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ダカール、夢、幻影。 DAKAR 2015 アルゼンチン〜チリ〜ボリビア 2015年1月4〜17日 Edit : Hisashi Haruki 1979年に第1回パリ〜ダカールラリーが開催されてから37回目の大会。ラリーがその舞台 を南米に移してから早くも7回目の開催だ。450cc化によって多くのチームが参入するよう になったMOTO部門は、Hondaファクトリーチームの参戦によってさらに盛り上がりを見せ る。連勝記録を伸ばす王者KTM、トップブランドの誇りを賭して挑むHRC、二つのチーム を中心に描かれるストーリー。地球規模に拡がるマップに映し出された、夢と幻影。人々は、 このラリーに何を見るのか。 Joan Barreda Team HRC Red Bull Content Pool

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Page 1: ダカール、夢、幻影。...ダカール、夢、幻影。DAKAR 2015 アルゼンチン〜チリ〜ボリビア 2015年1月4〜17日 Edit : Hisashi Haruki 1979年に第1回パリ〜ダカールラリーが開催されてから37回目の大会。ラリーがその舞台

ダカール、夢、幻影。

DAKAR 2015 アルゼンチン〜チリ〜ボリビア2015年1月4〜17日Edit : Hisashi Haruki

1979年に第1回パリ〜ダカールラリーが開催されてから37回目の大会。ラリーがその舞台を南米に移してから早くも7回目の開催だ。450cc化によって多くのチームが参入するようになったMOTO部門は、Hondaファクトリーチームの参戦によってさらに盛り上がりを見せる。連勝記録を伸ばす王者KTM、トップブランドの誇りを賭して挑むHRC、二つのチームを中心に描かれるストーリー。地球規模に拡がるマップに映し出された、夢と幻影。人々は、このラリーに何を見るのか。

Joan Barreda Team HRCRed Bull Content Pool

Page 2: ダカール、夢、幻影。...ダカール、夢、幻影。DAKAR 2015 アルゼンチン〜チリ〜ボリビア 2015年1月4〜17日 Edit : Hisashi Haruki 1979年に第1回パリ〜ダカールラリーが開催されてから37回目の大会。ラリーがその舞台
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 ラリーの舞台が南米に移る直前にあたる時期

