都 · 心 身 を 過 努 し た士もあ ... た太陽 が 彼 等 の影 を ... めた 頃 、...

20
頭言 適者 生存 は自 洵汰 法則で 勝劣敗は活咸會 の不文律で 然ら 適者た 優者 り得 如何 も適若た 優者た らぬ ざれ 伍若 なり敗俗 着と 青雲の志 なが らも の中 に生 涯を 絡る あら 時代 日ま 耐會 激烈 なる 裡で くの の如 き詑 優者た は天 才で ざる 結力家であ 努力家 なら 力家とな たる 張健の 冊力 何より 要である に 如何 焦せ て 虚蒻 身冊 では 束な 諾君の 中 學時 された方 あら の地 た士もあ る事と する 夫れ 散に 塀 校を 卒業 つ た後に 健康を 害 不 踊の 客となら 諸君 のあ ほ吾 の常 惜み る 虎で の死 名に 数の 年會員 失ふ事 御不率 國家に も大なる損失 諾君 自適 営な 賞行 失とを来 然に 防止 塑す 季節 今や 梅 あり 雨晴 の後 炎暑の 候 へね よ共 々に なる 身 健全 みな り積 的に 偉 なる 結 家努 力家 なり 以て 成 に適 進せ 牛球 花田 セイ の海跨 (其 工) 紅海 幅百乃 三百 吾人が から 考 居る 存外 スの 像( トサ 々何物 水天の ある 千三 浬か 日足 らずか 着い 紅海 で 最も 海面 んど 中雨も らな が四 (―)都 二千三萬九十計累 =― 一部百 千六敷部刷印槻本 行凌回五十二月六年三和昭 (669)一 ては未だ 直 射日 光 の通 では 午の 華賦八 十七 つた 尤も 船の 速度 引成 出て 人證に 捨ほ 凍 いので 停船 する と夜中の 殊に エズ から 自動 車か ロに行き 霊朝 でピ ミン 物を てボ トナ に出 其の 間に 丁度 連河を 涌過 て再 を迎 へる 段取 私は 典の 代理 公 使夫妻 緒に 積り あつ 何分 賠の こと 及の が苗 事手 連ばず 乗れ を塞費 念の 鶯 長の 意 見を 徴 すると うも 今度 らうとの いて 行か 前途 取つ 支郡 の串生迎 留學す 其の 連中 が既 にラ 兼つ に束 々と いつ に止 決局 物の 得たが 今年時 も遅れ ば船は出 エズ 百映 水深 は千 均 二人 荒象 る砂漠 を縫ひ の湖 ねて 運河に 入 つ た時 は午 四 時過で もあ たか 様に 折 り重なつ た秒丘が に績 た砂 靴が 々々々 と歩 で行く 傾きかけ た太陽 の影 に砂 上に ころ 大古 静け と力 を座 する ちて 暮色が めた 舷致哩の やう な秒 丘の 断姪が 其麓にピ ミツド の 如きも のを 限鏡 裡に たが多 つた 連河 雨岸 は掘 つた 斜面 小屋 一 以上 ない 暑苦 れで も昔の こと 餘程 ので ある 日 中の みの 通 あつ たか 非常 に 暑熱に 者 られ るの みなら 旧番 を待 のに入 で多 の時間を たも であ では 客踏 夜通 うに 始 りがつ け ある たる探照燈 を自 く雨 輝か て 進む つ早 なつ たが の 代リピ

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Page 1: 都 · 心 身 を 過 努 し た士もあ ... た太陽 が 彼 等 の影 を ... めた 頃 、 左 舷致哩の 彼 方 、 屏 風 の やう な秒 丘の断姪が 長 く

第四十

適者生存は自然洵汰の法則であ

り、罷勝劣敗は活咸會の不文律で

である、然らば如何にせば適者た

り優者たり得るか、否、如何うし

ても適若たり優者たらればならぬ

然らざれば落伍若となり敗俗着と

なり、あたら青雲の志を抱ぎなが

らも不遇の中に生涯を絡るであら

時代は今や日まぐるしく可同じ

つゝある耐會は激烈なる生存裁響

場裡である∪斯くの如き時代、斯

くの如き詑會に虎して優者たるに

は天才であらざる限り結力家であ

り、叉努力家でなければならぬ、

而も精力家となり、努力家たるに

は張健の冊力を持つ事が何より必

要である、心に如何程焦せればと

て虚蒻の身冊では覺束ない、木會

の會目諾君の中には在學時代に苦

學された方∫あらう、叉極度の地

學に心身を過努した士もある事と

側察しする、夫れ散に塀校を卒業

し討會に立つた後に健康を害し往

々不踊の客とならるゝ諸君のある

事ほ吾等の常に惜みュつ心痛しつ

ヽある虎である。昨年中の死亡會

員はくに三十五名に達して居る、

斯かる多数の青年會員を失ふ事は

各日の御不率は勿論、又國家に取

りても大なる損失である、吾等ほ

諾君と共に各自適営なる保建方法

を賞行し斯かる不幸と損失とを来

然に防止せん事をW塑する、季節

は今や梅雨期であり、頓て梅雨晴

れの後は炎暑の候を迎へねばなら

ぬ諸君よ共々に健仝なる身鰐を以

て健全なる結誨を保持するのみな

らず、より積極的に偉大なる結力

家努力家となり以て成功に適進せ

られん事を。

牛球を旗して

(花

田)

◆マルセイユヘの海跨(其工)

紅海は幅百乃至三百浬、吾人が

地岡から考へて居るよりは存外陵

スエズ連河の親

(ポ

一≧漠々何物も水天の間に人ら

れ日塔へあるo奨行ヽ千三百浬か

らある。我が批は四日足らずかヽ

つてスエズに着いた。紅海は世界

中で最も暑い海面で、殆んど一年

中雨も降らないといふじだが四月

(― )都 百二千三萬九十計累=―一部百二千六敷部刷印槻本―

行凌回五十二月六年三和昭

― (669)一

の央ば過ぎては未だ大したことも

無く、船中直射日光無く風の通る

虎では正午の最高温度華賦八十七

度であつたこ尤も船の速度も引成

出て居るから、人證には捨ほ凍し

いので、停船すると夜中の温度が

殊にこたへる∪

スエズから汽車か、急げば自動

車かでカイロに行き、霊朝大急ぎ

でピラミンド見物をしてボートナ

イドに出る。其の間に丁度、船は

スエズ連河を涌過して再び客を迎

へる段取りである。

私は瑞典の代理公使夫妻と懇意

になり、 一緒に行く積りであつた

が、何分フランス賠のことゝて挨

及の官憲との間が苗事手ツ取り早

く連ばず、意カランチに乗れる迄

に非常に時を塞費した。念の鶯、

船長の意見を徴すると、どうも少

し今度は無理だらうとのこと、措

いて行かれては困るから、前途の

篤大事を取つた。支郡の串生迎ほ

可成リフランスに留學する。其の

連中が既にランチに兼つて居て、

頻りに束いた々といつたが私は途

に止めた。彼箸は決局、見物の目

的を乏げ得たが、今年時間も遅れ

ょば船は出てしまふ所だつたo

スエズ運河は延長八十七浬、幅

三百映餘、水深は千均三十二人、

荒象たる砂漠を縫ひ、五つの湖を

連ねて居る。運河に入つた時は午

後四時過でもあつたか、海原の決

の様に折り重なつた秒丘が目ヽ通

に績<中を、熱し切つた砂を踏み

しめて、路靴がボツリ々々々と歩

んで行く。補傾きかけた太陽が彼

等の影を、斜に砂上に落すところ

大古の如き静けさと力とが人を座

する。日落ちて薄紫の暮色が立て

こめた頃、左舷致哩の彼方、屏風

のやうな秒丘の断姪が長く延びて

其麓にピヲミツドの如きものを双

限鏡裡に見たが多分幻覺であつた

らう。

連河の雨岸は掘つたまムの斜面

で.時に小屋が見え、上人が水を

汲んで居たりする。賠舶は毎時五

浬三分一以上の速度を許されない

から船室ほ暑苦しい。

夫れでも昔のことを思へば餘程

良いのであるッ昔は日中のみの通

行であつたから、非常に暑熱に者

しめられるのみならず、旧番を待

つのに入口で多大の時間を浪費し

たものである。今では、客踏はな

るぺく夜通るやうに始めから時間

繰りがつけてある。さうして連々

たる探照燈を自動車の如く雨舷に

輝かして進む。だから凍しくてユ

つ早くなつたが、其の代リピラミ

Page 2: 都 · 心 身 を 過 努 し た士もあ ... た太陽 が 彼 等 の影 を ... めた 頃 、 左 舷致哩の 彼 方 、 屏 風 の やう な秒 丘の断姪が 長 く

鍍二十四第

ヽ 

々誌 會 友 畢 機 電 (工 )

ッド見物は忙しい際どい藝営とな

つた。

歪朝ほ既にポートサイドだ。遺

に地中海が限前に展開ずる。連河

の創設若、佛人レセツプスの等身

像が防波堤の端近く、設計同を経

り緊めて自らの業績を見渡して居

2つ。目

覺ましい科學の進歩ほバナマ

の如き難工事をも途行して格別珍

らしくも感ぜしめないが、 一人六

九年印ち甥治二年のむかし、幾多

の屋迪と障害とを排して洋の東西

を連絡し、距離三、四千浬を縮め

るといふ偉業を成し途げたことは

何と言つても男見一生の痛快事た

るを失はぬ。地中海の浸すところ

ンーザーやナホレオンや稀代の英

傑は少くないoた■千和にして斯

く偉大に且つ時と共に英惑澤が径

々旋がるやうな仕事を遺したもの

はさうざらには無い。

銅像下の砂濱には地中海の決が

緩やかなテムボを奏でゝ居る。濱

の員砂に混つて小さな桃色の法螺

貝のやうなものや青白く輝く薄つ

ぺらな貝など、日本の海邊と少し

も興りは無い。其三三個は拾つて

今も筐底にあるが、見て居ると彼

の演邊の濤吾を聞く思ひがする。

スエズやポートテイドには狡い

商人が多い。中には

『アナタ、カ

ワンカ.カフンカ』など下劣な日

本語を振り廻す奴も居て、甲板に

茶ては壁掛綾や鉄及更紗、さては

球の頸飾く駄鳥の蒻根などを賣り

付ける。大ひに値切つた積りで自

慢すると、横あひから、もつと安

く買つて居た人が出て茶るなどの

悲喜劇が此虎彼庭に起る。

◆マルセイエヘの海路(其三)

一度地中海に入ると、あつき

り掠しく、今迄の暑さに馳れては

寧ろ薄ら寒い程と成つた。尤も紅

海に入つてからは、針路が北に向

けられ、毎日二三百浬づ・北上す

るのだから塞くなるのが自然であ

る。ヘルメット悟や白靴は最早永

へに幽閉されねばならなかつた。

憐れむ可き彼等のあるものには水

葬の刑に遭ふものさへ出束た。

人々は俄かにあわた世しく立ち

働き始めた。そろそろ荷物まとめ

であるυやがて以太利の長靴の爪

先のところメッンナ海映を通る。

左舷はシンリー島のメツシナの町

で海の狭いところは三浬に過ぎな

い。戴に初めてヨーコッパの山川

にまみえたわけで。、

幾度か通り馴

れた人々さへ、夫れ左舷だ、それ

右舷だと双限鏡や篤員器を持ち廻

之つ。

踏から見た伊太利の一角は伊豆

あたりの海岸の如く、補緩やかな

傾斜で山の屋根が伸びて直に海に

入る。裾の方の性かの千地を汽車

が馳せ去るかと思へば、澤山な葡

萄畑が山腹に作られて居るのが見

える。漁舟が三角帆を揚げて決の

まに

,ヽ糖れ双限鏡裡には何か提

げて往茶する村娘の姿さへ映る。

此海鋏は我等の航路中最も美いと

されて居る所で、 一寸瀬戸内海に

似た情緒も津ぶが、流石に荒創り

で繊細でない。

エトナ火山は模糊たる雲畑を隔

て、わづかに其の自頭と淡煙を見

た筆け、地中海の燈重と謂はれる

ストロムポリー活人山島を廻り、

奈参のコルンカ島を過ぎては、 一

路西に舵を取り、ポートサイドよ

り約

一週間、四月十九日紳暁朝霧

を透して黄褐色の奇妙な形をした

岩の島を右舷に認めることヽなつ

た。即ちマルセイユ港外に茶たの

で、英の島の一つはアレキサンダ

ー、デューマの巖窟王にある牢獄

シヤトー、ディフであるといふ。

以下家銑

馴期電機學被乳蘇

本校は電気

工學の専門教

氣界へ雄飛の捷

(塁第 一 釜甜一隷蝉器弊嚇的」騨〕醇囃饗藤噂

(∪護オ ニ畿講一綿脚抑勤鱒韓爆韓]眸雑[中陣

6∠留  一瑚鈴甥鶉鞘瘍鞠野]掏騨卿“朔量)

 

 

 

園父

會金不3

③教科書

翻誕製籍難餅鶴防

◎株外生棚{囃騨硼麹授の‐こ雌業輔翰搬勲駒聴附 途 料 無 第 久 込 申書 則 規

呈 賠 第 次 込 申 書 則 規 細 詳

宮 習 講 期 夏

`語

二 るせ望要も長の家術技 力電4t現れ是は日課)

鋭 義 請 気 電(る 茶 出 學 罰 に 由 白)

攀鞭銅一韓一三”韓”

墨贈第次込申則規本見 り在に書則規は細詳

― (670)一

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誌 々 書 友 畢 機 電 日五十二月六年三和昭(三 )

電気事業の公共性を読きて

徒業員の心掛に及が

(本年四月二十一日母校第二十九同卒業式席上にて)

