戦時下小作農家の地主小作関係 url right · 戦 時 下 小 作 農 家 の 地 主 小...
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Hitotsubashi University Repository
Title 戦時下小作農家の地主小作関係
Author(s) 田崎, 宣義
Citation 一橋論叢, 80(3): 313-329
Issue Date 1978-09-01
Type Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL http://doi.org/10.15057/13280
Right
戦時下小作農家の
地主
小作関係
( 3 7) 戦時 下小 作農 家の 地 主 小 作関 係
は
じめ
に
本
稿は
、
三一
(
一
九三
一
年の
意。
以
下
同断)
-四
五
年
の
東北
単作地
帯の
小
作農家の
分
析の
一
環を
な
すもの
で、
こ
こ
で
の
課
題は
こ
の
農家の
動向を
地
主
小
作関係の
変化の
面か
ら
検討す
る
こ
と
に
あ
る。
周
知の
よ
うに
三一
-四五
年は
恐
慌↓フ
ァ
シ
ズ
ム
1農地
改
革を
ふ
くみ
展望
する
時期で
あ
る
が、
地
主制史研
究の
な
か
で
ほ
最も
個別実証
分
析の
蓄積が
少い
とこ
ろで
あ
る。
特
に
本稿の
場合に
は
基本
的資料が
小
作
農家の
「
日
記+
を
中
心
と
した
個別
記録
で
あ
り、
他
方こ
れ
を
補完
する
役場資料
が
ほ
とん
ど
見られ
な
かっ
た
こ
とも
あ
り、
本稿の
結論をこ
れ
まで
の
研
究史の
成果と
噛み
合わせ
る
た
め
に
ほ
なお
多く
田
崎
宣
義
の
妖介項を
要する
と
思わ
れ
る。
た
だ
本
稿で
検討しょ
うと
し
たこ
と
は、
こ
の
時期の
地
主
小
作関係の
変動を一
つ
は
戦時統
制と
地
主
制との
矛
盾、
ま
た一
つ
は
地
主
小
作関係白体の
矛
盾とい
う二
つ
の
矛盾の
い
か
な
る
結合と
して
把
え
られ
る
か、
ま
た
こ
の
変動が
い
か
な
る
意味で
農地改
革を
展望し
え
た
か
の
二
点で
あ
る。
一
分
析の
前提
本
稿で
扱う小
作農家
ほ
山
形県旧
西田
川郡
大泉村大字白
山林の
阿
部太
一
家
で
あ
る。
ま
ず大
泉村と
白山
林の
概
要に
触れ
て
お
こ
う。
(
1)
三
五
年の
大
泉村は
総耕地
一
二
八
九
町、
水田
率
九
七
%
余、
白山林は
村の
中央部に
あ
り
総耕地二
六
九町
、
水
田
率九
六
㍑
ご 「
一 橋 論叢 第八 十 巷 第三 号 ( 3 8 )
%
余で
あ
る。
村の
水
稲反
収は
郡の
そ
れ
に
比
肩す
る
が、
白
山林は
土
壌、
水
利等の
た
め
反収が
劣る
。
大字の
水
田
の
約
八
〇
町は
腐植質泥炭土で
稲熱病が
発生
し
や
すく
、
水
利が
(
2)
不
足する
面
積約八
〇町
歩、
平時
排水不
良な
も
の一
〇
町
歩
とい
う
状
態で
あ
っ
た。
(
3)
こ
の
大泉村の
二
八
〇
町
歩地
主
木村九
兵衛家
は、
白
山
林
を
強く
支
配し
、
そ
れ
が
白山林の
地
主小
作関係を
後述の
よ
うに
特徴あ
る
も
の
に
し
た。
分
析対
象の
阿
部太
一
家
は
耕作規模で
見る
と
大字の
平均
(
4)
以
下で
あ
り、
三
四
年で
ほ
小
作農家
一
四
戸中八
番目
、
大
字
(
5)
内四
一
戸中三
四
番目
、
三
九
年で
は
小
作一
八
戸中
一
一
番目
、
大字内
四
〇
戸中三
一
番目で
あっ
た。
し
た
がっ
て
耕作規模
か
ら
み
る
と
零細な
方に
属する
が、
そ
れ
で
も
三一
-四
五
年
(
6)
で
平均耕作規模三
二・
六
反(
三
-四
人の
家
族
労働で
耕作
(
7)
維持し
うる
上
限に
近い)
を
維持し
て
い
た。
次に
分
析
対
象時期の
経営主で
ある
阿部太
一
の
性格に
つ
(
8)
い
て
触れ
て
お
こ
う。
阿
部太
一
は
の
ちに
み
る
よ
うに
精農家
で
あ
る。
また
、
三一
-三
五
年に
は
農林省米穀生
産費調
査
を、
三
六
-四
〇
年に
は
県の
農業経営指導農場記
帳農家を
、
四一
-四
三
年に
ほ
農林省農業経
営調
査
稲作部門を
そ
れ
ぞ
れ
担
当し
、
ま
た
三
六
年に
は
県貴会主
催の
「
第一
回
中堅
農
地
豪
農業経営講習会+
に、
三
九
年に
は
県か
ら
関東地
方
農
事
視察に
そ
れ
そ
れ
ぞ
れ
参加し
、
他に
もい
くつ
か
の
会議へ
の
出席を
県か
ら
要請さ
れ
る
農家で
あっ
た。
し
た
がっ
て、
県
下で
も
優秀な
農家
と
目さ
れ
て
い
た
と
理
解で
き
る。
最後に
阿
部家の
家
族
構成に
つ
い
て
説明
する
。
三一
年現
在の
家
族
ほ
合
計
九
人で
、
父
(
五
四
歳)
、
母
(
四
五)
、
太一
(
二
四)
、
妹四
人
(
一
八・
一
四・
六・
〇)
、
弟二
人
(
二
〇・
一
七)
で
あ
る。
こ
の
うち母
と
弟一
人は
基本的に
は
農業に
従
事し
ない
。
妹四
人の
うち
一
人
は
必
ず農業に
従
事し
、
こ
れ
に
三
四
年か
ら
太一
の
妻が
加わ
り、
弟一
人が
抜ける
。
父
親は
三
〇
年代
半ば
まで
は
稲作労働に
従
事する
が、
そ
れ
以
降は
稲作の
基
幹労働力で
は
な
く
な
る。
従っ
て
農業従
事者
数は
、
三
九
年まで
が
五
人
(
こ
の
う
ち三
四
年まで
は
男三
、
女二
、
三
四
-三
九
年が
男二
、
女三)
、
四
〇
年か
