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人文研究 大阪市立大学文学部紀委 44 巻第 10 分冊 1992 41 --62 はじめに カルチュラル・スタディズの 領域と方法 石田佐恵 -41 日本において「マス ・コ ミュニケ ーション研究」が社会学の領域と してひ とつの地位を占めるようになったのは、 1950 年代にアメリカからの紹介・導 入を経て以降のことであるとされている(竹内 [1987J)1)。その後、 アメ リカにおけるマス ・コミュニケー ション研究の強い影響を受けな がら、 r 1 のマス ・コミュニケーションを対象とする数々 の研究が展開された。そのた め、一般的に 「マス ・コ ミュニケー ション 研究Jとしてイメ ージされるのは アメリカ流の経験主義 ・実証主義的な研究である。特に社会心理学手法を則 いた「受け手」研究はオーソドックスで主流なものと見なされている。 ヨーロ ッパ諸国においても、 1920 年代か ら 1950 年代まではメディア研究と はまさしくアメリカの経験主義的なメディア研究を意味していた(イングリ [1990 = 1992: 78J)01960 年代か らイギリスを中心にカルチュラル ・スタ ディズ C Cul tural Studies) と呼ばれる新たな流れが生じた (2) 。 この立場は、 従来のマス ・コミュニケーション研究、メディア研究とは異な ったメディア 観、コ ミュニケーション観を持っていることで区別されている。その違いと は、メディア研究における <事実>< 出来事> とい ったも のに対する考え方 の違いに端的に現れるようなものである。 1980 年代に入 って、 カルチュラル ・スタディズは新たな展開を見せている。 特に、大衆文化、ポピュラ一文化と呼ばれる諸領域を研究対象とする分野で はカルチュラル ・スタディズの考え方に多大な影響を受け、従来の研究とは 異なる視点から多くの研究がなされた。その意味で、 80 年代は 「ポピュラ一 文化研究のルネッサンス」と呼ばれる CDenning [1991J) 。カルチュラル ・ スタディズの視点は、イギリス 圏内だけではなくアメリカのメディア研究者 (771)

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人文研究 大阪市立大学文学部紀委

第44巻第10分冊 1992年 41頁--62貞

はじめに

カルチュラル・スタディズの

領域と方法

石田佐恵

-41ー

日本において「マス ・コミュニケーション研究」が社会学の領域と してひ

とつの地位を占めるようになったのは、1950年代にアメリカからの紹介 ・導

入を経て以降のことであるとされている(竹内 [1987J)1)。その後、 アメ

リカにおけるマス ・コミュニケー ション研究の強い影響を受けながら、r1ノド

のマス ・コミュニケーションを対象とする数々 の研究が展開された。そのた

め、一般的に 「マス ・コミュニケー ション研究Jとしてイメ ージされるのは

アメリカ流の経験主義 ・実証主義的な研究である。特に社会心理学手法を則

いた「受け手」研究はオーソドックスで主流なものと見なされている。

ヨーロ ッパ諸国においても、 1920年代か ら1950年代まではメディア研究と

はまさしくアメリカの経験主義的なメディア研究を意味していた(イングリ

ス [1990= 1992: 78J)0 1960年代か らイギリスを中心にカルチュラル ・スタ

ディズ CCul tural Studies)と呼ばれる新たな流れが生じた (2)。 この立場は、

従来のマス ・コミュニケーション研究、メディア研究とは異な ったメディア

観、コ ミュニケーション観を持っていることで区別されている。その違いと

は、メディア研究における<事実> <出来事>とい ったものに対する考え方

の違いに端的に現れるようなものである。

1980年代に入って、カルチュラル ・スタディズは新たな展開を見せている。

特に、大衆文化、ポピュラ一文化と呼ばれる諸領域を研究対象とする分野で

はカルチュラル ・スタディズの考え方に多大な影響を受け、従来の研究とは

異なる視点から多くの研究がなされた。その意味で、80年代は 「ポピュラ一

文化研究のルネッサンス」と呼ばれる CDenning[1991J)。カルチュラル ・

スタディズの視点は、イギリス圏内だけではなくアメリカのメディア研究者

(771)

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-42-

社会学のインタラクショニストたちにも受け入れられ、数々の研究や議論を

引き起こしている CMcCall& Becker [1990]、Denzin[1992]なとを参照ふ

また、日本においてもカルチュラル ・スタティズの考え方が紹介され、評価

されつつある(藤田 [1986、1988]、児島 [1988]、伊藤 ・藤田 [1990]なと

を参照 l¥))。

カルチュラル ・スタディズの問題関心の背景にあるのは多種多様なもので

あるか、恨底には、現代生活のさまざまな局面ての変容が考えられているよ

うに思われる。カルチュラル ・スタディズは、現代社会に生きる人々なら誰

もかl直後経験しているようななにものか、その変容のありかたについて語る

ための新たな概念、及び、方法を提出しようとする試みてある。

たとえば、 N.K・デンシンは、現代生活を「映画的生成Jという表現て

特徴づけている CDenzin[1991])。現代生活の映画的生成には、次の三つ

のfkむがある。まず、現代生活においてはリアリティとは上演されるもので

あり、社会的に生産されるものであるということ。第二に、〈リ アル¥なも

のは上泌された文化的生産物(映両やヴィデオ、T¥rトラマ)に照らして判

断されるということ。第三に、社会学の理論的なリアリティのなかで、相互

行為四!論、特にく ドラマ〉として社会をとらえる処方か一般化してきている

こと。引代'1;.活のIJ央If略的生成の特質は、くリアル〉な ものとくフィクシャ ス

>なもの、く;92だ〉とくイメージ〉を|メ別する境界線のjESを|中心に論じら

れる。

“'た、fv1• R・リアノレは、現代の IJ'lおと|ミ沼;-令般に影轡をぬiましてい三品、λ

の車窓柄、を「ス・ハ 4 ・メディア」と呼んでいる (Real [19891)。 こJ スー

マ・ ・メディアなしには、私たちは一日たりとも「現代的な日常生活Jを?むことはできなし、。それは、:私たちのむ罰演やアイデンティティのあり;ら、個

人的は'fllli,(,立やライフスタイルといったものにj超特をぬぼす。ス一、一 ・メ7

アの〉くりあげる山代' I~rm (ハ I ミュニケーションは、 そオlr~lìíj 1. J f.:~統的な~E.

