ドイモイ政策と日本関係から予測 するベトナム企業 …1 章 はじめに...

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2018 ドイモイ政策と日本関係から予測 するベトナム企業の展望 名城大学経済学部産業社会学科 150322074 中場大輔 名城大学経済学部経済学科 150321159 前川輝顕

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2018

ドイモイ政策と日本関係から予測

するベトナム企業の展望 名城大学経済学部産業社会学科 150322074 中場大輔

名城大学経済学部経済学科 150321159 前川輝顕

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目次 1章 はじめに 2章 研究方法 3章 調査内容と考察 3-1 ベトナム概要 3-2 ドイモイ政策 3-2-1 ドイモイ政策への歴史的経緯 3-2-2 ドイモイ政策の概要 3-2-3 ドイモイ政策の成果 3-2-4 ドイモイ政策の問題点 3-2-5 ドイモイ政策転換後の経済政策

3-3 日本との関係 3-3-1 日本との関係と歴史的経緯 3-3-2 日本との関係の現状 3-3-3 日本的経営 3-3-4 HANEL PLASTICS 3-3-5 AN PUE VIET 3-3-6 UMC

4章 まとめ 5章 参考文献

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1 章 はじめに ベトナムは中国と同様に共産党による一党社会主義体制である。政治体制や経済政策が

中国と似ていることから「ミニ中国」として呼ばれることもある。社会主義体制のもとで

人権費の安さや巨大な市場を武器に「世界の工場」になしえた中国のように、「ミニ中国」

もまた「世界の工場」になっていくのか注視する必要がある。ジェトロ資料より三菱 UFJ銀行国際業務部が作成したデータによると、ハノイで就労しているベトナム人の 2007 年か

ら 2017 年の 10 年間における一般工の月額賃金は 79 ドルから 204 ドルへと約 3 倍弱上昇

している。このように近年ベトナム人の賃金が上昇しつつあるベトナム企業の展望を社会

主義体制下における政策面、企業単位で分析することで今後のアジア経済、さらには中国

のように世界に影響を与える存在になるかが判明すると考えベトナム企業を本研究テーマ

とした。 本研究の目的は、ベトナム企業の展望を明らかにするため①ベトナム企業の成長を語る

上で欠かすことのできない「ドイモイ政策」による変化を分析すること②過去現在の「日

本との関わり」を分析することである。ベトナム企業を細かくみていくと「日本との関わ

り」が顕著にあらわれる。例えば、日本企業と取引が多く技術力の元になっている点やベ

トナム企業経営者が日本的経営を目指している点にある。このように「政策面におけるベ

トナム企業の成長」と「ベトナム企業と日本との関わり方」を分析することでベトナム企

業の現状を明らかにできベトナム企業の展望がわかると考えた。 本研究の内容は①ベトナムを社会主義体制その政策からベトナム企業を分析するため

「ドイモイ政策」を取り上げる。ドイモイは 1986 年のベトナム共産党第 6 回党大会で提起

されたスローガンであり、主に経済、社会思想面において新方向への転換を目指すもので

ある。スローガンを大きく 4 つに分けると⑴社会主義路線の見直し、⑵産業政策の見直し、

⑶市場経済の導入、⑷国際協力への参加を進めることが決定された。具体的な政策として、

企業の自主的裁量権の拡大、農業請負制の導入自分の企業、自分の農地としての意識改革

がなされた。さらに海外資本の投資なども受け入れ、大きな対外開放政策をとるようにな

った。 まずはドイモイを始めるに至る歴史的経緯を述べ、ドイモイ政策の概要・成果・問題点を

洗い出し、ベトナム企業に焦点を当てて展開していく。 ②「ベトナム企業と日本との関わり」を分析するため、まずは歴史的、経済的な関わり

から述べていき、企業単位ではベトナム企業の方向性や実態を把握、分析するために現地

ベトナム企業3社を本研究では取り上げる。取り上げる企業は⑴HANEL PLASTICS ⑵AN PUE VIET ⑶UMC である。この 3 つの企業はどれもハノイにある製造業であり、⑴

HANEL PLASTICS と ⑵AN PUE VIET はベトナムローカル企業であり、 ⑶UMC は日

系企業である。共通している点は日本企業との関わり、日本的経営を目指している点であ

る。⑴HANEL PLASTICS と日本とのかかわりは取引先メーカーの多くが日本企業という

ことである。⑵AN PUE VIET は JICA の補助により日本的経営のノウハウを取り入れ経

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営規模を急速に拡大している。⑶UMC は本社が日本にあり、代表者もまた日本人の日系企

