宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について · 論 文...

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宇野弘蔵氏の資本主義 -商人資本の歴史的役割の問題1 商人資本の歴史的役割の問題は、昭和初期にはじまる日本資本 心とするマニュファクチャー論争以来、すでに半世紀におよぶ長い論 めて基本的な論点についてさえ、十分な一致が得られているとはいいがた 体の解明がまだ決して十分とはいえない状態にあるという事情も、根底にはあ は、そうした事実を解釈し意味づける時に導きの糸となる理論における対立も、重 うまでもないであろう。 この理論上の対立は、これはこれでまた、さまざまな原因をもっている。まず、商人資本 -宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について一

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論  文宇

野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について

-商人資本の歴史的役割の問題1

 商人資本の歴史的役割の問題は、昭和初期にはじまる日本資本主義論争、とりわけ服部之総、土屋喬雄の両氏を中

心とするマニュファクチャー論争以来、すでに半世紀におよぶ長い論争の歴史をもっているが、現在でもまだ、きわ

めて基本的な論点についてさえ、十分な一致が得られているとはいいがたい。それには、各国の歴史的諸事実それ自

体の解明がまだ決して十分とはいえない状態にあるという事情も、根底にはあるのであるが、しかし、その他方で

は、そうした事実を解釈し意味づける時に導きの糸となる理論における対立も、重要な一因になっていることは、い

うまでもないであろう。

 この理論上の対立は、これはこれでまた、さまざまな原因をもっている。まず、商人資本の歴史的役割の問題を論

 -宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について一                        一

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 一論    文-                                      二

じる際に常に直接の理論的典拠とされる『資本論』三巻二〇章の難解さの問題がある。この章は、マルクス自身によ

る仕上げを経ていない草稿のままのものであるために、個々の文章は多くはきわめて密度の高い、完成した、古典的

表現となっているにもかかわらず、行論の過程は、マルクスの思考の跡をそのまま示すかのように、行きつ戻りっし

たところやくり返しになっているところもあちこちに見られるだけでなく、まだ十分には展開されていないと思われ

るところや、論旨の脈絡がすぐには把握しがたいところもいくつかあって、決して解釈の容易なものではない。後の

議論との関係で見すごすことのできない一例をあげれば、この三巻二(-)章の総括的結論部をなすというべき、封建的

生産様式から資本主義的生産様式への移行の「二つの道」の理論にかかわる決定的な重要性をもつ一文章が、翻訳の

仕方さえ一致していない。原文で..Oo『ギ。量器旨意&国印亀目四一き言色国8津呂簿::、.とあるところが、長谷

             う                                                                   ヤ  ヤ  ゐ

部文雄訳では「生産者が商人兼資本家となる」と訳され、向坂逸郎訳では「生産者は商人および資本家となる」と訳

され、また大塚久雄氏および宇野弘蔵氏はそれぞれ「生産者が商人になり資本家になる」、「生産者が商人になり、資

           (1)                                    、

本家になる」と訳されている。最後に、最も新しい全集版の訳では、 「生産者が商人や資本家になって」とされてい

る。いうまでもなく、 「生産者が商人になる」とはどういうことか、また「商人になる」ことと「資本家になる」こ

ととはどういう関係にあるのか、という点が決定的な点であり、その点をめぐって諸氏の訳が分かれているのであ

る。しかし、 「生産者が商人になる」という表現は、生産者が商業資本家あるいは商人資本家になることを意味する

                                          (2)

のでは決してなく、実は生産物を大量に販売する産業資本家になることを意味しているのであって、 「商人になる」

ことと「資本家になる」こととはこの同じことを二様の表現でくり返して強調したにすぎないから、訳としては向坂

                         (3)

訳または大塚訳が妥当であるとしなければならないのである。

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 三巻二〇章の難解さもさりながら、もっと重大なのは三巻二〇章の位置づけである。周知のように、 『資本論』は

随所に透徹した歴史的分析と叙述を含み、それが独特の魅力をなしているのであるが、その中でも資本主義的生産様

式の歴史的生成と発展の問題を最もまとまって論じたところとしては、一巻二一一一一二章、同二四章、三巻二()章

(およびその姉妹篇をなす同三六章)の三つの部分であるといってよかろう。ところが、この三つの部分はそれぞれ

視角を異にしているために、マルクスのこの問題に関する見解が全体としてどのような構造になっているかというこ

と自体が、一つの大きな問題をなしているのであって、一巻二-一三章を中心に見るか一巻二四章を中心に見るか

によって、三巻二〇章の解釈と位置づけもかなり異なったものになるというのが、これまでの論争に現われていた実

際の傾向であったといってよいのである。したがって、この問題は、別のいい方をすれば、一巻一一-1一』一.準と、一四

章とはそれぞれ資本主義発達史の何をいかなる視角から問題にしているのかという問題でもあるのであるが、ここで

は簡単にこういつておくだけにとどめなければならない。すなわち、一巻三i一三章は、資本主義的生産様式はい

かにして創出され、いかにして発展するか、また、なぜ労働の生産力が資本の生産力として発展しなければならない

のかを問題にしているのに対して、二四章は、資本主義的生産様式の発展の前提であり、また同時にその帰結でもあ

                               ハ ロ

るものを、蓄積論的かつ所有論的観点から問題にしているということである。

 ところで、実際の論争の過程においては、事柄そのものの性質からすればもっとはるかに小さい副次的な問題が、

対立と不一致を生み出す結構大きな原因になっていた面もあったように思われる。それは、端的にいえば、一つには

マルクス自身の理論的発展と変化の事実上の無視であり、一つにはまたマルクスとエンゲルスおよびレーニンとの間

にある・ばあいによっては微妙な、ばあいによっては相当に明瞭な、理論上の相違ないしは対立の無視である。.」の問

  i宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について一                        三

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 1論   文-                                   四

                (5)

題については以前にもふれたことがあり、その後とりわけ新しい論点なり事実なりを見つけたわけでもないので、こ

こではごく簡単に指摘しておくだけにしなければならないが、マルクスのマニュファクチャーの歴史的意義に関する

見方と商人資本の歴史的役割に関する見方とは、表裏の関係をなしつつ、一八五〇年代から『資本論』の段階にかけ

てかなり大きく、根本的にといってよいほどに変わってきたのであって、現在われわれが『資本論』に見るマルクス

の見解は、マルクスの『資本論』にいたる理論的発展の過程の最後の最も成熟した段階になってようやく完成したの

である。この発展過程において決定的な意味をもったのは、おそらく一八六三年頃書かれたと思われる「直接的生産

過程の諸結果」と題された『資本論草稿』の一断片の中で展開された「資本による労働の形式的および実質的包摂

(従属)」の理論であった。この断片を前提としてはじめて、一巻一四章の冒頭の部分で一見唐突に現われる「包摂」

論が、三篇(五-九章)および四篇(一〇1一三章)といかなる内容的関連にあるのかが十分に明らかになるのであ

                                         (6)

り、またそれと同時に、一巻四篇と三巻二〇章との脈絡も、十分に理解しうることになるのである。

 さて、商人資本の歴史的役割の問題に関して、マルクスの理論に依拠しつつ展開された二つの代表的な、そして対

立的な見解は、大塚久雄氏と宇野弘蔵氏のそれであるといってよいであろう。特に、大塚久雄氏のばあいは、ヴェー

バーの歴史“社会学的理論を土台とし、これにマルクスの経済学的理論を接合しつつ、独自な「前期的資本」の理論

を展開されており、昭和二〇年代の初め以来くり返しくり返し批判の対象となりながらも、現在でもまだ経済史学に

おける指導的理論としての地位を維持している。しかし、この大塚氏の理論については、私はこれまでに何度か批判

         (7)

を試みたことがあるので、本稿では、大塚理論に対立するほとんど唯一の体系的な理論であり、また大塚理論に対す

る批判に際して、たいていは暗黙のうちにではあったにせよ、理論的拠り所とされることが多かったように思われる

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                                       (8)

宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論のみをとりあげて、多少の論評を加えてみたい。

 (1) 『大塚久雄著作集』第三巻一八二頁および『宇野弘蔵著作集』第七巻三〇一頁および二五七頁。ただし、宇野氏について

   は推測である。なお、註(3)を見よ。

 (2) そのことは、この文章を含む一節では生産様式の変革という観点から「生産者が商人になる」道と「商人が直接に生産を

   支配する」道とが対比されていることからもわかるはずであるが、さらに、私が気付いただけでも三巻一七章で一度用いら

   れ、二〇章のこの段落に続く二つの段落でも三度くり返されている同一ないし同種の表現の意味をつき合わせて見れば、疑

                                          ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ  ヤ

   う余地はない。 「元来は商業利潤が産業利潤を規定する。資本主義的生産様式が普及して、生産者自身が商人になるに至っ

   て初めて、商業利潤は……総剰余価値の可除部分に帰着させられるのである。」 (『資本論』向坂訳、岩波書店、第三巻第一

   部三五六頁。) 「第三には、蔭蜘象静断ルひ頓伽で、直接に大規模に商業のために生産する。」(同四一六頁。) 「他面では生

   藤巻が称ハひ応か。……そして、個々の商人や特定の顧客のために生産することをやめて、織布工ゑ。σ。.は、いまや商業

   世界のために生産する。坐商春前もか郎券面ハ呑かか。」(同右。)さらに、.産業資本家は、たえず世界市場を前にして、彼

   自身の費用価格を、単に自国の市場価格とのみではなく、全世界の市場価格と比較しており、またたえず比較せねばならな

   い。この比較は、以前の時代には、もっぱら商人のことに属し……」 (同四一七頁。)

