jnm...和のあるマチ づくりがテーマ 国 鍵 擶 鰐 藤 沢 町 長 は こ れ ま で...

11
0 6 1 l N o . B O 発行 羽幌町 編集 企画課企画調整係 盤②↑ 2 内線232 ‐-' Jnm \ゞ - - / / きん ~ # --- -- , # a - , メセ % = こぐ ] . たち , . ? 4 , . - J 4 , - - . r イ. - ÷ -- { ; 朝日小学校( 布施寿校長児童簡名 ) では ふるさ 育の環として 体験水田ふるさと農園 J を実施しましたが 門月ワ日 その収穫をう収 イシ ヨイ ! が同校で行われました この日は 児童のほかPTA かくね でも しいね 朝日老人クラブのぉ年寄りも参力o o 収穫した l5 将のも のうち俊梍をつきげました この後 児童たち による発表 会食 が行われ つきたてのもちをほ りながら の喜びをかみしめていました 町民憲章 今月の実践目標 文化 i - ツにしみ 明るい町にしま地域根ざしに芸術 文化創造 しまし

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縣06等二『1、ゴl鼻号

No .鬱 B O

■ 発行 羽幌町 圏 編集 企画課企画調整係 盤②↑2静 内線232

・‐‐ -'‐ J nm

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」 ぼ湊ききん

          

                    

       

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朝日小学校 (布施寿校長、 児童簡名 ) では、 ふるさ

と教育の一環として、「体験水田 」 と 「ふるさと農園 J

を実施しましたが、 門月ワ日、 その収穫を祝う収穫祭ヨイシ ヨ 、 ヨイシ ョ !が同校で行われました。 この日は、児童のほかP T A 、

汗かくね、 でも楽しいね 朝日老人クラブのぉ年寄りも参力oo 収穫した l5将のも

ち米のうち俊梍をつき上げました。 この後、 児童たち

による体験発表や会食が行われ、 つきたてのもちをほ

おばりながら、 収穫の喜びをかみしめていました。

町 民憲 章 今月の実践目標文化を高め、スノiく- ツに親しみ、明るい町にします 地域に根ざしに芸術、文化を創造しま し ょ う

Page 2: Jnm...和のあるマチ づくりがテーマ 国 鍵 擶 鰐 藤 沢 町 長 は こ れ ま で 「 和 と 思 い や り の 町 政 」 と い う こ と を 言 っ て こ

藤沢繍糜大いに語る

来春の道議選に立候補するため、

十一月七日をもっ

て町長を退職

された藤沢前町長。

昭和五十年に町長に就任以来、

三期十二年にわ

たっ

て町政のかじ取り役を務めてこられた藤沢氏に、

三期十二年の

歩みを振り返っ

てもらい、

思い出多いでき事やマ

チづくりのビジョ

ン、

そして今後の抱負などを語っ

ていただきました。

〈聞き手〉

北;矧道新聞社羽幌支局

岡本支局長

 

 

萌者イ

記タ

刊田

幌玉

羽児

ムス社

 

 

【記者固

今H(七臼)付け

で退職される訳ですが、

在の心境をまずお聞か

せ〈

    

【町長…やはり、

感鑑賀里と

言うか、

長い

ようで短か

たなとい

う感じ

ですね。

轌駝者]二期十三年の

町政

を振り返ると、

色々

な出来

事なりがあっ

たと思い

ます

が、

いかがですか。

賞町長】一番の

思い

出は、

やはり羽幌川の

切替え事業

でし

うね。

れは、

羽幌

新港の建設とい

う町民世論

を集約し

たプロ

J

トだ

ら、

是が非でも完成させ

たい。

かし、

そのために

は地権者の協力を得て、

川用地の土地買収をしなけ

ばならない

訳だが、

れが

非常に難行し

まして

ね。

結果的には尹年ずれ込む

形で計画が進んだけれども、

三年ずれ込むと事業計画自

体がご破算になるとい

う危

機感もあっ

て、

H夜、

説得

飛び回っ

たものです。

激しい

町長選の後だけに

色々

と苦労もし

まし

たが、

それだけに

思い

出深い

もの

があります。

それから、

国鉄羽幌線に

は、

魔術とい

う残念

な結果に至っ

たこ

とに、

任を痛感するとともに、

内の

皆さんに

お詫びをし

と思っ

ます。

ただ、

の問題につい

は、

それ

なりの

政治的背景があっ

て、

政治の

裏舞台を色々

と見せ

もらっ

たこ

とは、

私自身

にとっ

は得難い

体験をし

たと思っ

ます。

また、

水産、

農業に

は、

国家的な保護政策が

除外されつつある中で、

うやっ

町の基幹産業を守

行くかとい

う大きな問

題があります。

どこ

の自治

体に

も共通するテ

だが、

もう少し展望を切り開い

て、

後継者にバ

チし

かっ

たと思っ

ます。

観光開発にも力を入れた

が、

思うような成果を上げ

るには至りませんでした。

期間を要するこ

とでもあ

るが、

現代人が求める観光

イメ

ージ

をつかみ切れな

たという反省もあり、

今後に

期待をするとこ

ろで

  