業である。これら企業に現地調査を行いその調査結果をもとに企業単位でベトナムを分析

していく。 本研究の特色・独創的な点は、ベトナムという国柄を生かした調査をしたことである。

例えば、ベトナムは社会主義国家であるため政策面にあらわれる特色を取り上げる点やや

ベトナム製造業企業は日本企業と多く取引、かかわりがあることから日本とも関連付けな

がら展開していく点にある。多くの観点からベトナムを政策面、企業面を分析することで

本研究の意義があると考える。 2 章 研究方法 研究方法は、以下の①、②の方法で調査した。 ① ドイモイ政策に至るまでの経緯と生じた問題点、その後に与える影響を文献、政策デー

タ、書籍を用いて文献による先行研究調査。 ② 実際に現地企業調査としてベトナムハノイを訪問し、2018 年 10 月 31 日 9:00~12:00

に⑴HANEL PLASTICS を訪問、2018 年 11 月 1 日 9:00~13:00 に ⑵AN PUE VIETを訪問、2018 年 11 月 2 日 13:00~17:00 に⑶UMC を訪問した。それぞれの企業トッ

プの方と担当者の方から概要や業績、強みなど丁寧な説明を受け、その後工場勤務のス

タッフから生産工程、部品管理、試作、開発部門の詳細説明を受けた。それだけでなく、

ベトナム人経営者、ベトナム駐在日本人経営者が大切にしていること、モノづくりの軸

を学ぶことができた。経営者や担当者の方々は筆者の質問にもわかりやすく回答してい

ただいた。

本研究で明らかにする点は、①ドイモイ政策への歴史的経緯とその問題点と成果を洗い

出し、ベトナム企業へ与えた影響を分析すること、②ベトナムと「日本との関わり」に焦

点を当て歴史的、経済的な関連性をまとめ、ベトナムの企業単位での実態を分析すること

である。本研究ではこれらを通してベトナム企業の展望を検討する。 3 章 調査内容と考察

3-1 ベトナム概要

ベトナムの国土は、日本の 0.88 倍で、北は中国、西はラオス、カンボジアと国境を接し、

東と南は南シナ海に面している。 人口は 9073 万人であり、インドネシア、フィリピンに

ついで ASEAN 第 3 位の人口を有する。首都ハノイが 709 万人、ホーチミンが 798 万と 2大都市に人口が集中している(ベトナム統計総局 2014 年)。 高い経済成長率の維持、過度なインフレの縮小、貿易自由化の促進(貿易協定の推進等)、

9000 万人以上の人口、28 歳という若い平均年齢(ベトナム統計総局 2014 年)からマーケ

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ットとしての安定成長が見込めるといった魅力がある。 また、マーケットとしての魅力に

加えて、中国に進出している企業、または中国への投資リスクを回避するという観点から、

チャイナプラスワンとしても、ベトナムが注目されている。 本研究テーマであるベトナム企業の展望を論じていく上で欠かせない要素のひとつは社

会主義体制である。社会主義国でなければドイモイ政策のような経済面において資本主義

的要素を取り入れることはしない。従って、まずは社会主義国となっていった変遷をベト

ナムの英雄とされるホーチミンと交えながら論じていく。 ベトナム近代史を大きく分類すると 7 つに分けることができる。 ① 1887 年のフランスによる植民地化 ② 1945 年のベトナム独立宣言・南北に分裂 ③ 1975 年のベトナム戦争終結、南北統一 ④ 1986 年ドイモイ(経済開放)政策導入 ⑤ 1995 年 ASEAN 加盟、アメリカとの国交回復⑥2007 年 WTO 加盟 ⑥ 2009 年日越 EPA(自由貿易協定)発効

まず、ドイモイ政策以前の①、②、③について以下で説明し、その後のドイモイ政策以

降については、次項にて詳細に説明する。

ドイモイ以前 ①1840 年、宗主国であった清朝がアヘン戦争以降急激に弱体化し、中国大陸は西洋列強

に分割支配されるようになる。清朝の属国であったベトナムもまた例外ではなく、フラン

スによって植民地支配された。フランスはベトナムのほか、ラオス、カンボジアをまとめ、

それらを「フランス領インドシナ」と名前と名付けた。ベトナム当時の王朝である阮朝は

存続していたが、政治や行政は事実上フランスによって運営されていた。フランスは人民

に重税を課せ、ベトナムの塩や酒、アヘンの販売を専売化させた。このような中、フラン

スからの独立の気運が高まり、ベトナム知識人らはソビエト連邦に接近し、ソビエト連邦

は独立運動を援助した。この知識人の中に建国の父ホーチミンもいた。 ②1945 年、第二次世界大戦の戦勝国となったフランスはベトナムへの執着が増した。独

立を求めるベトナムとの第一次インドシナ戦争が勃発する。この戦後処理がうまくいかず、

ベトナムは北緯 17 度線を境として、南は「ベトナム共和国」北は「ベトナム民主共和国」

に南北に分裂した。ここでホーチミンはスターリンと毛沢東に接近し、2 人からベトナムは

独立国家だと認められる。当時の中国とソビエト連邦は社会主義国であるため、ベトナム

が社会主義国となることを恐れたアメリカはこれに介入、ベトナム戦争へと続いていくこ

ととなる。ベトナム戦争は「アメリカとソビエト連邦の代理戦争」と言われている。北ベ

トナムをソビエト連邦、中国が支援し、南ベトナムをアメリカが支援し戦争は激化した。 ③1973 年にパリ和平協定が締結され、1975 年にサイゴンが陥落しベトナム戦争は終結し