 (3) 全集版の訳は、誤りが最も明瞭に出ている。また宇野氏の訳は、大塚訳と一見同一であるが、読点が一つ入ることによっ

   て全く違った意味になっているようである。宇野氏は、後にふれる大塚氏の批判に対する反論の中で、 「織匠がマニュファ

   クチュアを経営するとしてもそのままではなれない。そこでも生産者が『商人になる』ことが必要である。」といわれてい

   ることなどから推測すると、生産者がまず商人資本家ないしは商人的生産者になり、次いで産業資本家になる、という意味

    に解釈しておられるように思われる。これが誤った解釈であることは、もういう必要もないであろう。

  (4) この点については、二四章第七節と二五章、特にその末尾の、一巻全体の最後に来る次の一節が重要な示唆を与えている

  1宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について一                        五

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1論   文-                              六

  というべ、員。であろう。 「資本主義的生産様式と蓄積様式は、したがってまた、資本主義的私有は、自己の労働にもとづく私

  有の破壊、すなわち、労働者の収奪を条件としている。」

(5) 『商学論集』四一巻六号(一九七三年一〇月)六四-五頁および同註14(七二-五頁)を見よ。ただし、ここでは「直接

  的生産過程の諸結果」における「包摂」論の展開の決定的な意義を指摘し忘れている。これについては同四六-七頁を見

  よ。

(6) 以上のような文脈の中で見るときは、望月清司氏が「+分成り立つ」とされている推定、すなわち、「『資本論』第三巻の

  『真に革命的な道』の強調はそこだけがやや突出した部分であって第一巻でふたたび基調音をとりもどした」とする推定は

  およそ成立しえないし、また、 「第三巻が移行の理論的類型化をはかったのにたいして第一巻のほうは原蓄史の具体的過程

  に即した商人1↓産業資本家のコースを重んじた」という見万も、一巻一一一一三章と三巻二〇章の理論的脈絡を曖昧なま

  ゆ.“に残した不十分なものといわぎるをえないであろう。(望月清司「商人資本の歴史的役割」、佐藤金三郎他編『資本論を学

  ぶ』、有斐閣選書、第四巻所収、二八九頁を見よ。)

(7) 「前期的資本の範瞬転化について」 (東京大学『経済学研究』三号、一九六四年三月)、 「大塚史学批判の問題点」 (『歴

  史学研究』三二九号、一九六七年一〇月)、 「マニュファグチャーの概念について」 (『商学論集』四一巻六号、一九七三年

  一〇月)。

(8) 本稿は、いずれ有斐閣から刊行されるはずの富塚良三他編『資本論体系』第五巻に執筆した「商人資本の歴史的役割をめ

  ぐる論争  大塚史学と宇野説」の宇野氏に関する部分を、紙数の関係で省略したところを含めて、もっと詳細に書き直し

  たものである。

       一

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宇野弘整の資奎義発生誕の理論がはじめて奮まった形票されたのは、昭和二年に刊行された『経済政

策論』毎特にその笙篇「壽妻」塞いてで耐、その後、昭和二九年の『経済政策論』およびその改訂版

(黒署年)にいたって真鶴高寄は饗な搬奮も、その独臭「轟理論」としての籍を一驚昏

せている・そこで・本節では、まず、出発点養った旧『経済驚論』上巻、特にその笙篇をとりあげて、マルク

スの理論と対比したばあいの特徴を見ることから検討をはじめたい。

さて・われわ紮現集書を読んま轟く印鴛けられるのは、昭和二九年以後の新版『経済整論』ではほと

んどすべて削除され碧した・本文を量的にまわるきわめて丹念弄碧引用参照指示書む華脅、それを

通じて表氏が氏霧論嵜聾限り『資本論』によって根響け、『資本論』慧実に従って展開し考としてお

られることである・その際氏奮分の葉主義葦発展の理論異本的葎製として採用されたのは、看西

誓いわゆる森的落」であった.、それは、第嘉「重商妻」の冒頭の部分からも明らかであろう.、しかし、中

心的無論的轍みは「森的落」の立見であるといっても、『資本論』の他の部盆決して無褒℃軽視されて

いるわけで豪く・特に暮三⊥三章と三巻言薯は、巻西薯補完し補強するものとし蚤視されてい

る〔また』巻累「纂の葉への転化」が、直接には言及されてはい奈が、これらの全体をつなぐ理論的羅

としての役割を果たすものとして位貴つけられているように思われる.あるいはそのためであるかもしれないが、一

巻二上三章と三重暑とは、暮嬰と二四、薯異通する論理、すなわち、資本(塁に傭人資本)は二

重の意味で畠勢働者の労働力寄場に吊すと建誉めて本来の意味での資本すなわち産萎本に麗しうる

という論理に直接包摂される限りで重視されているにすぎない。

                                            七

  -宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の一理論についてー

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一論    文i                                       k

                                                 ↓ノ

  .資本主義の発生の基礎をなす資本の蓄積は一般に……商人による貨幣財産の蓄積にその出発点を見出すのであった。/商人

による資本の蓄積はGlWIGなるその形態的性質によっても明かなる如く生産自身に基礎を有するものではなく、これに対し

て外部からその生産物の一部を価値として獲得しこれを無限に蓄積せんとするものであって、その傾向は必然的に掠奪的性質を

免れない。かくてまた商人資本によってその生産物の商品化の実現したる社会はその社会の根本的基礎をなす生産関係自身にこ

の資本による分解作用を受けなければならなかった。勿論この作用自身がまたかかる生産関係に対して当然外的性質を有するに

留まるのであってかかる作用を受ける旧社会はその崩壊からいかなる新たなる生産関係を生み出すかということはこれによって

決定せられるわけにはゆかない。…-ただしかし商人資本は資本として商品貨幣の流通形態を一般に資本主義の基礎をなす産業

資本と共通にするものであって、その貨幣財産の蓄積は自らその旧社会の分解作用を通してその発生に助力する歴史的社会的条

件の成立と共に容易に産業資本に転化することが出来るのであった。その点では寧ろ積極的に初期資本主義の基礎をなす資本の

形態と看做すことが出来る。/事実一五世紀以来の世界市場の急速なる発展は商人による資本主義の発生発展の過程に外ならな

かった。・--.商人はこの転回期に際して中世的束縛の弛緩するにしたがって漸次に生産をも支配することとなったのであって、

いわゆる問屋制度(家内工業)は間接的に生産を支配するものではあったが商人資本のかかる過渡的な役割を最もよく示してW

る。即ち形態的にはなお中世紀的なる独立小生産者の地位が維持せられながらその内部においてはすでに近代的なる資本関係の

発生が認められるのである。・…-/資本のかくの如き生産に対する支配はまた他方におい・てはいわゆるマニュファクチュアの形

態をとることとなるのであるが、ここにおいて資本は漸く商人資本の性質を脱却して新たに産業資本として資本主義的に特殊の

          へ ロ

生産方法の発展を開始する。…:」

 ここでただちに気付くことは、第一に、資本主義的生産の発生発展は、資本が、現実には商人資本が、生産を支配

し、生産を自己に従属させて行く過程として把握されていることである。単に問屋制度のみでなく、マニュファクチ

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ヤーもまた、この商人資本の生産に対する支配の一形態としてとらえられており、ただ一層進んだ形態、過渡的形態を

脱して産業資本の形態に移行したものであるという点で区別されているにすぎない。第二に、このことと照応して、

『資本論』三巻二〇章における封建的生産様式から資本主義的生産様式への移行の「二つの道」の理論が無視されて

いること、あるいはむしろ、沈黙のうちに否定されていることである。すなわち、一方では、 「生産者が商人になり

資本家になる」道は、ここに示されている資本主義発生発展の理論の枠組みの中で全く何の位置づけもなされておら

ず・ましてそれこそが「現実に革命的な道」であるというマルクスの把握は言及さえされていないし、他方では、

「商人が直接に生産を支配する」道としての問屋制度については、 「それ自体としては古い生産様式を変革するに、全一

りえず、むしろこれを保存して、自己の前提として維持する」という点はごく消極的には認められているとしても、

「このやり方はどこでも現実の資本主義的生産様式の進路を阻止する」とは全く考えられていない。そして、ただ、

この道が「歴史的には移行として作用」した一面のみが強調され、積極的に評価され、むしろそれこそが機械制大工

業以前の資本主義的生産の発展の本来的な道筋であるかのように位置づけられているのである。

 しかし・では・「二つの道」の理論は本書のどこにもその影すら現われないのかといえば、そうではないのである。

                     ハヨレ

まず・右に引用した部分の少しあとに付せられた註において、マルクスが「二つの道」の対比に続けて示した「三様

の移行」が、 コ一つの道」との関連については何もふれられないままで引用されている。さらに、第一篇第二章「商

人資本としてのイギリス羊毛工業」の最後の部分で、問屋制度が産業革命期に入って行きづまり、機械制大工業に圧

倒されざるをえなかったことを述べられるに際して、はじめて「二つの道」に直接に関連する文章が現われる。

   「商人資本家の基礎として立った家内工業はしかし小生産者の無産者化と共にますますその活動の余地を狭少ならしめるもの

  1宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について一                        九

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  1論   文-                                  一〇

 に過ぎなかった。商人資本家はこの過程の進展に随って産業資本家に転化するより外にはその地位を維持することは出来なかっ

 た。そしてそれはしばしば困難なるものであった。手工業者と同様に商人資本家もまたしばしばこの転化を回避するの道をとつ

 たのである。一八世紀末より一九世紀にかけて西部地方のク・ージァ〔織元〕が北部の新たなる産業資本家的ク・ージァに圧倒

 せられたのはそれがためである。商人資本家の内に発生しつつあった産業資本家的傾向はしたがって決して過大視してはならな

 い。勿論商人は資本主義の初期においては資本主義そのものを代表するものとして、他の社会階層を資本家的生産に引き入れる

 指導者に容易になることの出来る唯一の階層であった。実際また彼等はかくしてイギリスに資本主義を発生せしめる歴史的役割

 を果たして来たのである。しかし資本家的生産方法の発達自身はこれらの商人を否定することとなる。彼等は資本家的生産を拡

 大普及することによって生産者自身を商人たらしめ、資本家たらしめたのであった。そしてここに始めてわれわれは近代資本家

                         (4)

