ボーカロイド歌考suetsugu satoshi ボーカロイド歌考...

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48 ボーカロイド歌考―現代におけるうたの発生をめぐって いつの頃からだろうか。「ボーカロイド」という名前をよく耳にするようになったのは?  おそらく4、5年前のことだと思う。それは、いつものように、ゼミナールや講義で向き合っ ている学生から聞かせてもらった。この学生は、スカイブルーの髪の長いカツラをつけた見慣 れないコスプレをしていた。「それ何」って聞いたら「ハツネミク」って言った。それが「ボー カロイド」との出会いだった。 学生はいつも、私の世界の「外」からのマレビトとして、未知のモノについての情報をもた らしてくれる。もっとも印象的だったのは、カラオケボックスでの経験である。私は人前で歌 うことをそれほど好まないが、それでも学生に誘われてカラオケに行くことがときおりある。 そのさい、学生たちが、私がそれまでに聞いたことがないうたを目の前で歌うのを聞いた。も ちろん、私が知らないうたはたくさんある。というよりも、私が聞き知っているうたはとても 少ないのだが、学生たちが歌ううたについての私の無知は、そういうものとは異なる質のもの だった。 学生たちの歌う「ボーカロイド」というジャンルのうたは、まず、圧倒的な言葉の量をその 特徴としていた。一般的な J-Pop とは異なる速さで言葉を繰り出すのである。たとえば、ラッ プと呼ばれるジャンルのうたも言葉を多用するが、それとは異なる種類のものなのである。学 生たちは、これでもかと早口でうたを歌う。もちろんそうではないうたもあったが、目立った のはそういった特徴のうたであった。カラオケボックスの中で学生が嬉々としながら歌う姿を 呆然と見つめながら聞いている。私が「ボーカロイド」という種類のうたをはじめて聞いたと きの情景である。 そして、そのうちに、一部の学生たちからだけ聞いていた「ボーカロイド」という名前を、 いつのまにか多くの学生たちから聞くようになった。なかには、これを、私が担当する「うた」 をテーマとするゼミナールで、卒業論文や卒業レポートのテーマに取り上げる学生も現れた はじめに 末 次  智 SUETSUGU Satoshi ボーカロイド歌考 ――現代におけるうたの発生をめぐって――

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Page 1: ボーカロイド歌考SUETSUGU Satoshi ボーカロイド歌考 ――現代におけるうたの発生をめぐって―― 京都精華大学紀要 第四十三号 ― 49 ― 限られた人から聞いていたのが、そうではなくなった。その間に、私は「ボーカロイド」と呼

― 48 ― ボーカロイド歌考―現代におけるうたの発生をめぐって

いつの頃からだろうか。「ボーカロイド」という名前をよく耳にするようになったのは? 

おそらく4、5年前のことだと思う。それは、いつものように、ゼミナールや講義で向き合っ

ている学生から聞かせてもらった。この学生は、スカイブルーの髪の長いカツラをつけた見慣

れないコスプレをしていた。「それ何」って聞いたら「ハツネミク」って言った。それが「ボー

カロイド」との出会いだった。

学生はいつも、私の世界の「外」からのマレビトとして、未知のモノについての情報をもた

らしてくれる。もっとも印象的だったのは、カラオケボックスでの経験である。私は人前で歌

うことをそれほど好まないが、それでも学生に誘われてカラオケに行くことがときおりある。

そのさい、学生たちが、私がそれまでに聞いたことがないうたを目の前で歌うのを聞いた。も

ちろん、私が知らないうたはたくさんある。というよりも、私が聞き知っているうたはとても

少ないのだが、学生たちが歌ううたについての私の無知は、そういうものとは異なる質のもの

だった。

学生たちの歌う「ボーカロイド」というジャンルのうたは、まず、圧倒的な言葉の量をその

特徴としていた。一般的な J-Pop とは異なる速さで言葉を繰り出すのである。たとえば、ラッ

プと呼ばれるジャンルのうたも言葉を多用するが、それとは異なる種類のものなのである。学

生たちは、これでもかと早口でうたを歌う。もちろんそうではないうたもあったが、目立った

のはそういった特徴のうたであった。カラオケボックスの中で学生が嬉々としながら歌う姿を

呆然と見つめながら聞いている。私が「ボーカロイド」という種類のうたをはじめて聞いたと

きの情景である。

そして、そのうちに、一部の学生たちからだけ聞いていた「ボーカロイド」という名前を、

いつのまにか多くの学生たちから聞くようになった。なかには、これを、私が担当する「うた」

をテーマとするゼミナールで、卒業論文や卒業レポートのテーマに取り上げる学生も現れた1。

はじめに

末 次  智SUETSUGU Satoshi

ボーカロイド歌考――現代におけるうたの発生をめぐって――

Page 2: ボーカロイド歌考SUETSUGU Satoshi ボーカロイド歌考 ――現代におけるうたの発生をめぐって―― 京都精華大学紀要 第四十三号 ― 49 ― 限られた人から聞いていたのが、そうではなくなった。その間に、私は「ボーカロイド」と呼