た。アメリカが支援した、南ベトナム(ベトナム共和国)が敗北し、戦勝国はソビエト連邦、

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中国が支援した北ベトナム(ベトナム民主共和国)である。このようにしてベトナムはソビエ

ト連邦や中国に倣った社会主義国家となった。

3-2 ドイモイ政策

3-2-1 ドイモイ政策への歴史的経緯

前述のようにベトナムは南北に分かれており、北は社会主義、南は資本主義の社会であ

った。北部で進められた社会主義化は形態上では進展したが、戦争による破壊のため、生

産組織の拡大や生産性の向上には限界があった。 1975 年に南北が統一され、ベトナム社会主義共和国となった。統一前の 60 年に採択さ

れた「社会主義への過渡期全体の中心任務は社会主義工業化の達成」という経済路線をも

とに、統一後 76 年のベトナム共産党第 4 回党大会で、76~80 年間の第 2 次 5 ヵ年計画が

採択された。この計画は、重工業の育成を重視することで社会主義工業化の達成や、南部

の社会主義的改造を目標としていた。 南ベトナムの社会主義的改造が本格的に行われたのは 77 年中頃からである。しかし、南

部の社会主義化を急ぐあまり、北部とは完全に異なる社会的経済的制度の現実的側面に不

満が高まった。そして資本主義であった南部の国民にとって、社会主義的改造による集団

化は生産意欲を低下させることにつながった。さらに自然災害の発生や、西側諸国、中国

との関係悪化により海外からの援助が停止されたこともあり、社会主義工業化は失敗に終

わった。 79 年に新経済政策が導入された。この政策では、南部の非社会主義セクターの活用、経

済管理の地方分権、一定の市場導入、価格や賃金の調整等を行い、軽工業や農業を重視す

ることで民生の安定をはかった。さらに 85 年には、価格、賃金、通貨制度の改革が行われ

た。 新経済政策と 85 年改革により以前の完全な社会主義化ではなく、非社会主義セクターの活

用や自由裁量権の拡大を少しずつ取り入れるなど、経済的な資本主義の制度も取り入れる

ようになった。一方で価格高騰、インフレ、所得格差などの問題が悪化し、85~86 年のイ

ンフレ率が 70%という最悪の経済状況に陥った。 3-2-2 ドイモイ政策の概要

このような背景のもと、ドイモイ政策は 1986 年のベトナム共産党第 6 回党大会でスロー

ガンとして提起され、主に経済、社会思想面において新方向への転換を目指した。スロー

ガンを大きく 4 つに分けると⑴社会主義路線の見直し、⑵産業政策の見直し、⑶市場経済

の導入、⑷国際協力への参加を進めることが決定された。具体的な政策として、企業の自

主的裁量権の拡大、農業請負制が導入され自分の企業、自分の農地としての意識改革がな

された。さらに海外資本の投資なども受け入れ、大きな対外開放政策をとるようになった。

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1987 年まで深刻なインフレが続いていたが、1988 年に入りドイモイ政策の効果が表れ、

また同年は新外貨法により、外国投資が導入され、景気回復を迎えた。さらに外国投資法

改正により、ベトナム企業と外国との直接合弁設立が可能となった。(山崎 2017)

3-2-3 ドイモイ政策の成果

特に市場経済への方向転換の成果は大きく、公営、国営以外に私企業や私有財産を認め

ることになった結果、国民の意識が大きく変わりベトナム経済活性化の原動力になった。 その後の成果として、2002 年には実質経済成長率は 7%となり、大きな伸びを見せ、2008年には 1 人当たりの GDP は 1000 ドルを超え、低所得国から中所得国になった。特に約 8割が農民や農村居住者である農業国ベトナムのドイモイ政策が農業に与えた影響をみてみ

