アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/55673/...141...

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-1- 岡山大学経済学会雑誌49(2),2018,1 〜 15 《論 説》 アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察 ―『法学講義』から『国富論』への租税論の発展― 新  村     聡 1.はじめに スミスの経済思想は,『法学講義』から『国富論』へ大きく発展した。ひとことでいえば,小さな政府 論から大きな政府論への転換である。長い間,スミスは小さな政府論または自由放任政策のもっとも代 表的な経済学者とみなされてきた。たしかに『国富論』第1⊖2編で述べられている資本主義市場経済の 自律的メカニズムの分析と,それに基づいて第4編で示されている重商主義批判と自由貿易政策の主張 は,スミスを経済的自由主義の代表的経済学者とみなすのに十分な理由といえるであろう。しかし他方で, J.ヴァイナー(Viner 1927)など多くのスミス研究者が早くから注目してきたように,『国富論』には自由 放任の「例外」が数多く存在している。これら「例外」の多くは『法学講義』には存在せず, 『国富論』になっ て初めて主張されるようになったものであった。つまりスミスは, 『国富論』でたまたま自由放任の「例外」 に言及したのではなく, 『法学講義』で基調をなしていた自由放任原則を『国富論』では大幅に修正し,代わっ て1つ1つの政府介入を公平性と公益性の観点から注意深く検討してその必要性または不要性を個別的に 主張する是々非々の政府介入原則へと転換したと考えられる。 一般的な用語としていえば,小さな政府論と大きな政府論は,無政府主義と国家社会主義という両極の 中間に位置して,いずれも市場と政府の存在意義を認めつつ,前者は政府介入の最小化を主張し,後者は 市場の欠陥を是正する政府介入を積極的に支持することを意味する。これらの用語を使うならば,スミス は『法学講義』における自由放任原則と小さな政府論から,『国富論』における是々非々の政府介入原則 と大きな政府論へと転換したといえるであろう。この転換を促進した要因としては,第1に1760 〜 70年 代の歴史的変化,第2に重農学派などの先行思想の影響,第3にスミス自身の理論的・思想的発展があげ られる。 以下では,まずこの転換について概観しておこう。『法学講義』の行政論では,公共の効用を目的とす る行政は基本的に不要とされていた。この行政論の内容は, 『国富論』では大幅に拡充されて,第1,2,4, 5編へ分かれる。このうち,第4編の通商政策では, 『法学講義』における小さな政府論の基調が『国富論』 でも堅持されており,『法学講義』行政論の中核をなしていた重商主義批判と自由貿易政策の主張が継承 されている。これに対して,第2編の金融政策論および第5編の財政論では,『法学講義』の小さな政府 論が修正されて『国富論』ではさまざまな形で大きな政府論が主張されるようになる。 金融政策では,『法学講義』行政論における銀行と金融市場に対する自由放任の政策から,1760年代の 為替危機と1772年のエア銀行倒産に始まる金融恐慌を経て,『国富論』第2編では社会の利益を目的とす る金融規制政策(少額銀行券発行禁止,選択条項禁止,高利禁止など)が主張されるようになる(新村 2002)。 また財政論では,歳出論と租税論のいずれにおいても,『法学講義』の小さな政府論から『国富論』第 5編ではいくつかの領域で大きな政府論への転換がある。歳出論では,スミスは『法学講義』で政府の 役割を司法と軍備だけに限定して,行政は基本的に不要と主張していた。これに対して『国富論』では,

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Page 1: アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/55673/...141 -3- アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

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岡山大学経済学会雑誌 49(2),2018,1 〜 15

《論 説》

アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

―『法学講義』から『国富論』への租税論の発展―

新  村     聡

1.はじめに

 スミスの経済思想は,『法学講義』から『国富論』へ大きく発展した。ひとことでいえば,小さな政府

論から大きな政府論への転換である。長い間,スミスは小さな政府論または自由放任政策のもっとも代

表的な経済学者とみなされてきた。たしかに『国富論』第1⊖2編で述べられている資本主義市場経済の

自律的メカニズムの分析と,それに基づいて第4編で示されている重商主義批判と自由貿易政策の主張

は,スミスを経済的自由主義の代表的経済学者とみなすのに十分な理由といえるであろう。しかし他方で,

J.ヴァイナー(Viner 1927)など多くのスミス研究者が早くから注目してきたように,『国富論』には自由

放任の「例外」が数多く存在している。これら「例外」の多くは『法学講義』には存在せず,『国富論』になっ

て初めて主張されるようになったものであった。つまりスミスは,『国富論』でたまたま自由放任の「例外」

に言及したのではなく,『法学講義』で基調をなしていた自由放任原則を『国富論』では大幅に修正し,代わっ

て1つ1つの政府介入を公平性と公益性の観点から注意深く検討してその必要性または不要性を個別的に

主張する是々非々の政府介入原則へと転換したと考えられる。

 一般的な用語としていえば,小さな政府論と大きな政府論は,無政府主義と国家社会主義という両極の

中間に位置して,いずれも市場と政府の存在意義を認めつつ,前者は政府介入の最小化を主張し,後者は

市場の欠陥を是正する政府介入を積極的に支持することを意味する。これらの用語を使うならば,スミス

は『法学講義』における自由放任原則と小さな政府論から,『国富論』における是々非々の政府介入原則

と大きな政府論へと転換したといえるであろう。この転換を促進した要因としては,第1に1760 〜 70年

代の歴史的変化,第2に重農学派などの先行思想の影響,第3にスミス自身の理論的・思想的発展があげ

られる。

 以下では,まずこの転換について概観しておこう。『法学講義』の行政論では,公共の効用を目的とす

る行政は基本的に不要とされていた。この行政論の内容は,『国富論』では大幅に拡充されて,第1,2,4,

5編へ分かれる。このうち,第4編の通商政策では,『法学講義』における小さな政府論の基調が『国富論』

でも堅持されており,『法学講義』行政論の中核をなしていた重商主義批判と自由貿易政策の主張が継承

されている。これに対して,第2編の金融政策論および第5編の財政論では,『法学講義』の小さな政府

論が修正されて『国富論』ではさまざまな形で大きな政府論が主張されるようになる。

 金融政策では,『法学講義』行政論における銀行と金融市場に対する自由放任の政策から,1760年代の

為替危機と1772年のエア銀行倒産に始まる金融恐慌を経て,『国富論』第2編では社会の利益を目的とす

る金融規制政策(少額銀行券発行禁止,選択条項禁止,高利禁止など)が主張されるようになる(新村

2002)。

 また財政論では,歳出論と租税論のいずれにおいても,『法学講義』の小さな政府論から『国富論』第

5編ではいくつかの領域で大きな政府論への転換がある。歳出論では,スミスは『法学講義』で政府の

役割を司法と軍備だけに限定して,行政は基本的に不要と主張していた。これに対して『国富論』では,

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新 村   聡

政府の役割を国防と司法だけに限定せず,社会の利益を目的とする「公共事業と公共制度」(public works

and public institutions)の意義を強調するようになる。スミスは,商業一般を助成する公共事業と公共制度

として,公道,橋,運河,港,貨幣鋳造,郵便事業などをあげて,それらの経費は政府の一般的税収入で

はなく各事業ごとの個別的税収入(通行税,入港税,造幣手数料など)でまかなうべきと述べている。また,

東インド貿易など特定の商業部門を保護するための公共事業と公共制度である海外の堡塁や守備隊などの

維持は,従来のように,東インド会社などの民間商事会社に関税徴収の特権を与えることによって委託す

るのではなく,政府が直轄すべきであるとされている(WN, 733⊘訳Ⅲ70⊖71)。さらにスミスは,政府が

株式会社〔合本会社〕(joint stock company)を認可すべき部門は,銀行,保険,運河,水道だけに限定さ

れるべきと主張する(WN, 756⊘訳Ⅲ106)。これらの4事業は,大きな社会的効用を有するにもかかわらず,

当時のコモン・ローで許されていた無限責任の合名会社では投資リスクが大きすぎるために必要とされる

多額の資本を集めることが困難であり,それゆえ政府が投資リスクの小さな有限責任の株式会社の設立を

特別に認可して,多額の資本を集めることを可能にする必要があったのである。つまり政府による株式会

社の認可は,社会的総資本の配分に政府が介入して,大きな社会的効用を有する部門へ資本を人為的に誘

導することを意味していた。スミスは,青少年教育制度に対する政府介入の是非についても検討し,大学

は民間に任せてよいが小学校は政府が担うべきであると主張している(WN, 758⊖786⊘訳Ⅲ110⊖149)。

 以上のように,スミスは公共事業と公共制度の1つ1つについて,経費を政府の一般的税収入と個別的

税収入のどちらでまかなうべきか,事業を担う主体は,民間,独立採算の政府機関,政府直轄,政府が認

可する株式会社などのどれがもっともふさわしいかについて細部にわたって比較検討している。注意すべ

き点は,政府直轄や独立採算の政府機関だけでなく有限責任の株式会社の認可も,社会的総資本の配分へ

政府が介入する方法の1つであるということである。その意味では,大学など一部の事業と制度を除いて,

大部分の公共事業と公共制度には政府介入が必要であるというのがスミスの基本主張であった。『国富論』

第5編の歳出論は,スミスの大きな政府の立場を端的に示すものなのである。

 上述のように,『国富論』の金融政策論と歳出論は基本的に政府介入の必要性を述べたものと考えられる。

さらに租税論も,スミスの大きな政府の立場を示す第3の領域である。スミスは,『法学講義』の租税論では,

経済主体の勤労・投資・土地改良の意欲をできるだけ妨げないような税制を主張していた。しかしスミスは,

自己の基本思想を『法学講義』の不平等容認論から『国富論』の平等主義へと転換したことに対応して,『国

富論』では税制を通じた所得再分配と平等化を主張するようになる(Niimura 2016,新村 2016a)。しかし

従来のスミス租税論研究では,『国富論』における主要な租税を考察対象として租税原則論や租税転嫁論

が主として検討されてきたが,スミスの見解が『法学講義』から『国富論』へ発展する中で望ましいとさ

れる税制が大きく転換したことや,その背景として文明社会における分配的正義のあり方と租税を通じた

所得再分配に関してスミスの見解に大きな変化があったことについてはほとんど注目されてこなかった。

しかしスミスは,本稿で詳しく検討するように,『国富論』では,税の公平性,イングランドとフランス

の土地税の優劣,累進税,消費税,資本価値への課税などの問題をめぐって,『法学講義』から見解を大

きく変化させている。とりわけ,相続税・登記税・印紙税などの資産課税は,租税論におけるその重要性

にもかかわらず,これまでの研究ではほとんど検討されていないので,詳しく考察したい。

 さらに租税論は,どの階級がどの所得によって租税を負担するのかという問題をめぐって,階級論およ

び所得論と密接な関係を持っている。スミスの3大所得論(賃金,利潤,地代)と3大階級論(労働者,

資本家,地主)はよく知られている。しかしそれらはスミスの考察の出発点にすぎない。スミスは『国富

論』の分配論では,利潤を企業家収入(労苦と危険の補償)と利子とに分割し,資本家を企業家と利子生

活者とに分割することによって,4大所得(賃金,企業家収入,利子,地代)と4大階級(労働者,企業

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アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

