セカイへのドアとムラへのフック - 青森県庁ウェブ …- 43 -...

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- 43 - 人口減少克服プロジェクト編 セカイへのドアとムラへのフック 弘前大学人文学部 社会調査実習かだる班 代表 出川 実波 浅賀 靖真 伊東 葛尾 亮太 工藤 怜奈 苫米地 愛佳 池田 川越 真也 木村 文香 古川 泰斗 駒ヶ嶺 杏純 清野 裕希 髙野 和奏 髙橋 萌美 髙橋 りさ 田中 しずく 千葉 粒來 優友 濱田 日奈子 宮崎 公基 PROJECT 4

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人口減少克服プロジェクト編

セカイへのドアとムラへのフック

弘前大学人文学部 社会調査実習かだる班

代表 出川 実波 浅賀 陸 東 靖真

伊東 遥 葛尾 亮太 工藤 怜奈

苫米地 愛佳 池田 知 川越 真也

木村 文香 古川 泰斗 駒ヶ嶺 杏純

清野 裕希 髙野 和奏 髙橋 萌美

髙橋 りさ 田中 しずく 千葉 桃

粒來 優友 濱田 日奈子 宮崎 公基

張 雪 杜 炳 呈 帳 珊

PROJECT 4

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昨年度の調査のうち、子どもが何かを媒体として大人との関係を紡ぎ出すことが、芸能

の継承の場に誘われ、引き込まれることであると考えられた。そこで、佐井村の子どもた

ちは芸能以外にも引き込まれているものはないのかという疑問が浮かんだ。そこで、「佐井

村の子どもたちは『何に』『どのように』夢中になっているのか」をテーマに調査を進めた。

これらを調査することで、たとえ人口が減少したとしても、佐井村での暮らしが充実した

ものとして持続していく鍵が掴めるのではないかと考えた。

そこでまず、子どもたちが何に夢中になっているかを探るため、佐井村役場が毎月発行

する広報誌『広報さい』を読み込み、子どもに関する記事はどのようなものがあるかを調

べ分類した。 さらに、6月には本調査の依頼に佐井小学校、佐井中学校、佐井村役場へ向

かった。そこではジュニアオリンピックに出場したことが『広報さい』に掲載されていた

石澤有衣さんなど数名へインタビューをし、その後の調査の方向性を大きく決めるきっか

けとなった。

調査日程は表1のとおりである。表の最上段(表頭)にある「ブカツ」と「夢」とは、

今回の調査のテーマに即したもので、「ブカツ」は芸能に加え、村の子どもたちの多くが夢

中になっている課外活動を指し、「夢」は子どもたちが今、夢中になっているものの先にあ

る将来の夢を意味する。表において「ブカツ」と「部活」の表記が混在しているのは、村

には住民有志が子どもたちに対する指導や援助を行う複数のスポーツ・クラブがあり、そ

うしたクラブでの活動と小・中学校での部活を総称して「ブカツ」と呼ばれていることに

倣ったためである。

表1 今年度の調査日程

ブカツ 夢2016年4月

5月6月

7月各部活の大会観察(2、3、17、18日)

8月本調査:インタビュー(17日)、整理学習、部活見学(18日)

『文集さい』読み込み9月10月

11月

12月

2017年1月

2月

社会調査実習中間発表(28日)

予備調査:弘前市の宵宮FWなど『広報さい』閲覧

事前調査:佐井小・中学校へ(20日)

「プチゆめここタイム」(11日)佐井村教育委員会へインタビュー(11日)

社会調査実習最終発表(15日)

「学生発未来への挑戦」シンポジウム(22日)県庁職員を招いて発表、意見交換(5日)

石澤尚人さん・有衣さんを招いて発表(26日)報告書作成

学生2名青森県庁訪問・聞き取り調査(24日)

佐井小学校学習発表会訪問(2日)佐井中学校文化祭訪問(16日)

箭根森八幡宮例大祭参加(13~17日)

秋祭り(20日)佐井村芸能発表会(6日)

1 はじめに

2 調査概要

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『広報さい』を講読すると、芸能・子ども会の記事が安定して掲載されている一方で、

