光学材料、光学薄膜の損傷機構のパーコレーション...

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光学材料、光学薄膜の損傷機構のパーコレーションモデル 佐々木 量子科学技術研究開発機構・関西光科学研究所 本共同研究は、レーザー研究において重要な光 学素子の損傷のメカニズムを、統計モデルのひとつ であるパーコレーションモデルで明らかにし、光学 材料中のミクロな原子分子過程を、媒質の導電性、 光の透過性などの抽象的な特性とその転移として表 し、光学損傷のマクロな特性を明らかにすることを 目的として行った。 光学損傷は、レーザーの発明当時から研究され ているが、複雑な現象であり、そのメカニズムの解 明は不十分である。損傷の発生には確率的な性質が 強く、予想よりもはるかに低いレーザー強度で損傷 が発生することがある。波長変換に用いられる非線 形光学結晶では、変換効率を高めるためにはレーザ ー強度を高める必要があるが、それによって結晶は より損傷を受けやすくなり、高出力、高効率化と信 頼性の向上という、互いに矛盾する要求の間での動 作の最適化することも必要になっている。そこで本 研究では、光学損傷をレーザー光の強い電界による 光学結晶中や光学薄膜表面での絶縁破壊現象と考え るモデル、特に媒質とレーザー光の相互作用を電気 的なパーコレーションと考えるモデルの構築を試み た。 パーコレーションモデルは、系を構成する抽象 的な要素の間のつながりが全体の性質を決めるとい う考え方に基づくモデルである。図 1 に放電のモデ リングに用いた例を模式的に示す。 (図 1)放電のパーコレーションモデルの模式図 (a)大気中の放電の例、 (b)セルでの表現、 (c)電気回 路での表現。 放電現象の内部では、原子分子の励起や電離な どの既知の物理現象が起こっていると考えられてい るが、ミクロなモデルでマクロな構造を説明するこ とは困難である。一方、高圧気体中の放電現象など では、現象がスケールフリー性を持つことが知られ、 任意の空間分解能での解析に意味があることが知ら れている。パーコレーションモデルでは放電媒質を マクロなセルで表し、原子分子過程についても抽象 化し、電界の強さに応じた確率により絶縁体か導電 体のいずれかの状態を取るとする。そしてセルが構 成する電気回路を考え、回路方程式を解くことによ って各部の電圧、電流が求めると同時に、あるセル の状態の変化が周囲に与える影響(相互作用)を評 価する。図 2 にパーコレーションモデルによって計 算された放電路の例を示す。放電が突然、複雑な経 路を通って発生する様子が再現されている。 気体中の放電現象は、媒質中のある場所で発生 した伝導電子が、電界によって加速され、周囲の気 体分子を電離することによって新たな電子を作り出 す、電子雪崩によって発生すると言われているが、 電子の加速と増倍が継続して起こるために、電流の 経路が作られることの必要性を示す点で、電子雪崩、 すなわち絶縁破壊現象はパーコレーションであると 言うことができる[1,2](2) パーコレーシ ョンモデルで計算さ れた高圧気体中の放 電路の例 本共同研究では、光学損傷も、レーザーの強い 電界によって引き起こされる絶縁破壊現象と考え、 パーコレーションモデルを適用することを考えた。 今年度は、そのモデル化のための理論的な検討、す なわち気体放電と同じようなモデルが適用可能かど うかの検討を行った。 第一に、レーザー光照射下の光学材料の原子過 程について検討し、さまざまな物質に対してあては まる抽象的なモデルとして、図 3 のようなモデルを 考えることとした。すなわち、弱いレーザー光に対 して物質は透明であり、そのエネルギーをほとんど 吸収しないが、強いレーザー光の照射を受けると、 二光子励起などの非線形効果によって励起状態に励 起されるとした。具体的な状態としては、それぞれ の物質の物性を反映して、ポーラロン状態などさま ざまな状態が考えられるが、励起状態はある有限の 寿命で基底状態に緩和する一方、励起に伴って伝導 電子が発生し、レーザーの電界によって加速される ことで、ジュール加熱を起こすようになるとした [3,4]。すなわち、二光子励起によって、絶縁体から 導電体に転移すると考えた。そして、ジュール加熱 は媒質の温度上昇を引き起こし、その温度が媒質の 融点を越えると、永続的な構造、特性の変化、損傷

