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日震災化させない動推進 中井政義:著 Copyright © 日震災化させない動推進All rights reserved.

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東日本大震災を風化させない活動推進センター

中井政義:著

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<目 次>

●私のあの時・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 頁

・中井政義の震災体験談

1111 年経年経年経年経ってってってって・・・・・・・・

真実真実真実真実のののの東日本大震災東日本大震災東日本大震災東日本大震災。。。。

実在実在実在実在したしたしたした数数数数々々々々のののの問題問題問題問題をををを教訓教訓教訓教訓にしようにしようにしようにしよう!!!!

●被災後のライフラインの問題・・・・・・・・・・15 頁

●避難所格差の問題・・・・・・・・・・・・・・・18 頁

●避難所に入って、まずすべきこと・・・・・・・・19 頁

●避難所の食事・・・・・・・・・・・・・・・・・22 頁

●被災者の苦悩・・・・・・・・・・・・・・・・・24 頁

・ 夫婦・家庭の絆の崩壊

・ DVの急増問題

・ 罹災証明 1枚で明暗

・ 保険で明暗

・ 被災者の仕事はどうなる?

・ 二重ローン問題

・ 自営業者の苦悩

●行政の対応・・・・・・・・・・・・・・・・・・29 頁

・ 届かぬ義援金

・ 後手後手の民間賃貸住宅借上げ制度

・ 医療機関も最悪の状態に・・

●最後に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33 頁

●付録:現在私が住む地の被災数日後の画像集・・・34 頁

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●●●●私私私私のあののあののあののあの時時時時

震災体験談震災体験談震災体験談震災体験談・・・・・・・・2011 年 3 月 11 日、2 時 46 分東日本大震災発生!私は

あの時を妻と宮城県仙台市で体験した。

正直、過去何度も大きな地震を経験している私(宮城県人)は「またか・・」

という心境だった。

しかし、今まで経験したことがないゴーゴーと音を立てながらの激しい揺

れ。尋常じゃない長さ・・

縦揺れなのか?横揺れなのかも判断できなかった。

納まらない揺れに危機感を抱き、居合わせた建物の倒壊を恐れて、慌てて

外へ出た私は外の有り得ない電柱の撓りを目撃!

辺りの人々は県道に車を止め、車外へ出て様子を伺う、向かいのお店から

飛び出してきたお客さん達で一体は騒然としていた。結局、三分間も揺れ

ていた。

今思えば、あの日は偶然が重なって自宅から 50 キロも離れた仙台市で地

震を体験した。

実は妻は 2004 年に子宮頸がんになり、震災日の 3月 11日は 1 年に一回の

経過検診の日だったのだ。

私は毎年付き添っているので、その時も付き添いさらにその日の夜、私は

仙台で仕事の打ち合わせがあっため、いっしょに1台の車で仙台に行った

のだった。

普段なら津波で全壊した、自宅兼事務所の家に居たはずだが、1 年に一回

の経過検診の付き添いと、自分の仕事の打ち合わせが重なり家にいなかっ

た・・

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これは偶然であるが、運命が生死を分けたと思っている。「私は生かされ

た・・」。これだけの死者が出た震災なので、後に私は、心底・・そう思

った。

そして地震後、妻の携帯電話が一通のメールを受信した。

高校の卒業式を終え、就労日近くまで夜勤のアルバイトを始めた長男から

だった。

夜勤ゆえに午後 2字 46分は熟睡している時間。

唯一、家族で寝ていると思われる長男が地震で机や家具の下敷きになって

いないか?などと・・妻と話していた矢先のメールだった。

メールが来たということは、長男は無事だ。部屋の机の下敷きにならなか

ったな・・と安心した。

しかし、次男、三男、我が家の隣に住む義父、義母(妻の両親)の安否が

わからない。

そもそも午後 2 字 46 分という時間は、義父、義母共に外出していておか

しくない時間であり、当時小学 5 年生の三男は下校時間を向かえ、津波が

襲う家に向かって歩いている可能性がある。

次男(当時、中学三年生)も中学校の卒業式を前日に控え、早い帰宅スケ

ジュールとなっていると妻が言う。

確実に学校を後にしている時間だった。

ということは、私と妻以外の家族は、全員がバラバラの可能性もあり、も

しそうだとしたら、各々何処へ避難したのだろう??という心配が先に立

った。

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そもそも津波を警戒して逃げてくれるのか?その意思すら確認できない。

そんな中、地震発生二十分後の 3 時4分に、(前述の)長男からのメール

が届いたのであった。

内容は・・「車使うから」たった一行のショートメールだった。

二台所有する車のうち、家に残してきた「エスティマ」を使うことを知ら

せるメールだった。

18 才を迎えた長男は、若葉マークの普通免許所持者であり、「車使うか

ら」・・この 1 行の言葉から、「津波が来ることを想定し家族が自宅から逃

げるため」・・と判断できた。

この日、(結果的に)車を自宅に 1 台置いてきたことが、今思えばラッキ

ーだった。(内陸の避難所まで 2キロ程度あるため)

しかしメールには、「誰と逃げる」と明記されておらず、即、妻は「誰と

いっしょか?」を問う文書を返信した。

ところがその後、長男からの返信メールは無く、それどころか以降電話は

もちろん、メールすらも一切繋がらなくなってしまった・・

音信不通状態にただならぬ不安を感じ、私は仕事の打ち合わせを諦め妻と

いっしょに帰宅を決意した。

そして、3時 10頃、仙台市を後に一路自宅がある東松島市を目指したのだ

った。

しかし、地震発生から二十五分経過、停電で信号が全て止まっており県道

は、既に大渋滞となっていた。

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一向に進まない車列、その間も妻はずっとメールで長男に連絡を試みる!

