コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦...

16
Japan Negotiation Journal Vol.17,No.12007研究論文 コンフリクト・マネジャーの役割 The Role of the Conflict Manager マネジメントコンサルタント 藤木 清次 FUJIKI, Kiyotsugu 交渉学は、交渉現象を研究対象とする学であり、その研究方法は、交渉の技術論 を超え、交渉現象の基底にひそむコンフリクトの存在を認識し、解釈学的交渉観にも とづいて研究しようとする態度が必要である。 本論は、コンフリクト事象を分析し、手段的交渉観の限界を示した上で、コンフリクト ・マネジメント(対立管理)の重要性を検討する。また、本年(2006年)4月1日から施行 される「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」(ADR促進法)の紹介を通 して、コンフリクト・マネジメントの担い手が拡大されたことの意義を述べ、コンフリクト・ マネジメントを担う、コンフリクト・マネジャーの役割を考察するものである。 キーワード: 解釈学的交渉観、コンフリクト、いじめ・ハラスメント、 ADR促進法、 コンフリクト・マネジメント 1.はじめに 学問とは、学び問い、問い学ぶ、ことである。問題は、何を学び、何を問う、かである。 もとより、何を学び、何を問うかは、百人百様であり、研究者の世界観の問題でもある。 さて、しかしながら交渉学は、交渉現象を研究対象とする学であるといえる。 交渉現象は、夫婦関係、親と子の関係、子どもどうしの関係、地域関係、学校関係、 職場関係、業界関係、国際関係など、およそ人間関係が存在し、コンフリクトが存在 するところでは、何処でも見られる現象である。それだけに、交渉現象の何を問うかが 重要な課題となる。そのわけは、これまでの交渉現象の研究のあり方が、研究者の世 界観に応じて、次の3つに分類することができるからである。 第1の研究態度は、交渉現象を表面的に研究する立場である。 この立場は、日常的な交渉現象の諸事実をあれやこれやと取り出してみるだけであ

Upload: others

Post on 08-Jul-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

Japan Negotiation Journal Vol.17,No.1(2007)