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はん・ハ 4 ・メディアとい-汁:115訟をJlJいい現代'1:.活の変容についてgr-.とする。

吋ンジ;やリアルοIH)t、かけは、n夜、たちにとってー

て私たちfl:Q'が作り上げている現代社会(、文化とド μ

1 い -)lJAにあふ。ミ L てまた、 「その文H~(Iγぷn ~ Lt どのように31臥届

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カルチュラル ・スタディズの領域と方法 -43-

本論の課題は、現在でも議論が広く展開しているカルチュラル ・スタディ

ズのさまざまな考え方を整理し、その領域と方法を暫定ぬと明らかにするこ

とにある。まず、カルチュラル ・スタディズの特徴的なメディア観、コミュ

ニケーション観、理論背景について概括し、その対象領域について整理をお

こなう(1節)。次に、カルチュラル ・スタディズにおける分析の方法を概

略する(2節)。さらに、カルチュラル ・スタディズの視点から分析を実践

するための方向づけを試みる (3節)。こうした作業は、 カルチュラル ・ス

タディズの立場から現代のメディァ ω文化を分析する準備のためにおこな

われるものである。

1 .カルチュ ラル・スタディズの領域

先にカルチュラル ・スタディズとは、ある特徴的なメディア観、コミュニ

ケーション観をもって区別されるものであると述べた。それでは、そのメディ

ア鋭、コミュニケーション観とはどのようなものなのだろうか。また、カル

チュラル ・スタディズの研究領域とはどのようなものなのか。まずここでは、

いく人かの理論家についてカルチュラル ・スタディズの定義を見ておくこと

にしよう。

パ-Fンガム大学現代文化研究所 (Cc c sと略記される)の所長であっ

たS・ホールによれば、カルチュラル ・スタディズの研究対象となる 「文化」

とは「特定の歴史的時代における特定の社会、階級、集団を特徴づけるよう

な生きられた実践 (lived practices) Jのことである (Hall[1982J、Billing

ton [1991J参照)。その定義には「社会、階級、集団にその存在状況を経

験させ、決定させ、解釈させ、意味づけさせるような実践的イデオロギーJ

という合芯もある。 cccsの文化観に影響を及ぼした主要な流れは、戦後

の労働者階級文化についての議論、アメリカ経験主義社会学への批判、構造

主義(ポスト構造主義)からの影響、イデオロギ一概念の重視、フェミニズ

ムの影伴、記号論の受容の 6つにまとめられている。また、労働者階級の文

化やお者のサフ ・カルチャ一、メディア、言語、教育 ・家族 ・地位の社会的

関係を対象領域とした批判的研究であるとされている (Hall,et al. [1980J)。

その後、アメリカに展開したカルチュラル ・スタディズは、 ウェーパ一、

シュッツの流れを受け継ぐ解釈的アプローチやインタラクショニズムに影響

を与えている。イギリスのカルチュラル ・スタディズとアメリカのカルチュ

(773)

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-44-

ラル ・スタディスの相違については、前者かイデオロギ一概念、を重視する批

判的観点を明確なものとしているに対して、後者はそうした観点か薄まっ一

いるという見方もある。カルチュラル ・スタディズの定義は多様てあ '.)、現

在でもさらに議論が続けられている。

アメリカ流のカルチュラル ・スタディズについての定義ては、一例として

M・M・マツコールと H・s・ベッカーによるものがある。彼らによると、

カルチュラル ・スタディスとは「シンボリック ・インタラクショニズムが{云

統的に|刻心を抱いてきた意味の社会的構成やその他の論点を研究するために、

以-近の析学的、文学的、歴史的アプローチを使うようになった古典的なに明

学」の ことである(:t¥.IcCall& 8ecker [1990:4])0 N • K・デンジン叫、マツ

コールらよりもさらに窓昧生成の主体的側面、解釈学的な側面を重視してい

る。彼によれは、カルチュラル ・スタディつだとは「ある社会の文化を形成す

る務制度と、それによる怠昧の生成とを主題として扱う研究分野ており、

釈的研究は、こうした文化を形成する諸制度によってi主体化された問題的

験を考察する」と定哉されている (Denzin[1989 = 199~r)。

カルチュラル ・スタディスの定義をめくるそれぞれの立場ο雫異につい一

ここでは1ち人らないが、JLj泊の点lを見いだすとすれば、それは対寝台Il魁 に

ついての 行え方に求められるだろう。すなわち、カルチュラル ・スやディ J

が「文化JとLて分析の対象とするのは、マス ・コミ.1.ニケーショ: づ t ・

メディア lが門り lHす文化をもfYみ込むだ、 人々の司代社会のて化?はである

そうし た制Jぶからは、従本の、マス(人;喰〕 ・カルチャーを,、 1・

に丸t¥',させ、マス ・コミュニケーションを社会的な文脈から独

対象として取り披弓凡プfは否定されるl。そして、文化0・1:.Q

めくる :術力空InJ、;I;IJ皮肉~J な ßtIJifñ ,が強関されω '0

カルチュラル ・ λ タディズの対象Þ(l域を IP~ òYt1なものとするた

徴となる!文化J'側、メディア尺ひコミュニケーシ

え方のlII(tに慨mlζおこう。

1.. 1 jJ )レチ ι ラJl,・4ヤディミにおける!文化」

Jctに凡たように、当初jのぐぐぐ誌による!文化」ハ-ti:dh 、

の文イl:Jr班長守のサブカルチャーJとい、たいわゆる r.、t'・

に刻:立する I人々の tl¥LI.~ (J) 文化J11 ,\.~文化J 主い たニ

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カルチュラル ・スタディズの領域と方法 -45-

七円以

7hv

誌報

アの作り出す今日の文化においては「ハイ ・カルチャーJvs r人々の (民

衆の〉文化」という コントラストはますます暖昧になりつつあることが指摘

されている (Denning[1991J参照)。

いわゆる「大衆文化」は英語では二つの原語を持っている。すなわち、マ

ス ・カノレチャー(massculture)とポピュラー ・カノレチャ ー(popularcul ture)