部活の記事数には波があることが分かった。特に、2005 年、2006 年にかけて第一波ともい

える急な盛り上がりを見せている。この波のきっかけを探るためさらに読み込むと、2005

年の9月号では、石澤有衣さんが県中学校陸上競技大会の 4 種競技で 1 位になったことが

大きく取り上げられていた。大会の結果や成績を知らせる記事では、子ども一人ひとりの

記録を掲載し、子どもの表情を捉えた写真も多い。私たちはそのことから、子どもだけで

なく、大人たち、すなわち「かつての子どもたち」にとっても部活は大事な存在なのでは

ないかと考えた。そのため、今の子どもたちの観察とともに、かつての子どもにもインタ

ビューを行った。

佐井小学校では3年生からほとんどの子どもたちが部活に加入することになっている。

部活には卓球部、陸上部、野球部、音楽部の4つがある。佐井中学校の部活には生徒全員

が加入し、小学校と同様に、卓球部、陸上部、野球部、吹奏楽部の4つがある。

また、佐井村には学校の部活の他にもその競技を行うクラブチームがある。参加するの

は主に同じ競技の部活に参加している子どもである。ここでいうクラブとは、コーチや活

動資金を学校ではなく、村民有志で賄い地域で運営しているものを指す。クラブには現在、

野球協会、卓球協会と特設陸上部・陸上クラブがある。

野球協会については、会員によると、学校側から、土日は子どもたちに休んで欲しいし

指導に当たる教員の負担が大きいと伝えられたことから、協会に属する親が指導する活動

が始まったという。また、卓球協会は、卓球部出身の竹内一さん夫妻が 2007 年、村に戻っ

てきたのを機に立上げ、10 年以上指導にあたっている。さらに、特設陸上部・陸上クラブ

は石澤尚人さんが立ち上げた。石澤さんはアメリカ留学の際に、アメリカの子どもは複数

のスポーツに取り組むという日本との違いを知り、まずは部活の一環として特設陸上部を

立ち上げた。さらに自身の退職を機に、純粋に民間の陸上クラブを組織した。

クラブがあることが、子どもたちにどのような影響を与えるのかを調べるために、クラ

ブ設立前の方と設立後の方の両者にインタビュー調査を行った。

(1) クラブ設立前

田名部直仁さん(1975 年生まれ)は、中学校で投擲の才能が認められ、県内の強豪校

である木造高校に進学し、2年の秋の大会で円盤投げで全国初優勝を果たした。これに

対し生まれ故郷である佐井村では特に表彰されたことはなかったが、進学先の旧木造町

(現つがる市)ではスポーツ賞を毎年もらっていた。実際に田名部さんは「佐井の人た

ちからはあまり応援はされなかったけど、逆に木造の人たちからはたくさん応援されて

いたし、声をかけてくれていた」と話していた。卒業後は佐井村役場の就職が決まって

村に戻り、頼まれれば陸上部で投擲の指導を行うこともあったという。

3 ブカツ

4 佐井村の部活・クラブ

5 クラブ設立前後でみられる変化

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(2) クラブ設立後

船越一輝くん(1998 年生まれ)は、小学校・中学校と継続して野球部と特設陸上部を

掛け持ちしていた。陸上では石澤尚人さんの指導のもと、ジュニアオリンピックに出場

するなど多くの大会で優秀な成績を残した。一方、野球部でもエースで4番を務めてい

た。結果として、陸上、野球の両方で高校から推薦がかかり、船越くんは野球の推薦を

選び、八戸工業大学第一高等学校に進学した。その間ケガをした際に整体師に接したこ

とから整体に興味をもった。それだけでなく、「佐井、じじばば多いして。」と話し、佐

井村で整骨院を開くという夢を抱くようになった。そのため、日本体育大学の整体を学

ぶ学科を志望し、すでに志望通りの進学が決まっている。さらに大学では陸上をもう一

度やりたいという。

(3) クラブ設立前後でわかること

以上のことから、田名部さんへのインタビューでは、佐井村への思い入れをうかがわせ

るエピソードはなかった。一方で船越くんは、佐井村での未来を描いていることがわかる。

クラブができる前と、クラブができた後では、村民という存在の大きさが変化してい

るように見える。クラブができたことで、子どもたちがスポーツをするうえで、「家庭」

「学校」だけでなく、「村民」という地域とのつながりが生まれたからである。なぜなら

クラブは、子どもたちが練習する場であるだけでなく、子どもが村の大人にスポーツを

教わる場となっているからである。船越くんにとって指導に当たった石澤尚人さんは、

学校の先生である以上に地域の大人でもあった。さらに、練習に打ち込み成績を伸ばす

ことで、『広報さい』に頻繁に取り上げられるなど、村の人たちから注目される存在とな

り、声をかけられることも少なくなかった。その経験に裏打ちされて、整体師への道を

進路として選ぶ際にも、村の大人たちの姿を思い描き、他でもない佐井村で整骨院を開

くという夢を抱いたのだと考えられる。

(1) 楽しさを伝え場に誘う

①小学校卓球部

全国大会出場経験がある6年生2人が卓球を始めて間もない3年生とラリーをし、その

3年生に対し、笑ってアドバイスをしている。顧問の先生も部員に交ざって同じメニュー

をし、自分のミスに笑ったり、部員を「うまいな~」と褒めたりしていた。ミスを笑うこ

とができる雰囲気であり、非常に穏やかに楽しそうに部活が行われていた。

②卓球クラブ(中学生)

部活で顧問に怒られた生徒に対するフォローをし、協会ではそれのフォローをす

ることもあり、学校の部活とは指導のフォローをし合っている。技術面に対する厳

しい指導はあまりしない。怒りすぎると自分がいない場所で練習をしなくなってし

まう。協会では卓球以外にも、鬼ごっこや縄跳び、バドミントンをすることもある。

(竹内さんインタビューより)

6 部活とクラブの補完関係

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(2) 練習の質と量を高め、勝つ喜びを与える

①中学校卓球部

おしゃべりしている部員はいなかった。体幹トレーニングや、動体視力のトレー

ニングの他、試合形式での練習を行っていて、勝つことを意識した練習をしている

ように見えた。

部活と協会では全然雰囲気が違っていて、部活はやることはやる、やらないと顧

問に怒られるような厳しい雰囲気で行われている。(竹内さんインタビューより)

②卓球クラブ(小学生)

部活だけではものたりないと感じる子どもが練習に来られる場になっている。協

会は、子どもたちにとって学校以外で卓球をする場であり、練習すれば子どもたち

は強くなると思う。小学生は、中学生や大人と戦うことができ、練習時間だけでな

く技術的な面も補っている。(竹内さんインタビューより)

