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インドネシアにおける日本マンガの現地化にみる「クールジャパン戦略」とのすれ違い -『ドラゴン桜』翻案版 KELAS KHUSUS NAGA の事例から- 愛知県立大学外国語学部国際関係学科 東弘子 ガジャマダ大学人文学部日本語日本文学科客員教員/ 愛知県立大学外国語学部客員共同研究員 浜元聡子 1.はじめに マンガ,アニメ,映画,ゲーム,ライトノベルなどの日本のポップカルチャーは,広く海外 において,若者を中心に人気が高い。特に「日本の漫画は 1960 年代以降アジアの国々で翻訳 されているが, ( 中略 ) 1990 年代以降,合衆国やヨーロッパでも翻訳され広く流通し始め,現 在では漫画市場で大きなシェアを占めている(ザネッティン (2013:43) )」状況である。こうし た海外でのポップカルチャー人気を後押しすべく,「世界コスプレサミット」などイベントへ の支援や「国際マンガ賞」の創設などによって,日本政府機関が「日本の魅力を発信する」こ とに力を入れている 1 さらにその人気による経済効果の波及を期待し,日本政府は,人口減少による内需の縮小と いう厳しい経済環境から,海外での市場拡大をめざす事業展開の柱として「クールジャパン 2 略」を打ち出している。 2010 年,経済産業省製造産業局に「クール・ジャパン室」が設置さ れ「平成 22 年度クール・ジャパン戦略推進事業」によって本格的にアニメや出版物などメデ ィアコンテンツの経済効果に関する調査報告がなされて以降 3 ,継続的な政策課題としてさま ざまな取り組みが進んでいる。 経済産業省商務情報政策局 (2016) による「クールジャパン政策について」 4 では,クールジ ャパンの推進の戦略的海外展開の流れを 1.日本ブーム創出 2.現地で稼ぐ 3.日本で消費 と示し,上記1.において,日本文化コンテンツの海外展開促進のため,字幕/吹き替え等の 「ローカライズ支援」などが補助対象の具体的事業としてあげられている 5 民間企業の活動として注目されるのは,上記の流れに沿って利益を生み出すために,高まる メディアコンテンツの人気が海賊版として消費されるのではなく正当な市場で消費されるよ う, ASEAN 諸国を中心に日本発のマンガ・アニメの「ホンモノ」を提供するインフラ作りを 行うべく, 2015 9 月にアニメイト, KADOKAWA,講談社,集英社、小学館の 5 社による 合弁会社「ジャパン マンガ アライアンス (Japan Manga Alliance) JMA が設立されたこと 1 外務省 web サイト「わかる!国際情勢」 vol.1382016 1 7 日) http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol138/index.html 2016/01/19 閲覧) 2 経済産業省の政策名称としては,これまで「クール・ジャパン」「クールジャパン」両方の表記がみられるが 2016 年時点の資料は中黒のない表記になっているため,本稿では引用元がある際は引用元の表記の通りに,それ以外 で言及する際は「クールジャパン」と表記することとする。 3 「平成 22 年度クール・ジャパン戦略推進事業」調査報告書 http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/hokokusho_contents_110520.pdf 2016/01/19 閲覧) 4 「クールジャパン政策について」平成28年1月経済産業省商務情報政策局生活文化創造産業課 p.2 http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/160106CJseisakunitsuiteJanuary.pdf 2016/01/19 閲覧) 5 詳細は本稿末の【資料】参照。 「クールジャパン」の範囲としては,文化コンテンツの他にファッション,地域産品,サービスなども含まれるが, 本稿ではポップカルチャーコンテンツ(特にマンガ・アニメ)のみを扱う。 - 111 -

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インドネシアにおける日本マンガの現地化にみる「クールジャパン戦略」とのすれ違い

