ラプンツェルの「冒険」 · to the magica l...

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ラプンツェルの「冒険」 ディズニー・プリンセスのゆくえ2 かほる 2010年11月にアメリカで公開された、ディズニー1のアニメーション作品 Tang7edは、興行成績も良く、ディズニーの長編アニメーションの中でもヒッ ト作となった。2日本ではr塔の上のラプンツェル』として2011年3月に公開 された。ディズニーの長編アニメーション50作目という記念的作品でもあり、 例えば、ラプンツェルの10万本もの髪が美しく波打つようにするために、専門 家が携わり彼女の髪専用のソフトを開発するほどに、予算も時間もたっぷりと 費やされた意欲作である。3 ディズニーの長編アニメーション50作品の中には、ディズニー・プリンセス ものとして知られる、「プリンセス」が主要登場人物である作品群がある。『白 雪姫』(Snow〃ん悔and the Seven・Owart7 s,1937)、『シンデレラ』 (Cindere71a,1950)、『眠れる森の美女』(S7eeping」Beaut x,1959)からなる、 ディズニー・プリンセスのいわば原型を確立した「クラシック・プリンセス」 1 本論では、「ディズニー」とは映画会社としてのウォルト・ディズニー・カン バニーを指すものとする。 2 ウェブサイトrBox Office Mojo」“Tangled”より 3 『塔の上のラプンツェル』ブルーレイ特典映像より 59一

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論 説

ラプンツェルの「冒険」

一ディズニー・プリンセスのゆくえ2

照 沼 かほる

は じ め に

 2010年11月にアメリカで公開された、ディズニー1のアニメーション作品

Tang7edは、興行成績も良く、ディズニーの長編アニメーションの中でもヒッ

ト作となった。2日本ではr塔の上のラプンツェル』として2011年3月に公開

された。ディズニーの長編アニメーション50作目という記念的作品でもあり、

例えば、ラプンツェルの10万本もの髪が美しく波打つようにするために、専門

家が携わり彼女の髪専用のソフトを開発するほどに、予算も時間もたっぷりと

費やされた意欲作である。3

 ディズニーの長編アニメーション50作品の中には、ディズニー・プリンセス

ものとして知られる、「プリンセス」が主要登場人物である作品群がある。『白

雪姫』(Snow〃ん悔and the Seven・Owart7 s,1937)、『シンデレラ』

(Cindere71a,1950)、『眠れる森の美女』(S7eeping」Beaut x,1959)からなる、

ディズニー・プリンセスのいわば原型を確立した「クラシック・プリンセス」

1 本論では、「ディズニー」とは映画会社としてのウォルト・ディズニー・カン

バニーを指すものとする。

2 ウェブサイトrBox Office Mojo」“Tangled”より

3 『塔の上のラプンツェル』ブルーレイ特典映像より

59一

行政社会論集 第24巻 第4号

3作品、新体制の下、新しい制作方法で作られ、「新しさ」をアピールした

『リトル・マーメイド』(Litt7e Mermatd,1989)、『美女と野獣』(Bea乙4ty afld

the Beast,1991)とrアラジン』(A7addih,1992)からなる「ニュー・プリ

ンセス」3作品が、通常ディズニー・プリンセス作品として知られている。4

 これに加えて、『ポカホンタス』(Pochahontas,1995)と『ムーラン』

(Mu7an,1998)、さらに10年余りの時を経て、『プリンセスと魔法のキス』(The

Princess and the Frog,2009)が加わり、その後に続く10作品目として、

『塔の上のラプンツェル』が仲間入りした。

 ディズニーのアメリカ版公式サイト内の“Disney Princess”のページでは、

これら10人のプリンセスたちが、新顔のティアナ(『プリンセスと魔法のキス』

の主人公)とラプンッェルを中央に据えて勢揃いし、それぞれのコーナーがほ

ぼ同様の形式で用意されていて、女の子たちが物語やファッション、塗り絵な

どを楽しめるようになっている。フロリダ州オーランドーのディズニー・ワー

ルドでは、ティアナとラプンツェルをメインにプリンセスたちのキャラクター・

グリーティングが行われ、カリフォルニア州アナハイムのディズニーランドで

は、「ディズニー・プリンセス・ファンタジー・フェア」というコーナーで、

ラプンツェル以外のプリンセスたち9人が交代でゲストを出迎える。ラプンツェ

ルには「ラプンツェルの部屋」があり、そこへ行けば彼女に会える。また、ディ

ズニー・プリンセスのガイドブックDi’㎝ey Princess The乙/7ti:mate Guide

to the Magica l vaor7d(2011)(日本語の翻訳版はrディズニー・プリンセス・

スペシャルガイド』)においても、各「プリンセス」たちにほぼ同じページ数

が割り当てられ、あらすじやキャラクター紹介以外にも、物語とは直接関係の

ないコーナー(プリンセスたちの好きなこと、魔法とのかかわり、手紙、秘訣、

4 「クラシック・プリンセス」と「ニュー・プリンセス」について、詳しくは、

照沼かほる「女の子はみんなプリンセスーディズニープリンセスのゆくえ」を

参照(PP.43-44)。

一 60一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

など)が設けられている。5さらにディズニー・ストアでも、数は少ないなが

らも、10人をプリンセスとみなした商品が販売されている。6

 とはいえ、やはりアメリカにおいても、ポカホンタスとムーランは、プリン

セスとしての認知度はコアメンバーの6人に比べると低い。ディズニー・プリ

ンセス関連グッズにおいても、圧倒的にその数は少ない。そもそも、ポカホン

タスとムーランを「プリンセス」とみなすことにも問題がある。7それゆえ本

論では、この2人の物語はディズニー・プリンセスものとして扱わないことと

する。

 『塔の上のラプンツェル』は、ヨーロッパの昔話を原作としている点で、ク

ラシック・プリンセスたちの物語と共通する。また、彼女たちのような「信じ

ていれば夢はかなう」という他力本願で受動的な立場にいるのではなく、自ら

5 Dtsney Pn cess The O7血8たGuide to the Magica l vaorldには2010年

出版の初版があり、ティアナまでの9人のプリンセスを扱っている。表紙と裏

表紙に描かれたプリンセスたちの衣装およびポーズは、どちらの版も同じだが、

配置が異なっている。2010年版では、シンデレラが中央で大きく取り上げられ、

新顔のティアナはその後ろに据えられているのに対し、2011年度版では、新顔

のラプンツェルが中央(2010年版のシンデレラの位置)に描かれており、ラプ

 ンツェルが特別に扱われていることが表れている。表紙にはまた“Revised edition

 featuring Rapunze1”と記されており、彼女がディズニー・プリンセスの一員

 として参加して完成版になったことが強調されている。

6 -一方、ポカホンタスとムーランは、日本では「プリンセス」としては認識さ

れていない。日本のディズニー・ストアでも、この2人を飛ばして、6人のプ

 リンセスたちに新プリンセスのティアナとラプンツェルを加えた8人体制の

 「ディズニー・プリンセス」の商品が少ないながら販売されており、ポカホンタ

スとムーランが無視されていることが窺える。この2人はプリンセスとしてだ

 けでなく、ディズニーのキャラクターとしての人気もそう高くはない。東京ディ

ズニー・リゾートでの出番も少なく、アメリカような白人以外のキャラクター

への配慮がなされていない。

7 照沼「女の子はみんなプリンセス」参照(pp.54-55)。

一61

行政社会論集 第24巻 第4号

違う場所・異なる世界へ向かおうと行動する点で、ラプンツェルはニュー・プ

リンセスたち、さらにはティアナとも共通する。その一方で、原作を大胆に改

変した物語の中で、新しい要素を加えられた彼女は、どのプリンセスよりも自

由に「冒険」する。本論では、『塔の上のラプンツェル』をディズニー・プリ

ンセスの最新作品として、それ以前の作品群と比較し、その特徴を見出すこと

で、主人公ラプンツェルのディズニー・プリンセスらしさについて論じる。そ

のために、まずは原作とされるグリム童話の「ラプンツェル」との比較、そし

て“ライバル”であるドリームワークス8の「シュレック」シリーズとの比較も

行うことで、ディズニーらしさを再確認し、この意欲作の意義を考察する。

1.「現代風」アレンジ 原作との比較

 「ラプンツェル」の映画化は、ウォルト・ディズニーが他の昔話と同様に1940

年代から考えていたものだったが、『塔の上のラプンツェル』の監督たちによ

れば、2010年に作られたことで、「現代風にしつつ、原作を生かした」作品と

なっているという。9原作をどのように改変したことで、「現代風」の、ディ

ズニーらしい作品となっているのか一この節では、グリム童話の「ラプン

ツェル」と『塔の上のラプンツェル』とを比較する。

8 1994年に設立されたアメリカの映画会社、製作会社であるDreamWorks

SKG、特にアニメーション部門のDreamWorks SKGを指す。パラマウント映

画に一時買収され、その後独立するも、アニメーション部門はパラマウント映

画との契約が続いている。もともとディズニーと決裂した元主要メンバー、ジェ

フリー・カッッェンバV・一一・一グが中心となって設立した会社であることもあり、特

にアニメーションではディズニーへの対抗意識が強くみられることがある。(Cf

ウェブサイト「ドリームワークスアニメーション」、Wikipedia「ドリームワー

 クス」)

