左肘部に見られた菌腫型 nocardia transvalensis 感...

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左肘部に見られた菌腫型 Nocardia transvalensis 感染症の 1 例 藏岡 山岡 俊文 竹中 佐藤 伸一 西本勝太郎 52 歳,男性.初診の 20 年前にバイクで転倒,左肘部 に挫創を受傷し,縫合処置を受けた.初診の 3 年前に 同部が腫張し,MRI で膿瘍が疑われ切除された.数カ 月後に腫瘤・膿瘍が出現し,以後切除と再燃を繰り返 していた.抗結核剤や抗真菌剤を内服するも効果なく, 精査目的で 2007 年 5 月 10 日当科紹介受診となった. 初診時,左肘外側の創痕周囲に一部に瘻孔を伴う不整 形な腫瘤を数個と 2cm 大の膿瘍を認めた.病理組織で は内部に grain を伴う膿瘍と周囲の肉芽腫を認め,培 養で Nocardia transvalensis を分離し,頭部・胸部 CT ではノカルジア症を示唆する所見はなく,菌腫型皮膚 ノカルジア症と診断した.塩酸ミノサイクリン内服・ 点滴とスルファジアジン銀外用,温熱療法にて軽快し た. はじめに ノカルジアは,主として土壌中に存在する好気性放 線菌の一種であり,脳,肺などとともに皮膚にも病変 を呈する.今回われわれは,外傷後に生じた Nocardia transvalensis による皮膚原発の菌腫型ノカルジア症の 1 例を経験した.日本での原発性皮膚ノカルジア症の 起炎菌としては, N. asteroidesN. brasiliensisN. otiti- discaviarum が多く N. transvalensis の報告は稀であ り,文献的考察を加えて報告する. :52 歳,男性.3 年前までは農協職員,初診 時は土・肥料などを扱う自営業をしていた. :2007 年 5 月 10 日. :左肘部の腫瘤・膿瘍. 家族歴:母;高血圧. 既往歴:胃十二指腸潰瘍,胆石,尿管結石,大腸ポ リープ. 現病歴:初診の20年前にバイクで転倒し,左肘部外 側の径3~4cmの挫創に対して,縫合処置を受けた.そ の 1 年後,同部に小膿瘍を認め,切開排膿にて軽快し た.その後は経過良好であった.初診の 3 年前,左肘 部全体の腫脹とつっぱり感が出現し,2004 年 6 月 24 日,近医整形外科を受診した.左上腕遠位部に2×4cm の腫瘤を認め,MRI で膿瘍が疑われたため,9 月 1 日 切除術を施行された.病理診断は abscess and granula- tion tissue であった.術後数カ月で縫合部位が自潰し, 腫瘤を形成したため,2005 年 5 月 31 日に瘢痕切除 術+尺骨神経前方移行術を施行された.術後数カ月で 再び縫合部位に腫瘤を形成し,2006 年 9 月 5 日瘢痕切 除術を再施行された.この際の病理診断は inflamma- tion with small abscess and epithelioid cell granuloma であり菌塊が認められたものの,特殊染色では抗酸 菌・放線菌は明らかではなく,培養でも原因菌は同定 されなかった.PCR でも抗酸菌は陰性であったが,経 過から非結核性抗酸菌症が疑われ,抗生剤点滴・内服 に加えて,抗結核剤内服を 3 カ月間受けたが,腫瘤の 再発を認めた.精査目的にて,2007 年 3 月 1 日当院形 成外科へ紹介され,4 月 26 日より抗真菌剤を内服した が,軽快を認めず,5 月 10 日当科へ紹介された. 初診時現症:左肘部の創痕に沿って,2~4cm 大ま での暗赤色の不整形な腫瘤を数個認めた(図1a).一部 に瘻孔形成を認め,排膿していた(図1b).顆粒排出は 確認できなかった.左肘内側には 2cm 大の膿瘍を認め た.自発痛はないが,圧痛を訴えた.発熱はなく,腋 窩リンパ節の腫張もなかった. 臨床検査所見:WBC 9,500! µl(Neut 62%,Lym 29%,mono7%,baso1%,eosino1%),RBC457×10 4 ! µl,Hb 14.2g! dl,Ht 43.3%,Plt 34.7×10 4 ! µl,CRP 0.20mg! dl,BUN 12mg! dl,Cr 0.80mg! dl,TP 6.9g! 1) 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科皮膚病態学分野 (主任:佐藤伸一教授) 2) 日本海員掖済会長崎病院(院長:松尾 "平成 20 年 5 月 21 日受付,平成 20 年 7 月 24 日掲載決定 別刷請求先:(〒8528501)長崎市坂本1 丁目7 番1 号 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科皮膚病態学分野 藏岡 日皮会誌:119(2),197―203,2009(平21)

