なっていること

に注意すべきなのである。勿論,「無理強いの写像」というのは数学用語では

ない。場合によっては数学用語の写像と反する内容を含んでいることも理解

されよう。

 直接測定の場合,関連測定によるにせよ,我々は測定対象を測定しており,

測定値が測定対象の量を表わしていると考える。しかし,間接測定としての

規約的測定では,測定値は直接的には指標の測定値であって,それが測定対

象の量を十分に表示するとは限らない。かといって,他に測定方法がないか,

あるいは他の間接測定に頼るしかないのである。それゆえ,間接測定として

の規約的測定がはたして測定対象の測定として役立つかという問題が出てく

る。行動科学の測定論の分野では,妥当性の問題として扱われるのがこれで

ある。例えば,将来の何らかの事象の予測として役立てば,妥当な測定とさ

れるのである。89)あるいは,社会指標のように,意識調査などによって指標の

作成過程を妥当なものとすることによって指標それ自体が妥当なもの考える

方法などがある。9°)

 本節の最後に指摘したいことは,間接測定として規約的測定においては,

構成概念の多くは抽象的もしくは複雑なものであって,物理的測定での「物

の性質」といったものではないことである。何か物理的な物があってその性

質が測定されるのではなく,何らかの事象なりそこに現われる関係なりが測

定されるのである。この点については別の機会に論じたので,それを参照し

て頂きたい。91)

89)これを予測的妥当性という。他にも各種の妥当性が論じられている。これについては

 行動科学の測定論についてのテキスト,例えば池田,前掲書を参照されたい。

90)例えば東京都の社会指標では,ジュアリー=デルファイ法を用いて福祉の各分野の現

 状を判定している。「シンポジウム福祉水準をどう測定するか(上)」,『エコノミスト』,

 1977年1月11日号,42頁以降を参照されたい。このシンポジウムでは,社会指数作成の

 問題点が議論されている。これらはまた,間接測定としての規約的測定の問題点といっ

 ていいものである。

91)拙稿,「方法論的基礎」,143頁以降。

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一64-(176) 第33巻 第3・4号

5.指標による会計測定と指標としての会計測定値

    会計測定の特質一

 「会計の言葉には,シンボルとしての貨幣が使用されている。対照的に,

交易の言葉には,交換手段としての貨幣が使用されている。シンボルとして

の貨幣と交換手段としての貨幣とのこの相違が大きな原因となって,会計報

告書の意味と有用性に関して会計人とそれ以外の人々との間に混乱が生ずる

のである」。92)

 ラビが「シンボルとしての貨幣」と言うのは,計算単位としての貨幣の使

用を指している。会計が測定尺度として貨幣単位を採用するとき,この計算単

位としての貨幣の機能を用いるのである。計算単位としての貨幣と交換手段

としての貨幣の区別は,会計測定を間接測定としての規約的測定と見る我々

の主張にとっても重大なものである。測定様式論の見地から考察すると,取

引において用いられる交換手段としての貨幣量が,会計における計算単位と

しての貨幣額として用いられる関係にあるからである。この間接測定の関係

にあるという認識が欠けるところに,会計人とそれ以外の人々との問だけで

はなく,会計人の間にも混乱が生じていると思われるのである。

 会計測定が指標を用いた間接測定であることを論ずる前に,前節で述べた

基本尺度と誘導尺度の区別,一次的測定と二次的測定の区別のそれぞれにつ

いて会計測定の場合を考えてみることにする。

 会計数値が貨幣単位によるものに限定されるか,物量単位によるものまで

も含むかは議論のあるところである。いずれにせよ,会計測定には貨幣単位

による数値だけではなく数量単位による数値も使用されることは明らかであ

る。貨幣単位は,他の尺度から構成されるものではないので,基本尺度であ

る。会計測定に用いられる数量単位は,重量のように基本尺度によるものも

あるが,土地や油のように面積や体積といった誘導尺度によるものもある。

92)Willam L Raby,“Two Faces of Accounting,”The、4ccounting i~eview,July 1959,

 p.456.