9 『塔の上のラプンツェル』ブルーレイ 特典映像より

一 62一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

 ディズニー版ラプンツェルは、実のところ、あまりにグリム版と異なってい

て、「原作」と呼んでいいものかどうか微妙だ。魔女の持ち物を身重の妻が口

にすることで無事に生まれた子供を、魔女がさらい、その魔女に塔に閉じ込め

られた髪の長い少女ラプンツェルが、男性と出会うことで初めて外界に出て、

最後は結婚して終わる、という骨組しか同じではないとさえ言える。

 まず、ラプンツェルの「プリンセス」としての立場を比べてみよう。ディズ

ニー版では、王と王妃の娘、プリンセスとして生まれたラプンツェルが、彼女

の髪に宿った魔法の力目当てに魔女ゴーテルにさらわれ、その魔女を母親と思

い込まされ高い塔に閉じこめられて暮らしているという設定だが、グリム版で

は、ラプンツェルは庶民の娘であり、魔女に塔に閉じ込められた彼女に会いに

来たのが「王子(プリンス)」であるために、最後に彼と結婚することで初め

て「プリンセス」になる。ディズニーのラプンツェルに会いに来た男性ブリン・

ライダーは、王子ではなく盗賊だ。1°しかも、グリム版のようにラプンツェル

の美しい歌声に惹かれて興味を持ったために塔に登ってくるわけではなく、城

からティアラを盗んだために追われる身となり、たまたま見かけた塔に逃げ込

んできたという設定である。そしてブリンは、(髪の助けなく)自力で塔を登

り、窓に入った途端にラプンツェルにフライパンで殴られ、囚われの身となる。

グリム版の二人が会ってすぐに恋仲になるのとは大きく異なり、ラプンツェル

とブリンは、その後ラプンツェルの生まれた街へ向かう道中で意気投合して初

めて親しくなっていく。もちろんブリンはラプンツェルが「消えたプリンセス

(10st princess)」11であることは知らずに恋に落ちる。高貴な(裕福な)立場

を知らずに恋に落ちる、つまりその人自身の中身を好きになるというのは、現

10 ブリン・ライダーは作中で自分の本名は「ユージーン・フィッツハーバート」

 だとラプンッェルに告白し、その後ラプンツェルは彼をユージーンと呼ぶのだ

 が、本論では便宜上、ブリンで通すこととする。            ’

11 『塔の上のラプンツェル』ブルーレイより。以後、台詞は全て各作品からの引

 用。

一 63一

行政社会論集 第24巻 第4号

代においてなんとも好ましい設定だ。12

 グリム版の主人公の母親は、魔女のものと知らずに隣の畑のラプンツェルと

いう野菜を無性に食べたがり、父親がその野菜と引き換えにうっかり交わして

しまった約束によって、生まれた娘は連れ去られることになる(グリムpp.

141-143)。一方、ディズニー版では、王妃は妊娠中に重い病にかかり、古く

から言い伝えられている、黄金に輝く「魔法の花」があれば治ると信じた王が、

家来たちにそれを捜させ、魔法の花を独り占めしていた魔女の手からそれを得

て、王妃がそれを飲むことによって病は治り、無事ラプンツェルが生まれる。

魔女は永遠の若さの源であった魔法の花の代わりに、生まれた子供の黄金の髪

をひと房取りに来るが、切り取ると効力を失うことを知り、子どもごと連れ去

る。グリム版の魔女がなぜ子どもを欲しがって、しかも塔に閉じ込めたのかは

不明だが、ディズニー版では明快である。永遠の若さを維持するためだ。かつ

て魔法の花に魔女が歌いかけると魔法が発動し、魔女は老いから解放されてい

た。今はラプンツェルが歌うと、彼女の金髪は光り輝き、老いで弱った体は若

返り、また傷も癒すことができる。魔女は、外の世界はラプンツェルの髪の力

を狙う悪い人々がいて危険だから塔から出てはいけないと諭すことで、彼女を

塔から出さないでおくことに成功している。永遠の若さ一それは、白雪姫の

継母同様、ディズニーの悪役魔女にふさわしい欲望である。

 このラプンツェルの特別な力については、ブリンも途中で知ることとなるが、

出会った時には知らない。ラプンツェルの抱える「複雑な事情」もあえて知ろ

12 もっとも、ラプンツェルとブリンが中身だけでなく互いの外見の良さにも惹

 かれたかどうかは一相手の顔を初めてじっと見つめる場面でその外見に見惚

 れているようにも見えなくはないが一明らかではない。ただ、『塔の上のラプ

 ンツェル』のブルーレイの特典映像によれば、ブリン・ライダーのイメージを

 決める際、何十種類ものイラストから、スタジオの女性スタッフたちが議論を

 重ねて選び抜いたということなので、ブリンの外見が、現代のアメリカ女性の

 好みのタイプの一つであることは確かではある。

一 64一

ラプンツェルの「冒険⊥一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

  うとしない。成り行きで同行することになる男女が、徐々に互いのことを理解

  するようになり、命がけの苦労を共にすることで、愛情を育んでいく一まさ

  に、ハリウッド映画が得意とする冒険もの、アクション・アドベンチャーの設

  定の定石である。この点において、ディズニー版のラプンツェルは、「現代風」

  の冒険プリンセスである。

   ラプンツェルがどのように塔の外に出るのかも、2つの作品では大きく異な

  り、かつ決定的な違いとなっている。グリム版のラプンツェルは、王子が来訪

  の度に持参する絹の紐で塔を降りるための梯子を作るという計画を進めていた

  ものの、王子が塔に足繁く通っていること.(そして性的関係を持っていたこと)

