数値シミュレーションを用いた魚群のダイナミクス...
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数値シミュレーションを用いた魚群のダイナミクスと統計的性質の考察及び観察との比較
鎌田 諭紀
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目次1 研究の動機 3
2 魚及び魚群についての実験観察結果 6
2.1 魚の運動レベルと遊泳速度 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 6
2.2 魚群の外部刺激に対する反応 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 8
2.3 魚群の統計的性質 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 9
3 群れのコンピュータシミュレーション 12
3.1 Boidモデル . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 12
3.2 自己駆動粒子モデル . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 13
3.3 魚群の数値シミュレーション . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 15
3.4 クラスターの半径 Rと構成個体数 Nの関係 . . . . . . . . . . . . . . . . 15
3.5 クラスターのサイズ分布 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 19
3.6 本節のまとめ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 22
4 群れの流体モデル 24
4.1 基礎方程式 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 25
4.2 秩序状態におけるゆらぎ . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 26
4.3 秩序状態における音波のモード . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 27
4.4 密度, 速度のパワースペクトルと音速の関係 . . . . . . . . . . . . . . . . 29
4.5 SPPモデルの数値計算結果との比較 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 30
5 ハイスピード動画の解析 34
6 将来の課題 39
7 まとめ 40
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1 研究の動機物理学には熱力学や統計力学という分野がある. 空気や水を含めこの世界に存在するあ
らゆる「もの」は原子や分子の集合であると考えられ,さまざまな実験結果がこれを支持している. 熱力学は物体が小さな粒子の集合であることを忘れ,物体の構造が「一様」である平衡状態において物体全体の量として体積,温度,圧力といった量を考え,これらの間に普遍的な関係が成り立つことを示した. 一方統計力学は各粒子が力学や量子力学の運動方程式に従って運動すると考える. 物体が 1023 個という非常に多くの粒子で構成されることから, これらが平衡状態においてとりうる運動状態の統計的性質をモデル化し, 全体の量である前述の温度等がどのような振る舞いをするかを考える. 近年は非平衡平衡状態も記述できるよう研究が進められている.
物体は多数の粒子が集まって構成されている. 少し唐突に思われるかもしれないが,生物の群れも多くの個体の集合体であるという点では同じである. 群れにはイワシの群れに代表されるような数万, 数十万オーダー個体から構成されるものや, アフリカに生息するヌーの群れのように数キロにわたるものも存在する. そして,群れはある種の秩序状態にある. 群れの研究はこれまで主に生物学や農学の分野でなされてきたが,物理的な見地からモデル化や定量的な研究はできないだろうか.
生物の一種である自分たちの経験や周りに存在するさまざまな動物の観察から, 生物が自身の感覚器官を通して環境や周囲の個体と相互作用していることは間違いない. 人間はテレビやインターネットなどを通して空間的に遠くにいる個体とも相互作用を行うが,今は身体に備わった感覚器官を通して直接相互作用をする場合に限定して考えよう. この場合相互作用は短距離のものであると考えられる. 先ほど言及したイワシやヌーもそうであろう. ではそのような短距離相互作用で長距離にわたる秩序状態は実現されるのだろうか.
このような疑問をもったとき,物理学の分野に属するものなら平行統計力学の結果であるMermin-Wagnerの定理を思い出すかもしれない. これは「短距離相互作用を行う 2次元粒子系は長距離秩序をもたない」というものである. しかし, ヌーは平面上を運動する 2
次元系であるが,彼らはある程度安定な特定の方向に運動する大きな群れを構成する. 生物集団には今まで物理学考えられてきた平衡統計力学と全く異なる結果が現れてくるのである.
もちろん生物集団は平衡系でないであろうし,そもそも内部にミトコンドリアといったエネルギー生成機関をもち自分の力で移動できることからニュートンの運動法則を満たさず,これまで物理学が対象としてきた粒子と生物個体は根本的に異なる. ならば,適切な一
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個体の運動規則や相互作用ルール, 対称性を設定することで, 例えば統計力学と同じような手法で定常状態に近い群れの状態を記述できないだろうか. 生物一個体の運動規則を考えるとき,生物の自由意志の影響をどう処理するかという問題が発生する. しかし,いくつもの生物集団, 例えば前述のヌーやイワシを含め鳥や魚, バクテリアの群れにおいて同様の秩序状態が実現されていることから,また集団心理学の結果に見られるように人間の集団に典型的な状態というものが存在することから, 集団になることで自身の意志より周囲との相互作用が優先され,結果普遍的な構造が現れるのかもしれない.
これまで物理学はさまざまな現象を説明しようと試行錯誤を続け,多くのものの見方や解析手法を提案してきた. これらの知識の蓄積を武器として,「もの」の理だけでなく生物の理の記述に取り組むことで,生物学,農学,そして心理学のさらなる発展に貢献できるだろう. 以上のような理由から,本論文では生物集団を対象としその物理的なモデル化,解析を試みる.
一口に生物集団と言ってもさまざまな種が存在する. 今回筆者は魚群,特にイワシなどの比較的小さく肉食性の魚に補食される立場の魚の群れに注目する. その理由は,水産工学の分野における実験結果が存在することと, 各個体の向きが揃った秩序状態だけでなくトーラス状の安定な状態ももち,形状をダイナミカルに変化させたりときに驚くべき運動性,反応性を示すなど非常に興味深い運動を行うからである. 特に被捕食者の群れは,敵の襲撃の際にその情報が一個体の通常遊泳速度の約 100 倍の速さで伝わるといった観察結果が報告されている.
本論文では魚及び魚群に関する先行実験結果を紹介し,魚群がどのような運動や統計的性質を示すのかをみる. そして,近年物理学の分野で群れを記述するモデルとして用いられている自己駆動粒子モデルの数値計算結果と観察結果の比較を行う. また,群れを流体として記述しよういう試みを紹介し,それからどのような音波のモードが導出されるかをみる. これに関連して,実際に魚群を撮影した映像から,先行実験の結果の確認を行い,魚群にどのような「波」が存在するかを調べる.
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図 1 魚群のさまざま形状. 上 2枚の写真はそれぞれ整列した状態とトーラス状の状態で安定である. 下図は餌に群がる魚群である.
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2 魚及び魚群についての実験観察結果生物学や水産工学の分野においてこれまで魚群に関するいくつもの実験や観察が行われ
てきた. 昔は水槽等での実験が主であったが,近年ソナーやそれを用いた解析技術の発達に伴い,外洋に存在する大きな群れの大きさや内部構造なども観察できるようになってきた. 本節では魚一個体の遊泳速度に関する実験結果,及び魚群の統計的観察結果を紹介する. また,魚群の外部刺激に対する驚くべき反応性を調べた興味深い報告についても言及する.
2.1 魚の運動レベルと遊泳速度
回遊性の魚は通常ある定常速度で遊泳している. 遊泳時の魚のレイノルズ数は R 1*1
なので流体力学的抵抗は遊泳速度の 2乗に比例し,定常状態においてこの抵抗力と魚の推進力は釣り合っている. このとき,最適遊泳速度は魚が単位距離移動する間に消費するエネルギー,すなわち基礎代謝と推進に必要なエネルギーの和が最小になる速度であると考えられる.
平均抵抗 Dのなかを一定速度 V で進むとき
DV = ηPp (1)
が成り立つ. ここで,Pp は推進に消費されるパワー,η は魚の推進力を生み出す機構の効率である. この効率 η について,ニジマスを用いた実験より η ∝ V であることが知られている. これと D ∝ V 2 を考慮すると
Pp ∝ V 2 (2)
であることがわかる. 基礎代謝により消費されるパワー Pb も合わせて考えると
Ptot = Pb + αV 2 (α = const) (3)
なので,単位距離移動する間に消費されるエネルギーは
Ptot
V=
Pb
V+ αV (4)
*1 例えば 20Cの水温中を体長 10cmの魚が体長/secの速度で遊泳しているとする,レイノルズ数R ∼ 104
である.
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図 2 左図: 魚の 3つの運動レベル. 右図: 体長と burst速度の関係. 一番傾きの大きい直線が burstに対応する V = 10BL/secである. 点の種類はそれぞれ異なる種を表し,burstはデイス,金魚,ニジマス,カマス,イルカで確認されている. [6]より引用.
