タイトル 最終講義によせて 内田, 昌利; uchida, masatoshi 引用 北...

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タイトル 著者 �, �; Uchida, Masatoshi 引用 �, 11(4): 275-284 発行日 2014-03-25

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タイトル 最終講義によせて

著者 内田, 昌利; Uchida, Masatoshi

引用 北海学園大学経営論集, 11(4): 275-284

発行日 2014-03-25

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最終講義によせて

内 田 昌 利

・Whatever it is that accountants do,and whatever means,procedures,tech-

niques or technology they use to do it,it is a human activity that is concerned

with human activity(Louis Goldberg,ed.by S.T.Leech(2001),A Journey into

Accounting Thought:3).

・アカウンタントが行うすべてのことは,そして,それを行うのに彼らが用いる手

段,手続き,技巧,それに技術などすべてのものは,すべからく人間活動に関係

する人間の営みである(工藤栄一郎訳『ゴールドバーグの会計思想』3頁)。

大学での仕事>1973(昭和48)年1月末に,身重の妻とともに羽田で友人に見送られてジャ

ンボ機就航前の小さなジェットに乗って,初めて北海道の地にやってきました。今はない大麻

の校宅に入り,2月から正式に念願の研究生活が始まりました。私は浪人生活に終止符を打ち

好きな研究ができるので意気揚揚でした。管理会計論担当ということで,フレムゲンやケ

ラー&フェララの管理会計のテキストの翻訳に時間の大半を割く毎日を過ごしていました。な

にせ北大や小樽商大でも「管理会計」という科目が置かれていない時代(小樽商科大では予算

統制論や原価管理論といった各論科目で設置されていたように記憶しています)で,管理会計

の専任を置く大学はまだ数が少なかったのですが,会計学担当であった神戸大出身の真野ユリ

子先生(故人)の先進的なお考えの影響が大きかったようです。会計といえば財務会計を意味

していた時代に,申し訳なさそうに管理会計をお願いされたのを記憶しています。私としては

願ってもないことでした。財務会計に飽き足らず,当時経営学の主流であった管理原則論(管

理過程学派)からサイモン,サイヤート・マーチなどの行動科学的意思決定論・組織論・管理

論にとって代わろうとしていた時代で,その台頭の影響を受けて規範論にない実証的でリアル

な予算管理論や管理会計システム論が登場しつつあったアメリカ会計学界の状況に刺激されて,

管理会計に関心が大きく傾いていましたので,むしろありがたい話でした。

その一方で,お腹の大きくなった妻が心配でした。電話を敷くのに日数がかかる時代でした

ので,夜,石狩川から容赦なく吹きつける地吹雪の中で道を隔てた商店街の寿司屋の公衆電話

を借りて,知る人もいない不慣れな厳寒の生活に心細さを募らせて母親と話す姿を今でも昨日

のことのように思い出します。初任給は5万円ほどで生活は大変で,その間第1次オイル

ショックがあり,トイレットペーパーがなくなるという風聞に買いに走り長い列に並んだのも

思い出です。

当時の大学はまだ規模も小さく,教室棟は1・2・3号館があるだけで研究室は1号館の

2・3階を間仕切りし先輩の先生との共同利用でした。しばらくして後4号館(研究室棟)が

できて自分の研究室が持てたときは嬉しくてなりませんでした。

大学紛争が最終段階を迎えつつある時代で最初に就いたのが学生委員でした。団体交渉で会

議室に閉じ込められて一方的に糾弾されたときには,ついこの間まで学生の立場であった私に

は心情が理解できるだけに自分の立場にある種の違和感を抱きながらじっと耐えるだけでした。

―275―

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学生部長が倒れ,また新たな学生部長のもとで新たな委員会がつくられて対応するといった筋