である。両者のニュアンスの違いは次のような点である。マス ・カルチャ ー

は、マス ・プロダクション(大量生産)、マス ・コミュニケーション(大量

伝達)、マス ・コンサンプション (大量消費)の三要素が絡み合いながら発

展するものと考えられている。いわば、マス ・カルチャーという 「大衆文化」

を決定づけるのは、その 「量Jである。 これに対してポピュラ ー・カルチャー

という用語には「身近なJr人気があるJr通俗的Jr人々の(=民主的な)Jなどというニュアンスが含まれている。ポピュラ ー ・カルチャーとしての

「大衆文化」を決定づけるのは、その文化の 「質Jであり 「形式」であ る。

行定的に評価される場合には 「人気のあるJr民主的な」文化であり 、否定

的に評価される場合には 「低俗なJr商業主義的な」文化というイメージで

dられる〈清水 [1992J参照)。

M.R・リアルは、自らをカルチュラル ・スタディズの中のひとつの立場

にすぎないとしながらも、文化についての区分を次のように整理している

(Real [1989J)。まず、文化の質や形式という観点に立てば、文化はエリ ー

ト芸術(アート)とポピュラー-・カルチャ ー (通俗文化)とに灰分される。

流通するほ、地域的な観点からすると、マス ・カルチャ ー (大量文化)とフォ ー

ク・カルチャー(土俗的 ・地域的文化)に区分される。さらに、文化の拘い

手を附級性の観点から区分するとど流/中流の上/中流の下/下流/疑似フォ ー

ク文化の 5つの区分される(図 1)。

重要なことは、マス ・カルチャ ーの成立要素のひとつであったマス ・コミュ

ニケーションという形態が、いまやあらゆる文化の領域に見られるようになっ

たことである。つまり、上記のあらゆる区分の「文化Jはそれぞれの消費者

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向けに特徴づけられデフォルメされて、メディアによって会ら点る文化となっ

たのである。カルチュラル ・スタディズの立場では、従来のハイ ・カルチャ ー

やハーソナル ・コミュニケーションに対立するものとしての「大衆文化J観

伊 は伐される。カルチュラル ・スタデ、イズは従来「大衆文化」と呼ばれてき

び た文化現象を分析対象とする。しかし、マス ・カルチャ ーという区分はあま

jtt りにも拡人・してしまったために有効性を失い伽叫[削)、かわって

(775)

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ポピュラー ・カルチャーという視点か研究の中心的な位置を占める。この場

合のポピュラー ・カルチャーとは、私たちの生活の全領域に広がった「身近

な文化」という合意になる。-

-ー-ー ・・・b ・困ー 唱、ーー 、、" -,,'

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【図 1】伊

N.K・デンジンは、 c・ギアーツにならって文化を「われわれぬま|自分自

身をめぐり nJ分rl身に35る物語J-fあると定義している。そのむ昧て

的なトラブルをめく っcdられる個人の物語を対象とした研究も、ヘ ウッ

ト映ldjiに拙かれる l個人的な幸悔の物語を対象とした研究も、文化の創造その

ものの研究にほかならない (Denzln[1989、1990 などを今関にどち』

手広lたちにとって身近な文化(:ポピュラー ・ カルチャー)てあ l川、ど '''~柚

社会的に制度化されたメディアによ l引い寄られる (.'1 1;.,. 。

1. 2 カルチ a ラル ・λヤディ λのメディ .ytJl、コミュニケーション

メディアによるコミュニケーションとして従木 1・メージされてきた

-なわちマス ・メディアによる]ミュニケーシ !gLで‘h 、た 一日 口市 、ー

ソナJレ・メディアの沼崎によ引に、ヘー γナル ・コミ Lニケーションと守て ・

コミ ι ニケーシ !日ンの崎県はますますl慢隙なものとなl)、ど世......局吋

によるコミ ι ニケーシ g ン(.T) ,. ~'iS とな m-ζ いるけ吋~~(\ 1.1におい -ζ は

たように、今日ではあらゆる似合〉の[文化Jがそれぞれ特"(制すけよれ I~

イlメージにまとめ心れてメディアハ料路にのせもれている、、こうして、私た

f:\ の 1~1 • .tな~I~rl~ のあらゆゐ傾城、 私たち自身の,、えりあげている r ~,ヒJ

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カルチュラル ・スタディズの領域と方法 -47-

1. ''JW メディアによるコミュニケ ーンョンと その彩響でおおわれるようになる。

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個人nu(対面的)

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ケサ-一、

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ご133.ニケーション

(スーノマー)

メディアによる

限定的メ ディ ア

【似12】 {の)