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左肘部に見られた菌腫型 Nocardia transvalensis感染症の 1例

藏岡 愛1) 山岡 俊文1) 竹中 基1)

佐藤 伸一1) 西本勝太郎2)

要 旨

52 歳,男性.初診の 20 年前にバイクで転倒,左肘部に挫創を受傷し,縫合処置を受けた.初診の 3年前に同部が腫張し,MRI で膿瘍が疑われ切除された.数カ月後に腫瘤・膿瘍が出現し,以後切除と再燃を繰り返していた.抗結核剤や抗真菌剤を内服するも効果なく,精査目的で 2007 年 5 月 10 日当科紹介受診となった.初診時,左肘外側の創痕周囲に一部に瘻孔を伴う不整形な腫瘤を数個と 2cm大の膿瘍を認めた.病理組織では内部に grain を伴う膿瘍と周囲の肉芽腫を認め,培養で Nocardia transvalensisを分離し,頭部・胸部CTではノカルジア症を示唆する所見はなく,菌腫型皮膚ノカルジア症と診断した.塩酸ミノサイクリン内服・点滴とスルファジアジン銀外用,温熱療法にて軽快した.

はじめに

ノカルジアは,主として土壌中に存在する好気性放線菌の一種であり,脳,肺などとともに皮膚にも病変を呈する.今回われわれは,外傷後に生じた Nocardia

transvalensisによる皮膚原発の菌腫型ノカルジア症の1例を経験した.日本での原発性皮膚ノカルジア症の起炎菌としては,N. asteroides,N. brasiliensis,N. otiti-

discaviarumが多く1)2),N. transvalensisの報告は稀であり,文献的考察を加えて報告する.

症 例

患 者:52 歳,男性.3年前までは農協職員,初診時は土・肥料などを扱う自営業をしていた.

初 診:2007 年 5 月 10 日.主 訴:左肘部の腫瘤・膿瘍.家族歴:母;高血圧.既往歴:胃十二指腸潰瘍,胆石,尿管結石,大腸ポリープ.現病歴:初診の 20 年前にバイクで転倒し,左肘部外側の径 3~4cmの挫創に対して,縫合処置を受けた.その 1年後,同部に小膿瘍を認め,切開排膿にて軽快した.その後は経過良好であった.初診の 3年前,左肘部全体の腫脹とつっぱり感が出現し,2004 年 6 月 24日,近医整形外科を受診した.左上腕遠位部に 2×4cmの腫瘤を認め,MRI で膿瘍が疑われたため,9月 1日切除術を施行された.病理診断は abscess and granula-tion tissue であった.術後数カ月で縫合部位が自潰し,腫瘤を形成したため,2005 年 5 月 31 日に瘢痕切除術+尺骨神経前方移行術を施行された.術後数カ月で再び縫合部位に腫瘤を形成し,2006 年 9 月 5日瘢痕切除術を再施行された.この際の病理診断は inflamma-tion with small abscess and epithelioid cell granulomaであり菌塊が認められたものの,特殊染色では抗酸菌・放線菌は明らかではなく,培養でも原因菌は同定されなかった.PCRでも抗酸菌は陰性であったが,経過から非結核性抗酸菌症が疑われ,抗生剤点滴・内服に加えて,抗結核剤内服を 3カ月間受けたが,腫瘤の再発を認めた.精査目的にて,2007 年 3 月 1日当院形成外科へ紹介され,4月 26 日より抗真菌剤を内服したが,軽快を認めず,5月 10 日当科へ紹介された.初診時現症:左肘部の創痕に沿って,2~4cm大までの暗赤色の不整形な腫瘤を数個認めた(図 1a).一部に瘻孔形成を認め,排膿していた(図 1b).顆粒排出は確認できなかった.左肘内側には 2cm大の膿瘍を認めた.自発痛はないが,圧痛を訴えた.発熱はなく,腋窩リンパ節の腫張もなかった.臨床検査所見:WBC 9,500�µl(Neut 62%,Lym29%,mono 7%,baso 1%,eosino 1%),RBC 457×104�µl,Hb 14.2g�dl,Ht 43.3%,Plt 34.7×104�µl,CRP0.20mg�dl,BUN 12mg�dl,Cr 0.80mg�dl,TP 6.9g�

