グローバル金融危機の行方平成20 年(2008 年)11 月6 日 no.2008-14...

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平成 20 年(2008 年)11 6 NO.2008-14 グローバル金融危機の行方 ~主要国の金融危機分析からの視点~ 目次 1. はじめに~グローバル金融危機の行方 2 (経済調査室長 内田和人) 2. 日本の金融危機を振り返る 6 (岩岡聰樹・髙山真) 3. 米国における過去の金融危機の経験 21 (山口綾子・山中崇) 4. 1990 年代前半の北欧金融危機について 31 (武南奈緒美) 5. 旧西ドイツ・ヘルシュタット銀行破綻(1974 年)について 36 (武南奈緒美) 1

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平成 20 年(2008 年)11 月 6 日 NO.2008-14

グローバル金融危機の行方

~主要国の金融危機分析からの視点~

目次

1. はじめに~グローバル金融危機の行方 - 2 -

(経済調査室長 内田和人)

2. 日本の金融危機を振り返る - 6 -

(岩岡聰樹・髙山真)

3. 米国における過去の金融危機の経験 - 21 - (山口綾子・山中崇)

4. 1990 年代前半の北欧金融危機について - 31 - (武南奈緒美)

5. 旧西ドイツ・ヘルシュタット銀行破綻(1974 年)について - 36 - (武南奈緒美)

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1.はじめに

米投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻処理を受けて、金融危機はグローバルに一

気に拡散した。資本市場に加えて、銀行間市場までもが機能不全に陥るなかで、連鎖

的な金融破綻リスクが顕現化。米国のみならず、欧州でも金融機関の救済合併や国有

化が相次いだ。 昨年のサブプライム危機から始まった金融危機のステージ移行で捉えると、第 3 段

階の「ソルベンシー危機」から第 4 段階の「連鎖的な金融機関破綻」へ移行である。

「ソルベンシー危機」の段階では、個別金融機関の破綻や特定地域・商品における流

動性クランチに止まり、金融危機のソフトランディングが可能であるが、「連鎖的な

金融機関破綻」の段階では、金融システムが機能不全に陥り(金融システミックリス

ク)、世界的な株価急落・ドル安加速が現出する。この局面では、通常のマクロ経済

対策(金融緩和、財政出動)はほとんど効かなくなり、ハードランディングに向かっ

てしまう。このため、まず金融危機を押さえ込む、金融システムを回復させる緊急避

難策が国際協調の枠組みで実施されることが重要となる。

 第1段階(昨年秋~年末)  第2段階(今年初~2月中旬) 第3段階(2月末~7月末) 第4段階(8月末~現在) 第5段階 金融危機の段階 サブプライム危機 モノライン危機 ソルベンシー危機 連鎖的な金融機関破綻 戦後最悪の金融不況

クレジット危機

サブプライム関連の巨額損失証券化商品の価格急落SIV問題(資金流動性リスク)ABCP市場の急縮小

モノライン保険会社の格下げクレジット危機の拡大(LBO,CMBS、クレジットカード),証券化市場の機能停止、CDSカウンターパーティリスク

モーゲージ危機の深刻化、金融機関のクレジットライン厳格化大手ヘッジファンド破綻、ベア・スターンズ証券の経営危機GSE問題

連鎖的なSolvency破綻金融システミックリスクの増大世界的な株価急落・ドル安の加速

戦後初の大手銀行の連鎖破綻グローバルな金融危機の伝播世界株大暴落、資本の自国回帰が加速金融市場の機能不全

対策(米国)

断続的な利下げ、TAF(緊急避難的な資金流動性供給)、サブプライムローン債務者の金利減免要請

緊急利下げ、大規模な減税(1680億㌦)決定自己資本増強(SWF)

大幅利下げ継続、TSLF(米国債貸出制度)ベア・スターンズ証券への緊急融資PDCF(プライマリーディーラー向け連銀貸出)不良債権処理の受け皿機関設立?金融監督体制改革

危機対応の金融政策(FF1%、モーゲージ証券買いオペ等)住宅ローン救済措置拡大、公的資金投入(RFC、RTC)住宅ローン借入救済措置の拡大

金融モラトリアムの発令、金融機関救済執行法等の制定、現代版ニューディール政策

(先進国)TAFの協調参加(4中銀:ECB、BOE、カナダ、スイス)

G7(2月)で「世界経済の下方リスクと金融機関の自己資本増強」を表明BOEは利下げ実施

TSLFの協調参加(4中銀:ECB、BOE、カナダ、スイス)自己資本増強の強化

政策協調の強化(日米欧協調利下げ、ドル買い協調介入、国際的な金融支援の枠組み)、不良債権処理のセイフティネット(公的資金投入)

世界的な金融モラトリアム体制大規模な財政支出、実質マイナス金利政策の長期化

米国経済クリスマス商戦以降に急失速。マインド先行の悪化。

個人消費が急失速、雇用も減少に転じ、リセッション懸念強まる。

雇用調整が加速し、景気後退局面入りが現実味を帯びる。住宅危機の長期化懸念からマインド下振れ。

信用収縮加速で深刻なリセッション入り(企業倒産・個人破産、失業者増大)

失業者増大や資産デフレの深刻化から将来不安が急拡大。消費・投資が大幅な減少を示し、3-4年にわたり、深刻な景気後退を余儀なくされる。

ル経済

米国以外は概ね堅調。特に新興国経済は景気過熱懸念が強く、中国・インドでは金融引き締め強化

欧州は景気減速の兆候。新興国経済は引き続き堅調、特に資源国の需要強い。但し、世界的な株安で先行き減速懸念が台頭。

新興国株価も大幅な調整を余儀なくされ、世界的な減速リスクが拡大。但し、新興国の内需経済は引き続き底堅く、世界経済の失速リスクは小さい。

新規投資案件のキャンセルが相次ぎ、消費需要も冷え込み、国際商品市況も急落に転じ、新興国経済も急失速する。世界経済は同時景気後退局面に陥る。

世界経済が縮小均衡に入り、貿易取引、生産量が激減する。各国とも保護主義政策(ブロック経済化)へ傾斜。非資源国・輸出依存国が深刻な打撃を受ける。

対策

グローバ

実際、米国は 大 7000 億ドルの公的資金を注入する金融安定化法案を可決し、欧

米6中銀による協調利下げが敢行された。その後、G7 の行動計画を基に、①銀行へ

の公的資本注入、②流動性保証プログラム(銀行間取引、決済預金を政府が保証)、

③欧米中銀スワップ協定による無制限のドル流動性供給策、④IMF、世銀による緊急

融資等が矢継ぎ早に実施された。国際協調的な異例の緊急危機対策を受けて、第 5 段

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階の金融危機に陥るリスクは、後退しつつある。 公的資金投入や大規模な流動性供給を主体とした欧米金融支援策により、金融シス

テムの崩壊は何とか止血された。但し、世界経済のリセッション懸念が薄らぎ、不良

債権処理の進捗が確認されるまで、金融・資本市場の正常化は期待できない。過去の

金融危機を参考すると、金融市場の不安定な状態は少なくとも約 1 年程度続いている

(後論である「過去の主要国金融危機分析」をご参照)。 今後は「金融市場のパニック(金融危機)」から「バランスシート調整(実体経済

の収縮)」に移行していく。金融危機の根源である米国の貸出種類別に延滞率(30 日

以上)をみると、住宅ローンは 4%を超え史上 高レベルに達している。商業不動産

も 90 年時(延滞率 12%)の水準には遠いが、ショッピングセンターなどの経営が急

速に悪化している。今回のリーマン破綻の影響から、同社が多く保有する商業用不動

産向け融資を中心に信用収縮が加速し、先行き延滞率の大幅上昇が予想される。加え

て①貸出態度が過去 大の厳格化レベルにある、②資産構成において住宅ローン・商

業用不動産ローンの比率が高まっている等を勘案すると、不良債権比率は、90 年代初

期を超える水準(4%程度)まで上昇する可能性が大きい。米地銀の経営悪化の広が

りが懸念される。

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2

4

6

8

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12

85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08

全体

ビジネス

クレジットカード

住宅

商業不動産

米国商業銀行の延滞率(30日以上)%

(資料)FRB資料より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

一方、実体経済では、信用収縮に伴う悪影響が個人消費、特に自動車販売に顕著に

表れている。米新車販売台数は、2007 年末から 11 か月連続で前年比マイナスを記録

しているが、9 月は 15 年振りに月間 100 万台を割り込んだ。JD パワー&アソシエイ

ツは、今年の新車販売台数を 1420 万台から 1360 万台に下方修正、2009 年は 1320 万

台へさらに落ち込むとの予想を示している。 自動車販売が急減した主因は、クレジット環境の悪化である。実際、消費者信用残

高(クレジットカード、自動車ローン等)は、約 16 年振りにマイナスに転じた。信

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用収縮はこれまで住宅ローンに止まっていたが、クレジットカードなどの日常生活の

資金繰りまで影響を及ぼし始めている。これは米国でも、日本のデフレ時代同様、節

約消費を始めたことを示唆するものである。

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14

16

18

20

22

88 90 92 94

(年率、百万台)(前月比、%) 売

過去、金融

は、先進国を中

オバマ新大統

動が実施され

1929 年から 1し、不良債権

先進国経済は

FRB は 10 月

げを実施して

利 1%を過去

ており、今後

水準の政策金

性供給・金融

本型の量的緩

翌 10 月 31

グローバル金

示した。また

の逆戻り(低

キFRB議長

①潜在成長率

を参考にすれ

ろう。

自動車販

96 98 00 02 04 06 08(年)

1976-2007年の平均

-1.0

-0.5

0.0

0.5

1.0

1.5

2.0

2.5

90 9

危機の翌年は、世界同時不況に陥っている。

心に景気後退色を強める可能性が大きい。一

領の下で、中低所得者向け減税・雇用対策を

る可能性が大きい。日欧及び新興国も大型景

932 年に起きたような世界大不況は何とか回

処理や金融バランスシート調整など経済成長

2010 年前半まで低迷を続けよう。

30 日に、50bps の大幅利下げを断行した。

以来、わずか 3 週間しか経過していないにも

低水準まで引き下げた。声明文をみると、

の金融・経済の情勢次第では、1930 年代の大

利が実現する可能性がある。また、FRB は、

支援(TAF,TSLF,PDCF)の強化やCPの買い

和政策に踏み込んでいるように思われる。

日には、日銀も利下げに踏み切った。白川総

融危機に起因した世界経済の調整には相当

、展望レポートで示された 2009 年の経済・物

成長、マイナス物価)」である。デフレ研究の

も示唆し始めているが、金融危機後の負債調

の下方屈折リスク、②デフレリスクを内包す

ば、今後、金融政策(量的緩和政策)の重要

4

消費者信用残高

5 00 05 (年)

来年前半にかけて世界経済

方で、米国大統領選挙後、

主体とした大規模な財政出

気対策を打ち出しており、

避される見通しである。但

の抑制要因が残存するため、

同月 8 日に緊急・協調利下

かかわらず、一気に政策金

追加利下げに含みを持たせ

恐慌時よりも低い史上 低

大幅利下げと同時に、流動

取り等を実施しており、日

裁は利下げ後の記者会見で

な時間を要するとの見方を

価の姿は、「デフレ時代へ

第 1 人者であるバーナン

整は長期化する傾向があり、

る。過去の主要国金融危機

性は一段と高まることにな

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グローバル金融危機~今後の展望(ポイント)