1 • l{・リアルは、こうした現代の日常生活今般に及ふ メディアを |スー

パー ・メディアJと呼んだ CHeal[1989J)。私たちの I:現代的な EJ'~常 '1 . 活」

は、例人!日1のコミュニケーションであれマス ・コミュニケーションによるも

のであれ、 rG~活や F}\ X、テレビや新IUJといったごく日常的なメディアなし

には成り立たなL、。 スーパー ・メディアは、私たちの窓識やアイデンティティ

のあり )j.、側人的な価値やライフスタイルといったものに恨伝的な影響を及

ぼす hのだという。

このように、カルチュラル ・スタディズにおけるメディア観は、E1常生活

化全体にまで拡大 |して適}刊されるものである。その怠昧でカルチュ

フル ・スタディスにおけるメディア判、 コミュニケーション観 lは、従来のマ

-・コ EAニケーション研?、大栄文化研究の領域から境界を取 り払い後合

るようむ a視点をもつものである。 こうした視点からすると、M・マクルー

'ディアはメッセージである〉という命題はますます軍要な

ー ァによるコミュニケーションが現代の日常生活全般に変

ιたらしている。したがって、メディアのメッ セー ジ、メディアのコト

)の分析は、カルチュラル ・スタディズの主要な対象傾繊の

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-48-

カルチュラル ・スタディスは、構造主義によるインパクトを受容して以降

のコ ミュニケーション理論、メティア理論であるとされている。なせ3ら、

カルチュラル ・スタティスのメティア観、 コミュニケーション観は、構造主

義理論の影響を受容して展開されたものたからである。周知のように、捧造

義は〈記号の慾怒、怠性〉の命題によつて多くの社会理論に影響を及-ぷましてい

るか、メティア研究、マス ・コ ミュニケーション研究の領犠にもたらしたイ

ンハクトとは、端的に言えば、 く構成される現実、 という観点であろう(伊

縦 ・秘問 [1990J参照)。

情jiEZ主義的な命題か らすると、<現実、とは記号(=言語)の分節によっ

て始めてlヌa切られ認知的なレヘルにおいてつくられるものである。伎にこう

した命題を受け入れるとすると、従米の現実観は取底から転換をよぎなくさ

せられる。伝統的なマス ・コミュニケーション研究における 「疑似環境議J

や「オリジナル/ コピー論」はその有効性を喪aκ寸ることになる。つまれ

<桃成される製災> という制点からすると、 k際に見たことが 「現起 てる

りメディアによる環境は 「疑似現た lであるとか ディアによる的報世E

はJ842誌に起こ った!;i:i本'H(=オリジナル)のコピーである、といった二元ー

は成り立lたなくなる。 rk際に起こったIjj米事」も「フィクションJもそれ

ぞれそういったラベルが貼られ止し、るだけで、どちらも記号の窓昧生成の

ロによってっくりあげられたものという意味£は同じであると言わざるをえ

むし、。

このようなく偶成される羽災〉悦か~,ました影1 社 -コ

、ュニケーション開始のレヘルにとどまらす、 日常生活者のリアリテ J 忠ま

たそれと近似のものとして際られるようになる。 はじめにで一例として引

したデンジンの「羽代fhmのn央IflU的生成 という茨現からもわか輔

似代'1:.活における rfi布|甜たる引災J(.)リアリティの火.~が下、T (:18J, J 、 日・31i〉による松!床~I::l或が〈現に〉を作り l:h ず。 iしカ

l。 『ア

.画、

リティ日iなw.忠良か、一;トγIttJh!

に起こった> IJ\米郁/フ ィクシ日ンο判的、 〈212の〉事実/1J(]J:~ント 、などはど一、すなわ t"),人七lこ訟Uil '')ある感情的経峨をもた

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カルチュラル ・スタディズの傾以と1.;法 '1

衆文化論の枠内にとどまることな く「私たちに とって身近・なーしたがってい

わゆるポピュラー ・カルチャーがその対象の中心的存在にはなるのだがー」日

化とはいかなるものなのか ?Jという問L、に答えることをその諜題とする。

現代生活においては、その対象となる文化の人 1:はメディアによって椛成

れるものであることは既にみたとお りである。カルチュラル ・スタディズの

課題は 「文化は (メディアによ って)構成されるJということを示すだけで

なく、「それかと のように構成されるのか」を明らかにすることをも合ん一

いる。次節ては、カルチュラル ・スタディズにおける分析万法に焦点、をあて

て若干の整周を試みることにしよう。

2.カルチュラル・スタディズの方法

カルチュラル ・スタディスとはメティアによ って構成される現代の文化の

諸領域を対象に、それがどのように構成されどのよ うに芯昧生成をっつける

のかという課題に対して、新たな概念と万法を提出する試みである。 これま

でに蓄積された研究は、文芸批評を始め、テレヒ放送、映両、ポピュラー音

楽、MTV(ミュ ーシック ・テレヴィション)、写真なと、多機な領域に及

んでいる。その方法論をまとめることは容易てはないか、いくつかの共通す

る視点をとりだすことはできるだろう。

1節で見たように、カルチュラル ・スタティズは私たちのっくりだしてい

る日常的な文化がどのように構成されるのか、その過程を明らかにすること

を課題の一部としていた。 そうした問いには、文化への批判的な視点が含ま

れている。 カルチュラル ・スタディ ズが「批判的立場」と称されるゆえんで

ある O しかし、どのような方法で文化を分析することが「批判的Jたりえる

のだろうか? メディアのコト パ ・その形式について、受け手/送り手の分

析枠組、言説編成権力空間と しての<制度>、歴史的視点 ・テクノ ロジーの

問題の順に、カ ルチュラ ル ・スタ ディズ‘の}j法について見ていく ことにしよ

つ。

2. 1 メディアのコト バ ・その形式について

カルチュラ ル ・スタディズの方法とは、メディアをコト バ(言説、形式)

として分析することを基本とする。ここでは、カルチュラル ・スタディズの

方法に用具としての概念を提供している マノレキシズム、記号論、 フェ ミニズ

(779)