それか

ら、

地域の交通体

系整備にも力を入れて

来た

とこ

ろだが、

まだ、

その

若い

たばか

り。

管内町央

空港、

大塩山系縦貫道路、

高規格道路とい

たプロ

トがあるが、

部会と結びつけ、

過疎地

良さと部会の文化との

点を求めて

行くか。

また、

そうし

た中で地場産業の

興と観光の新し

要素とに

とうやっ

結びつ

けて

行く

か、

一村“品運動とか

らめ

大事にし

たか

たテ

ですも

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和のあるマチ

づくりがテーマ

国鍵擶鰐藤沢町長はこ

れま

で「和と思い

やりの町政」

とい

うこ

とを言っ

られ

たが、

町政執行に

あたっ

の基本的な理念をお間かけ

ください。

囲鬮長』町政執行に

あたっ

の私の

最大のテ

ーマ

は、

「和のあるマ

チづくりL

あり、

町民が連帯感を持っ

て、

一致団結し

事にあた

るとい

う風土をつくりたか

たとい

うこ

とです。

それは、

過去の

過列な̂政

ほんろう

争に

町民が翻弄されて

来た

とい

うこ

との深い

反省によ

  

  

るもの

であり、

また、

羽幌

町の

信用失墜を回復しなけ

ればならないという背景が

あっ

たからです。

どうやら二期八年かけて、

信用回復を成し

遂げ、

三期

目には胸を張っ

歩けるよ

うになりまし

た。

また、

民憲章の

制定によっ

て、

や思い

やりとい

う実践課題

に取り組めたこ

とも、

大き

な喜びでし

た。

うして、

土台づくりは

できたと思うが、

の遺産

を長く残し

ほしい

とい

のが私の

願い

でもあります。

レにぁ‘'・‘′′毯ドー、r℃"きし、'ルト代でさく 

マチづくりの

はン

呵記者M藤沢町長は文化に

理解の

深い

町長だと思い

すが、

「文化のマ

チづくり」

とい

うような、

旦ハ体的なマ

チづくりのビジョ

をお聞

かせください。

【町長蛔私は、

「文化とは

個性である」

と考えるの

が、

文化的な、

つまり個性

的なマ

チづくりの

拠点とし

て、

羽幌川切替え跡地の利

用を考えた訳です。

例えば

郷土博物館や体育セ

の建設といっ

た具体的なマ

チづくりを、

そこ

に集約さ

せたかっ

た訳です。

㈱齪番三港を中心としたマ

チづくりに

つい

も、

よく

発言されて

ましたが、

点につ

はい

がです

  【酊長三時代環境も変わり

ましたが、

私が町長に就任

た当時は、

日ソ

国交回復

もあり、

日ソ

貿易の時代が

近く到来するとい

う見方が

ありました。

そこ

で対岸貿

易という夢を港に託した訳

だが、

そうした状況にはな

りませんでし

た。

かし、

今後も港湾づく

りの構想は変えずに、

機能

重視の

投資に

方向転換した

港づくりを進めて

行くべき

だと考えて

ます。

寳齪醤霊福祉につい

は、

管内でも先取りした形で進

んでいる町だと思い

ますが、

の点はどうですか。

回町長曙

高齢化社会に対応

した老人福祉対策とい

う面

では、

管内でも進んでい

と思います。

福祉行政の残

された最大のテ

ーマ

は健康

であり、

保健対策の推進に

今後は力を入れるべきだと

考えて

ます。

ジ、

交通体系の整備が E

地域振興のカギ 、

鉤謳檻鮎藤沢町長は管内の

総合開発期成会の

会長も務

めて

られた訳ですが、

内の懸案事項の

実現に

も力

を注がれたとい

うこ

とで、

管内の地域振興につい

のようにお考えですか。

轉町長≦基本的にはき交通

体系の

充実を視点に据えて、

さまざまな産業基盤の整備

を図っ

くとい

う考え方

です。

管内はご承知のよう

細長い

地形に

あり、

総合

的な振興を図るには陸路、

さらには空路とい

た交通

体系の充実が不可決だと思

ます。

また、

企業誘致につい

は、

地理的に

も不利な条件

にありますから、

企業誘致

に奔走し

た過去の経験から

言っ

も、

外に頼らない

地場産業の育成を図るなど

の自助努力をすべきで、

力でマ

チづくりを進めると

いっ

た姿勢が求められて

るで

う。

それから、

公共事業です

が、

れが管内の地域経済

どれだけ効果的に波及し

たかとい

う点も疑問です。

産業基盤を整備するとい

う投資ではない

ため、

地域

の産業構造を変革するまで

には至りませんでした。

後、

れをどう克服するか

が大きな課題になると思い

ます。

鰤謝\

【記者鬮もう少し

で新町長

が誕生する訳ですが、

後任

の町長に

託したい

ものがあ

りますか。

貧町長髻やはり、

新し

想と行動力で、

町政をリー

- 3 -

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ドし

いっ

もらい

たい

思い

ますね。

それから、

トーとし

「和の政

治」

は、

できれば継承し

もらい

たい

ですね。

そうす

るこ

とが、

対外的にもこ

町の評価を高め、

印象を良

くするこ

とにつ

ながると思

うからです。

 

 

㈱舵擶圓今後の抱負などを

お聞かせください。

鬮町長綱地域の住民が何を

考え、

何を望んでい

るのか

を知り、

それを道政に

反映

させるこ

とが、

私に

課せら

れた新たな使命だと考えて

ます。

そのためには、

ず管内の各町村の住民が

を考えて

るのかを、

お聞

きし

たい

とい

うこ

とです。

幌延問題をどう思うの

か、

農業の減反問題や水産業の

深刻な状況を、

どうやっ

打開し

いっ

たら良い

のか、

そうし

た地域住民の声を広

く聞く中で、

私の

政治姿勢

も固まっ

来ると思い

ます。

確かに、

一道議の力には

おの

ずと限界があります。

かし、

一歩でも理想と

するとこ

ろに近づける努力

をすべきだし、

また、

地域

住民と道政とをつなぐパイ

プ役とし

て、

一政治家の役

割を全うしたい

と考えて

ます。

  

