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「沖縄自治の過去・現在・これから」 第一部 沖縄の人々の人権と自治権 ~外国軍による軍事占領、マイナスからの出発~ 島袋純 20135112013年度沖縄自治研究会講第一回座&ワークショップ話題提供②

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Page 1: 「沖縄自治の過去・現在・これから」「沖縄自治の過去・現在・これから」 第一部沖縄の人々の人権と自治権 ~外国軍による軍事占領、マイナスからの出発~

「沖縄自治の過去・現在・これから」

第一部 沖縄の人々の人権と自治権~外国軍による軍事占領、マイナスからの出発~

島袋純

2013年5月11日

2013年度沖縄自治研究会講第一回座&ワークショップ話題提供②

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1945年~72年の沖縄=戦時の軍事

占領の継続

• 米軍は本島上陸直後4月5日、アメリカ海軍元帥

チェスター・ニミッツは米国海軍軍政府布告第一号(いわゆるニミッツ布告)「(北緯30度以南の)南西諸島における日本の行政権及び司法権を停止して米軍の占領下におく」を公布し、奄美群島以南の南西諸島地域における日本政府の行政権を停止、琉球列島米国軍政府を設立。

• その時点で鹿児島県管轄下、戦闘地域でない奄美大島諸島も全部米軍政下とされている。

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そもそもなぜ北緯30度で線引きしたのか

• 北緯30度以北の日本軍は、「本土防衛軍」と呼ばれ、それ以南の軍は、「南西諸島防衛軍」。

• 本土=皇土。沖縄戦開始の際の阿南惟幾陸軍大臣による『決戦訓』、「皇軍将兵は、皇土を死守すべし。皇土は、天皇しまし、神霊鎮まり給うの地なり」→琉球列島は、「皇土でない地」

• 本土防衛軍 ⇔ 米陸軍マッカーサー

• 南西諸島防衛軍 ⇔ 米海軍ニミッツ

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日本政府の認識と意思、呼応した米

• 近衛文麿によるソ連への和平交渉の斡旋の試み。和平交渉の要綱の準備。その具体的条件「国土に就いてはなるべく他日の再起に便なることに努むるも、止むを得ざれば、固有領土を以て満足す」、「固有領土の解釈については、最下限、沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする」

• アチソン米国務長官の議会での証言によると、要するに北緯30度の線は、「大和民族と琉球民族との境目」の線。(琉球王国時代の領土地域)

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天皇メッセージと琉球列島の分離

• 30度以下の琉球列島の取り扱いに関する「天皇メッセージ」=1947年9月20日付作成「マッカーサ元帥のための覚書」、 9月22日付「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」。(筑波大学進藤栄一「分割された領土」 『世界』 1979年年4月号)

• 「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望」

• 「天皇メッセージ」の根底にある沖縄についての見方・考え方、すなわち天皇や政府首脳が沖縄を日本固有の領土と見なしていたか否か、という点。答えは“否”

出典:大田昌秀「戦後沖縄の挑戦」 (朝日新聞労連主催1999年5月3日講演会)http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4053/1999-after-1.html 2013年5月8日

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米軍政による沖縄直接支配=米軍の法令による支配(GHQ本土支配にはない)

• 「布告・布令・指令」「沖縄統治にあたって沖縄現地の米国政府機関(米軍政府・米国民政府など)が制定・公布した法令の形式。…米国統治下における沖縄の法体系は、おおまかにいって、これら米国側の制定する法令と琉球政府をはじめとする住民の自治組織によって制定される法令(いわゆる民立法)とによって構成され、米国側の法令が沖縄側の法令にたいして上位法規としての地位を有した。…」 ( 『沖縄大百科事典 下』(沖縄タイムス社、1983年、p362)

・米軍側の発する法令等布告・布令・指令の3種。(立法・行政・司法の三権全てを対象)布告:住民あてに重要かつ基本的事項を定めたもの。

(例:ニミッツ布告)布令:基本的かつ原型的な法形式。(例:琉球政府章典・琉球

大学設置法) 米国軍政府布令・高等弁務官布令等。指令:琉球政府などの行政機関の行為を指示することが目的

だが沖縄住民に対しても拘束力をもつ。その下に、琉球立法院が制定する法律(立法)

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指令:琉球政府などの行政機関の行為を指示することが目的。 沖縄住民に対しても拘束力をもつ。?