1)長崎大学大学院医歯薬学総合研究科皮膚病態学分野(主任:佐藤伸一教授)2)日本海員掖済会長崎病院(院長:松尾 �)平成20年5月21日受付,平成20年7月24日掲載決定別刷請求先:(〒852―8501)長崎市坂本 1丁目 7番 1号長崎大学大学院医歯薬学総合研究科皮膚病態学分野藏岡 愛

日皮会誌:119(2),197―203,2009(平21)

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図1 初診時臨床像a:左肘部の創痕に沿って,2~4cm大までの暗赤色の不整形な腫瘤を数個認めた.b:一部に瘻孔形成を認め,排膿していた.

dl,Alb 4.2g�dl,AST 14IU�l,ALT 10IU�l,LDH165IU�l,ALP 252IU�l,γGTP 17IU�l,CPK 88IU�l,IgA 213mg�dl,IgG 1,160mg�dl,IgM 69.8mg�dl,FBS 89mg�dl.ツベルクリン反応は 0×0�10×10mmで弱陽性であった.病理組織学的所見:真皮から皮下組織に好中球を主体とした膿瘍が多数見られ(図 2a),中心に 1個から数個の不規則な形の大小の grain を認めた(図 2b,c).周囲にはリンパ球,組織球の浸潤を認め,さらに線維芽細胞の増殖,毛細血管の増生,多核巨細胞もみられ,乾酪壊死はなく,いわゆる非特異的肉芽腫像を呈した.Grain は PAS染色陽性であり(図 2d),Grocott 染色では黒色に染色された(図 2e).グラム染色陽性,チールニールセン染色弱陽性であった.菌学的所見:生検組織片を培養した.サブローブドウ糖寒天培地(SDA培地)では,25℃の条件下で,約2週間で乳白色の表面粗造で放射状の皺襞を呈する乾燥性のコロニーの発育を認めた(図 3a).1カ月以上の

培養で黄色に着色した(図 3b).37℃での培養,クロラムフェノール添加 SDA培地での培養では発育速度の遅延が見られた.また,約 2週間で 1%小川培地でも黄白色のコロニーの発育を認めた(図 3c).Nocardia

属と考え,同定を千葉大学真菌医学研究センター(三上襄教授)に依頼した.生理・生化学的性状は,ミコール酸炭素数 44~60,

βラクタマーゼ陽性であり,糖利用能ではアドニトール,エリスリトール,グルコース,マルトース(+),分解能ではヒポキサンチン,ウレア分解(+)であり,薬剤感受性試験では,5-FU(-),IPM(3+),TOB(-),KM(-)とのことであった(表 1).以上より,

Nocardia transvalensisと同定された.当院検査部で施行した感受性試験では,効果が期待できるものとして,MINO 2,CPFX≦0.5,LVFX 0.5,GFLX 0.12,MEPM 1,CTRX 1 であった.画像所見:左肘部MRI(STIR);肘部伸側皮下に高信号領域を

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菌腫型 Nocardia transvalensis感染症 199

図2 病理組織学的所見a:真皮から皮下組織に膿瘍を多数認めた.周囲には非特異的肉芽腫を認めた.b:膿瘍の中心に1個から数個の不規則な形の大小のgrainを認めた.c:HE染色のgrainの強拡大像d:PAS染色のgrainの強拡大像e:Grocott染色のgrainの強拡大像

図3 菌学的所見a:25℃条件下のSDA培地で,約2週間で乳白色の表面粗造で放射状の皺襞を呈する乾燥性のコロニーの発育を認めた.

b:25℃条件下の3カ月間の培養でSDA巨大培地では黄色の脳回状のコロニーを形成した.

c:1%小川培地でも約2週間で黄白色のコロニーの発育を認めた.