買記者綱幌延問題に

つい

は、

どうお考えですか。

【断孃圓

決し

好ましい

ととは思っ

ません。

原発を容認したからに

は、

それなりの姿勢が道民に求

められるでし

うが、

なぜ

幌延かとい

うこ

とについ

は、

時間をかけて

道民の考

え方を確かめて

もらい

たい

と考えて

ます。

地域住民

や道民の

考え方を抜きにし

走り出し、

政治的テ

として

扱われて

るのが実

態で、

そこ

には地域住民の

意思の村度が無視されて

ます。

基本的には、

放射性廃棄

物は原発施設内で処理すべ

きだと思い

ます。

また、

うした素朴な考え方が政治

に反映されるべきだと思い

ます。

   

 

搬第焼魔地区は 11月 28門 )

岡卿

ん赫

愈地⑳顫もも脅

群′′・、

が認められて

ます。

ような場合に

は、

ろい

ると手続きが定められ

ますので、

詳し

は羽幌町選挙管理委員会

(羽幌町役場内

篝②ー2

ーI)へご相談ください。

- 4 -

不在者投票の期間

不在者投票の

できる期間

は、

告示日から投票日の前

ロまでと定められて

おり、

十一月二十五□か

ら二十九

日までとなります。

ただし、

天売・

焼尻地区

の人は投票日が十一月二十

八日のため、

不在者投票の

できる期間は二十五日か

二十七日までの三日間とな

ります。

期間中の

不在者投

票は、

毎H午前八時三十分

から午後五時まで、

町選挙

管理委員会

(役場四階、

売・

焼尻地区は各支所)で

行っ

おります。

なお、

今回執行される羽

幌町長選挙に投票できる方

要件は次の

とおりです。

一、

年齢要件

昭和四十一年十二月一目

までに生まれた方

二、

住所要件

昭和六十一年八月二十四

月以前から羽幌町に住所を

有する方

、つ

藤沢町長辞任による羽幌町長選挙が鮒月25日告示、 竹月 30日投票の日程で執行されます。

この首長選挙は、 町政の未来を決める重要

な選挙です。 私たちの意思を行政に反映させ

るため、 一人ひとりが自覚を持って参政権を

し、

使る

棄権はやめて

選挙は、

「投票用紙L

う一枚の紙によっ

行わ

れますが、

そこ

は、

参政

権の

行使とい

う重要な意味

が込められて

ます。

投票日には、

棄権するこ

となく、

自覚ある一票を投

たい

ものです。

投票当ロ、

仕事などで町

外へ旅行する人や病気・

産などで投票所へ行けない

人には、

「不在者投票L

認められて

ます。

また、

身体に一定の範囲の重度の

障害が

ある人に

は、

自宅や

現在する場所で投票ができ

る、

郵便による不在者投票

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爽篭賞

o

範育賞激獲る

昭和六十

年度の町文化賞・

体育賞、

並びに文化連盟及び体育協会の各贋受賞

者がこのほど決定されましたC

表彰式並びに受賞祝賀会は十一月七日、

中央公民館に多数の関係者が臨席して

行われ、

受賞者の栄誉をたたえました。

以下、

受賞者の功績をご紹介します。

き“

 

法務衣

な霧

町文化賞

角谷

儀夫氏(鋭歳)

オロ

太鼓の会発足当

初か

ら、

物心両面にわたる

絶大な支援を続け、

後援会

の発足と同時に

会長に

就任、

太鼓の

会の

活動に大きく貢

献されまし

た。

また、

「北海道太鼓まつ

り」

「鬼太鼓座及び鼓竜の

公演」

の企画・

実現、

内灘

町及び平村との

文化交流に

大きな役割を果たすととも

に、

町づくりは文化振興に

あるとの信念の

もと、

本町

文化の

進展に

大きく寄与さ

れまし

た。

町体育賞

清水

氏(鋭繊)

昭和一‘

r八年、

羽幌剣道

連盟結成以来、

常任理事、

指導部長などを歴任。

自ら

研鑽努力するとともに青少

年の

指導に

情熱を傾け、

多の優秀な剣土を輩出され

まし

た。

の間、

中体連剣道大会

で全国大会に四回出場、

道青少年剣道錬成大会中学

生の

部で三年連続優勝の

業を達成。

また、

本町のス

ポiッ

振興に

も情熱を傾け

られ、

町体育指導委員とし

本町の

ポー

の進展に

大きく寄与されまし

た。

文運功労賞

圈三浦

氏(燈礒)

昭和五軒三年、

羽幌町文

化連盟の

事務局次長に

就任、

以来八年間に

わたっ

活躍。

間、

民話の

編集に情

熱を注ぎ、

五十九年八月、

「羽幌の

民話」

を完成。

た、

六十年六月には沼田曜

一の「民話の

世界」

を企画.

