遠藤周作の『深い河』について―「河」のイ...

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113 明道學術論壇 5(2)113-126(2009) 遠藤周作の『深い河』について―「河」のイ メージを中心に― 根藤 國立高雄第一科技大學應用日語系 講師 遠藤周作は日本戦後のカトリック作家の第一人者である。その特色は、宗教と文学 の二要素を芸術化、小説化したことにある。四十年にわたる創作活動において、遠藤 は多くの業績を残している。さらに、宗教的な関心を持ちながらも、常に人間の内面 の真実、人間の心に共存している善、悪を直視したのである。その視線は、とりわけ 弱者への関心を持ち、さらに弱者の苦悶に対する葛藤を描いた小説世界に生かされて いる。 『深い河』は遠藤周作の最後の作品であるが、その集大成としても注目されてい る。この作品には遠藤のすべてが集約されており、これまでの作品のモチーフもうかが うことができる。四十年近い作家生命の全てをかけた作品といっても過言ではない。 遠藤周作の『深い河』(一九九三年六月、講談社)は、魂の救済を求める五人の主 要な登場人物が、離別や死別した者たちへの想いを胸に抱きながら、死者も生者も包 み込む母なるガンジス河、すなわち「深い河」のほとりに集う話である。作中人物の 一人一人がそれぞれ担っている主題は、これまでの遠藤作品の登場人物たちとも深く つながっており、作者自身の分身としても読み取ることができる。 『深い河』の「河」は実体のものとしては印度のガンジス河のことである。この河 を軸として、さまざまな形に現れない意味や複数のイメージが登場人物の内面の動き に従って物語を形成していくのである。そこで、本論は『深い河』論の序論として、 この「河」のイメージについて考察したものである。 キーワード:深い河、ガンジス河、重層的構造、無意識作用、元型、母なる河、人間 の河、連帯感

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明道學術論壇 5(2):113-126(2009)

遠藤周作の『深い河』について―「河」のイ

メージを中心に―

林 根藤

國立高雄第一科技大學應用日語系 講師

要 旨

遠藤周作は日本戦後のカトリック作家の第一人者である。その特色は、宗教と文学

の二要素を芸術化、小説化したことにある。四十年にわたる創作活動において、遠藤

は多くの業績を残している。さらに、宗教的な関心を持ちながらも、常に人間の内面

の真実、人間の心に共存している善、悪を直視したのである。その視線は、とりわけ

弱者への関心を持ち、さらに弱者の苦悶に対する葛藤を描いた小説世界に生かされて

いる。

『深い河』は遠藤周作の最後の作品であるが、その集大成としても注目されてい

る。この作品には遠藤のすべてが集約されており、これまでの作品のモチーフもうかが

うことができる。四十年近い作家生命の全てをかけた作品といっても過言ではない。

遠藤周作の『深い河』(一九九三年六月、講談社)は、魂の救済を求める五人の主

要な登場人物が、離別や死別した者たちへの想いを胸に抱きながら、死者も生者も包

み込む母なるガンジス河、すなわち「深い河」のほとりに集う話である。作中人物の

一人一人がそれぞれ担っている主題は、これまでの遠藤作品の登場人物たちとも深く

つながっており、作者自身の分身としても読み取ることができる。

『深い河』の「河」は実体のものとしては印度のガンジス河のことである。この河

を軸として、さまざまな形に現れない意味や複数のイメージが登場人物の内面の動き

に従って物語を形成していくのである。そこで、本論は『深い河』論の序論として、

この「河」のイメージについて考察したものである。

キーワード: 深い河、ガンジス河、重層的構造、無意識作用、元型、母なる河、人間

の河、連帯感

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Shusaku Endo’s “Deep River”— Take the Image of the “River” as an Example

Lin Ken-tengNational Kaohsiung First University of Science and Technology, Department of

Japanese, Lecturer

Abstract

Shusaku Endo is one of the most famous Catholic writers after World War II. The main

characteristic of his writing is to combine religion and literature, and his works are usually

artified and novelized. During his forty years of writing, many pieces of works were created. In

addition, Endo not only looked at the issue of religion but also constantly probed into humanity

and the evil and good of mankind. In his novels, he particularly paid attention to the weak,

describing the bitterness and the struggle of the weak.