らは
男二
、
女二
の
計四
人
となっ
て
い
る。
4 3 2 1
『
山形
県
統計書』
に
よ
る。
旧
大
泉村役
場書類に
よ
る。
同
前。
同
前。
(
5)
阿
部
太一
『
村の
動静』
(
未定稿)
。
(
6)
後出
表1
参照
。
(
7)
拙
稿
「
昭
和初
期地
主
制下に
お
け
る
庄
内
水
稲
単作地
帯の
農
業構造
と
その
変動+
『
土
地
制
度史学』
第七
三
号
参照
。
(
8)
後出図1
参照
。
〓
恐
慌・
凶
作期(
三一
-三
五
年)
三一
-三
五
年は
、
昭
和恐
慌に
よ
る
打撃と
三
四
年の
大
凶
( 3 9 ) 戦時下 小作農 家の 地 主 小 作関係
表 1 耕作 盈模 ・ 反当 契約小作 料
耕 作 面 積 契 約 反 当 契約小 作地 自作地 小作料 小 作料
糾 ㈱ ( B / A )
反 反 石 斗/ 反2 7 .2 5 9 .5
2 7 .3 0 9 .5
2 7 .3 0 9 .5
2 7.3 0 9 .5
2 7 .4 0 9 .5
2 7 .7 4 9 .6
3 4 .6 9 9 .9
3 4 .6 1 9 .9
3 4 .8 1 1 0 .0
3 4 .8 1 1 0 .0
3 2 .1 6 9 .8
2 7 .8 3 8 .5
2 7 .8 3 8 .5
3 0 .2 9 1)
2 6 .1 3 1)
3
3
3
3
3
2
2
2
2
2
2 8 .7
2 8 .9
2 8 .9
2 8 .9
2 9 .0
2 9.0
3 5 .0
3 5 .0
3 5 .0
3 5 .0
3 2 .7
3 2 .7
3 乙7
3 5 .6
3 0 .7
1
2
3
4
5
′
0
7
8
9
0
1
2
つJ
4
5
3
3
3
3
3
3
3
3
3
4
4
4
4
4
4
(
uノl
作の
打撃と
が
踵を
接した
時期と
し
て
概括し
うる
。
単作地
帯で
最大の
商品作物で
あ
る
米の
価
格は
三
〇
年に
石
当一
(
1)
八・
二
円を
記録
して
か
ら
徐々
に
持ち
直しっ
つ
あっ
た
と
は
(
2)
い
え、
三一
-三
五
年の
平均
石
当
米価は
二
四・
五
円で
し
か
ない
。
し
か
も
米価が
五
年ぶ
り
に
二
八
円
台を
回
復した
三
四
(
3)
年ほ
凶
作の
た
め
反
収
は一
・
四
石に
激減し
、
大
泉村で
は
平
(
4)
年作に
此し
約三
五
%の
減収で
あっ
た。
した
がっ
て、
こ
の
時期に
は
庄内
農村全
体が
疲弊した
の
で
あ
る。
阿
部家の
こ
の
期の
経営は
次に
見る
よ
う
史料 : 阿部太 一 家文書
注) 1) 実約小作料不 詳の た め以下 の 方法 で推計
4 4 年 : (4 3 年契約小作料) +( 4 3 年反当小作料)
× (4 4 年小作地増加 分)
4 5 年 : ( 43 年契約 小作料)- (4 3 年反当小作料)
× ( 45 年小作地減少分)
に
全
体
と
して
停滞的で
あっ
た。
小
作料
支
払の
基礎と
な
る
耕作規模は
二
(
5)
八・
七
反か
ら二
九・
〇
反に
増加する
が、
こ
れ
も三
六
年以
後に
此
す
れ
ば
決して
大き
く
な
く、
しか
もこ
の
増加は
畑の
借入に
よ
っ
て
い
た
(
表1)
。
畑面
積は
三
二
年に
「
二
畝半+
、
三
五
年に
「
一
畝二
歩
半+
増え
、
こ
れ
に
伴っ
て
小
作料も
各々
五
升、
一
斗五
升
増加し
た。
しか
し
反
当小
作料は
九・
五
斗の
水
準に
あっ
て
変化し
ない
。
∂
加え
て
こ
の
時期の
生
産力水
準ほ
図1
に
朗
一 橋論叢 第八 十 巷 第三 号 ( 4 0 )
団 1 水 稲 反 収
年次
量収・当反
反西 田川郡 大泉村 阿部家
. 5
. 0
.5
/ A t \′
〉+ .ノ'
㌦. 一
′
ニ _J_. ア
ンハ ご、
、
‾ ‾‾ヽ-
、ふ
じプW Ⅴ
、
19 30 35 40 4 5
史料 : 阿部家文書。山形県
『山形県 における来作統計』 。
郡
2
2
1
み
る
よ
うに
不
安定
で
あっ
た。
阿部家
の
水
稲反
収は
豊
作
の
年に
ほ
村平
均を
凌
駕す
る
が、
一
転
不
作や
凶
作に
な
る
と
た
ち
ま
ち
村平均
以
下に
落ち
込
むと
い
う、
激しい
豊凶
差を
み
せ
る。
こ
の
よ
うな
生
産力
水
準
か
ら
脱却しょ
うと
する
努力ほ
既に
こ
の
時期に
開始さ
れ
土に
よ
る
土
質改
良、
(
6)
る
稲作の
工
夫
な
ど)
て
い
た
(
例え
ば
客
堆肥の
増産と
改
善、
気温の
測定に
よ
が、
まだ
具体
的
成果を
生
む
まで
に
は
至っ
て
い
な
かっ
た。
生
産力
水
準の
不
安
定
な
阿部家に
ほ
こ
の
時期の
経営維持
はか
な
り
困
難で
あっ
た。
阿部家ほ
連年小
作料
・
借金
・
肥
料代の
支
払い
に
追わ
れ、
飯米と
売米は
常に
不
足した
。
毎
淵
年収
穫が
終わ
り
未調
整の
時期に
な
る
と
「
日
記+
に
は
飯米
と
売
米の
量を
試算する
メ
モ
が
頻出し
、
ま
た
三
二
年一
月に
は
「
二
番米よ
り五
等米を
六
俵をと
る。
こ
れ
で
父と
二
人一
(
7)
日
か
か
る。
飯
米が
こ
れ
だ
け
不
足に
なっ
た
わ
け
だ+
とい
う
記事も
見
られ
る
の
で
あ
る。
三一
-三
五
年の
五
年間で
契約
小
作料どお
りに
小
作料が
完納さ
れ
た
の
は
三
三
年
(
大
豊
作)
と三
五
年
(
豊作)
の
み
で
あ
り、
こ
の
二
年間をの
ぞ
く
各
年は
三
石か
ら一
一
石の
作引
また
は
借米が
な
さ
れ
て
い
た
(
表2)
。
三一
年の
借米六
・
七
石の
うち五
・
七
石は
米穀投