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藏岡 愛ほか200

表1. 菌の生理生化学的性状

+Growth at 45℃

SusceptibilityDecomposition of3+IPM- adenine-TOB- casein-5-FU+ hypoxanthine-KM- tyrosine3+CPFX+ urea-GM- xanthine

Production ofAcid from+β-lactamase+ adonitol

- arabinoseUtilization of+ erithritol

-Citrate- galactose+ glucose

Mycolic acid pattern- inositol+Nocardia+ maltose-Mycobacterium- mannose-Corynebacterium- rhamnose

others- sorbitol- mannnitol

認め,肉芽組織や炎症,術後変化を反映していると考えた.著明な高信号を呈する小領域もあり,小膿瘍と判断した.筋や骨・関節は著変なかった(図 4a).頭部CT;異常なし.胸部CT;左下葉背側胸膜直下に索状影を認めたが,その他肺野に浸潤影や腫瘤,また有意なリンパ節腫大もなかった.診 断:以上の所見より皮膚原発の菌腫型ノカルジア症と診断した.治療および経過(図 5):2007 年 5 月 24 日より外来にて塩酸ミノサイクリン 200mg�日内服を開始し,わずかではあるが軽快を認めたため,6月 11 日入院後塩酸ミノサイクリン 100mg×2�日の点滴を行った.局所療法としては,スルファジアジン銀外用と温熱療法としてカイロを約 10 時間病変に当てることとした.以後,緩徐ではあるが腫瘤の盛り上がりは縮小した.7月 2日経過観察のため皮膚生検を施行したところ,依然として好中球膿瘍の内部に grain を認めたものの,全体的に膿瘍の数は減少していた.その後改善を認めなくなったため,7月 19 日塩酸ミノサイクリン点滴を中止し,感受性試験で≦0.5 であるシプロフロキサシン600mg�日と ST合剤 1,920mg�日の併用内服による治療を開始した.変更後,腫瘤は比較的急速に扁平化した.7月 26 日瘻孔部位の皮膚生検を施行した.培養では,コロニーを認めたが,病理組織内における grain

の数は 1個のみで,前回と比べて明らかに減少していた.7月 28 日退院し,外来にてシプロフロキサシン・ST合剤内服治療を継続した.温熱療法は 8月 3日で,スルファジアジン銀外用も 8月 9日で終了した.腫瘤はさらなる扁平化を認めたが,8月 1日全身倦怠感と瘙痒が出現し,患者の自己判断で両薬剤内服を中止した.8月 13 日外来受診時,症状がなかったため,再び内服したところ,全身の紅斑と発熱を認め,シプロフロキサシンもしくは ST合剤による薬疹を疑い,塩酸ミノサイクリン内服へ変更した.ST合剤のDLST(drug lymphocyte stimulate test)は 226%と陽性であり,ST合剤による薬疹と考えた.9月 13 日には視診上腫瘤は消失し,炎症を思わせる発赤もなく,触診上も皮下結節を触知しなかった.左肘部MRI でも軟部組織の腫張および異常信号域の軽減を認め(図 4b),塩酸ミノサイクリンは 10 月 14 日で内服中止とした.以後,外来にて,経過観察を行っているが,平成 20 年 7月 1日現在,瘢痕治癒の状態が続いている.

考 察

皮膚ノカルジア症は外傷を契機にその部に病変を呈する原発性と肺病変などからの転移による続発性に分けられる.さらに原発性皮膚ノカルジア症は,福代らにより,ノカルジア性菌腫,皮膚リンパ型ノカルジア症,限局性皮膚ノカルジア症の 3病型に分類されている3).ノカルジア性菌腫は慢性進行性の肉芽腫性炎症で,局所の皮下硬結・腫張,瘻孔形成とともに顆粒排出を特徴とする.皮膚リンパ型ノカルジア症は急性型で,原発巣より,リンパ行性に転移巣を形成し,所属リンパ節の腫張をきたす.限局性皮膚ノカルジア症は亜急性型で,病変部が受傷部に限局する4).日本での原発性皮膚ノカルジア症の起炎菌別頻度としては,N. as-

teroidesが最も多く,続いて N. brasiliensis,N. otitidis-

caviarumの順であり1)2),それぞれの菌種にある程度特徴的な臨床像がみられる.N. asteroidesは呼吸器から侵入し,骨病変を起こしたという報告もあり,肺や骨に親和性を持つと言われている.原発性皮膚感染症の場合は,主に菌腫型をとる.N. brasiliensisは外傷部位より侵入し,皮膚に親和性が強く,この菌種の原発性皮膚感染症は,ここ十数年来症例数の増加を認めている.病型としてはリンパ型が多く,ついで限局型の頻度が高いとされている5)6).N. farcinicaは急性の全身性感染症を起こすことがあり,特に脳への親和性が高く,原発病巣から急性に脳に移行する例が最近では多く報告

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菌腫型 Nocardia transvalensis感染症 201

図4 左肘部MRI(STIR)検査所見a:初診時.左肘部伸側皮下にSTIR高信号を認め,炎症を反映している.b:内服治療終了時.高信号域はほぼ消失した.

