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I BIJUTSU F O R U M 21 VO L. 19 115 「隠喩としての漆蒔絵:蒔絵研究の現在が示唆する可能性」『美術フォーラム』第19号 醍醐書房 2009年5月30日 115119頁 115 I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19

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Page 1: l 隠聡としての漆蒔絵aurora/pdf/090530inyutoshiteno.pdf · インドのオランダ東インド会社の記録には、インドのム l ・ジャハ l ン用命の、狩猟のた

近代工芸

稲賀繁美

海外で日本の漆警はいかに受容されてきたのか。それを文

化交渉史の視点から大づかみに捉え直してみたい

。文化交易

の往還のなかで育まれる形

世代を超えて変貌を遂げるその

軌跡からは、そこに関与した人々の利害や美意識が浮き彫り

にされる。

さらに交易と相互交流のなかから、漆という媒体を

通じて、関与した文化の特性が研ぎだされる。それは時として

螺銅細工の透かし模様よろしく、その底に煙く異国の偏光と

なり、時として蒔絵のように、半透明の漆の皮膜のなかに蒔か

れて浮かぶ金粉と化して舞う。漆の塗装や蒔絵の技法のうち

に、文化触変の生態を形容する、すぐれた隠輸を見ることもで

きるのではなかろうか

接着剤・塗装剤としての漆

隠聡としての漆蒔絵

蒔絵研究の現在が示唆する可能性

漆は大別して、接着剤あるいは塗料として利用される。

接着用漆には澱粉やグルテンを混ぜる。塗料として使用す

る場合には、採取した生漆(キワルシ)を撹持し(ナヤシ)、水分

を除去する(クロメ)工程が必要となる。

この工程を経て透明

の飴色となった透漆(スキウルシ)に水酸化鉄を加えて漉過す

ると、鉄の酸化作用により黒漆ができる

硫化水銀(朱)を加え

て練り上げれば朱漆となる

。漆の特性としてよく知られるの

紫檀に比べて漆家具が遥かに軽量だったことにも顧客は気付

いたことだろう(加藤NOON一戸l印)。

南蛮漆器の規格と意匠

海外輸出に用立てられた漆器は、南蛮漆器と紅毛漆器とに

大別できよう。『日本史』の編者として知られるイエズス会宣

むしろ湿度八

O%以上の環境において酵素反応が進み、酸素

は、水分が蒸発して乾燥する、というものではないことだろう

一教師、ルイス・フロイスは日本滞在中に朱塗りの棺や十字架な

どを作らせたと記しており(一五七七年)、このあたりに南蛮

と重合することによって固形化し、強固な膜を形成する

比較

的熱に強く防水性・防腐性に優れるが、乾燥に時間がかかり、

皮膚に付着するとカブレを起こし、扱いに熟練を要するため、

機械的な量産には適さない。また直射日光下では紫外線によ

って徐々に変色を起こし、平均湿度が四

O%を下回る低湿環

ウルシノキはヒマラヤ山麓のブ

l

タンから東南アジア、中国

漆はウルシノキEEω

〈のEEPS

から採取する樹液だが、一境下に長期置かれると、静割れを起こすことがある。これには

胎(木地)が乾燥によって収縮・破損する場合と、漆の塗膜その

南部を経て、台湾・日本列島に生育する。漆の使用は古く、北海

道南茅部町・垣の島B

遺跡出土の副葬品は九千年以前の縄文

早期のものと報告されている。漆は照葉樹林帯の文化を特徴

づけるが、台湾やヴェトナムの漆はハゼの変種

EEωω己ののめ1

(】OHHOmwから採れるラッコl

ルESo

一、タイ・ミャンマーの漆

は通称「黒木」冨巴go

Fogc巴55

から採れるチチオl

F50

一を主成分としており、ウルシオl

ルcEωEo-を主成

分とする中国・韓国・日本の漆とは組成が異なる

ものに乾燥による亀裂が生じる場合とがある

高温湿潤の環

境で育った漆は、乾燥気候とは相性が悪いようだ(鈴木

Nog-

-∞lN白)。