機の
失
敗に
よ
る
もの
だ
が、
そ
れ
を
除い
て
も
三
石
ない
し
六
石の
作引が
み
られ
る
の
で
ある
。
作引が
行な
わ
れ
た
とい
う(
8)
こ
と
は、
こ
の
地
域全体の
作況が
悪か
っ
た
こ
と
を
意味する
が、
実際阿部家の
玄米生
産高に
占める
実納小
作料の
率は
作引
後で
ほ
ぼ
四〇
%
前後(
表3)
で
あ
り、
こ
れ
に
借米の
返
済を
付
加し
た
負担率(
対
実納-2)
ほ
平
均
四
四・
三
%
に
達した
。
以
上の
分
析か
ら、
恐
慌・
凶
作期に
阿部家の
経営が
不
安
定な
状態に
置か
れ
て
い
た
こ
と
は
明
らか
に
さ
れ
た
が、
こ
の
期の
阿部家の
経
営が
地
主
的土
地
所有を
と
お
して
地
主に
は
ぼ
全
面的に
掌握さ
れ
て
い
た
こ
と
を
次に
指摘し
て
お
か
ね
ば
なら
ない
。
図2
は、
阿
部家の
稔収
入に
占め
る
先
穀奴売収
入の
比重
をみ
た
も■の
で
ある
。
阿部家が
販
売し
た
米穀は
総収入の
六
〇-七
〇%
、
さ
らに
同
じ
小
作地の
生
産物で
ある
畑作物
・
藁加工
品
等の
販売収
入
を
加
える
と、
小
作地の
生
産物販
売
(
9)
収入は
捻収
入の
八
〇%
を
占めて
い
た
の
で
あ
る。
恐
慌・
凶
作期の
以上の
分
析か
ら
明
らか
な
よ
う
に、
こ
の
時
期の
阿部家の
収入
基盤は
ほ
ぼ
全
的に
地
主の
支
配下に
あ
っ
て、
経営は
不
安定か
つ
困
難な
状態に
あっ
た。
土
質改良
を
は
じ
め、
養鶏
・
養豚の
導入な
ど
経営を
上
向・
安定さ
せ
る
努力
もな
さ
れ
て
は
い
たが
、
そ
の
成
果は
ま
だ
三
六
年以
後
を
また
ね
ば
な
らな
かっ
た。
そ
の
三
六
年以
後の
分
析に
入
る
前に
、
阿部家をめ
ぐる
地
主
小
作関係の
特徴を
次
章で
検討
( 4 1 ) 戦 時下 小 作農 家 の 地 主 小 作関 係
第 2 表 実納 小 作料
備 考実 納小 作料 作 引 借 米
¢)
作
作
作
作
作
作
作
作
作
作
作
作
作
作
作
豊
豊
不
並
大
凶
並
並
豊
畳
大
並
不
豊
並
並
不
0
石"
0
0
0
4
2
8
0
1
0
石 石1 5 .5 9 4 .9 6
2 4 .1 8 3 .1 2
2 7 .3 0
20 .7 1 6 .5 9
2 7 . 40
2 7 .3 4
33 .5 3
3 3 . 81
3 4 .8 1
030
3
′
b
)
4
【
J
nⅥ
∠
Ul
3 4 .3 8
1 5 .1 0
2 7 ,8 3
2 7 .8 3
3 0 .2 9
2 6 ユ3
1 93 1
3 2
3 3
3 4
3 5
3 6
3 7
3 8
3 9
4 0
4 1
4 2
43
4 4
45
史 料 : 阿部太 一 家文 亀 山形 地方気象台 『山形県災
異年表』 (増補 第5 版),
1 97 2 年。
表 3 小 作 料 率
玄 米 小 作 料 率 返 済
生産 高 対 契約 対 実納-1 対 実納- 2 借米高
( D ) ( B / D ) ( C/ D ) (( C +E )/ D ) ( E )
% 石石 % %4 7
.0 0 5 8 .0 3 3 .2 3 4 .0 0 . 40
4 9.9 0 5 4 .7 4 8 .5 5 8 .
2 1 . 87
7 5 .55 3 6 .1 3 6 ユ 3 8 .6 1 . 87
4 4.5 7 6 1 .3 4 6 .5 4 8 .7 1■. 0 0
6 8 .9 8 3 9 .7 3 9 .7 4 1 .9 1 .4 8
6 4 .7 2 4 2 .9 4 2 .2 4 4 .6 1 .5 2
7 1 .1 8 4 臥7 4 7 ユ 4 7 .9 0 .5 5
8 1 .5 7 4 2 .4 4 1.4 4 3 .4 1 .2 0
9 1 ・0 3 3 8丁2 3 8 ・2 3 9 ・1 0 ・8 0
7 8 .7 0 4 4 .2 4 3 .7 43 .7
1 9 3 1
3 2
3 3
3 4
3 5
3 6
3 7
3 8
3 9
4 0
3 J 7
■「 ‾【‾‾
一 橋論叢 第八 十 巻 第 三 号 ( 42 )
図2 米 穀販 売 収 入 の 比 重 ( 1 9 3 1 - 4 0)
米穀肢売収入
総 収 入
年次
%
70
60
50
4 0
30
≧珊‾
寸
.1 93 2 3 4 3 6 3 8 ' 40
史料: 阿部家文書。
注 : 1) 米穀販売収入 には白米販売額 を含 む。
して
お
こ
う。
(
1)
斉藤善良
竜
山
形
県
米穀
流通
経済
史』
山
形
県
産
米改
良協
会連合
会、
五
八
年、
附表
第九
表
(
2)
同
前
書よ
り
算出
。
(
3)
『
山
形
県
統計
書』
に
よ
る。
(
4)
旧
大
泉村
役場書類
に
よ
る。
「
庄内
米価+
に
よ
る。
(
5)
こ
の
時期の
耕作
規模は
、
以
下の
資料の
突合
せ
に
よ
り
算
出。
阿
部太
一
「
日
記+
、
同
『
吾が
家の
稲
作状況』
、
同
『
田
面
実測
図』
、
山
形県
『
農
業
経
営指
導
施
設
概要』
、
三
七
年。
(
6)
四
月の
気温に
よっ
て
八
月の
気
温を
推定
し、
そ
れ
に
よ
っ
て
稲作
計
画
を
樹て
る
も
の
で、
詳し
く
ほ、
阿
部
太一
『
稲
作
豊
凶
の
予
知は
で
き
ない
か』
、
農業荘内
社、
七七
年、
を
参照
。
姻
(
7)
阿部太
一
「
日
記+
。
3
(
8)
作引
と
借米の
違い
、
作
引
が
実
施さ
れ
る
条
件な
ど
に
つ
い
て
は、
次
章を
参照
。
(
9)
阿部
家の
収支
状
況に
つ
い
て
は、
別
稿を
用
意し
て
検
討
す
る。