市場パニックは沈静化したが、危機は継続している。 2009 年は世界同時不況

金融収縮⇒実体経済の悪化(金融危機の翌年は例外なく景気後退)、 先進国はマイナス成長(米国の金融問題は楽観2-3年、悲観4-5年)

欧米金融・経済不況の TUNAMI⇒新興国へ飛び火(アジア危機型の不均衡危機も)

金融緩和(低金利政策)は長期化の公算

「超低金利政策+大規模な流動性供給の継続」により、過度な金融バランスシート 調整(経済収縮)を抑制させ、次の景気拡大循環を待つ。米国は、日本型の量的緩 和政策に踏み込みつつある。

米国の市場原理主義は後退、社会資本主義(大きな政府)のプレゼンス拡大

米大統領選挙のオバマ氏圧勝でニューディール政策(大型経済対策) ⇒2010 年に景気回復期待、但し、規制の強化、保護主義化の副作用 (リスクシナリオ)米国経済の潜在成長力に低下リスク

米国負債調整にはかなりの時間を要する(楽観2-3年、悲観4-5年)。 UL 字型回復(低成長の長期化)や資本効率悪化による生産性の低下リスク デフレリスクの台頭

金融資産⇒実物資産へのマネーシフト

国際商品(特に農産物、希少資源)の相対価値上昇、金融資産の相対価値低下 先進国⇒資源国への資金シフト継続(グローバルマネーの偏在化)

金融の原点回帰

信用リスクの相対的取引、銀行・証券の融合化(CIB)モデルが主流化。 資本市場における安価な調達コストは修正(直接金融における信用コスト上昇)

新たな国際協調体制の枠組み構築

21世紀型金融危機はグローバル化拡散が特徴 中銀・監督当局の連携、制度の共通化、CDS等の取引所取引化 安定性・安全性の高い会計制度の検討(フェアバリュー会計の検討・導入) グローバルなセイフティネット(公的資金投入、政府保証、クロスオーバー担保) 金融サステナビリィ経営の指針

三菱東京UFJ銀行 経済調査室長

内田 和人

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2.日本の金融危機を振り返る

米国の金融危機が深刻化するなか、日本の 1990 年代後半を中心とする金融システ

ム危機を、(1)政府の危機対応策、(2)金融機関経営への影響、(3)マクロ経済・

金融の動向、の観点から振り返ると以下の通り。

(1)金融危機への政府の対応策

①バブル崩壊~1996 年:個別対応として信用組合・住専の処理が進展(第 1 ステージ)

1990 年代初頭のバブル崩壊以降、経済活動の停滞や地価の下落を受けて金融機関

の不良債権問題は徐々に悪化する。しかし、90 年代半ばまでの政府の対応は、不良

債権問題は金融機関自身の問題として金融機関に解決を求める自己責任政策を原則

としたほか、護送船団行政の下、金融機関破綻処理の制度が不備だったこともあり、

ad-hoc な対策が中心となる。この間、世論も公的資金投入は不要との見方が大半を

占めた。

特に、1994 年頃までは当局でも金融機関側でも積極的な対応策は取られない。1993年に共同債権買取機構が金融機関の共同出資により設立されるが、不良債権買取原

資は不良債権を持ち込む金融機関の融資が前提であったため、不良債権処理は進展

しなかった。不良債権問題は悪化を続け、1994 年末には東京協和信用組合と安全信

用組合の経営が行き詰まり、戦後初めて金融機関が破綻。さらに 1995 年にはコスモ・

木津信組や兵庫銀行など、中・小規模の金融機関の破綻が増加し、住専問題も浮上

する。

こうした事態に対処するため、政府は 1996 年 6 月に金融 3 法と住専処理特別法を

成立させ、①破綻信用組合処理の枠組み整備、②ペイオフの一時凍結、③住専から

債権を引き継ぎその管理・回収を行なう住宅金融債権管理機構の設立と 6,850 億円の

公的資金投入、など、金融システム安定化に向けた枠組みの整備が進む(表)。また、

信組の破綻処理機関として整理回収銀行が設立された(東京協和・安全両信組の受

け皿である東京共同銀行を改組)。ただし、この時点でも、金融機関の破綻処理はあ

くまで信用組合に限られ、普通銀行の破綻処理制度の整備は遅れる。

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■破綻信用組合の枠組み整備 ・監督庁への倒産手続開始申立権付与、協同組織金融機関を対象とした更生手続導入

 ・預金保険機構は整理回収銀行に対し資金援助・出資・債務保証等を行なう。

 ・ペイオフコストを超える資金援助のための特別勘定を預金保険機構に設置。

■ペイオフの一時凍結 ・預金を2001年3月まで全額保護。

■住宅金融債権管理機構(住管機構)の設立 ・預金保険機構及び日銀の拠出金により設置。

 ・預金保険機構と一体で、住専から譲り受けた債権回収を行なう。

 ・6,850億円の公的資金を投入。2次ロス発生時には政府・民間の共同責任。

■早期是正措置の導入 ・銀行監督当局は自己資本比率が基準を満たさない金融機関に対し、

  ①経営改善計画の作成と実施命令、②業務の一部又は全部の停止命令、を行なう。

 ・1998年4月以降の適用(その後是正措置命令の発動は1999年4月まで延期)。

 (注)金融3法とは、預金保険法改正法、経営の健全性確保のための法律、更生特例法。

 (資料)鹿野嘉昭「日本の金融制度」、日銀金融研究2000.12号等より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

金融3法及び住専処理特別法

表 : 1996年6月に成立した金融システム安定化策の概要

②1997 年~1998 年の金融システミック・リスクを受け本格的対応進む(第 2 ステージ)

その後、大蔵省からの金融行政の分離など規制当局の組織再編等が行なわれるが、

阪和銀行の清算など金融危機は進展する。1997 年 11 月には三洋証券の破綻によりイ

ンターバンク市場で初のデフォルトが発生、信用収縮が加速するなか、北海道拓殖

銀行、山一證券、徳陽シティ銀行が連鎖破綻する金融システミック・リスクが現出

する(第 2 ステージ)。

大型の連鎖倒産を受けて公的資金投入が必要との認識が急速に高まり、1998 年 2月、「金融機能安定化緊急措置法」と預金保険法改正により、総額 30 兆円(13 兆円

は公的資本注入、17 兆円は破綻処理資金)の公的資金枠が準備され、同年 3 月に 1兆 8,156 億円の資本注入が大手 21 行に対して実施される。

しかし、金融機関が申請した公的資金注入額は小規模にとどまり抜本的解決には

至らない。また、拓銀の破綻等を受けて破綻金融機関処理の枠組み拡充の必要性が

問われるなか、1998 年 10 月に「金融再生法」と「早期健全化法」が成立し、①総額

60 兆円の公的資金枠、②金融再生委員会設置、③金融整理管財人制度、④特別公的

管理・ブリッジバンク制度、⑤整理回収機構の設立、⑥破綻前金融機関に対する資

本注入スキーム、を柱とする金融機関の破綻処理と破綻予防のスキームが漸く確立

された(次頁表、次々頁図)。

金融再生法における金融機関破綻処理の原則として、①破綻金融機関の財務内容

その他の経営状況の開示、②経営の健全性確保が困難な金融機関を存続させないこ

と、③破綻金融機関の株主及び経営者等の責任の明確化、④預金者等の保護、⑤金

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融機関の金融仲介機能の維持、⑥金融機関の破綻処理費用の 小化、が定められた。

60 兆円の公的資金枠は、預金保険機構内に①ペイオフコストを超える特別資金援

助等を扱う特例業務勘定(17 兆円)、②特別公的管理銀行・ブリッジバンクに対する

資金の貸付や金融機関からの資産買取を扱う金融再生勘定(18 兆円)、③健全な金融

機関に対する資本注入を行なう金融機能早期健全化勘定(25 兆円)、が割り当てられ、

預金保険機構の日銀や金融機関からの借入に対して政府が保証をつける形をとった。

■金融再生委員会の設置 ■破綻前金融機関の資本増強スキーム

 ・金融再生法に基づく金融機関の破綻処理(破綻認定、処理方法決定)。  ・金融機関発行の優先株・劣後債等引き受け。

 ・早期健全化法に基づく資本の増強。  ・金融機関(銀行・信組等)の申請に基づき金融再生委員会が

 ・金融破綻処理制度、金融危機管理の企画・立案。   株式等の引受け等を承認。

■金融整理管財人制度  ・自己資本比率に応じた厳しいリストラが前提。

 ・旧経営陣に替わり1年以内に破綻処理を行なう。  ・預金保険機構が整理回収機構に委託して引き受け。

 ・旧経営者の民事及び刑事上の責任追及。  ・預金保険機構が日銀・金融機関借入や債券発行により資金調達。

 ・金融機関の法人格存続、業務も継続。  ・資金調達に対して政府が保証。

■特別公的管理(一時国有化)制度  ・資本注入を受ける金融機関は、金融再生委員会に対し

 ・大手銀行の破綻処理策(長銀・日債銀に適用)。   経営健全化計画を提出、その承認を受けたうえで、履行義務を負う。

 ・経営陣入替に加え、預金保険機構が全株式を保有(国有化)。  ・政府保有優先株へ配当不能となると、政府に議決権が発生し、

 ・適用の判断は金融再生委員会が行なう。    経営支配権が政府に移行。

■承継銀行(ブリッジバンク)制度  ・詳細は下図参照。

 ・譲受金融機関が無い場合に預金保険機構の

  子会社として破綻金融機関を承継する。

■整理回収機構(RCC.日本版RTC)設立

 ・整理回収銀行と住管機構を統合。金融機関から買取った不良債権の管理・回収を行なう。

 ・破綻金融機関からの不良資産買取は金融再生委員会・運営委員会が判断。

 ・破綻していない一般金融機関からも不良債権買取が可能(53条)。

   金融機関(銀行・信組等)申出により、相対で不良債権を損失リスクを織り込んだディスカウント価格で直接買い取り。

   買取価格は預保内に設置された買取価格審査会が審査。

 ・買取資金は日銀・金融機関が融資し、政府が保証(金融再生勘定)。

 ・2001年3月末までの時限措置。

 (資料)預金保険機構年報等より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

金融再生法金融機能の再生のための緊急措置に関する法律(2001年3月迄の時限措置)

早期健全化法金融機能早期健全化緊急措置法(2001年3月迄の時限措置)

表 : 1998年10月に成立・施行された金融機関の破綻処理及び資本増強スキームの概要

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(出所)預金保険機構年報平成 12 年度版より転載

③1999 年以降、恒久的な破綻金融機関処理制度が確立(第 3 ステージ)

1999 年以降、金融システムは小康状態を取り戻すが、銀行の資本不足に対する懸

念は残存し、同年 12 月にペイオフ解禁の延長が決定される(定期預金は 2002 年 3月末まで、流動性預金は 2003 年 3 月末まで)。また、2000 年 5 月の預金保険法改正

