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ギュレン・ムーブメントに関する一考察

一一一ネットワークの視点から一一一

1 . はじめに

近年,東アジアにおいて, トルコ人のイスラー

ム学者・思想家・教育活動家フェトフッラー・ギ

ュレンの支持者らが運営する学校が増加してい

る。世界的社会運動「ギュレン・ムーブメント」

の一環である。日本では, トルコ語学校 1 校,英

語を中心とした外国語学校 4 校,学校法人として

のインターナショナル・スクール 2 校,各種学校

としてのインタ←ナショナル・スクール 4 校が運

営されている。このほか韓国と台湾にインタ←ナ

ショナル・スクールが l 校ずつある。

ギュレン・ム←ブメントは,対話と寛容を強調

する穏健な運動で,政治活動とは一線を画してい

る。ギュレンは,人々を貧困から救うのも,狂信

派から遠ざけるのも教育であるとし,イスラ←ム

道徳、と同様に,近代的な科学知識を身につける教

育の必要性を説いている (Agai, 2007: 159) 。ギュ

レン・ムーブメントの支持者の中には,教育機関

のほか, トルコで新聞社,雑誌社,テレビ・ラジ

オ局,病院,金融機関などを運営する者もいる。

社会運動は,公式の組織と中央集権的意思決定

機関をもっている方が成功しやすいと言われてい

るが (Morris, 2004: 190-191),ギュレン・ムーブ

メントは,組織体としては存在していない。ギュ

レン・ムーブメントの支持者がそれぞれ独立した

企業,教育機関,病院などを運営しており,企業

聞の繋がりも無い。従って,私たちが一般的に考

える組織図は描けない。それにもかかわらず,な

ぜ、ムーブメントとして機能し , 成功しているのか

という問題意識のもと, 2011 年 12 月に, トルコ

でギュレン・ムーブメントの支持者が運営する教

竹 下 {彦 子

育機関、企業、団体など 10か所仁個人宅 3 か

所で,合計20人にインタビュー調査を行った。

本稿では,まず,フェトフッラー・ギュレンお

よびギュレン・ムーブメントについて概観したう

えで,宗教集団あるいは組織体という枠では捉え

ることのできないギュレン・ムーブメントについ

て,ネットワークの視点から考察を行う。

2. フェトフッラー・ギュレン

フェトフッラー ・ ギュレンは, 1941 年にトル

コの東部,黒海とイランを結ぶ交易ルートに位置

するエルズ、ルムで生まれた。イマームだった父親

と,村の少女たちにクルアーンの読解を教えてい

た母親は,ギュレンの第一次社会化において,宗

教面で多大な影響を与えた。また,父親のもとに

は学者や信仰心の厚い人々など多くの来客があ

り,ギュレンは父親と来客の会話を聞きながら ,

宗教と科学,精神性と知性について学んでいっ

た。

10代になると,ギュレンは宗教指導者サイー

ド・ヌルスィ (1876一1960年)の読書サークルに

参加するようになった。ヌルスィはムスリム

は近代化を拒否しではならない。宗教的な文脈に

おいて,近代化を取り込むためのアイデアを見出

すべきだ」 と主張し,近代イスラームという概念

を提唱した (Ebaugh, 2010: 24-25) 。ヌルスィは

ギュレンに大きな影響を与えた人物のひとりであ

る (Sevindi, 2008: 15) 。

ギュレンは, 1959年にトルコ宗教局の採用試

験に合格し, トルコのヨーロッパ大陸側にあるエ

デイルネのイマームとなった(佐々木, 2012 ・

51-54) 。その後移ったエーゲ海に面したトルコ第

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愛知学院大学文学部紀要第42号

3 の都市イズミールで,教育・科学・経済・社会

正義といったギュレンのアイデアが具現化されは

じめ,支持者が増加していったのである。この時

期,ギュレンは圏内各地のモスク,カフェ,集会

場などで、講話を行った。その主たる目的は,若い

世代に,純粋な精神,知識,恒常的行動をともな

う知性的啓発によって団結することを説くことで

あった(ギュレン, 2002: 28 1)。