 の典型たる産業資本家の誕生を見ることが出来るのである。」

そしてさらに註において、 「マルクスは家内工業について次の如くにもいっている」として、 「このやり方は、どこ

でも現実の資本主義的生産様式の進路を阻止し、そして、この生産様式の発展とともに没落する。云々」という周知

           (5)

の一節が引用されている。

                                 (6)

 この宇野氏の文章は、実にさまざまの問題をはらんだ文章であるが、さしあたりコぢの道」の問題に限れば、こ

こでもまた、結局は、 「生産者が商人になる」道が「真に革命的な道」であることも、問屋制度が「現実の資本主義

的生産様式の進路を阻止」することも認められてはおらず、ただ問屋制度が産業革命期に入ればその歴史的役割を果

たしおえて、機械制大工業の「発展とともに没落する」ことが認められているにすぎない。しかし、機械制大工業の

発展とともに没落するのは、問屋制度だけではない。マニュファクチャーもそうである。しかも、 「生産者自身を商

人たらしめ、資本家たらしめた」のは、 「彼等」す加わち商人資本家の「資本家的生産」すなわち問屋制度の「拡大

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普及」であったとされているのであるから、問屋制度は「現実の資本主義的生産様式の進路を阻止」するどころか、

むしろ促進したと主張されているのである。

 このようなマルクスとの相違、というよりはむしろ対立は、宇野氏が細部ではマルクスに忠実に従っておられるた

めに・かえっ百を惹くのであるが、このよう金面的な態度、すなわち、マルクスに従いつつマルクスに対立す

る、それも表立ってマルクスに異論を唱えることなく対立するという、一一面的な態度は、本量目における宇野氏の際立っ

た特徴をなしている。このような態度は、マニュファクチャーの歴史的意義の評価、問屋制度の役割の評価において

も明らかに認められる。

 まず・マニュファクチャーについて、宇野氏は先に引用した(八頁)ところがらも明らかなように、ここにようや

く「資本主義的に特殊の生産方法」すなわち特殊資本主義的生産様式が成立する、これに対して問屋制度はまだ過渡

的形態であって、 「資本家的産業」あるいは「資本家的生産」ではあっても「資本家的生産方法」ではないと、マル

クスに従って考えておられる。そして、それにもかかわらずマニュファクチャーは、 「なおその技術は全く手工業を

基礎とし・完書家塁業その他の星産一形態を征服することは出来なかった.反対に或る程度まで昌の発展のた

                                  ウも

めにも独立の小生一産者の存在を必要とし、或いはまたこれを利用したのである。」とこれまたマルクスに従っていわ

れる。しかし、一致はここまでである。マルクスと異なって宇野氏のばあいは、 「一五世紀以来の世界市場の急速な

る発展は商人による資奎義の発生発展の過程に外ならなかった」のであり、マニュファクチャーは「初期資奎義

の時代において問屋制度の下に行われたるいわゆる家内工業と並んでその〔すなわち招資本主義の〕産業的基礎を

形成し.塵にしても・主と奮思差つたのは問屋製聖業だったので脅、「産業資本攣ろ密接に葵資本

  草野弘蔵氏の資奎義発生発展の理論について1          二

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  一論    文一                                        二一

と結合せられこれに指導せられ」、 「産業資本の支配的勢力の微弱なる間はなお商人資本が重要なる社会的役目」す

                         レ

なわち資本主義を発展させるという役目「を有している」のであり、したがって、商人資本こそが「初期資本主義の

                   ハル 

基礎をなす資本の形態と看做すことが出来る」のである。機械制大工業の発展の基礎をなす諸条件を創出したのも、

           ハれ 

主として問屋制度であった。 「これを要するに発生期の資本主義は商人資本を通して行われたる生産労働者と生産手

                                     (E)

段との分離過程を基礎として資本の生産への発展を準備し拡大しつつあった時代である。」

 このような理解にもとづいて、宇野氏は、いわゆる初期資本主義の時代を「マニュファクチャー時代」と規定する

ことを避け、商人資本を基礎とする時代、商人資本が資本の支配的形態であった時代、あるいはむしろ、賢か卦養分

商人資本的段階と規定される。 「商人資本としてのイギリス羊毛工業」という第一篇第二章の奇妙な標題は、このよ

うな独自な時代規定ないし段階規定を示すものにほかならない。

 このような宇野氏の独自な理論は、氏の独自な発想と方法論にもとづくものであることは確かであろうが、しかし

他面では、氏のイギリス経済史研究にも根ざしているのであって、むしろ本書を執筆された段階では、その独自な発想

と方法自体、氏が自己の理論をマルクスを典拠として展開するのみにとどめず、イギリス経済史の諸事実によっても

根拠づけようと努力される中で、生み出されたとさえ思われるのである。宇野氏は、本書の註が示しているように、

イギリス経済史の代表的諸文献を丹念に読み、特に第一篇については、アシュリi、カニンガム、リプソンといった

ドイツ歴史学派的色彩の濃厚な人々の標準的概説書を中心として、いわゆる重商主義時代の経済史的諸事実を研究し

ておられるのであるが、これらの文献から氏が学び知り得られた限りでは、イギリス初期資本主義時代の単に代表的

産業部門というだけでなく、それこそが決定的な意味をもつ部門であったと氏が考えられた羊毛工業において、産業

Page 13: 宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について · 論 文 宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について -商人資本の歴史的役割の問題1

革命期に入るまで、どう見てもマニュファクチャーが支配的に行なわれたとは思われず、むしろ問屋制度こそが支配

的であって、マニュファクチャーは例外的ないし散発的にしか存在しなかったか、あるいは最大限に譲歩するとして

も、この問屋制度を圧倒して産業革命にいたる資本主義的生産の発展を主導する地位にはなかったとしか考えられな

いにもかかわらず、なぜマルクスはあれほどマニュファクチャーを決定的に重視し、初期資本主義時代をマニュファ

クチャー時代と呼ぶのかという疑問に、深刻に悩まれたように思われる。その疑問を宇野氏はごく控え目に、「マニュ

ファクチュア期という意味は単純に機械的大工業の時期と同様に他の生産方法を圧倒するものとして支配的であった

と解すべきでは恐らくある轟プか・「マルクスのおゆるマニュファク重ア期に何故に『都市の手業並びに

                                                  パせロ

農村の家庭的副業が常にその広大なる背景的基礎』をなしたかという事実、これが私にとっては重要な点であった」

とか、 「マニュファクチュア時代といっても、機械的大工業の時代と同じような意味ではいえない。それはその時代

の支配的な生産方法とはいえない。……機械的大工業と同じ意味で、歴史的の一時代を支配するものとはいえないの

ではない(煙」とかと表現しておられる。勿論、ここで直接に問題にされているのは、 『資本論』一巻二一章冒頭の一

節で=》一の3巽畏8二ω蔚。ぎ句O目ヨ号ωざ宜冨蔚二ω9窪ギ03年δ易質O器ωω8箒『目ω。洋ω一。<。【毛似げ『。。αα。【

o茜自象9雪竃雪日舞ε『冨臨08=:・、.と書かれているところであるが、しかし同じ一二章の中でマルクスが「本

来のマニュファクチャー時代、すなわち、マニュファクチャーが資本主義的生産様式の支配的形態(島。プ。目..。げ。&①

                           パおロ

悶aヨαR区8一冨房房。げ2ギ。含耳一〇霧毛色器)だった時代」といい、 「マニュファクチャーは、社会的生産を、

その全範囲にわたって捉えることも、その深部から変革することもできなかった。マニュファクチャーは、都市の手

                                  (17ノ

工業と農村の家内工業との広汎な基礎の上に、経済的な作品としてそびえた。」といい、また二四章五節の最後でこ

  一宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について1                        一三

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  1論   文一                              一四

れと全く同一の趣旨のことをくり返していっている以上、この点についてのマルクスの見解がどう一.kあったかという

ことに関する限りは何ら問題にはならないのであって、問題はしたがって、それにもかかわらずなぜマルクスが一巻

一一一二一章や三巻二(リ章、その他各所でそれを示しているように、マニュファクチャーを決定的に重視し、 「マニ

ュファクチャー時代」と規定するかにあるのである。宇野氏には、この点がどうしても理解できなかったように思わ

れる。おそらくそのために、これまでその特徴を見てきたような、 『資本論』に依拠しつつ『資本論』に対立する理

論を構想されたのであろう。しかし、それは何の迷いもなく行なわれたわけではなかったことは、本書の各所に現わ

れている。たとえば、羊毛工業についてリプソンを主たる典拠とされながらも、 「われわれはここでこの関係〔資本

                                              (18)

家対家内工業労働者の関係〕の充分に立入った分析とその推移の明確なる規定とを得ることは出来なかった」とりプ

ソンに対して不満を表明され、また商人的織元の中心作業場における「部分的マニュファクチャー」や一八世紀後半

                                            (19)

に入って以後の北部の富裕な織元によるマニュファクチャーを積極的肯定的に評価されるばかりでなく、社会的分業

                                          〔20)

の発展の中にマニュファクチャーの「物質的基礎は不断に拡大されつつあったと見ることが出来る」とされ、さらに

またアシュリーのマニュファクチャーの問題に関するマルクス批判に対して、事実認識の点においても理論上の意義

の点においてもマルクスのマニュファクチャー論を擁護しようとされ、ことにその擁護の中で、「『資本論』における

                              (21)

この問題の箇所はなお解釈研究の余地を残している」とされていることなどが注目されるのである。このようなこと

から判断すれば、宇野氏は、マルクスから出発しマルクスに依拠しながらも、マルクスと事実の矛盾に悩み、迷いを

まだ残しつつも学問的良心に従って、マルクスよりも事実に従おうとされたのである、といってよいであろう。昭和

二九年以後の『経済政策論』では、しかし、この迷いははるかに後退し、ほとんど見えなくなっている。

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ところで・轟昏後にこういつておられる.マニュファクチ下時代を袋する産業部門である羊毛工業外の