公演するなど、

本町文化の

向rに

大きく貢献されまし

た。文

運奨励賞

土屋

ヤエさん(留歳)

民謡の心を愛し、

三十八

年間の長きに

わたっ

研鑽

努力を重ね、

各種民謡大会

で優勝。

また、

その

豊富な

経験と技量を生か

愛好

者の指導にあたり、

羽幌民

謡下島会の

発展に大きく寄

与されまし

た。

西田

氏(60歳)

剥製愛好者とし

会の設

立に

尽力し、

昭和五十二年

一三

月、

羽幌剥製愛好会を設

立。

以来、

会長とし

十年

間に

わたっ

会の発展に貢

献されました。

また、

町文化連盟の理事

として、

本町文化の振興に

大きく寄与されまし

た。

吉中

安民氏(斑歳)

大津九年こ

ろ、

石川県内

灘町か

ら移入し、

昭和三十

年以降中断されて

た加賀

獅子舞の

復活に奔走。

昭和四十九年、

羽幌神社

祭典にその

勇壮な姿を再

現して

以来、

本町の

香り高

郷土芸能とし

て、

その

成に

大きく寄与されまし

た。

斉藤

氏(製

歳)

明治二十九年、

富山県平

村から本町平地区に

入殖し

た先人が、

心の支えとし

平越中獅子舞。

氏は小学生

のこ

ろか

らこ

れを愛し、

の芸に長するに

及んで、

和五十一年、

保存会々

長に

就任。

以来、

本町の

香り高

郷土芸能とし

て、

その育

成に

大きく寄与されまし

た。

沢鬮

由喜氏(雛

歳)

昭和二十五年、

花木会設

立以来、

盆栽部長、

会計な

どを歴任し、

会員の技術の

向rや町の

美化運動に

寄与

されまし

た。

また、

町文化連盟の

事務

局次長として

も活躍され、

本町文化の

発展に

貢献され

まし

た。

界ボーツ振興圓

清水

道彦氏(41歳)

本町在住九年間の長きに

わたっ

て、

町バレ

ボール

連盟の

事務局長、

理事長等

を歴任。

間、

審判員の

育成、

愛好者の

拡大、

少年

団の

育成などを図り、

連盟

の発展に

大きく貢献されま

た。

また、

ケiト愛好者の

拡大に

も努めるなど、

本町

のス

ポー

振興に

大い

力されまし

た。

圏溝辺

弘之氏(幻蔵)

昭和六十一年度全道青年

体育大会陸上競技大会の

段跳で、

管内代表として

加し、

優勝されまし

た。

圏菅野美善さん(盤歳)

昭和六十一年度全道青年

体育大会陸主競技大会の走

幅跳で、

管内代表とし

加し、

優勝されまし

た。

スポーツ奨励賞

村上

健君(露

歳)

昭和六十一年度全道中体

連柔道大会(軽量級)で優

勝の栄に

輝き、

羽幌柔道連

盟創立以来、

初めて

全国

大会出場を成し

遂げました。

5

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蓑能まつりなど多彩に

  

    

多くの町民の期待を担っ

誕生した中央公民館。

の落成を祝うオープン

記念

事業が十月二十六日、

およ

そ五百人の町民を集めて

催されました。

のHは、

小雨まじ

りの

悪天候に見舞われましたが、

館内は詰めかけた大勢の

民で熱気ム

ン。

まず、

藤沢町長ら六氏によるテ

プカ

トとくす玉削りが行

われ、

会場を大ホ1ルに移

開館式を挙行。

式典では、

藤沢町長が、

「管内に

誇る中央公民館の

落成を機に、

文化活動

により一層の

息を吹き

込み、

文化を高めると

う町民憲章に

ふさわ

く、

名実ともに文化

の殿堂とし

の施設に

高めて

かなければな

りません」

とあい

さつ。

また、

来賓とし

腐し

た森町議会議長、

斉藤留萠支庁長も祝辞

贈り、

式典を盛り上

げまし

た。

続く芸能ま

つりでは、

トッ

を切っ

オロ

太鼓の

会が勇壮な

バチ

さばきを披露

すれば、

筑子唄保

存会も華麗な神楽

舞を初公開。

さらに、

今年二

月に結成された町

民吹奏楽団が熱演

の初舞台を披露す

るなど、

中央公民

館の

オー

プン

を飾

るに

ふさわしい

民芸術の

競演とな

、りました。

芸能まつり後半は、

小野

花子・

須藤圭助一座に

よる

民謡シ

が、

また、

午後

六時か

らは会場を町体育館

に移して

の祝賀パー

が行われまし

た。

祝賀パー

ーでは、

羽幌町出身の

歌手.

中村あきらさんをゲ

トに迎えて

歌謡とダン

の宴が催され、

中央公民

館の落成を祝う大勢の町民

でにぎわい

まし

たり

            

心弾ませ 恒霊園国

難騨鰍最飛騨解題、繊

麗 翻 そ 、蝨繊麗 老夫 縦 ら規兆興拷ま塑學母- もご分ニミ囚巡婁 ひ 勢中 謡 き 町 祝 l 町 だ 座 は

轉療劉蠣覇翳群覊彎議癪騨翹酵窿の 央 と ん 出 賀 テ 体 に 、

嚢嚢酵 群 生 ・‘ 莞爾 、

、′ 発 て、 町 公 ダ を 身 パ イ 育 午 よ 小

民 氏 ン ゲ の l 袖 館 後 る 野

今年で三年日を迎えた町

民芸術祭が、

オープン

した

ばか

りの中央公民館を主会

場に、

十一月一Hから三ロ

間に

わたっ

開催されまし

た。今

年の

展示部門は、

写真、

書道、

絵画、

菊花など十誘

部門に八百七十九点の作品

が出陳され、

訪れた町民の

目をたんの

うさせて

くれま

た。

また、

うち俳句、

短歌など七部門に

つい

ール審査が行われ、

入選者の表彰式が三H、

労青少年ホー

で行われま

たち

も増

        

     

   

