l 隠聡としての漆蒔絵aurora/pdf/090530inyutoshiteno.pdf ·...
TRANSCRIPT
近代工芸
稲賀繁美
海外で日本の漆警はいかに受容されてきたのか。それを文
化交渉史の視点から大づかみに捉え直してみたい
。文化交易
の往還のなかで育まれる形
。
世代を超えて変貌を遂げるその
軌跡からは、そこに関与した人々の利害や美意識が浮き彫り
にされる。
さらに交易と相互交流のなかから、漆という媒体を
通じて、関与した文化の特性が研ぎだされる。それは時として
螺銅細工の透かし模様よろしく、その底に煙く異国の偏光と
なり、時として蒔絵のように、半透明の漆の皮膜のなかに蒔か
れて浮かぶ金粉と化して舞う。漆の塗装や蒔絵の技法のうち
に、文化触変の生態を形容する、すぐれた隠輸を見ることもで
きるのではなかろうか
。
接着剤・塗装剤としての漆
隠聡としての漆蒔絵
蒔絵研究の現在が示唆する可能性
漆は大別して、接着剤あるいは塗料として利用される。
接着用漆には澱粉やグルテンを混ぜる。塗料として使用す
る場合には、採取した生漆(キワルシ)を撹持し(ナヤシ)、水分
を除去する(クロメ)工程が必要となる。
この工程を経て透明
の飴色となった透漆(スキウルシ)に水酸化鉄を加えて漉過す
ると、鉄の酸化作用により黒漆ができる
。
硫化水銀(朱)を加え
て練り上げれば朱漆となる
。漆の特性としてよく知られるの
紫檀に比べて漆家具が遥かに軽量だったことにも顧客は気付
いたことだろう(加藤NOON一戸l印)。
南蛮漆器の規格と意匠
海外輸出に用立てられた漆器は、南蛮漆器と紅毛漆器とに
大別できよう。『日本史』の編者として知られるイエズス会宣
むしろ湿度八
O%以上の環境において酵素反応が進み、酸素
は、水分が蒸発して乾燥する、というものではないことだろう
。
一教師、ルイス・フロイスは日本滞在中に朱塗りの棺や十字架な
どを作らせたと記しており(一五七七年)、このあたりに南蛮
と重合することによって固形化し、強固な膜を形成する
。
比較
的熱に強く防水性・防腐性に優れるが、乾燥に時間がかかり、
皮膚に付着するとカブレを起こし、扱いに熟練を要するため、
機械的な量産には適さない。また直射日光下では紫外線によ
って徐々に変色を起こし、平均湿度が四
O%を下回る低湿環
ウルシノキはヒマラヤ山麓のブ
l
タンから東南アジア、中国
漆はウルシノキEEω
〈のEEPS
から採取する樹液だが、一境下に長期置かれると、静割れを起こすことがある。これには
胎(木地)が乾燥によって収縮・破損する場合と、漆の塗膜その
南部を経て、台湾・日本列島に生育する。漆の使用は古く、北海
道南茅部町・垣の島B
遺跡出土の副葬品は九千年以前の縄文
早期のものと報告されている。漆は照葉樹林帯の文化を特徴
づけるが、台湾やヴェトナムの漆はハゼの変種
EEωω己ののめ1
(】OHHOmwから採れるラッコl
ルESo
一、タイ・ミャンマーの漆
は通称「黒木」冨巴go
司
Fogc巴55
から採れるチチオl
ル
F50
一を主成分としており、ウルシオl
ルcEωEo-を主成
分とする中国・韓国・日本の漆とは組成が異なる
。
ものに乾燥による亀裂が生じる場合とがある
。
高温湿潤の環
境で育った漆は、乾燥気候とは相性が悪いようだ(鈴木
Nog-
-∞lN白)。
以上は、漆に関する常識的事柄だろうが、欧州にあっては黒
色で艶のある塗料がながらく不在であったことが、大航海時
代以降、漆への関心を高めた一因であるようだ
。
十六世紀にア
フリカやマダガスカルの航路が開拓された時期には、欧州で
は漆が黒檀と混同された痕跡も、史料から窺える。
だが黒檀や
漆器の始まりを見るのが通説のようである。ポルトガルやス