  を、魔女にうっかり灰めかしてしまったために、魔女に髪を切られて塔から追

  われ、荒野に放り出されてしまう。13ラプンツェルは王子と結婚するために塔

  の外に出たかった。だが、王子とは離れ離れになり、王子もまた魔女の罠と知

  らずに切られたラプンツェルの髪で塔に登り、魔女にそこから突き落とされて、

  落ちた拍子に失明する(グリムpp.146-148)。一方、ディズニー版のラプンツェ

  ルは、ブリンの助けは借りるものの、自らの意志で外に出る。そして自由を謳

  歌し、危険な目に合いながらも、ブリンと共に乗りこえて、念願の誕生日の夜

  空一面の灯りを鑑賞するという夢をついに叶える。しかも特等席で、恋人付き

. である。自らの夢のために外の世界へと旅立ち、恋人の力を借りて夢を果たす。

  冒険プリンセスの念願はこうして叶う。「夢がかなった後はどうしたらいい?」

  と訊くラプンツェルに、「また新しい夢を持てばいい」とブリンは答える。ラ

  プンツェルはブリンとの冒険のおかげで、本当はプリンセスであったという

  「本当の自分」も発見する。最後に本当の両親のもとに帰るラプンツェルは、

  本当の自分の居場所を見つける。今度は夫付きである。ラプンツェルは「新し

13 グリム童話の初版では、ラプンツェルのもとに王子が何度も通って性的関係

 を持ったために子どもを身籠ったことが明示されているが、第2版からはグリ

 ム兄弟自身で娩曲的な表現に変えられた。

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行政社会論集 第24巻 第4号

い夢」も叶え、自分探しを経た成長物語は完結する。

 グリム版のラプンツェルの髪を切ったのは魔女であったが、ディズニー版の

ラプンツェルの髪を切るのはブリンである。魔女の魔の手からラプンツェルを

救うために、ブリンが彼女の髪をばっさり切り落とすと、黄金の髪はたちまち

茶色になり、魔力を失う。その結果、魔女は消滅し、ラプンツェルは再び自由

の身となる。ラプンツェルの髪は、彼女を特別な存在たらしめていたが、同時

に、塔に閉じ込められることになる要因でもあった。だがラプンツェルは自ら

髪を切るという発想は持っていなかった。(偽のではあるが)母の呪縛となっ

ていた娘の髪を、男性が断ち切ることで、娘は母から救われる。

 ラプンツェルと魔女との関係も、ディズニー版では重要である。グリム版の

ラプンツェルも魔女の命令には逆らわないが、ディズニー版のラプンツェルは、

とりわけ親から見て理想的な娘として描かれていると思われる。魔女を本当の

母として愛し、信頼し、母の言いつけをしっかり守り、「外は危険」と信じ、

外の世界を見たい、とりわけ自分の誕生日に遠くの夜空を飾るたくさんの灯り

を間近に見たいという夢を、彼女は約18年間胸に秘めて我慢してきた。その母

が、18歳の誕生日にどうしてもあの灯りを見に行きたいとせがむラプンツェル

に、ついうっかりと「お前は一生この塔から出られない」と口走ったのをきっ

かけに、ラプンッェルはクローゼットに閉じ込めておいたブリンと取引きをし

て、塔の外に出ることを決意する。外の世界を見るという自由を求めて、母に

反抗する娘とその手助けをする男性のカップルがこうしてできあがる。だがラ

プンツェルは外に出た途端に、母を困らせることをしてしまった自分を責める。

『塔の上のラプンツェル』は親からの自立、親への不信と葛藤とを描く青春ス

トーリーにもなっているのである。アメリカのティーンエイジャーにはお馴染

みの物語だ。

 このようにグリム版とディズニー版とでは、塔に幽閉された少女という設定

の後の展開は相当に異なる。だが、結末は同じである。どちらも最後は結婚で

終わり、「いつまでも幸せに暮らしました」という結末を迎える。グリムでは、

一 66一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

失明して荒野をさまよっていた王子が、同じく荒野にいて、一・人で双子を産ん

でひっそり暮らしていたラプンツェルの声を聞きつけ、無事に再会を果たし、

ラプンツェルの涙で王子の眼が癒され、4人は国に帰り、「親子そろって、長

くしあわせに、また楽しく暮らした」(グリムp149)。ディズニー版でも、ラ

プンツェルの涙がブリンを救う。ラプンツェルの髪を切る前に魔女に刺されて

致命傷を負ったブリンを、ラプンツェルは抱きしめ、髪の魔力も失われて彼を

癒すこともできず、「君は俺の新しい夢だ」と最後に言うブリンに「あなたは

私の夢」と囁きながら、悲しみに暮れて涙を流す。すると、失われた髪が甦っ

たかのごとく、あるいは彼への愛の強さゆえか、不思議な光が髪のように空中

に散らばり、ブリンは息を吹き返す。その後ブリンに連れられて、ラプンツェ

ルは本当の両親のもとに帰り、両親にも気に入られたらしいブリンと結婚し、

誰からも愛される「期待通りのプリンセス」となる。結末で、語り手(ブリン)