研究論文

コンフリクト・マネジャーの役割The Role of the Conflict Manager

マネジメントコンサルタント 藤木 清次

FUJIKI, Kiyotsugu

要 旨

交渉学は、交渉現象を研究対象とする学であり、その研究方法は、交渉の技術論

を超え、交渉現象の基底にひそむコンフリクトの存在を認識し、解釈学的交渉観にも

とづいて研究しようとする態度が必要である。

本論は、コンフリクト事象を分析し、手段的交渉観の限界を示した上で、コンフリクト

・マネジメント(対立管理)の重要性を検討する。また、本年(2006年)4月1日から施行

される「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」(ADR促進法)の紹介を通

して、コンフリクト・マネジメントの担い手が拡大されたことの意義を述べ、コンフリクト・

マネジメントを担う、コンフリクト・マネジャーの役割を考察するものである。

キーワード: 解釈学的交渉観、コンフリクト、いじめ・ハラスメント、 ADR促進法、

コンフリクト・マネジメント

1.はじめに

学問とは、学び問い、問い学ぶ、ことである。問題は、何を学び、何を問う、かである。

もとより、何を学び、何を問うかは、百人百様であり、研究者の世界観の問題でもある。

さて、しかしながら交渉学は、交渉現象を研究対象とする学であるといえる。

交渉現象は、夫婦関係、親と子の関係、子どもどうしの関係、地域関係、学校関係、

職場関係、業界関係、国際関係など、およそ人間関係が存在し、コンフリクトが存在

するところでは、何処でも見られる現象である。それだけに、交渉現象の何を問うかが

重要な課題となる。そのわけは、これまでの交渉現象の研究のあり方が、研究者の世

界観に応じて、次の3つに分類することができるからである。

第1の研究態度は、交渉現象を表面的に研究する立場である。

この立場は、日常的な交渉現象の諸事実をあれやこれやと取り出してみるだけであ

Page 2: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

る。個人的に体験した交渉事象とか、海外でのビジネス交渉の経験とか、顧客のクレ

ーム処理の体験などを整理して解説してみせるものなどが、そうである。交渉現象に

関する出版物をみると、この手の著書が多いのに驚かされる。この研究態度は、体験

的交渉観といえるもので、学術的な研究意欲は薄い研究態度であるといえる。

第2の研究態度は、交渉現象を技術的な実務として研究する立場である。

この立場は、交渉それ自体がもっている実用性に目をむけ、目的達成の手段として交

渉の技術的側面を取り上げ交渉の実用化を推進させようというものである。ここでは、

いかにして交渉を効率的に実行していくか、という実践的必要性に貢献しようという研

究の主体性があり、交渉を実践化する際の原理・原則が主張されることになる。本学

会の多数を占める研究態度であり、交渉の目的はWin-Win(勝-勝)で表現されている。

だが、このような研究態度は手段的交渉観といえるもので、交渉現象の本質を深く追

求するものではない。すなわちそれは、交渉を技術的な手段としてとらえるもので、結

局は、表面的な現象段階にとどまる研究態度であるといえる。〔注1〕

第3の研究態度は、交渉現象の実体であるコンフリクトを直視し、本質的に研究する

立場である。すなわち、交渉の表面的・技術的な現象面にとらわれることなく、交渉を

協働社会(集団生活)に存する対立をハーモニーへと転換していく管理活動としてと

らえ、その転換過程に内在する、話し合いの意味や解釈を目的的に取り上げるもので

ある。この研究態度は解釈学的交渉観〔注2〕

といえるもので、それは交渉の方法論を超

え、交渉現象の根底にあるコンフリクトの存在を直視し、解釈学的交渉観にもとづいて

研究しようとする態度でもある。ここでは交渉の目的はOK-OK(双方満足)で表現され

る。

ところで、著者は交渉について、本学会誌第13号(Vol.12.No.1/2002)で、次のよう

に定義している。「交渉とは、対立する当事者のあるべき姿を明確にし、それにもとづ

いて、利害の対立を合意にむけて統合していく過程、まさに、合意形成の統合過程で

ある」(29頁)と。その後、著者は合意形成の統合過程を、技術的な側面あるいは合意

形成能力の側面から考察してきたが、いずれも合意を目的としており、交渉が手段と

なっていることに気付いた。もとより合意を目的とすることが悪い訳ではない。そうでは

なくて、問題は利害の対立あるいは価値の対立という場合の対立の内容である。

対立といっても、わかりやすい例でいうと、関西人と関東人のどちらが交渉上手か、と

いうような、いわゆる勝-負を競うようなビジネス交渉と、モラル・ハラスメントのような、ハ

ラスメントを受けたOLと上司の、いわゆる被害者・加害者交渉とでは、次元が異なると

いう問題である。別言すると、関西の主婦と関東の主婦とが値引き交渉の競争をした

場合、どんな話し方をするかが課題となるが、しかし、OLと上司の、いわゆる被害者・

加害者交渉では、話し合いそのものが行なわれるか、どうかが、課題となる。そして、

OLと上司が対話〔注3〕

をもつことができれば、自分の意見をわかりやすく伝えること、相

Page 3: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

手の話を傾聴すること、相手の意見を正しく解釈すること、などを通して、相手を理解

する柔軟な心が芽生え、その結果、解決への糸口が見つかるのである。したがって、

あらかじめゴールと「BATNA」を定め、ゴールを達成するために駆け引きと説得を行な

う手段的交渉は、OLと上司のいわゆる被害者・加害者交渉では避けなければならな

い。しかして著者は、第3の研究態度こそ、交渉学が平和でハーモニーの共生社会へ

向かって貢献できる学問であると思える。それだけに、交渉研究は、コンフリクトを科

学的に研究しなければならないし、また、社会科学に関わる学際的な基本的諸概念

を借用して、コンフリクト事象を考察していくことが必要となる。

本論は、コンフリクト・マネジャーの役割を考察するものである。まずはじめに交渉現

象の研究のあり方について、交渉を手段として理解し、交渉をその表面的な事象だけ

でとらえる研究態度ではなく、交渉現象を規定するコンフリクトを直視したうえで、話し

合うことの意味や解釈を問題とする解釈学的交渉観の必要性を提起した。ついで、コ

ンフリクトの代表的な事例として、セクシャル・ハラスメントを検討したうえで、本年4月1

日から施行される「裁判外紛争解決の促進に関する法律」(ADR促進法)及び同法に

定めるADR認証制度が、交渉現象に対する、ものの見方・考え方、そして、変え方、

すなわち交渉観に大きく関わるものであることを確認する。そうして、協働社会におけ

る、コンフリクト・マネジャーの役割を探求するものである。

2.コンフリクト事象

コンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

い、戦闘、紛争、などと訳されている。〔注4〕そして、コンフリクトは、各人ごとが抱える葛

藤などの個人のコンフリクト。組織の中において抱える部門間、経営者と社員という階

層間のあつれきなどの組織のコンフリクトや、組織と組織の間で生じる対立・不一致な

どの組織間のコンフリクトなどに区分されている。

また、コンフリクトのレベルにも、ビジネス交渉のように、いまだ顕在化していないレベ

ル。意見の対立、不一致が顕在化し、コンフリクトが当事者に意識化されるようになっ

たレベルがある。さらに、コンフリクトが激化し、紛争、衝突にいたるレベル、等に分類

される。〔注5〕ただし、分類されるとは言っても、それは動的分類であり、流動的なものと

して把握しなければならない。たとえば、経営者と社員という階層間のあつれきなどの

組織のコンフリクトの場合、経営者は、社員の貢献意欲を引き出すためにさまざまな

人事政策を実施することになるが、通常それは、社員の能力や組織文化にもとづいて、

行なわれることになる。しかし、旧来の仕事のやり方を変えようとすると、そこには、そ

れまで慣れ親しんできた仕事の仕方を変えさせられる側の社員の心に反発心が芽生

えることとなる。そこに、もし、経営者や上司の不用意な言動や米国流の急激な組織

改革が行なわれたりすると、職場のコンフリクトは一気に激化することになる。したがっ

て、コンフリクトもビジネス交渉などのように、いまだ顕在化していないレベルを研究対

象とするのか、コンフリクトが顕在化したレベルを研究対象とするのか、コンフリクトが

Page 4: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

激化したレベルを研究対象とするのか、また、過去に発生した紛争・対立を現在にお

いて解決することを目指すのか、あるいは、過去に発生した紛争・対立を将来にむか

って解決することを目指すのか、によっても、交渉現象の研究方向は大きく異なってく

るといえる。本論では、コンフリクトが顕在化したレベルを研究対象とし、コンフリクト・マ

ネジメントの視点から検討する。〔注6〕

さて、国際労働機関(ILO)は2006年6月14日、世界的に職場のいじめが増加して

いるとの報告書を公表した。〔注7〕新聞報道によると、欧州連合(EU)25カ国では、職場

での精神的な嫌がらせやセクシャル・ハラスメント被害者が年間1500万人に達してい

るという。また、日本でも民事上の労働紛争相談件数のうち、いじめや嫌がらせの申し

立ては、2002年度の32000件が、2003年度の上期では51444件に急増していると報じ

ている。これらの中には、暴行、傷害、脅迫などの違法行為のレベルから、加害者に

は意図はないものの被害者の業務遂行能力が低下しているもの、もしくは、被害者が

いじめや嫌がらせと誤解しているものまでも、含まれていることが推察される。

わが国では、上司が部下に職権などを利用して、職場で嫌がらせの言動を繰り返

すいわゆるパワー・ハラスメント(パワ・ハラ)と表現されることが多いが、法的規制があ

るわけではない。他方、諸外国では、スウェーデン(1993年)、フランス、ベルギー、カ

ナダのケベック州(いずれも2002年)などで、職場のいじめ・嫌がらせを規制する法律

を制定している。フランスでは労働法典SECTIONⅤⅢにハラスメントと表記され、L122

-46がセクシャル・ハラスメント、L122-49がモラル・ハラスメントを規定している。

職場のいじめ・嫌がらせは、1990年代当初は、アメリカ、ヨーロッパ諸国で、モビング

(mobbing)と呼称されていたものであるが、フランスの精神科医マリー=フランス・イル

ゴンスが、職場で人格や人間の尊厳を傷つける精神的な暴力のことを、モラル・ハラス

メント(モラ・ハラ)と定義した。しかし、パワ・ハラあるいはモラ・ハラといっても、かなら

ずしも明確な定義があるわけではないし、現在、自殺やうつ病などに至らなければ、

職場のいじめ・嫌がらせを、直接、裁判に訴えることも、わが国ではまだ少ない。それ

に加え、職場のいじめ・嫌がらせが提起された場合でも、不法行為責任(民法709条)