ペインの来航者たちが発注した「南蛮漆器」でもっとも典型的
なのは、引き出し箪笥の扉を前に倒して机として用いる「書箪
笥」と、蒲鉾形の蓋がついた「洋橿」。ともに従来の日本には存
在しない形態の家具だった
。
その特徴としては、黒漆の地に、
金の平蒔絵と螺銅とが組み合わされて、模様が隙間なく描か
れていることが指摘される
。
平蒔絵とは、その名のとおり、乾燥する前の漆のうえに粉末
状の金銀を撒き散らして絵を描く
。漆の乾燥後、絵漆の部分に
研磨を加えて、表面を平坦に整える技法であり、蒔絵のなかで
は比較的安価で需要に応じやすかったと推定される
。
一方、螺
銅は飽や夜光員、真珠目(などの員殻片を漆に埋める装飾術だ
が、日本では必ずしも多用されてはこなかった。螺銅を並べた
枠組みのなかに平蒔絵の草花や花鳥を装飾的に所狭しとあし
らい、萩や楓の葉、あるいは椿の花弁などに適宜螺銅を蔽める
I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 115
「隠喩としての漆蒔絵:蒔絵研究の現在が示唆する可能性」『美術フォーラム』第19号 醍醐書房 2009年5月30日 115と119頁
115 I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19
図 1 <<携需型祭1亘》 平蒔絵・螺鋼象限 16世紀末~17世紀はじめ
出典 : Encompassing the Globe : Portugal and the World in the 16th & 1 アh Centuries , Arthur M. Sackler Gallery, Smithonian Institution , Washington , D. C. , 2007. pp. 322.
華麗な作例は、とりわけ宗教的な用途に応じた初期の南蛮漆
器に顕著に現れる。キリスト教の聖画像を納める観音開きの
蒔絵寵の扉絵(図1)や、教会の典礼に用いて、聖書を載せた花
烏蒔絵書見台などの作例が、その典型だろう。
一昨年ワシントンDC
のサックラl
・ギャラリーで開催さ
れた『地球を跨いで』同Roshug位指
HRQSFNCC吋
ポルトガルの世界制覇を跡付ける大規模な展覧会だったが、
その会場でもこれらの日本製の螺銅・蒔絵を施した聖具は、観
衆の注目を集めていた。この展覧会で知実に実感されたのは、
家具や聖具の規格にはポルトガル側注文主の意向が貫徹され、
そこに地域ならではの特技としての装飾技術が上乗せされて
いる、という結構だろう。すでに指摘されていることだが、旅 lま
」とも無理ではないだろう
。
行用・贈答用の「洋箪笥」や「洋植」(図2)の場合にも、例えばイ
ンドのグジャラl
ト螺銅の貝貼り植が、日本では螺細細工の
青海波貝貼蒔絵洋植へと様変わりし(日高
NCC∞一可18)、日本
製の南蛮「洋箪笥」と同様の造作や寸法をもつ箪笥は、ほぼ同
時期のインドでは、象牙象般による花鳥の意匠によって飾ら
れていた。日本の輸出品はこれらの模倣だった節もある。さら
にゴアを中心とするインドの交易では、極と同様の形態の小
箱が金線、銀線の線細工で生産されていたし、セイロン産の瞳
甲製小箱も、リスボンの聖ルカ修道院博物館蔵ほかに見出さ
れる。
この延長上に、日本産の蒔絵小箱の類の需要を想定する
図2 <<南蛮洋佃》 娘細象依 17世紀前半
出典 : Oliver Impey & Christiaan J. A. Jörg, Japanese Export Lacquer 1580-1850, Amsterュdam : Hotei Publishing , 2005. p. 156.