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (177)-65一

また,1個,2個とか,1枚,2枚といった個数による測定も多用されてお

り,これも数量単位に含められよう。

 会計や経済では貨幣単位と数量単位から多くの誘導尺度が組み立てられ

る。価格がその代表的な例である。すなわち,経済学者アレンが言うように,

「……ある貨幣額があり,これをこの額で購入される商品の数量単位で割る

と,その商品の価格が求められる」のである。93)例えば,ビン入りのインスタ

ント・コーヒーの価格は〔円/個〕で,土地の価格は〔円/m2〕で,ガソリ

ンの価格は〔円/1〕で表わされる。このように示せば,価格が誘導尺度によ

る測定値であることが明らかになる。価格は物質の密度〔g/cm3〕や空気の

密度〔g/1〕と同様のものなのである。

 3節で,スターリングが利益測定を誘導測定と規定していると述べた。利

益が貨幣単位による資産の測定値と時間とに依存することがその根拠となっ

ていた。確かに,利益は時間が定められて初めて確定される。しかしこのこ

とは,利益の測定値が価格や密度のような誘導尺度によるものであることを

意味しない。ある時間だけ浴槽に水を入れて,その結果増えた水の量それ自

体は体積で表示されるように,利益それ自体は貨幣単位で表わすしかない。

したがって,利益の測定単位は誘導尺度によるものではない。この場合,誘

導尺度を考えるとすれば,浴槽の例では〔1/分〕といった型で,1分間に流

入する平均的な水の量がこれに該当する。94)利益の例では,平均的な1日当り

の利益額」が誘導尺度による測定値を示すことになる。この調子で1時間当

り,1分当りの利益額も算出されようが,さほど意味のあるものではなかろ

う。

93)R.G.D.アレン(高木秀玄訳),『経済研究者のための数学解析(上)』(有斐閣,1965年),

 15-16頁。アレンは「基礎量」と「誘導量」という用語で分類している。彼はまた,誘

 導量を「平均」の型と「限界」の型とを含むと考え,通常定義されるような価格は平均

 価格のことを指していると述べている。「限界」の型の例として限界収入を挙げている。

94)浴槽の例では,流入した水の総量に該当するものは蓄積量と言われ,時間当りの流入

 量に該当するものは蓄積の速さ(蓄積率)と言われる。次を参照されたい。遠山 啓・

 銀林 浩編,『量と構造』(国土社,1971年),30頁。

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一66-(178) 第33巻第3・4号

 価格が誘導尺度による測定値であるとすれば,それを用いて基本尺度とし

ての貨幣単位で資産の測定を行なう場合,尺度の変換が行なわれていること

に注意しなければならない。ペイトン=リトルトンの言う「価格総計(Price・

aggregate)」が原価として用いられるとき,「総計」という言葉で価格が加算

されて集計されるかのような印象が持たれるからである。ペイトン=リトル

トンが価格総計の言葉に「単位価格に数量を掛けたもの」と注釈しているよ

うに,95)足し算ではなく,掛け算によって価格総計すなわち原価が求められる

のである。例えば,ガソリンの価格が1リットル150円というとき,10リット

ルの価格総計は掛け算によって求められる。すなわち,尺度構成の観点から

は,誘導尺度としての価格〔円/1〕に数量〔1〕を掛けることによって,円と

いう基本尺度に還元される会計測定値は,このように価格から還元された貨

幣単位を用いていると言えるのである。この点については,後に再度論ずる。

 会計測定において価格総計が用いられるということは,会計測定値が基本

的には価格を一次的測定値として用いて加工・処理した二次的測定値である

ことを意味する。この点で,3節で引用したAAA会計測定委員会の見解に同

意できる。誘導尺度で表示される価格が基本的なデータとして用いられ,そ

れを加工・処理して得られる会計数値が基本尺度としての貨幣単位で表示さ

れるのである。他の測定値に依存しないという意味での「基本測定」として

誘導尺度の価格が得られ,「誘導測定」として基本尺度の貨幣単位が用いられ

る。こうした混乱した事態を避けるためにも我々は「基本測定」と「誘導測

定」という用語の使用を避けたのである。

 価格が一次的測定値であると述べたが,実は,価格は数値で表されるもの

の,それが測定値と言えるものか問題がないわけではない。会計測定におい

て価格の果たす役割は重要である。そこで,会計測定と価格との関係につい

て少し考察しよう。

 チェンバースの会計測定論においては,測定対象は資産ないしは持分,観

95)W.A. Paton A.C, Littleton, An lntroduction to Corporate Accounting(American

 Accounting Association,1950), p.25.