- 6

一方、

舞台部門は、

真新

中央公民館ホー

ルを会

場に、

二R午後六時に

開幕。

会場には、

ざっ

と五百人

観客が読めかけ、

例年に

ない

盛り上がりを見せる中、

六団体がロごろの練習の

果を披露。

中央小児童によ

る筑子踊と神楽舞のス

を皮切りに、

オケ愛

好会、

H舞愛好会、

羽幌民

謡会、

ちい

ーラ

ス、

幌歌手会の各サー

ルが、

次々

と見事な舞台芸能を競

い、

訪れた聴衆を心ゆくま

で楽しませて

くれまし

た。

Page 7: Jnm...和のあるマチ づくりがテーマ 国 鍵 擶 鰐 藤 沢 町 長 は こ れ ま で 「 和 と 思 い や り の 町 政 」 と い う こ と を 言 っ て こ

講ぜゞ

 

  

来春の

道議選に立候補を

予定し

る藤沢町長の退

庁式が、

十一月八H、

役場

庁舎で行われまし

た。

藤沢

町長は十一月七日付けの

退

職願をすでに町議会に

提出

して

おり、

六日の

町議会臨

時会での

承認を受けて、

のHの退庁式となっ

たもの

です。

退庁式は、

大勢の職員が

参列する事、

職員を代表し

押之見助役が

「今後は管

内の発展のためにも、

ぜひ

目的の完遂に

むけ、

健闘を

;藤沢町長退庁式 l

お祈り申しLげます。

我々

職員一同も町長の

意を体し、

町発展の

ため職員一丸とな

努力い

たしますL

とあ

さつ。

続い

て、

女子職員代表か

ら花束が贈られ、

目頭を熱

くし

ながらあい

さつに

立っ

た藤沢町長は

「押之見助役

の激励のニ言

葉に、

胸中深い

感慨を覚えて

ます。

皆さ

んに

うして

見送られて

るの

も光栄と思っ

ます。

思えば十三年の

町政の中で、

混乱し

た可が一つに

まとま

り、

町とし

の信頼を回復

できたこ

とは、

私にとっ

大きな喜びです。

羽幌川の

切替え五事とい

う大事業も、

一年遅れだが軌道に乗るこ

とができ、

懸案の中央公民

館の

完成もみるこ

とができ

ました。

ただ、

残念なのは

国鉄羽幌線であり、

政治力

無力さを痛感させられま

た。

それか

ら、

町民を主

人公とする私の

政治姿勢に、

皆さんもよく応えて

くれ、

うれしく思い

ます。

今後も、

町民と一丸となっ

たマ

チづ

くりを進めて

ください。

た、

私の

新たな使命につい

は、

多くの

町民が望んだ

とであり、

ご理解をい

だきたい」

と感無量の思い

で述べ、

万雷の拍手を浴び

ました。

の後、

一階ロ

ーで職

員が見守る中、

藤沢町長は

「十二年をともにし

きた

哀感」

を込めて、

一人ひと

りの職員と固い

握手を交わ

し、

最後は、

万歳三唱のエ

ール

を浴びて

庁舎を後にし

ました。

◎あいさつ

演歌の心、 た っ ぷりとしし閑

  

 

 こ

N H K ラ ジオ rひ る の散歩道」 の公開録音

が11月10ロ、 中央公民館大 ホ ー ルに 川中みゆ

き、 神野美佳、 松原のぶ え の 3 人の ゲス ト歌

手を迎 え て収録さ れ、ホ ー ルを埋 め た L OO O人

熱唱 ノキー坊ライ フ

キ ー坊こ とを肝正樹の ラ イ ブス テ ー ジ が11

月 8 月、 中央公民館大ホ ー ルで行われ、 詰 め

かけた 800本の聴衆を魅了 し ま し た。 聴衆は

20代か ら 30代 に かけてが圧倒的で、 若者 に 根

強い人気があ る こ と を物語 っ てい ま し た。

圓図図図図圓

回図回回国図

の聴衆を楽 し ま せてくれ ま し た

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衡豪鬱曼攣者濃豪る

廳繍醤閲人

警備著8人

町では毎年、

「羽幌町表彰条例」

に基づき、

町勢の進展に寄与された方、

また公益のため多額の寄付をされた方を表彰しています。

今年度は、

自治功績はじめ三つの分野に十四名の功績者と三名の善行者が

選ばれ、

受章の栄に治しました。

表彰式並びに受章祝賀会は十一月五日、

同福祉センターにおよそ百九十名の関係者が臨席して行われ、

受章者の栄誉

をたたえました。

以下、

受章者の方々の功績をご紹介します。

};

#  

圓 圓 圓

自治功績

 

  

      

昭和十五年、

統計調査員

任命され、

以来五斗五年

退任までの

四十年間、

農業

経営の

かたわら国勢調査、

農作物調査、

農林業セ

など各種統計調査に尽力。

昭和園十七年には、

統計

功労者とし

北海道社会貢

献賞を受賞されるなど、

計業務に貢献されまし

た。

浜本

武一氏(“歳)

昭和四十七年か

ら現在ま

で、

羽幌町固定資産評価審

査委員会委員とし

在職さ

れ、

固定資産評価の

適正公

平化に

寄与されまし

た。

また、

羽幌町特別土地保

有税審査委員とし

も活躍

される

など、

町税の課税事

務適-止化推進に貢献されま

た。

野村

芳一

氏(範

鐵)