書きのない筋書きで時を稼いでいたのかもしれません。なにせ委員会には何の権限もないので

すから,疲れて倒れるまで団交につきあうといった以外に方法がなかったのでしょう。不合理

なこと,不条理なこと,納得のできないことをもっともらしく受け入れる気持ちにはなれない

自分を抱えたまま時の流れに任せるように今日まできてしまいました。若いころの角張った性

格がいつの間にか丸味を帯び,少し温厚になったね,なんて揶揄されることもありましたが,

世の中がわかっていないという点では変わらないようです。そんな人間でも定年を迎えるまで

さしたる起伏もなく無事に生きてこられたのは僥倖というほかありません。

大学の仕事でもっとも思い出深いはずのものは,経営学研究科MC・DCの設置と経営学部

の開設に関わったことです。その間,一日一日カレンダーをつぶして一週間が過ぎていく,そ

れを繰り返して一月が,そして季節がめぐってようやく一年が過ぎるといった具合でしたので,

長くもあり,過ぎてしまえば一瞬だったようでもあり,正直に言って教育研究が進んだという

記憶がないのです。

10年間にわたることになるその仕事の始まりは,博士論文をまとめるために国内研修中で

あった私のもとに次期経済学部長候補に選出されたとの報が届いた時からです。あれこれ言う

間もなく平成8年4月から学部の運営と少しずつ新学部設置に向けての地ならし,体制作りが

始まりました。18歳人口急増期に付与された臨時定員増の期限が迫る中で新設・改組などに

利用するのであればその半分を活用することを認める国の方針が示され,そこで経済学部経営

学科を経営学部にそして経済学部に新学科を設置する改組転換構想(後にこのために経済学部

の臨定の半分と入学者が急減していた北見商大・短大の定員の相当数をまわすことが法人から

提案される)が策定され,教授会で承認されました。しかしすぐに全学の承認するところとは

なりませんでした。当時どこの大学でも課題であった教養改革(それは最初の2年間を統督し

ていた教養部を廃して,4年間にわたる学部一貫教育体制をつくることを主旨としたもので,

それが教養教育の軽視を意味するものでないことは注意しなければなりません。教養教育と専

門教育とを対置させ,一方の比重を高めるといったものではなく,大学院での専門教育との比

較で考えればわかるように,どちらも専門に共通する教養教育,専門につなぐ基礎教育である

点では変わりないのです)とそれと連動した動きともいえる教養系新学部構想の思惑がある程

度収束するまで待たなければなりませんでした。

粘り強い働きの結果,H.11年の春に全学の協議が整い,法人理事会の承認も得てようやく

正式に事業計画に記載され,改組転換計画がスタートすることになりました。ただしその時の

条件は,経済学部を基礎に先ず経営学研究科を設置することでした。教授層の薄い経営学科に

とってそれは高いハードルでした。修士課程の申請に必要な書類(設置の趣旨など)作りと教

員組織の編成という経験したことのない未知の作業に携わる過程で学部の内外の先生方と学部

事務職員の方々に全面的なご協力をいただけたことで,なんとか無事に認可されH.12年4月

経営学研究科修士課程が開設されるはこびとなりました。ただちに博士後期課程の開設申請の

準備にとりかかり,栃内香次先生・黒田重雄先生,早川豊先生に無理をお願いして定年前に北

大から移っていただき教員組織を充実したことで無事H.14年4月設置が認可され,木村和範

新学部長(現学長)のもとでようやく経営学部設置申請作業に取り掛かれるようになりました。

この間,学外では刀根武晴先生の親身なご指導をいただきました。何度も作成途中の書類を

チェックしていただきに上京し,そのつど昼食をご馳走になりながらご指導いただいたことが

経営論集(北海学園大学)第11巻第4号

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思い出されます。詳細にチェックされて書類は後日返送されてきました。先生のそうしたお力