以上は、漆に関する常識的事柄だろうが、欧州にあっては黒

色で艶のある塗料がながらく不在であったことが、大航海時

代以降、漆への関心を高めた一因であるようだ

十六世紀にア

フリカやマダガスカルの航路が開拓された時期には、欧州で

は漆が黒檀と混同された痕跡も、史料から窺える。

だが黒檀や

漆器の始まりを見るのが通説のようである。ポルトガルやス

ペインの来航者たちが発注した「南蛮漆器」でもっとも典型的

なのは、引き出し箪笥の扉を前に倒して机として用いる「書箪

笥」と、蒲鉾形の蓋がついた「洋橿」。ともに従来の日本には存

在しない形態の家具だった

その特徴としては、黒漆の地に、

金の平蒔絵と螺銅とが組み合わされて、模様が隙間なく描か

れていることが指摘される

平蒔絵とは、その名のとおり、乾燥する前の漆のうえに粉末

状の金銀を撒き散らして絵を描く

。漆の乾燥後、絵漆の部分に

研磨を加えて、表面を平坦に整える技法であり、蒔絵のなかで

は比較的安価で需要に応じやすかったと推定される

一方、螺

銅は飽や夜光員、真珠目(などの員殻片を漆に埋める装飾術だ

が、日本では必ずしも多用されてはこなかった。螺銅を並べた

枠組みのなかに平蒔絵の草花や花鳥を装飾的に所狭しとあし

らい、萩や楓の葉、あるいは椿の花弁などに適宜螺銅を蔽める

I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 115

「隠喩としての漆蒔絵:蒔絵研究の現在が示唆する可能性」『美術フォーラム』第19号 醍醐書房 2009年5月30日 115と119頁

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図 1 <<携需型祭1亘》 平蒔絵・螺鋼象限 16世紀末~17世紀はじめ

出典 : Encompassing the Globe : Portugal and the World in the 16th & 1 アh Centuries , Arthur M. Sackler Gallery, Smithonian Institution , Washington , D. C. , 2007. pp. 322.

華麗な作例は、とりわけ宗教的な用途に応じた初期の南蛮漆

器に顕著に現れる。キリスト教の聖画像を納める観音開きの

蒔絵寵の扉絵(図1)や、教会の典礼に用いて、聖書を載せた花

烏蒔絵書見台などの作例が、その典型だろう。

一昨年ワシントンDC

のサックラl

・ギャラリーで開催さ

れた『地球を跨いで』同Roshug位指

HRQSFNCC吋

ポルトガルの世界制覇を跡付ける大規模な展覧会だったが、

その会場でもこれらの日本製の螺銅・蒔絵を施した聖具は、観

衆の注目を集めていた。この展覧会で知実に実感されたのは、

家具や聖具の規格にはポルトガル側注文主の意向が貫徹され、

そこに地域ならではの特技としての装飾技術が上乗せされて

いる、という結構だろう。すでに指摘されていることだが、旅 lま

」とも無理ではないだろう

行用・贈答用の「洋箪笥」や「洋植」(図2)の場合にも、例えばイ

ンドのグジャラl

ト螺銅の貝貼り植が、日本では螺細細工の

青海波貝貼蒔絵洋植へと様変わりし(日高

NCC∞一可18)、日本

製の南蛮「洋箪笥」と同様の造作や寸法をもつ箪笥は、ほぼ同

時期のインドでは、象牙象般による花鳥の意匠によって飾ら

れていた。日本の輸出品はこれらの模倣だった節もある。さら

にゴアを中心とするインドの交易では、極と同様の形態の小

箱が金線、銀線の線細工で生産されていたし、セイロン産の瞳

甲製小箱も、リスボンの聖ルカ修道院博物館蔵ほかに見出さ

れる。

この延長上に、日本産の蒔絵小箱の類の需要を想定する

図2 <<南蛮洋佃》 娘細象依 17世紀前半

出典 : Oliver Impey & Christiaan J. A. Jörg, Japanese Export Lacquer 1580-1850, Amsterュdam : Hotei Publishing , 2005. p. 156.

