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1 ブレトン・ウッズ体制(1944-1971)から ドル本位制へ(1973) テキスト:pp.210-219 1.ブレトン・ウッズ体制の成立 (1)為替の安定(固定相場制の維持) (2)為替の自由化(「通貨の交換性」の義務) (3) IMFによる短期資金の融資・世界銀行による長期資金の融資 2. ブレトン・ウッズ体制の崩壊 (1)金ドル本位制 (2)国際通貨システムの非対称制 (3)流動性のジレンマ (4)金ドル交換停止とBW体制の崩壊

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Ⅴ ブレトン・ウッズ体制(1944-1971)から ドル本位制へ(1973~) テキスト:pp.210-219

1.ブレトン・ウッズ体制の成立 (1)為替の安定(固定相場制の維持) (2)為替の自由化(「通貨の交換性」の義務) (3) IMFによる短期資金の融資・世界銀行による長期資金の融資 2. ブレトン・ウッズ体制の崩壊 (1)金ドル本位制 (2)国際通貨システムの非対称制 (3)流動性のジレンマ (4)金ドル交換停止とBW体制の崩壊

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3. IMF協定原則の変化 (1)固定相場制から変動相場制へ (2)資本規制から資本の自由化へ (3)IMFと世界銀行の役割分担の変化 4.ドル本位制 (1) 変動相場制から政策協調の時代へ (2) ドル本位制の構造

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キーワード • ブレトンウッズ協定(Bretton Woods Agreements) • 国際通貨基金(IMF)・国際復興開発銀行(IBRD)[世界銀行(WB)] • 為替切り下げ競争(competitive devaluation) • 近隣窮乏化政策(beggar-my-neighbour policy) • 調整可能な釘付け[アジャスタブル・ペッグ](adjustable peg) • 基礎的不均衡(fundamental disequilibrium) • 固定相場制・変動相場制(fixed / floating exchange rate regime) • 通貨の交換性(currency convertibility) • 為替管理(exchange control)/資本規制(capital control) • 8条国・14条国(Article 8 / 14 nation) • IMFコンディショナリティー(conditionality) • 国際通貨システムのトリレンマ(trilemma) • 国際通貨システムの対称性・非対称性(symmetry / asymmetry) • 国際通貨システムの(N-1)問題 (n-1 [redundancy] problem) • ビナイン・ネグレクト政策(benign neglect policy) • トリフィン・ジレンマ Triffin dilemma) • スミソニアン協定(Smithsonian Agreement) • ウォール街=財務省複合体(Wall Street-Treasury Complex) • ワシントン・コンセンサス(Washington Consensus)

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ブレトン・ウッズ会議 • 1944年7月、アメリカのニュー4ハンプシャー州ブレトン・ウッズに連合国代表が集まり、連合国通貨金融会議(通称「ブレトン・ウッズ会議」)が開催された。

• この会議によって調印された協定が、 国際通貨基金(International Monetary Fund, IMF) 国際復興開発銀行(International Bank for Reconstitution

and Development, IBRD, 通称「世界銀行」World Bank, WB) という2つの国際金融機関の設立協定である。したがって、戦後の国際通貨システムはブレトンウッズ体制とも呼ばれる。

• まず、IMF協定に含まれる3つの原則について説明し、後に、これらの原則がどのように変化し、現在に至っているかについて考察する。

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(1)為替の安定(固定相場制の維持) 背景 •1930年代に、各国は、自国通貨を切り下げ、輸出を拡大することによって、1929年に始まった大恐慌から抜け出そうとした。 •多くの国がこの為替切り下げ競争(competitive devaluation)と呼ばれる近隣窮乏化政策(beggar-my-neighbour policy)に加わることによって、為替レートは不安定なものとなり、世界貿易は著しく縮小。 •こうした戦前の反省から、戦後の国際通貨システムを構築する際に、世界貿易を拡大するためには為替レートの安定が必要という認識が共有された。