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-50-•

ムについてその用語を概略して見ておきたい。その概念とは、「テクストと

してのイデオロギーJi神話Ji形式Jなどである。

マルキシズムはリベラ リズムと並んでメディア研究の二つの伝統的な流れ

を形成している。そのイデオロギ一理論は多様に展開しているが、F・イン

グリスによれば、メディア研究の用具としてのイデオ ロギ一概念とは 「テク

ストとして、語られた行動(発話行為) として取り扱うべき 」 ものである

(イングリス [1992: 117J)。イデオ ロギー (あるいはグラムシのヘゲモニ一

概念、を用いる論者もいる)がいかに私たちの常識に侵入し浸透しているかを

理解するために「メディアが語ったこと」をできるだけ綴密に記述する、 と

いう方法が用いられる。 この記述は、 メディアの意味作用、権力作用、生産

の科レベルについて総合的になされなければならない。このときイヂオロギー

のかたちとして<発見される>のが、テクストの 「形式」なのである。

ロラン ・バルトもまた、「神話Jという概念、を用いて文化の形式を描き出

そうとした。バルトは、「記 号 (=言語)のさまざまな形式は人々のなかに

深く浸透し大きな力を持っているので、それらは自我と社会の本質を形成す

るJものと考えていた。彼は記号を記号表現 (SA)と記号内容 (SE) と

に区分し、「怠昧」 と 「形式」 とに置き換えて神話の分析をおこな った。 多

照的なレベルにおける SAのさまざまな 「形式Jが抽出され、その神話作用

が分析された (バルト [1983J)。

フェミニズム のメディア分析の方法は多様であるが、マルキ シス、ム、記号

論、文芸批評の流れにあるフェミニズムの手法においては、芸術表現の 「形

式」に若りする。それらの研究は、さまざまな領域の表現形式にあらわれた

<性〉をめぐるイデオロギーや神話を批判的に取りとげ再与する。 フェミニ

ズムの下法は、<性別化 した主体、やくよ性別化した文化> とい った慨念、を焦

点づけ、そのJI:対象性をするどく 批判の対象とするものである。 たとえば、

<反>作者という位向と作品を偶成する表現形式とイデオロギーの相inf.関係

を取り扱った研究 (R・パーカ一、G・ポロ ック [1981=-1992J、石川佐必

子 [1992c])なと、。

テクストの 「形パJに者EIしそれを微細に必述することによ ってイデオロ

ギーの作J1 J を!り:jらかに Lょうとするぷみは、あるiflIで、は:(j'妓!なもの-ごあった。

Lかしながら、 こうした )/法は巾純な形式主義と静的な記サの解説にとどま

る傾lhjがあるのは斤めなし 1。 このような批判J以を}~IJ~ 4-るkうなさまざま十

w

--F •

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" 、・司

fI命ぷか続けられている。• 、

('780)

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p .ブルデュ ーは、文化E理論における構造主義者の伝統と機能主

統とを統合して、あらたな領域をノ兵した。構造主義者の伝統では、文化をコ

ミュニケ ーションの道具とみなし、現に表現されている記号の怠味とー世界の

意味を一致させようとする傾向かあるため (代怠の理論)、内向;造化された」

構造に関心が偏重する。合意の理論においては、コ ミュニケ ーションのよさり

手と受け手間の意味作用は暗黙のうちに一致するものとのniH足がおかれてい

る。一方、機能主義者の伝統においては、文化を既成の秩序をlli統化するた

めの道具とみなすため、イデオロギー的機能に関心か偏重する。フツレデュー

は両者を統合し、構造を再生産する権力をさずける、認識しえない情造とし

カルチュラル ・スタディズの傾峨と方法 一5.1一

-・・'

ての象徴形式こそ明らかにしなけれはな らないとした(ブルデュ ー [1971=

1986J)。

2. 2 分析枠組

このような 「形式Jをめぐる論点は、メティア論のなかでは三説(テクス

ト)分析に焦点づけられ展開されている。s・ホールは、テクス卜について

の方法を 「送り手/受け手」というメディア研究の伝統的な図式に当てはめ

て分析枠組をっくりだした (Hall[1980J)。 この図式はカルチュラル ・スタ

ディズの分析枠組としてもっとも基本的なものであり 、意味のある言説 (T

V番組、 映画、小説、などのテクスト)を中心に、送り手側と受け手側の両

方で構成要素に分解 したものから成っている(図 3)。• ...

, コード化

(encoding)

意味構造 1

意味のある言説

(番組、作品など〉 解説

(dccoding)

意味川造2

知識の枠組み. . . . . . . . . . . . . . . . .

、Ea

み…係一般

3

…関…基

枠…産…術

の…生…技

識……

知……

" 係

…然

…悲

刃包・

VM

「bF…引刷酢

…技•

' 送 り手側における意味生成(表現)の過程は、コー ドイヒ(encoding)と呼ば

(781)

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れる。一応、受け手側における怠昧生成の過程は、解読Cdecoding)と呼ばれ

る〉それそれの過程には、意味憐造 lと意味構造 2が対応しておかれている。

怠昧情造とは |文広Jであり、私たちが共有する言語が意味を生成するため

の規則の体系である。日常的な窓識、<常識>的知識‘こおいては、コミュニ

ケーションにおける合;むの狸論が前提とされがちである。すなわち、意味犠

ii21と;白球構.iili2の一致が暗黙のうちに前提とされている。しかしカルチュ

ラル ・スタディズの分析では両者は技窓深く区別される。いってみればこの

ほl式では 「ディ スコミュニケーションJが前提とされている。 この観点から

は、合芯の223命=コミュニケーションの送:J手と受け手間の前提としての意

11去作JTJの一致はありえない。

こう した過仰をさらに分析的に考察しようとする場合、そI..D送-・1手-や受け

手のそれぞれの知識の枠組み、 512夜間係、技内必擦とい った問題に観点を移

一ことができる。また、|ヌJ.l¥(f:lには、現代。メディア理論にとって蛮更な窓

l岐を持つテクノロジーの問題∞も合まれている C2. 4を33川)。

カルチュラル ・スタディズはメディアによる文化生成=<現に、の磁liXに

ついふメディアのコ ト、 (3A句、形式〕を分析する ことを通して明らかに

しようとする。ホールの枠制から 、 'TV~剖iの分析例を考えてみよ う。 τ \1

添削iというメディアによって「3fiられる」コト川ζはさ まままなしヘ ノの 事

のが考・えられる。以下はそのほんの一例 4ある (フィ スツ&、ート レー [19''(,8=

1.99.1 ]、iうr()¥¥11. i¥1.E., Erl. [1990Jなどを令部・0。

たとえば、両市に映しだされるもの1;11~ (怠11心、ある言説}について。で

こでは、どのような 人物がどのように股定された糊而においてど

をiMるのか? ~r vはmijfffi上の身体を〈久、吋

たかたち ζti己47化し-(.いる。また、 な~する人刊をあるぐタイフ

tl1純化する。そこにく出11~j・諸問〉がIMi り付けられ、 をえどの〈有名

山されることもある(石!日佐忠子 [.199,2b]を弐ll¥{)。

-.こ何

とし、,

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じら {ι 、その帝京Ilは、1"'Vとい)メ ディアが制度化している人H!ff;1

~I_l のジ ャン Jl )のうちどの kうな形態けもの1ハい? ドラマし Jフ 、ノ

ン:)はのか(:I~. I' I ; I制(( :211災: )はのか? また 、 tJ~i法ー ンー為

JレやilGlintUは? ぐ t\.l /J~ ~~ (~よ lる q: l断はど t 、 k ウはタイミ、 • •

品制制I:l川l,けJ出沿赴I(J供hの く j戸tンザサ.-はと t、1:うなも、 3 令〉=?送り手側t 、 河吊冷~剥組1問首嗣制目刻制IJ lf'作{

「わ:~J悦ωLl~民隙t8i ; 11?りJ ,{像段(は立どt、kうTむぷも tのFハ、 5か、 ? (制i制制H刻!川n作:を ;蹴路蹴22定i立:すす.る予I邸主や n制制b制凶~泊1J約むど .吋叩 ‘

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182

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司,

カルチュラル ・スタディズの傾i或と方法 一53

ような場-所て、どのような態度・て、どのように'1'Vに向かっているのか?