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光学材料、光学薄膜の損傷機構のパーコレーションモデル

佐々木 明

量子科学技術研究開発機構・関西光科学研究所

本共同研究は、レーザー研究において重要な光学素子の損傷のメカニズムを、統計モデルのひとつであるパーコレーションモデルで明らかにし、光学材料中のミクロな原子分子過程を、媒質の導電性、光の透過性などの抽象的な特性とその転移として表し、光学損傷のマクロな特性を明らかにすることを目的として行った。

光学損傷は、レーザーの発明当時から研究されているが、複雑な現象であり、そのメカニズムの解明は不十分である。損傷の発生には確率的な性質が強く、予想よりもはるかに低いレーザー強度で損傷が発生することがある。波長変換に用いられる非線形光学結晶では、変換効率を高めるためにはレーザー強度を高める必要があるが、それによって結晶はより損傷を受けやすくなり、高出力、高効率化と信頼性の向上という、互いに矛盾する要求の間での動作の最適化することも必要になっている。そこで本研究では、光学損傷をレーザー光の強い電界による光学結晶中や光学薄膜表面での絶縁破壊現象と考えるモデル、特に媒質とレーザー光の相互作用を電気的なパーコレーションと考えるモデルの構築を試みた。

パーコレーションモデルは、系を構成する抽象的な要素の間のつながりが全体の性質を決めるという考え方に基づくモデルである。図 1に放電のモデリングに用いた例を模式的に示す。

(図 1)放電のパーコレーションモデルの模式図 。(a)大気中の放電の例、(b)セルでの表現、(c)電気回路での表現。

放電現象の内部では、原子分子の励起や電離な

どの既知の物理現象が起こっていると考えられているが、ミクロなモデルでマクロな構造を説明することは困難である。一方、高圧気体中の放電現象などでは、現象がスケールフリー性を持つことが知られ、任意の空間分解能での解析に意味があることが知られている。パーコレーションモデルでは放電媒質をマクロなセルで表し、原子分子過程についても抽象化し、電界の強さに応じた確率により絶縁体か導電体のいずれかの状態を取るとする。そしてセルが構成する電気回路を考え、回路方程式を解くことによ

って各部の電圧、電流が求めると同時に、あるセルの状態の変化が周囲に与える影響(相互作用)を評価する。図 2にパーコレーションモデルによって計算された放電路の例を示す。放電が突然、複雑な経路を通って発生する様子が再現されている。

気体中の放電現象は、媒質中のある場所で発生した伝導電子が、電界によって加速され、周囲の気体分子を電離することによって新たな電子を作り出す、電子雪崩によって発生すると言われているが、電子の加速と増倍が継続して起こるために、電流の経路が作られることの必要性を示す点で、電子雪崩、すなわち絶縁破壊現象はパーコレーションであると言うことができる[1,2]。