なんどやっても駄目!妻が顔を顰める・・電話は発信すら遮断される。

逆に繋がらないと、募る不安・・まさか、既に津波に??・・最悪のシナ

リオが頭を過ぎる。

実は私が住む東松島市大曲浜は、高台が無く二本の道でしか内陸部へいけ

ない。

その道も渋滞が考えられ、津波に追いつかれたらひとたまりもないことが

明白だった。

とにかく、仙台市の内陸部で地震に遭遇した私達は、沿岸部、要は自宅が

ある海沿いはどうなっている?・・

それが気になって仕方なかった・・

大渋滞で車が一向に進まない中、激しい雪が降りだしてきた。雪雲が一層

空を暗くし、不気味さを呈していた。

カーラジオからは、繰り返し流れる地震情報、しかし、全て仙台市の情報

で自分の住むエリアの情報は一向に流れない。

車窓から目に飛び込んでくる光景は、街道沿いに建つ多くの住宅の壁が落

ちていたり、家の屋根瓦も浮き上がっていたり、またカーディーラーのシ

ョールーム高さ 3~4メートルもある大きなガラスが割れ落ちている光景

だったり・・今までにない地震規模!ということが、見て取れた。

先に進むにつれ、波打ったり割けた道路が次々現れ、橋と道路のつなぎ目

には、あり得ないほどの段差が出来ており(これは地盤沈下によるもの)

ますます、自分達が住む、沿岸部はどうなっているのだろう?という不安

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に駆られた。

仙台市の街道から国道 45 号線を通り、日本三景の松島町で沿岸部を通る

か、そのまま国道 45 号線を通過するか?という別れ道に遭遇した。

私は迷わず、沿岸部は津波被害で通行止めと想定し、そのまま直進する国

道 45号線の進路を選んだ。

結果この選択が正解だった。やはり沿岸部は、途中から通行できないよう

だった。

結局、東松島市入りしたのが、薄暗くなってきた夕方だった。この時点で

2 時間は経過している。

「「「「もうもうもうもう少少少少しでしでしでしで我我我我がががが家家家家だだだだ。」。」。」。」・・・・・・・・

そう思いながら、太平洋(野蒜の海岸線)と繋がっている吉田川沿いを進

んだ。

すると、家の屋根や家の瓦礫がドンドン川を流れてくる光景を目にした。

信じられなかった・・その瓦礫は方向的に、東松島市浜市地区と野蒜地区

の家と判断できた。

とすれば、地区は違えど海岸線から同距離にある我が家までも津波が到達

したことは明白だった。

と同時に、微かな期待が瞬間絶望に変わった。

「我が家も駄目か・・」

しかし、悲しさとか虚しさは感じない。

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とにかく家族の安否だ!先に進まないと・・焦りとうらはらに道は大渋滞

で、その先に一人の男性がおり、迂回を指示していた。

話を聞くと、東松島市の沿岸から約二キロ先を通る国道 45 号線まで津波

が到達していて通行止めだという。

信じられなかった!・・

そこまで津波が来ているということは、距離的に私が住む東松島市大曲地

区、指定避難所の大曲小学校にも津波が到達していることになる。

その様子が全く想像できなかった・・とにかく、家族が避難していると思

われる大曲小学校を目指さないと・・

指示通りぐるっと迂回(遠回り)し、山越えをして東松島市街地に入った。

そのころは既に日は落ち、真っ暗だった。

気が付くと、午後6時を過ぎていた。

市街地から裏道を通り、家族が避難していると思われる大曲小学校を目指

したが、国道 45 号線どころか数百メートル手前のJR仙石線の線路前で

またも通行止めを食らった。

そこは沿岸から二キロ以上内陸の場所でだったが「もうそこまで津波が来

ているから線路を超えてはいけません、引き返して下さい!」というもの。

もう、なす術がなかった。

暗闇の中、線路の向こう(沿岸部寄りのエリア)がどうなっているのか?

全然見当も付かなかった・・

仕方なく引き返すことに・・しかし、私達夫婦もいく当てがない。

まずは手がかりを求め、津波が到達していないエリアに住む、私の実家の

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母親宅に行ったが、どこかに避難した後で、玄関には鍵か掛かっていた。

ジッとしていられないので、浸水していないエリアの学校など、避難者が

いるところを妻と二人で全て探して回ることにした。

もしも津波から少しでも遠くへ逃げていれば、指定避難所以外の(二キロ

以上)内陸部まで逃げているかもしれない・・そんな微かな期待を抱き、

必死に家族が乗って逃げた車(エスティマ)を探した。

車を探した理由は、町中が停電し漆黒の世界で、殆どの市民が避難所に避

難している状態。

真っ暗な避難所、ごったがえする大勢の避難者の中から、特定の人物を探

すことは不可能だった。

だから車を見つけ、まずは居場所を特定しようとした。

思い当たる場所、内陸部の小・中学校はや身内の家は全て回ったが、車は

無かった・・。

万事を尽くし、家族が指定避難所に避難していることを信じて、私達夫婦

は内陸部の小学校に避難した。

結局・・家族と会えず、安否も分からず、避難所で不安な夜を迎えた。

忘れもしない・・とっても空が澄んでいて、星が綺麗だった夜。手が届き

そうなくらいはっきり星が見えた夜。

(めっちゃ星がきれいだったという証言は多数ありました、自然と関係し

ているのでしょうね)