交易のなかで生まれる混治の美意識

輸出漆器は、なにも欧州のみを目的地とするものではなか

った。インドのオランダ東インド会社の記録には、インドのム

ガール帝国第五代皇帝・シャl

・ジャハl

ン用命の、狩猟のた

めの輿と椅子の注文記録が残っている(一六四三年)。

ここで

は漆の黒地はできるだけ隠し、金の文様を隙間なく詰め込む

ように、との指示がなされている(円自由)の可侍

BGNccmumN

日高NCC∞一N8、永島NCC∞一-印)。装飾文様にびっしりと覆われ

た幾何学的意匠や左右対称の草花文様の配置は、余白を好み

左右不対称を旨とする日本的な装飾とは異質なものだっただ

ろう。またインド向けの輸出では、「人物と豚と呆」を描くこと

を避ける旨の指示が日本にまで届いていた(日高

NCC∞心缶、

永島NCC∞一NC)。泉は日本でも不吉なものとされたが、豚と人

物像がイスラl

ム圏で宗教的忌避に触れたことは、いうまで

もない

さらに遺品には、インド産とも日本産とも特定しがたい作

例もある

チロル大公フェルデイナント二世の遺品を含み「

異の部屋」として有名な、インスブルック郊外のアンプラス城

の収集(ウィーンの美術史博物館所蔵)のなかにはエイの白黒

斑の皮革を表に貼った円形の盾が知られる(開口gE

七g

巴ロ∞

日)・8一日吉岡NCC∞一定)。一五八O年頃のものとされるこの盾の

裏面には、箔絵で栗鼠を交えた花鳥画が施されており、赤い羅

紗の取手は欧州で後補されている。箔絵とは、通常、漆地に金

属箔を置いて線刻するものだが、はたしてこの箔絵の盾が、イ

ンドあるいは東南アジアから輸入したエイ皮を利用した日本

製か、中国製か、あるいはそれらの影響を受けたインド製なの

かには、議論が残る。ワシントンの展覧会で実見した限りでは、

絵柄の描線からして、日本製とは言いがたいように筆者には

見えた。

いずれにせよ産地の特定も困難なこうした

遺品から

116 BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 I

~1 « m1,~Ht:l~tm 3jI~~ '~*IH~Wi 16t!Hc.*-17"\JHc.td:t.:,&9 :±1~ : Encompassing the Globe : Portugal and the World in the 16th & 17h Centuries, Arthur

M. Sackler Gallery, Smithonian Institution, Washington, D. C., 2007. pp. 322.

~2 «ill!i~ j~;fn:l» t~*IH~Wi 17t!t*c.l~;F¥ :±1~ : Oliver Impey & Christiaan J. A. Jbrg, Japanese Export Lacquer 1580-1850, Amster­

dam : Hotei Publishing , 2005. p. 156.