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世界貿易の縮小(1929年1月~1933年3月,75カ国の月額総輸入) 単位:100万米金ドル(C.P.キンドルバーガー『大不況下の世界』)

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(1)為替の安定(固定相場制の維持)cont. • IMF協定では、加盟国は、「金」または「金との交換が保証されるドル」によって自国通貨の交換比率(IMF平価)を表示し、この固定相場制を維持することが義務づけられた。

• 調整可能な釘付け(アジャスタブル・ペッグ) 自国通貨の平価を、金または1944年7月1日現在のドル(純金1オンス=35ドル、1ドル=純金888.671ミリグラム)で表示し、基礎的不均衡が生じた場合以外は、自国通貨をこのIMF平価の上下1%以内の変動幅に釘付けするように義務付けられた。

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内外不均衡と基礎的不均衡

インフレ デフレ

黒字

赤字

基礎的不均衡

基礎的不均衡

内需拡大

引締政策

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(1)為替の安定(固定相場制の維持):日本の場合

• 1952年:日本、IMF(および世銀)に加盟。 • 1953年:円のIMF平価を次のように届け出た。 1円=純金2.46853ミリグラム 1ドル=360円(888.671ミリグラム÷2.46853ミリグラム) • 『ヤング報告』の単一為替レートの設定という勧告 ⇒1ドル=360円という為替レートを設定(1949年) ⇒1953年のIMF平価の設定は、このヤング報告の勧告に基づいて設定された1949年の単一為替レートの設定に合わせるように、金平価を決めたもの

(吉野俊彦『円とドル』日本放送出版協会,1987年)。

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固定相場制と変動相場制 固定相場制(数量調整) 外国為替市場における外貨(ドル)の超過供給・超過需要を、通貨当局が公定価格($1=¥360)で無制限に売買すること(為替平衡操作=為替介入)によって、需給調整を行う制度。

⇒外貨準備の大きさは、受動的に決まる。 変動相場制度(価格調整) 外国為替市場における外貨(ドル)の超過供給・超過需要を、為替レートの変化($1↗↘¥360)によって、需給調整を行う制度。

⇒外貨準備は、原則として、必要としない。

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無制限のドル買い

⇒外貨準備の増加

経常収支の黒字

⇒外貨の供給増⇒供給曲線の右方シフト

$1=¥360

$1=¥350

為替レート(価格)

ドルの需要・供給(数量)

E1 円高

E2

固定相場制:

E⇒E1

変動相場制:

E⇒E2 超過供給

外国為替市場でのドル需要

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無制限のドル売り

⇒外貨準備の減少

経常収支の赤字

⇒外貨の需要増⇒需要曲線の右方シフト

$1=¥360

$1=¥370

為替レート(価格)

ドルの需要・供給(数量)

E E1

円安

E2

固定相場制:

E⇒E1

変動相場制:

E⇒E2

外国為替市場でのドル供給

超過需要

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(2)為替の自由化(「通貨の交換性」の義務) 背景 • 1930年代、各国は、為替管理(exchange control)を行い、輸入を制限することによって、国内産業を保護したり、金や外貨準備を守ろうとしたりした。

• 外国からモノを輸入したり、外国へ旅行したりする場合には、対外支払いに必要な外国通貨を自国通貨と交換する必要がある。

• 為替管理とは、政府が、この自国通貨と外国通貨の交換性(convertibility)を禁止または制限することであり、輸入制限と全く同じ効果を持つ。

• 為替管理も、為替切り下げ競争と同様の近隣窮乏化政策であり、多くの国が為替管理を実施した結果、世界貿易は著しく縮小した。

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(2)為替の自由化(「通貨の交換性」の義務)cont. • こうした戦前の反省から、戦後の国際通貨システムを構築する際に、世界貿易を拡大するためには、為替管理を撤廃し、経常取引に関して通貨の交換性を維持することが義務づけられた。

