ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築 -...

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ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築 問題の所在 先行研究のレビュー 資金 人材 結語 問題の所在 ベンチャー企業の輩出とシリコンバレーのような起業家を育成するネットワークづく りは,我が国にとって古くて新しいテーマである。特に,1990 年代半ばより「ベンチ ャー企業の振興」に向けて,さまざまな制度改革が行われ,ベンチャー企業を取り巻く 環境は急速に整備されてきた。1999 年にベンチャー企業向けの新興市場マザーズが開 設されて以降,この間に上場した企業は 1000 社を超えている一方で,かつてのソニー やホンダのように世界から賞賛を集めるベンチャー企業が日本に誕生したとは言い難 い。制度や社会の仕組みは起業家やベンチャー企業に有利になっているにもかかわら ず,我が国のベンチャー企業は低迷を続けている。 本稿では,我が国のベンチャー企業の活性化に向けて,ベンチャー企業の輩出と成長 を促す構造的な要因をエコシステムの観点から考察する。具体的には,エコシステムの 構成要素の中でとりわけ重要と思われる,資金,人材,の二つ側面から我が国のベンチ ャー企業の活性化における問題点を分析し,課題と展望について日米の事例もふまえて 検討していく。 先行研究のレビューと分析視角 1.先行研究のレビューと分析視角 ベンチャー企業の研究においては,様々なアプローチからの優れた業績も多く見ら れ,アントレプレナーの研究,ベンチャー企業のマネジメントに関する研究,ベンチャ ー企業のマーケティングに関する研究,ファイナンスに関する研究などが活発に行われ てい 1 る。また,ベンチャー企業の育成や支援に関する研究も多く見られる中で,特に, ──────────── ベンチャー企業の先行研究については,熊野[2008]で詳述している。 317 81

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Page 1: ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築 - …...ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築 熊野正樹 Ⅰ 問題の所在 Ⅱ 先行研究のレビュー

ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築

熊 野 正 樹

Ⅰ 問題の所在Ⅱ 先行研究のレビューⅢ 資金Ⅳ 人材Ⅴ 結語

Ⅰ 問題の所在

ベンチャー企業の輩出とシリコンバレーのような起業家を育成するネットワークづく

りは,我が国にとって古くて新しいテーマである。特に,1990年代半ばより「ベンチ

ャー企業の振興」に向けて,さまざまな制度改革が行われ,ベンチャー企業を取り巻く

環境は急速に整備されてきた。1999年にベンチャー企業向けの新興市場マザーズが開

設されて以降,この間に上場した企業は 1000社を超えている一方で,かつてのソニー

やホンダのように世界から賞賛を集めるベンチャー企業が日本に誕生したとは言い難

い。制度や社会の仕組みは起業家やベンチャー企業に有利になっているにもかかわら

ず,我が国のベンチャー企業は低迷を続けている。

本稿では,我が国のベンチャー企業の活性化に向けて,ベンチャー企業の輩出と成長

を促す構造的な要因をエコシステムの観点から考察する。具体的には,エコシステムの

構成要素の中でとりわけ重要と思われる,資金,人材,の二つ側面から我が国のベンチ

ャー企業の活性化における問題点を分析し,課題と展望について日米の事例もふまえて

検討していく。

Ⅱ 先行研究のレビューと分析視角

1.先行研究のレビューと分析視角

ベンチャー企業の研究においては,様々なアプローチからの優れた業績も多く見ら

れ,アントレプレナーの研究,ベンチャー企業のマネジメントに関する研究,ベンチャ

ー企業のマーケティングに関する研究,ファイナンスに関する研究などが活発に行われ

てい1

る。また,ベンチャー企業の育成や支援に関する研究も多く見られる中で,特に,────────────1 ベンチャー企業の先行研究については,熊野[2008]で詳述している。

( 317 )81

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ベンチャー企業の成長要因を起業家やマネジメントのあり方に求めるのではなく,外部

環境全体から捉え,それを生態系(エコシステム)として理解しようとする研究は本稿

と関連性が高い。

このテーマにおいて,特に 1990年代,米国シリコンバレーでは,次々に新しいベン

チャー企業が誕生し,産業の活性化が実現したことから世界中の注目を集め,その仕組

みと機能について多くの報告がなされている。Saxenian[1994]はシリコンバレーとル

ート 128地域を比較し,シリコンバレーの成功要因は,新産業の創出とイノベーション

のメカニズムにあるとし,ベンチャー企業がその重要な役割を担っていると分析してい

る。また,シリコンバレーの気質,文化,風土に着目し,大学やエンジェル,VC をは

じめとする様々なネットワークが身近にあり,かつ企業の壁を超えた情報や人材の交

流,イノベーションにおける非公式のコミュニケーションが活発に行われる点を指摘し

ている。また,Saxenian[2006]では,シリコンバレーの移民の役割に注目し,高技能

移民とその世界的なネットワークの重要性を指摘している。中国やインドの発展は,シ

リコンバレーで働いたエンジニアたちが帰国して起業し,シリコンバレーの移民ネット

ワークを使ってそれを大きく育てた結果だと主張した。

我が国においても,今井・秋山ら[1998],小門[1996]は,シリコンバレーの経済

メカニズムを創業支援の有機的なネットワークという視点から分析している。原山・氏

家・出川[2009]では,イノベーション・エコシステムという文脈の中で,ベンチャー

企業が果たす役割,ベンチャー企業の本質について分析されている。また,イノベーシ

ョン・エコシステムの本質は人材,資金,グローバル化にあるという重要な指摘がある

が,ここについてはさらに議論を深める必要がある。磯崎[2010]は,10年以上前と

は異なり,日本の起業環境は整備されており,経験からもベンチャー企業は資金調達し

やすい環境にあると分析している。「日本は起業家に冷たい国」「ベンチャー企業に資金

がつかない」などの定説を覆し,日本に足りないのは資金量ではなく,アニマルスピリ

ッツをもったベンチャー企業や起業家であると指摘している。同時に,ベンチャービジ

ネスのエコシステムをつくり,育て,次々にベンチャー企業が現れる好循環を生み出す

重要性についても強調している。この指摘は,成功している起業家や米国のベンチャー

キャピタリストからは,しばしば発言される内容であるが,このサークルを見つけ,入

ることの有用性を多くの起業家は気づいていない,あるいは実行出来ずにいることが我

が国の現状と考える。

エコシステムとは,本来は生態系を指す英語“ecosystem”の日本語訳の科学用語で

あったが,生物群の循環系という元の意味から転化されて,産業分野における経済的な

連携関係や協調関係全体を指して用いられることが多くなった。とりわけ,イノベーシ

ョン研究やベンチャー企業研究においては,米国競争力委員会(Council on Competitive-

同志社商学 第63巻 第4号(2012年1月)82( 318 )