BIJUTSU FORUM 21 VOL .19 I 116

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は、逆に極東とインド、さらにはイスラl

ム圏を経由して中欧

に及ぶ海上交易圏の存在がくっきりと浮かび上がる

中国や日本を起源とする陶磁器が

インド洋を経由する途

上で金細工師の手に委ねられ、金属の取手や脚、あるいは縁飾

りを施されて欧州に届けられた例はつとに知られる

。金属器

に高い価値を置いたイスラ

l

ム圏の経由地で、二次加工によ

って付加価値を上乗せされ、茶碗も元来の用途とは違った宝

飾品へと変貌して最終目的地へと運ばれていった

服飾の世

界でも、日本起源の綿織物や綿入れがインドで再度加工され

オランダ向きのヤl

ポン・ロッケンと呼ばれる女性用防寒衣

装に変貌して使われたことが知られている。日本起源の蒔絵

もまた、交易の途上で混清の運命を辿ったはずだ。その変貌の

生態と変形文法とを探ってみたい。

紅毛漆器

一六三0年代から四

0年代は、ポルトガルとオランダが利

権を争った時代であり、オランダが日本との交易圏を独占す

るや、漆器の様式にも明らかな変化が現れる。洋植の蒲鉾形の

蓋は、平板な蓋へと変わり、これに伴い、螺銅を多用して蓋全

体を覆っていた幾何学的な装飾文様は衰退し、やがて黒漆地

のうえに描かれた楼閣山水図が主流となってゆく。箪笥にあ

っても前倒しの机に代わって、観音開きの扉が好まれるよう

になる。

さらに蒔絵の技法でも、漆を盛り上げて浮き彫り状の

効果を狙った高蒔絵が増加をみせる。一言でいうならば、南蛮

漆器から紅毛漆器への移行期であり、故オリヴァl

・インピ1

氏などは従来からそこにインド風の象依装飾を好むカトリ

ック国ポルトガルの荘厳への晴好と、黒と黄金との対比に重

きを置く、プロテスタント国オランダとの趣味の違いを認め

ていた。

いささか想像を逗しくすることが許されるなら、ここには

さらに、日本国内事情と外国からの注文との相乗効果を認め

てもよいのではないか。

先行する南蛮蒔絵には、絵柄としては

高台寺蒔絵の草花文様に近い意匠が

インド風の花鳥とも混

清して、余白の空間を埋め尽くすように、過剰なまでに繁殖し

ていた。

この高台寺様式の平蒔絵は、太閤秀吉の好みを反映し

ているといわれるが、あるいは高台寺様式そのものにも、秀吉

や寧々の異国趣味が投影されていたのではなかろうか

比較

的安価に仕上がる高台寺蒔絵は、中世以来の漆絵に金を蒔く

工夫が加わったものではないか、とは調査報告に基づく永島

明子氏の仮説だが、同様に、黒地に高蒔絵を配するという、紅

毛蒔絵に典型的な絵画的意匠にも、経

費節減と美意識との均

図3 <<マリア ・ファン・デイーメンの箱》 縦26 . 7x横48.0x高さ 16 . 0cm ヴイクトリア&アJレ/ '\ート美術館蔵

出典・ 『日本の美術H海を渡った日本漆器 1 (16 ・ 1 7世紀)J至文堂、 2001 年、 4 頁

衡点が探られており、それはオランダ側発注主と日本側製作

者との利害調整から共同創出された新様式だった可能性があ

る、という(永島NCC∞一-N-∞)。浄土真宗の仏壇では東本願寺と

西本願寺とで様式が異なるが、一向宗など加賀に典型的な黒

漆と金銅装飾の仏壇意匠にも、輸出漆家具と共鳴するものが

ある。

さらに近世仏壇に影響を与えたとされる、東照宮唐門な

どの絢澗たる彫刻にも、あるいは南蛮や紅毛への対抗意識が

潜んでいたのではあるまいか。

」の時期の輸出蒔絵に顕著なのは注文生産の設えだろう

輸出用漆器の歴史的名品として知られるマリア・ファン・デイ

ーメンの箱と、通称マザラン公爵家の橿と呼ばれるこ点の大

作が、吉宮ーロ蒔絵展に揃って出品された。両者の発注について

図4 <<マザラン公爵家の植》縦64 . 0 x横 101.5 X 高さ 57 目 Ocm ヴィク卜リア&アルパート美術館蔵出典 : r日本の美術H海を渡った日本漆器 1 (16 ・ 17世紀)J 至文堂、 2001 年、 5 頁