誰もが無言で下を向き、寒くて絶望感が漂う闇夜の教室。

その夜の情報源はラジオだけだった。ラジオから想像を超える被害の状況

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が放送された。

「名取、ゆりあげ(仙台平野)で 200 百~300 名の遺体を確認」・・などと、

ラジオの情報から各地の浸水度合いや被害を推測した。

それも地獄絵図が想像できる被害を状況を・・

あそこも水没か・・あそこにそんな被害が・・と。

聞き慣れた地名の街が壊滅したことを伝えていた。

そこから私たち夫婦の二週間の避難所生活が始まった。

これから先どうなるのだろう・・不安で、不安で仕方なかった。凍りつく

ような夜を乗り越え、朝日が見えてきた。と同時に鳴り響く、多数のヘリ

コプターのプロペラの音。

人命救助やマスコミヘリコプターだと瞬時に分かった。その数の多さに改

めて想像を絶する災害が起きたことを察した。

そして、翌日から徐々に被害状況が明らかになっていく。

朝を迎えても携帯電話が一切繋がらず、家族の安否も分からず・・

それから毎日何度も電話したが、最終的に携帯電話の充電が無くなってし

まった。

翌日以降、時間と共にジワジワ内陸まで津波は押寄せ、東松島市は市の 65%

が浸水し、私が非難した小学校の校庭も一部浸水し始めた。

結局、校庭の中ほどで止まったが、その水が一向に引かなかった。

みんなイライラしていた。理由は、家族が避難しているだろうと推測して

いる場所に行けないからだ。

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特に中年世代の親は、子供の元へ行けず連絡も取れず・・毎日もどかしい

日々を過ごした。

とにかく、情報を集めた。どの辺(エリア)まで浸水している?深さは??

歩いて行ける深さか?などなど・・

そんな会話が飛び交った。

胸までの深さだったら行けるな!行って見ようか?・・などなど、みんな

強行策を模索していた。

そんな中、私達夫婦は「大丈夫、生きているから・・」と励ましあった。

しかししかししかししかし夜夜夜夜・・・・・・・・

就寝すると最悪の事態が脳裏を過ぎった。それは、愛する息子達が溺死す

るシーンだ。

なんでも溺死は一番苦しいと聞き、それを考えると親として胸が詰まり、

苦しませてゴメン・・助けられなくてゴメン・・と、何度も心で謝った。

外では国土交通省のポンプ車による 24時間体制の排水作業が続いた。

必死の作業が効を奏し、三日後にやっと辺りの水が引き、家族が避難して

いるだろう・・指定避難所の大曲小学校に妻と向かうことができた。

途中、生活道路である国道 45 号線には、大量の瓦礫と乗り捨てられたト

レーラー、トラックなどの大型車、自家用車が溢れていた。

車を捨てて逃げたのだろう。この人たちは助かったのだろうか?・・本当

に何度もそう思った。

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これぞ、ドラマでも映画でもないリアルな生死を分けた現場だ。本当にこ

の世の光景とは思えなかった。

車で行けるところまで行き、途中から歩って大曲小学校を目指した。

そして、大曲小学校到着すると校庭には水没した車が折り重なっていた。

そこも約二メートルの津波に襲われていた。一階は水没!校舎は泥まみれ

だった。(以下大曲小学校の水が引いた後の写真、校舎まで車が押されている)

泥まみれの校舎を二階まで駆け上がり、そして1クラス、1 クラス名簿を

見ながら妻と家族を探し回った。

果たして居るのか?居ないのか?もうドキドキだった。

心臓が張り裂けそうだった。

「「「「居居居居たたたたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」。」。」。」。

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見慣れた顔の愛しい家族を見たとき、本当に安堵した。

手足があるぞ!!と、喜んだ!

半ば死を覚悟し、既にこの世には存在しないと思った家族(妻の両親含む)

5 人がそこに居た。

被災三日後にやっと・・やっと・・家族の笑顔に会えた。生きていてくれ

た。

正直、何度も何度も死を覚悟していたので、とてもうれしかったことを記

憶している。

あとで聞くと、私と妻以外の家族 5人のうち一人、三男は地震後学校の先

生達によって大曲小学校に引き止められたので津波と遭遇していなかっ

た。

長男・次男・義父・義母の4人は、指定避難所の大曲小学校へ向かう際に

津波が迫る中、大渋滞に巻き込まれたという。

このままでは津波に流される・・危機迫る中、大曲小学校手前数百メート

ル途中の知人の家へ駆け込んだという。

その直後に、津波が到達!

家族が二階に逃げる(上る)階段まで津波が襲ってきたそうで、(背後に

見えたらしい)まさに間一髪!

このこのこのこの知人宅知人宅知人宅知人宅もももも一階一階一階一階はははは水没水没水没水没。。。。

家族は何とか無事だったが、代わりに我が家の車(エスティマ)は水没し、

家族の前後で渋滞に嵌っていた車列は津波に浚われてしまった・・という。

この話を聞いたとき、ぞっとしたと同時に、よくぞ生きていてくれた・・

と感無量になった。

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そして、家族といっしょに津波に襲われた「我が家」を確認しに行けたの

が、震災一週間後くらいだった。

結局、私が住んでいた大曲浜地区には 6メートルの津波が押し寄せ、集落

全域全壊地域となった。(以下震災 1ヵ月後の大曲浜地区)

震災前は、約 500 世帯あり住人約 2,000 名のうち、津波で 266 名方が行方

不明、及び死亡という記録が残っている。

ご近所さんもたくさん亡くなっており、正直・・いまだに信じられない。

その私が住んでいた大曲浜地区も現在、全壊家屋の解体が進められている。

これが私と家族の 3,11 直後の体験です。

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1 年経って・・

真実の東日本大震災。実在した数々の問題

を教訓にしよう!

●●●●被災後被災後被災後被災後ののののライフラインライフラインライフラインライフラインのののの問題問題問題問題。。。。

大地震が発生すると、大規模エリアで電気・ガス・水道全てが使えなくな

り、ライフラインが完全に麻痺します。

東日本大震災では、この3つ全てが壊滅し、長期に渡って使えない状態が

続きました。

震災時、電気・ガス・水道のうち使えなくなると本当に困るのは、どれか

お分かりですか?

