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[ セニョ〜ム ] May 2011 21 号 5 毎月5日発行 マレーシアがもっと好きになる ライフスタイルマガジン FREE 2011 年 5 月 5 日発行 21 号 ( 毎月1回 5 日発行)KDN No. PP 16491/06/2011(028569) タウンガイド Bangsar Bangsar Safe to Eat Japanese Food 特 集 ロイヤルセランゴール ピューター 魅力

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  • [ セニョ〜ム ]May 201121 号5

    毎月5日発行マレーシアがもっと好きになる ライフスタイルマガジン FREE

    2011年5月5日発行21号(毎月1回5日発行)KDN No. PP 16491/06/2011(028569)

    タウンガイド BangsarBangsar 編編

    Safe to Eat Japanese Food

    特 集 ロイヤルセランゴール

    ピューターのの 魅力

  • 45

    道具片手にマレーシアへ

    19世紀後半、「ロイヤルセランゴール」の

    創設者であるYong Koon

    (ヨン・クーン)は、

    11歳のときから当時、錫産業で栄える中国広

    東省の汕頭で、錫職人として修業を積んでい

    た。1885年、愛用の工具を手に、先にマ

    レーシアへ来ていた、同じく錫職人である兄

    弟を頼りにKLへ渡る。KLの当時の人口は

    4054人。クランからKLに鉄道が敷かれ、

    錫産業が活気づいた時期であった。1898

    年、マレー半島の錫生産は年間4万トン、世

    界一を誇るまで発展していた。(主な産地とし

    てKLに加え、ぺラ州、ネグリスンビラン州、

    マラッカ州などがあげられる)。そんななか、

    ヨン兄弟はシラン通りに「玉和(Ngeok Foh

    )」

    を設立、亜鉛メッキ製のバケツや雨どいなどを

    製造する傍ら、錫製のお香立てや燭台、華僑探

    鉱者に向けた神仏具の製造も始めた。当時の製

    品には「玉和足錫」という印が刻まれているが、

    これが後の「ロイヤルセランゴールピューター」

    へと発展していくことになる。

    幸運の女神

    当時の華僑がそうであったように、ヨン・

    クーンも中国に一時帰国して結婚したが、妻

    Loh Pat

    (ロー・パット)を残してKLへ戻っ

    た。初めて長男と対面したのは、なんと7

    年後のことだったという。その後妻子を連れ

    てKLへ。さらに3人の男の子が生まれ、

    家族は「玉和」のショップハウスの2階に

    住むことになる。三男Peng Kai

    (ペン・カ

    イ=2代目)は、当時を振り返って「錫屑

    にまみれて産まれ育った」と話している。

    さて、ヨン・クーンのビジネスを成功に

    導いたのが妻ロー・パットといえるだろう。

    当時、錫と同様に盛んだったゴム産業に目を

    つけた彼女は、ゴム樹液を採取するための道

    具として亜鉛製の容器を大量に生産し、それ

    を各プランテーションに売りさばいたのだ。

    そのお金で金の指輪をたくさん買い、紐に通

    して腰に巻き、服の裏に隠してヘソクリを貯

    めたのだ。ヨン・クーンにはちょっとした飲

    み癖と競馬好きな傾向があったことを危惧し

    てのことだろう。1930年、ロー・パッ

    トの貯金でプドゥ通りにショップハウスを購

    入。お屋敷とはいえなくとも、当時流行りの

    洋風窓が付いた持ち家だ。25歳になる長男

    Peng Pow

    (ペン・ポー)はそこに「M

    alayan

    Pewter W

    orks

    」を設立し、ピューター製品

    を製造する工場を創業した。幼い弟達も学校

    が終わるとその作業を手伝ったという。

    しばらくしてマレー半島を経済不況が襲

    う。工場では得意先はおろか、工員までが不