I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 117

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は、将軍家光とも親交を結んだ平戸オランダ商館長フランソ

ワ・カロン二六00|七一二)の関与も推定される。パタヴィア

総督(在任二ハ三六l

四五)の妻の名前が金貝で刻まれている

前者の巨大な箱(図3)では、蓋上面に『源氏物語』の桐壷、紅葉

賀、関屋の巻を連想させる絵柄が一幅の画面に纏められてい

る。また枢機卿マザラン二六O二

l

六二の収集品だったと

想定される後者(図4)にも、賢木、蓬生、胡蝶に呼応する物語

絵の断片が確認できる。だがどちらにも、源氏物語扉風のよう

に、単一・特定の物語に収放する絵解き志向は見えず、主題を

一義的に同定しようとしても、どうやら功を奏さない。実際、

マザラン公爵家の植の側面には『曽我物語』の富士の巻狩りが

描写されている。さらにその内部にお盆状に仕込まれた懸子

には、金属粉を蒔いた沃懸地(いかけじ)の上に漢画風の山水

が見え、黒漆で水墨の筆致までなぞっている。絵柄はあるいは

近江八景を組み合わせたものかとも想定されている(日高

NCC∞一-N∞ー-ωCLEw-∞ωl∞)。こうした要素が相乗された全体の

印象は、多様な技巧といい、盛り沢山な絵柄といい、賛を尽く

すあまり、いささか息苦しいほどだが、そこにはいわば「王朝

風」という印象を喚起する絢嫡たる図像群が、複数の手本から

適宜切り抜いて、取り合わせて按配されている。あたかも物語

に通じぬ異国の事受者に、東方趣味を満喫させようと競い合

っているかのようだ。

三田村雅子氏は『記憶の中の『源氏物語』』に収められた論考

で、ファン・ディl

メンの箱の絵に触れ、そこに描かれた鳳風

や龍に、天皇の権威の印を認め、外国輸出の品ならではの「国

威発揚」の意図を読み込む(三田村NCC∞一-∞∞150)。輸出用の

到来した白人への例外的な特注贈答品だったことが明らかに

なっている。歴史に残る名品は、外交使節団向けならではの、

例外的性格を備える。そのためか、時として、異文化接触の前

線には、交差した文化の粋が、一般の流通機構を逸脱した豪華

な一品のうちに特異な切り口を露呈しながら、励起された姿

で析出する。そうした前代未聞の瞬間が、特注品に閃く二方

でファン・ディl

メンの箱は、料紙箱に相当する寸法だが、切

子に覆われているため、金属の函であるかのような光沢を誇

る。他方マザラン公爵家の植には、画面を囲む枠に沿って細い

螺銅が線状に一巡施されている。視線が移動するとともに、そ

れは七色に変化を遂げて光を放つ。それらの光沢や虹色の微

光に、東西交流が育んだ出会いの放電現象の隠輸を見たい。

換骨奪胎と再生活用

異国からの輸入品は、購入者の噌好によって、おもわぬ変身

を強いられることもある。紅毛輸出漆器も、十八世紀前半のロ

ココ様式の到来とともに

、予期せぬ換骨奪胎を経験した。曲線

を多用した室内家具が流行の様式になると、直線的で古風な

植や箪笥は、もはや時代遅れ、用済みになっていった。紅毛蒔

絵もここで廃棄されて不思議でなかった。実際、木材や下地の

胎が解体・放棄された作例は多い。だが、厚さわずか数ミリの

蒔絵の漆部分の表面だけは、器用に引き剥がされて、最新の家

具の曲面の上に巧みに移された。この最新技術の移植手術で

手柄を立てた高級家具職人としてとりわけ有名なのが、ベル

ナl

ル・ヴアン・リザンブlル二世(一七OO?|六五?)。こ

公的な異文化交渉の発端にあっては、けっして例外的な事態

特注品にこうした王権の象徴が過分なまでに強調されるのは、ごつして時代遅れの紅毛漆器は、ロココの室内を飾る調度とし

て生まれ変わる。その

一例が《楼閣山水蒔絵箪笥》(一七五O

ではない。キャプテン・クックの航海で英国に招来されたハワ

イ諸島の羽帽子なども、けっして通常規格の交易品ではなく、

頃)(図5)だろう。

こうまで手間隙をかけて蒔絵を救出した背景には、輸出漆

118

「 三三二一一一ι二I

ヴイクトリア&図5 <<楼閣山水蒔絵コモド》 推定べルナール・ヴアン・リザンブール 2 世作 ロンドンアルパート美術館蔵

出典:京都国立博物館編目apan 蒔絵:宮殿を飾る東洋の深めき~2008年、 125頁

六九三年以降、欧州市場への漆器の公式な取引を中止してお

器の値段の高騰もあっただろう。オランダ東インド会社は

り、その後は「脇荷」と呼ばれる私貿易に依存している。収益悪

化の裏には中国や東南アジア海域で中継貿易が盛んになり、

オランダが利潤を独占できる体制が崩壊した、という事情も

推測される(』守mZ虫、日高NCC∞一ωω∞・土匂、永島NCC∞…NC)。だ

が日本の蒔絵への需要は衰えを知らず、良質品の入手はより

困難になったと思しい。だからこそ前時代の蒔絵のリサイク

ルも、十二分に採算に合う商売となったのだろう。そもそも、

金鍍金の飾金具のマウント装飾で蒔絵パネルを留めて画面を

仕切るロココの家具は、輸出蒔絵を再利用するがために生ま

れた様式ではなかったか、とみる見解もある。フランス語で高

BIJUT5U FORUM 21 VOL.19 I

~5 «~ImW*aU~::H: n tiUE:,,-)[;-r - )[;''57:';'lj-l1:/:1-)[;2t!H'F O:/t-::/ '51'?f-. 1j]7& ]7)[;/\- H~f;I\j~iii£

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BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 I 118