もちろんどれ一つ欠けても困りますが、電気は発電機で賄えますし、照明

は懐中電灯やランタンで代用できます。

暖房も石油ストーブがあれば、電気を必要としません。東日本大震災でも

これらで凌げましたので、さほど問題ではありません。

ガスは、都市ガス・プロパンガスどちらが使えなくなってもカセットコン

ロで代用可能です。

ところが水の問題・・これが一番厄介です。例え電力・ガスが確保できて

も飲料水が無ければ、お湯を沸かすことすら出来ないし、非常食のカップ

ラーメンもスープも食べることができません。

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また、大半の家庭、会社、施設では水洗トイレですから、水が無ければ、

便を流すことができません。そういった意味では、震災後ライフラインが

止まった際、一番困るのが水の確保です。

東日本大震災でも各避難所で一番困ったが、トイレ用水の確保です。学校

などを避難所とした場合、五百人~千二百人規模の被災者が避難生活を送

りました。

大型ショッピングモールでも千人以上の方が避難所として生活しました。

その際、大勢のトイレ用水の確保が緊急課題となりました。

学校の場合、プールの水を当面水洗トイレの水に代用しましたし、一般家

庭はお風呂の水をトイレの水に代用していました。しかし、それも数日で

底を突きます。

その後は、行政でレンタルの仮説トイレを設置したり、携帯トイレが配給

されますので、それらを使い「水を使わず便を処理する方法」に切り替え

なくてはいけません。

しかし、レンタルの仮説トイレは直ぐに便が満杯となり、汲み取りが間に

合わず、衛生面で大変な問題が発生します。夏場ならハエの発生や鼻をつ

く悪臭が発生するでしょう。

とにかく水が不足すると、最後まで便の問題は付きまといます。この解決

法に関して各行政で策を練ることが急務です。後手後手にならない工夫が

必要です。

飲料水の方は数日すると、自衛隊の給水車がやってきますので問題ありま

せん。が・・それを運ぶ作業が大変です。

十八リットル入りのポリタンクを何個も運ぶ作業は健常者の男性でも超

重労働です。

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私も体験しましたが、車で給水所まで行き、水を汲んで駐車場の車まで水

を運び、さらにアパートの二階まで運ぶ作業はほんと、大変でした。

家族が多ければ多いほど、(大事に使っても)トイレに使うと一気に無く

なり、午前、午後と二回給水車まで行っていました。

首都圏の場合、停電によってマンションエレベーターが止まっていれば、

高層階まで運ぶだけでバテテしまいます。それが連日、一週間、二週間と

続いたら・・。

特にお年寄りの方は、大変というより不可能です。

そんな場合は、助け合いで凌ぐしかありません。

東日本大震災は宮城県沿岸部では三週間~一ヶ月断水しておりました。想

像を絶する苦労でした。

食料は最悪一~二日食べなくても(空腹は辛いですが)生きることができ

ます。しかし、水は本当に重要です。

実は、水道水にも賞味期限があり、日向で三日・冷暗所で一週間しか持ち

ません。そのことを踏まえて常備しておいてください。

また、水道が出ない間は、当然お風呂にも入れません。東日本大震災の沿

岸被災地では、3週間~1ヶ月水道が止まり、その間お風呂に入れません

でした。

もちろん、その間洗髪もできません。三月と言うことで、時期的に冬だっ

たので汗も掻かずまだ良かったですが、真夏だったら、別の意味で大変な

ことでした。

参考:全てではありませんが、避難所によっては自衛隊のお風呂部隊によ

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るお風呂または、シャワーが設置されていました。

普段使い放題使っている電気・ガス・水道が長期間ストップすると、今ま

で普通に生活出来ていたありがたみを心底感じます。

スイッチ一つで、またはリモコンでも電気が付き、蛇口を捻れば好きなだ

け水が出る。そんな当たり前だったことが、突然、それも長期に渡ってで

きなくなる。

とても不便を感じました。それもこれも、人間が便利で贅沢な生活に慣れ

すぎた証拠です。

せめて、ラジオ、懐中電灯・ランタン・ろうそく・カセットコンロ(ボン

ベ)・水・非常食・携帯トイレ、筆記用具、軍手、マスクなどは常備して

おきましょう。

また東日本大震災経験者として、準備を推薦する便利グッツが、バールと

安全長靴です。

バールは、扉(部屋)をこじ開けたり、モノを退けたり、救助の際にとっ

ても役に立ちます。安全長靴は靴底に鉄板が行っていますから、金属、釘

類の瓦礫の上を平気で歩けます。

実際に東日本大震災の時、我が家でも大活躍しました。

●●●●避難所格差避難所格差避難所格差避難所格差のののの問題問題問題問題。。。。

東日本大震災では、至るところで避難所格差が生じました。幸運な方はあ

の大惨事の中、初日から食料にありつけていますし、その逆もあります。

例えば、大型スーパーで被災した方は、初日からお店の惣菜やお菓子が配

給され、食物に困ることはなかったし、衣料売り場から毛布など、寒さを

凌ぐ衣類も提供されました。

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その一方で、小さな公民館などに避難し孤立した方は、火の気は一切なし。