    足し、多くの錫職人が縫い物業などに職を変

    えていった。ロー・パットはマレー半島を旅

    しながら、顧客と職人を探し歩いたという。

    1936年、ビジネストリップの最中、妻

    ロー・パットは蚊に刺されたことから患い、

    惜しくも56歳でこの世を去った。

    その後も、ヨン一家にとっては厳しい年

    月が続いたのだが、イギリスの錫会社のエ

    ンジニアであるG.H

    .Hutton

    氏が「低価格の

    錫を使用して実用性の高いピューター製品の

    製造をしてはどうか」とアドバイス。さらに

    同氏は、資本金を貸し付けた。これを機に

    「Malayan Pew

    ter

    」はヨーロッパ風の小箱、

    灰皿、花瓶、ティーポットなどを手がけるよ

    うになった。会社、そしてヨン一家は大きな

    飛躍を遂げたのだが…。

    家族不和と第二次世界大戦

    1938年、四兄弟の間で起こった小さ

    な衝突が原因で、長男ペン・ポーは「M

    alayan

    Pewter

    」とともに、プドゥのショップハウ

    スを去った。残った3兄弟は1940年

    に「Tiger Pew

    ter

    」を設立するも、1年

    も経たないうちに倒産。続いて1942

    年に「Selangor Pew

    ter

    」を設立。同社

    はピューター製品だけでなく、「M

    alayan

    Handicrafts

    」という傘下会社を起こし、銀

    製品、陶器、木製玩具などの製造も手がけた。

    戦争が始まり、日本軍が押し迫ってくると、

    同社では空襲に備え、消火用バケツ、ポンプ、

    ホース、ランプなども製造した。日本軍がマ

    レー半島を占領し、錫産業を支配すると、た

    ちまち「Selangor Pew

    ter

    」は経営難に陥っ

    た。日本軍はピューター製の酒セット(銚子

    2本、お猪口5つからなる贈答品)を作ら

    せたが、儲けは出なかったようだ。家族を養

    うために、ペン・カイは副業でタクシー運転

    手となる。タクシーといっても、ガソリン不

    足の時代、車は木炭で動かす代物であった。

    悲惨な戦争のなか、長男ペン・ポーは中

    華系の闇組織により暗殺された。次男は皮革

    製品の店を営業、四男ペン・ションは『The

    Straits Times

    』のカメラマンとして採用され、

    三男ペン・カイのみが「Selangor Pew

    ter

    を引き継ぐことになった。

    新たな出発

    1938年にSoh Eng

    (ソー・エン)と

    見合い結婚したペン・カイ。戦後は4人

    の子どもを抱えて仕事に明け暮れた。母が

    残したプドゥの工場でピューター製の花瓶、

    ポット、灰皿などを、新たにバトゥ通り(現

    Tauanku Abdul Rahman

    通り)に借りた店

    舗で販売。接客、掃除、簿記から配達まです

    べてを妻ソー・エンがこなした。子供と一緒

    に店の裏にある大きな木製の机を囲んで宿題

    を済ませると、子ども達も店に出て、母の仕

    事を手伝った。社交的で働き者のソー・エン、

    寡黙で仕事熱心なペン・カイの二人三脚はプ

    ドゥの工場を大きく発展させた。

    以前の「M

    alayan Pewter

    」では、中国古

    来の製法で生産し効率が悪かったことから、

    ペン・カイは新たな技術を導入し、できる限

    りの機械化を図った。また、彼は1960

    年代に多くの女性工員を雇用していたこと

    でも知られるが、緻密な作業は女性向きであ

    ること、また、当時女性の職はメイドか裁

    縫婦しかなかったことから、多くの女性が

    「Selangor Pewter

    」で働くことになった。(こ

    れは現在も変わらず、ビジターセンター内の

    職人のほとんどが女性である。)

