ピエール・ブルデューのメディア論...行政社会論集 第20巻 第4号...
TRANSCRIPT
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論 説
ピエール・ブルデューのメディア論
安 田 尚
はじめに
フランスの社会学者ピエール・ブルデュー(鴛30~2003〉にとってメディア
とは何か?εハビトゥス(薮aわ1無s〉雄と「界(c絵雛p擁の概念を駆使し、主
体と構造の関係性の視点から、文化の構造と過程を論理的かつ実証的に解明し
たブルデューのメディア論は、騒来のメディア砺究には見られない独自な業績
と言わねばならない。しかし何が独自だというのか。その第一は、教育、芸術、
言語行為といった領域だけでなくメディアをも貫く r普遍の論理逢を明らかに
した点である。すなわちメディアをr象徴資本まr象徴生産j r象徴的支醍まの
論理によって解明した点である。記号や言葉、イメージといった像徴謹はブ
ルデューによればヂ意味と価{画を内包するものであ甑行為主体は精神的労
働によって、つまり解釈遍程や評価行為などによって、ゼ象徴豊からゼ意味や
極{画を引き出す.像徴盛が行為主体に強舗力を行使するとき.それは野象
徴暴力豊(教育や法など〉となり、「象徴墨が「意味や緬値蓬を生み墨すとき、
それはヂ象徴生産」と呼ばれる.「象徴資本」(権威、尊敬、感謝、称賛、敬意、
信用、信頼、義理、恩義、負目など)がその行為主体に精神的強鰯力を発揮す
るとき、褻象徴支配まが成立する.さらにゼ象徴まがε強調力まと薪権威まを
獲得するとき紅象徴権力まが生まれるのである。ブルデューはこうした文化に
! ブルデューは「文化生産それ自体」を解明しようとしない従来の社会学を次の
ように撹判ずる.すなわち、ゼ社会学には文化の消費は説明しうるが、文化の生産
は説明しえない」と言う通念があると批判している。さらに疑文化の3生産その
ものを無視するようないろいろなやり方と手を切って、私の構想する作品の桂会
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行政社会論集 第20巻 第4号
関するブルデューの体系における「普遍の論理婆をメディアの領域に適窮する。
第二には、メディアのダ生産の論理fに着目している点である。この点にブ
ルデューのメディア論の独自性を見いだすことができる。瞬来のメディア研究
はメディアの軒効果麟究達、皮肉な言い方をすれば、メディアの自己評無、自
己像の構築に励んで来た、つまりはメディアの効力、影響力を喰己採点まし
ていたといえるのではあるまいか。もちろんこうした指摘にたいしては、それ
は1945年代から欝60年代にかけてアメリカ社会学が行なったマスコミ研究のこ
とであって2、薪今どき誰もそんな事を…l jと反論する向きもあろう。しかし、
このマスコミの郵受容過程達韓究という手法は現在でも健在である。たしかに
こうした「受容遍程」醗究にも、スチュアート・ホール1ヨらのゼ階級」と「メ
ディアの受容過程達の統一の試みなど一定の進展を見ることはできる。しかし、
それでもやはりこの視点はメディア研究のパラダイムとして生き続けている。
もちろんブルデューがメディアのヂ受容過程」に無関心だとか、分析していな
いというのではない。まさにブルデューのドハビトゥス」概念こそがこの受容
の論理を解明する機念なのであり、野認識、評緬、行為(選択擁の誓身体化さ
れた分類図式三に飽ならないのである。と同時に夢ハビトゥスまはぜ認識、評
価、行為(選択)藩の生産の原理でもある。ブルデューにとって文化の「受容
過程まとは、ギ文化消費董の過程として位置づけられている。つまりブルデュー
学は、文化生産の場を対象とし、それと切り離せない形で〔文化〕生産の場と消
費者の場との問の関係を薄象とするものです。雌(ブルデューヂそれにしても、誰
が輪彗造者嚢を創造したのか」、穿社会学の桂会学墓田原畜類、飽訳、藤原書店、
i ggi年、 265~68頁.〉
2 竹内郁郎穿マス・コミュニケーションの社会理論選(東京大学懲版会、欝90年〉
欝3~欝6頁.
3 〉Morley&K C簸舩eαSTUA艮T HALL,Ro慧tle(㎏e,ig96.および「総特
集・スチュアート・ホールーカルチュラル・スタディーズのフ獲ソトー」(蓼現代
思想毒3月臨時増刊、欝98年.〉
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ピエ回心ル・ブルデューのメディア論(安懇 尚〉
は、この生産と消費の関係性をハビトゥスと構造の連関(鮭会空晦〉におい
て解明したのである4。第三の特質は、メディアの生産者を職識人雄として
分析している点にある。象徴が内包するゼ意味と緬値達の生産、すなわち「象
徴生産まの担い手という意味で、ジャーナリストなどのメディア生産者も知識
人なのである。さらにメディアの生産者をr知識人!として扱うということは、
ブルデューにおいてはヂ知識人邊のf知識人またる所以である聯立性まをメ
ディアの生産者にも要求することを意味している。ブルデューはこの点をすで
に沿鴇年代に指摘している。すなわちメディア界における論説委員などの指導
的なインテリ層、オピニオンリーダー的存在を糠識人ジャーナリスト(塗艶
艶。譲e蝕沁貸膿a総tes〉fと呼んでおり、そうしたジャーナリストは権力にも
ヂ世論蓬にも媚びることなく知識人と同様にr自立性達を堅持すべきだという、
ブルデューの主張となる。
以下本稿では、こうした論点を踏まえながら、ピエール・ブルデューのメディ
ア論を紹介し些かの解説と検討を簾えてみたい。その資料として扱うのは、
Fr&捻ck Po慧pe3駁,丁嬢εrry D童scepO至α Pズε劉第ε B{鷹名漉ε鍵 」W躍塗~耀yv7¥0溺
!36/-200オS6ゴ醗εεεθご編まε認罐∫醗加魏毎繊AGONE,cotre-fe縫瓦20G2.(フ
ランク・プポ.ティエリー・ディスポロ編著ζピエール・ブルデュー、介入、
ig駁年~20G3年、社会科学と政治的活動毒アゴーヌ社、コントル・フ、2GO2年〉
に収録されている論文である。なお本書は未訳である。
この他のブルデューのメディア論としては、P量erre Bo駿r磁e縫,S欝融
融魏魏s蜘油島欝舞3ε磁纏耀」纏aL至瞭舳t童α}&RA董SONSσ
4 この点は、ブルデューヂ作者の視点一文化生産の場の全般的特性一≦σ芸術の
規則遜石井洋二郎訳、藤原書唐、鍛96年、63~婚4頁)を参照されたい。
5 F、Po囎e総e重丁、D童sceβOlO,P魏駕B確躍露麗伽鎗簿ε魏ぎθ欝ig6L200i,AgO総,20
02,p、383.また「メディア知識人(童蟹e漉。敏ε至s盤磁量幾重q麗s擁(獅鼠麟90.〉とも
呼んでいる.これらは講義に縫われている.