― 49 ―京都精華大学紀要 第四十三号

限られた人から聞いていたのが、そうではなくなった。その間に、私は「ボーカロイド」と呼

ばれるうたがどういううたであるかをある程度知ることになった。それは、簡単に言えば、パ

ソコンの画面に一定の記号(音符と歌詞)を打ち込むことで、人間のように歌わせることので

きるソフトウェアの名前であった。私が本稿で述べようとするのは、そのような、これまでの

一般的なうたについての認識、つまり人間の身体を前提としたうたとは異なった、機械による

人工的なうた、これが多くの若者を中心に受け入れられるようになった2ことの理由について

の基本的な考察である。速射砲のように言葉を打ち出しながら歌われるそのうたに、学生たち

が惹かれるようになったのはなぜか。私は、このことを不思議だと感じている。よって、その

理由について、本稿で考察してみたいのである。

1 ボーカロイド私的概説

ここで、ボーカロイドについて私の視点から概説しておきたい3。

まず、ボーカロイドは、正式には「VOCALOID」と書く。YAMAHAが 2000 年から開発

を開始し、2003 年 2月 26 日に発表したソフトウェアである。YAMAHAの公式サイトには、

次のように記している。

ヤマハが開発した歌声合成技術および、その応用ソフトウェアです。音符と歌詞を入力す

るだけで歌声に変換することができます。つまり、歌手を呼ばなくても歌声を作り出すこ

とができます。歌声の合成には、歌声ライブラリという、実際の歌手の声から取り出した

歌声の断片を用います。4

まず重要なのは、音符と歌詞を入力すれば「歌声」に変換してくれるソフトウェアだという

ことである5。言い換えれば、うたを歌わすことに特化したソフトウェアである。一般的に、

音楽の世界は早くからデジタル技術との融合を成し遂げ、シンセサイザーはいろいろな楽器の

音色を忠実に再現することに成功してきている。そのなかで、これに人間のうたを歌わせるこ

とは、技術者の夢であった。編集者の田中雄二は「『シンセサイザーが人間の声で喋る』『メロ

ディを歌う』というテーマは、実は七〇年代からの多重録音少年が描いていた〝未来の夢〟だっ

た」と述べている6。逆の視点から言えば、それは今まで困難なことであったのである。日本

の先駆的なシンセサイザー奏者である富田勲も、2013 年 2月 10日にNHKのEテレで放送さ

れたETV特集で、旧来のシンセサイザーを「しゃべらせようとした」がうまくいかなかった

と述べている7。

これを可能にした画期的なソフトウェア、それがVOCALOIDなのである。この技術の基本

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的な点は、先の公式サイトにあるように「実際の歌手の声から取り出した歌声」を使って「歌

声ライブラリ」というものを作ることにある。これは、田中の説明を借りれば、それまでの「楽

器の共鳴音、打鍵時のノイズ、口の開閉などの音声の発声原理をコンピュータでエミュレート

して音声化する、『フィジカル・モデリング』という方式」から「膨大なサンプリング音声を

読み出す方式に根幹から発想を置き換えた」ことにより、可能になったという。これは、「メ

モリ、ハードディスクの廉価化」による「エンジンよりライブラリそのものが主体となった商

品への意識転換」でもあったという8。つまり、人の声をデータベース化することで可能になっ

たものであった。データベース化の過程については、たとえば、音声を提供した歌手のGackt

へのインタビューによれば、「2日間に分けて、それぞれ5、6時間」9ほどの録音だったと

いう。彼の声をもとにしたVOCALOIDパッケージの一つ『がくっぽいど』の制作者・村上昇

氏は、次のように述べている。

音声データは、Gackt さんに呪文のような言葉をある音程で歌ってもらい、そこから言葉

のつながりの部分を抽出するのですが、どの部分を抽出するかによって、言葉の頭でノイ

ズが乗ったりうまく繋がらなかったりしますので、そういった部分の調整に非常に時間が

かかりました。

そして、「データベースの調整には、結果的に5ヶ月近くかか」ったという 10。この「呪文

のような言葉」とは「スクリプト」と呼ばれる専用の歌であり、これが意味の無い「呪文」の

ようなものなのだという。ただ、これだと歌声の提供者に負担がかかるため、歌詞に意味のあ

る言葉を混ぜるなどの工夫が取り入れるなど、改良がほどこされて続けているという。このよ

うな過程を経て、ソフトウェアを通しての人間の声の再生が可能になったのである。

VOCALOIDについて、見逃してはならないもう一つの点がある。それは、人間の声の再生

だといっても、これが歌声に特化していることである。村上はVOCALOIDを「歌唱エンジン」

だと言っている 11。つまり、うたを歌わせることを目的にしたデータベースであり、ソフトウェ

アなのである。コミュニケーション論の細馬宏道は、VOCALOIDのキャラクターの一つ、初

音ミクの「声」を聞いて「母音部分に調整が注がれていること」に注目し、次のように述べて

いる。

つまり、初音ミクの声は、単に人間らしいおしゃべりをさせるべく育てられているのでは

なく、むしろ、メロディを育てるために、日夜調整されているということになる。この点

でも、育てられているのは「歌」だ、と言えるのではないだろうか。12

じっさい、初音ミク他のキャラクターをしゃべらせている例も見受けられるし 13、「2010 年

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2月に企業向けの提供が発表された合成エンジン『VOCALOID̶fl ex』では歌声だけでなく喋

