古記録と噴火堆積物からみた富士山貞観噴火の推移...七年に起きた現象は,仮に噴火であったとしても小規模なものであろう....
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富士山ハザードマップ検討委員会第 2 回基図部会提出資料 3(2001.10.31)
古記録と噴火堆積物からみた富士山貞観噴火の推移
小山真人(静岡大学教育学部総合科学教室)
鈴木雄介(静岡大学理学部地球科学教室,現所属:アジア航測)
宮地直道(農業技術研究機構野菜茶業研究所)
未発表資料
この資料は調査途中の段階のデータをもとに作成したものであり、今後
さらに調査・研究を進めて論文等として発表予定の内容を含みます。
富士山ハザードマップ検討委員会第 2 回基図部会提出資料 3(2001.10.31)
富士山ハザードマップ検討委員会第2 回基図部会提出資料 1(2001.10.31)
古記録と噴火堆積物からみた富士山貞観噴火の推移
小山真人(静岡大学教育学部総合科学教室)
鈴木雄介(静岡大学理学部地球科学教室,現所属:アジア航測)
宮地直道(農業技術研究機構野菜茶業研究所)
未発表資料
この資料は調査途中の段階のデータをもとに作成したものであり、今後さらに調査・研究を進めて論文等と
して発表予定の内容を含みます。
1.はじめに
貞観六~七年(864 年~866 年初頭)に起きた富士山の貞観噴火は,富士五湖のうちの3湖(本
栖湖・精進湖・西湖)が溶岩流の埋め立てによってほぼ現在の形となった噴火であり(図1),宝永
噴火に次いで豊富な文字記録が残されている噴火でもある.貞観噴火の古記録を検討した津屋
(1938)は,噴火の際に長尾山から青木ケ原溶岩が流出したと推定した.その後,小山(1998)が
古記録,鈴木ほか(2001)が地質層序についてさらに詳しい検討をおこない,貞観噴火の詳しい
推移を明らかにした.ここでは小山(1998)および鈴木ほか(2001)の成果と,その後の知見につ
いてまとめる.
2.最初の2週間
貞観噴火当時の朝廷が編纂した史書『日本三代実録』に
「(貞観六年五月)廿五日庚戌(中略)駿河國言,富士郡正三位淺間大神大山火,其勢甚熾,焼山方一二
許里,光炎高廿許丈,大有聲如雷,地震三度,歴十餘日,火猶不滅,焦岩崩嶺,沙石如雨,煙雲鬱蒸,人
不得近,大山西北,有本栖水海,所焼岩石,流埋海中,遠卅許里,廣三四許里,高二三許丈,火焔遂属
甲斐國堺」
とある.
貞観六年五月二十五日(864 年 7 月 2 日)に駿河国からの富士山噴火の第1報が届いた.京都
富士山ハザードマップ検討委員会第 2 回基図部会提出資料 3(2001.10.31)
までの距離を考えると,報告の内容はその数日前の状況を物語っていると言えよう.864 年の 6 月
末時点においてすでに噴火が始まっており,流出した溶岩流が本栖湖に流入し始めていた.ま
た,「歴十餘日」とあるから,噴火開始はその十数日前であったことがわかる.つまり,噴火開始は,
京都に報告が届いた 7 月 2 日から 20 日ほど前の,おそらく 6 月中旬であったろう.
貞観噴火の堆積物は,図1の右下に示す8つの地質ユニット(氷穴溶岩,長尾山スコリア丘/長
尾山スコリア,神座風穴溶岩,長尾山溶岩-1,石塚溶岩-1,長尾山溶岩-2,長尾山溶岩-3,石
塚溶岩-2)からなる.本栖湖に流れ込んでいるのは,このうちの石塚溶岩-1 である.石塚溶岩-1
と長尾山スコリア丘/長尾山スコリアおよび氷穴溶岩との直接の上下関係は不明であるが,いず
れも長尾山溶岩-1 におおわれており,噴火初期のものであることがわかる.このことから,噴火開
始後2週間経過した時点での噴火堆積物分布を,図1の1のように推定した.
3.次の2ヶ月
続いて噴火の第2報が,貞觀六年七月十七日(864 年 8 月 22 日)に甲斐国から京都にもたらさ
れた.『日本三代実録』に
「(貞觀六年七月)十七日辛丑(中略)甲斐國言,駿河國富士大山,忽有暴火,焼碎崗巒、草木焦殺,土鑠
石流,埋八代郡本栖并{セ}兩水海,水熱如湯,魚鼈皆死,百姓居宅,與海共埋.或有宅無人,其數難記,
兩海以東,亦有水海,名曰河口海,火焔赴向河口海,本栖{セ}等海,未焼埋之前,地大震動,雷電暴雨,
雲霧晦冥,山野難弁,然後有此災異焉」
とある.