リアルタイムか録画か¥などなと‘。

このような、 T¥-というメディアによ って「話られる」コトパの文訟は犯

たちにと って馴染み深いものであり 、習慣的にコー ド化/解読をくりかえー

ことを通して芯味構造の法盤となる知識の(認知の)枠組がJr~成される。 さ??伊/受け手側それ毛、れとらし¥そふ議ゐ,Milj33己43されか}ふ弘会心心。同様に、生産関係や技術基盤についても記述されなけ414i-占企心。

インクリスによれは、カルチュラ ル ・スタディズにおけるイデオロギータ?

析のレヘルはメディアの①意味作用、 2権力、③生産、のミ弔問jti-について

焦点づけられ、考察されるへきであるという (イングリス [1990=1992: 108-

l11J。ホ ールの枠組の意味構造、知識の(認知の)枠組、'-1:産関係、技何人l:

盤のすへてはそれそれ言説の怠昧作用、その<場>に作}りする能力、d説の

生産の三つの構造に関わりをもっ。

2. 3 言説編成権力空間としての<制度 >(,-場>と<主体>)

M.フーコーもまた、文化を言説として分析する領野を聞き、カルチュラ

ル ・スタティスの分析方法に影轡を与えた(イングリス [1990= 1992J、伊

藤 ・藤田 [1990J参照)。記庁長命的な分析)j{lかメティアの怠昧作用に仏tJ5

をあてたものであるのに対して、フーコーはtZ説編成の権ノJに焦点をあてた

研究を展開した。フ ーコーの視野がメディア研究にもたらしたインハクトと

は、メディアが 「語る」文化を言説の形成、その編成の規則、佐々作用といっ

た視点て分析するというものである。そういった分析はメディアか行使する

「言説の形成 ・編成の規則JJの権力作用を摘出することを問的の一部として

おり、既存のメディア文化に対 して「批判的な」 視点をもちうるものである。

フーコーが考えた言説形成 ・編成の権力の締成要素のうち特にメディア文

化研究に関連するのは、言表の主体とその制度的な場である(フ ーコー [1970ニ

1981J)。言表の主体 (以下 <主体>)は「誰かその言表を語る資格があるの

か」に関連する。言表の制度的な場 (以下<場>) は 「どのような場所にお

いてその言表が語 られるのがふさわ しいか」といっ た問題に関連する。 Jd長

をめ ぐる権力空間、その言説形成 ・編成の規則は、ある特権性を もっ た< 主

体>と<場>とを生成し、維持する。たとえば、現代においては 「狂気」 に

ついて語る資格があると見なされている<主体>(=医書)とぐ場> (=病

院)とが産出されている、といったように。

(783)

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-54-

このような観点からすると現代文化にとってメディアとは、ある特権性を

もった<主体>とく場〉とを生成し、維持するものである。たとえは、 T¥i

や新聞といった報道メディアは !I事実Ji本当にあった出来事j について語

る特権的な<主体>とく場>とを産出する。問機lこ、今日のメディアは 「美

しさJi健康Ji病いJi死」といったきわめて人間的な領域に関連する こ乙

がらに対して諮り、それらにみあった文化をっくりあげる。

フーコーの}日し、た方法は、話られたことを以えし言表の表面を見定めるこ

とからはじめて、 邑説をそれf:J体のアンスタンス(審級)のl働きから徹底的

に迫求するというものである。こうした視点は、プルデュ ーの問題とした

i fivt:illiをJiIJ211践する権力をさずける、認識しえない椛造としての管法形式Jを傑究することに通じるように思われる。ここでは、メディアとその〈制

を、ある社会において統制され、選択され、組織化された言説生産のく楠

tJi前編成権力窓口uとしてのく制度>としてとらえておくことにし 勺 。

2. 4 ltt史的視点 ・テクノロ ジーの問題

ホールの枠制lのうち、技術法鍛は、む日未明;iii、知識の枠組、生産。ぬ係のす

べての法礎的位置づけにおかれている。 技いf訟能は窓昧構造や知識の;枠組と

向;は、メ ディアの;なl床作HJ、そのく樹>fこ作JlJする権力、言説の生産の三つ

の情11~! に |刻わりをもっ。従本のメディア研究においてい、 テクノロジーの問

組は(物耳目的な)メ ディアの機能の11!!也、メ ディアの発述の問題といった

うに 1~1~立の分mj~ として取れぬわれる傾向かあった。その人うえむ正視点治か:\ ,,:) I(

;技支術1μi正B熊 .テクノロジーが芯11よ'1~成口t:日閣に慌1~ ぷかか

川端しがちであった。

W -¥]・オングtt、コトハの叱:lt化のl康弘;:をテク ノロジー

r~l~れこ ~~Jl t' lた(オ ング [J982 = 1991 )..オングのi時叱11なな悦以

~~( t、アメリカ械のカ Jレチ品ラル ・スタディミ iζおいて 「特別

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のとして向¥I;'F fllljされているは~ronbeck! et al.Ed.日、

・ングの文化史は、 人I:\J什 1 ト,、οL~~:~を 〔曲次的t‘

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カルチュラル ・スタディズの領域と方法 -55-• '