ると、かつて米の輸入国だったベトナムが 1989年に突然世界 3位の米の輸出国と変貌した。

これも農民が自分の農地を増やし、作物を売る相手も選べるようになったという、農業へ

の市場原理の競争原理が導入された結果である。 このようにドイモイ政策では、社会主義国でありながら経済面においては資本主義的要

素を取り入れたことで成功した。その結果、国際関係の改善や、社会主義緩和によって、

共産主義であったため 30 年間加盟できなかった ASEAN に 95 年加盟することができた。

さらに経済成長率は 95~96 年で 9%、2000~2010 年で 7.26%、GDP は 2 倍となった。

(ASEAN WORK NAVI 2017) ドイモイ政策の成果を人口の推移でみていくと、総人口は常に 1%の人口成長率を維持し

ながら確実に人口増加していることがわかる。特に都市人口の増加が著しく地方人口が若

干の減少が見られることから、地方から都市へ労働力が流れ都市化が進んでいることが見

て取れる。

出所:ベトナム統計総局データより (注 都市とは、行政区分において区および町に居住する人口であり、地方とは村の居住

人口である。)

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出所:ベトナム統計総局データより

図 2 はベトナムにおける 2016 年の年齢別人口構成である。ピラミットの形は富士山型で

はなく、つり鐘型である。これは 14 歳以下の人口比率が 1989 年の 69.8%から 2016 年に

は 34.9%に大きく減少したためである。ベトナムはこれまで生産人口の増加を表す人口転

換期の人口ボーナス期が終わりつつあり、65 歳以上の人口比率も 1989 年の 8.4%から 2016年 11.7%と着実に高齢化が進んでいる。言い換えれば日本をはじめ先進国の悩みである「少

子高齢化」が表れつつあるほど経済発展があったとも言える。 3-2-4 ドイモイ政策の問題点

しかし、一方で格差が生まれているという問題点がある。経済発展に伴い、首都ハノイ

や南都のホーチミンを中心に生活レベルが急激に向上し、富裕層や中間層が出現している

一方で、山間の少数民族などは依然貧困に苦しんでおり、貧富の格差が深刻化している。

また、市場開放して自由競争をすれば競争原理に基づく結果、そこに勝ち組と負け組みに

別れ、貧富の格差が生じることになるという問題も忘れてはならない。 図 3 ベトナムの 1 人当たり月間収入(1999 年と 2001 年と 2003 年の比較)

図 3 の通り、依然として農村部と都市部の経済的格差は大きく、急速な経済成長ととも

に数多くの社会問題が順次露呈するようになった。

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3-2-5 ドイモイ政策転換後の経済政策

ベトナム共産党と政府は貧困家庭支援に積極的に対応することや、1996 年の第 8 回党大

会において、2020 年までにはさらなる近代工業国家として成長することを方針に掲げてい

る。その後、国際市場への積極的参加が強調され、1999 年の企業法の公布、2000 年の外国

投資法の改正に繋がった。 2001 年の第 9 回党大会では、「社会主義指向の市場経済化」というスローガンを掲げる。

国家丸抱えから多部門経済の一体的な発展が強調された。そして第 11 回党大会において、

工業化路線の修正が加えられ、量的な拡大による高度経済成長型から、経済構造の質的向

上を模索するものであった具体的に「3 つの戦略的突破口」「成長モデルの刷新」である。

「3 つの戦略的突破口」とは⑴社会主義指向の市場経済体制の整備⑵人的資本の形成⑶イン

フラ建設である。成長モデルの刷新は、高度人材育成とハイテク、バイオなどの高付加価

値産業の発展を軸とした新たな成長モデルを確立していくという方針である。 また、海外からの直接投資も政治的な安定と安価な労働力を背景に増加している。日本

でも中小企業間でベトナムは希望進出先のトップに挙げられる。そのどれもが「ドイモイ

政策」による市場経済の導入、海外へ向けても開かれた市場としてベトナムが注目され始

めたことによると言える。

3-3 日本との関係

ベトナム工業の展望を考える際、重要項目となるのが日本企業・技術・経営との関係に

あると考える。それは、筆者達がベトナム工業の中心地となるハノイを訪問した際に、他

の東南アジア諸国の工業と同様に日本との関わりなくして語ることが出来ないと感じたか

らだ。例えば、ベトナム南部の 1998 年に政府が国家レベルのハイテク開発とそれらの応用

のための研究センターのモデルとして設立を認可された工業団地であるホアラックハイテ

ク工業団地、1996 年に日本の住友商事とベトナム建設省管轄の国営企業との共同出資によ

り開発が行われた工業団地であるタンロン工業団地、ベトナム企業とマレーシア企業の合

弁によって 1997 年に設立され、半数以上を日系企業が占めているノンバイ工業団地などが

ある。これらすべて日本企業との密接な関係がある。そのためベトナム工業の展望として

過去現在の現状を知るためには日本との関わりに焦点を当て考察していく必要がある。実

際に我々が訪問した 3 社では日本的な経営・技術がみられた。研究方法として日本との関

係の歴史的経緯・現状・日本的経営・展望を考察していく。

3-3-1 日本との関係歴史的経緯(日本企業進出を中心として 2000 年代まで)