である. Ptot/V を最小にする V = Vm は
∂
∂V
(Ptot
V
)= − Pb
V 2+ α = 0 ∴ Vm =
√Pb
α. (5)
このようにして計算された Vm と実際の回遊性の魚の定常遊泳速度はほぼ一致することが確認されている. この値は体長/secのオーダーである.
回遊性の魚はたいていある定常速度で遊泳しているが,常に同じ速度というわけはなく,
捕食者が接近してきたときは加速して逃げるなどといった行動をとる. 魚の運動レベルは大きく3つ分けられると考えられている (図 2 の左図,[7]). 1つ目は何時間でも維持可能な速度での運動で,先程述べた定常遊泳速度はこれに当たる. 2つ目は 1,2時間持続可能であるが疲労を招く速度で泳ぐ状態である. 3 つ目は最高速度での運動で, この状態は数秒から数十秒しか持続できない. 以下この最高速度での運動を burstと呼び,このときの遊泳速度を burst速度と呼ぶことにする. この burst速度 Vburst と魚の体長 (body length,
以下 BLと記す)の関係について,ニジマスやデイス*2 の実験データより
Vburst ∝ BLβ with β ' 0.9, (6)
となり, burst 速度はほぼ体長に比例することが知られている (図 2 の右図)。すなわち,
*2 ヨーロッパ産のコイ科の淡水魚.
7
流線型の魚では普遍的にVburst ' 10BL/sec (7)
が成立するのである. よって,魚の運動を考えるとき距離は体長でスケールするのが適当であると考えられる.
2.2 魚群の外部刺激に対する反応
図 3 ”wave of agitation” の伝搬する様子. [2]より引用.
次に群れの振る舞いに目を向けてみよう。捕食者に襲われたときなどに魚各個体は burst状態になるが、このような状況で魚群はどのような反応を示すのだろうか. Radakov はヤクシマイワシの群れに人為的に刺激を与える実験を行った[2]。ヤクシマイワシ一匹の体長は 10cm
程度で, 実験で用いた群れの大きさは 2
- 5m × 1 - 2mである. 刺激源として 1
秒間に 1回転する 30cm大の羽2枚のプロペラを用いる. プロペラを回転させはじめても最初の 0.25 - 0.5秒は魚は何も反応しない. その後, プロペラから半径0.6 - 0.8m以内にいる個体は刺激に対して直接反応して向きを変え, それが群れ全体に伝播する. この外部刺激に対する反応の伝播を”wave of agitation” または群れの agitation mode と呼ぶことにする. こうして群れ全体が刺激源から遠ざかる方向に運動している状態が実現される.
”wave of agitation”が広がる速さは 11.8 - 15.1 m/secである. これに対して実験中に観測された一個体の最大速度は 1m/sec 程度で, 先ほど述べた burst 速度=10BL/sec という事実と一致する. 両者を比較すると,burst速度の約 10倍の速さで外部刺激に対する反応が群れ内部を伝わっていることになる。この波はどの群れでも見られるわけではな
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く,例えば Jenkinsia*3では観察されるが草魚*4の群れでは見られない。図 3,4からもわかるが, 群れに”wave of agitation” が起こるのは個々の魚が体を 90 近く折り曲げることができるからである. 近くにいる個体が体を曲げるという運動を感知すると自分も体を曲げるという連鎖反応が起こり, それによって群れ全体が外部刺激からすばやく逃げる.
ここから, 体の屈曲が魚群内の情報伝達において重要な役割を担っていることが伺える.
図 4 身体を折り曲げるイワシ. このような動きの連鎖として波が観察される. 体を折り曲げているとき水の抵抗で速度が遅くなり, 屈曲後尾びれの力で新たな方向へ移動を開始することで急激な速度方向の変化が可能となっている.
各個体は “wave of agitation” によって刺激源から遠ざかる方向に向きを変えるが, 逃げ方は刺激源からの距離によって異なる。刺激源に近い個体は 1 - 2秒間逃げるが, その後転回して戻ってくるが, 刺激源から遠い個体ほどその個体の描く運動の軌跡の曲率は小さくなる.
以上魚及び魚群に見られるダイナミクスについてまとめると, 魚はたいていある定常速度で遊泳している. その速度は単位距離移動する間に消費するエネルギーを最小化するよう選ばれており,BL
のオーダーである。刺激を受けた際などに魚は加速するが, 実現される最大速度, すなわち burst速度は約 10BL/secである。また,群れに刺激を与えたとき、自身の向きを変えるという反応が群れ内を伝わっていくが、その伝播速度は burst速度と比べて約 10倍である.
2.3 魚群の統計的性質
前節までは魚群のダイナミクスについての実験結果であるが,一方で魚群の幾何的または統計的性質はどうなっているのだろうか. 例えば魚群の内部密度に目を向けてみよう.
密度は一様なのかそうでないのか,また群れの個体数 N に依存するのか. これは生物学的に基礎的な興味の対象であり,多くの実験もなされてきた. 水槽での実験では群れの密度は一様であるという結果が報告されている. 実際半径 10mのタンクでの実験において,群れの再近接個体間距離の平均を b とおくと,b は体長程度で, 群れの大きさは Nb(N :個体
*3 ニシン目ニシン科の魚.*4 体長は 1 - 2mの大型魚.
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数)であった. 最近ではソナーを用いて外洋中のさまざまな魚群の大きさとその個体数も調べられるようになった. Misundのグループはソナーで群れを平面に射影した画像をとり,S = πab(a, bはそれぞれ長径と短径)と個体数 N の間に
S ∝ N2ν with ν ∼ 0.5 (8)
というベキ則が存在することを示した. それがアンチョビー,ニシン,サバなどいくつもの魚種で成り立つと報告している. これは魚群の半径を Rとおくと
R ∝ Nν with ν ∼ 0.5 >13
(9)
が成り立つ,すなわち魚群はスケールフリーで構成個体数が大きくなると密度 ρが
ρ ∝ N1−3ν = N−0.5 (10)
と小さくなることを示している. その他の実験により,大きな魚群の密度は一様ではなく高密度の部分や大きな隙間が存在し,内部構造は準定常状態にあることが分かっている.
海にはさまざまな大きさの群れが存在する. 群れの大きさとその存在頻度の間にはどのような関係があるのだろうか. [1] に熱帯マグロの群れのサイズ分布を調べた実験結果が紹介されている. 円周 2kmの大きな網で魚群を捕まえその重さを測定し,ある質量の群れが捕獲される頻度を 7年間にわたって調べた結果が図 5である. それによると,サイズ分布 f(s)(sの単位: トン)は
f(s) ∝ s−β with β =32
(11)
でというベキ則にしたがう.
まとめると,観察結果によれば魚群には典型的な個体数 N というものがなく,半径 RとN の関係及びサイズ分布 f(N)は R ∝ N0.5, f(N) ∝ N−1.5 というベキ則で表される.
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図 5 熱帯マグロの群れのサイズ分布.横軸: 群れの重さ (トン). 縦軸: そのサイズの群れを捕獲した回数.図中の破線は f(s) ∝ s−1.5 である. [1]より引用.
11
3 群れのコンピュータシミュレーションどのようなアルゴリズムを用いると自然界に存在する群れのような動きが再現できるで
あろうか. この問いに対して,最初にコンピュータグラフィックスの分野で Boidモデルが提案された. これは各個体が衝突回避,整列,結合という 3つのルールにしたがって動くとき,その集合体として群れらしい運動が再現できるというものであった. 一方物理学の分野でも,非平衡系の一種として生物の群れに関心が高まってきている. そして強磁性体に類似する相互作用をする自己駆動粒子モデル及びその拡張モデルが導入され,非平衡系における「相」の議論などがされるようになった.
本節では近年提案された群れのシミュレーションモデルについて紹介する. そして,速度の大きさ一定の自己駆動粒子 (SPP)モデルでシミュレーションを行い,その結果と実際の観察結果との比較を行う.
3.1 Boidモデル
自然界にはさまざまな群れが存在する. 代表的な群れを成す生物と言えば鳥や魚を思い浮かべるであろうが, 小さなバクテリアやひいては人間も群れとして行動していると言ってよい. コンピュータアニメーションで群れの運動を再現しようとするとき,昔は各個体の複雑な軌跡をあらかじめ与えるという方法がとられていた. しかし,各個体がすべてのフレームで衝突せず全体と自然な群れとして振る舞う軌跡を与えるのは非常に困難であった.