• • >ことは、現在の多くの社会において全く 「自然、なJi人間的な」性質であ... e

ると見なされているような意識の構造や文化は、実は「書く J技術によ って

ー もたらされたものであるということである。こうして、「声の文化Jと「文

勺ミ 字の文化」の性質の違いが対比的に明らかにされるのであるが、このような

じ <発見>は現在の電子的なメディア〈電話、ラジオ、TVなど)による「ぺ

次的な声の文化」を研究することによってもたらされたものだという。

このように、カルチュラル ・スタデ、ィズの第四の方法は、産長自命点÷主

述をおこなうというものである。オングほど壮大な歴史を描くのは容易では

ないにせよ、あるテクノロジー(あるいは、形式、<制度>) に焦点をあわ

せて、その時間的な変化 ・変容を記述するという方法は、カルチュラル ・ス

タディズの課題に対してきわめて有効であるように思われる。

一--dTi

E-,」・

, 3.実践的分析ヘ向けて

ここまでの作業において、カルチュラル ・スタディズの領域とえ7法につい

て概時的にではあるが明らかにすることを試みてきた。最後に、現代の文化

現象を分析するという実践の意味について、若干の考察をしておくことにし

よう。

カルチュラル ・スタディズは、私たちにと って身近な現代の文化とはし、か

なるものであり、そればどのように構成されるものであるのか、という問い

かけに答えることを課題としていた。それは同時に、自らがっくりあげてい

る文化への批判性を内包するものであった。私たちの生活をとりまくさまざ

まなメディアと意味のある言説について、それを構造化する権力への分析を

おこなうことはそのひとつの例である。そのような意味において、カルチ ュ

ラル ・スタディズの分析は「実践的分析Jと呼ばれている。

実践的分析の含意のひとつは、身近な文化を対象として研究を展開するこ

とのもたらす「脱制度化」の効果という点にある。カルチュラル ・スタディ

ズの方法は、メディアをコトパとして扱い、その形式性に着目する。カルチュ

ラル ・スタディズの対象 (TV番組やポピュラー音楽、映画など)は、私た

ちにとってあまりにも身近であるため、その文化は直接的に私たちの意味構

造に訴えかける。たとえば、自分の居間で習慣的にTVをながめている場合

と研究対象としてTVを<読む>場合とでは、何がどのように違うのだろう

か?その大きな差異のひとつは、TV番組という意味のある言説の意味構造

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-56-

に関係する制度化された<場>の問題である。前者の経験は、きわめて日常

的な脈絡で(すなわちそれ自体、制度化された<場>において)TV番組を

ITV番組として」受け取り享受するという経験である。 それに対して後者

の経験は、TV番組を意味のある言説として成立させている制度化された<

場>から一時的に引き剥がし、それを再考しようとするものである。すなわ

ち、「研究対象として(おそらく 、ヴィデオに録画された〉ある TV番組を

見るJという経験は、日常的にそれを見ているのとは違った場所で、違った

時間に、違った仕方でそれを 「見る」ということにほかならない。そのよう

な経験は、日常的にそれらの言説が意味していることがらとは違った意味を

もたらすものとなりうるのである ω。

また一方、カルチュラル ・スタディズの分析が 「実践的分析」と呼ばれる

のは、文化創造への直接的な批判性を持つという含意もある。 そのような

「批判性Jに対する論議は、伝統的なメディア研究の脈絡にしたが って、 メ

ディアの受け手の「自由」という問題設定で論じ られている。

2. 2において取り上げた分析枠組に付随する議論として、 ホールらは、

怠味のある言説を解説する受け手の文法を三つのタイプに分けている。TV

番組を例にとると、TVを見ている視聴者 (受け手)たちは、①優先的意味

の再生産をおこなうものCdominantcoding)、②優先的な意味を受入れつつ

も個人的には保留の解釈をおこなうもの Cnegotiatedcoding)、③優先的意

味とは全く対立する解釈をおこなうものCopposi tional coding)、 という主

要な三つの文法によ ってTVを解読しているという(イングリス [1990=19

92J、阿部 [1991J参照)。この脈絡から言えば、受け手の 「自由」 とは③

の優先的意味とは全く対立する解釈をおこなうという文法において期待され

る。そして、そのような文法の獲得(と教育〉こそ文化への 「批判」となり

うる、という議論もある。

ここでは、表現者の「自由」 ・送り手側の創造についても、ホールのいう

三つのタイプの文法がありうるのではないかということを指摘しておきたし、

新しい友現の創造は、従来の<制度化した>表現の枠を超えたところに生み

出される。 しかしながら、コミュニケーションによる文化の牛.成である限り、

全く従来の コー ドから外れたものではそもそも r:怠味Jを生成するものでは

ありえない。上記の①~③の文法は、送り手一受け手間の相主L作用の結果

(おそらく 、ポピュラー ・カルチャーの分野では商I日1の翁現といったものも

きわめて屯要な~閃となるであろうが)、時間j的な変遷をたどり変h・ してい

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(786)

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カルチュラル ・スタディズの領域と方法 -57-

12 くものと考えられる。ふιγ-

ch巳RE巴

パ前 結び要約と展望

引!とく

tl;p 1節においては、カ ルチュラノレ ・スタディズの領域として、その立場を特

V~~~ 徴づける 「文化」観、メディア及びコミュニケーション観、 <構成される現

、制; 実>観についてまとめた。カルチュラル ・スタディズは、私たちにと って身

初討 近な文化 (=ポピュラー ・カルチャー)を対象領域とする。ただし、その場

て訴4 合の 「ポピュラー ・カルチャ -Jとは、従来のハイ ・カルチャーに対立する

「民衆の文化」、量や商業主義によって規定される 「大衆文化」とは異なるも

のである。また、カルチュラル ・スタディズのメディア観は、日常生活全般

に及ぶような広範なものである。カルチュラル ・スタディズは、「私たち の

日常生活=<現実>は、(メディアによ って)構成されるものである」 との

認識に立つ。そのうえで、その<現実>がどのように構成されるのか明らか

にすることを課題とする。

2節では、 1節において明らかにされたカルチュラル ・スタディズの領域

と課題に対する分析方法を整理することを試みた。まず、対象となるメディ

アをコト パ(言説、形式)として取り扱うことが方法の基礎となっている。

そのうえで、合意の理論を前提としない分析枠組が示された。その分析枠組

から記述されるのは、メディアの意味作用、権力、生産にかかわる装置とし

ての<制度>である。また、メディアのテクノロジーの視点をも含んだ、歴

史的な記述方法が示された。

3節ではカルチュラル ・スタディズ、の実践的分析の意味について、若干の

考察がなされた。実践的分析の意味として、制度化された<場>からの脱制

度化の効果、文化の解読と創造に関する変容の可能性、の二点が示された。

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目 故後に、本論の作業をふまえ、今後のメディア文化分析へ向けていくつか