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行政挫会論集 第20巻 第4号
AG駅,欝9&が縣に窪メディア撹判墨桜本陽一訳(藤原書店、2000〉という欝
本語タイトルで翻訳刊行されている。これとフランクらの前掲書に収録されて
いる論文は、部分的には重なる部分を含んでいるものの、ブルデューのメディ
ア論において独自の極値を持つ資料である。というのはこの論集が他のアカデ
ミックな著作と違いブルデューの政治的発言を集めたものであり、彼の学術的
著書には収録されていないものが多く含まれているからである。本論集によっ
て、旺盛な政治的関心からアルジェリア時代以来一貫して、政治問題に関して
直接的・間接的な発言を行い、行動してきたブルデューの一麗面をうかがい知
ることができるであろう。この文献によって、とりわけこの問のブルデューと
メディアとの確執の在り様が見えてくるであろう。
1.プルデューと政治参加
まずこれらブルデューの論文が収録されている論集窪ピエール・ブルデュー、
介入、欝畿~20蟹年懇の解題を手がかりに、本書に収録されたブルデューの文
献の背景をみておこう.
ブルデューは緯95年秋、アラン・ジュペ内閣による社会保障舗度改革案
(ギプラン・ジュペまと呼ばれた〉への公務員、とりわけフランスの国鉄労働総
合の激しい反対運動や2ヶ月に及ぶストライキに際し、初めて公然と「スト支
援達の立場からパリ・リヨン駅で行なわれた集会に蠣爽と現れ支援演説を行っ
た唇。このブルデューの公然たるダ介入雌、政治参撫、政治的発言はメディア人
を驚かせ、彼等の激しい反発を生み出すことになった。解題は言う。r欝95年
のスト以来、ブルデューの介入(童鑑erve競め盤)は、辛らつな非難の的になっ
た。ブルデューがその権力を分析したジャーナリストやメディア知識人
(塗t磁ec灘e重s驚をdi3ti縫麗s〉の翻からは、とりわけ辛らつな非難の矢が放たれ
た。」なぜか?それは、このブルデューの介入がヂ年取ってからの』政治的活
動の公然化であり、ブルデューが自分の学問的名声を悪罵したからだというの
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ピエール・ブルデューのメディア論(安露 尚〉
である。だから糾弾されたと編者は解説している。さらにそれは「時代遅れの
大物知識人への回帰だとも郷楡された。しかし、ブルデューをr遅れて来た
青年ま(大江健三郎)ならぬ影遅れて来た大物知識人重と攻撃し、その発言の
影響力を薄めようとする者たちにはある種の政治的意図があったと見るべきで
あろう。つまりこうだ。メディアの知識人たちが、「プラン・ジュペ盛に賛同
モデみニザスでずンを表明し、フランスの「近代化窪喰理化」の推進.つまりは「グローバリゼー
ション」の旗振り役を演じて保守勢力の提灯持ちにいそしんでいた時、なんと
知的権威の象徴であるコレージュ・ド・フランスの教授ピエール・ブルデュー
がそれに公然と立ちはだかったのだ。彼等の苛立ちも当然であり、メディア界
むべ かなにおいてブルデューを亡き者にしょうとしたことも宜なる哉である。
ブルデューは自分の学問的名声を笠に着て、にわかにサルトルやフーコーの
真似をし、政治参加したわけではない。フランクらによれば、rブルデューの
公的空間(董’8sp&Cεp曲至麺総〉逢への介入、つまり政治参撫はアルジェリア戦
争時の欝60年代の初期にまでさかのぼることができる。以来、彼は自らの政治
参撫の「可能性の社会的条件まに関して熟慮を重ねた結果、ブルデューはス
コラ的な学問主義とも当時流行の唱曲知識人達流の自然発生主義
(s登。魏&舵茎s驚e〉とも一線を蔑すようになったのである.つまり、前者は「政
治的禁欲主義」であり、後者はフ一一コーのようなゼ街頭主義遷的政治参撫にほ
かならない。筆者流に言えば、ブルデューの新介入重は政治と学閥の緊張ある
関係を維持しつつ、学問的分析の武器を携えて政治に関わる態度であったとい
えよう。
本論集は単に入手困難で、未刊行の「政治的」、腹判的蓬テキストを集めた
だけのものではない。それはその都度の時代的背景や政治状況に対応したもの
になっている。つまり、ブルデューの著作のアカデミックな解読では分からな
い政治的文脈を、この論集から読み取ることができるというのである。解題は
言う。「ブルデューの来し方〔旅程〕の一つ一つの段階をたどることによって、
学問研究と政治的介入の問の一定の関連づけを歴史的文脈におきなおして示す
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行政社会論集 第2G巻 第4号
ことがfできるのである。
こうした道程を経てブルデューは、最終的に固有な政治的介入の形態を生み
だした.つまり、「社会科学とミリタンティスム(騒争的態度、闘う姿勢)まは
対立するどころか、社会的現実の変革に貢献する、ヂ社会的現実の分析一解読一
