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奈良朝の界風の記録では、

天平十九年の法隆寺資財帳に

「総色画

界風弐牒」、同じく天平十九年大安寺資財帳に「合界風壱拾玖牒机

」と見える。特に多くの記録の見えるのは天平勝宝八年

の東大寺献物帳に

「御扉風壱百四宜」として、その内容を記したもの

であらう。そこには「画界風廿

一畳、鳥毛扉風三畳、鳥画界風

一畳、

爽綴六十五畳、鵡綴十畳」と種類を記し、さらに各個について

山水画界風

一具両畳十二扇純一間一際附

釧-itk耐叫ん、純一味鰍…

F臥柑

措布袋。

「山水画界風」「駿皮革木爽綴庶風」とい

った類とともに、「大唐勤

政楼前観楽図解風」「舞馬界風」といったものなどが見える。これは

は和製のものか外来のものか不明ながら、異国の宮殿風景や夜遊の

風俗を描いたものなど、当時すでに多械な題材を描いた扉風があっ

た。

鳥毛立女扉風+ノ(扇脱カ)附畑町ハ肘十品、一献一軒、一側、爽…蹴純一似林釧作

などと詳細に記してゐる。この鳥毛立女界風や「鳥毛帖成文書扉風

六扇」などは正倉院に現存する。これによって奈良朝の扉風の様子

を考へでも大きな誤りはないであらう。

この献物帳に見える大部分の界風は、高さ四尺から五尺で、幅

尺八寸前後、

一折六面つまり

一隻六曲である。現代では

一折を

一隻

と呼んでゐるのが「

一牒」「

一畳」「一帖」などと表記され、平安朝

の記録類では「

一帖」にほぼ表記が統

一する。一

面は三扇」と記

され、

一帖は原則として六扇で、例外的に「古人画界風

一具両畳八

一馬」などと四扇のものもある。後世の春日権現験記には四扇の扉風

が見えるが、平安朝の扉風も記録に見えるところでは六扇が基本で

ある。また献物帳では

一帖で

一単位のものが大部分で、

二帖で一組

にな

ったものは「素画夜遊扉風

一具両畳十二一扇」などと「

一具」と

記されてゐる。東大寺献物帳の罵風百帖のうち二帖

一組のものは五

具である。平安朝では

一帖のみで独立したものは減少して、

一具が

基本単位であ

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さて

平安朝に入ると、前述のごとく単位の呼称の「畳」「牒」の表記が

見えなくなり「帖」に固定するが、中には「屍風二枚奉納僧恵済、細

布」(元慶七年、河内国観心寺縁起資財帳)「扉風の絵ことども多か

れど書かず、しるしばかりただ端の

一ひら」(落窪物語巻三)

など

と「枚」と呼ばれた例も見える。もっともこの「

一ひら」は扉風の

ことではなく、その扉風の歌を記録した草子の

一枚目といふことか

も知れない。「帖」は「延喜六年月次の扉風八帖が料の歌四十五首」

(歌仙本貫之集)「東宮初謁事:::東繭北第

一問弁北府一関立五尺

御扉風四帖」(親信卿記天延二

・十二

・七)などと

一般的な表記に

なる。ただし、「帖」について注意しなければならないのは、これが

扉風一隻をさず例ばかりではなくて、一隻のうちの一面を意味する

らしい次のやうな例も見えることである。たとへば「(道行朝臣)一不

帥中納言妻室消息、故左京大夫家賢後家界風六帖

一曲、先年被綴盗

取之由」(権記長保四

・三

・廿六)といふ記事は、六扇

一帖の扉風が

盗まれたことをいふかと思はれる。一

曲の扉風六帖が盗まれたと解

することは無理であらう。つまりこの場合の「帖」は一扇と同じで、

面を意味してゐるのであらう。「曲」の当時の用例は管見に入らない

が、ここは

一隻の意味に用いられてゐるとしか考へられない

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少し後世の例で「終日候御前、従院御方被奉扉風面十二帖、是成