や使用者責任(民法715条)、債務不履行責任(民法415条)の有無をめぐって争われる

ことになる。そこで、本論ではコンフリクト事象として、すでに裁判で認定されているセ

クシャル・ハラスメントの事例を取り上げて検討することにする。

セクシャル・ハラスメント

セクシャル・ハラスメントとは、「職場において行われる性的な言動に対するその雇

用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当

該性的な言動により当該労働者の就業環境が害される」(「雇用の分野における男女

の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」第11条1項)のことである。

一般的には、女性労働者の対応により、労働条件に不利益をうける「対価型」と、ヌー

Page 5: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

ドポスターの掲示などによって女性労働者の就業環境が害される「環境型」とに分類

されている。今日、セクシャル・ハラスメントは、例えば、「北米トヨタ社長が元女性秘書

に行なったセク・ハラ事件」、「厚生労働省職業安定局の男性職員が女性職員にヒゲ

を抜かしたセク・ハラ事件」、「フジテレビの管理職が女性派遣社員によるセク・ハラ事

件」など、新聞でも連日のように大きく報道されている。では、セク・ハラをおこす人は、

特別な人間であろうか。長年、セク・ハラの相談に携わってきた金子雅臣は、セク・ハ

ラの加害者(通常は男性)が、けして特別な人間などではなく、むしろ「仕事のできる

人」、「家庭を大切にする人」、「普通の人」であることを指摘している。〔注8〕つまり、セク・

ハラ問題は、単に、男性側の問題、女性側の問題としてとらえるのではなく、協働関係

における男・女の就業関係のあり方が、いま大きく見直されていることを物語っている

のである。それだけに、男・女間のコンフリクトが顕在化しやすいのである。

次に、わが国においてセク・ハラ裁判のリーディングケースとなった福岡地方裁判

所平成4年4月16日判決「福岡セクシャル・ハラスメント事件」を検討したい。

事件の概要はこうである。原告女性(昭和32年生れ)は昭和60年12月に被告会社に

アルバイトとして入社(会社の業務は、編集長、営業担当、制作担当の社員3名とアル

バイト学生とによって遂行されていた。)し、翌年1月には正社員となり、編集長(被告:

