座標とは何か?]; ニュートンはなぜ微分方程式を使 わないで...

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7 講 近世 天動説から地動説へ 7.6 再考 [座標とは何か?]ニュートンはなぜ微分方程式を使 わないでプリンキピアを著したのか? 前節で, 以下を書いた. ニュートンによる「プリンキピア(1687 年)」は, 科学史上最も有名な著作である. 力学の 三法則と万有引力の法則(=逆二乗則)から「ケプラーの三法則(惑星の楕円軌道等)」等 を導いている大著であるが, 初等幾何学を基軸として記述されていて, 現在の力学の教科 書のように微分方程式が使われていない. 微積分学を作り上げた張本人のニュートンが, なぜ微積分学を駆使してプリンキピア を著わさなかったのか? は不可思議としか言いようがないが, ニュートンにとっては微積分学法よりも, 天体の運行 法則の方が, 神の御心を知るという意味では, 大きいと言われたら, 反論のしようがない. プリンキピアを微積分学で書き換える仕事は, ライプニッツ, ベルヌーイ, オイラー, ダラ ンベール, ラグランジュ, ラプラス等に引き継がれて完成された. である. 7.6.1 座標とは何か? 座標の起源は知らないが, 下図 (地図) には経線と緯線が書かれていて, これは一種の座標なの だから, エラトステネスの時代には座標は使われていたのだと思う. また, 街並みが碁盤の目のような都市は世界中にある. 177 理系の西洋哲学史;哲学は進歩したか (KOARA 2018) 目次;

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Page 1: 座標とは何か?]; ニュートンはなぜ微分方程式を使 わないで ...ishikawa/KoaraWest/KoaraWest07_06.pdf7.6 再考 [座標とは何か?]; ニュートンはなぜ微分方程式を使わないでプリンキピアを著した

第 7 講 近世 – 天動説から地動説へ

7.6 再考  [座標とは何か?]; ニュートンはなぜ微分方程式を使

わないでプリンキピアを著したのか?

前節で,以下を書いた.

ニュートンによる「プリンキピア(1687年)」は,科学史上最も有名な著作である. 力学の

三法則と万有引力の法則(=逆二乗則)から「ケプラーの三法則(惑星の楕円軌道等)」等

を導いている大著であるが, 初等幾何学を基軸として記述されていて, 現在の力学の教科

書のように微分方程式が使われていない.

• 微積分学を作り上げた張本人のニュートンが, なぜ微積分学を駆使してプリンキピア

を著わさなかったのか?

は不可思議としか言いようがないが,ニュートンにとっては微積分学法よりも,天体の運行

法則の方が, 神の御心を知るという意味では,大きいと言われたら, 反論のしようがない.

プリンキピアを微積分学で書き換える仕事は,ライプニッツ,ベルヌーイ,オイラー,ダラ

ンベール, ラグランジュ, ラプラス等に引き継がれて完成された.

である.

7.6.1 座標とは何か?

座標の起源は知らないが,下図 (地図)には経線と緯線が書かれていて,これは一種の座標なの

だから,エラトステネスの時代には座標は使われていたのだと思う.

また, 街並みが碁盤の目のような都市は世界中にある.

177 理系の西洋哲学史;哲学は進歩したか (KOARA 2018) 目次;他

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7.6 再考  [座標とは何か?]; ニュートンはなぜ微分方程式を使わないでプリンキピアを著した

のか?

つまり,

• 座標とは,場所に住所を定めることである. もちろん, 住所を数値で定めれば,いろいろな

メリットが生じることは容易に推察できるだろう.

たとえば,デカルト座標では次のようになる.

もちろん, 数量的番地の決め方として,デカルト座標 ( Cartesian Coordinates)が唯一というわ

けではない. いろいろあるわけで, たとえば,次の極座標 (Polar Coordinates) もしばしば使わ

れる.

178 理系の西洋哲学史;哲学は進歩したか (KOARA 2018) 目次;他

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第 7 講 近世 – 天動説から地動説へ

たとえば, デカルト座標を用いれば,

[中心が原点で,半径が 1の円周] = {Pc(x, y) | x2 + y2 = 1} (7.1)

であり,極座標を用いれば,

[中心が原点で,半径が 1の円周] = {Pp(r, θ) | r = 1} (7.2)

である. いずれの場合も,

• 左辺 ((7.1) or (7.2))は幾何の言葉 (中心,半径等)で,右辺 ((7.1) or (7.2)) は代数の言葉

(x2 + y2 = 1, r = 1)

であることに注意しよう. すなわち,

(A) 座標を使えば幾何の言葉は代数の言葉に翻訳できる. したがって, 図形の問題を計算の問

題に帰着できる

である. この発見 (解析幾何の発見)はデカルトによるとされていて, デカルトがベッドに横た

わって天井を動き回るハエの運動を記述するために思いついたとされている. 座標の発見の歴史

を詳しく知っているわけではないが, デカルト座標はキリスト教徒エレサレム巡礼や十字軍の遠

征を介してギリシャ数学 (幾何)とアラビア数学 (代数)の融合の産物だろう. そして, すくなく

とも, デカルトは発見者の主要メンバー (フェルマーとか)の一人であることは確実と思う.

7.6.2 デカルト座標はデカルト哲学と関係するのか?

さて,

• ニュートン力学は微分方程式論, 相対性理論は微分幾何学とそれぞれ関係する. また, 量

子言語は作用素代数と関係する (cf. 文献 [KOARA 2018; コペン]).

ことは当然だろう. さて,

(B1) デカルト哲学はデカルト座標と関係するのか?

は愚問である. デカルト哲学は数学で書かれているわけでないので,

(B2) 1ミリだって関係するわけがない

が正解だろう.