これに対して,1987年に Reynoldsが各個体に局所的な相互作用をさせることでその集合として群れらしい振る舞いが再現できることを示した [3]. 相互作用は非常にシンプルな 3つのルール
1. 衝突回避 (Collision Avoidance)
2. 整列 (Velocity Matching)
3. 結合 (Flock Centering)
から構成される. 各個体は知覚領域をもち,それに含まれる他の個体と相互作用を行う. 衝突回避ルールは,2 個体間距離がある距離より短くなるとお互いが離れるように次の時間ステップでの速度が決定されるというものである. また,整列ルールは近くの個体と速度を合わせるもので,結合ルールは知覚領域内の他の個体たちの重心の方へ移動しようとす
12
図 6 Boid モデルの概念図. Reynolds のWeb ページより引用. 左から衝突回避, 整列, 結合を表す.
るというルールである.
以上の相互作用に加えて,後方の個体は見えないので相互作用しないといった知覚領域の制限や障害物との相互作用等を設定することで自然界に存在する群れらしい運動を再現できる. このモデルは鳥もどき (bird-oid)が短縮され Boidと呼ばれる。
3.2 自己駆動粒子モデル
群れに対する関心は物理学の分野でも高まってきている. 近年非平衡系の研究が盛んになり,多体系の成長過程において平衡状態と類似の相転移も確認されている. Vicsekは生物集団という非平衡系に触発され,次のような単純な相互作用を行う粒子系の数値シミュレーションを行った [5]. モデルのルールは
• 各粒子は一定の速さで運動し、速度の方向は近傍の粒子の平均速度にランダムなノイズを加えて決定される
というシンプルなものである. 実際外洋中の魚はほぼ一定速度で遊泳しており,このアルゴリズムは適当であると考えられる. この系では通常の物理系と異なり運動量は保存しない. 生物個体は周囲との相互作用を行うが,あくまで「自分で動く」のである. ニュートンの運動法則を満たす通常の粒子に対して,生物個体のように内部にエネルギー生成機関をもって運動する粒子は自己駆動粒子 (self-propelled particle または self-driven particle,
以下 SPPと略す)と呼ばれる. 生物以外でも,例えば近年渋滞の研究も盛んになってきているが,自動車も自己駆動粒子である.
Vicsekのモデルを詳しく説明しよう. 2次元空間でのシミュレーションで,総粒子数はN ,時間刻みは ∆tとする. 個体 iの位置は
xi(t + ∆t) = xi(t) + vi∆t (12)
13
0
0.1
0.2
0.3
0.4
0.5
0.6
0.7
0.8
0.9
0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6
φ
η0
図 7 phase-like transition. 式 (15) でのシミュレーション. 横軸はノイズの大きさη0,縦軸は群れの平均速度 φである. モデルパラメータは v0 = 1, R = 3, l0 = 1, g1 =
g2 = 0.6である.
と更新される。速度 vi を極座標 (vi, θi)で表すと,vi = v0 = constで θi は
θi(t + ∆t) = 〈θi(t)〉R + ∆θ (13)
と更新される. ただし, <>R は粒子 iから半径 R の円内の他の粒子と自身の方向の平均を表し,∆θ は [−η0/2, η0/2]の一様乱数である. 実際のシミュレーションは周期境界条件を課した一辺 Lの正方形内で行う. モデルのパラメータは v0, R, η0, N, Lである.
このモデルを一言で表すと生物各個体を「動き回るスピン」と捉えたもので,個体間相互作用も強磁性体のイジング模型と類似している. すなわち、強磁性体におけるスピンの方向を揃えるという相互作用は,この Vicsekのモデルでは速度の方向を揃えるというルールに対応する. 系が整列秩序状態にあるかどうかは Vicsekモデルでのシミュレーションで強磁性体の磁化に対応する
φ =1N
∣∣∣∣∣N∑
i=1
vi
∣∣∣∣∣ , (14)
で判断でき,ノイズの大きさ η0 と φの関係などが議論でき,系の典型的な状態が秩序状態から乱雑な状態へ転移することが確認できる (図 7).
14
3.3 魚群の数値シミュレーション
Vicsek のモデルと同様に速度の大きさ一定で局所的な相互作用を行うモデルを採用する. 魚群では各個体は互いに衝突することなく,また何らかの理由で群れが散った場合でも再び集まるという現象が見られる. よって,他の個体との相互作用として,整列相互作用だけでなく,Boidモデルの「衝突回避」と「結合」のルールもとりいれた.
シミュレーションに用いる総個体数は N で個体 iの位置と速度は xi, vi と記す. 速度の大きさは常に一定で |v| = v0 = constである. 各個体は知覚領域 Rをもち,自身から半径 R内の距離にいる他の個体と相互作用する. すなわち,個体 iの速度は
vi(t + ∆t) = v0N
1M
M∑j=1
[vj(t) + gij(t)] + ηi(t)
(15)
と更新される. ただし,Nはベクトルを規格化する演算子 N(x) = x/|x|であり,M は個体iの知覚領域内にいる他の個体の総数, ηi はランダムなノイズでその大きさは |η| = η0 である. gij は引力・斥力相互作用を表す:
gij = (xi − xj)
[g1
(l0rij
)12
− g2
(l0rij
)2]
. (16)
ここで rij = |xi − xj |である. パラメータ l0 は引力と斥力の境界で、rij <(
g1g2
) 110
l0 のとき gij は引力となり,そうでないときは斥力となる. パラメータ g1, g2 はそれぞれ斥力,
引力の大きさを表し,g1, g2 が大きいと相対的に整列相互作用よりも引力・斥力相互作用が支配的となる. 遊泳速度決定のパラメータは v0, R, l0, g1, g2, η0 である.
また,シミュレーションにおける時間刻み ∆tは魚群の反応時間に対応する量と考える.
すなわち,式 (15)は微分方程式の差分スキームではなく,この代数方程式が魚の運動方程式であると考える.
3.4 クラスターの半径 Rと構成個体数 Nの関係
筆者の用いた速度一定の短距離相互作用モデルシミュレーションでは群れの形成と成長がみられる. 外洋に存在する魚群の個体数 N と半径 Rには R ∝ N0.5 という関係があるという観察結果があったが, このモデルによる N 体数値シミュレーションではどのような結果が得られるかを調べた. なお,本節では群れのことをクラスターとも呼ぶ. また,シ
15
図 8 シミュレーション途中のスナップショット. 左上から t = 0, 500, 1000, 1490sec
である. 初期位置, 速度ともにランダムであるが, それがクラスター化し, 最終的に非常に大きなクラスター 1 つと小さな少数のクラスターができている. 総個体数N = 20000, 系の一辺の大きさ L = 120, その他のモデルパラメータは本文中と同様∆t = 0.1, v0 = 1, R = 3, l0 = 1, g1 = g2 = 0.6, η0 = 0.1である. また,周期境界条件を課した.
図 9 クラスターの合体の様子. 左図は衝突直後の様子で, 中央図と右図はそれから20,50秒後のスナップショットである. このクラスターの個体数は N = 13990である.
16
ミュレーションに用いた総個体数は Ntot と表記し,単に N と書いたときはクラスターの構成個体数を指すものとする. 以下で解析するシミュレーションは Ntot = 50000の個体を L = 200BLの 3 次元空間に初期位置,初期速度ランダムに発生させて実行した. モデルパラメータの値は以下の通りである:
∆t = 0.1, v0 = 1, R = 3, l0 = 1, (17)
g1 = 0.6, g2 = 0.6, η0 = 0.1. (18)
クラスターの半径としてジャイロ半径 Rg を用いた. これは行列R2g を
R2g =
1N
N∑i=1
(xi − xc)(xi − xc)T (19)
をおいたとき,Rg =
√TrR2
g (20)
と定義される量である. ただし N, xc はそれぞれクラスターの構成個体数と中心位置であり, xxT は
xxT =
x1x1 x1x2 x1x3
x2x1 x2x2 x2x3
x3x1 x3x2 x3x3
(21)
を表す. R2g は対称行列なので対角化可能である. R2
g の固有値を
R21, R2
2, R23, (ただし R1 > R2 > R3) (22)
と記す. R1, R2, R3 の比率からクラスターの概形がわかる.