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (179)-67一

察可能物はその現金等価額,測定具は市場である。96)チェンバースにはこれ

以上の説明はないが,彼と同様の見解を抱いているスターリングの説明を参

照しよう。スターリングも市場が測定具であると説いており,小麦売買の例

で次のように測定操作を説明している。「簡単に言えば,ある小麦の現在価格

を発見する操作は,(1)市場で取引きされている小麦が当該小麦と同等である

ことを決定し,(2)行なわれている交換を観察することである。」。97)

.チェンバースとスターリングは,市場が測定具であることを比喩的な意味

で用いているのではなく,実際にそうだと考えているようである。チェンバー

スの「現金等価額」の概念の曖味さ・問題点については別に論じたのでここ

では触れないでおこう。98)ここでは彼らの市場測定具説のパラドックスにつ

いて簡単に述べよう。

 先に引用したスターリングの測定操作はいささか奇妙なものである。とい

うのは,測定対象である小麦の現在価格を得るために,同等と認定されるも

のではあるが,市場で交換される他の小麦の価格を求めるからである。測定

操作が身近な物の長さや重量を測定するように量的な観察に限られることな

く,複雑な機器を操作して測定値を得るという現代的な観察も含むものであ

ることは認められる。しかしスターリングの測定操作はこのようなものでも

ない。当該測定対象の小麦とは別の小麦の価格をその測定値として用いてい

るのである。長さや重量であれば,同等のものの測定値で便宜的に代替できよ

う。しかし,経済的な財では,この代替は必ずしも妥当ではない。当の小麦の

価格を得ようとして市場に出せば,市場に出さなかった場合に成立するであろ

う価格とその市場価格が一致しないかもしれないのである。また市場に出して

売却すれば売却価格は得られても,当の小麦は手元に存在しなくなる。このよ

96)Raymond J. Chambers, Accounting, Evaluation and Economic Behavior(Prentice-

 Hall,1966), p.104.

97)Robert R. Sterling, Theo7 y of Measurement of Enteη1)γise In come(The Univ, Pr.

 of Cansas,1970), P.177.