添えがなかったならば申請・面接審査・許認可の過程が順調に運ぶことはなかっただろうと今

でも思います。学内では山田定市先生の温かいご支援がなかったならば困難な局面で学部の方

向を一つにまとめるのにもっと時間がかかったでしょう。膠着状態に陥った時,穏やかではあ

るが芯の通った先生の発言がいかに説得力のあるものであったか,ずいぶんと助けられたもの

です。今は故人となられた両先生に深甚なる感謝を申し上げます。

こうして,大月博司先生(現早稲田大学)のもとで関係の先生方の共同作業が厳しくも献身

的に進められ,同時に吉田敦事務長のもと学部職員総出で書類の整備が進められていきました。

その間に,双方から疑問や提言が積極的にだされ,まさしく教職員が両輪になって成功させよ

うという態勢がおのずとできあがっていきました。

新しい研究科・学部の理念やカリキュラムは,基礎となる学部・学科の教員組織を前提にし

ないではつくれません。少しでもこうありたいと希求するカリキュラムと現状の教員組織との

間でバランスをはかりながら,なおかつ目指す教員組織をどういう方向で将来的に整備し,教

育体系に活かそうとするのか,戦略的発想も当然求められます。その点で,新研究科のための

教員組織の整備・充実があって,その骨格の上に新学部の教員組織づくりが実現できたのは幸

いでした。そのさい,大学と法人から,現場の責任者を信頼し,可能な限り発案の裁量を事実

上認めていただけたことも作業をはかどらせる大きな要因でした。

3つの申請に共通して細心の注意をはらったことは,設置の理念と教育体系を研究科・新学

部に一貫性と体系性をもたせながらそれぞれに特徴をうちだすこと,教員組織の審査にあたっ

て犠牲者を出さないということでした。そのために率直で厳しい議論も避けようとせず,その

うえで理念と現実とのバランスをはかる合意形成に努める一方で,教員審査を受ける先生方の

研究業績と科目名を整合させること(いわゆる科目適合性)に細心の注意をはらい,先生方に

は業績面で最大限の努力をお願いに上がり,またそれによく応えていただきました。ありがた

いことでした。

請われて母校へ転出しなければならなくなった学部長予定者に代わって急きょ新学部の責任

者を引き受けるという想定外の事もありましたが,新学部は,すでに設置されている経営学研

究科修士課程および博士後期課程の理念やカリキュラムとの密接な関連性が評価されて,何ひ

とつ留保条件がつくことなく認可されたのです。

地域の特性に応えて幅広い分野の専門科目を取り入れてきた伝統を活かしながら経営科目を

充実するとともに,総合的な実践英語教育・海外総合実習と人間行動の理解に欠かせない心理

学教育をそれに組み合わせるというまさに革新的な経営学教育を標榜する,地域に根差してな

お世界を展望する新学部教育を実現すべく,その後全教職員が熱心にあたられました。

この経済学部の改組転換計画に資する教育施設として7号館もやがて完成して,最新のAV

機器を使った授業ができるようになりました。ジャンザバーをベースに学部の講義支援システ

ム:GOALSが改良を重ねながらつくりあげられていきました。そうした経験の蓄積が現在の

全学的講義支援システム:新GOALSにつながっていくのです。

こうして,お互いに忌憚なく話し合えるような清々しい爽やかな学部をつくりたいという願

いを込めてH.15年にスタートした経営学部は誕生してすでに10年を経過しました。当時の若

手の先生方が今や中核になって活躍されており,厳しさを増す将来の事態に備えて学部の地力

を蓄えてきています。きっと難局を乗り越えられると信じています。

最終講義によせて(内田)

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(以上は経営学部が誕生するまでの学部関係の経緯を簡単にまとめたもので,経済学部の新

学科である地域経済学科や法人本部に関わる部分についてはいっさい触れていません。また,

こうした申請行為の主体は法人にあることは言うまでもありませんが,法人主導で申請書を書

き,教員組織をつくりあげることでよい大学づくりができるとは思っていません。もっとも効

果的なやり方は,法人と大学とが信頼関係のもとで共に意思疎通をはかりながらこうした発展

計画の実現に向けて協力して進めていくということだと思います。そうした経験を北海学園で

はこれまでいくつも積み重ねてきています。そうした組織の経験は重いものだと断言できます。

今日,教育をめぐって統治者意識に満ちた政治・行政の動きが強まっているときだけに,なお

一層その感を強くしています。)