クラスターの Rg と N の関係をみたのが図 10である. Rg = aN b と仮定し, a, bをパラメータとして最小 2乗法を用いてフィティッングすると b = 0.39であった.
もしクラスターが等方的で一様密度ならば b = 1/3である. b > 1/3とは何を示しているのだろうか. 群れの密度構造を調べるため
N(r) =∫ r
0
dr′∫
dSρ(x − xc) (23)
を計算する. ただし r′ = |x−xc|, S は xc を中心とした半径 r′ の球面を表す. このN(r)
を N = 2066, 7833, 13390のクラスターでみたのが図 11である. クラスターの中心付近での N(r)を ρ, β をパラメータとして
N(r) =4π
3ρrβ (24)
17
1´10450 100 500 1000 5000N
1.0
10.0
5.0
2.0
3.0
1.5
15.0
7.0
R
図 10 クラスターの構成個体数 N とジャイロ半径 Rg の関係. 横軸 N ,縦軸Rg である. N > 100 のクラスターのデータを用いてフィッティングするとRg ∝ Nb with b = 0.39となる (図中の実線).
とおき最小 2乗法でフィッティングすると,β ' 3であり,ほぼ一様密度であることがわかる. それより外側の r = Rg 付近では
N(r) ∝ rβ with β ∼ 1 (25)
となっており,クラスターが特定の方向へ伸びた 1次元的な形状をしていることを示している.
それは R2g の固有値からもわかる. 例えば t = 2800secでの N = 13390のクラスター
(図 11の最下段のクラスター)のR2g は
R2g =
47.1 41.6 28.841.6 57.5 34.528.8 34.5 34.4
, Rg = 11.8 (26)
であり,固有値の平方根は (R1, R2, R3) = (10.9, 3.4, 3.0)である. t = 1400 − 3000secの間で 200secおきにクラスターの情報を取得し,各クラスターの R1/R3, R2/R3 やこれらの値と N の関係を示したのが図 12である. 多くのクラスターが細長い形状をしており,
その傾向は N が大きくなる程強くなることがわかった.
クラスターはおそらく進行方向に伸びていると予想されるが, それを確かめておこう.
クラスターの中心速度を
V =1N
N∑i=1
vi, V = |V | (27)
とおく. ただし i はそのクラスターの構成個体をさす. V と N の関係は図 13 左であり,
クラスターの大きさによらず V ∼ v0 であることがわかる. R2g の固有値の最大値 R2
1 に
18
2 4 6 8 10r
500
1000
1500
2000
NHrL
N = 2066
1.0 10.05.02.0 3.01.5 7.0r
5
10
50
100
500
1000
NHrL
N = 2066
5 10 15r
2000
4000
6000
8000
NHrL
N = 7833
1.0 10.05.02.0 3.01.5 15.07.0r
10
100
1000
NHrL
N = 7833
5 10 15 20r
2000
4000
6000
8000
10 000
12 000
14 000
NHrL
N = 13390
1.00.5 2.0 5.0 10.0 20.0r
10
100
1000
104
NHrL
N = 13390
図 11 N(r) と r の関係. 左図は解析に用いたクラスターのスナップショットである. 中央図は横軸, 縦軸ともに線形表示で, 右図は両対数プロットである. 横軸 r, 縦軸 N(r)である. また,縦線は r = Rg を表す. 上段から N = 2066, 7833, 13390である. 図中の実線は N(r) ∝ rβ で, 上段から β = 2.9, 3.0, 2.8 である. これよりクラスターの中心付近では一様密度になっていることがわかる. r = Rg 付近ではグラフが線形表示でほぼ直線となっており, クラスターがある方向に伸びた一次元的な形状をもつことを示している. 実際 R2
g の固有値の平方根 (R1, R2, R3) をみると, それぞれ(5.2, 2.1, 1.5), (8.1, 3.4, 2.4), (10.9, 3.4, 3.0)であり,確かに細長い形状であることがわかる.
対応する固有ベクトルを e1 とおく. |V · e1|の大きさをみたのが図 13右であり,クラスターは進行方向に対して伸びていることが確認された.
3.5 クラスターのサイズ分布
次にクラスターのサイズ分布 f(N)をみてみよう. f(N)とはある時刻における
f(N)∆N = N < N ′ < N + ∆N と満たすクラスター N ′の数 (28)
19
1
1.2
1.4
1.6
1.8
2
2.2
2.4
1 2 3 4 5 6 7
R2
/ R3
R1 / R3
R2 = R3R1 = R2
1
2
3
4
5
6
7
100 1000 10000
R1
/ R3
N
1
1.2
1.4
1.6
1.8
2
2.2
2.4
100 1000 10000
R2
/ R3
N
図 12 R2g からみたクラスターの形状. 図中の各点はそれぞれあるクラスターに対応
する. 左図: 横軸 R1/R3, 縦軸 R2/R3 である. (R1/R3, R2/R3) ' (1, 1)ならクラスターは等方的で,R2/R3 ' 1 かつ R1/R3 > 1 なら細長く伸びた一次元的な形状である. このグラフから多くのクラスターが細長いことがわかる. 中央図: 横軸 N , 縦軸R1/R3 である. N が大きくなるとより細長くなっていることがわかる. 右図: 横軸 N ,
縦軸 R2/R3 である. N < 1000では R2/R3 ' 1であり,それより大きなクラスターでは R2/R3 は大きくなるが,せいぜい R2/R3 < 1.6である.
0.4
0.5
0.6
0.7
0.8
0.9
1
100 1000 10000
V
N
0.2
0.3
0.4
0.5
0.6
0.7
0.8
0.9
1
100 1000 10000
N
図 13 クラスターの中心速度と長軸方向の関係. 左図: クラスターの中心速度の大きさ V と N の関係. 横軸 N ,縦軸 V である. クラスターの大きさによらず V ∼ v0 であることがわかる. 右図: 横軸 N , 縦軸 |V · e1| であり, V ‖ e1 であることが確認できる. なお, e1 はR2
g の最大固有値 R21 に対応する単位固有ベクトルである.
のことである. そして累積分布関数を
F (N) =∫ Nmax
N
f(N ′)dN ′ (29)
と定義する. だたし Nmax はその時刻には存在した最大クラスターの N である. 図 14にF (N)の時間発展を示す. N < 1000の分布は早くからベキ分布 F (N) ∝ N1−γ に従っており,γ の値はだんだん小さくなり, t ∼ 2000sec 以降 γ ' 1.5 で定常となる. N > 1000
のクラスターでは少数のクラスターが暴走的に成長をはじめ,t = 2800secの分布をみると800 < N < 6500のクラスターは存在せず,それより大きいものと小さいものに二分化さ
20
れていることがわかる.
1
10
100
100 1000 10000
cum
ulat
ive
freq
uenc
y
N
t = 500sect = 1000sect = 1500sect = 2000sec
N-0.5
1
10
100
100 1000 10000
cum
ulat
ive
freq
uenc
y
N
t = 2200sect = 2500sect = 2800sec
N-0.5
図 14 クラスターのサイズ分布の時間発展. 累積分布関数 F (N) のグラフである. 左図は t = 500, 1000, 1500, 2000sec, 右図は t = 2200, 2500, 2800secのおけるサイズ分布である. t = 2000 − 2500 の間は N < 1000 の分布はほぼ定常なベキ則に従っており, F (N) ∝ N1−γ with γ ' 1.5である. また t = 2000sec以降のサイズ分布を見ると,N > 1000 のクラスターが暴走的に成長していることがわかる. 実際,t = 2800sec
のサイズ分布をみると 800 < N < 6500 のクラスターは存在せず, それより大きな 5
つ程度の大きなクラスターが Ntot の大部分を占め, それより小さなクラスターはベキ分布に従っている.