りの表現にも対応している」14 という。つまり、VOCALOIDにしゃべらせるためには、それ

専用のソフトウェア(データベース)が必要だということになる。ここで取り上げるのは、あ

くまでもうたを歌わせることに特化したソフトウェアとしてのVOCALOIDである。

2 初音ミクという偶像

VOCALOIDが、若者を中心に広く受け入れられることになるきっかけには、歌声をPC上

で再現できるという画期的なソフトウェアであるからとともに、もう一つの重要な要素がある。

それは、ソフトウェアのパッケージに含められる「歌声ライブラリ」に付属するイメージキャ

ラクターの存在である。よく知られているように、その代表的な存在が、「初音ミク」である。

日本のソフトウェア会社であるクリプトン・フューチャーメディアが、2007 年にやはり独自

の「歌声ライブラリ」を付属してVOCALOID2 として発売したのが「初音ミク」であった。

これにサンプルの歌声を提供したのは、声優・藤田咲であった。だが、2008 年に発売された

Gackt による『がくっぽいど』のような例外 15 を除き、歌声サンプルの提供者は基本的には表

には出ない。あくまでも架空のキャラクターが全面に押し出されている。音楽学の増田聡は、

これに関わって次のように述べている。

虚構人格の現実化を「声」の操作を通して欲望する人々の愛着はどの身体へと差し向けら

れているのか?ソフトウェア『初音ミク』の音声データベースの素材を録音した声優、藤

田咲に対してではないことは明らかだ。現実の身体を持つ藤田咲と、〈初音ミク〉は別人

格として位置づけられているし、実際に両者の「声」は「異なる肌き

理め

」をそれぞれ持つも

のとして聞こえる。16

右の「異なる肌理」とは、ロラン・バルトによる概念で、音高、音韻、音価などに分節、還

元できない非分節的な声の質のことである 17。つまり、初音ミクの音声は、藤田咲の声のサン

プリングを元にしたデータベースなのだが、両者は基本的に異なるものなのだ。

しかし、クリプトン・フューチャー・メディアからVOCALOID日本語ライブラリ第一弾と

して「MEIKO」が、第二弾として「KAITO」が、すでにそれぞれ 2004 年、2006 年に販売さ

れていたが、初音ミクほどのヒットとはなっていない。サンプリング音声と、これを元にした

データベースという意味では、「MEIKO」、あるいは「KAITO」でも事情は同じだろう。これ

は、「MEIKO」「KAITO」がVOCALOID、初音ミクがVOCALOID2というソフトウェア上の

相違以上の問題があるように思われる。初音ミクのパッケージイラストを手がけたのは、KEI

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というデザイナーである。彼に依頼した事情を、クリプトン・フューチャー・メディアでサウ

ンドデータベース企画/開発を手がけた佐々木渉は、インタビューで次のように述べている。

絵師さんも重要なファクターでした。当時はpixiv(イラストの投稿・閲覧が楽しめる「イ

ラストコミュニケーションサービス」 のこと、引用者注)もなかったころで、とにかく

web上のリンクをどんどんたどって、ひたすら探しました。KEIさんは、萌え系風でもあ

りつつ、あまり萌え系のファンに媚びていない作風で、かといってアートでやっているつ

もりもなかった。そういうところがおもしろいんです。セクシャルな記号が強いと、引っ

張られる可能性が高いため、ミクに関してはできるだけそういった要素を弱めて、体温が

低そうな感じというか、どこか魂が抜けた人形っぽいイラストをイメージしていました。18

萌え系でもなく、アートでもない、正体のわからない「どこか魂が抜けた」姿を持つイラス

ト、それがVOCALOID2「初音ミク」のイメージデザインであった(図)。それを文章で説明

すると、次のようになる。

髪は青緑色、髪型はくるぶしまで届く長さのツインテールで、黒のヘッドセットを装着し

ている。衣装は襟付きノースリーブの上着にネクタイ、ミニスカートにローヒールのサイ

ハイのブーツ、黒を基調として所々に青緑色の電光表示をあしらっている。左上腕部には

赤色で「01」とキャラクター名をデザインしたタトゥー

が入れられており、数字についてはキャラクター・ボー

カル・シリーズで最初に発売された製品であることを

表す。19

その後にも、VOCALOIDには、同様の「キャラク

ター・ ボーカル・シリーズ」がいくつか生まれた 20 が、

初音ミクほどの人気を獲得していない21。佐々木氏は、

インタビューで初音ミクというキャラクターの特性に

ついて、さらに「人間を超えるというより、そもそも

人間と違うこと、人間になりきれなかった女の子であ

ることが重要だと思っているんです」22 と述べている。

これは、上記のようなキャラクター絵画としての初音

ミクに関わる要素も重要かと思われる。このことを明

らかにするには、他のVOCALOIDのキャラクターと

の比較など、象徴絵画としての研究が必要だと追われIllustration by KEI ©Crypton FutureMedia,INC.www.piapro.net

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るが、本稿では手に負える課題ではないので、ここでは、情報環境研究の濱野智史の「初音ミ