食料も 1 日にビスケット 1 枚とか、グミ 1 個とか、中には食料が一切配給

されない避難所もあったのです。

孤立した小さな施設、奥地ほど、物資が届くまで日数を要し、ほぼ飲まず

食わずだったという事実がありました。

要は避難した場所で、ものすごい格差が生じたのです。

それらは各々が被災した場所・状況次第で、ケースバイケースになるので

すが、残念ながら、どこで災害に遭遇するか?・・そこでも運・不運とい

うものがつきまとう現実があります。

そのためにも自身で最小限の食料を携帯しておくことも自己防衛に繋が

ります。

東日本大震災でも孤立した中、翌朝を待つ間に持っていた食料やお菓子を

分け合った、地震前に偶然買った弁当を分け合ったなど、たくさんの証言

があります。

食料を携帯してと、周りの方を救うことも可能になります。

●●●●避難所避難所避難所避難所にににに入入入入ってってってって、、、、まずすべきことまずすべきことまずすべきことまずすべきこと

東日本大震災では、1つの小・中学校に 500 人~1,200 人規模の方が非難

したと思われます。

すると一クラスに必然的に 50人~100 人が振り分けられます。

避難者は、自由に自分の意思で好きなクラスに身を寄せることができます。

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避難所に入ってまずすべきこと・・それはまず、「被災者として身を寄せ

ること」・・要は身の安全のために非難する!それだけです。特別なルー

ルはありません。

そこから偶然居合わせた方々と共同生活が始まるわけです。

その後、徐々にするべきことが決まって行きます。

避難する段階では各々に対して、「あなたはこのクラスに入って」・・とい

う振り分けはされませんし、もし体育館や公民館だったら、自由に好きな

場所へ陣取ることができるでしょう。そこから、居合わせた方々と避難所

暮らしが始まります。

もし、ご近所・知り合いが陣取った場所の近くにいれば、不安も解消され、

心の安心を得ることができます。

逆に出先で被災し、知らない土地の避難所に身を寄せれば、周りは知らな

い人だらけとなり、心細い思いをすることになります。東日本大震災でも

ヘリコプターで救助された方は、市外の遠くに搬送されております。

でも、誰であれ避難者を拒むことはありませんので、まずは、避難所に身

を寄せることが重要です。私は他所者だから・・と遠慮してはいけません。

そもそも(現住所の名札をつけているわけでもなく)お互い何処の誰だか

わかっていませんから、気にせず、命を守ることを重視してください。

例え地元人であろうが、他所の土地の人間であろうが、協力して苦境を乗

り越えなければいけないのです。

そこで避難所の中に徐々に会話が生まれ、交流・ネットワークができたり、

ミニ自治体が立ち上がって、ルールが決まって行きます。

そして名簿作成が行われ、同じ境遇者の共同生活がはじまります。

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しかし東日本大震災では、行政で名簿作成もマニュアル化されておらず、

避難所によっては作成が遅れ、安否情報も遅れる結果となりました。

避難所生活がはじまったら、率先して名簿を作成するリーダーが必要です。

行政機能が麻痺しますから、そういった細かいアドバイス、マニュアルも

届きません。

緊急を要することですから、現場で指揮するリーダー(経験者)が求めら

れます。

しかし、誰もが班長など世話をするリーダー役割を嫌がります。でもそれ

では、ふしだらでルーズな避難所になってしまいます。

意外とマナーを守らずタバコを吸う大人も多いですかから火の処理の問

題など、きっちり決めておかないと人命に関わってきます。

他人との共同生活だからこそ、火の始末、トイレの使用法、駐車場の使用

法、外出時の報告、消灯時間などルールをきっちり決めて生活しなければ

いけません。

ですので、これをお読みになっているあなたがもし・・避難所生活を余儀

なくされた場合、率先して班長など、お世話をする役割を買って出て欲し

いと思います。

非常時だからこそ、行政を当てにしない、行政無しでも組織運営できる現

場のリーダー達が必要とされます。

実際に避難所生活には、以下のような係りが存在します。

本部・班長・物資を運ぶ係り・掃除係り・給食班・医療班など、各部屋に

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おいては、さらに・・部屋・便所掃除係りや毎食事の配送当番も必要です。

お年寄りや身体が不自由な方もおりますから、(寝る場所を含め)その方々

に気を配ることも重要です。

短期間とはいえ、無料で住ませて頂き、食事も与えて頂いているのですか

ら、率先して働くのが当然です。

しかし、与えてもらって当たり前・・という気持ちを持っている方があま

りにも多く、自分勝手な方もたくさん存在します。そこに共同生活の難し

さが浮き彫りになります。

また、地域性による性格的なものもあるでしょう。気性が荒い方が多く存

在すれば、喧嘩などトラブルも多発すると考えられます。(実際にトラブ

ルがあった避難所もあります)

震災ストレスの発散の場が、女性に対する性暴力となることもあるのです

から、避難所生活は、大変難しい問題が潜んでいる場でもあるのです。

だからこそ、チームワークが必要です。

●●●●避難所避難所避難所避難所のののの食事食事食事食事

被災直後は食糧が全然ありませんでした。

避難所によっては備蓄で賄いましたが、避難住民の数が多く直ぐ底を突き、

1~2日後には全国から物資が届き始めました。

県外ナンバーのトラックはやってきて、野菜やカップラーメンなどを届け

てくれました。同時に勇気付けるお言葉も届けてくれました。

とてもうれしかった記憶が残っております。

そして、炊き出しが始まりました。と同時に自衛隊からおにぎりや菓子パ

ンが届き始めます。

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避難所生活 7 日・・10 日と、日が経つにつれ結局、定番化して配給される

食事が決まっていきました。東松島市の避難所では)毎日、毎日・・

■朝、おにぎり(梅、おかか、昆布がメイン)

■昼 菓子パン(種類は色々日替わりで・・でもほぼ同じローテーション)

■夜 お弁当(揚げ物が毎日入っている)

基本的にこのローテーションです。(以下避難所の食事写真、地域によって

は半年以上この食事でした。)