1971 年 3 月 12 日の軍事介入の後1)ギュレンは

トルコの世俗主義政権に背こうとしているという

疑いで逮捕されたが,同年 11 月に無罪釈放され

ている。その後も精力的に講話を行い, 1998年

にはバチカンを訪れローマ教皇と面会している。

1999年に,病気の治療のためアメリカ,ペンシ

ルベニア州に移った後も 2) 民主主義・科学・対

話・非暴力の重要性に言及し続けている (Joumalist

and Writers Foundation, 20日: 11-12) 。

3. ギュレン・ムーブメント

ギュレン・ムーブメントは,ギュレンの教えに

啓発された人々が,平和的共生と文明聞の協力を

目的に展開している,宗教や文化を超えた世界的

社会運動である。その支持者たちは,教育機関,

出版,雑誌,新聞,テレビ,ラジオ,医療機関,

金融機関などで幅広く活躍している。

ギュレン・ムーブメントのはじまりは, 1960

年代末,ギュレンがイマームとして(動いていたイ

ズミールのクルアーン学校での彼の教えを通して

であった (Esposito and Yilmas, 2000: 10) 0 80年代

からは学校の設立に力を注ぎ, 90年代には,中

央アジアやバルカン半島一帯に拡大していった。

2000年代に入ってからは,ギュレン系の学校は

全世界への広がりを見せるようになっている。

また, 2003年から年に l 回トルコで, トルコ

語オリンピックを開催している。参加者は毎年増

加しており, 2012年 6 月の第 10回トルコ語オリ

ンピックには,日本を含め 135 か国から約 1 ,500

人の学生が集まった。トルコ語のスピーチ,詩の

暗唱,歌などの部門で優勝者が表彰される。世界

から集まった学生たちがトルコ語を流暢に操り,

その能力を競うほか,各国の学生が自国を紹介す

るブースもあり,宗教や文化を超えた交流が行わ

れている。

2011 年 3 月 11 日の東日本大震災の際には,ギ

ュレン系の慈善団体キムセヨクム 3)がトルコから

駆けつけ,名古屋のギュレン系 NPO と協力して,

被災地へ支援物資を数回にわたって運ぶなどの活

動も行っている。

異文化・異宗教の人々との対話の重要性を説く

ギュレンの考えが,今や世界中で具現化されてお

り,日本でも,ギュレン・ムーブメントのムスリ

ムと,日本人非ムスリムによって創設された

NPO 法人が,上記のような慈善活動のほか,ギ

ュレン系インターナショナル・スクールと連携し

て,各地で文化・教育活動を行っている。ギュレ

ン・ムーブメントは,志の高い人々による社会運

動であり,宗教が社会の活力源となりうることを

示している (Yavuz and Esposito, 2003: xxxviii) 。

4. ギュレン・ムーブメントと教育

ギュレンが推進したアイデアの l っとして,教

育をあげることができる。ギュレンは,イスラー

ム道徳と同様に,近代的な科学知識を身につける

教育の重要性,すなわち徳育と知育の両輪のバラ

ンスの重要性を説いている。教育には,大人の教

育と子どもの教育がある。大人の教育は,ギュレ

ンの講話に基づいた徳育と知育である。

子どもの教育について,ギュレンが名誉会長を

務めるジャーナリスト・著述家基金の会長で,ギ

ュレンの代弁者といわれるほど,最もギュレンに

近い存在のムスタファ・イェシルは,次のように

語っている。「子どもの教育にとって重要なのは,

家庭,学校,環境であるが,子どもの第一次社会

化は家庭で行われるので,親が子どものロールモ

デルとなる。そのため,大人の教育が重要なの

だ」 。

ギュレンは,モスクよりも学校をつくることの

必要性を説いた。ギュレン系の学校は,最初は ト

ルコ人のために設立されたが,この 20"'30年の

聞に急速に広がり,世界約 100か国に 1 ,000校以

上ある (Ebaugh, 2010 ・ 97) 。文化を超えた対話を

促し,相互理解を深めることを目的としており,

- 54 一

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ギュレン・ムーブメントに関する一考察(竹下)