「他の産誉マニュファクチュアがあっても、マニュファク重ア時書しての遷にはなら葎ので建いか.資

奎義の発展罐禺役割藁たすものとしてこ喬題廷るわけだ.」さらにまた、百本のマニュファクチュア論

というのはそういうこ差考えていなかったのではな絶・」このあとの方の誓は何憲拠にしてそういわれてい

るのか理解に苦しむのであるが、それはいまは措くとして、大変興味深いのは、マルクスは「マニュファクチャー時

代」をいうばあいに、羊毛工業のみを考えていたわけではないばかりか、主として羊毛工業を考えていたのでさえな

い、ということである。マルクスはむしろ、羊毛工業、特に紡織両基幹工程では、一七世紀までマニュファクチャー

があまり発展しなかったと考えている。誰でも容易に気付くことであるが、 「分業とマニュファクチャー」の章にお

いてマルクスが羊毛工誉マニファクチャあ説明のた翰一例にとったところぽとんどな父多分一一度しか馨)

ばかりか、マニュファクチャーの「広汎な基礎」をなした「農村の家内工業」は、すぐれて紡織両工程であったこと

を指摘している・ 「大工業が、初めて機械をもって資本主義的農業の不変の基礎を与え、農村民の大多数を根底から

収奪し、家内的・農村的工業の根一紡績と織布-1-を引抜いて、農業とこれとの分離を、完成するのである。した

                                        ハカリ

がって、産業資本のために全国内市場を征服するのもまた、大工業の初めてなすところである。」だからこそ、一二巻二

()章において、 「一七世紀のイギリスの織元」 (普通は織物商人と訳されているが、マルクス自身は↓¢。げ冨づ色①貝

ではなくてΩ9三Rと書いている)は「商人が直接に生産を支配する」道の典型例とされているのである。そして

また、なぜ紡織両基幹工程においてマニュファクチャーがあまり発達しえなかったかの説明も、マルクスによって基

本的には与えられている。これまであまり指摘されなかった点のみ指摘すれば、それは、手工業を技術的基礎として

                                            一五

  -宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論についてt

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  一論   文1                            一六

いた間は、この両基幹工程では分業を発展させる余地があまりなかったからである。 「マニュファクチャー的分業の

立場から見れば、織ることは簡単な手工業的労働ではなく、むしろ複雑なそれだった。……紡績と織布とは、マニュ

ファクチャー時代の中に新たな種類に分かたれ、その道具は改良され変化されたが、労働過程そのものは決して分割

               (24)

されず、依然として手工業的だった。」勿論、 マニュファクチャーにおける生産力の発展は分業に基づく協業の発展

によって推進されるのであるから、この紡績と織布に関する限りは、一つの作業場に労働者を集中してみても、すな

わちマニュファクチャーとして経営してみても、分業の発展がない限り、生産力の上昇は単純な協業によって得られ

るものでしかなく、普通の事情のもとではかえって作業場にかかる費用等のために有利ではないことになるのであ

る。このような事情のために、マニュファクチャーはこの紡績と織布という最大の二部門(羊毛工業というマニュフ

ァクチャー時代の最大の産業部門における基幹的二亜部門)においてあまり発達しえず、したがって「国民的生産を

極めて断片的に征服するに過ぎ」なかったのである。

 それにもかかわらず、マルクスは、マニュファクチャーの発展が、 『資本論』一巻一一章および一二章で論証され

ているように、旧来の労働過程を変革し、それと同時に社会的分業の状態をも変革し、機械制大工業の発展を必然た

らしめたからこそ、マニュファクチャーを決定的に重視したのである。マニュファクチャーがこのような役割を果た

しえたのは、一言でいえば、マニュファクチャーにおいてこそ、またマニュファクチャーにおいてのみ、資本主義的

生産様式の本質的特徴をなす資本主義的協業の発展が必然だったからにほかならない。それに対して問屋制度は、そ

の中心作業場としてのマニュファクチャーやその支配下にある生産者のもとでのマニュファクチャーの発展を見るの

でなくて問屋制度それ自体を見る限り、協業の発展の前提そのものが欠けており、したがってそれ自体としては労働

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過程の変革も、社会的分業の状態の変革も行ないえず、概して与えられたままの生産様式と与えられたままの社会的

                     ハあロ

分業の状態を前提とし、これを維持するのである。マルクスは、機械制大工業の発展の前提としてのマニュファクチ

ャーの意義を、羊毛工業そのものについてさえ指摘している。 「機械体系が、初めて導入される諸部門において、こ

れに生産過程の分割と、したがって、その組織との自然発生的な基礎を提供するものは、概してマニュファクチャー

     (δ『)            望ルマ曇丁ク」・?- 、        マヌフ丁クトウー丁     監

そのものである。」「註一C一大工業時代以前には、羊毛工業が イギリスの支配的な製造業だった。したカ

って、一八世紀の前半中に、羊毛工業においては、たいていの実験がなされていた。機械的加工に、困難な準備を必

要とすることの比較的少ない綿花には、羊毛で得られた経験が役に立った。後には、逆に機械綿紡績業と機械織物業

           インドウストリド                      マヌフアヶトウしア

の基礎の上に、機械羊毛工 業が発達するのであるが。羊毛工 業を構成する個々の諸要素が工場制度に合体

                               パぬロ

されたのは、ようやく最近数十年来のことである。たとえば梳毛の如き。…:」ところが宇野氏は、先に簡単に指摘

しておいたように、類型論的ないしは典型論的段階論の方法に基づいて羊毛工業のみによってマニュファクチャー時

代を見、羊毛工業におけるマニュファクチャーの状態によってマニュファクチャー一般の状態を判断しようとし、ま

た逆にマニュファクチャー一般に妥当する事情によって羊毛工業においてあまりマニュファクチャーが発展しえなか

            ハのロ

つたことを説明しようと試み、その上で、これも先に簡単に指摘しておいたように、主として問屋制度の発展が機械

制大工業の基礎をつくり出したと主張されるのである。しかしそれはどのようにしてか。

   「商人資本的形態を以て行われたるかくの如き資本家的産業の発展は直接には先ず手工業者等の小生産者を賃銀労働者化すの

 であるが、それはまた、すでに封建的制度の崩壊に伴って徐々として行われ来たった土地所有関係の変革を基礎として、従来自

 然経済的農業と原始的に結合せられていた工業を分離せしめ独立せしめるものとして作用するのであった。そしてこの工業と農

  一宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について1                        一七

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一論   文1                                   一八

業とが殊にマニュファクチュア的分業の発展によってますます明確なる対立を示すということは一般に資本家的生産の行われる

べき基礎となる国内市場を形成せしめるものに外ならなかった。即ち従来商品の形態をとることなくして生産せられ消費された

る財貨がますます多く商品の形態を以て生産せられ売買せられ直接自己のためにする労働の生産範囲はますます縮少する。農業

自身もまた商品経済化せられるのである。かくて農業及び工業の小生産者はかくの如き分離によって互いに商人資本を通してそ

の生産物を商品として交換しなければならないのであるが、勿論この過程によって彼等は社会的生産力の増進の利益を受けつつ

                                                (銘)

同時にまたその生産機能を漸次に一面的に発展せしめられ、自己の従来の社会的基礎を分解し喪失してゆくのであった。」

要するに、問屋制度による小生産者の収奪と社会的分業および商品経済の発展である。しかし、 「農村民の収奪は、

                    (29)

直接には大土地所有者をつくり出すだけである。」それと同様に、小生産者の収奪は、直接には大商人資本家と無保

護な無産の貧民をつくり出すだけであり、資本主義的生産様式の発展の前提条件をつくり出すことはできても、資本

主義的生産様式そのものをつくり出すことはできない。したがってまた、資本主義的生産様式固有の生産力を生み出

すこともできない。また、社会的分業についても、問屋制度は、宇野氏もマルクスに従って認めておられるように、

                     (30)

「旧来の生産方法を変革せんとするものではない」以上、 「商業と商業資本の発展は、到るところで、交換価値に向

                                   (31)

けられた生産を発展させ、その範囲を拡大し、それを多様化し、そして世界化」するという一般的な作用の範囲にと

どまり、資本主義的生産一様式の発展がはじめて可能にする分化の程度を自ら推進し達成することはできないといわな

ければならない。問屋制度のもとでも、分散した下請生産者たちの間に分業関係が存在するという事実は、その分業

が問屋制度によって生み出されたものであることを必ずしも意味しないのである。

                                 ヤ  ヤ  ヤ  ゐ

 総じて字野氏の資本主義発生発展の理論に欠けているものは、新たな生産様式がいかにして形成されるかという問

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題への視点であり、また生産力の形成への視点である。そしてそれは宇野氏が労働過程および生産一過程に直接目を向

けられないからであるといってよいであろう。宇野氏は、マニュファクチャーにおける分業の発展についても、それ

は協業の基礎としての分業の発展であること、したがって、 「マニュファクチャー的分業」とは「マニュファクチャ

ー内の分業」、すなわち分業に基づく協業を分業の側からいったものにほかならないことを見突われている。協業は

                                (32)          行   、

せいぜい分業の出発点としての基礎であるとしか考えられていないようである。そこで、右に引用した一節におV

                                        へおご

て・マニュファクチャーに何ら言及されることなく「マニュファクチャー的分業」をもち出され、また、本来「直接

に社会的な労働」すなわち協業(単純な協業であれ分業に基づく協業であれ)の生産力を意味するはずの労働の「社

会的生産力」を、無媒介に、したがって文脈からは全く理解しえない形で持ち出されるのである。これは、おそらく、

『資本論』一巻二蓬・第五節の中の一節-「マニュファクチャー的分業は、……社会的労働の一一定の組織をつくり

                            ハ ご

出し・またそれと同時に、労働の新たな社会的生産力を発展させる。」t一に直接に依拠しているのであろうが、こ

のような単純な誤読を宇野氏のような人が犯しておられるということこそ、生産一様式および生簾力の形成への視点が

  少なくとも機械制大工業以前については-欠如していることを物語るものであるといわなければならない。

 それだけではない。宇野氏にあっては、資本主義的生産様式の形成の前提となる生産力への視い黒も欠如している。

宇野氏は、先に引用した(八頁)一節において、大体においてマルクスに従って、商人資本は社会の根本的基礎をな

す生産関係を分解するが、その分解作用自体が外的であるから、 「その崩壊からいかなる新たなる生産関係を生み出

すかということはこれによって決定せられるわけにはゆかない」といわれている。マルクスなら生産様式というとこ

ろで生産関係といわれるのが宇野氏の特徴的な言葉づかいであり、氏に特徴的な考え方を示すものであるが、それは

  i宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について1                         一九