(1)と(2)からこのように図示できる。

小学校と中学校では、1)楽しさを伝え子どもたちを誘う場と、2)練習の質と量を高

め、勝つ喜びを与える場が逆になっていることがわかる。このように逆になっているのは、

部活は小・中別々に運営され比較的同じレベルの子どもたちが練習する場であるのに対し、

クラブはレベルの隔絶した小・中学生がともに練習をしているからだと考えられる。つま

り、小学生にとってクラブは、より強い中学生に鍛えられ、練習の質と量を高める場にな

り得るのに対し、中学生にとっては小学生と向き合うことで目先の勝敗を超えた基本や楽

しさを再確認する場となっている。

クラブが定着した現在からみると、こうしたクラブを補完するように部活があるように

見えるが、事実としては、クラブが後から設立されたことによって、部活とクラブが、小

学生と中学生それぞれに対応して役割を変化させ、子どもたちを卓球という場に誘い引き

込むようになったと言えよう。重要なことは、部活とクラブという対極的な場が2つある

ことによって、子どもたちにとっての練習の場がメリハリのあるものになっている点であ

る。さらに、少なくともクラブの指導者が部活の顧問に配慮して、その教え方・子どもた

ちへの振る舞い方を確かめながら、クラブが務めるべき役割をきちんと認識できている点

も、この2つの場が共存する上で非常に重要であると考えられる。

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(3) 子どもたちの可能性を拡げる

船越一輝くんは、小・中と野球・陸上双方で活躍し、高校進学に当たって一旦、野

球の道を選んだが、大学進学後は再び陸上に打ち込みたいと話している。

中体連は1人1種目という規定がある。大学生のとき、合宿でアメリカに2週間行

ったことがあるんだけど、現地の人から、アメリカは1年を前期と後期で違う部活に

入らなければならないと聞いた。日本はそれがなく、野球なら野球、サッカーならサ

ッカーしかない。アメリカではそういう制度が、子どもの色んな可能性を引っ張り出

すもとになっているんだなーと思った。そういう経験もあって、佐井に来てからは、

陸上部以外の子でも陸上の大会に出てみたいという子を受け入れる「特設陸上部」を

つくった。(石澤尚人さんインタビューより)

以上のエピソードから、部活以外にクラブという場があることで、複数のスポーツを

経験することができ、子どもたちの可能性を拡げることができる。実際、船越くんの例

に見るように、野球と陸上の双方から推薦の声がかかり、どちらかの選択可能性が広が

っているだけでなく、一度選んだ選択とは逆の選択も再度できる道さえ開かれている。

つまり、子どもたちの選択肢を増やし、将来の可能性の幅を広げていることになってい

る。

これまでの、(1)楽しさを伝え場に誘う、(2)練習の質と量を高め勝つ喜びを与える、

(3)子どもたちの可能性を拡げる、の3点を踏まえると、部活とクラブは補完関係にある

といえる。佐井村で部活とクラブがあわせて「ブカツ」と呼ばれているのは、両者がこ

のように重層的に入り組んでいる場を形成していることを踏まえていると言えよう。子

どもたちの可能性を拡げる素地は「部活」の時代から十分にあったが、クラブと補い合

い「ブカツ」に形を変えることで、より子どもたちの可能性を拡げるという点で、さら

に大きな力を持つようになりつつあると言える。

(1) セカイへとびだすドア

村内に高校がない佐井村において、最も通いやすいのは大間高校である。しかし、イ

ンタビューに応じていただいた各部活の成績優秀者の方々(かつての子どもたち)の多

くは、部活に関わる理由で、大間高校以外の高校や、大学へ進学していた。

また、中学生、高校生が自らの意志で村外への進路を選択することは、子どもたち自

身のセカイが広がる大きな一歩である。つまり、ブカツという場が、子どもたちが本人

の意思で、能動的に飛び出す「ドア」のような役目を果たしていると言えるのである。

さらに、部活が「ブカツ」になることによって、子どもたちの可能性は今後より拡がっ

ていくことが考えられる。

一方で、次のような例もある。宮川友哉くんは、よりレベルの高い高校で野球を続け

たいという気持ちから大湊高校への進学を希望していた。しかし、佐井村から大湊高校

に進学するとなると、学費以外に下宿代もかかってしまう。そこを考慮し、家庭に経済

7 ドアとフック

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的負担をかけてしまうことを案じて、大間高校への進学を決めた。大間高校でも野球を

続け、現在でも野球協会主催の大会などで活躍を見せている。このように経済的負担や

距離的な問題など、さまざまな理由から進学の選択肢の幅が狭められてしまうことも少

なくない。ドアのフレームはあるのにドアにならない、目の前にあるはずのドアを開け

られないことは、将来が可能性に満ち溢れている子どもたちにとって非常に惜しいこと

である。私たちはこの解決の糸口を探り、青森県に提案を行った。これに対する応答は、

「10 政策提案」で述べている。

(2) つなぎとめるフック

① ブカツとフックの関係性

ブカツは将来の可能性を拡げるだけにとどまらない。子どもたちが夢中になる場と

してはもちろん、大人たちが自ら楽しめる場、そして、指導や応援などでブカツに関

われる場でもある。畠中一磨さんは八戸工大一高に進学し野球に邁進した。そして、

高校卒業後は一度むつ市で就職したのち佐井村に戻り、現在は野球協会に所属してい

る。そこで大人になった今でも野球を楽しみながら、大会で活躍を見せている。

そのように大人がブカツへの関わりを楽しむことは、大人たち自身の充実した生活

につながるだけでなく、間近で接する子どもたちへの影響も大きい。子どもたちにと

って、大人のいきいきした様子を見ることは、将来の自分が、ムラでの充実した生活

を想像することにつながる。つまり、「ブカツ」は、ムラに戻る「フック」を生む中核

的な体験となっているのである。「自分がいきいきしていた」「大人が充実した生活を

送っていた」イメージは心に存在し続け、自分の未来の居場所を選択する場面でふと

現れるものなのである。

② フックの様々な現れ方

ア ここじゃない感

岡村昌博さんは関東での就職経験があり、当時の心境を「なんか肌に合わないっ

ていうか。うーん。」としみじみと思い出すように語っていた。岡村さんのような、

都会への違和感を抱いたというエピソードは、数名のインタビュイーからもうかが

えた。

ムラを一旦離れ、違う地で過ごしたことで感じた違和感を、私たちは「ここじゃ

ない感」という言葉を使って表せるのではないかと考えた。都会での生活を送る中

で、ムラでの充実した生活がふと思い出され、「なんとなくここじゃない」という

気持ちを抱くようになる。そして「ここじゃない感」として現れた「フック」が、

ムラに戻るという選択肢を選ぶ後押しとなると考えられる。このように、佐井村に

おける「ブカツ」は、「部活」にとどまらない。子どもだけでなく大人も熱中して

いる。そして、子どもたちの可能性を拡げ、自分の努力と意志でセカイに飛び出す

「ドア」になり、さらには、いきいきと充実した生活を送ることへの「フック」と

なっているのだ。

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イ 恩返し

きっかけはどうであれ、陸上が好きでそれを通して色んなことを学べる子を育

てることが、お世話になった人たちへの恩返しかなと思っている。恩返しですね、

自分が今こうあることへの。(石澤尚人さんインタビューより)