批判という…連の作業の二鑓面謹と見なされるべきだというのである。いわゆ
る科学と極値判漸の相互規定的関係である。本論集に収録されたテキストは、
『政治的アンガージュマンとこのアンガージュマンの条件についての考察窪が
いかに社会学自体を豊かなものにするかを実証しているというわけである。本
書全体はこうした狙いに基づいて編まれたブルデューの政治論集である。
本書は編年的な構成になっているが、同時に7つのテーマにまとめられてい
る。①緯6i~欝63:〔アルジェリア/植民地戦争と革命意識、②欝64~欝欝:
教育と支配、③欝警~1980:政治的剥奪の学問に抗して、④欝雛~欝86:政治
の素人と玄人、⑤鍛84~欝欝:教育と教育政策、⑥紛88~雄95:政治の誓魔術
からの解放まと理性の現実政策(レアルポィティーク〉き、⑦欝95~20艇:縫会
的闘争の支援。これから見ていくブルデューの論文は、⑦の下位にヂ保守革命
に奉仕するメディア」(Les蹴d董3s鐙serv茎ce de簸鐙vd慧tめ登co賂e「v&t「産ce〉
というサブタイトルの下に、…つのセクションにまとめられている。
2.ブルデューとメディア
フランクとティエリーのセクション解説によりながら、ブルデューとメディ
アの関係を見ておこう。「知識人ジャーナリスト」に関するブルデューの最初
7 Po慧舞&簸琶t D童scepo豊○,OP.c焦,P.490.
8 『現実政策達罵Re譲嚢○難kの意味については、ブルデュー「道徳の逆説的根拠ま
(ブルデュー窪実践理惚撫藤晴久他訳、藤原書籍、20碑年、295~鴻8頁/を参照
されたい。
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ピエール・ブルデューのメディア論(安田 尚〉
の著作は、!970年代にまでさかのぼることができる。また、ジャーナリズムの
ゼ市場淫への従属に、つまりメディア界での販売競争や視聴率競争がメディア
に与える深刻な影響に関しては、既に彼は欝齢年代に指摘している。さらに湾
岸戦争後のある時、r国境なき記者団まは、ブルデューを自分たちの討論集会
に招待した。ここでブルデューは、彼らに向かってジャーナリストの皆さんは
紅歓会酌量界についての支醍的なものの見方の自然化に無意識に貢献しているま
のではないかと発言する。大週刊誌はこのブルデューの批判に直ちに反応し、
反撃をくわえたという。湾岸戦争当時、ブルデューは戦争に反対した数少ない
フランス知識人の一人であった・そして欝96年露テレビジョンについて轟(邦
題は前掲の駆ディア撹判垂〉が出版されるや、新聞や週刊誌をまきこんで数
ヶ月に渡る激しい論争が巻き起こった。この間、本書は焉万部のベストセラー
となった。従来のブルデュ一本とは違い、この本は学問的難解さを克服してお
りよく売れたという、ブルデューは本書において、ジャーナリストの仕事にく
わえられる「スピ一粒やゼ競争崖といった圧力と郵メディア知識人3が政論
にあたえる脅威を分析している。こうしたr圧力達に屈することが読者や視聴
者を「政治への幻滅蓬へと導くことになると主張する。すなわち.ゼメディア
知識人達は常にゼ視聴率まの圧力に晒され、いわゆる「数字を取る嘘ことに狂
奔している暮。
しかし、購ベラシオン漉紙の欝95年ま月鴛資材に「あるがままのソレルス涯
と題する風麟論文が載るや事態は沈静化するどころではなくなる。ブルデュー
はこの論文で、フィリップ・ソレルスを告発している。つまりブルデューは、
当時大統領選の本命と見られていたバラデュール擁護のソレルスの発言を告発
9 これは周知の新平凡な真理まだが瓢無撹できない真理董である。霞本のテレビ
界におけるその実椿を長野智子は生々しく伝えている。長野智子ゼ視聴率と露伝
えたいニュース型(筑紫哲也編霧職業としてのジャーナリス櫓、岩波書店、20傷
年、雛~絡0頁〉を参照されたい。
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行政社会論集 第20巻 第4号
したのだ。ソレルスは欝95年i月翅日付霧エキスプレス毒にゼあるがままのバ
ラデュール蓬なる論説を掲載した。こうした告発の仕事は、 窪ル・モンド・ディ
プロマティーク墓 記者セルジュ・アリミ(Sεrge H譲顛〉の論欝ε傭C短ε郷
4εg翻麹(謬新しい番犬たち蔚(欝97年〉に引き継がれる。アリミは本書で
ギ黙契のジャーナリズムまのネットワークと、「市場イデオロギー霊の世論への
浸透を描いている。この仕事は、さらにrヨーロッパ社会学センター」の若手
研究者たちによって継承されることになった。この若手研究者による論集ζフ
ランス知識人の捻恥は、ヂプラン・ジュペ」を支持する知識人とストを支持
する知識人の問に「欝95年鴛月の運動量がつくりだした政治的亀裂と政論形成
におけるメディアの決定的役割について検討を加えている。
これらの出版は大きな反響を呼び、メディア批判の組織を生み墨すに至る.