学校法人の評議員も3期12年間勤めてきましたが,そこで思うことは,全体としてうまく

経営されている点は評価する一方で,改めるべきところがあるということです。道内では比較

的歴史が古いだけにその重みでなかなか難しいのかもしれませんが,歴史のなかで築かれてき

たアンシャンレジームにかたくなにしがみつき,課題を将来に先送りしているようにも見える

からです。とくに,この半世紀でコンフリクトが表面化しにくいオーナー経営型に属する開明

的専制スタイルの経営が確立されてきていますが,チェック機能の強化には消極的で,一歩間

違うとモラル・ハザードを招きかねません。財務分析をしてみると,すでにそうした事態が目

立たないが進行しているようにも見えます。いずれ変化が訪れるでしょう。それが良い方向で

の変革につながることを願っています。

研究上の仕事>そのようなわけで,大学運営の一端を担った約10年間の記憶は研究に関して

はほとんどありません。研究と教育の準備に割く時間がほとんどとれず,苦手な行政的仕事に

頭の中が支配されていたという理由で自分を慰めています。

私の研究の中心は英米の管理会計論で,その研究を通じて感じるのは,米国の学界・実務界

のベースには総じて次のような共通の信念のようなものがあるということです。

・What cannot be understood cannot be managed intelligently(理解できないことをうまく

管理するなんてできようはずがない)Dewey(1928),The Philosophy of John Dewey:3.

・Everything can be measured and what gets measured gets managed(なんでも測れないも

のはない。測定してはじめて管理できるようになる)McKinsey(&Co.)slogan.

この世の中に測定できないものなんてない,なんでも測定できるのだ,そして測定できてはじ

めて管理できるんだ,という思想が根底にあるのです。プラグマティズムの楽天的実践主義の

影響なのか,冒頭のゴールドバーグの言葉と比べると,ずいぶん傲慢に思えます。

私の研究の主要テーマは2つあります。1つは行動会計研究(BAR)を学説的に体系化す

ること,2つは納得できるような「社会科学としての会計学」を自分なりに確立することでし

た。

企業が組織として有効に機能するためには,1つの条件として,一方で公式的・構造的問題

が,他方で人間的(心理的・行動的・社会的)問題が,常に管理問題としてなんらかの仕方で

解決されなければならないものです。この二重的課題への接近という方法的観点は米国の

1910年代から広く検出できるもので,であれば管理会計もそれとは無縁ではないだろうとの

確信をもって,後に「行動会計論」というタイトルが定着することになるその関係の文献を渉

猟する旅を続けていくことになりました。それをまとめたのが『行動管理会計論』でして,こ

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経営論集(北海学園大学)第11巻第4号

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れは博士論文『行動的予算管理学説の展開』(1998)をタイトルを変えて出版したものです。