-『ドラゴン桜』翻案版 KELAS KHUSUS NAGA の事例から-

愛知県立大学外国語学部国際関係学科

東弘子

ガジャマダ大学人文学部日本語日本文学科客員教員/

愛知県立大学外国語学部客員共同研究員

浜元聡子

1.はじめに

マンガ,アニメ,映画,ゲーム,ライトノベルなどの日本のポップカルチャーは,広く海外

において,若者を中心に人気が高い。特に「日本の漫画は 1960 年代以降アジアの国々で翻訳

されているが, (中略 ) 1990 年代以降,合衆国やヨーロッパでも翻訳され広く流通し始め,現

在では漫画市場で大きなシェアを占めている(ザネッティン (2013:43))」状況である。こうし

た海外でのポップカルチャー人気を後押しすべく,「世界コスプレサミット」などイベントへ

の支援や「国際マンガ賞」の創設などによって,日本政府機関が「日本の魅力を発信する」こ

とに力を入れている1。 さらにその人気による経済効果の波及を期待し,日本政府は,人口減少による内需の縮小と

いう厳しい経済環境から,海外での市場拡大をめざす事業展開の柱として「クールジャパン2戦

略」を打ち出している。2010 年,経済産業省製造産業局に「クール・ジャパン室」が設置さ

れ「平成 22 年度クール・ジャパン戦略推進事業」によって本格的にアニメや出版物などメデ

ィアコンテンツの経済効果に関する調査報告がなされて以降 3,継続的な政策課題としてさま

ざまな取り組みが進んでいる。 経済産業省商務情報政策局 (2016)による「クールジャパン政策について」4では,クールジ

ャパンの推進の戦略的海外展開の流れを 1.日本ブーム創出 → 2.現地で稼ぐ → 3.日本で消費

と示し,上記1.において,日本文化コンテンツの海外展開促進のため,字幕/吹き替え等の

「ローカライズ支援」などが補助対象の具体的事業としてあげられている5。 民間企業の活動として注目されるのは,上記の流れに沿って利益を生み出すために,高まる

メディアコンテンツの人気が海賊版として消費されるのではなく正当な市場で消費されるよ

う,ASEAN 諸国を中心に日本発のマンガ・アニメの「ホンモノ」を提供するインフラ作りを

行うべく,2015 年 9 月にアニメイト,KADOKAWA,講談社,集英社、小学館の 5 社による

合弁会社「ジャパン マンガ アライアンス (Japan Manga Alliance)」JMA が設立されたこと

1外務省 web サイト「わかる!国際情勢」vol.138(2016 年 1 月 7 日)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol138/index.html (2016/01/19 閲覧)

2 経済産業省の政策名称としては,これまで「クール・ジャパン」「クールジャパン」両方の表記がみられるが 2016

年時点の資料は中黒のない表記になっているため,本稿では引用元がある際は引用元の表記の通りに,それ以外

で言及する際は「クールジャパン」と表記することとする。 3 「平成 22 年度クール・ジャパン戦略推進事業」調査報告書

http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/hokokusho_contents_110520.pdf

(2016/01/19 閲覧)

4 「クールジャパン政策について」平成28年1月経済産業省商務情報政策局生活文化創造産業課 p.2

http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/160106CJseisakunitsuiteJanuary.pdf

(2016/01/19 閲覧)

5 詳細は本稿末の【資料】参照。

「クールジャパン」の範囲としては,文化コンテンツの他にファッション,地域産品,サービスなども含まれるが,

本稿ではポップカルチャーコンテンツ(特にマンガ・アニメ)のみを扱う。

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である6。JMA はインバウンドを意識し,直営ショップをタイのバンコクに設立している7。 このように,日本のマンガやアニメといった文化コンテンツが日本に大きな利益をもたらす