こういった食事のため、どうしても生野菜が不足しています。

特に高齢者の方が自身の持病によって食事制限等があり、揚げ物などを食

べれない方も多いため、栄養の偏りが問題となりました。

しかし、菓子パンは揚げパン類が多く、弁当も必ず揚げ物が入っておりま

す。基本的に、若い世代が喜ぶ食事です。

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実際避難所は高齢者の割合が多く、仕方なく食べている光景を目にしまし

た。お年寄りの方は、温かい白いご飯、味噌汁、漬物が食べたいと口にし

ておりました。

はじめは全てがご馳走だったのですが、人間って贅沢ですね。(反省)

●●●●被災者被災者被災者被災者のののの苦悩苦悩苦悩苦悩

夫婦夫婦夫婦夫婦・・・・家庭家庭家庭家庭のののの絆絆絆絆のののの崩壊崩壊崩壊崩壊・・・・・・・・被災地では離婚率が 3割アップした!と報道さ

れました。

震災で価値観の違いが明確になり「この人とはやっていけない・・」こう

いった問題が多発ことが要因です。

まずもって被害が甚大過ぎて、精神状態が普通ではないので、ストレスも

増大し、些細なことで声を荒げて大喧嘩に発展するケースが頻繁に起きた

ことは事実です。

仲がよかった家族が、毎日口論するという状態です。

たとえば、一部残った家財道具をどうするか?

今後の住居の問題、市外・県外に引越しするのか?

仮設住宅に入居するのか?

民間賃貸住宅借上げ制度の住居に入居するのか・・などなど、

新生活をするに当たって、個々の意見がぶつかりあり収拾がつかない状態

に発展します。

自然災害だけにやり場のない怒りが、そういった時に爆発する傾向にある

のです。

復興に向かおうとしても夫婦間、家族間で心の復興(プラス思考・マイナ

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ス思考)の格差が生まれ、そして、震災前に分からなかった性格の一面を

見てしまい、一生添い遂げる自信が薄れる結果になって行きます。

DVDVDVDVのののの急増問題急増問題急増問題急増問題・・DVよって離婚を考えていた女性が、震災によって離

婚に踏み切れない状況に追い込まれた事例が多発しました。

皮肉なことに、生活支援制度(金銭的支援)が、DVから逃れる際の支障

となるのです。

現状の法律では、被災者生活再建支援金や各自治体の義援金は世帯主に支

給する規定があり、DVで別居している女性には支給されません。女性が

離婚して新たな生活を始めるためには、「仕事と当面の生活資金が必要」

となり、震災でどちらもハードルが高くなります。

要は、離婚して自立を果たしても仕事(職場)がなく、さらに避難所から

仮設住宅に移ると、密室にとなって周囲の目が届かなくなり、さらにDV

被害が深刻化するのです。

罹災証明罹災証明罹災証明罹災証明 1111 枚枚枚枚でででで明暗明暗明暗明暗・・・・・・・・【明の場合】ほとんど修繕の必要がない住宅、ほ

ぼ無傷の家にも関わらず、罹災証明の判定が半壊扱い。

よって生活支援金、義援金(計 100 万)という高額なあぶく銭が舞い込み、

パチンコなどギャンブル三昧の自称なんちゃって被災者が急増しました。

【暗の場合】一方、本当に自宅が損壊し、修繕費に 50 万など掛かってい

るのにも関わらず、罹災証明が一部損壊扱いとなり一銭もお金が出ない真

の被災者。

仕方なく借金して修繕し、元々不景気の影響で苦しい生活が、さらなる生

活苦に陥っている。

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まさに悪循環!しかし、現実に紙切れ1枚で生活格差が生まれたのです。

また、罹災証明は不服申し立て出来ることを逆手に取り、しつこいくらい

不服申し立てをする輩に対して、行政も根負けして罹災証明の判定を変更

する(言った者勝ちの)事例が発生しています。おとなしい人ほど、泣き

を見る結果になりました。

保険保険保険保険でででで明暗明暗明暗明暗・・・・・・・・地震保険が津波被害でも対象になる保険会社があり、思わ

ぬ保険金が転がり込んできた家庭、一方津波被害に対して保険が下りない

家庭。

そこで数千万の格差が生まれ、保険金を手にした方は、家を新築するケー

スも増えている。あまりの格差に、被災者同士が運命の違いに愕然として

おり、「我が家はどこまでついていないんだ・・」と、さらに落ち込む結

果になっている。

被災者被災者被災者被災者のののの仕事仕事仕事仕事はどうなるはどうなるはどうなるはどうなる????・・・・・被災三県(岩手・宮城・福島)で 12 万人

が仕事を失ったといわれています。

(震災失業と言われています)

また、震災直後、理不尽な便乗解雇が相次ぎました。

石巻市においては、市内半数の企業が被災したといわれ、失業者が溢れか

えりました。失業者に対して、特例で即急に失業保険が半年支給され、さ

らに一部地域ではさらに3ヵ月延長という措置が施されました(現在は延

長処置は廃止されました)が、雇用を生む要となる「企業の復旧」が遅れ

ました。

遅れている最大の要因は以下です。中々復興案が完成せず、建築制限など

の兼ね合いで、明確にしてもらわないと建物の修繕再開か?・・移転再開

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か?・・の決定ができない企業が続出しました。そこがはっきりしないと、