本章では経済的な日本との歴史的関係を年代別に見ていく。最初の関わりとして 8 世紀

に、ベトナムから渡来僧「仏哲」が日本を訪問し、ベトナムの雅楽「林邑楽」を伝えたと

ころからスタートする。しかし、経済的な関わりが深まるのは日本が戦後の経済発展によ

り経済大国となったのちの近代である。

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1970 年代から歴史的に研究する。まず 1973 年の国交樹立が行われたことは国際関係が

正式にスタートしたといっていいだろう。しかし、ベトナムの内政として 1975 年のサイゴ

ン陥落により、南ベトナム政府や軍の関係者、華僑、商工業者など、共産主義政策をかか

げる新体制下で迫害を受ける恐れのある人や、新体制に強い不安や不信 を持つ人々が難民

として大量に国外に流出し始めた。また、1979 年から 1989 年までのカンボジア侵攻と 1979 年の中越戦争による軍事費の増大と生産力の減少によって、ベトナムは経済の危機に

陥ることとなった。この頃ベトナムは戦後の混乱や政府の不安定さから経済的に成長が著

しいとは言えないだろう。この頃の日本の関わり方としては日本企業初の駐在員事務所が

設立された。これは石油の開発と石炭買い付けでの北ベトナムとの取引を行うものであっ

た。旧南ベトナム・サイゴン政権下で、ベトナム南部沖で日商岩井が参画する日米連合が

石油開発を進め、1973 年にバクホー油田の出油が確認されている。これは日本としてベト

ナム経済に大きく関わった一歩目であると言えるだろう。 1980 年代にはいると 1980 年前後からマレーシアを中心とするルック・イースト政策が

東南アジア諸国の成長モデルとして定着していた。東南アジア諸国の工業化に日本的経営

が浸透化し始めたのもこの頃である。1986 年ドイモイ政策が打ち出された内容として経済

開放政策・国営企業の民営化や、国営企業への経営自主権の拡大・市場経済体制が行われ

たことでベトナムへもルック・イーストの波が押し寄せた。日本的経営は日本企業が進出

している東南アジアの製造業で見られるものである。ベトナムは中国の社会主義市場経済

導入を真似ていたため、遅れて社会主義市場経済が導入された。そのため日本企業が進出

を急速化させたのは 1990 年代になってからである。 1990 年代に入ると 1993 年 3 月のキエット首相訪日以後,首脳間の往来も頻繁化したこ

とや、1999 年 6 月には秋篠宮同妃両殿下が日本の皇族として初めて訪越されたこと、1992年 11 月に経済協力が再開されたことなど、関係が急速に発展した。この時期に東南アジア

で第 2 位の人口 7000 万人を有し安価な人的資源が豊富であること、巨大な国内市場を持っ

ていること、地理的に東南アジア中心地であることなどを理由に日本企業の進出が本格化

はしていないものの増加していく。 ここでは日本からベトナムへ最も進出が盛んな機械工業に焦点を当てて状況を見ていく。

日系機械系企業はベトナム国内の市場への販売が目的で、ベトナム側との合弁形態での進

出が多いのが特徴であった。2 つの企業(ソニーとシャープ)を例としてみていく。まずソ

ニーでは,ビエトロニクス社のタンビン工場で委託生産として組立作業を始めた。合弁期限

は 10 年で 1995 年にはカラーテレビを 10 万台,ラジオ・カセットプレーヤー9 万台を生産

する計画を立てていた。また、シャープでは,伊藤忠商事と協力し、ベトナムのジャン・ボ・

エレクトリック社の工場で 1994 年の 11 月からカラーテレビの組立生産を行う計画を立て

ていた。このように日本の機械工業が積極的に進出していったことが分かる。またこの頃

ドイモイ政策での成果が上がり始め、1995 年~1996 年には 9%台の経済成長率を記録して

いる。

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2000 年代に入るとこれまで本格化とまではいかなかった日本企業進出が急激に増加して

いく。2005 年 7 月から 9 月に実施された日本企業に対する国際協力銀行のアンケート調査

の結果によると、ベトナムが将来有望な投資先として中国、インドとタイに次ぐ第 4 位に

位置付けされ、日本企業から強い関心を集めていることがわかる。しかし、同時に進出先

として問題点も挙げられていた。たとえば、地場裾野産業が未発達・インフラの未整備な

どである。筆者達が訪問した 2018 年になってもインフラ等の設備などまだまだ完全ではな

いと感じることがあった。また 2000 年代に起こった日本との関わりとして 2004 年の日越

投資協定発効がある。日越投資協定は、投資の許可段階における内国民待遇および最恵国

待遇の原則供与、並びに、投資阻害効果を有する特定措置の履行要求の原則禁止等を規定

するなど、投資の自由化、促進および保護に関して包括的に規定するものであるこの協定

により、両国における投資環境の整備および安定化が図られるとともに、両国間の経済関

係が更に緊密化することが期待されるようになった。他のかかわりとして 2003 年に投資環

境改善のための官民合同の枠組である「日越共同イニシアティブ」が開始され、また 2009 年にはベトナムにとって初めての日越二国間経済連携協定(EPA)を発効した。この頃ベト