• 琉球政府・市町村役場は、その指令に従わざるを得ない。琉球警察もその指令下にあり、沖縄住民もそれによって拘束できる。

• 立法権も、行政権(警察権を含む)も、裁判権も米軍が持っている。好きなように犯罪を作り、好きなように逮捕し、好きなように有罪化(場合によっては無罪とする)できる。

• 思想・良心の自由、言論・表現の自由、結社・集会の自由も、政治的自由も、米軍政に反対する場合は、剥奪・禁止。

• 具体的に、それがどういうことを意味するのか?

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沖縄自治研究会の調査:上原信夫 沖縄民主同盟青年部長(結成時)の話

沖縄自治研究会URLよりhttp://plaza.rakuten.co.jp/jichiken/

宮里栄輝先生が、あしたすぐ帰りなさいと言うんですよ。どうしたんですかと尋ねると、

「君は知らないけれども、君が沖縄から脱出したら、最初は、上原は反米活動して睨まれて逃げたんだと言うことで、それまで君を知っていた人たちは関係部門から君が上原を逃がしたんだとものすごく責められているんですよ、たくさんの人が。」

私も後日分かるのですが、同郷人の話によると、警察官の某氏や、当時の国頭村の村長とか助役など、私を知っている多くの先輩達も何回も呼ばれたりして、「おまえたちが逃がしたんだろう、上原信夫どこにいるんだ!」ということで厳しく追跡されたらしい。

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宮里先生が言うには、何カ月かたったら君は殺人犯になっているんだと言うんですよ。CICはそこまで卑劣なことをやっているんだぞ、君あした帰りなさい。いかん、すべてあしたからの予定は全部変更だぞと。

君が逃げた後は、アメリカに反対してあいつは逃げたんだと。アメリカに追われて逃げたんだと。これではあまりのも一般論なんですな。却って大衆は君に同情するだけだと。

それで米軍が持ち出したのは、これは宮里先生の言葉を借りると、志喜屋孝信暗殺計画なるものだそうだ。暗殺執行一歩手前までいっていたんだと。その責任者は上原信夫であると。それを追及されて彼は逃げたんだと。こういうことにしたんだそうです。

その暗殺計画を曝露されてはじめて彼は逃げたんだということを言いふらしたというんです。それが恐らく民主同盟の名声を落とす一つの重要なデマ宣伝でもあったかもしれないです。

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1954年10月、郷里である伊江島の土地を接収するため測量に来た米軍を、なんとか引き返させた。翌日来た米軍は、土地問題を扱う部署ではなく、嘉手納基地情報部だった。交渉どころではなく、私に対して「職場は?住所は?」と、まるで取調べ。

家を焼き払う翌55年3月14日、米軍はついに立ち退きに反対して

いる13戸に対し、ブルドーザーで家屋を倒壊させたり、焼き払ったりする強硬手段に出た。姉の嫁ぎ先は、危機を感じて家財道具を運び出そう

としている最中に火を放たれ、危うく家族もろとも焼き殺されそうになった。いとこの家は幼児が病に伏せていたため、「せめて治るまでは」と懇願したが、病床の蚊帳を引きはがされ追い出された上に、家屋はブルでなぎ倒された。

2013年(平成25年)4月17日(水) 沖縄タイムス 22面「接収に怒り 懐柔拒否」 ~基地で働く 軍作業員の戦後

110(伊江島出身知念忠二さん元軍雇用員の証言)

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情報部の監視次第に尾行されたり、執務中に監視されたりするよ

うになった。56~58年にかけて、何度か米陸軍情報部(CIC)の調査も受けたよ。泣く子も黙る思想弾圧の組織だからね。そのまま拉致されるのではと恐ろしかった。やがて米軍は、懐柔策にも訴えてきた。親しい職場の同僚を通じて、嘉手納基地の空軍諜報部(OSI)の通訳として働かないかと熱心に誘いこんできたんだ。給料は倍以上、琉球政府主席に近いくらい出すということだった。