男性)の下で取材、執筆、編集に従事していたが、次第に中心的な役割を担うように

なった。同年11月に編集長が入院したこともあって、出向してきた係長と原告女性社

員との間で業務方針が決まることが多くなった。こうした中で、昭和61年6月頃から編

集長が会社内外の関係者に対して、原告女性社員の異性関係を中心とした私生活

に関する非難の発言を行なった。その後、昭和62年6月には、経営建て直しのために

事実上の最高責任者として専務が入社し、係長は出向元に戻った。専務は会社の運

営を改めて、専務と編集長との間で業務方針を決定することにした。同年12月、編集

長が原告女性社員に転職を勧めたことから両者の関係は悪化し、両者の対立により、

会社の業績に支障を来すようになった。そこで、専務は会社の代表者の指示に従っ

て、昭和63年5月24日、専務は、まず原告女性社員を呼び出し、編集長との話し合い

がつかなければ退職してもらう旨を話したところ、原告女性社員が退職の意思を表明

したので、つぎに面談した編集長には、原告女性社員が退職する旨を告げ、3日間の

自宅謹慎を命じた。

判決を要約すると、原告(被害者女性社員)が主張した編集長(被告)による性的中傷

や噂の流布に関して15事実のうち、12事実を認定して、編集長の行為は、対立関係

の解決あるいは相手方を放逐する手段ないし方途として用いたという点で、不法行為

が成立するとした。また、編集長の行為は会社の業務に関連して行なわれたものであ

り、会社(被告会社)は使用者として共同して不法行為責任を負うとした。専務らの行

為も職場環境を調整する義務を怠り、主として女性である原告の譲歩、犠牲において

職場環境を調整しようとした点にも不法行為がみられる、としたうえで「働く女性にとっ

て異性関係や性的関係をめぐる私生活上の性向についての噂や悪評を流布されるこ

Page 6: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

とは、その職場において異端視され、精神的負担となり、心情の不安定ひいては勤労

意欲の低下をもたらし、果ては職を失うに至るという結果を招来させるものであって、

本件もこれに似た経緯にあり、原告は生きがいを感じて打ち込んでいた職場を失った

こと、本件の被侵害利益が女性としての尊厳や性的平等につながる人格権に関わる

ものであることなどに鑑みると、その違法性の程度は軽視し得るものではなく、原告が

被告らの行為により被った精神的苦痛は相当なものであったと窺われる」(労働判例6

07号23頁)と判示した。ただし「原告も、被告乙津から退職要求を受けた後、立腹して、

被告乙津等に原告及び原告との交際があるとされた関係者に謝罪することを強く求

め、また、ことごとに対決姿勢を堅持し、被告乙津と冷静に協議していく姿勢に欠ける

ところがあったこと、さらには、相互の能力をかれこれ対比して、被告会社内における

編集業務における主導的地位をめぐって係争する姿勢を保持するなど、被告乙津に

対するライバル意識を強く持ち、アルバイト学生や被告会社関係者を巻き込むなどし

て自ら派閥的な行動をとり、時には逆に被告乙津に対して攻撃的な行動に出るに及

んだことなどが、両者の対立を激化させる一端となったことも認められ、また、原告の

異性関係についてその一部は原告自ら他人に話したことも認められる。」(同24頁)と

して、損害賠償金165万円を被告(編集長)及び被告会社が連帯して支払うよう命じた。

著者は、著者が参加する社団法人日本経営士会東京経営支援センター経営士A

DR委員会主催「コンフリクト・マネジャー定例研修会」において、本事件を題材として

取り上げ、裁判官が認定した事実にもとづいて、判例批評ではなく、コンフリクトマネジ

メントの視点から組織の対立管理、すなわち、両者の対立を激化させない方法はなか

ったのか、を検討した。意見はいろいろと出されたが、結局、経営建て直しのために入

社した専務がポイントになることで意見は集約された。すなわち、被告編集長と原告

女性社員が協議しても、両者ともライバル意識を強く持って交渉しており、いずれも相

手方に自分の影響力を与えようと様々な方策を立案して交渉している。そして、双方

とも相手より優位に立つための梃子を求めて競い合いー裁判官が認定したように原

告女性社員のアルバイト学生や被告会社関係者を巻き込むなどして自ら派閥的な行

動をとり、時には逆に被告乙津に対して攻撃的な行動に出るに及んだ行為が、そうで

あり、コンフリクトは激化していったのである。これでは当事者間に真の対話が生れる

はずもなく、ここに当事者間で行なわれる手段的交渉の限界がある。

そこで、次なる課題は、手段的交渉の限界を突破し、どのようにして関係を修復し

ていくか、である。そのひとつが、第三者による調整・調停である。だが、ここでも、第

三者であるべき専務が目的達成の手段として調整・調停を認識し、政策を効率的に

実行していくことを主眼にしていたことが窺われる。本事件では、手段としてとらえた調

整・調停によって失敗に終わったが、もし、専務が、当事者間で話し合うこと、まずそ

のことを目的的に調整・調停を行なっていたならば、それは本事件とは異なった解決

プロセスとなっていたと思える。少なくとも裁判で争うというような不幸な事態は避けえ

Page 7: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

たと思えるのだが如何であろうか。ともあれ、専務はコンフリクト・マネジメントの重要性

を認識していなかったし、管理者としての職責を果たさなかったことは事実である。〔注9〕

3,ADR促進法

平成16年12月1日法律第151号として成立した「裁判外紛争解決手続の利用の促

進に関する法律」(ADR促進法、以下ADR促進法という。)〔注10〕

が本年(2007年)4月1

日より施行される。また、同法に定めるADR認証制度も同時にスタートする。このADR

促進法は、コンフリクトの解決に影響をもたらすものであり、交渉学を研究するものに

は看過できない法律である。では、ADR促進法とは、どのような法律であろうか。

まず、ADR促進法の目的からみることにする。同法第1条は、「この法律は、内外の

社会経済情勢の変化に伴い、裁判外紛争解決手続(訴訟手続によらずに民事上の

紛争の解決をしょうとする紛争の当事者のため、公正な第三者が関与して、その解決

を図る手続をいう。以下同じ。)が、第三者の専門的な知見を反映して紛争の実情に

即した迅速な解決を図る手続として重要なものとなっていることにかんがみ、裁判外

紛争解決手続についての基本理念及び国等の責務を定めるとともに、民間紛争解決

手続の業務に関し、認証の制度を設け、併せて時効の中断等に係る特例を定めてそ

の利便の向上を図ること等により、紛争の当事者がその解決を図るのにふさわしい手

続を選択することを容易にし、もって国民の権利利益の適切な実現に資することを目

的とする。」と本法律の目的を定めている。文章は少し長いが、文意はわかりやすいも

のである。

さて、そもそもADR促進法は平成11年7月、司法制度改革審議会が内閣に設置さ

れたことに始まる。この司法制度改革は、大きな政府から小さな政府への政策転換の

一環として設けられたものであり、そのねらいは「事前規制・調整型の社会」から、「事