の言葉がそれまで用いられていた過去形から、「いつまでも幸せに暮らしてい

ます」と現在進行形に変わっているのは、プリンセスの物語は結婚しておしま

い、というイメージを変えたいという「現代風」な変更であろう。『魔法にか

けられて』(2007)や『プリンセスと魔法のキス』のような従来のプリンセス

物語のパロディ作品の流れをくむ新しさの試みは、「結婚」後にも物語が続く

ことを強調している。14

2.プリンセス・ラプンツェル ディズニー・プリンセスたちとの比較

 ディズニーの前作である『プリンセスと魔法のキス』は、それまでのプリン

セスものとさまざまな相違点があった。まさに「現代風」を狙ってのことであ

る。それはその前の実写混合版『魔法にかけられて』からの流れをくむ、パロ

14両作品のパロディ性については、照沼「女の子はみんなプリンセス」を参照

 (pp.68-76)。

一 67一

行政社会論集 第24巻 第4号

ディの要素が込められているゆえんでもある。『塔の上のラプンツェル』はど

うであろうか。『プリンセスと魔法のキス』と比べると、舞台設定や主人公の

立場などにおいて、『塔の上のラプンツェル』は対照的である。それはまた、

それ以前のディズニー・プリンセスたちと類似しているということにもなる。

その類似性はパロディというよりはオマージュと言えるものだ。この節では、

6人のプリンセスたち、および『プリンセスと魔法のキス』のティアナとラプ

ンツェルとを比較する。

 (1)クラシック・プリンセスたちとラプンツェル

 『白雪姫』(1937)の主人公との共通点は、まずは生まれがプリンセスである

こと、にもかかわらず城から強制的に出されて帰れないこと、そして城を離れ

た家/塔で、隠れて暮らしていること、そこで家事を担当していることである。

そして、若さと美しさに固執する継母/偽の母に美しさを疎まれてもいる

ラプンツェルの場合は、直接的ではないが、魔女はラプンツェルの美しさを見

て見ぬふりをしている。しかし白雪姫とラプンツェルは、継母/偽母のそうし

た悪意になかなか気づかない。そんな呑気さ、人を疑わない純真さも似ている。

 『シンデレラ』(1959)のヒロインとはどうだろうか。白雪姫と違い、シンデ

レラは継母と姉たちのいじわるや悪意にはかなり敏感だ。そして「信じていれ

ば夢はかなう」を信条に、つらいことに耐えればその分幸福が訪れると信じて

頑張っている。毎日の家事も、楽しさを見出してこなしている。そんな彼女が

唯一落胆するのは、宮殿の舞踏会に行けなくなった時である。そして夢の可能

性が断たれてしまったと打ちひしがれていたシンデレラは、魔法使いに助けら

れて、未知の世界、すなわちお城の舞踏会に行くことになる。

 一方ラプンツェルも、幽閉された身であることをあまり考えないようにして、

毎日家事をきちんとこなし、室内でできる娯楽  絵描き、読書、編み物、裁

縫、パズル、チェス、ストレッチ、チェス、ロウソク作りなど一をそれなり

一 68一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

に楽しんでいる。窓から外を眺めて、外に出られる日のことを夢想する姿は、

窓から遠くの城を眺めて、うっとりするシンデレラと似ている。だが、「お前

は一生塔から出られない」と魔女に言われた時、ラプンツェルはついに自らの

力で脱走することを決意する。そして、「夢」を実現するために、ブリンと魔

法の髪を使って未知の世界、すなわち塔の外の世界へと旅立つ。

 『眠れる森の美女』(1959)の主人公オーロラとは、ラプンツェルは境遇も設

定もかなり共通点がある。オーロラは生まれたばかりの頃に魔女に呪いをかけ

られ、殺されそうになるが、3人の妖精たちによって呪いは弱められ、その効

力は16歳の誕生日の朝まで抑えられる。魔女から身を隠すために森の家で育て

られたオーロラは、ブライア・ローズ(いばら)と名乗り、自分がプリンセス

であることを知らない。そして16歳になって森から城に戻る準備を整えている

ときに、魔女にオーロラが生きていることを感づかれ、彼女は呪いの眠りに就

くことになる。

 自分がプリンセスであることを知らないのはラプンツェルも同じだ。森の中

の、ラプンツェルの場合は、扉のない塔の中で、周囲から隠れて暮らし続けて

おり、それが魔女のせいであるという自分の運命のことも知らずにいる。そし

てオーロラは16歳の、ラプンツェルは18歳の誕生日の翌日に、魔女から解放さ

れた時、目覚めたオーロラの目の前には魔女を倒したフィリップ王子が、ブリ

ンが生き返った時には目の前にラプンツェルがいて、それぞれ二人は結ばれ、

ハッピーエンドとなる。

 『眠れる森の美女』といえば、ペローの童話では、主人公は呪いによって100

年の眠りにつくが、ディズニー版では一晩で目覚めるようになっている。グリ

ム版の「ラプンツェル」では、塔から追い出されたラプンツェルが何年も双子

の子どもたちと荒野で暮らした末に、ようやく王子と再会して城に連れて行か

れるのに対し、ディズニー版のラプンツェルの塔の外での冒険は、18歳の誕生

日の一日の出来事として描かれる。一日だけの出来事と翌日の大団円にするこ

一 69一

行政社会論集 第24巻 第4号

とで、王子の、あるいは主人公二人の冒険を際立たせている、そんなところも

呼応しているようでもある。

 (2)ニュー・プリンセスたちとラプンツェル

 クラシック・プリンセスたちとの共通点は、童話が原作であることもさなが

ら、「現代風」を前面に出した初のCGアニメーションのプリンセスであるラ

プンツェルが、ディズニー・プリンセスらしさの多くを継承していることを意

識させるべく、細部の類似も含めて、意図して作られているところもあるだろ

う。では、『リトル・マーメイド』(1989)から始まるニュー・プリンセスたち

との関係はどうだろうか。ウォルト・ディズニー亡き後のアイズナー体制の下

で「新しさ」をアピールすることに一役買ったアリエル、ベル、ジャスミンと

は、ラプンツェルは、物語の設定や構成が似ているというよりは、主人公とし

ての立場や行動の類似点の方が目立っているといえる。

 3人の中でラプンツェルと最も似ているのは、『リトル・マーメイド』のア

リエルだ。彼女は、一目ぼれした王子エリックのもとへ行くために、家族らの

反対に合いながらも、危険を覚悟で海の魔女アースラと契約を交わして人間に

姿を変え、未知の世界へと旅立つ。そしてエリック王子の「本当のキス」を得

るための冒険は、人間に変身したアースラによって阻まれてしまうが、その後

エリックによってアースラが倒されたことにより、アリエルはエリックとの結

婚を手に入れる。ラプンツェルもまた、偽母の魔女に逆らって、自分の夢を叶

えるために、未知の世界へと飛び出していく。自分の誕生日の夜空を彩るたく

さんの灯りを間近で見たいという夢はブリンのおかげで叶えられるものの、追

いかけてきた魔女の罠にはまり、ブリンと引き離され、ラプンツェルは再び囚

われの身となる。それを助けに来たのは、もちろんブリンだ。彼が彼女の髪を

切ったおかげで、ラプンツェルは魔女から解放される。そして今度はラプンツェ

ルの涙がブリンを救い、二人は結婚してハッピーエンドを迎える。

一 70一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

 『リトル・マーメイド』の夜のボートでのデート・シーンは、この作品の中

の有名な場面だが、『塔の上のラプンツェル』の最も印象深い場面の一つも、

夜のボートでのロマンティックなデート・シーンである。アリエルはボート上

で、エリックから「本当のキス」を得そうになりながら、アースラの手下たち

に阻まれてしまう。ラプンツェルもまた、特等席で夜空の灯りを鑑賞できるよ

うにブリンが用意してくれたボートで、それぞれ互いへの好意を確信し、キス

をしようとするものの、魔女と手を組んで二人を追ってきた悪役二人組の姿を

見つけて、ブリンが警戒したために、未遂に終わる。

 同じように未知の世界で「冒険」をするアリエルとラプンツェルだが、アリ

エルの場合はエリックの愛を得るためであるのに対し、ラプンツェルの場合は

いわば自分探しのための冒険だ。年に一度、夜空に鎮められる灯りも、それが

毎年の自分の誕生日であることから、灯りが自分のためのものなのではないか、

だからそれを間近で見ることで自分の存在についても何かがわかるのではない

か、とラプンツェルは漠然と考えているように見える。そのような灯りの正体

を突き止めて自分との関わりを知りたいという彼女の長年の夢をかなえるため

の冒険の過程で、彼女がブリンと恋に落ちるのは、先にも述べたように、冒険

物語のヒーローとヒロインの定番の設定である。初対面で相手に見惚れている

ように見える二人ではあるが、冒険を共にすることで、互いを理解し合った結

果、恋に落ちるという設定は、「現代風」であり、ハリウッド映画でおなじみ

のものである。父王の言うことを聞かずに人間に変身し、アースラに騙された

ことでその父に多大な迷惑をかけてしまうアリエルと違って、純真で優しく、

かわいい「娘」であるラプンツェルと、盗賊だけれど親のない寂しい子ども時

代を送ったという過去をもち、優しくラプンツェルを助ける、程よくハンサム

なブリンの恋となれば、観客は自ずと応援したくなるだろう。共通した設定は

多いものの、『リトル・マーメイド』におけるエリックの愛を得るため(だけ)

のアリエルの冒険と比べると、『塔の上のラプンツェル』でのラプンツェルの

冒険は、自分探しという青春もののテーマが加えられた、より「現代風」な冒

71

行政社会論集 第24巻 第4号

険であることが見て取れるだろう。

 次の『美女と野獣』(1991)のベルとの共通点は、アリエルほどは多くない

が、ヒロインの特性における共通点は、「現代風」という点で、注目すべきか

もしれない。

 設定において共通点を見出すとすれば、どちらのヒロインもヒーローを改心

させるところであろうか。『美女と野獣』は、外見通り中身も粗野な野獣が、

聡明で優しいベルによってプリンスらしくなっていくという物語であり、『塔

の上のラプンツェル』では、ブリンは、世間知らずながら優しい良い「娘」ラ

プンツェルと出会うことで、本来の自分を取り戻し一彼は誰にも明かさなかっ

たユージーン・フィッツハーバートという本名をラプンツェルにだけ教え、身

の上話を打ち明けて、人生をやり直そうと決意する  、最後はラプンツェル

の伴侶として王と王妃に認められ、プリンスとなる。

 一一方、本が大好きな少女で、恋愛への興味よりも本に夢中で、いわば文学少

女として描かれており、それゆえに、外見で人を判断しない心を育んでいると

いうベルのキャラクター設定は、ラプンツェルに通じるものがある。彼女は外

の世界を知らないが、本を読み、絵の才能に長けていて、塔の部屋の壁じゅう

に自分の想いを投影した絵を描くという、想像力豊かでアーティスティックな

面をもっている。ベルはまた、魔法にかけられた野獣の住む城という、未知の

世界での生活も、優しい心と相手を思いやる想像力で乗り切っていく。ラプン

ツェルも、魔女に「外は危険な人々でいっぱい」と教えられながらも、初めて

入った酒場で、人相のかなり悪い男性たちに偏見なく接し、彼らの人間らしい

面を引き出すことになる。15親孝行な娘である点も、大事な共通点かもしれな

15 『塔の上のラプンツェル』ブルーレイの特典映像(メイキング)によれば、こ

 の酒場のシーンには別の候補があり、そこでは、ラプンツェルは外見から酒場

 の人々が悪者であると判断し、悪事を計画していると思い込んで、彼らの気分

一 72一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

い。他のニュー・プリシセスたちは、親(父親)のことを愛してはいるが、親

の言いつけには背きがちだ。ベルは野獣に囚われた父の身代わりとなって野獣

の城に向かう。他方、ラプンツェルは、偽母のことを信じて、最後まで言いつ

けを守ろうとする。

 ベルとラプンツェルの大きな違いは、もともとプリンセスであるかそうでな

いか、という点ではなく、『塔の上のラプンツェル』がラプンツェルの青春ス

トーリーであり、成長物語であるのに対し、『美女と野獣』はベルではなく野

獣の成長物語である点である。「美女」ベルはあくまでも「野獣」の成長物語、

野獣の夢の実現のためのサポート役にすぎない。16ベルが自分の世界を持った

自立した女性であったのが、野獣と関わることで、「プリンセス」の座を射止

めたとはいえ、野獣のサポート役に甘んじる結果におわるのに対し、ラプンツェ

ルは、ブリンと出会うことで、自由と自立だけでなく、自分のより大きな可能

性を見いだし、おまけに本当の自分探しも達成する。葛藤ののちの親からの自

立、(わずか2日間ではあるが)波乱に満ちた冒険、愛する人の獲得、そして

自分の居場所の発見一プリンセスに憧れる女の子たち、そして彼女たちをい

い子に育てようとする親たちにとって、ラプンツェルの物語は、女の子の成長

物語としても理想的な物語の一つである。

 『美女と野獣』以上に、脇役の位置に甘んじているのが、『アラジン』(1992)