それは、欝95年鴛月の闘争を契機とした「社会闘争の復活涯と、「メディアの
漂流難に対する人々の危惧の所産であった。こうしてACRiM狂D(Ac縫。奮c
r癒鑓e-r総α油(メディアに対する批判的アクション〉という団体は、董995年
登月~簓目の社会運動の結果生まれたのである。
さらに匿世界の悲惨選(鐙93年〉刊行以来、ブルデューは人々の前に姿を現
すことが多くなった。メディアは、ブルデューのストライキ支援を盛んに報じ
た。そしてブルデューは、テレビ番組Arr畿s礎雄猴蟹(「静止露像運〉(仏5
c鼓、1996年葉月23日放送〉をめぐってダニエル・シュナイダーマンとの論争
に突入する。ブルデューはこの番組に畿演し、野テレビがテレビ批判の番組鰯
作を課する」のでは、テレビによってはどんなテレビの解読もできないという
ことを説明するために自分が来たのだといった。ギ分析」として論じられるべ
きものが.「攻撃蓬として受けとられた。とくに、ブルデューがジャーナリズ
ム界へのヂ拘束(CO鍍r&搬tεs)」が政治に対するrシニックな見方」〔幻滅3
を広めていることを説明しようしたとき、このブルデューの説明は「攻撃」と
見なされた.
ブルデューは欝99年の秋以降AC欝MEDと共同歩調をとるようになる。ゼ政
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ピエール・ブルデューのメディア論(安慰 轟〉
治的幻滅達、「マーケッティング的手法ま(メディアの商業主義的傾向〉、「競争
的市場への従属」といったテーマを共有していたからである。こうして「フラ
ンス文化のために達の運動に参撫する。この運動は、ジャン・マリー・カバダ
(Je&窪M&罫茎e C&v&d&〉のラジオ・フランス会長就任とロール・アドゥレ(L3継e
Adier〉のフランス・カルチャー会長就任によるr番組大改編』の撹判を行
おうとするものであった。AC欝M狂Dから見れば、こうした「やり鞠は公
共放送をほとんど新本、レコード、商業映画の宣伝道具」にするに等しいもの
であった。
ブルデューが哺場主義まに奉仕する支醗的メディアの役割に注目するのは、
なによりも、進歩的な「社会運動達にとってこれが障害となるからである。
ブルデューは語っている。「抵抗勢力の構築にとって最大の障害となるもの
の一つは、支配者層が歴史上かつてなかったほどに、メディアを支配するよう
になったという事実である。今やフランスのすべての大新聞が完全に彼らによっ
て支配されている。ル・モンドのように表面的には自立しているように見える
新聞でさえ、巨大なカネの力によって支配された、株主たちの会蛙にすぎなく
なっている.蓬(LPo重eg畿○によるインタビュー、20劔年箆月超勤
こうしたメディア撹判の向こう健にあるもの、そこには社会運動がある。こ
の社会運動をブルデューは噺自由主義とあらゆる保守主義に抵抗するインター
ナショナリズムまと称している。この社会運動こそ、ブルデューがゼカネとメ
ディアが一体となった権力である糧界の支醗者たち、この新しい権力」〔二経
済資本と象徴資本の一体化)に対して突きつける諸問題の淵源にあるものなの
だ。
3.ブルデューのメディア分析
最初に取り上げられるべき論文は、ブルデューヒ二二十年後のリベラシオン達
(沿94年、露アクト嚢!0r鱒2号野である。この論文は、「リベラシオン漉紙か
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行政鮭会論集 第20巻 第4号
らの依頼原稿であったが、同紙が掲載を拒否したため後に要約版が謬アク越
に掲載されたものである。韓ベラシオン」からの依頼によって執筆したのはi
988年であった。つまり依頼原稿がボツにされたわけである。そのわけは、以
下に見る通りブルデューの厳しい穆ベラシオン」撹判にあったと思われる。
朝欝新聞によれば仏紙εりベラシオン」は、実売捻万5千部であるという。ち
なみに言えば新ル・モンド窪は3i万4千部、rフィガロ」は32万1千部の実売
数とのことである墓、以下、ブルデューの論述を要約紹介してみよう。
rリベラシオン達紙の麟新は、今やしゃれた会話のお気に入りの話題になっ
た。つまりこんな風だ。躍りべ壌は企業のインテリ層の新聞になったね。藤野
罫リベ雲、それはヤッピー壷2の開放的パリジャン〔の新聞〕だね。」こうした感想
は、巷の観察からうかがえる事柄である。ブルデューは社会学者らしくこれを
「自然発生的統計達にもとづく知見だと述べている。穆べ重の紙面には新しい
署名〔新しい投稿者たちの登場3や新しいスポーツ欄、株式欄が登場するよう
になった。
こうしてrリベラシオン」紙の紙面刷新は新たな読者層を獲得した。r読者
層の変化雄は、r内容が変わった」からだともいわれているが、又逆に鞠容
の変化」はr読者層が変わった藩からだとも推定されている。しかしブルデュー