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ness)が 2004年 12月に発表した報告書「イノベート・アメリカ(Innovate America)」

において提示された「イノベーション・エコシステム(The Innovation Ecosystem)」と

いう概念が,近年,注目されている。イノベーションは,人材,資金,知識,制度,市

場など様々な要素が複雑に絡み合ったプロセスから創出されるものであり,この複雑で

不確実なプロセスに潜む阻害要因をイノベーションの機会に変換するためには,生態系

(エコシステム)のように複雑なイノベーションを取り巻く全環境を良好な状態に整え

なければならな2

い。ベンチャー企業は,外部に存在する様々な組織と連携や協力を経て

イノベーションを創出して成長を果たすわけである。

本稿では,これらの先行研究をふまえて,近時の日米のベンチャー企業の動向を事例

として取り上げて,我が国のベンチャー企業を育むエコシステムの現状,課題,展望に

ついて,資金,人材の両側面から考察を行う。

2.ベンチャー企業の定義と対象の限定

ベンチャー企業は,法的あるいは学術的な定義が未だ確立されておらず様々である

が,アントレプレナーの存在,イノベーションの創出が,その定義自体に含まれること

が多い。また,VC に由来するとも,ベンチャー精神を重んじる企業とも解釈されてい

る。本稿では,「VC が投資する,あるいは投資を受け入れる意思のある企業」をベン

チャー企業の条件とし,「ベンチャー企業とは,高い志と成功意欲の強いアントレプレ

ナー(起業家)を中心とした,イノベーションの創出,新規事業への挑戦を行う企業で

あり,VC を中心とした外部からの資金を積極的に受け入れて,グローバル展開も視野

にいれて急成長を志向する企業」と定義する。

VC からの資金を受け入れる為,起業家としての成功の出口(イグジット)戦略は,

①株式公開(IPO)②会社売却・合併(M & A)の二つしかない。この成功確率は極め

て低く,Nesheim[1997, 2000]は,ビジネスプランから IPO に至るケースは,1000分

の 6, VC が投資した会社から IPO に至る確率は 10分の 1であると報告している。ま

た,The Industry Standard[2000]によると,スタートアップスが IPO あるいは M & A

を行うことは 1000に 3つに届かないばかりか,VC から投資を受けること自体が困難

であり,米国においても成功するベンチャー企業は極めて少ないのが現実である。この

ように,本稿が対象とするベンチャー企業も量的には極めて限定的である。

────────────2 独立行政法人科学技術振興機構[2011]参照。

ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築(熊野) ( 319 )83

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Ⅲ 資 金

1.新興市場の現状

1990年代半ばより「ベンチャー企業の振興」に向けて,さまざまな制度改革が行わ

れ,起業をめぐる環境も急速に整備されてきた。1999年にベンチャー企業向けの新興

市場マザーズが開設されて以降,この間に上場した企業は 1000社を超えたが,2006年

初頭のライブドア事件を機に 2003年以降の上昇相場から一転し,2008年後半の金融危

機も重なり低迷を続けている。度重なる不祥事による投資家の市場への信頼の低下に加

え,景気悪化による業績不振はベンチャー企業向けの新興市場に大きな打撃を与えてい

る。さらに,投資家保護を目的とした内部統制報告書の提出義務(J−SOX 法対応)が

市場の混乱のさなかの 2009年 3月期から始まり,コストの増加が株価の低迷と重なり

上場メリットを低下させ,ベンチャー企業にとって上場意欲を削ぐものとなった。この

結果,新興市場における 2010年の IPO 社数は 16社,IPO での平均資金調達額は 8億

円と低水準であり,ベンチャー企業の成長を加速する役割は果たせていない。なお,東

証マザーズのここ 5年間における IPO 企業の設立から上場までの平均年数は,5年か

ら 10年で推移してい3

る。

2.VC の状況

①我が国の状況

新規上場企業の急減で日本の VC は窮地に瀕している。IPO を主要な投資回収と収益

実現の手段としてきた我が国 VC のビジネスモデルは,IPO 低迷で出口を失い投資資金

回収が困難を極めたことに加え,VC 自身の業績悪化により投資は更に落ち込んでい

る。

2010年 3月期は最大手のジャフコが最終赤字となり,2期連続でキャピタルゲインは

マイナス,収入の大半をファンドの管理報酬で得ている状況であ4

る。日本アジア投資は

事業再生 ADR(裁判以外の紛争解決)を申請し再建中である。また,大和 SMBC キャ

ピタルは上場を廃止,合併を解消するなど大手はいずれも厳しい状況であ5

る。近年の

VC 投融資額の推移をみると,2006年度は 2790億円だった VC 投融資額も,2009年度

は 875億円にまで落ち込んでおり,投資先数も 2006年度の 2834社から 2009年度は 991

社にまで激減している。一方,イグジット件数の推移を見ると,2009年度においては,────────────3 財団法人ベンチャーエンタープライズセンター[2011 a]4−9ページ。4 株式会社ジャフコ HP 参照。http : //www.jafco.co.jp/investor/pdf/201103q4/presen.pdf(2011年 9月 30日閲覧)

5 日本経済新聞,2009年 6月 25日,2009年 8月 19日,2010年 6月 25日。

同志社商学 第63巻 第4号(2012年1月)84( 320 )