図5 治療経過

されている1).自験例は外傷の 1年後,局所に小膿瘍を形成し,切開排膿によって一時軽快したと思われた.しかし,そ

の後十数年にわたり,小病巣が持続し,徐々に触知できるまでに拡大した.17 年後には,明らかな病変部の硬結・腫張をきたし,手術後に腫瘤・瘻孔・膿瘍の形

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成を繰り返した.病理組織学的に grain を伴う膿瘍を認め,菌学的検査より,N. transvalensisを分離し,また内臓病変がないことから,皮膚原発のノカルジア性菌腫と診断した.自験例で同定された N. transvalensisは,1927 年アフリカの菌腫の症例で初めて分離され7),以後,オーストラリア,アフリカ,北アメリカ,ヨーロッパ,タイでの感染の報告がなされたが,日本ではまだ少数の症例を認めるのみである.Kageyama らは,1992 年から2001 年までの間に日本の医療機関で分離された No-

cardia属菌株 303 株について同定を行い,3例の N.

transvalensisを確認したと報告している8).N. transva-

lensisによる皮膚ノカルジア症の報告は,われわれが調べた限りでは,上記 3例中の 1例である 65 歳女性の菌腫の症例と,2006 年に古田らが発表した 82 歳男性の症例9)のみである.しかし,これまで N. asteroidesと同定された菌株の中には,N. transvalensisが含まれ,実際はもっと多い可能性も指摘されている.渋谷らは,生化学的同定法で N. asteroidesと同定されていた 12 株の う ち,16S rDNAを 用 い た restriction fragmentlength polymorphismによる分子生物学的方法での検討を行い,4株が N. transvalensisであったと報告している10).今後,分子生物学的方法が菌種の同定に大きな役割を担い,さらに将来的に必須の検査となることが予想される.

N. transvalensisの臨床像としては,McNeil らによると 16 例中,菌腫をふくめた皮膚感染が 3例,肺感染が8例,脳などへの播種が 4例,眼への感染が 1例であった.抗菌薬感受性については,多くの抗菌薬に対する耐性度が高いとされている11).日本での N. transvalen-

sis感染症の報告数は少なく,地理的分布,臨床像,患者の背景,有効な治療などの特徴については現時点では見出すことができない.今後の症例の積み重ねが期待される.皮膚ノカルジア症全般の治療については,塩酸ミノサイクリンや ST合剤が第 1選択薬とされており,その他,限局した病変では,外科的切除や温熱療法が有効であったとの報告がある12).治療期間については,3週~半年を要し,患部の瘢痕治癒を目安に通常 2カ月以上の内服を行う13).

自験例では,まず塩酸ミノサイクリン内服で治療を始め,腫瘤の縮小化を認めたことより,さらに治療効果を上げるため 1カ月の塩酸ミノサイクリン点滴に切り換えた.腫瘤は縮小したが,点滴終了時の皮膚生検組織の培養では,菌の生育を認め,また病理組織でも真皮深層膿瘍内の grain が見られた.当科初診以前に3回に及ぶ腫瘤切除が行われ,その都度再発したことを考慮に入れると,ノカルジアが真皮深層~皮下組織に広く存在し,少量でも残存があれば容易に再燃する可能性が考えられた.根治を目指すには,数カ月の薬物療法と必要に応じて外科的処置など長期に及ぶ治療が必要であろう.また,感受性試験の結果による薬剤変更も重要である.薬疹のため中止せざるを得なかったが,感受性の高いシプロフロキサシンと ST合剤変更後に腫瘤の比較的急速な扁平化を認めた.本症例の分離菌は,37℃での培養において発育が緩徐であることより,内臓への転移はなく外傷部に限局していたと考えられた.さらに温熱療法も効果が期待でき,自験例ではカイロによる局所温熱療法も有効であったと考えている.診断については,切除のたびに培養検査が行われていたが,原因菌を検出できていなかった.この理由としては,ノカルジアの発育速度の遅さが挙げられるが,他科での検査であり,検査手技や検体採取の不慣れも考えられる.慢性の腫瘤・膿瘍をきたす疾患の鑑別としては,スポロトリコーシス,非結核性抗酸菌症,黒色糸状菌症,皮膚結核症,皮膚ノカルジア症などが挙げられる.いずれも稀な感染症であり,起因菌に基づいた適切な治療を行わない限り難治である.このように外傷を契機とした難治性の皮膚感染症をみた場合,極度に発育の遅い菌や,特殊な培養法を要する菌も念頭におき,微生物学的検査を進めていくことが重要であると考えた.