98)拙稿,「チェンバース会計測定論の吟味」,『山口経済学雑誌』,第30巻第3・4号(1980

 年7月)。

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一68-(180) 第33巻 第3・4号

うに,原理的に言って,手持ちの財についての売却価格は得られないのである。

市場は我々が関心を持っている財の測定具にはならないことが理解されよう。

 前節の第1表において示されているように,ブンゲは,所得や一人当たり

GNPが測定具なしで得られると考えている。所得は労働市場で成立する価

格と考えることもできる。恐らくブンゲの考えでは,労働市場や資本市場も

含めて市場は測定具とはされないであろう。市場が財や労働力が貨幣と交換

される場とみれば,その交換過程において価格や所得が貨幣額で表示される

にしても,市場が直接的に測定具として機能するものではない。市場が測定

具であるとする見解は比喩的な表現にとどめるべきであろう。とりわけ会計

測定においては,チェンバースやスターリングの例にみられるように,誤っ

た見解とも言えるからである。

 チェンバースらの市場測定具説とそれに基づく売却価格による会計につい

ては問題がある。しかしこのことは,会計測定における売却価格の利用を否

定するものではない。我々が会計測定を間接測定と考えるとき,売却価格も

取得価格などと並ぶ評価基礎の一つであることは認める。売却価格も取得価

格も間接測定において用いられる指標である点では同じ資格を持つのであ

る。チェンバースらは,売却価格による会計だけを直接測定であると暗に考

えており,他の方法による会計測定を測定ではないかのように批判している。

我々の見解では,いずれの価格を用いた会計測定でも間接測定であり,もし

取得価格による会計が測定でないとなれば,他の方法による会計も測定と言

うべきではないのである。

 会計測定も含めて経済測定における間接測定の意味について,シペルスキ

は次のように述べている。

 「経済問題を扱う場合,固有の測定対象は関係価値として解釈される経済

量Wであって,それに対して固有の測定数値W*が直接的な方法で見出すこ

とができないので,対応する貨幣集合Gの測定表現G*の助けを借りて間接

的な方法で示さなければならない。ある財の量Wを表わすべき貨幣表現G*

は,貨幣という財の測定が問題となる場合を除いては,直接的な測定を受け

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (181)-69一

付けないのである」。99)

 我々は,何らかの方法によって得られた貨幣表現をもって,測定対象であ

る経済価値なり経済量なりの直接的な測定値であると考えやすい。しかしシ

ペルスキの指摘するように,それが間接的な測定値であることに注意すべき

である。この貨幣表現は,とりわけ会計測定においては,主として価格によっ

て得られることは明らかであろう。

 間接測定としての会計測定において,価格が指標として用いられる。そこ

で,価格がどのようにして会計測定値へと転換するのか,そのメカニズムを

少し考察しておこう。

 先にペイトン=リトルトンの「価格総計」なる概念を引用したが,我々に

馴染みのある用語としては「価額」がある。価額の算定も価格総計と同じく,

価格と数量から行なわれる。すなわち,価額=価格×数量 である。’°°)先に,

価格が誘導尺度によって表示されるものであることを述べた。経済学者アレ

ンからの引用にある「貨幣額」は交換手段としての貨幣の額を示すものであ

り,価格はこの意味での貨幣額を数量で除したものである。それゆえ,価格

99)Szyperski, Problematik, pp,74-75.シペルスキは,間接測定における写像の性格を

 次のように述べている。先に述べたクームズの「無理強いの写像」と同様の考えである

 ことが理解できよう。

   「間接測定の基礎である関数は,何ら現実の事実の同型表現ではなく,思弁的な設

 定の産物である。それゆえ,間接的に決定された測定値は,測定対象の量的な性格とは

 必ずしも対応する必要はないのである。

   同時に我々は,経営経済の基本問題の境界線上に居ることになる。すなわち,多く

 の場合において,固有の事実の直接的な認識が不可能であり,それにともなっで直接的

 な測定が不可能であるから,そこにある量の結び付きを同型的に写像することができる

 ような関数表現を定式化できないのである。また,こうした決定関数が欠けているので,

 フィクシャスな関数の助けを借りる間接測定は,必ずしも測定対象の同型写像へと導か

 ないのである」(ibid., p.82)

100)黒澤 清編,『会計学辞典』(東洋経済新報社,1982年),「価額」の項(144頁)。そこ

 では価額は,「会計上,資産・負債などの価値の大きさを貨幣単位によって測定したもの」

 と説明されている。また,若杉教授は次のように規定しておられる。「価額というのは,

 会計原則,手続等に従い,会計的判断の結果として定められた値で,帳簿に記載された

 り,財務諸表に計上される会計的数値である」(若杉 明,『精説財務諸表論《改訂版》』(中

 央経済社,1982年),114頁)。このように価額はまさに会計測定値として用いられている

 ことに留意したい。

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一70-(182) 第33巻 第3・4号

に数量を掛けて得られる金額もまたこの意味での貨幣額を示すとみなければ

なるまい。すなわち,誘導尺度から還元された基本尺度によって表示される

のは,交換手段としての貨幣量である。会計測定においては,この意味での貨

幣額を会計上の測定尺度としてゐ貨幣単位で表わしたものとして利用する。

収入・支出の対象となる貨幣の額が会計上の数値としての「価額」として用

いられるのである。「価額=価格×数量」という表現には既にこうした尺度間

の交換が内包されているとみられる。尺度問の変換といっても,同じ貨幣単位

が用いられることから,この変換が自覚されにくい面があることは確かであ

る。ここがまた,間接的な規約的測定として会計測定が認識されにくい点であ

ると思われる。

 ラーソンが次のように述べるとき,まさに我々と同じような考えを持って

いたと思われる。ただし,彼には我々のような間接測定としての会計測定とい

う認識はない。

 「……企業の取引において移転された通貨単位(交換取引の価格総計)は,                                    ’e         

会計モデル内において記述的な意味を持つ何か他のものの近似値にすぎな

い。通貨単位の移転は,会計において測定される性質ではない。それ自身あ

る性質の測定値なのである」。1°1)