家,利子生活者,地主)を把握している。それだけではない。スミスはさらに租税論において,労苦と課

税の有無によって,所得と階級を大きく2分割している。すなわち,労苦の補償である賃金と企業家収入

には課税せず,労苦の補償ではない純生産物としての地代と利子だけに課税すべきであると主張すること

によって,事実上,2大所得(労苦の補償,純生産物)と2大階級(勤労階級,非勤労階級)の区別を主

張するのである。

 以下の本稿では,スミスの『法学講義』と『国富論』の租税論を比較考察して,望ましいとされる租税

が大きく変化していることおよびその理由について検討し,さらに租税論の基礎にある所得論と階級論の

展開についても考察する。以下,第2節で『法学講義』の租税論,第3〜4節で『国富論』の租税論を考

察したあと,第5節でスミス租税論・所得論・階級論の発展について結論を述べる。

2.『法学講義』の租税論

 スミスは『法学講義』で租税を課税対象に応じて大きく2種類に分けている(LJB, 531⊘訳381)。第1

は財産(possessions)に対する税であり,これはさらに土地,資財(stock),貨幣に対する税に分けられ

ている。第2は財の消費に対する租税であり,消費税と関税が含まれる。第1の財産に対する税は,直接

の課税対象である財産の価値(評価額)に一定税率をかけて課税額を計算し,最終的には財産の貸付収入

の一部から支払われる。つまり財産税は最終的な負担という面から見れば財産所得税であり,土地税,資

財税,貨幣税は最終的な負担から見ればそれぞれ地代税,利潤税,利子税に相当する。後述するように,

スミスは『国富論』第5編で,財産税を「資本の価値に課する税」として詳しく論じている。

 スミスは租税を分類したあと,望ましい租税のあり方について考察している。スミスがもっとも重視す

るのは土地税であり,土地税とその他のさまざまな租税とを比較考察している。スミスが論ずる租税の優

劣比較の問題は3つある。第1は土地税と資財税・貨幣税,第2は土地税と消費税・関税,第3はイング

ランドとフランスの土地税である。それぞれについて検討しよう。

 第1の問題である土地税と資財税・貨幣税との比較について,スミスは,土地に対する税は課税対象が

明確であり徴収が容易であるのに対して,資財や貨幣に対する税は課税対象の捕捉が困難であり恣意的に

なりやすいと指摘する。しかし「この困難を理由として土地に課税して資財にも貨幣にも課税しないなら

ば,非常に大きな不正(injustice)を行うことになるであろう」と述べている(LJB, 531⊘訳381)。

 ここでスミスが,明確性と公平性という2つの課税原則を対比していることに注意すべきである。財産

に対する税はこれら2原則が両立しにくく,明確性を重視して土地だけに課税すれば不公平となり,逆に

公平性を重視して資財と貨幣にも課税すれば明確性が失われて恣意的になるというのである。

 しかし資財や貨幣に対する課税がつねに恣意的となるわけではない。スミスは,イングランドとフラン

スの財産課税の方法を比較している。イングランドの土地税は資財と貨幣に課税されず,明確性のために

公平性を犠牲にしているのに対して,フランスでは,「貨幣または資財に抑圧的ではなく課税する」方法

が用いられているという。すなわち「公証人の面前ですべての証券が譲渡されあらゆる取引が行われて記

帳され」,それに基づいて資財や貨幣に課税される(LJB, 531⊘訳381⊖382)。このようなフランスの財産課

税の方法は明確性と公平性を両立させているとスミスは考える。

 なお,イングランドの土地税は当初は土地だけでなく貨幣や実物の資財にも課税されたが,課税対象の

捕捉が困難であるためにしだいに土地だけに課税されるようになっていった。スミスは『国富論』ではイ

ングランドの土地税を具体的な法制度として説明しており,土地だけでなく資財にも課税されると述べて

いる(WN, 852⊘訳Ⅲ265)。

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新 村   聡

政府の役割を国防と司法だけに限定せず,社会の利益を目的とする「公共事業と公共制度」(public works

and public institutions)の意義を強調するようになる。スミスは,商業一般を助成する公共事業と公共制度

として,公道,橋,運河,港,貨幣鋳造,郵便事業などをあげて,それらの経費は政府の一般的税収入で

はなく各事業ごとの個別的税収入(通行税,入港税,造幣手数料など)でまかなうべきと述べている。また,

東インド貿易など特定の商業部門を保護するための公共事業と公共制度である海外の堡塁や守備隊などの

維持は,従来のように,東インド会社などの民間商事会社に関税徴収の特権を与えることによって委託す

るのではなく,政府が直轄すべきであるとされている(WN, 733⊘訳Ⅲ70⊖71)。さらにスミスは,政府が

株式会社〔合本会社〕(joint stock company)を認可すべき部門は,銀行,保険,運河,水道だけに限定さ

れるべきと主張する(WN, 756⊘訳Ⅲ106)。これらの4事業は,大きな社会的効用を有するにもかかわらず,

当時のコモン・ローで許されていた無限責任の合名会社では投資リスクが大きすぎるために必要とされる

多額の資本を集めることが困難であり,それゆえ政府が投資リスクの小さな有限責任の株式会社の設立を

特別に認可して,多額の資本を集めることを可能にする必要があったのである。つまり政府による株式会

社の認可は,社会的総資本の配分に政府が介入して,大きな社会的効用を有する部門へ資本を人為的に誘

導することを意味していた。スミスは,青少年教育制度に対する政府介入の是非についても検討し,大学

は民間に任せてよいが小学校は政府が担うべきであると主張している(WN, 758⊖786⊘訳Ⅲ110⊖149)。

 以上のように,スミスは公共事業と公共制度の1つ1つについて,経費を政府の一般的税収入と個別的

税収入のどちらでまかなうべきか,事業を担う主体は,民間,独立採算の政府機関,政府直轄,政府が認

可する株式会社などのどれがもっともふさわしいかについて細部にわたって比較検討している。注意すべ

き点は,政府直轄や独立採算の政府機関だけでなく有限責任の株式会社の認可も,社会的総資本の配分へ

政府が介入する方法の1つであるということである。その意味では,大学など一部の事業と制度を除いて,

大部分の公共事業と公共制度には政府介入が必要であるというのがスミスの基本主張であった。『国富論』

第5編の歳出論は,スミスの大きな政府の立場を端的に示すものなのである。

 上述のように,『国富論』の金融政策論と歳出論は基本的に政府介入の必要性を述べたものと考えられる。

さらに租税論も,スミスの大きな政府の立場を示す第3の領域である。スミスは,『法学講義』の租税論では,

経済主体の勤労・投資・土地改良の意欲をできるだけ妨げないような税制を主張していた。しかしスミスは,

自己の基本思想を『法学講義』の不平等容認論から『国富論』の平等主義へと転換したことに対応して,『国

富論』では税制を通じた所得再分配と平等化を主張するようになる(Niimura 2016,新村 2016a)。しかし

従来のスミス租税論研究では,『国富論』における主要な租税を考察対象として租税原則論や租税転嫁論

が主として検討されてきたが,スミスの見解が『法学講義』から『国富論』へ発展する中で望ましいとさ

れる税制が大きく転換したことや,その背景として文明社会における分配的正義のあり方と租税を通じた

所得再分配に関してスミスの見解に大きな変化があったことについてはほとんど注目されてこなかった。

しかしスミスは,本稿で詳しく検討するように,『国富論』では,税の公平性,イングランドとフランス

の土地税の優劣,累進税,消費税,資本価値への課税などの問題をめぐって,『法学講義』から見解を大

きく変化させている。とりわけ,相続税・登記税・印紙税などの資産課税は,租税論におけるその重要性

にもかかわらず,これまでの研究ではほとんど検討されていないので,詳しく考察したい。

 さらに租税論は,どの階級がどの所得によって租税を負担するのかという問題をめぐって,階級論およ

び所得論と密接な関係を持っている。スミスの3大所得論(賃金,利潤,地代)と3大階級論(労働者,

資本家,地主)はよく知られている。しかしそれらはスミスの考察の出発点にすぎない。スミスは『国富

論』の分配論では,利潤を企業家収入(労苦と危険の補償)と利子とに分割し,資本家を企業家と利子生

活者とに分割することによって,4大所得(賃金,企業家収入,利子,地代)と4大階級(労働者,企業

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新 村   聡

 スミスが検討する第2の問題は,土地税と消費税・関税との優劣比較である。スミスは,土地税のほう

が望ましい理由として,公平性,徴収費用,納税者利益の3点を指摘している。それぞれについて見てい

こう。税の公平性について,スミスは消費税・関税には土地税よりも「はるかに大きな不公平(inequality)」

があるという。なぜなら「人々の消費は必ずしもつねにかれらの財産に比例せず気前のよさに比例する」

からである(LJB, 531⊘訳382)。ここでスミスは,地主が土地税と関税・消費税の両方を負担する場合を想

定して比較しており,土地税は土地財産と地代に比例するのに対して,関税・消費税は地主各人の消費性

向が異なるので土地財産と地代に比例せず公平ではないと主張するのである。

 税の徴収費用については,「土地財産の課税は何も大きな費用をかけずに徴収されるという大きな長所

を持っている」のに対して,「関税と消費税はそれらを徴収するのに使用される役人部隊によってほとん

ど食いつぶされる」と述べて,土地税の長所を指摘している(LJB, 531⊖532⊘訳382)。

 納税者である国民の利益・不利益について,スミスは「土地税のもう1つの長所は商品の価格を引き上

げる傾向を持たないことである。なぜなら土地税は穀物と家畜に比例してではなく地代に比例して支払わ

れるからである」(LJB, 532⊘訳383)と述べている。他方で,消費税は商品の価格を引き上げるので「事

業を営むのにより大きな資財が必要であり,業者は減少するに違いない」ので,「勤労への刺激は減少し,

生産される商品の量も少なくなる」とスミスは指摘している(LJB, 531⊘訳382)。

 以上に述べた租税の優劣比較でスミスが事実上用いている基準または原則を整理すると,公平性,明確

性,徴税費用,納税者利益の4つである。これらのうちでもっとも重要な論点となる税の公平性について

見ると,スミスは,消費税よりも土地税が収入に比例する点でより公平であり,さらに土地だけでなく資

財と貨幣を含む全財産に課税することがいっそう公平であると主張している。後者について,スミスは,「地

主階級(landed interest)」は土地税を支払うだけでなく消費税の大きな部分を支払っており,資財と貨幣

に対する課税を免れている「貨幣所有階級(moneyed men)」との間に「1つの不公平がある」(LJB, 532⊘

訳383)と指摘している。

 スミスが考察する第3の租税比較問題は,イングランドとフランスの土地税(地代税)の優劣である。

イングランドの土地税は地代が変化しても土地の評価額と納税額が変更されない固定土地税〔定額土地税〕

であるのに対して,フランスの土地税は地代の変化に応じて土地の評価額と納税額が変化する変動土地税

であった。スミスは,イングランドの固定土地税を地主の改良への熱意を刺激する税制として次のように

高く評価している。

 「イングランドの土地税は不変であり,土地の改良によって規定される地代とともに上昇するのではな

い。最近の改良にもかかわらず,以前と同一である。フランスの土地税は地代に比例して上昇し,そのこ

とが土地所有者の熱意を大いにくじいている。」(LJB, 534⊘訳388)