研究によって,米国における管理会計へのヒューマン・ファクターの取り入れ方には,参加

型へ理論的に傾斜する方向と,統制-非統制の枠組みのもとでの組織コントロールを重視する

方向との2つの方向に整理できることが判明しました。さらに行動会計研究の成果は個人レベ

ル・集団レベル・組織レベルの位相にしたがって整理することもできますので,授業では分か

りやすさを重視してそうした説明の仕方をしています。そのさい心理学・社会学・経営学・経

済学,さらには比較文化論(国民文化・組織文化)といった学際的な知見との関係を意識して,

それをどう取り込むかが悩むところでした。当初は人間行動の合理性を仮定して会計現象・会

計行動の機能的研究を行う研究を追っていましたが,やがて人間行動の非合理性・非論理性を

もレギュラーなものとして研究対象に取り込むアプローチの登場にリアリティ解明の光明を見

出して研究を拡げてきております。最近では行動ファイナンス,行動経済学が市民権を得てお

り,会計分野ではAAAに比較的早くにAccounting,Behavior,and Organizations Sectionが

設置され,1989年からBehavioral Research in Accountingという機関誌が発行され,英国で

はAccounting,Organizations,and Societyという専門誌が発刊されて40年以上が経っていま

す。ですから最近では聞かれなくなりましたが,あなたの研究は会計学ではありませんね,と

いう意味のことをよく言われたものです。それでなくても,なにせ専門外の分野に手を突っ込

むわけですから不安はいつもつきまとい,自分の研究の浅さを思い知らされる毎日でした。ひ

たすら自分の関心に忠実に従い研究を続けるほかありませんでした。意識していたわけではあ

りませんが,会計と人間行動との相互作用関係を中心テーマにした「人文科学的な管理会計

論」を志向していたのだろうな,と今振り返って思います。

もう一つは「社会科学的な会計学」を志向するもので,これは厳しい東西冷戦を背景に資本

主義vs.社会主義のイデオロギー対立の影響を受けて青年期の「ものの考え方」を形成して

いったことに基因しているのかもしれません。ドイツ観念論よりマルクスやエンゲルスの社会

思想や哲学に惹かれる一方,フランス実存主義に心揺さぶられ,デューイらのプラグマティズ

ムに生活に直結する現実感を覚えるといった,精神の惑乱状態にあったわけです。そうしたな

かで,真空状態を前提にした技術論や後追いの規範論の会計学に飽き足らず,必然的な法則性

を追求する「批判会計学」に魅かれ,さらにその後,通説に見る機能主義的な研究とは異なる

代替的パースペクティブに立った研究に生き生きした現実性を感じ,とくに機能の多面性・多

義性を重視することでリアリティのある管理会計論を構想しようとしてきました。

日本の批判会計学は宮上一男の「上部構造説」と馬場克三の「個別資本循環説」が双璧をな

しており,その2つの対極の間で恩師の松尾憲橘,浅羽二郎,辻厚生といった諸先生方が活躍

されていました。

宮上説では,会計は現象の学であって,とりわけ「論理化され,概念化された粉飾である」

公表会計を研究対象にとりあげ,一定の機能と役割を担った制度としてあらわれる公表会計現

象を,①個別企業ではなく社会現象,②制度的現象(上部構造としての),③合理化・社会的

合意化の役割,④文書的現象という4点に集約して特徴づけるのです。その理論は大企業中心

の制度会計の本質解明には大変説得的で魅力的でした。

その一方で,馬場説は,会計の現実は何かという問題を解明するためには,それが資本の枠

の中で行われているかぎり,まずは客体である個別資本循環の論理が研究される必要があり,

そのうえで個別資本循環の論理がどのようにして会計的方法の論理として組み替えられるにい

―279―

最終講義によせて(内田)

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たるかの解明にとりかかれるのだという考えに立ちます。マルクス経済学の基礎づけをもって