 ラーソンの言う通貨単位の移転とは,交換手段としての貨幣の収入・支出

にほかならない。では,これらを指標として用いて何を測定するのか。すな

わち,ラーソンの「何か他のもの」,シペルスキの「経済量」とは何か,とい

う問題である。しかし残念ながら,同じくラーソンが述べるように,「会計に

おいて測定される『もの』の真の本質が確定されていないといっても,決して

誇張ではない」1°2)のである。せいぜい経済価値とか貨幣価値といった漠然と

したものを挙げるにすぎないであろう。知能検査において測定される「知能」

概念が確定していないと同様に,会計測定において測定される「価値」概念

101)Kermit D Larson,“1)escriPtive Va lidity Of.4 ccounting Calculations,”The

 Accounting・E~eview, July 1967, p.487.

102)K.D. Larson,“Implications of Measurement Theory on Accounting Concept

 Formulation,”The Accozanting Review, January 1969, P。39.

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (183)-71一

は確定していない。あるいは確定できないものかもしれない。こうした情況

こそ,間接測定の大きな特徴であると言えよう。

 あるいは人によっては,資産についてはサービス・ポテンシャルズ(用役

潜在性)が測定される,性質として確定されている,と反論されるかもしれ

ない。しかしサービス・ポテンシャルズの概念も,その解釈は人によって様々

である。またその結果,将来純収入の現在価値から現在価格,さらには取得

原価とも結びつくものとされる。こうした点については,強いて文献を挙げ

て説明するまでもなかろう。この点でも知能との類似性が現われる。知能を

「学習能力」とか「適応能力」とか定義しても,その解釈は多岐にわたるで

あろうし,それによる知能テストも人によって種々のものが作られよう。だ

が,テストによってしか知能の測定値は得られない。同様に,会計において

も,価格に依存せざるをえないのである。

 ブンゲの測定論においては,測定対象である観察不能物と指標で表わされ

る観察可能物との問に法則関係が認められ,一対一の対応が成立するものと

考えられていた。しかるに,会計測定においては,測定対象と指標としての

価格との間には必ずしも法則関係は認められない。後者を前者の測定値とし

て用いるのは,法則もしくは理論の裏付けによるものではなく,究極的には

「規約(fiat)」にすぎないのである。それゆえ,指標としてどのような価格

を選ぶか,例えば取得価格)・修正取得価格,売却価格などからどれを採用す

るかの問題も,測定対象それ自体を深く追究したからとて,一義的に解決で

きるものではない。どうしても幾らかの選択の余地が残され,そこに任意性

が認められる。そこで,指標の選択において測定目的や実践可能性などの要

因が無視できないものとなる。とりわけ会計測定のような,研究用の測定で

はなく実務的な測定については,こうしたことが当てはまる。

 会計測定において,任意性を特徴とする「規約」が用いられるのは,指標

の選択だけに限られない。会計測定には,仮定としての性格を持つ大小のコ

ンヴンションが多数用いられていることは,今さら言うまでもないことであ

る。たとえ会計人が経済的実態を反映させるように測定方法を改善しようと

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一72-(184) 第33巻 第3・4号

しても,やはり幾らかの任意性を持った「規約」に頼らざるをえない。AAA

会計測定委員会も,「残念なことに,会計の二次的測定値の多くは任意なもの

である」と述べている。1°3)ここにおいても,規約的測定としての会計測定の特

質が現われるのである。

 会計測定が任意性のある規約を二重に適用するものであることが理解され