役割が期待される状況下において,本稿では,日本のマンガ作品『ドラゴン桜』を原作として

インドネシアにおいて深く「ローカライズ(現地化)」された KELAS KHUSUS NAGA の事例

(ジャカルタの三流高校の高校生がインドネシアの超難関大学を目指す物語)を紹介すること

で,現地で受容されるコンテンツの本質が「日本」という記号もしくは「日本ラベル」に集約

されるとは限らないことを主張する。日本発の文化コンテンツ受容の拡大は,必ずしも「日本

ブーム創出」に単純に直結する装置となるわけではないのである。 次章に示すように,インドネシアにおいても,他の ASEAN 諸国同様,日本のポップカルチ

ャー人気は高く,数多くの「翻訳 (translation)」のマンガ作品が,出版・配信されている。そ

うした中で,「翻案 (adaptation)」の作品 KELAS KHUSUS NAGA の存在は,「クールジャパ

ン戦略」の文脈において語られる日本側の思惑「日本ブーム創出に寄与するローカライゼイシ

ョン」そのものの矛盾をあぶり出すものとなる。

2.インドネシアにおける日本ポップカルチャーおよびマンガ事情

アニメフェスティバルアジア Anime Festival Asia(以下 AFA)は,アニメを中心とした日

本のポップカルチャーを紹介するイベントであり8,シンガポールの企画会社 SOZO と電通シン

ガポールが主催し 2008 年にシンガポールで開催されたのを皮切りに,拡大しながら毎年開催

されている9。AFA は,世界 大規模のアニメとポップカルチャーのイベントで,アニメ関連の

音楽,声優によるコンサートや関連グッズの販売,作品の紹介,メイドカフェやアーティスト

との交流など多様なブースが開設され,自らの好みのキャラクターの衣装を身にまとうコスプ

レでの一般参加者も多く,さらにビジネス会議も併設される 3 日間である。

インドネシアでは 2012 年以降,毎年ジャカルタで AFAID(アニメフェスティバルアジアイン

ドネシア)が開かれており10,その来場者数は 2012 年が 40,000 人,2013 年が 53,000 人,2014 年

が 55,000 人,2015 年が 60,558 人と年々増加している11。AFA は「クールジャパン戦略」にと

っても重要な役割を果たすものである。AFA を企画・運営する SOZO は「アジア諸国へ日本発ポ

ップカルチャーの“コンテンツ”“プロダクト”“体験”を届ける」企業で,現地のバイヤーと

日本企業を調整する役割も担っており,AFA は ASEAN 諸国における日本ポップカルチャー市場

拡大のためのキーとなるイベントとなっている。

そのほか,2013 年から毎年ジャカルタで開催されている PopCon Asia(ポップコン・アジア)

や,ジャカルタのみならずスラバヤ,ジョグジャカルタ,バンドン,メダンといったインドネシ

ア各地で 2011 年以降毎年開催される「日本ポップカルチャー、インドネシア・ロードショー

(CLAS:H)」など12,インドネシアにおける日本ポップカルチャー人気は,大変高く熱い状況と

言える。

また,インドネシアのマンガ市場は,外国のマンガが 9 割でうち 8 割が日本のマンガという

「独占状態」にある。テレビ番組においても, 日本のアニメは圧倒的な人気があり,1980 年代

6 Japan Manga Alliance プレスリリース 2015.09.01「ジャパン マンガ アライアンス設立のお知らせ」

http://www.japanmanga.co.jp/pdf/20150901plessrelease.pdf(2015/12/10 閲覧 )

7 2013 年 7 月から訪日するタイ人に対しビザが免除されたことで訪日タイ人観光客数が急増していることによる。

8日経トレンディネット 2012 年 11 月 22 日記事「“日本ファン”8 万 3000 人!シンガポールで盛り上がった「AFA2012」

とは?」http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20121121/1045699/?rt=nocnt(2016/01/23 閲覧 ) 9シンガポールでは毎年,2012 年以降はシンガポールとインドネシアで毎年,その他,2012 年はマレーシア(クア

ラルンプール)で,2015 年はタイ(バンコク)で開催されている。

10 AFAID についての詳細は http://animefestival.asia/afaid15/参照

11参加者数は AFAIDhttp://animefestival.asia/afa/による (2016/01/28 閲覧 )

12日本貿易振興機構 JETRO、世界の見本市・展示会情報(J-messe)に,過去のイベントの開催情報が掲載されて

いる。https://www.jetro.go.jp/j-messe(2016/01/24 閲覧 )

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以降『ドラえもん』『NARUTO』『クレヨンしんちゃん』『名探偵コナン』『ONE PEACE』などの作