謝辞:原因菌の同定を行っていただきました千葉大学真菌医学研究センター高分子活性分野教授三上襄先生に深謝いたします.本論文の要旨は「第 107 回日本皮膚科学会総会」において

報告した.

文 献

1)矢沢勝清,三上 襄:ノカルジアの検査法,検査と技術,29 : 111―199, 2001.

2)佐藤友隆,森本亜玲,松尾聿朗ほか:Nocardiabrasiliensisによる菌腫の 1例,臨床皮膚科,59 :

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菌腫型 Nocardia transvalensis感染症 203

382―385, 2005.3)福代良一,熊谷武夫:皮膚ノカルジア症,皮膚病診療,3 : 349―352, 1981.

4)田沼弘之,梅澤 明,阿部美知子ほか:Nocardiaasteroides による結節型病変,皮膚病診療,8 : 663―667, 1986.

5)望月 隆,尾本光祥,田中壮一ほか:Nocardiabrasiliensis による原発性皮膚ノカルジア症の 2例,皮膚科紀要,89 : 491―497, 1994.

6)掛水夏恵,福山圭子,毛利 忍:リンパ型皮膚ノカルジア症の 1例,日皮会誌,113 : 1437―1442, 2003.

7)Pijper A, Pullinger BD: South African nocardi-ases, J Trop Med Hyg, 30: 153―156, 1927.

8)Kageyama A, Yazawa K, Ishikawa J, Hotta K,Nishimura K, Mikami Y: Nocardial infections inJapan from 1992 to 2001, including the first reportof infection by Nocardia transvalensis, Eur J Epide-miol, 19: 383―389, 2004.

9)古田淳一,沼田岳士,丸山 浩,伊藤周作,人見重美,大塚藤男:稀な菌種 Nocardia transvalensisによる原発性皮膚ノカルジア症,日皮会誌,117 : 701,2007.

10)渋谷理恵,舘田一博,木村聡一郎ほか:ノカルジア属細菌の分子生物学的同定法と抗菌薬感受性に関する検討,日本臨床微生物学雑誌,16 : 81―88, 2006.

11)McNeil MM, Brown JM, Georghiou PR, AllworthAM, Blacklock ZM : Infections due to Nocardiatransvalensis : clinical spectrum and antimicrobialtherapy, Clin Infect Dis, 15: 453―463, 1992.

12)南谷洋策,井上小保理,小方冬樹:限局性皮膚ノカルジア症の 1例,臨床皮膚科,60 : 188―191, 2006.

13)服部尚子,三上 襄:放線菌症,ノカルジア症,MBDerma,127 : 71―80, 2007.

A Case of Mycetoma of the Left Arm Caused by Nocardia transvalensis

Ai Kuraoka1), Toshihumi Yamaoka1), Motoi Takenaka1),Shinichi Sato1)and Katsutaro Nishimoto2)

1)Department of Dermatology, Nagasaki University Graduate School of Biomedical Sciences2)Ekisaikai Nagasaki Hospital

(Received May 21, 2008; accepted for publication July 24, 2008)

A 52-year-old man injured his left arm in a traffic accident 20 years previously and the wound had beensutured. Three years before the consultation at our clinic, the lesion swelled. A MRI revealed subcutaneousabscesses, and he was treated with surgical excision. Several months later, because of frequent exacerbationof the nodules and abscesses on the same lesion, multiple surgical resections were performed. No favorableclinical response was observed in combination with oral administrations of several antibacterial and antifun-gal agents. He visited our clinic for further investigation on May 10, 2007. There were some tumors and ab-scesses that were 2 cm in diameter, with fistulas on the previous scars. Grains in the abscess and granulomaswere observed in the skin biopsy specimen. Nocardia transvalensis was isolated from the culture of the sample.No other underlying disease was detected by brain and pulmonary CT. The patient was diagnosed with my-cetoma�primary cutaneous nocardiosis. He was successfully treated with oral and intravenous administrationof minocycline hydrochloride, topical sulfadiazine silver, and thermotherapy.(Jpn J Dermatol 119: 197~203, 2009)

Key words: primary cutaneous nocardiosis, mycetoma, Nocardia transvalensis