多様な民族的・宗教的・社会経済的背景をもっ学

生を引き付けている (Yilm田, 2010: 115) 。ギュレ

ン系の学校では宗教教育は行わず\授業は英語で

行っている。英語で授業を行うのは,世界で通用

する人材を育成するためだといわれているが,ビ

ジネス戦略としての側面も否めない。

2010年現在, トルコ国内でギュレン系の高校

は 500校以上,大学は 7 校ある 4) 0 1997年以降,

トルコ政府は免税を条件に,民間企業の寄付によ

る学校設立と民間企業からの設備投資を認めてお

り,校名や学部名,教室名に寄付をした個人の名

前がつけられていることが珍しくない(丸山,

2006: 140-14 1)。

2004年には,エリート養成のためのギュレン

系の高校(共学)がアンカラに創設された。卒業

後は,アメリカやイギリスの一流大学に進学する

ことを目標にしており,将来, トルコの政治の中

枢を担う人材の育成に力を注いでいる。そのすぐ

近くに, トルコで初めての私立の女子高校も

2011 年に創設された。思春期の女子が勉学に集

中できる環境を提供する目的でつくられた,エリ

ート育成のための女子高校である。公立学校など

公的な場所で女性がスカーフを着用することを禁

止しているトルコであるが,筆者が訪れたギュレ

ン系の高校 3 校と大学 2 校では,スカーフを着用

している学生と着用していない学生がともに学ん

でいた。

5. ネットワークの視点からみたギュレン・ム

ーブメント

ギュレン・ムーブメントは緩やかなネット

ワーク」と表されることがしばしばある。組織体

としてではなく緩やかなネットワークとして機能

するギュレン・ムーブメントのあり方について,

タイのギュレン系インターナショナル・スクール

の校長 A はそれぞれの学校がその国の法律に

従って運営されればよい。各国のギュレン系イン

ターナショナル・スクール聞の情報交換などは必

要ない。ギュレン先生がおっしゃることさえ聞い

ていればよいと思う。ギュレン先生がお亡くなり

になっても,ムーブメントは終わらない。なぜ、な

- 55

ら,私たちは心のネットワークで結ぼれているか

らだ」と語る。 A に限らず,インフォーマントの

多くから「心のネットワーク」という言葉を耳に

した。同じ志をもった人々の紐帯であり,連絡を

取り合っていなくても,ギュレンのアイデアに賛

同する者同士は旧知の友として理解し合えるとい

つ。

また,ジャーナリスト・著述家基金のムスタフ

ア・イェシル会長はギュレン・ムーブメント

の支持者たちが運営する企業が連携しているわけ

ではない。一般に,組織がないと機能しないと考

えられがちだが,組織はなくても,見返りを期待

せず\相手のことを中心に考えるという,同じ価

値観をもっ者同士の信頼関係がある」と語る。

イスラームには,本来,ハードな構造を備えた

公式の組織といったものが存在しない。聖職者を

媒介としないムスリム個々人のアッラーへの直接

的帰依が特徴であり,イスラーム運動の組織原理

もまた同型である(中田, 2000: 2-3) 。ギュレン・

ムーブメントも同様に,登録制ではないうえ,支

持者の名簿があるわけでもない。しかし,末端に

はお茶会 (Çay Sohbeti)を通してのネットワーク

が存在している。

お茶会とは, トルコで伝統的に男性たち,女性

たちが,それぞれ仕事,近隣,趣味などの仲間た

ちと,週に l 回程度,個人宅でお茶を飲みながら

談笑する 10人ほどの集まりである。このお茶会

を通してギュレン・ムーブメントが広がっていっ

た。当初は,ギュレンの話を直接聞くことができ

たが, 1999年にギュレンがアメリカに移住して

からは,ギュレンが発表した論文を読んだり,イ

ンターネットで発信されるギュレンの講話を聞い

たりして,その内容や解釈について話し合い,勉

強をしている。

このお茶会をビジネスチャンスの場として利用

する者も多い。ビジネスチャンスを得ることを目

的としてはならないが,お茶会に来た結果,ビジ

ネスチャンスが広がり,それによって得た利益を

ギユレン系の学校に寄付して貢献するのであれ

ば,それはよいことであるとされている。

ギュレン系の学校をサポートしている実業家に

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愛知学院大学文学部紀要第42号

とって,日本はビジネスを広げる絶好の場であ

る。韓国大手企業のアンカラ代理店の B は,韓

国にあるギュレン系の学校ではなく,日本のギュ

レン系の学校に寄付をしている。「機会があれば,

日本の企業を相手にビジネスを行いたい」とい

う。その足がかりが,日本のギュレン系の学校へ

の寄付を通しての,日本社会とのつながりであ

る。トルコの実業家にとって,ギュレン・ムーブ

メントはビジネスを広げる l つの機会である。こ

れが目的であってはならないが,多くの実業家に

とって,利用価値の高いものであるといえよう。

そして,彼らが成功すれば寄付をし,さらなる学

校の設立に貢献してくれるのである。

ギュレン・ム←ブメントは,ひとつの組織体を

形成しているわけではないが,末端には,ムーブ

メントを支える無数のネットワークが世界中で形

成されている。権力や運営組織を分散させること

によって,支持者たちのムーブメントへの参加意