品がインドネシア語に吹き替えされ、繰り返し再放送されている(一般財団法人デジタルコン

テンツ協会(2013))13。

このように,日本のマンガ・アニメの多くのコンテンツが,インドネシア語に翻訳され配信・

受容されているが,とくに近年は電子メディアによる配信の規模が拡大してきている。2011

年の段階では,まだ「大手出版社が電子書籍ビジネスに参入していな(一般財団法人デジタル

コンテンツ協会(2013))」かったが,「テレビ放映がある人気のアニメと比べ、紙媒体のマンガ

は書店のある都市部以外の地域では入手が難しい。急速に普及するスマートフォンを利用し、

電子化を進めることでマンガの新たな市場開拓を目指す(じゃかるた新聞 2013年 11月 30日)」

ために,2013 年には,インドネシア出版 大手のコンパス・グラメディア・グループ14が電子

コミックの販売を開始した15。

さらに 2015 年 11 月には,インドネシア語に翻訳された日本のマンガを中心とした電子書店

「MangaMon」がオープンした。日本の電子書籍販売サイト「eBookJapan」を運営するイーブッ

クイニシアティブジャパン(eBookJapan)と,ライセンスを受けて日本のマンガを数多くイン

ドネシアで刊行している ELEX および M&C(いずれもコンパス・グラメディアグループ傘下)と

の事業提携によるものである16。

以上のように,マンガ・アニメといった日本の文化コンテンツは,インドネシアにおいて,

大きな需要がありかつ大きな市場となっている17。

3.『ドラゴン桜』とKELASク ラ ス

KHSUS特 別 な

NAGAドラゴン

上記のように,多くの日本のマンガ作品がインドネシア語に翻訳され広く受容されている中

で,単に登場人物のセリフなどの言語を日本語からインドネシア語に訳す「翻訳」ではなく,

より深くローカライズした「翻案」という形をとっている事例として,KELAS KHSUS NAGA(ドラゴンの特別なクラス)を紹介する。

原作となる日本のマンガ作品『ドラゴン桜』は,三田紀房の著作で 2003 年から 2007 年ま

で,講談社の漫画雑誌『モーニング』に連載された。2005 年第 29 回講談社漫画賞,平成 17

13一般財団法人デジタルコンテンツ協会 (2013)では,ASEAN 諸国の人口や GDP といった基本情報やデジタルコン

テンツの市場規模などを示した上で,とくにインドネシアにおけるコンテンツ市場概況と日本コンテンツ進出状

況を示した資料となっている。またフェブリアニ (2014)にある引用(Kuslum, Umi(2007))によると,インドネ

シアにおいて,翻訳されたマンガ出版物の初版は一作品につき 15,000 部と,その他の出版物の 5 倍多く,また

日本のマンガの翻訳版がインドネシアで もよく売れている本であるとされる。

14 コンパス・グラメディアグループは,インドネシア 大の日刊紙「KOMPAS」,テレビ局「KOMPAS TV」な

どを擁する巨大メディア企業グループで,グループ内に7つの出版社を抱えるほか,122 店舗の書店も経営する

同国 大の出版社で, 大の書店経営会社でもある。 15 じゃかるた新聞 2013 年 11 月 30 日記事「電子コミック、販売開始 スマホで1冊1ドルから コンパス・グラ

メディアグループ」http://www.jakartashimbun.com/free/detail/14860.html(2016/01/23 閲覧 )

16 ITmedia eBook USER 業界・市場動向 2015 年 09 月 08 日記事 「eBookJapan、インドネシアで電子書店

「MangaMon」11 月から」http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1509/08/news108.html(2016/01/23 閲覧 ) 17 ELEX は販売ランキングをインターネットサイトで掲載しており,そこでは書籍のネット購入も可能である。そ

の TOP BESTSELLER ELEX MEDIA - Kategori Komik(2014 年)では,マンガ本(Komik)の売り上げ上位作品とし

て、『NARUTO』『名探偵コナン』『ONE PIECE』『鉄拳チンミ Legends 』『龍狼伝』『HUNTERXHUNTER』などが上がっ

ている。短期間でまとめた上位 50 位までのランキングデータなどにより,多種多様な作品が翻訳されているこ

とがこのサイトを見るだけでも非常によく分かる。

http://www.elexmedia.co.id/forum/index.php?PHPSESSID=5v37g5hjrih9g5dacvj1mrlfo3&topic=4851.msg58191

5#lastPost(2016/01/24 閲覧 )

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年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞している 18。単行本は全 21 巻,話数は全

194 話であり,同タイトルで TBS 系のテレビドラマにもなった。「受験攻略」のノウハウを示

すストーリーとしても話題となった作品である 19。 内容は,主人公である元暴走族の弁護士,桜木建二が,経営破綻に陥った「三流」の龍山高

校を,東京大学(以下「東大」)合格者を 5 年後に 100 名出すことで再建する計画を立て,落

ちこぼれと自認していた二人の高校生,水野直美と矢島勇介に対し,東大合格を目指してスパ

ルタで受験指導をするというものである。 一方,インドネシア翻案版マンガである KELAS KHUSUS NAGA(ドラゴンの特別なクラ

ス)は,2013 年から順次電子書籍として発行され,2014 年

にグラメディア社 m&c!から紙媒体の書籍 1 巻 (第 6 話:原

作版 1 巻,第 9 話に相当 )が出版されている。 原作は東京を舞台とし東大を目指すのであるが,翻案版の

ほうは,インドネシアの社会状況のコンテクストに全て落と

し込んであり,セリフだけでなくマンガの絵も全て書き換え

られ,コマ割りも原作通りではない。大きなストーリー展開

は原作に拠っているものの,登場人物にまつわるエピソード

が提示される順番なども異なる。また,登場人物の職業設定

や社会背景,受験科目や入試制度などインドネシアの文脈に

おいて違和感なく読めるよう,本格的にローカライズされて

いる。 具体的には,たとえば以下のような設定の改変がなされて

いる。(以下,「原作→翻案」のように示す)