交易のなかで生まれる混治の美意識
輸出漆器は、なにも欧州のみを目的地とするものではなか
った。インドのオランダ東インド会社の記録には、インドのム
ガール帝国第五代皇帝・シャl
・ジャハl
ン用命の、狩猟のた
めの輿と椅子の注文記録が残っている(一六四三年)。
ここで
は漆の黒地はできるだけ隠し、金の文様を隙間なく詰め込む
ように、との指示がなされている(円自由)の可侍
BGNccmumN
、
日高NCC∞一N8、永島NCC∞一-印)。装飾文様にびっしりと覆われ
た幾何学的意匠や左右対称の草花文様の配置は、余白を好み
左右不対称を旨とする日本的な装飾とは異質なものだっただ
ろう。またインド向けの輸出では、「人物と豚と呆」を描くこと
を避ける旨の指示が日本にまで届いていた(日高
NCC∞心缶、
永島NCC∞一NC)。泉は日本でも不吉なものとされたが、豚と人
物像がイスラl
ム圏で宗教的忌避に触れたことは、いうまで
もない
。
さらに遺品には、インド産とも日本産とも特定しがたい作
例もある
。
チロル大公フェルデイナント二世の遺品を含み「
驚
異の部屋」として有名な、インスブルック郊外のアンプラス城
の収集(ウィーンの美術史博物館所蔵)のなかにはエイの白黒
斑の皮革を表に貼った円形の盾が知られる(開口gE
七g
巴ロ∞
日)・8一日吉岡NCC∞一定)。一五八O年頃のものとされるこの盾の
裏面には、箔絵で栗鼠を交えた花鳥画が施されており、赤い羅
紗の取手は欧州で後補されている。箔絵とは、通常、漆地に金
属箔を置いて線刻するものだが、はたしてこの箔絵の盾が、イ
ンドあるいは東南アジアから輸入したエイ皮を利用した日本
製か、中国製か、あるいはそれらの影響を受けたインド製なの
かには、議論が残る。ワシントンの展覧会で実見した限りでは、
絵柄の描線からして、日本製とは言いがたいように筆者には
見えた。
いずれにせよ産地の特定も困難なこうした
遺品から
116 BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 I
~1 « m1,~Ht:l~tm 3jI~~ '~*IH~Wi 16t!Hc.*-17"\JHc.td:t.:,&9 :±1~ : Encompassing the Globe : Portugal and the World in the 16th & 17h Centuries, Arthur
M. Sackler Gallery, Smithonian Institution, Washington, D. C., 2007. pp. 322.
~2 «ill!i~ j~;fn:l» t~*IH~Wi 17t!t*c.l~;F¥ :±1~ : Oliver Impey & Christiaan J. A. Jbrg, Japanese Export Lacquer 1580-1850, Amster
dam : Hotei Publishing , 2005. p. 156.
BIJUTSU FORUM 21 VOL .19 I 116
は、逆に極東とインド、さらにはイスラl
ム圏を経由して中欧
に及ぶ海上交易圏の存在がくっきりと浮かび上がる
。
中国や日本を起源とする陶磁器が
、
インド洋を経由する途
上で金細工師の手に委ねられ、金属の取手や脚、あるいは縁飾
りを施されて欧州に届けられた例はつとに知られる
。金属器
に高い価値を置いたイスラ
l
ム圏の経由地で、二次加工によ
って付加価値を上乗せされ、茶碗も元来の用途とは違った宝
飾品へと変貌して最終目的地へと運ばれていった
。
服飾の世
界でも、日本起源の綿織物や綿入れがインドで再度加工され
オランダ向きのヤl
ポン・ロッケンと呼ばれる女性用防寒衣
装に変貌して使われたことが知られている。日本起源の蒔絵
もまた、交易の途上で混清の運命を辿ったはずだ。その変貌の
生態と変形文法とを探ってみたい。
紅毛漆器
一六三0年代から四
0年代は、ポルトガルとオランダが利
権を争った時代であり、オランダが日本との交易圏を独占す
るや、漆器の様式にも明らかな変化が現れる。洋植の蒲鉾形の
蓋は、平板な蓋へと変わり、これに伴い、螺銅を多用して蓋全
体を覆っていた幾何学的な装飾文様は衰退し、やがて黒漆地
のうえに描かれた楼閣山水図が主流となってゆく。箪笥にあ
っても前倒しの机に代わって、観音開きの扉が好まれるよう
になる。
さらに蒔絵の技法でも、漆を盛り上げて浮き彫り状の