のヒロイン、ジャスミンだ。ディズニー・プリンセスものの中で唯一彼女は主

人公ではない。けれども、彼女がプリンセスの身分を隠して、彼にとって未知

の場所である庶民の生活の場に冒険に行き、そこで盗賊アラジンと出会い、最

 を害する、という描かれ方をしている。風貌に不似合いな詩的な言葉を口にす

 る「悪者」たちは魅力的ではあるが、ラプンツェルのキャラクター設定にとっ

 ては、こちらのシーンが採用されずにすんで正解であったろうと思われる。

16詳しくは、照沼「女の子はみんなプリンセス」参照(pp.52-53)。

一 73一

行政社会論集 第24巻 第4号

後は彼との結婚(の暗示)で終わるという設定は、プリンセス・ラプンツェル

と盗賊ブリンの出会いとその後の展開と類似している。また、(王子に扮した

姿ではあるが)アラジンとジャスミンが二人で、マジックカーペットに乗って

夜空を自由自在に飛ぶ時に歌う“AWhole New World”は、ラプンツェルと

ブリンが誕生日の夜のボートの上で歌ってもおかしくない内容になっている。

こっそりもぐりこんだ庶民の市場で、貧しい子どもたちに同情する心優しい女

性として描かれるジャスミンは、初めて街にたどり着いた時に見知らぬ人々と

歌って踊って、すっかり打ち解けるラプンツェルの姿と重なりもする。

 父王が選んでくる王子たちとの「愛のない結婚」を拒み、王子に扮したアラ

ジンにも関心を示さず、それが仮の姿で実は市場で会った盗賊とわかって初め

てジャスミンはアラジンに好意を抱く。一方のアラジンも、ジャスミンをプリ

ンセスとは知らずに一一目惚れし、彼女に会いたいがために、プリンスに変身す

ることになる。身分に惹かれるのではなく「中身」に惹かれること一もっと

も、地位ではなくとも、少なくともアラジンの場合は外見重視の一目惚れでは

あるのだが  、そこがディズニー・プリンセスの物語では肝心であるならば、

ラプンツェルにも見事に当てはまっている。

(3)ティアナとラプンツェル

 「信じていれば夢はかなう」と願い、その夢とは「愛する人との結婚」であ

り、そしてその相手は結果的に「王子」である、というのがディズニー・プリ

ンセスたちの基本型だが、それには明らかに当てはまらないプリンセスがいる。

『プリンセスと魔法のキス』(2009)のティアナである。『塔の上のラプンツェ

ル』は、この前作と対照的なところも多いが、共通する部分もある。そして概

して、対照的な部分はそれ以前のディズニー・プリンセスものと類似している

部分であり、逆に共通する部分はディズニープリンセスもの6作品とは異なる

点であるといえる。

 『白雪姫』から『アラジン』までのディズニー・プリンセスものの、作り手

一 74一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

の愛情に満ちたパロディ作品である『魔法にかけられて』の後にふさわしく、

『プリンセスと魔法のキス』も、プリンセスもののパロディ的な細部が気にな

る作品ではあるが、プリンセスの表象や造形は、プリンセス6人組と、そして

ラプンツェルとも大きく異なる。rプリンセスと魔法のキス』と他のプリンセ

スものとの最も大きな違いは、原作が著作権を要する現代に書かれた物語であ

ること、原作の舞台は架空のヨv-・…ロッパの国であるが、映画の舞台は大幅に変

えられて、いつだかわからないどこかの国の物語ではなく、1920年代のアメリ

カとなっていることであるが、さらに主人公のティアナが、自立するために労

働をしていることも、同じくらいに大きな違いである。主人公の労働は、『魔

法にかけられて』の次の作品としては、ごく当たり前の成りゆきのように思わ

れるが、ディズニー・プリンセスの要素としては、ふさわしくないと思われた

のか、設定を「現代風」に変えることを進んで行ったはずのスタッフも、次の

プリンセスもの『塔の上のラプンツェル』では主人公は働かず、また、いつだ

かわからないどこかの国の物語となった。女の子たちが憧れるプリンセスは、

具体的な年代の実際の街に住む女性ではない方が、より望ましいということで

あろうか。

 『プリンセスと魔法のキス』ではシャーロットというティアナの親友が登場

し、自らは強いプリンセス願望を持ちながら、彼女は親友の一大事には、自分

の夢よりも親友を助けることを優先する。(動物以外の)親友の存在は、プリ

ンセスものでは画期的であったが、残念ながら『塔の上のラプンツェル』では

これも採用されず、動物の親友(パスカルという名のカメレオン)に戻ってし

まった。(例えば『シンデレラ』に登場するネズミたちのように)人語を話し

たりはしないが、パスカルは主人公の良き友であり、彼女の心情をブリンに伝

えるという重要な役割も果たす。主人公とかわいらしいペット、あるいは頼り

になるペットとのコンビは、プリンセスものだけでなくディズニー作品ではお

なじみの配役であり、ラプンツェルとパスカルの関係も、その王道に沿ったも

のになっている。

一 75一

行政社会論集 第24巻 第4号

 一方、ティアナとラプンツェルには、忘れてはならない二人だけの重要な共

通点がある。男性の愛を得るためではない冒険に、(ティアナの場合はカエル

の姿同士ではあるが)男性とともに旅立つ点である。その冒険は、初めは自分

のためだけのものであったが、しだいに男性にとっても、そして二人の関係に

とっても大事なものとなる。冒険の過程で、初めは反発しながらも、魔術を解

くために力を合わせ、互いを理解し合い、結果的に惹かれあうようになり、互

いの夢や立場を重んじる行動を取り、すれ違いながらも、二人は最後はめでた

く結ばれて、さらに互いの夢も実現する。ハリウッド的ラブ・ロマンスを含ん

だアクション・アドベンチャーと成長物語の要素は、『プリンセスと魔法のキ

ス』からr塔の上のラプンツェル』に受け継がれている。

 プリンセス6人組と比べれば「現代風」といえるが、前作のプリンセス・ティ

アナと比べると、「現代風」の度合いは減じている『塔の上のラプンツェル』

のラプンツェル。英語タイトルのTangledは、最初は原作と同じRaρunee7

とする予定であったが、前作の『プリンセスと魔法のキス』(The PnhceSS

and the」Frog)が「プリンセス」という語を用いたために、観客の層を狭め

てしまったという判断から、変更することになったという。17『塔の上のラプ

ンツェル』は、グリム童話を用いて、ディズニーらしい改変を原作に施し、さ

らに歴代のディズニー・プリンセスたちからプリンセスらしさをふんだんに取

り入れて、ラプンツェルがお手本としてふさわしい、プリンセスの中のプリン

セスであることを強調し、女の子たちにアピールしている。それと同時に、ティー

ンエイジャーの自立の葛藤を描く青春もの・成長物語の要素も配し、さらにハ

リウッド映画ではおなじみの冒険活劇の要素や、より自然にみえるラブ・ロマ

ンスを描くことで、ラプンツェルはより「現代風」な悩みや希望を持つ少女と

17 ウェブサイト「Los Angeles Times」2010年3月9日の記事より

  だが実際には、主人公ティアナの造形は、「プリンセス」目当ての女の子の観

 客よりも、むしろ彼女たちより年齢の高い少女・女性向けであると思われる。

一 76一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

して、より幅広い観客を引き付けようとしていることが窺われる。

3.プリンセス・フィオナの冒険 「シュレック」シリーズとの比較

 ディズニーが2000年代、アニメーションではなく実写映画で、プリンセス関

連の作品、rプリティ・プリンセス』(2001)と、続編rプリティ・プリンセス

2/ロイヤルウェディング』(2004)、そして『魔法にかけられて』(2007)を

作っている間、別のアニメーション制作会社ドリームワークスが、プリンセス

もののアニメーションを制作し、大ヒットさせていた。『シュレック』(2001)