179 理系の西洋哲学史;哲学は進歩したか (KOARA 2018) 目次;他

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7.6 再考  [座標とは何か?]; ニュートンはなぜ微分方程式を使わないでプリンキピアを著した

のか?

しかし,デカルト哲学サイドからすれば,「密接に関係している」と主張したいわけで, そうな

らば次の問題を追究したくなる.

(C)「デカルト座標はデカルト哲学とは密接に関係する」という理屈を屁理屈でもよいから捻

出せよ

である. 以下に,これについて考えよう.

デカルト哲学のことをよく知っているわけではないが, デカルトと言えば,やはり「我思う.

故に我あり」だろう. これの意味するところは, 様々な意見があるにしても, 「我の存在」であ

り,すなわち,

(D) 人間がいなくては, 何も始まらない.

ということなのだと思う. そうならば,地球の下図を見てもらいたい.

経度と緯度は実際には地球上に存在するわけではなくて, 人間が創造した言葉にすぎない. つま

り,円とか立方体は,人間がいなくても存在する. しかし,

(E)「我思う,故に我あり」で,さらに, 座標 (経度と緯度)は「『我』の産物」である

という意味で,「座標はデカルト哲学と大いに関係する」というストーリーも一考に値すると屁

理屈を付けることもできる.

♠サプリ 7.2. デカル哲学とデカルト座標は関係ないが, デカルトが大哲学者でかつ大数学者であ

ることに誰しも異論はないだろう. したがって, 世間が次のように受け取ったことは確かだろう.

• デカルトの数学は超一流なだから,デカルト哲学もすばらしいに違いない

である. ある対象を評価をする時に, それが持つ顕著な特徴に引きずられて,他の特徴についての

評価が歪められる現象のことを心理学ではハロー効果 (後光効果)と言うらしい. もちろん, デカ

ルトは両方とも超一流なのだから, デカルトには文句はない. 著者は哲学の部外者なので,無責任180 理系の西洋哲学史;哲学は進歩したか (KOARA 2018) 目次;他

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第 7 講 近世 – 天動説から地動説へ

に書くと,

• 哲学の分野では, 「数学」という小道具は抜群のハロー効果をもたらす

と思う. プラトンも「幾何学を知らざる者, この門をくぐるべからず」と言って, 数学のハロー

効果を利用したと言えなくもない. 最近の出来事としては,ソーカル事件 (知の欺瞞:1997)も,

「哲学者たちの数学コンプレックス」を揶揄したものだった. ソーカル博士は次を言いたかったの

だと思う:

(]1) デカルト,ライプニッツ以外の哲学者の数学力については,褒めたようなことを言わない.

この二人以外は, 数学を利用したハロー効果で大きく見えているという可能性を疑った方

がよい.

(]2) 著作に数学用語を交えてハロー効果を期待するならば,作者より数学力の高い読者には逆

効果になる. したがって, 数学のことを書くときは義務教育内の初等数学に限定したほう

がよい.

本書を哲学書と思う読者もいるかもしれないので,著者は上の二点に留意して本書を書いた.

7.6.3 デカルト座標はニュートン力学と関係するのか?

ここまでは余談で,今からが本番である. すなわち,

(F1) デカルト座標はニュートン力学と関係するのか?

である. もちろん,

(F2) デカルト座標はニュートン力学とは密接に関係する.

座標がなければ, ニュートンの運動方程式を立てることができないのだから, これは当然だろう.

しかし,

(G) ニュートン力学という物理法則は人類誕生前から成立していたはずである.

したがって,座標を使わずにニュートン力学を考えたいとニュートンは考えたと思うのは穿ち過

ぎだろうか? もちろん,座標の取り方に依存せずにニュートンの運動方程式が成立することぐ

らいニュートンなら知っていたに違いない. しかし, これが「微分方程式を使わないでニュー

トンがプリンキピアを著した」理由だと考えたくなる. 初等幾何ならば,人類誕生前から意味を

持っていたに違いないからである. 座標の取り方に依存せずにニュートンの運動方程式が成立す

ることのシステマティックな研究は, ラグランジュ (1736–1813), ハミルトン (1805–1865)等の

解析力学によって結実した.181 理系の西洋哲学史;哲学は進歩したか (KOARA 2018) 目次;他

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7.6 再考  [座標とは何か?]; ニュートンはなぜ微分方程式を使わないでプリンキピアを著した

のか?

♠サプリ 7.3. 上記のことは著者の憶測である. 事実を調べもしないで,「著者は何故妄想に走る

のか?」は当然の疑問だろう. 実は本書全体を通して,アインシュタイン=ボーア論争:

実在的科学観

(神の学問)

  vs. 言語的科学観

(人間の学問)

 

が主要テーマである. すなわち,

表 1.1 : 実在的世界記述 vs. 言語的世界記述

論争 � [実] vs. [言] 実在的世界記述(一元論・実在論; 測定無し)

言語的世界記述(二元論・観念論;測定有り)

a©: 運動 ヘラクレイトス パルメニデス

b©: 古代ギリシャ アリストテレス プラトン

c©: 普遍論争 唯名論 (オッカム) 実念論 (アンセルムス)

d©: 時空 ニュートン ライプニッツ

e©: 量子力学 アインシュタイン ボーア

ニュートンは実在的世界記述法の中心人物なのだから, (必要悪のような, または人為的なよう

な) 座標に基づく微分方程式を使いたくなかったと思いたい. ニュートンにとっては,

• 初等幾何学は神の数学で, 解析幾何は人工的な数学

だったというと言い過ぎだろうか?

182 理系の西洋哲学史;哲学は進歩したか (KOARA 2018) 目次;他