・舞台:東京、龍山高校 → ジャカルタ、ウィジャヤクスマ高校 ・目標:東京大学合格者 100 人 → インドネシア大学 (UI),ガジャマダ大学 (UGM),

バンドン工科大学 (ITB) あわせて合格者 100 人 ・登場人物:日本人 (桜木建二,水野直美、矢島勇介など )

→ インドネシア人(ドンニ・ウィリアナガ,リアニ,トッミ,ウルトンなど) ・人物の特徴【高校の理事長】:老人男性 → 中年男性 【女子高校生の母親 (独身 )】小料理屋のおかみ → 酒場の歌手 ・特別進学クラスの象徴:桜 → ウィジャヤクスマ (一年に一晩だけ美しく咲く花 )

翻案の典型的な方法である「状況・文化の適応:Source Text で使われた文脈を、目標読者に

身近で文化的に適した文脈に作り変える(バスタン (2013))」ことが徹底して行われている。 このように, KELAS KHSUS NAGA は全面的に改変されており,このテクストを読んでも

「日本の」マンガが原作であることはまるで分からない。「日本語」だけではなく,「日本」の

要素がことごとく剥ぎ取られているのである。

18三田紀房公式サイト「プロフィール」http://mitanorifusa.com/comics/#dragon より (2016/01/24 閲覧 ) 19 国立国会図書館の検索システム「リサーチナビ」https://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/の「本」で「ドラゴン桜」を検

索すると 94 件ヒットする。そのうち雑誌記事は 20 件(「東大脳のつくり方 --必要なのはノウハウ。漫画「ドラ

ゴン桜」は勉強嫌いだった子供たちを立ち直らせてもいる(福井洋平 2005,Aera )「大学が気楽に消費される

時代 --『ドラゴン桜』と「ホリエモン」が暴いた「大学」のリアル 」(佐藤俊樹 2006,中央公論)など) ,国立

国会図書館所蔵図書としては 74 件ある。うちマンガ『ドラゴン桜』のコミックス 25 件と小説本 5 件 ,後日譚の

『エンゼルバンク:ドラゴン桜外伝』16 件を除くと ,「ドラゴン桜」をタイトルに含む図書が 28 件あり(『ド

ラゴン桜 DS 公式ドリルブック : 小学校全学年対応』(三田紀房原作 2007,講談社) ,『「ドラゴン桜」を検証 !!

東大合格法 (「東大合格法」編集委員会編 ,2005 年理 3 合格者有志著 2005,データハウス)など)ドラゴン桜流

勉強法が世間で話題になっていたことを示している。

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2014 年にインドネシアのガジャマダ大学において,日本のマンガが好きだという日本学科の