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IPO によるイグジットが 106件(全体の 6%程度)となっているように,償却・精算,

経営者により買戻しが高水準で推移してい6

る。

経済産業省の外郭団体である財団法人ベンチャーエンタープライズセンターの松村博

史・理事長は「日本は金融子会社を中心に,大きなリスクを取らず,上場が確実視され

るタイミングで分散投資する VC が多い。IT(情報技術)バブルやバイオバブルに支え

られ,何とかやってきたが上場企業数が激減した今,こうした旧来モデルは変革の時期

に来ている」と指摘してい7

る。

②米国の状況

米国の VC の投資額は,我が国とは桁違いの水準にある。日米の年間 VC 投資額を

比較すると,例えば 2008年度において,我が国が 1366億円であるのに対し,米国では

2兆 3626億円であ8

る。また,米国の IPO 件数と調達額の推移を見ると,2008年後半の

金融危機によるマーケットの混乱で激減した米国市場の IPO は,2009年後半から徐々

に回復し,2010年は 154社が上場,387億ドルを調達している。2009年末には,100

社を超えるベンチャー企業が上場申請手続きに向けて準備が始まったとされ,米国の

IPO 市場は活気づいてい9

る。

一方,米国のイグジットの状況をみてみると,我が国とは状況が大きく異なってい

る。米国では,VC 投資のイグジットは,M & A が圧倒的に多く,我が国で主流の IPO

は,2009年度において全体の僅か 4%程度に過ぎない。米国では,1990年代以降,出

口戦略として M & A に転換を図っており,特に,2000年頃からの株式市場の低迷によ

り,VC はイグジット戦略を見直している。IPO のシェアは,2000年頃までは 50%を

維持しているが,2001年以降に急減し 10%程度で推移し,2009年においては 4%程

度にまで低下しているのであ10

る。このように,状況に合わせて米国の VC は,IPO から

M & A にビジネスモデルを変化させている。M & A の活性化で VC,ベンチャー企業

双方にとって好循環を生んでいる米国の状況であるが,近年,米国の VC はその投資

先を成長著しい BRICs と東アジア市場に拡大しており,グローバル化が進展してい

る。

3.米国ベンチャー企業の資金調達事例

シリコンバレーでは現在,特にソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)や環境

────────────6 財団法人ベンチャーエンタープライズセンター,前掲報告書,11−14ページ。7 日経ビジネス,2010年 3月 8日号。8 財団法人ベンチャーエンタープライズセンター[2010 b]19ページ,National Venture Capital Association[2010]参照。1ドル=90円換算。

9 財団法人ベンチャーエンタープライズセンター,前掲注 3, 30ページ。10 財団法人ベンチャーエンタープライズセンター,同報告書,35ページ。

ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築(熊野) ( 321 )85

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技術の分野が注目されており,創業時から大規模な外部株主資本を VC などから導入

し,創業から成長初期段階において,グローバルな競争環境で圧倒的なポジションの構

築を模索するという動きが特徴的であ11

る。以下では,その代表的な事例として,Facebook

と Zynga の事例を取り上げる。

①Facebook

Facebook は,世界最大の SNS で,2004年にハーバード大学の学生である Mark Zuck-

erberg によって設立されたベンチャー企業である。登録ユーザー数は 7億 5000万人

(2011年 8月現在)で,2009年の業績は,売上高が 7億 7700万ドルで純利益が 2億ド

ル。2010年は,売上高が前年の 3倍近い 20億ドル,純利益は 2倍の 4億ドルに達した

とみられてい12

る。わずか 7年前に設立された会社としては,目を見張るような成長ぶり

であるが,この成長を支えたのが,エンジェルや VC の資金である。そして,彼ら

は,単にお金を出すだけではなく,人的ネットワークや経営ノウハウ,経営戦略などを

あわせて提供することにより若い企業の急成長を支えている。

Facebook は,ハーバード大学に在学中であった Mark Zuckerberg が,数人の友人とと

もに作った学生限定のサービスであった。瞬く間にハーバード,エール,スタンフォー

ドなどのエリート大学を席巻することになるが,サーバー費用などのこれに耐えうる十

分な資金を Mark Zuckerberg は用意できず,いつ運営資金が尽きるか綱渡りの状態が続

いていた。2004年夏に,彼は大学を休学し,シリコンバレーに移住し,Facebook のビ

ジネス化に全勢力を傾ける決断をする。ここで,音楽共有サイト,Napster の創業者で

エンジェルである Sean parker と知り合い,それが大きなきっかけとなって,有力なエ

ンジェルや VC から資金調達に成功する。

設立にあたり,シリーズ A の資金調達として,シリコンバレーの著名なエンジェル

である Peter Thiel から 50万ドル,2005年にはシリーズ B として名門 VC である AC-

CEL PARTNERS から 1270万ドルを調達している。ACCEL PARTNERS の大型投資を

機に Facebook は学生向けのニッチなサイトから世界を揺るがす企業へと一気に離陸し

ていく。その後,2006年には,シリーズ C として,GREYLOCK PARTNERS から 2750

万ドル,2007年にはシリーズ D として Microsoft 等から 3億 7500万ドル,2009年には

シリーズ E としてロシアの IT 関連投資会社 DST から 3億 9000ドルを調達した。さら

に 2011年 1月には,Goldman Sachs と DST から 15億ドルを調達しているおり,非公────────────11 ここでは米国 VC の特徴である巨額の投資の事例をとりあげたが,近年,設立直後のベンチャー企業

に数百万円規模の少額投資を行う VC が台頭している。これは,スマートフォンや SNS が普及して低コストで世界中に新しいサービスを届けれるようになり起業の必要資金が少なくなったことが背景にある。この VC は「エンジェルファンド」「スタートアップインキュベーター」と呼ばれている。500スタートアップス,Y コンビネータ-が有名。

12 THE WALL STREET JOURNAl の HP 参照。http : //online.wsj.com/article/SB 10001424052748703675904576064210094944044.html?mod=e2tw。