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 1論    文1                                   二〇

措いておこう。続けてこういわれる。 「例えば古代社会においては多くの場合いわゆる奴隷経済に終りたるに反して

中世紀の農民手工業者等のいわゆる小生産者の社会においては一般に資本主義的生産の発展をもたらしたのであっ

た。言い換えれば旧社会にかかる発展の基礎が準備せられてあって始めて商人資本は資本主義の発生の一条件として

作用することができるのである。」これもマルクスに従っていわれているといってよい。しかし、商人資本が「資本

主義の発生の一条件」であるにすぎないのなら、その他の諸条件とは何であろうか。宇野氏のこの文章からは、 「小

生産者の社会」が形成されていることがその条件であり、 「かかる発展の基礎」であるとされているように読みとり

うるが、ではなぜ「小生産者の社会」が基礎をなすばあいは、商人資本は「資本主義の発生の一条件」でありうるの

か。この点については宇野氏は何も説明してはおられないが、おそらく、これに続く一節が宇野氏の考え方を示唆し

ている。 「ただしかし商人資本は資本として商品貨幣の流通形態を一般に資本主義の基礎をなす産業資本と共通にす

るものであって、その貨幣財産の蓄積は自らその旧社会の分解作用を通してその発生に助力する歴史的社会的条件の

成立と共に容易に産業資本に転化することができるのであった。」すなわち、「小生産者の社会」は収奪と分解の基礎

になるだけであって、商人資本が「自ら……その発生に助力する歴史的社会的条件」とは、収奪と分解による無産の

プロレタリアートの形成である。そして商人資本以外には国家権力が考えられているのみであろう。事実、これに続

く文章の中では商人資本の作用以外には何もいわれてはいないのである。したがって、宇野氏の理論では、結局、資

本主義的生産様式の形成の前提となる生産力については何も説かれていないのであり、また、旧社会の分解の中から

いかなる新しい生産様式(「生産関係」)が生まれるかは商業と商人資本が決定するわけではないといわれながらも、

実際には商業と商人資本が決定するのである。

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 この、生産力の問題の欠如は、宇野氏自身によっても欠陥と考えられたようである。おそらくそのために、昭和二

九年以後の『経済政策論』では、昭和一一年の本書にはない次のような文章が書き加えられる。一商人資本による

生産物の交換の媒介は、 「生産力の増進にも役立つ」、「分解を受けた社会からいかなる生産関係が発展するかは、そ

の社会が歴史的に形成してきた生産力の発展のいかんにかかわることになる」、「中世的社会は、それ〔”商人資本に

よる生産物の商品化、それによる分解〕によってその生産力の発展を促進されると労働力の商品化を一般的に実現す

る基礎を確保すること疑ったのであ(静)・」見られるように、商人資本が生産力を増進させ、その生産力の震のい

かんによっていかなる新たな生産関係が発展するかがきまり、商人資本が生産力の発展を促進すると、中世社会は労

働力の商品化を実現する基礎を確保するのである。これは決して生産力の問題を解決するものではない。商業および

商人資本が一般に生産力を「増進」させ、その「発展を促進」させるのであれば、マルクスは三巻二〇章を書く必要

はなかったであろう。宇野氏は問題を解決するのではなくて、素通りされただけである。生産力の問題のこのような

扱い方は、宇野氏が昭和二六年にドッブとスウィージーのいわゆる「移行論争」について論評された時にも現われて

いる。 「問題は、むしろドッブの所謂小生産様式にしてもその内に発展する生産力が如何に形成されたかを明らかに

することにあるのであって、小生産様式に影響する『外的諸力』を捨象して小生産様式そのものの内的な発展動力を

求めるということにあるのではない。」「歴史的な具体的な過程では生産力の発展の要因に例えば外国貿易の影響を考

察しないというわけにはゆか轟)・」.宇野氏のばあいは、生産様式そのものの内的発展動力が捨象されて外国貿易等

の外的諸力だけから生産力の形成を説明しようとされているのにすぎない。しかし、生産力は、勿論のことながら、

何よりもまず生産過程の問題であり、外的諸力はこの生産過程にいかなる変化を生むかによって、生産力の発展を促

  -宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について1                        二一

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  一論    文1                             .        二二

進もすれば阻害恵するのである.、

 最後に、時代規定ないし段階規定の問題が残っている。産業革命によって機械制大工業が確立するまでは、資本の

                        (綜)

支配的形態は商人資本であったことには、誰も異論はない。それは資本主義の発生期に限らず、中世にもそうであっ

                               ヤ  う  ヤ  ヤ

たし古代にもそうであった。しかし、われわれが問題にしているのは資本主義の段階である。マルクス的意味におけ

             ヘ  ヤ  ヤ  や

る資本主義とは、資本主義的生産様式およびそれを基礎とする社会にほかならない。これ以外の意味で資本主義をい

うことは、すなわち、資本一般、商人資本および高利貸資本の存在と発展によって資本主義を云々することは、モム

ゼン的俗学者的資本主義概念にもどることである。宇野氏自身、問屋制度は商人資本の生産に対する間接的支配にす

ぎないとしておられ、従って「資本家的生産」あるいは「資本家的産業」とは呼んでも、資本主義的生産様式とは呼

ばれない。そして、この「過渡的形態」と本来のマニュファクチャーを区別することは、これまで見たことからすで

に明らかなように、どうしても必要なことなのである。

(1)

(2)

(3)

(4)

(5)

(6)

 昭和四五年の改訂版『経済政策論』とともに

ではこの著作集版を用いる。

 二八○一三頁。

 二八四頁註2。

 三〇一頁。

 三〇二頁註2。

 その一つについては、後出二七一八頁参照。

『宇野弘蔵著作集』第七巻、岩波書店、 一九七四年に収められている。以下

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(7) 二八三頁。

(8)同右。

(9) 同右。

(10) 二八一頁。

(n)二八五i六頁。なお、この点は後に一七-八頁でとりあげる。

(12) 二八八頁。

(13) 二九二頁註。

(14) 二五六頁。 「再刊に際して」。

(15) 宇野弘蔵編『資本論研究』筑摩書房、第二巻、一九六七年、二五二1三頁。

(16) 『資本論』向坂逸郎訳、岩波書店、第一巻四七二頁。以下この訳を用いる。

(17) 同四七三頁。

(18) 『宇野弘蔵著作集』第七巻三〇〇頁。

(19) 二九二頁註2、二九七一八頁。

(20) 二九八-九頁。・

(21) 二九一頁註2。

(22) 前出『資本論研究』第二巻二五三i四頁。

(23) 『資本論』第一巻九三五頁。

(24) 同第一巻四八三頁註一〇〇。なお、『商学論集』四一巻六号所載の樋口徹

  七五頁註17を見よ。

-宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について、1

ただし、訳文を変えたばあいが若干ある。

「マニュファクチャーの概念について」、特に

二三

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1論

(25)

(26)

(27)

(28)

(四)

(30)

(31)

(32)

(33) 出

ているといってよいと思う。

れほどはっきりあらわれておらず、

前出、宇野編『資本論研究』第二巻二五三頁の、大内秀明氏と宇野氏の質疑応答を見よ。

 宇野氏は二九八頁および二九九頁註2において、マニュファクチャー的分業あるいは「工場的分業」を「中世紀的分業」

と対比して、 「中世紀的分業」は完成品ごとの分化を原則としていたのに対して、イギリスの羊毛工業では、すでにギルド

制度のもとにおいてさえ一完成品の生産工程の技術的分割が行なわれていたことを理由に、 「工場的分業」への転化が早期

から進んでいるとされている。イギリスの都市羊毛工業では、一二世紀にはじめて同職ギルドが史料上姿を現わす時から、

織布工、縮織工、毛織物仕上工(おそらく剪毛工)等が分化し、別個のギルドをなしているのであって、宇野氏のいわれる

ような「工場的分業」は中世紀的同職ギルドの本来の確立期以前からあったということになるであろう。同じような意味

で、一五世紀↓一盛でのギルドの分化の仕方の中に、いくらでも宇野氏のいわれるような「工場的分業」を見つけられるであろ

う。それでは、 「工場的分業」あるいは「マニュファクチャー的分業」という規定そのものが無意味になってしまうのでは

   文一                              二四

以上については、前出、樋口徹「マニュファクチャーの概念について」、特に二一四を見よ。

『資本論』第一巻四八四、四八五頁。

『宇野弘蔵著作集』第七巻二八三、、二八四(註3)、二九九(註3)、三〇一-二(注1)頁。なお、五一-二頁をも見よ。

二八五一六頁。

『資本論』第一巻九二八頁。

『宇野弘蔵著作集』第七巻二八三頁註1。

『資本論』第三巻四一一頁。

「協業を基礎とする分業の組織」または「協業を基礎とする分業」というマルクスとは逆転したいい方にこの点は明瞭に

            しかし、このような誤った理解は、昭和一一年の旧版(二八三、二九八一九頁)ではまだそ

              新版および同改訂版(五二、五九頁)ではもっと明瞭になる。なお、この点に関して、

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 なかろうか。

(34) 『資本論』第一巻四六八頁。

(%)以上』二つと献『経霞幕』弘文堂、昭和禿年、…責、『宇野弘蔵著作集』第蓉五。1五責.

(%)宇野「過鑑の取扱い覆ついて」、『思想』一三碁、充互年七月、六養.