羽幌町農業委員会委員と

て、

昭和四十五年から五

十九年まで

十四年間にわ

たっ

て、

地域農業の体質強

化や農地の流動化の推進に

尽力。

また、

羽幌町農業協回組

合理事等の要職を歴任する

など、

地域農業の振興に大

きく貢献されました。

圈石川長太郎氏(“歳)

昭和二十年、

消防界に身

を投じ

以来、

四r有余年

にわたっ

郷土防災に情熱

を傾注。

とに、

昭和五十四年、

天売消防団長に就任されて

らは、

地域消防力の強化

推進、

防火思想の普及に

力を傾注、

消防体制整備に

貢献されまし

た。

野趣喜一

郎氏(銘

歳)

馴十年間の氷きに

わたっ

て、

焼尻消防団員とし

域防災に

尽力。

昭和五十閾年団長昇任後

は、

都下団員の指導・

統率

に非凡な才能を見せる一方、

消防施設の

整備強化、

防火

思想の普及にも貢献されま

た。

百瀬

三郎氏(銘

颪)

十九年の

永きに

わたり、

羽幌町職員とし

職務に精

励され、

町の産業発展及び

自治の

振興に

大きく尽力。

特に、

昭和四十七年に

業試験所が開設されて

から

は、

所長とし

特産品の

究に没頭され、

「ねばり長

イモL

を開発。

今では安定

た特産品として

定着する

など、

地域農業経営に

貢献

されまし

た。

蓑谷

宗次氏(鯰繊)

三十年の、氷きにわたっ

町職員とし

職務に精励さ

れ、

庶務課長、

民生部長、

収入役などの

要職を歴任。

の間、

天士元村及び焼尻

村の編入合併、

羽幌炭鉱の

閉山処理と数多くの

難問に

対処き

豊富な経験と旺盛な

責任感をもっ

次々

に解決

されるなど、

地方自治の

興に

大きく貢献されまし

た。

圈搬・

大村長一

廓氏

昭和三十三年、

羽農町役

場土木主任とし

任用され

以来、

退職されるまでの

二十三年余りにわたり、

木課長、

建設課主任技師を

歴任。

土木・

建築関係業務

一筋の道を歩まれ、

技術職

中枢とし

活躍、

町の発

展に

貢献されまし

た。

強力

一彰氏(鎚顱)

昭和二十八年、

羽幌消防

本部消防士として

任命され

以来、

.

貫し

消防体制

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野越喜一郎氏

浜本 武一氏 故 ・ 更科見〉幸雄氏

の充実に

意を注がれ、

私設

消防団の

公設化、

婦人消防

隊の

編成などに尽力。

とに、

昭和四十七年、

消防長に

推挙され、

懸案の

苫前以北六力町村に

よる消

防組合創立に

千腕を発揮さ

れるなど、

消防力強化に貢

献されまし

た。

嬢@

丹野

重男氏

昭和二十四年、

羽幌町消

防士に

任命され、

五十五年

退職まで三十一年間の氷き

にわたっ

て、

住民の生命と

財産の被害防止に尽力。

氏の現場活動に

おける勇

猛果敢、

沈着冷静な行動は、

関係者の

信望を集め、

四十

七年羽幌消防署長に昇任、

地域防災に大きく貢献され

ました。

塵轢耽緘

 

          

羽幌町土地改良区総代、

理事とし

二十年間在職。

道営ほ場整備事業に

協力

されるなど、

近代的農業基

盤の整備に

尽力されました。

また、

羽幌町農業共済組

合監事などの

要職を歴任、

幅広い

活躍で地域農業の振

興に

大きく貢献されました。

大原

正雄氏(鍵戴)

昭和三十四年から羽幌町

森林組合組合長及び理事と

在職。

地域の

森林造成

苗畑事業の

拡大などに尽力

されまし

た。

特に、

昭和五十…年には

羽幌・

苫前の

両森林組合の

合併を実現。

合併後は留萌

中部森林組合組合長とし

て、

組合の経営安定と地域林業

の振興に貢献されまし

た。

三浦

光吉氏(“歳)

昭和三十五年、

夫充漁業

協同組合の監事に

就任、

来理事を経て

組合長理事と

て、

組合経営基盤の確立

や漁民の

生活安定に尽力さ

れまし

た。

特に、

浅海資源の

厳正な

管理や増殖事業に意欲を燃

やす一方、

周年漁業の確立

に努めるなど、

漁業経営の

安定と離島漁業の振興に大

きく貢献されまし

た。

撒竇@

支化功績

圏山川甚之覊氏(先議)

大正十二年、

加賀獅子が

羽幌の

町に

移入されるとと

もに、

初代棒振りとし

躍され、

以来}貫し

加賀

獅子保存に尽力されました。

特に、

昭和四十八年には

加賀獅子保存会の

結成を成

遂げ、

町の文化財とし

指定されるなど、

郷土の

化振興に大きく貢献されま

た。

土田宗次郎氏 次 

 

   

圓圓鬮

角谷

儀夫氏(錠藏)

昭和六十一年七月十一日、

公益の

ために

と町に多額の

寄付をされ、

地方自治の振

興.