ナムは WTO 正式加入・米越通商協定発効・、TPP 交渉への参加など国際経済への統合を

掲げている。 これまで過去のベトナムと日本との関わりを見てきて、ベトナムのドイモイ政策後の急

速な経済発展には日本企業進出・日本政府援助が深く関わってきたと言えるだろう。特に

ベトナムは日本企業進出に伴いベトナムへ流入してくる日本的経営や日本的教育・国際協

力により、ベトナムにおける製造業が変化してきたのだと考える。

3-3-2 日本との関係の現状

前述したように過去の日本との関係性を調査することにより、1980 年代からグローバル

化したベトナム経済は日本と関わりを深めてきたことが分かった。この経緯をもとに現在

の日本とベトナムの関係性をみていく。 近年になると日本とベトナムとの関係性は多くの戦略的利益を共有するとても重要なパ

ートナーという位置づけになっている。ベトナムに日本が深く関わってきたように日本の

製造業にとってもベトナム製造業が大きな存在となってきている。現在の日本では少子高

齢化による人口減少・産業縮小により国際経済での新たな市場が必要となっており、政治

的安定や急速な経済発展があるベトナムは魅力的な国であるといえる。首脳間の交流も多

数行われており、日本からは、天皇皇后両陛下・安倍総理が来越、ベトナムからはフック

首相に加えティン国家副主席が来日するなど関係性は継続されている。 これまで調査してきた日本企業の進出においても日本の外務省領事局政策課が発表した

海外進出日系企業実態調査の結果によると、2017 年 10 月 1 日時点でベトナムに進出して

いる日系企業数は、前年比プラス 7.6%増の 1816 拠点と現在も急増傾向にある。国・地域

別ランキングで見ると、前年の 7 位から順位を 1 つ上げて 6 位に上昇している。近年では

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これまで日本の大企業が中心として進出していたが、中小企業の進出が目立つようになっ

た。また、国際関係を見る上で重要となる観光客数においても、日本人訪越者 481,500 人

(2011 年)から 798,100 人(2017 年)に増加、ベトナム人訪日者 41,048 人(2011 年)

から 308,900 人(2017 年)に増加となっている。投資の項目では 2017 年末時点での累計

投資認可額は495億ドルで2013年までトップ。現在は韓国に次ぐ 2 位で 2017 年単年

は 4 年ぶりに金額で1位となっている。また日本の技術協力としては下記の図 4 のように

近年も積極的に協力している。 図 4 日本からの技術協力 2014 年 2015 年 2016 年 ・消費者保護行政強化 ・通貨発行機能強化 ・税務行政改革支援フェ

ーズ4 ・道路維持管理能力強化 ・「国として適切な緩和行

動」策定及び実施支援 ・ビンズオン公共交通管

理能力強化

・流域水環境管理能力向上 ・建設事業における積算管

理、契約管理 ・持続自然資源管理 ・2020 年を目標とする法、

司法改革支援 ・日越大学修士課程設立 ・VNACCO による税関行政

近代化

・新卒看護師のための臨床

研修制度強化 ・北部地域における安全作

物の信頼性向上 ・ベトナム日本人材協力セ

ンター、ビジネス人材育

成、拠点機能強化 ・金融政策、経済分析予測

能力向上 出典 JICA 2018 2015 年には「戦略的パートナーシップ」を,より高い水準である「アジアにおける平和

と繁栄のための広範な戦略的パートナーシップ」へと協力関係を発展させている。これに

より新たな次元の協力が,政治的信頼の現れであり,あらゆる分野における二国間関係の

深く広い発展を反映し,両国国民の願望に応えつつ,彼らの基本的かつ長期的な利益のう

ちに存するものであり,地域と世界の平和,安定,協力及び発展に貢献するものであるこ

とを表明した。このように経済関係は良好でベトナム経済も順調に発展してきたことが分

かる。

3-3-3 日本的経営

前章では日本とベトナムの経済的な関係性を研究してきた。その結果を踏まえるとベト

ナム製造業の経営的・技術的発展を語るには日本の存在は欠かせない。この章ではベトナ

ム製造業と日本の関係を「日本的経営」の観点から深堀する。日本的経営といっても日本

製造業の生産システムや経営面・技術面・教育面など幅広い視点から考察する。日本的経

営について研究する理由として 2 点ある。1 つ目にこれまでベトナム製造業は先進国との国

際的な関わりや先進国に近づく方針で成長してきた点があげられる。2 点目としてはマレー

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シアがルック・イースト政策で経済発展を進めたように東南アジア工業の成長例としてグ