小さな群れの分布にあらわれた γ = 1.5というベキは,クラスターが衝突したときにより小さなクラスターに破壊分裂することがほとんどなく,衝突する 2つのクラスターは合体するという仮定の下での合体成長方程式からも得られる. 個体数 n,mのクラスターが出会う確率は, それらのクラスターの存在確率 f(n), f(m),2 つのクラスターの相対速度vrel,衝突断面積
σcoll(n,m) = π[R(n) + R(m)]2 (30)
に比例する. f(N) の時間発展を考えるとき, 衝突による合体が分裂に対して十分支配的なら
• N より小さいクラスター n,m (n + m = N)が合体することで f(N)が増加する,
• クラスター N が他のクラスターと合体することで f(N)が減少する,
21
100 200 500 1000 2000 5000Ncl
2
5
10
20
Flequency
100 200 500 1000 2000 5000N
10.0
5.0
2.0
20.0
3.0
30.0
1.5
15.0
7.0
Flequency
図 15 クラスターのサイズ分布. 累積分布関数 F (N) のグラフである. 左から t =
2000, 2500secのサイズ分布である. 実線は N < 1000のデータを用い F (N) ∝ N1−γ
としてフィッティングしたもので,左から γ = 1.50, 1.48である. t = 2000secのときN が大きいクラスターの分布は F (N ∝ exp(N/Nc) with Nc = 4995と指数関数に従うが,t = 2800secでは 800 < N < 3500のクラスターは存在しないなどいくつかのクラスターの暴走成長が見られる.
の 2つの状況に理想化できる. よって f(N)の時間発展方程式は
∂f(N)∂t
=12
N∑M=0
K(M,N − M)f(M)f(N − M) − f(N)∞∑
M=0
K(N, M)f(M) (31)
とかける. ただしK(N, M)は
K(N, M) = σcll(N, M)vrel (32)
である.
ここで N体シミュレーション結果より 2つ仮定をおく. まず,多くのクラスターが整列秩序状態で速度が v0 程度である (図 13左)ことから,vrel = v0 = const.とする. 次に,クラスターの Rと Nの関係は R(N) ∝ N0.4 である (図 10). これらの仮定のもとで合体成長方程式を解くと f(N) ∝ N−1.48 が得られ,これは N体シミュレーションの結果とほとんど一致する. 逆に言えば,今回用いた相互作用モデルは衝突による破壊がないという合体成長方程式の仮定を満たしているということである.
3.6 本節のまとめ
本節では速度の大きさ一定の自己駆動粒子モデルでの N体数値シミュレーションを行い, 群れの R と N の関係やサイズ分布を調べ, 観察結果との比較を行った. シミュレーションでは R ∝ N b with b = 0.4で観察結果の b = 0.5より小さいがベキの値が得られ
22
た. ただしシミュレーション結果でも b > 1/3であった. ただし,これは群れがフラクタル的構造をしているのではなく,群れが長く伸びた形状を示す傾向にあることに起因していると考えられ,群れの中心付近では一様密度であった. このモデルでは,群れは N が大きくなる程細長さを増す傾向があることもわかった. また, N < 1000の群れのサイズ分布は観察結果と同様 f(N) ∝ N−γ with γ = 1.5 を示し, それより大きな群れは暴走的に成長するという結果が得られた. この γ = 1.5は衝突による群れの破壊が起こらないと仮定したもとでの合体成長方程式でも得られ,今回使用したモデルはこの仮定を満たしていることがわかった.
23
4 群れの流体モデル前節で説明した Vicsekの SPPモデルでのシミュレーションで,多くの個体が集合して
群れとなり (clustering),それぞれの群れが秩序状態 (整列状態)にあり 0でない平均速度をもって運動したり (migration), 外部の擾乱等が支配的な場合は乱雑な状態 (平均速度∼ 0)である状態が実現された. このモデルでは 2次元空間でのシミュレーションでも秩序状態にある大きな群れが表れる. 一方平衡系の統計力学においてMermin-Wagner理論というものがある. これは短距離相互作用を行う有限温度の平衡系において長距離の位置秩序状態は実現されないことを主張するもので,Vicsekモデルのシミュレーション結果に反する. これはMermin-Wagner理論は誤っているのではなく,SPPモデルで実現される状態は非平衡状態であることに起因する.
Vicsek モデル相互作用を行う系は長距離長時間にわたる秩序状態を実現する. これをN 体計算ではなく解析的に議論できないだろうか. Toner たちは群れの流体力学的記述によってこれを議論している [4]. 粒子の集団と同様, 群れを個体間距離より十分大きく群れ全体の大きさより十分小さい領域を考え, その領域の平均数密度 ρ(x, t) と平均速度v(x, t)を計算する. このように粗視化することで群れを連続体とみなし,連続方程式や運動方程式で記述するのである.
流体的記述を行うことで群れの音波の議論が可能となる. 2節で述べたように魚群にはagitation mode という非常に速い情報伝達機構が存在する. このような情報伝達速度が
図 16 群れの秩序状態.
24
群れの音速とらえられないだろうか.
本節では [4] に従って Vicsek の SPP モデルに対応した群れの流体的記述及び音波のモードの議論を行い,N体シミュレーション結果との比較を行う.
4.1 基礎方程式
まずいくつかの仮定を設ける. 群れは非常に多くの個体から構成されているとする. 各個体は死亡したり誕生したりしない,つまり総個体数は保存する. 各個体は短距離相互作用により速度決定を行うが,環境の影響などによって常にランダムなエラーが加わる. このエラーは長時間の相関をもたないと仮定する. 各個体はある特定の方向に動こうとする傾向は持たない,すなわち回転対称性を満たす. また,平行移動に対する対称性も持つ. しかし,必ずしもガリレイ不変性は満たさないと考える. なぜなら,Vicsekモデルにおいて各個体の速度は |v| = v0 = const.であり,ブーストは許されないからである. 鳥や魚の群れは空気や水という媒質中の運動であり,これが特別なフレームを与えるからという説明もできる. よって運動量保存則は破られ,Navier-Stokes方程式も変形される.
基礎方程式として連続方程式と以上の仮定のもとで一般化された Navier-Stokes方程式を採用する:
∂ρ
∂t+ ∇ · (ρv) = 0, (33)
∂v
∂t+ λ1(v · ∇)v + λ2(∇ · v)v + λ3∇|v|2
= αv − β|v|2v −∇P + DB∇(∇ · v) + DT∇2v + D2(v · ∇)2v + f . (34)
ここで β, DB , D2, DT は正の定数である. f はガウシアンホワイトノイズである:
〈f(x, t)〉 = 0, (35)
〈fi(x, t)fj(x′, t′)〉 = ∆δijδd(x − x′)δ(t − t′). (36)
ただし∆は定数, i, j は座標の成分を表す. 圧力 P は局所密度 ρ(x)を平均密度 ρ0 に保とうとするもので,平均密度からのずれ ρ1 = ρ − ρ0 を用いて次のように表せすことができるとする:
P = P (ρ) =∞∑
n=1
σnρn1 (37)
αは群れの典型的な状態を決定する定数である. 群れは α < 0のときは disordered状態
25
に,α > 0の場合は ordered状態をとり,ordered状態における速度 v0 は
v0 '√
α
β(38)
となる. 左辺の λ1,2,3 項は Navier-Stokes方程式にみられない. 先ほど述べたように群れは必ずしもガリレイ不変性が満たしておらず,これより 1つの空間微分と 2つの速度ベクトルの組み合わせとして 3パターン許される. この 3つの自由度が λ1,2,3 項として現れている. 実際ガリレイ不変である場合には λ1 = 1, λ2 = λ3 = 0 が要請される. DB,T,2 は拡散係数で,局所的な速度ゆらぎの広がりやすさを表す. この値は群れの各個体の近接個体との結合の強さによって決まる.
4.2 秩序状態におけるゆらぎ
以下 α > 0の場合を考える. 群れは秩序状態にあり,平均的にある一定速度 v0e‖ で運動している. このとき速度は
v(x, t) = v0e‖ + δv(x, t) = (v0 + δv‖)e‖ + v⊥, (39)
v0 =√
α/β (40)
とかける. 以下,ベクトル xについて x‖ は xを群れの平均的な速度方向の成分,x⊥ はそれと垂直な成分を表すこととする. また eは単位ベクトルである.
今長時間長距離スケールの変化に興味があるので,時間空間微分の項はその最低次の微分だけをひろう. すると運動方程式の e‖ 方向の成分は
0 = −σ1∂ρ1
∂x‖− 2αδv‖, ∴ δv‖ = − σ1
2α
∂ρ1
∂x‖(41)
となる. これを用いて運動方程式の e‖ に垂直な成分と連続方程式を書き下すと
∂v⊥
∂t+γ
∂v⊥
∂x‖+ λ1(v⊥ · ∇⊥)v⊥ + λ2(∇⊥ · v⊥)v⊥ (42)
= −σ1∇⊥ρ1 + DB∇⊥(∇⊥ · v⊥) + DT∇2⊥v⊥ + D‖
∂2v⊥
∂x2‖
+ f⊥,
∂ρ1
∂t+ρ0(∇⊥ · v⊥) + ∇⊥ · (ρ1v⊥) + v0
∂ρ1
∂x‖= Dρ
∂2ρ1
∂x2‖
, (43)
となる. ただし γ = λ1v0, Dρ = ρ0σ1/2α, D‖ = DT + D2v20 である.