発展に貢献されました。

圏道北羽幌生コン工業(株)

昭和六軒年二月十四日、

中央公民館建設資金とし

多額の

寄付をされ、

文化施

設の整備に

貢献されました。

力氏

(郷蔵)

昭和五十八年二月、

羽幌

港に

幼児が転落。

れを救

うため、

我が身の

危険も顧

みず海中に飛び込み、

幼児

を救助されまし

た。

の勇

気あふれる行い

は、

町民の

模範とするとこ

ろです。             

角谷 修夫氏

  

′偽な

修今 力氏

轡猯眥

    

大原 正雄氏

山川甚之丞氏

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ま し ょう。

砂銀行 な どか ら 多額の現金を引 き

出す と きは、 二人以上で行くよう

に し ま し ょ う。

診車両を離れ る と きは、 必ずエ ン

ジ ンキ ー を抜き取り、 ド ア ー ロ ッ

ク を しま し ょ う。

参舌先三寸のうまい話 に は或わさ

れないよう に し ま し ょ う。

滲暴力 に は泣き寝入りを し た り、

見過 したりせず、 すぐに警察に届

け出 ま し ょ う。

交通遺児奨学生

交通遺児奨学制度は、 道内の高

等学校及び高等専門学校に進学又

は在学す る 交通遺児の中から奨学

生を採用 し、 将来社会に貢献しう

る 人材を育成す る こ と を目的 と し

てい ま す。 奨学金の貸付を希望さ

れ る 方は、 下記の要領で申 し込み

ください。

1、 対鰈醤

人 o謳鬮鬮いぶし銀の輝き

調停役として、文化人として、

裁判所の調停委員を務め、

「似

(汐見

沿革誌」

し』

数々

粉争解決に

心血を注い

“動を行っ

る。

我がマ

チの

に塗善泣凝り務め蝶

を発刊するなど、

幅広い

著作活

 

         

 

         

化の草分けでもある坂口

さんの

今後の活躍に期待したい。

渡辺智榎さんら歌人仲間とあり、

そみ短歌会を結成。

また、

町文

化連盟設立の立役者の一人でも

あり、

同連盟の十周年記念誌

「羽幌の文化L

を主筆。

最近で

ま、

「似軽巣

(汐見)沿革誌」

を発刊するなど、

幅広い

乍活

章の喜びを語る坂口さん。

昭和三十七年一月から六十年

十二月までの

二十四年間にわた

て、

旭川地方裁判所・

同家庭

ミ ら 入 り こ 数 問 裁 っ 十っ 、 ら 々 題 判 て 二て 時 れ の 、

、 に た 粉 交両 は C 争 通

と 泣 解 事を っ い 決 故説 く た に 、

B み り ば・ 土り 心 土

   め 注 いい い なた で ど

な 軸ど 婚

 が くた りい し

こ たと とで い

せろと が受 本

句 人会 と とを し り主 て わ宰 の けす 足 目る 跡 をか で ひた あ くわ る のら o は

  

      

               

侶w長

蹴縦千金と言っ

たとこ

るだろう0

 

     

 

             

藤…旭蝦援助費

於ほ駝計脂歓畭ま妬舩端整麻勲ミ

レ^

 

に鰯褒

務め緩

分野に

わたっ

て、

精力的に活

躍されて

きた姿がうかがえる。

、 荒 、 え 的 ど を と故 磯 文 る に 幅 こ

・ 俳 化 o 活 広 な な

動 を は 「 あ 化 そを 発 、 羽 り 連 み行 刊 「 幌 、盟 短っ す 似 の 同 殻 歌て る 軽 文 運 立 会い な 巣 化 盟 の をる ど (o 、汐 を我 幅 見 主が 広 ) 筆