ローバル社会を意識した日本的経営が重要である点があげられる。筆者が訪問したベトナ

ム企業 3 社には多種多様な日本製造業との関わりが見受けられた。それらを例に挙げ 3 種

の日本との関わり方で企業ベトナムの現状を調査する。

3-3-3-1HANEL PLASTICS HANEL PLASTICS の日本との関わり方は「日本企業が主な取引先」であることだ。こ

の企業はプラスチックを成型しベトナム航空の機内食に使われる食器や日本でも使われる

給湯器のケースを製造している。他にも、梱包などに使用する発泡スチロールを成型して

いる企業である。総投資額 1500 億ドンの 2 つの工場を所有し、発砲スチロール、プラスチ

ックを製造し、主に、ベトナム国内の外資系企業へ向け、電化製品、電子製品、家具など

の部品を製造している。HANEL PLASTICS は環境を守ることで持続可能な会社にしてい

くことを重要視している。2007 年には ISO14001 を取得し、2016 年には、ISO50001 を取

得し、環境面で大変高い評価を得ている。主な取引先としては Canon・TOTO・Panasonicなどの日系企業が 60%でサムスンなど韓国企業が 25%、その他が 15%といった比率とな

っている。 日系企業が主な取引先であるため、検品作業があり取引先企業側から何時間に 1 回と回

数を決め検品や最終確認を行っている。検品する部屋は温度管理もしっかりしており、日

本企業の基準で検査が設定されている。主な取引先である日本企業に合わせた生産スタイ

ルとなっている。 問題点としては日本企業のような洗礼されていて厳格な社風の会社と比べると見劣りす

る。工場内を自由に撮影できるなど情報管理の面でも意識の低さがあった。教育面におい

てもルールに従わない人が多く、自分で勝手に判断してしまうことが多いという問題がみ

られた。生産設備においては清掃・手入れの行き届いていない箇所があり、設備も最新の

ものではないため生産制度が未発達であると考えられた。

3-3-3-2 APV APV の日本との関わり方としては「JICA 支援のもと日本的な教育制度・会社環境を取

り入れ、大きく改善した企業」であることだ。この企業では、Samsung のスマートフォン

ケースや brother、HONDA など大手企業向けの電子部品や電話・バイク等のプラスチック

部品の製造・組み立てを行っている。最新の製造ラインを所有しており、JICA からの支援

を受け、日本や韓国で経験を積んだ技術者により多様多種なプラスチック製品を製造して

いる。またAPV では設計・加工まで全てベトナム人スタッフで構成されている特徴がある。

95%をベトナムの日系企業や韓国企業へ販売しており、5%は海外へ直接輸出している。材

料は日本、韓国、ベトナムの日系企業からの輸入している。元々日系企業に勤めていた社

長が、日本の生産方式を参考にして起業した。

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しかし、幼い頃の日常生活の中でも規則があまりないベトナムでは、規則を守ることや