事業再建ができないのです。

後手後手の対処で不明瞭だから、業務再開の決断できない。よっていつま

でも雇用する環境が整わないから、失業者数も改善されないという悪循環

に陥りました。

二重二重二重二重ローンローンローンローン問題問題問題問題・・・・・・・・新築の家が津波に流され、多額の支払いが残った被災

者がたくさんおります。

不運なことに震災の前日に引っ越された方、中には震災当日に引っ越され

た方もいるほどです。新築してまだ数年という、ほぼ新築の家庭もたくさ

んある存在しました。

残金が大きくなると、例え地震保険が下りても全額賄えないと言います。

そういった被災者もいづれ仮説住宅(法では2年、現在はさらに 1 年延長

と決定しました)を出れば自力で家賃を払い生活しなければいけないので、

失った家のローン+2年後の住居費が重く圧し掛かってくることになる

のです。

住宅ローンは最大 3年間停止(猶予措置)できるが、結局いづれは残額を

全額支払わなければいけない。

被災者だからといて免除も軽減もない。むしろ、停止(猶予措置)すると、

3 年後に再開したとき、利子が高くなっているという腑に落ちない規約が

存在しています。

今回、たくさんの家庭で津波で全て(家)を失った。そこで再出発に当た

り、経済力の格差も明確になっている。

土地を買って新築するもの、建売住宅を購入するもの。一方、泣き泣き仮

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設住宅に入居するもの、まさに天と地の差である。

隣の芝生は青く見えるものだから、他所と比較して経済力がない自分に幻

滅し、生きていくのが嫌になる場面を経験している被災者も多いのです。

自営業者自営業者自営業者自営業者のののの苦悩苦悩苦悩苦悩・・・・・・・・サラリーマンには失業保険がある一方で、自営業者に

は金銭的手当ては一切ありません。

被災地では多くの企業が被災し、再開に膨大な費用を要するため、漁業、

農業従事者に対して無利子ローン制度が確立されました。

しかし、一般サービス業・商店の(自営業者に対する)無利子支援が無い

ので、自営業者から苦情が続出しました。

苦情が出ても未だ事業者の無利子の金銭支援策はありません。

そんな中、民間の1口ファンドなども大盛況ですが、人気を集めるのがや

はり漁業や製造業であり、そこでも格差が生まれています。

ある焼肉店経営者が、数千万の負債を抱えて被災し、さらに7千万の借り

入れをして再開した事例もあります。(自営業者の二重ローン問題)水産

加工業に関しては、億単位の借り入れがある状態で被災・全壊した工場も

多数あります。

中にはさらに億単位の借り入れで再開を目指す工場もあり、多くの自営業

者が二重ローン問題の苦境に立たされているのです。

国も苦肉の策として助成金制度を導入しましたが、審査などが厳しく、結

局審査が通って、助成金が活用できる企業は、地元の有名企業の場合が多

く、一般商店や個人自営業には縁の無い、無意味な制度となりました。

いつの時代も恩恵を受けるのは、有名どころであり、ごく一部なのです。

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●●●●行政行政行政行政のののの対応対応対応対応

届届届届かぬかぬかぬかぬ義援金義援金義援金義援金・・・・・・・・被害が甚大ゆえに、人手不足から各行政の対応が麻痺し、

義援金の配分会議も遅れ、震災4ヵ月経っても義援金が配布されなかった

のです。

着の身着のままで逃げた方が、生活苦に陥り、生活苦から売春し、逮捕さ

れる女性まで現れました。義援金は災害規模で明暗が分かれます。規模が

大きければ今回のように配分も遅くなり、支給額も(配当世帯が増え)小

額になる。

東日本大震災では一世帯、最大 100 万円程度だが、1993 年奥尻島で発生し

た「北海道南西沖地震」では、配当世帯数が少ないため一世帯約 1,000 万

円支給されている。新潟中越地震では 400 万円だと言います。

同じ被災者でも巻き込まれた震災によって、金額差が生じている。なんと

理不尽なことなのでしょうか?・・

後手後手後手後手後手後手後手後手のののの民間賃貸住宅借上民間賃貸住宅借上民間賃貸住宅借上民間賃貸住宅借上げげげげ制度制度制度制度・・・・・・・・この制度を要約すれば、仮設住宅

の代用として、県が民間の賃貸住宅を借上げ、2 年間家賃を全額負担して

くれる制度です。(今回の震災は現状、特例で 1 年延長になっております)

阪神大震災の時も活用されておりますが、被災していない方は制度自体を

知る由もありません。よって、今回の震災でもトラブルが発生し、地元マ

スコミでも大きく報道されました。そのトラブルとは?・・

今回の震災で家を失った家族は、まず避難所や身内の家に身を寄せました

が、世帯主は 1日でも早く家族のプライバシーを確保しようと、自力でア

パートなどを見つけて自立を考えて行動しました。

しかしその際のアパート等の入居に当たっては、全額自費となります。(敷

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金・礼金・前家賃・電化製品一式購入等)

これら数十万円を出費してやっと自力で、家族だけで生活できるようにな

ったのも束の間・・自費で生活再建した方が「損」をする事態が発生しま

した。

その根源が、民間賃貸住宅を借り上げる制度です。

この民間賃貸住宅借上げ制度の存在が被災者の耳に届きマスコミでも報

道し始めたのが、震災約2ヵ月後の 5 月になってからです。

不憫な生活をする家族を見て心を痛め、家族のことを思っていち早く自立

という道を選んだ人達が自腹で(アパート入居・家電購入という)高額出

費。

しかし、後から家賃など全額負担してくれるという夢のような民間賃貸住

宅借上げ制度が浮上!

さらに日本赤十字社から家電 6点(洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電

子レンジ、電気ポット)が無料で貸出しされ、驚くことに、設備も 20 万

円を限度として、ガスコンロ、照明器具、カーテン、給湯設備、エアコン

を生活必需品として県が補助してくれるのです。

突然この夢のような制度が浮上したのですが、5月以前に自立した方に対

して、5月以降の家賃は県で負担しますが、それ(5月)以前の家賃、入

居時の敷金、礼金はさかのぼって支払いません。当然、家電 6 点も貸出し

ません!という決まりがありました、

これに対して、県側に苦情が殺到しました。なんで今頃、5 月になってか

ら民間賃貸住宅借上げ制度なんだ!