破格の待遇だったし、むげに断ればどんな仕打ちをされるか分からない。クビになれば路頭に迷い、家族への仕送りもできなくなる-と、正直心は揺れたよ。でも親兄弟やみんなを裏切ることにもなる。そんなことしちゃだめだ―と、もう一人の自分が訴えかけてくれるんだ。2か月くらい悩んだ末、「私にはそういう能力はない」と断ったよ。

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人権意識が薄く自治能力がない、おとなしい従順な琉球人?(米の対沖縄観)

• 多くの沖縄人のCIC等米諜報機関への協力者(沖縄人スパイ)の存在

• 密告内通の恐怖、失職の恐怖、財産喪失の恐怖、取り調べの恐怖、監視・威嚇の恐怖、親族友人等への取り調べの恐怖、拉致監禁の恐怖、死の恐怖、 誰が密告者か分からない恐怖・相互の疑心暗鬼

1955年伊江島の民間地の強制接収接収を邪魔した罪で、32名の島民逮捕と嘉手納基地への連行 軍事裁判による有罪伊佐浜の接収(同時期)、人民党事件(54年強制退去命令違反)、琉大事件(56年学生処分か琉大廃止か)

那覇市長公職追放(56年瀬長当選、融資禁止、銀行取引停止、布令改正) ⇔ 市民による納税のための長蛇の列

強制接収は以後、不可能に。人権自治権は以後暫時拡大。

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弾圧と島ぐるみ闘争と自由の獲得⇒伊江島島民らによる「乞食行進」(阿波根昌鴻:倫理的な高さ)

⇒痛みの共有、社会的正義、全琉的な支援の拡大⇒プライス勧告(1956年6月=土地の実質買取)

⇔ 土地四原則 反対運動の組織化 4原則貫徹本部の設置

6月20日第一回住民大会(各市町村ごと56団体、16万~40万)6月25日第二回大会(那覇10万、コザ5万) ⇔ 米軍オフリミッツ

会場で職場の知人などにであって人たちは、顔を見合わせて涙ぐんだという。きのうまでは、スパイの目をおそれて言いたいことも言えず、お互いに疑心暗鬼の状態だった人々が、今日は力強い連帯の場にいた。そして、何者にも阻まれることもなく、自分の意志を表明することができた。(新崎・中野『沖縄問題20年』岩波新書

「私が二ヶ月前に沖縄にきたときの住民は、政治問題について複雑な表情で、日本復帰とか、そういうことについてもあまり意見を表明することがなかったが、今度きてみると、まるで住民の表情が変わっていて、非常にはっきりしている。きのう(25日)の大会でもそうだったが、街の中で会う人に話を聞いてみても、ズケズケものをいっている」(1956・6・26東京新聞)

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米軍政への協力者「空軍諜報部(OSI)の通訳として働かないかと熱心に誘いこんで

きたんだ。給料は倍以上、琉球政府主席に近いくらい出す」• 軍政は、人事権、財政権すべての掌握、非協力だと、罷免

や組織のとりつぶしの脅し。逆に協力者には、役職・地位の獲得、組織の拡大、財政や金融支援優遇

⇒ 琉大事件の際は、土地闘争支援の学生を学長、理事等が、琉大廃校を回避するためと称し、学生を退学処分。瀬長市長誕生の際には、銀行が米軍の要請をうけて、銀行を守るためということで那覇市と取引停止。

協力者=社会的地位、経済的地位を上り詰める。言い訳して反省しない謝罪しない、カミングアウトしない。権力依存的、寄生的存在だが、食っていくため家族のため、組織のため(はては、沖縄のため)の現実的対応と言い訳して自己保身自己正当化、何が「社会的正義」なのかを考えない、意図的に思考停止する。 倫理的退廃

人権や自治権の拡大にとってマイナスの人々、自治や自律にとって、極めて大きな阻害要因

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まとめ:自由と自治を勝ち取るために• 瀬長亀治郎の那覇市長当選(1956年12月)、土地闘争、島ぐるみ闘争の影響

銀行&大企業は、那覇市役所と取引停止、保守系有力者は、不信任案提出、、、一般市民は、税金を納めるために、長蛇の列

どちらが、我々を解放し、自由をもたらし、自治の力を向上させるのか?市民的共同体として信頼ある社会を構築できるのか?

琉大事件:大学、学長、理事、教員の地位は安泰で、学生だけが退学処分、、、これしか解決策がなかったのか?