報告の日付から考えて,噴火開始から2ヶ月以上過ぎた時点での状況が語られている.溶岩流
は本栖湖とせの湖の2湖に流入し,多くの民家が溶岩流の下敷きとなった.また,溶岩流の別の
流れは河口湖方面へと向かっている.この情景描写は,現在の溶岩流の分布状況(図1の4)を
ほぼ満たしているから,貞観噴火のクライマックスは噴火開始から2ヶ月以内であったとみられる.
なお,湖への溶岩流入前に大きな地震があったことも記述されている.
上述した2ヶ月後の時点での噴火堆積物の推定分布を,図1の3に示した.なお,図1の2は,図
1の1との関係をわかりやすくするために補助的に挿入した図であり,噴火開始2週間後から2ヶ月
後までのどこかの時点でのものとなる.現在の西湖の南西岸に分布する溶岩流,および河口湖方
面に向かって伸びた溶岩流の先端部分(図1の3のAの部分)は,いずれも長尾山溶岩-1 である
ため,図1の2および3のような分布を推定した.神座風穴溶岩については,該当しそうな史料記
述はないが,石塚溶岩-1 と同じ噴火割れ目から流出したように見えることから,石塚溶岩-1 と同じ
富士山ハザードマップ検討委員会第 2 回基図部会提出資料 3(2001.10.31)
く,この時期までにほぼ流出を終えたと考えた.
4.その後の2年
その後の噴火推移を知る手がかりは断片的・間接的なものしかない.同じく『日本三代実録』に
「(貞觀六年八月)五日己未,下知甲斐國司云,駿河國富士山火,彼國言上,決之蓍龜云,淺間名神禰宜
祝等不勤齋敬之所致也,仍應鎭謝之状告知國訖,宜亦奉幤解謝焉」
とあり,噴火開始から約 3 ヶ月後の貞觀六年八月五日(864 年 9 月 9 日)になって,朝廷は甲斐国
に対して浅間名神を奉り鎮謝するよう命じている.
これ以後,両国からの報告はしばらく途絶え,噴火開始から約 1 年半後にようやく次の記録があ
らわれる.『日本三代実録』に
「(貞觀七年十二月)九日丙辰,勅,甲斐國八代郡立淺間明神祠,列於官社,即置祝祢禰宜,隨時致祭,
先是,彼國司言,往年八代郡暴風大雨,雷電地震,雲霧杳冥,難辨山野,駿河國富士大山西峯,急有熾
火,焼碎巖谷,今年八代郡擬大領無位伴直眞貞託宣云,我淺間明神,欲得此國齋祭,頃年爲國吏成凶
咎,爲百姓病死,然未曾覺悟,仍成此恠,須早定神社,兼任祝禰宜,々潔齋奉祭,眞貞之身,或伸可八
尺,或屈可二尺,變體長短,吐件等詞,國司求之卜筮,所告同於託宣,於是依明神願,以眞貞爲祝,同
郡人伴秋吉爲禰宜,郡家以南作建神宮,且令鎭謝,雖然異火之變,于今未止,遣使者檢察,埋{セ}海千
許町,仰而見之,正中最頂飾造社宮,垣有四隅,以丹青石立,其四面石高一丈八尺許,廣三尺,厚一尺
餘,立石之門,相去一尺,中有一重高閣,以石搆營,彩色美麗,不可勝言,望請,齋祭兼預官社,從之」
とある.
貞觀七年十二月九日(865 年 12 月 30 日),甲斐国八代郡に浅間明神の祠を立てて官社に列し,
祭祀をおこなわせるという勅が下った.そして,その理由として「往年」に「富士大山西峯」が噴火
したことを述べている.「往年」は前述した貞観六年のことを指すだろうから,貞観六年の噴火は
「富士大山西峯,急有熾火」,つまり富士山の西側斜面で起きた側噴火であったことが史料記述
からもわかる.
そして,注目すべきはその後の記述に,甲斐国司は神宮を立て祭祀を置いて鎮謝させたにもか
かわらず,「異火之變,于今未止」,すなわち異火の変は未だ止んでいないとされていることであ
る.つまり,貞観七年末(865 年末~866 年初め)にも何らかの異常現象が起きたようである.ただ
し,先に述べたように貞観噴火のクライマックスは最初の2ヶ月以内にあったとみられるから,貞観
七年に起きた現象は,仮に噴火であったとしても小規模なものであろう.