既に、アパートも借りて家電も買ったんだぞ! それを知っていたら5月

まで待っていたと。クレームが県にたくさん寄せられました。

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それに対して、県側の言い分は・・「民間賃貸住宅借上げ制度は、震災二

週間後の3月末から用意していました。」というもの・・。

ところが市報等を見直しても、そんな制度何処にも載っていない。

本当に県側の言うとおり3月末から制度用意していれば、家賃の支払い対

象も3月末からになるはずだし、5月から対象という時点で、5月から出

来た制度であると推測できます。

まさに、後手後手の制度です。

結局のところ・・

県側:民間賃貸住宅借上げ制度を用意していました。

被災者:そんなの知りません、聞いていません!

まさにまさにまさにまさに平行線平行線平行線平行線・・・・・・・・

マスコミ側の結論として、県側の告知不足と報じていました。聞けば、民

間賃貸住宅借上げ制度は阪神大震災の時も存在し、別に目新しい制度では

ないのです。

しかし今回の被災者は、そのような制度は初耳ですから、たくさんの被災

者が、知らずに多額の出費をする結果となりました。

民間賃貸住宅借上げ制度に関しては、阪神大震災の時も訴訟問題などに発

生している制度で、結局教訓は生かされていません。誰しも被災経験をす

るのは稀なわけで、事前にあらゆる制度を把握している人はいないと思い

ます。

だからこそ、丁寧に知らせてくれるのが行政の仕事であると思います。

このままでは、今後どこかで震災が起きてもまた同じ過ちを繰り返すのが

目に見えています。必ず泣きを見る被災者が出てしまうのです。

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私もこの制度を知らずに、早く行動しすぎて 50 万円程度の無駄な出費を

してしまいました。

今回の教訓を元に、改善すべき制度はたくさんあると思えてなりません。

医療機関医療機関医療機関医療機関もももも最悪最悪最悪最悪のののの状態状態状態状態にににに・・・・・・・・石巻圏では、医療機関も完全に麻痺しました。

まずもって石巻市の救急車はほぼ津波で流され、2 台しか残らなかった。

石巻赤十字病院は、スタッフは数々の死と向き合い、不足する水と食料、

広がる感染症・・地域医療の当時、地元病院がほとんど被災して、命の砦

と言われたのでした。

救急車がありませんから、震災後数日間はペリコプターで毎日搬送されて

きました。3 月 13日には 1 日に 1,251 人が搬送されて来たそうです。

途絶えることがない人の波・・

既に亡くなった孫を毛布に包んで抱き、走って病院に駆けつけてきたお年

よりもいたとか・・「これは現実なのか?・・」と、目を疑う光景だった

と新聞で読みました。

実は私は避難所で、お節介から手をケガし、縫わなければいけない傷で、

石巻赤十字病院に行ったところ、糸と針がありません・・といわれました。

これはほんと深刻でただ事ではないと感じました。震災、4 日後のことで

す。映画で見た戦場の救護所のようでした。病院に広い1階ロビーの床に

老人がびっしり寝かされていました。

平成時代の光景と思えませんでした。首都圏だったらと思うと、想像を絶

することになると思います。

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最後最後最後最後にににに・・・・・・・・被災地には各地からの応援、支援がたくさんありました。

自衛隊、警察、赤十字社、医師、各県行政から各種スペシャリスト。

義援金のほか、食料、衣装など各種物資、企業には、大工道具、船、工場

設備、オフィス設備・備品、その他備品などなどたくさん届けられました。

ボランティアも全国からたくさん瓦礫撤去や泥かきに来てくれました。

しかし、現在は人手不足に悩まされております。

義援金、ボランティアに関しては、ピーク時の 2割まで落ち込んでおりま

す。

もちろん、これまでもたくさん支援して頂き、感謝の気持ちでいっぱいな

のですが、まだまだ、被災地では支援が必要な状態です。

あなたのできること・・どんなことでも被災地のためにお力を頂けたらと

思います。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

東日本大震災を風化させない活動推進センター 所長 中井政義

■あとがき・・

今回、ニュースレター会員という有料の情報配信制度を導入しました。

その際に感じたことをお話致します。

ブログにたくさんのコメント、または直メールを頂きます。

応援、激励・・たまには理解に苦しむような意味不明の文章。

どれも参考になることは間違いありません。

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しかし、それはブログという無料の媒体を通じてできたコミュニティーで

のこと。相手の名前もお住まいも電話番号も知りません。

そして一過性で中々心の繋がりまでもてませんでした。

だから、本音で語り合える、心の繋がりを求めて有料会員制にさせて頂い

たのですが、告知してみて改めて被災地への関心度の低さに愕然としまし

た。

これが現実であると受け止めるしかないのですが、だからこそ、会員の

方々には、一生懸命情報をお伝えしたいと思います。今後ともどうぞよろ

しくお願い致します。

付録付録付録付録::::現在私現在私現在私現在私がががが住住住住むむむむ、、、、借借借借りりりり上上上上げげげげアパートアパートアパートアパート付近付近付近付近のののの被災数日後被災数日後被災数日後被災数日後のののの画像集画像集画像集画像集

■海と繋がる川が決壊し、住宅地一帯が冠水!

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■この先に、あの時間大勢の生徒が残っていた矢本第二中学校が・・

■矢本第二中学校は一週間水が引かず孤立。物資が届いたのが震災 3日後。

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■右手に見える三角屋根の建物は家族が避難していた大曲小学校。

■この数百メートル先に、私が住んでる借り上げアパートがあります。

川の決壊で不意打ちの津波のより、この辺りでも死者はでております。