とその続編『シュレック2』(2004)、『シュレック3』(2007)である。そして

『塔の上のラプンツェル』と同年の2010年には、『シュレック・フォー一エバー』

が公開され、これも成功をおさめた。どれもディズニーが得意とするおとぎ話

の世界をパロディ化した作品である。このライバルの成功シリーズと『塔の上

のラプンツェル』を、この節では比較したい。

 前節で、ラプンツェルと歴代のディズニー・プリンセスたちとを比較して、

多くの類似点を述べてきたが、CGアニメーションを全面的に使った作品の登

場人物であるせいか、実はラプンツェルには、他のプリンセスたちと立ち並ぶ

とちょっとした違和感がある。例えば、プリンセスたちが勢ぞろいするウェブ

サイトや『ディズニー・プリンセス・スペシャルガイド』の表紙において、ラ

プンツェルは映画に登場するようなCG映像ではなく、他のプリンセスたちに

合わせて手描きのイメージで描かれているため、彼女だけが本物っぼくない印

象を受けるのだ。全面CG作品のプリンセスという点では、「本物」の彼女の

動きや所作は『シュレック』のフィオナに近い。そしてCG映像というだけで

なく、実は、r塔の上のラプンツェル』は、物語の上でも、フィオナの物語と

とてもよく似ている。『塔の上のラプンツェル』は、怪物シュレックではなく

プリンセスの方を冒険の主人公にした「シュレック」のバリエーションとさえ

言えるかもしれない。

一 77一

行政社会論集 第24巻 第4号

 『シュレック』のフィオナは、幼い時に魔女フェアリー・ゴッドマザーに魔

法をかけられ、故郷「遠い遠い国」から遠く離れた塔に幽閉され、自分の呪い

を解くためのキスをしに来てくれる王子の助けを待ち続けている。ところが、

自分を塔から連れ出しに来たのは、運命の王子ではなく、フィオナを妃にと望

む邪なファークアード卿でさえなく、塔を守るドラゴンの退治を面倒がったファー

クアード卿に唆されて契約をし、代理でやってきた緑の怪物(オーガ)のシュ

レックだった。成り行きでやってきたシュレックと、自らの呪いを解くという

目的のために、彼と塔から旅立つフィオナの関係は、やはり成り行きで塔に登っ

てラプンツェルと出会うブリンと、彼の助けを借りて自分の夢の実現のために

塔から旅立つラプンツェルの関係と、よく似ている。さらに、道中では、次第

に互いの良いところを認め合い、理解しあい、信頼し、プリンセスたちは誰に

も明かさなかった自分の秘密一フィオナの秘密は、日が暮れると緑の怪物に

変身してしまうこと、ラプンツェルの秘密は魔力を持つ髪を持っていること一

をお供の男性たちに打ち明けるまでの仲となる。二人が互いの苦境を救いなが

ら悪に打ち勝ち、物語の最後では結婚し、周囲に祝福されてハッピーエンドを

迎えるのも同じである。運命の相手を選ぶにあたっては、あくまで中身が大事

であり、もちろん身分や外見で相手を好きになるということはない。

 プリンセス救出の途中でシュレックの相棒・親友となるドンキーは、白馬マ

キシマスと呼応する。ブリンと彼が城から盗み出したティアラの行方を追って

くるマキシマスは、ラプンツェルのお願いを聞きいれて、彼女の夢の実現まで

はブリンと協力することを約束し、強力な助っ人(助っ馬)となる。

 また、どちらのプリンセスも、自分の目的を阻もうとする悪役たちに勇敢に

立ち向かう。フィオナは強い。(夜に変身する怪物の姿の影響であろうか)素

手で山賊たちと戦って勝つ。ラプンツェルは第三の手のように、17フィートも

の長さの金髪を自由自在に操り、さらに部屋で料理に使っていたフライパンを

武器として巧みに使いこなす。そういえば、フィオナが歌声を競ってた結果母

一 78一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

鳥を破裂させてしまったために入手するにいたった卵を、朝食用に調理するの

にもフライパンは登場していた。プリンセスの道中の必需品とでもいおうか、

ラプンツェルはフライパンを手に、偽母の魔女には到底無理と言われてきたこ

とをやってのけた満足感、達成感を「戦い」においても経験する。

 さらに、結婚に至るプリンセスの「変身」も、二人には共通する。運命の王

子でもファークアード卿でもなく、怪物のシュレックを選び、彼とキスしたた

めに、フィオナは夜だけでなく一日中怪物の姿のままとなるが、その姿でこそ、

彼女は自分が選んだ相手シュレックと幸せな結婚生活を送ることができるよう

になる。18一方、ラプンツェルは、彼女を特別たらしめていた長い魔法の金髪

を、ブリンによって失い、茶色の短髪姿に「変身」することで、魔女から解放

され、生まれ故郷の城にブリンとともに戻ることができる。城では父王ととも

に、ラプンツェルと同じ顔をした若く美しい茶髪の母がラプンツェルを迎え、

金髪ではないラプンツェルを一目で自分の娘と認識する。そして夫となったブ

リンと幸せな結婚生活を送ることになる。

 ラプンツェルとの比較で「シュレック」シリーズを見るならば、やはり『シュ

レック3』に登場する「髪長姫」19を忘れることはできない。彼女は、悪役チャー

ミング王子の内通者として、友人プリンセスたちを裏切る、友情よりも身分の

高い恋人を選ぶプリンセスだ。

 シュレックが自分の代わりに王にするべく、もう一人の王位継承者であるフィ

オナの従弟アーサーを呼び戻すための旅に出て留守にしている間に、フィオナ

は城で彼の帰りを待つが、その城で、歴代のプリンセスたちが一堂に会する。

18 フィオナは続編『シュレック2』においても、薬の力でシュレックとともに

 人間の姿でずっといられるという選択肢を前にしても、やはり怪物の姿を選ぶ。

19 「髪長姫」は『シュレック3』の字幕および吹き替えで用いられている名称。

 『塔の上のラプンツェル』のラプンツェルと区別しやすいため、ここではこの名

 称を用いる。

一 79一

行政社会論集 第24巻 第4号

フィオナの友人として妊娠を祝いにプレゼントを持ってお城に集まったのは、

白雪姫、シンデレラ、眠り姫、そして髪長姫で、まさにディズニーでいえばク

ラシック・プリンセス+ラプンツェルだ。ここでは、皆が「お祝い」と称しな

がら、妊娠や育児の話題には明らかに乗り気でなく、プリンセスとして「ロマ

ンス」重視を強調する。プリンセスたちの次の登場シーンで、髪長姫の裏切り

が発覚する。本来(チャーミング王子の母フェアリー・ゴッドマザーの策略で

は)フィオナにキスするはずだった悪役チャーミングは、おとぎ話の悪役たち

と共にお城を乗っ取り、髪長姫とキスをする。その後、彼女以外のプリンセス

たちと友人ドリス、フィオナの母リリアン王妃は、奮起して反撃に出て大活躍

するものの、シュレックと共に捕えられ、チャーミングと髪長姫の勝利が近づ

いたとき、正義が大逆転を果たし、髪長姫は実はかつらだった長い髪が皆の面

前で外れてしまい、プリンセスとして恥ずかしい思いをすることになる。『シュ

レック3』の髪長姫は相当情けない役柄だ。「裏切り者」の役をクラシック・

プリンセスたちでなく(ディズニーがまだ描いていなかったプリンセスである)

髪長姫にしたのは、ディズニーへの配慮であろうか。少なくとも、ディズニー

作品の影響もあって、プリンセスとして確たる地位を築いている3人のプリン

セスたちよりは、長い髪が実はかつらだったというオチの必要性を抜きにして

も、最も悪者にしやすかったという事情はあるだろう。

 『塔の上のラプンツェル』のラプンツェルはもちろん、仲間を裏切りなどし

ない。偽母の魔女の期待を裏切ることはあっても、彼女の言いつけを破って外

界に脱出したことに、ラプンツェルはたいそう後悔するほどに、ラプンツェル

は心優しい理想の少女である。

 『塔の上のラプンツェル』における主人公の冒険物語の要素は、『プリンセス

と魔法のキス』から引き継いだ「現代風」の要素ではあるが、そのずっと以前

の『シュレック』において、すでにラプンツェルの冒険の大半は行われていた

といえる。女性が主人公の冒険もの、アクション・アドベンチャーは、もちろ

一 80一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

ん、『シュレック』が始めたものではない。戦う女性像は、ハリウッド映画に

おいては『エイリアン』(1979)の頃から注目され始め、『シュレック』の前後

にいくつも公開されるようになっていた。後にシリーズ化されたものも複数あ

り、ハリウッド映画において人気ジャンルの一つ、おなじみの物語ということ

もできるだろう。2°『シュレック』はむしろ、そうした人気の設定を、おとぎ

話の世界を茶化すのに利用したのであるが、「プリンセス」に「冒険」をさせ

るという、それまで相容れない要素と思われていたであろう2つを結びつけた

点は、画期的だっただろう。その画期性はまた、流行り始めていたこの女性の

アクション・アドベンチャーの矛盾点を露わにしてもいた。ヒロインは逞しく

勇ましく敵と戦い、危機を乗り越えていくが、必ずサポートする男性が傍らに

いる。基本的にその男性はヒロインの恋人だ。女性のアクションものは、男性

のアクションものの主人公を男性から女性に変えただけのものではない。どん

なに強くても、男らしく活躍しても、ヒロインは男性なしには主人公の役割を

果たせないかのように、彼女は彼の助けなくしては、危機を乗り越えられない。

それゆえラブ・ロマンスも、男性アクションものでは味付け程度に添えられる

ものであるのと違い、女性アクションものでは不可欠なものであり、大きな度

合いを占める重要な要素である。ヒロインが「プリンセス」であれば、ほとん

どそれが全てといってもいい。フィオナの冒険、フィオナの強さは、そのこと

を一層際立たせていると思われる。そもそも、自分で敵に立ち向かえるだけの

腕力と度胸を持ちながら、プリンセス・フィオナはひたすら運命の王子が自分

を救いに来てくれることを待っていた。そして怪物シュレックと共に旅に出る

のも王子に会うためなのだ。フィオナほどの力強い女性でさえも、生まれなが

20例えば、『チャーリーズ・エンジェル』は2000年に公開され、2003年に続編が

 あり、『トユーム・レイダー』は2001年に作られた後、同じく2003年にパート2

 が公開されている。『バイオハザード』シリーズが始まったのも2001年で、第2

 作が2004年、第3作が2007年、最新作は2010年と、「シュレック」シリーズと奇

 しくもすべて同年公開である。

一81

行政社会論集 第24巻 第4号

らのプリンセスにとっては、それが当たり前のこととして設定されている。フィ

オナは、おとぎ話のお姫様とアクション・アドベンチャーのヒロインとのイメー

ジのギャップを表現しているように見えながら、同時に、両者が近い存在であ

ることを示してもいるのだ。

 「シュレック」シリーズはそれ以後もプリンセス・フィオナやその他のおと

ぎ話の住人たちに、思いがけないことをさせて大人に楽しい作品を作り、どれ

も成功を収めていく。それに対するライバル・ディズニーの応答は、パロディ

色の濃い実写混合版『魔法にかけられて』であり、新しい試みを盛り込んだ

『プリンセスと魔法のキス』であり、そしてそれを踏まえて生み出された「現

代風」のプリンセスが、ラプンツェルであった。彼女の「冒険」は、すでにフィ

オナが済ませていたものかもしれないが、おとぎ話を題材にした「ディズニー・

プリンセス」に恋愛一筋ではない「冒険」をさせたことは、女性にとってのラ

ブ・ロマンスの重要性を強調し、「愛こそはすべて」と謳ってきたディズニー

が精いっぱい頑張った点、といったところだろうか。

 ディズニーが新しいラプンツェルの物語を発表した年、ドリームワークスは

「シュレック」シリーズの最終作となる『シュレック・フォーエバー』(2010)