(37) 前出、樋口「マニュファクチャーの概念について」、六一頁を見よ。

       一一

以上に見たよう睾野弘蔵氏の資奎義発生発展の理論に対して、翌昭和三年に、大塚久雄氏が書評の形で批判

を加えられ・二年後の昭和二三年に、復刊された『経済政策論』上巻の「再刊に際して」と題する序文において、

宇野氏がこれに反論さ甦.この批判農論とは、この両氏の直接の論争としては唯のものであるが、われわれに

とって残念なことに・蒙呈く奪合っていない.大塚氏は、宇野氏の理論そのあに釁れられず、理論の基礎

にある事実認識皇として膿にされたが、その際、宇野氏が歴史学派的な立場笠っておられると考えられた考

で・お言くそのために、なぜマニュファクチャふ響的な℃警的にしか存在し琶と断定するのに磐都合

のよいりプソンを主たる、あるいはほとんど唯一の典拠とし、アンウィンやヒートンらの研究を無視したのかを批判

の第一点箋いて問題誉れた.これは、先に指摘したよう學野氏のマ㌻歪対する態度から考えれば、リプソ

ンのみによるべきではなかったという点は当然でもあり正当でもあったにせよ、批判の出し方についていえばあまり

正当ではなかったといわなければならないだろう.他方、宇野氏の反論の方覧ると、この点に対する憤繁蒙り

                                            二五

  -宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論についてt

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  ,1払調     文-                                                      二六

に強く全体を支配しているようで、故意にすれ違いをはかられでもしたかのように、論点はしばしばずれているし、

大塚氏のいわれていないことをいわれたかのように暗示されるような口調が目につく.そして、これ以後、両氏は互

いに反撥し合うように、それぞれ対極的な方向に各自の理論を展開して行かれるのである.、しかし、表立っての論争

はこれ以後ないながらも、大塚氏のばあい、宇野氏の立場からの問題提起なり反論なりを予想され意識されて書かれ

ていると思われるところがあちこちで目につくし、宇野氏のばあいも、いくつかはそう思わせるところがあるのであ

る。

 このようなわけで、両氏の論争をここ訴、詳細に取りあげることはあまり意味がないが、この論争について二つのこ

とだけはここでいっておく必要がある.、第一に、羊毛工業におけるマニュファクチャーの発展についてであるが、紡

糸工程については元来意見の対立はないから論外として、織布工程(部門)に関して、現在までの実証成果による限

りは、大塚氏が期待されたようには、マニュファクチャーの一般的成長は検出されていないといわなければならな

い。むしろ、大塚氏が本質的には前期的ないしトラィーク的なもσとされた、紡織を問屋制度によりながら、羊毛の

準備と織り上がった毛織物の仕上工程を中心作業場としてのマニュファクチャーで行なう形式の方が、一七世紀まで

は比較的よく発展している。面白いことに、宇野氏もまたこの形を「商人、クロージァの下に行われたる」ものとさ

  ハ ロ

れている。しかし、他面では、大塚氏の見解においてむしろマニュファクチァー論それ自体の根底をなす小生産者的

発展の決定的た意義、農村工業の発展の決定的な意義、商業および商人資本の発達から資本主義の発達を説くべきで

はないということ、これらの点については、現在でも依然として生命を保っているし、またマニュファクチャーの意

義についても(従ってマニュファクチャー時代という時代規定についても)、大塚氏が期待されたような姿では実証

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しえなかったというにすぎないのであって、補足し具体化すべきところはあるにしても、本質的な点では何ら否定も

修正もする必要はない、と私は考えている。

 第二点は、宇野氏がこの反論において、「〔大塚〕教授は、私が商人資本を以て産業資本に先立つ資本の歴史的に支

配的な形態としたのを、商人資本家が産業資本家に転化するものと理解しているかのようにとられているのではない

                      ハヨロ

かと思うが、私はそういうことは決して考えていない」といっておられることについて〆.、ある.、これは宇野氏の韜晦

にすぎないといわなければならないであろう。宇野氏がその証拠としてあげておられるのは、先にコ一つの道」論に

関連して引用しておいた一節(九一一⊃頁)である。しかし、宇野氏の本来の考え方としては、これも先に引用してお

いたように(八頁)、「商人資本は資本として商品貨幣の流通形態を一般に資本主義の基礎をなす産業資本と共通にす

るのであって、その貨幣財産の蓄積は自らその旧社会の分解作用を通してその発生に助力する歴史的社会的条件の成

立と共に容易に産業資本に転化することができるのであった」というものであり、だからア」そ、この証拠としてあげ

られた本文に付せられた註において、こういつておられるのである。 「近代的生産方法をイギリスと異って完成した

形態で輸入した国々は恐らくこの転化過程を著しく異なった容易さを以て経過したものと見ることができるであろ

                              ハ レ

う。商人にとってこの転化が本来的に困難なるものではないからである。」興味深いことに、 これにすぐ続けて、な

ぜ一五・六世紀にむしろマニュファクチャーが発生してその後はあまり発展しないのかを問題にされ、 「一七世紀に

おける羊毛工業の沈滞にもよるであろうが、一般的にはなお羊毛工業手工業者自身を無産者化する過程において商人に

特殊の歴史的役割が与えられていたからである」とされている。これが説明になっていないことは、ここではもう問

題にする必要はない。しかし、それにしても、後進国における商人の産業資本家への転化が容易であったことを指摘

  -i宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論についてi                       二七

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  1論    文一                                     二八

されたすぐ後に続けてイギリスのマニュファクチャーの問題を出し、その上このように答えられるということは、商

人の産業資本家への転化、商人資本の産業資本への転化の筋道でマニュファクチャーの形成を考えておられるのでな

ければ理解できないことであろう。しかも、ここで宇野氏は北部の産業資本家が商人以外の何から成長してきたのか

を全く問題にさえされてはいないし、そのほかにも三つの問題に答えを与えないままにしておられるのである。第一

に、イギリスではなぜ後進国におけるのと異なって商人資本家の産業資本家への転化が産業革命期まで容易ではなか

ったのか、第二に、後進国ではなぜイギリスにおけるのと異なって商人資本家の産業資本家への転化がある時期容易

であったばかりか、その国の資本主義発達史において決定的な重要性をもちさえしたのか、第三に、なぜイギリス西

部の商人資本家は産業資本家への転化を回避しようとしたのか。この三つの問題のうち第一と第二は、マルクスの経

済学的理論で見事に説明できる。しかし、第三の問題はマルクスの理論で直勘にぼ説明できない。大塚氏の「前期的

資本」の理論はこの三つ全部を説明しようとしているが、実際には第三の問題の説明に適した理論である。しかし、

宇野氏の理論ではこの三つ全部に答えられないであろう。なぜなら、生産様式の形成の問題も、人間主体の問題も、

この理論の視野には入っていないからである。

(1) 『大塚久雄著作集』岩波書店、第四巻四一〇頁以下、および『宇野弘蔵著作集』第七巻二五一頁以下を見よ。

(2) 『宇野弘蔵著作集』第七巻二九八頁。昭和二九年の新版『経済政策論』とその改訂版では、もっと徹底していて、こうな

  っている。 「..::商人資本のもとに漸次形成せられつつあった資本家的社会関係は、手工業者を賃銀労働者化し、また部分

  労働者化しつつあったのであって、具体的にはまず商人自身のもとに行なわれた部分的仕上工程のマニュファクチュアさら

  に進んで一八世紀の後半北部地方のオピュラント・クロージアのもとで行なわれた製織マニュファクチュアにその一般的な

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 発展をみたものと解すべきではないかと思う。」弘文堂版四四頁、

(3) 『著作集』第七巻二五六頁。

(4) 同右、三〇一頁注1。

『著作集』第七巻六〇-六一頁。

 昭和二九年の『経済政策論』は、昭和一一年の『経済政策論』上巻にはなかった第三篇「帝国主義」が新たに書き

加えられた新著であるが、第一篇「重商主義」と第二篇「自由主義」の部分については、最も大きな変化は大量の註

が削除されたことであって、いまわれわれが特に第一篇を対象として問題にしている資本主義発生発展の理論の基本

的な内容なり方向なりについては、ほとんど変化はない。ただ、マルクスに対する疑問が一層鮮明に現われ、旧版に

はまだ残っていた迷いがほとんどなくなったといえるくらいに後退し、それに伴って宇野氏独自の理論の性格が一層

鮮明に一層徹底した形で打ち出されてはいる。具体的な叙述の上で目につく変化は、次の三点であるといってよいで

あろう。第一に、機械制大工業の発展の基礎をなす諸条件を形成したものとして、問屋制度と並べてマニュファクチ

                                       ハ レ

ヤーがあげられている。 「マニュファクチュアは勿論のこと商人資本の問屋制度にしても…:山という書き方がそれ

である。しかし、これは旧版では無視されていたマニュファクチャーが新版ではそれなりの位置づけを与えられたと

いうことを意味するのではなく、むしろその逆の方向を向いている、旧版でも問屋制度を現実の主役として考えてい

たのみであって、マニュファクチャーの役割を無視する意図は宇野氏にはなかった。新版でマニュファクチャーを問

屋制度と並記することによって、むしろマニュファクチャーの作用と問屋制度の作用を同一視する観点が一層明瞭に

  t宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について1                        二九

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  -論    文-                                      三〇