効果を狙った高蒔絵が増加をみせる。一言でいうならば、南蛮
漆器から紅毛漆器への移行期であり、故オリヴァl
・インピ1
氏などは従来からそこにインド風の象依装飾を好むカトリ
ック国ポルトガルの荘厳への晴好と、黒と黄金との対比に重
きを置く、プロテスタント国オランダとの趣味の違いを認め
ていた。
いささか想像を逗しくすることが許されるなら、ここには
さらに、日本国内事情と外国からの注文との相乗効果を認め
てもよいのではないか。
先行する南蛮蒔絵には、絵柄としては
高台寺蒔絵の草花文様に近い意匠が
、
インド風の花鳥とも混
清して、余白の空間を埋め尽くすように、過剰なまでに繁殖し
ていた。
この高台寺様式の平蒔絵は、太閤秀吉の好みを反映し
ているといわれるが、あるいは高台寺様式そのものにも、秀吉
や寧々の異国趣味が投影されていたのではなかろうか
。
比較
的安価に仕上がる高台寺蒔絵は、中世以来の漆絵に金を蒔く
工夫が加わったものではないか、とは調査報告に基づく永島
明子氏の仮説だが、同様に、黒地に高蒔絵を配するという、紅
毛蒔絵に典型的な絵画的意匠にも、経
費節減と美意識との均
図3 <<マリア ・ファン・デイーメンの箱》 縦26 . 7x横48.0x高さ 16 . 0cm ヴイクトリア&アJレ/ '\ート美術館蔵
出典・ 『日本の美術H海を渡った日本漆器 1 (16 ・ 1 7世紀)J至文堂、 2001 年、 4 頁
衡点が探られており、それはオランダ側発注主と日本側製作
者との利害調整から共同創出された新様式だった可能性があ
る、という(永島NCC∞一-N-∞)。浄土真宗の仏壇では東本願寺と
西本願寺とで様式が異なるが、一向宗など加賀に典型的な黒
漆と金銅装飾の仏壇意匠にも、輸出漆家具と共鳴するものが
ある。
さらに近世仏壇に影響を与えたとされる、東照宮唐門な
どの絢澗たる彫刻にも、あるいは南蛮や紅毛への対抗意識が
潜んでいたのではあるまいか。
」の時期の輸出蒔絵に顕著なのは注文生産の設えだろう
。
輸出用漆器の歴史的名品として知られるマリア・ファン・デイ
ーメンの箱と、通称マザラン公爵家の橿と呼ばれるこ点の大
作が、吉宮ーロ蒔絵展に揃って出品された。両者の発注について
図4 <<マザラン公爵家の植》縦64 . 0 x横 101.5 X 高さ 57 目 Ocm ヴィク卜リア&アルパート美術館蔵出典 : r日本の美術H海を渡った日本漆器 1 (16 ・ 17世紀)J 至文堂、 2001 年、 5 頁
I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 117
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117 I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19
は、将軍家光とも親交を結んだ平戸オランダ商館長フランソ
ワ・カロン二六00|七一二)の関与も推定される。パタヴィア
総督(在任二ハ三六l
四五)の妻の名前が金貝で刻まれている
前者の巨大な箱(図3)では、蓋上面に『源氏物語』の桐壷、紅葉
賀、関屋の巻を連想させる絵柄が一幅の画面に纏められてい
る。また枢機卿マザラン二六O二
l
六二の収集品だったと
想定される後者(図4)にも、賢木、蓬生、胡蝶に呼応する物語
絵の断片が確認できる。だがどちらにも、源氏物語扉風のよう
に、単一・特定の物語に収放する絵解き志向は見えず、主題を
一義的に同定しようとしても、どうやら功を奏さない。実際、
マザラン公爵家の植の側面には『曽我物語』の富士の巻狩りが
描写されている。さらにその内部にお盆状に仕込まれた懸子
には、金属粉を蒔いた沃懸地(いかけじ)の上に漢画風の山水
が見え、黒漆で水墨の筆致までなぞっている。絵柄はあるいは
近江八景を組み合わせたものかとも想定されている(日高
NCC∞一-N∞ー-ωCLEw-∞ωl∞)。こうした要素が相乗された全体の
印象は、多様な技巧といい、盛り沢山な絵柄といい、賛を尽く
すあまり、いささか息苦しいほどだが、そこにはいわば「王朝
風」という印象を喚起する絢嫡たる図像群が、複数の手本から
適宜切り抜いて、取り合わせて按配されている。あたかも物語
に通じぬ異国の事受者に、東方趣味を満喫させようと競い合
っているかのようだ。
三田村雅子氏は『記憶の中の『源氏物語』』に収められた論考
で、ファン・ディl
メンの箱の絵に触れ、そこに描かれた鳳風