 しかし後述するように,スミスは『国富論』ではイングランドとフランスの土地税の優劣に関する評価

を正反対に変更するのである。

3.『国富論』の租税論⑴-税の公平性と累進税-

 スミスは,『法学講義』の租税論を『国富論』で大きく変更している。重要な変更点のうち,本節では,

⑴税の公平性,⑵イングランドとフランスの土地税の優劣,⑶累進税,⑷消費税について考察し,次の第

4節で,『国富論』で初めて論じられる「資本価値」への課税について検討する。

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アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

⑴税の公平性

 スミスは,『国富論』の租税論の冒頭で,租税の4原則として,公平性,明確性,納税の便宜,徴税費

用の節約を掲げている(WN, 825⊖828⊘訳Ⅲ220⊖224)。これら4原則は『法学講義』で述べられていた租

税原則とかなり重なっているが,大きく異なるのは公平性の意味内容である。『法学講義』では,土地税

と資財・貨幣税の公平性および土地税と消費税・関税との公平性が検討されており,そこでは公平性は租税

と収入の比例を意味していた。一方,『国富論』では,公平性について,次のように述べられている。

 「すべての国家の臣民は,その政府を維持するために,各人のそれぞれの能力(abilities)にできるだけ

比例して,言いかえれば,各人が国家の保護のもとで,それぞれ手に入れる収入(revenue)にできるだ

け比例して拠出すべきである。一大国における政府の経費と各個人との関係は,一大所有地におけるその

経営費と共同借地人との関係に似ており,共同借地人は,だれでもこの所有地から受け取るそれぞれの利

益(interests)に比例して拠出する義務がある。」(WN, 825⊘訳Ⅲ220⊖221)

 ここでスミスは,各人が「能力」「収入」「利益」に比例して税を支払うべきであると述べており,これ

ら3基準はつねに一致するかのように言いかえている。しかし大きな問題は,「能力」「収入」「利益」に

ついて多様な解釈が可能であり,3基準がつねに一致するとは限らないことである。

 18世紀の英国では税制改革をめぐって激しい論争がたえずくりかえされていた。とくに1730年代に,ウォ

ルポール政権が累積した巨額の公債の利子支払い財源として土地税を減税して生活必需品消費税を増税し

て以来,土地税と消費税の選択が税制をめぐる最大の論争問題となっていた(大倉 2000)。そして土地税

と消費税のどちらの税を支持するかによって,課税の公平性を判断する基準としての収入・能力・利益につ

いて異なる解釈が示されてきた。消費税を支持する立場では,課税される収入として収入一般また総収入

(賃金・利潤・地代を含む)を,担税能力として総収入の稼得力を,利益としてすべての国民が政府から受

ける保護を考える。他方で,土地税(地代税)を主張する立場では,課税される収入として地代収入を,

担税能力として地代の稼得力を,利益として地主が政府から受ける土地財産の保護を考える。

 スミスは生活必需品消費税に反対して地代税を支持するのであるから,この点に関するスミスの立場は

基本的に後者である。しかし後述するように,スミスが最終的に意図するのは,純生産物としての地代と

利子への課税であり,その立場からすると,課税されるべき収入とは純生産物(地代と利子)であり,担

税能力とは純生産物の稼得力であって,納税者が受ける利益は地主と貨幣財産所有者が政府から受ける土

地と貨幣財産の保護であるということになる。

 以上について,もし単一の価値観点から議論するならば,課税の3基準である能力・収入・利益は一致し,

税額を各基準に比例させる応能税・収入比例税・応益税も一致することになるであろう。しかし異なる価

値観点が対立・並存する場合には,たとえば収入を総収入として考え,他方で能力を地代の稼得力として

考える場合には,前者の観点からは消費税が公平な税となり,後者の観点からは地代税が公平な税と考え

られることになる。所得分配や課税における公平(equality,平等)は比例的平等つまり比率の平等であり,

分配される所得や税をどのような基準や尺度に比例させるかがもっとも本質的な問題である(新村2016a,

2016b)。つまり,公平な税といっても,税の基準となる収入・能力・利益をどのようなものとして考える

かによって,公平の意味が大きく異なるのである。

 スミスは「最終的にこれら3収入の1つ〔地代〕だけにかかるすべての税は,他の2つに影響しないの

だから必ず不公平(unequal)である」(WN, 825⊘訳Ⅲ221)と述べている。スミス自身は,地代だけに課

税して利潤と賃金に課税するべきではないと主張するのであるから,この点では不公平な税を主張すると

いえる。スミスが,1つの収入だけに課税するのは不公平であるというとき,かれは税を総収入に課税す

る場合を公平と考えているようである。しかし他方で,スミス自身は税を地代だけに比例させるという意

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新 村   聡

 スミスが検討する第2の問題は,土地税と消費税・関税との優劣比較である。スミスは,土地税のほう

が望ましい理由として,公平性,徴収費用,納税者利益の3点を指摘している。それぞれについて見てい

こう。税の公平性について,スミスは消費税・関税には土地税よりも「はるかに大きな不公平(inequality)」

があるという。なぜなら「人々の消費は必ずしもつねにかれらの財産に比例せず気前のよさに比例する」

からである(LJB, 531⊘訳382)。ここでスミスは,地主が土地税と関税・消費税の両方を負担する場合を想

定して比較しており,土地税は土地財産と地代に比例するのに対して,関税・消費税は地主各人の消費性

向が異なるので土地財産と地代に比例せず公平ではないと主張するのである。

 税の徴収費用については,「土地財産の課税は何も大きな費用をかけずに徴収されるという大きな長所

を持っている」のに対して,「関税と消費税はそれらを徴収するのに使用される役人部隊によってほとん

ど食いつぶされる」と述べて,土地税の長所を指摘している(LJB, 531⊖532⊘訳382)。

 納税者である国民の利益・不利益について,スミスは「土地税のもう1つの長所は商品の価格を引き上

げる傾向を持たないことである。なぜなら土地税は穀物と家畜に比例してではなく地代に比例して支払わ

れるからである」(LJB, 532⊘訳383)と述べている。他方で,消費税は商品の価格を引き上げるので「事

業を営むのにより大きな資財が必要であり,業者は減少するに違いない」ので,「勤労への刺激は減少し,

生産される商品の量も少なくなる」とスミスは指摘している(LJB, 531⊘訳382)。

 以上に述べた租税の優劣比較でスミスが事実上用いている基準または原則を整理すると,公平性,明確

性,徴税費用,納税者利益の4つである。これらのうちでもっとも重要な論点となる税の公平性について

見ると,スミスは,消費税よりも土地税が収入に比例する点でより公平であり,さらに土地だけでなく資

財と貨幣を含む全財産に課税することがいっそう公平であると主張している。後者について,スミスは,「地

主階級(landed interest)」は土地税を支払うだけでなく消費税の大きな部分を支払っており,資財と貨幣

に対する課税を免れている「貨幣所有階級(moneyed men)」との間に「1つの不公平がある」(LJB, 532⊘

訳383)と指摘している。

 スミスが考察する第3の租税比較問題は,イングランドとフランスの土地税(地代税)の優劣である。

イングランドの土地税は地代が変化しても土地の評価額と納税額が変更されない固定土地税〔定額土地税〕

であるのに対して,フランスの土地税は地代の変化に応じて土地の評価額と納税額が変化する変動土地税

であった。スミスは,イングランドの固定土地税を地主の改良への熱意を刺激する税制として次のように

高く評価している。

 「イングランドの土地税は不変であり,土地の改良によって規定される地代とともに上昇するのではな

い。最近の改良にもかかわらず,以前と同一である。フランスの土地税は地代に比例して上昇し,そのこ

とが土地所有者の熱意を大いにくじいている。」(LJB, 534⊘訳388)

 しかし後述するように,スミスは『国富論』ではイングランドとフランスの土地税の優劣に関する評価

を正反対に変更するのである。

3.『国富論』の租税論⑴-税の公平性と累進税-

 スミスは,『法学講義』の租税論を『国富論』で大きく変更している。重要な変更点のうち,本節では,

⑴税の公平性,⑵イングランドとフランスの土地税の優劣,⑶累進税,⑷消費税について考察し,次の第

4節で,『国富論』で初めて論じられる「資本価値」への課税について検討する。

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新 村   聡

味の公平を重視しており,その観点からすれば,地主だけに税を課す地代税は不公平とはいえない。つま

り税が公平であるか不公平であるかは,課税の基準として総収入と地代収入のどちらを重視して選択する

かという価値観の差異に帰着する問題なのである。それゆえスミスは,地代税が総収入に課する税と比べ

て不公平かどうかについて立ち入って検討することを避けて,さまざまな地代税(たとえばイングランド

とフランスの土地税)のどちらがより公平かに焦点をしぼって論じるのである。

 スミスが,担税能力を示す収入として,総収入ではなく地代収入または純生産物を選ぶのには1つの重

要な理由が存在している。これは重農学派の純生産物論を継承する考え方である。一般に担税能力は一時

的にではなく持続的に税を負担する能力である。もし生活や生産を維持するための必要経費に課税するな

らば,長期的には生活や生産を維持することが困難となり,その結果として税を持続的に負担することも

困難となるであろう。それゆえ持続性を考慮した場合の担税能力は,総収入ではなくそこから必要経費を

差し引いた残りの純生産物で示される。そして,担税能力に比例する応能税は,総収入に課税する総合税

ではなく,必要経費を非課税として差し引いた残りの純生産物だけに課税する分離税となるのである。

 この点に関連して,地代などの純生産物に対する収入比例税は総収入に対して累進税となることにも注

意が必要である。一般に必要経費は収入に比例して増加しないので,収入に占める純生産物の比率は収入

が多いほど高くなる傾向がある。その結果,純生産物に対する税率一定の比例税は,総収入に対しては収

入が多いほど税負担率が高くなる累進税となるのである。

 以上の点を,スミスが提案する具体的な税制について見ると,スミスは,賃金と企業家収入(危険・労

苦の補償)に課税せず,地代と利子だけに課税することを提案している。これは,必要経費に課税せず純

生産物だけに課税することによって,担税能力に比例する応能税としての公平性を実現できるからである。

 スミスが純生産物だけに課税すべきであると考えるもう1つの理由を補足しておこう。スミスは,賃金

と企業家収入はいずれも労苦の補償であるから課税すべきではなく,他方で地代と利子はいずれも労苦の

補償ではない純生産物であるから課税すべきであると主張する。このときスミスは2つの理由を考えてい

るように思われる。第1は,課税がもたらす帰結の考慮である。賃金や企業家収入に課税すると勤労と再

生産が持続困難になるのに対して,地代や利子などの純生産物に課税しても勤労と再生産が持続困難にな

ることはなく,したがって担税能力も持続可能である。第2に,スミスは,課税がもたらす帰結とは別に,

労苦に対して十分な報酬を支払うことはそれ自体として適正であると考えているように思われる。逆にい

えば,労苦の補償と無関係な純生産物は,それ自体として不適正な報酬であるということになる。これら

は,帰結を考慮しないという点で,非帰結主義的な価値判断である。こうしたスミスの思想は,独立の職

人が自己の労働の成果をすべて受け取ることに対するスミスの高い評価と,対照的に怠惰な大地主と利子

生活者に対するきびしい評価とに示されているように思われる。スミスは『国富論』全体を通じて,労働

だけが報酬を受けるにふさわしいという分配的正義の労働原理を思想の基底に置いていた(新村 2016a)。

だからこそ,労働の報酬ではない純生産物だけに課税すべきであると主張したのではないであろうか。以

下で見るように,さまざまな累進税を肯定するスミスの見解の基底にも,労働に応じた分配という労働原

理があるように思われる。

⑵イングランドとフランスの土地税の優劣

 スミスは,『法学講義』と『国富論』では,イングランドとフランスの土地税(地代税)の優劣に関す

る見解を正反対に変更している。かれは『法学講義』では,イングランドの固定土地税をフランスの重農

学派が主張する変動地代税よりも高く評価していた。しかし『国富論』では,逆にイングランドの固定土

地税よりもフランスの変動土地税を高く評価するようになる。

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アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