三
三
〇
年代の
地
主
小
作関係
東北
単作地
帯の
地
主
的土地
所有は
、
少
く
とも
一
一
重
米価
制の
実施まで
強固に
命脈を
保
持した
こ
と
は
地主
経
営分
析
な
どの
個別
分
析の
匙を
利用で
きる
が、
本章で
は
小
作慣
行の
分
析を
軸に
地
主
小
作関係の
検討を
な
し、
そ
の
強
固さ
が
三
五
年以
後の
小
作
農家に
与
えた
影響を
考え
る
手
掛りを
得る
こ
とに
し
た
い。
こ
の
時
期は
、
依然と
して
地
主が
小
作に
対
し
威圧
的で
あ
り
優位に
立っ
て
い
た。
たと
え
ば、
三
二
年一
月
(
三一
年不
作)
白山林の
農民が
作引を
顧み
に
行っ
た
とこ
ろ、
作引
一
剖の
要求に
は
応ずる
が、
そ
の
条件と
して
「
田
面
実
測を
し
(
2)
て
小
作料を
あ
げ
ろ+
と
地主に
言わ
れ、
三
四
年一
二
月
(
三
四
年凶
作)
に
は
太一
自
身が
別の
地
主に
作引を
希望し
た
と
こ
ろ
「
相
性合ほ
ぬ
か
ら
田
を
返し
た
ら
ど
うだ+
と
言わ
れ
て
( 4 3 ) 戦時下 小 作農 家の 地 主 小 作関 係
(
3)
い
る。
一
般に
こ
の
時期の
地
主
小
作関係ほ
大正
期の
そ
れ
が
再逆
転し
地
主
側が
攻
勢的で
小
作
側は
守
勢に
あっ
た
と
結論さ
れ
(
1)
て
い
る
が、
右の
事例が
地
主
小
作間の
攻守再逆転に
よ
る
も
の
と
は
考え
に
くい
。
むし
ろ
次に
見る
よ
うに
、
地
主
的土
地
所有に
基づ
く
地
主層全
体の
ヒ
エ
ラ
ル
ヒ
ー
の
強固さ
とこ
れ
に
対
する
小
作層の
弱さ
に
因る
もの
と
み
られ
る。
そ
の
分
析の
た
めに
ほ、
次の
記
事が
参
考に
な
る。
文
中
〔
〕
内ほ
引
用者の
注で
あ
る。
以
下
同
断。
「
今
年〔
三
六
年〕
は一
〇
年度に
此し
て一
剖五
分の
減収
故、
作引
も
して
貴び
たい
とこ
ろ
なれ
ど、
偲村で
ほ
そ
ん
なこ
とは
きか
ぬ
故、
せ
めて
貸して
貰び
た
い
と
の
こ
とに
一
決+
「
昨夜寺寄
合あ
り
て、
今年は
び
け
年の
と
こ
ろ
だ
が、
と
り
わ
け
白山
〔
白山
林〕
の
み
不
作の
こ
と
に
し
て
み
れ
ば、
そ
の
願
出づ
る
こ
と
も
得ず
、
倍米をお
願い
する
に
決定+
前者ほ
三
七
年一
月、
後者は
三
八
年一
月の
部落寄合に
関
(
5)
す
る
記事で
あ
る
が、
借米を
願う先は
ど
ち
ら
も二
八
〇
町
歩
地
主
木村家で
あ
る
か
ら、
右の
記事ほ
三
六・
七
年の
小
作料
に
関して
木村家に
作引
・
借米を
願出る
か
香か
を
部落寄合
を
開い
て
決定
して
い
た
こ
と
を
示
す
もの
で
あ
る。
し
か
も
そ
の
慣行は
、
第一
に
作引も
借米も
共同
体
的規制の
下に
あ
り、
第二
に
作引と
借米とが
明
確に
区
別
さ
れ
て
い
る
こ
と
を
内容
と
する
。
作引の
成立
は、
不
作が
少
くと
も
数村規模以
上の
広が
り
を
持つ
こ
と、
呑む
し
ろ
他村で
も
作引を
要求する
動き
の
あ
る
こ
とが
必
要条件で
あ
り、
こ
れ
が
な
ければ
借米に
な
る。
こ
れ
は
明
らか
に
地
主に
とっ
て
有利な
慣行で
ある
。
阿
部家
の
デー
タ
(
表3)
か
ら
推定する
と
契約小
作料が
生
産高の
五
五
%
を
超え
た
時作引が
実現さ
れ
て
い
る
が、
、こ
の
作引
慣
行は
単に
木村家
と
白山
林の
小
作との
関係を
縛る
だ
け
で
は
ない
。
作引
は
不
作が
一
円
的に
成立
する
こ
とを
条件と
す
る
か
ら
作引を
決定
する
か
香か
の
実
質的
権限が
大
地
主の
掌中
に
振られ
て
い
る
こ
と
は
措くと
し
て
も、
作引
率の
決定
権も
(
6)
木村家に
あ
る。
そ
れ
ほ
共
同
体と
木村家と
の
間で
決定さ
れ
た
作
引が
基
準と
なっ
て
他の
地
主
と
白山
林の
小
作との
間で
作引
率が
決まる
か
ら
で、
そ
の
作引
率は
通
常木村家よ
り
五
分か
ら一
剖
低く
、
こ
れ
を
「
木村の
五
分
引+
と
よ
ぶ。
『
小
作慣行調査
書』
の
「
地
主
各自二
於
テ
〔
作引
率を〕
決定ス
ル
カ
如キコ
ト
ナ
ク
地
方二
於ケ
ル
主
ナ
ル
地
主ノ
軽減歩合
決
淵
一 橋論叢 第八 十巷 第三 号 ( 4 4 )
(
ァ)
定ス
レ
ハ
他ハ
之二
倣ヒ
テ
同一
程度二
決定ス
ル
モ
ノ
ナ
リ+
が
こ
の
慣行
を
さ
すと
すれ
ば、
右の
慣行は
二
〇
年代に
まで
遡り
うる
。
作引
実現の
条件が
こ
の
よ
うに
厳しい
と
し
て
も、
すべ
て
の
小
作人が
契約小
作料全
額を
納入
し
うる
わ
けで
ほ
ない
。
そ
の
た
めに
借米が
認め
られ
る。
しか
し
そ
の
場合で
も
実際
は
個々▲・の
小
作が
自由に
借米を
願出る
こ
と
が
で
き
る
わ
けで
は
な
い。
白山
林の
場合
、
個々
の
小
作の
借米ほ
寄合で
まと
め
られ
て
地
主に
提
出さ
れ
る。
こ
の
方
式に
は
次の
二
つ
の
意
味を
認め
る
こ
とが
で
き
る。
第一
に、
ど
れ
だ
けの
借米を
要
求する
か
が
共同
体
構成
員の
監
視の
下に
置か
れ
る
か
ら、
借
米量に
自己
規制が
加え
ら
れ
る
こ
とで
あ
る。
第二
に
小
作に
とっ
て
借米は
地
主の
許
諾を
要する
もの
で
あ
る
か
ら、
認
め
ら
れ
た
借米ほ
地
主の
恩恵と
して
意識さ
れ