により、恒久的な金融機関破綻処理制度として、①通常の枠組みとしての金融整理

管財人制度と、②危機的な事態における金融危機対応措置、が整備される。

後者②については、地域の信用秩序の維持に極めて重大な支障が生じるおそれが

あると認められる場合、金融危機対応会議を経て、(ⅰ)金融機関の資本増強、(ⅱ)破綻又は債務超過の金融機関に対するペイオフコスト超の資金援助、(ⅲ)債務超過の破

綻金融機関に対する預金保険機構による全株式の取得(特別危機管理銀行)、が行な

われる。

2002 年に導入された金融再生プログラム(2005 年 3 月末までに大手銀行の不良債

権比率を半減)により不良債権処理が加速するなか、2003 年 4 月には官製の事業再

生ファンドである産業再生機構が設立され、ダイエー等の大企業の再生支援が図ら

れる。同年 6 月のりそな銀行に対する資本注入(2 兆円。上記②(ⅰ)のスキームを利

用)を経て、不良債権問題は本格的な収束に向かう。

なお、金融危機対応・不良債権処理のため、公的資金はピークで 70 兆円が用意さ

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れ、これまでに金銭贈与 19 兆円、金融機関の資本増強 12 兆円を中心に計 47 兆円が

投入されているが(表)、金銭贈与を除くと既に 8~9 割が回収されている。このた

め、実際の負担額は 22.1 兆円、うち国民負担額は 10.4 兆円(残りは預金保険料を充

当)。ちなみに、不良資産の買取については(下表②)、破綻金融機関からの資産買

取が約 6.4 兆円、特別公的管理銀行等からの買取約 3.1 兆円が中心であり、健全行か

らの資産買取は約 3,500 億円程度と小額に止まった。

表 : 公的資金による資金援助等の実施及び回収状況(2008年3月末時点)(兆円)

実施額a 累計回収額b 負担額a-b①金銭贈与 18.6 - 18.6②金融機関からの資産買取り 9.8 9.6 0.2③金融機関の資本増強 12.4 10.2 2.2④その他(資金貸付・損失補填等) 6.0 4.9 1.1合計 46.8 24.7 22.1

(注)金銭贈与のうち、10.4兆円は国民負担として確定済み。

   残りは金融機関から徴収した預金保険料より充当されるが、6.9兆円が徴収済。

(資料)預金保険機構年報より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

(2)金融機関経営への影響

金融機関は、バブル崩壊に伴う貸出先の業況悪化・倒産、地価下落による不動産

担保価値の減少等を受けて、業務純益や株式売却益を大きく上回る不良債権処理を

迫られる(下図)。

全国銀行の不良債権比率はピークの 2002 年 3 月末に 8.4%まで上昇。不良債権処

理額は累計 98.9 兆円(1992 年度~2007 年度)と名目 GDP の約 20%に達し、同期間

の業務純益 80.3 兆円は全て不良債権処理に回った計算となる。

-15

-10

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0

5

10

15

92 93 94 95 96 97 98 99 2000 2001 2002 2003 2004 2005

株式売却益

業務純益

不良債権処分損(マイナス表示)

不良債権処分損と業務純益・株式売却益の推移(兆円)

(注)不良債権処分損=貸倒引当金繰入額+直接償却等(資料)全銀協「全国銀行財務諸表分析」より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

(年度)

10

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この間、1997 年末には、三洋証券破綻をきっかけとするインターバンク市場の収

縮や、金融機関の自己資本の毀損が懸念されるなか、急激な貸出アセットの圧縮が

起こり(下図)、実体経済に対して大きなデフレ圧力として作用する(後述)。バブ

ル崩壊に伴う企業部門のバランスシート調整の深刻化、構造的な資金余剰主体への

転換、を受けて、銀行貸出は約 6 年に渡る減少トレンドを余儀なくされる。

-10

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1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008-25

-20

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10

15

20

25

銀行貸出(右目盛)

金融機関の貸出態度判断DI(左目盛)

(前年比、%) (DI、%)金融機関の貸出態度判断DIと銀行貸出の推移

(資料)日本銀行「貸出・資金吸収動向等」「短観」より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

負債サイドで預金の増加が続くなか、金融機関の資産構成は、企業向け貸出等の

ウェイトが低下する一方、財政支出拡大等を受けて増発された国債のファイナンス

のウェイトが拡大する(下図)。

0

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85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08

預金

貸出

有価証券

国内銀行の預金及び貸出・有価証券の推移(兆円)

(資料)日本銀行「民間金融機関の資産・負債等」より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

また、2001 年~2002 年頃にかけては、ペイオフ解禁を巡る思惑から預金者による

金融機関の選別が強まり、財務体力の劣る銀行から預金が流出する一方、健全行へ

の預金流入圧力が強まった(下図)。

11

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3

6%台(4行) 7%台(4行) 8%台(14行) 9%台(16行) 10%台(15行) 11%台(8行) 12%台(3行)

自己資本比率別にみた預金増減額地銀(2001年3月末→2002年3月末)(前年比、%)

預金増減率

自己資本比率

(資料)全銀協「全国銀行財務諸表分析」より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

金融システム不安やその後の不良債権処理に伴い、金融機関の淘汰・再編の動き

も 90 年代後半以降、急加速する。1995 年から 2008 年にかけて、大手行は 21 行から

8 グループにまで再編される。特に相対的に規模の小さい地域金融機関の破綻は約

170 行に上り(下図)、第二地方銀行は 65 行から 46 行へ、信用金庫は 421 行から 287行へ減少、信用組合は 374 行から 168 行へ半減する。

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92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05

(件)

破綻による金融機関の減少

破綻によらない金融機関の減少

地域金融機関の破綻・再編による減少

(注)地銀・第二地銀・信金・信組の合計(出所)預金保険機構資料 (年)

(3)マクロ経済・金融の動向

①マクロ経済、金融・財政政策

バブル崩壊以降、マクロ経済は総じて停滞が続くが、1997 年から一段と調整が深

まる(図)。消費税率の引き上げ(4 月)によって個人消費が大幅に落ち込んだこと

に加え、山一證券を始めとする大手金融機関の連鎖破綻(11 月)が家計と企業のマ

12

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インドの悪化に拍車を掛けた。1998 年にはアジア危機の影響から輸出が減少に転じ、

資本ストック調整圧力の高まりによって設備投資も減少基調を辿った。政府が 2 回

の大型経済対策(合計約 40 兆円)を実施したことや、海外景気の持ち直しを受けて、

1998 年後半以降、景気は持ち直しに転じていく。

実質GDP成長率の推移

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2

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6

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95 96 97 98 99 00 01 02 03(年)

(前期比年率、%)

個人消費 住宅投資 設備投資

純輸出 在庫投資 政府支出

GDP

(資料)内閣府「国民経済計算」より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

しかし、企業のバランスシート調整が長期化するなか、設備投資の抑制傾向が継

続し、景気の本格回復は遅れる。企業の設備投資は、IT バブル期を除くと、過剰債

務や設備が解消する 2000 年代初頭頃まで総じて低い伸びにとどまった。

一方、家計の債務調整圧力は企業部門に比べると軽微であったが、土地・株式等

の資産デフレが消費マインドの悪化を通じて個人消費を下押ししたほか、成長期待

と共に総需要が大きく下方屈折するなかで一般物価のデフレが定着し、90 年代後半

から 2001 年頃までほぼゼロ成長を余儀なくされた。

-15

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0

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1981

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名目設備投資(左目盛)

民間金融機関借入/名目GDP比(右目盛)

企業債務と設備投資の推移(前年比、%) ( GDP比、%)

(年度)(資料)日銀「資金循環」、内閣府「国民経済計算」より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

負債対GDP比80~85年平均

13

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個人消費(左目盛)

民間金融機関借入/名目GDP比(右目盛)

家計債務と個人消費の推移(前年比、%) ( GDP比、%)

(年度)(資料)日銀「資金循環」、内閣府「国民経済計算」より三菱東京UFJ銀行経済調査室作

金融政策についてみると、日銀はバブル崩壊以降、大幅な利下げを行った後、1994年は政策金利を据え置いたが、1995 年には阪神淡路大震災や急速な円高進行に対応

して追加利下げを行う。その後景気が小康状態を保つなか、低金利の弊害(家計の

金利収入減少や生保・年金基金の運用難等)が問題となったこともあり、金利は据

え置きが続いた。

しかし、1997 年以降の景気悪化や金融危機の深刻化を受けて、日銀は再度利下げ

に転じ、1999 年 2 月にはゼロ金利政策に踏み切る。日銀の超低金利政策は、景気を

下支えするとともに、大量発行される国債の円滑な消化を促した。

長短金利の推移

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85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05(年)

(%)

無担保コール翌日物(誘導目標)

新発10年国債利回り

(資料)Bloombergより三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

2001年3月19日 量的緩和開始

14

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財政政策面では、1998 年 4 月の総合経済対策など、公共投資や中小企業向けのセ

ーフティネット等を中心に総額約 30 兆円(真水)の財政支出拡大が図られるが、上

述した企業のバランスシート調整に伴う総需要の減退が大きく、景気浮揚効果は一

時的なものにとどまった。 デフレに伴う税収の落ち込みもあり、財政赤字は大幅に拡大。国と地方を合わせ

た長期債務残高は 1995 年度の 410 兆円程度(対名目 GDP 比 82.6%)から、2006 年

度には約 760 兆円(同 148.7%)まで急増する。

一般会計支出規模

・ 政府系中小企業金融機関による超低利融資制度の創設

・ 中小企業事業団による各種アドバイス制度の創設(輸入促進、事業開拓コンサルティング等)

・ 政府系金融機関からの借入につき、5%超の金利を一部減免。

・ 商店街の空き店舗対策として、流通業向け輸入相談会や見本市の開催等を通じ流通業者の輸入への取り組みを支援。

・ 政府系中小企業金融機関の貸付対象先拡大(資本金基準を引き上げ)

・ 政府系金融機関による特別貸付制度(運転資金円滑化特別貸付)の導入

・ 店頭株式市場の機能拡充等を通じたベンチャー企業の育成環境整備

平成10年8月中小企業貸し渋り対策大綱・緊急経済対策

小渕 24兆円 6兆円・ 信用保証協会による20兆円の特別保証制

度導入

・ 上記特別保証枠の利用を1年延長した上で、20→30兆円に増額

・ 中小企業発行私募債への保証制度創設

・ セーフティネット保証の充実

・ 信用保証協会の保証限度額引き上げ(5,000万円→8,000万円)

・ セミナー等を通じたIT導入の支援

・ 信用保証協会による売掛債権担保保証制度の導入、セーフティネット保証の充実

(特に建設業者向けに、工事代金債権を 担保とした融資保証制度を拡充)

・ 政府系金融機関による中小企業向けDIPファイナンスの導入

・ 信用保証協会特別保証の返済条件緩和を弾力的に実施

・ セーフティーネット保証の対象業種を拡大

・ 中小零細企業の債務者区分について、金融検査マニュアルの具体的な運用例作成

・ 信用保証協会等に特別相談窓口を設置

・ セーフティネット保証の対象業種を拡大(原油高騰の影響を受けやすい業種を追加)