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開株の価格算出に使った推定企業価値は,500億ドルとしてい13

る。

このように,Facebook では,起業の初期段階で Sean parker という著名なエンジェル

と出会い,彼の人的ネットワークと知見をもとに,著名なエンジェルや VC から巨額

の資金を調達に成功して急成長を遂げている。

②Zynga

Facebook をはじめとする SNS の盛り上がりに合わせて,好況に沸き立つもうひとつ

の業界がある。SNS 向けにソーシャルゲームなどのアプリを提供する SAP(ソーシャ

ル・アプリ・プロバイダー)と呼ばれる企業群である。この中でも,最大手で圧倒的な

存在感を示すのが Zynga である。

Zynga は,ソーシャルゲームの最大手で,2007年にハーバード・ビジネス・スクー

ルで MBA を取得後,複数のネットベンチャーを立ち上げた Mark Pincus によって設立

された。3度目の起業で成功を収めている。Zynga は,Facebook に有力なソーシャルゲ

ームを次々と提供し,その集客力をテコにユーザー数を伸ばし,現在 2億 5000万人の

ユーザーを抱える巨大ゲーム会社となっている。2010年の売上高は 5億 9750万ドル,

純利益は 9050万ドルと毎年着実に拡大していっている。農場経営のゲーム「ファーム

ビル」などの大ヒット作を複数持ってい14

る。

2008年にシリーズ A で union square ventures から 1000万ドル,シリーズ B で名門

VC である KPCB(Kleiner Perkins Caufield & Byers)等から 2900万ドル,2009年にシ

リーズ C として DST 等から 2億 800万ドル,2010年にはシリーズ D としてソフトバ

ンクと google から 3億ドルを調達している。2011年 6月には IPO の手続きに入り,2011

年 12月に米ナスダック市場に上場,10億ドルの資金を調達し15

た。また,今後は,潤沢

な資金を生かした更なる M & A にも注目が集まっている。同社の M & A は,2009年

の DST の投資を受けて以降に活発化しており,2010年には,日本のソーシャルゲーム

会社であるウノウを含む,中国,ドイツ,インド,米国のベンチャー企業 13社を買収

し急成長している。

4.M & A の促進と資金還流

我が国においては,ベンチャー企業への主な資金供給源である VC への資金供給の

パイプを太くする努力が必要である。我が国の場合,投資を回収する選択肢が IPO に

依存しすぎており,近年のように株式相場が低調で公開件数が激減すると,とたんに回

収するすべを失ってしまう。そもそも,間接金融中心の我が国の金融システムは,リス

────────────13 Facebook の資金調達に関しては,kirkpatrick[2010]に詳しい。日本経済新聞,2011年 1月 22日14 週刊東洋経済,2010年 10月 9日15 日本経済新聞,2011年 7月 2日

ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築(熊野) ( 323 )87

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クマネーが少ない。そのうえ,投資に耐えうる質のいいベンチャー企業が少ないから成

功事例に乏しい。成功事例に乏しく市場が小規模だから,VC やベンチャー企業向けの

新興市場なかなか育たない。結局,ベンチャー企業のリスクは高いというハイリスク神

話が崩れることはないといった,市場の中で資金供給の悪循環があった。この悪循環を

断ち切るためにも,今後考えるべき「出口戦略」の一つが,米国にみられる大企業など

への M & A である。

従来こうした例が稀だった背景には,事業への執着心と永続性をよしとする経営観が

ある。シリコンバレーに見られるように,事業売却資金で新事業を起こしたり,ベンチ

ャーキャピタリストに転身したりする例があってよい。また,ベンチャー企業の事業売

却が進まなかったもう一つの要因は VC の投資行動にある。日本の VC はベンチャー

企業 1社に何社もが少額出資する「協調投資」というスタイルを取り,事業売却の意思

決定に関与できなかった。こうした投資姿勢を見直し,投資案件を絞り,資金の提供だ

けでなく経営支援を行う「ハンズオン」のサービス提供を行うべきである。

シリコンバレーの場合,主に 1980年代後半以降,大企業とベンチャー企業との有機

的な補完関係が定着し,パートナーシップによる企業活動が進む過程で,エコシステム

全体としても新しい成長展開を遂げていった。そこでは,ベンチャー企業における技術

・製品開発とその事業推進が,大企業とのやり取りを通じて加速され,結果的に大企業

のニーズを満たすことになった。つまり,大企業はパートナーシップという形で,先端

技術・製品開発といった部分をベンチャー企業に大きく依存するがゆえに,M & A が

活発に行われているのである。こうした一連の流れの中で,VC の果たす役割は大き

い。VC は常に,より革新的な技術,事業モデル,そして十分な事業推進力を秘めた相

手を求めている。ベンチャー企業も資金調達を優先して投資家側の趣旨に沿った開発に

邁進する。企業としての成長以前の存立がそこにかかっているからである。結果として

ベンチャー企業は大企業の開発ニーズを一層満たし,評価が高まることとなる。大企業

は,例えば最初は開発を伴わない共同開発モデルからはじめて,その後必要に応じて投

資し,最終的には買収も視野に入れるといった形で取り組むことができ16

る。この大手企

業とベンチャー企業の関係こそが,VC やエンジェルを介してシリコンバレーのベンチ

ャー企業に資金が還流する仕組みの根底をなしており,この資金の背景を伴って M &

A が活発に行われ,ベンチャー企業の急成長を支えているといった一連のエコシステ

ムが有効に機能しているのである。

5.米国 VC の日本進出

VC 投資が低迷する我が国に,米国の VC が進出するという新しい動きがある。米国────────────16 原山・氏家・出川[2009]184−185ページ。

同志社商学 第63巻 第4号(2012年1月)88( 324 )

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の VC 大手である DCM は,2009年 1月に日本に進出,都内に事務所を構えた。DCM