(図 2) パーコレーションモデルで計算された高圧気体中の放電路の例

本共同研究では、光学損傷も、レーザーの強い

電界によって引き起こされる絶縁破壊現象と考え、

パーコレーションモデルを適用することを考えた。

今年度は、そのモデル化のための理論的な検討、す

なわち気体放電と同じようなモデルが適用可能かど

うかの検討を行った。 第一に、レーザー光照射下の光学材料の原子過

程について検討し、さまざまな物質に対してあては

まる抽象的なモデルとして、図 3のようなモデルを考えることとした。すなわち、弱いレーザー光に対

して物質は透明であり、そのエネルギーをほとんど

吸収しないが、強いレーザー光の照射を受けると、

二光子励起などの非線形効果によって励起状態に励

起されるとした。具体的な状態としては、それぞれ

の物質の物性を反映して、ポーラロン状態などさま

ざまな状態が考えられるが、励起状態はある有限の

寿命で基底状態に緩和する一方、励起に伴って伝導

電子が発生し、レーザーの電界によって加速される

ことで、ジュール加熱を起こすようになるとした

[3,4]。すなわち、二光子励起によって、絶縁体から導電体に転移すると考えた。そして、ジュール加熱

は媒質の温度上昇を引き起こし、その温度が媒質の

融点を越えると、永続的な構造、特性の変化、損傷

が起こると考えることとした。 第二に、解析を行う系について検討した。光学

損傷が問題になる光学材料は、レーザー結晶や非線

形光学結晶などのバルク材料と、多くの場合誘電体

多層膜で作られるミラー、表面材料に大別される。

今回解析を始めるにあたっては、物性がバルク材料

の場合としばしば異なる問題はあるものの、2次元

系として扱えて計算量が少なくてすむことと、光の

強度が媒質内部での伝播過程の影響を受けずに決ま

ることから、まずミラーを扱うこととした。

(図 3) 光学材料の原子過程モデル

ミラー表面を2次元のマクロなセルに分割し、

セルが図 4に示すような電気回路を構成するとした。まず簡単のため、各セルを直流抵抗で表し、レーザー光の作用は、その電界を直流起電力として挿入することにした。この回路は、適当なある場所の電位を基準として解いて、電流、電圧の分布を計算することができる。

(図 4) 光学ミラーのパーコレーシ

ョンモデルの模

式図

各セルは、最初は基底状態にあり、高い電気抵

抗の値を持つが、強いレーザー光が照射されると、二光子励起過程によって励起状態に移り、低い電気抵抗を持つようになるとした。そしてセルに印加さされる電界と流れる電流からジュール加熱の大きさを求め、それから媒質の熱容量を考慮して温度上昇を求め、温度が融点を越えたら損傷された状態になるとした。この時、媒質の抵抗値は吸収係数と、二光子励起過程のレートはその吸収断面積と結びつけられており、文献値をもとに個々の物質についてシミュレーションを行うこととした。

図 5にテスト計算を行った結果の例を示す。ミラーの中央部に、時刻 0 s より強度が一定のレーザー光を照射したとして、損傷の時間発展の計算を行った。タイムステップごとに、各セルにおける二光子励起(および緩和)の確率を求め、乱数を用いて各セルの状態を評価した。同時に、タイムステップごとに回路方程式を解き、電流、電圧の分布を計算した。そしてその操作を繰り返し、現象の時間発展を解析した。

(図 5)シミュレーションの結果のスナップショットの例。ミラー表面の電流、電圧の分布、各セル

の状態等を示す。

(図 5)では、白い四角は励起状態にあるセル、黒い四角は損傷されたセル、それ以外は初期状態にあるセルを示す。励起状態にあるセルが、レーザースポット内部を中心に生成しているが、スポットの外側でも同程度な電界が生成するので、励起状態が生成している。励起状態がランダムに生成することによって電界が強められ、あるいは歪められ、レーザーの偏光方向と直交する方向のセルにも強い電界が作用し、励起が起こっている。

強いジュール加熱とそれによる損傷は、励起されたセルがループを構成し大きな電流が流れることによって生成するように見え、電界の強さの勾配が大きくなるレーザースポットの周辺部にループが生成し、損傷が発生しやすいように見える。

今後の課題は、ここで示した光学損傷のモデルを、共同研究による理論および実験の結果によって確立することと考えている。実際の光学材料の物性定数を用いた計算を行い、損傷閾値のパルス幅依存性、損傷のモルフォロジーを説明することを試みる。その成果をもとに、光学材料の高耐力化、より良い特性をもつ光学材料の設計を行い、レーザー技術の進歩に貢献したいと考えている。

ACKNOWLEGEMENTS

この共同研究を行うにあたり、大阪大学レーザー科学研究センター、清水俊彦博士、ジャクリン・ガバイノ博士、メルビン・エンピゾ博士、ロン・ムイ博士ほかのメンバーの方との議論、および産業技術総合研究所加藤進博士との議論に感謝します。

REFERENCES

[1] A. Sasaki et al. Phys. Rev. Lett. 105, 075004 (2010). [2] A. Sasaki at al. Jpn. J. Appl. Phys. 55, 026101 (2016). [3] S. Kato et al. Opt. Mater. Exp. 6, 397 (2016). [4] S. Kato et al. Opt. Mater. 40, 10 (2015).