 スミスはなぜ評価を正反対に変えたのであろうか。18世紀のイングランドでは土地改良による増産のた

めに地代収入が倍増していた。そして地代が増加すれば,地代を市場利子率で資本還元して計算される土

地の市場価格も増加することになる。フランスの変動土地税では,地代の増加(および土地の市場価格の

増加)に比例して,土地税の課税標準となる土地の評価額が増加するので,税率が一定でも土地税が増加

する。しかしイングランドの固定土地税では,地代が増加しても土地税の課税標準となる土地の評価額

は固定されたままであるため,それに税率20%で課される土地税の額も固定されていた。その結果とし

て,2倍に増加した地代収入に対する土地税の実質的な税負担率は半減していたのである(WN, 850⊘訳

Ⅲ261)。こうしてイングランドでは,土地の評価額に対する土地税の税率は20%に維持されていても,地

主の地代収入が倍増したために,地代に対する土地税の負担率は事実上半減していた。それゆえスミスは,

イングランドの固定土地税をフランスのように地代の増加に比例して土地の評価額を引き上げる変動土地

税へ転換し,それによって地主の地代収入の税負担率を改良前の水準へ戻すという地主への実質的増税策

を提案するのである。

 ここで注目すべき点は,スミスの考える課税の主要目的が『法学講義』と『国富論』では大きく変化し

ていることである。スミスは『法学講義』では,土地改良を促進するために地主に改良の成果を独占させ

る固定土地税を肯定的に評価していた。それに対して『国富論』では,改良の成果を地主だけに独占させ

ずに公共へ提供させるために地代に応じて税が増加する変動土地税を支持するのである。この土地税改革

論は,スミスが重視する課税の主要目的が,『法学講義』における生産面(生産力の上昇)から『国富論』

における分配面(平等な所得分配)へと大きく転換したことを象徴的に示している。

⑶累進税

 『法学講義』と比較した『国富論』における租税論の大きな特徴として,租税の公平性を実現するため

に累進税を支持するようになったことを指摘できる。すでに述べたように,地代税は地代収入に比例する

収入比例税であるが,総収入に対しては累進税である。この点を再確認しておこう。一般に,すべての収

入を合計して一括して課税する総合課税ではなく,収入をいくつかの種類に分けてそれぞれに異なる税率

を課する分離課税では,個々の収入に対して一定税率を課す収入比例税が総収入に対して累進税となりう

る。たとえば,地代税率が20%で,利潤税率と賃金税率が0%(非課税)であるとする。このとき地代税

だけに注目するならば,税率20%の収入比例税である。しかし総収入に対しては,地主の税負担率は20%

であるのに対して,資本家と労働者の税負担率は0%である。つまり,地代,利潤,賃金という異なる種

類の収入を分離して,それぞれに異なる税率を課する場合には,結果として,20%と0%の複数税率を有

する事実上の累進税が実現するのである。

 さらに両者の中間に,自己所有地を自ら耕作する自作農が,収入の半分を地代として残り半分を労苦の

報酬として得ている場合を考えてみよう。このとき自作農の総収入に対する税負担率は10%となるであろ

う(自己所有地の帰属地代へ土地税が課される場合)。この場合には,20%の地代比例税の下で,大地主・

自作農・労働者の各階級の税負担率は20%,10%,0%という累進的な構造を持つことになる。以上のよ

うに,分離課税と複数税率を組み合わせると,結果として事実上の累進税が実現することに注意しなけれ

ばならない。地代だけに比例的に課税せよというスミスの主張は,実質的には収入比例税ではなく累進税

の主張なのである。

 スミスは『国富論』において,さまざまな累進税に言及している。かれは,プロシャ国王による複数の

地代税率(実質的な累進的地代税)を肯定的に紹介している。プロシャでは,俗人の地主は地代の20 〜

25%の地代税を,聖職者の地主は40 〜 45%の地代税を納めている(WN, 834⊘訳Ⅲ235)。プロシャ国王が

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新 村   聡

味の公平を重視しており,その観点からすれば,地主だけに税を課す地代税は不公平とはいえない。つま

り税が公平であるか不公平であるかは,課税の基準として総収入と地代収入のどちらを重視して選択する

かという価値観の差異に帰着する問題なのである。それゆえスミスは,地代税が総収入に課する税と比べ

て不公平かどうかについて立ち入って検討することを避けて,さまざまな地代税(たとえばイングランド

とフランスの土地税)のどちらがより公平かに焦点をしぼって論じるのである。

 スミスが,担税能力を示す収入として,総収入ではなく地代収入または純生産物を選ぶのには1つの重

要な理由が存在している。これは重農学派の純生産物論を継承する考え方である。一般に担税能力は一時

的にではなく持続的に税を負担する能力である。もし生活や生産を維持するための必要経費に課税するな

らば,長期的には生活や生産を維持することが困難となり,その結果として税を持続的に負担することも

困難となるであろう。それゆえ持続性を考慮した場合の担税能力は,総収入ではなくそこから必要経費を

差し引いた残りの純生産物で示される。そして,担税能力に比例する応能税は,総収入に課税する総合税

ではなく,必要経費を非課税として差し引いた残りの純生産物だけに課税する分離税となるのである。

 この点に関連して,地代などの純生産物に対する収入比例税は総収入に対して累進税となることにも注

意が必要である。一般に必要経費は収入に比例して増加しないので,収入に占める純生産物の比率は収入

が多いほど高くなる傾向がある。その結果,純生産物に対する税率一定の比例税は,総収入に対しては収

入が多いほど税負担率が高くなる累進税となるのである。

 以上の点を,スミスが提案する具体的な税制について見ると,スミスは,賃金と企業家収入(危険・労

苦の補償)に課税せず,地代と利子だけに課税することを提案している。これは,必要経費に課税せず純

生産物だけに課税することによって,担税能力に比例する応能税としての公平性を実現できるからである。

 スミスが純生産物だけに課税すべきであると考えるもう1つの理由を補足しておこう。スミスは,賃金

と企業家収入はいずれも労苦の補償であるから課税すべきではなく,他方で地代と利子はいずれも労苦の

補償ではない純生産物であるから課税すべきであると主張する。このときスミスは2つの理由を考えてい

るように思われる。第1は,課税がもたらす帰結の考慮である。賃金や企業家収入に課税すると勤労と再

生産が持続困難になるのに対して,地代や利子などの純生産物に課税しても勤労と再生産が持続困難にな

ることはなく,したがって担税能力も持続可能である。第2に,スミスは,課税がもたらす帰結とは別に,

労苦に対して十分な報酬を支払うことはそれ自体として適正であると考えているように思われる。逆にい

えば,労苦の補償と無関係な純生産物は,それ自体として不適正な報酬であるということになる。これら

は,帰結を考慮しないという点で,非帰結主義的な価値判断である。こうしたスミスの思想は,独立の職

人が自己の労働の成果をすべて受け取ることに対するスミスの高い評価と,対照的に怠惰な大地主と利子

生活者に対するきびしい評価とに示されているように思われる。スミスは『国富論』全体を通じて,労働

だけが報酬を受けるにふさわしいという分配的正義の労働原理を思想の基底に置いていた(新村 2016a)。

だからこそ,労働の報酬ではない純生産物だけに課税すべきであると主張したのではないであろうか。以

下で見るように,さまざまな累進税を肯定するスミスの見解の基底にも,労働に応じた分配という労働原

理があるように思われる。

⑵イングランドとフランスの土地税の優劣

 スミスは,『法学講義』と『国富論』では,イングランドとフランスの土地税(地代税)の優劣に関す

る見解を正反対に変更している。かれは『法学講義』では,イングランドの固定土地税をフランスの重農

学派が主張する変動地代税よりも高く評価していた。しかし『国富論』では,逆にイングランドの固定土

地税よりもフランスの変動土地税を高く評価するようになる。

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教会の地代税を高くしたのは,教会の収入が土地改良に使用されないからであろうとスミスは推測してい

る。またシュレジアの貴族保有地は38と1⊘₃%課税され,隷農保有地は35と1⊘₃%課税されており,前者は

後者よりも3%高い。「前者には各種の名誉や特権が付随しているのだから少し税を重くしても土地所有

者は十分に償われるであろう……とプロシャ国王はおそらく考えたのであろう」(WN, 835⊘訳Ⅲ236)と

スミスは推測している。スミスは以上のようにプロシャの累進税を支持する一方で,逆にサルディニアや

フランスでは,貴族保有地の地代税を免除して農民保有地だけに課税する逆進税が実施されており,「租

税制度がこの不公平(inequality)を緩和するどころか,いっそうひどくしている」(WN, 835⊘訳Ⅲ237⊖

238)と批判している。ここでスミスは,租税制度が課税前の当初所得の不公平を拡大することを明確に

批判しており,かれが租税制度は不公平を緩和するべきであると考えていることは明らかなように思われ

る。

 またスミスは,家賃税の累進的負担を次のように述べて支持している。

 「生計費全体に対する家賃支出の割合は,財産の程度に応じて異なる。……だから家賃税は一般に富者

にもっとも重くかかるだろうが,このような不公平ならおそらく非常に不合理なことは何もないであろう。

富者がその収入に比例してというだけでなく,いくらかそれ以上に公共の経費に寄与したらよいというの

は,著しく不合理なことではないからである。」(WN, 842⊘訳Ⅲ249)