クにはある種の宗教的なアイコンに匹敵する、超越的な何かが宿っているとみなせるのではな

いか」23 という指摘を引くに止めておく。本稿が見定めようとしているのは、「うた」という

視点からであるが、これは、それにもつながる重要な指摘である。

3 ボーカロイド歌の表現

ここで、うた表現の基本的なあり方を確認しておきたい。

古代文学研究者の古橋信孝は、「文学の発生」について問うなかで、次のように述べている。

なぜ繰り返し文学の発生を問わなければならないのだろうか。おそらく文学がわれわれに

とって論じようとも捉え難い不可解さをもって迫って来るからにちがいない。それはわれ

われを未明の彼方へ連れさってゆく呪力を秘めている。それゆえわれわれはその不可思議

な力に心を委ねてまさに文学的な飛翔をすることになる。24

ここでは、うたを含めた、より広い「文学」一般に述べているように見える。だが、古橋に

とって文学の発生とは、これが収められた本のタイトル「古代和歌の発生」からもわかるよう

に、うた(古代和歌)の発生であった。とすると、右の「文学」を「うた」と置き換えて読ん

でもよいように思う。うたは「捉えがたい不可解さ」を持っており、それによってわれわれは

「未明の彼方へ連れ去られる」のである。そのようなうたの力を、その捉えがたい不可解さか

ら「呪力」と呼んでいる。

VOCALOIDによってもたらされるうた(以下、これをソフトフェア名と区別するため「ボー

カロイド歌」と呼ぶ)も、うたである以上、右のような要素、つまり、呪力を持つことが推測

される。これは、ボーカロイド歌を好んで聴く人々には、当たり前のことであるだろう。ボー

カロイドといううたに惹きつけられるから、これを彼らは聴き、歌うのである。その理由は、

ほとんど問題とならない。しかし、本稿では、この理由に少しでも迫ろうというのである。そ

のさい、古橋のうたに対する徹底した考察は、参考になる。少し回りくどいが、これについて

確認しながら考察を進めていきたい。

古橋は、人々の結びつきを前提とした集まりである共同体を前提に、うたが発生することを

述べている。共同体は人々が生活していくことの前提としてある 25。その共同体が成り立つ前

提として、次のように述べている。

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人々の共同体への幻想が同一であることを確認しないでは共同体は成り立たない。そこに

神しん

謡よう

が要求されることになる。……村を成り立たせるあらゆるものを共同体の外に疎外し

てそこからもたらされたと語る神謡が文学の起源である。26

共同体というテーマは、ボーカロイド歌との関係で次節に取り上げることにする。「神謡」

とは、古橋の用語で、共同体に同一性をもたらすうたのことである。ここでは、うたが「共同

体の外」からもたらされることを確認しておきたい。「共同体の外」とは、共同体の成員の手

の届かない場所であり、つまり、超越的な場所であり、そこにあると認識される存在を「神」

と呼んでもよい。うたとは超越的な神によってもたらされる表現であった。

その神謡とは、次のような表現の特徴をもつことばであった。

しかし神謡は絶対的な矛盾を持って発生した。神謡は神のことばや行動の叙事であるにも

かかわらず、人のことばに翻訳して語らねばならない。風の音や雲の流れ、神憑りした者

の発する音などを人びとに理解しうるように意味化しなければならなかった。しかも完全

に意味化してしまうと人のことばに紛れていまうから、神のことばらしい装いをもたねば

ならない。27

つまり、ことばが、「神の装い」を持つようになること。これこそが神謡のみならずうたと

いう言語表現の特徴であり、ボーカロイド歌に通じる重要な要素である。

逆の視点から見ると、これまでのうたが神の装いをもたなければならないのは、これを歌う

のが人だからである。だが、ボーカロイド歌は、人の声をサンプリングしているが、前々節で

も確認したように、それはすでに人の声そのものではない。人が無理をして神の声を装うので

あれば、いっそ人の声ではない方が、神に近づくことになる。つまり、ボーカロイド歌は、そ

の表現(声、音)の性質から神に近い表現なのである。じつは、ボーカロイド歌を作り、聴く

人々は、そのことを直感的に感じていると思われる。それは、「神」という言葉が彼らの間に

流通していることからもわかる。たとえば、再生回数が圧倒的に多い曲、つまり多くの人々が

好んで聴く曲を「神曲」と言ったり、そのようなすぐれたうたを作る人(プロデューサーとい

う意味で「P」と呼ばれる)を「神」だと呼んだり、VOCALOIDを用いて人の自然な声に近

い表現のうたを作ることを「神調教」と呼んだりする 28。

古橋は、神のことばの装いとして、いくつかの様式を取り上げている。そのなかで、ボーカ

ロイド歌にも通じるものは、次の二つである。一つは「旋律」、そして、「発声の仕方」である29。ボーカロイド歌の特徴を「旋律」だとするのは、音楽学的に厳密ではないかも知れないが、

すでに言及したように、その言葉の量の多さと速さがある。これは、普通の人ではうたうこと

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が不可能な領域までの表現が技術的に可能なのである 30。そして、これにも関わるが、もう一