よう。ということは,会計測定が二重に無理強いされる写像であることを物

語る。このような特質を持つ会計測定をナンセンスなものとして忌避すると

すれば,残るはエリスの言う初歩測定によって直感的な判断で数値を与える

しかないであろう。この数値はきわめて主観的なものとなり,ほとんど経済

的意思決定には役立たないであろう。会計測定が規約的測定であるがゆえに,

逆に客観的な指標なり,減価償却法における定額法や定率法のような測定者

の恣意性を排除するような処理方法が求められることになる。会計測定にお

いて客観性が重視されるのも,間接測定としての規約的測定だからとも言え

るのである。

 前節で,ブンゲがダウ=ジョーンズ指数が科学的な指標であることを否定

し,その理論が粗雑なブラックボックスであると批判していることを紹介し

た。ダウ=ジョーンズの「理論」は,幾つかの会社の株価からダウ=ジョー

ンズ指数を構成する方法が依拠する理論を指すと思われる。しかし,この「理

論」を問題にする前に,株価指数のもととなる個々の会社の株価の意味を考

えなければならない。ブンゲ流に言えば,株価こそ測定具なしに得られる指

標だからである。ダウ=ジョーンズ株価指数が「経済状態と株所有者・証券

会社の心理状態」の指標であるためには,個々の会社の株価が例えば「産業

全体・当該会社の経済状態と株所有者・証券会社の心理状態」の指標になっ

103)Committee on Foundations of Accounting Measurement,“Report of the Commit-

 tee on Foundations of Accounting Measurement,”Supplement to Volume XLVI of

 The Accounting Review(1971), p,23.参考のため,同委員会による「任意性(arbi-

 trary)」の定義を揚げておこう。「測定過程が任意であるとは,(1)他の数値を代りに割

 り当てることができる,(2)経済的な意思決定は,二つの数値の違いによって影響される,

 (3)実際に選択された数値を弁護するほどの決定的な論証は得られない,ということであ

 る」(ibid., p.22)。

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (185)-73一

ていなければなるまい。後者の関係こそ観察可能物と観察不能物との関係で

あり,この関係が一対一の対応を成す法則的関係か否かを最初に問題とすべ

きである。ダウ=ジョーンズの「理論」を問題にする前に,株価の理論を測

定論の見地からブンゲは検討しなければならない。ブンゲが科学的指標と考

えているGNPや一人当たりのGNPについても,まったく同様のことが言

える。会計測定と同じように,これらの測定には二重の無理強いの写像とし

ての性格が明らかになると思われる。いずれの測定値もダウ=ジョーンズ指

標と五十歩百歩であり,ブンゲの言う「科学的な」指標とは認定できないも

のであろう。先にも述べたように,経済指標についてはブンゲが誤解してい

るとしか思えないのである。

 我々は,会計測定が価格という指標を主として用いる間接測定であると考

えている。会計数値の多くが価格およびその加工された数値に依拠している

からである。しかし,価格によらず,貨幣の収支額(過去もしくは未来の収

支額およびその加工された数値)を直接用いることも多い。このような場合

でも,貨幣もしくはその等価物の収支額が指標として用いられていると言え

ば,これまでの議論から理解されるであろう。しかしながら更に,現金の有

高は直接に測定されるのではないか,という当然の疑問が出されるかもしれ

ない。例えば,次のように言われる。「ある意味では,唯一の究極的な財務的・

経済的な現実は現金であり,唯一の明確かつ客観的な経済測定値は過去の取

引において支払われた現金である。西洋の会計人が対処し,測定しなければ

ならない経済的現実のうち現金以外のものは,程度の差はあれ抽象的なもの

なのである」。1°4)