欲や責任感を増進しているといえる。

6. ギュレン・ムーブメント拡大の背景

ギュレン・ムーブメントが拡大期に入る 1980

年, 18歳の時からお茶会に参加し,ギュレンの

講話を直接聞き,学んだ実業家の C は当時は,

イスタンブールにギュレン系の学校はなかった。

学生寮5) が l つあっただけ。今日のようにムーブ

メントが大きくなるとは思、いもしなかった。さら

に 20年, 30年後は,もっと大きくなっているだ

ろう」と語っている。 C はお茶会で,起業するた

めのノウハウも学んだ。靴の製造と輸出で成功し

てからは,自宅でお茶会を主催するようにもなっ

ている。若い頃,お茶会というネットワークから

得た社会関係資本を,今度は次の世代に還元して

いこうという互酬制の原理が働いている。

ギュレン・ムーブメントが拡大した要因とし

て,次の 3 点、をあげることができる。

第 l に対話と寛容」を重視するギュレンの

アイデアに多くの人々が共感したことである。ギ

ュレンの誠実さ,利他主義,そして愛に感銘を受

けた世代が,物質的な見返りを求めない奉仕を行

い(ギュレン, 2002: 282) ,それが次の世代へと

受け継がれている。第 2 に,ギュレン系の新聞,

雑誌,テレビ,ラジオといったメディアを通し

て,ギュレンのアイデアを幅広く人々にアピール

するという戦略が成功している点である。第 3

に,お茶会を通した草の根活動である。支持者の

多くは,お茶会というネットワークから得た社会

関係資本を活用してビジネスを展開している。お

茶会がビジネスチャンスと直結している点が,実

業家や実業家を目指す人々にとって大きな魅力と

なっている。お茶会を通した無数のトランスナシ

ョナルなネットワークが形成されており,これが

ギュレン・ムーブメントを根底で支えているとい

える。

7. 結論

以上,ギュレン・ムーブメントに関して,イン

タビュー調査を中心に考察を行った。ギュレン・

ムーブメントは組織体としては存在していない

が,世界に広がる無数のネットワークに支えられ

ている。そのネットワークの特徴として,以下の

2 点、をあげることができる。

第 l に心のネットワーク」である。ネット

ワーキングの目的的側面であり,繋がっているこ

と,それ自体が行為者にとって価値をもっ(富

川, 2012 ・ 151)。ここでは,ギュレンのアイデア

を支持する者同士の信頼関係が形成されている。

ギュレン・ムーブメントを支える広義のネットワ

ークであり,緩やかな紐帯として捉えることがで

きる。

第 2 に,お茶会というネットワークを通して,

さまざまな資源を得ることができる点である。ネ

ットワーキングの手段的側面であり,資源や情報

を得るための手段としてネットワークが価値をも

っ(富川, 2012: 151)。このネットワークを通し

て,ギュレンのアイデアを学ぶことはもちろんの

こと,ネットワークから得られる社会関係資本を

ビジネスに活用することができる。ビジネスチャ

ンスを得るための手段としてもネットワークが価

値をもっ。

ギュレン・ムーブメントは,近代的組織とは大

きく異なる,行為者の関係の形態としてのネット

56 -

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ギュレン・ムーブメントに関する一考察(竹下)

ワークを,時には可視的に,また時には不可視的

に取り入れることによって,支持者たちのムーブ

メントへの参加意欲や責任感を増進して,拡大し

続けている。

東アジアにおいても,近年,ギュレン系の学校

が増加している。ギュレン・ムーブメントの東ア

ジアでの広がりは,戦略としてではないというも

のの6) トルコの実業家にとっては魅力的な地域

である。今後,ムーブメントの東アジアでの広が

りと,その拠点、としての日本での彼らの動きに注

目していきたい。

1 )トルコで, 1960年から 1980年まで 3 回にわたっ

て経験した政治に対する軍の介入の l つ。 1971 年

の軍事介入は,軍が覚書を送付しただけの無血政変

であった。議会は存続が認められたが, 1961 年憲

法でトルコが獲得した地平は後退させられた(エル

トウールル, 2011: 140) 。

2 )名目上は病気の治療であるが事実上は亡命である

と言われている。

3 ) トルコ語の「キムセヨクム J (Kimse Yok Mu) は,

日本語で「誰かいませんか」の意味。イスタンブー

ルに本部があり, トルコ圏内に 29支部がある。国

内外で慈善活動を行っている。

4 )ファーティ大学国際フ。ログラム課ムスタファ・ユ

ジェル氏へのインタビュー調査より。

5 )異なる学校に通う 学生が生活できる寮。この寮

で,年少者は年長者をロールモデルとし,ギュレン

の考え方を学ぶことができる。

6 )ジャーナリスト・ 著述家基金ムスタファ・イェシ

ル会長へのインタビュー調査よれ

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付記

本研究は,平成23~25年度日本学術振興会科学研

究費補助金基盤研究 (B) r東アジアにおけるムスリム

と非ムスリムの共生ーライフスタイル変容の比較研究

一J (代表者小島宏)による研究成果の一部である。