や龍に、天皇の権威の印を認め、外国輸出の品ならではの「国
威発揚」の意図を読み込む(三田村NCC∞一-∞∞150)。輸出用の
到来した白人への例外的な特注贈答品だったことが明らかに
なっている。歴史に残る名品は、外交使節団向けならではの、
例外的性格を備える。そのためか、時として、異文化接触の前
線には、交差した文化の粋が、一般の流通機構を逸脱した豪華
な一品のうちに特異な切り口を露呈しながら、励起された姿
で析出する。そうした前代未聞の瞬間が、特注品に閃く二方
でファン・ディl
メンの箱は、料紙箱に相当する寸法だが、切
子に覆われているため、金属の函であるかのような光沢を誇
る。他方マザラン公爵家の植には、画面を囲む枠に沿って細い
螺銅が線状に一巡施されている。視線が移動するとともに、そ
れは七色に変化を遂げて光を放つ。それらの光沢や虹色の微
光に、東西交流が育んだ出会いの放電現象の隠輸を見たい。
換骨奪胎と再生活用
異国からの輸入品は、購入者の噌好によって、おもわぬ変身
を強いられることもある。紅毛輸出漆器も、十八世紀前半のロ
ココ様式の到来とともに
、予期せぬ換骨奪胎を経験した。曲線
を多用した室内家具が流行の様式になると、直線的で古風な
植や箪笥は、もはや時代遅れ、用済みになっていった。紅毛蒔
絵もここで廃棄されて不思議でなかった。実際、木材や下地の
胎が解体・放棄された作例は多い。だが、厚さわずか数ミリの
蒔絵の漆部分の表面だけは、器用に引き剥がされて、最新の家
具の曲面の上に巧みに移された。この最新技術の移植手術で
手柄を立てた高級家具職人としてとりわけ有名なのが、ベル
ナl
ル・ヴアン・リザンブlル二世(一七OO?|六五?)。こ
公的な異文化交渉の発端にあっては、けっして例外的な事態
特注品にこうした王権の象徴が過分なまでに強調されるのは、ごつして時代遅れの紅毛漆器は、ロココの室内を飾る調度とし
て生まれ変わる。その
一例が《楼閣山水蒔絵箪笥》(一七五O
ではない。キャプテン・クックの航海で英国に招来されたハワ
イ諸島の羽帽子なども、けっして通常規格の交易品ではなく、
頃)(図5)だろう。
こうまで手間隙をかけて蒔絵を救出した背景には、輸出漆
118
「 三三二一一一ι二I
ヴイクトリア&図5 <<楼閣山水蒔絵コモド》 推定べルナール・ヴアン・リザンブール 2 世作 ロンドンアルパート美術館蔵
出典:京都国立博物館編目apan 蒔絵:宮殿を飾る東洋の深めき~2008年、 125頁
六九三年以降、欧州市場への漆器の公式な取引を中止してお
器の値段の高騰もあっただろう。オランダ東インド会社は
り、その後は「脇荷」と呼ばれる私貿易に依存している。収益悪
化の裏には中国や東南アジア海域で中継貿易が盛んになり、
オランダが利潤を独占できる体制が崩壊した、という事情も
推測される(』守mZ虫、日高NCC∞一ωω∞・土匂、永島NCC∞…NC)。だ
が日本の蒔絵への需要は衰えを知らず、良質品の入手はより
困難になったと思しい。だからこそ前時代の蒔絵のリサイク
ルも、十二分に採算に合う商売となったのだろう。そもそも、
金鍍金の飾金具のマウント装飾で蒔絵パネルを留めて画面を
仕切るロココの家具は、輸出蒔絵を再利用するがために生ま
れた様式ではなかったか、とみる見解もある。フランス語で高
BIJUT5U FORUM 21 VOL.19 I
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BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 I 118
級指物師を指す
sbE2
のという単語は、黒檀に起源を持つ
用語で、一六七0年代に出現したようだ。その腕前は、曲面を
なすロココ家具のうえに黒漆地の蒔絵を化粧版よろしく自在
に貼り付ける技巧にも、遺憾なく発揮された、といって語弊は
なかろう
。
ここに見られる蒔,絵の換骨奪胎をいかに評価すべきだろう
か。
これでは日本製家具に対する破壊行為であり、襲術品の損
壊だ、と憤慨する向きもありえよう。だが日高薫氏も述べると
おり、西洋の家具職人たちがロココ時代に破壊したのは、自ら
の先祖が日本向けに発注した舶来の構造物に他ならなかった
(日高NCC∞一∞ω)。蒔絵は最初から、家具の皮膜を
覆う表層的な
装飾でしかなかった。調度の様式が変貌を遂げても、蒔絵は着
脱自在に宿主を替えて再生した
。
そこに蒔絵の堅牢さ、そして