遊信省電氣局長 村

一一邸

と口先生

一.三分の利徐卒になり、固定費

木(或ほ建設資本)に比べて見ると

約九分乃至一割の利径に廻つて居

逐つ。さ

うして教育方面に於ては、帝

國大學を始め其の他の専門學校、

或は叉営校のやうな賞業學校的の

教育楼開が相営に澤山経瞥せられ

て、常校だけに於ても本日千有餘

名の卒業生を出されるといふ盛況

である。

欧洲戦争後日本の経済界は異常

の進展を途げ、到る虎黄金の雨が

降るといふやうな好景気であつた

が、大正九年の下牛期頃から世界

的の不景気の儒に経済界は非常な

不振に陥り、今日紡績業海運業、

其の他の諸工業にして、全く事業

を停止し、或ほ非常に其の規模を

小さくしたものも妙くない。然る

に獨り電気事業のみは之に反して

今日と雖も非常に感況を呈して、

人をして

『電氣事業者に非ずんば

事業者に非ざるなり』といふ感じ

を懐かしめるやうな状態である。

■瞥利事業にして公縄事業 併し

電氣事業といふものは、幾ら儲け

ても宜い、経営若の手腕の廻るに

委せて幾ら利を貧つても宜いとい

ふものではない。今日電気事業は

國家の事業ではない。例外的には

公共園鼈の経管して居るものもあ

るが、それは敷に於ては甚だ少な

い、殆ど所謂私皆の事業である。

併し是は普通の皆利事業とはその

性質を製にして、 一面管利事業で

あると同時に、他面に公ては公往

事業者では公共事業の性質を有つ

て居る。

抑々我國はあらゆる天然費源が

非常に乏しい。今日朝野の問題と

して、天然資源の箭約とか、燃料

政策とか、種々な事が研究され宣

俸されて居るが、確に天然費源が

乏しい。石及は年々三千萬噸の採

掘を見るが、併し其の壽命は何年

績くか。現在の埋蔵量は八十斑噸

あるとか云ふが、今後数十年を出

でずして壽命が蓋きるといふ話で

ある。石油に至つては年々の産額

僅に百数十高石である。日本内地

に於ける工業用其の他の燃料に到

底引足りないので、年た多額の楡

入を見て居る。唯日本として惑ま

れて居るものは、電気を愛生する

源泉たる水力である。政府の調査

に依ると、我國の水力地路は大麗

三千八百地踏あり、その褻電力は

一年を平均して約千三百萬馬力は

あるといふことである。

日本の愛電力は水力に依るが宜

いか、火力に依るが宜いかといふ

事は學着或ほ募門家の間に今日ま

で幾度も研究され韓して、大隆今

日では水力を本位とする、さうし

て水力を更に有数に、更に経済的

に働かす篤に、所謂補給用として

火力を用ひようといふことになつ

て居る。是は私よりは寧ろ諸君は

詳しく電気の専門知識として學ば

れた事と思ふから、管々しくは申

さnが、現在の愛電力約三百三三

十萬キロヮットの中で、大畿其の

三分の二は水力が占めて居る。印

ち日本の電氣の主なる瀕はどうし

ても水力である。水力″利用する

といふことは、印ち公の水面を使

用するといふことである。これが

電気事業の第

一の要素になる。

電気事業にはどうしても途電線

を架設しなければならぬ。今日は

途電線も喪達して、長きは三百玉

十哩から三百哩の長距離楡途を行

ひ、而も英の電魅はだんブヽ高く

なつて十五萬四千ジォルトといふ

やうな高い電墜に成功して居る。

然るに比の途電線の架設に封して

は鐵道Lは違つて、滑道の人々は

寧ろ苦情>」そ言へ、あまり喜ばな

い。多くの道路を使ひ、私有地を

使ひ其の結果私人の所有樅が多大

の制限を受けるわ

〔以下久り

■電気事業の藤況(前略)

電気の

問題は諸君が既に學校に於て詳し

く撃ばれ、又自らも常に研鑽せら

れて居る事と思ホが、私共電気の

行政に首つて居る者から見ると、

之を過去の統計に考へ、又過去の

事績に見るのに、日本のあらゆる

事業中 電気事業くらゐ急速の進

歩を篤し、観に進歩しつゝあり、

降束大なる進歩の餘如を存して居

ろ∫のは無いと思ふ。之は決して

我円引水ではない。日本の電氣事

業は、甥治二十年の秋、日本橋E

に今の東京電燈會成が僅か六、七

十燈の電燈を釉するだけの菱電力

を以て始めたのが晴矢である。霊

年は神戸大阪にも電燈會誰が出来

たが、至つて徴々

たるも

のであ

た。又電気鐵道の

元祀は、明治二十

八年の京都電気鐵

道會誰の事業であ

る。其の後日露戦

等を経て日本が

大飛躍をなし電気

事業も頓に進歩して来たが、更に

今日のやうな盛大なる状況を呈し

たのは、僅かに過去十年間の事で

ある。

最初僅か六七十燈の電賢を鞘す

だけの電力であつたものが、今日

は水入力を通じて、妻電力三百三

十萬キロワットに達して居る。雨

して電気事業に投じてある資本は

約三十二億回、之に関係して居る

人の敷は約十三萬三千百幾人

一年

の紹牧入は七億六千萬国である。

之に要する事業費は約四億八千直

国であるから、差引二億八千萬国、

約〓億回に近い利徐を零

て居

る。比の利径は全麗の電気事業に

投じた排込資本に卦しては約

一割

――(671)――

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(四 )誌 々 會 友 學 機 電琥二十四邦

或る日の出茶事o

次に三三五米の高落差、四五〇

〇れK、V、A、六六〇〇V、式重並

列印ち九〇〇〇K、V、A、嚢亀所

のこと。

或るHの出束事、時期は初各積

雪二尺五六寸もあつただろうかこ

の日は朝から降雨で取入口.下流

に於て落葉変りの彗が河に甚しぐ

なだれ込んだ。全負荷に近い程度

の湯水「ダム」からば溢流が無い、

大から次と流雪ほ水路に入る第一

第二の三段の「スクリン」につまる

水番三名は必死の努力で通水に就

事、水槽にも同状態が起つてあた

しかしこゝは何んと言つても少な

いやうだが水番

一名だによつて大

馬力とのことであつた。夕方にな

ると徐々流雪量が甚しく極度に疲

勢した彼等は止を得ず人夫の要求

を通知して束たので早速と人夫四

人墳んで束てもらつたが収入つて

ほ積雪の篤め道もなし、速路且つ

夜のことゝて行き手が居らない、

徒らに時間が過ぎるばかりだ停電

してはと.II然し良い考へも浮

かばない、結局取入日第二

「スク

リーン」を取外して三名の水呑で

一「スクリーン」のみに全力を轟

すべく通知して人夫全部を水槽に

向はせて第二「スクーリン」の分を

こヽで取除くやうにした∪

丁度夜の八時唄水医計の指示が

少し下つた憂だと思つて早速と電

話で様子を聞いて見たが異常なし

との返事、水車窒に開り水送計を

見ると指示が八十米突も減つてゐ

る、段々減るばかり、すは一大事

と負荷を牛減して水魅計を見つめ

てゐると今度は段々上り勾配、や

れ大槽へ談列と電話に手をかけた

虎へ先方よりけたたましい「ペル」

の鳴らし方、出て見ると、大愛た

鐵管入日水門の附近にある土墓や

板敷が飛散したとの通知「心配し

た虎、出茶た事は後の祭りだ。早

速板の敷を取調べさせたが板敷も

あるとの通知でやつと一安心――

鐵管の中へ板や人も入れずに済ん

だのは不幸中の幸たつた。原因は

外でも無い、鐵管の水が八〇米突

も減少してゐたので座氣が充蒲し

てゐた、庇へ負荷を牛滅した水が

溜る塞氣が動籍しだして逃げやう

としたが丁度水槽「スクーリン」が

流雪の鶯に塞がつて抜け道が無い

途に張度の小さい板敷を破つたの

である。銭管の水を牛分以上も減

じたこともあつたが曾てこのやう

な故障が無かつたことを見ても流

雪量の如何に甚しく除去に不可抗

力であつたかは甥かである。

(以下次琥)

曾費値上の是非

宮城EcR會員 上山高太郎

此頃會員の間で、倉費臆上の可

否に就て、大分喧しく諭議されて

居る様である。そして問題が問題

たけに多くの會員は賛否何れを探

るかに迷つて居られるらしい。 .

二踏此問題は何時頃誰れが言ひ

出したかと云ふと、表面に現はれ

たのは、去る大正十五年十

一月束

京で、第二同支部ECR會長會議

が開かれた時、宮城EcR宮から

『會費の塔額徴攻を団行せられた

し』と提案したのが始であると思

ひます。そ↓て営時ECR會長代

理として、議場で提案理由を識甥

したのが私である。つまり私は此

問題に火をつけた下手人でありま

す。そこで下手人の私から、此問

題を起した理由と、之が本部に於

て如何に虎理せられたかと云ふ事

と、今日此問題に動する愚見を述

べて會員諸君の御参考に供し度い

と思ひます。宮城nCR會の提案

割曲 曽時の電機二人會は 住所

不明會員の多い事 會費未納者の

多い事 随つて絶えず財政上窮境

にある事

等のために支部ECR會長會議を

召集して

住所不明會員整理の件

會費納入の件

支部EcR會妻展策に開する件

英他を提案附議されたのでありま

す。以上の諮件を解決する方法と

して、

會費の増額徴牧

EcR會の全國的普及

ECR會に勤する補助金の婦額

其他を提案したのであつて、其理

由は、住所不明會員の調査、整理

及會費集金成績の向上は、各其地

方のECR宮の活躍に負ふ所が多

いのであるから理想としては全囲

各現にECR會があつて欲しいの

である。然るに現在の制度では、

ECR會の保護條件即ち補助金が

少いためにECR會の金國的普及

ほ璽む方が無理である。ECR會

を全国的に普及せしむるためには

先づ補助金を増さればならぬ。然

るに補助金を増額支給するに足る

財源がない。裁で始めて會費の値

上と云ふ事が起つて束たのであり

ます。つまり會費を値上して之に

よつて生ずる増牧を以て、 一方に

食てはEcR會の補助金を踏額し

て、全國的普及を同り、 一方にて

幾分でも會の窮境を救ひ、斯くし

て住所不明會員の調査と會費未納

若に封する勘皆其他の方法によつ

て、會費集金成績を向上して、會

の愛展を間り度いと云ふにあつた

のであります。其結果として、支

部EcR會は営然愛展すべきであ

ると云ふ考への下に會費を約五割

増額して年額

一国八十錢程度とし

支部EcR會に封する補助金を年

額八十錢乃至六十錢に塔額支給さ

れたしと云ふ具隆案を添へて提案

したのであります

(以上に就ては

會誌二十三、三十、三十四銑を御

か照下さい)

英後の経過

前記の理由によって提案した會

費値上問題は、支部ECR會長會

議に於ける決議事項として、

壻額する事とし貿行の時機及

方法は本部に一任の事

となつたのであります。其後昭和

二年

一月の理事會で調査委員會の

設置を理事長に一任して調査委員

なる者が出茶て、三月二十二日第

一同の委員會が開かれて本部提出

の材料に依つて調査し、九月二十

八日の第二同委員會で

『十月の評

議員冒に於て出席評議員の意見を

徴せられん事を望む』と云ふ希望

條件付で

台費を二回四十錢程度に塔額を

――(672)――

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盟 々 會 友 早 機 電 日五十二月六 年三和昭(五 )

適営と認め理事長に報告する事

を決議されました。越えて本年二

月の理事會で、調査委員倉の調査

を至営と認め塔額する事に決定し

更に三月の理事會で、昭和三年四

月一日より會費年額三回四十錢と

する事を決議し、四月三十日の評

議員會に提出して否決された。英

ために二月八日の理事會で、理事

の紹辞職を申合せ、五月二十五日

の臨時許議員會にかけた上綿離職

せぬ事になつた。以上は自誌によ

つて愛表された大麗の経過であり

ます。

久に愚見を述べる前に私が去る

三月始めに作つた統討P を御覧

に入れます。昭和三年十一月二十

日現在の宮員名簿を基礎として調

ぺた所が

全會員致    一一一九五玉名

此内住所欄にOを記載されて居る

仕所不明會員   四一九五名

でありますから

住所分明會員   八七六0名

となります。更に此内で一割五分

は質際名簿記載の住所に現住して

居らぬと候定すると

貿際住所分明會員 七四四大名

となります。比住所分明會員の内

で四割の會員は會費を納めないと

候定すると

會費納入會員   四四六八名

之等を全會員致に封するパーセン

トで表はすと

住所不明會員   一三

一、三%

準住所不明會員

 

 

一〇、〇%

會費未納會員   一〓一一、一一%

會費納入會員   一三四、五%

となります。然し之は伝定によつ

て作つたものであるから、貿際と

勤照して見る必要があります。會

誌四十

一競に撮載された、事業報

告によりますと、昭和三年中の會

費納入會員は三八三五名で私の似

定によつた数より少いのでありま

す。之によつて會費納入自員の少

い事だけは立證されました。他の

数については似定するに充分な根

檬があつて似定したのであります

から、全然ウソではないつもりで

す。以

上を前提として以下愚見を述

べる事に致します。前の統計に現

はれた住所不明着及び會費未納者

即ち金會員の六三%の多数の會員

から會費を徴収する事が出来ない

だろ1か?

之等多数の人々の内其幾部の會

員から會費を徴炊する事は確かに

出茶ます。宮城DCR會に於ける

賓例によつて、私は鋭百するので

す。

之が最初に宮城ECR會が、會

費の値上によつて、ECR會の普

及を提案した根檬であります。

本部理事會の決議した會費値上

の理由は私にはよくわからぬが陣

内君の言はれる通リ

ハ會誌四十

銃)と

すれば其虎に異論の出るのは

首然だと思ひます。何故なれば単

に會の財政が苦しい、不足が大ぎ

いと云ふのなれば、會費を具面目

に納める人間により多くの負措を

かけ、納めない人間は放任する、

と云ふ結果になるからでありま

す。前に述べた私共の云ふ理由と

同じであるならば、必ずしも借額

とする必要はなく、寧ろ五割以下

の増額によつて、充分目的″達せ

られるであろ1し、 一方に於てD

CR會の全國的普及を馴致して、

本部の通信、印刷費に於ける失費

を少くし、雨々相快つて會の財政

上の窮乏″救ふ事が出来ると思ひ

ます。

陣内君の言はれる調査委員自に

就ては調査の不充分である事以外

に調査委員會が、不備であると云

ひ度い。それは會費値上と云ふ事

は中央に住むと地方に在るとを問

はず、全會員に開する重大な問題

である。それを調査するに何故地

員の意志を代表して居る課でもな

く、又所局會員以外の意志を陣ヘ

る事も代表する事も出茶ないのは

云ふ迄もありません。

私自身が火をつけた而も本部に

一任tた會費値上問題で今更彼是

れ言ふ事は差控ゆべきであります

が如何せん私共の言ふ値上の理由

と、過般許議員會へ提案された値

上の理由には大分大きな懸隔があ

る様で、悪く云へば私共の主唱予

…やむを得ず會のために捧ぐる大

いなる暁牲と考へて提案した事を

利用されたP と云ふ形に落ちた

今日駄過するに忍びないのであり

ます。

察賞私共の提案を根檬としての

値上であれば、倍額に塔額する事

も、否決されたからとて直ぐ絲辞

職の申合せをする事も其必要がな

いと思ひます。

憾へ聞く所によると総辞職を申

合せた理由は値上問題の否決され

たばかりでなく、OOOOの〇〇

〇〇問題と絡んでの事だと云ふ話

しですが、員儒は別として〇〇〇

〇のOOOO問題の如き其起源を

考へると、私共が値上理由とした

補助金に就ては思ひ牛ばに過ぐる

ものがぁるだろ1と思ひます。

兎に角く凱在の會の窮境を救う

方在住會員を加へなかつたかと云

ふ事である。調査委員十六名申地

方在住者は大阪の今澤氏只一人で

ぁつた様に記憶する。地方と云つ

ても大阪と北海道乃至蔓潟とは大

憂な相違のある事は云ふ迄もあり

ますまい。調査委員の内に地方在

住會員を加へぬ事は、地方在住宮

員を加へぬ事は地方在住會員を無

湖したと云はれても、致方ありま

すまい。若しも恒上が費施される

とL,てこ地方在住會員から、中央

の諸君の調査に基いた壻額には應

じ飛れる、と言ふ若が出たら何と

答へられるか、結局は會費の集金

に悪影響を及ぼして、値上の目的

を達せられぬ事にならないとも限

らぬと思ふのであります。

のみならず本部に於ける従束の

貿例のみを基礎として、調査せら

れた結果によつて賞施するとなれ

ば、之は會費を出す側の意志が通

じない事になります。試に郵便局

まで三里もある山の中の愛電所勤

務者が會費を途る時の事を考へて

戴き度いのであります。

斯く云へば或は本部の諮君は、

地方支部EcR曹長會議の決議に

基いての調査委員會と云はれるか

も知れないが地方の十五や十六の

EcR會長は決して地方何千の會

‥―(673)――

大避記念思想善導産業博覧曾々場上野公園櫻ケ岡

會期

淋朋廿五開

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(六 )誌 々 害 友 學 機 電班二十四第

ためには會費の値上は餘儀ない事

と思ひますが、第

一に値上の理由

印ち値上によつて生ずる輪牧金の

費途第二には値上の程度によつて

種々議論ある事と思ひます。理事

並に許議員諮君に於て、自の精束

のため、地方と中央の別なく多く

の會員が商足する様な方法によつ

て、本問題を解決せられん事を切

望致します。絡りに緊んで事の成

否に不抱、會のため御蓋力下さる

本部役員諸君に感謝の意を表して

筆を拙きます。(妄言多謝)