尋阿問梨入唐之間路次、従日域及唐朝図絵也、尤有輿者也」(中右

この献物帳に見える聖武天皇遺愛の扉風の図様は、

多くの

2 界風と府:風歌•

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よむべきことを街示したとある。

歌を苦いれん色紙を貼るのが普通に

なったのは、紙日付風が一

般に行はれるやうになってからではないか

と思はれる。

れ、そこが空白になってゐたことを思はせる。色紙に書くのであれ

ば、内装や道長邸のものはともかく、自宅で書く場合があ

ってよい

であらう。勿論実物の絵や界風を見て、字配りや字体を考へる心要

もあったかと思ふが、まづ色紙に占いてからそれを貼

ったといふ確

実な例は管見に入らない。行成が依頼者のもとに出向くことのでき

ない場合には、日肘風が行成宅にとどけられてゐる。

〔長保三年正月九日〕朝日一、左府為使為義朝臣、被給四尺扉風

四帖、即喜色紙形、奉之。

いま

一つの例は、寛仁二年正月に行はれた頼通の大饗界風の例で、

これは色紙形の問題だけではなく、日付風歌の製作過程をよく示す多

くの資料が残ってゐるので、いささかふれておきたい。まづ正月廿

一日に大饗に

ついての雑事が定められ、日肘風については御堂関日記

一一一

日肘風と界風歌との関係を比較的よく知り得る資料が残されてゐる

のは、十世紀末ごろからである。色紙形については権記に多くの記

事が見えてゐる。

〔長保元年十月廿七日〕亦詣二朱殿、為虫回開肝風色紙形、

而依日

暮不虫田市出。

(廿九日〕於ニ粂殿舎鮮風。

〔三十日〕自内参西京、京日倭絵四尺界風色紙形故常則絵、

歌者

当時左丞相以下説之。

〔長保二年二月廿三日〕依召詣左府、主目寝殿障子色紙形本文。

〔十月十

一日〕日一参内、仰云、可書円ハU即先虫回東陶色紙形

到彼殿

書之。

〔長保六年正月廿六日〕心神難悩、依左府召詣、

御対面料四尺日付風四帖色紙形和歌。

廿

一日:::摂政、大饗料界風詩井和歌等被持来、被来与上達mn

部相定、按祭大納言

・四条大納言各詩五首、是皆上、の入、広

・為政・義忠

・為時法師等詩相定各両三入、不心吉有数、和

歌輔親

・輔ヂ

・江式部等各相定入之、多無心吉、我少々入之、

大納言

一首随有。

解読しにくい部分もあるが、以下のやうなことであらう。頼通が

扉風に窓口く詩歌を道長邸に持参し、参会の上達部とどれをとるか定

めた、斉信と公任の詩各五首は皆が上げたので入れた、広業・義忠

為時等の詩は二三首とることにした、感心しないものが多くあった、

和歌は輔親

・輔矛

・江式部等のものを相談して入れた、大部分は感

心しなか

った、自分の歌も少々入れ、公任の歌一首あ

ったのも入れ

ることにした、といふのである。栄花物語木綿しでの巻にもこの大

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一宮

〔四月廿ア臼〕詣左府、害対代障子色需形。

(寛弘元年九月廿六日〕参内:::書清涼殿御障子色紙。

〔十

一月五日〕今朝杏清涼南臨御障子色紙形。

これらの例の中には、「寄清涼殿御障子色紙」のやうな、あるい

は色紙に書いたかと思はれるものもあるが、

行成が色紙形を書く時

にはいづれもその日肘風または障子のある所へ出向いてゐる。これは

色紙に書いて貼

ったといふより、扉風に歌を書くべ

き部分が指定さ

4 界風と府風:飲

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のに基づいて九首以上の歌をよんだが、「これらが中に漁火と群鳥と