“Deep River”, Endo’s last piece of work, was the greatest compilation of his writing. “Deep

River” was also the very work in which Endo devoted himself. Through reading “Deep River”,

we can know Endos’ philosophy. This work can be regarded as the essence of Endo’s forty-year

long writing life.

Endo’s “Deep River” (June 1993, published by Kodansya) is a book which seeks the

salvation of the soul. In this book, the five main characters, who have their own different

experience of breakups and deaths, meet unexpectedly at Ganga River. Ganga River, which

symbolizes the origin of life, accepts the alive and the dead. That is, Ganga River can be

referred to as the “deep river” in this book. Every character stands for one theme and is closely

connected to the previous characters in Endo’s works, which can be viewed as the portrait of the

author.

If the river in “Deep River” is regarded as a concrete one, it represnets Ganga River in

India. This book, centered on Ganga River, turned the abstract multiple images into a concrete

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story gradually, along with the changes in the characters’ mind. This study aims to investigate

the image of the “river” in “Deep River,” exploring Endo’s profound literaure world.

Keywords: Deep River, Ganga River, multiple structures, unconsciousness effect, Great

Mother, river of life, river in the human world, sense of solidarity

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關於遠藤周作之『深河』∣以「河」

之心象為中心∣

林根藤

國立高雄第一科技大學應用日語系 講師

摘 要

遠藤周作係日本戰後天主教作家之第一人。其特色在於將宗教與文學相結合,然後

再予以藝術化、小說化。在其長達四十年之創作生涯中遺留下諸多的作品。此外,他除

了關心宗教之外,更不斷凝視人們內心之真實面及其之善與惡。他的視線特別是投射在

對於弱者之關懷,描繪對於弱者之苦悶、內心之糾葛,都充分呈現在其小說世界當中。

『深河』為遠藤最後之作品,亦為其創作之集大成。此作品可謂遠藤嘔心瀝血之

作,吾人當可自此一窺其長久以來之中心思想。若說本作品為遠藤四十年作家生命之結

晶亦不為過。

遠藤周作之『深河』(一九九三年六月、講談社)是一部為尋求靈魂救贖之作。五

位主要登場人物,各自心中懷抱著對生離或死別者之思念與不捨,而同時匯聚在如同包

容著生者與死者,象徵一切生命源流的恆河、亦即「深河」之河畔。作品中每一位人物

所擔負的主題與以往遠藤作品中之人物皆有深切的關連,更可視為作者本人之分身。

『深河』之「河」若將之視為有形之物則所指為印度之恆河。以此恆河為主軸,在

有形物所無法呈現之涵義或多重之心象當中,隨著登場人物內心之變化而逐漸形成具體

的故事。本論擬檢視作品名稱『深河』之「河」所映照之心象風景,做為對深遠而複雜

的遠藤文學世界之初探。

關鍵詞: 深河、恆河、多重性構造、無意識作用、元型、生命源流之河、人間之河、連

帶感

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一、はじめに

遠藤周作の『深い河』(一九九三

年六月、講談社)は、魂の救済を求め

る五人の主要な登場人物が、離別や死