會費増徴問題

に就いて

自分は昨秋評議員に就任するま

で會2狸援に携はつて居な

いの

で、會務に封して金然知つて居な

かつた。然し此無経験と言ふ事と

徒茶の行きがかりとか、葉派開係

とかがなく、従つて先輩にも幹部

にも犀知するもの至つて少いから

甚だ自由な白紙の態度で批剣し、

車正せんとするものであります、

母校が日進月歩愛展するにも拘ら

ず、本會の不振な現状ほ吾人の等

しく寒心に堪えない次第である、

是れが褒展伸張に心血をそヽがれ

る理事諸君の努力に封しては偏に

感謝の外はないのであります。

この秋に営つて舌人が第十五同

許議員會に於て定款第二十七條改

正案所謂會費値上案に反封し過牛

数を以つて否決し之れに件ふ本年

度豫算案も不成立になり前年度案

を踏襲する事としたのも費に吾人

の愛會の念に外ならないのである

本部からは詳細な報告をしないか

ら自分はこの姿に出でたる理由を

批渥して會員諮君に其批剣を乞ふ

ものであります。

抑も會費値上問題の如き重要な

事項は、その提案に際して何人も

飛知出茶る事業印ち政策を示す必

要があります、換言すればある事

業印重要政策の乏行する財源でな

ければなりません、それならば吾

人と雖も其嘉業の性質緊急如何を

審議して協賛するのであります、

然るに豫算案に表はれた敷学から

見ましても、その項目からしまし

ても何等具餞的に重要且緊急の事

項が見出されないのでありまして

是れ吾人が本案に反封した第

一の

理由であります。

昨年の紹會に於て會費値上調査

會設置が可決せられ調査會では止

むを得ざるものと認むとの副申を

されました、然し之れは単なる理

事會の諮問機関にして決定櫂があ

りません、従つて之れを本案提案

の参考とはなるが理由とするが如

きι■責任の所在を不明にする嫌が

ありますから水案に反掛する方々

の理由であります。

前年度の決算を見るに項目を互

に流用せし事は豫算立案の精瀞に

反するものでありまして、斯くて

は如何に牧入の増加を計るとも、

剰餘金を生じないから徒つて不足

を生ずること営黙であると信じま

す、是れ吾人の本案を否決した第

二の理由であります。

會費の値上に作ひ、會員の減少

するは陣内氏の所見と略同意見で

あり、独算案を見て理事會もとれ

を認めてゐる事が分ります、吾人

は會員を減少してまでも値上断行

の理由が見営らないのでありま

す、是れが反封理由の第四であり

ます。

既に第

一の理由なくして、然も

倍独にせんとする根嫉を吾人は分

らないのでありまして之れが第五

の反封理由であります。

昭和三年度決算面では金の足り

ないと言ホ理由が失なつてゐます

吾人は値上の審議よりも営の振興

策、恨本政策を制定して本會を更

生させる必要があり、是れに依つ

て會費曲題を審議するを営を得た

措置と信ずるものであるから是第

六の反封理由なのでありまず。

吾人は斯のlHき六つの理由から

反封しまして幸にも多数にて否決

する事を得ましたのは本會の鶯め

喜ばしき久第で有ります。

吾人のこの態度には少しも不純

な甜がなく、政界の夫れの如く理

事會を不信任するとか何とか言れ

心はなく、共に本會を愛する意見

の相違に外ならないのでありまし

た、この粕は理事話君も了解して

頂いて留任して下さつた事は吾々

會員の深謝に堪えない次第であり

ます。

最後に吾人は會費問題と限定せ

ず全般にわたる一大調査會を設置

してその振興策を講じ根本的に草

正して之れに要する財源を會費値

上に求むるこそ営然の措置と信じ

ます。之等に勤する卑見は此際差

控へ稿を更めて本會不振の原因等

の批列を乞ふ事として、兎に角も

會名舞更して新生面に向ふ際でも

あり、今秋の今上陛下御盛典紀念

車業として調査會設置して名質共

に更生衰展伸張を期せんことを提

案、會員諸藩の奥諭にうつたへる

次第であります。(昭、〓一、工、〓〓

記)

技術者と変明

琲理士

米成

「必要は肇明の母なり」とか

「嚢

明は女甥の母なり」とか言甥は事

賞にめて文化の源泉たるは明かな

ことで今更吾人の喋々する迄もな

い。國

家が特許法を施行して妻明奨

闘をとし愛明着を保護し特許灌を

附異するも之れ皆誰會文化向上の

鶯の政策に外ならないのである。

愛明は創作である即ち創造たる

を要するのである故に

「愛明ほ藝

術なり」と穂せられのも又むべな

るかなである。

衰明は工業的なものだ徒つて技

術者とは非常に密接な開係に在る

昔時の凌明は素人の一寸小氣用な

者が完成する事が出束たが近頃の

愛明には夫れが極めて少ない凡て

が辱門的に費展進化し

一の嚢明を

鶯すにも技術的な素養を要すると

いふ状態になつて来た。だから純

工業的な物などは全部技術者の獨

占で一人舞曇である。

所で「妻明は文明の母なり」と考

へるに及んで交明開化が吾人技術

者の双肩にかゝれるを知り英の責

任の重大さに驚かざるを得ない。

帝國の文化を支持向上せんとする

愛甥塾術家諮君の奮起を聖む“

― (674)一

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誌 々 會 友 畢 機 電 日五十二月六年三和昭(七 )

現代的青年

芝浦EcR會 T

・Y

日本語で現代的青年と謂ふ。之

を英語に直評すると今流行のモダ

ンボーイとなる。併し乍ら余の所

謂現代的青年とは、決してそダン

ボーイなる語を以て代表される様

なそんな亡囲的人種のことではな

く、寧ろこれと正反封の士を意味

十るのである。

世ほ上下を黎げて沿々と軽批淳

華の波に継込まれんとしてゐる秋

「坐しては研磨の書をよみ、起ち

ては奉住の槌を振る」意気と熱誠

とを有し,「衣は油に泥るとも」亀

も意に介せず、常に燃ゆるが如き

大卑を心底に蔵して、椴令己れの

力は徴なりと雖も、工業立國のた

めに力を致す覺悟を有する着こそ

員に少壮電気技術者としての現代

的青年でなければならぬ.顧るに

・彼の甥治維新の大業を真賛し奉つ

た人た、否直接に之に関係せずと

も、興論の急先鉾として世人の心

を途に勤工倒幕に醜ましめるため

身心を捧げた若い人々は、矢張り

その営時の真の現代的青年であつ

たのだ

(戴で近頃流行の勤王劇乃

至劇劇に出て束る柔蒻なる映書男

優を聯想十る奴は馬鹿だ

吾等一電氣技術者は、決して極端

な右傾思想を鼓吹するものでもな

く、又徴の生えた様な古臭

い思想

を有つてゐるものであつてはなら

ないが、さりとて近束世間に蔓る

モダンボーイなるものヽ輸加に勤

して、些かなりとも笙楚せずには

あられない。試みに彼等の生活を

説よ。その崎形的なる服装は、こ

れ俗悪なる外囲映書等を見て之を

れないが.併し仕方がないと言つ

て、か、る徒輩の繁殖するに委せ

てゐたならば、その結果は甚だ心

陪を寒からしむべき事になるは必

定である。國を亡ぼすは質に外敵

に非ずして、かヽる輩によつて内

から崩るヽことは、東西の歴史が

甥白に物語つてゐる。

蚊に於て吾等技術家は自から國

民の中堅を以て任じ、國家の柱石

すとき、傷なるモボはその蟄書の

参考としようとてか「美文書翰集」

などゝ言ふ書を販上げてゐるを要

見するであらう。その時諸君は超

然たる或る快愉を感じないであら

うか。

以上駄言を述べてモダンボーイ

を攻撃し束つたのは、決してモ〆

ンボーイがカフエーの女給に持て

ょ、我輩如ぎ技術家は女給に持て

ないから言つた謹ではない。少く

とも吾が親愛なる電機學友會々員

中には、 一人も英語のモダンボー

イの如き生活と心情に堕する様な

不心得者があつてはならず、すべ

てが日本語の現代的青年たるべし

て戻心から思ふからだ。(終)

詳演曾

への希望

大≡

、春

一、各位の智識と経験とを豊富に

するため、菖障を排膝して御出席

下さること。

二、電機學校卒業生の話だなどと

軽祠することなく、真両目を以て

演題に付き御考ほ置き下され度き

】」一こ。

三、つまらぬことだ等と遠慮せず

に真卒な心持で御出演下され度ぎ

ことじ

四、御研究の内容には色々の面白

●口J'Sデドばィ,ォ 曽干<♯捕‖千∵:=すⅢl∵・

花 円 先 生 寄

マルセィユ水の重さで動く

ケ…ブルカ…

無定見にも模倣したものではない

か。彼等には何等國民としての自

覺なく、信念なく、見識なく、 一

杯の珈琲に拙劣なる典大を飛ばす

を以て名薔と心得、賜良犬の如く

に女の尻を追ひ廻すを以て、能事

是畢れりとしてゐる有様、正に地

獄道に陥つたものと言はなければ

ならぬし或は人はそれは時勢の流

れだから仕方がないと申すかも知

たるの覺悟を以て経々自董すべき

秋に直面せるものと言つて然るべ

きだ。例

へ資蒻なりとも他から胃

すべからざる各人の見識を有し、

決してモボの加き、今日あつて明

日あるを知らない様な、堕落し閥

敗した心情に堕してはならないと

思ホo諸粛試みに耐田邊の書店に

到れ。そして「電氣工學」なる部門

の書架中に諸君の求むろ書籍を探

いことも多かつたであろうが、成

る可ぐ要鞘だけを話す様にせられ

度きこと。

五、 一講演の時間を短縮して多数

の講演着に話していただく禄にせ

られ度きこと。

六、講演に不明の結又は御氣付き

の馳等あらば、御遠慮なく質議叉

は論明を罵されたきこと。

七.豫定時間を正しく同行するこ

芋∝。吾

々一般同窓者は、相共に自覺

してゐる通り電氣の學間に付ては

知つてゐるとは云へぬ程度の低い

ものであり、英の智識に於ても籍

叉官地に於ても浦足なる自信を有

する者は、話し稀なる可し。然し

ながら、世の趨勢は吾々に完全な

る智識を要求し,優秀なる技術を

求めて止まざるが故に、吾々はど

うしても、是に封する準備をせね

ばならぬことは

一般周知の事賞で

ある。漁足なる智識完全なる技術

を獲得するには、豊富なる経瞼と

深廣なる學問の開鎖とを要するこ

と勿論である。然るに吾々個人が

一生に経験する所のものは僅少で

ある調ぺ得る學間にも限

りが

る。畑何にして之を贋む可きか。

自分が前より講演會又は研究會

なるものを布望してあたのは質に

― (675)一

墓湾EcR含並に市電芝浦Ec配含設立されました。

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(八 )誌 々 會 友 畢 機 電院二十四第

裁に其の根湖を置くのである。

幸ひにも東京支部並にその會の

共援に依り比の曙光が認められた

ことは析仰に祗えぬ次第である何

卒諸兄の御賛成を以て爺た愛展せ

しめられむことを希望す。

講演曾の蔭幕

三菱研究所

六月八日に開かれた東京支部謎

演會は第二岡とは云ふものの今□

は吾々卒業生の力による講演會で

あつたため、比の釉より考へれば

始めての試みであつたと云ふこと

が出来る。自分は前々より今回の

如き企同を望むで居た故に非常な

る賛成を以て、その辮束の愛展を

所り、併せて大方諮兄の御が集の

多からむことを所る次第である。

裁に営所講演者の状態を記して

本會への祀辞に代へたいと思ふ。

御承知の通り本書を開くと決定し

てから、開催までの日限が少なか

つた篤め、星、柴田、市瀬の三氏

は毎書毎夜毎日躍、凡そ會趾の執

務外の時間で祗用を韓びざる組て

の時間を利用して、演題に封する

理論の研究、測定器具の装作、賞

臓の進捗を計り、夜十一時牛を過

ぎたることも再三ではなかつた。

然して今回の演題が外から興へら

宮城ECR會の肝諏りで、向山の

漑月に開かれた電機學友會大會に

臨んだo亭は廣淑川を隔てL向山

の丘陵に立ち、大仙墓を一日に見

下す景勝の地を占めて居た。加藤

校長齋藤(正干)先生始め全國から

集まつた會員約汁名、三階の大廣

間に寛いで懐薦談に時の移るのを

忘れたo紀念の官具やら、寄せ書

き等があつた。比の邊りは仙藁の

郊外で昔はよく出掛けたものであ

つた。十二日は電氣協會東北支部

の好意で、電釜から汽船に分乗し

て私島選を遊賞した。雨の鶯うに

島々が煙つて見へたのも叉別の興

翅を添へたu踏室ではピールの浦

を引へて大簗な騒ぎであつた。松

島ホテルの午餐會で漸つと幕が下

りた。自分は仙重へ引返して知已

に挨拶して廻り、其の日の夜行で

踊京の途についた。

想へば在仙五日間心行くばかり

「心の故郷」の胸に抱かれることが

出来た。學友會の諸兄からも致々

の厚意を受けた。今もあリメヽと

限医に淳べて其の時を懐しんで居

る。(絡0)