I マ い 沿 o

チ 著 革 最の 作 誌 近文 活 」 で

幸い" 等年賦 (無利子)           、 も 、 ′

交通事故によ っ て保護者を失 っ lP 書類審査の

た遺児又は重度後遺障害者の子弟 ミ 6、 囃し込み

で、 普通奨学生は、 道内の公 ・ 私 h 蛔期限

立高等学校及び国立高等専門学校倭

に 在学 してい る 者、 入学奨学生は"上記の学校に 入学す る 者を対象 に !、' 晒

します。

2 、 鍵学金

幅普通奨学生

圃入学奨学生

・ 私立高校

月額 1万円

入 学時に

 円

 15万円 ミ

蛔期限

・ 入学奨学金 入 学時

の 普通奨学金 随時

圃申 し込み ・ 問い合せ先

出願書類希望の方は下記あて に

申 し込みくださ い。

〒060 札膊姑市中央区北 l条西 5丁目 (日 本赤十字会館内)社団法人 北海道交通安全推進委

員会 毬011一221 6666

今月の

書類審査のみ

9 公立高校及び国立高専10万円 ls、 寓嬢人興

嵯普通奨学生 60名 r

嵯入学奨学生 30名

亀、 返還

最終学校卒業 1年後10年間の均

話題作ゑ ““         

き ①花園の迷宮 ・ 山崎洋子 ・講談社1 ,000円

②冊か ら 落ちてきた天使 ・ 赤川次

郎 ・ 講談社 680円

⑨函館駅の殺人事件 ・西村京太郎

光文社 680円

④特急 「おき 3 号 」 殺人事件 ・ 西

村京太郎 ・ 講談社 680円

⑤日 本は こ う変わ る ・ 長谷川慶太

郎 ・ 徳間書店 1 ,200円

⑥仕事儲け人儲け ・ 吉田忠雄 ・ 大

和出版 1 ,250円

⑦カ チ ン カ チ ン体操 ・ うつみ密土

里 . 扶桑社 700円

⑧忠臣蔵 (上 ・ 下) ・森村誠一 ・

朝 日 新聞社 各 1 ,400円

⑨ま っ し ろ な窓 ・ 赤川次郎 ・ 文芸

春秋 680円

⑲魔性菩薩 (上 ・ 下) 夢枕獏 中羊

伝社 690円

- - .情報提供は長谷川書店一- -

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薹 行 事 予 定 - i 雛雛費翳翻そ巡様回 圓

25 0 26日参児童療育巡回相談 ・ 児

童会館

26 日 診年末調整説明会 ・ 共同福祉セ ン タ ー

27 ・ 28日参保育所 ・幼稚園児イ ン

フ ルエ ン ザ予防接種 ・ 道立羽

幌病院

圃 回1 ~ 6 日診離島歯科診療 ・ 天売研

修セ ン ター

1 ~ 10日診冬の交通安全運動1 ~ 鋭日診歳末防犯運動

砂歳末たすけあい運動

2 ~ 8日診愛してます北海道 「羽

幌の物産まつり 」 ・ 札幌三越

デ/ゞ ト

5 日歩年金相談 ・“役場

8 日参股間節脱臼検診 ・ 道立羽幌病院

8 ~ 13日惨離島歯科診療 表亮尻研修セ ン タ

9 日 診高齢者大学 ・ 児童会館

10日鰺小学校入学対象児健康診断

児童会館

17 日 勝三種混合予防接種 ・ }首立羽

幌病院20 日 彬心配ごと相談 ・ 勤労青少年

ホ ~ ム

建物を解体したときは

建物 (住宅 ・ 車庫 物置 稀内属

工場 ・ 倉庫 ・ 店舗 ・ 事務所な ど )を解体 した と き や、 所有権の移転

を し た と き は、 必ず役場税務課へ

解体届出書又は所有権移転届出書を提 出 し てくださ い。 届出を し な

い場 合は、 そ の ま ま課税さ れ ま す

ので ご注意く ださ い。

ま た、 建物を新 ・ 増築 し た と き

も同様 に 届出を してく ださ い。

なお、 登記申請を し た 場合に は

まだ失敗が多くて

!・で

も、

家庭

な雰囲気の店なので、

楽し

く働い

います」

と屈託なく話す高木さん。

「私、

商売が

生に口っ

っよ タ

う バ て

羽幌町れ土共編紐協議会

合わせくださ い。

ス ピー ドは控 えめ に

降雪期 に な る と、 視界不良や路

面凍結 な ど道路環境がロー 日 と 悪

化 し て き ま す。 運転者も歩行者も

事故 に 合わない よ う、 次の こ ごこ

注意 しま し ょ う。

運転者のみなさんへ

圏気象の変化が道路状況を変え ま

す。 と っ さの時 に も事故を避け る

こ と ができ る よ う に、 ス ピ ー ドを

落 と して余裕あ る 運転を し ま し ょ

  

圏積雪 ・ 凍結路面での ス リ ッ プ事

故の増加が予想 さ れ ま す。 ス パイ

ク タ イ ヤ の過信は禁物、 車間距離

も夏道の二倍以上は と りま し ょ う。

圓夕暮れ時 に は、 歩行者や対向車

の発見が遅れがち に な り ま す。 〒‐

め点灯を して事故を防 ぎ ま し ょう。・

圓11月護 H か ら、 一般道路での シ ;

- トベル ト着用が義務づけ ら れ ま

し た。 運転者も同乗者も シ ー トベ

ル ト着用を習慣化 し ま し ょ う .

歩行者のみなさんへ

高木紀恵う。・ 19歳

4 月から リ カ シ

ョ ッ プ ・ カクイに

勤務、 新しい看板

娘です。

圏道路を横断す る と き は、 信号機や横断歩道のあ る 場所を選んで、

安全をよく確かめてか ら横断 し ま

し ょ う。

團夕方や夜の外出に は、 夜光反射

材を身 に つけ る など、 運車云者に 目

立つ服装を心がけま し ょ う。

年の瀬 に な る と 人の心もせわ し

くなり、 そ のす き をね ら っ て ス リ

やひ っ たくり、 詐欺な どの犯罪が

多く発生 します。 犯罪や事故を な

く し て明 る い歳末を送 る ため、 次

の こ と に 気をつけ ま し ょ う。

診ち ょ っ と の留守でも必ず戸締り

を し ま し ょ う。

勝夜間無人と な る 会社、 事務所な

ど に は現金を置かないよ う に しま

し ょ う“

砂人込みの中では、 ス リ に注意 し

ニューフ ェイス登場

どんな味 っ て聞かれたら

羽幌は親し

みやすい

チですよL

優 羽 グ

し 幌 「 やく は 遊 ボほ 親 ぶ ;は し な り笑 み ら ン

ん や 都 グで す 会 をく い 、 楽れ マ 暮 し

ま チ ら んし で す でた す な い

番困りますねL

と明るく笑う。

休日は、

若葉マ

付きの

愛車・

     

「 や ブ ズ 体遊 ボ 0 キ 日ぶ ; 旭 ア はな り 川 ル 、

         都 グ 札 を 葉会 を 幌 聡 マ、 楽 な っ ]

暮 し ど て ク

ら ん で 、 付ず で シ 友 きな い コ 達 の

う ま ッ と 愛田 す ピ ド 車舎 o ン ラ .

こ コ 気れ に が、 し し

ど ろ ま

   

熟 し、

が 「 まし 私 す

       、 し し 私 す 園 失 仕ど ろ ま 、 」 気 敗 事ん 、 す 客 と の が をな 味 o 商 凧 店 多 始味 が で 売 託 な く めて〉 わ も が な の て てて か 、 性 く で : 七               闘 ら お にか な 酒 合れ い に た〉

る で し て

の し ろ るが よ つ

し て 木 く 、 な

楽 で 月し も にく 、 な     

い 庭とナて 的 ど

」 ↑!-