大学生数名に,この KELAS KHSUS NAGA を読んでもらい,聞き取り調査をした。この作品

に「日本らしさ」を感じるか尋ねたところ,「日本らしさのようなものは感じないし,特定の

地域性を考えて読むことはない,他の翻訳作品にしても,日本のマンガ作品そのものがおもし

ろいから読んでいるのであって,「日本」を強く感じたり意識したりすることはない。」という

主旨の意見が述べられた20。

4.「現地化ローカライズ

」するということ

経済産業省商務情報政策局 (2016)(本稿末【資料】参照)で説明される「クールジャパン

の推進」という,日本側の売り込み戦略としての視点からこの翻案という事態を見たとき,こ

の「現地化」は,「日本に対する興味・関心を高める機会の創出」となっていないことが明ら

かである。

他方,ルフィ(2014)では,1991 年以降インドネシアの日本のマンガ受容が拡大する中で,マ

ンガ作品『ONE PIECE』21を題材に,日本語から翻訳される作品を作成する中で,出版される巻

が進むにつれ,インドネシア語に翻訳するよりも日本語からの借用語表現を積極的に採用する

傾向になっていることが示されている。作品を通じて,より「日本らしさ」をそのまま受容し

たいという,若者の日本文化に対する傾向であると分析している。むしろこちらは可能な限り

「現地化しない」という方法で,「日本の魅力」を受容している事例と言える。

現代日本の文脈に置き換えて,欧米を中心とした海外文化の受容を考えたとき,同様の事例

がある。たとえばアメリカの映画を日本で上映する際の邦題が,日本語としての表現性を重視

し(現地化し),作品の内容に沿って原題に必ずしも縛られないタイトルを採用する場合(原

題 WATERLOO BRIDGE→邦題『哀愁』,原題 FROZEN→邦題『アナと雪の女王』)がある一方で,逆

に意味の理解はともかく海外風の新鮮なイメージや「本物志向」22(陣内(2007))をもってカタ

カナ語の羅列表現を採用する場合(原題 STAR WARS→邦題『スターウォーズ』,原題 Back to the

Future→邦題『バック・トゥ・ザ・フューチャー』など)とが共存している。

時代や作品内容,原題そのものの特徴など,考慮すべき要件は多々あり,どのように邦題が

決定されるのか単純に説明することはできないが,文化コンテンツを受容する際の指向性とし

て,このように二方向あることは,インドネシアの日本マンガの受容において「日本らしさ」

をできるだけ残す方向性と,より現地化を推進する方向性が共存していることと,並行的に捉

えることができよう。

翻訳や翻案といった現地化の作業には,文化コンテンツが異文化状況に移される際の翻訳/

翻案者の意図的介入があるが,バスタン(2013)では,

「翻訳」(伝統的に翻訳という語で理解されてきたもの)とは、基本的には意味レベルにとどまる

ものであり、「翻案」とは原文の目的を伝えようとするものであり、また「注釈(exegesis)」とは

著者の意図を詳細に説明しようとするものであると表現できよう。

20 ただし,日本のマンガ・アニメが好きで,より多くの日本のマンガやアニメに直接触れることを目的に日本語

を学ぼうと考えている学生は多く,言語学習の動機付けにはなっているようである。

21 尾田栄一郎のマンガ作品。1997 年マンガ雑誌『週刊少年ジャンプ』に連載中である。コミックス版は 1997 年

の 1 巻より 80 巻刊行されている(いずれも 2016 年 1 月現在)。

「尾田栄一郎公認『ONE PIECE』ポータルサイト」https://one-piece.com/ (2015/01/19 閲覧)

2015 年 6 月には「 も多く発行された単一作者によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認められて

いる。朝日新聞 DEGITAL2016 年 6 月 15 日記事「漫画「ワンピース」がギネス世界記録 3億2千万冊発行」

http://www.asahi.com/articles/ASH6H4K4DH6HUEHF004.html(2015/01/19 閲覧)

22 陣内 (2007)では,海外から流入してきた事物について和語や漢語による翻訳表現ではなく外来語を選択する際の

意識として,より本物に近づきたいという「本物志向」があるとする。

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とある。これに拠れば「翻案」は,コンテンツが内包する「本質的なメッセージ」を伝えよう

とするものであると考えることができるのではないだろうか。

すると,文化コンテンツ自体が本質的に「日本」という記号を体現すること自体を目的とし

たものでない限り,現地化によって本来の目的を実現するために「日本」という表層的な記号

を変容させざるを得ない場合がある。(一方で,日本の表象の一つともなっている「カワイイ」

が重視されるコンテンツであれば,その部分はある種「日本」という記号が「カワイイ」とと

もに残されなければならないであろう。)

もちろん,現地化し翻案したからと言って,作品の「本質的なメッセージ」が伝わる保証は

なく,またそもそも作品の本質とは何かといった問題もそこには存在する。

『ドラゴン桜』の場合は「受験攻略からのサクセスストーリー」といった比較的捉えやすい

テーマがあること,および,それ自体がインドネシア(ジャカルタ)の文脈における受験制度

に置き換えやすい状況があると言える。インドネシアも日本以上に学歴偏重社会である。東京

大学に相当する先述の三大学はいずれもインドネシア国内屈指の国立大学であり,受験に対す

る社会の中での位置づけや認識について日本と共通点があることで,ストーリー自体が抵抗な

く受け入れられる素地があったということも言い添えておく必要がある。

先にも紹介したインドネシアの大学生への聞き取り調査では,原作『ドラゴン桜』をスムー

ズに日本語で読み進めるだけの日本語力のある大学生でも,読み比べると KELAS KHSUS NAGA のほうが,おもしろく感じたという。インドネシア人(とくに高校生)の立場であれば,