「個別資本循環説」は会計の計算構造の解明を課題とする点で同様に説得力があり,魅力的で

した。

しかし,馬場説が方法の学としての会計学さらには資本の回収・維持計算に拡がりをみせ,

片山伍一らの経営財務論に展開する一方で,会計現象とそれを構成する会計行動の現実に迫る

にはなお下向の論理が不十分であったといえます。対して,会計現象・会計行動を公表会計で

あらわれるそれに限定する宮上説では,もう一つの会計領域である管理会計の計算構造とその

組織的・社会的機能・役割が問題視されず,その点で会計の現実の捉え方が狭いのが難点です。

管理会計の役割は,貨幣資本・生産資本・商品資本の各環節的循環運動からなる個別資本の

運動過程全般を統括管理することを促進する仕組みを本質とすると考えられるものであり,そ

の点で貨幣資本の環節的循環運動を対象とする財務管理とは区別されるのです。また,会計上

の利益(広くは会計数字)は,そうした役割をはたす仕組みの頂点にあって,「動機としての

利潤」を「結果としての利潤」へつなぐ「過程としての利潤」(「方法としての利益」)として

理解することができると概念整理されます。

しかし,こうした本質的理解にとどまっていては抽象論の域から脱することができない。会

計現象や会計行動を理解するためには下向と上向の思考の過程の往来を可能にする接近法を考

えざるをえません。経営学や会計学は経済学と違って企業や組織の個別具体的なミクロの現象

を対象とする以上,それを記述し説明する理論であって,かつ本質論を避けない理論であるこ

とが求められるからです。それには今日の実証的会計研究の傾向が一つの接近法として参考に

なるだろうと考えます。

まず会計のプロセスは,お金という価値尺度で経済的取引および経済事象を測定(評価)す

ることから始まりますが,こうしてつくられる会計数字(情報)をどう見るかで,2つの見方

があります(伊藤邦雄「会計学における秩序と変革」『一橋論叢』1987.4)。

第1の見方は,この貨幣的測定は客観的・中立的に行われる,あるいは行われるべきで,会

計数字(会計情報)は企業の経済的実態を忠実に描写する写像だという考えです。会計を,複

式簿記に象徴されるように,かなりリジッドなルールに基づいていわば機械的・定型的に実行

される技術体系と捉え,会計行動を,企業の政策や戦略的意図を排除した「硬い秩序」によっ

て規定された実践行為と捉える見方です。

しかし,今日の企業の会計行動を観察してみると,こうした見方では十分に捉えきれない行

動や会計現象が広く見られます。むしろ,そうした行動を説明するためには,異なる別の見方

をとる必要があるように思われます。

実際に,粉飾の歴史=会計の歴史だ,などと言われるように,非合法に歪められることがあ

ります。非合法ではなくても,測定・評価にあたって解釈や判断が避けられず,会計方法の選

択的適用が認められているため,ある程度合法的にあるいは会計基準の範囲内で操作が許され

ています。そうした操作の根源には人間の欲望があり,発信する会計情報によって,受け手の

経済的行動を自分にとって有利なものにしたいという送り手の欲求がそうさせるのです。これ

が第2の見方です。

この第2の見方は,企業の会計行動を,企業の政策や戦略を反映することができる「柔らか

い秩序」(会計処理に一定の自由度を認めている)を前提にした伸縮的な実践行為と捉える見

方であり,会計のリアリティを「柔らかな秩序」に規定された企業行動の束と解釈する(=企

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経営論集(北海学園大学)第11巻第4号

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業の会計行動に政策的含意を見いだす)立場です。会計は「柔らかい秩序」につつまれている

からこそ,会計政策(=企業経営者が一定の目的を達成するために会計を戦略的に制御するこ

と)が成立する余地がある。この立場にたつと,会計のリアリティは「会計政策」(account-

ing policy)にあるということになります。

この「柔らかな秩序」は2つの不確実性に特徴づけられています。第1に,一定の自由度を

もったフレームワークの内部での不確実性として,①一定時点での会計手続の中からの選択が

できるため企業間で生じる会計手続きのバラツキによって生れる不確実性と,②一度選択した

会計手続の変更が認められているため異時点間で生じる会計手続きのバラツキによって生れる

不確実性が伴います。第2に,フレームワーク自体の不確実性として,①時間の流れの中で経

済環境と現行会計規範との間にギャップが生じる。それを埋めるため規制機関は会計規範を改

変しなければならないこと。②影響を受ける利害関係者の①への働きかけ,が考えられます。

(さらに今日では,会計のバルネラビリティすなわち将来事象の予測要因が種々絡み合うこと

から生じる不確実性もあげられます。)