• この加盟国の義務は、IMF協定の第8条で規定されているので、この義務を履行している国を「8条国」

• しかし、戦後すぐの外貨不足の時期には、生活に必要な物資や、生産に必要な資源等の輸入に限り、外貨が割当てられていた。戦後の過渡期等にこの義務から免除されている国を「14条国」

• 1958年:西欧諸国、通貨の交換性を回復。 • 1964年:日本、14条国から8条国に移行。

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為替の自由化 vs. 資本の自由化 IMF協定での規定 ○経常取引に関する通貨の交換性(為替の自由化) ⇒×為替管理(exchange control) ×資本取引に関する通貨の交換性(資本の自由化) ⇒○資本規制(capital control) • IMF体制は、経常取引に関して為替の自由化を行うことで、貿易の自由化(GATT体制)を支持し、為替の安定と相まって、世界貿易の拡大、経済成長を促進させるような仕組み。

• 「トリレンマ命題」で言えば、BW体制は、資本規制の下で、(自由な資本移動を放棄して)、固定相場制と金融政策の独立性を維持。

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実現不可能な三位一体(Impossible Trinity) Frankel(1999)

①為替レートの安定 ③金融政策の独立性

②自由な資本移動 (a)完全な変動相場制 (b)完全な固定相場制 (または通貨同盟)

(c)完全な資本規制

資本移動の自由化

両極の解

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(3)IMFによる短期資金の融資 • 加盟国が(1)(2)の義務を履行するということは、中央銀行が、外国為替市場において、要求があればいつでも、自国通貨を固定相場で無制限に買い入れる(為替レートが減価しそうになれば、自国通貨買い・外国通貨売りの市場介入を行う)ことを意味する。

• そのためには、加盟国は潤沢な外貨準備を保有していなければならない。国際収支が赤字になり、外貨準備が不足すれば、(1)(2)の義務を履行することが困難になる。

• 国際収支が赤字になり、外貨準備が不足する加盟国に対して、IMFは、加盟国の出資額に応じて、短期的に資金を融資する。

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(3)IMFによる短期資金の融資(cont.) IMFコンディショナリティー

• IMFから資金利用は、最大で出資額(25%は金で出資、75%は自国通貨で出資)の200%まで可能。

• 金で出資した部分と、自国通貨で出資した部分(うち他国が借り出した部分)は、無条件で借入れが可能である。この部分は、リザーブ・トランシュ(reserve transhe)と言い、加盟国の外貨準備の一部を構成⇒外貨準備のうちの「IMFポジション」

• 残りは、クレジット・トランシュ(credit transhe)と言い、4段階に分けられていて、次第に借り入れる時の条件が厳しくなる。

• この条件が、「IMFコンディショナリティー」。すなわち、IMFが加盟国に融資を行う際、当該国通貨の価値が下落した要因(財政赤字やインフレ等)を除去するために、加盟国に対して高金利政策や財政赤字削減など、厳しい緊縮政策を要求するのである。

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(4)世界銀行による長期資金の融資 •IMF:国際収支の赤字に対して、短期資金を融資。 •世銀:主として西欧諸国に対して、戦後の開発・復興のために必要な、長期資金を融資。 •世界銀行の資金量は十分でなく、西欧諸国の戦後復興は事実上マーシャル・プラン。マーシャル・プランの受け入れ組織であったヨーロッパ経済協力機構(OEEC)は、1961年に経済協力開発機構(OECD)として改組。 •その後、世界銀行は、発展途上国の開発のための長期資金を融資する機関として大きな貢献を果たした。 •日本も、1953年に、世銀から最初の借款を受け、東海道新幹線、東名・名神高速道路、黒四ダム、愛知用水など、重要なインフラ整備に貢献。世銀債務を完済し終わったのは1990年のこと。

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2.流動性のジレンマとブレトンウッズ体制の崩壊 (1)金ドル本位制