26
4.3 秩序状態における音波のモード
次に秩序状態における音波のモードを考える. まず運動方程式と連続方程式を線形化すると,それぞれ
∂v⊥
∂t+ γ
∂v⊥
∂x‖= −σ1∇⊥ρ1 + DB∇⊥(∇⊥ · v⊥) (44)
+ DT∇2⊥v⊥ + D‖
∂2v⊥
∂x2‖
+ f⊥,
∂ρ1
∂t+ ρ0(∇⊥ · v⊥) + v0
∂ρ1
∂x‖= Dρ
∂2ρ1
∂x2‖
, (45)
となる.
これをフーリエ変換するのだが,以下の議論のために波数ベクトル q を e‖ に平行な成分と垂直な成分に分けておく:
q‖ = q · e‖, q⊥ = q − q‖e‖. (46)
また q, θq をq = |q|, q‖ = q cos θq, |q⊥| = q sin θq (47)
と定義する.
フーリエ変換すると
−iωv⊥ + γq‖v⊥ = − iσ1ρ1q⊥ − DB(q⊥ · v⊥)q⊥ (48)
− DT |q⊥|2v⊥ − D‖q2‖v⊥ + f ,
−iωρ1 + iρ0(q⊥·v⊥) + iv0q‖ρ1 = −q2‖Dρρ1 (49)
ここで ω は角振動数であり,v⊥ = v⊥(q, ω), ρ1 = ρ1(q, ω)である. 式 (49)は
Γρ(θq)q2 = Dρq2‖ = (Dρ cos2 θq)q2 (50)
とおくと, [i(ω − v0q‖) + Γρ(θq)q2
]ρ1(q, ω) + iρ0q⊥vL = 0 (51)
とかける. 式 (48)の両辺に q⊥/|q⊥|をかけ,
27
図 17 vL, vT の模式図.図は 3次元空間における e‖ に垂直な平面である.
vL(q, ω) = v⊥(q, ω) · q⊥
|q⊥|,
ΓL(θq)q2 = (DB + DT )q2⊥ + D2
‖q2‖ =
[(DB + DT ) sin2 θq + D2
‖ cos2 θq
]q2,
fL(q, ω) = f⊥(q, ω) · q⊥
|q⊥|,
とおくと [i(ω − γq‖) + ΓL(θq)q2
]vL(q, ω) + iσ1q⊥ρ1 = fL(q, ω) (52)
となる. 同様に,
vT (q, ω) = v⊥(q, ω) − vLq⊥
|q⊥|,
ΓT (θq)q2 = DT q2⊥ + D‖q
2‖ = (DT sin2 θq + D‖ cos2 θq)q2,
fT (q, ω) = f⊥(q, ω) − fLq⊥
|q⊥|,
とおくと, (48) - (52) ×q⊥/|q⊥|より[i(ω − γq‖) + ΓT (θq)q2
]vT (q, ω) = fT (q, ω) (53)
となる. 以上の式 (49), (52), (53)が基本となる方程式である. なお空間次元が 2のときは vT 成分である式 (53)はない.
ノイズ項を f = 0とおいて固有値 ω(q)を求める. 式 (53)より
ωT = γq‖ + iΓT (θq)q2 (54)
が得られ, 式 (52),(49)より
ω± = c±(θq)q − i(
ΓL(θq)[
v±(θq)2c2(θq)
]+ Γρ(θq)
[v∓(θq)2c2(θq)
])q2 (55)
28
1
10
100
1000
10000
-0.2 -0.15 -0.1 -0.05 0 0.05 0.1 0.15 0.2 1
10
100
1000
10000
-0.2 -0.15 -0.1 -0.05 0 0.05 0.1 0.15 0.2
C+qC-q
1
10
100
1000
10000
-0.2 -0.15 -0.1 -0.05 0 0.05 0.1 0.15 0.2
C+qC-q
図 18 q を固定したときの Cρρ(q, ω)の概形図. 横軸は ω,縦軸は log Cρρ である.
が得られる. ただし
c±(θq) =γ + v0
2cos(θq) ± c2(θq), (56)
v±(θq) = ±γ − v0
2cos(θq) + c2(θq), (57)
c2(θq) =
√14(γ − v0)2 cos2(θq) + c2
0 sin2(θq), (58)
c0 =√
σ1ρ0 (59)
である. なお c±(θq = π/2) = ±c0 である.
4.4 密度, 速度のパワースペクトルと音速の関係
前節でみたような音波のモードが理論的に予測されるが,それをどのように数値シミュレーションデータもしくは観測データと比較すればよいだろうか. 一つの方法は,密度や速度のパワースペクトルをみることである. 実際に式 (49),(52),(53) からそれらを計算す
29
ると
Cρρ(q, ω) =⟨|ρ1(q, ω)|2
⟩=
∆ρ20q
2 sin2 θq
(ω − c+q)2(ω − c−q)2 + [ω(ΓL + Γρ) − q cos θq(v0ΓL + γΓρ)]2q4, (60)
Cij(q, ω) =⟨vi⊥(−q,−ω)vj
⊥(q, ω)⟩
= CTT (q, ω)Pij(q) + CLL(q, ω)Lij(q) (61)
となる. ただし i, j はデカルト成分をあらわし,Lij , Pij は射影演算子である:
Lij(q) =qi⊥qj
⊥|q⊥|2
, Pij(q) = δij − Lij(q). (62)
また,CTT , CLL はそれぞれ
CTT (q, ω) =∆
(ω − γq cos θq)2 + Γ2T
, (63)
CLL(q, ω) =∆
[(ω − v0q cos θq)2 + Γ2
ρq2]
(ω − c+q)2(ω − c−q)2 + [ω(ΓL + Γρ) − q cos θq(v0ΓL + γΓρ)]2q4(64)
である. これからわかるように,qを固定した Cρρや CLLは ω = c±(θq)qでピークをとる.
4.5 SPPモデルの数値計算結果との比較
これまで述べてきた流体モデルとその解析で得られた音波のモードは,Vicsekによって導入された SPPの N体数値計算でも確認できるのだろうか. ここではシミュレーションの結果から Cρρ =
⟨|ρ1(q, ω)|2
⟩を計算し,分散関係が確認できるか,また確認できるなら
c± に含まれる流体理論のパラメータ v0, λ1, c0 はどのような値になるかを調べよう.
総個体数を N とし,時間刻み ∆t(sec)で時間 0から T まで計算する. iを各個体の識別子とすると,N体シミュレーションによって xi(t),vi(t)i=1···N が得られる. そのデータから空間フーリエ変換した ρ(q, t)が次のように求められる:
ρ(q, t) =∫ ∞
−∞ρ(x, t)eix·qddx =
N∑i=1
eixi(t)·q. (65)
これから
ρ(q, ω) =Nt−1∑nt=0
ρ(q, ntdt)e−2πintnω
Nt . (66)
30
図 19 2次元シミュレーションにおける q を固定したときの˙
|ρ(q, ω)|2¸
と ω の関係.
左から q = (q, θq) = (0.48, 45), (0.46, 63.4)である. 矢印のピークに対応する ω から v0 = 0.79, λ1 = −2.86, c0 = 0.53と求まる.
図 20 2 次元シミュレーションの結果から θq を固定して log˙
|ρ(q, ω)|2¸
を密度プロットしたグラフ. 横軸は q = |q|,縦軸は ω である. 左から θq = 26.6, 45, 90 である. 図中の実線は図 19をから v0, λ1, c0 を決定し ω = c±q を描いたもの. パラメータ決定に用いていない θq = 26.6, 90 でも
˙
|ρ(q, ω)|2¸
のピークと実線がよく合っていることがわかる.
ただし t = nt∆t, T = Nt∆t, ω = 2πnω
T である. こうして |ρ(q, ω)|2 が計算できる. シミュレーションは一辺 Lの正方形もしくは立方体内で行い, 波数ベクトルは
q =2π
L(nqx, nqy) or
2π
L(nqx, nqy, nqz) (67)
ととる. ただし nω,qx,qy,qz = 0, 1, · · · である.