日本の東大を目標とする受験ストラテジーを読むよりも,自らの所属する社会の受験準備のス

トラテジーとして「ためになる」作品という点で魅力を感じることができるし,原作『ドラゴ

ン桜』の作品の「目的」をそこに読み取ることは,十分可能であろう。

比較のために別の事例をあげたい。日本で広く知られている「スポーツ根性マンガ」の代表

作品である『巨人の星』23がインドで翻案され, 2012 年から 2013 年にかけてアニメ作品 Suraj

the Rising Star24として放映されている。原作の高度成長期における日本から舞台を現代の新

興都市ムンバイへと移し,野球をインドの国民的球技であるクリケットに変更し,貧困層の若

者がかつてスター選手だった父親に猛特訓を受けてスターダムを駆け上がるサクセスストー

リーである。日本の『巨人の星』の読者・視聴者にとって強く印象付けられているシーン「ち

ゃぶ台返し」や「養成ギブス」なども,現地の価値観に配慮し改変しながら作成されたという25。

そこに,日本企業のロゴが入った飛行機や自動車が相当な存在感をもって画面を行き交う。

この作品は,講談社を中心とする日本側が中心となり企画をすすめ,現地スタッフも加えた「講

談社・ライジングスター製作委員会」が製作しているが,番組スポンサーはスズキ,コクヨ,

全日本空輸など日本企業 5 社であり,経済産業省の「クール・ジャパン戦略」のモデル事業と

しての支援も受けている26。経済発展まっただなかの現地の社会状況において「スポ根(スポー

ツ根性)マンガもしくはサクセスストーリーを見たい」という内在的ニーズがあってこの翻訳

作品が生まれたというよりも,日本側が高度成長期の日本の面影をインドに見出し,それに似

23 原作梶原一騎、作画川崎のぼるによる野球マンガ作品。1966 年から 1971 年にかけて講談社『週刊少年マガジ

ン』に連載された。アニメ化され 1968 年から 1971 年にかけて日本テレビ系列で放映された。 24 ニコニコ動画「スーラジ ザ・ライジングスター(インド版「巨人の星」第 1 話「肉体改造ギプス」)

http://www.nicovideo.jp/watch/1375258511(2016/01/22 閲覧) 25具体的な改変として,インドでは食べ物を粗末にすることに抵抗があるためひっくり返すのはコップの水だけと

する,金属のバネでは虐待と捉えられるため自転車の廃チューブをギブスとするなどである。

日本経済新聞 2013 年 5 月 24 日裏読み WAVE 記事(小林明)「インド版「巨人の星」現地の視聴率は?イチロ

ー登場」 http://www.nikkei.com/article/DGXBZO55287400R20C13A5000000/(2016/01/22 閲覧) 26 前掲脚注記事 (2013 年 5 月 24 日 )および日本経済新聞 2012 年 10 月 19 日裏読み WAVE 記事 (小林明 )「インド版

「巨人の星」の裏に意外な人脈図」 http://www.nikkei.com/article/DGXBZO47360000X11C12A0000000/?df=2

(2016/01/24 閲覧)

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つかわしい作品を提供しようとした経緯とともに,日本企業の宣伝効果をからめるといった目

的が 前面に出ている印象を受けるのは筆者だけであろうか。

インドのアニメ業界の概況を知らずして軽率な発言は控えるべきだが,このような「クー

ル・ジャパン戦略のモデル事業」としての翻案作品がインド市場で積極的に受け入れられたの

かどうか,はなはなだ疑問である27。

翻って,インドネシアの状況である。先に 2013 年の資料によりインドネシアのマンガ市場

は,外国のマンガが 9 割であると述べたが, 近の傾向として,国内製作を拡大しようとする

動きが始まっている28。

フェブリアニ(2014)では、翻訳本の輸入に比べるとインドネシアでオリジナルに書かれるマ

ンガ作品はまだ少なく,インドネシアのマンガ出版社では,読者のニーズを把握しやすいこと

から,アメリカ風,ヨーロッパ風,日本風といった画風(gaya)の特徴によってジャンルを区分

していると言う。インドネシアでは外国の翻訳マンガが中心であったことから,国内作品にと

っても,その影響が大きな意味を持ってきたのである。しかしフェブリアニ(2014)は,Wanara

という新しい作品の分析を通して,従来の分類区分が曖昧化していることを論証する。インド

ネシアでは,日本マンガなどのさまざまな外国風の価値や風味を消化し,インドネシアの土壌

で融合させ,自らの内在する力でマンガ作品全体を再構築し進化させ始めている。

そういった段階にインドネシアのマンガ市場があるとすればなおさら,単に「日本ラベル」

を掲げて売り込むような方法は,文化コンテンツそのものにとって意味をなさないものとなる。

5.おわりに

本稿では,日本のポップカルチャー人気が高く,多くの日本のマンガ作品が翻訳されて人気

を博しているインドネシアにおいてすっかり現地化した作品として KELAS KHUSUS NAGAを紹介し,「クールジャパン戦略」において推進される日本文化コンテンツの現地化が,単純

に日本ブームを創出する機能だけを持つわけではないことを示した。 経済効果をねらった「クールジャパン戦略」において,直接的な日本産品の消費につなげる

ために,日本ブームの創出を目的としてローカライズ支援に事業費をさいているところではあ

るが,現実の文化受容はそれほど単純ではない。日本文化の理解促進のためにコンテンツを現

地化しようとしても,その作業そのものが(たとえ言語を置き換えるだけであったとしても)