これらのレベルの不確実性に対して会計政策が識別できるわけです。

第1のレベルに対応した企業の立場から「私的会計政策」と第2のレベルに対応した規制機

関による「公的会計政策」がそれです。両者は相互に密接に関係し,公的会計政策は,私的会

計政策に一定の枠を設定し,その意味で影響を与える。その一方で,私的会計政策の及ぼすイ

ンパクトは公的会計政策の経済的影響の一部を構成し,程度の差はあれ公的会計政策にフィー

ドバックされるのです。

かくして,会計利益=f(企業の収益力,私的会計政策,公的会計政策),と表現できます。

公的会計政策に大きな影響を与える要因に1つには経済・財政金融の状況や政策が,2つに

は「会計観」があります。静態論(静的貸借対照表観)から動態論(動的貸借対照表観)へ,

さらには近年ハイブリッド論(公正価値会計観)へと位相を変え重層的に包摂する形でパラダ

イムシフトがなされてきています。会計政策はその時代の一定の会計観に基づいて理論的妥当

性が正当化され,合意化されるのです。

今日の制度会計の変化の背景には,過去の経営の顚末を報告することで受託した責任が解除

されるというアカウンタビリティの観点に立つ会計のあり方から,垂れ流されだぶついて貪欲

に利を求めて世界中をボーダレスに瞬時に移動する巨額の投機ファンド,グローバル金融資本

の要請に応えて,会計基準の国際的統一化と企業価値(株主価値)評価の会計理論へとシフト

させる力が働いているのです。

私的会計政策には2つのディメンジョンがあります(私的会計政策=g(技術的会計政策,

実質的会計政策))。技術的会計政策とは,会計方法の選択または変更のことです。例えば,有

価証券の保有目的の変更,棚卸資産の評価基準・評価方法の変更,有形固定資産の減価償却方

法に変更,繰延資産の処理方法の変更,外貨建て資産・負債の本邦通貨への換算基準の変更な

どです。実質的会計政策とは,アウトプットたる会計数値そのものを直接操作するのではなく,

その前提となる事業活動のベクトルを制御し,間接的に会計数値を制御することを言います。

例えば,投資有価証券や固定資産の売却による含み益(損)のオンバランス化による吐き出し,

広告宣伝費や研究開発費などの自由裁量コストの圧縮または増額などがそれです。

利益調整(earnings management)行動はこの私的会計政策から生まれるのです。利益調整

とは報告利益の調整を目的とした経営者の会計基準の範囲内での裁量行動を意味し,その利益

―281―

最終講義によせて(内田)

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調整行動のパターンには,利益増加型,利益減少型,利益平準型,ビッグ・バス(「うみ出し」

と言われるような極端な利益圧縮型)があり,そうした利益調整行動に駆り立てる経営者の動

機(税コスト節約,業績連動型の報酬契約,財務制限条項付の負債契約などに起因する機会主

義的動機や情報的提供的動機)が識別されます。こうした経営者の動機は単なる個人的な動機

ではなく,実は制度的強制力をもって働く動機でもあるのです。個人の倫理観とも相剋が生じ

ます。

このように会計情報は企業実態の忠実な写像ではありえず,築像の性質を必然的にもたざる

をえません。そして築像である会計情報は,将来に向かって企業のリアリティを構成する社会

的役割(social construction of reality)をはたすことになります。

この点で管理会計は,その意思決定促進機能と誘導機能という2つの働きを通して,社会

的・組織的文脈のなかで,時に合理的な経営資源配分の役割をはたす仕組み(表舞台の役割)