・ 公共事業の入札価格適正化を通じて、建設業者の採算確保を推進

・ 物流業者支援のための高速道路料金引き下げ、トラック輸送業者への燃料サーチャージ制の導入

・ 漁業の省エネ化推進のための基金設立

・ コスト転嫁を不当に妨げる買い叩き防止のため、下請代金法に基づく検査を実施

早急に取り組むべきデフレ対応策

改革先行プログラム

総合経済対策平成10年4月

平成13年10月

平成14年2月

平成12年9月日本新生のための新発展政策

平成11年11月 経済新生対策

原油価格の高騰に伴う中小企業、各業種、国民生活等への対策

原油等価格高騰対策

平成19年12月平成20年6月

福田 - 0.1兆円

小泉 - -

小泉 6兆円 1兆円

17兆円 5兆円橋本

森 12兆円 4兆円

小渕

緊急・円高経済対策、震災対策

平成7年4月 村山 7兆円

過去の景気対策における中小企業関連施策

5兆円14兆円村山経済対策平成7年9月

3兆円

実施年月 対策名 内閣

18兆円 7兆円

総事業規模中小企業関連施策

 大規模財政支出を伴う対策が中心

②金融市場

(ⅰ)短期金融市場

ジャパンプレミアムの発生

1995 年 7 月のコスモ信用組合等の破綻をきっかけに邦銀に対する金利上乗せ幅が

15

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拡大。同年 10 月の大和銀行事件を受けて一段としたが、その後金融 3 法や住専処理

法の成立を受けて沈静化。しかし、1997 年秋からの大手金融機関の連続破綻により

再度拡大、1998 年 10 月の長銀国有化時にも拡大した。

こうしたなか、邦銀は本支店勘定を通じて円資金を海外支店に貸し出し、海外拠

点は為替直先スワップを通じてドルに転換することでドル資金を調達した。日銀は

両建オペレーションを実施し、外銀に代わって邦銀のカウンターパーティーリスク

を引き受けることで、為替直先スワップの円滑な運用を支援した。

ジャパンプレミアムの推移

-0.2

0.0

0.2

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0.6

0.8

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95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 (年)

(%ポイント)

(注)ジャパンプレミアム=東京三菱銀行提示レート              -バークレイズ銀行提示レート   (ロンドンインターバンク市場における3ヵ月物ドル金利)(資料)英国銀行協会資料より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

邦銀の海外支店向け貸出(本支店勘定)

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95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 (年)

(兆円)

(資料)日本銀行「民間金融機関の資産・負債等」より    三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

インターバンク市場の機能低下

1997 年の三洋証券破綻でインターバンク市場において戦後初のデフォルトが生じ、

銀行間信用が急速に収縮、TIBOR と FB の金利差は一時 80bp まで拡大する。また、

デフレへの対応として日銀が量的緩和政策に踏み切った 2001 年以降、コール市場は

それまでの 30 兆程度から数兆円の規模まで大幅に縮小する。

TIBORとFB・TBの金利差の推移

-0.2

0.0

0.2

0.4

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1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005

(年/月)

(%)

日本円TIBOR-FB・TBレート

日本円TIBOR

FB・TB

(注)3ヵ月物金利(資料)Bloombergより三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

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日銀貸出の拡大

日銀は、日銀法 38 条(信用秩序の維持に資するための業務)に基づき特別融資を

実施(山一証券向け 5,050 億円、北海道拓殖銀行向け 2 兆 6,771 億円等)。破綻した

金融機関の資金繰りを手当てし、連鎖倒産の発生を防いだ。 また、「企業金融支援のための臨時貸出制度」(1998 年 11 月 27 日~1999 年 4 月 30

日)を設け、企業向け融資を増大させた金融機関に対し、貸出増加額の 50%まで 0.5%の金利で貸出を行った。

日銀貸出の推移

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0

1

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3

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95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 (年)

(兆円)

その他

特別融資(38条融資)

(資料)日本銀行「日本銀行貸出」より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

(ⅱ) 株式市場

株価はバブル崩壊以降、下落基調が続いた。株価下落による含み損の拡大が金融

機関の財務体力低下に拍車をかけ、金融不安の増大がさらなる株価下落をもたらす

悪循環に陥った。

政府は年金資金等を使用した PKO(Price Keeping Operation)を断続的に実施した

が株価の下落基調に歯止めは掛からず、2002 年には銀行等保有株式取得機構の設立

による、株式の銀行バランスシートからの切り離しが図られた。

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TOPIX(左目盛)

TOPIX銀行株指数(右目盛)

株価の推移

(注)週次データ。シャドウは景気後退局面。(資料)Bloombergより三菱東京UFJ銀行経済調査室作成 (年)

銀行等保有株式取得機構と並んで日銀も、金融機関保有株の買い入れを決定。買

い入れは 2002 年 11 月末から 2004 年 9 月まで継続し、ピーク時の買い入れ残高は 2兆 288 億円に達した。株の買い入れスキームは、日銀を委託者兼受益者とし、日本

マスタートラスト信託銀行を受託者とする金銭信託形式で行われた。

日銀の信託財産株式残高の推移

0.0

0.5

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2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 (年)

(兆円)

(資料)日本銀行「日本銀行勘定」より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

(ⅲ)長期金利

景気悪化や日銀の利下げを受けて長期金利は1990年代初頭以降、低下傾向を辿り、

1998 年には 1%を割り込んだ。しかし、大型景気対策による政府債務増加による同

年 11 月のムーディーズの格下げや同 12 月の大蔵省資金運用部の国債買い入れ停止

発表等をきっかけに急騰し、一時 2%を上回った。その後は、大蔵省資金運用部が国

債買い入れを再開したことや、日銀がゼロ金利政策や量的緩和に踏み切ったことな

どを背景に 1%台半ばの低水準で安定的に推移した。

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10年国債利回りの推移

(注)週次データ。シャドウは景気後退局面。(資料)Bloombergより三菱東京UFJ銀行経済調査室作成 (年)

(%)

(ⅳ)為替相場 バブル崩壊以降、円ドル相場は円高傾向で推移し、輸出企業の収益悪化要因とな

ったほか、企業と家計のマインドの悪化を通じて景気を下押しした。1995 年からは、

日銀の追加利下げや米国の為替政策の転換(「強いドル政策」の採用)を受けて円安

傾向に転じ、金融不安の高まりや日米金利差の拡大、日本からの資金流出懸念など

を背景に 1998 年秋にかけて急速な円安が進行した。

60

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1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005

円ドル相場の推移

(注)週次データ。シャドウは景気後退局面。(資料)Bloombergより三菱東京UFJ銀行経済調査室作成 (年)

(1ドル=円)

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表:バブル崩壊以降の金融システム不安、不良債権問題を巡る動き

経済・金融面 制度・政策面 1989 年 12 月 1992 年 1993 年 1 月 1994 年 12 月 1995 年 7 月 1995 年 1996 年 6 月 1996 年 7 月 1996 年 9 月 1997 年 3 月 1997 年 6 月 1997 年 11 月 1998 年 2 月 1998 年 3 月 1998 年 6 月 1998 年 10 月 1998 年 12 月 1999 年 3 月 1999 年 4 月 2000 年 6 月 2001 年 1 月 2002 年 1 月 2002 年 11 月 2002 年 10 月 2003 年 4 月 2003 年 6 月

バブル崩壊(日経平均 3 万 8,915 円) 東邦相互銀行(4 月)東洋信用金庫(10月)処理。各々初めて預金保険機構の貸付・金銭贈与による資金援助適用 東京協和信用組合(12/9)、安全信用組合(12/9)破綻 コスモ信用組合(7/31)破綻 木津信用組合(8/30)、兵庫銀行(8/30)破綻 住宅金融専門会社(住専)問題浮上 三洋証券破綻(11/3 会社更生法適用)北海道拓殖銀行破綻(11/17) 山一證券破綻(11/24) 日本長期信用銀行破綻(10/23.特別公的管理下に(一時国有化)) 日本債券信用銀行破綻(12/13.一時国有化) 新生銀行発足(長銀) あおぞら銀行発足(日債銀)

日銀金融緩和 共同債権買取機構設立(98 年 3 月買取業務終了) 東京共同銀行設立(日銀や民間金融機関が共同出資で設立) 金融 3 法及び住専処理特別法成立 住宅金融債権管理機構を設立 整理回収銀行設立(東京共同銀行を改組) 日銀法改正 金融監督庁設置法と金融監督庁整備法成立 金融機能安定化緊急措置法、預金保険法改正 大手行 21 行に対し計 1 兆 8,156 億円の公的資金注入 大蔵省の銀行局・証券局廃止、金融企画局設置。 金融監督庁発足 金融再生関連法施行 金融再生委員会発足(総理府に設置。金融監督庁を傘下に) 大手行 15 行に対し 7 兆 4,592 億円の公的資金注入 整理回収機構設立(住宅金融債権管理機構と整理回収銀行が統合.現在も存続) 銀行等保有株式買取機構設立 日銀、金融機関保有株買入 金融再生プログラム公表 産業再生機構設立(2007 年 3 月解散)りそな銀行に公的資本注入(1.96 兆円)

(岩岡聰樹・髙山真)

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3.米国における過去の金融危機の経験

(1)大恐慌(1930 年代) ①危機の経緯 (ⅰ)1929 年 10 月の株価暴落が契機 景気自体は夏場をピークにすでに後退局面に入っており、株価暴落が景気後退を

さらに激化させ、さらに株価下落を招くという悪循環に陥った。こうしたなかで銀

行の経営悪化が進んでいった。 (注)以下の銀行危機の時期の分類については平田喜彦・侘美光彦編「世界大恐慌の分析」参照。

(ⅱ)第 1 次銀行危機(1930 年秋~31 年初め) 不動産ローンの焦げ付き、投資証券の価格下落な

どによる経営悪化に伴う銀行破産が、農村部を中心

に急増した。ニューヨークでも Bank of United Statesが破綻。ただしこの段階では危機はまだ地域的なも

のであった。 (ⅲ)第 2 次銀行危機(1931 年後半~32 年初め)

1931 年 5 月オーストリアのクレディット・アンシ

ュタルト破綻により、欧州にも金融危機が飛び火、

ドイツなどを通じ、欧州全域へと広がっていった。9月に英国が金本位制を停止すると、米国から金が流

出。連銀は一転して金融引締めに転じたため、銀行

は投資証券の売却、貸出の回収を進め、農業や中小

企業部門での倒産が急増。銀行倒産、預金取付、貨幣退蔵の悪循環となった。

件数 預金額(百万ドル)

1921-28平均 632 1741929 659 2311930 1,350 8371931 2,293 1,6901932 1,453 7061933 4,000 3,5971934 57 371935 34 101936 44 11

1929-33累計 9,755 7,061

銀行閉鎖の推移

(資料)Federal Reserve Bulletin(1937Sept)より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

(ⅳ)第 3 次銀行危機(1933 年 2-3 月) 1932 年 1 月からの復興開発公庫(RFC)による銀行への貸出、1932 年グラス・ス

ティーガル法に伴う連銀の買いオペなどが功を奏し、1932 年後半には危機はひとま

ずおさまったかに思われた。しかし、1933 年 1 月に議会が RFC から借入した銀行名

を公表すると、預金者の不安は高まっていった。金本位制に対する不安が急速に高

まり、金兌換を目的とした預金引き出しが急増、銀行危機は全米に広がった。3 月 6日にはルーズベルト新政権により全国銀行休業令が出され、金融機能が事実上停止

することとなった。6 月には金本位制の一時停止が宣言された。 ②危機発生の背景 (ⅰ)第一次世界大戦後のブームによる長期繁栄の反動

米国の 1920 年代は「繁栄の 10 年」と呼ばれる好景気が続くなかで、バブルが発生。

20 年代半ばまでは、住宅投資ブームの中で住宅・商業用双方の不動産バブル、20 年

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代末には株式市場バブルが発生した。 (ⅱ)経済構造の変化:所得分配の不平等・企業の寡占化