 スミスは,累進税を支持するだけでなく,逆に高所得者の税率が低くなる逆進税をきびしく批判してい

る。上述のようにサルディニアやフランスの地代税は逆進的であった。スミスによれば,ロンドンの窓税

も逆進的であり,ロンドンの家屋は地方都市の家屋に比べて家賃が高いのに,窓が少ないために窓税が低

くなっているのである(WN, 846⊘訳Ⅲ256)。

 スミスはまた,道路の通行税の累進的課税を支持している。一般的には,通行税は通行者が受ける便益

に比例して課する応益税であるべきであり,具体的には通行する馬車の重量に比例して課税するべきであ

ると考えられていた。通行税は主に道路の補修に支出されるが,重量のある馬車ほど道路を傷めるので,

道路の補修のために徴収される通行税は馬車の重量に比例すべきなのである。しかしスミスは,通行税に

ついて,富者は受ける便益以上に負担すべきであると次のように述べている。

 「ぜいたくな車,たとえば4輪馬車,駅伝馬車にかける通行税を,2輪または4輪の荷馬車などのよう

な生活に欠かせぬ用途の車にかける場合よりも重さの割にいくぶん高くするなら,その国の各地方すべて

への重い財貨の運送費が安くなって,金持ちの怠惰と虚栄心をごく無理のないやり方で貧者の救済に役立

たせることができる。」(WN, 725⊘訳Ⅲ57)

 ここでスミスは,通行税は応益税を基本としつつそこに応能税の要素を加味すべきと考えている。言い

かえれば,スミスは,富者の税負担を重くして貧者の税負担を軽くする所得再分配(所得移転)を明確に

支持しているのである。スミスは,家賃税や通行税以外にも,「金持ちの怠惰と虚栄心をごく無理のない

やり方で貧者の救済に役立たせることができる」税があれば,それを支持した可能性は高いように思われ

る。

⑷消費税

 スミスは『法学講義』で奢侈品消費税だけを論じていたのに対して,『国富論』では生活必需品消費税

を詳しく論じており,消費税の転嫁論を理由として,生活必需品消費税よりも土地税(地代税)のほうが

望ましいと主張している。スミスの消費税転嫁論は2段階の転嫁から構成されている。第1段階では,生

活必需品への消費税の課税によって賃金が上昇し,負担は労働者から雇用主へ転嫁される。第2段階では,

賃金の上昇が,農業部門では地代を減少させて負担は地主に転嫁され,工業部門では製品価格が上昇して

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アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

負担は消費者に転嫁されるのである。

 『国富論』の消費税論でとくに注目すべきは,単一麦芽税の提案である(WN, 888⊖891⊘訳Ⅲ330⊖336)。

当時のイングランドでは,麦芽,ビール,エールはそれぞれ別個に課税されていた。その結果,労働者階

級はすべての税を負担するのに対して,自家醸造をすることが多い中上流階級の人々はビール税とエール

税を支払わず,その結果として,ビール税とエール税は高所得者の税負担率が低い逆進税になっていたの

である。スミスは,このようなビール税とエール税を廃止してもっと軽い麦芽税に一本化すれば,すべて

の人が麦芽税だけを負担するので税負担が公平になり,さらにビール税とエール税の負担がなくなって軽

い税になるために消費と税収の増加が期待でき,酒の密造(脱税)も減らすことができると主張している。

このような逆進的な酒税の改革は,中上流階級から労働者階級への所得再分配の一種と考えることができ

るであろう。

4.『国富論』の租税論⑵-資本価値への課税-

 スミスは,『国富論』第4編第2章の第1項で地代税と家賃税を,第2項で利潤税を検討したあと,「付

録」として「土地,家屋および資財(stock)の資本価値(capital value)に課する税」について論じている。

ここでスミスが検討するのは,直接の課税対象となる土地,家屋,貨幣などの財産の「資本価値」を評価

してそれに一定税率をかけて課税額を計算する財産税〔資産税〕と,それに類似する課税方式を有する税

であり,具体的には,相続税,不動産譲渡税,土地税,家屋税,印紙税,登記税などである。

 とくに注目したいのは,スミスが「資本価値」という場合の「資本」概念が,不動産(土地,家屋),

金融資産(公債,株式,貸付資金など),実物の資財(stock)をすべて含む非常に広範囲な概念だという

ことである(1)。

 その上で,スミスは,財産の資本価値に課する税を,2つの異なる観点から分類している。1つは,最

終的な課税対象は何か(何を取り上げるか)であり,もう1つは最適な課税方法は直接課税と間接課税の

どちらか,という点である。以下それぞれについて見ていこう。

 まず,スミスは資本価値に課する税を最終的な課税対象によって2種類に分類している。第1は,財産

(property)の所有者が変わる場合,すなわち死者から生存者へ変わる場合(相続)と生存者から生存者へ

変わる場合(贈与,不動産売買など)に課される税であり,具体的には,相続税,贈与税,不動産譲渡税

などである(表1の①と②)。これらの税は「財産の資本価値の一部を必ず取り上げることになる」(WN,

858⊘訳Ⅲ277⊖278)という。

 第2は,財産が同じ人物の所有にとどまる間に課せられる税であり,税の目的は「財産の資本価値」の

一部を取り上げることではなく,財産の貸付から生ずる収入の一部を取り上げることである。これは,財

産の所有権を移転せずに賃貸によって使用権だけを一時的に移転する場合に生ずる貸付収入へ課する税で

あり,具体的には,土地税(地代税),家屋税(家賃税),貨幣財産税(利子税)などである(表1の③と④)。

土地税や家屋税の目的は土地や家屋の資本価値の一部を取り上げることではなく地代や家賃の一部を取り

上げることであり,同様に貨幣財産税の目的は貨幣財産の資本価値の一部を取り上げることではなく貨幣

貸付から生ずる利子の一部を取り上げることである。それゆえ同一の税が,直接的な課税対象の点からは

「土地税」「家屋税」「貨幣財産税」と呼ばれ,目的とする最終的な課税対象の点からは「地代税」「家賃税」

「利子税」と表現されるのである。

(1)スミスの「資本価値」課税論では,定期的に貨幣収入を生むすべての収入源泉の価格が「資本価値」とされている。この資本概念はいわゆる「架空資本」(ficticious capital)のもっとも先駆的な把握である。

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新 村   聡

教会の地代税を高くしたのは,教会の収入が土地改良に使用されないからであろうとスミスは推測してい

る。またシュレジアの貴族保有地は38と1⊘₃%課税され,隷農保有地は35と1⊘₃%課税されており,前者は

後者よりも3%高い。「前者には各種の名誉や特権が付随しているのだから少し税を重くしても土地所有

者は十分に償われるであろう……とプロシャ国王はおそらく考えたのであろう」(WN, 835⊘訳Ⅲ236)と

スミスは推測している。スミスは以上のようにプロシャの累進税を支持する一方で,逆にサルディニアや

フランスでは,貴族保有地の地代税を免除して農民保有地だけに課税する逆進税が実施されており,「租

税制度がこの不公平(inequality)を緩和するどころか,いっそうひどくしている」(WN, 835⊘訳Ⅲ237⊖

238)と批判している。ここでスミスは,租税制度が課税前の当初所得の不公平を拡大することを明確に

批判しており,かれが租税制度は不公平を緩和するべきであると考えていることは明らかなように思われ

る。

 またスミスは,家賃税の累進的負担を次のように述べて支持している。

 「生計費全体に対する家賃支出の割合は,財産の程度に応じて異なる。……だから家賃税は一般に富者

にもっとも重くかかるだろうが,このような不公平ならおそらく非常に不合理なことは何もないであろう。

富者がその収入に比例してというだけでなく,いくらかそれ以上に公共の経費に寄与したらよいというの

は,著しく不合理なことではないからである。」(WN, 842⊘訳Ⅲ249)

 スミスは,累進税を支持するだけでなく,逆に高所得者の税率が低くなる逆進税をきびしく批判してい

る。上述のようにサルディニアやフランスの地代税は逆進的であった。スミスによれば,ロンドンの窓税

も逆進的であり,ロンドンの家屋は地方都市の家屋に比べて家賃が高いのに,窓が少ないために窓税が低

くなっているのである(WN, 846⊘訳Ⅲ256)。

 スミスはまた,道路の通行税の累進的課税を支持している。一般的には,通行税は通行者が受ける便益

に比例して課する応益税であるべきであり,具体的には通行する馬車の重量に比例して課税するべきであ

ると考えられていた。通行税は主に道路の補修に支出されるが,重量のある馬車ほど道路を傷めるので,

道路の補修のために徴収される通行税は馬車の重量に比例すべきなのである。しかしスミスは,通行税に

ついて,富者は受ける便益以上に負担すべきであると次のように述べている。

 「ぜいたくな車,たとえば4輪馬車,駅伝馬車にかける通行税を,2輪または4輪の荷馬車などのよう

な生活に欠かせぬ用途の車にかける場合よりも重さの割にいくぶん高くするなら,その国の各地方すべて

への重い財貨の運送費が安くなって,金持ちの怠惰と虚栄心をごく無理のないやり方で貧者の救済に役立

たせることができる。」(WN, 725⊘訳Ⅲ57)

 ここでスミスは,通行税は応益税を基本としつつそこに応能税の要素を加味すべきと考えている。言い

かえれば,スミスは,富者の税負担を重くして貧者の税負担を軽くする所得再分配(所得移転)を明確に

支持しているのである。スミスは,家賃税や通行税以外にも,「金持ちの怠惰と虚栄心をごく無理のない

やり方で貧者の救済に役立たせることができる」税があれば,それを支持した可能性は高いように思われ

る。

⑷消費税

 スミスは『法学講義』で奢侈品消費税だけを論じていたのに対して,『国富論』では生活必需品消費税

を詳しく論じており,消費税の転嫁論を理由として,生活必需品消費税よりも土地税(地代税)のほうが

望ましいと主張している。スミスの消費税転嫁論は2段階の転嫁から構成されている。第1段階では,生

活必需品への消費税の課税によって賃金が上昇し,負担は労働者から雇用主へ転嫁される。第2段階では,

賃金の上昇が,農業部門では地代を減少させて負担は地主に転嫁され,工業部門では製品価格が上昇して

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-10-

新 村   聡

 スミスは,貨幣の貸付について,土地や家屋の賃貸と同様に,貨幣の所有権は移転せずに債権者のもと

にとどまり,貨幣使用権だけが一時的に債務者に移転すると考えているようである(2)。

 次にスミスは,最適な課税方法は直接課税か間接課税かという観点から,資本価値へ課する税を2種類

に分けている(表1参照)。第1は,死者から生存者への不動産・動産の移転(相続)と,生存者から生

存者への不動産の移転(貸付)の場合である(スミスはここでは,贈与や譲渡に言及していない)。これ

らの移転は隠すことが難しいので,「直接に課税することができる」。これが,相続税,土地税(地代税),

家屋税(家賃税)である(表1の①と③)。

 しかしながら,「生存者から生存者への貨幣の貸付による資財または動産の移転は,しばしば秘密の取

引であり,いつも隠すことができる」(WN, 858⊘訳Ⅲ278)。そのために,貨幣貸付に「直接的に課税する」

ことは課税対象の捕捉が困難であり,代わって「2つの異なったやり方」で「間接的に課税されて」きた

とスミスは言う。すなわち「印紙税(stamp-duties)」と「登記税(duties of registration)」である(表1の④)。

要するにスミスは,利子税の直接課税に代替するものとして,印紙税と登記税を間接課税の方法として考

えているのである。

表1:資本価値への課税における直接課税と間接課税

課税原因 直接の課税対象 最終の課税対象 直接課税の方法 間接課税の方法①不動産・動産の相続 不動産・動産の資本価値 不動産・動産の資本価値 相続税 印紙税・登記税