つの「発声の仕方」も、人の声をサンプリングしているものの、声、音としては異質なものに

なっているということから、古橋の指摘する「発声の仕方」という要素に当てはめることがで

きるのである。つまり、ボーカロイド歌は、神のことばを装った超越的な表現、つまり、うた

なのである。これにより、これを歌い、聴く人々を「彼方へ連れ去っていく」のである。

4 うた表現の集中的な〈累積〉

すでに見てきたように、初音ミクという図像は、ある意味で超越的な価値を持ち、それはま

さにこの世のものではない存在として、この世界に降臨した聖なる存在、いわば神であり「天

使」31 であった。そして、そのうたは、神を装う様式、特徴を持つものである。では、そのよ

うなキャラクター、そして、ボーカロイド歌が、すでに述べたように現代の多くの人に受け入

れられた理由について、ここで再度考えてみよう。

古橋の論理のもう一つの重要な側面は、すでに触れたが、それは共同体という要素であった。

これを表現の側から捉えるさいの重要な概念として〈共同性〉というものが提出されている。

古橋はこれを提出する基本的な前提として次のように言う。「自分の心を覗いてみればだれで

も気づくように、個体は社会へ向かう心と個別に向かう心を合わせ持っている。」この両者は

矛盾するものであるが、これを次のように克服しているという。

そこでは共同的なものと個別的なものの矛盾は、個別的なものを共同体的なものに同化さ

せることで克服していた。言語表現としては、その村落共同体の始原、つまり村立ての時

に回帰して一体感を確認することで〈個別性〉と〈共同性〉の矛盾を克服しようとした 32。

表現における指向性として、社会へ向かう側面が〈共同性〉であり、個別に向かう側面が〈個

別性〉である。わかりやすく言えば、ことばの表現によって、人は、一人であると(〈個別性〉

を)感じる自分が、そうではない、つまり、他の人と一緒だと(〈共同性〉を)感じることが

できる、そのことによって、人は安心し、救われるのである。このような〈共同性〉が絶対的

な観念として現れた場合、それは神となる。古橋は、これを宗教音楽に例えて、次のようにわ

かりやすく述べている。

この〈共同性〉を高度に方法化したのが宗教音楽である。キリスト教の教会堂は音響効果

がじゅうぶんな工夫がこらされており、楽器や合唱によって作り出される特殊な、非日常

的な雰囲気をもたらし、それによって神の世に入っているような感覚を抱けるような仕掛

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けになっている。この宗教音楽の原理は、……神かみ

降おろ

し(神をその場に呼ぶこと)するため

の楽器と神のことばである〈うた〉である。〈うた〉によって個体は〈個別性〉から〈共

同性〉へ転移することができるのである。したがって、〈共同性〉とは極限的には神の世

界だということができる。33

すでに述べてきたように、ボーカロイド歌は神の声を装うものとしてあった。そうである以

上、人と人をつなぐ、つまり、右のように人々を〈共同性〉に向かわせる表現として機能して

いるのではないか。

ボーカロイド歌が爆発的に流行することになるきっかけをつくった動画投稿サイトであるニ

コニコ動画、あるいは、Youtube には、その動画を見た回数を確認できる「再生回数」という

仕組みがある。これを見れば、その動画がどれだけの人に見られたかが一目でわかる。もちろ

ん、同じ人が複数回再生することもあるだろうが、これも含めて、数万回といった圧倒的な再

生回数を誇るボーカロイド歌関連の映像は、すでに触れたが「神曲」と呼ばれる。再生回数が

多いということは、それだけ多くの人に見られ、そして、「知られている」ことを意味する。

これを古橋の用語で〈共同性〉と言っても良いかも知れない。聴く、あるいは、見るというこ

とは、そのうたを知っているということだからだ。再生回数はそれが「良い歌」であることを

保証し、さらに多くの再生、視聴を引き起こすだろう。そうなれば、一人が同じ動画を何度も

繰り返し再生することをも引き起こす。

学生とのカラオケで彼らが歌うのは、このような曲が中心であった 34。そして、さらに繰り

返し聴きたければ、映像データそのものを自らの端末にダウンロードし、携帯プレイヤーに保

存し、持ち歩きながら、個人がさらに何度も繰り返して聞くことになる。古橋は次のようにも

述べている。

知っているということが〈共同性〉でもあるのだが、知っているというのは、うたわれて

きた歌を聞いて覚えているという体験によっている。しかも一度聞いただけで覚えられる

わけではないから、何回か聞いているという経験の積み重ねのうちにその歌があるといわ

ざるをえない。したがって〈うた〉とは積み重ねによってあるということができる。

古橋は、この経験の積み重ねをうた表現の〈累積〉と呼んでいる 35。古橋はおそらく民謡な

どの民間の口頭伝承を念頭においている。だが、ボーカロイド歌の場合は、〈累積〉が短期間

に集中的に起きることに大きな特徴がある。動画投稿サイトにも、PCにも、そして、携帯音

楽プレイヤーにも曲の選択機能とリピート機能が付いており、好むうたを何度でも繰り返し聞

くことができる。このように、まさに、ボーカロイド歌を聴き、そして歌うことで、個人は「〈共

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同性〉へ転移する」のである。

ニコニコ動画などの動画投稿を中心に大量に見られるものとして、「歌ってみた」というジャ

ンルがある。これは、ボーカロイド歌を生身の人が実際に歌い、この音源や動画を動画投稿に

投稿するというものである。これなどは、これを視聴する人のことを考えれば、ボーカロイド

歌の〈累積〉をさらに集中的なものとするだろう。

5 バトンワークという共同作業

さて、前節で確認したボーカロイド歌の〈共同性〉ということ、これは、すでに完成され、

サイトにアップロードされた動画を前提としたものであった。だが、ボーカロイドには、これ

以前にも〈共同性〉の要素がある。

それは動画、うたが制作される過程において見られる「バトンワーク」と呼ばれる過程であ

る。それは、「ファンの創作物がインターネットの中でほかのファンクリエイターの手によっ

て新しいバージョンに作り替えられていくというファンクリエイションのスタイル」のことで

ある。具体的には次のような過程である。

曲先行の場合、「演奏インスト曲の発表」「歌詞の追加」「歌唱パートの追加」「動画の追加」

というようなそれぞれの作業が別々のクリエイターの手で進められる。詞先行の場合も同

様、「詞の発表」「曲の追加」「歌唱パートの追加」となる。時として動画が先行する場合

もある。36

右の過程をうたに関わる要素に限って見ても、「歌詞の追加」、「歌唱パートの追加」、「曲の

追加」など、最初に発表されたうたに、その後、複数の作者(クリエイター)の手が入ること

により、変化を遂げていく。言い換えれば、作品はつねに「未完成」37 だということもできる。

さらに、そのような過程で、動画投稿サイトなどインターネット上にアップロードされた作品

は、特別のものを除き、著作権フリーである。このような作品は、作者を含む視聴者たちに、

作品が、うたが共有されているという印象を抱かせる。

このような過程は、主に前近代の民間歌謡(民謡)や伝承童謡(わらべうた)といったうた

表現と似通っている。これらももちろん「誰か」が歌い始めるのであるが、その表現を聞き覚

えた人が自ら歌うさいにそれぞれのアレンジを加えてうたう。よって、そこには「類歌」とい

う表現上のヴァリアントが生まれる。この過程が続く限り、ここにもうたの完成は無い。ただ、

これが文字に記録されると、表現が固定され、これを完成と見なすこともあるが、しかし、こ

れを再度歌えば、また、ヴァリアントが生まれていく。ここにあるのは変化していくうた表現

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だけであり、その全体が複数の人に共有されることになる。もちろん、ボーカロイド歌の場合、