のデータを振り返ってみよう。2006年大会は

ポルトガルの首都リスボンがスタートになって

いた。ポルトガル政府観光局と主催者のASO(ア

モリースポーツオーガニゼーション)との間には

3年間の契約が結ばれていて、翌2007年もリス

ボンがスタート。2008年はテロリズムの危険の

ために中止となり、サハラ時代のダカールラリー

はリスボンで終焉を迎えた。

 2006年は、AUTOが174台、MOTO、232

台(クアッド含む)のエントリー。1990年代の一

時期、2輪のエントリーは30台を下回っていた

が、この頃のスペイン、ポルトガルの好景気も

あってラリーはその人気を回復していたのだっ

た。ちょうど、オリオールやライエが走ってい

た黄金期のパリダカに憧れた世代が、経済的な

余裕を持ち、夢を実現できる年齢になったとい

うことも要因になった。そして今年、2015年は、

AUTOが合計202台、MOTOは212台と、ヨー

ロッパのチームにとって敷居の高いものになっ

ているにも関わらず好調が続いている。ラテン

アメリカの「熱い」ファンの支えによって、ダカー

ル人気は再燃しているのだ。

 一方、メディアへの露出はどうだろう。2006

年は187 ヶ国、84チャンネル、TVでの延べ

放映時間563時間。25 ヶ国から集まる800名

のジャーナリストがラリーをフォローした。昨

2014年は、190 ヶ国のチャンネルで、放映時

間1200時間に及んだ。しかもこれはバラエティ

番組やニュースでの速報を除いた数で、視聴者

は十億人超。10年前との比較で2倍強という数

字である。さらに、ASOが力を入れているイン

ターネット上での情報発信は、オフィシャルホー

ムページで8千万アクセス、800万人のユニー

クユーザー数を記録。youtubeでの再生回数も

700万回を超えた。F-1、WRCを含めて、単独

のモータースポーツイベントとしては最大のメ

ディア露出量である。ダカールラリーとは、地

球を相手にした、生身の人間が作り出すドラマ

であると同時に、モニターを通じてそれを注視

する観客にとっては、メディアが作り出したバー

チャル(幻影)のアドベンチャーであるということ

も言えるだろう。

 カメラを搭載した機動力の高いヘリは、テレビ

やPCのモニターの前にすわる人々のかわりに、

神の目となって、トップライダーの命懸けの走

りを追い続ける。数百名のジャーナリスト、カ

メラクルーがそれぞれのアングル、それぞれの

言語でストーリーを描き、1秒でも早くと、ニュー

スを配信する。ASOは、毎日ゴールした瞬間に

トップ選手たちのインタビューを行い、ホーム

ペーシに、文字だけではなく、音声データをアッ

プロードして肉声を伝える。しかもすぐさまフラ

ンス語、スペイン語に翻訳までして…。そして

2時間後には、動画ニュースとしてダイジェスト

ムービーが編集されアップロードされる。これも

多言語でだ。イリトラックシステムは、フォロー

したい選手のゼッケンを入力するだけで、まさ

にリアルタイムに地図データ上に現在位置を表

示させる。まるでビデオゲームのようにトップ

チームの競走をウォッチすることもできる。走っ

ているのは、もちろん生身の人間だ。

 こうしたサービスはすべて"FREE=無料"で、

世界中のファンに共有される。視聴者は、現場に

いる者たちよりもずっと多くの情報を手に入れ、

ラリーを俯瞰することができる。居ながらにし

て手に汗を握るリアリティを感じることができ

るのだ。

 だが、そのリアリティは決して、提供される

情報量が多いことによってだけ成立するのでは

ない。

 そこで演じられているものは、人間の、ある

ひとつの真実に根ざした物語なのだ。だからこ

そ我々は、このラリーに特別なものを見るので

はないか。

マルク・コマをエースライダーに層の厚い編成のKTMラリーファクトリーチーム。ここまですでに13連勝。豊富な経験、情報力。総合的なタクティクスで他者の追随を許さない。RallyZone Bauer/Barniバーチャルリアリティの冒険

メディアが伝える真実のドラマ

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KTMファクトトリーチームに抜擢された初出場のトビー・プライス。オーストラリアのトップライダー。有名なフィンケデザートレースや、エンデューロ国内選手権、オーストラリアン4デイズエンデューロでも数多くのタイトルを持つ。またISDEでは、先のアルゼンチン大会でE3クラス優勝。こうしたライダーを見出す組織力もKTMの強さ。プライスは、モロッコラリーでナビゲーションをトレーニングしただけで、さほど自信を持ってのスタートというわけではなかったが、類まれな適性を見せて、見事3位のポディウムに立った。Kins M.

RallyZone Bauer/Barni

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マラソンステージ2日目、ウユニからイキケのステージ。寒さ、冠水したソルトフラッツ。濃い塩水がライダーとマシンを痛めつけた。タフなラリーが印象付けられる1日となった。ライダーはKTMのマシアス・ウォークナー。Red Bull Content Pool

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今年からプジョーに移籍し4輪に転向した5度の2輪王者、シリル・デプレ。デビュー戦は序盤にタイムロスが多く、AUTO総合の34位。ステージ成績では9位が最高記録となった。Red Bull Content Pool