はとまりにけり」といふことになった。漁火の場面と松に鶴の群の

場面をよんだこ首が選に入

ったといふのだから、それ以外の場面は

他の歌人の歌がとられたことになる。

つまり同

一場面を二人以上の

歌人によませてゐた例とすることができる。

この「とまりにけり」を、その二首だけが不採用になったとする説

もあるが、その場合も事情は変らない。群鳥の場面については、「田

舎人の家の前の浜づらに松原あり、鶴群れて遊ぶ、二つ歌あるべし、

とあり」と記されている、作者は歌を指示通り二首よんでいる。こ

れは廃風の

ご扇に描かれてゐて、そこに色紙形が二つあ

ったのか、

それとも二扇にわた

って

一つの場面が描かれてゐたので、

二首の歌

が必要であ

ったのかは判らない。また、この「絵の所々書き出だし

たる」ものが、文章による説明なのか、日肘風絵の構図を簡単に写し

た絵なのかも不明である。その点を含めて、当時の扉風絵と界風歌

の関係を広く考へるについて参考になるのは、次にあげる円融朝に

作られた内裏扉風の例である。

拾遺集巻十六の

一O一四の歌に

円融院御時三尺

織がえをかりにきて折る人ゃあると野辺の霞はたちかくすかも

といふのがある。これは源順集にも「天元二年十月、依宣旨たてま

つらする御扉風のうた」として収めるこ十首の庶風歌群の中に、「春

の野のかすめるに、むめの花さけり、たかをすゑたるひとゆく」(書

陵部蔵御所本三十六人集本)といふ詞替で見える。これらによれば、

天元二年十月(西本願寺本などには「十二月のころほひ」とある)

に、円融天皇の命により十二帖の扉風が作られて源順がその歌を

者や家集および扉風そのものの他に、かうした形のものも関係して

ゐるのである。これには詩歌だけでなく、

一鮮風の構図といふか、詩

歌の素材にな

った風物も略記されてゐたであらう。

この大饗扉風の

詩は斉信

・公任が各五首、他の四人が両三首として全体で約二十首、

和歌は不明である。栄花物語によれば公任は二首、道長も二首以上

あった。輔親らの献じた八十首ばかりのうち、何首が採用されたの

かは知り得ないが、たとへば輔ヂの歌に

ついてみれば、この時の間俳

風の歌は輔罰ノ集に二首、後拾遺集に

一首、栄花物語に二首、万代集

に四首、後葉集に

一首の計十首、このうち重複が

一首あ

って九首を

ひろふことができる。ただし、これらは採用されたものばかりなの

かどうかは不明である。また、この時の漢詩と和歌は、同

一の画面

には凶かれたものであらう。この大饗扉風卜二帖はすべて倭絵師肘風で

あるし、漢詩だけの扉風がその中になか

ったとはいへないが、すで

に同

一画面に和歌と漢詩の色紙形があ

った例としては、藤原道兼の

(6)

粟田山庄障子絵が知られている。

寛仁二年の頼通大郷質問肘風の場合のやうに、歌の選定が公卿の合議

でなされるのは、大饗扉風のやうな特殊な場合のことであらうが、

一般にもさうした選定がなされたのか、またいつごろからの慣習な

のかは判らない。扉風歌を幾人かの歌人によませて、その中から適

当なものを選ぶといふあり方はすでに早くから行はれてゐたらしい。

これまでに知られてゐるのは蛸蛤日記に見える例である。

安和二年に藤原師苛ノの五十賀が行はれ、藤原頼忠から扉風歌を依

頼された蛸鈴日記の作者は、「扉風の絵の所々書き出だしたる」も

6 廃風と廃風歌

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のへのか寸みは伝か

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7 8 9 10 11 12 13

山吹の花さけり

5

やまぶきのはなのした水さかねども

みなくちなしとかげぞ

みえける

6

河風はさえむかたなみやまぶきの

ちりゆくみづをせきやと

めましま

つのきにふぢのはなか、れり、

たり)

(ゆく)

ゐたり、あるいはおりでみる

(む

おとこをんなむらがれ

住吉のきしの松こそおもほゆれ

てにさへか、るふぢなみの

花松かぜのをとにきh

つるふぢなみは

おりつ、かヘるなにこ

そありけれ

むらさきのふぢさく松の捕には

もとのみどりもみえずざり

ける

七月七日、女にはにおりでたなばたま

つる、

すいかいの本にたてり)

りてまがきのとにたたり

(をときで

あとこきた

ひこぼしのつまとはなしになにすとて

あまのかは霧いそぎ

たつらん

織女にけさはかしつるあさのいとを

らずや

よるはまつると人はし

あまのかはわたしもりにもなりにしか

たなばたつめにけふ

をまたせじ

なにしおへばかさ、ぎのはしわたすなり

(ママ)