仕事をすることに対しての命令が遵守されず、日本の5S も文化の違いから受け入れられな

かった。このように日本の生産方式と同じような体制をつくったとしても、社員の意識を

変えることや、その状態を維持することが最も難しく、何度ももとの状態に戻ってしまう

ことがあった。問題点の改善として JICA の支援を受け、セミナー参加や支援申請の結果ベ

トナム最初の 4 社の中に選出され、3 年間 JICA の支援を受けた。 JICA 支援は①基礎調査 ②案件化調査 ③普及・実証・ビジネス化事業を経て行われる。

①基礎調査では約 1 年間、途上国の課題解決に貢献し得るビジネスモデルの検討に必要な

基礎情報収集を支援する。②案件化調査では数か月から 1 年程度に渡り、途上国の課題解

決に貢献し得る技術・製品ノウハウ等を活用したビジネスアイデアや ODA 事業での活用可

能性検討、ビジネスモデルを策定する。③最後の普及・実証・ビジネス化事業では 1 年か

ら 3 年程度、途上国の課題解決に貢献し得るビジネス事業化向けて、技術・製品ノウハウ

などの実証活動を含むビジネスモデル検証、提案製品等への理解促進 ODA 事業での活用可

能性の検討などを通じた事業計画案の策定を支援する。 結果として生産ラインを清潔に整頓することや資料による生産ラインの確認やクレーム

の数をデータで表しや改善点を考える会議を定期的に行われるなどの改善に至る。また売

上は高水位で推移し発展している。JICA 支援による問題点としては企業によって支援後も

日本的制度が定着しなければ変化がみられない場合があることだ。

3-3-3-3 UMC UMC の日本との関わり方は「日系企業」である点である。UMC は 2006 年設立、社員

数 3700 人(2018 年 10 月末)で主にOA機器(制御基板・電源基板)、車載製品・産業用機器

を製品の開発設計・部品調達・基礎実装・完成品組み立てまでの一括生産をしている。本

社が日本にあり、代表者もまた日本人の日系企業である。現在では意思決定や技術は中国

に集約されており、ベトナムから中国へ年に数回研修が行われている。 UMC の強みは低コストへの徹底である。大卒ベトナム人の初任給は日本円で約 2 万円で

ある。すなわち、人件費の安いベトナム人を起用し低コストを実現している。しかしなが

ら賃金が安いが故にその労働者は非常に流動的で長く定着せず不安定なデメリットもある。

UMC はそれに対応するため「自動化」に力を入れ安定化・コストカットしている。技術力

として必要な人材に関しては工場から近い場所に住むベトナム人を雇い技術者の流出の阻

止を図っている。日本的経営として見られたのは徹底的な品質管理・教育制度・生産設備

においてである。一方で雇用制度においては日本的経営と異なる点が見られた。日本では

年功序列・終身雇用がおおよそ一般であるが UMC は実力主義である。多国籍企業では国や

文化に対応してシステム変更を行う特徴がある。

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4 章 まとめ 本研究を通して、社会主義国家ベトナムのドイモイ政策、日本とのかかわりを中心に調

査をし、ベトナム企業の展望を考えた。現在多くの国は資本主義国家であり、社会主義国

家ベトナムは少数派である。ソビエト連邦崩壊の歴史からわかるように、社会主義国家下

では経済成長に限界がる。そのような中、ベトナムは経済面においては資本主義的要素を

取り入れたことで目覚ましい経済発展を遂げた中国を参考にした。筆者はベトナムの優位

性(ASEAN の中心に位置している地理的優位、勤勉で安価な労働力、人口 9000 万人以上の

巨大な国内市場)を生かし、中国のような社会主義国家下の経済大国になるのか疑問に感じ

た。調査していく中で、ベトナム経済はドイモイ政策によって大きな転換期を迎えた。 ドイモイ政策は⑴社会主義路線の見直し⑵産業政策の見直し⑶市場経済の導入⑷国際協

力への参加を進めることをスローガンに大幅な路線変更した。成果として、2002 年には実

質経済成長率は 7%となり、大きな伸びを見せ、2008 年には 1 人当たりの GDP は 1000 ド

ルを超え、低所得国から中所得国になった。一方、問題点として「都市部と農村部の貧富

の差」が早くも露呈、さらには「少子高齢化」の兆しも見え始めている。 一方、日本との関わりからでは歴史的・文化的・技術的・経営的に日本から影響をベト

ナム工業が受けており、これまでのバックグラウンド的な要素となっていることが分かる。

3 社比較では特に日本との関わり方が密であることに比例してグローバルの要素では成功

していることが分かった。様々な要素で異なる日本を受け入れることはベトナム工業にと

っては困難ではあるため、三社比較した中では日系企業は有利となっている。また今後の

ベトナム工業の動きとしては、訪問した 3 社すべてから声が上がっていた「韓国・中国」

との関わり方が重要視されると考えられる。日本企業に追随する形で成長している韓国・

中国工業が、これまでベトナムをはじめ東南アジアに影響を与えていた日本にとって代わ

るように先進する立場となることが予想される。 6章 参考文献 HANEL PLASTICS 2018 年 HP https://www.nc-net.or.jp/company/86035/アクセス

2018 年 10 月 JETRO 2018 年 日本貿易振興機構 HP https://www.jetro.go.jp/ アクセス 2018 年

10 月 JICA 2018 年 独立行政法人 国際協力機構 HP https://www.jica.go.jp/index.html

アクセス 2018 年 11 月 UMC エレクトロニクス 2018 年 HP

https://www.fact-link.com.vn/mem_profile.php?id=00000280&page=00000354&lang=jp アクセス 2018 年 11 月

岩崎育夫 2017 年 入門東南アジア近現代史 講談社

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香川 広海 2005 年「ベトナムのドイ・モイ後の経済格差の拡大とその要因」現代社会文化

研究 No.34 http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/bitstream/10191/1090/1/18_0207.pdf アクセ

ス 2018 年 10 月 関 満博 2012 年 ベトナム市場経済化と日本企業 経営労働協会 田中 隆 2018年 「ベトナムにおけるドイモイ政策と経済開発の課題」日本大学大学院総

合社会情報研究科紀要 No.19, 109-119

http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf19/19-109-119-Tanaka.pdf ベトナム統計総局 2014 年 第 03 回 ベトナムの最新事情(国の概況、経済概況、投資メ

リット及びリスク)

http://www.fujitsu.com/jp/group/fjm/mikata/column/tohmatsu3/003.html アクセス

2018 年 11 月