好景気が続く中で、所得分配の不平等拡大、企業の寡占化が進んでいった。この

ため、購買力(特に住宅や自動車などの耐久消費財について)をもった層の需要が飽和、

過剰設備に伴う投資機会の喪失(特に自動車およびその関連産業)が起こった。 (ⅲ)3 つの景気循環が同時に下降局面に キチン、ジュグラー、コンドラチェフ循環のすべてが、20 年代末に後退局面に入

ったとの見方もある。 (ⅳ)国際金融システムの構造的欠陥

ロンドンもニューヨークも国際金融市場として十分な機能を果たせなかった。英

国の金本位制への復帰(1925 年)は切り下げを伴わなかったため、英国から米国へ資

金が流入し、米国に過剰流動性とバブルをもたらした。英国から米国への覇権国交

代のなかで、両国とも十分な対応ができなかった。さらに、固定相場制が世界への

波及を進める結果となった。 (ⅴ)関税引き上げによる世界貿易の縮小

1930 年スムート・ホーリー法により米国の関税が引き上げられると、諸外国が相次

いで関税引き上げを行った。この結果、世界貿易は縮小、世界経済の停滞の一因と

なった。 ③当局の対応 大恐慌前後の公定歩合と株価の推移

0

1

2

3

4

5

6

7

8

25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 (年)

(%)

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150

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300

350

400(ドル)

公定歩合<左目盛>

株価(NYダウ、月末値)<右目盛>

(資料)FRB、Bloombergデータより三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

(ⅰ)金融政策:緩和は不十分

当初は金融緩和を行ったものの(公定歩

合 1929 年 11 月 6%→31 年 3 月 1.5%)、31年 月に英国が金本位制を停止した際には、

米国からの金の流出をおそれ、急激な利上

げ(1.5→3.5%)引締めに転じた。

9

当初買いオペはわずかしか行われず、初

期に積極的な買いオペが行われていれば、

不況の深刻化・長期化は避けられたとの見

方もある。 (ⅱ)財政政策:均衡財政主義のもと、景気刺激はできず

当時は均衡財政主義がとられていたため、フーバー政権(共)下では不況の 中の

1932 年に大幅な増税が行われ、景気後退をさらに厳しいものとした。1933 年 3 月に

発足したルーズベルト政権(民)はニューディール政策の一環として、テネシー峡

谷開発公社(TVA)などの公共投資拡大をうちだし、有効需要拡大に繋がった。し

かし、当時の議会には均衡財政へのこだわりが根強く、景気回復に十分な効果は得

られなかった。

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(ⅲ) 後の貸し手としての連銀機能の不十分

当時は連邦準備制度に加盟している銀行のみが、連銀借入を受けることができた。

地方の小規模銀行の多くが非加盟銀行であったため、連銀は危機に際しても貸出を

行わなかった。

④RFC(Reconstruction Finance Corporation:復興金融公庫)による銀行救済

(ⅰ)当初は銀行への貸出

1932 年に設立された RFC は連邦政府による出資金(当初 5 億ドル)と連邦政府保証

債(15 億ドル)を原資に、金融機関や鉄道会社に貸出を行った。32 年中の RFC の

貸出額は 11 億ドル、そのうち銀行向けは 6 億ドルであった。 1932年 8月にはRFCは借入を行った銀行名を公表するよう議会から要請されたた

め、RFC からの借入は危ない銀行としての風評、取付につながるとして、銀行は RFCからの借入に慎重になった。1933 年 1 月に実際に議会が RFC から借入した銀行名を

公表したこともあり、預金者の不安が高まり、取付が増加、全国銀行閉鎖に繋がっ

ていった。 (ⅱ)1933 年緊急銀行法で優先株購入が可能に:全国銀行閉鎖からの再開過程で重

要な役割 1933 年 3 月 6 日の全国銀行休業令の後、9 日には緊急銀行法が成立。当時あった

18,400 の銀行は、A 健全な銀行、B 採算ぎりぎりの銀行、C 閉鎖対象の3つのクラ

スに分類された。そして、ある特定の都市にクラス A の銀行がなく、クラス B の銀

行の状態が思わしくない場合に、政府(財務長官)が RFC を通じ、優先株を購入し

て自己資本とし、預金支払い義務を継承する度合に応じて資産を継承、新銀行を設

立する方法がとられた。3 月 15 日までに半数の銀行が再開され、4 月 12 日までに預

金の 90%を占める資産状態が健全とされた 12,817 行が再開された。 (ⅲ)銀行再開後にも資本注入を通じて大きな役割

緊急銀行法は再開後の銀行経営の健全性確保にもさまざまな方策を準備。RFC は、

再開後の銀行に対しても必要に応じて優先株購入による資本注入を行い、その後の

銀行経営の健全性確保に大きな役割を果

たした。再開された銀行のもとには貸出

を上回る預金が集まり、1934 年以降は銀

行閉鎖は激減し、金融危機は一応の終息

をみた。 ピーク時の 1935 年 6 月時点で RFC は

FDIC加盟銀行の 40%に当たる 5,685行に

資金を注入。これは全商業銀行の自己資

本(簿価ベース)の 14%に上った。RFCは 1954 年 6 月に業務終了、すべてが清算

されたのは 1957 年。

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(ⅳ)RFC による銀行救済の評価 政府による RFC への投入資本は 終的にかなりの部分が回収され、政府が銀行を

所有、支配する過剰干渉という事態は回避された。累計 12 億ドルの投資額に対し、

1947 年の残高は 1.5 億ドルにすぎなかった。また、1933-47 年の間に償却された額は

わずか 11 百万ドルであった。 Kansas City 連銀のレポートによれば、RFC 型の資本注入は弱小銀行の資本再建に寄

与しており、当時としては効果があったとの評価がなされている。当時は全国的な

景気後退によって弱小銀行が一斉に大きな影響を受けた。個々の金融機関の経営判

断の誤りは主要な問題ではないとみられたため、財政資金の投入が正当化された。

金融機関の救済そのもののよりも、公共財としての金融システムの安定性を守り、

実体経済を金融面の悪影響から遮断する目的で、資金が積極的に投入された。

⑤大恐慌後のセイフティネット整備・規制強化の動き 1920 年代当時は銀行が 30,000 を超えるほど多数存在し、その多くが支店を持たな

い(Unit Bank)小規模の銀行であった。恐慌の起こる前でも銀行破産はめずらしい

ことではなく、破産がすぐに預金者の損失につながるため、不良債権が増加すると

取付が増加し、預金者の不安が増大、銀行危機が波及した。大恐慌時を通じて約

10,000 行が破産した。 このため、RFC を通じた銀行救済策がとられただけではなく、大恐慌後には、預

金保険の導入などセイフティネットを整備する動きや、金融機関の健全性を強化す

るためのさまざまな規制が生まれた。 こうしたさまざまな規制は金融制度の根幹として現在に至っている。1980 年代を

通じた規制緩和の動きの後、S&L 危機が起こり、90 年代初頭の規制強化の動きを経

て、90 年代後半から 2000 年代に再び規制緩和、技術革新の波が起きた後、現在のサ

ブプライム危機に至っていることを考えると、今後規制強化、新しい規制・制度を作

る動きに向かうのは必至であろう。

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1930 1930年銀行法 復興金融公社(RFC)の創設を決める。実際の業務開始は1932年。

1932 1932年グラス・スティーガル法加盟銀行がFRBから融資を受ける際の担保規制の緩和。連銀券発行の裏づけを政府証券も可能に。

1932 Federal Home Loan Bank Act of 1932Federal Home Loan Banksの創設を決める。S&L(Savings & LoanAssociation)への貸出。

1933 1933年緊急銀行法全国銀行休業からの再開に際し、政府の検査を義務付け。RFCに銀行優先株の保有を認める。

19331933年銀行法(いわゆるグラス・スティーガル法)

一時的な組織としてのFDIC創設。当初の付保上限は2500ドル(6月に5000ドルに)。預金金利上限規制、要求払い預金の付利禁止(過当競争防止のため)。銀行と証券の兼営禁止。連邦公開市場委員会の設置。

1933 Home Owner's Loan Act of1933FHLBB(Federal Home Loan Bank Board)にS&Lの認可監督権限を与える。

1934 National Housing Act of 1934FSLIC(Federal Savings and Loan Insurance Corporation)創設。S&Lに預金者1人あたり5000ドルの預金保険を提供。FHA(Federal HousingAdministration)創設。モーゲージの保証開始。

1935 1935年銀行法FDICを恒久機関に。付保預金を5000ドルに制限。保険料を1/12%に設定。

1935 RFC Mortgage Company設立退役軍人庁(VA)の保証付モーゲージの買取を通じ、モーゲージ市場再建をめざす。

1938RFCの子会社としてのFannie Mae(FNMA)創設。

1950 Federal Deposit Insurance Act of 1950FDICの新たな根拠法。Fderal Reserve Actから離れ、FDICの独立性確保。

1933 証券法 証券の新規発行手続きを制定。登録届出書の義務付け。

1934 証券取引所法 証券取引委員会(SEC)創設。

1935 公益事業持株会社法 ガス・電力持株会社のSEC登録を義務付け。

1938 証券取引所法の修正(マロニー法) 全国証券業者協会(NASDA)設立。

1940 投資会社法

1940 投資顧問法

(資料)FDIC,”Managing the crisis”、西川純子「アメリカ金融史」などをもとに三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

<銀行関連>

大恐慌の経験を踏まえた銀行・証券関連の諸制度

<証券関連>

⑥マクロ経済・金融市場への影響

(ⅰ)景気後退の長期化・深刻化

米国経済は 1929 年 8 月に景気はピークをうち、景気後退は 1933 年 3 月まで続き、

後退期間は 43 ヶ月にも及んだ。この間、名目 GDP はピーク比 46%減少した。33 年

3 月、ルーズベルト新政権のニューディール政策が開始されたこともあり、景気は緩

やかに回復過程に入った。その後十分な回復がみられないまま、1937 年には再び景

気後退に陥った。名目 GDP が 1929 年の水準をとりもどしたのは 41 年であった。 設備投資・在庫投資のほか、耐久財消費ブームの反動を受けた耐久財消費の落ち

込みが特に厳しかった。卸売物価は下落を続け、1929-33 年に 4 割近く下落した。こ

の間、雇用は大きく落ち込み、就業者数は 1929 年の 463 万人が 33 年には 388 万人

に減少、33 年の失業者は 128 万人、失業率は 25%に上昇した。

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名目GDP銀行貸出残高

実質GDP(右目盛)

2000年連鎖価格10億㌦

10億㌦

景気のピーク 29年8月景気のボトム 33年3月景気後退期間 43ヶ月

29年→33年 名目GDP▲46% 実質GDP▲27%

大恐慌の時代の米国のGDPと銀行貸出

(資料)米国商務省データ等より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

失業率の推移(%)1929 3.21930 8.71931 15.91932 23.61933 24.91934 21.71935 20.11936 16.91937 14.31938 19.01939 17.2

(資料)Historical Statistics of the U.S.colonial times to 1957より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