は,1996年に創業し,IT 関連のベンチャー企業を中心に投資をし,投資残高は 16億

ドルと米国 VC の中ではトップ 10に入る(2009年度)。この時期に日本に投資をする

理由として,「DCM は,長期投資をポリシーとしているため,今,積極的に良い経営

者を育てていけば,5年後に明るい未来が待っている」と伊佐山元・共同代表は考えて

いる。勝算は,米国式の大型投資にある。日本の VC は,投資金額が数千万円規模で

あるため,優秀な人材を採用する資金が乏しく,高い成長を目指しにくい。その結果時

価総額が小さいまま上場して,巨額資産を運用する機関投資家の投資を呼び込めない。

そこで,DCM は,投資案件を見極めながら17

も,1社あたり少なくとも 5億円規模の資

金を投じている。投資先のベンチャー企業には,外部から人材を送り込んで,ある程度

の規模に成長させてから上場し,機関投資家に保有してもらう考えである。米国では,

新興市場でも機関投資家が主役であり,DCM ではプロに評価されるベンチャー企業を

育成することをも目論んでい18

る。

また,米国の有名ベンチャー企業でクラウドコンピューティングの草分けである

Salesfoce.com も,2010年から日本のベンチャー企業に対する投資をはじめ,2011年 6

月から東京に常駐の投資責任者をおいて,日本でのベンチャー投資を本格化させてい

る。同社の Marc Benioff 会長は,「日本人は気づいていないかもしれないが,日本は成

功事例で溢れている。salesforce.com は現在,日本の IT ベンチャーに投資を加速してい

るが,何度も日本を訪れるうちに,この国には,素晴らしい起業家がいて,有望なベン

チャー企業がたくさんあることに気がついた。その大半が過小評価されている」「我々

は日本に専任の投資責任者を置き,常に投資機会を探っている。米国人の私がいうのも

奇妙だが,日本は投資機会にあふれた非常に魅力的な市場だ。これまでに 4社に資金を

投じたが,今後も投資を続け19

る」と日本のベンチャー企業を高く評価している。

Ⅳ 人 材

1.起業家意識

①起業家意識

起業活動が活発な国か,そうでないかを知る指標の一つとして,起業家や起業家精神

の社会への浸透度がある。社会学の制度理論によると,起業活動が国家や地域に溢れて

いれば,それらの存在が当然のことだと思われるようになり,結果として,起業家が社────────────17 DCM に持ち込まれる投資案件数は,1年間に 300,このうち実際に経営者と面談するのは 80社程度

で,投資実行は年間でわずか 1社程度である。日経産業新聞,2011年 7月 22日。18 日経ビジネス,2009年 4月 6日号。19 日本経済新聞,2011年 8月 18日

ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築(熊野) ( 325 )89

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会的に認知され,正当化されるようになる。加えて,この調査は,起業家ネットワーク

の存在についても参考になる。多くの研究が指摘するように,起業のプロセスにおい

て,起業家を取り巻くネットワークの存在が重要な役割を果たす。

世界中のベンチャー企業を対象に,調査・研究を行なっている GEM(Global Entrepre-

neurship Monitor)では,各国の起業活動の活発度合い表す尺度として起業活動20

(TEA : Total Entrepreneurship Activity)という指標を開発し,その調査結果を公表して

いる。我が国の起業活動率は先進国内でも継続的に最低レベルにあり,起業家という職

業選択に対する評価,起業家の地位に対する評価も我が国は最低で,その水準は調査参

加国(全 54カ国)の中でも特異と映る。

現在の不況下で若者の安定志向が強まっており内向きになっているといった指摘があ

る。成熟社会においては,「企業」が発達しており,人々は安定雇用を求めるものであ

るが,この調査の結果は,若者だけでなく国全体の問題として捉える必要があることを

示唆している。我が国では,社会全体として出る杭を打ち,成功者が大金を得ることに

も否定的な論調が目立21

つ。また,我が国でベンチャー企業というと「大企業や役所に入

れなかった人が就く仕事」,「不祥事が多い」「得体がしれない,あやしい」というイメ

ージがあるため,優秀な人材は起業やベンチャー企業で働くことを選択せず,ベンチャ

ー企業は常に人材不足の状況であるといった状況が根強く続いている。起業家のリスク

テイクに対する評価として十分な尊厳と対価が得られない社会では,チャレンジ精神も

涵養されないであろう。優秀な人材が大企業に偏らず,起業にチャレンジできる社会の────────────20 起業活動率とは,18歳から 64歳までの人口に占める起業活動を行なっている人(独立,社内を問わ

ず,新しいビジネスをはじめるための準備を行なっている個人で,まだ給与を受け取っていない人及び,既に会社を所有している経営者で,はじめて給与を受け取ってから 3.5年以上経過していない人の割合である。財団法人ベンチャーエンタープライズセンター[2011 c]。

21 財団法人ベンチャーエンタープライズセンター,前掲注 3, 20ページ。

第 1表 起業活動率

出所:Global Entrepreneurship Monitor「2009 Global Report」VEC「平成 21年度創業・起業支援事業(起業家精神に関する調査)報告書」

同志社商学 第63巻 第4号(2012年1月)90( 326 )