草枕第十聯抜抄

心の宿の宮城野よ     ・

飢れて熟き吾身には

日影も薄く草枯れて

荒れたる野こ子痛しけれ

れたものであつた鶯め、其の研究

にはずいぶん困難も多かつた様に

見受けられたが、追々手掛りが確

かになるに徒ひ興味が涌いてきて

熱心の度は

一居増してきた。そし

て早朝より出献して勘務時間まで

に昨夜の賞欧の引績きを了してし

まうと云ふ様に夜を日に纏ぎての

努力をしてゐた。彼等は研究的で

あり、協議的であり、然而員飢で

あつた。彼等には、この資験を彼

等自身で途行すると云ふ張い員創

な心持ちが充分に涌

いてゐたりそ

して夫迄には感じたことのない或

る祟嵩な興味を感得したことは明

かな所であつた。私は本問題を勘

めたことにもより又比の情景をH

のあたり相見たことにも依るべけ

れども、三氏の此の御奮同に封し

ては感銘措く能ばざる需閉であ

た。願くば其の興味を感得暮れた

諾氏が永くこれを忘れす盆々斯道

に結進せられむことを希理す。

.絡りに、時間外のこととは二へ

千日、日曜共に本研究にわ大なる

便寛を許容せられたる、営所所長

の御厚意を深謝致しまして、筆を

欄くことにする。

九二八、六 八日)

青葉の香り

教務 小林憲

一郎

青葉の香り高き五月上旬.虎も

青葉城跡仙墓に公いて電氣、電信

電話、照明の三學會聯合の大會が

開かれ引績き電氣協會の総會が催

ふされることとなつた。且つ此の

機會に於て宮城ECR會主催の下

に電機學友會全國大會の計書が衰

表された。具に千載の好機である。

早速校長の駿尾に附し七日夜行で

仙蔓へ向つたυ

抑も仙墓の地は自分に取つては

第二の故郷なのである。今から十

六年前仙蔓高工を藁土する迄蒲三

ケ年青葉城の山僕に育くまれ、廣

淑の清流に慰籍されつょ思出深き

月日を過したのであつた。島崎藤

村が宮城の原を「心の宿」と味つて

懐しむ如く、自分には仙蔓は

「心

の故郷」として限りなき愛着を畳

えるのである。それが十六年間一

度も訪ねる機暫なくして今日に及

んだ。いざ仙曇行と決まると、昔

の断想があリアヽと心鏡に影じて

痛しい中にも涙が頻りに込みあげ

て茶る。

八日早朝仙蔓需に下り立つと、

先づ博覧會の特設門やら、宮城電

鐵の停車場やら叡てほ市内電車や

らが目に附く。束北帝大に向ふ道

々昔しとは金然

一愛した町の姿を

眺めながら、大會々場たる工學都

講堂へ着いたυ八日と九日の三日

ほ講演會で、東西の新進を集めて

二十二の講演があつた。八日の夜

は松島海岸の松島ホテルに於て、

九日の夜は仙ミ市公會堂に於て践

會が開かれた。新曲

「伊達萎江都

錦繕」だの「踵釜甚句」だのがあつ

た。十日は木多博士の主宰する金

属材料研究所並に工學部電気科研

究窒を参醐して廻つた。又或る一

啄は仙軍放途所や、日本無電會走

の無線局を見學したりした。

十一日からは数班に分れて金華

山方面とか、中傘寺方面とか各所

への旗行會が催ふされた。自分は

十日から開會される電気協會の絡

會に出席するため、旅行會は割愛

したυ紹會は十日の午前から午後

に渡つて非常な盛會であつた。夜

は入百粂に開かれた仙高電氣科出

身者丈けの懇親會に臨んだ。十年

十五年の無沙汰の挨拶を交す酵が

方々に聞えた。

十一日は再び松島に遊んで松島

遊園の歌痢を見たり、理釜の

「海

の博覧會」を見たりした。仙重に

踊つてからは東北産業博覧會や東

北遺物展覧會を見て廻つた。夜は

― (676)一

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彿 々 書 友 學 機 電 日五十二月六年三和昭

會費値上反封

理由に就て

許議員

會誌四十一玩に妻表せられたる

陣内君の反封理由が第

一に於て既

に誤まれるに依つて其の論檬をス

タートして居る事を農念に思ホ。

印ち比の提案は理事若のみに依っ

て勝手に定めたる如く識明せらる

が、然からば側故に先づ第

一に英

の理由を開かざりしゃ、理事者に

於ては委員會を無就したる事資金

く無く既に支部ECR會長會議の

際なども醐場一致値上に賛成し爾

後本問題に就て會含致したる事は

度々あつたのでぁります。

第二の理由とする所は

「調査不

充分と名毎年何幾かの不足を生ず

る」と云ふだけでは贅成できぬと

云ひ補助金なければと―の苦比の

會は滅亡云々、衛現在の月々のく

だげがダ評と年

一度の名簿を出す

ことならば今の會費で充分である

と論じて居る。暴言も甚しきもの

にて之れが給額に封しては長日月

に渡り調査をなし英の問會として

なすべき色々の事業に接し乍ら其

の都度母校の補助を受けてM々に

自の面目をたもつて束

のであ

るσ然して衛費用の不足にキュー

ノヽとして居たのである。此の説

明は提案斉より充分論明致したる

も調査不充分と言われる具意堆顎

ふものである。女に月々の

「くだ

らぬ會誌」と年

一度の名簿配布に

は充分と断定せられて居りますが

會はまだ′ヽ他に多くの事業をや

つて冊ります。英の内容は永くな

りますから申し上げませんでも毎

月の會詰をくだらぬ會誌などと馬

鹿扱ひをしないで事業の」瑞堺塚

れて居る虚を見て上さいくだらぬ

會誌と云われた事に

一言致して置

言ますが吾々には貴い學友の湾息

を知る唯

一の書物で.吾衆學級の

者が遭遇した事業、作業上の出事

事の妻表に依り貿に得難い智識を

得又は頭末案内記にも均しき諾先

生の旅行記或は地方に於ける同窓

諾君の動縛等々どこから見てもく

だらぬ會誌など、馬鹿にせられる

鶏はないと思ふのであります。衛

「此れだけ」の仕事なら、今の會費

で充分であるとの断定が何を根帳

としての費表であるか、敷宇的に

お伺ひ致したいのであります。

「倍額にするとは何たる暴睾なる

で」といたくおしかりであります

が、 一ヶ月拾錢の會費が安償なる

事を充分に認めて、然して補助を

受けて漸と立つて居る宮の観状を

認て居乍ら拾錢が式拾餞になつた

事を甚しい暴畢の如くに言われま

すが、人各々に依つて力は違ふが

恨りに一人が萱掛礎の重量を持つ

も二掛度の重量を持つも英の鉢力

には左程感じないと同じで此れが

拾糊度の重量を持ちつょある所

式拾掛度を持て居れと云えば或ほ

無理であつて持つ事は出束ろが、

そんな苦努するならやめようと云

ふ人がないとも限らない。然し今

回は前者の場合に相営するもので

會を愛す會員は充分御了解が出茶

る事と思ひます。取入の馳に就て

ハ現在の會が會費に相営する事業

の何

一つもなして居らないからで

はあるまいか)と高論して居られ

ますが、先に陣内君が認められた

月々の會誌と名簿の妻途事業と云

ふ大きな事業をギって居る事をお

忘れになりましたか、英の他の事

業は前申した通りであります。會

費の減収之れは理事岩として営然

考慮すべき問題で吾々にはもつと

より以上の成績を得る事と思ふも

支出を之れにならつて多額にし豫

定の攻入を見ざる場合金の運用に

困るから内輸に見積つたもので勿

論収入の成績を得てから必要なる

事業に着手する事が正営と思ひま

す故に今頃時機筒早いなどといつ

までも安いと承知し乍ら、之では

何んにも出茶ぬでも致し方ないと

腕を組んで居ては何時迄待つても

倉の愛展など夢にも見られない事

を御注意致して置きます。要する

に陣内君は既に御承知の通り現在

の宮費は餘り安くて多くの曾員諸

藩或は支部EcR會等より寄せら

れたる事業案h資行する事が出束

ない状態にあるのであります。

絡りに臨み陣内君の熱心なる理

事鞭撻を感謝致します。

二十四虎で高等官

=お蔭で吾たも肩身が廣い=

顧問 加 藤 静 夫

千素會誌は愛讀して居ますが

御高見舞摯の役へ廻り、 一向

寄稿も致さずに居ります。今

日は止むに止まれぬ喜びをお

碩ちする鶯め、久振で原稿用

紙に向ひました。本文は蕪雑

な日語麗に致します。どうで

悪しからずお赦し下さい。

電機學友會の自員中約二十名の

一種主任技術岩が居る。共の中

最年少者が小残俊雄君

(明治三十

九年十二月生)英の久が蓮見孝雄

(明治三十八年九月生)である

其の蓮見君が最近高等官七等の教

授に任命されたのでぁる。蓮見岩

は大正十

一年の秋に、書間本科を

卒業した。在學中既に遊試第三種

に及第し、十三年の春第二種の難

開を突破した。十四年矢能早に第

一種を受け、 一次、三久、日述と

も物の美事に合格して、世の腕聴

を峙そしめた。さうして大正十五

年昭和二年と中二年置いて、此の

程高箸官の教授に昇進した。(官報

抜書参照%齢正に二十四、精密に

言ふと二十二年十ヶ月でぁる。

今日帝大を卒業しても、二三年

立たないと高等官にはなれない。

さうした世の中に、斯様な賜年で

高等官に進んだ例は輩し異数。然

かヽそれが徹頭徴尾、自力木位で

ある。敬愛する電気學友會の宮員

6湛�競冨皇±■ツ……電気技術に開する資擁L研究.共他の論説.報文又は内外離誌の抜率に付御寄稿を願ます

エー(677)――

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(十 )誌 々 會 友 畢 機 電眈二十四第

中から斯くの如き逸材を出した事

を、お互に況一欄したい。

六月も日官報抜書同月六日附辞令

神戸高等工業學校助教授

中村 海司

逮見 華雄

任諄戸高等工業學校教授

叙高等官七等

蓮見君今回の昇任について私は

諸君と共にこつの教訓

を味

い。其第

一は、努力の前には何も

のも千伏すると言ふことである。

私の記憶に誤りがなければ、蓮見

君は在學営時から非凡な熱心家で

あつた。然し才氣換衰、目から鼻

へ抜ける様な才人肌では

た。確乎不動の態度で歩

一歩履岡

めて行つた、其の=倫の努力が報

いられたのである。努力は凡てを

征服する∪是ほ単に近試合格の事

ばかりではない。若し蓮見君が日

常の勤

オi振に於て結働皓勤でなか

つたならば、決して教授には昇任

されなかつたのである。

第二の教訓ほ原因と結果との間

に相営の時間かあると言ふ事であ

る。物理現象の或るものに

監日の

F中を件ふυ人事凱象に於ても亦

然りである。蓮見君の場合には、

一種合格から約二年牛で高等宮

になつた。吐の二年牛が印ちけ日n

F∞

である。凡そ

『事の成るは炭

るの日に成るに非ず』、由

つて束

る所久しいのである。何か自分が

手柄を立てた時、それが帥坐に報

いられることを望むのは漢はかで

ある。小成に安んじて慢心を起し

マルセイュ港の埠頭

人を限下に見くだしたり、才智學

識を侍んで人格の修会を怠つたり

しては、折角の手柄も報いられな

いのが営然である。そこで世間は

貸すに時を以てして、其の手柄に

報いて良いかどうか、又如何なる

方法で報いようかを研究するので

ある。俊秀勤勉雅人は、ともすれ

『認めて呉れないのか』と不満

を抱く。此虎が大に修養を要する

所である。敢て一言する所以。

ともあれ、今回の蓮見君の昇任

は、お互に人事ならず嬉しい、肩

身が廣いo蒲腔の誠意を披涯して

速く蓮見君に感謝し況扁しようで

はないか。

蓮見孝雄肴の教授昇任をことほ

ぎて

君がさちを

同じ學びの

きざはしを

いよヽ国めて

わが身の幸と

よろこばむ

道の猪うど

また登りましぬ

足のあゆみ

あやまつなゆめ

営舌開會の時刻まで

「果して全

國大會の名の相應しいだけの御参

會を得られるだら1か』と随分氣

を採みましたが、仕賀の戸上さん

勝谷さんの御出席によつて、名質

共に全國大會となりましたン

出席者は主催若側二十

一名速束

の方が十四名と云ふ多数で、全く

豫期以上の盛會でありましたυ

仙憂市に於て學友會大會の寄書

加藤、齋藤副先生″始め、先輩

諾氏の自員に封する激闘と、感想

談の裡に膳部が出る酒が廻ると云

ふ有様で、盃の猷酬につれて、ア

ツチでもコツチでも懐害談やら時

局談に花が喚いて共廃んな夢と云

つたら賃に宮城EcR會設立以茶

の感會でありましたo

お囲名物のナンナ時雨で、遠茶

のお客様に自慢の咽を御披露して

居る若い人逹に販つては、時間の

終つのも知らなかつたろ―が、時

は容赦もなく進んで、再會の時を

想ひ乍ら別れねばならぬ時が末た

母校、學友會 ECR會の残高を

三唱して散會したのほ午後十時!