なったといっでよいのであって、それは、先にも指摘しておいたマニュファクチャーの作用を協業ではなくて分業の

発展、それも協業から切り離され独立化させられた分業それ自体の発展に見るという立場が、旧版よりも一層鮮明に

なっている点にも、あらわれているのである。だからこそ、第一篇第二章の最後の部分を新旧比較すれば一目瞭然な

ように、新版の方がマニュファクチャーの現実の歴史的意義をはるかに消極的にしか評価しないことになっているの

である。第二に、これも先に指摘したことであるが、新版では生産力形成の問題が意識されているが、事実上、それを

商人資本の作用からのみ説明することになっていることである。おそらく、旧版ではまだマルクスに忠実であろうと

しておられるから、そのような説明をすることはできなかったであろう。第三に、資本主義の発生発展を生産に対し

て本来外的な資本、現実には商人資本の生産に対する支配の発展として見る基本的視点が、新版では一層徹底し、

「商品形態」あるいは商品経済の「外的性格」の概念を全体の基礎および理論的軸心とする資本主義論および資本主

義発生発展の理論として完成されているということである。

   「商品経済は、資本家的商品経済としてはじめて一社会を支配するものとなるのであるが、それとともにその社会は資本家的

 商品経済に特有な形態規定のもとに発展する。・…・

  「元来、商品経済なる言葉は、生産物が商品として売買、交換せられることを意味するに過ぎないが、単に生産物が商品とし

 て交換されるというだけならば、社会としては他の基準をもって経済生活を営みながら部分的にそういう商品経済の介入をも許

 すのである。商品形態なるものは、むしろ社会と社会との間に発生し、社会の内部に浸透するものとして発展してきたのであっ

 て、資本主義は一社会を、全面的に、そういう社会と社会との間の関係をもって律することになったものにほかならない。一一

 そしてそれは労働力自身を商品化することによってはじめて実現されたのである。

  「労働力はしかし他の商品生産物のように単なる生産物ではない。商品としても特殊の商品である。資本主義社会において商

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品化するとしても資本自身で生産することはできないし、労働者にとっても単なる生産物として販売しうるものではない。・

もちろん労働力なる特殊の商品は労働者にとっては、労働力をでも商品として販売しない限り、生活資料を商品として購入しえ

ないという関係にあるからであるが、それは労働者が自ら生活資料を生産しうる生産手段を所有しない無産労働者であるという

ことを前提とする。商品経済が直接の生産者のこういう根本的な生活の内部にまで浸透したとき、資本家的生産方法が確立さ

れ、一社会が全面的に商品経済化してゆくことになるのである。...

 「しかしこの過程は決して一挙に行なわれるわけではない。旧来の個別的な生産方法に対して、新たなる資本家的に特殊社会

的な生産様式が、その生産力の増進によって、自らの基盤を形成するまでには一定の歴史的時期と、その時期に特有な経済政策

とを必要としたのであった。一六、七世紀の西欧諸国、特にイギリスにおいて発足した資本家的生産様式は、一八世紀末の、い

わゆる産業革命を経てばじめてそういう自らの基盤を確保したのである。しかも機械的大工業によるこの新たなる生産様式の確

立は、また資本主義にとって資本自身では商品として生産することのできない労働力の商品化をもある程度自ら拡大再生産しう

るものとして、資本主義として一社会を全面的に支配するものとしたのであった。-:

 「こういうように資本主義自身が経済的力で自らの社会的体制を確立してゆく傾向にあるということは、極めて重要な、注目

すべきことである。それは経済学の原理の成立する客観的基礎をなすものであるが、同時にまた資本主義にとってその経済政策

なるものがいかなるものであるかを示す科学的基準を与えるものといってよい。……ところがこういう資本主義の一定の発達段

階に認められる傾向も、実は決して完全に実現せられるものではない。もともと労働力なる特殊の商口叩の出現はもちろんのこ

と、一般に生産物の商品形態そのものも、すでに述べたように、社会生活の内部からその必然的形態として発生したものではな

い。社会と社会との間に発生し、これによってより大なる社会を形成するに従って社会生活の内部にまで浸透してきたものであ

って、社会生活にとって本来的な、永久的なものではない。その点がまた元来生産物ではなく、したがってまた商品となるもの

でもないものまでが商品化されることを基礎とする理由をもなすのであるが、それと同時にそれは資本主義の発展のいかんによ

1宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について一                        一一二

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  1論    文-                                      三二

 つては資本主義的商品経済が完全に全社会を支配するということが具体的には実現されえないという根拠をもなすのである。…

 …労働力の商品化に一般的基礎を置く資本家的生産様式も、それが労働力の商品化という元来無理な形態をもつものであること

                                         (2)

 を、したがってまた一定の歴史的な発生、発展、没落の過程を経過せざるをえないことを明らかにする。……」

                           (3)

 さて、 「外的性格」の概念の意味内容は、極めて多様であり、その極めて多様なものが「外的性格」の一語の中に

集約され総括されていることこそが、宇野氏の理論の際立った特徴をなすといってよい。しかし、その多様な意味内

容の全体を展開すべき基礎あるいは端緒として置かれているのは、 「商品形態なるものは、社会と社会との間に発生

し、社会の内部に滲透するものとして発展してきた」という意味での、 「商品形態」ないしは「商品経済」の「外的

性格」である。宇野氏のばあいは、 「商品経済」とは元来「生産物が商品として売買、交換せられることを意味する

に過ぎない」とされていることに、この関連でまず注意しなければならない。ところで、宇野氏がこのような意味で

の「商品形態」ないしは「商品経済」の「外的性格」を説かれるばあい、その根拠になっているのは、宇野氏自身の

経済史研究あるいは人類学研究であるとは考えられないから、 『資本論』におけるマルクスの次のような文章である

といってよいであろう。

 「商品交換は、共同体の終わるところに、すなわち、共同体が他の共同体または他の共同体の成員と接触する点に

始まる。しかしながら、物は一たび共同体の対外生活において商品となると、ただちに、また反作用をおよぼして、

                 (4)

共同体の内部生活においても商品となる。」

 ところで、エンゲルスの証言によれば、これは「当時、一八六五年には、まだマルクスの単なる『見解』であった。

今日、マウラーからモーガンに至るまでの、原始共同体の広範囲の研究以来は、もはや、ほとんどどこでも争われな

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い事実で紮・」では・マ㌻ス笹か馨根讐よってこうぢ「見解」を毒したのであろうか.それ薯に引

用した文章のすぐ前に示されている。

 「物は・そ替身としては人間窪いして外的奄のである.したがってまた譲渡しうるものである.この譲渡が

相互的であるためには、人間はただ暗黙の間に、かの譲渡さるべき物の私的所有者として、またまさにこのことによ

って、相互に独立せる個人として、相対することが必要であるだけである。だが、このような相互に分離している関

係〔ゆぎく段幕旨旨ω譲9訂〇一結三磯震閑話ヨα訂津相互に疎隔した、他人としての関係〕は、一つの自然発生的な共同

             パ ロ

体の諸成員にとっては存在しない。」

 要するにマルクスがいっているのはこういうことである。商品交換は、交換する両当事者が交換される物の私的所

有者として・したがってまた吾に独立した他人同士として相対する関係を前提とするが、自然発生的共同体の内部

においては、個人の独立がなく、諸個人はまだ共同体の中に直接に包摂され埋没したままであり、私的所有もまた未

発展であるから、共同体の内部においては、すなわち一共同体の成員間では、商品交換は発生しないはずである。し

たがって、最初の商品交換は相互に他人である関係が最初から存在する共同体と共同体の間、あるいは一共同体と他

の共同体の成員の間に発生したはずだ、と。これは、マルクスの共同体観を前提する限り、理論的に極めて自然な、

また見事な推論である。勿論、現在の人類学的知識の水準から見れば、マルクスの共同体観は当時の事実的知識の水

準に制約されたいろいろな誤りを含んでいるから、この推論も現在ではそのまま正しいとすることはできないかもし

れない。しかし、私には今それを論じる準備も能力もないし、また今はそれはどうでもよい。マルクスに従って考え

るとすればどうかということだけで、さしあたりの目的には十分である。

  -宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について1                        一一一一二

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  1論    文-                                      三四

 マルクスの考え方に従うなら、商品交換が最初は共同体と共同体の間に発生して・一共同体の内部の成員間に発生

しないのは、共同体そのもののあり方による。しかもそれは、一共同体内部の成員間の関係のあり方によって制約さ

れているというだけではない。何が共同体と共同体との間で交換されるかということ自体、共同体が何を必要とし、

また何を余剰生産物として提供しうるかということ、したがって共同体の生産のあり方に依存する。だから、商品経

済は、何か共同体の経済とは異質なものが共同体の外に、共同体から独立に発生するというようなものでは全然な

い。商品経済は共同体の商品経済であり、共同体による商品経済であり、ただ共同体の対外関係ないしは対外活動と

してまず発生するというにすぎない。このような商品経済が共同体内のいわゆる「内部経済」とは異質なものだとい

うことは、一面においては、また一定の意味の範囲内では正しい。しかし、共同体が経済的に完全に孤立的に存在し

ているのでなければ  それはよほど特殊の事情のもとでなければ考えられないことである一、共同体の対外関係

における商品経済は、共同体の経済活動の不可欠の一側面をなす。それは、たとえば族内婚タブーをもつ共同体にと

って、他の共同体との通婚関係がその共同体自体の不可欠の存立条件をなすのと同じである。ただ、どの程度まで不

可欠か、どの程度まで重要か、どの程度までその共同体の構造と内部的諸関係に対して規定的な意義をもっているか

ということだけである。そして、いうまでもなく、共同体がより発展した形態をとるのに応じて、この不可欠さ、重

要さの程度は(大づかみにいって)増大する。たとえ、最初は「従属的な重要性」をもつにすぎず、また共同体が共

同体である限りは大なり小なり「従属的な重要性」にとどまるとしてもそうである。

 生産から独立的に発展した商人資本の「外的性格」については、さしあたり異論はない。しかし、その意味は現実

の事態によって限定されているのであって、 「外的性格」という言葉から思弁的に拡大して解するべきではない。な

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るほど、仲介商業におけるような純粋な独立的商人資本は、共同体の外部に、共同体と共同体の間に、 「エピクロス