後チェツク・救済型の社会」への社会づくりにある。言い換えると、自己責任型社会へ

の体制づくりである。自己責任型社会をひと言でいえば、市場競争原理にもとづき、

競争に勝のも、負けるのも、(そして騙されるのも)個人の自己責任としてとらえ、その

ための自助努力を促し、それを正義とする社会である。

司法制度改革では、法教育の普及・発展に基づきながら「国民に身近で、速くて、頼

りがいのある司法」の実現をめざして、3つの柱を掲げる。①国民の期待に応える司法

制度の構築、②司法制度を支える法曹の在り方の改革、③国民的基盤の確立(国民

の司法参加)である。

①の国民の期待に応える司法制度の構築とは、「国民が容易に司法にアクセスするこ

とができ、多様なニーズに応じ、充実・迅速かつ実効的な司法救済を得られるような民

事司法制度をめざ」すことであり、具体的には、民事裁判の迅速化として2年以内に

第一審の裁判を終わらせること、労働審判制度の導入、家庭裁判所・簡易裁判所の

機能の強化、そして、ADR促進法の整備、等である。また、②の司法制度を支える法

曹の在り方の改革は、法科大学院にみられる法曹人口の拡大、等である。③の国民

Page 8: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

的基盤の確立(国民の司法参加)の改革は、平成21年までに実施される裁判員制度

の導入である。〔注11〕

ADR促進法は、国民の期待に応える司法制度の構築のひとつとして制定されたも

のである。制定に際しては、現在、ADRが存在しているにもかかわらず、その意義が

国民に充分、理解されていないことや民間ADRの情報が不足し利用に不安感がある

ことなどから、これを払拭すること。また、現状では、ADRを推進するにあたって、専門

家の関与に弁護士法の制約があること。時効中断効果がない、等の制度上の制約を

どうするかが課題となった。この課題を踏まえて、ADR促進法が制定されたのである。

したがってADR促進法の特徴は、従来から行なわれていた、いわゆる裁判手続として

調停・和解などの司法型、それに行政型に加え、民間事業者へADRを解放したことで

ある。また、紛争解決手続の内容として、仲裁、調停・あっせん・相談までもが視野に

入ったことである。そこで、ADR促進法では、ADR認証制度の運用が、大きな意味をも

つことになる。

同認証制度はADR促進法第5条で「民間紛争解決手続を業として行なう者(法人でな

い団体で代表者又は管理人の定めのあるものを含む。)は、その業務について、法務

大臣の認証を受けることができる。」と定め、第6条(認証の基準)、第7条(欠格事由)、

第8条(認証の申請)、第9条(説明義務)、第14条(暴力団員等の使用の禁止)、第15

条(手続実施記録の作成及び保存)、等を定めている。

では、法務大臣の認証を受けると、どのような効果があるのか。それは、時効の中断、

訴訟手続の中止等の特別の効果が与えられることである。また、弁護士法72条の例

外として弁護士又は弁護士法人でなくとも報酬を得て、ミディエーションなどを行なうこ

とが可能となったこと、である。

今後、ADR促進法は、さまざまなところで活用されることが期待されている。たとえば、

厚生労働省は、医療事故で患者が死亡した場合、原因究明のための第三者機関を

設置するとともに、仲裁や調停などの方法で、医療紛争を解決する医療版ADRの試

案をまとめているという。

また、ISO(International Organization for Sttandadization:国際標準化機構)でもAD

Rが組み込まれることが決定されている。ISOは品質の国際規格として、わが国でも、

品質マネジメントシステムのISO9000ファミリー、環境マネジメントシステムのISO14000

ファミリー、等は広く知られている。このISO規格にADRが組み込まれたのが、「品質マ

ネジメント一顧客満足一行動規範に関する指針(ISO10001)」、「品質マネジメント一

顧客満足一内部苦情処理に関する指針(ISO10002)」、「品質マネジメント一顧客満

足一外部紛争解決に関する指針(EDR)(ISO10003)」である。現在、わが国は、環境

管理の国際規格ISO14001の認証取得件数が世界で一番多いといわれる。それだけ

に、ADR規格ISOの普及を通して、ADRが企業、病院・福祉施設、学校、行政機関、

非営利組織などのあらゆる組織へと拡がっていくものと思える。

Page 9: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

4.コンフリクト・マネジャーの役割

コンフリクト事象の解決は、これまで、主として法律家の手に委ねられてきた。法律

家以外の者が、コンフリクト事象に口を挟むと、それはいわゆる「法律事務の取り扱い、

又はこれらの周旋を業とすること」(弁護士法第72条)と紛らわしくなり、いわゆる事件

屋といわれ疎まれてきた。では、このような法的解決法の優越性は、どのようにして育

まれたのか。日本人の法意識を検討した故川島武宜の名著「日本人の法意識」(以下、

川島(1969)という。)の再読を通して探ってみたい。

川島(1969)は、問題をこのように設定して始まる。「明治政府は、一方では、資本制

的な生産様式の促進に努力しつつ、同時に他方では、徳川時代以来の遅れた生産

様式を広汎に残存させ、それを利用し、それの犠牲において、資本主義を発展

させた、ということは今日誰もが知るとおりである。」とし、「西ヨーロッパの先進資本主

義国家ないし近代国家の法典にならって作られた明治の近代法典の壮大な体系と、

現実の国民の生活とのあいだには、大きなずれがあった。そのずれは、具体的にどの、、 、、

ようなものであったのか、そのずれは、その後の日本の近代化ないし資本主義の発展、、

によってどのように変形したか。」(傍点は川島)と。つまり、前近代的法意識と近代的

法意識の役割について検討した上で、「要するに、人々は、よりつよく権利を意識し、

これを主張するようになるであろう。そうして、その手段として、より頻繁に、訴訟=裁

判という制度を利用するようになるであろう。人々は、個人と個人との関係のみならず、

個人と政府との関係をも、法的な一法という規準にしたがって判断される明確且つ固

定的な一関係として意識するようになるであろう。」〔注12〕

として、封建的(前近代的)な法

意識の克服として近代的法意識の定着を期待したのである。そしてこの思想が法的

解決法の優越性を育んできた要因のひとつであった。

さて、川島(1969)が書かれてすでに40年が過ぎた。その後、日本人の封建的な法

意識は、大きく変化したようにも見える。だが、佐藤憲一専任講師は、次のように述べ

ている。「『ザ・ジャッジ』や『行列のできる法律相談所』といったテレビ番組」を取り上げ

ながら「この近代主義的なプロジェクトが遂行されている限り、人々が法とは無縁の日

常生活を送っていることは、治療を要する疾患として十分に位置づけられるのであっ

て、決して理解を超えた奇妙な事態とみなされるものでない。しかし、このプロジェクト

は現在放棄され、近代主義的な言説は建前としては未だ有効であり続けているにも

かかわらず、人々が法を意識することなく人生の大半を過ごしていることは、理論的に