加藤、齋隊爾先生のお頭りやお

髯の自くなられた事が淋しい気持

ちを起させた以外何も彼も愉快な

事ばかゲでありましたo

一卜昔前

にアノ木造の校舎で、『死んでも之

ばかりは忘れるな』と論され、時

鐘の鳴るのを餘所にバーニツシユ

ゃマイカナイトを教へられた先生

さては成効の鍵を握つて吾等に其

範を示される多くの先輩認氏との

此會合は、費に愉快と散びを河喫

させてくれました。

振り返つて考

へると、此大會を

斯くも名費共に吼かしからぬ盛會

裡に絡始せしめた事は、 一に母校

諸先生並に本部役員諦氏の御議力

と、會員諸君の御援助の賜rあり

ます。蛾に厚く御識中上げると共

に、皆さAの御健限を只管御所り

する次第でありますo

営日の不行層きを重ねてお詫び

して筆を棚きます。(上山)

×      X      X

因に蓮見君と同時に教授に昇進

の中村氏は紳戸高工の卒業で、や

はり第

一種合格の故を以て抜躍さ

れたのであるり同校の學風具に欣

慕に堪

へない栗昭和三・六二

六稿)

電機學友會大會

五月十

一日仙重市向山朗月で開

きました。大會の話しの起つたの

は四月十八日でありまして四月銑

の會誌

へ無理にも掲載して貰うた

め早急に事を進めましたため、會

場の憂更、其他不都合績出で、折

角業束の御客様に随分御迷惑々お

かけした事を、キ催考側の

一人と

して御詑び申上ます。

――(678)――

昭和三年度遊試第

一久試験合格者敷

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二四〇八名

六九二名

誌 々 會 友 畢 機 電 日五十二月六年三和昭(―十 )

因嘲 蜘線禁勒〕枠[鰤】ガ‐こ木勲醐唯呻劾卿ψ牌蝶端埠〕

例に依つて一言卒業の諮君に餞したいと存じます。

諸君、電氣工業の分化費達は日を逐うて其の度を高めて

居ます。諸君が本校で學んだ所は多種多様でありました。

諮君の今後向はうとする職業も亦多種多様でありませう。

然し、証會は必しも諸君の志望を其の鶴容れて臭れるとは

限りません。電機製作の熱望家が宙歴珊線の見積を職務と

し、電気信銑の研究家が電車の保守に徒事する様になるか

も知れません。英の様な場合には、自己の職務に順應して

逸早く注意や興味を穂換させることが必要であります。そ

れには電気工學の基礎となるべき事柄を徹底的に理解し、

種々の方面に融通の利く様に用意して置かねばなりませ

ん。電氣工學の基礎知識を如何に應用して、千鍵萬化の賞

際問題に善虎すべきかの修練には、諾粛の今後十年を捧げ

て然るべしと考へます。国より何時迄も事門が定まらず、

何でも可なりに出束ると云ふことは、他両何事にも餘り深

い治詣がないと云ふ事に外なりません。然し、あまり早く

から己れの革門分科を定めて了ひ、他をして之に順應せし

めようとするのは如何なものでせらか。

口も八町、手も入町、と云ふ諺があります。日で述べる

試論も強いが、手で捌く仕事も立派にやつてのけると云ふ

意味であります。斯う云ふ人は確に役に立ちます。さらし

て口も手も畢克頭皓の命令に依つて働くのでありますから

私は寧ろ

口も八町、手も八町。環離は合せて十六町

と云

ひたいと存じます。世の中には、折角十六町たるべき頭皓

を持つて居ながら、日のみが八町で手の方は

一三町に過ぎ

ない人もあり、手が入町で日、が

三三町の人もあります。是

第三十九回卒業生諸君

昭昭三年四月十

一日

第二十四同高等科卒業者 一4一〓

6ハ膠等も

(ABC順)

A   阿曾 一二郎

 阿部 七束

 相田 酉雄

青木 定城 青木 良蔵 土円柳 庄

一  秋田 口塁主

新井 里治 荒内 安治 有呆 熊雄  F

・G

深井 政造 一開水 一開造

 一幅成 吾松

 一耐富内蔵三

袋谷 重吉 藤田 一死治 

富士原竜信 後藤 守國

H   勿染 跡利 蓮沼金太郎 畠山贈治郎

川 茂

 濱谷出次郎 

濱田 信

一  林 要久郎

原旧懇太郎 原田 清司

 

張田 集吉

 

干井 次郎

千塚 文治 廣瀬 健司 細川 治男 星野不二人

木多 一二郎 木

多 洸

 本

間 勇  I

伊藤善太郎 井下喜三郎 井川 一三四 飯田 英

 

一  石井 金入 

石原 博三 

磯部 一郎

市原 直三 

市川鐘.之助 市

川 憾  一宮須惑生

板倉 五義 板谷 理千 

絡日 辰蔵 今

井 敏

五十嵐太郎 岩澤芳太郎 

岩崎 恒夫  K

貝塚善三郎 河野 有丈 

提村 隆二 

加藤 前助

谷 稔 木村徳三郎 木

。弘 木

村 豊

菊地 信行 木下 徳千 

保 愛 

久保非朝雄

◎窪田 正美

 

倉戸 一二郎

 

持 清

 倉田 一詈一

◎慶伊 定多 

小泉新次郎 國分 清司  M

込 清

 

す止木 登 

松原 峰

一  松尾 節郎

松浦 葡郎 松見雄太郎 具部

敏雄 丸山 瀕久

満薗 士旦一◎宮野入正夫 

宮崎 陸郎 宮腰喜こ郎

宮入 基草 村越 善歓

 村上 榮

一  村瀬 富作

村松 俊雄 本

谷 進

 森

 

一一義

 森 利二郎

澤 秀   N   中川 彦久 中川 萩巳

中村 幸作 中

村 功

 中田 静磨 中林 蔚夫

永田 仁助 蔵富 誠〓  西村 一殖光 

野口 勝義

O   小川喜代一  小野 張千

小野崎要之助

小野塚染治 尾形 春吉

 尾崎 一三男

◎大

塚 集

大槻 熊

一  大屋 9呉治 

大西鎗太郎 太H 利市

太附 久雑 岡 一三七雄

◎奥山 昇

一  奥野幸三郎

S   佐藤 昇作 佐藤荘之助 佐藤 春野

等は共に完全とは中されませんυHが手程に働かないのは

まだ始末が宜しい。所詔不言賞行で、却てゆかしい事すら

あります。然し手が日程に働かないのは誠に困つたもので

あります。殊に技術家としては

『手』を賞行能力の意味と

考へずに、手細工、手先の仕事と云ふ意味に取つても亦、

八町の手は大に之を散迎すべきであります。願くば頭皓と

手と口との人たれ。然らざれば頭と手との人たれ。頭と口と

の人、或は軍に回のみの人には勘じてならない様になさい。

次に情操の洗潅と云ふ事に付き

一言します。人は多く純

正無垢な情操を持つて居ます。然し其の潔自な情燥は、と

もすれば友色によごれます。自ら進んで汚馳″印すること

はなくとも.細かい塵が鏡の面を蔽ふ様に、何時とはなし

に曇りを生じます。故に、折に隅れ事に臨んで、丁寧に情

操を洗艇せればなりません。情操の洗濯には餘程綺麗な水

を必要とします。純

一無雑な清い感激でなければ到底此の

洗濯は出茶ませんυ然し此の清い感激は感受性を豊にして

人事世態を朗察するならば、必しも共の材料に乏しくあり

ません。情操が最も其の曇りなき木然の光を説するのは、

恐らく諸君の年輩の時でせう。それ故に、私は特に諸君が

折々情操の洗潅を忘れず、永く共の純白さを失はないこと

を切望します。

さらば諾君、身饂とお人事に。

昭和三年四月二十

一日

電機學校理事 校長 加 藤 静 夫

か す き を

IⅢ な じ掃舒 み くひ

―〔079)一

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(二十 )

省雷蓬春 市雄 郎 吉

酪 々 會 友 學 機 電軌九十三第

佐藤 辰三 佐伯善た衛門

齋藤 X吉

 澤田 鉦造

澤田 芳雑 鴫原丈右衛門

篠崎 武夫

◎柴H 時雄

清水新

一郎

 白井笑次郎

菅原千右衛門

菅野 安二

杉山芳次郎

◎鈴木 粂女

根 費   T

田中 卿

一  日村 正晴

高橋金太郎 武中 新吉

平 光

嶽 塚原 幸登

富田 利久  U。W・Y

内田叉次郎 若林 佐長

渡部宮右衛門

渡邊 立中男

柳澤充四郎 山田 詰作

山本 一一郎

 山崎 重利

吉田 一三郎

 吉出 高義

米村 太吉

追試騎工依ル事業者

通川副 辰雄

追薪畑重

一郎

追佐藤長三郎

第二十四同書―イーー部本科卒者業

一5四名

6ハ腸等も

(ABC順)

A   阿彦 槃蔵 阿部 重郎 相澤 伸夫

青柳 宇吉 秋山羊太郎 

浅野 松雄

 

朝倉 義離

荒木 賢

一   B・E・F 

枇杷橋 顆 

別非 榮造

本 退

 一闇田律之助 一欄富伊兵衛 藤田善一郎

藤田 一雄 船山 下男   G・H  後藤章次郎

櫂 義 錬

◎橋野 幸雄 長谷川静納

長谷川芳大郎

島 衛 濱尾 安次 林 メ(郎 林 τ虹夫

早野 政義

 千井 芳成

 

手田 誠三 

千塚享三郎

I   伊藤 慶

一  伊藤 財司 

井田松太郎

飯島 長信 飯出 信次 飯

塚 陣 飯琢 今女

五十嵐大太郎◎池内美保三 

田 口日 石垣 政ス

石原 孝之 石原 奥市 市川 秀雄

 非上 知三

岩崎喜久脚   K   珈藤 義平

加藤田幸太郎

柿沼 春堆

 笠原 俊三 

隣浦 正敷 

金子 友次

金子 光成

 

金田 政堆 金非健次郎 紳原 一嗣松

川西 菊治 川崎 勇件 川漑 利

一  木村罫太郎

齋藤 工夫 

齋藤五三郎一

菊池 信介

 

菊地 捨七

木所 重信

 

熊谷幸太郎

原 

 

経 政次郎

小日向淳吉

 

小柳 又雄

前川 溝治

 

牧島 利

澤 

 

松清 工碗

〓嶽三

二郎

 

一二掘

 卓

水越 能雄

 

南   明

田 勁

 

村上 誠

森田 忠良 

田 

 

〓一 

中園 一耐丸

中浮 騨郎

 

中島 滋嘉

中野 秀堆

◎長堀 秀土

永末 初治

 

奈良貞太郎

西村 勝利

 

沼田 安男

◎根本 霊口吉

 

根本好之助

野田 一二男   0

小熊

一  小原 一二郎

大橋 清久

 

 

大島巳之作

 

大谷喜千火

 

 

 

佐々木

先藤喜代蔵

◎齋

 

櫻田軍太郎

 

笹原 義雄

構野 政難

 

庄司 正治

須藤 淳者

 

菅沼 蟹人

鈴木 丑松

 

鈴木 士蓑次

櫻井又四郎 猿田 一一部

品川 百三 

原 進

柴田 順千 柴

野 幽里

錆 大 

須藤 晃雄

杉浦

一  杉浦

貞治

鈴木 富雄 鈴木 秀堆

田島 芳治 日中喜子男

高橋 治鄭 高橋丈次郎

棚橋 信雄 谷田 明治

寺H 一評夫 

富田 恒男

宇資源〓郎 内山 秀雄

若林 恒治 渡部 大三

保田美喜男 柳川 爾吉

山田 太郎

◎山

HH 計

山形 正一  積山 佳治

村 昂

 吉川 卓郎

谷谷 隆千

三好

キ坤雑

〓本 義重

宮下 〕具二

村上 武義

森崎 勇造

中林 久松

尾 毅

長村 武夫

炭毛 英

沼出義治郎

 

◎小野 辰夫

 進

大友具佐雄

岡田猪之輔

 

榊原 日日夫

 

進藤 健司

杉村 静男

開 計之助

北澤 千魔

栗原 琲三

小林 〕呉一

前田幸三郎

松井 と.ホ正

一二上 

水上 國保

宮腰 市郎

月一 静

中澤入武彦

中森 正三

 進

西

 勇

根岸 一二郎

◎野岸 安雑

小畑 春男

◎大川戸喜

野 登

R・S

佐古 致雄

酒井久次郎

四家秀次郎

須賀 雪雄

杉山 市干

芹澤惣太郎

田村 政義

高田 繁離

高浮紀三郎

土石 源治

友竹

繁清

内出 築作

渡邊 敬造

渡邊 健蔵

柳生 順市

山田 弘草

吉田金三郎

立 

青野菊之助

石 

〕呉

秋山 貞己

漢野 武雄

荒岸 爾七

荒非諫次郎

新井重次郎

有賀金四郎

⑤馬場 跡蔵

松 

越前谷正雄

F・G

◎謳島 清

藤田 重治

藤村 盛義

古澤経三郎

後藤

苗吉

萩原 義雄

橋本初太郎

長谷川忠雄

長谷川久作

場 清

 英

原 

牛谷 秀松

千山 政時

保坂 令三

星野 竹治

伊藤 正雄

伊原重

´郎

野 勝

塚 

池田瀕大夫

ハABC順)

阿部 義雑

安保 一景市

青木 幸雄

◎赤

星 勇

山一 功

 

 進

荒井 典

新非宇謀七

有村吉太郎

馬場 龍雄

江口 佐八

榎本孝次郎

布施

樹夫

嗣島 竹雄

藤田 秀雄

藤井 出雄

古屋 徹雄

後藤 陵太

萩谷 一一郎

 

長谷川政治郎

畑江 弘三

濱田 金治

林 徳太郎

原澤好次郎

斐 斗

よ眼 前三

保屋野寅女

堀出 繁雄

伊藤 彰

伊藤 和夫

和泉 輝雄

井川 茂適

飯日 餃堀

田 貿

追北

村 正

追杉江 跡雄

追成田惣太吉

第二十九同夜問部本科卒業者

工e一〓

(⑥ハ径等3

仙波 義雄   T   田中耳太郎

島 薫

 

 

一  甘向橋

寛格

高出英三郎

◎高垣 武夫

 

高辻要二郎

高原 元吉

 

武居辛二郎

 

竪石 武雄

L上 

 

富澤義

一郎

 

富田 正据

舟居 永三   U。W  宇佐美八郎

内田正三郎

 

浦邊熙喜男

◎渡邊 直輝

渡邊経次郎

 

渡邊雄五郎

 

渡邊 正治

渡部 一彦

 

鷲頭源次郎   Y

山口 辰治

 

山口 仁信

 

山本 一三女

横矢 浦蔵

 

積田 一雄

 

吉村 武良

吉野 春雑

追試騎二依ル率業者

安藤 光雑

 

安孫子工貴

相川 入郎

 

相原 宛費

青木 久郎

 

圭=木 芳男

赤効 忠美

 

秋田 忠義

秋山 金治

 

秋葉 謙六

厚田 楠雄

 

天野 銅治

荒木 正記

 

荒木盛

一郎

荒井 武雄

 

荒井 朝吉

◎有井 茂雄

 

有井 庄吉

有泉 義

一  B。C・E

賓 羅

 

長   競

江連 耕作

 

江原 百世

速蔭 末吉

 

遠藤 義政

府川 藤吉

 

澤 

嗣田 義雄

 

扁澤 一二郎

藤森 政之

 

藤崎 秀雄

淵井 猛直

 

古庄 征三

古田 政友

◎蒲生 郷春

灌 五 絡   H

橋詰 一暑義

 

椿場 年治

長谷 恵譴

 

長谷川 博

長谷川庄造

長谷川要太郎

花谷中太郎

 

効田嘉

一郎

早崎 義光

 

早野峯千代

林H 貞離

 

原 鶴太郎

原田正太郎

 

治出 虎雄

日高 伊作

 

飛凹 季東

度川 恒三 

東村 鶯義

細田 雅吉

 

 

・ハ郎

越 未

 

堀越 義國

伊藤 一三男

 

伊藤六三郎

伊藤啓太郎

 

伊地m利徳

◎和泉井牛次郎

井浮嘉許男

五十嵐

一夫

 

飯塚 吉蔵

飯沼 政雑

 