    「ロイヤルセランゴールピューター」

    1962年、ペン・カイは政府の助成な

    ども受け、Setapak

    にある4千sfの敷地へ工

    場を移転させた。新しい工場は作業員らの働

    き心地を重視して設計された。ペン・カイ

    夫妻は従業員たちを家族のように大切にし

    た。従業員は親愛の意味を込めて彼らを「ア

    ンティ、アンクル」と呼んでいた。1980

    年にペン・カイは子ども達に事業を譲り引退

    するも、病に臥すまで会社へ度々足を運んで

    いたという。1990年、享年75歳であっ

    た。また、彼の生涯のパートナーであり、右

    腕でもあった妻ソー・エンは引退後、忙しい

    子ども達に代わって孫の世話に、趣味にと忙

    しいながらも充実した時を過ごしたという。

    1995年死去。享年78歳であった。

    1992年、マレーシア国王より「ロイ

    ヤル」の称号を授かり、「Selangor Pew

    ter

    は「Royal Selangor

    」と改名された。現在

    も確固たるブランドを築きあげており、ペン・

    カイとソー・エンが残した4人の子ども達

    が代表を務めている。

    今から百年以上も前のこと。中国から一人の若き錫職人が、手持ちの工具数点を手

    にマレーシアに渡ってきた。小さな家族からスタートした小さな工場はやがて一大企

    業へと発展。代々受け継がれる華僑ファミリービジネスのなかでも大きな成長と成功

    を収めた一家族の歴史、「ロイヤルセランゴール」の魅力をここにご紹介しよう。

    ロイヤルセランゴール

    ピューターの

    魅力

    ヨン・クーン(1920)

    (左)Cross Street (現 Jalan Silang)の店前。(1911)

    写真提供:ロイヤルセランゴール

    ロー・パット(1911)

    プドゥ通りの工場で作業する女性職人とペン・カイ (1960)

    ペン・カイとソーエンを囲んだ家族写真(1957)

    『The Royal Selangor Story』 Chen May Yee『Asian Wall Street Journal』、『Agence France-Presse』のリポーター。ヨン・クーンのひ孫、ダティン・チェンの長女。曽祖父から母の代まで、大きな成長を遂げた「ロイヤルセランゴール」のファミリービジネスの基軸を克明に綴った本書は、単なる家族の歴史だけではなく、マレーシアの古き良き時代の生活を身近に知ることができる。

    プドゥ通りの工場で作業する女性職人とペン・カイ (1960)

  • 67

    日本からやってきた父をビジターセンターに

    案内した。ウェルカムドリンクを口にした瞬間、

    「ビアマグ買って帰ろう!」と一言。錫には水

    質浄化作用があることから、ビールの味わいを

    滑らかにしたり、独特の匂いを和らげる効果が

    あるのだそう。さらに、キンキンに冷えたビー

    ルを注ぐと、ビアマグは瞬時に冷えその温度を

    保ち泡もきめ細やかになる。また、錫から空気

    への熱伝達率が低いため、保温効果はもちろん、

    水滴が付きにくいのもピューター製ビアマグの

    特徴といえる。発泡酒までもが、ピュータービ

    アマグに注ぐとビール並みの美味しさに変わる

    とも聞くので、ちょっぴり高価ではあるが試し

    てみたい逸品である。

    ロイヤルセランゴールのビアマグが最高!

    ダティン・Chen Mun Kuen:1942 年生まれ。ロイヤルセランゴール取締役。ペン・カイの孫娘。ヨン・クーンの 3 男で、2 代目である父ペン・カイの代でロイヤルセランゴールは飛躍的な成長を遂げる。兄のポー・シンはシンガポールの代表をしていたが引退。現在は弟のポー・コンが代表を務める。姉のムン・ハはオーストラリア在住。

    ロイヤルセランゴールは個人商店からスタート、世界でも最大規模のピューター工場をもつ一大企業に成長したが、今でもファミリービジネスのスタイルを崩さない。一般には知られていない、Yong ファミリーの素顔(魅力)を覗く。

    約束の午後2時より10分も

    早く現れたダティン・チェン、

    現在68歳。小柄だがピンと張っ

    た背筋と引き締まった体にチョ

    ンサムがとてもよく似合う。

    ―ヨンファミリーのいちばん

    の思い出話を聞かせてください。

    (手にもっていたポットを見

    せながら)この「メロンポット」

    です。これはレプリカですが、

    ショールームにはオリジナルの

    「メロンポット」が展示されて

    います。これは祖父がデザイン

    し作ったもので、12枚のピュー

    ターシートをつなぎ合わせて仕

    上げたポットです。話をお聞き

    になりたいですか?