②不動産の売買不動産(土地・建物)の資本価値

不動産の資本価値 不動産譲渡税 印紙税・登記税

③不動産の貸付不動産(土地・建物)の資本価値

貸付収入(地代・家賃)土地税(地代税)・家屋税(家賃税)

印紙税・登記税

④貨幣の貸付 貨幣の資本価値 貸付収入(利子) 貨幣財産税(利子税) 印紙税・登記税出所:『国富論』の記述に基づいて筆者作成。

 スミスは,相続税について,古代ローマ,オランダ,スコットランド,封建法の4つの税制を紹介して

いる。スミスによれば,古代ローマの相続税では,最近親者と貧困者が非課税であり,それ以外の人には

5%の相続税が課せられたという。貧困者が非課税であるとは,ローマの相続税が所得水準に応じて5%

と0%という複数税率を有する累進税であったことを意味している。スミスは,ローマの相続で最近親者

と貧困者が非課税とされた理由を述べていないが,以下のオランダとスコットランドの場合と同様に応能

負担の考え方に基づくものではなかったかと思われる。

 スミスは,オランダの相続税について,子どもは非課税,配偶者は2%の低い税率,傍系親族は親等に

応じて5〜 30%の税率という累進税であることを述べ,この相続税は,相続人の生活維持に必要な部分

を非課税としてそれを越える追加部分だけに課税するという考え方であると説明している。この点は,上

述したローマの累進的相続税や,現代の相続税の基礎控除にも共通する考え方である。

 スミスは,スコットランドの相続法について,子どもの経済的自立に必要な財産の贈与は非課税であり,

それを越える相続財産だけに課税されていると述べている。子どもの経済的自立に必要な財産を非課税と

するのは,担税能力を考慮する応能負担の考え方に基づくといえるであろう。またこの制度では,大財産

ほど非課税の部分に比べて相続税を課される部分の割合が増えるので,税率が漸増する一種の累進税であ

るといえる。

(2)わが国の民法では,不動産賃貸と有償の金銭貸借とを区別し,前者では不動産所有権は移転せずに貸し主のもとにとどまるのに対して(民法601条),後者では貨幣所有権が債権者から債務者へ移転し,債務者は貨幣を消費したあとに,同等物を債権者へ返済すると考えられている(民法587条,金銭消費貸借契約)。

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アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

 スミスが紹介している古代ローマ,オランダ,スコットランドの3つの相続税制度は,いずれも大財産

の相続ほど高税率となる累進税であり,また近親者や貧困者の税率が低く傍系親族や大財産の相続人の税

率が高いことは納税者の担税能力を考慮する応能負担の考え方に基づいている。このようなスミス相続税

論の特質は,かれの租税論全体を貫く応能負担の考え方と共通していることに注意すべきである。スミス

租税論では,必要経費である賃金,企業家収入,生活必需品などを非課税として,それを越える地代,利

子,奢侈品に課税することが主張されている。これは,生活に必要な近親者や貧困者の財産を非課税とし

て,それを越える財産に課税するべきという相続税論の考え方と基本的に共通するものである。

 次に,スミスの登記税と印紙税に関する説明を検討しよう。スミスは,資本価値に課せられる税のうち,

登記税と印紙税は封建法のもとで土地の相続と譲渡に課せられた税が封建的慣習が廃れたあとになっても

存続し,相続・譲渡された土地は直接的に課税されるだけでなく登記税・印紙税で間接的に課税されるよ

うになったと述べている。

 スミスによれば,印紙税と登記税は,課税される財産の価値に比例することも比例しないこともある。

大ブリテンの印紙税は財産の価値に比例せず,登記は役人手数料の支払いだけが必要であって登記税は課

されていない。オランダの印紙税と登記税は財産の価値に比例することもしないこともあり,遺言状の印

紙税は相続財産の価値に比例し,証書類の印紙税は価値に比例しない。また土地や家屋を譲渡したり抵当

に入れる場合に登記税が課される。フランスでは印紙税は消費税の一種とみなされており,登記税も課さ

れている(WN, 860⊖861⊘訳Ⅲ282⊖283)。

 以上のように,スミスが財産の資本価値に課する税について詳細に考察した理由は何であったのであろ

うか。スミスは,資本価値に課する税とりわけ土地税・相続税・印紙税の税率を引き上げる税制改革を意

図していたのではないかと思われる。以下,それぞれについて考えよう。

 第1は土地税の改革である。前述のように,スミスは『国富論』ではイングランドの固定土地税よりも

フランスの変動土地税を高く評価するようになる。イングランドの土地税は,土地の資本価値(評価額)

を直接の課税対象としてそれに一定税率(5〜 20%)をかけて納税額を計算するが,その最終的な課税

対象は地代である。他方,フランスの土地税は,地代の上昇に応じて土地の資本価値を再評価して土地税

を引き上げる。スミスは,資本価値に課する税としての土地税について,直接の課税対象と最終的な課税

対象を区別して示すことによって,イングランドの固定土地税をフランスのような変動土地税へ改革する

べきであるというかれの主張の論拠を明示することを意図したのではないかと思われる。

 第2は相続税の改革である。スミスはイングランドにおける相続税の改革について具体的に提案してい

るわけではない。しかし『国富論』の相続税論を検討すると,スミスが望ましいと考えていたと推測可能

な相続税制度が浮かび上がってくる。上述したように,スミスが『国富論』で示している相続税の実例は,

古代ローマ,オランダ,スコットランドの3制度である。いずれにも共通するのは,相続人の担税能力に

応じて近親者や貧困者を非課税または低税率とし,大財産の相続者に高税率を課する累進的相続税であっ

たということである。おそらくスミスは,イングランドにおいても同様の累進的相続税の導入を支持した

のではないであろうか。

 スミスは土地相続制度の抜本的な改革(長子相続制と限嗣相続制の廃止と均分相続制の実現)を主張し

ていた。しかしかれは土地相続制度の改革が直ちに実現するという楽観的な期待はいだいていなかったし,

たとえ均分相続制が導入されても,土地が分割相続されて小規模化するまでにはかなりの時間が必要であ

る。それゆえスミスは,土地相続制度の改革だけでなく土地税の改革・増税を主張したのであり,さらに

将来の相続税改革・増税による資産所有の平等化を期待していた可能性もあるように思われる。

 第3の重要な税制改革は,利子に課する印紙税と登記税の改革である。スミスは課税の根本原則として,

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新 村   聡

 スミスは,貨幣の貸付について,土地や家屋の賃貸と同様に,貨幣の所有権は移転せずに債権者のもと

にとどまり,貨幣使用権だけが一時的に債務者に移転すると考えているようである(2)。

 次にスミスは,最適な課税方法は直接課税か間接課税かという観点から,資本価値へ課する税を2種類

に分けている(表1参照)。第1は,死者から生存者への不動産・動産の移転(相続)と,生存者から生

存者への不動産の移転(貸付)の場合である(スミスはここでは,贈与や譲渡に言及していない)。これ

らの移転は隠すことが難しいので,「直接に課税することができる」。これが,相続税,土地税(地代税),

家屋税(家賃税)である(表1の①と③)。

 しかしながら,「生存者から生存者への貨幣の貸付による資財または動産の移転は,しばしば秘密の取

引であり,いつも隠すことができる」(WN, 858⊘訳Ⅲ278)。そのために,貨幣貸付に「直接的に課税する」

ことは課税対象の捕捉が困難であり,代わって「2つの異なったやり方」で「間接的に課税されて」きた

とスミスは言う。すなわち「印紙税(stamp-duties)」と「登記税(duties of registration)」である(表1の④)。

要するにスミスは,利子税の直接課税に代替するものとして,印紙税と登記税を間接課税の方法として考

えているのである。

表1:資本価値への課税における直接課税と間接課税

課税原因 直接の課税対象 最終の課税対象 直接課税の方法 間接課税の方法①不動産・動産の相続 不動産・動産の資本価値 不動産・動産の資本価値 相続税 印紙税・登記税

②不動産の売買不動産(土地・建物)の資本価値

不動産の資本価値 不動産譲渡税 印紙税・登記税

③不動産の貸付不動産(土地・建物)の資本価値

貸付収入(地代・家賃)土地税(地代税)・家屋税(家賃税)

印紙税・登記税

④貨幣の貸付 貨幣の資本価値 貸付収入(利子) 貨幣財産税(利子税) 印紙税・登記税出所:『国富論』の記述に基づいて筆者作成。

 スミスは,相続税について,古代ローマ,オランダ,スコットランド,封建法の4つの税制を紹介して

いる。スミスによれば,古代ローマの相続税では,最近親者と貧困者が非課税であり,それ以外の人には

5%の相続税が課せられたという。貧困者が非課税であるとは,ローマの相続税が所得水準に応じて5%

と0%という複数税率を有する累進税であったことを意味している。スミスは,ローマの相続で最近親者

と貧困者が非課税とされた理由を述べていないが,以下のオランダとスコットランドの場合と同様に応能

負担の考え方に基づくものではなかったかと思われる。

 スミスは,オランダの相続税について,子どもは非課税,配偶者は2%の低い税率,傍系親族は親等に

応じて5〜 30%の税率という累進税であることを述べ,この相続税は,相続人の生活維持に必要な部分

を非課税としてそれを越える追加部分だけに課税するという考え方であると説明している。この点は,上

述したローマの累進的相続税や,現代の相続税の基礎控除にも共通する考え方である。

 スミスは,スコットランドの相続法について,子どもの経済的自立に必要な財産の贈与は非課税であり,

それを越える相続財産だけに課税されていると述べている。子どもの経済的自立に必要な財産を非課税と

するのは,担税能力を考慮する応能負担の考え方に基づくといえるであろう。またこの制度では,大財産

ほど非課税の部分に比べて相続税を課される部分の割合が増えるので,税率が漸増する一種の累進税であ

るといえる。

(2)わが国の民法では,不動産賃貸と有償の金銭貸借とを区別し,前者では不動産所有権は移転せずに貸し主のもとにとどまるのに対して(民法601条),後者では貨幣所有権が債権者から債務者へ移転し,債務者は貨幣を消費したあとに,同等物を債権者へ返済すると考えられている(民法587条,金銭消費貸借契約)。

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新 村   聡

労苦や危険の補償(賃金と企業家収入)に課税するべきではなく,労苦や危険の補償ではない純生産物(地

代と利子)に課税するべきであると考えていた。それゆえスミスは,地代税(土地税)の改革・増税だけ

でなく,利子税の改革・増税も考慮していたと思われる。

 この点は,慎重な検討が必要である。通説では,スミスは利子税に消極的であったと解釈されてきた。

たしかにスミスは,利子への課税の困難について次のように述べている。

 「貨幣の利子は,一見したところ,土地の地代と同じように,直接に課税できる(being taxed directly)

対象であるように見える。貨幣の利子は土地の地代と同様に純生産物(neat produce)であり,資財を使

用するすべての危険(risk)と労苦(trouble)を完全に補償したあとに残るものである。……しかしながら,

2つの事情があるために,貨幣の利子は土地の地代よりもはるかに不適切な直接課税(direct taxation)の

対象である。」(WN, 847⊖848⊘訳Ⅲ258⊖259) 