息 

池田 正雄

 

池田 湊治

――(680)――

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誌 々 宮 友 學 機 電 日五十二月六年三和昭(三十 )

翻姓層肝鞘 渕酌翻卿維] 前期 鮮『 櫛』Ⅳ期呻

川 深 

石酬千代松

 

石持 盛二 

石原 長七

朝射淑阿願 肺村‐‐‐畔三鰯 飾之甜対駆 対畑 潮を

醐硼 卿畔◎孵醐 賠剰 膊囀K陣時 鵬醐 触一

御酷契脚 蜘井藤幸制 胸柳瀧舗 紬木茅椛

片山 稔 片桐 昇◎勝俣 秀雄 勝文 童口六

勝見 清直

 門井作太郎

 金子 博吉

 

金子信次郎

澤 齊

 金谷 清次

 

蒲原賢

一郎 

兜木勝四郎

鵬脚揮蝉祉 帥刺財軸螂 柳脚 理孵 柳脚富排脚

木村 亀夫 

木下 隼人

 

木原 金蔵

 

木田 一郎

配豫柳鰯柳胎緯締

◎工藤 四郎

 

工藤熊三郎

 熊坂 敬止 

熊崎 月珊

即細 瑚剤 報財 鞘吉一  樫鄭 卜榊 探釧 繊脳

小泉孝太郎

 小池 千司

 

小出 一男

 

小賀坂 清

島 費

 小島 清

一  小林 積次 

小林信太郎

椰締 瓢華

 椰酬 袈舶

 掛鉢 醒甜 都帥山

僻絃

近藤 久作 紺野養右衛門   M   間

宮 武

前田 一一郎 前田 元一  前坂 幸作

 前岩 秀夫

N   内

藤 孝

中馬善四郎

 

中島 春雄

中島 金苦

 

中島 瀧夫

中井 幽皇吉

 

村 謙

中村 幽皐治

 

中村 芳治

中村

一評治

 

中山 一三郵

長島 苦輔

 

長島 利光

永島 芳雄

 

水ヽ

井 薫

◎こ谷 集蔵

 

西村 敷人

西

 静

 

西川 餃清

韮山 八郎

 

布目 静珈

野村 吉雄

 

野村 園二

0・R   小川 喜

小川 英三

◎小黒 英夫

野 

 

野 

 隆

 

石 桂

大谷 正隣

 

大島久三郎

大木 民造

 

大西喜由次

大野和

一郎

 

大里 市郎

・大竹

徳治

 

 

一旦

大田 直火 

岡 節

岡崎 貞二 

荻原 是良

及川辰太郎

 

奥住政之進

恩日 丈男

 

李 済 見

S   佐々木軍三郎

佐た木良治

◎佐藤新太郎

佐藤 那句

 

佐藤 賢吉

佐藤 政威

 

佐藤 源吉

佐藤 爾生

 

修伯 末雄

相良 勝俊

 

齋木武治郎

齋藤 七郎

 

齋藤 利明

雑賀 義夫

 

坂本 忠久

櫻井 一郎

 

里川 繁郎

志手 鎗雄

 

堕津是都夫

篠原勝三郎

 

原 等

柴木 住作

 

柴山鍬三郎

清水 漬見

 

清水 千秋

下司 信夫

 

白石 政義

城間 康昌

◎隣呂安之助

吹間 駒郎

 

末富 一嗣一

甘沼瀧次郎

 

鋤田 伊八

杉本 弘夫

 

杉山 幡磨

鈴木 一雄

 

鈴木 雅武

鈴木 政雄

 

鈴木 重利

中川 政雄 中峯 貞良

島 正 

島 閏

中園 熊次 中園 耕夫

中村 一良 中村隆四郎

村 孝

 中村 一二郎

中山 久郎

 中山 忠信

長井 奨治 長沼 正三

富 清

 

新沼 一二郎

西ケ谷喜市 西山 亮賛

西田 辰雄 西根 良太

崎 配い 根

木 秀

野澤利太郎

 

野田久喜知

小川 千冶 小川 政治

小野彦太郎

 小野 義雄

小澤 正

一  小埜喜四郎

大石 繁男

 

大庭 友吉

大吉竹久郎 大久保武夫

大西 理行

◎大

野 章

大森 征吉 

大今 勝

大田 香水 

田 孝

岡部梅五郎 

岡野 士画雄

長日

英雄 

田 巌

臭山 茂信

 

奥山 房雄

李 圭 鶴

 

李 錫 吉

佐々木芳郎 佐々木 渡

佐藤 喜吉 佐藤 重助

藤 磋

 

佐藤今朝雄

佐藤 政治

 佐藤貞五郎

佐伯 正

一  佐山 一清

齋藤 重蔵

 齋藤 金整

齋藤 一二郎

 齋藤喜久治

坂井 廣隆

 

潤井 韮二

澤田 源

一  志摩休兵衛

重枝 豊規

 宍戸 幸七

村 博

 島

川 弘

清水 幹正 

清水弘太郎

清水丈

一郎

 清水 賢司

進藤 粂助 

新藤 親

須田辰I郎

 須永 榮

菅野 忠三 

野 進

杉浦 政雄 杉

本 博

杉山 繁男 

山 聖

鈴木 一星口入 

鈴木 久郎

鈴木

一  鈴

木 茂

追試隣二依ル事業者並校外生部事業者

中期ヽ中鉤帥醜背弾弾酬勘肝紬鵬弾呻帥難抑 ――(681)―エ

 

御寄稿i會告等輻壌の篤順後れの段は平にヽ詑申上とす。

Page 14: 都 · 心 身 を 過 努 し た士もあ ... た太陽 が 彼 等 の影 を ... めた 頃 、 左 舷致哩の 彼 方 、 屏 風 の やう な秒 丘の断姪が 長 く

折二十四第 電機畢友會誌(llLli卜 )

拾錢也早速御排込下さい。

・ 

 

 

第三十八同理事自

六月十二日(火)

午後六時

於本會事務所

出席者 安藝理事長

原日、吉川、安藤、天野

日野、宮島、各理事、自

井主事

五月中事渉報告並に會計報

告 以上承認

(1)廣田顧問湖賀に開し委

員曽設置の件、

委員會を設置したの委員を

黎ぐ

鈴木榮

一君、清水粂周君、

天野鍵三郎君、木村廣吉君

井出村柳助蒲、新島典志輔

君、日野知

一君、岡田重太

郎君

ハ2)常任理事交代の件

庶務天野理事、編輯田村

理単,會討日野理事に交

(3)墓湾ECR會設立認可

中話の作

規則

一部訂正の上昭和三

年六月

一日周出通り認可

決定

(4)六月銑會誌壻刷の件

塔刷に決定

以上午後九時開會

日昭和三年五月

一ロ

至昭和三年訴月三十

一日

△印は昭和二年度分

▲印は昭和三年度下牛期分

無印は昭和三年度分

○印は昭和三年度上牛期分

0印は昭和三年度下竿期分

□印は昭和四年度分

口印は昭和四年度上牛期分

房木顧間より加藤顧問通信はがき

大連ヤマト示テル前面

さ稗原三蔵△仁杉鶴次郎▲大琢榮

△菊地信行△橋本庭次郎△松村進

△河村清松△相村世記雄△岡田勇

△則本虎男▲吉村五十治△藤江崚

△私木司郎△寺垣喜代治△重富博

△荒井員六△鈴木不二雄△佐川賓

△大部信義△矢野光太郎A杉本俊

議 報事 告

阿部七束も安澤奥次郎△中原幸夫

小磯 信△近藤宗太郎△砂川貞次

沼崎 澱△伊藤敷太郎△石川金盛

大木緒三 鈴木千代吉

△村松俊離

瀞原國千△川崎 春雄△鶴見政治

岡見知三 西牟門松貿△生方信雄

古悔秀雄 酒井入次郎△大湊園雄

佐藤延雄 五十嵐太郎△小千捷治

△新井恭重○蹟野規短治内山 巧

武藤末男 篠原隣三郎△菊地勝次

櫻井

一郎 羽円嘉

一郎▲小越晴治

▲池田勇蔵△安藤喜威▲奈良利

二谷業蔵 満水弘太郎△山木芳

小川大吉 美作由火郎△岡見知三

飯塚 樽 佐藤長三郎△齋藤米吉

富津 清 蒻場乙久郎

▲田地川進

石川 深 小野彦太郎△法師九裕

前日二郎 利根川発久△古澤良十

山内義夫 保屋野寅久△吉川明徳

舟橋憲治 老川芳太郎○河内美三

竹内義雄 木村徳三郎○菅原伸六

熊谷健次△佐々木勇太郎 松井武

藤出秀雑 小山田光後 千井博吉

泉富太郎 春川喜太郎 小川喜

箕田義唯 富士原重信 大村 茂

渡遇彦久 飯野兎羊重 柳田軍司

早野政妻□五十嵐

一郎 岡野 度

沖田寅吉0久木一型壽光 川瀬 利

安西昇

一 江之浦

一郎 九山 清

川日正直田久木一墾詩光 稽 王緒

畠下利助 北村緊太郎 堤 正雄

井上徳八 小島勘兵衛 石田周

伊藤文吉 松崎留次郎 深澤秀三

荒木

一雄 西川鬼逸良 長谷恵龍

小谷保熊 根本好之助○程原 保

上谷謹司 村H健二郎 會田直治

中村真賓 奥村清次郎△杉山直衛

鴨原二郎 佐藤藤兵衛△塚木秀離

絹川三郎 奥住政之進国彦坂政野

野中虎雑 大野熊

一郎△立石國博

志賀

一三

加賀屋善二郎

高野 榮

大原宗

一 田中柴四郎 匠 柴三

荒井武雑 高田兵次郎 千山 泄

藤本幸策 加賀見仁作 千岩信

藤田米蔵 柄村虎之助 檜山 登

伊藤義

一 竹田己典久 生田二郎

杉山営雄 吉浪浪次郎 長坂 登

小熊結

一 高橋丈久郎 小澤正

高木高之 高田扁太郎 小林伊助

柏木清古 川越英之助○大塚梅吉

小池虎明 鎌形榮喜知 水ヽ沼 清

西村数人 兜木勝四郎 佐野 政

慶伊定多 一一宮善太郎 坂井醐作

百瀬治男 高野竹久郎 齋藤 線

山口修司 高橋石五郎 苅込清

西條曲松 安藤英次郎 一三橋 醇

千野五六 蓮井佐太郎 竹橋 勝

泰野虔治 山下信太郎 寺田三好

北重太郎 桑原市十郎 戸谷

一郎

若林良雄 とハ反田最吉 吉濱義秋

天野常松 藤澤喜代吉 千島英男

古柴末吉 五十嵐三郎 安藝貞雄

荒木岩信 武田藤太郎 一幅田 清

伊集院猛 貝塚善三郎 沼澤 清

三好新

一 櫻井吉之助 角 一詈作

元木義正 小松崎酉蔵 日遇 正

瑯察兵作 工藤熊三郎 内野図男

中森樽威 星野不二人 八島直

長野瀕戚 寺千久米吉 山中久一

熊井貞雄 鵜近庄次郎 山崎繁美

佐離喜三 一二上源三郎 山内盛松

樋詰柾雄 吉田徳次郎□佐除喜三

川岸

一己

五十嵐大太郎

藤木保正

木崎

一恵

飯田佐卵瓦郎

伊藤良治

大庭篤麿 岩城壽四郎 合田隣

高瀬顆三 荒部容哲夫 井上茂雄

高岡松千 西岡保太郎 入野廣光

高木蕊久 佐々木俊甥 片井宗男

山本作久郎 中山安利

佐藤捨次郎 雨宮虎男

小石川元三 船越文雄

熊谷 芳雄 岩服瀧蔵

武田藤三郎 伊朦博雄

竹石 藤十 千野要人

河口篤三郎 吾妻 清

及川 忠徳 大沼具澄

繊凹 政威

一痛水一雄

板谷 理手 岸川丈雄

扁地七五郎 川日塞則

荻野英太郎 跡俣幸衛

濱田 一暑作 松野研一

小杉作太郎 谷川治晃

高杉開太郎 梅村龍雅

笠木 義男 上田信夫

酒非清三郎 由井正義

嗣井 五郎

外山

荘司 都貞 島田貞三

尾本新

一郎 井上 充

大多和邦太郎

本多利重

小牟田 翻 石山亮資

小林 】呉一 秋山篤吉

高島 昇吉 湊間 清

黒澤 孫七 吉野陸郎

似内 義三 キ剛田元

糟葉 清重 大石 桂

千松 信夫 友威 茂

杉政 義信 照井 正

小池誌二郎 金壽 昌

加藤勘太郎 齋藤 武

金子 友治 早川七蔵

高橋 治郎 原川秀懸

鈴木 喜八 西浦 章

鷲葉 良一 中村

嗣田興作

兵頭 正

渡邊修三

濱谷令

本聞須次

久田長政

井上義元

石井利郎

小林員

惨俣利政

笹日弘美

笠原常治

須疎市郎

佐藤明雄

佐藤典六

山口北郎

板倉定司

渡邊仁之

余良

一照

小林積火

村上誠

竹内省久

岡部五郎

大谷正隣

徳田雷治

齋藤孝千

八木里志

菊地清質

黒岩善吉

川日高女

市野利

花村次郎

原田貞吉

小池三郎

立花盛千

高山武雄

瀧本喜輔

横山恒雄

安井隆雄

出浦桂次郎 角谷 登

藤村 清

一 石黒正作

藤井 忠直 兄玉正良

長島 儀治 松尾俊雅

― (682)―

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誌 々 會 友 學 機 電 日五十二月六 年和昭(五十 )