やっぱりそのー、先輩なり村の人から応援してもらったってのもあるし、恩返

ししなきゃって思って(佐井村に)帰ってきてすぐに声かけてもらって、それで

コーチを引き受けた。(館脇亮さんインタビューより)

2~3年働いた頃に、母親から役場に空きがあるよっていう電話があって、村

のためになんかしたいっていうのもあったしー(佐井村に帰ってきた)。(山本尚

樹さんインタビューより)

1回他のところで就職したんですけど、中学生のとき自分が知らない人でも自

分の活躍を知ってくれていることにすごいインパクト受けて…。村の人たちが応

援してくれているっていうのがすごい自分の励みになってて、それで恩返しした

いなと思って帰ってきました。(石澤有衣さんインタビューより)

インタビューに応じてくださった方々から、何度か聞くことができた言葉である。

石澤尚人さん、有衣さんにみられるように、佐井村に帰る前から「恩返し」の気持

ちを抱いていた人もいれば、館脇亮さんのように、家業を継ぐため佐井村に帰って

きて、それからその気持ちを抱いた人もいた。フックが現れるタイミングは人によ

って違うことがこのエピソードからわかる。

また、山本尚樹さんと石澤有衣さんは、佐井村に帰ってから役場での仕事に就い

ている。かつて自分を応援してくれていた村民と密接につながることができるため、

「恩返し」を叶えられると想像しやすい職業であると考えられる。そして、石澤尚

人さん、館脇亮さんは職業や帰ってきた理由は違うが、ブカツに関わり、子どもた

ちへの指導に携わったという点は共通している。「恩返し」の叶え方には、職業で

村を支えることや、自らの経験を生かして子どもたちの指導に携わるなど、多様で

あることがこれらのエピソードからわかる。

③ フックがもたらす再生産

ふと現れたフックによって佐井村に帰ることを選んだ人、事後的に現れたフックで

佐井村に住み続けることを選んだ人、そのような人々が増えることは、本人自身の生

活が充実するだけにとどまらない。野球協会の会員であり小学校で野球の指導をして

いる岡村さんはこのように語ってくれた。

たまたま揃った昔強かった世代が(佐井村に)帰ってきて親になって、その子ど

もたちが今また強くなっている。それには教える教わるの環境が整ってきたことも

関係している。(岡村昌博さんインタビューより)

先述のように、自らの経験を生かして指導に携わる大人たちがいる。そしてそれは

大人たち自身の生活のはりや、子どもたちのフックに影響を与える。しかし、このエ

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ピソードを見ると、それだけではないことがわかる。大人たちの経験を生かした指導

は、ブカツの技術的な側面をフォローし、さらにそれが子どもたちの上達へと繋がり、

子どもたちの可能性を伸ばすのである。大人との関わりの中で、技術だけでなく充実

した生活を目の当たりにした子どもたちが、成長し、ドアから飛び出して、フックを

感じて帰ってくる。そしていつしかブカツに関わるようになると、再生産のループが

出来上がるのである。このように、佐井村に戻ってからブカツに関わる人が今後も現

れ続けることで、教える環境、教わる環境が世代を追うごとによりよいものとなって

いくことは必然なのだ。

図 ブカツにおけるドアとフックの関係図

(1) 仕事を自分でつくりだす子ども

ブカツという「体験の場」の意味が、単に部活やクラブでのスポーツ活動に留まらな

い注目すべき夢のつくられ方に今回の調査では出逢った。それは先に挙げた船越一輝く

んの例である。

中学校・高校と野球部に所属していた船越一輝くん(18)は、部活中のケガで整骨

院に通ったことと、「佐井村にはじじばばが多いから」という理由で佐井村にはない整

骨院を開くという夢をもっている。そして日本体育大学の整体を学ぶ学科への進学も

決まっている。

こうした船越くんの場合、部活やクラブの体験が直接的にスポーツ選手になりたいと

いう夢につながっているわけではない。それだけでなく部活やクラブでの体験を通じて、

佐井村にいるときに支えてくれた人たちとの顔と顔の見える関係が生まれ、その関係を

もとにスポーツ選手ではない整体師という夢が思い描かれている。その意味で、部活や

クラブという体験の場は、単にスポーツ活動を体験するというだけにとどまらず、応援

してくれる人々との顔と顔の見える関係を生み出すといった「重層性」をもっていると

言えよう。

(2) ブカツと夢の交錯

先述のようにブカツはドアにもフックにもなるだけでなく、船越くんを例にみると、

佐井村の子どもにとって夢がつくられるときの中核的な体験の場を担っている。しかも

8 将来の夢にみる体験の重要性

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そこでいう「体験」は重層性を持っており、単に課外活動を重ねるだけでなく、ムラの

人々との顔と顔の見える関係を生み出すことがわかった。ブカツはムラの外、すなわち

セカイへと飛び出すドアとしての体験を可能にする。それだけでなく、ムラの人との顔

と顔の見える関係を生み、ここが自分の居場所であると思わせムラに戻るフックにもな

る。このようにブカツという場があることで、佐井村はたとえ人が減ってもいきいきと

した場所であり続けることができるのではないだろうか。

(1) 関係者の応答

以上の私たちの結論に対して次の方々から意見を頂きそれを踏まえてさらなる考察を

深めた。

① 鹿内葵さん(総合型地域スポーツクラブ・NPO 法人スポネット弘前代表)