•ブレトンウッズ体制において、ドルは基軸通貨(key currency)として、国際的な取引に使用されると同時に、金とともに各国の外貨準備として保有。 •各国がドルを基軸通貨として受け入れた背景には、IMF発足当時のアメリカの圧倒的な経済力⇒アメリカは世界の大半の金を保有し、各国の通貨当局が保有するドル(ドル残高)に対して、IMF協定が規定した金とドルの交換比率(純金1オンス=35ドル)で金交換。⇒ドルを保有することは金を保有することと同じであるという認識が、各国に定着。 •民間部門は貿易収支で稼いだドルを通貨当局に売って自国通貨と交換 ⇒通貨当局はそのドルを外貨準備として保有 ⇒必要なときにそれをアメリカの通貨当局に売って金と交換 各国通貨はドルを媒介として間接的に金とリンク ⇒BW体制=金ドル本位制

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(2)国際通貨システムの非対称制 • ドルを基軸通貨とするBW体制には、アメリカとアメリカ以外の国の間に、非対称的な関係が存在。

• アメリカは対外支払いを自国通貨であるドルで決済することができる。

• アメリカ以外の国は対外支払いを輸出などで稼いだ外国通貨であるドルで決済せざるをえない。

• 基軸通貨国特権(シニョレッジ、seignorage): 基軸通貨国が持つこのような特権 • 基軸通貨システムの非対称性(アシンメトリー、asymmetry): 基軸通貨国と非基軸通貨国との間の不平等な関係

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シニョレッジ(seignorage)について • シニョレッジ:中世の封建領主を意味するシニョール(seigneur[仏]、seignor[英])に由来。

• 鋳造利益:中世欧州では封建領主が貨幣を鋳造し、「コインの額面価格と含有貴金属原価との差額」を収入とした。財政赤字に陥ると、コインの含有貴金属の分量を下げる改鋳(偽金作り)が行われ、「悪貨が良貨を駆逐する」というグレシャムの法則が働いた。

• 通貨発行益(通貨の額面価格と通貨の発行費用との差額):現代の不換紙幣の場合も、基本的には同じメカニズムが働く。日本の場合1万円札を1枚刷るのに、紙代や印刷代を含め原価は20円程度しかかからない。その差額である9980円がシニョレッジとなる(厳密には、中央銀行のバランスシートでは、1万円の負債に対応して、国債などが資産として記載されるので、その資産によって生み出される運用益と、紙幣発行コストとの差額がシニョレッジとなる)。

• 基軸通貨国特権:自国の通貨が国際通貨として使用できるようになれば、基軸通貨国は同様のシニョリッジを享受できる。この場合の基軸通貨国特権は、短期借り・長期貸しの長短金利差(海外からの短期預金などを長期で運用することで得られる長短金利差)を意味。

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(3)流動性のジレンマ • 非対称性を緩和する役割を果たしたのが、アメリカによる金ド

ル交換。しかし、この金ドル本位制には矛盾。 • 世界の貿易取引が拡大するためには、その決済に用いられ

る金やドルといった「国際流動性」が供給されなければならない。

・金の供給は自然条件に左右されやすく、その供給には限界がある。 ・アメリカが国際収支の黒字を続けると、国際流動性が不足する(ドル不足)。 ・したがって、国際流動性であるドルが供給されるためには、アメリカは国際 収

支の赤字を計上しなければならない。 • アメリカが国際収支の赤字によって国際流動性を供給 ⇒各国の保有するドル残高が増加 ⇒各国がドル残高の金交換を要求 ⇒アメリカの金準備は減少。ドル残高の金交換に疑問 ⇒ドルに対する信任が低下。 • 「流動性のジレンマ」(「トリフィン・ジレンマ」)。 R.トリフィン『金とドルの危機』(1960)

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アメリカの金準備とドル残高

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3. IMF協定原則の変化 (1)固定相場制から変動相場制へ