まず 2 次元空間シミュレーションと流体モデルの比較を行った. 系は一辺 L の正方形である. 一定方向へ運動する秩序状態の群れをつくるため,x 軸方向は周期的で y
31
軸方向は |y| = L/2 に反射壁がある境界条件を課す. ここで反射壁とは, 速度 (vx, vy)
の個体が |y| = L/2 の壁に衝突すると, 速度が (vx,−vy) になるということである.
N = 10000, L = 92,∆t = 0.1, Nt = 1024 でシミュレーションを行う. 各パラメータの値は
v0 = 1, R = 3, l0 = 1,
g1 = 0.6, g2 = 0.6, η0 = 0.1.
である. ただし, 距離及び時間の単位はそれぞれ BL,sec である. シミュレーション結果から計算された Cρρ =
⟨|ρ(q, ω)|2
⟩を図 19,20 に示す. 図 19 のピークから v0, λ1, c0 が
決定される. それらの値から c± を計算し,⟨|ρ|2
⟩の密度プロットとともに ω = c±q を描
いたのが図 20である. パラメータ推定に用いた θq = 45 だけでなく θq = 26.6, 90 の⟨|ρ(q, ω)|2
⟩のピークにもほぼ一致していることが確かめられた.
次に 3次元空間でのシミュレーションと流体モデルの比較を行う. 系は一辺 Lの立方体である. N = 80000, L = 34その他のパラメータ値は 2次元シミュレーションのときと同様である. 先ほどと同様一方向への流れをつくるため,x 軸方向は周期的であり,y, z 軸方向は |y|, |z| = L/2に反射壁があるとした. ρ(q, t)の計算には各個体の位置を xy 平面に射影した xi(t), yi(t)i=1,··· ,N を用いた. すなわち,
ν(qx, qy, t) = ρ(qx, qy, qz = 0, t) =N∑
i=1
ei[xi(t)qx+yi(t)qy] (68)
を求め,それを時間フーリエ変換して ν(qx, qy, ω)を計算した. 結果を図 21, 22に示す. 流体理論のパラメータはそれぞれ v0 = 0.71, λ1 = −1.93, c0 = 0.51と推定された.
Toner たちによって導入された群れの流体理論から導かれる秩序状態における音波のモードは N 体数値シミュレーションでも確認された. また, 推定された流体理論のパラメータ λ1 は 2次元,3次元シミュレーション両方において λ1 6= 1であり,確かにガリレイ不変性は満たされていないことがわかった.
今回のシミュレーション結果から得られた音速は各個体の速度のオーダーであり,”wave
of agitation” のような速いモードは確認できなかった. これは流体理論やシミュレーションモデルに魚の burst に対応する状態を導入しておらず, また秩序状態でのシミュレーションであって捕食者による擾乱がある場合でないことから当然ではある. しかし,Navier-Stokes方程式を拡張することで SPPシミュレーションに対応する群れの流体的記述が可能であるという事実は群れに対する新しい見方を提示しており,将来”wave of
agitation”に対する考察を深めていく一つの道筋を示すものだと思われる.
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図 21 3 次元シミュレーションにおける q を固定したときの˙
|ν(q, ω)|2¸
と ω の関係. q = (q cos θq, q sin θq, 0) である. 左から (q, θq) = (0.52, 45), (0.41, 63.4) である. 矢印のピークから c0 = 0.51, v0 = 0.71, λ1 = −1.93と求まる.
図 22 3 次元シミュレーションの結果から θq を固定して log˙
|ν(q, ω)|2¸
を密度プロットしたグラフ. 横軸は q = |q|, 縦軸は ω である. 左から θq = 26.6, 45, 90 である. 図中の実線は図 21で求めた v0, λ1, c0 から c± を決定し ω = c±q を描いたものである. パラメータ決定に用いていない θq = 26.6, 90 のグラフでも,
˙
|ν(q, ω)|2¸
のピークと実線がよく合っている.
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5 ハイスピード動画の解析魚及び魚群の先行実験では Radakovの実験のようにカメラで魚群を撮影しそれを解析
したものがある. その実験で Radakovは群れに agitation modeが存在することを確かめた. また,4 節で見たように,Vicsek の SPP モデルに対応する流体理論から音波の超波長モードを計算することができた. そこで,改めて実際の魚群を撮影した映像を解析し,先行実験の結果を確かめるとともに魚群に存在する音波のモードを調べた.
図 23 本節で用いる x 軸と y 軸及び波数ベクトルの θq.
Radakov が実験で使用したカメラの映像は 24fps(frame per second)である.
彼はこの映像から魚群に”wave of agi-
tation” が存在するという興味深い報告を行った. しかし, 魚の burst や群れのagitation mode などを正確に計測するには 24fpsでは情報が不足している思われる. そこで,NHKが番組制作のため水族館でハイスピードカメラを用いて撮影した 250fps のイワシの群れの動画を購入しその解析を行った. この映像はハイビジョン解像度で撮影されている.
まずいくつかの個体を数十フレーム追跡してその速度を調べた. 時間の単位は sec, 距離の単位は BL(= 1 body length)である.
なお,今回用いた映像では
1BL ' 58PL (PL: 1ピクセルの一辺の長さ)
であった. 通常の遊泳速度は 1 − 2.5BL/secで,burst状態に近いと思われる個体の速度は6.5 − 13.0BL/sec であることが確認された. burst速度が先行の実験結果より遅いが,これは今回用いた映像が水族館で撮影された映像で,外洋中のように補食-被補食者の緊張した関係が成り立っていないからではないかと考えられる.
次に,4 節で Vicsek の SPPモデルシミュレーションにおいてどのような音波が確認できるかを見たが,同様の解析をこの動画を用いて試みた. ただしシミュレーション結果を用いる場合と異なり,この動画解析にはいくつもの困難がある. 第一に群れ内部の個体識別が難しいことである. 魚が存在する部分の輝度は一定ではなく,鱗の角度などで簡単に
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変わる. よって,輝度がある値より小さいとそこに魚は存在しないという閾値を設定することはできない. よって, 各個体の位置と速度を正確に割り出すことは非常に難しい. また,当然輝度と密度は比例しない. 第二に得られる情報は群れの表面にいる個体の動きのみで,カメラから見て奥にいる個体の情報は完全に失われている. 例えば魚群の表面の輝度 ν が
ν ∝∫
ρdz. ただし z は映像の奥行き方向を表す. (69)
と奥の情報を含む量ならば 4節に対応する解析ができるが,実際はそうではない.
しかし, 輝度から魚群表面の個体の運動の情報を得ることができるので, フレーム t におけるピクセル x = (x, y)の輝度 ν(x, y, t)のスペクトル強度をみるという解析行い,魚群表面にどのような波が存在するか調べた. x, y軸は図 23の通りである. 内部の細かな構造の変化も追うため,グレーススケール化した 256階調の画素値を ν として採用した. 角振動数を ω, 波数を q = (q, θq)とおく.
ν(q, ω) =∫
ν(x, t)e−i(ωt−q·x)dtd2x (70)
を計算し,|ν(x, y, t)|2 みた.
まず,通常の遊泳速度で (−1, 0)方向に泳いでいる部分のデータ 1100フレーム (4.4秒間) を用いて |ν(qx, qy, ω)|2 を見たのが図 24 である. 解析に用いた空間領域は 15BL ×8BL(900 × 500ピクセル)である. θq = 180,すわわち波数ベクトルを群れの進行方向に設定したとき
ω = cq with c = 2.4BL/sec (71)
という分散関係があり,遊泳速度に相当する音波が見られる. また θq = 180,すなわち群れの進行方向に垂直方向の波をみたときにも分散関係が見られた.
次にクエが接近したときのデータを用いて解析した. クエはイワシにとって捕食者にあたる. クエが接近したとき,イワシの群れは図 25にあるように,各個体が遊泳速度を上げそれから逃げようとし,1秒くらいで群れが大きく膨らみながら捕食者から離れ,その後再び集まり始めるという運動を行う. このとき魚群にはどのような波が存在するだろうか.