西洋人の蒔絵への愛好の深さの証が見える。だがこのように
他者の文法構造の表面にヤドカリよろしく寄生して転生する
一一一一一ー- ~
蒔絵は、珍重の的とはいえ、しょせん欧州王侯貴族が権勢を誇
示するための小道具にすぎず、結局ヨーロッパ文化の根底を
揺るがすことはなかったーーという結論は、はたして妥当す
るだろうか
。
蒔絵の表層性と趣味の均衡点
いわゆるジャポニスム現象の深化を測定する際に、しばし
ば用いられてきた基準がある。
即ち、(二エクゾチックな意匠
や色彩の借用はまだ表層的な皮膚現象にすぎない。これに対
し、(二)付彩、線描、話法などにおいて他者の運動様式に染ま
るのは、より深い筋肉レヴェルの影響といえる
。
さらに、(三)
自らの骨格をなす文法構造を放棄して、それを他者の価値観
という別種の骨格に置き換えるのが、もっとも深く本質的な
文化刷新である:::
。ここには、いわば解制学的といってよい
図式が透けて見える
。
それなりの有効性を発揮するこの図式
に照らすならば、たしかに蒔絵が欧州の襲術に及ぼしえた影
響は、言葉の定義からして表層的な水準に留まっていたこと
になる。
だがそもそも、冒頭にも確認したとおり、漆とは液体
から固体へと変質する接着剤・塗装剤であって、その性質ゆえ
六世紀末以来の長年にわたる東西交易の舞台にあって、文化
接触の前線を貼りあわせる接着剤となってきた。そして明治
に生を受け、国際的な国威発揚に天命を見出したひとりの漆
襲家にとって、漆は、工業を襲術によって彩る、代替不可能な
に自らに固有な形態など持っていない
。
その意味では、外部か
「世界一の優秀塗料
」と映じた。
英語で宮古印ロといえば漆器を
意味する。その小文字の日本の振る舞いに、もうひとつの」中
ら与えられた形態に従属しつつ強靭に自己保存するところに、一司自己
ω自の姿が研ぎ出される。異文化混請の柑禍のなかで、そ
漆を材料とした技法の本来の性質を求めなければなるまい。
の臨界面には西洋の需要と、東洋の供給との妥協の様が、当事
皮膚こそは人体でもっとも深い器官であると喝破したのは、一者双方の合わせ鏡を象献する。漆蒔絵に浮かぶ絵柄は、本質志
向、国粋的教条の「東洋美学」を裏切る表層性を宿してい答
。
自
詩人のポl
ル・ヴアレリーだった。その塑に倣うなら、むしろ
蒔絵の表層にこそ工塾の深層が研ぎだされ、文様として表出
するのではないか。じっさい漆による蒔絵は、外からの需要と
日本側からの供給との接触面において、両者の均衡点(日高
NCC∞一おω)に沿って柔軟に軌跡を描いた。そこにこそ、文化交
渉の力学が忠実に転写されている。例えばオランダがナポレ
オン戦争下で苦境に立たされた十八世紀末から十九世紀初期
の三十年ほどのあいだに集中的に製作された輸出用漆器に、
西洋渡りの腐蝕銅版画を蒔絵技法で写し取った板絵状の作品
群、通称「蒔絵プラlク」が知られる。これも、政情不安定な国
際関係のさなかで、必要とあればフランス人顧客をも標的に
して、オランダ人が日本の職人に発注した新機軸の商品であ
ったらしい。
明治以降に話を飛躍させるならば、六角紫水(一八六七j
一
九五O)は太平洋戦争期にアルマイトを胎にして、そこに漆を
塗装する技術を開発した。ここにも未曾有の国際的危機に直
面して生み出された新機軸がある。植物が地中に根を張るよ
うに、漆は酸化アルミニウムに深々と浸み込んで密着する。
こ
こでもまた漆は、時代の要請する新素材の金属の表面に、あら
たな棲家を探し当てたようだ
。
応用襲術あるいは装飾襲術と
呼ばれて、久しく副次的な地位に甘んじてきた漆塾は、実は十
律した造形性を欠きつつも造型を司る漆。そこにあらたなる
工審史の範例を着床させるための媒介となる皮膜
11
可塑性
と粘着力に富んだ浸透膜ーーを探りたい
。
註(l)故オリヴァl
・インピ!とクリスティアン
・ヨ
ルグ氏による英文の大著、
『日本輸出漆器
』(二OO五)の出版は、欧州の蒐集や競売市場に登場する
作例を精査した七百点近い図版を駆使して、この領域の欧州での研究を
集大成した
。それにやや先行して日
本でも
、至文堂『日本の美術』で三度に
わたり「海を渡った日本漆器」が特集され(二OO
一10
二)、一般の読者
にも分かるような現時点での研究烏臓を提供している。さらに日高薫氏
による
『異国の表象近世輸出漆器の想像力
』(二OO八)が、この段階ま
での研究史を振り返り
、そのうえで、研究領域の全般にわたり独自の見解
