後伝仏教の始まり チベット仏教 ·...

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チベット仏教 第三回 チベット仏教後伝期1 1 後伝仏教の始まり 中央チベット 古代王国の末裔の一人イェシェーギェルツェンが、東チベットに残っ ていた律の伝統をサムイェ寺で復興(低地律) 西チベット ガリ イェシェーウー ダルマ王から四代目 リンチェンサンポ翻訳師(958-1055) 17年インド、カシュミールに留 学、帰国後多数の仏典を翻訳 リンチェンサンポはトディン寺、タボ寺、スピティ インドからダルマパーラ等を招いて律を復興(高地律) 2 スピティ寺の遺跡 3 リンチェンサンボ 4

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Page 1: 後伝仏教の始まり チベット仏教 · るチベット古代王国の建国神話「カチェムカクルマ」はソン ツェンガンポ王を観音の化身とし、チベットを観音が教化す

チベット仏教第三回 チベット仏教後伝期1

1

後伝仏教の始まり中央チベット古代王国の末裔の一人イェシェーギェルツェンが、東チベットに残っていた律の伝統をサムイェ寺で復興(低地律)

西チベット ガリ

イェシェーウー ダルマ王から四代目

リンチェンサンポ翻訳師(958-1055) 17年インド、カシュミールに留学、帰国後多数の仏典を翻訳

リンチェンサンポはトディン寺、タボ寺、スピティ

インドからダルマパーラ等を招いて律を復興(高地律)

2

スピティ寺の遺跡

3

リンチェンサンボ

4

Page 2: 後伝仏教の始まり チベット仏教 · るチベット古代王国の建国神話「カチェムカクルマ」はソン ツェンガンポ王を観音の化身とし、チベットを観音が教化す

アティシャチャンチュプウーがナクツォ翻訳師を派遣してアティシャ(982-1054)を招聘

ヴィクラマシーラ大僧院の僧院長

1040年にインドを発ち、1042年にガリのトディン寺に到着 リンチェンサンポと会う

1044年、ドムトゥンに会って中央チベットへ。最初はサムイェ寺

ドムトゥン(1005-64)とニェタンへ

ゴク・レクペーシェーラップによって大昭寺へ

最後はニェタンでドムトゥンに看取られ亡くなる

ドムトゥンは1056年ラデンに密教道場を建設、そこからカダム派が始まる

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アティシャ

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カギュ派の祖マルパ(1012-97) 出家せず俗人のまま密教行者となる

ドクミ翻訳師からサンスクリット語を学び、三度インドへ留学

ナーローパからナーローの六法、マイトリーパからマハームドラーを学ぶ

ミラレーパ(1052-1135)

前半生は、復讐のために殺人を犯す

後半生は、マルパに弟子入りし、マルパに虐めのような指導をされながら覚りを開く

森の中に住んで遊行しながら弟子に教えを説く

宗教詩を残す。チベット一の詩人

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マルパとミラレーパとガムポパ

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ミラレーパ

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カギュ派の分派タクポラジェ(1079-1153)

医者!カダム派!ミラレパに師事!カダム派とマルパの密教を統合

その弟子が四大派と八支脈となる。カルマ派、パクモドゥ派、ディグン派など。

カルマ派の転生僧制度

カルマ・ドゥースムキェンパ(1110-93)の亡くなったあと、その転生者を探して、生まれ変わりとしたのが、チベットでの転生僧の最初とされる。

それまでの教団は、それぞれの地方の氏族と結び付いたローカルな教団であった

転生僧は高僧が人々を救うために生まれ変わって戻ってくるという思想で、氏族に止まらない広い信仰・支持を集めることが出来た。

その後、カルマパ(カルマ派の転生僧)は現在の17代まで続いている

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ガムポパ

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カルマパ3世カルマパ1世 カルマパ2世

カルマパ4世 カルマパ5世 現カルマパ17世

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サキャ派の5祖師クンチョク・ギェルポ(1034-1102)

ドクミ翻訳師からヘーヴァジュラ・タントラに基づく「道果説」を学ぶ

1073年サキャ寺を建設

サチェン・クンガーニンポ(1092-1158)子

ここからサキャ五祖師を数える

ソナム・ツェモ(1142-82)子

サキャの座主は三年のみ。弟に譲り、自らは弟子の教育と著作に当たる

サキャ派にカダム派の学問仏教を導入

タクパギェルツェン(1146-1216)弟

53年間、サキャ寺の座主

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サキャ派の5祖師サキャパンディタ(1182-1251)子

インド最後の仏教を代表するシャーキャシュリーバドラに師事、出家する

顕教を重視し、論理学の第一人者

チンギスハンの孫クテンの元にチベットの代表として派遣され、チベット侵攻を止めさせる

パクパ(1235-80)甥

サキャパンディタに連れられてモンゴルの宮廷に行く。

クテン死後、1253年、即位前のフビライハンの師となる。

フビライが元王朝を立てたのちは、全仏教界のトップに任命され、帝師の称号を与えられた

パクパがフビライの求めに応じて作ったモンゴル語を記すためのパクパ文字は、元朝の公文書に使われた

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サキャパンディタ パクパ

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パクパ文字による勅令(モンゴル語)

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ニンマ派リンチェンサンポ以降に翻訳された密教経典を「新訳タントラ」と言うのに対し、それ以前に翻訳されたとされる密教経典を「古訳(ニンマ)タントラ」と言う

新訳派に対して、古訳に基づく宗派を古訳派すなわちニンマ派と言う

新訳の大蔵経タントラとは別に「ニンマ・ギューブム」を編纂

サムイェ寺の落慶のためにインドから招聘されたとされる密教行者パドマサンバヴァが、秘密の教えを各地に埋蔵したもの(埋蔵教説・テルマ)を後代の行者(埋蔵教説発掘者・テルトン)が発掘したとして著作が行われた。

現在に至るまで、テルトンがテルマを発掘し続けている

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パドマサンバヴァ

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ニンマ派の教義だけではなく、アティシャが発掘したとされるチベット古代王国の建国神話「カチェムカクルマ」はソンツェンガンポ王を観音の化身とし、チベットを観音が教化する地とする伝説を生み出した。

後にダライラマが観音の化身とされるようになる背景

ニンマ派の思想体系は、もともとカダム派出身のニンマ派の大学者ロンチェン・ラプジャムパ(1308-64)が大成した

密教行者は政治的になることなく、各地に草の根の信仰を広めた

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ロンチェン・ラプジャムパ

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ゲルク派もっとも遅くに成立した宗派

カダム派のラムリムの思想を受け継ぎ、新カダム派と称する

開祖はチベット第一の学僧ツォンカパ・ロサンタクパ(1357-1419)

文殊菩薩と直接話をして独自の仏教理解を確立

密教偏重の傾向を憂い、戒律を重視し、顕教を修めてから密教を学ぶ修行体系

特に顕教の中観帰謬論証派の空理解を、顕密全ての基礎に置いた

晩年には、ラサにモンラムチェンモ(大祈願会)を創始し、ガンデン寺を建立

弟子の立てたセラ寺とデプン寺を合わせラサの三大寺「セル・デ・ゲ」

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ツォンカパ・ロサンタクパ

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ラサのモンラムチェンモ(大祈願会)

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