として,また時に政治的・シンボリックな役割をはたす仕組み(裏舞台の役割)として,舞台

の回転に伴って多面的・多義的な役割をはたし,組織リアリティを構成するという社会的・制

度的機能をはたしていくのです。

授業ではこうした管理会計の定義のもとで,利益計画論,予算管理論,原価管理論,資本予

算論などを体系的に理解し,さらに管理会計情報と人間行動との相互作用関係を行動会計研究

の知見を参考にしながら考えてみました。けっしてわかりやすい授業ではなかったでしょうが,

会計が単なる記帳や計算の技術論にとどまるものではないことはわかっていただけたのではな

いでしょうか。会計学を学ぶことを通して組織や社会の見方を深める,そうした社会科学とし

ての会計学を志向してきたつもりです。

こうした会計理解を視座に,現実理解に届く会計学・管理会計論をいましばらく探究してい

けたらと思っています。農作業とともに。

生のさなかに>教員生活でなによりも嬉しいのは若い人たちの成長に立ち会えることです。

毎年繰り返すように今年度もゼミの4年生はほぼ進路がきまり,3年生は就活の段階に入りま

した。みんな真剣に立ち向かっています。前に進むために悩み苦しむ姿は美しいものです。そ

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経営論集(北海学園大学)第11巻第4号

受講生と共に(1部管理会計)

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の経験こそが栄養となり,人を成長させるからです。また留学生や社会人学生の学業への真剣

な眼差しに出会えたのも大きな喜びでした。

ゼミ卒業生の中には還暦を迎えた人もいます。それぞれが人生を刻み押しもおされぬ社会人

に成長された姿に再会できた時の喜びは何物にも代えがたく,いつも感激します。社会人とし

て抜きんでた能力を備えた人物も多く,それぞれの舞台で活躍しているのを見たり聞いたりす

るのは,縁あって互いの人生を大学という学びの場で交差し,素の姿で時間を共有しあった者

として嬉しいかぎりです。最大の喜びといえるでしょう。まことに光陰矢のごとしでしたが,

一緒に成長させてもらった41年間であったような気がします。本当に贅沢な半生を送らせて

いただきました。

最後に,若い皆さんに一言。皆さんはまさに〝in the midst of life"(生のさなか)にあり,

それだけに未来は希望でもあるとともに不安にも掻き立てられているはずです。人は何の為に

生きるのか,その答えは今ももちあわせていません。確かなことは,人は受身の形で生まれ

(be born),その生も自分の意志に関係なくいずれ終わりを告げられるということです。だか

ら限りある生命を,少しでも自分の意思を感じながら,生きてみたいものです。そのときいつ

も100点満点で生きようとすると悩みは深くなるので,苦しいときには80点でなくてもよい,

ときにはぎりぎりの可でもよいですからなんとか切り抜けるようにしてでも生きてみてくださ

い。完璧はいりません。苦しい状況を切り抜けることがなによりも大事なのですから。生きて

いれば,辛抱して努力していれば,次の瞬間に,身をふるわせるような感動や喜びや仕合わせ

に出逢えることもあるのですから。新しい地平が開かれるのを見ることもできるのですから。

希望を胸に仕合わせを求めて自分なりに精いっぱい生きてみてください。幸多からんことを心

から願い,いつまでもエールを送っています。

この1年間の拙い授業に,そして41年間のわがままにお付き合いいただいたことに,心よ

り感謝します。

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最終講義によせて(内田)

受講生と共に(2部管理会計)

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(後記:最終講義で学園生活の総決算をして

みました。多くの学生と出会い,学び,送り

出していくという日常の繰り返しのなかに身

を置いてきただけで何ひとつ誇れるものはあ

りませんが,決算に例えて言えば,41年前

の若き日の債務超過のような危なげな私が,

心の中に純資産を蓄えて晴々した気持ちで今

日を迎えることができたのは,ひとえにこの

間を支えてくださった方々のお陰です。あら

ためて朋友,恩師,先輩,同僚の厚情に,父

母の庇護に,ありのままをいつも受け容れて

くれた妻と家族に心から感謝します。最後に,

経営学部・大学・学園のますますの発展・充

実を祈念しています。)

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経営論集(北海学園大学)第11巻第4号

同僚と共に

皆様ありがとうございました