金ドル交換停止とブレトンウッズ体制の崩壊 • 1971年8月15日、アメリカは「金ドル交換停止」を宣言し(「ニクション・ショック」)、BW体制は事実上崩壊。

• 同年12月には、ドルの切り下げと円の切り上げ(1ドル=308 円)を含む多国間の平価調整、さらに変動幅の上下1%から2.25%への拡大が行われた(「スミソニアン協定」)。

• しかし、その後もドル不安は続き、1973年のドルの再切り下げを契機に、各国は変動相場制へ移行した。ドルが下落するとドル買い介入を行わなければならないが、金交換の保証がなく、その価値が下落し続けるドルを買い支えることに、意味がなくなったからである。

• そして、1978年にIMF協定の改正が行われ、固定相場制から変動相場制への移行が追認された。

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3. IMF協定原則の変化 (2)資本規制から資本の自由化へ

• 第8条(経常取引に関する為替管理の撤廃) →資本取引に関する資本規制の撤廃 (S.フィッシャー他著・岩本武和監訳『IMF資本自由化論争』岩波書店,1999) • 日本の漸進的自由化:為替管理:経常取引に関する為替管理(1964年に撤廃)、資本取引に関する為替管理、例えば居住者による外貨建て預金の禁止(1967年の第一次資本移動の自由化後、漸次撤廃、1980年実施の新外為法にはじまる80年代の改革によって資本移動はほぼ自由化)

• エマージング諸国の急速な自由化:近年では、アジア各国で8条国への移行が相次ぎ(インドネシアと韓国[88年]、タイ[90年]、フィリピン[95年]、中国[96年]) 、現在ではIMF加盟国の約8割が8条国に移行している。しかも、これらの国は、「貿易の自由化」を果たした後に直ちに「資本の自由化」も目指した。海外からの資金調達の円滑化を目指して、すでに国際金融センターの地位を獲得した香港やシンガポールに加え、マレーシアのラプラン、タイのBIBFなどオフショア市場の育成に努めるなど、資本の自由化を急速なスピードで行ってきた。1997年のアジア危機の直前において、ほとんどの新興市場諸国で資本取引は原則自由となっていた。

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ウォール街・財務省複合体 Jagdish N. Bhagwati, The Capital Myth: The Difference

between Trade in Widgets and Dollars • アジア危機の発生は資本移動に伴う危険性を知らしめた。だが、人びとは資本移動の自由化はだれにでもメリットをもたらすという「神話」に支配されている。資本移動の自由をグローバル化したのはウォール街、財務省、国務省、IMF、世界銀行に存在するネットワーク「ウォール街=財務省複合体」である。彼らは米国金融界の利益がすなわち世界の利益だと考えている。(ジャグディシュ・バグワティ/コロンビア大学教授)

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ネットで見た国際資本移動の歴史的推移(1870年~1990年)

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ネットで見た国際資本移動の推移 (1970年~1997年)

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グロスで見た国際資本移動の推移 (1970年~1997年)

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3. IMF協定原則の変化 (3)IMFの開発金融機関化

• IMF資金の利用国 1947年から74年:先進国54%、途上国46% 1974年から84年:先進国14%、非産油途上国85% • 1980年代の累積債務問題:民間銀行による債務返済繰延べと新規融資の前提として、IMFが、債務危機に陥った国を、貨幣供給量の抑制・金利の引上げ・財政赤字の削減を柱とする「コンディショナリティー」を通じて管理するという政策パッケージが確立。

• IMFは、短期の流動性危機ではなく、長期の支払不能問題に対処すべく、

1986年:構造調整ファシリティ(Structural Adjustment Facility, SAF) 1987年:拡大構造調整ファシリティ(ESAF) 新しい融資制度を設け、低所得国を対象に、構造調整プログラム。 • この構造調整やコンディショナリティーという政策パッケージ(「ワシントン・コンセンサス」とも言われる)は、経常収支や財政収支の改善には一定の効果があるが、公共料金の引上げや増税等の引締め政策は、国民生活の劣悪化に直結。