別した者たちへの想いを胸に抱きなが

ら、死者も生者も包み込む母なるガン

ジス河、すなわち「深い河」のほとり

に集う話である。作者は、この五人の

さまざまな体験を描写した後、人生に

くたびれた、精神的にいかにも息切れ

している彼らを一緒に会わせ、印度へ

の旅という形で小説のストーリーを展

開させている。彼らのいずれもが他人

との結び付きをほとんど信じられなく

なった時点で、アジアの精神的な母体

とでも形容できる印度へと出発してい

く。作中人物の一人一人がそれぞれ担

っている主題は、これまでの遠藤作品

の登場人物たちとも深くつながってお

り、作者自身の分身としても読み取る

ことができる。

佐藤泰正氏は『深い河』について、

〈作家遠藤が処女評論(『神々と神

と』)、また処女創作(『アデンま

で』)以来かかえていたさまざまな流

れが、いまひとつの〈河〉となって注

がれたのが、この新作『深い河』であ

る〉1とし、その意味を重視している。

また、上総英郎氏は『深い河』を

「愛の河」、つまり生ける者も死せる

者も、醜い人間も汚れた人間もすべて

拒まず受け入れる、聖なるものとして

とらえる。そして、〈遠藤周作は人間

がこの世で演じる聖と汚濁のドラマの

終局を求めて、その小説世界を展開し

てきた。『深い河』まで、その歩みは

一筋であったが、その創作によって遂

に大河を探しあてる所まで歩んできた

のだ〉2と論じている。

『『深い河』創作日記』3に、〈この

小説が私の代表作になるかどうか、自

信が薄くなってきた。しかし、この小

説のなかには私の大部分が挿入されて

いることは確かだ〉(一九九二年八月

十八日付け)、また、〈ストーリーに

は長い間の私の小説の型があるような

気がしてならない。その型がひょっと

すると私の人生観、人間観なのかも知

れぬ〉(一九九二年七月三十日付け)

と記されている。ここからこの『深い

河』の物語の原型や、作者がこの作品

に自分の思想や人生観を明確に提示し

たことが分かるとともに、作品自体が

遠藤にはいかに重要であったかを窺う

ことができよう。

1 佐藤泰正著 『佐藤泰正著作集⑦ 遠藤周

作と椎名麟三』(翰林書房 一九九四年

一〇月)

2 上総英郎著 『遠藤周作へのワールド・ト

リップ』(パピルスあい 二〇〇五年四

月)3 遠藤周作著 『『深い河』創作日記』(講

談社 一九九七年九月)

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物語は、〈仏跡の旅〉だったはず

のツアーが、河のほとりの町(ヴァー

ラーナスィ)で主人公四人の足が引

き止められた形で展開する。主人公の

一人、木口の発熱のためだという設定

であるものの、物語をこの河のほとり

で、この大きな流れの河を中心として

発展させようという意図は明白である

と考えられよう。

『深い河』の「河」は実体のもの

としては印度のガンジス河のことであ

る。この河を軸として、さまざま形

に現れない意味や複数のイメージが登

場人物の内面の動きに従って物語を形

成していくのである。そこで、本論

は『深い河』論の序論として、この

「河」のイメージについて考察してみ

たいと考える。

二、「河」のイメージ

(一)重層的な河のイメージ

さて、このように作品を象徴する

「河」について、玉置邦雄氏は〈河が

流れている場合、目前に眺められる表

層の水流の下側の隠されたその深い底

には、判然と目には見えない確実な暗

流がある。『深い河』もまた、自然の

河の流れのように重層的な構造性をも

って読者に迫り来るのである〉4と述

べている。作品のなかでは具体的には

印度人たちに聖河と呼ばれるガンジス

河を指す。何千年かに亙って、この河

は彼らに有形的、無形的な宝を与えて

くれた。その水を飲んだり、魚など食

べ物を提供したりすることが有形的、

形而下の機能価値である。無形的、形

而上的な価値はヒンズー教徒に魂の慰

めと希望を与えることにあり、生活的

にも宗教的にも強く結びづいた河であ

る。

現代の人間は自然と衝突、対立して

いく。しかしこの印度文化にきちんと

保存されている人間と自然の水との関

係パターンはそれと異なる。印度人は

ガンジス河に沐浴し、死後死体の灰を

河に流せば、〈次の世界ではよき境遇

に生まれることができる〉と信じてい

る。衛生と清潔を求める文明世界から

見れば、この灰色で濁った河は絶対に

清流とは言えない。しかし、数多くの

印度ヒンズー教徒にとって、これは聖

なるものである。

いわゆる西洋文明の世界からみれ

ば、河畔の風景は、矛盾に満ちている

と言えよう。生と死、水と火、不潔と

神聖など対立した二つのものが自ずか

ら共存しているからである。この特質

はそのままヒンズー教のカーリー女神

像の優しさと凶暴さの矛盾した両面性

を同時に具備していることに通じる、

また、人間という善悪兼備、正邪併置

4 玉置邦雄著 「『深い河』論」(『作品論

 遠藤周作』 双文社 二〇〇〇年一月)