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システム,価値観の創生が必要である。

②オーナーシップに対する意識

このような起業環境において,起業家のオーナーシップに対する考え方もシリコンバ

レーとは大きく事なる。我が国の起業家は,自らが快適な人生を送れるように会社を設

立するケースが多い。その場合,投資家に会社の支配権を渡したくないと考えるのが一

般的である。投資家は短期的な利益の最大化を期待して,起業家のライフスタイルを脅

かす恐れを感じるからであ22

る。一般に,「成長の遅い小規模な企業の完全な所有権」と

「急成長しているがリスクの高い企業の少数株主」の二者択一を求められた場合,日本

の起業家は前者を好む。不確実な将来の富よりも,安定性と高いサラリーをより評価す

るのであるであ23

る。

また,日本の起業家は,会社に対する責任が強すぎて,すべてを自分でやろうとす

る。責任感は大事な資質であるが,それが高じて外部の経営資源を活用する姿勢に欠け

るのである。また,日本では,VC に多くのシェアを握られても,経営の関与が少ない

ため孤軍奮闘を余儀なくされるケースが少なくない。

筆者のインタビューにおいて,アジアで活躍する米国のベンチャーキャピタリスト

は,「日本の起業家は,オーナーシップにこだわり,上場時に株式の 70%を起業家が保

有しているケースもある。一方,米国の起業家の株式持分は 20%程度で,大半は VC

が持っている。ところが,市場のポテンシャルが高いために,米国の場合は持分が少な

くても上場時に莫大なキャピタルゲインが見込める。日本は持分が多くとも市場のポテ

ンシャルが低いために,キャピタルゲインも少ない。例えて言うならば,一口サイズの

ピザの 7割のパイをもつか,メガサイズピザの 2割のパイを持つかの違いである」と指

摘した。

孤軍奮闘せざるを得ない日本の起業家であるが,一方,米国の場合は,VC による巨

額の投資に加え,ベンチャーキャピタリストによるハンズオンが,その特徴として挙げ

られる。以下では,米国のベンチャーキャピタリストの実態について具体的な事例をも

とに分析し,日米の違いを明らかにする。

2.米国のベンチャーキャピタリスト

①米国ベンチャーキャピタリストのバックグラウンド

米国のベンチャーキャピタリストは,起業家が成功してベンチャーキャピタリストに

なったり,ベンチャーキャピタリストが投資先 CEO になったりするなど,起業家と VC

を行き来しているケースが多い。また,ベンチャーキャピタリストが,日本のようにサ────────────22 Rowan and Toyoda[2002]23 五十嵐[2006]29ページ。

ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築(熊野) ( 327 )91

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ラリーマンでなく,パートナーであるために,投資をしているのだから一緒に会社を大

きくしていこうという意識が強く働いている。そして,ベンチャーキャピタリストとい

う職業に対して,金融業ではなく,経営者という意識が強く,実際にベンチャーキャピ

タリストのバックグラウンドも金融出身者ばかりでなく,事業経験者が多数派を占め

る。

それでは,米国では,どのような人材がベンチャーキャピタリストをやっているの

か,その典型的な事例を見ていく。Matt Cohler は,米国を代表する VC である BENCH-

MARK CAPITAL のジェネラルパートナーである。彼は,エール大学を卒業後 McKinsey

& Company のシリコンバレーオフィスでコンサルタントを務めたのち,LinkedIn の立

ち上げと副社長を経験し,さらには,Facebook で 5番目の従業員として,両社を急成

長させるといった実績,経験を積んだ上で BECHMARK CAPITAL に参画してい24

る。

このように,米国におけるベンチャーキャピタリストは,ベンチャー企業を経営した

経験があるか,業界に精通しているか,豊富な人的ネットワークを有しているかが,重

要な条件になっている。また,先の事例からも読み取れるように,米国においては,エ

リート・優秀な人材がリスクをとって起業し,VC のステイタスも非常に高い。ベンチ

ャー企業は,VC からの資金提供のみならず経営そのものにおける強力なバックアップ

を受けながら,のちに大企業を巻き込んで事業を大きくしているのである。

②米国 VC の日本人キャピタリスト

米国 VC の日本人キャピタリストは,シリコンバレーのエコシステムの中に生き,

我が国との架け橋となっている。ここでは,その代表的な事例を紹介する。

米国 VC デフタパートナーズの会長,原丈人氏は東京に事務所を置き,日本での投

資活動に注力している。原氏は,シリコンバレーの著名な日本人ベンチャーキャピタリ

────────────24 http : //www.benchmark.com/people/general−partner/matt−cohler/(2011年 9月 30日閲覧)HP 上においても

米国の VC はベンチャーキャピタリスト個人の紹介ページを持ち実績を示しているが,日本の VC がHP で個人の実績を紹介することは極めて少ない。

第 2表 日米の VC 比較

日本 米国

VC の形態 株式会社 パートナーシップ(専門家による個人集団)

VC の設立母体 銀行,証券,生損保が中心 独立系 VC 70%強,金融系 20%,事業会社他

業界団体 日本 VC 協会:2002年結成 NVCA(全米 VC 協会):1973年設立

VC 会社数 200社以上 600社以上(NVCA 加盟は 400社)

ベンチャーキャピタリスト数 不明 3000人程

投資資金 VC の自己資金 45%,ファンド 55% ファンド 70%強

出所:VEC[2004]「資本政策実務ガイド」参照

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ストで,欧米を中心に投資してきたが,我が国の国際競争力の低下を懸念して,軸足を