(ⅱ)銀行貸出は長期間低迷

銀行恐慌が終息した後も銀行貸出は長期間低迷を続けた。ただしこれは、銀行の

資本サイドの制約というよりも景気低迷のなかで資金需要が冷え込み、優良な借り

手が不在だったことによるとの見方もある。 (ⅲ)株式市場は長期にわたって低迷

株式市場の動きを NY ダウ指数でみると、1929 年 9 月のピーク 381.17 から 29 年

中に 198.69 まで下落、その後 30 年に若干持ち直した後、続落し、32 年のボトム時

には 41.22(ピーク比▲89%)まで下落した。その後の回復は緩慢なもので、1929年のピークを回復したのは、1954 年のことであった。この間株式時価総額は、1929年 9 月の 896 億ドルが 32 年 7 月には 156 億ドルと 1/6 程度まで縮小した。

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大恐慌前後のNYダウ平均株価の推移月末値 ドル

(資料)Bloombergデータより三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

 恐慌前のピークを回復したのは25年後

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(2)S&L・商業銀行危機(1980 年代半ば~90 年代初め) ①危機の経緯

1980 年代半ばから 90 年代初めにかけて、銀行等の破綻が大幅に増加した。貯蓄貸

付組合(S&L)などの貯蓄金

融機関では、1984 年から 92年の間に累計 1137 機関が破

綻(破綻率 33.3%)。商業銀

行では同 1453 行が破綻した

(破綻率 10.0%)。 大規模

のものとしてコンチネンタ

ル・イリノイ銀行(1984 年、

総資産 400 億ドル)がある。

銀行等の破綻件数

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80 82 84 86 88 90 92 94(年)

S&L

銀行

(件)

(資料)FDIC データより三菱東京 UFJ 銀行経済調査室作成

②危機発生の背景 (ⅰ)S&L

S&L の業務内容が、短期の貯蓄預金を原資として長期固定金利のモーゲージロー

ンで運用する構造となっていたため、オイルショックに伴う市場金利の高騰により

逆ザヤとなり1981年から82にかけて税引き後利益が赤字化した(第一次S&L危機)。

これに対して、監督当局は規制緩和による業務の多角化などで対応。これが次の危

機を生む要因となったが、1982 年以降の金利低下により表面上、問題はいったん収

まった。 80 年代後半に入ると、再び経営状況が悪化(第二次 S&L 危機)。石油産業への依

存度が高いテキサス州など南西部地区では、逆オイルショック(1986 年)をきっか

けに不動産価格が下落し、エネルギー開発ブームにのって急拡大した S&L の不動産

向け貸出が不良債権化した。 経済情勢の変化だけでなく、制度的な問題も危機の背景となった。手厚い預金保

険制度の存在が安易な経営姿勢を助長し、過度のリスクテイクにつながった。金融

自由化による業務規制の緩和はこうしたモラルハザードが拡大する格好の環境を提

供した。また、監督制度にも不備があった。S&L の監督を行う連邦住宅貸付銀行理

事会(FHLBB)は、加盟機関からの独立性が不十分な上、検査官の数や経験不足か

ら、十分な監督能力をもたなかった。 (ⅱ)商業銀行

商業銀行では、80 年 3 月以降の段階的な預金金利自由化により調達コストが上昇。

一方、貸出では、大企業の資金調達が直接金融へシフトする中、規制の少ないノン

バンク・バンクとの競争が激化した。情報化に伴うコストが増加する中、州際業務規

制等で規模の経済性を高められない点が競争上不利となった。収益基盤を侵食され

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た商銀は、新たな(ハイリスク・ハイリターン)分野への貸出を伸ばした(下記 3つの L)。 LDC 1970 年代から 80 年代にかけてラテン・アメリカ向けの融資が急増。変動金利によ

るシンジケートローンの開発により、政府や政府保証機関に対する中長期の貸出が

大きく伸びた。しかし、金利上昇やドル高により、途上国の返済負担が増加。1982年のメキシコ危機以降、不良債権化が進んだ。87 年にはブラジルが利払いを停止。

米銀は 87、89 年に大規模な貸出引当金の積み増しを実施した。 LBO

LBO(Leveraged Buy Out)は、貸出金利が高いこと、M&A の仲介手数料がつく

ことなどから、銀行には有力な収益源となった。しかし、88 年頃から景気の減速傾

向が強まり、企業業績の悪化により利払い負担が増大する中、LBO 貸出は不良債権

化した。 LAND 80 年代半ばにかけての不動産ブームで不動産価格は大きく上昇。商銀は不動産向

けの融資を拡大した。80 年代後半に入ると、過剰投資が目立ち始め、不動産価格は

次第に頭打ちから低下傾向となった。こうして不動産不況の様相が強まったが、ド

ル安を背景に日本を始めとする海外からの不動産投資が増加。不動産不況を長期化、

深刻化させる要因となった。不動産不況の深刻化に伴い、不動産関連融資の不良資

産化が進んだ。

こうした「3 つの L」貸出の拡大の背景には、i) 貸出競争が激化する中で審査が甘

くなった、ii) 金融面の技術革新(シンジケートローン、LBO、証券化など)がリス

クの過小評価につながった、などの共通の要因があった。 ③破綻処理 (ⅰ)金融機関改革救済施行法

貯蓄金融機関の経営悪化により、連邦貯蓄貸付保険公社(FSLIC)の預金保険基金

残高は 86 年に赤字転落。その後も赤字幅が拡大した(86 年 63 億ドル⇒87 年 137 億

ドル⇒88 年 274 億ドル)。既存のスキームによる対応が限界にきていたことから、ブ

ッシュ新政権下で 89 年 8 月に「金融機関改革救済施行法(FIRREA)」が成立。抜本

的な対策が取られることとなった。 FIRREA では、i) FHLBB が行ってきた S&L の監督を新設の OTS に移管する、ii) S&Lの破綻処理機関として整理信託公社(RTC)を新設する、iii) 預金保険基金について

は FSLIC を廃止して、連邦預金保険公社(FDIC)の管理下に新たに貯蓄金融機関の

ための預金保険基金として SAIF を設置する、などが決められた。

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(ⅱ)RTC S&L の破綻処理に威力を発揮したのが RTC である。3 年間の時限法人として 89 年

8 月に設立されたが、その後期限が延長され、95 年 12 月に閉鎖された。RTC の職員

は約 8000 人で、FDIC からの出向者を中心に、FBI、民間金融機関、不動産業者など

から集められた。 終的に 747 機関の処理を行い、900 億ドルの税金が投入された。

また、経営者や監査人などの責任を厳しく追及し、約 2000 人が実刑判決を受けるこ

とになった。買い取った不良資産の処分のために、積極的に物件情報を提供したり、

証券化手法を開発して債権の流動化を図ったりした。 (ⅲ)連邦預金保険公社改善法 破綻処理のスキームは FIRREA で決められたが、その後、実施段階の問題につい

て連邦預金保険公社改善法(FDICIA)により補完された。主な内容は、i) 早期是正

措置を導入し破綻認定が簡略化された(自己資本比率の水準により、銀行に対して

活動制限から閉鎖まで必要な措置が講じられるようになった)、ii) コストが 小に

なるような破綻処理策を選択することが義務付けられた、などである。 (ⅳ)公的負担額 公的負担額について統一的な定義があるわけではないが、FDIC によれば、S&L

処理に要した総コストは 1600 億ドル強。そのうち 280 億ドルが預金保険から支払わ

れ、残りの 1320 億ドルが公的負担となった。一方、商業銀行については、ほとんど

が預金保険から支払われたため、公的負担額は 3600 万ドル余りに過ぎなかった。 ④マクロ経済・金融市場への影響 (ⅰ)クレジット・クランチ

1982年末から景気拡大が続いていた米国経済は、89年に入り拡大テンポが鈍化し、

90 年 7 月から景気後退に入った。FRB は 89 年初めから FF 金利を下げ始め、その後

も小刻みな利下げを続けたが、金融機関の貸出は伸びず、マネーサプライの伸びも

低水準に止まった。景気はテクニカルには 1991 年 3 月を底に回復期に入ったものの、

景気拡大のペースは緩慢で「雇用なき回復(jobless recovery)」と言われた。結果的

に、FF 金利は実質ゼロ金利となる 3%まで引き下げられ、94 年 2 月に利上げするま

で、1 年 5 ヵ月の間、据え置かれることとなった。 金融機関の貸出が低迷した要因としては、金融機関の経営悪化や BIS 規制の影響

により貸出態度が厳しくなったことがある。利下げで金融機関の調達金利が下がっ

ても、利ざやを拡大させることにより貸出金利は下がりにくかった。また、担保額

を引き上げるなどの動きも見られた。こうしたクレジット・クランチの影響は、社

債・CP で直接、資本市場から資金調達できる大企業に比べて、中小企業でより大き

かった。また、家計部門でもクレジットカードや自動車ローンの金利が高止まりし、

借入需要の抑制につながった。

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長期金利は、財政赤字の拡大やドイツの引き締めの影響もあって、短期金利が下

がる中でも横這いに止まり、イールドカーブはスティープ化した。これは、商業銀

行の収益を助けることになる一方で、設備投資や住宅投資を阻害することになった。

当時のグリーンスパン FRB 議長はこうした状況を「米国経済は時速 50 マイルの逆

風下にある」と表現した。

(ⅱ)バランスシート調整

金融緩和効果が上がらなかった要因としては、金融機関の貸し渋りに加えて、80年代に債務を過大に増加させた企業・家計がバランスシート調整を進めたことがあ

る。 80 年代には家計の債務が大きく膨らんだ。金融機関が貸出競争激化で積極的に貸

出を行ったことや、ローンの利払いが所得控除の対象として認められたこと、住宅

価格の上昇で担保能力が高まったことなどが、借入額の増大に寄与した。 企業の債務残高も 82 年以降急増。M&A ブームで LBO による買収が活発化し、企

業の債務が膨らんだ。また、M&A に対する防御策として借入・社債発行により自社

株買いを進めたことも、企業債務の増大に繋がった。 さらに、80 年代には不動産投資が拡大。税制上の優遇措置(81 年税制改革による

加速度償却など)や、日本を始めとする海外からの資金流入が過剰投資を招き、供

給過多となった。オフィス

ビルの空室率は 80 年の

4.6%から 90 年 6 月末には

18.5%に上昇。住宅でも、

減税や金利低下、銀行の積

極的な貸出により過剰な

投資が行われ、賃貸住宅の

空室率は 81 年 4Q の 5.0%から 87 年 3Q には 8.1%に

上昇した。 こうしたバランスシー

トの悪化に対して、債務を

圧縮しようとする動きが強まり、

マイナスに転じた。企業でも、9り、社債や株式発行による資金調

家計では消費者ローンの借入れが 91 年にネットで

1 年以降は負債性資金の調達を抑制する動きが強ま

達により銀行借入れを返済する動きが広がった。

(山口綾子・山中崇)