も実践的にも重大な問題として取り上げられることなく、当たり前の風景として受け取ら

れているのである。」〔注13〕

また、馬場建一教授は「川島が近代法の日本への定着が近

代市民社会の確立と同値であると位置づけられ、それゆえ自由や人権、主体的個人

の確立・尊重、理性と人間性の重視といった近代市民社会の諸理念を日本社会に根

づかせることに等しいことと捉えられたからに他ならない。」とし「憧憬とともに参照され

た西欧先進国も、その実体が知られるとともに是々非々で論じられるようにな」った現

Page 10: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

在、「日本人の法観念や法文化、契約慣行も一概に否定の対象とするばかりでなく、

それなりに評価すべきものを含むとしたら、ことさらその否定面ばかりを強調するのは

一面的ではないか。西欧と日本のそれぞれの長所の取入れと調和をこそ目指すべき

ではないか。」〔注14〕

と問題提起を行なっている。

思うに、法的解決法の優越性を育んできたもの、それは結局、近代化への憧憬で

あり、法の支配にもとづいて行なわれる近代市民社会の定着だったといえる。だが、

西欧の制度が進んでいると思われたものの、現実の姿が伝わるとともに憧憬は色あせ、

むしろ今日では、修復的司法の考え方〔注15〕に見られるように、犯罪の次元を人対人、

人対コミュニティの次元でとらえ、ハーモニーの回復をめざす、先住民族の紛争解決

方式が見直されているのである。〔注16〕

しかして、コンフリクト事象の解決も、非法的領域

は、〔注18〕

非法律家の手に委ねられ解決されることが重要になってきているといえる。

ところで、故ピーター・ドラッカー教授は「経営学の神様」、「マネジメントを発明した

人」と言われる。それに対して教授は、インタビューでこう語っている。「では発明した

のはだれか? 私ならメアリー・パーカー・フォレットかアルビン・ドットのどちらかと答

える」〔注18〕

と。では、ケース・ワーカーであったフォレット女史が、なぜ、マネジメントを発

明した人といわれるのか。それは、フォレット女史が各産業で働く婦人や未成年者に

規準賃金決定問題の調停委員会の委員に選任され、〔注19〕

その体験から、コンフリクト

を建設的に解決する方法として統合という概念を提唱したからに他ならない。そしてそ

れは、フォレット女史が所属していた「テイラー協会」を通して、科学的管理を提唱した

フレデリック・W・テイラーの社会哲学を承継したものでもあった。

では、F.W.テイラーの社会哲学とは、どのようなものであろうか。一般的にいえば、

今日、F.W.テイラーは3つの視点から理解されている。最初の著書「工場管理法」に

よるテイラー・システムとしての理解、2番目の著書「科学的管理法の原則」によるテイ

ラーリズムとしての理解、そして「議会における科学的管理特別委員会におけるテイラ

ー証言」によるフイロソフィーとしての理解、である。

多くの人は、F.W.テイラーの最初の著書にもとづいて、作業の科学化に終ったとして

古典派管理論に分類している。だが、そう解してよいものであろうか。

F.W.テイラーは、当時、主流であった生産現場の能率向上を目指す能率増進運動と

一線を画していたが、その理由は、科学的管理が能率増進運動と異なるものであるこ

と。そして、19世紀初頭、米国において全国的な課題であった怠業を解決する、もの

の見方、考え方、そして、変え方を提案したものであったからである。

F.W.テイラーは「議会における科学的管理特別委員会におけるテイラー証言」で、こ

う述べている。「科学的管理法わ能率のシカケでわない。能率をますためのあるシカ

ケでもない。またわそういうシカケの一群をさしていうのでもない。・・・しからば科学的

管理法の本質わ何であるか、それわ個個の仕事に従事している工員側に、根本的の

Page 11: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

精神革命を起すことである。工員がその仕事に対し、その仲間に対し、その使用者に

対し、自分の義務について、テッテイした精神的革命を起すことである。同時に管理

者側に属する職長、工場長、事業の持主、重役会なども、同じ管理側に属する仲間

に対し、工員に対し、日日の問題のすべてに対し、自分の義務について、テッテイし

た精神的革命をおこすことである。この大きな精神革命コソわ、科学的管理法の本質

である。」「戦いにかえるに平和を以てすること、争いにかえるに、兄弟のような心から

の協働を以てすること、反対の方向に足を引っぱらずに同じ方向にひっぱること、疑

いの眼を以て監視する代りに、相互に信頼しあうこと、敵にならずに友だちになること

が必要である。」(原文のまま)〔注20〕と。すなわち、科学的管理とは〈対立からハーモニ

ーへ〉、〈経験から科学へ〉の〈精神革命〉である。そして、対立からハーモニーへが科

学的管理の第一命題であり、経験から科学へ、すなわち業績向上を図ることが第二

命題となる。〔注21〕

加えて、重要なことは、科学的管理は第一命題と第二命題とを同時

に達成することである。それゆえ、F.W.テイラーは、第二命題だけの達成をめざした

能率増進運動とは一線を画したのである。

F.W.テイラーは、繰り返して言う。第一命題と第二命題とを同時に達成しないもの

は科学的管理ではない、と。ここで私は、テイラーのいう第一命題と第二命題とを同時

に達成した経営者として、ロバート・オーエンを紹介したい。

オーエンは、テイラーが生れる以前の産業革命の時代に活躍した経営者(綿糸紡績

王)である。自叙伝によれば、オーエンがスコットランドの紡績会社ニュー・ラナックの

総支配人兼合資者になったのは28歳の時であった。当時のニュー・ラナックは「一家

を構えて村に居住している約千三百人と、教区からえた五百の貧しい子供たちとから

成り立っていた。」後進地域であった。「そこで私は決心した、まずデール氏と諸教区

との間に結ばれた小児の雇用契約は廃棄すべきこと、このうえさらに貧乏人の子供を

入れさせないこと、村の家屋や道路は改良させ、貧乏人の子供の代りに新たな家族を

迎えるために、新しい・より善い家居を建てること、また、工場の内部は模様変えをし、、、

旧式機械は新式のに代えること、を。しかしこれらの変化は、段々になさるべきで、し

かも工場が儲からねばできぬことであった。」(原文のまま)。〔注22〕

つまり、テイラーのい

う第一命題と第二命題を同時に達成した先覚者のひとりが、ロバート・オーエンであっ

た。そして、この同時達成という課題は、今日もなお、その輝きを失ってはいない。たと

えば、ライブ・ドア事件、耐震偽装事件などのさまざまな不祥事は、経営者・管理者が

第二命題のみを追求した結果である。第一命題と第二命題の同時達成は、現在では、

コーポレート・ガバナンスとしても重要である。とまれ、M.P.フォレット女史は第一命題

に焦点をあて〈対立からハーモニーへ〉を統合といい、あわせて第一命題と第二命題

の同時達成をも統合という概念で表現したのである。〔注23〕

著者は現在、マネジメントコンサルタントを職業としているが、マネジメントコンサルタ

ントに求められるのは、「心からの協働」と「われわれの組織体に業績あげさせる」(P.