この制作に関わるのが複数の作者だとしても、もちろんそれぞれは正確に記録に残されている。

それがデジタルな記録の特徴なのであるが、そのことを前提に、作品が、うたがインターネッ

トを経て多くの人に共有されるのである。

このような共有には、すでに見た図像も重要な役割を果たしている。すでに、それが「宗教

的なアイコンに匹敵する」という濱野の言葉を引いた。オタク文化に象徴されるような、サブ

カルチャーの細分化と平行して起きた人々の共同体の分裂、細分化に対して、初音ミクは「仮

想的な身体」(その歌声も含めて、引用者注)であるがゆえに、この小さな共同体の断裂をや

すやすと乗り越え、これらをつなげる(ブリッジングする)のだと濱野は言う 38。彼はこれを

経済における貨幣交換に例えて次のように述べている。

いささか大仰かもしれないが、そこで起きているのは、マルクスの言葉を借りれば「共同

体の果てるところ」で生じる「命がけの飛躍」としての、貨幣交換と同型ということがで

きる。つまり初音ミクは、いまネットワーク社会における無数の島宇宙を〈跳躍〉する「貨

幣/資本」として、その原始的蓄積を着々と進行させているのである。39

ここで「原始的蓄積」に例えているのは、「注目の経済(アテンション・エコノミー)」にお

ける「認知(注目)」という富のことである。すでに述べたヴァリアントの生成、これを現代

的に言えば「二次創作」の継続は、この「認知」をさらに進めることになり、これにより、小

さなコミュニティ(島宇宙)をつなげることができるようになるのである。「認知」という意

味では、初音ミクというキャラクターは、VOCALOID2の「キャラクター・ボーカル・シリー

ズ」の嚆矢として、人々に最もよく知られていると言える。

フランス文学研究の中田健太郎は、初音ミクにキャラクターの主体性を見いだしながら「重

要なのは歌っているのがミク本人だという構えであり、その構えをわれわれがたしかに受け入

れている」ことだとしている 40。このようにして「認知」の高まった初音ミクに歌わせることは、

その作者にとって、前節の古橋の言葉を借りれば、作者個人が表現の〈共同性〉へ転移するこ

とになるのである。つまり、このようにいったん様式として成立してしまえば、初音ミクの声

を借りてどのようなうた表現も可能となる 41。じっさいに、動画投稿サイトには、オリジナル

曲から、賛美歌、演歌など、さまざまなうたを見ることができる。初音ミクの声を借りて、あ

らゆるものを歌うのである。「VOCALOID2」(初音ミク)というソフトウェアを使えば、どの

ようなうたを歌う(歌わせる)ことも可能になる。つまり、どのような個人の思いをのせてど

のようなうたを歌おうと、それは初音ミクのうたなのである。

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― 59 ―京都精華大学紀要 第四十三号

おわりに

本稿では、ボーカロイド歌が多くの若者に受け入れられている理由について考察してきた。

一般的に、日本における近代は、(村落)共同体が解体されていった時代だとされる。そして、

現代において、それは解体しつくされて、社会に放り出された個人は、嗜好を共有する人々の

集まり、つまり、オタクとして小さな共同体(島宇宙)を成すに至った。ボーカロイド歌は、

結果的に、そのような共同体を結びつける象徴的な存在となったのではないか。それが、本稿

の結論である。

これに、もう一つ、うた表現という問題からさらに付け加えると、携帯音楽プレイヤーの登

場があるようにも思われる。Sonyが 1979 年に発売したウォークマンは、自らの好む音楽、う

たを身に付けることを可能とした。そして、2001 年に apple が発売した携帯オーディオデジタ

ルプレイヤーの iPodは、その中に記録できる曲数を飛躍的に伸ばした。機種によっては、一

人の人間が身にまといたいと思う曲をすべて0 0 0

収めることができるようになった。その結果、こ

れを身につける人は、自らの好みの音楽、うたに常時0 0

囲まれていることが可能になった。

だが、本稿でも確認したが、うたはほんらい神の言葉を装うものであり、特別な言語表現で

ある。言い換えれば、神がこちらの世界を訪れる時にだけ、特別な場所でうたわれると言って

もよい。だから、特別な力、呪力を持つのである。だとすれば、これを常時それもどこでも聞

いていれば、それは特別なものではなくなり、呪力を失うことにつながるはずである。そのよ

うな中で、このように日常化してしまったうた表現への反動として、さらなる特別なうた表現

が求められていたときに、VOCALOIDというソフトウェアが、そしてそれによるボーカロイ

ド歌が登場したとは言えないだろうか。そのような中に、「歌姫」としての初音ミクは降臨し