やぬらん

わかるh

そでは猶

(はに)

えだ、わむやヘ山ぶきはさきにけり

D

ゐでのかはべをおもひ

やるかな

よきをんな、

ふぢのはなをもてあそぶところあり

ひと‘せははるながらにもくれなh

(〈)

ふまでも見む

E

はなのさかりをあ

ふぢのはなを人をる

ひきよせてまづこ・そたをれふぢのはな

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まだ見ぬ人に見せに

やるとて

G

すみよしのきしのふぢなみわがやどの

(つ)

ませのこずゑにいろ

もまさらじ

(まつりす)

七月七日、をんなにはにいて、たなばたまつるところに、

(まがき)

まらうどきてきのもとにたちやすらふ

としごとにたなばたつめにいのりつ、

H

おほくのあきをすぐ

しつるかな

ひこぼしをうらやむよひの秋風に

まがきのをぎぞ、よとこ

たふる

たなばたのあかぬわかれのゆ、しきを

今日もなどかはきみ

J

がきませる(警本ナシ)

(す、きある所におとこきたり)

(啓本舎入)

まねくをばなにまかせ

K

こぬ人をよびにもやらずわがやどは

てぞみる

8 扉風と扉風歌

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野に色々の花紅葉飲まがふ、

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18

しぐれかとおとろかれつ

、ふるもみぢ

るとそおもふ

むまにのれ・令人一行Jぐ、

池水に紅集散うかぶ、水

ωおり、

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入針のあいだにかりJるへあり。

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あさ携をわけゆくかりはないなれや

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20

いけのおもにうかぶもみぢのから錦

をしてふとりぞた

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ゐるらし

(おくりむかふ)

おそくかよふといそ

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はかもなきわがみにつもるとしつきを

ぐなりけり

この両者の詞書を比べると、同一の絵をさしてゐると考へられる

ところが幾つかある。まづ順集

3と兼盛集Aとが類似してゐるのが

認められる。順集の「たかをすえたるひとゆく」の部分は兼盛集の

歌に関係してゐないが、梅を見ている人はこの騰を据えた人なので

あらう。順集の

5の詞警は、「花の木の下で遊ぶ人々」と、「遣水の

ほとりの山吹」といふ二つの題材を含んでゐるのに、

56の歌は山

吹に関は

ったもののみである。この敬に対応する兼盛集の歌はDで

ある。しかしその前の

Cの詞書と歌は、どうも順集の「はなのきあ

またあるしたにひと片¥あそぶ」といふ画面と対応したもののやう

に思はれるのである。この

Cは拾選集巻十六の

一O四七にもとられ

てゐて、その詞書が「円融院御時三尺御扉風に、花の木のもとに人

々あつまりゐたる所」とあることもそれを証明する。もっともこの

部分の西本願寺本兼盛集の詞書は乱れていて、歌と対応してゐない

から、ここは書陵部本の詞書で考へるべきである。

ついで順集の

789は兼盛集の

EFGと対応してゐるのが認めら

れる。順集によれば、この画面は全体として「まつのきにふぢのは

なか〉れり」といふ風景で、その画面を構成する部分として男女が

その下で群れている所と、藤を折る人の姿とが描かれてゐたと考へ

られる。兼盛集では、それを二つの画面のやうに記し、順集でいふ

男女の群が「よきをんなふぢのはなをもてあそぶところあり」とい

ふ詞警にな

ったのである。ただしここは、順集のやうに

一つの場面

の絵を兼盛集が二つの場面に分けて記したのか、それとも兼盛集の

やうに二つの場面のものが本来で、それが連続した場面であったた

め順集は一つにまとめたのかは断定しにくい。さらに兼盛集は、一

つの場面ではあったが色紙形が二個所あったため、それぞれの色紙

形に対応した部分図を詞警にしたとも考へられるのである。その他

さまざまの場合を考ヘるべきであるが、この扉風が三尺といふ小型

のものであったといふ条件を考慮すると、その二扇の小さな画面に

多くの題材がとりあげられ、幾つかの色紙形があったとは考ヘにく

いので、やはり順集は各一廓の画面が連続した構図だったので

一つに

まとめたものであり、兼盛集は各一扇ごとにとりあげて詞警にした可

(7)