結城豊二 坂本清三郎

山口賢治 開日夜手久

井上知三 武部 俊正

加藤正蔵 賀束 一万吉

高岡三郎 箋岸 保男

田島三作 山本 品

新保正治 秋谷 治干

柚木賞徳 原田 武夫

細畑満

一 原田繁四郎

埒原芳美 品川 貞雄

河野丈夫 上田磯久郎

一柳染吉 海老原散夫

封馬正甥 押日興三吉

根岸好雑 大塚健之助

原田一郎 士山田金三郎

欄垣喜

一 宮下喜四郎

居川良

一 宇治田義久

原田謙吉 晴山馬太郎

落合義貞 五十嵐正雄

大木民造△大河原要三

和田大

一 川村忠

一郎

塚原林

一 佐々木竹松

具先餃夫 佐々木興三

山田爾助 久保田千尋

藤川確爾 大塚長

一郎

上村吉雄 齋藤源太郎

竹村岩雄 吉村卯三郎

相澤伸夫 臣淑践三郎

外川義隣 木下勝太郎

澤田瀕

一 埒田千太郎

菊地捨七 折原爾五郎

ダ住見二 一而島男生

小宮峰蔵 佐々木芳郎

中村茂

一 高木良次郎

牧島利

一 舘野十三日

三浦成介 漆畑松次郎

落合正志

涌井十四三

高田美

一 地日幸次郎

丸田松二 山本罐太郎

内海治郎

岸田俊夫

櫻井銀作

美濃 晋

國田 教

阿部特雄

安藤陣

秋田其三

藤田義高

藤野慎吾

有田 巽

正木

藤原 コ番

荻原 賓

佐藤 昇

佐野 牛

安達 肇

安村 進

小松清

大澤

一己

高林丑爾

勝 正

松本義高

宮下其三

牟田新六

御供 榮

中久 一三

湯日 勇

酒谷

酒井 正

木村 賞

角田 巖

花島 衛

内田 近

青木

長尾 孝

猛尾 貿

荒川 浩

小川政治 藤井計久郎 鎌形 巖

中原幹雄 飯田湊次郵 松田 喬

宮坂正嘉 小愁多住郎 単団島 包

I味久男0提谷銀右衛門 水野壽

西村政太田梶谷銀右衛門 中野良

横澤庄吉 廃嘴儀太郎 中山康信

治田虎雄 頷田太三郎 梅内貿郎

枇杷橋頴

美濃蒻幸次郎

渡邊正賢

上屋治三 持木勇久郎 山口吉三

原 忠夫

金式拾■回弐拾錢信濃D四十二名

寄附基金領牧

金参国也     電機學校

(馬場跡蔵肝就職謝泄金)

純桑金携込領牧

金か国也     佐藤喜三

以上

を御排込みを願ひます。費用と手敷

を省くため可成か早く

か願ひ致し

ます。(鼓酬EEccR贈鋤堀随妨報蝶υ

昭和三年度

の宮

お沸

込み

に就

てお願

本琥へ振替用紙を挿入しま

した

ら昭和三年

剣唯衛剤朋分の本會

々費

◎ ○ ◎電機學友宮誌の配

木村峰吉 梅原

一太郎 山口 薫

石垣信全 岩田 邦都 千野一三

原田忠次 小森 遊寛 廣般藤吉

萩本徳久○時田 一詈一 小島 費

橋本四作 酒非 貞雄 下田次郎

大塚銀十 適川 辰末 三井伊入

瀧本純三 中村 安吉 寺島珠

田淵

一雑 清水 岩雄 柳田好作

中村辰夫 内田 久武 油井七男

中根潤治 黒

江 信 井木粂久

東京支部欄

К

К

It

К

lt

△電機學友會東京支部第二回線會

前銃會誌に度告せる如♂、ヽ去る

六月八日午後六時より母校第

一校

合に於て東京支部第二同細會を開

會し、左記順序に従ひ會を進行す

一、開會の辞 原田支部長

―ム誌の割引購

盲員名簿配布其他

― (683)一

原稿届け先

⑥¥令報叫 東京市W田π錦町ニノニ 電機撃校内

BD

Ec

同同原稿

用宇締切

紙言吉日: : :i : :

仰十毎請求五 月久第年十途付詰 日

一、會務報告 天野庶務幹事

一、次期役員営選者被露

一、閉會の辞 原田支部長

綿會後直ちに別項記載の如く支部

主催の講演會を開く。

営日紹會出席若四十有餘名

△會計報告剥咄納主衛卦朋脱一印

牧人の部

前期繰越金    一一四、四〇

本部補助金   一一七九、九〇

特別牧入(寄附金) 

一〇、OO

計      口0四、〓一〇

支出の部

諸會合費     一全こ

一九

事務費      一人六、一ハ○

通信並に印刷費  一三ハ、○入

計      【【七五、九七

後期繰越金    一工八、一三〓

△次期役員営選若氏名

新任幹事(敬稗略)

藤田武雄 荻原幾太郎 星芳火郎

入野度光 池田幸久郎 松本英

機本豊太郎

向井庄太郎

沼野 静

清水粂周 鈴木 榮

一 鈴木寛

武田光孝 佐々木竹松 鶴田庫

横河

一郎      (一六名)

新任諦議員(敬稀略)

天野佐市 赤見 昌

一 適 正作

後藤 並日 上

方 孝 平賀宇一

陣内勝市 騎

西 毅

三宅 修 宮井

排造

永倉久雄 中森典三郎

難波英

一 莱富

義男

齋藤 線 佐藤 春吉

齋藤啓治 清水 通夫

釣谷秀三 辻 丈

安田義郎 漆畑松久郎

木村廣吉

前島 包

西野末治

越石芳雄

鈴木染治

鈴木久重

高橋良

山岸 貿

(三0名)

◎東京支部三催路潤會

別項所載の第二同惚會後引績き

直ちに支部主催講演宮を開催。

一、芝浦EcR會々員日戸繁集君

「自働憂電所用配電盤に就て」なる

題下にて主に電鐵用自働斃電所の

種別を罫げられ、久に最近の電兄

たる水銀蒸氣整流器愛電所の自働

起動法四種に就き説明を試みられ

芝浦製の特長等を詳細なる国面に

依て通俗的に謡演する。

一、芝浦DCR會々員村井宗

一君

「時間測定による単償決定法」工賃

算定の基礎となるターム・スダテ

イー(時間測定)の必要なる所以を

力諭し、米國のテーラー式の起源

より論き起し、我國に於ても撚心

なる研究者ありとて英の著者な人

を學げられ、衛徒茶の時間測定法

の謬見を正され、更に進んで君の

動められる芝浦製作所鶴見工場に

於て研究せられた方法を論明され

た。「絡

りに比の時間測定に従事する

士は只単にストツプ・ウオツ【チの

みに根らず仕事英のものの趣意を

具く了解せる技術者で二つ心理學

者にして経済學若でなければなら

ぬ、比の問題は我日本の産業界の

一問題たるのみならず叉世界産業

界の間題であるから、諸君は比の

問題に興味を持ち最小の努力を似

て最大の効果を牧むる様努められ

ん事を望む」と、三十分以上に亘

り大禦鼎を振はる、誠に君の締は

技術者離れがし抑揚宜しく溜々た

るを聰きては君の如き雑料の上を

我電気界から議政痩上に遼り度い

氣がする。

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(六十)誌 々 會 友 學 機 電琥二十四第

一、母校教授花田先生、昨年の今

頃は獨逸のアルゲマイネ會誰に居

りましたと曽時を追憶せられ、模

疑母線盤へ冨沖o山9ヴβ

げo営e

に就

て「シーメンス・ツアイツング」紙

上に掲載された論文を基として講

演せらる。昔は剛電盤は機械のつ

けたりの如く軽瀧されて居たが、

近時の如く盗配電系統が非常に複

雑になつて来た時代に於ては珊電

盤を制御する篤めに要する費用は

仲々重要な部分を占むるに至つ

た。獨逸の衰電所の模疑母線盤の

偏奇式とランプ式の利害得失弁畢

げられ最も進歩した

「シュトイェ

ル・キツングスoンヤルテル」∩瓢側

確認式とでも評すべきか)に論き

及ぼされたが、之れは如何にも獨

逸人の考案しさうな方式で、コン

トロール・マンの錯誤を最小限度

に防ぐ事が出茶るとの目新らしい

御話。  十分間休憩の後

一、菱友ECR會々員、星芳久

郎、柴田東司、市淑康男の三君を

代表して柴田東司君が

「マグネテ

ツク・ニードルの磁氣測定に就て」

なる題下にて、右三君が研究せら

れた縫針棒状磁石等の磁気量、磁

気能卒及磁力線分布測定方法並に

其の試験結果に就て御講演、就中

バリスチツクガル.ハノメーターの

定数決定には特に意を用ひ特別装

置を考案せられた由。最後に

一、マンダDCR會々員杉浦源久

郎諸「電歴の話」我々が日常最も親

しめる電量の生立から今日の高能

卒電球に進歩するまでの艇路を最

も千易に誰れにも了解の出来る様

解識せらる、特にムノズの誇りと

して居る内面艶清球の特長や其の

理由を聞甥せられた。

一、原田支部長「閉會の辞」「かゝ

る貴重なる研究結果や有径なる御

講演を會誌に衰表せらる事と思ふ

が只に我々卦内的に止らず更に封

外的にも費表せられん事を希望す

る火第である」と。時に午後十

時十分、時の移るも知らずに傾聴

した。

芝浦ECR奮通信

◇會員湾息

東京工場検査係 9秋池田武久

君は去る五月二十七日良縁を得ら

れ御結婚されました。本會から御

況を致しました。

東京工場配電器具係

昭2春 祠永扁造君

は去る四月廣島電信第二聯際第一

中隊第六班に入営されました。本

會は人皆況を致しました。

得見工場試験係 13秋

杉本享君

は五月十一日から御病氣で郷里嗣

岡縣八女郡北山村男の子に御静養

中であります。

鶴見工場生産係 7春 土花精

君の御令閏には二月十一日朝逝去

されました。本會から御悼みを申

上げました。

東京工場検査係 5秋 田中費郎

君の御養父には三月十四口御洸去

られましたし本會より弔詞を贈り

ました。 営ECR會正會員は

本武及東京工場在勤者 八十三名

鶴見工場在勤者    四十二名

合計       百二十五名

となりました。     以上

省雷ECR會通信

◎第

一同純會

春正に鮒ならんとし人も自然も

生氣温るよ卯珂十八日我が省電E

cR會は第

一同紹會を帝都の中央

有築町電気クラノに於て開催す。

紹會次第左記の通り

一、開會の部

一、決算報告

一、會務

一般報告

一、會長及副會長の選挙

一、新役員並新會員照會

一、開會の辞

午後六時四十分

一同着席労頭會長

鶴田氏登壇開會の離として本日第

一同省電EcR會紹會開催するに

営り多数の御出席若を得ました事

を厚く御趨申上ます。本會は創土

されてより旧湊きためか幹部諮君

の戯身的努力致されたるにも係ら

ず、比府上にて御報告申上げる材

料の乏しき事は甚だ遺撼である旨

述られ降娼、岡田副會長により決

算報告及會務

一般報告有り示記を

得て降壇す。此時食堂より食事の

用意出茶たる旨通知あり先づ食事

するに決し一同退場。

食堂には既に加藤校長先生原田

理事自井主事御見得になり、會員

一日緊張味を加へ思ひノヽの回食

卓をかこみボ,イの運ぶ支部料理

とピールに腹を満し食堂を選出會

場に一同着席すc

先づ校長先生が演壇にたヽれ、

いつも鍵らぬ態度にて我が省電E

CR會の径々愛展する様努力致さ

れ度き旨を述ぺられ、績いて原田

理事より有織なる御講演を賜ほろ

雨氏共多忙中にも係らず態々御

出席下されたるは本會の光染とす

る鹿と篤く御趙申止ます。

○議事

會長及副會長選碁

無記名投票より左記雨蒲留任決定

會 長 鶴田庫

一君

副會長 岡田重太郎君

庶務及會計幹事

會長指名に依り決定

庶務幹事 片瀬決志君

會計幹事 吉村勇造君

各勤務個虎幹事

三月汁日各勤務側虎に於て選畢

東融奈川車庫  江口 興八君

同       倫木 常捨君

蒲出電車庫   近藤 房吉君

同      村田 貞

一君

品川電車庫   河合 逸作君

同       山口 多市君

池袋電車庫   鈴木友四郎君

同       高H 留蔵君

中野電車庫   富樫作太郎君

同       武

井 正君

新運事電氣掛  新井 一死策君

宮則一部愛更の件

理由本會員にして電車開係以外に

轄勤せる場合には第四係に依り除

籍する事になるが英鹿置如何。

決 一報勤する自員の希望による事

とし會則の愛更せざる事。

以上の議事絡りて會長副會長並

各幹事の就任挨拶有り餘興に會員

荻野保

一君の薩摩琵琶を聞き生氣

温る會員の五分間演説有りて、午

後十時屋合裡に散會せり。

牧宣決算報告

収支金額

壼百六拾I園八拾錢也

支携金額

五拾五国四拾董錢也

内評 参拾壷回〇五錢也

昭和三年度本部紳込

式拾四国か拾六錢也

雑費

宮城ECR書通信

⑥會員移動

○人會

■秋夜     秋雰 正吉君

仙曇市原町宇若竹東北途電

原町憂電所

8秋夜     松浦 義雄君

名取郡生出村人末田

東北電燈人茶出妻電所

・5奉交     竹田己興久君

加美郡小野田村

東北電燈門澤愛電所

・2秋夜    河鰭

 

繁君

刈日郡白石町宮城縣電気事

業所白石出張所

・5秋夜     丹野 吉雄君

仙蔓市柳町通り仙藁鐵道局

電機修繕場

10秋高     神尾 粂雄君

弘電舎仙墓出張員

・3秋夜     黒澤 吉造君

仙蔓市六十人町五入

H秋夜     西城精

一郎君

仙蔓市元寺小路六八

小松原電気商會

巧春夜    高橋 震舌君

仙重市東五番丁宮城電鐵工

務課

以上にて現在會員六六

〇會員就t

昭三秋藍     戸井俊夫君

― (C84)一

』雪ヨ記冬ユ夢

7朗帥悠瞬賊諭誠聰喋ゆ鵬醐林惨的戦軋徹甲跡州靴錯様々部球眸ω姓卦期砧顆蛤陀細繭0務

本部會計理事

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誌 々 會 友 學 機 電 日五十二月六年三和昭(七十)