「日本」を剥ぎ取っていく行為であることが,そこでは見過ごされている。 日本発のコンテンツの拡大が,常に「日本ラベル」を付したものとして受容され,結果とし

て消費を促すことにつながるというのは,あまりに一方的で日本側の都合の良い解釈に過ぎな

い。「クールジャパン戦略」としては当然のように「日本」であることが重要視されるが,現

地の視点から見ればそうとは限らないのである。 KELAS KHUSUS NAGA の翻案は,まだ始まったばかりで,対応する原作全体の一部であ

る。翻案における傾向から読み解ける意味や翻訳作品と翻案作品の受容の違いなどについては,

作品の後続巻を待ちながら,具体的な対応関係を整理し,ひきつづき背景の調査と分析を進め

ていくつもりである。

27 前掲脚注記事 (2013 年 5 月 24 日 )によれば,その時点において現地で「好評」と言える状況ではない様子である。 28朝日新聞デジタル 2014 年 8 月 15 日 記事「パンアジアネットワーク、インドネシアで出版事業を開始」に

「パンアジアネットワーク株式会社(本社:東京,代表取締役:新田靖浩)の子会社 PT. PAN ASIA NETWORK

(本社:ジャカルタ,代表取締役:新田靖浩)と,PT. PAN ASIA BERSAMA(本社:ジャカルタ,代表取締役:

スルヤ・サプトラ)は,インドネシアで初となるマンガ月刊誌を今年 11 月に創刊する構想を本日発表した。」と

ある。http://www.asahi.com/and_M/information/pressrelease/CPRT201420242.html(2016/01/19 閲覧)

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【引用文献】 ザネッティン,フェデリコ (2013)「Comics 漫画翻訳」(モナ・ベイカー&ガブリエラ・サル

ダーニャ編『翻訳研究のキーワード』藤濤文子監修・編訳)pp.39-44,研究社 陣内正敬 (2007)『外来語の社会言語学-日本語のグローカルな考え方-』,世界思想社 バスタン,Lジョルジュ (2013)「Adaptation 翻案」(モナ・ベイカー&ガブリエラ・サルダ

ーニャ編『翻訳研究のキーワード』藤濤文子監修・編訳)pp.2-9,研究社 フェブリアニ・シホンビン (2014)「インドネシアの漫画 Wanara を通じたインドネシア漫画の

分類区分の曖昧化」Kyoto Review of Southeast Asia. Issue 16,Comics in Southeast Asia: Social and Political Interpretations http://kyotoreview.org/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%BC%AB%E7%94%BBwanara%E3%82%92%E9%80%9A%E3%81%98%E3%81%9F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%BC%AB%E7%94%BB/

ルフィ・ワフィダティ (2014)「インドネシア語翻訳版 manga における日本語起源の借用語」,

愛知県立大学大学院国際文化研究科修士学位論文 Kuslum, Umi. 2007. “Masih dalam Dekapan “Manga”” in Kompas, November 26th, 2007. 【引用資料】 三田紀房 (2003)『ドラゴン桜』1,モーニング KC,講談社 Kelas Khusus Naga 1 @2013 Norifusa Mita/Cork/TG/m&c!/Reeham Visual Courier (原作:三田紀房,翻案:Reeham Visual Courier) グラメディア社,2014 年初版 【参照ウェブサイト】 一般財団法人デジタルコンテンツ協会 DCAJ(2013)

『ASEAN コンテンツ市場の基礎情報』ASEAN-JAPAN CENTRE・DCAJ 共催セミナー 2013 年 4 月 19 日「日本 -ASEAN コンテンツネットワーク」プレゼンテーション資料 http://www.asean.or.jp/ja/trade/department/event/event2013/13-asean-creativity/images-and-pdfs/13-acn/at_download/file(2016/01/22 閲覧 )

経済産業省商務情報政策局生活文化創造産業課 (2016) 「クールジャパン政策について」平成28年1月 (全 25 ページ ) http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/160106CJseisakunitsuiteJanuary.pdf(2016/01/19 閲覧) 本稿は,平成 27 年度愛知県立大学学長特別研究費 「相互交流型日本語教育実習の実践と検証:日本文化のローカリゼーションを着眼点として」 (研究代表者 :宮谷敦美)の研究成果の一部である。

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【資料】 「クールジャパン政策について」p.2-3 平成 28 年 1 月経済産業省商務情報政策局生活文化創造産業課

http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/160106CJseisakunitsuiteJanuary.pdf

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