自分たちが弘前市など都市部で立ち上げようと仕掛けている地域スポーツクラ

ブが、佐井村で自然発生的に生まれている事実は知られていないし、非常に重要な

ことだと思う。ただし、前提となっている「佐井村の人たちはいきいきしている」

という判断は、たしかに現場に行けばわかることだと思うが、それを現場を共有し

ていない第三者に伝える工夫をしてほしかった。さらに、ブカツがドアやフックに

なっているというのも、一部の「スポーツ・エリート」だけに限定された話ではな

いかという疑問もきっと出されるだろう。佐井村でどれくらいの人がスポーツがき

っかけで出ていき、戻ってくるのかといった、根拠となる数字のデータを示してほ

しかった。

鹿内さんに指摘された「佐井村の人たちはいきいきしている」という判断は、私た

ちが最も伝えたい、にもかかわらず最も伝えるのが難しかった佐井村の印象であった。

それは何度も足を運び、村の人たちと同じ空気を吸い、時間をともにするたびに深ま

っていった、言わば「体感」された雰囲気である。たしかにそのような「体感」は、

佐井村に行ったこともない人々、さらに言えば、「人口が減っているのにそこに暮らす

人々がいきいきしているなど信じられない」と考えている人々にこそ的確に伝える必

要がある。ただしそれは、「数字」でしか伝えられないものではない。むしろ、どうい

う場面でそう実感されたのかというように、できるかぎり追体験を可能にするかたち

で伝えるべきだと考えられる。そこで、「いきいきしている」ことが実感された場面を

あげたい。

第1は「プチゆめここタイム」での小学生たちの反応である。大学生が佐井小学校

に伺った際、緊張する様子もなく挨拶してくれ、迎え入れてくれたのは小学生たちだ

った。質問を投げかけると勢いよく手をあげ、「はい!はい!」と大きな声で答えよう

としてくれた。これまでに佐井村で感じてきた「いきいきしている」としか言いよう

のない、独特の雰囲気が、小学生にもやはり共有されていたという実感を再確認でき

た瞬間であった。

第2は佐井中学校の文化祭である。そこでは劇、合奏といった1つ1つのプログラ

9 まとめ

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ムに全校生徒が出演していた。さらに、話を伺うと、生徒が主体となってそれらのプ

ログラムを準備し練習に励んでいたということだった。日常の学習や部活などで忙し

く、実質的に1週間しか準備期間がない中で、生徒によってはそれぞれに努力を重ね

ながら、当日に臨んだというのだ。くわえて、文化祭を閉じるに当たって生徒が観客

に対して行った挨拶では、「地域の方々」への感謝の言葉が繰り返し述べられており、

子どもたち、学校、家庭、地域のつながりが色濃く感じられた。

このように私たちは、訪れたさまざまな場面で「いきいきしているさま」を実感し

てきた。それは私たちからすると、これからも佐井村から失われてほしくない雰囲気

であった。だからこそ、この時と場を共有していない第三者にも、あらためて積極的

に伝えていく必要性を痛感している。今後、この「体感」をより伝えることができる

言葉を模索していきたい。鹿内さんからはもう1つ重要な指摘があった。それは今回

の「ブカツがドアやフックになっている」のが一部のスポーツ・エリートに限定され

たものではないかという疑念である。

表2 各部活の代表的な人物と同年生まれの人口動態

同年生まれの男性・ 女性の人数

出生時 現在

陸上 卓球 野球 生まれ 佐井村 佐井村

50代 石澤尚人 1966 11 13

40代

岡村昌博 1970 16 14

館脇亮 1971 11 13

田名部直仁 1975 10 10

竹内一 1976 10 9

30代

阿部潤一 1979 20 10

横浜清春 1985 10 6

蒔田剛広 1986 16 7

20代

石澤有衣 1991 9 2

畠中一磨 1993 10 4

須藤渓太 1994 11 5

10代

宮川友哉 1997 15 14

船越一輝 船越一輝 1998 11 10

熊谷彩夏 1998 6 6

竹内伶 2005 10 9

出典「 国勢調査結果」 (総務省統計局)

表2からは、現在の 20 代、30 代の人口は出生時と比較すると半減前後まで減って

いることがわかる。このような大幅な流出がすべてブカツによるドアがもたらしたも

のでないにせよ、鹿内さんの懸念するようにブカツはドアしかもたらさないようにも

見える。

この表のように、出生時の人口と現在の人口を比較することで、その年代の佐井村

出身者のうち大体何名ほどが現在佐井村に居住しているのかを大まかにつかむことが

できる。これに対して注目したいのが 40 代、50 代の人口動態である。出生時と現在

はそれほど変わっていない。したがって、やはりそのすべてがブカツによるフックと

は呼べないにせよ、ムラに人を呼び込む何らかの力が働いていると言える。そうした

40 代以上に見られるフックが、30 代以下にも効果を及ぼすかどうかは、注意深く見守

っていく必要がある。

表の 10 代はこれから進学、就職でムラを離れる時期に差し掛かっているが、今の

ところその先端に位置する 1997 年生まれも出生時からほとんど変わっていない。この

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世代は、卓球クラブ(2006 年)や特設陸上部(2009 年)など地域スポーツクラブの設

立が本格化し、子どもたちの成績が格段に向上・安定してきた世代に当たる。彼ら彼

女らが目にすることができたドアが、今後、フックに変わっていくか否か、引き続き

注視していきたい。

② 田澤謙吾さん(青森県企画部企画調整課)