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の存在の複雑性を象徴しているとも言

える。

物語は、表層では個々別々に在った

人生の流れを、中層でひとところに集

め、深層の終章に大津を真似て祈る美

津子をとおして、「永遠そのもののよ

う」にみえる〈深い河〉に合流させて

いるのではなかろうか。

(二) 無意識作用を喚起する河のイメー

以上述べたようなイメージを持った

河は、『深い河』の登場人物たちの内

面に如何なる関係を持ち、変化をもた

らしたのだろうか。登場人物たちは文

明国と言われる日本から、この近代文

明に取り残されたようなガンジス河に

近づくにつれ、人物たちの無意識作用

が喚起される。ガイドの江波は言う。

「印度を不潔と思うなら、ヨー

ロッパの楽しいツアーをお選び

になるべきだったんです。印

度を御旅行になった以上は……

ヨーロッパや日本とまったく違

った、まったく次元を異にした

別世界に入ってください。い

や、違いました。言いなおし

ます。我々は忘れていた別の

世界に今から入っていくんで

す。(略)……」(傍線筆者)

(一七五頁)

この「忘れていた別の世界」とは、

河畔の風景や、人間の臭い、土の臭

い、樹木の臭いだけでなく、玉置邦雄

氏の言う〈判然と目には見えない確実

な暗流〉、すなわち人間の無意識をも

意味しているのであろう。

遠藤氏もまた人間の無意識について

〈イメージが無意識にひそむ元型から

織りなされてくるもの〉で、〈深層心

理学者のユングの場合は、人間の心の

方向を決める元型はあくまで意識のな

かにはなく無意識のなかにひそんでい

て、それは個人によって、時代によっ

て、民族によってそれぞれ違ったあら

われ方をするが、それを生みだす元型

は人類に共通している〉5と述べてい

る。

さらに、河は生活の必須と人間の

満足を満たすことによって、賛美され

神聖視されるが、氾濫などほかの災難

を引き起こす状況もあるから、人間に

とって恐ろしい、処罰するイメージを

持っている。この特質とイメージが母

のイメージとつながって、ユングはこ

れを集合的無意識を象徴する「母親元

型」6と言った。つまり、母性の持つや

5 遠藤周作著 「元型について」 (『遠藤

周作文学全集13』 新潮社 二〇〇〇年

五月)6 C・G・ユング著、林道義訳 『元型論』

(紀伊国屋書店 一九八二年六月)

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さしく、かつ恐ろしい両価的な本質の

ことである。これが作中人物たちがこ

の見たことがないほど汚い異国の河に

感動した理由であろう。作中人物たち

のなかに潜んでいる所謂集合的無意識

の母親元型が喚起されたのである。

(三)母なる河のイメージ

遠藤周作は始めてガンジス河を訪ね

たとき、その河畔の光景に大変な衝撃

を受けながらも〈だが、ゆたかなガン

ジス河を母なるもののイメージにおき

かえ、母より生まれたものが、母なる

ものに還るという感覚だけは東洋人で

ある私には私なりにわかるような気が

した〉また、〈そうした苛烈な自然を

一方に持ち、悲惨な生活を他方に持て

ば持つほど、この豊かさと優しさをあ

わせたガンジス河だけが彼らにとって

「母」となるのはわかるような気もす

るのである。それは母になるに相応し

い広さと大きさと、そして巨大な長さ

を持った河だった〉 と記したのであ

る。7

このように河は「母なるもの」の持

つ慈愛の一面を持っている。このよう

な「母なるもの」に対する愛着は明ら

かに『深い河』の男主人公たちのなか

に見出すことができる。木口は美津子

に打ちあける。

「成瀬さん、飢えたことがあり

ますか。いや、あんたには本当

の飢えなど想像もできん。雨季

のビルマでな、私たち日本兵は

銃も捨て、食べ物もなく、烈し

く降る雨の中を、ただ逃げまわ

った時です。周りはジャングル

で、路の至るところ、羊歯の葉

かげや樹木の間から、もう動け

ん病兵の泣き声、呻き声が聞え

とりましたよ。だが助けてやる

こともできん。助けてくださ

い、連れていってください、と

いう泣き声や呻き声を背中で聞

いて、私らは足を曳きずりまし

たが、……一番、聞くのが辛か

ったのは、お母あさ―ん、とい

う若い兵隊たちの声でした。

(略)」(三二一頁)