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級指物師を指す

sbE2

のという単語は、黒檀に起源を持つ

用語で、一六七0年代に出現したようだ。その腕前は、曲面を

なすロココ家具のうえに黒漆地の蒔絵を化粧版よろしく自在

に貼り付ける技巧にも、遺憾なく発揮された、といって語弊は

なかろう

ここに見られる蒔,絵の換骨奪胎をいかに評価すべきだろう

か。

これでは日本製家具に対する破壊行為であり、襲術品の損

壊だ、と憤慨する向きもありえよう。だが日高薫氏も述べると

おり、西洋の家具職人たちがロココ時代に破壊したのは、自ら

の先祖が日本向けに発注した舶来の構造物に他ならなかった

(日高NCC∞一∞ω)。蒔絵は最初から、家具の皮膜を

覆う表層的な

装飾でしかなかった。調度の様式が変貌を遂げても、蒔絵は着

脱自在に宿主を替えて再生した

そこに蒔絵の堅牢さ、そして

西洋人の蒔絵への愛好の深さの証が見える。だがこのように

他者の文法構造の表面にヤドカリよろしく寄生して転生する

一一一一一ー- ~

蒔絵は、珍重の的とはいえ、しょせん欧州王侯貴族が権勢を誇

示するための小道具にすぎず、結局ヨーロッパ文化の根底を

揺るがすことはなかったーーという結論は、はたして妥当す

るだろうか

蒔絵の表層性と趣味の均衡点

いわゆるジャポニスム現象の深化を測定する際に、しばし

ば用いられてきた基準がある。

即ち、(二エクゾチックな意匠

や色彩の借用はまだ表層的な皮膚現象にすぎない。これに対

し、(二)付彩、線描、話法などにおいて他者の運動様式に染ま

るのは、より深い筋肉レヴェルの影響といえる

さらに、(三)

自らの骨格をなす文法構造を放棄して、それを他者の価値観

という別種の骨格に置き換えるのが、もっとも深く本質的な

文化刷新である:::