は、このヂ紙面麟新は悲しむべき新しさ」だと噺じる。侮とも手厳しい、さら
に、L雛とかLe NO慧vd Obsεrv&t8蟹、Gbbεといった最新流行の週刊誌や
月刊誌が、市場に送り出す社会学者たちに侮故かと訊いてみるがいい。彼らは
説明するであろう。いわく、「騒人主義の隆盛、知識人の終焉、知識人の大掃
蟹) P量erギεBo縫rd量奪tぐ工護bを2()&貧s&prをぎ,Po魏鎌懇意et D量sce箋》○至甑曜転 ‘鉱,蘇387、
賛 野朝羅新聞輩、20総年捻肩総9。
捻 ヤッピーは、ヤング・アーバン・プ聾フェショナルズの頭文字をとったもの。
翻帝とその周辺を基盤として知的職業にたずさわる若い屡のこと。
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ピエール・ブルデューのメディア論(安田 輸
除壌、自分たちの欲望を現実と取り違える「予言の自己己実現まだとかご託宣
を並べてくれるであろう、こんな飛俗な社会学者たちの新思潮分析など何の役
にもたたない、つまりこの変化を説明できない、というのである。
「リベラシオンン達の宣伝文句、キャッチコピーはこの新聞の新たな読者層
を次のように想定する。ゼリベ達は欝68年に20歳の若者だった者たちの新聞で
あり、年老いたモラトリアム青年の新聞である。この新聞は、「高い購買力を
もった近頃の管理職達たちや、ギ都市のインテリ愚や、夢近代的な革新灘を
読者層としている、
「りべ』の読者層の変化を理解するためには彰どの程度またどのようにある
新聞の内容の変化が読者の特性〔社会的属性3の変化と結びついているのかま
を検討してみる必要がある。つまり、「大店舖の警備員によって連続的に殴打
されたアラブ人少年についてのニュースま彰ダンケルクのユシノールの労働者
集会ついてのニュース」は掲載されなくなり、郵経済面にはシアンスポ/パリ
政治学院〕調の言熱ゼアメリカン・フットボールの解説達、「コハビタシオン
や大統領選の軽喜麟〔ドタバタ騒ぎの意味か?〕の大見趨し操が紙面に登場す
るようになった。このようにブルデューは、記事「内容の変化」を述べた後で、
r読者層の変化撞との関連を追求する。読者層は確かに変化した。r婚歳~24歳
融から紅24歳~35歳への移動し、その社会的属性も「ビジネスマンや中間
管理職謹が多くなり、この層が野ほぼ倍増(盟%から39%へ)達し.さらに
「高学歴の都市住民まで降服が稔万フラン超える層」、「スポーツ好きの旅行
マニア達、そしてr近頃株をもつようになった人達の読者が顕著な増大を見せ
ていると分析する。ブルデューは、紙面の「内容」とゼ読者愚の変化の関連
について結論は欝していないものの、そこにある歴史的流れを見ようとする。
すなわち、新たな読者層であるr最近株をもつようになった人たち」は必ずし
もより反動的というわけではない。「あたらし物好きで洗練された高級晶志向
の消費者達である彼らは、高い購買力を持つが故1こ、新聞の賦ポンサーにとっ
て魅力的な存在」なのである。このいわば当時の噺富裕麟は「最初の頃の
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行政社会論集 第20巻 第4号
リベラシオン紙の解放された無政府主義の生き残りによってなされる転向と再
転向の用意」があると分析する。つまり、昔からの読者層であるig68年世代の
イデオロギー的志向は撫政府主義」的傾向であった.この層は今や思想的転
向を遂げたというのである。つまり、こうした震い読者層と若い噺富裕愚
がギリベラシオン匪の読者層を形成しているというわけである.
ブルデューは最後に述べている。最初の問題、つまりr記事内容の変化雌と
「読者層の変化≦の関連は「まことに複雑で、少しずつ練り上げられ、構成さ
れ、データとつき合わされねばならない問題である」、しかしそれはみな、絶
えず私〔ブルデュー〕に問うて来た問題であるが、「誰も私に本当は問うこと
のなかった」問題でもある。つまり、ブルデューに言わせれば、正しい問い方
をしてこなかったし、正しく問題を立ててこなかった問題だというのである。
「なぜなら、括弧なしの社会学者の役割は誰も知ろうと思わないことを単刀直
入に言うことである声からだ。
4.ブルデューのジャーナリスト論
次にとり上げる論文は 夢ことばの問題一ジャーナリストの役割についての
より控えめな見かた一」(“Q縫est沁糞s dεmots”,U簸e v重sめ糠P擁s modeste
d駿給至e dεs jo暴騰議stes磨である。これは「国境なき記者団まのシンポジュ
ウムに招かれた際の発言である、
まずブルデューは、自分の発言がジャーナリストを強い意味での職判雄、
つまり「攻撃ましようとするものではないと断わってから発言している。逆に
i3 BOt蓑(灘etも砂.ε菰, P」389.