を提起している。これらを受けて、京都国立博物館とサントリー美術館と
を会場としてご印匂印コ蒔絵|宮廷を飾る東洋の煙き|』(二OO八10
九)と題する展覧会が巡回した。永島明子氏による巻頭論文は、精選され
た先行文献を踏まえつつ、広く公衆にむけて、こなれた文体と周到な構成
で、変幻する蒔絵の姿を巧みに集約してみせた。本稿では、これら専門家
による近年の成果を頼りに、そこに萌芽してきた新たな文化史研究の可
能性を、いくつか素描してみようとする。あくまで門外漢による思い付き
に過ぎないが、「工芸史研究」なる枠組みから浮かびあがる可能性をわず
かでも掬い取り、より広い視野へと拓くきっかけとなれば、望外である。
またこの場を借りて
OZ〈耳目ヨ句。可氏の冥福をお祈り
したい
。
I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19 119 119 I BIJUTSU FORUM 21 VOL.19
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Japan 蒔絵 Export Lαcquer : Reflection of the West in Black and
Gold Makie , Kyoto National Museum , Suntory Museum of Art ,
2008-2009 (鶏]臨程わ< :侵也容トド) 。
Jay A. Leveson (ed.) , Encompassing The Globe , Portugal and the
World in the 16th & 17'h Centuries , Arthur M. Sackler Gallery,
Smithsonian Institution , Washington , D. C. 2007.
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『困刷会J竃í'.f.:!.眠 4くl!H:議特腿H:1liq~判*lK患壇'1100くーO干ミ
Monika Kopplin , Les 1αques du Japon , Collection de Marie-Antoiュ
nette, R騏nion des Mus馥s nationaux, 2002.
Thomas Da Costa Kaufmann , Toward a Geogrαphy of Art, The
University of Chicago Press , 2004
Oliver Impey, Christiaan Jörg, J,αpαnese Export Lαcquer 1580-1850 ,
Hotei Publishing, Amsterdam , 2005
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Monika Kopplin , Les laques du Japan , Collection de Marie-Antoi
nette, Reunion des Musees nationaux, 2002.
Thomas Da Costa Kaufmann, Toward a Geography of Art, The
University of Chicago Press, 2004.
Oliver Impey, Christiaan Jorg, Japanese Export Lacquer 1580-1850,
Hotei Publishing, Amsterdam, 2005.
Japan 1m ~ Export Lacquer: Reflection of the West in Black and
Gold Makie , Kyoto National Museum, Suntory Museum of Art ,
2008-2009 (i!j(iI ~~~1>< : 'rR~q 2 tf-.) 0
Jay A. Leveson (ed.), Encompassing The Globe, Portugal and the
World in the 16th & 1rh Centuries, Arthur M. Sackler Gallery,
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