 ここで言われている「2つの事情」とは,課税対象を正確に捕捉することが困難であることと,利子課

税によって貨幣財産が海外に逃避する可能性があることである。

 しかしスミスが利子に「直接に課税する」ことに消極的であるからといって,利子の課税自体に消極的

であるわけではない。従来のスミス研究では,スミスが「直接に」と限定していることに注意を払わず,

スミスがあたかも利子税をすべて否定しているかのように解釈されることが多かった。しかし上述のよう

に,スミスは利子に課税する方法として直接課税と間接課税を明確に区別しており,かれが否定するのは

利子への直接課税だけであって,印紙税と登記税による利子への間接課税は否定していない。スミスのね

らいは,印紙税と登記税による利子への間接課税の制度を強化して,結果的に利子税を増税することだっ

たのではないかと思われる。

 スミスによれば,印紙税と登記税はもともとは土地の相続と譲渡に課せられた税であり,課税額は,直

接の課税対象となる財産の資本価値に比例することも比例しないこともあった。スミスのねらいは,印紙

税と登記税の課税対象を土地の相続と譲渡から貨幣の貸付にまで拡大して金銭貸借契約に印紙税または登

記税を課すこと,さらにその課税額を課税対象となる貨幣財産に比例させることの2点ではなかったかと

推測することが可能である。

 18世紀のブリテンでは,土地税・消費税・関税の3つが租税収入の大部分を占めていた。しかしスミス

は,『国富論』において,この3税に印紙税を加えた4つを主要な税として述べている。「土地税,印紙税,

さまざまな関税,および消費税が,ブリテンの租税の4大部門を構成する」(WN, 934⊘訳Ⅲ418)と。ス

ミスが当時は課税額がそれほど大きくはなかった印紙税を4大税に加え,しかも第2番に述べていること

は一見すると奇妙な印象を与える。しかしこれは,印紙税を大幅に増やすべきであるというスミスの意図

を示していると考えることもできるのではないであろうか。

5.むすび

 以上考察してきたように,スミスの租税論は『法学講義』から『国富論』へ大きく発展している。とく

に大きな変化は税の公平性に関してである。『法学講義』では,地主が負担する税について,土地税は収

入への比例という点で消費税よりも公平であると述べられ,また土地税と資財・貨幣税との公平に関連し

て地主と貨幣財産所有者の税負担の公平が論じられている。しかし『法学講義』では,労働者階級と非労

働者階級との税負担の公平については何も言及されていない。

 スミスは,『法学講義』から『国富論』へ基本思想を大きく発展させる。所得分配論では,利潤と地代

を労働生産物からの控除とする見解を確立し,高賃金を明確に支持するようになる。また『法学講義』で

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アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

は,未開から文明への移行において労働生産力上昇にともなう分配の不平等拡大を容認したのに対して,

『国富論』では文明社会における資本蓄積の進展にともなう分配の平等化を肯定するようになる。

 こうした『国富論』全体の平等主義的な志向を反映して,租税論でも課税前の当初所得の不平等を課税

によって平等化するという所得再分配の側面が重視されるようになる。その中でも,もっとも重要な第1

の変化は,土地税の改革による地代の増税である。スミスは『法学講義』ではイングランドの固定土地税

を地主の改良促進という点から支持していたのに対して,『国富論』ではフランスの変動土地税を地主負

担の増加による公平性の実現という観点から評価するようになる。スミスは,『法学講義』以来,土地相

続制度の改革による土地所有の平等化を主張してきたが,『国富論』では,不平等な大土地所有が存続す

る現状においても,地主階級への課税強化によって平等化を意図するようになるのである。

 第2に,スミスは『国富論」の租税論のいたるところで,累進税を支持している。土地税の単一税は地

代収入に対しては収入比例税であるが,総収入に対しては事実上の累進税であることに注意しなければな

らない。その他にもスミスは『国富論』で,土地税,家賃税,窓税,通行税,相続税などに関してさまざ

まな累進税を支持して逆進税を批判している。

 第3の大きな変化は消費税論である。『法学講義』では論じられていなかった生活必需品消費税に対し

て『国富論』では明確な反対論が主張され,労働者が負担する奢侈品消費税に関しても,ビール税とエー

ル税を廃止して麦芽税へ一本化する改革が提案される。これらの改革は,労働者階級の負担減と中上流階

級の負担増による所得再分配を意図するものであった。

 以上のように,スミスは『国富論』において,課税前の当初所得の不平等をさまざまな租税を通じて平

等化する所得再分配の税制度を支持している。この意味において,『国富論』の租税論は,スミスの大き

な政府論の重要な一側面をなすものなのである。

 最後に,スミスの階級論と租税論の重層的構造について述べて結論としたい。スミスの階級論としては,

『国富論』第1編で述べられている3大所得3大階級論がよく知られている。スミスは3大階級を財産所

有と所得によって区別しており,労働者階級は資本も土地も所有せず賃金だけを得,資本家階級は資本を

所有して利潤を得,地主階級は土地を所有して地代を得る。

 スミスは,『国富論』では,3所得3階級論から出発し,さらに利潤と資本家を2分割して,4大所得

4大階級論を述べている。すなわち,利潤は企業家収入(労苦と危険への補償)と利子とに2分割され,

資本家も投資の危険を引き受けて自ら勤労する企業家と,自らは勤労せず貨幣を貸し付けて純生産物とし

ての利子を得る利子生活者とに2分割されている。18世紀のブリテンでは,利子生活者は,政府に貨幣を

貸し付けて利子を受け取る公債所有者だけでなく,農業や製造業の企業家に貨幣を貸し付けて利潤の一部

を利子として受け取る貨幣資本家も増加していた。

 こうしてスミスは,『国富論』において4大所得4大階級を区別するにいたる。しかしそれだけではない。

さらに重要な点は,スミスが4大所得4大階級を,労苦と課税の有無という観点から事実上2大所得2大

階級に大きく分けていることである。スミスは,賃金と企業家収入とをいずれも労苦の補償として把握す

る一方で,地代と利子をいずれも労苦の補償ではない純生産物として一括している。さらにかれは,租税

論において労苦の補償である賃金と企業家収入には課税せず,労苦の補償ではない純生産物としての地代

と利子に課税すべきであると主張する。そしてこの所得の2分割に基づいて,4大階級を事実上2大階級

に収斂させるのである。すなわち,一方には自ら勤労してその報酬を受け取る労働者と企業家からなる勤

労者階級がおり,他方には自らは勤労せず純生産物の地代または利子を受け取る地主と利子生活者からな

る非勤労者階級がいる。スミス自身は勤労者階級と非勤労者階級という名称を用いているわけではないが,

所得を労苦の補償と純生産物とに2分割するスミスの所得論の背後には,こうした2大階級の区別が明確

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新 村   聡

労苦や危険の補償(賃金と企業家収入)に課税するべきではなく,労苦や危険の補償ではない純生産物(地

代と利子)に課税するべきであると考えていた。それゆえスミスは,地代税(土地税)の改革・増税だけ

でなく,利子税の改革・増税も考慮していたと思われる。

 この点は,慎重な検討が必要である。通説では,スミスは利子税に消極的であったと解釈されてきた。

たしかにスミスは,利子への課税の困難について次のように述べている。

「貨幣の利子は,一見したところ,土地の地代と同じように,直接に課税できる(being taxed directly)

対象であるように見える。貨幣の利子は土地の地代と同様に純生産物(neat produce)であり,資財を使

用するすべての危険(risk)と労苦(trouble)を完全に補償したあとに残るものである。……しかしながら,

2つの事情があるために,貨幣の利子は土地の地代よりもはるかに不適切な直接課税(direct taxation)の

対象である。」(WN, 847⊖848⊘訳Ⅲ258⊖259)

 ここで言われている「2つの事情」とは,課税対象を正確に捕捉することが困難であることと,利子課

税によって貨幣財産が海外に逃避する可能性があることである。

 しかしスミスが利子に「直接に課税する」ことに消極的であるからといって,利子の課税自体に消極的

であるわけではない。従来のスミス研究では,スミスが「直接に」と限定していることに注意を払わず,

スミスがあたかも利子税をすべて否定しているかのように解釈されることが多かった。しかし上述のよう

に,スミスは利子に課税する方法として直接課税と間接課税を明確に区別しており,かれが否定するのは

利子への直接課税だけであって,印紙税と登記税による利子への間接課税は否定していない。スミスのね

らいは,印紙税と登記税による利子への間接課税の制度を強化して,結果的に利子税を増税することだっ

たのではないかと思われる。

 スミスによれば,印紙税と登記税はもともとは土地の相続と譲渡に課せられた税であり,課税額は,直

接の課税対象となる財産の資本価値に比例することも比例しないこともあった。スミスのねらいは,印紙

税と登記税の課税対象を土地の相続と譲渡から貨幣の貸付にまで拡大して金銭貸借契約に印紙税または登

記税を課すこと,さらにその課税額を課税対象となる貨幣財産に比例させることの2点ではなかったかと

推測することが可能である。

 18世紀のブリテンでは,土地税・消費税・関税の3つが租税収入の大部分を占めていた。しかしスミス

は,『国富論』において,この3税に印紙税を加えた4つを主要な税として述べている。「土地税,印紙税,

さまざまな関税,および消費税が,ブリテンの租税の4大部門を構成する」(WN, 934⊘訳Ⅲ418)と。ス

ミスが当時は課税額がそれほど大きくはなかった印紙税を4大税に加え,しかも第2番に述べていること

は一見すると奇妙な印象を与える。しかしこれは,印紙税を大幅に増やすべきであるというスミスの意図

を示していると考えることもできるのではないであろうか。

5.むすび

 以上考察してきたように,スミスの租税論は『法学講義』から『国富論』へ大きく発展している。とく

に大きな変化は税の公平性に関してである。『法学講義』では,地主が負担する税について,土地税は収

入への比例という点で消費税よりも公平であると述べられ,また土地税と資財・貨幣税との公平に関連し

て地主と貨幣財産所有者の税負担の公平が論じられている。しかし『法学講義』では,労働者階級と非労

働者階級との税負担の公平については何も言及されていない。

 スミスは,『法学講義』から『国富論』へ基本思想を大きく発展させる。所得分配論では,利潤と地代

を労働生産物からの控除とする見解を確立し,高賃金を明確に支持するようになる。また『法学講義』で

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新 村   聡

に意識されているといえるであろう。

 このような2大階級の対立は,たんなる理論的抽象ではなかった。すでに述べたように,英国では1730

年代のウォルポール時代に,公債利子の支払い財源として土地税を減税して必需品消費税を増税する税制

改革をめぐって,一方にはウォルポールを支持する利子生活者と地主階級の連合,他方にはそれに反対す

る庶民という対立軸が形成される。そしてスミスの時代にも,公債の元利支払いの財源を土地税と消費税

のどちらに主として求めるべきかという対立は継続していた。そうした時代的文脈で見ると,スミスが租

税論において地代税の増税と消費税の廃止・改革を強く主張していることは,現実的な背景を持っていた

といえるであろう。

参 考 文 献

Boucoyannis, D. (2013), “The equalizing hand, Why Adam Smith thought the market should produce wealth without steep inequality”, Perspectives on Politics, Vol. 11, pp. 1051⊖1070.