日本に移している。ベンチャー企業に興味を持ったのは,かつてスタンフォードのビジ

ネススクールに留学し,様々なベンチャー企業が誕生していく姿を目の当たりにしたこ

とであった。

また,DCM の伊佐山元氏(共同代表兼本社パートナー),はスタンフォード大学の

OB で,留学時代に様々なベンチャー企業に出会った経験によって,この世界を志す契

機になったという。DCM の日本人キャピタリストの出身母体は,三菱商事,Apple Com-

puter,日本興業銀行,McKinsey & Company,シリコンバレーのベンチャー企業等で構

成され,事業会社の出身者が多いが,いずれも,シリコンバレーでの事業,勤務経験を

有してい25

る。

先述した Salesfoce.com の日本の投資責任者である倉林陽氏(コーポレートディベロ

ップメント シニアディレクター アジア担当)は,三井物産で,主にハイテク分野で

の VC 業務を担当し,シリコンバレーに設立された Mitsui & Co. Technology Investment

Group の共同設立者及びディレクターとして米国駐在した経験を持つ。その後,ペンシ

ルバニア大学で MBA を取得し,米国 VC Globespan capital partners の東京オフィスデ

ィレクターを務めた後,現在,同社で活躍している。

3.人材の流動化と人的ネットワーク

①人材の流動化

我が国ではよく,「ベンチャー人材」がいないと言われており,優秀な人材が大企業

に偏在しているため,優秀な人材や技術が大組織の中から流動化しないと指摘されてい

る。人材供給の悪循環を招いているのである。つまり,ハイリスクを避けるために,優

秀な人材は,一流の大企業を目指し,自ら事業を起こそうとはしない。優秀な人材がベ

ンチャー企業をやらないから,その失敗の確率は高くなる。そして,間接金融中心の資

金調達システムでは,個人保証までとられて,一度失敗すれば,再起不能になる。そう

した失敗事例を見ているから,優秀な人材は,ますますベンチャー企業に足を踏み入れ

ない。結果として,ベンチャー企業の数少ない成功者は,正規のルートから外れたアウ

トロー的な印象になる。その結果,数少ない成功者は,金銭的に恵まれても,社会的に

は尊敬されないという文化が形成され26

た。

一方で,シリコンバレーでは,大企業とベンチャー企業の間で共同研究,ジョイント

ベンチャーを起こす,またはベンチャー企業が VC から新しい資金を調達して,その

資金を元に,大企業から人材を招き入れるといったことが日常的行われており,人材の────────────25 DCM の HP 参照。http : //www.dcm.com/jp/team−dcm.php(2011年 9月 30日閲覧)26 石黒[2006]

ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築(熊野) ( 329 )93

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流動化が活発である。こうした状況は,結果として,ベンチャー企業と大企業,大学あ

るいはベンチャーキャピタリストといった各領域の人材が有機的かつフラットに結びつ

いたシームレスな状況を創ってい27

る。その結果,ベンチャー企業だとか大企業だとかと

いった垣根が低くなっていき,この背景には,前章で述べてきた厚い VC の資金が大

きく関係しているのである。たとえ大企業からベンチャー企業に移っても,ベースの収

入は担保され,さらに成功を目指すモチベーションも高まるといった動機付けも行わ

れ,流動化が促進されている。人材の流動化にあたっては,シリコンバレーにおける非

公式なコミュニケーションや交流イベントが日常的に行われており,外部コミュニティ

との濃厚な人的ネットワークとも密接に関わっている。

②人的ネットワーク

ベンチャー企業が輩出され続けるシリコンバレーの本質は,ハードなインフラの物理

的な近接性よりも,ソフトな人的ネットワークにあるといえる。最新技術やビジネスに

関してテーマを絞ったワークショップがいたるところで頻繁に開催され,そこには,ベ

ンチャー企業の経営者,ベンチャーキャピタリスト,大企業,大学の研究者,コンサル

タント,弁護士,公認会計士らが集まって議論に参加する。これによって,人的なネッ

トワークが増殖されていく。一方で,シリコンバレーは,狭い世界であり,噂や評判

は,あっという間に広まる。悪い評判がたてば,二度とコミュニティに参加できない。

こうした,評判の文化によって,コミュニティの参加者は踏み込んだ議論ができ,信頼

のネットワークを形成できる。

この信頼のネットワークは,相互扶助のネットワークであり,仮に失敗してもこれま

でに不誠実な対応をしていなければ,大学に戻ったり,新しいベンチャー企業に採用さ

れたり,新しく起業するなど,再起が可能である。つまり,ベンチャー企業の事業リス

クと個人のキャリアにかかわるリスクは,コミュニティ全体で吸収されているのであ

る。シリコンバレーにおいてベンチャー企業を起こすことは,ローリスク・ハイリター

ンなのである。だからこそ,優秀な人材が事業を起こすし,一緒に儲けようとするベン

チャーキャピタリストやコンサルタントなどが手厚い支援を行う。そして,自分もと夢

を見る優秀な人材が,ベンチャー企業,VC にますます集まってくるという好循環を形

成していくのであ28

る。

③「ベンチャー人材」の交流の場

我が国にもシリコンバレーのようなエコシステムを構築することを目的としたベンチ

ャー関係者の交流イベントが注目されている。

たとえば Infinity Ventures Summit(インフィニティ・ベンチャーズ・サミット)は,────────────27 原山・氏家・出川,前掲書。28 石黒,前掲論文。

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「無限の可能性をもつベンチャー企業が巣立つ場・集まる場」という意味を込めたイン

ターネット,モバイル,ソフトウエアなど IT 業界の国内外の経営者・経営幹部を対象

とした年 2回の招待制のカンファレンスで国内最大級である。最前線で活躍する国内外

のスピーカー陣を迎え,2日間で業界の動向を把握すると同時に,質の高い経営者・経

営幹部同士のネットワーキングの機会を提供している。米国の「Web 2.0 Summit」

「DEMO」などではスタートアップ企業の新しい製品・サービスのプレゼンテーション

の場が存在するが,このイベントでもスタートアップ企業の新サービスの発表の場を提

供している。このイベントに招待(500名)されることは,ベンチャー関係者にとって

のステイタスとも言われる。

2000年当時,東京・渋谷を中心に米シリコンバレーのような IT ベンチャーの集積地

をつくろうという「ビットバレー」構想は,第 3次ベンチャーブーム当時の熱気の象徴

であっ29

た。1999年 2月に構想され,若い起業家とベテラン経営者や法律家らがコミュ

ニティを形成し,実務的な知恵を分け合う米国のやり方を広めることを意図されていた

が,次第に賛同者の集会は,未公開株でもうけたい脱サラ志望者が群がるなど構想の趣

旨と関係ないお祭り騒ぎと化し,提唱からわずか 1年後,集会は打ち止めになり,一過

性のブームで終わった感がある。

一方で,このイベントは,完全招待制で日本の著名な起業家・ベンチャー企業が多数

参加し,質の高いイベントになってい30

る。会場の模様は,U-STREAM や twitter などの

ソーシャルメディアを通して中継され,会場の外でも盛り上がりをみせている。そし

て,このようなイベントの様子を見ると,我が国のベンチャー企業の熱気を感じること

ができる貴重な機会でもある。ベンチャー企業輩出の流れを大きくするためには,起業

に対する人々の意識を高めて,背中を押す空気を醸成し,起業後もお互いを高めていく

ネットワークが形成しやすいコミュニティをつくっていくことが重要である。このよう

な交流イベントもその一つといえる。

Ⅴ 結 語

本稿は,我が国のベンチャー企業の活性化に向けて,ベンチャー企業の輩出と成長を

促す構造的な要因をエコシステム(生態系)の観点から考察したものである。具体的に

────────────29 最終回の 2000年 2月には都内の大型ディスコに約 2200人の若者が集まり,孫正義ソフトバンク社長の

話に熱狂したエピソードは語り草である。日本経済新聞,2010年 10月 17日。30 パネラーは,グリー株式会社 田中良和氏,株式会社サイバーエージェント 藤田晋氏,GMO インタ