    第二次大戦中、カジャンの貧

    しい村でのこと。村人たちは(マ

    レー半島を北から南進する日本

    軍を阻止するため、イギリス軍

    が投下する)爆撃の雨をかいく

    ぐりながらも、倉庫に眠ってい

    る米や砂糖を持って逃げようと

    していたんですね。そのとき、

    「メロンポット」に目をやるAh

    Ham

    という名の一人の若者が

    いました。ポットを拾い上げよ

    うと、腰をかがめた、その瞬間、

    するどい銃音が彼の頭上を通り

    過ぎていきました。彼は「命を

    救ったラッキーポット」を持ち

    帰り、何十年にも渡り、大切に

    保管していました。

    時を経て、1970年代初頭、

    Ah Ham

    は、その「ラッキーポッ

    ト」をポリッシュに出そうと、

    ピューター工場へ持っていきま

    した。磨いた後にポットの裏か

    ら浮かび上がった刻印が、ヨン・

    クーンの印「玉和足錫」。つまり、

    そのラッキーポットは祖父がつ

    くった「メロンポット」だった

    のです。

    ―『Th

    e Royal Selan

    gor

    Story

    』によると、お父さまの

    代でも当初は家内工場的な要素

    が強かったようですが…。家族

    皆で工場を支えていたという感

    じでしたか?

    そうですね。学校へ行ってい

    ないときは、ずっと家業を手

    伝っていましたよ。遊んでいる

    同級生たちをうらやましいとは

    思いませんでした。朝から夜遅

    くまで一生懸命働く父や母の手

    伝いをするのが、当然だと思っ

    ていましたから。最初は一店舗

    丸々借りるお金もなかったの

    で、店舗の半分を借りて、そこ

    が工場と住まい。当時のバトゥ

    通りですね。その後プドゥ通り

    へ移りましたけれど。

    ―「家訓」、ご両親から絶え

    ず言われた言葉はありますか?

    「けんかはしない。兄妹一緒

    に仲良くやりなさい」というこ

    とかしら。

    ―セランゴールピューターか

    らロイヤルセランゴールへと社

    名が変わっていますが・・・

    今から30年以上も前の話にな

    りますが、当時のセランゴール

    州スルタンがオーストラリアの

    パースにあるデパートへ行った

    ときのこと。店員に「どこから

    来たのか」と尋ねられ、「セラ

    ンゴールから」と答えたところ、

    「セランゴールピューターから

    来たのね」と言われたのだそう

    です。「セランゴール州」でも

    なく、「セランゴールスルタン」

    でもなく、オーストラリアで「セ

    ランゴールピューター」という

    名前がすでに知れ渡っているこ

    とに感銘を受けられたのだそう

    です。以降、当社の製品はセラ

    ンゴール州王室ご用達となり、

    92年には「ロイヤルセランゴー

    ル」と社名を正式に変えること

    になりました。

    ―創業者であるおじいさまの

    記憶はありますか?

    祖父は私が10歳のときに亡く

    なりました。祖父は客家語しか

    しゃべれない、私は広東語はで

    きましたが客家語はしゃべれな

    かったので、会話をしたという

    記憶は特にないですね。

    ―最後にロイヤルセランゴー

    ルが成長した理由は何だと思わ

    れますか?

    「グッドデザイン」と「グッ

    ドワークマンシップ」を心がけ

    ています。デザインも常にアッ

    プデートした新しいものを取り

    入れています。

    *ダティン・チェンとのイン

    タビューをアレンジしてくれ

    た、広報担当のアンさんは勤続

    20年を超える。同社には職人を

    含め、勤続年数の長い社員が多

    い。「いつでも新しいことにチャ

    レンジするという、ファミリー

    の情熱が社員にも伝わってくる

    ので、働いていても楽しいです。

    また私達社員をファミリーの

    一員のように扱ってくれること

    が嬉しいです。」(アンさん)Selberan Jewellery

    1972 年、事業拡大の一環で設立されたジュエリーショップ。マレーシアで初のヨーロッパ技術とデザインを採用。18k ゴールドや宝石をあしらった美しいジュエリーは品質はもちろん、デザインの美しさで数々のデザイン賞を受賞している。

    the Cafèスタイリッシュなカフェではサンドウィッチなどの軽食や日替わりローカルフードが人気。ショーケースに並ぶケーキは一族のオリジナルレシピからなるホームメイド。おいしいコーヒーにペイストリーでほっと一息。

    ショップ

    ロイヤルセランゴール直売店国内外に多数の直営店を持つ同店。なかでもビジターセンターの品揃えは豊富。毎年定期的にニューコレクションを発表するほか、オリンピックや映画コレクションなどの限定品も随時あり。カスタムメイドや記念品などの注文販売も受け付けている。