をその前に公開した。設定は、もしもシュレックがフィオナに出会って救出し

ていなかったら、というパラレルワールドで、テーマは家族愛であり、夫婦の

愛であり、「幸せとは何か」であり、「大切なものは失って初めて気づくもの」、

である。冒険し戦うプリンセスの物語でも先を行った「シュレック」シリーズ

は、最終章において、ディズニー・プリンセスものには決して真似することの

できないテーマを扱い、2010年の興行収入においても『塔の上のラプンツェル』

を上回った。21

 『シュレック・フォーエバー』は、『シュレック』においてシュレックがフィ

21 ウェブサイトrBox Office Mojo」“2010 WORLDWIDE GROSSES”より。

一 82一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

オナを助け出してしまったために、娘の身を案じる遠い遠い国の王と王妃を騙

して、国を我が物にしようとしていたランプルスティルスキンが、計画を台無

しにされたことで路頭に迷う生活に転落し、その恨みから、シュレックを陥れ

て再び悪事を実行することを決意するところから始まる。一方、標的にされた

シュレックは、フィオナと結婚し(『シュレック』)、三つ子も生まれ(『シュレッ

ク3』)、フィオナ曰く「愛する子供たちと妻がいる」ことの幸せを満喫してい

るはずであったが、実際には、子供たちの世話をし、家事を手伝い、妻や友人

たちと語らい、オーガの生活を観光しに来る人々を出迎える平凡な日々が続く

ことに不満を抱くようになっている。そこにランプルスティルスキンが現われ、

人生の中で取るに足らない1日を使って、オーガとしてだけ存在していた時の

自分を取り戻しませんか、という提案をもちかける。言葉巧みに誘われて、軽

い気持ちで契約を交わすと、シュレックは約束通りフィオナと出会う前の、皆

に恐れられる怪物としての生活を取り戻すことができる。久しぶりにオーガら

しさを取り戻したシュレックは、悪さをしては皆を困らせ、驚かせ、脅えさせ、

オーガ・ライフを満喫する。だが、それと引き換えに使った「1日」が、自分

が生まれた日であったために、シュレックはこの世に生れなかったことになっ

ているという、パラレルワールドに陥ってしまっていた。沼地に戻っても、家

族はいない。友人たちもいない。ランプルスティルスキンの策略通り、「遠い

遠い国」は彼のものとなっている。そして誰にも迎えに来てもらえなかったフィ

オナは、怪物の姿のまま戦士となって、革命軍のリーダーとして国を守るため

の戦いに従事しているのだった。

 シュレックは失って初めて「愛する子供たちと妻がいる」幸せのありがたさ

に気づく。悪事も刺激もない、冒険生活とはかけ離れた平凡な日常にこそ幸せ

があることに気づくのだ。ドンキーのおかげで、ランプルスティルスキンの野

望を阻止する手掛かりを得て、初めは見向きもされなかったフィオナに必死に

アプローチし、フィオナの仲間たちと協力して、シュレックは無事、元の世界

に戻ることができる。もちろんその後は、「愛する子供たちと妻がいる」平凡

一 83一

行政社会論集 第24巻 第4号

な日常が戻ってくる。今度は、シュレックはその生活に満足しているようであ

る。

 このように『シュレック・フォーエバー』は、「冒険」の日々を懐かしがる

男性が平凡な日常にこそ幸せを見出す(ように仕向けられる)物語だ。幸せと

は平凡なこと一果たしてディズニー・プリンセスにこのメッセージが当ては

められるであろうか。プリンセスたちは、プリンセスとして選ばれ、プリンス

らしい特別な生活、特別な人生を送るために存在しているのではないか。そこ

にこそ、女の子たちは憧れ、夢中になる。その生活のためには努力はするが、

平凡な幸せを得るためでは決してないだろう。ディズニー作品の中にも、『魔

法にかけられて』という、主人公がおとぎの国の王子よりも現実世界で普通の

男性を選び、普通の女性として普通の生活を送ることにした物語もある。とは

いえ、おとぎの国を卒業して現実世界に住むことを決めた主人公ジゼルは、む

しろ、彼女同様「大人の女性」のための物語の主人公であり、ディズニーはそ

うした物語は、実写混合版の、パロディ色の濃い作品でしか描くことができな

かったといえる。

 また、パラレルワールドの設定は、ディズニーもプリンセスもので試みては

いる。2007年の『シンデレラ皿:戻された時計の針』(Clmdere77a if .’・A

Tvvist in Timθ)である。ここでは、シンデレラの結婚後を描いた前作『シ

ンデレラll』の物語はまるで存在しなかったかのように無視され、『シンデレ

ラ』のパラレルワールドが描かれる。魔法の力でシンデレラとそっくりに姿を

変えられた姉アナスタシアをシンデレラと思い込んだチャーミング王子に、自

分こそが本物のプリンセスであると気づかせるために、シンデレラはあらゆる

努力をする。特別な自分を取り返すための苦闘である。           t

 『シュレック・フォーエバー』でも、『シュレック』での出来事をなかったこ

とにするパラレルワールドという設定で、問の2作品を飛ばす形をとってはい

るが、パート2、パート3をなかったことにしているわけではもちろんなく、

一 84一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

むしろパート4のテーマは、2作品で起こった出来事  シュレックの冒険諌、

夫婦の葛藤、シュレックのマタニティ・ブルー、三つ子の誕生など一があっ

てこそのものである。「シュレック」シリーズも、「愛」の重要性は説いている。

ただその中身は、ディズニー・プリンセスたちのロマンティック・ラブという

意味での「愛こそすべて」とは異なる。

 現実世界では、日本と同様、アメリカの経済は非常に厳しい状況にある。

「普通の」「平凡な」生活を維持することも難しい境遇が増してきている中で、

「特別」を維持することはどんなに大変なことであろうか。だがプリンセスた

ちは、一度手に入れた「特別」は永遠に手放さないように見えるし、それが当

たり前だと思っているように見える。

 女の子にとってはもちろん、オーガの妻として生きることを選んだ怪物フィ

オナよりも、プリンセス・ラプンツェルのほうが魅力的だろう。ニュー・プリ

ンセスたちと同様のディズニー特有の大きな瞳をもつラプンツェルは、フィオ

ナと比べるまでもなく、かわいく魅力的な「誰からも愛される」少女だ。ティー

ンエイジャーのラプンツェルに、これもハリウッド映画やテレビドラマシリー

ズではお馴染みの青春もの・成長物語の要素をわかりやすく盛り込むことで、

彼女の魅力は強調され、・彼女は女の子たちの憧れのプリンセスとなり、親たち

の理想の娘となっている。

 大人にこそ気になるテーマを描いて、幅広いファン層を獲得し、「シュレッ

ク」シリーズはアニメーション史上大ヒットを遂げた。『塔の上のラプンツェ

ル』は、タイトルを変更するほどに、コアなファンの女の子たちだけでなく、

男の子にもファン層を広げたかったようだが、興行的にもファン層の拡大にお

いても、『シュレック・フォーエバー』にはかなわなかった。それでも、ディ

ズニー・プリンセスたちは、女の子たち(だけ)は虜にし、彼女たちの保護者

を巻き込んで、テーマパークで、食品業界で、文具業界で、そしてメディア産

業で、活躍を続ける。ラプンツェルは、そのプリンセス・パワーの新たな補強

一 85一

N

行政社会論集 第24巻 第4号

としては十分な役割を果たしていると思われる。

お わ り に

 『塔の上のラプンツェル』の「現代風」とは何であろうか。技術的にはプリ

ンセスもの初の全面的CG映像であり、原作とするグリム版との関係でいえば、

クラシック・プリンセスたちのような、概して王子任せの受動的な立場から、

自由と自立を求めて自ら旅立つ女性像への変更であろう。人気のジャンルであ

る女性のアクション・アドベンチャーの要素や、悩めるティーンエイジャーの

成長物語の要素も取り入れ、より感情移入しやすい主人公を作り上げた努力も

見て取れる。ラプンツェルは、ディズニー・プリンセスたちの良いところ、年

代を経るごとに改善されていったところを兼ね備えた、少なくともディズニー・

プリンセスとしては理想的なプリンセスとなった。では、そのような理想の主

人公は、どのような意味合いで、現代の女の子たちのお手本となるのだろうか。

 心理学者でCBSの“The Early Show”のコントリビュータを勤めている

というジェニファー・ハートスタインは、著書Prrhcess」Recoveiyにおいて、

プリンセス症候群にかかった娘に対して保護者がどうすべきか、その対処法と

予防法を唱えている。その方法の要は、一言でいえば、プリンセス願望を持っ

た娘をいかにヒロイン願望を持つように仕向けるか、である。各章(全10章)

では、「プリンセス的兆候(“princess symptoms”)」と「ヒロイン的価値観

(“heroine values”)」とを1つずつ並置して、その違いを強調し、いかに後

者が娘たちを正しい道に導くかを解説している。「不健全な『プリンセス的兆

候』を肯定的な『ヒロイン的価値観』に置き換えていく方法」(xiii)は、年齢

の低い女の子からでも実践すべきであるという。

 ハv・・・…一トスタインが定義する「プリンセス」と「ヒロイン」は以下のとおりで

ある。

一 86一

ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

プリンセスとは…

・ 内なる美しさよりも外見の美しさを優先する

・自分で何とかする代わりに、他人に助けを求める

・全てにおいてよき伴侶(the better half)(あるいはよき完全人(better

 whole))を得る資格が自分にはあると感じている

・完壁な外見のために物事を行う

・ロマンスが関係を修復すると信じている

・ 自分はゆくゆくは「唯一の人」を見つけ出して、その人と結婚すると信

 じている

・他人の眼に映っている自分・自分の生活によって自分を定義する

・自分には最高のものしか期待せず、他人には最高のもの、もしくは最低

 のものを期待する(プリンセスのタイプによって異なる)