慧 Po鱗茎箆鹿et勝scePG紙抄.ε菰,獄3髄一4、初申の仏語タイトルは、醒Me簸so簸蓼ε銭
dt玉GO豊無t燈e v童s童。貧P鎗s盤Odestε改選r6茎e desめ縫懲a至重steぎ’,護翻藏,欝92,獄
27-32.である。
一6{)一
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ピエール・ブルデューのメディア論(安覆 尚〉
その発言は「攻撃」と誤解されかねない内容を含んでいる事を予兆させる。ブ
ルデューは自分の社会学的概究の成果である学問的知見、彼の表現で言えば
新真理」に基づいて分析していると弁明している。しかしその発言は往々にし
て辛らつな「批判謹と受けとめられかねないものとなっている。では、「批判ま
ではなく侮をブルデューはしょうとしているのか.ブルデューは述べる。「私
ののぞむことは、ジャーナリストが自ら反省するのを手助けできればと思って
いる崖だけだと。
そこで、「集団が自らに対してなしうる反省の限界について述べておきたい達
と切り出し、ゼ全ての集団は自分たちが侮であるかと、あるいはかくありたい
と思うものについての表象を生産するまものだという。とくに、それは文化生
産の専門家たちの場合によく当てはまるといえる。こうした表象はあきらかに
その多くを、この「表象を生産する者の(意識的ないし無意識的な〉利害」に
負っている.さらに、野人は自分が解決できる問題だけを自分に提起する達と
マルクスを引く。だから「集団は、それを引き受けることのできる問題だけを
自分たちに提起する達といえる。しかし彼らには、r逃避戦略(des stギ3t¢g墨es
d/6v董tε撚e簸窃というものがあり、問題解決能力を欠いている場合そうした
戦略がとられることになるというのである。つまり、r限界的状況にむすびつ コテでデでアンいた極端な問題を、日常的な問題を避けるために提起するという戦略遷がある
のだ。メディアにおける倫理に関する議論を例にあげている。たとえば「安楽
死の問題をとりあげるのは、看護編の問題や病院の日常生活などをとりあげる
のを避けるため膿だというのである。さらにヂ湾岸戦争について多くのことが
語られました.ですからわたしは、このような集団がさらされるそうした危険
を警告するのです。ま湾岸戦争の取材を終えたばかりのゼ国境なき記者団」に
向かってこうした発言をブルデューはしているのだ。文字通り「誤解」を招く
発言である.戦争報道をすることが暇常生活」や癩常的な問題董を取り上
げるのを避けるためだと主張していると受けとめられかねないであろう。もち
ろんブルデューの真意はそこにはないと思われる。野極端重に悲惨な戦争被害
一6i
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行政社会論集 第20巻 第4号
の一面をとり上げる事で戦争の全体像を見失うことのないようにと夢警告」を
発しているというのが彼の夢真意」ではなかろうか。
さて、醍常な問題についての見解が隠蔽しがちな饗常的な問題」を、どう
ずれば提起できるのであろうか?つまりゼ犬が人にかみついてもニュースには
ならないが、人が犬にかみつくとニュースになる猶といった「ニュース性ま
の定義がもたらす歪みを克服するにはどうすればよいのであろうか.ブルデュー
はギリシア哲学を引きながら述べている。「ストア派の哲学者がいっていたよ
うに、我々に属する実践の領域についての反省が、我々が属さない領域や我々
が責任と行為を免除された領域ヘズレないようにするにはどうしたらよいのか」
という問題である。これに対する解決策はジャーナリストの専門「能力達であ
るゼ言葉窪の使用にある。ジャーナリストの翼有な役割に着目する必要がある、
というのである。ゼ実際のところジャーナリストの能力とは何か?」ジャーナ
リストに属することのうちには、ヂ言葉の使罵があります。言葉を通して、彼
らは効果を生みだし、象徴暴力を行使達するのである.すなわち「言葉の使用
のコントロールこそが、…象徴暴力にほかならないのであり、誤認(凱をcO簸
31ss罎ce)によって補完される一つの暴力まだというのである。ここでいう、
r象徴暴力」を補強するr誤認」とは、ゼ行使している者が行使していることを
知らなければ知らないほど、またこの象徴暴力を受けている者がこの暴力を受
けていることに気づかなければ気づかない程謹効力を発揮するものである。暴
力を振るっている本人も振るわれている被害者もそれを知らないこと、これが
蓄誤認達である。夢誤認達がこの暴力の強さを大きくするというのである。つま
り、ヂ国境なき記者団の皆さん淫自らの力を、時として暴力と化するカである
「言葉の使用涯を反省してみてほしいというのである。
ブルデューは次いでこの抽象的な命題』の具体的例をあげる、ダ今朝私は
驚 筑紫哲也野ジャーナリストは何者かま(筑紫哲遠地編窪職業としてのジャーナリ
スト蓋岩波書店、20鋳年〉3頁.
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ピエール・ブルデューのメディア論(安田 鞠
ジャン・マリー・カバダの番組の宣伝を耳にしました。そこでは、まるで当然
のことのように、感性と異性間の関係の社会史の哲学邊に遭遇します.1970年二
性的解放、欝80年篇道徳主義、!990年=感性の回復といった「桂会艶が登場
しているというのである.さらにはヂ主体への回帰」ゼ構造主義の終焉」薪民主
主義への復帰、などがかたられる。ブルデューは自問する。rところで、彼ら
は何を知っているというのか?」.つまりジャーナリストの世界は、何よりも
こうしたウルガーダ器の生産、再生産、流通の場といえるものであり、この世
界では誰も疑問を提起することがない、週刊誌窪ヌーベル・オプセルバトゥー
ル垂の一つには、こう書いてある。「感性への回帰」。「コティディアン・ド・
パリ」には「性革命の終焉ま。こうしたメディアの言葉の一撃は、「象徴暴力ま
の一撃である.この象徴的一撃は、全く悪意なしに行使されるのであり、しか
も悪意なく行なわれれば行なわれるほど効果的になるわけである。こうしたメ
ディアの一撃は、この暴力を行使する人々自身、つまりジャーナリスト自身が
この暴力の犠牲者であるが故に、効力を発揮するのである。常識的な直感に
「学問的外観まをあたえるゼ半可通の偽学問達が介入するのは、そこである。
これをブルデューは、℃o{re懲銀効果窪と呼んでいる.つまり、「社会的無意
識の投影によってつくられるタイポ獄ジーまは、ヂスポンサーの無意識やジャー
ナリストのr無意識達を反映している。こうしてrジャーナリストは無意識の
流通逢に寄与することになるのであり、「ここにジャーナリストの責任がある謹
というのである。
は 哲学者にはよく知られたゼ禿のフランス王達という誤謬推理(韓raめg墨s獄e〉
がある.そのr象徴的効果の事例重をあげてみよう。例えばrフランス王は禿
だ達という時、この「は瓢6t欝e壌は二つの意味をもっている。つまり、ドフラ
ンス王は禿げである、そして彼は禿げという存在の属性をもっているという感
欝 ウルガータとは、カト1卦ソクの教会公認のラテン語訳聖典のことであり、ここ
では権威ある普及版典撫の意味と思われる.