る
こ
と
で
あ
る。
認
め
られ
る
借米量の
多寡は
地
主の
温
情度の
厚薄で
あ
り、
し
た
がっ
て
借米は
地
主
小
作関係を
維持する
た
めの
重
要な
手段
とな
る。
し
か
し
地
主に
とっ
て
借米は
支
払期限の
延
長
で
あっ
て
小
作料の
最終的
な
減免で
ほ
ない
。
も
ち
ろ
ん、
ど
れ
だ
け
多くの
借米を
認
める
こ
とが
で
き
る
か
は、
個々
の
地
主が
小
作料収入に
ど
れ
だ
け
生
活の
基盤を
置い
て
い
る
か
に
か
か
っ
て
く
る。
した
が
っ
て
庄内地
方の
大地
主が
一
般に
温
脚
情で
あ
る
の
も、
地
主
的土
地
所有の
大
規模さ
に
基本的に
由
来する
と
考え
ら
れ
る
が、
そ
れ
が
む
し
ろ
地
主的土
地
所有の
葦回さ
を
支
え
て
い
た
とい
え
よ
う。
以上の
よ
うな
地
主
小
作関係
、
つ
ま
り
共
同
体
的規制の
利
用と
借米の
巧
妙さ
を
含む地
主
小
作関係は
、
一
方で
三
〇
年
代を
通
じて
生
産米の
四
〇%
以
上
をコ
ン
ス
タ
ン
ト
に
小
作料
と
して
実現
する
こ
と
を
可
能に
し
たの
み
な
ら
ず、
四一
年以
降の
阿部家の
行動を
規制す
る
役割も
果し
た
の
で
あ
る。
(
1)
た
とえ
ば、
岩本
純明
「
東北
水
田
単
作地
帯に
お
け
る
地
主
経済の
展開+
、
『
土
地
制度史学』
第
六
九
号、
清水洋二
「
東北
水
稲
単
作地
帯に
お
け
る
地
主・
小
作
関
係の
展開
1秋田
県
五
〇
〇
町
歩地
主丁
家
を
事例と
して
-+
、
『
土
地
制度史学』
第
七四
号、
森武
麿
「
東北
地
方に
お
ける
農
村
経
済
更生
運
動
と
翼
賛体
制
-山
形県
三
泉
村の
事
例
-+
、
駒沢
大学
経済
学
会
『
経
済
学
論
集』
第
八
巻
第一
号
な
ど。
(
2)
阿部太
一
「
日
記+
三二
年一
月一
四
日
の
項。
(
3)
同
右、
三
四
年一
二
月二
八
日の
項。
(
4)
た
と
え
ば
西
田
英昭の
「
第二
期小
作
争蔑
段
階+
論が
こ
れ
に
あ
た
る。
永
原・
中
村・
西田・
松元
『
日
本
地
主
制の
構成と
段階』
、
東京
大
学
出
版
会、
七
二
年、
四
九
七
頁以
下
を
参照
。
(
5)
い
ずれ
も
阿
部
太一
「
日
記+
。
( 4 5) 戦 時下小 作農 家の 地 主小 作関係
(
6)
作引
率の
決
定に
あ
たり
て
木
村家ほ
毎
年白山
林で
検見を
行なっ
て
い
た。
(
7)
山
形
県
『
小
作慣行
調
査
書』
(
二
二
年現
況の
調
査)
、
二
〇
頁。
四
準
戦時統制期(
三
六
1四
〇
年)
三
六
-四
〇
年の
時期は
全
国的に
景気が
上
向き
、
農村で
∴1)
ほ
再び
地
価、
小
作料の
上
昇が
み
ら
れ
た。
阿部家に
とっ
て
も、
三一
-四五
年の
な
か
で
最も
経営が
上向
し
発展した
時
期で
あっ
た。
本革で
ほ、
そ
の
発
展が
阿
部家の
経営を
ど
う
変え
た
か
に
的を
絞り
な
が
ら
分
析を
する
が、
そ
の
前に
こ
の
時期の
地
主小
作関係に
つ
い
て
触れ
て
お
こ
う。
三
六
1四
〇
年の
地
主
小
作関係は
次の
指標に
み
る
限り
大
き
な
変化ほ
し
て
い
ない
。
第一
に、
部落共同
体の
寄合と
そ
こ
で
の
規制を
媒介に
し
た
小
作料収
取機構と
そ
れ
に
随伴す
る
小
作
慣行が
こ
の
期を
通して
維持さ
れ
る。
第二
に、
阿部
家の
玄米生
産高に
対
する
実納小
作料の
比
率も
四
〇%
台を
下
らない
。
第三
に、
こ
の
時期の
阿
部家の
反
当
契約小
作料
が
上
昇傾向を
示
す
(
表1)
。
後に
み
る
よ
う
に、
三
六
-四
〇
年に
か
けて
阿部家の
耕作規模は
小
作地の
新規借入に
ょ
っ
て
増加する
が、
新規借入の
た
び
に
反
当
契約小
作料は
確
実に
上
昇して
い
る
の
で
あ
る。
こ
れ
は
小
作料の
全
国的
高騰
傾向と
軌を
一
に
する
も
の
だ
が、
地
主の
小
作料収
取カが
少
くと
も
絶対
額の
面で
は
低下
して
い
ない
こ
とも
意味す
る
も
の
で
あ
る。
以
上の
点で
、
三一
-三
五
年と三
六
-四
〇
年の
間に
地
主小
作関係の
面で
画
期性を
認め
る
こ
とは
困
難で
あ
る。
しか
し
阿
部家の
経
営は
次の
よ
うに
大
き
く
変化
する
。
ま
ず、
耕作規模が
拡大した
(
表1)
。
三
六
1四
〇
年に
約六
反歩が
増加する
が、
こ
の
う
ち
水田
が
五・
六
反
を
占め
る。
三一
-三
五
年は
〇・
三
反の
、
しか
も
畑の
増加で
あっ
た
か
ら、
阿
部家に
とっ
て
こ
の
時
期の
耕作規模増加の
意味
は
大きい
。
また
、
経営が
上
向・
発展した
。
そ
の
こ
と
は、
売米
・
飯
米に
関する
試算メ
モ
が
み
られ
な
くなっ
た
こ
と、
作引
・
借
米の
量が
激減し
た
こ
と、
資産の
増加が
三
六
1四
一
年まで
連年み
られ
る
こ
と
な
ど
に
よっ
て
知る
。
こ
の
う
ち
前二
者の
変化を
可
能に
し
た
要因は
、
なに
ょ
り
も生
産力が
こ
の
時期
に
高位に
安定した
こ
と
に
あ
る。
そ
れ
ほ
「
こ
の
とこ
ろ一
般
に
ょ
い
の
は
山土
を
撮入し
た
の
が
最大の
原
因で
あ
る
と
ひ
そ
(
2)
か
に
想っ
て
い
る
次
第なり+
と
あ
る
よ
うに
、
三
五
年以
前か
批