ブカツが人とのつながりを生むというのは面白いと思った。しかし、ブカツが人

口を増やすということには疑問が残る。県が期待する人口減少対策には直接的につ

ながらないのではないか。

このコメントについては末尾の(2)に総括的にまとめることとする。

③ 石澤尚人さん

佐井村は、小さいからこその良さがあり、村の大人は自分の子どものように子ど

もたちを可愛がる。時には叱ることもある。人と人とのつながりが濃い村だという

ことを改めて感じた。ブカツだけでなくイベントなどの仕掛けづくりを村全体が頑

張っており、それが「いきいき」にもつながっていると思う。

小さいからこその良さは佐井村に調査にうかがってから折にふれて痛感していた

点である。佐井村での現在の地域づくりは、機動的に、しかも立場の異なる方たちの

協力によって進められている。それは人口減少が進んだ佐井村であるからこそ、その

ようなネットワークの形成が見られるのである。

2013・2014 年度の社会調査実習報告書では、これらは小ささから来る佐井村の人た

ちの関係の近さによるところが大きいと考えていた。さらに今年度の調査でも、関係

者のインタビューの際に、他の佐井村の方の名前が出てくることが頻繁にあった。「そ

の話ならあの人に聞けばいいよ」というように、インタビューの中でその後の調査の

道筋が立てられることが多々あった。1人にインタビューしている時でも、周りの人

たちがどんどん話に加わってきて、その場にいる方々みなさんへのインタビューにな

るという場面もあった。これは佐井村の人たちが、地理的・心理的に近い環境にある

ため見られるものである。言うならば、佐井村は人口の減少に伴うコミュニティの縮

小によって、地理的・心理的距離が近くなり、人と人が繋がりやすくなっていると考

えていた(弘前大学人文学部社会行動コース 2015)。

こうした「小さいからこその良さ」はまた、佐井村に深く根差して暮らしている方

とはいえ、ムラの外での就学・就業経験が豊かな尚人さんだからこそ実感されるもの

だと考えられる。ここで尚人さんが暗に指摘くださっているように、人が減り、極端

に子どもが減り続けている佐井村に、地域スポーツクラブが続々と生まれ、成果を挙

げていること自体が、何にも増して「人口が減っているのにいきいきとしている」姿

の現われに他ならない。それが如何に注目すべきことであるかは、「いきいきとしてい

る」という判断を伝えることの難しさを強調した前掲の鹿内さん自身が、まず驚くべ

きことと指摘していた点にも現れている。

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④ 石澤有衣さん

佐井村は地域で子どもを育てる村だと思う。近所の人が当たり前のように声をか

けてくれる。それが自分の心にも残り、むつ市や弘前市で暮らしているときにはよ

く佐井村を思い出していた。一度は弘前での就職を経験したが、「自分の代わりな

んてたくさんいるんだろうな」という気持ちがあった。佐井村に自分しかできない

ことがある気がした。現在役場で仕事をするなかで、弘前での自分よりもいきいき

していると感じる。かつて自分に声をかけてくれていた村の大人たちのように、自

分もなりたいと思う。

有衣さんは今年度の調査におけるキーパーソンだった。『広報さい』で大々的に取

り上げられている有衣さんを発見したことが今年度の調査の始まりであり、それがな

ければ調査は満足のいくものにならなかった。

ここで有衣さんが言及する「自分の代わりなんてたくさんいるんだろうな」という

ムラの外での実感は、第1章で注目した「ここじゃない感」と響き合う。ムラは逆に

「ここだ」という感覚、言い換えれば居場所の感覚をそこで「体験」を重ねた者に与

えるのだと言えよう。有衣さんは佐井村の出身ではない。出身であるかどうかよりも

「体験」を重ねることが重要なのである。有衣さんがそうであるように、佐井村にと

ってブカツはそのような体験の場の1つにほかならない。そうしたかけがいのない場

を如何に生み出せるかが、人口減少を乗り越える鍵なのではないかと考えられる。

(2) 人口減少を乗り越える

これまで、佐井村におけるブカツはドアやフックになっていること、子どもたちの夢

には体験の場が重要であることを述べてきた。しかしながら、発表を見ていただいた方々

の意見では前記述どおり、「ドアがあることは人が出ていくことであり、人口減少の解決

にはならないだろう」「フックがある人は例外なのではないか」というものが多くあった。

それらの厳しい意見に対し、実際に佐井村に住む人たちがいきいきと生活している様子

を目の当たりにしている私たちは、幾度となく議論を重ねてきた。そして自分たちが出

した答えを次に示した。

私たちの調査のテーマは「人口減少を乗り越える」ことであり、それは人口を増やす

こととは全く違うことを意味する。現在人口減少は日本全体で進行している問題である。

外から来た人に移住してもらうこと、ムラを出る人を減らすことなど、人口を増やすこ

とは簡単ではない。さらに佐井村には、交通の便の悪さ、無医村であること、高校がな

いことなど、他の市町村に比べて不利である点もある。そしてそれは行政としても簡単

に変えられる問題ではない。

しかし、人口というように人を頭数で考えるのではなく、一人ひとりの暮らしのうえ

で「人口減少を乗り越える」ことは可能である。それこそが佐井村で続けてきた調査か

ら教えられた視点である。人の数を増やすことよりもそこに住む人がいきいきと暮らし

続けること、いきいきと暮らす人が増えることこそ「人口減少を乗り越える」ことにほ

かならない。こうした視点は、今後日本全体で必要とされることだと考えられる。

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同時に、石澤尚人さんや有衣さんが指摘していた佐井村の「小さいからこその良さ」