の神々のように」存在する。しかも、商人資本がこのように共同体と共同体の間、共同体の外部に存在しうるのは、

商品交換が共同体と共同体の間で営まれるからである。しかし、この二つのこと、すなわち共同体がその対外関係に

おいて商品経済を営むということと共同体と共同体の聞の商品交換を共同体の外部に存在する独立的商人資本や商業

民族が媒介するということとは、全く別のことである。同様に、商品交換が共同体と共同体との間で営まれるものと

して発生するということと、共同体の外部に存在する商人資本が生産物の商品化を促進するということも全く別の事

柄である。商人資本が生産物の商品化を促進し、生産それ自体が商品生産に転化することを助けるということは、事

柄の一面にすぎないのであって、元来商人資本の発生と存在そのものが、与えられた前提としての、すなわち自らが

っくり出したものではなく既に存在する前提としての商品交換を必要とするのである。いいかえれば、生産から独立

的な商人資本という規定それ自体が、この資本から独立的な生産という規定を内包しているのである。

 共同体の内部でまず商品交換が発生しないのは、共同体の内部には諸個人が私的所有者として、独立の諸個人とし

て相対する関係がないからであった。したがって、共同体の内部においてその各成員が私的所有者として、独立の諸

個人として相対するような関係が発展してくれば、共同体内部でも商品交換が発展する。マルクスによれば、 「物は

一たび共同体の対外生活において商品となると、ただちに、また反作用をおよぼして、共同体の内部生活においても

商品となる。」すなわち、共同体の他の共同体との間の商品交換は、共同体の内部においても成員が互いに私的所有

者として、独立、一の諸個人として、相対するような関係を発生させる。ところで、このような関係は、一面では生産力の

発展の前提であると同時に、他面では生産力の発展の所産でもある。生産力の発展は、大きな流れの中で見るなら、

  一宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について!-                        一、一五

Page 36: 宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について · 論 文 宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について -商人資本の歴史的役割の問題1

  一論    文-                                      三六

人間諸個人のさまざまな素質や能力の発展として現われてくる以外にはない。あるいは逆に、人間諸個人のさまざま

な素質や能力、生産的諸能力の発展が、生産力の発展の原動力であったというべきであろう。だからこそ、生産力あ

るいは生産諸力の発展は、個人的私的な労働の発展、社会的分業の発展、私的所有の発展として現われなければなら

ないのである。勿論、生産諸力の発展は、常に共同体の対外関係と関連し、その影響下にあることは疑いない。そし

て商業はそういう対外関係の一つである。しかし、生産諸力の発展は何よりもまず共同体内部の生産活動の問題であ

る以上、常に共同体の対外関係の影響下に行なわれるとはいっても、対外関係のみによって実現されるわけではな

く、ましてその一つにすぎない商業のみによって実現されるはずがない。むしろ、この発展を基本的に規定し制約す

るものは、共同体そのもののあり方であり、共同体における生産そのもののあり方である。

 共同体内における生産諸力の発展は、共同体に対する個の自立を進め、直接に共同的な労働に対する個人的私的な

労働の役割を増大させ、共同的所有に対する私的所有の発展を促す以上、この発展は一定の限度までは共同体自体の

発展として現われるとしても、それを超えれば、出発点にあった共同体の解体を惹きおこさざるをえないであろう。

いいかえれば、発展は同時に解体でもある。しかし、その逆に解体が同時に発展であるとは、常にはいえない。 『資

本論』三巻二G章におけるマルクスの中心問題の一つはこのことであった。また、宇野氏が不思議に無視されている

                    (7)

三巻三六章の中心問題の一つもこのことであった。商人資本は、共同体の商品交換を媒介することによって共同体の

再生産を媒介し、共同体にとって不可欠の機能を果たしながらも、事情のいかんによっては、その搾取と略奪によっ

て生産を衰弱させ、生産諸力の発展を阻害することにもなりうる。生産諸力の発展が共同体を解体させるばあいは、

この解体の中から新たな、より高次な共同体の形態が生み出される(共同体の最終的解体の段階を除けば)であろう

Page 37: 宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について · 論 文 宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について -商人資本の歴史的役割の問題1

が、搾取と略奪が共同体を解体させながらも、生産を衰弱させ生産諸力の発展を阻害する形でそれが行なわれるばあ

いは、この解体の中からより高次な生産諸力に照応した新しい形態が生まれるはずはない。それは、マルクスがイン

ドについて指摘しているように、共同体の壊滅的形態を生み出すのみであろう。 「インドではイギリス人は、支配者

および地代取得者として、彼らの直接的な政治的権力と経済力とを同時に利用して、これらの小さな経済的共同体を

破壊しようとした。彼らの商業が、ここで生産様式の上に革命的に作用するかぎりでは、それはただ、彼らが、この

農・工生産のム三体の太古的・成全的な、[部分をなす紡績業と織物業とを、彼らの商品の低価格によって絶滅し、か

くして諸共同体を崩壊させるだけのことに終わるのである。:…これに反して、ロシアの商業は、イギリスの商業と

                             ロ

は反対に、アジア的生産の経済的基礎には手を触れないでおく。」これと基本的に全く同一のことを、 マルクスは高

利についてもっと一般的な形でもいう。 「すべての前資本主義的生産様式において背向利が革命的に作用するのは、そ

れらの社会の政治的編成をしっかりと支える基礎をなし、同一の形態において不断に再生産されている諸所有形態を

破壊し分解する限りにおいてのみである。アジア的諸形態においては、高利は、経済的衰微及び政治的腐敗以外のも

                  ハヨロ

のを惹起することなしに、長く存続しうる。」このような内容の文章は、まだいくつも引用できる。それも三巻二〇

章および三六章だけからではない。

 ところで、共同体の生産がまだもっぱら、あるいは主として、生活手段の直接的獲得に向けられているあいだは、

商品経済-商品生産および商品交換一は大なり小なりこの基本的な経済様式と異質的であり、対立的でさえある

といってもよいであろう。だからこそ商業が、あるいは商品経済が、そういう共同体に対して分解的に作用するので

あった。しかし、このことは、商品経済が共同体にとって「外的」であり、不自然な、外から押しつけられたもの、

  1宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について一                       三七

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  1論    交-                                   三八

専ら商人資本の作用によって外から浸透させられたものであることを必ずしも意味しない。それは、これまで述べて

きたことから明らかであろう.、共同体内における生産諸力の発展は、相互に分離し独立し、私的所有者として相対す

る諸個人の私的生産を発展させるが、このような私的生産が社会的生産を構成する諸要素となるためには、直接的強

制力がそれらを結びつけるのでなければ、私的生産物を商品として交換することを通じるほかはなかったのであるか

ら、商品経済の発展は共同体内における生産諸力の発展の自然な、必然的な所産なのである。このことを否定するの

は、生産諸力の発展を「外的」で不自然なこととし、私的所有の発展も、階級の発生および発展も、したがってまた

およ・て人類の歴史的社会的発展そのものを非本来的で不自然なものとし、ただ自然発生的な原始的共同体のみを本来

的で自然なものとすることにならざるをえないであろう。 「外的」という言葉に「疎外」、「物象化」等々の概念をも

結びつけ、すべてを「商品形態」の「外的性格」から出発して説明しようとするのは、思弁にすぎないといわなけれ

ばならない。

 宇野氏がこのような思弁的理論を展開されることになったのは、先にも指摘したように、一つには流通形態として

の資本(現実には商人資本)が生産を把握するという宇野氏の独自な基本的な発想にもとづくが、一つには、資本主

義の成立期において商人資本(勿論問屋制的商人資本を含めて)が極めて重要な役割を果たしたと、経済史的事実に

基づいて考えられたからであった。しかし、マルクスはこのような考え方を批判するためにこそ、三巻二〔-・章を書い

たのである.、

 「一六世紀および一七世紀においては、地理」の諸発見に伴って商業において起り、商人資本の発展を急速に進め

た諸大革命が、封建的生産様式の資本主義的生産様式への移行の促進において一つの主要契機をなしているというこ

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                                                  ハせロ

とには、疑問の余地はない一iそしてまさにこの事実こ妾、が、全く誤った諸見解を生み出してきたのである。」

 「近代的生産様式の最知の理論的取扱い-重商主義-一は、必然的に、商業資本の運動に独山ゾ一化されている流通

過程の表面的諸現象から出発し、したがってただ外観だけをつかみ上げた。それは、一部は、商業資本が、資本一般

の最初の自由な存在様式だからである。一部は、封建的生巌の最初の要言、眉期において、近代的生産の成立期におい

て、商業資本の及ぼす優勢な影響のゆえである.、近代的経済の現実的科学は、理論的考察が流通過程から生産過程に

           ハれロ

移るところで初めて始まる。」

(1) 『宇野弘蔵著作集』第七巻五三頁。

(2) 以上、同右、一六-一九頁。 「序論」。

(3) 旧版については、同右、二六一-二、二八一、二八四(二八三頁註1)、 二八九、一一コ二五、一一、;一一六頁な柑こ、新版について

  は、右の「序論」のほか、ご一一二、四八-五〇、六二(註2)、七八頁などを見よ。

(4) 『資本論』向坂訳第一巻一一五頁。

(5) 同右、第三巻二一九頁註二七。

(6)同右、第一巻一一五頁。

(7) 宇野氏が三六章をとりあげられないのは、 「利子付資本殊にいわゆる高利貸もまた商人資本と同様に資本主義前の発生物

  であるが、重商主義はこれに対しては寧ろ敵対的地位に立った」(『宇野弘蔵著作集』第七巻二七九頁註1)からであるらし

  い。しかし、勿論マルクスは宇野氏がその資本主義発生発展の理論の基本的な理論的枠組みとされ忙本源的蓄積に関する章

  の第六節冒頭において、商人資本と高利貸資本を並べてとりあげているのであり、ヰ一出たこの二つは「資本の生産様式なしに

  資本の搾取様式をもっている」点においては変わるところはないのである。

 …宇野弘蔵氏の資本主義発生発展の理論について-                       三九

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1論    文1

(8) 『資本論』向坂訳第三巻四二二頁。

(9) 同右、第三巻七五一頁。なお七五〇頁をも見よ。

(10) 同右、第三巻四一二頁。

(n) 同右、第三巻四一七頁。

四〇