米軍雇用員でありながら、伊江島民の側に立って活動し、米軍の側に立つことを、恐怖の中で拒否した、知念忠二のような勇気を持てなかったのか。

どれだけ、一人ひとりが現場で倫理的に考えることでき、踏ん張れるか、、

協力者も多かったけど、後者も多かった、、、だからこそ、復帰は実現した、しかし、今も前者は非常に多い、、、復帰後の体制、、、

一過性で終わるのでは、継続性、持続性が極めて重要。我々は戦い続けることしかない、、、。

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第二部 施政権返還と沖縄統治の本質~これまでの振興体制とこれからの希望~

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「基地問題と沖縄振興」2013年03月15日 (金)

第1論点、沖縄の基地問題の根源は何か?

第2論点、沖縄の施政権返還の目的と返還後の沖縄統治の核心は何か?

第3論点、沖縄振興開発体制はどういう仕組みと役割を持つものか

1996年以来この振興開発体制が大きく変容していきますので、その理由を検討し現在の沖縄振興体制の特徴を明らかにしたいと思います。

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第1論点、沖縄の米軍基地の問題の根源

• 沖縄の米軍基地の問題の根源は、米軍の基地建設の経緯に由来。

• 一般住民の土地に対する強制的な取り上げ「強制収用」に関して日本本土とは全く異なる米軍基地の作られ方

• まず日本本土の米軍基地は、(1)旧日本軍の基地を戦後米軍が接収(2)旧日本軍基地は、ほとんどが国有地(3)新たな民間地の収用はほとんどない

• 米軍のための「全土基地化」と「自由使用」を支えるために1952年に制定された駐留軍用地特別措置法を発動する必要がない状況。

• したがって、土地の強制収用の問題はほとんどない。

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沖縄の基地建設の経緯

• 沖縄の場合を比較します。(1)一般住民の土地を戦時中に米軍が接収(2)大半が民間地(3)伊江島や伊佐浜など新たな接収地もあるつまり、基地問題の根源は、あまりにも乱暴な住民の権利や生活を無視した強制収用の問題であり、沖縄の人々からすれば、「住民の自分達の土地に対する基本的権利の侵害」にある。

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第二論点、施政権の返還、復帰とは何だったのか

• 沖縄の人々にとって、日本に復帰すれば、日本国民として権利が回復、問題が解決できるのではという期待が、復帰運動の原動力でした。①積極的に日本に同化し日本人として同情・共感してもらうことによって権利回復していくことが期待、②第二に、日本国憲法への期待、つまり立憲主義に基づいた憲法による人権回復が求められた。

• しかし、1972年沖縄の日本への施政権返還は、一部を除き、返還前と同じレベルの米軍基地の存続と自由使用が条件でした。つまり沖縄の基地、米軍の特権は復帰してもほとんどそのままでそれを日本政府が確約・保障することで実現したのです。これがが、日本政府の沖縄統治の根幹です。

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第三論点、沖縄振興体制とは何か

• そのための権利侵害状況を回復するどころか固定化する「ムチ」の制度化こそが沖縄統治にとって最も重要。そこで実質的に沖縄にしか適用されない、多数の法律や特別法を制定しました。公用地暫定使用法、地籍明確化法、駐留軍用地特措法。

• 日本政府による沖縄の統治体制は、沖縄の期待「日本人として同情・共感に基づく権利回復」に応えるえる形で、基地の維持政策と抵触しないように、または、結果としてそれを間接的支えるものとして創設された。

• ◎「沖縄振興開発特別措置法」「沖縄開発庁設置法」◎「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」

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• 71年の臨時国会における山中貞則(さだのり)総務長官の立法趣旨説明では、

•「日本国民と政府は、多年にわたる忍耐と苦難の歴史の中で生き抜いてこられた沖縄県民の心情に深く思いをいたし、『償いの心』を持って復帰関連法律を策定する」

• 当時は「ムチ」に対する見返り「アメ」だと主張することは不可能であり、日本人としての同情や共感、国民としての一体感を前面に出して沖縄の日本への統合を進める必要があったわけです。同時に沖縄の最も重要な問題を,「沖縄振興」にずらし、沖縄の基地問題を「非争点化」する役割を持つ。これが、第三番目の問い、沖縄振興体制とは何か、に対する一つの答え。