なお,その 11 日後の貞觀七年十二月二十日(866 年 1 月 10 日),『日本三代実録』に
富士山ハザードマップ検討委員会第 2 回基図部会提出資料 3(2001.10.31)
「廿日丁夘,令甲斐國於山梨郡致祭淺間明神,一同八代郡」
とあり,甲斐国山梨郡にも八代郡と同じように浅間明神の祭礼をするよう指令が下っている.
以上の記述に火山現象や地理の描写がほとんどないので,この時期に何が起きたのかを正確
に知ることは困難である.長尾山溶岩-1 をおおう地質ユニットとしては長尾山溶岩-2 および 3 と
石塚溶岩-2 があり,いずれも火口付近だけに狭く分布し,厚さも下位のものより厚い.おそらく噴
火末期に流出した粘性の高い溶岩流であると思われるが,正確な流出時期は不明である.
引用文献
小山真人(1998b):歴史時代の富士山噴火史の再検討.火山,43,323-347.
鈴木雄介・小山真人・宮地直道(2001):富士山北西斜面の噴火史.地球惑星関連学会 2001 年合同大会
予稿集, Jn-019 .
津屋弘逹(1938):富士火山の地質学的並びに岩石学的研究(III),青木ヶ原溶岩の分布と噴出中心.地
震研究所彙報,16,638-657.
神座風穴溶岩
氷穴溶岩
長尾山
本栖湖
石塚溶岩-1
1500
1000
1000
N
1km
石塚
神座風穴火口
100cm
50cm
長尾山スコリア
長尾山溶岩-1
せの湖
神座風穴溶岩
氷穴溶岩
長尾山
本栖湖
1500
1000
1000
N
1km
石塚
神座風穴火口
100cm
50cm
長尾山スコリア
石塚溶岩-1長尾山溶岩-1
神座風穴溶岩
氷穴溶岩
長尾山
本栖湖石塚溶岩-1
1500
1000
1000
N
1km
石塚
神座風穴火口
100cm
50cm
長尾山スコリア
長尾山溶岩-1
A
神座風穴溶岩
氷穴溶岩
長尾山
長尾山溶岩-2
長尾山溶岩-3
本栖湖
精進湖
石塚溶岩-1長尾山溶岩-1
西湖
1500
1000
1000
N
1km
石塚溶岩-2石塚
神座風穴火口
100cm
50cm
長尾山スコリア
図1 古記録と地質調査結果からみた864~866年富士山貞観噴火の推移.
864年6月中旬 噴火開始
約2週間(駿河国からの第1報時点)
1
2
3
4
本栖湖に石塚溶岩-1が流入し始めた.
まず氷穴溶岩が流出した.
氷穴溶岩を覆って長尾山スコリア丘が噴出し、まわりに長尾山スコリアが堆積した。
長尾山スコリアを覆って長尾山溶岩-1が流出を開始した.
また、ほぼ同時期にもう一方の割れ目火口から石塚溶岩-1・神座風穴溶岩が流出を開始した。
本栖湖とせの湖の2湖に溶岩が流入し、多くの民家が溶岩流の下敷きになった。
また、溶岩の一部の流れ(図3のAの部分)が河口湖方面へと向かっている。
なお,湖への溶岩流入前には大きな地震があった。
865年12月30日の記録に未だ異火の変は終わらずとの記述がある。このことから噴火開始からおよそ2年後に、なんらかの異常があったかもしれない.