 確かに貨幣額はまるで個数の測定であるかのように計算される。しかし貨

幣の数量を示す貨幣額も,それが貨幣の価値なり効用なりを示すかとなると,

次の引用が示すように,問題が出てくる。「そして勿論,交換しうる財やサー

ビスが無ければ現金すら何の価値もない。月面上ではドルは価値がないので

104)The Canadian Institute of Chartered Accountants, Corporate Reporting :Its

 Future Evolution(The Canadian Institute of Chartered Accountants,1980), p。79

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一74-(186) 第33巻 第3・4号

ある」。1°5)「現金残高を確認することによって機械的に現金を価値付けること

はコンヴンショナルなものであり,規約的測定の典型例である。流動的・予

備的資金の価値は,現金残高を確認するに必要な操作を遂行して得られるど

んな数字よりもずっと大きいものであろう」。1°6)このように考えてくれば,現

金の額がたとえ同じであっても,個々の企業なり人なりにとっては異なる経

済的価値を持つことは明らかである。我々自身が実感することであるが,同

じ1万円でも,例えば山口における場合と東京における場合では経済的意味

が異なるのである。また,同じ現金であっても,投機の要因によっても左右

される為替相場に基づいて評価される外国通貨の例を考えれば,その貨幣額

の意味も単純には解釈できない。このように,現金の測定とて広い視野から

見れば直接測定かどうか疑わしいと言えるのである。

 会計が間接測定としての規約的測定であることを認める人は少ない。規約

的測定という名称によって恣意的な測定であるかのように誤解されるからで

あろう。間接測定は法則や理論によって十分には裏付けされていないもので

はあるが,決して恣意的な測定ではないのである。

 逆に,現行の会計測定が恣意的な測定であるとみて,暗に直接測定として

の会計測定を構想する論者もいる。チェンバースのような時価主義者にこう

した傾向が見られる。チェンバースの場合,資産や持分の背後に交換手段と

しての貨幣の存在を想定し,測定される性質として現金等価額なる概念を案

出しているのである。この概念によって会計測定が貨幣単位による測定から

一歩踏み込んで,貨幣量の測定であるかのように考えた。貨幣量の測定に準

じた直接測定が可能であると思い込んでいるのである。チェンバースの会計

測定論の問題点については別の機会に論じたので,ここではこれ以上触れな

いことにしよう。107)

105)Ibid.,p.79.

106)Carl T. Devine,“Some Conceptual Problems in Accounting Measurement,”in

 R.K. Jaedicke, Y」jiri and O. Nielsen(eds.), Research in Accounting Meα∫urement

 (American Accounting Association,1966), p.25.