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沖縄振興体制と役割の変化• しかし、1996年以降、この基地問題の非争点化の制度は、

大田県政の挑戦を受けて、動揺し、その後大きく変化。

• 国政において沖縄基地問題の争点化したのは、1996年土地を強制収用するため「代理署名」という国から委任された事務を大田知事が拒否したことがきっかけ。国が知事を裁判に訴えることで打開を求めたため。国は基地問題を政治的争点とさせないような制度に仕組みを変えていく。

• 1997年、国は、軍用地の強制収用に関する権限強化を図りつつ、同時に基地に関連する直接的な支援策、補償的な色合いの強い事業の導入に取り組む。つまり、「ムチ」の強化と「アメ」の拡充を同時に取り組むこと。

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ムチとアメの強化ー保障型政治

• ムチの強化の中心は、駐留軍用地特措法の改正であり、地主の契約の拒否や収用委員会の却下に関わらず、国の都合で永久的な強制収用を可能にする。

• さらに、1997年以降、次つぎとムチとアメの直接的な関係がつくられていきました。沖縄米軍基地所在市町村活性化特別事業、部振興事業、米軍再編交付金。

• このような基地を置く見返りとしての振興事業が拡大し、国レベルでは沖縄振興とは、沖縄から基地の引き換えに要求されたアメであるという認識に大きく変化。見返りの問題として基地問題は矮小化され、同時に国における『償いの心』は完全に失われ、それによる沖縄の日本への統合が崩壊し、断絶はより深く。

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一括交付金の導入、国側の見方

• そうした中で2012年4月に沖縄振興法が改正され、新たな仕組み「沖縄振興一括交付金」が導入されました。地域主権改革の先導的モデルという名目で、これまで厳格に自治体の使い道や使い方に対して国が事業ごとに統制していた国庫補助金と異なり、かなり自由に自治体が使えるようになりました。

• しかしその捉え方も大きく分裂しています。国レベルでは、辺野古の移設など、基地政策を推進するための次のムチを用意するための実質的な見返りという見方が一般化。実際に、一括交付金は算出の根拠に客観性が乏しく総額の決定が、政治的に決められる。個々の事業の統制は弱まりましたが(事業ごとのリンク・見返り性は弱まる)、政治の都合で総額(全体そのものを見返りとする)を左右し、沖縄の自治体を統制する力を持っている。

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沖縄側の見方

• 他方、沖縄では、オスプレイの配備に端的に表わされるように権利侵害状況はむしろ悪く。

• それを容認するのは自己尊厳の否定であり、何らかの見返りとの取引もできるものではないという考えと、国による沖縄振興は、基地を押し付けるだけで沖縄の経済発展に結びついておらず、復帰後の返還地の驚異的な経済発展を見るにつけ、基地の存在そのものが経済発展の阻害要因であるという見方がいっそう強く。

• 一括交付金は、国による統制を小さくし自治体の自由度を拡大することによって効果ある事業を組み立て自治を充実していくことで、さらに基地の整理縮小に結び付けるものという考え方。

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一括交付金をアメとして押し切ると、、

• 一括交付金はどちらの性格も併せ持っており、実際にどう発展するかみていく必要がある。

• その際に最も注意を要するのは、米軍基地の存在があまりにも大きく、沖縄の人々の尊厳を深く傷つける状況になっていることに対して、国や日本国民全体がその痛みを共有する姿勢を喪失している点。

• 断絶は深まり国民としての一体感が急速に失われつつある。

• 基地問題と沖縄振興をムチとアメとするとらえ方では、決して解決できないどころか、断絶は修復できないレベルに拡大し、国家としての存続を危機に陥れるものだということ。

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軍雇用員でありながら、ギリギリのところで軍に非協力、地位や金銭の機械損失自民党の大転換 償いの心の喪失

憲法改正案=立憲主義の否定

権利の制限の論拠

公共の福祉を否定して公益公の秩序

教育制度改革⇒ 道徳の教科化=どういう道徳観、国家観、価値観をもつべきか、内容を国家が規定して教え込む 教育委員会制度の廃止=中央統制の強力な制度への変更可能性大。

国立大学教育学部=旧師範学校=皇民化教育を推進する教員を養成