Page 12: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

F.ドラッカー『マネジネント-課題・責任・実践』1974、ダイヤモンド社、34頁)ことである。

それゆえ、第一命題と第二命題の同時達成をめざす統合の専門家が、マネジメントコ

ンサルタントである。言い換えると、統合とは和の協働体づくりである。そしてそれは、

組織を経営する経営者・管理者の本質的な課題である。ここにきて、私たちはようやく、

ドラッカー教授が、なぜ、M.P.フォレット女史をマネジメントを発明した人と言ったのか

が理解できるのである。

さて、マネジメントは、日本では管理と訳されているが、管理の対象は協働行為であ

る。そして、協働行為は、太古の昔より今日まで続いているものである。別言すると、

協働行為の存するところ必ず、マネジメント(管理)の機能があったといえる。すなわち、

太古より人々は協働して、自然と闘い、自然に対峙し、人工的に創りあげてきたのが

人間社会である。思うに、自然は自然法則にもとづいて運動しているが、その運動が

人間社会に悪い影響をもたらす時、人々はそれを災害といい、良い影響をもたらす時、

人々はその景観を楽しみ味わうという。それゆえ、災害から多数の人々を守り、多数の

人々の努力をひとつの方向へとまとめ事業を達成していくマネジメント(管理)の役割

は大きい。

私たちは知らなければならない。私たちが生活している社会が、いかに形成されて

きたかを。また、私たちは知らなければならない。私たちが生活している社会が、いか

にマネジメント(管理)されるべきかを。そして、社会の一つ一つの単位組織が、私た

ちが具体的に所属する協働体であることを。企業、病院・福祉施設、学校、行政機関、

非営利組織など、あらゆる経営体のあるべき姿について、F.W.テイラーは、〈対立か

らハーモニーへ〉、〈経験から科学へ〉への〈精神革命〉であると述べた。

ハーモニーとは、地域社会、顧客、株主、経営者、管理者、労働者などの利益を調和

させることである。そして、民族の違いや宗教の違いをも調和させていくことである。つ

まり、資本制社会の協働体であろうと、他の社会体制の協働体であろうとも、ハーモニ

ーをめざすのが、共同社会のめざす方向であり、協働体のマネジメント(管理)のある

べき姿である。それゆえ、F.W.テイラーの科学的管理に立脚するマネジメントは、規

範であり、倫理であり、社会哲学である。

今日、〈対立からハーモニーへ〉は、統合という概念が、〈経験から科学へ〉は、機能

という概念が使用されている。統合と機能が、マネジメントの2大原則である。

機能は、P.F.ドラッカーのいうマーケティングとイノベーションに集約される。統合は、

M.P.フォレット女史が述べたように、コンフリクトを建設的に管理し、解決する方法、す

なわちコンフリクト・マネジメントである。

コンフリクト・マネジメントは、経営者・管理者の職務であるがしかし、対立が当事者間

の交渉や調停では、なかなかまとまらないときに、公平・公正な第三者の力が必要とな

る。とりわけ、組織内でミディエーションを行なう際、必要となるのが、教育・訓練を受け

Page 13: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

た中立の第三者、コンフリクト・マネジャーである。しかして、コンフリクト・マネジャーは、

マーケティングとイノベーション機能を理解したうえで、対立を建設的に統合化し、協

働体(組織)のあるべき姿を具現化する役割を担うことになる。つまり、統合と機能とい

う両方の理論と技法を習得しなければ、コンフリクト・マネジャーとはいえないのである。

だが、今日の経営学では、統合に関する教育・訓練は行われていないし、法律学・ミ

ディエーション論では、機能に関する教育・訓練は行われていない。コンフリクト・マネ

ジャーの教育・訓練は、いま、ようやく緒に就いたところである。

5.おわりに

ドイツでも、日本語の「Ijime」がそのまま引用され報道されている。〔注24〕

わが国は「Iji

me」でも先進国の仲間入りを果たしたようだが、いじめは子どもの間だけでなく、大人

の職場でも、パワー・ハラ、モラ・ハラ、セク・ハラとして存在している。では、いじめ・ハ

ラスメントに対して、私たちはどのように対応すればよいのか、登校拒否・職場拒否で

あろうか。それとも長いものには巻かれろ式の我慢であろうか。日本よりもいじめ対策

が進んでいる米国のソロー小学校スーザン・ビラーニ校長の次の言葉を紹介したい。

「人間社会では常にけんかやいじめがつきものです。その人間の集団生活の第一歩

に踏み込んだ1年生にまず教えなければならないのは、数学でも理科でもなく、まず

必ず起こりうるであろう暴力やいじめにどう対処し、どう身を守るかということです」。〔注25〕

いじめやハラスメントはあってはならないという建前論やいじめやハラスメントのない

社会を創るべきだという空想論ではなく、人間社会では、いじめやハラスメントはなくな

らないのだ、いつの時代でも存在するのだということを前提として、いじめやハラスメン

トなどを含む、さまざまなコンフリクトに対処する方法を身に付けることが社会人基礎力〔注26〕

のひとつだといえる。米国の小学校では、生徒自身でコンフリクトを解決するため、

コンフリクト・マネジャーを選任し、訓練を受けたうえで実践し効果を上げているという。

私たちが共同社会のなかで、ともに協働生活をしていくために、そして、企業、病院・

福祉施設、学校、行政機関、非営利組織など、あらゆる組織体が業績をあげていくた

めにも、コンフリクト・マネジャーを選任し、教育・訓練していくことは重要な課題になっ

てきたといえる。〔注27〕

ご批判、ご指摘をいただければ幸いです。

〔注記〕

1.守屋明(1995):『紛争処理の法理論』(悠々社)では「この過程においては、交渉の相手方とは、

一面で自己の目標実現のための手段であるにすぎない。つまり、当事者は、 それぞれに設定さ

れた目標達成に合目的的である限りで譲歩を行い、結果として合意形成へと至るとみなされる」

(46頁)。このように「目標達成の手段と位置づけられる」交渉観を著者は手段的交渉観と捉え、

交渉過程を目的的にとらえる交渉観とは、区別したいと思う。

2.解釈学とは、文字どおり物事の意味を理解することを考える学問である。読書、音楽、絵画など、

Page 14: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

私たちは日々、物事を「解釈」しながら生活しているといえるが、歴史的には聖書の神学的解釈、

法解釈学などによって発展してきた。著者は現在、ハンス=ゲオルク・ガダマーの「哲学的解釈

学」を学んでいるが、交渉現象の研究方法としても、哲学的解釈学にもとづいた研究方法と実

践が必要であると思えるので、解釈学的交渉学という呼称を使用して問題提起としたい。

丸山高司(1997):「ガダマー地平の融合」 (講談社)、ジョージア・ウオーンキー(2000)「ガダマ

ーの世界」(紀伊国屋書店)、ガダマー(2005)「真理と方法Ⅰ」(法政大学出版局)、同(1988)

「科学の時代における理性」(前掲)、同(2006)「健康の神秘」(前掲)同(1996)「ガーダマー自

伝」(未来社)、同(2001)「哲学・芸術・言語」(前掲)等。

3.金子晴勇(1976):「対話的思考」(創文社)は、「対話を『話してみればわかる』というふうに理解

して、コミュニケーションの手段と考えている人は多くいるが、対話そのものについてこれを尊

重し熟考する人は少ない。ここに一つの徴候として対話を何か別のものの手段とみなす考えが

ひそんでいるといえよう。これが進行してゆくと、自己の主張を他人に押しつけるために対話が

手段となって利用されることになり、目的のための手段、つまり利用価値にまでさがってしまう。

したがって、対話の技術を身につけてみても、対話をそれ自身の価値において学んでいない

と、対話は単に相手にうまく取りこみ、つけこんで、説得するという処世術になって、対話のな

かに生き働いている精神がなくなってしまう。重要なのは対話の技術ではなくて、対話的関係

のなかで他者に邂逅している人間、つまり対話的人間である。」(2-3頁)という。この考え方は

交渉過程でも必要であると思われる。

4.株式会社研究(2004):『研究社 新英和大辞典』(第6版第2刷)

5.コンフリクト・マトリックスについては、拙稿「コンフリクトと交渉学の位相」(日本交渉学会誌第1

4号/2003年、44頁)を参照。

6.コンフリクト・マネジメントについては、数家鉄治(2003):『ジェンダー・組織・制度』 (晃洋書

房)、数家鉄治(2005):『コンフリクト・マネジメント』(晃洋書房、2005年)、萩原良巳/坂本麻

衣子(2006):『コンフリクト・マネジメント』(勁草書房、2006年)。 数家教授は、M.P.フォレ

ットの視点からコンフリクト・マネジメントを研究されている数少ない研究者のお一人である。

本論も、数家教授の著書・論文よりご示教をいただいた。感謝申し上げる。

7.日本経済新聞2006年6月15日夕刊

8.金子雅臣(2006):『壊れる男たち』(岩波新書、157頁)