ヒロインとは…

・内なる美しさと外見の美しさの両方を重視する

・自分自身を助け、他人も助ける

・ 成功をつかむために懸命に努力する

・ より良い自分の生活のためであれ、他人のためであれ、正当な理由のた

 めに物事を行う

・自分の大切な人々との健全な関係を維持する

・ 自分自身のために描いた明るい未来を信じている

・ 自信を持って、自身の基準と道徳観に従って自分を定義する

・自分に対して高い、でも到達可能な期待を抱き、他人の自分に対する期

 待には、共感と思いやりをもって対応する         (xiv)

 「プリンセス的兆候」の要素は、しいていえばクラシック・プリンセスの特

徴とみなせそうである。では「ヒロイン的価値観」はどうであろうか、ニュー・

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行政社会論集 第24巻 第4号

プリンセス以降のディズニー・プリンセスたち、特にラプンツェルのイメージ

にぴったりと当てはまるのではないか。ラプンツェルは、他人を外見で判断せ

ず、自分のためにも他人のためにも一生懸命で、夢の実現のために努力し、そ

の行動は自分の信念に忠実だ。そして偽母を気遣いながらも、外の未知の世界

での自分の未来を信じている。ハートスタインの表現を用いれば、彼女は、

「不健全な『プリンセス的兆候』」ではなく 「肯定的な『ヒロイン的価値観』」

をもつ理想的な女の子だ。まるで、ハートスタインの述べる「ヒロイン的価値

観」がラプンツェルのために定義されたもののように見えるほどである。

 だが、ここで確認したいのは、ハートスタインの定義する「ヒロイン」は、

彼女が「不幸な病(unfortunate malady)」(xx)とまで呼ぶプリンセス症候

群に陥ってしまった女の子をそこから救うための、あるいはこれからそこに陥

らないようにするための対処法として提案された代替概念であることだ。ハー

トスタインの著書で述べられている「プリンセス」は、「ディズニー・プリン

セス」のことを指しているのではもちろんない。アメリカ文化において流布し、

女の子たち、そしてかつて女の子だった女性たちが各々の成長過程で教えられ

て、憧れるように仕向けられてきた、ある種の理想の女性像が反映されたもの

である。だがその流布に貢献してきた大きな要因の一つがディズニーであり、

ディズニー・プリンセスたちであることは否めないだろう。

 ハートスタインによれば、幼い女の子のお姫様ごっこから始まるプリンセス

願望は、メディアによる助長も手伝って、親の期待に反してその後も残り、

「不幸な病」であるプリンセス症候群に至る。アメリカでは早くも4歳から、

女の子の摂食障害や身体嫌悪  理想とかけ離れた自分に対する嫌悪  が始

まる場合もあるという(xi-xii)。

 ディズニーとしては、「ディズニー・プリンセス」に、そうした傾向に加担

した媒体というレッテルを、(一部の批評家からはともかく)世間から貼られ

てしまうわけにはいかない。子どもたちに、そしてかつて子どもだった全ての

人々に受け入れられ、楽しんでもらうことを目指すのがディズニーだ。「ディ

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ラプンツェルの「冒険」一ディズニー・プリンセスのゆくえ2 (照沼かほる)

ズニー・プリンセス」としては、その人気を支えてくれる女の子たちやその保

護者たちに、安心して受け入れられる「健全な」イメージをアピールする必要

がある。ディズニーはこれまでも、時代を経るごとに、ハートスタインのいう

「プリンセス」から「ヒロイン」へとディズニー・プリンセスたちの要素を徐々

に移行させてきたが、最新プリンセスのラプンツェルにはその傾向が最もよく

表れているといえる。ディズニー・プリンセスらしい要素を受け継ぎながらも、

「不健全な」プリンセス症候群とは無縁で、望ましい「ヒロイン的価値観」を

備えた「健全な」理想の女の子、そして親にとっては理想の娘、それがヒロイ

ン・ラプンツェルということだろう。

 このように、ラプンツェルは、ディズニーが流布に加担してきたプリンセス

願望から女の子たちが脱却するために必要とされる「ヒロイン的価値観」を体

現する一方で、すでに見てきたように、先輩プリンセスたちのプリンセスらし

い要素を受け継いでいることが観客によくわかるように描かれてもいる。「不

健全な」ほどにはプリンセス願望を抱かせないプリンセス・ラプンツェルー

彼女はこのオクシモロンめいた使命を、最新ディズニー・プリンセスとして果

たそうとしている。しかしながら、その使命ゆえに、ヒロイン・ラプンツェル

の行動はどうしても限定的だ。つまり彼女は、コンセプトとしては「ヒロイン・

ラプンツェル」であるかもしれないが、物語の中、彼女の「冒険」の中では、

彼女が受け継いでいるディズニー・プリンセスの伝統から逃れられない「プリ

ンセス・ラプンツェル」なのだ。

 主人公が「プリンセス」である限り、作中で描くことのできるテーマにも主

人公の行動にも限界がある。そしてそれは、ディズニー自体が懸念したように、

女の子(とその保護者)以外のファンを獲得するのに苦労する結果にもなった

といえる。『塔の上のラプンツェル』でラプンツェルが経験した「冒険」は、

彼女にとっては初めての、命がけの危険な冒険であったが、ディズニーにとっ

ては安全な冒険  すでに「シュレック」シリーズが成功させた枠組みの中で

の、そしてディズニー作品が描いてきた価値観の枠内でおさめることのできる

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行政社会論集 第24巻 第4号

「冒険」  であった。「安全な」「冒険」というオクシモロンは、ラプンツェ

ルの最新ディズニー・プリンセスとしての役割がオクシモロン的であるのと同

じように、ディズニー・プリンセスの物語にふさわしい、そしてディズニーの

限界を示している言葉であろう。

参考文献

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  1994年、141-149

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ケイシー、ジョウ、他もきかずこ訳『ディズニー・プリンセス・スペシャルガ

  イド』東邦出版、2011年

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照沼かほる「女の子はみんなプリンセスーディズニー・プリンセスのゆくえ」

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参考映像作品

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 ハンド

『シンデレラ』(αindere71a,1950)監督:ウィルフレッド・ジャクソン、ハミル

 トン・ラスケ、クライド・ジェロニミ

『眠れる森の美女』(Sleeping Beau4x,1959)監督:クライド・ジェロニミ

『リトル・マーメイド』(The・「 ..ittle Mermdi’d,1989)監督:ロン・クレメンツ、

 ジョン・マスカー『美女と野獣』(Bea乙1ty and thθBeast,1991)監督:ゲイリー・トルースデー

 ル、カーク・ワイズ

『アラジン』(Aladdih,1992)監督:ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー・…E

『シンデレラ皿:戻された時計の針』(6ihderella M・.’A Tvvist in Tilrne,2007)

 監督:ロバート・ニッセン

『魔法にかけられて』(Enchan ted,2007)監督:ケヴィン・リマ 主演:エイミー・

 アダムズrプリンセスと魔法のキス』(The Prr cess and thθ・Frog,2009)監督:ロン・

 クレメンツ、ジョン・マスカー

『塔の上のラプンツェル』(Tangled,2010)監督:ネイサン・グレノ、バイロン・

 ハワード

rシュレック』(Shrek,2001)監督:アンドリュー・アダムソン、ヴィッキー・

 ジェンソン

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行政社会論集 第24巻 第4号

『シュレック2』(Shrek 2,2004)監督:アンドリュー・アダムソン、ケリー・

 アズベリー、コンラッド・ヴァーノン

『シュレック3』(Shrek the Thlld,2007)監督:クリス・ミラー

『シュレック・フォーエバー』(Shrek」Fore ver.After,2010)監督:マイク・ミッ

 チェル

参考ウェブサイト

「allcinema:Movie DVD Database」 http://www. allcinema net/prog/index

 2.php 上記映像作品のウェブページ

「Box Office Mojo」 http://www. boxofficemojo. com/

 ‘Rapiunzel”、“Shrek Foever Aftef’および“2010 WORLDWIDE GROSSES”

 のウェブページ「Disney Official Home Page」‘Movies’http://disney. go. com/movies/index

 “Disney Princess”http://disney. go. com/princess/および

 “Parks” http://disney. go. com/parks/

「Disney. jp」ディズニー・ホームページ:映画&DVD http://www. disney. c().

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rDreamWorks Animation」公式サイト http://www. dreamworksanimation.

 com/

「Los Angeles Times」公式サイト Dawn C. C㎞ielewski and Claudia

 Eller,“Disney Restyles‘Rapunze1’to Appeal to Boys.” (2010年3月9

 日) http://a rticles. latimes. com/2010/mar/09/business/1a-fi-ct-disney

 9-2010marO9

「ウィキペディアWikipedia:フリー百科事典」http://ja wikipedia org/wiki/

 「塔の上のラプンツェル」および「ドリームワークス」のウェブページ

「ドリームワークスアニメーション」公式サイト http://dvd. paramount. jp/

 dwa/

                     (最終閲覧日は全て2012年2月7日)

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