一 橋論叢 第八 十 巷 第三 号 ( 4 6 )
らの
技術改善が
実を
結び
は
じ
めた
か
ら
で
あ
る。
また
資産
投資が
可
能に
なっ
た
理
由と
して
ほ、
ま
ず、
養豚など
を
取
り
入れ
た
「
多角形の
経営+
が
利潤を
も
た
ら
して
きた
こ
と、
(
3)
また
三
六
1四
〇
年の
県の
指導と
補助
が
あっ
た
こ
と、
を
あ
げ
る
こ
と
が
で
き
る。
も
ち
ろん
、
右の
よ
うな
要因が
全
体と
し
て
好結果を
生
む
た
め
に
は、
そ
れ
を
助
け
た
こ
の
時期の
経済
全
体の
動向
ない
し
基
調
を
指摘し
て
お
か
ね
ば
な
らぬ
が、
個
別
阿部家の
経
営の
上
向
要因の
び
とつ
が
個人
的努力の
積み
重ね
に
あっ
た
こ
と
は
阿
部氏の
意識の
変化を
考え
る
うえ
で
重
要で
あ
る。
さ
ら
に、
経
営の
上
向・
発展の
結果
、
恐
慌・
凶
作期の
よ
ぅに
収
入の
基盤が
ほ
ぼ
全
面
的に
地
主に
よっ
て
掌握さ
れ
た
状態か
ら
脱却
した
こ
と
で
あ
る。
阿
部家の
総収入に
占め
る
米穀販
売収
入の
比
重は
ほ
ぼ
四
〇
%
前後に
後退し
、
代っ
て
養畜収入
、
仕送り
収入
等の
比
重
が
高く
なっ
た
(
図2)
。
こ
の
米
穀販
売収
入
比
率の
低下
が、
米価の
上
昇、
阿部家の
可
処分
玄米量の
増加の
な
か
で
現
象し
て
い
る
こ
と
は
注
意し
て
よ
い。
以
上か
らも
明ら
か
な
よ
うに
、
こ
の
期の
阿部家の
経
営は
収入
基
盤が
同時に
全的に
地
主の
掌握下に
あ
っ
た
状態か
ら
離脱し
、
自立
的性格を
強化
した
の
で
あ
る。
こ
の
経済的
自立
化が
他
方で
は
阿部
太一
の
意識を
変え
つ
つ
あっ
たこ
とを
次に
指摘し
な
けれ
ば
な
ら
ない
。
こ
の
時期
の
阿
部家の
資産投下
は、
そ
れ
を
列挙する
と、
三
六
年に
二
〇
円
を
支
出して
部落寄合へ
の
成
員権を
購入
し
た
の
を
皮切
りに
、
堆肥舎と
豚舎の
新
築、
三
七
年に
は
宅
地
購入
、
三
八
年に
は
鮮牛購入
、
動力
脱穀機設
置、
堆肥倉の
購入
、
翌三
九
年に
は
屋
根葺香え
、
納屋新築
、
四
〇
年に
は
山
林四
反
歩
を
購入
し、
翌四
一
年一
一
月に
は
水田
約二
反
三
畝
購入
とい
うこ
とに
な
る。
右の
う
ち
四一
年の
水田
ほ
購入
価格九二
九
円
八
八
銭の
うち
三
〇
〇
円を
親戚か
ら
借入
し、
残金
約六三
〇
円を
阿
部家が
支払
っ
た。
しか
も、
借入
金
三
〇
〇
円の
う
ち一
〇
〇
円は
同
じ
年の
一
二
月一
七
日
に、
残金二
〇
〇
円は
翌
四
二
年一
二
月に
支
払っ
て
い
る。
こ
の
間の
イ
ン
フ
レ
を
差引い
て
も、
三
六
1四
〇
年の
阿
部
家の
経営上
昇の
勢い
を
物語る
動き
とい
え
よ
う。
しか
も、
資産投下が
部落寄合へ
の
加入に
始ま
り
水
田
の
購入に
終っ
て
い
る
点に
、
こ
の
時期の
阿部家の
志
向
性が
端的に
物語ら
れ
て
い
る。
こ
の
部落寄合へ
の
加入は
、
阿部豪が
部
落共同
体の
成員
∂ββ
( 47 ) 戦時下 小 作農家 の 地 主 小 作関係
権を
穫得し
「
一
人
前+
の
部落構成
員に
なっ
た
こ
と
を
表わ
す。
確か
に
阿部家
が
成
員権を
獲得し
た
寄合は
先に
触れ
た
よ
うに
二
八
〇町
歩地
主
木村家の
支
配機構の
一
部を
構成
す
る
が、
他方
で
は
農作業の
労賃を
決
定す
る
な
ど
農業生
産自
体を
統轄し
調
整する
組織で
もあ
る。
そ
して
、
阿
部家が
ま
ず寄合の
成
員権を
購入
した
理
由は
、
共同
体の
構成
員と
し
て
「
一
人
前+
の
農家に
な
らん
が
た
め
で
あっ
た
ろ
う。
そ
れ
は、
同
じ
三
六
年一
月の
「
日
記+
に、
弟は
「
い
よ
い
よ
入
営
日
な
り。
…
…
祝入
営旗の
庭に
は
た
めい
て
ゐ
る
の
も
書家
初
まっ
て
か
らの
大慶事故
、
実に
愉快で
た
ま
らぬ
。
大い
に
肩
身を
広く
して
よ
い+
とい
う
記事が
ある
こ
と
と
相
通
ずる
。
経
営的な
自立
化に
慕うち
さ
れ
た
自信ほ
、
一
方で
前記の
よ
うな
社
会的自立を
促すと
と
もに
、
他方で
は
こ
の
時
期に
展開さ
れ
た
上か
らの
地
主
的運
動に
対
する
次の
よ
うな
批判
に
通
じて
くる
。
「
今日
学校に
て
経済更生
委員会とか
で、
二
百
人
程の
集
(
マ
マ
)
会あっ
た
由。
船頭多く
して
舟山
式で
ない
様に
と
希っ
て
ゐ
る
次
第なり
。
+
「
今夜経済更生
と
や
らの
基本
申告の
申合
せ
記入あっ
た
が、
労多く
して
劾少ない
村の
有力家の
や
る
こ
とを
考へ
さ
せ
ら
れ
る。
そ
れ
を
真に
受け
て
や
っ
て
る
支
会の
御歴々
こ
そ
よ
い
面の
皮だ
。
+
前者は
三
七
年四
月、
後者は
同
年五
月の
も
の
で、
い
ずれ
(
4)
も
大泉村の
経
済更生
運
動に
対
する
批判で
あ
る。
大泉村は
(
5)
三
五
年
二
月に
経
済更生
指定
村とな
る
が、
更生
運動自体
が
地
主
的色彩の
強い
構成メ
ン
バ
が
地
主
節色彩の
頚い
梢成メ
ン
バ
ー
に
よ
っ
て
担わ
れ、
こ
の
時期を
通し
て
経営を
上
向・
発展さ
せ
つ
つ
あっ
て、
また
そ
れ
に
よ
っ
て
経営的
手
腕と
自信を
身に
つ
けて
い
た
阿部太
一
ほ、
経
済更生