そして、河に向ってなくなった妻に

〈お前〉、〈どこに行った〉と呼びか

ける磯辺の場合。

だが、一人ぼっちになった今、

磯辺は生活と人生とが根本的に

違うことがやっと分かってき

た。そして自分には生活のため

に交わった他人は多かったが、

7 遠藤周作著 「ガンジス河とユダの荒野」

(『遠藤周作文学全集13』 新潮社 

二〇〇〇年五月)

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人生のなかで本当にふれあった

人間はたった二人、母親と妻し

かいなかったことを認めざるを

えなかった。(三〇八頁)

生活が日常の表層意識の次元である

とするならば、人生とはその意識下と

深くかかわる次元であるといえよう。

無意識の奥底にあって母親も妻もすべ

て包み込み流れる母なる「深い河」が

彼の存在の根底をも包み込み流れてい

ることを磯辺はガンジス河の流れに立

ってはっきりと意識したのである。

また、印度に四年間留学し、印度

を知り尽くした添乗員の江波は一行を

チャームンダー女神像のある地下の寺

院からガンジス河に案内するときに、

〈いよいよ母なるガンジス河です〉と

いう言葉を自然にもらしてしまう。

母なるという言葉はさきほど地

下室に足をふみ入れた何人か

に、毒蛇や蠍に噛まれ、ハンセ

ン氏病を病み、飢えに耐えなが

ら子供たちに乳を与えていた女

神を思い出させた。印度の母。

母の持つ、ふくよかな、やさし

さではなく、喘ぎ生きている皮

と骨だらけの老婆のイメージ。

にもかかわらず彼女はやはり母

だった。(二二八頁)

これはいうまでもなく遠藤らしい

「母なるもの」のひとつとして数えら

れるイメージなのだが、その母なる

神が結局この五人の祈りに答えるよう

なことはなにひとつできない神で、で

きるのはただ人間とともに苦しみ合う

「同伴者」のことだけである。

慈愛に満ちた母とは単なる優しい母

ではなく、この醜く老い果てたチャー

ムンダーの女神像こそが母の本質を示

すものであり、ガンジス河も〈生ける

者や死せる者〉、〈人間だけでなく、

生きるものすべて〉を受け入れるので

ある。

(四)人間の河のイメージ

一人一人に人知れぬ辛い人生の過程

がある。作品中の美津子は他の四人の

主人公の人生の苦悩の告白を聴きうけ

る人物である。美津子は彼らについて

〈誰も見抜けぬ彼等だけのドラマ〉を

次第に見出していく。みんなの辛さと

悲しみを預かってガンジス河に行き、

そこで焼かれる死体、大勢のヒンズー

教徒が沐浴したり来世がこの世のよう

に苦しくないようと祈ったりする光景

を見て、美津子も印度人のようにサリ

ーに着替えてガンジス河に沐浴し、そ

の「河」に身を沈めることになる。そ

して、美津子は変貌する。

「信じられるのは、それぞれの

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人が、それぞれの辛さを背負っ

て、深い河で祈っているこの光

景です」と、美津子の心の口調

はいつの間にか祈りの調子に変

わっている。「その人たちを包

んで、河が流れていることで

す。人間の河。人間の深い河の

悲しみ。そのなかにわたくしも

まじっています」(三四二頁)

この再生(過去の死、新しい出発)