たのである。それは、あたかも平坦な世界に神が要請されるように。

ボーカロイド歌が現代の「うた」として認められるのであれば、基本的な前提とも思えた「身

体性」は、実はうた表現の必要条件ではないということになる。ボーカロイド歌をうたたらし

めているのは、他者(神も絶対的な他者である)の声である。これこそが、うた表現の必要条

件なのである。このように考えると、ボーカロイド歌の登場とは、現代における新たなうたの

発生の様相を呈していると言えるのではないか。

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― 60 ― ボーカロイド歌考―現代におけるうたの発生をめぐって

後注

1 この論文を書くきっかけとなったのは、私が担当するゼミナール(テーマ「うた」)の学生たちの

発表を聞かせてもらい、これについての討論に加わり、さらにその成果としての 2012 年度の下記

の卒業論文、卒業レポートを読ませてもらったことにある。石橋竜太「同人音楽の世界」、大門由

季「初音ミクの可能性̶オンライン世界から広がるもの̶」、松井真理奈「ボーカロイドから見る

うたの可能性」、宮平夏未「音楽産業の新しい形態としてのボーカロイド ファンクリエイション

の神髄」。なかでも、松井の発表とレポートの、たとえば次のような意見「VOCALOIDと人間の

歌手は似て非なるもので、歌手の声はVOCALOIDには出せないし、また、VOCALOIDの声も

人間の歌手にはけっして出すことのできない声なのである」(p.11)や「ボーカロイド楽曲は

VOCALOIDにしか表現できない。人間のように色を持っていないVOCALOIDの声は、純粋な

非人間性を持つ声だ。」(p.15)は、この文章を書くうえで、直接の示唆を与えてくれたように思う。

そのことを明記し、感謝の意を表したい。

2 東京工芸大学による調査によれば、「2013 年 1月 28 日~ 1月 30日の3日間、音楽を聴くことが

好きな 12歳~ 39歳を対象に、『ボーカロイドに関する調査』をモバイルリサーチ (携帯電話によ

るインターネットリサーチ )で実施」した結果、回答の 1,000 名のうち「好きな音楽はボカロ曲」

と答えたのは、10代女性で4割であったという。この調査報告は、他にも興味深い結果を示して

いる。「ボーカロイドに関する調査」(http://www.t-kougei.ac.jp/guide/2013/vocaloid.pdf、2013 年

2月 26日閲覧)

3 以下は、とくに断らない限りは、Wikipedia の「ボーカロイド」(2013 年 3月 1日閲覧)の項目を

参照している。VOCALOIDそのものの詳細な解説を求める人は、こちらを参照されたい。

4 http://www.vocaloid.com/about/(2013 年 2月 23日閲覧)

5 実際には、「スコアエディタ」、「歌声ライブラリ」、「合成エンジン」の三つに分けることができる

(Wikipedia)。

6 田中雄二「初音ミクという福音̶VOCALOIDの半世紀̶」『ユリイカ』第 40巻第 15号(総特集

♪初音ミク̶ネットに舞い降りた天使)青土社、p.18。機械により人間の声を合成、再現する試

みの技術的な進展については、本論文(pp.18̶23)の冒頭に端的にまとめられている。

7 「ETV特集 音で描く顕治の世界̶富田勲×初音ミク 異次元コラボ̶」。実際には、「パ行、これだ

けしか (再現 )できなかった」と言っている。そして、「でも、今回、初音ミクがこれにかわって歌っ

てくれるんで、ひじょうに喜んでる」とも言っている。富田は、VOCALOIDにより可能になっ

たこの技術を、自ら作曲した交響曲に取り込むことを試みている。

8 田中雄二「初音ミクという福音」pp.19̶20。

9 Cackt「『がくっぽいど』を語る」『ユリイカ』第 40巻第 15号、p.44。

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10 村上昇(質問制作=冨田明宏)「『がくっぽいど』開発者に訊く 13の質問」『ユリイカ』第 40巻第

15号 p.47。

11 村上昇「『がくっぽいど』開発者に訊く 13の質問」 p.50。

12 細馬宏道「歌を育てたカナリアのために」『ユリイカ』第 40巻第 15号、pp.30̶31。

13 ヤマハの研究開発センターの音声グループマネージャーは「ボーカロイドで楽曲のなかの〝語り〟

の部分を表現されていらっしゃる方もいらっしゃいますし、初期の頃にはボーカロイドで落語を

されている方もいらっしゃいました。」(「〝歌声を創る〟システム歌声合成エンジン『VOCALOID』

開発秘話」スタジオ・ハードデラックス編『ボーカロイド現象』PHP研究所、2011 年 4月、p.41。)