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行政社会論集 第20巻 第4号
述語命題の下に、卜人のフランス王があり、そしてフランス王が存在すると
いう操一つの存在テーゼが、ここには隠されている。王様が禿だという事実に
注意を向けさせることによって、野当然のこととしてフランス王がいる〔かど
うかと/いうことが見逃されるまのである。もっと別の例をあげてみよう。
夢フランスは退屈している腰、ヂ国民が認めないだろう」、「フランス人は死荊に
賛成だ」など。世論調査では、「実際、道徳の危機があると思いますか鴬野こ
の危機は深刻ですか?大変深刻ですか質というように瀬をおって質問するの
ではなく、まことに単刀薩入に野道徳の危機は、実際のところ深刻ですか?大
変深刻ですか?」といった質問がなされてしまうというのである.こうした誤
謬推理がメディア界を支配しているとブルデューは指摘する。
最も強力な暗黙のテーゼのなかには.労働運動の闘争に支えられた、富者/
貧者、ブルジョア/庶民のような対立項やゼものの見方の原理ま、分類がある。
また我々の多くはぜ無意識董のうちに、国/外国、土着/移民、俺たち/ヤツ
ラといった対立項をもっている。しかし、こうした従来の対立項に転換が突如
起こる。それ以来、移民に対して従来と全く異なる立場をとるようになる.し
かし依然として、対立しあう人々は、別の対立よりも移民/外国人という対立
に優位、優先権を認めている点では共通している。この別の対立では、富と貧
困の間の対立一それぞれの内部には土着と外国がありえるが一からはじまる。
こうして「ブルジョアたちの夢」が実現する。つまり「プロレタリア達という
対立項のない「ブルジョア」が登場する。フランスには、もはや国民しかいな
くなったのであり、それ以来富と貧困が一体化する。つまり、区分線が引きな
おされ、プロレタリアもブルジ3アもフランス人として一体化され、移民と区
別され対立されるようになったというのである。ここでは薪少なくとも金持ち
にとってはま、問題が片付いたのである。このブルデューの主張をいま少し説
明してみるならば、フランスの場合、強力な労働運動を背景に、以前は富者と
貧者の対立が大きな比重を占めていた。しかしその後、ヂナショナリズム重を
背景に、対立軸は様変わりする。土着のフランス国民と移民の対立軸が設定さ
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ピエール・ブルデューのメデでア論(安醗 尚〉
れ、階級対立は後景に退けられたのである。筆者なりに蓉本の例を少しあげて
みる。ゼ保守一革新」の対立軸はゼ守繕派と改革派」の対立軸へ、また、「公と
私」の対立はf官と民涯の対立に変えられ、「公と私達の対立では公の私に対
する優位が語られていたのだが、野宮と民」の対立では官に対して民を優位と
する含意をもつようになる。
ブルデューにとってr言葉の使用藩はハビトゥスそのものである。我々が意
識せずに用いる対立する形容詞の対などがそうであるように、移くの言葉は、
認知のカテゴリーであり、分類の原理蓬である、この言葉というものは、r歴
史的遺産達であり、「社会的に生産され再生産される分類まであり、「社会的世
界の認知の組織原理藩であり、さらにとりわけr対立項(ディコトミー)謹は、
この野組織原理」を維持するか変えるかの政治闘争、また「社会的世界の見方」
を強化するのか変えるのかという政治闘争を含んでいる。ジャーナリストは、
「言説を流通させ押し付ける最も強力な手段を駆使できる達がゆえに、「言説の
生産者全体の中で中心的な役割蓋を果たしている。だから、ジャーナリストは
読者や視聴者に「見せたり信じさせたりする象徴闘争において特権的な地位達
を占めている。これがジャーナリストと知識人の問に戦礫を生みだす原因なの
である。ジャーナリストはR立ちたがり屋でうぬぼれの強い知識人の妬みを買
うのであり、また目立ちたがり屋ではないものの、〔話を3聞いてもらいたい
と思っている知識人によって妬まれるのである.社会的糧界について何かを知っ
ている人、すなわち知識人は、それを言いたいと思うものである。しかしそれ
を言いたいと思う者は、メディアを支配する者たちや、発言者を選ぶことがで
きる人たちと衝突することになる。つまり、メディアに登場したいと思う知識
人は新聞の編集者やテレビのプロデューサーとつねに戦礫や葛藤の関係に入る
ことになるのである。
最後にブルデューは以上のまとめとして、「コミュニケーションにはもっと
厄介なことがある達と主張する。それは、雛ミュニケーションの無意識塞で
ある.この無意識はゼ議論を可能にさせるが、議論の対象とはならない」もの
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行政桂会論集 第20巻 第4号
である。ブルデューがここでいいたいのは、ゼコミュニケーションの無意識に
基づいたコミュニケーションの必要性3である.つまり、意識しない事が「ハ
ビトゥス」、すなわち前述の対立項をなす形容詞群などによって伝わってしま
うのだから、これを意識化する必要があるというのである。しかし「それが実
現しそうにもない願いに止まらないためには、眼界をこえる人たちを一少なく まタディキュノレ
とも物笑いの種にすることによって一厳しく取り締まることができるような批
判機関を構想し、設立しなければならないのではないか」とブルデューは提言
する。しかしブルデューはr自分がユートピアにいることは承知の上ではあり