9.H・ミンツバーク:(2006)は現在のMBA教育批判した『MBAが会社を滅ぼす』 (日経BP

社)のなかで「望ましいのは、対人能力を備えたリーダーであって、アカデミックな学位をもつス

ペシャリストではない。」(32頁)と述べ、「大事なのはコントロールよりファシリテーション」である

という。そして「理想的な関与型マネジャーは、オフイスで部下と触れあい、専用のオフイスに

あまり引きこもらない。データーを読むだけでよしとせず直接の印象を大事にし、自分が話す

より他人の話に耳を傾け、椅子にどっかり腰掛けて頭で考えるのではなく実際に見て肌で感じ

ようとする。部下に権限を移譲するのではなく部下のやる気を換気し、管理するのではなく協

力し合う。こうした態度をとることにより、部下に主導権をもたせることを目指す。関与型のマネ

ジャーは、資源(人的資源含む)を組織内で分配することではなく、スタッフ同士の絆を強める

ことを自分の役目だと考える。」(348頁)ことだという。それはそのとおりだと思えるが、しかし

組織のコンフリクトの解決には、ファシリテーションではなく、コンフリクト・マネジメントの技術が

必要であると思える。

Page 15: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

10.ADRとは、Alternative Dispute Resolution の略である。一般的には、裁判の代替を指して、

裁判外紛争解決手続きと訳されているが、定訳があるわけではない。

前原宏一助教授は「そうした裁判の基礎にある『近代法的な紛争解決の枠組み』に対する代

替性をも意味すると考えるならば、ADRは新たな紛争解決の枠組みを求めるものであり、裁

判を超えた司法システム全体の再検討を迫るものである」と解釈している(細井洋子・西村春

男・樫村志郎・辰野文理編著(2006):『修復的司法の総合的研究』風間書房、61頁)。

11.内閣官房司法制度改革推進室・法務省作成パンフレット「司法制度改革」参照

12.川島武宜(1969):『日本人の法意識』(岩波新書、202-203頁)

13.佐藤憲一「ポスト・リーガリズムに向けて」:和田仁孝・樫村志郎・阿部昌樹編(2004)『法社会

学の可能性』(法律文化社、5-6頁)

14.馬場建一「訴訟回避傾向再考」:和田仁孝・樫村志郎・阿部昌樹編(2004)『前掲書』(138

頁)

15.修復的司法とは「償い」という手段を用いて事態を健全化する(to make things right, or to

put it right)ような司法の方式であり(初期には和解〈reconciliati-on〉という言葉も使われた

が、批判を受けた)、その際には被害者・加害者・家族・コミュニティ縁者などの関係当事者

の自発的な参加の下に自由に語り、聴き、各人のニーズの充足が個別妥当に図られる。被

疑者、加害者という2項対立は止揚される。日本式にいえば被害者と加害者が何とか「折り

合い」を付ける直接的営みであるといえる。以上、細井洋子・西村春男・樫村志郎・辰野文

理編著(2006): 『前掲書』 (風間書房、ⅱ頁)より。

16.河合幹雄「修復的司法」:和田仁孝・樫村志郎・阿部昌樹編(2004)『前掲書』 (327頁)。

また、ヨハン・ガルトゥング(2005)「平和を創る発想術」(岩波ブックレス)では、ホーポノポノ

(ho´o ponopono)というポルネシアと呼ばれる地域で用いられている和解方式を紹介してい

る。井上孝代(2005)「あの人と和解するー仲直りの心理学」(集英社新書)でもホーポノポノ

を紹介している。

17.非法の概念は、北村一郎「〈非法〉(non-droit)の仮説をめぐって」:(中川良延他編集委員

(1996)『日本民法学の形成と課題』(有斐閣)、星野英一編(1994): 『隣人訴訟と法の役

割』(有斐閣)などを参照。

18.ピーター・ドラッカー(2005):『ドラッカー20世紀を生きてー私の履歴書ー』 (日本経済新聞

社、130頁)

19.三戸公・榎本世彦(1991):『経営学ー人と学説ーフォレット』(同文館)

20.上野陽一郎(1957):『科学的管理法』産業能率短期大学、329頁)

21.三戸公(2002):『管理とは何か』(文眞堂)

テイラーの科学的管理を技術レベル、理論レベル、規範・思想レベルにおいて把握されるの

は、碩学 三戸 公先生である。三戸先生のご健勝を祈念いたします。

22.ロバート・オウエン(1979):『オウエン自叙伝』(岩波文庫、117頁)他に、土方直史 (2003):

『ロバート・オウエン』(研究社)、ダニエル・A・レン(2003):『マネジメント思想の進化』(文眞

堂)などを参照。

23.メアリ・パーカー・フレット(1997):『組織行動の原理』(未来社)

「企業管理・産業組織の第一の評価基準は次のようなものでなければならないように思える。

つまり、その企業を構成するいろいろの部分全部がうまく整合される(co-ordinated)、すなわ

Page 16: コンフリクト・マネジャーの役割keieif.justhpbs.jp/0114.pdfコンフリクト(conflict)とは、衝突、対立、不一致、両立しないこと、葛藤、闘争、戦

ち、各部分の活動が互いに密接に繋がり、また互いに調整し合いながら全部一緒になって

動き、しかも各部分が互いに結び合いかみ合い関係し合ってひとつの働く単位体となってい

るかどうか、ということである。すなわち、それは個々の部分の寄せ集めでなく、私がそのように

称して来た機能的全体ないし統合的統一体であるかどうか、ということである。」(101-102頁)

24.朝日新聞2006年11月25日

25.原田健男(2004):『いじめがあったらこうしよう』(新風社、51頁)

26.社会人基礎力とは、経済産業省(2006):「新経済成長戦略」(経済産業調査会)で用いられ

た言葉である。社会人基礎力は、3つの能力・12の能力要素で構成されている。

経済産業省経済産業局産業人材参事官室 守本憲弘室長は、3つの能力について、前に

踏み出す力(アクション)、考え抜く力(シンキング)、チームで働く力(チームワーク)を例示さ

れ、チームで働く力の要素として、発信力、傾聴力、柔軟性、状況把握力、規律性、ストレス

コントロール力、と説明される。著者の解釈では、チームで働く力を備えたリーダーが、コンフ

リクト・マネジャーである。

27.マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』のなかで、すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争

の歴史であると述べたが、この言葉は正しいと思う。

20世紀を代表する社会学者のひとり、ニコラス・ルーマンも「コンフリクトは社会システムなので

ある。」 (「社会システム論」(下)恒星社厚生閣(2001)、710頁)と述べ「隣人たちとの関係の

なかに、夫婦生活や家族のなかに、政党のなかに、企業体のなかに、国際関係のなかに、存

している。」(同著、712頁)という。しかして問題は、コンフリクトの解決方法となる。

マルクスとエンゲルスは、資本と労働の対立 (コンフリクト)をプロレタリアートの解放によって

解決しようとしたが、しかし、新しい社会でも、新しいコンフリクトが出現することは歴史的経験

である。それゆえ、共同社会における自由と民主主義の課題は、コンフリクトをなくすことでは

なく、コンフリクトを建設的に統合し、問題を解決するスキルを多くの人々が身に付けることで

あるといえる。

社団法人日本経営士会東京経営支援センター経営士ADR委員会では、コンフリクトを建設

的に統合し、問題解決のためのスキルを習得する「コンフリクト・マネジャー養成講座」を定

期的に実施している。