Fleischacker, S.(2004a), On Adam Smith’s Wealth of Nations, Princeton University Press, Princeton.Fleischacker, S.(2004b), A Short History of Distributive Justice, Harvard University Press, Cambridge, Massachusetts. (中井大介訳『分配的正義の歴史』晃陽書房,2017年)

Fleischacker, S. (2013), “Adam Smith on equality”, in Berry, C.J., Paganelli, M.P. and Smith, C. (Eds.), The Oxford Handbook of Adam Smith, Oxford University Press, Oxford, pp. 485⊖500.

Hume, D. (1985, orig. pub. 1752), Essays on Political Discourses, in Miller, E.F. (Ed.), Essays, Moral, Political and Literary, Part 2, Liberty Classics, Indianapolis. (田中敏弘訳『ヒューム道徳・政治・文学論集』名古屋大学出版会,2011年)

Niimura, S. (2016), “Adam Smith: egalitarian or anti-egalitarian? His Responses to Rousseau and Hume’s Critiques of Inequality”, International Journal of Social Economics, 43(9), pp.888⊖903.

Smith, A. (1976, orig. pub. 1776), An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations (abbreviated as WN), Clarendon Press, Oxford.(大河内一男監訳『国富論』Ⅰ〜Ⅲ,中央公論社,1976年)

Smith, A. (1978), Lectures on Jurisprudence, Meek R.L., Raphael, D.D., and Stein, L.G. (Eds.︶, Clarendon Press, Oxford, containing Report of 1762⊖63, Report dated 1766 (abbreviated as LJB︶, and ‘Early Draft’ of Part of The Wealth of Nations. (水田洋訳『法学講義』岩波文庫,2005年)

Viner, J. (1927), “Adam Smith and Laissez-Faire”, Journal of Political Economy, 35(2), pp.198⊖232.

浅木督雄(1977),「アダム・スミスの財政論⊖2⊖『平等』の原則について」『経済学論叢』(同志社大学)26(1・2),pp.201⊖224。

榎並洋介(1990),「アダム・スミスの租税利益説について」『星薬科大学一般教育論集』(₈),pp.153⊖188。大倉正雄(1979),「アダム・スミスと近代的租税制度」『山梨学院大学商学論集』(2),pp.45⊖76。大倉正雄(2000),『イギリス財政思想史』日本経済評論社。佐藤滋正(1995),「アダム・スミスの『租税論』について」『尾道短期大学研究紀要』44(2),pp.129⊖153。隅田哲司(1971),『イギリス財政史研究』ミネルヴァ書房。 高木勝一(1984),「アダム・スミスの租税四原則について」『日本大学文理学部(三島)研究年報』(32),pp.175⊖185。新村聡(2002),「金融システム安定化の古典理論-アダム・スミス銀行論の成立過程-」『岡山大学産業経営研究会研究報告書』37,pp.1⊖25。

新村聡(2012),「労働と賃金-アダム・スミスの分業論と高賃金の経済論」,経済学史学会編『古典で読み解く経済思想史』ミネルヴァ書房,所収,pp.197⊖217。

新村聡(2016a),「アダム・スミスの平等論と分配的正義論」『立教経済学研究』69(4), pp.49⊖67。新村聡(2016b),「プラトンの平等論」『岡山大学経済学会雑誌』48(1),pp.1⊖14。西村正幸(1981),『アダム・スミスの財政論講義:自由主義と財政』嵯峨野書院。益永淳(2012),「古典派経済学における一国の租税支払い能力:アダム・スミスのケース(音無通宏教授古希記念論文集)」『經濟學論纂』(中央大学)52(₃),pp.45⊖66。

山崎怜(1959),「アダム・スミスの財政論(一)-初期スミスの財政論-」『香川大学経済論叢』32(2),pp.20⊖61。山崎怜(1960),「アダム・スミスにおける租税の分類-税源との関連」『香川大学経済論叢』(₆),pp.38⊖58。渡辺恵一(2001),「アダム・スミスと租税の政治学」『京都学園大学経済学部論集』10(₃),pp.55⊖88。渡辺恵一(2007),「スミス租税論再考-地租と内国消費税を中心にして-」『札幌学院商経論集』24(2),pp.1⊖18。

Page 15: アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/55673/...141 -3- アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

153

-15-

アダム・スミスの大きな政府論の形成過程に関する一考察

Support for Big Government:Evolution of Adam Smith’s View on Taxation fromLectures on Jurisprudence to The Wealth of Nations

Satoshi Niimura

Abstract

 Adam Smith is well known as an archetypal, leading economist and advocate of laissez-faire capitalism. In fact,

Smith analyses the autonomous mechanism of a market economy, criticises mercantile protection, and strongly

advocates a free trade policy. However, a considerable number of Smith’s interpreters such as J.Viner have

recognised that Smith himself offers many exceptions to laissez-faire. Interestingly, most of the exceptions are not

presented in Lectures on Jurisprudence (LJ); they appear for the first time in The Wealth of Nations (WN). Rather

than inconsistencies in the passing, these references seem to reflect a conscious shift in Smith’s policy principle from

laissez-faire with a small government to state intervention under a big government. In WN, Smith maintains support

for the laissez-faire approach only in the area of foreign trade, and prescribes state intervention in other areas such as

banking, financial markets, public works and institutions, and taxation.

 This article focuses particularly on the evolution of Smith’s view on taxation from LJ to WN. Smith insists in

LJ that taxation should be minimised so as not to interfere with the behaviour of various economic agents and the

autonomous mechanism of a market economy. However, Smith renounces his fundamental idea of taxation in WN,

which indicates support for the imposition of heavier taxes on the rich and reduced taxes on the poor. He proposes an

increase in land tax and rejects taxes on profit and wages. He favours various types of progressive taxes and criticises

regressive ones, concerning land, houses, and toll, among others. Notably, Smith strongly supports various kinds of

“taxes upon the capital value of lands, houses and stock” such as succession tax, land tax, house-rent tax and “stamp-

duties and duties of registration” indirectly taxed on interest.

-14-

新 村   聡

に意識されているといえるであろう。

 このような2大階級の対立は,たんなる理論的抽象ではなかった。すでに述べたように,英国では1730

年代のウォルポール時代に,公債利子の支払い財源として土地税を減税して必需品消費税を増税する税制

改革をめぐって,一方にはウォルポールを支持する利子生活者と地主階級の連合,他方にはそれに反対す

る庶民という対立軸が形成される。そしてスミスの時代にも,公債の元利支払いの財源を土地税と消費税

のどちらに主として求めるべきかという対立は継続していた。そうした時代的文脈で見ると,スミスが租

税論において地代税の増税と消費税の廃止・改革を強く主張していることは,現実的な背景を持っていた

といえるであろう。

参 考 文 献

Boucoyannis, D. (2013), “The equalizing hand, Why Adam Smith thought the market should produce wealth without steep inequality”, Perspectives on Politics, Vol. 11, pp. 1051⊖1070.

Fleischacker, S.(2004a), On Adam Smith’s Wealth of Nations, Princeton University Press, Princeton.Fleischacker, S.(2004b), A Short History of Distributive Justice, Harvard University Press, Cambridge, Massachusetts. (中井大介訳『分配的正義の歴史』晃陽書房,2017年)

Fleischacker, S. (2013), “Adam Smith on equality”, in Berry, C.J., Paganelli, M.P. and Smith, C. (Eds.), The Oxford Handbook of Adam Smith, Oxford University Press, Oxford, pp. 485⊖500.

Hume, D. (1985, orig. pub. 1752), Essays on Political Discourses, in Miller, E.F. (Ed.), Essays, Moral, Political and Literary, Part 2, Liberty Classics, Indianapolis. (田中敏弘訳『ヒューム道徳・政治・文学論集』名古屋大学出版会,2011年)

Niimura, S. (2016), “Adam Smith: egalitarian or anti-egalitarian? His Responses to Rousseau and Hume’s Critiques of Inequality”, International Journal of Social Economics, 43(9), pp.888⊖903.

Smith, A. (1976, orig. pub. 1776), An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations (abbreviated as WN), Clarendon Press, Oxford.(大河内一男監訳『国富論』Ⅰ〜Ⅲ,中央公論社,1976年)

Smith, A. (1978), Lectures on Jurisprudence, Meek R.L., Raphael, D.D., and Stein, L.G. (Eds.︶, Clarendon Press, Oxford, containing Report of 1762⊖63, Report dated 1766 (abbreviated as LJB︶, and ‘Early Draft’ of Part of The Wealth of Nations. (水田洋訳『法学講義』岩波文庫,2005年)

Viner, J. (1927), “Adam Smith and Laissez-Faire”, Journal of Political Economy, 35(2), pp.198⊖232.

浅木督雄(1977),「アダム・スミスの財政論⊖2⊖『平等』の原則について」『経済学論叢』(同志社大学)26(1・2),pp.201⊖224。

榎並洋介(1990),「アダム・スミスの租税利益説について」『星薬科大学一般教育論集』(₈),pp.153⊖188。大倉正雄(1979),「アダム・スミスと近代的租税制度」『山梨学院大学商学論集』(2),pp.45⊖76。大倉正雄(2000),『イギリス財政思想史』日本経済評論社。佐藤滋正(1995),「アダム・スミスの『租税論』について」『尾道短期大学研究紀要』44(2),pp.129⊖153。隅田哲司(1971),『イギリス財政史研究』ミネルヴァ書房。 高木勝一(1984),「アダム・スミスの租税四原則について」『日本大学文理学部(三島)研究年報』(32),pp.175⊖185。新村聡(2002),「金融システム安定化の古典理論-アダム・スミス銀行論の成立過程-」『岡山大学産業経営研究会研究報告書』37,pp.1⊖25。

新村聡(2012),「労働と賃金-アダム・スミスの分業論と高賃金の経済論」,経済学史学会編『古典で読み解く経済思想史』ミネルヴァ書房,所収,pp.197⊖217。

新村聡(2016a),「アダム・スミスの平等論と分配的正義論」『立教経済学研究』69(4), pp.49⊖67。新村聡(2016b),「プラトンの平等論」『岡山大学経済学会雑誌』48(1),pp.1⊖14。西村正幸(1981),『アダム・スミスの財政論講義:自由主義と財政』嵯峨野書院。益永淳(2012),「古典派経済学における一国の租税支払い能力:アダム・スミスのケース(音無通宏教授古希記念論文集)」『經濟學論纂』(中央大学)52(₃),pp.45⊖66。

山崎怜(1959),「アダム・スミスの財政論(一)-初期スミスの財政論-」『香川大学経済論叢』32(2),pp.20⊖61。山崎怜(1960),「アダム・スミスにおける租税の分類-税源との関連」『香川大学経済論叢』(₆),pp.38⊖58。渡辺恵一(2001),「アダム・スミスと租税の政治学」『京都学園大学経済学部論集』10(₃),pp.55⊖88。渡辺恵一(2007),「スミス租税論再考-地租と内国消費税を中心にして-」『札幌学院商経論集』24(2),pp.1⊖18。