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ワシントン・コンセンサス(Washington Consensus) by John Williamson

• 1989年に国際経済研究所(IIE)のJ.ウィリアムソンが、80年代の累積債務問題に対処するため、ラテンアメリカに必要な経済改革として、ワシントンを本拠とするアメリカ政府、IMF、世界銀行などの間で成立した「最大公約数」 (コンセンサス) と呼べる以下の10項目の政策を抽出し、列記したもの。

• (1)財政赤字の是正、(2)補助金カットなど財政支出の削減、(3)税制改革、(4)金利の自由化、(5)競争力ある為替レート、(6)貿易の自由化、(7)直接投資の受け入れ促進、(8)国営企業の民営化、(9)規制緩和、(10)所有権法の確立。

• IMFや世銀はこうした考えにもとづく改革を、その国に融資するさいの条件(コンディショナリティー)としていた(いる)。

• こうした条件にあわせた急進的な市場自由化プログラムは、80年代の南米諸国、90年代の旧ソ連・東欧諸国等で採用、とくに97年のアジア通貨危機におけるIMFの勧告に従ったタイ、インドネシア、韓国などでも採用された結果、IMF批判につながった。

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4.ドル本位制 (1)変動相場制から政策協調の時代へ

• 変動相場制への移行当初は、国際収支の不均衡は為替レートの変動によって自動的に調整され、各国は国際収支に制約されることのない自律的な経済政策をとることができると期待された。

• しかし現実には、為替レートは短期的に大きく乱高下する(為替レートのvolatility)とともに、長期的にも経済の基礎的諸条件(ファンダメンタルズ)を反映した水準からは乖離したものであった(為替レートのmisalignment)。

• こうした変動相場制の欠点を是正するために、各国は協調して経済政策を行うことの重要性が認識され始めた。特に、1985年のG5による「プラザ合意」以降、国際収支の不均衡の是正や、為替レートの安定を目指す政策協調が定着してきた。

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民間レベル (国際通貨)

公的レベル (基軸通貨)

計算単位 契約通貨 基準通貨

支払手段 媒介通貨 介入通貨

価値保蔵手段 投資通貨 準備通貨

国際通貨の機能

民間の銀行間市場の大半がドルを媒介通貨としていることから、公的部門の市場介入も必然的にドルを用いて行われることが多くなる。すなわち、民間部門においてドルが媒介通貨として使用されることによって、公的部門においてもドルが準備通貨や介入通貨として機能することになる。

(2)ドル本位制の構造

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媒介通貨(vehicle currency) • 金ドル交換性停止以降も、ドルが国際通貨であり続けているのは何故?⇒ドルが「媒介通貨」(vehicle currency)の地位を保ち続けたから。「ドル本位制」

とは、ドルが「為替媒介通貨」の地位を独占した国際通貨システムのことである。

• 民間レベルで国際通貨の支払手段の機能をはたすのが「媒介通貨」である。媒介通貨は、第一に、企業レベルでの国際決済、すなわち貿易取引における媒介通貨(貿易媒介通貨)機能と、第二に、銀行レベルでの国際決済、すなわち銀行間外国為替市場での媒介通貨(為替媒介通貨)機能に分けられる。

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ドル本位制の構造 •「金ドル交換停止」や「プラザ合意」によるドル安以降も、ドルが国際通貨であり続けている⇒ドルが媒介通貨(vehicle currency)の地位を保持。