W1; の展望を示しておこう。

:bi:gn メディア文化の分析は対象とする領域が雑多なものであるだけに、と もす

がり; れば散漫な視点や現象記述に流れたものになりがちで、ある。情報化社会と呼

内 ばれる現代社会においては、さまざまな文化の分野、曙好の分野のすみずみ

4r にまでメデ、イアが発達しており、それぞれの分野のスペシャリストが多数存

1; b~Ð 在する。そのような状況のなかで、あえて 「研究」というかたちでメデ、イア

宿い

(787)

4・

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文化を対象とするためには、現象を詳しく報告するのみの、いわば情報落差

を利用した文化研究とは異なる視点をもつことか必要である。すなわち、 メ

ティア文化一般について適用可能な、広い射程をもった理論が必要なのでめ

る。仮にそうした理論がめざされるならば、カルチュラル ・スタティズの研

究領域は、全 く新たな広大な領野を開く可能性があるように思われる。

今後の課題としては、意味生成、権力作用、文化生産の制度化された生産

装iEを総体を<リ アル〉のテクノロジ ー (石田佐恵子 [1992b] )として ζ

らえた視点 ・方法を発展させることを目指したし、。〈リアル〉のテクノロジー

の構成要紫はさまざまなものが考えられるか、特にそのなかでも、感情のく

~IiIJ l交>の研究は抵妥な課題と恕われる。感情的経験はメディアによって構成

される<現実>においてもっともくリアル〉な経験をかたちづく tるものてあ

る。 また、人々の身{本の傾減、ハピトゥス(ブルデュ一入リテラシー(

ング)、 ウィデオシー(デンジン):なと‘の各被点に焦点づけられた研究を展

開することを通じて、〈リ アル>のテクノ ロジーのさまざまなありょうを明

らかにしていきたし、。

ポピュラー ・カルチャーのコトハは、通文化的な言語としての性質を持っ

ている。私たちは、外!却でたとえその閣の1言結が分かもなくても、'T¥'の

γ予測を国明干することができ lる。好むと好まざるとにかかわ.三寸、ポピュ弓ー ・

カルチャーの共有が!日;界的な制限でを1:.じているl。特に情深化した先進諸闘に

おいぐこの傾向は断帯である。情報化社会やメディア担 JL3つ lいての

国科学的な研究は、このような怒川において通文化的な観点でなされ一

ばならなし、。

従米 r通俗的なものJr研究の文'.J&に{砲しないものJと見なされてきたボ

ピニ1 ラー ・カノレチ lヤーを削究対訟として良定めることい、それ自体 |丈ftの

iE統化(ブルデュー〉の営み」であるかもしれない。しかし霞裂はのは、対

uこ訟I!J+・づけされた.(Illi悩ではなく 、それをとらえる悦J設なの明 A・咽

いしたさえこ ・丈fl:ti:

(1 )1:. t!. し、 ~tli~の戦前の新聞学、 ジ ャ ーナリズム けてい

とr 、 • n:.. .....

に細いて'Cul¥ltlll',nlStudios' 、の(~、これらの)'(似!こ陪 ら勺たれの

に「窃l'

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カルチュ ラル ・スタディスの領以 と方法 -59-

-.

とした多くの研究との差異を強調するためであるo また、 ・Studyof Culture'の駅間と ()(別寸る と い う ~昧『合 いもある。

Fた、ここでは 「カルチュラル・スタテ・ィズJをポピュラ一文化研究の傾岐に限定して簡を迎めているが、本叫

『カルチュラル・スタ ディス」はその傾域にとどまらす、文立批d平理晶、チキスト分析 ・般を対象とするrtJ広い研究てあることをつけ加えておきたL、

‘-

(4)ここでは、 「メディアJという用語を 「体験を知識に変換するものJr日常生活の出来耶に息昧を付与する紀

号を提供するものJ(イングリス [1990=1992: 7])という息味において使うこ とにする。「メディ アJという

用語の定義は使われる脈絡、分析の偲点によ って異なることが少な くなt、 たとえは、私自身 もg'Jな文脈にお

いては 「未知の受け手の集問、いわば袖象的な観客をつく りだすコ ミュニケーショ のノ ステムである ーとし

ている (石田佐恵チ [1992b])。こうしたい くつかの「メテ'ィ アJの定義は、たがいに伺摘的川のでJJる。4・

--R

・'z

(5)Real [1989]からの引用図に一部手を加えたものo

(6) Real [1989]からの引用図に一部?を加えたもの。

(7)石田佐恵チ [1989]では、コミュニケーション論の脈絡からこの閃式に類似した関式を考えているか、コ ミュ

ニケーション一般を念頭に置いているためアク ノロノーや制作+体の生産関係については144察か及はす、 ご制

度化した>状況として一括されているo ホールの図式は、 <制度化した> 状況をさ らに知撒の枠組み v 生陸関係/技術基盤の三つに分けて考察する図式てあるといえよう。

(8)こうした方法は、カルチュラル ・スタティズの対象 (TV1s;組やポピュラ ー音楽、映両はど)を録音織誌や

VTR機器によ って収集し、蓄積し、保存することが可能になって始めて一般に応用可能なかたちて成古 したa

それは、電子的なメテ'イアによるコ ミュニケー ションに代表されるよ うな視覚的 ・音楽的な文化のテクスト4「脅かれた」テクスト (曾物)と同しように級えるようになった事態を意味している。

【参考・引用文献】

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再考ーポス ト・モダンの批判的コ ミュニケーション理論か?J

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