を象徴する美津子の沐浴の場面は、愛

を拒否し続けてきた美津子が人間的な

河を発見し、人間的なものを改めて見

つめることができたという感銘深い表

現であろう。「その河の流れる向こう

に何があるか知らないけれど」とは、

その時の美津子の言葉である。しかし

また、彼女の「真似事としての祈り」

は、確実に「何か大きな永遠のもの」

に向けられる。人間の対立と争い、そ

して憎しみ。正義と悪。それら〈人

生〉のすべてを包みこんで流れていく

時と永遠。そして人間の死と魂の再生

である。

こうして、このガンジス河は具体的

な河から象徴的な〈人間の河〉へと変

容していく。ガンガーとジャムナーの

二つの河の合流点がヒンズー教で聖地

といわれるように〈人間の河〉も互い

に交錯、合流することに意味がある。

それは「生命の連帯感」である。磯辺

は次のように言う。

結婚による結びつきは一度や二

度の浮気とはまったく関係のな

いものなのだ。要するに彼にと

って妻は姉妹に女性を感じない

のと同じような存在になってい

たのである。そのかわり、歳月

と共に眼にみえぬ連帯感が埃が

つもるように少しずつ出来あが

っていった。

夫婦愛とはこの連帯感を指すの

だろうか。(二〇九頁)

また、木口はかつてビルマ戦線の

「死の街道」の絶望と疲労の体験を持

ち、ツアーの直前に、自分を助けた戦

友の塚田の死を見取っている。塚田の

死を見取ったとき、木口は人間と人間

をつなぐ目に見えない糸の存在を強く

感じていた。さらに、沼田は大病を患

って死に直面した体験に基づいて、動

物や人間だけでなく、〈生命あるもの

すべてとの結びつき〉を願っている。

愛に渇き、「愛の真似事をやり続けて

きた」美津子の場合は、ガンジス河に

来て、四人の話を受け入れていくうち

に、自分もまたみんなと同じく人間の河

に浮いたり沈んだりしながら生きてき

たことを理解するようになる。美津子

にも連帯の思いが生まれたのである。

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(五)愛の河のイメージ

旅行団に属さない大津は、人に軽蔑

されたり、苛められやすい人のよい性

格の持ち主で、美津子に捨てられフラ

ンスに渡り、神父となった。しかし、

教会のあり方にどうしてもなじめず、

印度に来た。ここでイエスの愛の行い

に倣って他者を救おうとし、最後イエ

スと似かよった境遇に陥り、危篤にな

った。この大津にとって、ガンジス河

はどのようなイメージを持っているの

か。

美津子が大学時代に学校のチャペル

で読んだ聖書の一節。

彼は醜く、威厳もない。みじめ

で、みすぼらしい

人は彼を蔑み、見すてた

忌み嫌われる者のように、彼は

手で顔を覆って人々に侮られる

まことに彼は我々の病を負い

我々の悲しみを担った(七一

頁)

イエスを表現したこの言葉は、最初

読んだ時、彼女にとって実感がなく理

解できない言葉であった。しかし、三

度出会った大津を通して、美津子はこ

の言葉を理解する。

その人の上に女神チャームンダー

の像が重なり、その人の上にリヨ

ンで見た大津のみすぼらしいうし

ろ姿がかぶさる。(二八六頁)

つまり、みすぼらしいイエスと醜い

女神像と軽蔑される大津のイメージが

統一されたのである。それは大津の言

葉で言えば「玉ねぎ」としての愛の姿

である。大津にとってこの愛は母のぬ

くもりから始まった。

少年の時から、母を通してぼく

がただひとつ信じることのでき

たのは、母のぬくもりでした。

母の握ってくれた手のぬくも

り、抱いてくれた時のぬくも

り、愛のぬくもり、兄姉にくら

べてたしかに愚直だったぼく

を見捨てなかったぬくもり。

(一九二頁)

大津にとって、この母から感じたぬ

くもりがイエスの生涯をかけて人間に

示した愛に繋がった。大津は美津子に

も、教会にも捨てられた。しかし自分

は人間を捨てない。美津子に捨てられ

て以来、死を前にして人間に見捨てら

れたイエスに共感して、イエスに倣っ

て、その愛の実践者となることでその

精神は女神とイエスと重なった。大津

は言う。

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遠藤周作の『深い河』について―「河」のイメージを中心に―

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「ガンジス河を見るたび、ぼくは

玉ねぎを考えます。ガンジス河は指の

腐った手を差し出す物乞いの女も殺さ

れたガンジー首相も同じように拒まず

一人一人の灰をのみこんで流れていき

ます。玉ねぎという愛の河はどんな醜

い人間もどんなよごれた人間もすべて

拒まず受け入れて流れます」(三〇二

頁)