ーネット株式会社 熊谷正寿氏,株式会社はてな近藤淳也氏,株式会社ミクシィ笠原健治氏など日本を代表する有名起業家や DCM の伊佐山元氏といったベンチャーキャピタリスト,シリコンバレーやアジアの著名な起業家らが名を連ねている。

ベンチャー企業の活性化とエコシステムの構築(熊野) ( 331 )95

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は,エコシステムの構成要素の中でとりわけ重要と思われる,資金,人材,の二つ側面

から分析を行った。

第 1に,資金の問題である。我が国の新興市場においては,ベンチャー企業の不祥事

が根絶されず,投資家の信頼が低下し,投資家保護を目的とした J−SOX 法対応が市場

の混乱のさなかの 2009年より始まり,コストの増加が株価の低迷と重なり上場メリッ

トを低下させ,ベンチャー企業にとって上場意欲を削ぐといった悪循環が起きている。

新興市場が低迷すると,新規上場の急減で,IPO を投資回収手段としている我が国の VC

は自身の業績が悪化し,投資は更に落ち込むといった更なる悪循環に陥っている。一

方,米国は VC 投資額が年間 2兆円規模の資金供給がなされており,VC 投資のイグジ

ットは,M & A が圧倒的に多く,我が国で主流の IPO は,2009年度において全体の僅

か 4%程度に過ぎない。M & A によって投資資金の回収が比較的スムーズに行われ,

VC,ベンチャー企業双方にとって好循環がうまれている。

我が国においても,M & A の活性化は,ベンチャー企業の輩出,育成において重要

課題であり,エコシステムの中で取り組む必要がある。シリコンバレーの場合,主に 1980

年代後半以降,大企業とベンチャー企業との有機的な補完関係が定着し,パートナーシ

ップによる企業活動が進む過程で,エコシステム全体としても新しい成長展開を遂げて

いった経緯がある。大企業とベンチャー企業の関係こそが,VC やエンジェルを介して

シリコンバレーのベンチャー企業に資金が還流する仕組みの根底をなしており,この資

金の背景を伴って M & A が活発に行われ,ベンチャー企業の急成長を支えているとい

った一連のエコシステムが有効に機能しているのである。新しい動向として,米国 VC

やベンチャー企業が日本に進出し,日本でのベンチャー投資を本格化させている。米国

式の大型投資とベンチャー企業の育成によって,低迷する我が国の状況を食い止める動

きとして期待される。

第 2に,人材の問題である。起業家の輩出,ベンチャー企業の育成において,ベンチ

ャーの世界に優秀な人材をどれだけ呼び込めるかが,大きな課題である。我が国ではよ

く,「ベンチャー人材」がいないと言われており,優秀な人材が大企業に偏在している

ため,優秀な人材や技術が大組織の中から流動化しないと指摘されている。シリコンバ

レーでは,大企業とベンチャー企業の間で共同研究,ジョイントベンチャーを起こす,

またはベンチャー企業が VC から新しい資金を調達して,その資金を元に,大企業か

ら人材を招き入れるといったことが日常的行われており,人材の流動化が活発である。

また,人材の流動化にあたっては,シリコンバレーにおける非公式なコミュニケーショ

ンや交流イベントが日常的に行われており,外部コミュニティとの濃厚な人的ネットワ

ークとも密接に関わっている。このネットワークは,信頼そして,相互扶助のネットワ

ークであり,仮に失敗してもこれまでに不誠実な対応をしていなければ,大学に戻った

同志社商学 第63巻 第4号(2012年1月)96( 332 )

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り,新しいベンチャー企業に採用されたり,新しく起業するなど,再起できるのであ

る。つまり,ベンチャー企業の事業リスクと個人のキャリアにかかわるリスクは,コミ

ュニティ全体で吸収されているのである。つまり,シリコンバレーにおいてベンチャー

企業を起こすことは,ローリスク・ハイリターンなのである。だからこそ,優秀な人材

が事業を起こすし,一緒に儲けようとするベンチャーキャピタリストやコンサルタント

などが手厚い支援を行う。そして,自分もと夢見る優秀な人材が,ベンチャー企業,VC

にますます集まってくるという好循環を形成していくのである。

このような中で,米国 VC の日本人キャピタリストに着目した。米国 VC の日本人

キャピタリストは,シリコンバレーのエコシステムの中に生き,我が国との架け橋とな

っている。彼らは,シリコンバレーでの事業経験を有し,日本の一流の大企業から転身

を図っており,また米国で MBA を取得したグローバルエリート,などの特徴がある。

シリコンバレーを経験した優秀な日本人が,日本とシリコンバレーの架け橋となって,

我が国のベンチャー企業の育成に取り組んでいる。

我が国のベンチャー企業が発展するためには,エコシステムの構築が鍵となる。エコ

システムの中で,特に起業家やベンチャー人材絶対数を増やしていくこと,それを支え

るものとして手厚い VC の資金が必要であること,VC が機能するために M & A が活

発に行われること,M & A においては大企業とベンチャー企業の関係が重要であるこ

と,その関係性において人的ネットワークが構築されること。このような好循環を創出

していくことがベンチャー企業の発展につながっていく。グローバル化の一層の進展の

中で,起業の促進,「ベンチャー人材」の確保,資金調達,M & A の活性化,これら

各々がひとつの生態系として息づき,さらにそれが全体としてエコシステムとして構築

される必要がある。

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