•いまN個の通貨があり、N個の通貨それぞれに全て外国為替市場が存在すると、市場はN(N-1)/2必要となる。

•しかし、もし全ての通貨がある単一の媒介通貨(ドル)のみと取引されているとすると、市場の数はN-1に減り、大幅に資源が節約される。

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外国為替市場の構造

ドル

バーツ ウォン

ポンド

n(n-1)/2=5*4/2=10

ドル

バーツ ウォン

ポンド

n-1=4

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金ドル本位制の崩壊とドル本位制の構造

ドル

円 ポンド バーツ ウォン

金ドル本位制の崩壊

ドル

バーツ ウォン

ポンド

ドル本位制の構造

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ドル本位制の構造 •ある通貨がいったん媒介通貨として選択されると、当該国の経済的優位性が喪失した後も(IMF体制崩壊後も)、その通貨は媒介通貨としての機能を果たし続けるという経路依存性(path-dependency) が認められる。

•いったんドルの取引規模が一定のシェアを占めれば、みんながドルを使用するからドルを使用する方が便利であるというネットワーク外部性が働く。

•外国為替市場におけるドルの取引規模が大きければ、それだけドルの取引コストが低下するという規模の経済性が働き、取引コストが小さければそれだけドル建て取引が選好される収穫逓増のプロセスが生まれる。

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銀行の為替持高操作と媒介通貨 •為替持高操作:銀行は、為替リスクを回避するために、対顧客取引を通じて保有する様々な通貨建ての債権債務を、各通貨建てごとにスクウェアする。

•しかし、出会いが容易にとれないので、ロングまたはショートにある各通貨のネット・ポジションを、銀行間外国為替市場で特定通貨(為替媒介通貨)建ての債権債務に転換してスクウェア・ポジションを維持する。

•この「為替持高操作」行う場合、いかなる特定通貨が為替媒介通貨に選ばれるかは、その通貨の外国為替市場の「広さと深さ」、すなわち「出会いの容易さ」、具体的には手数料と為替リスクを反映した売買鞘に依存する。手数料は、規模の経済が働くので取引量に反比例し、為替リスクは、相場変動の大きさに比例する。

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英語と米ドル • 日本語を話せない中国人と、中国語を話せない日本人が、第三国言語である英語を媒介にして会話することにより、英語が国際語として通用しているのと全く同じロジック。

• 世界中の人間とコミュニケーションをするために、世界中の言語をマスターするには、膨大なコストがかかるが、世界中の人が英語だけをマスターしてコミュニケーションできれば、コストが大幅に削減される。

• 私たちが外国旅行に行くとき、ある程度必要な外貨を円と両替して持っていく。日本の銀行では様々な外貨を両替することができるが、銀行が全ての国の通貨を常に保有しているわけではない。例えある国に旅行するとき、銀行で当該国通貨と両替できない場合、ふつうはドルに両替した上で、現地でそのドルを当該国通貨に両替するはず。

• 日本円を持っていない中国人と、人民元を持っていない日本人が、第三国通貨であるドルを媒介にして取引を行う。

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プラザ合意後のドル本位制の浸食 • 少なくとも1986年までは、世界の主要市場においてほとんど100%に近い外国為替取引が、ドルを対価とする取引であった。ヨーロッパにおいてさえ、「ポンド/マルク」を交換する市場は存在せず、「ポンド/ドル/マルク」というように、ドルを媒介するシステムであった。

• しかし、プラザ合意以降、ドルを対価としない「クロス取引」(例えば「ポンド/マルク取引」)が徐々に増加している。最大の市場であるロンドンでは、クロス取引が増価したのと反比例して、ドルを対価とする取引は80%にまで低下した。クロス取引の中心は、マルクを対価とする取引であった。プラザ合意以降のドル安によって、ドルでポジションをとることより、価値が安定しているマルクでポジションをとることを選好したからである。こうして、1980年代後半以降、ドルにかわってマルクが媒介通貨としての機能を果たすようになった(「マルク本位制」)。

• 同じことがアジアでは起こらなかった。アジアの多くの国が、対ドルペッグ制を採用し、外貨準備をドルで持ち続けたことは、アジア通貨の一つの大きな要因であった。