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4.1990 年代前半の北欧金融危機について

(1)金融危機の経緯

ノルウェー、フィンランド、スウェーデンの 3 カ国で、80 年代後半に膨らんだ資

産バブル(株式・不動産)が崩壊。資産価格下落や景気後退をうけて企業倒産や金

融機関の貸倒損失が急増し、91 年~93 年にかけて大手金融機関が相次いで破綻。各

国で政府による救済が実施された。 ノルウェー:87 年から貸し倒れが急増し、民間銀行保証基金による零細銀行の救

済が相次ぐ(90 年末時点で基金は資本不足に)。91 年には、同国第 4 位のフォーカ

ス銀行、第 1 位のデンノルスケ銀行の経営悪化が表面化し、金融システム危機に発

展。 フィンランド:貯蓄銀行の中央銀行的役割を果たしていたスコップ銀行(同国第 4

位)が、急激な与信拡大や海外不動産投資、企業買収の失敗などから債務超過に。

91 年 9 月、CP 借り換え不能に陥ったスコップ銀行の株式の過半数をフィンランド中

央銀行が取得。これをきっかけに、多くの貯蓄銀行の経営危機、資金調達難が表面

化し、91 年終わり頃には大手商業銀行にも波及。 スウェーデン:90 年後半、不動産関連与信に傾倒していた銀行傘下のファイナン

スカンパニーが経営危機に陥り、銀行本体の貸倒損失も急増。91 年秋、準国営のノ

ルドバンケンの経営悪化が表面化し、政府による株の買い増し等が実施される。92年 9 月には、同国 2 位のゴーダ銀行の自己資本比率 8%割れと債務超過転落の公算が

高まり、一部の銀行で預金流出が急増。 (2)危機発生の背景 ①規制緩和をうけた信用拡大と資産バブル(80 年代後半) 北欧 3 カ国では、80 年代後半、金融規制緩和をうけた銀行貸出の急増や国内景気の

好調を背景に、株式、不動産などの資産価格が急騰。 ⅰ)規制緩和による金融機関の競争激化とモラルハザード、ⅱ)不十分な金融監督、

ⅲ)80 年代半ばから続く拡張的な財政金融政策、ⅳ)内外資金移動の自由化に伴う

海外からの短期資金の流入などが、信用膨張と資産価格上昇を増幅。 ②金融引き締めによるバブル崩壊と景気後退(90 年代前半) フィンランド・スウェーデンでは、インフレ加速をうけた金融引き締めを引きが

ねに資産バブルが崩壊し、株価・不動産価格は 89 年をピークに下落に転じた(スウ

ェーデンでは、89 年から 92 年にかけて株価が 26%、不動産価格が 48%下落)。一方、

実体経済も 90 年半ばから後退局面に入り、91 年~93 年まで 3 年連続マイナス成長

となった。不動産価格下落や景気悪化、信用タイト化をうけて企業倒産が増加、貸

倒損失が急増して銀行経営も急速に悪化した。

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③固定相場制の下での資本自由化と通貨危機

デンマークによるマーストリヒト条約の否決や東西統一後のドイツの大幅利上げ

などを背景に、欧州通貨危機が勃発し、北欧 3 カ国も通貨防衛のため金融引き締め

を余儀なくされた。92 年後半に相次いで ECU リンクを放棄するまで、各国の実質金

利は高止まりを続け、景気低迷と金融危機を深刻化、長期化させる要因となった。 なお、フィンランド・スウェーデンでは 90 年代初めにバブル崩壊と金融危機が同

時進行したのに対し、ノルウェーの場合、86 年の原油価格急落をうけて、他の 2 カ

国より早く、87 年~88 年にかけて景気後退と資産バブル崩壊を経験。91 年の金融シ

ステム危機の勃発は、通貨防衛のため金融引き締めが直接のきっかけとみられる。 (3)各国の銀行救済策と財政負担 <ノルウェー> ノルウェーの公的支援は、既存・新設の基金を通じた資本注入や中央銀行による

低利融資などの間接支援が中心。破綻前の銀行に対しても予防的資本注入が行われ

る一方、不良債権の買い取りは実施されず(既存株主の救済になり不公平だとの考

えが背景)。 政府は 91 年 3 月、破綻銀行救済のため政府銀行保証基金を設立。①民間銀行保証

基金が銀行の優先株を購入するための資金を融資、②銀行の普通株ないしは優先株へ

の直接出資、③民間銀行の株式発行時の保証(民間ベースでの資金調達復帰への支援)、

を実施。3大商業銀行に対して、基金を通じた資本注入が実施された。 91 年 11 月、破綻前の銀行に対する予防的資本注入を実施するため、政府銀行投資

基金を設立。資本不足の銀行が民間ベースで資金調達を行う際、基金が部分的に出資

する形をとった。 基金による普通株式への出資を円滑に実施するため、75%以上自己資本が毀損した

銀行については、既存の株主資本を政府が(法文上は国王の権限下で)減資できるル

ールが明確化された。 91 年 12 月、中央銀行は、銀行業界全体への支援を目的として各行の資産に比例し

た金額の低利融資を実施。 <フィンランド> フィンランドは、金融システム全体の強化を図るため、全銀行に対して一律に資

本注入を実施する一方、破綻金融機関に対して債務保証、不良債権買い取り等の様々

なスキームがとられた。これらは、初期の中央銀行と政府による直接出資を除けば、

92 年に設立された政府保証基金を軸に実施された。 92 年 3 月、政府は金融システムに対する信用回復ため、銀行支援策を決定。全商業

銀行と多くの貯蓄銀行の優先株引き受けを実施したほか、政府保証基金を設立し、問

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題銀行への直接支援(貸出、債務保証、株式・劣後債購入)や民間預金保険基金を経

由した間接支援を実施。 92 年 6 月、政府保証基金は 41 の貯蓄銀行を合併してフィンランド貯蓄銀行(SBF)

を設立。集約・再建後に民間主力 4 行に分割して売却。 93 年 2 月、政府は全ての銀行の債務を保証すると宣言。 93 年 11 月、政府と政府保証基金が共同出資し、不良債権処理会社アーセナルを設

立。公的資金を投入して、SBF 等の不良資産買い取りを実施。 <スウェーデン> スウェーデンの金融セクターは、6 大銀行グループによる寡占的組織となっていた

ことから(うち 4 つが政府支援を受けた)、個別的アプローチがとられた。支援形態

は、銀行に対する債務保証や出資のほか、不良債権分離のために設立した専門子会

社(セキュラム、リトリーバ)を国が買収する形をとり、セキュラムとリトリーバ

は、外部専門家を動員して投資銀行的手法で不良債権の回収を進めた(バッドバン

ク方式)。 92 年 9 月、政府はゴーダ銀行及びスウェーデンの銀行免許を持つ全銀行の債務を保

証する方針を発表。 92 年 12 月に「金融システム強化施策法」が成立(上記の政府方針を議会が承認)。

93 年 5 月に金融救済庁が設立され、銀行救済業務を大蔵省から引き継いだ。また、93年 7 月には「銀行等の国家救済に関する法律」が施行され、救済手続きが明確化され

た。 本格救済に至った 2 例をみると、ノルドバンケンは 92 年初、ゴーダ銀行は 92 年 12

月に政府の 100%保有となり、92 年~93 年にかけて不良債権がセキュラム、リトリー

バに分離された。93 年 12 月には、両行の合併が決定され、政府保有となったセキュ

ラムとリトリーバの不良債権処理も集約・効率化された。

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第 1 表:金融機関に対する救済策

フィンランド ノルウェー スウェーデン緊急措置 預金・債務保証 ○ 無 ○ 緊急融資(ピーク時、GDP比%) 無 ○(3.6%) 無制度的措置 独立支援機関の設立 ○ ○ ○ 不良債権管理会社の設立 ○ X ○銀行再建策 民間部門によるM&A ○ ○ ○ 民間預金保険からの支援 限定的 初期のみ 無 清算(全銀行資産比、%) 無 ○(1%) 無 国有化、償却以外の政府支援 ○ ○ ○ 国有化・資本注入 ○ ○ ○ 既存株主資本の減資・償却 限定的 ○ 限定的 債権者の損失 無 無(注) 無 経営陣の退職・罷免 ○ ○ ○ 厳格なリストラ・リスク管理強化 ○ ○ ○その他の措置 金融監督・規制向上 ○ ○ ○救済措置の特徴 迅速さ ○ ○ ○ 透明性 ○ ○ ○(注)一部例外あり(資料)Norges Bank, The Norwegian Banking Crises

(4)マクロ経済・金融市場・金融システムへの影響

各国政府・中銀による支援、各行のリストラ努力、与信コストの低下をうけて、

銀行収益は 93 年から改善し、株価も急ピッチの回復を示した(93 年末にはバブル崩

壊前の高値を回復)。ただし、不良債権処理に目途がつき、銀行貸出が増加に転じた

のは 90 年代半ば頃であり、不動産価格が本格回復に向かったのも 96 年からであっ

た。 金融危機に伴う信用収縮と企業・家計のバランスシート調整をうけて、北欧諸国

の景気は大幅に悪化。フィンランドとスウェーデンの実質 GDP 成長率は、91 年~93年まで 3 年連続のマイナス成長を記録した。その後、ECU リンク放棄による通貨下

落(対マルクで 20%減価)をうけて、93 年末頃から外需主導で景気回復に向かった

が、利下げの効果などから内需の持ち直しが鮮明になったのは 95 年以降。銀行救済

によって悪化した財政を立て直すため、引き締め気味の財政政策が続いたことも景

気の抑制要因になった。 金融危機による景気の落ち込みや、その後の回復ピッチの違いについては、金融

機関救済策の効果の差というより、各国の置かれたマクロ経済環境との相互作用に

よるところが大きいとの見方が有力。フィンランドの場合、主力輸出先である旧ソ

連の崩壊が、景気後退と金融危機を深刻化させた。逆に、ノルウェーでは、86 年の

逆原油ショックのため資産バブルが早めに終焉していたこともあり、その後の金融

危機と景気悪化も相対的に軽微だった。原油収入のおかげで財政引き締めの必要が

なかったことに加え、原油価格上昇やリレハンメル五輪開催などの外生的要因もプ

ラスになった。

銀行支援策の財政コストをみると、ノルウェーとスウェーデンは投入額にほぼ見

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合う額を回収できたのに対し、フィンランドは巨額の損失が残った。

金融危機の結果、北欧 3 カ国では金融再編が進展し、大手商業金融機関への集約

が進んだ。 第 1 図:北欧 3 カ国の実質 GDP 成長率の推移

-8

-6

-4

-2

0

2

4

6

8

10

85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96

(年)

(前年比、%)

フィンランド

ノルウェー

スウェーデン

89年バブル崩壊 91年

金融危機→資本注入

93年資産価格底打ち

96年貸出増加・不動産価格本格回復へ

(資料)OECDより三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

第 2 表:金融危機による落ち込みと調整期間

フィンランド ノルウェー スウェーデン

危機の期間 1991-1993 1988-1993 1991-93危機のピーク(銀行収益ベース) 1992 1991 1992実質GDP(累積低下率、%) 10.4 0.1 5.3

(1990-93) (1987-88) (1990-93)貸倒損失(ピーク年、GDP比%) 4.4 2.8 3.8不良債権比率(GDP比%) 9 9 11銀行貸出(累積低下率、%) 35.5 4.9 26.4

(1991-95) (1990-91) (1990-95)銀行貸出が危機前の水準に回復するのに要した年数

9 4 10

危機のピークから銀行収益回復に要した年数

4 2 2(資料)Norges Bank, The Norwegian Banking Crises

第 3 表:金融機関救済の財政コスト

フィンランド ノルウェー スウェーデン(FIM bn) (NOK bn) (SEK bn)