が、他のインタビューに協力してくださった方の多くも含め、佐井村を離れてから気付

かれている点が重要である。たしかに、ドアができることはムラから人が出てゆく危険

を大きくする。しかし、ドアを開けて外に出ることによって初めて、ムラの「小さいか

らこその良さ」に気づくとも言える。ドアの向こうのムラの外で「ここじゃない感」を

覚えた方たちが、自分でこの地に住もうと佐井村に帰ることを選んでいたように、ドア

を開けて村を離れることは、より納得感を持ってムラに暮らすことにつながるのである。

つまり、ドアで飛び出すことがフックをもたらす。一旦出たことでムラの良さに気づき

戻ってくる人を増やすのである。

まとめるならば私たちは、「人口減少を乗り越える」ことは、人口を増加させることで

はなく、人口減少をやみくもに問題だと捉えたり、人口減少が一方的な害悪や絶望をも

たらすものだと考えたりする、そのような固定観念から自由になることだと考える。佐

井村におけるブカツは、まさにそうした自由さを体現していると考える。子どもも大人

もいきいきとする場がこれからもあり続けることで、佐井村は着実に人口減少を乗り越

えてゆくのではないかと考えられるのである。

(1) ドアとフックを確かなものとするための提案

① 小中学生の複数種目の大会参加の容認

青森県では現在、小中学校での部活の兼部(複数のスポーツ種目の大会への参加)

が認められていない。今回の調査から、子どもの数が少なくなるなか、複数のスポー

ツに取り組めることは、子どもたちの可能性を拡げる効果が高いことがわかった。他

県では認められている例もあり、青森県でも認めるべきである。

② 条件不利地域のクラブスポーツに対する公的支援策の充実

教員のさまざまな負担の重さや児童・生徒数の減少から、条件不利地域ほど学校で

の部活の運営は厳しくなっている。それを補ってあまりあるのが、地域住民が運営す

るスポーツクラブである。しかし子どもの数が少なく、大会開催場所まで遠い条件不

利地域では、住民が負う運営費などの負担も重い。そうした負担を軽減すべく、用具

購入費や遠征費などに対する公的な支援策を講じるべきである。

③ 青森県スポーツ奨学金の創設

宮川くんの例にあったように、ドアのフレームがあっても経済的な事情から、フレ

ームがドアとならず開けられない子も少なくない。現在の青森県育英奨学会の奨学金

制度では、学業の成績優秀者と低所得家庭の子どもに対しての支援しか行っていない。

そのため、青森県育英奨学会の奨学金制度に、スポーツ優秀者向けのスポーツ奨学金

の追加を検討すべきである。

条件不利地域の子どもたちにとって、スポーツは地域の外のセカイにチャレンジす

るチャンスになっており、同時に、クラブスポーツが定着すればムラに戻ったときの

10 政策提案

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居場所にもなり得る。その意味で、条件不利地域で子どもから大人まで充実して暮ら

し続けるカギの1つはスポーツであり、人口減少対策として特に条件不利地域のスポ

ーツ活動を支援する意義は大きいと考える。

(2) 提案に対する青森県の考え方

① 部活の意義について(青森県中学校体育連盟理事長・太田尚人さん)

子どもたちにとって部活動は結果だけじゃない。その過程でどれだけ頑張ったか

というのが子どもたち自身の自信になる。部活を続けて得られるものはとても大き

い。進学だけでなく就職の時にもそれは活きてくる。そういう意味では、可能性が

拡がることに繋がっているかもしれない。

② 兼部の容認について(青森県中学校体育連盟理事長・太田尚人さん)

文部科学省からの通達で中体連の大会が開ける期間は限られている。その限られ

た期間の中で大会を開くことになるので、どうしても日程は被らざるを得ない。ま

た、中体連の本部によって定められた、一人1種目という決まりもある。生徒のバ

ランスある生活に関する観点からそう定められていて、今後も変わることは難しい

と考えられる。

③ 活動費の補助について(青森県中学校体育連盟理事長・太田尚人さん)

宿泊費の一部などは補助として出ている。しかし全額ではないため、生徒や家庭

への金銭面での負担になっていることは事実だと思う。

(青森県スポーツ健康課指導主事・山口哲寛さん)

総合型地域スポーツクラブがある。しかし、継続的な資金の援助があるわけでは

なく、委託する形になるため、人員を割く必要がある。

④ スポーツ奨学金について(青森県教職員課総括主幹・福士浩司さん、公益財団法人青

森県育英奨学会事務局主任・鳥谷部秀子さん)