と述べている。そして、歌(声)に限らず、「既存の芸術をなぞらえた使い方はあると面白い」と

も述べている。

14 Wikipedia。

15 2008 年 7月 13日、インターネットから発売される。興味深いことだが、Gackt に続く「歌手の起

用が難航したという」(Wikipedia)。それは、おそらく歌手という種類の人々が、アナログの肉声

にアイデンティティを持っているからであろう。

16 増田聡「初音ミクから遠く離れて」『ユリイカ』第 40巻第 15号、p.38。

17 増田聡「初音ミクから遠く離れて」p.38。ロラン・バルト「声のきめ」『第三の意味』みすず書房、

1984 年 11月 p.185̶199、参照。

18 「佐々木渉インタビュウ(聞き手、新見直)」『S-Fマガジン』第 52巻第 8号、早川書房、2011 年

8月号、p.51。

19 Wikipedia「初音ミク」(2013 年 3月 8日閲覧)

20 Wikipedia「VOCALOID」中の年表、参照。もちろん、「初音ミク」には、バーチャルアドルとし

ての身体的な特徴が、初めて設定された。

21 キャラクター・ボーカル・シリーズの中で、初音ミクが特にヒットした理由として、宮平は、発

売の 2年ほど前からSNS環境が整ったこと、とくに、初音ミクの発売の年(2007 年 1月 12日)に、

ニコニコ動画(β)のサービスが始まったことがあると述べている(「音楽産業の新しい形態とし

てのボーカロイド」p.43)。宮平によれば、初音ミク発売の 5日後の 2007 年 9月 4日に、ニコニ

コ動画に初音ミクを用いた最初の作品『VOCALOID2 初音ミクに「levan Polkka」を歌わせてみた』

が投稿されたという(p.45)。

22 「佐々木渉インタビュウ」p.53。また、内海洋(株式会社セガ/プロジェクトマネージャー)は「結

局技術の進化って感動を伴わなければ意味がない。たから、初音ミクのライブでも、参加してい

る全員が心を動かさなければ全然成功とは言えないと思う。そう考えると、ボーカロイドが人間

に近づくことが本当にいいかどうかはわからない。」と述べている。(『S-Fマガジン』第 52巻第 8

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― 62 ― ボーカロイド歌考―現代におけるうたの発生をめぐって

号、pp.60̶61。)

23 濱野智史「初音ミク、その越境するキャラクター的身体について」『S̶Fマガジン』第 52巻第 8号、

pp.84̶85。

24 古橋信孝『古代和歌の発生』東京大学出版会、1988 年 1月、p.1。

25 「人は共同体を成さねば生存していけないにもかかわらず、一人ひとりは別個の存在である。極端

にいえば、一人ひとりが理想とする共同体は異なるかも知れないのに、あたかも同じであるかの

ように幻想することで共同体は成り立っている」とする。(『古代和歌の発生』、p.2)

26 『古代和歌の発生』、p.3。

27 『古代和歌の発生』、p.3。

28 『ボーカロイド現象』(スタジオ・ハードデラックス編、PHP研究所、2011 年 4月)にも「ネット

の世界ではその活動や作品でリスペクトを集める存在を『神』と呼ぶ」(p.81)とあるように、現

代においては、ボーカロイドの世界だけでなく、ネットの世界も、こちら側の世界とは異なる世

界として認識されており、つまり、それは超越的な世界であり、神的な存在を認めやすい世界な

のである。

29 『古代和歌の発生』p.8。後者について、次のように具体的な例を挙げている。「祝詞は『微声(囁

くように小さな声)にてのる』ものだったし、求婚は『ヨバフ(大きな声で呼び続ける)』ものだっ

た。これも普通とは異なる発声によって特殊なことばであることをあらわす。裏声も、歓声や悲

鳴もそうだろう。」

30 「ETV特集 音で描く顕治の世界」では、VOCALOIDが曲の途中でテンポを変えられないことが、

冨田の交響曲を初音ミクに歌わせるうえでの技術的な課題となっていた。それは、技術者の努力

により克服され、テンポの変更が可能になった。カラオケで学生が好んで歌っていたのは、とて

も早いものだったことについては冒頭で述べた。

31 「佐々木渉インタビュウ」p.55。

32 古橋信孝『万葉歌の成立』講談社学術文庫、1993 年 2月、pp.39̶40。

33 『万葉歌の成立』、pp.41̶42。

34 一方で、「自分しか知らないうた」を歌う場合がある。それは、古橋の言葉で言えば〈個別性〉に

向かう表現だと言える。そのような曲をう歌うことにより、自分が人とは異なること(〈個別性〉)

を表現しようとしているのである。

35 『万葉歌の成立』、p.42。

36 『ボーカロイド現象』、p.68。

37 『ボーカロイド現象』、p.70。ここでは、「ディスニーランドは決して完成しない。世界に想像力が

ある限り」という、ウォルト・ディズニーの言葉が引用されている。

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38 「初音ミク、その越境するキャラクター的身体について」、p.86。

39 「初音ミク、その越境するキャラクター的身体について」pp.86̶87。

40 中田健太郎「主体の消失と再生̶セカイ系の詩学のために」『ユリイカ』第 40巻第 15号、p.195。

41 古橋は、「一定の様式を確率することは、その範囲内ではいくらでも〈個別性〉を表出してもよい

ことになる」(『古代和歌の発生』、p.10)と述べている。