能性が大きいと思う。この時の間肘風は十二帖といふ規模のものであ

り、その具体的な構成は判らないが、夏だけでも一帖はあって、藤

花の風景が幾一扇にもわたってゐたと考へられるのである。これら順

集兼盛集に見える歌群がすべて色紙形に書かれたもの、つまりこの

扉風に採用されたものであるか否かは不明ながら、この藤花の場面

では兼盛集G順集9が拾遺集でまとめでとられてゐることからすれ

ば、少くともここは同

一場面に二首の歌が高かれた可能性がある。

勿論拾遺集が何を資料にしたのか、あるいは二首とられたとして、

それが同

一の色紙形にかかれたものか否かといったことによっても

事情は異る。

次の七夕の場面は、明らかに順集兼盛集が同

一の絵をきしてゐる

10 扉風と庶風歌

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景の展開するものであ

ったかと考へられる。

兼盛集Rに対応する場面は、順集では脱落したか家集に入れられ

なか

ったかであらう。

は次稿にゆづる。

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以上順集と兼盛集に見える同

一の扉風絵に関してよまれた扉風歌

l

たとへば片野達郎氏は、十一世になってから宮廷の祝賀の儀

式に扉風が新調されなくなっていったことが、国府風歌一般の衰

退につながったとされる(「平安朝扉風歌の消長」東北大学教

養部紀要一九号、昭

ω年3月)

小林太市郎「大和絵ま一旦第一篇山水扉風の研究等参照。

徳原茂実「扉風歌の具体相」(国語と国文学、昭日年6月)

には、四帖が

一具と呼ばれたとして西宮記に引かれた室礼の記

事をあげるが、これはむしろ二帖で

一具と呼ばれたことを示す

例である。なほ扉風の歴史的な概観は家永三郎『上代倭絵全皐

(改訂版七九頁l八二頁)にもふれられている。

この障子絵については秋山光和『平安時代世俗画の研究』参

を例にして、

日肘風歌の具体的な場におけるあり方を検討してきた。

各場面につ

いては他にふれておくべき点も多いが、

日肝風歌の場合に

は何よりも扉風との関係が具体的に判らないことにはいたづらに推

測ばかりを重ねることになる。その点ではこの円融院の十二帖の三

2

尺扉風は、

当時の扉風歌のあり方を暗示する部分が多い。しかしこ

3

の扉風も、

か、あるいはこれが何帖分の扉風歌であるのか、

十二帖がすべて前に検討したやうな月次扉風であ

ったの

また順

・兼盛の他

にも歌をよんだ歌人がいるのか等不明な問題も多く、

もこ

の二人の歌の理解もちが

ってくるであらう。

のそ絵れに に対よし ってて

よまれた順

・兼盛の歌が、

順の場合には絵の風景だとかその場の

4

般的な状況だとかをよんだものが多いのに対して、

兼盛の歌の場合

刀ロ目。

この彰子入内扉風については清水好子「扉風歌制作について

の考察」(関西大学「国文学」五三号)に詳しい考察がある。

熊本守雄「粟田山庄障子絵と和歌と漢詩|恵度集と江吏部

集l」(国語と国文学昭必

・7)参照。

前掲徳原氏の論文では、貫之集などに月次扉風で、異った扇

の画面が関連した構図で描かれていると主張してゐる。A7の場

合は同

一月の画面であるからこの可能性は高い。なお前掲家永

氏著書では、この順集の隠風を

一月

一帖の月次界風と考ヘられ

てゐる(八八頁)。

には

BFJKLPQなどのやうに特定の入物の心理に深く移入した

5

歌が見えるといふ傾向についても、

っと多くの同

一一府風について

よまれた歌を比較する必要があらう。各場面の解説中にもいささか

6

ふれておいたやうに、

順集に収められた扉風歌群や、

あるいは兼盛

集に収められた解風歌群のみからは予想し得ない側面が、

集をつきあはせることで明らかにな

ったとすれば、

二つ

の{家

7

日肘風歌や界風絵

の考察をする際に文献のみによることの不十分さを改めて反省させ

られるのである。

本稿では扉風と日付風歌の関係の基本的なものの

一部を述べ、以下

12 界風と扉風歌