高校進学の際に受けられる奨学金の申請の要綱にある「学力・人物が優れたもの」

には、「部活動での成績が優れているもの」は含まれていない。学力に関して定め

ているラインは厳しくない。低所得者世帯に向けた修学資金の貸付も行っているた

め、そちらに申請してみてはどうか。 これからも部活動の成績という観点が含ま

れる可能性は低く、進学先の高校への問い合わせや、民間の支援団体を自ら探すと

いう方法をとるしかないと思われる。各中学校には奨学金関連の資料を必ず送付し

ているため生徒自身がそれを保護者に見せていない可能性もあるのではないか。

(3) 残された課題

以上の回答では、①兼部が容認できない理由を文部科学省や中体連本部に求めたり、

②経済的な支援の不十分さを認めつつ打開策が模索されていなかったり、③奨学金の利

用が広がらない責任を生徒に求めたり、と、問題を把握しつつも自ら積極的に解決しよ

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うとする姿勢が、残念ながら見られなかった。

第1に、ここに語られている兼部が全国一律で規制されているという情報と石澤尚人

さんが指摘する一部都道府県では容認されているという認識との間には乖離がある。今

後、全国的な実態がどのようになっており、容認されているとすれば、どういった論理

によって可能になっているのかを調査し、その結果をもとに再度、青森県の見解をただ

す必要がある。

第2に、総合型スポーツクラブが切り札として示されているものの、前掲のスポネッ

ト弘前が担っているように、それは一定規模以上の都市での運営を想定したもので、佐

井村で現実に展開されている活動にはそぐわない。佐井村のような村の人たちの手弁当

で展開される草の根型スポーツクラブが全国にどれだけ広がっているか、対して都道府

県や市町村独自の支援策は講じられていないのか、そうした点についても調査を深め、

同じように青森県に再度提案していきたい。

第3に、青森県が提示する奨学金があることが、子どもたちや家庭に周知されていな

いという問題がある。進学先の高校や民間企業への問い合わせを子どもたちに勧め、そ

こで手放しにするのではなく、助力となるような青森県側の姿勢が子どもたちには必要

であると考える。

重要なことは、全国一律の制度を滞りなく運用することではなく、子ども一人ひとり

の人生について、そして彼ら彼女らが生きる地域について深く想像力をめぐらし、柔軟

な対応を心がけることではないかと考えられる。

小川信夫、1993、『情報社会の子どもたち』、玉川大学出版部。

佐井村、(1970)2002~2016、『広報さい』。

佐井村教育委員会、1989~2015、『文集さい』。

佐藤郁哉、2006、『フィールドワーク:書を持って街へ出よう』、新曜社。

篠原清夫・清水強志、2010、『社会調査の基礎』、光文堂。

総務省統計局、2010、『就業構造基本調査』。

谷富夫 ・ 山本努 、2010、『よくわかる質的社会調査 プロセス編』、ミネルヴァ書房。

野垣義行、1968、「中学生の生活環境と生活意識 : 広島県における地域類型別比較」。

弘前大学人文学部社会行動コース、2015、『2013・2014 年度 弘前大学人文学部社会調査

実習報告書 さいはての可能性~青森県佐井村に学ぶ~』。

弘前大学人文学部社会行動コース、2016、『平成 27 年度 弘前大学人文学部社会調査実習

報告書 神楽でつながる』。

宮本常一、2011、『私の日本地図:3 下北半島』、未来社。

佐井村ホームページ:http://www.sai.e-shimokita.jp/

11 参考文献・URL

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3年 出川実波

今回初めて、学生発未来を変える挑戦プロジェクトに参加させていただき、より自分た

ちの研究への理解を深めるとともに、他のグループの発表から刺激を受けることが出来た。

私たちは佐井村に着目して調査を続けてきたが、自分たちが考察して出てきたドアとフ

ックの概念は、佐井村に限っての話ではないと考えている。今回の発表では、ブカツをド

アフックの一例として出したが、決してブカツだけが、セカイへ飛び出すドアになりムラ

を思い起こさせるフックになるという話で終始しているのではない。ブカツはあくまで一

例で、ドアとフックは、それぞれの地域で違うものなのではないかと思う。その「何か」

の発見、気づきが人口減少問題を考える上で重要なのだと思わされるプロジェクトだった。

直接的な解決方法ではないかもしれないが、私たちの考えるドアフックの概念が、佐井村

だけにとどまらず、他の地域にも応用して考えられえるようになっていけば幸いです。

私たちかだる班は報告会で発表することが出来なかった。私たちが伝えたい佐井村の「い

きいき」している人たちの様子・雰囲気をうまく伝えきれなかったことが悔やまれる。し

かし発表できなかったことで、自分たちが実際に体験してきたいわゆる「生の」データを

いかにして表現するのかという難しさと、同時にそのおもしろさを感じることが出来た。

それは今後、卒業研究や自分の調査に持ち帰って活かしたいと思う。このような学びの場

をいただけたことをとても光栄に思います。ありがとうございました。

最後に、もし今年度もプロジェクトが行われるのでしたら、グループ数の関係で厳しい

ことは承知の上で、どうにか全グループが発表時間を頂ける方法はないでしょうか。これ

から研究を始める後輩たちのためにも、ご検討のほどよろしくお願いします。

3年 苫米地愛佳

かだる班が佐井村を調査地としてフィールドワークをするのは5年目となり、私たち3

年生には節目の年だった。さらに、このプロジェクトに参加させていただくのは初めてで

あり、期待も大きかった。これまで弘前大学と佐井村の間だけで行き来していたように感

じていた私たちの調査報告を、県庁職員に見てもらい、聞いてもらうことで、佐井村にお

ける人口減少の実例が今後青森県全体に活用されていく可能性があることはとても励みに

なった。しかしその分、先輩方、そして自分たちが続けてきた調査を、青森県にどれだけ

伝えることができるかという不安も大きかったことを覚えている。

結果的には、報告会で発表することは叶わなかった。その理由として、私たちが実感し

ていた佐井村の独特の雰囲気であったり、佐井村が人口減少を乗り越えられる決定的な根

拠というものが欠けていたことが挙げられる。非常に悔しかったが、報告会の発表が叶わ

なかったことによって気付かされたことでもあったため、実りもあったと考える。私たち

はこのプロジェクトを通して「見て、考えてきたものを聞き手にどう伝えるか」というの

は非常に重要な課題であることを実感した。

最後に、「どうしても発表を見てもらいたい」という勝手なお願いだったのにも関わらず、

見に来てくださり、ご意見くださった田澤さんにはとても感謝しております。大学生だけ

では考えが至らなかった点にご指摘いただくなど、多くの実りがありました。ありがとう

ございました。

○ 調査研究に参加しての感想

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2年 髙野和奏

今回 1 年間、学生発に向けての研究をさせていただきました。この機会で私は初めて、

青森や地元を活気づけることを考えたように思います。小さいころから青森に住んでいた

ので、世間が地域の元気を取り戻そうと声を上げているのは知っていました。しかし私は

その状況に慣れてしまっていて、そこから深く考えることはしませんでした。

研究の中で佐井村に実際に行って、本物の歴史ある芸能を見て、人数の少ない学校にも

伺って、本当に少ない人数で日々を過ごしている風景を目の当たりにしました。その力強

さ、それと同時に人口減少を村の皆さんが何とかしようと一生懸命になっていることも伝

わってくるようでした。佐井村の方々は、人々の付き合いが濃く、それは人が少ないから

こその良さで、「いきいき」暮らしていると感じました。しかし、それだけではやっていけ

ないと痛感することもしばしばありました。人口減少を止めることが難しいこれからの未

来では、今回のように様々な角度からの研究発表が地域活性化のための発想を促すきっか

けづくりになるのではないかと思います。私がそうであったように、学生が青森のことを

より深く考える契機にもなりえるのではないでしょうか。