運
動と
い
う
官製運
動か
ら
排除さ
れ
て
い
た
の
で
ある
。
そ
こ
に
は
運
動自
体が
依
然と
し
て
地
主
的
秩序の
枠
内で
担わ
れ、
そ
うした
運
動自
体に
対
する
太一
の
軽侮の
気
持を
読み
と
る
こ
とが
で
き
る。
そ
し
て
運動が
地
主
的秩序の
枠内に
あ
る
とい
うこ
とは
、
地主
的支
配
秩序が
依然と
し
て
存続し
て
い
る
こ
と
を、
また
太一
の
軽
侮の
気
持ちに
は
三
〇
年代に
叩
上
げて
上
昇し
た
生
産農民の
自信と
意気軒昂な
さ
ま
を、
そ
れ
ぞ
れ
示し
て
い
る
とい
っ
て
よ
い
と
思わ
れ
る。
(
1)
た
と
え
ば、
「
小
作料
統
制
令要綱
案+
(
農
地
制
度資料
集成
編纂
委
員会
『
農地
制度資料集成
第
十
巻』
所収)
参
照。
(
2)
阿
部太
一
「
日
記+
、
三
五
年九
月二
八
日の
項。
り
J
(
3)
こ
の
時期の
阿
部
家ほ
、
先
述の
よ
うに
山
形県
農業経
営指
詔
(
6)
』 +
_ __二____
一 橋論叢 第 八 十 巷 第 三 号 ( 4 8 )
表 4 換算小 作料 率 ( 1 9 4 1 - 4 4 年)
換 算 玄 米 換 算 米 納小 換算小
小 作 料 生 産高 生産額 作料 率 作 料 率
( H ) (J) ( K ) ( F/J ) ( E / E )次年
円 石 円 % %6 1 1 .2 5 7 .6 6 26 22
.4 2 6 .2 2 3 .3
11 2 6 .6 8 3 .6 8 3 80 5 . 8 3 3 .3 2 9 . 6
12 0 3 .4 7 0 .6 6 4 15 0 . 6 3 9 .4 2 9 .0
13 0 9 .7 8 7 .0 2 5 1 11 . 6 3 4 .8 2 5 .6
1
2
3
4
4
4
4
4
0ノl
: 阿部豪文書 。
1 ) 換算小作料 の 計算式 は以 下 の 通り。
( 政府買入価椿) × ( 阿部家歩留) × ( 実納小作料,
F ) 。
政府買入価 樺 は,
1 9 4 1 ・ 4 2 年 4 4 円/石 ,4 3 ・ 叫 年4 7
円ノ石 。 阿部豪歩留 ( 0 . 9 2) は次 の 計算式で算出。 (4 1
年阿部家販売価格,
4 2.75 円/石)/( 41 年政府買入価軌
4 4 円/石)
2 ) 換算生産額 の 計算式 は以下 の 通 り ○
〔( 政府異 人価格) ×( 阿部家歩留) + ( 補給 金)〕×(玄 米
生産高 , J ) 。
補給金 Iま 1 9 4 1 ・ 4 2 年生産奨励 金 と して 5 . 0 円/石 ,4 3 ・
4 4 年は生産確保補給金 と して 1 5 ・ 5 円/ 石 0
3 ) 硬 ・ 精米椅差 の 縮小 , 超過供出分 に 対す る奨励 金 ( い
ずれ も 4 4 年) 等 ほ除 外し た 。
4 5 年 Iま史料上推定困難の た め 除外 した ○
料
‥
史
注
尊意
場記
帳貴家と
な
り、
県の
指導と
補助
を
得ら
れ
た。
(
4)
い
ずれ
も
阿
部太
一
「
日
記+
。
(
5)
山
形県
規画課
『
昭
和
十一
年虔経済更生
指定
町
村基
本
調
査
集
計』
及
び
阿部
太一
「
日
記+
。
(
6)
山
形
県
西田
川
郡
大
泉村
『
大
泉対数
化
振興
経済
更生
計
画
書』
の
役
員名
簿に
よ
る。
五
戦時統制期(
四一
-四
五
年)
四一
-四
五
年は
戦時農政の
展開に
よ
っ
て
地
主小
作関係
が
多大の
変化を
蒙っ
た
時
期で
あ
る。
四〇
年一
〇
月に
朗3
ほ
「
米穀管理
規則+
が
出さ
れ、
四一
年一
二
月「
米穀
生
産奨励金
交付
規則+
、
四二
年に
は
「
小
作料統制令+
(
三
九
年)
第四
条の
規
定に
基づ
く
「
適正
小
作料+
が
(
1)
大泉村で
実施さ
れ
た。
そ
して
四三
年七
月のし「
米穀生
産確保補給金
交付
規
則+
、
四
四
年四
月
の
「
米穀
ノ
増
産及
供出奨励二
関ス
ル
特別
措置+
等が
そ
れ
で
あ
る。
そ
こ
で
本
章で
ほ、
前章ま
で
で
明ら
か
に
した
よ
うな
三
〇
年代の
動向が
四一
-四五
年で
ど
う変化
した
の
か
を
検討する
。
とこ
ろで
、
本章の
表題に
み
る
よ
うに
、
こ
こ
で
は
四
一
年以
降を
もっ
て
「
戦時統制期+
と
し
た。
一
般に
は
戦時体
制の
画
期を
三
八
年の
国家
総動員法
、
農地
調
整
法に
お
く
が、
東北
単作地
帯で
の
画
期ほ
四一
年頃に
求め
る
ほ
う
(
2)
が
妥当と
思
わ
れ
る
か
らで
あ
る。
四一
年以
降の
地
主
小
作関係の
変貌は
き
わ
めて
ド
ラ
ス
チ
ッ
ク
で
あ
る
が、
そ
れ
をま
ず小
作料の
変化か
ら
検討する
こ
とに
し
よゝ
フ。
契約小
作料は
四一
-四五
年の
うち
四
二
年に
減
少す
る
(
表1)
。
こ
れ
は
「
適正
小
作料+
の
実施に
よ
る
もの
で
あ
る。
( 4 9 ) 戦時下 小作農 家の 地 主 小 作関 係
大泉村全体
で
は
水田
の
反当
小
作料が
一
・
〇三
石
か
ら
〇・
九
四
石に
約九%
低下
し、
小
作料率
も
四
二
・
〇
%
か
ら
三
(
3)
八・
三
%に
減少し
た。
阿部
家で
の
反
当小
作料も
〇・
九
八
石か
ら
〇・
八
五
石に
下
落し
た。
しか
も、
こ
れ
に
二
重
米価
制が
導入
さ
れ
た
た
め
に、
実際の
小
作料負担は
表4
に
み
る
よ
うに
二
〇
%
台に
低下
した
の
で
あ
る。
右の
よ
うに
、
四一
年以
後に
な
る
と
小
作料負担は
顕著に
減少す
る
が、
こ
れ
を
小
作料負担の
量的減少
と