。ここには、いわば解制学的といってよい

図式が透けて見える

それなりの有効性を発揮するこの図式

に照らすならば、たしかに蒔絵が欧州の襲術に及ぼしえた影

響は、言葉の定義からして表層的な水準に留まっていたこと

になる。

だがそもそも、冒頭にも確認したとおり、漆とは液体

から固体へと変質する接着剤・塗装剤であって、その性質ゆえ

六世紀末以来の長年にわたる東西交易の舞台にあって、文化

接触の前線を貼りあわせる接着剤となってきた。そして明治

に生を受け、国際的な国威発揚に天命を見出したひとりの漆

襲家にとって、漆は、工業を襲術によって彩る、代替不可能な

に自らに固有な形態など持っていない

その意味では、外部か

「世界一の優秀塗料

」と映じた。

英語で宮古印ロといえば漆器を

意味する。その小文字の日本の振る舞いに、もうひとつの」中

ら与えられた形態に従属しつつ強靭に自己保存するところに、一司自己

ω自の姿が研ぎ出される。異文化混請の柑禍のなかで、そ

漆を材料とした技法の本来の性質を求めなければなるまい。

の臨界面には西洋の需要と、東洋の供給との妥協の様が、当事

皮膚こそは人体でもっとも深い器官であると喝破したのは、一者双方の合わせ鏡を象献する。漆蒔絵に浮かぶ絵柄は、本質志

向、国粋的教条の「東洋美学」を裏切る表層性を宿してい答

詩人のポl

ル・ヴアレリーだった。その塑に倣うなら、むしろ

蒔絵の表層にこそ工塾の深層が研ぎだされ、文様として表出

するのではないか。じっさい漆による蒔絵は、外からの需要と

日本側からの供給との接触面において、両者の均衡点(日高

NCC∞一おω)に沿って柔軟に軌跡を描いた。そこにこそ、文化交

渉の力学が忠実に転写されている。例えばオランダがナポレ

オン戦争下で苦境に立たされた十八世紀末から十九世紀初期

の三十年ほどのあいだに集中的に製作された輸出用漆器に、

西洋渡りの腐蝕銅版画を蒔絵技法で写し取った板絵状の作品

群、通称「蒔絵プラlク」が知られる。これも、政情不安定な国

際関係のさなかで、必要とあればフランス人顧客をも標的に

して、オランダ人が日本の職人に発注した新機軸の商品であ

ったらしい。

明治以降に話を飛躍させるならば、六角紫水(一八六七j

九五O)は太平洋戦争期にアルマイトを胎にして、そこに漆を

塗装する技術を開発した。ここにも未曾有の国際的危機に直

面して生み出された新機軸がある。植物が地中に根を張るよ

うに、漆は酸化アルミニウムに深々と浸み込んで密着する。

こでもまた漆は、時代の要請する新素材の金属の表面に、あら

たな棲家を探し当てたようだ

応用襲術あるいは装飾襲術と

呼ばれて、久しく副次的な地位に甘んじてきた漆塾は、実は十

律した造形性を欠きつつも造型を司る漆。そこにあらたなる

工審史の範例を着床させるための媒介となる皮膜

11

可塑性

と粘着力に富んだ浸透膜ーーを探りたい

註(l)故オリヴァl

・インピ!とクリスティアン

・ヨ

ルグ氏による英文の大著、

『日本輸出漆器

』(二OO五)の出版は、欧州の蒐集や競売市場に登場する

作例を精査した七百点近い図版を駆使して、この領域の欧州での研究を

集大成した

。それにやや先行して日

本でも

、至文堂『日本の美術』で三度に

わたり「海を渡った日本漆器」が特集され(二OO

一10

二)、一般の読者

にも分かるような現時点での研究烏臓を提供している。さらに日高薫氏

による

『異国の表象近世輸出漆器の想像力

』(二OO八)が、この段階ま

での研究史を振り返り

、そのうえで、研究領域の全般にわたり独自の見解

を提起している。これらを受けて、京都国立博物館とサントリー美術館と

を会場としてご印匂印コ蒔絵|宮廷を飾る東洋の煙き|』(二OO八10

九)と題する展覧会が巡回した。永島明子氏による巻頭論文は、精選され

た先行文献を踏まえつつ、広く公衆にむけて、こなれた文体と周到な構成

で、変幻する蒔絵の姿を巧みに集約してみせた。本稿では、これら専門家

による近年の成果を頼りに、そこに萌芽してきた新たな文化史研究の可

能性を、いくつか素描してみようとする。あくまで門外漢による思い付き

に過ぎないが、「工芸史研究」なる枠組みから浮かびあがる可能性をわず

かでも掬い取り、より広い視野へと拓くきっかけとなれば、望外である。

またこの場を借りて

OZ〈耳目ヨ句。可氏の冥福をお祈り

したい

I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 119 119 I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19

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Japan 蒔絵 Export Lαcquer : Reflection of the West in Black and

Gold Makie , Kyoto National Museum , Suntory Museum of Art ,

2008-2009 (鶏]臨程わ< :侵也容トド) 。

Jay A. Leveson (ed.) , Encompassing The Globe , Portugal and the

World in the 16th & 17'h Centuries , Arthur M. Sackler Gallery,

Smithsonian Institution , Washington , D. C. 2007.

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Monika Kopplin , Les 1αques du Japon , Collection de Marie-Antoiュ

nette, R騏nion des Mus馥s nationaux, 2002.

Thomas Da Costa Kaufmann , Toward a Geogrαphy of Art, The

University of Chicago Press , 2004

Oliver Impey, Christiaan Jörg, J,αpαnese Export Lαcquer 1580-1850 ,

Hotei Publishing, Amsterdam , 2005

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Monika Kopplin , Les laques du Japan , Collection de Marie-Antoi­

nette, Reunion des Musees nationaux, 2002.

Thomas Da Costa Kaufmann, Toward a Geography of Art, The

University of Chicago Press, 2004.

Oliver Impey, Christiaan Jorg, Japanese Export Lacquer 1580-1850,

Hotei Publishing, Amsterdam, 2005.

Japan 1m ~ Export Lacquer: Reflection of the West in Black and

Gold Makie , Kyoto National Museum, Suntory Museum of Art ,

2008-2009 (i!j(iI ~~~1>< : 'rR~q 2 tf-.) 0

Jay A. Leveson (ed.), Encompassing The Globe, Portugal and the

World in the 16th & 1rh Centuries, Arthur M. Sackler Gallery,

Smithsonian Institution, Washington, D. C. 2007 .

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