107)拙稿「チェンバース」を参照されたい。

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (187)-75一

 会計測定においては,測定される性質が必ずしも明らかではない。せいぜ

い,経済価値とか貨幣価値,経済量,経済的意味などの名称で言われるにす

ぎない。チェンバースの現金等価額はより限定された概念であるが,曖味な

ものである。時には,取得価格や取替原価といった評価基礎が測定される性

質とされることがある。しかし,物理量のように測定される性質が明確にで

きる測定に会計測定を無理に類比させることは必ずしも適切なものではな

い。会計測定の場合に限らず,測定されるのは物ではなく事象であり,性質

ではなく関係であるという我々の見解については前節末で触れた。関係とし

ての経済価値なりが,取得価格や取替原価,売却価格などの指標によって表

されるのである。会計測定においては,如何なる関係が存在する,あるいは

想定されるかを認識することによって,その関係を把握する手掛かりとして

指標としての価格が用いられると考えるべきである。

 会計測定が指標を用いて企業の財政状態なり経営成績を測定するもので

あっても,それによって産出される数値が何か別のものを指し示す指標とし

て用いられるようになる。会計測定値それ自体が指標化されるのである。ブ

ンゲによっては,一人当たりのGNPが技術水準を示すものとして考えられ

でいた。GNP自体,会計測定値と同じように,理論によって構成された数値

であって,直接的にはある国の付加価値を示すものである。これが国民の「稼

ぎ」を表すと考えられ,さらには経済的な豊かさ,ひいては福祉の指標とさ

れたりした。一人当たりのGNPが技術水準を示す指標として適切とは思え

ないが,ともかく指標とされている。会計測定値も,例えば利益額が企業の

業績の指標だけではなく,経営者の業績の指標として用いられることがある。

当期利益の金額には経営者の作為が入るかという理由で,時には経常利益,

さらには営業利益のほうが経営業績を判断する指標として用いられるとい

う。このような場合,当期利益と経常利益もしくは営業利益の金額の非平行

状態は,利益の平準化といった経営者の作為を示す指標とも解釈することが

できよう。

 会計数値が企業の安定性や成長性などを示す指標として用いられること

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一76-(188) 第33巻第3・4号

は,経営分析において明らかである。会計測定値を指標として用いることは,

所得金額を経済的地位の指標とするのと同様に,それなりに問題点が必ず出

てくるものである。しかし,指標としてのそれなりの役立ちは十分に認めら

れよう。会計測定値をどのような状況で何の指標として用いるか,十分に検

討すべきであろう。

 会計測定が価格を指標として用いる間接測定であることは,我々の会計測

定論とりわけ測定様式論で明らかにされたことと思える。この「指標による

会計測定」から一歩進んで,「指標としての会計測定値」の主張も納得される

のではないかと思う。後者の主張は会計測定論の議論ではなく,会計の記号

論もしくは解釈学の議論と言うべきかもしれない。むしろ,会計測定論が会

計記号論もしくは会計解釈学に包含されるものであろう。後者は,会計数値

を読み取り,解釈する理論である。既にデヴァインは利益の意味として、経

済的重要性,社会的成功,各種の自我要求の満足などを読み取っている。1°8)会

計数値が何を示す指標と見るか。これに答えるために会計の記号論もしくは

解釈学が必要とされよう。

6.おわりに

 会計測定を測定論の観点から論ずる場合,とかく経済的な現実主義あるい

はリアリズムに陥りやすい。この傾向は,暗に物理的な測定を会計測定の手

本と考えることによってさらに強化されてしまう。測定論と経済学に依拠す

るというチェンバースやスターリングが時価主義を主張するのは,まさにこ

の典型例である。我々の観点からすれば,むしろこうした論者こそ会計測定

の現実的基盤を無視しているように思えるのである。

108)Devine,“Conceptual Problems,”pp.22f.デヴァインは,利益が各種の目的の達成

 度のサロゲイトであると考えるだけではなく,その構成要素としての収益や費用も何ら

 かのもののサロゲイトとみなす見解を抱いている。サロゲイトは,我々のいう指標とほ

 ぼ同じ意味で用いられている。

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会計測定論と測定様式論〔II・完〕 (189)-77一

 これとの関連では「会計儀式説」を唱え,価格水準の変動を会計において

明示的に認識することに否定的な見解を持つ経済学者ボールディングの言葉

が想い出される。

 「もし会計数値が,今のべたように,必ずや不真実であるとすれば,複雑

な不真実(complicated untruth)に反対して言うべきことだけではなく,単

純な不真実(simple untruth)を弁明するために言うべきことも沢山ある。と

いうのは,不真実が単純であれば,それがどのような不真実であるかを知る

ことがかなりできるように思えるからである。分かっている不真実(known

untruth)は嘘(lie)よりはるかに良い。また会計という儀式が良く知られて

理解されておれば,会計は不真実かもしれないが嘘ではないのである?すな

わち,会計が事実を伝えないことを知っているので我々は会計にだまされな

い。また,会計担当者の出した数値を確定情報としてよりはむしろ証拠とし

て用いることによって,個々の場合において我々なりの修正を施すことがで

きるからである」。1°9)

 チェンバースらは「不真実」の会計を「嘘」と見誤り,「真実」な会計とし

ての時価主義を求めていると解釈できよう。しかしボールディングの言うよ

うに,会計が「不真実」であることを避けられないとすれば,時価主義会計

とてその例外ではない。会計測定値は,その真偽を問うべきものというより

は,不真実のなかにその意味を問うべきものであろう。我々の言葉では,会

計測定値を指標として考察することにほかならないのである。

                             (完)

109)KE. Boulding,“Economics and Accounting:The Uncongenial Twins,”in

WiUiam T. Baxter and Sidney Davidson(eds.)Studies in Accounting(The Institute

of Chartered Accountants in England and Wales,1977), pp.94-95.なお,この論文

 を紹介しているものとして,次のものがある。合崎堅二,「ボールディングの会計儀式説」,

 『会計』,第98巻第2号(1970年8月)。