ますが、批判的な番維をイメージしたい」と語っている、そうした番緩とは、
夢研究者と芸備家、ションソニエ〔フランスの漫談、歌と小話を寄席で披露す
る〕、風麟詩人をあつめて」、新ジャーナリスト、政治家,メディア知識人のな
かでも特に象徴権力の明らかな乱罵に陥った者たちを、騰鵜と物笑いの種にす エプルヴることで試練に付そうとするもの」だというのである。このブルデューのメディ
ア撹鵯番組のアイディアには二つの意味があると思われる.その…つは、メディ
アに対するサンクションを行なう紛織の必要性である.メディアが像徴暴力達
の行使者であり、言葉(=分類体系〉を通じて読者や視聴者のr無意識達に、
自らもr無意識の内に働きかけている故に、これを批判の艦上に載せる必要
があるというのである。実際、ブルデューの構想とは異なっていたが前述の
ACR{MEDが実現したのである.もう一つは、ブルデューの批判の方法が
「娩懸法(ウフェミスム〉」である点である。「象徴暴力塞をゼ物笑いの種蓬にす
る番組の構想という一見奇抜なアイディアの根拠が、同じこの窪ピエール・ブ
ルデュー、介入、欝磁年~2003年 社会科学と政治的活動舞に収録されたゼ
メディアの悲惨」(‘t&麟s包εdes聡綴訟野.丁薦耀辮4,i5f6vr墨er ig95,
で述べられている。ジャーナリストとは薪非常に傷つきやすい諸翻人によって
構成された、非常に有力な職業ヂなのだというのである。こうしたヂ傷つきや
i7 Po縫P総&駿et D茎sce欝ok),砂.認ぬP,3§5.
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ピエール・ブルデューのメディア論(安欝 尚〉
すい謹ジャーナリストに「アルコール中毒が多いのは偶然ではない」とも指摘
している。したがって、やんわりと間接的に投判ずる、分かる人に分かる形で、
分からない人には分からない形で撹啓する方法が最適だというわけである。後
にブルデューの高弟パトリック・シャンパーヌに折に鮭れ語っていたという言
葉がある。生前ブルデューは何度もシャンパーニュに語っていたという。「社
会学者の役割は、ジャーナリストを撹判ずる事にあるのではなくて、彼らを手
助けして、自らをもっとよく理解し、この理解によって彼らがもっと自由にな
れるようにすることにある猶。しかし、r批判」ではなく社会学的r分椀を
提供する事でメディアを支援したいという彼の願いは実ったようには思われな
い.コレージュ・ド・フランスの研究室で、ブルデューは独白とも取れる、た
め息まじりの口吻でrこういうことを言うから私は嫌われるんだけどね…」と
筆者に語っていた。その時ブルデューは上述のようにジャーナリストやrメディ
ア知識人」との激しい論争の渦中にあったことを、わたくしは後に知るのであ
る。
おわりに
最後に以上紹介したブルデューの論説からいくつかの論点を引き出すことで
終わりとしたい。その第一は、ブルデューにとってもフランスにとっても、
欝95年簓目のブルデューのギスト支援まは大きな転機であったということであ
る.前述したように、この事件がフランスの薪社会運動量とrメディア批糊
の運動を結合する役割を果たしたのである、殴会運動窪を進めるためには
「メディア批判3が必要であるという考え方は、経本ではなかなか見られない
現象である。フランスではこうした新たな社会運動の形態がブルデューを媒介
鰺雛t魏q縫edeF撚。を.P瞬旙鐸4醜8μεε辮ε翻,L’H3r懸tt餓2継.
蘇獣}.
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行政社会論集 第2§巻 第4号
として形成されたのである。第二は、ブルデューの「政治参簾」やゼ社会運動
との関わり方の問題である。ブルデューはあくまで、社会学的研究の成果を携
えて「政治参撫するという独特の態度を貫いている。従来の薪大物知識人」
のように「名声達を傘に着てとか、謂わばヂ還俗三して全くの一市民として
「市民的抵抗」に参撫するといった関わり方ではなく、その専門的能力や知見
をもって「政治参加する点にブルデューの知識人としての活動スタイルの独
自性があるといえよう。第三は「逃避戦略蓬の問題である。ブルデューのいう
「語ることによって隠すま、あるいはヂ見せることによって隠す聲という戦略に
注目したい.例えばメディアが振りまく政治に対する野幻滅達と「撹糊は
全く違うということである。しかし、このr幻滅達を語る事で政治権力への
「批判遷は隠され、職肇ljを免れることができるのである。仏語の面白い表現
を使えば、こうした事態を喪驚撚q麗欝=「マークを外す」、つまり政治撹醤の
「ターゲットから外れる達ということになる。講者は似て非なるものであるが.
メディアの支配者はそうしたr幻滅」を振りまくゼメディア知識人達を多馬し
ている。また前述した例のように、ゼ極端な問題」を提起する事で噴常的な
問題」を隠してしまうという効果が生まれる。面白い論点である.そこで提起
したい、このr語る事によって隠す」という戦略を逆手にとって、メディア・
リテラシーの一つの手法にする事ができないであろうか。つまりメディアはあ
る事を語る事で薪何を語らないのか」を問う事が、メディア・リテラシーの一
つの方法になるのではあるまいか、ということである。
最後に残された問題、つまり本稿の中で示唆したブルデューを巡るジャーナ
リズム論争については、別稿をもって応えたる事にしたい。
欝 ブルデュー匿メディア撹享1麺(藤原書店、20倉0年)解頁。
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