公的資金投入額 56.6 22.4 65.3(1990年GDP比、%) ( 10.6%) ( 3.0%) ( 4.5%)ネット損失(投入額-回収額) 33.0 n.a.(注) 4.5(1990年GDP比、%) ( 6.2%) ( 0.3%)回収率 42% 100%以上 93%(注)総コストは資本注入、債務保証(実行額)、不良債権買取等の単純合計。(注)ノルウェーは、2001年末時点(現在価値ベース)で回収見込み額が投入額をNOK5.7bn   上回っている。(資料)Norges Bank, The Norwegian Banking Crises

(武南奈緒美)

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5.旧西ドイツ・ヘルシュタット銀行破綻(1974 年)について

(1)金融危機の経緯

1974 年 6 月 26 日、ヘルシュタット銀行(Bankhaus I.D.Herstatt:旧西ドイツの有力

個人銀行)が、先物為替取引で巨額損失を計上し、ベルリン銀行監督局から営業停

止命令を受ける。 各国間の時差から生じる外為決済リスク(注1)が顕在化。⇒ユーロ市場が混乱、他

国の銀行にも波及(7 月 8 日、イスラエルに本拠を置くブリティッシュ・イスラエル

銀行が経営権売却)。 旧西ドイツの金融機関に対する信用不安が強まる。⇒小規模な個人銀行・地銀・

専門銀行の預金流出が深刻化し、8 月~11 月にかけて 5 行が倒産。 (注1)外為取引の際に、受渡通貨を相手銀行に支払った後、相手銀行が支払い不能に陥り、対

価である買入通貨を受け取れないリスク(2 つの通貨の決済をそれぞれの国の決済シス

テムを通じて別々に行うことによる)は、破綻した同銀行の名前からヘルシュタット・

リスクとも呼ばれる。同リスクは、2002 年 9 月の CLS(Continuous Linked Settlement)の

開業により、PVP 決済(2 通貨条件付決済)が可能になったことで、大きく削減された。

(2)危機発生の背景 ①ドイツ政府・連銀による総需要抑制政策

1972 年 10 月以降、インフレの抑制と、外為市場でのマルク買い投機によって生じ

る国内流動性の吸収を目的に、財政支出削減・増税・公定歩合引き上げ(3%→7%)・

低準備率引き上げ・再割引枠削減・ロンバード貸付停止などの引き締め政策が相

次いで実施された。 ②第 1 次オイルショックの影響

1973 年 10 月の第 1 次オイルショック勃発後、ドイツ連銀は、景気が減速するなか

でも、原油価格高騰と大幅賃上げをうけて金融引き締めを継続。長期に渡る引き締

め政策とオイルショックの影響により、1974 年半ば頃には、すでに景気停滞が鮮明

になりつつあった。 (3)危機後の当局の対応 ①ドイツ連銀の流動性対策と金融緩和 連銀は、ヘルシュタット破綻直後の 7 月 3 日から、①中小銀行の流動性支援、②

短期資金流出に伴う国内の流動性逼迫の調整のため、過去の金融引き締め策の解除

を開始。 ただし、個別行に対する資金供給は行わず、民間主導のコンソーシアム銀行や政

府系金融機関(KfW)へのリファイナンスの形で資金を供与(注2)。

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一方、景気後退とインフレ率ピークアウトを受けて、公定歩合とロンバード金利

の引き下げを開始したのは、ヘルシュタット破綻から約 4 カ月後の 1974 年 10 月 24日から。

(注2)この時のドイツ連銀の対応は、同時期に巨額為替損失を計上して破綻したフランクリン・

ナショナル銀行に対し、NY 連銀が巨額の資金供給を行い、破綻原因となった為替取引

を継承したのとは対照的である。ドイツでは、ヘルシュタット破綻後に、流動性コンソ

ーシアム銀行(ドイツ連銀、銀行協会加盟金融機関、貯蓄銀行連合加盟金融機関、DZ 銀

行等によって共同で設立された私法上の有限会社;連銀が 30%出資)が創設され、中央

銀行に代わって個別行に流動性支援を行う体制が整えられた。

なお、現在の欧州中央銀行制度(ESCB)でも、「 後の貸し手機能」は曖昧になって

いる。①欧州中央銀行(ECB)と各国中央銀行(NCBs)からなる分権的な性格を持つこ

と、②金融機関の監督と金融システムの安定確保は第一義的には各国当局に委ねられて

いること、などに加え、こうしたドイツの伝統(奉加帳方式)も背景にあるとみられる。

日 付 ドイツ連銀の対応

7 月 3 日 ・再割引利用枠の増額(5 月末の削減前の水準に戻す) ・ロンバード貸付の復活(7 月末までの期限付き)

7 月 18 日 ・ロンバード貸付の期限延長(7 月末から 8 月末までに延長) ・手形割引会社を通じて買い入れる銀行割引手形の買い取り限度

額を増額(個人銀行及び小規模地銀に限定) ・政府系金融機関の復興金融公庫(KfW)の特別再割引枠の拡大

8 月 16 日 ・対居住者債務に係る 低準備率引き下げ決定(9 月 1 日実施)

8 月 29 日 ・ロンバード貸付の無期限延長 ・流動性逼迫行に対する 低準備率引き下げ(8 月 1 日に遡及し

て実施) 9 月 9 日 ・ヘルシュタット以下破綻した諸銀行に対する焦げ付き債権、あ

るいは自行での預金取り付けなどにより資金難に陥っている

銀行に対し、一時的に準備預金積み立て義務を免除 9 月 12 日 ・緊急時の資金繰り救済のための「流動性コンソーシアム銀行」

を民間と共同で創設(連銀が 30%出資) 9 月 26 日 ・対居住者債務及び対非居住者債務に係る 低準備率引き下げ

(10 月 1 日実施) 10 月 24 日 ・公定歩合とロンバード金利の 50bp 引き下げを発表(翌日実施)

12 月 5 日 ・マネタリー・ターゲット導入

②政府の景気対策 政府は、オイルショックの深刻化をうけて、(ヘルシュタット破綻前の)1973 年

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12 月から総需要抑制政策を見直しつつあった。さらに、景気悪化と失業急増が鮮明

になった 1974 年秋以降は、財政出動を本格化した。 ただし、金融不安が比較的早期に収束したことから、公的資本投入が必要になる

場面はなかった。

日 付 ドイツ連邦政府の対応 8 月 21 日 ・「欧州復興計画」資金からの低利融資を決定(75 年 1 月実施)

・翌年の税制改正による低中所得者向け減税の決定 9 月 25 日 ・高失業率の地域を対象とする「地方特別計画」支出を決定

・74 年度の財政支出を前年度比 15%増を目途に運用すると発表

12 月 12 日 ・民間設備投資に対する 7.5%の投資奨励金と特別財政支出(公

共投資、失業者の雇用促進)を発表 ③監督当局の規制導入

8 月 1 日、連邦銀行監督局が金融機関の為替ポジション規制導入を発表(10 月 1日実施)。

a) 為替オープンポジションを自己資本の 30%に限定。 b) 暦月内の債権・債務の差額は自己資本の 40%を超えてはならない。 c) 6 カ月以内の債権・債務の差額も自己資本の 40%を超えてはならない。

(4)金融市場への影響

ドイツ国内金融市場では、信用不安の高まりをうけて流動性が逼迫し、フランク

フルト銀行間貸付市場金利が上昇(3 カ月物が 9%→10%)。 ⇒連銀による一連の流動性支援策と流動性コンソーシアム銀行創設をうけて、9 月に

は信用不安は沈静化し、中小銀行の資金繰りも正常化(経営が著しく悪化した一部

の小規模銀行は破綻処理)。さらに、10 月 24 日の利下げ発表をうけて、市中金利も

大幅に低下。 ユーロ市場でも、ヘルシュタット破綻による信用不安、各国の金融引き締め、石

油代金支払いのための資金取り入れなどの影響から流動性が逼迫し、金利が急騰(3カ月物が一時 14%へ)。 ⇒オイルダラーの順調な還流を受けて、ユーロ市場も安定を取り戻したが、流動性

の伸びは著しく鈍化。

外国為替市場では、為替投機によるヘルシュタットの破産をうけて、先物為替取

引量が減少。また、西ドイツ金融機関に対する信用不安から短期資金が流出し、ド

イツマルクが急落。

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⇒ドイツ連銀の一連の流動性対策の効果に加え、米国が先行して金融緩和に乗り出

したことなどから、10 月以降はマルクが再び上昇に転じた。ドイツ連銀は当時、先

物為替取引量の減少について、「変動相場制移行後の為替リスクをディーラーが知っ

たという意味で望ましいことだった」との認識を示している。 (5)マクロ経済への影響

ヘルシュタット破綻による信用不安は、中小銀行の資金繰りを著しく悪化させ、

一部は破綻に追い込まれた。西ドイツ経済は、長引く財政金融引き締めやオイルシ

ョックの影響でリセッション入りしており(1975 年の実質 GDP 成長率は▲1.7%)、

景気悪化が銀行経営にも影響を与えた可能性が高い(延滞率・不良債権等の開示が

ないため、詳細は確認できず)。 ただし、大手商銀や貯蓄銀行等への波及は避けられ、企業・個人向けの信用供与

も他の金融機関によって代替されたことから、金融危機が実体景気に波及したとの

論調は当時はみられず。 その後、西ドイツ経済は 75 年末から輸出主導で回復基調を辿り、80 年代初めまで

高成長が続いた。オイルショックによるインフレ率の上昇幅が、他の先進諸国を大

きく下回ったことから、西ドイツの国際競争力が大幅に向上したためとみられる。

西ドイツの経済成長率と銀行間金利の推移

-4

-2

0

2

4

6

8

70 71 72 73 74 75 76 77 78 79

-10

-5

0

5

10

15

20実質GDP成長率

3カ月物銀行間金利〈右目盛〉

(前年比、%)

(年)(資料)独連銀、独連邦統計庁より三菱東京UFJ銀行経済調査室作成

(%)

金融危機

(武南奈緒美)

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(参考文献) ・池尾和人「開発主義の暴走と保身」NTT出版 2006年6月 ・鹿野嘉昭「日本の金融制度」東洋経済新報社 2001 年 5 月 ・平田喜彦・侘美光彦「世界大恐慌の分析」有斐閣 1988 年 4 月 ・土生芳人「大恐慌とニューディール財政」東京大学出版会 1989 年 1 月 ・西川純子・松井和夫「アメリカ金融史:建国から 1980 年代まで」有斐閣 1989 年 5 月 ・翁百合「情報開示と日本の金融システム」東洋経済新報社 1998 年 4 月 ・Keeton, William R. “The Reconstruction Finance Corporation: Would It Work Today?”

FRB Kansas City Economic Review, 92/Q1 ・FDIC, “Managing the Crisis:the FDIC and RTC experience 1980-1994” FDIC Aug-98 ・秋元英一「世界大恐慌~1929 年に何がおこったか」講談社選書 1999 年 3 月 ・C.P.キンドルバーガー「熱狂、恐慌、崩壊 金融恐慌の歴史」日本経済新聞社 2004 年 6 月 ・FDIC , “History of the Eighties: Lessons for the future” FDIC Dec-97 ・経済企画庁「世界経済白書」各年版 ・Norges Bank “The Norwegian Banking Crises” May 2004 ・ドイツ連銀年報及び月報各号 ・東銀月報及び週報各号

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