このときのデータ 1300フレーム (5.2秒間に相当)を用いて θq = 50.3 のとして |ν|2 を密度プロットしたのが図 26左である. 空間領域は 22BL × 19BL(1300 × 1080ピクセル)
である. この解析で通常遊泳速度 c ∼ 2BL/secのモードと,それより速い c ∼ 6BL/secのモードが確認できた. θq = 129.7 でも図 26右のように burst速度での ω = cq で |ν|2 のピークが見られた.
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-20 -10 0 10 20Ω
5.´1015
1.´1016
1.5´1016
2.´1016
ÈΡHq,ΩLÈ2
図 24 左上図:イワシの群れの一定方向に遊泳する部分のスナップショット. 右上図:(qx, qy) = (0, q) と固定したときの |ν| を密度プロットしたもの. 横軸 q, 縦軸 ω である. 実線の傾きは 1.6 である. 左下図:|ν| versus ω. 実線と破線はそれぞれ波数ベクトルを (qx, qy) = (2.5, 0), (3.3, 0)である. 右下図:(qx, qy) = (q, 0)と固定したときの|ν|を密度プロットしたもの. 横軸 q,縦軸 ω である. 実線はの傾きは c = ω/q = −2.4
で,通常遊泳速度に相当する.
群れが膨張している部分の 375フレーム (1.5秒間に相当)を用い,同じ θq = 50.3 のときの |ν|2 を解析したのが図 27 である. q < 3.5BL−1 の波数領域で
c = ω/q ∼ 7BL/sec (72)
の分散関係がみられた. よって, クエが接近した際, イワシの群れでは burst速度の波が起こっていることがわかった.
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図 25 クエが接近した際のイワシの群れの反応.左図から右図に向かって時間が進行する.各スナップショットの間隔は 0.8secである. 画像サイズは 22BL × 19BL(1300 ×1080 ピクセル)である.
図 26 クエが接近したときのイワシの群れに存在する音波のモード. 左図: 横軸q = |q|,縦軸 ω で |ν(qx, qy, ω)|2 を密度プロットした. θq = 50.3 である. 図中の直線の傾き cは,傾きが大きい方から burstに相当すると思われる 4と-6, 通常遊泳速度程度の 2と-2.5, それより遅い-0.7である. 右図: |ν(qx, qy, ω)|2 versus ω. θq = 129.7
で,実線と破線はそれぞれ q = 1.3, 2.2BL−1 と固定したものである. 図中の丸で囲んだ部分のピークは burst速度に相当する ω = cq with c ' 7BL/secに対応する.
今回の解析では通常遊泳速度と burst 速度に相当する波は確認されたが,”wave of
agitation”に対応する波は検出されなかった. それは,この群れの agitation modeが「向きの変化」の伝播として起こるものであるからと思われる. これは図 4のようにイワシ等が瞬間的に体を 90度近く折り曲げることができるという能力が可能ならしめてる. 個体識別が可能な映像を用い, 体の前方部分の向きから速度を決定し, それを粗視化して構成した速度場をフーリエ空間でみるとことで agitation modeに相当する波が検出できるか
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-40 -20 0 20 40Ω
5.´1014
1.´1015
1.5´1015
2.´1015
2.5´1015
3.´1015
ÈΡHq,ΩLÈ2
図 27 群れが膨張しているときのデータから |ν|2を計算したグラフ. 左図: |ν|2 versus
ω. θq = 50.3. 実線と破線はそれぞれ q = 3.1, 3.5 である. 実線, 破線それぞれのグラフの一番左のピークが burst成分にあたり, それぞれ c = ω/q = 6.8, 7.2BL/secである. 右図: |ν|2 の密度プロット.横軸 q,縦軸 ω である. q < 3.5BL−1 ⇔ λ > 1.8BL
の領域で burst速度に相当する音波がみられる.
もしれない. これは将来の課題とする.
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6 将来の課題実験において魚の burst状態や魚群の”agitation mode”が確認されているが,今回の数
値シミュレーションモデルは外洋中をほぼ定常速度で遊泳している魚をモデル化したもので,burstや agitation modeは確認されていない. これらは魚群の俊敏性や情報伝達にとって本質的であると考えられ,特に短時間スケールの魚群の運動を考察するとき避けて通ることはできない.
この運動は SPPモデルの簡単な拡張で実現可能であろうか. 何が「魚群らしさ」にとって本質的であるかを調べるためにはモデルはなるべく単純なものがよい. 例えば,実験から魚の運動レベルは 3 つあると考えられているが, これを単純化して魚は通常遊泳状態と burst 状態の 2 状態をもつとすることで魚群の性質を再現できるだろうか. 通常状態というのは 3.3節で述べた相互作用をしながら一定速度 |v| = v0 で運動する状態である.
burst状態とは速度が通常状態の 10倍 vb = 10v0 となり,周囲と相互作用せずに一定期間τb の間直線的な運動を行う状態である. ここでさらに,burst状態は伝染する近接個体を通して伝染するものとする. すなわち,個体 iが burst状態となるための条件は
1. 個体 iの知覚領域内に捕食者が存在する,
2. 個体 iから半径 l0 内に burst状態の個体が存在する,
である. 時間 τb 経過すると通常状態へ緩和する. 実際の魚群の動きから τb ∼ 0.5 − 1sec
であると考えられる. burstは速筋をもちいた運動で疲労をまねくので,burst状態から通常状態へ戻った後 τf 時間は burst状態へ移行できないものとする.
このようなモデルで捕食者にあたる個体を交えてシミュレーションを行うと,burst状態の伝染性より急激な方向転換の伝播が確認され,その速度は魚の反応時間 ∆tと l0 で決まる. すなわち,2 状態 SPP モデルを導入することで burst と群れの agitation mode が再現できる可能性がある. ただし,単純にモデルに burst状態を導入しただけでは群れが広がって捕食者から逃げたあと再び集合するという性質がうまく再現されない. 実際には相互作用領域 R の値を大きくしたり通常と burstの間の速度状態を導入する必要があるかもしれない.
この描像が適切であるかを,実験とシミュレーション結果の密度や速度のパワースペクトルを比較するなどして検討する必要がある. また,捕食者の接近に際して群れの形状が大きく変わることが観察されているので, 群れの形状を表す適当な量を考え, 実験と数値計算の結果を解析する必要もある. これらと平行して,対応する流体理論の構築について
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も考察を深めていきたい.
7 まとめ本論文では SPPモデルの数値シミュレーションを行い,クラスターの振る舞いや統計的
性質を調べて魚群の実験結果と比較した. 群れのジャイロ半径 Rと構成個体数 N の関係R ∝ Nν を調べた結果,実験結果と同様 ν > 1/3という結果が得られた. しかし,これはシミュレーションにおいて群れが大きくなると密度が下がることを示しているわけではなく, 群れの中心付近では一様密度であるが, 群れは進行方向に伸びる形状をとる傾向があり, それが Rと N の関係に反映されているのである. また,サイズ分布について,比較的小さな群れの分布はベキ分布となり,そのベキは観測結果と同じ f(N) ∝ N−1.5 となった.
群れの流体理論から導かれる音波のモードを SPPモデルのシミュレーション結果と比較したところ両者はよく一致し,推定された流体理論のパラメータ値は群れがガリレイ不変性を破っていることを示している. また,群れを流体として捉えるという観点から,ハイスピード動画の輝度情報 ν(x, y, t)の相関をフーリエ空間でみて,魚群表面にどのような波が存在するかを調べた. その結果,外敵の接近時の群れには,定常速度で泳いでいる群れでは観測されなかった burst速度に相当する波が観測された.
謝辞はじめに, 本研究テーマを紹介してくださり, 的確な助言と指導をしてくださった京都
大学大学院人間・環境学研究科の阪上雅昭教授に感謝いたします. また,N 体数値計算における群れ成長やサイズ分布の解析に取り組む際,自身の惑星形成の研究での経験を生かして助言をしてくださった阪上研究室の奥住聡さん, 魚群の映像の解析を行う際に, 画像データの扱いについて全くの無知であった私にアドバイスをくださった同研究室の河井洋輔さんにお礼申し上げます. 最後に,大学院修士課程の 2年間にわたってお世話になった京都大学大学院人間・環境学研究科の皆様に感謝いたします.
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Pedley, editor, Scale Effects in Animal Locomotion, pp. 203–232. Academic Press,
1977.
[7] 有元貴文. 魚はなぜ群れで泳ぐか. 大修館書店, 2007.
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