「アウト・カースト」最下層のヒ

ンズーたちの死体を、病者を、つまり

彼らの苦しみを背負って、ガンジスに

運ぶ彼こそ、物語のなかでもっとも深

く「河」にかかわる存在である。すべ

ての生の苦しみを受け入れて浄化する

〈深い河〉の深さを、身にしみて感じ

るものが彼なのだから。大津はガンジ

ス河の本質と彼の信じているイエスの

本質を結びつけたのである。またそれ

は、この人間世界を包みこみ、今この

瞬間にまさに生きて働く「大きな命」

そのものであり、「愛の働き」そのも

のだということであろう。生きるもの

の生や死をすべて包んでいるガンジス

河のイメージが人間の善も悪も、美も

醜も、苦も楽もすべて見捨てないイエ

スの愛と結びついたのである。

三、まとめ

遠藤周作は河の持つ意味について次

のような言葉を述べたことがある。

時折、多摩川の川原に腰掛ける

と、一種の感動に似た気持ちをい

つも味わうのは何故だろう。そ

れは河の流れに人生の流れに似

たものを感じるからだろうか。

さまざまの村がそのほとりに作

られては消え去り、人間がそこ

で生きては死んでいくのに、

川だけは流れつづけていく8。

以上、「河」のイメージを巡って登

場人物とガンジス河のイメージとの関

係を考察してみた。河は変わるものと

変らぬものを持っている。変わらない

のはその様子で、何万年も何千年も流

れている河は古今を問わず同じ方向へ

流れて、世間の様子を見守っている。

変わるのは時の流れにしたがって、河

のほとりで活動する数え切れない人間

たちである。『深い河』の小説の世界

では、河は一語も漏らさずに黙々と流

れ、人物たちの内面の動きにしたがっ

て、そのイメージが変化していく。

灰色の川面は人物たちの過去の人生

と同じように明らかではない。われわ

れは人間の中に潜んでいる無意識の喚

起作用で、見知らぬ異国の河にも感動

し、それぞれのなかにある「深い河」

を発見する。

8 同注7

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明道學術論壇 5(2):113-126(2009)

磯辺や沼田や木口はこの河の前に

立って、自己の中に人間と人間を繋い

でいる河の流れを発見した。美津子は

女神像とイエスと大津と河のイメージ

を統一することができた。美津子はみ

んながそれぞれ一つのかけがえない人

生の小河を持っていて、小河が互いに

合流し、連帯して自分のなかに「深い

河」が流れていることを感じる。それ

を「人間の河」と呼んだ美津子は、病

苦や死や飢餓を抱え込んだ惨めな女神

像を理解し、さらに見知らぬ老婆を河

まで運ぶ大津を理解した。美津子の心

は確実に「何か大きな永遠のもの」と

交流していくのであって、これを到達

点として『深い河』の作品世界の円環

が閉じられる。死んだ人間たちの悲し

みとその人生を背負って、その〈河〉

まで運んでくる大津は、河を「愛の

河」に喩えた。

このように「深い河」は重層したイ

メージを持っている。河は人間の無意

識の象徴、母型として人物たちに感動

を与える。人間の河、愛の河である。

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年)、『元型論』、日本:紀伊国屋書

店。

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● 佐藤泰正、(1994年)、『佐藤泰正著作

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翰林書房。

● 遠藤周作・V・C・ゲッセル他、

(1994年)、『「遠藤周作」とShusaku

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● 遠藤周作、(1997年)、『『深い河』創

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● 遠藤周作、(1999年)、『遠藤周作文学

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● 遠藤周作、(1999年)、『遠藤周作文学

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● 遠藤周作、(2000年)、『遠藤周作文学

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● 笠井秋生・玉置邦雄、(2000年)、『作

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● 川島秀一、(2000年)、『遠藤周作 <

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● 上総英郎、(2005年)、『遠藤周作への

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遠藤周作の『深い河』について―「河」のイメージを中心に―

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● 加藤宗哉、(2006年)、『遠藤周作』、

日本:慶応義塾大学出版会。