溶岩流出の最終期に石塚溶岩-2,および長尾山溶岩-2・3が流出
噴火開始から約2年
氷穴溶岩
長尾山溶岩-2
長尾山溶岩-3
長尾山スコリア
石塚溶岩-2
貞観噴火堆積物の地質層序
0cm
50
100
褐色ローム
火山砂
黒色スコリア
φ<2cm火山弾を含む
火山砂
赤色スコリアアグルチネート
φ<25cm
氷穴溶岩
長尾山スコリア
小山・鈴木・宮地未発表資料
石塚溶岩-1神座風穴溶岩 長尾山溶岩-1
約2ヶ月(甲斐国からの第2報時点)
1
2
3
4
6
2.貞観噴出物の体積検討
貞観噴火活動経過等を推定するためには、貞観噴火による噴出量を求める必
要がある。しかし、貞観噴火以前にあったとされる「せの湖」に流入した溶岩
の層厚などが不明である。
ここでは、貞観噴火による噴出量の最小値を求める方法として①・②の方法、
最大値を求める方法として③の方法の3通りの事例を示す。
(1)津屋(1968)の地質図から求まる面積に層厚をかけて算出する方法(従
来の方法)
(2)貞観噴火の推移より求まる面積に層厚をかけて算出する方法
(3)「せの湖」への流入分を②に加えて試算する方法
の3通りの事例を示す。
(1). 津屋(1968)の地質図から求まる面積に層厚をかけて算出する方法
(従来の方法)
0.158km3
・算出方法
津屋(1968)の地質図による「青木ヶ原溶岩」の分布面積(図1の赤線)に
層厚 5m をかけて算出。
・課題点
・貞観噴火以前にあっ
たとされる「せの湖」
に流入した溶岩の体
積を考慮していない。
・津屋(1968)による
青木ヶ原溶岩の分布
は状暗噴火で噴出し
た溶岩を「青木ヶ原
溶岩」のみとしてあ
り、個々の溶岩につ
いては詳細な検討を
加えていない。
図1津屋(1968)による青木ヶ原溶岩の分布
7
(2).貞観噴火の推移に基づいて試算した体積
0.348km3
・算出方法
・各溶岩流を貞観噴火の推移に基づき求めた。
・求めた面積に現地調査による各溶岩の層厚を乗じた。
溶岩面積(km^2) 平均層厚(km) 体積(km^3) 層厚確認地点数
長尾山溶岩-1 22.347 0.010 0.223 3長尾山溶岩-2 0.468 0.002 0.001 1長尾山溶岩-3 0.716 0.003 0.002 1氷穴溶岩 0.826 0.010 0.008 2石塚溶岩-1 10.128 0.010 0.101 2石塚溶岩-2 0.219 0.005 0.001 1神座風穴溶岩 2.078 0.005 0.010 2
溶岩合計 0.348
テフラ体積(km^3) (km^3DRE)
長尾山スコリア 0.000 0.000長尾山 0.003 0.001
テフラ合計 0.004 0.001
※テフラの体積はHAYAKAWAの式による
テフラの体積密度=0.8gcm-3 溶岩密度=2.5gcm-3
貞観噴火総噴出量
8
(3).貞観噴火の推移に基づいて「せの湖」流入分も含めて試算した体積
0.796km3
・算出方法(「せの湖」に流入した溶岩の体積について)
・「せの湖」に流入した溶岩の体積
・各溶岩ごとの体積
を考慮して貞観噴火噴出物の体積を試算した。
・古文書中に記載されている「せの湖」に流入した溶岩の体積を見積もるため、
津屋(1968)の地質図と現在の地形図より「せの湖」の等深線を推測した
(図2)。
・火口からの傾斜が緩やかになっている部分を「せの湖」の範囲とし
た(図2断面図)。
・西湖の水深を延長し、「せの湖」の等深線を作成。
・貞観噴火以前の古記録において「本栖湖」と「せの湖」の2つの名
前が独立に存在することと、本栖湖東岸において地表近くに古い溶
岩(NW14)が露出していることから、本栖湖東岸から精進湖にいた
る地域での貞観噴火の溶岩流による埋め立て量は少ないと推測。
溶岩面積(km^2) 平均層厚(km) 体積(km^3) 層厚確認地点数
長尾山溶岩-1 22.787 0.556 3長尾山溶岩-2 0.535 0.002 0.001 1長尾山溶岩-3 0.772 0.003 0.002 1氷穴溶岩 0.927 0.010 0.009 2石塚溶岩-1 12.227 0.209 2石塚溶岩-2 0.219 0.005 0.001 1神座風穴溶岩 2.609 0.005 0.013 2
溶岩合計 0.79199349
テフラ体積(km^3) 体積(km^3DRE)
長尾山スコリア 0.000 0.000長尾山 0.003 0.001
テフラ合計 0.004 0.001
※テフラの体積はHAYAKAWAの式による
テフラの体積密度=0.8gcm-3 溶岩密度=2.5gcm-3
9
・作成した等深線と現在の標高の差から地点での溶岩の層厚を算出し、等層
厚線を作成。
・等層厚線をもとに流入した溶岩の体積を算出。
「せの湖」に流入した溶岩の体積
長尾山溶岩-1・・・0.39km3
石塚溶岩-1・・・・0.11km3
課題点
・「せの湖」に流入した溶岩の体積は算出方法により値が大きく変わるため、今
後検討を要する
・ボーリングデータ等の確認が必要である。