    Comyns1993年以降、ロイヤルセランゴールの傘下となったシルバーウエアを製造するブランド。その歴史は1645年のイギリスにさかのぼる。多くの銀細工師たちの優れた作品で定評を博している。アンティーク製品など、製造年がわかれば、当時の製品を再現することも可能。

    ダティン・Chen Mun Kuen さんたゆまぬ努力と情熱がファミリービジネスを支える

    ギネス登録された世界一大きなビアマグ1985年、ロイヤルセランゴール100周年を記念して作られた巨大ビアマグ。600人以上いる職人のなかから選ばれた6名の職人による作品。型の作成から研磨、取っ手のハンダ付けまで2000時間。総重量1557kg。高さ1987mm。底直径1693mm。内容量2796ℓ。

    School of Hard Knocks薄いピューターの円盤に、まずは自分の名前を刻もう。判子を金槌でトントントン。次に、型に沿ってトントントン。かなり力を入れての作業。細部をトントン調節して、小さな手作りの風合いがかわいいボウルのできあがり。参加費RM50。修了証とエプロンももらえる!要予約。

    ビアマグ製ツインタワービジターセンターの中央吹き抜けに堂々たる姿を現すツインタワー。7062 個のピューター製ビアマグで築かれ、全長 9.1 メートル。高さもさることながら、その贅沢さに圧倒される。GF では裾部分が、1F ではてっぺんの細部を確認できる。

    みどころ

    学ぶ

    写真提供 : Royal Selangor Internatiponal

    写真提供 : Royal Selangor Internatiponal

    (上)勤続5年以上の写真の手形が飾られるビジターセンター

    吹き抜けのロビー。ここからビジターセンターのツ

    アーが始まる。今回は日本語が堪能なツアーガイド、

    ラジさんが館内を案内してくれた。受付カウンターか

    ら真っ直ぐ伸びるエスカレーターで1Fにあがる(①)。

    館内入り口には、ロイヤルセランゴールの歴史を追っ

    たパネルが並ぶ。右手の歴史資料館では、歴代のピュー

    ター製品(②③)、幻の「メロンポット」(④)、錫採取

    の道具やピューターを作るための道具などが展示され

    ている。19世紀後半の風景写真を背景に衣装を身にま

    といパチリと記念撮影、なんてコーナーもあり(⑤)。

    続いては体感学習。ピューターは錫を主原料とした

    合金で、強度や光沢を出すために、アンチモニーと銅

    が混ぜられている。ピューター250kgが天秤に乗せら

    れ、反対側の天秤皿に何人かのると傾く巨大天秤では

    「重さ」を体験(⑥⑦)。また、ピューターの質や素材、

    大きさの違いが奏でる、ブリキ音から透き通るような

    音までを聴覚で実感することができる(⑧)。

    モダンかつ洗練されたギャラリーから(⑨)、雰囲気

    も変わり工場へと入る(⑩)。まずはウェルカムドリ

    ンクで良質のピューターの特徴を実感。ピューター製

    のコップが手渡される。どっしりと重い(⑪)。そこ

    に、冷たいソフトドリンクが注がれて驚かない人はい

    ない! あっという間にコップが冷たくなるのである。

    奥へ進み熟練の女性職人が手際よくビアマグを製造

    する作業を間近に見学。錫は低融点で溶けるので作業

    やデザインがしやすい素材なのだそう。溶かした錫を

    型にいれて瞬時に出す。こうすると、中に空洞ができ

    るので、重いピューターを少しでも軽く仕上げること

    ができるとのこと。形ができたら、周りを削る。これ

    もすべて手作業。削りカスは、また溶かして原料に戻

    すことができるのも、ピューターならではの利点。浮

    き彫りされたデザインを克明にするため、さらに細か

    な研磨作業(⑫⑬)。20年以上の経験をもつ職人によ

    るすべてが手作業だ。全工程1時間弱のツアーだが、

    無料でここまで見せてくれる施設はマレーシアでもこ

    こだけではないだろうか。(撮影:Dennis Yap)

    ロイヤルセランゴールのビジターセンターツアー

    写真提供: Royal Selangor Internatiponal

    ロイヤルセランゴール・ビジターセンター4 Jalan Usahawan 6, Setapak Jaya 53000 KL03-4145 6122visitorcentre.royalselangor.com