仙曇市電軍去澤褻電所へ就

任せらる。

◎基  金

本會基金として左記の通り領牧

致しました。

便

▲職員旅行會 二月六日(日)職員

一同伊豆へ日踊依行を行ふ。午前

七時東京畔妻車九時対五分熱海着

直に自動車に分乗して錦浦英の他

の名勝を探り露木液館に於て入浴

及査食す。午後二時対分再び日動

車に分乗して十國峠の瞼を超え三

島に出で國府津に着す。但し途中

自動車バンクせし篇め牛数の井餘

名は止むなく熱海に引返す。従て

牛数は國府津より莱車して東京騨

へ、他の牛敏は熱海より莱車し途

中小田原急行電車に乗り換へて新

宿畔へ何れも入幹升分着の上解散

十國峠の眺望は具に雑大なりき。

▲電機學友會全國大會 電氣三學

會土継に懸る聯合大會は五丹入日

より三日間又電気協會綿會は十日

より三日間何れも青葉城仙曇市に

於て開かれ、本校より加藤校長出

膚され又個人として小林(憲)敷援

之に出席す比機に於て宮城ECR

宮ま継となり電機學友會全國大會

を同市郊外の旋亭閻月に於て開く

出席者四十餘名盛會を極めたりo

▲陛上大運動會 二月十日ハロ)母

校第

一同陛上大運動會を西武蔚鐵

特設グラウンド

〔府下井荻町上井

草)に於て罫行す。競技番組升六参

會者二千を超める盛會なりき。

▲茶話會 二月十七日(日)本學期

茶話會を第

一校含に於て開く。営

日は恰も海軍紀念日に首り特に海

軍大尉仁科宏造氏より

「海軍より

見たる世界の國防」に就き午前午

後三岡に亘り紀稔講演ありたり。

教務部 小

稿

日隔開日間日四四

木年六月三日に

本校の水力多電所見學が貿施され

たυいうもと

一寸輿つて今回は工

事中の菱電所をも見學しようと云

ふので群馬縣の澁川町にある東電

の澁川菱電所と工事中の開東水力

電気會誰佐久愛電所とを一日の中

に見學した。

開東水力

佐久費電所

営日は理想的の好天気で列車中

から赤城榛名や白雪を戴く清水峠

の連山をあかず眺めて散酵しきり

に湧くo澁川に着いてから一里餘

の道を歩いて利根川ん岸の開東水

力佐久愛電屏に着いた。愛電所で

一金萱固也

一金五国也

計金六回也

累討金百〇五国人拾錢也

◎春季総會

四月二十九日仙墓市道場小路帝大

工學部學生集會所にて開催。

出席着 今野常五郎氏外十七名

今野常五郎氏議長席に就き幹事よ

り庶務、會計報告ありたろ後役員

改選及左記事項を決議し午後五時

三十分散會。

O役員改選

ん記の通り営選夫た就任の承話

を得ました。

會 長

幹 事

同○決議事項

一、事務所移韓に関する件

一、事務所移韓に件ふ規程改正の

一、前會長及前世話彼小松崎、黒

江の爾氏に記念品贈呈の件

一、未牧人ECR會費及紹會費に

開する件

一、電機學友會大會を仙重市に開

催する件。其他

◎事務所移韓

今回會長の更迭に伴ひ水會事務

所を左記に移轄致しました。

仙蔓市元寺小路六入

小松原電気商會内 以上

今野 正雄君

上山萬太郎君

小松原丈三君

大内三千三粛

上山萬太郎君

¬

嘲ク六製口‐版本ス

定慣

一、五〇

本書は著者が般瞼から途電υ配電工學の公式に理論を

詳細に解論した唯

一。無二の良書で買に合格の鍵であ

ります。

日立計論祀共他曰く「理工事界に推奨すべき良書なり」

と受験者諸君時を遅らす良書を手にせられよu

追而途料首方負措途金法小鶯誉ノコト

東京市耐田E錦町ニノニ電機畢校内

責店 森   商  店

劇電

器、測

▲弊所製の電気計器は多年の経験と熟練な技工の研究

努力によつて製造致しております

▲指度精確にして耐久度高く安心して御使用願

へます

優良な国産品でございます

譜横拗聴絲八三製騨翻

鹸惑讀書

睡調公式と其の理論

邊試受

―(685)一

書誌カバー

籍と整理になくてはなら豊文―を賃費配布いたしえ

貿費三十錢帥文‐こ判勅卿購鰐脚レ。口‐ス

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琥二十四第 誌 々 會 友 畢 機 電 (八十 )

ほ温品技師長並杉本氏の懇切なる

御説明を受け、この大工事の概要

を知る事が出茶

一同大識足だ

た。何しろ三高六千馬力の大水車

が三藁据はり、高き三百六十尺の

東洋第

一のサージタンクが褻電所

の上に答えるのであるから設備の

雄大なのは驚くべきものである。

それから引きかへして澁川町の凌

電所を見學した所長の加藤舌三氏

は本校出身の先輩で心から好遇さ

れたほかの人々も手別けして極め

て綿密に説明されたのは殊に喜ば

しかつた。比の紙上を利用して雨

菱電所の方々に探く御腱を申さる

る檬在校諸君から記者に依慣され

た。      國分教授記

観縛翌随夏期講留會

▼課目は是れ現代電力技

術家の最も要望する三講▲

▼講師ほ是れ本邦電気工學

界に最も適営せる三氏▲

一講

課目 途電系統に於ける選擢緯

電器の使用

講師  工學博士別宮 貞俊氏

前川幸

】郎氏

七カ三十六日より三夜以上

爾講師は多年近信省電気試験所第

二部にありて、経電器の研究に没

頭せられつゝある斯界の権威考。

其の講義の光彩陸離たるは勿論、

殊に樽士の御素力を請ひ、荷くも

本邦にて集め得る限りの各種縫電

器を背く綱羅して會員諸君に供覺

し、サイクルカウンターに依つて

之を試験する質演等も行ふ。錦土

花を添ふとは蓋し比の謂である。

第二講

課目 封縛座標法に依る交流工

學の研究

講師  工學博士別宮 貞俊氏

前川幸

一郎氏

漆畑松久郎氏

七月三十日より七交以上

野稗座標法を高峰の花と仰いで、

敢て手を廷さぬ電気技術家が若し

あるなら…英の人達に均し、今夏

の電機學校講留會こそは無上の嗣

音である。本邦に於ける斯道の先

・覺者別宮博

士が、部下の二俊秀と

共に、英の高峰の花を手折つて一

輸づヽ會員の胸にかざして下さる

からである。別宮博士L埒稀座標

法―令名今や世界に鳴響

いて居

るこ          ・

○會

○期

○時  間

○入會費格

○申込期眼

○會  費

○教

書定償

諄田E錦町三丁目

二番地 宙機學校

一校含

(小川町

又は美土代町停留

場下車)

七月二十六日ハ木)

より八月七日(水)

迄の間に於て、正

味十交以上

毎夜午後六時より

約二時間

何等制限なL

七月十五日限り

金み国

(入會金不

要)

別宮博土新著勤縛

座標法解論 特慣

責回五拾錢

(學校

受附に在り…

式国のもの)

一‐注‐岡一 本校々含内は靴アは草覆

を許さ世るに付き必ずスリツ

パーを用意せらるぺし

昭和三年六月

東京市耐田匠錦町

二丁目二番地

財園法人 電機學校

エレタトリッタ

ジャーナル

ー本年二月銑辻識抜率―

[円団印 

し の ェ峙鋤中性]攀柳

感じ,其れが具麗化されて微

分學となつた。同様にフオル

テスキューが不千衡同時の計

算に於て新銑の利器を必要と

し、途に甥縛座標法を案出し

た。

X    X    X

錦縛座標法の初めて公にされ

たのは一九

一八年の六月であ

つた。英の後諸家の之を利用

して幽玄な理論を聞明した事

例は非常に多い。日本の別宮

は之を機器の諸特性、別して

過渡現象の研究に活用して停

動を立てた。縫電器、測定器、

電睡調整器の最然雪套を院す

るに至つたのは卦縛座標法の

力が興つて大である。(下略)

▼識安全充電機

▼舗韓鞘粂用

▼ラ

用B

▼ラ

用A

米國ボーリン不朽蓄電池會赴

米國ウイラ,ド蓄電池會赴

一両

東京市芝E新櫻田町

電話銀座

一三二

一番

渓誓H座東京六九六〇三

名古屋市西而堀詰町

電話西巨一四〇三香

東京市麹町E内幸町

工 出 支張

場 所 店

冒用新案登鎌

東京市小石川E西丸町十八呑地

越石特許事務所

追而西丸町二十八各地は市電駕籠町停留場

の近傍に就き中添候

― (686)一

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(プしf) 誌 々 會 友 畢 機 電 日五十二月六年三和昭

一般會

通信欄

本年四月卒業後直ちに朝鮮

に向ひし同人より通信

舞啓青葉若車に浦ちはる好時節

と相成申候出稜後御無音にのみ打

過ぎ千に御考し下され度候、其の

後は校長先生を初め諸先生には定

めし御壮健にて教育界の篤ら日夜

御勉闘の御事と速き朝鮮の北端に

て私等

一同喜び居り候私等

一同は

無事毎日朝は七時より夕は六時迄

の長時間に渡りなれざる身を勉働

致し居り候間御安心下され度候、

先日は卒業證書及び卒業紀念品

御手数にも御途附下され難有御趙

中上候、私等八名ノ内金田、積矢、

長堀、相澤.佐川、五十嵐の六名

は配電係に籍をおき其の内横矢は

自働交換機を取附けたる交換墓に

金田、五十嵐.佐川は先日迄臨時

として設備せられたるュハ十キロ」

の瓦斯酸電所に居り候が只今は豫

備として「千キロ」のタービン菱電

機の頭附の方に廻り居り候、相澤

長堀は電工係の方に臨時廻り居り

候。他の二名の内爺田は電工係に

戸村ほ髪流係に籍を有し居り候、

日下は第

一期工事中にて末年の三

月迄に完成の豫定に御座候、英の

内第式期第参期と績行する豫定に

御座候。

使用する電力は営地を去る三十

餘里に工事中に第

一期工事完成と

共に十餘萬「ノオルト」が途電の見

込に御座候が目下は末だ憂電所の

工事にも取り掛らす居り候憂電所

完成の上は私等六名はそこに廻ろ

豫定にて御座候。綿べての工場が

目下建設中に其の敷地が四十萬坪

とて其の規模の披大御想象なされ

る事と思ひ候。曽地には内地より

櫛勤の卒業生が参名居り綿ぺてに

親切にして下され好都合に御座候

先づほ御趙芳々會証の概況を御通

知申上候

昭和参年五月十二日

朝鮮戚鏡南道窒素

肥料株式會祗にて

佐 川  利

加藤謂夫殿

吉井隆俊氏近信

前略小生目下静岡縣唆東郡環良

川浚電所に動湧往々奮闘致し居り

候間乍他事御喜び下され度候

営衰電所は箱根芦ノ湖の水を以

つて菱電すろ落差九〇〇尺水量五

〇ペルトン水車出力三〇〇OKW

の小妻電所にして費電所としては

何等新しき設備も御座無く千々凡

々のものに御座候へど前に富士の

秀峯整へ遠く酸河鷺を見下し箱根

芦ノ湖に近く勝景の地に御座候

(下略)

本月七日の官報によると學友會

員蓮見孝雄君耐戸高等工業學校致

授に任ぜられて居ります。

鈴 木 生

木原商會電話番競雙更

東京木原電機商會は今般左の如

く電話香銃を変更した。

高輪五五三一番

東京市芝匠三田四國町三

木原電機商會

◎石井信吉君技師長に就任。第十

四岡卒業石井信吉君は今般西鮮電

気株式會誰(朝鮮京義線沙里院)技

師長に就任せられ、朝鮮電気界に

活躍せられつヽあり。

◇國産品を賣物にする忽れ

漸次國産愛用運動が旺藤となつ

て茶るのは固より結構なことであ

るが、中には随分虫のいよ手前味

晴を並べるものがある、殆んど取

るに足らぬ漑製濫造品に配々しく

國産と銘打つて愛囲心を張へるな

と全く不屈千高なる話である。萄

くも國産といふからには日本の名

翠にかけてに恥かしからぬもので

なければならぬ。徒らに國産品を

賣物する忽れ須く我が電機界の如

く自ら精進して外品を凌ぐ程のも

のを作るに限る。斯くてこそ始め

て園産奨岡の質は睾げられるので

ある。

斉啓 曽祀勤務中の十三秋卒佐賀

林徳

一君昨年十二月三十

一日午後

五時作業中火傷療養中経過良好と

相成候鹿本年二月上旬心臓趣坪を

起し途に死去なされ候

療養中の御束所の主なる親近着左

記の通り御知らせ申上侯

佐賀縣川城郡

三日月村字織島

一六

一〇

林 彦三郎殴

林氏死後の一切の件は右氏に御

願申候

鮒爛電機     城郡

津留

熙淋鑢鰊津留愛電所

邦 式

▲場

▲昼

▲エ

▲エーやコムプレツサ‥用

▲エーヤリフトポンプ用

▲押

 

 

 

・′ 

▲リ

レ縮 水 東ベ

邦 製 作 所所キ ニ人會員 佐藤政太郎

電話京橋 1285

今般電話開通致し候間御利用願上候

鮒酷糊塑勧瑞

触闘鞘僻卿鼎船鎖山下電機工業所

st用タ屋

ポ ポI

タ ン シ

Iプ プ

用 用 犀

―●特許電動機自働スキツチ

0特許電動機 自働起動器

0高 低 昼 各 種 配 電 盤

専 門 製 作東京市京橋E南小田原町―ノ六

代表献員

山 下

東京府下大崎町居木橋三円九

一二

一二

――(687)――

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銑二十世Ч第 電々 (十二 )

刊新最

瑚筆

氏著

本文三〇

一頁、挿回

一一九個

著者は本書の序丈に述べて曰く

「………しかしなから現在に於ては交流回路の定常状態の研究は全く徴分方程式を使用しない櫂道のみ行はれてある。従つて初學者を封照と

した本語も亦その糟道に従つて記述したo本書の讃者に当し、著者が豫期してゐる稼備智識は初歩の交流理論と初準代致學のみである。只致

式を自ら検算して行く程の根氣さへあれば、本書は貰に千易なものであつて、封縛座標法の妙諦を踏得するのも賞に易々たるものである……

。二蚕々。」

封縛座標法英のものゝ原理は難かしいものではない。然かも、従茶計算の複雑なる篤め閑却され勝ちであつた不千衛同路は、直ちに之に依

つて解かれる。抑も不千衡回路を等閑に附したるは既に過去の事であつて、同期交流嚢電機を初め、誘導機、各種算.換機、三相途電網の計算

等、賞際の場合に於ては紹て完全な干衡は望み難いのである。サージイスの信頼度を高めるには是非共此等の研究を怠ることは出束ない。不

平衡回路を解くに最も千易なる封稗座標法の原理と活用とを徹底的に述ぺたる本書は正に時世の要求を満す最なる∫のである。衛本書は昨年

電気雑誌OHMに掲載されたるものを訂正塔補して、ハロ次参照)一居完全を期したものである。

別宮博土が本年の電氣學宮絶営に於て、第三同湊野奨學就金を贈呈されたのも、英理由つ一牛は本法の徹頃的研究と應用とにあつた。電気

界の大勢に遅れざらんとする人は必ず一本を座右に備へられよo

一草 緒論、第二草 ペタトルの分解、第三草 不千衡アドミッタンス及びイムビーダンスに開する

一般式、第四草 一二相式交流機に於け

る電歴降下、第五草 簡単なる不千衡負荷の例題、第六草 交流機イムピーダンスの測定法、 第七草 磁気飽和の影響、 第八章 電力の計

算法、第九草 不千衡電墜に於ける誘導電動機の動作、 第十章 憂墜器の接績による注意、第十

一車複雑なる場合に於ける計算法、第十二

圭早 三相途電網に於ける接地及び短絡、第十三軍 電流及び電座の封稀分の測定及び纏電器に於ける應用、第十四車 一二相式相憂換機及び相

千衡機、第十五章 四相式相憂換器

定途

料慣

拾 金

八 式

錢 回

東 漸田錦町 3の 硝

鋪 ォ_ム

蔵 試 屠 ;ノとと ::京 振 替 20018 會

―(688)――

鵬榊〓符林朋=正田卿刷納体

繭崎盛 白 井

印刷所

餓献

ム祗印刷

東蔽齢碑

錦町

目三

路地