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 ウユニ塩湖のマラソンステージの強行は、予

想を超えてラリーの流れに大きな影響を与え

た。MOTO部門の休息日明けとなったETAP-7

は、イキケからウユニまでの717km(SSは

321km)というステージ。雨でマディコンディ

ションにはなったが、HRCのホアン・バレダが

転倒してハンドルバーを折損、6分ほどタイムロ

スをしたというほかは大きな変動もなく終了。

 ビバーク地となったウユニは冷たい雨が続い

ていた。気温はマイナス、夜半には雪となって

ラリーの続行には苛酷な悪条件と考えるチーム、

選手が多かったが、コースディレクターである

ダビド・カステラは、予定通りETAP-8を実施す

る決定をした。ただし悪条件を考慮して、SSは

781kmから350kmに短縮。だが、もっとも厳

しかったのは、SSの前半、ウユニのソルトフラッ

ツ(塩原)を走る区間だった。30cmも冠水したソ

ルトフラッツは、まるで海の中を走るようで、ラ

イダーもマシンも徹底的に塩水にまみれた。「濃

い塩水だから凍っていないが、真水だったら凍っ

ていたんじゃないか」と言われるほどの冷たい

水である。

 多くのマシンが塩水によるダメージでストッ

プした。多くは電気系統が、またラジエターを

詰まらせたり、前後サスペンションのオイルシー

ルが破れてしまったり、ファクトリーチーム、プ

ライベーターの別なく、今まで起きたことがな

いようなトラブルに見舞われた。

 ついていないと言いたくなるのは、HRCだ。

よりによってラリーをリードしていたホアン・

バレダがストップした。サポートライダーのヘ

レミアス・イスラエルに牽引されて、なんとか

イキケに戻ることができたが、トップ争いから

は完全に脱落することになってしまった。KTM

ファクトリーチームにもダメージはあった(ジョ

ルディ・ビラドムがマシントラブルでリタイア)

が、エースのマルク・コマはノートラブルでこ

のステージを乗り切って、一気にトップに躍り

出る。そして、南米KTMチームのパブロ・クィ

ンタニラがステージ優勝を飾り、総合3位に浮上

した。4位トビー・プライス(KTM)、5位ステファ

ン・スビッコ(KTM)、6位ルベン・ファリア(KTM)

と続く。前半、HRCのペースで進んでいたラリー

は、ウユニのステージを境にしてKTM優位に傾

いた。

 リタイアしたビラドムは「こんなふうに危険な

コンディスションでスペシャルステージを強行

したのは間違いだ。マシンが壊れるか壊れないか

は運、不運に左右されていた。リタイアしたのは、

マシンのせいでもなく、ライダーの自分のせいで

もない。主催者のミスジャッジだと思う」とコ

メント。こうした意見は彼だけのものではなかっ

ただろう。GASGASファクトリーチームのジェ

ラルド・ファレスも塩湖の中で電気系統をやら

れて、エンジンストップ。復帰を試みるが、塩

水の海で寒気にさらされ、ハイポサーミア(低体

温症)に襲われてしまう。なんとかイリトラック

のスイッチを押して、救難信号を発信。無事に

ヘリで救助されるが、体温は27℃まで低下して

いた。もう少し救助が遅くなれば危険な状態だっ

た。

 一方で、主催者のASOは、ベテランライダー、

ダビド・カストゥのコメントをピックアップし

て、当日のウェブサイトのニュースフィードに掲

載した。「タフなステージでした。最初の50km

はそうでもなかったんですが、途中から水が増

えてきて、そこを140〜150キロで飛ばしてい

くものだから、水の上に浮いて走ってましたよ!

 でも今日のスタートを決断したラリーディレ

クターがまったく間違っていたとは思いません。

ライダーには素晴らしい体験でしたよ。ダカー

ルでは、あらゆる能力が試されるってことです。

もし今日のステージが、後半の砂丘だけだったと

したら、確かにそれも楽しかっただろうと思い

ますが…、でもこれは世界でもっともタフなレー

スです。オーガナイザーの判断は正しかったと

思います」。

 タフなステージに賛否両論が出るのはいつも

のことだ。公平性を欠くという種類のものでは

なかったが、現在の車両にとって、ビラドムが

言うように苛烈な条件であったことも確かなよ

うだ。だが、これは他でもなくダカールラリー

なのだ。他のラリー、FIMクロスカントリーラリー

世界選手権の一戦とは違う、地球上で最も過酷

なテストでなければならず、チームやライダー

がどのように望むかとは関係なく、そうあるこ

とを求められている。過酷な状況、生命の危機、

挫折、不運。その中で人間が見せる不安や焦燥も、

ラリーというリアルなドラマの大事な構成要素

だ。ライブ配信されるニュース、映像、テキス

トを通じてこのドラマを目撃した視聴者にとっ

ても、これはまさしくダカールだったはずだし、

2015年のラリーを象徴するステージにもなっ

ただろう。「ダカールはこれでいいんだ。これで

こそダカールだ」と。 

    本誌に続く

ダカールをダカールたらしめるものこれは地球上で最もタフなテストだ

エルダー・ロドリゲス(左)とホアン・バレダ。オフィシャルチーム5名のライダーは全員、ポルトガル語、スペイン語のスピーカーでその点でもコミュニケーションの良さが強み。チームワークの良さで、マラソンステージの苦境を乗り切った。Red Bull Content Pool