する
な
らば
、
他
方で
ほ
小
作料
負担の
質的
変化と
も
呼ぶぺ
き
動きが
あ
る
こ
と
を
指摘し
な
けれ
ば
な
らない
。
そ
れ
が
端的に
認
め
られ
る
の
ほ、
四一
年の
作引
率五
二・
一
%
で
あ
る
(
表2)
。
こ
の
四一
年に
は
東西
田
川
郡に
稲熱病が
蔓延
し、
西
田
川
郡で
ほ
大泉
・
大
山・
上
郷・
京田
の
各町
村が
大き
な
被害を
(
4)
受け
、
と
りわ
け
大泉村ほ
最も
激甚な
被害を
蒙っ
た。
大泉
村の
平均
反
収は
前年の
二・
二
七
石か
ら
四一
年に
ほ一
・
六
六
石へ
と
約二
七・
一
%の
減少を
み
た、
反収
一
・
六六
石は
三
四
年の
一
・
六
七
石を
下
廻り
、
三
〇
-四
五
年の
最低で
あ
る
(
図1)
。
こ
の
た
め
小
作料減免率もこ
の
間で
最
高の
五
二・
一
%に
な
り、
三
四
年の
二
四・
一
%を
造か
に
超えた
。
し
か
しこ
の
減免率五二
・
一
%に
ほ
地
主小
作関係の
大き
な
変化
が
反映さ
れ
て
い
る
こ
とを
見逃せ
ない
。
と
い
うの
は、
「
昭
(
5)
和十
一
年小
作事情調
査+
に
よ
る
と、
山
形県で
の
減免歩合
五
-六
剖は
「
不
作ノ
程度+
で
六
剖減収だ
か
ら
で
ある
。
そ
の
変化の
具体的
事例と
して
次の
文
革を
掲げよ
う。
「
…
現
下
非
常時局二
於テ
食料
増産ヲ
確保ス
べ
キ
今日
本
(
マ
こ
年
度大山町地
域内ノ
稲作状況八
億憾乍意外ノ
不
作ヲ
招
来シ
真二
寒心二
耐へ
ず
ル
次
第デ
御
座居マ
ス
。
就テハ
今
般農民ノ
嘆願ニ
ヨ
リ
本会並二
農地
委員会二
於テ
慎重
審
議ノ
上
別
表ノ
範囲二
於テ
作
引ノ
御協定二
頚ル
コ
ト
ガ
出
来レ
バ
最モ
妥
当デハ
ナ
イ
カ
ト
審議サレ
タ
訳デア
リ
マ
ス。
真二
潜
越乍本会並二
農地
委員会ノ
使命二
鑑、
、
、
徒ラ
ノ
紛
.議ヲ
慮り
御
参考二
供ス
ル
次
第デ
ア
リマ
ス。
幸本
案ヲ
了
(
†
マ
)
ト
シ
テ
御採訳
下サ
レ
バ
幸甚ノ
至リ
デア
リ
マ
ス
+
こ
れ
は
大山町
農業
報国
会が
四一
年一
二
月一
八
日
付で
不
在地
主
宛に
郵送し
た
ガ
リ
版刷り
の
手
紙の
一
部で
あ
る。
「
別
表+
は
最高六
割か
ら三
剖まで
の
「
昭
和十
六
年度小
作
料作引
決
議案(
十二
月十
一
日
決議)
+
で
あ
る。
右に
み
られ
る
よ
うな
大幅な
作引率と
小
作料決定に
農地
委員会や
農業報国
会が
関与す
る
とい
う変化が
戦時統制に
基づ
く
もの
で
あ
る
こ
と
は
い
う
まで
もな
い
が、
右の
変化の
脳
一 橋論叢 第八 十巻 第三 甘 ( 50 )
な
か
に
作引決定の
論理
自体の
変更が
あ
る
こ
と
に
注意し
な
け
れ
ば
な
らな
い。
すな
わ
ち、
三
〇
年代に
お
ける
作引決定
の
論理
が
すで
に
見た
よ
うに
地
主か
らの
恩恵で
あっ
た
の
に
対
し、
四
〇
年代の
そ
れ
ほ
「
現
在ノ
如ク
単ナ
ル
土
地ノ
提供
者タ
ル
地
主ノ
分
配
所得ガ
土
地
以
外ノ
資本及
労力ノ
殆ン
ド
全
部ヲ
提供ス
ル
農業経営者タ
ル
小
作ノ
分
配所得卜
相伯仲
シ
小
作人ノ
所得中ニ
ハ
農業利潤ノ
含マ
ザル
コ
ト
ハ
勿論ノ
コ
ト、
普通ノ
労働賃銀二
相
当ス
ル
報酬サヘ
モ
獲得シ
待ザ
(
6)
ル
ガ
如キ
状態ヨ
.り
脱却セ
シ
メ+
る
とい
う
論理
、
つ
ま
り生
産者の
「
保
護+
の
論理
だ
か
らで
あ
る。
そ
し
て
こ
の
変化が
、
他
方で
は
地
主の
小
作料収
取機構の
構成
部分と
し
て
の
寄合の
機能を
変化せ
し
め
た。
四一
-四
五
年の
寄合を
核と
し
た
部落共同
体は
、
地
主の
小
作収
取
機
構と
して
の
機能を
停止
する
が、
後に
み
る
よ
うに
、
国
債と
貯蓄と
供出の
割当
単位と
して
、
割当
量の
完遂の
責任
単位
と
して
「
国策遂行+
の
最末端に
位置づ
け
られ
る。
た
と
え
ば、
四三
年三
月の
寄合で
は
供出
米、
貯蓄の
割当が
議題で
あ
り、
四
月に
ほ
供出米の
こ
とで
寄合が
開か
れ
る。
ま
た
四
四
年六
月に
ほ、
阿部家が
田
植の
手
伝い
を
他部落の
人
間に
頼ん
だ
とこ
ろ
「
農地
委員会で
他
部落よ
り
労力
吸
収
する
の
、
′
(
7)
は
い
けない
と
注
意+
さ
れ
て
い
る。
部落を
右の
よ
うに
単な
誹
る
割当
完遂の
単位と
して
位置づ
ける
こ
と
自体
が、
既に
生
産そ
の
も
の
を
破
壊す
る
こ
とに
通
ずる
こ
と
は
あ
ら
た
めて
指
摘する
まで
も
ない
。
以
上に
み
て
き
た
よ
うな
農村内で
の
諸変化と
三
六
1四
〇
年に
形成さ
れ
て
き
た
阿部太
一
の
自立
意識とが
結び
つ
い
た
と
き、
小
作人の
地
主に
対
す
る
意識の
変化が
生
じて
く
る。
阿部氏の
場合
、
借米=
恩恵関係が
あ
る
木村家に
対
し
て
ほ
四五
年に
至る
まで
敬
意を
払っ
て
い
る
が
そ
の
関係の
なぃ
不
在地
主
に
対
して
は
そ
うで
ほ
ない
場合が
み
られ
て
くる
の
で
あ
る。
た
と
え
ば
四二
年一
二
月の
地
主
か
らの
手
紙を
読ん
で
「
昨年貸米三
斗二
合二
勺
白米で
貰ひ
た
い、
との
こ
と。
他
に
豆
の
注文
あ
り
た
る
も
仲々
虫の
よ
い
話だ+
と
して
、
結局
こ
の
要望を
受けい
れ
なか
っ
た
とい
うの
が
そ
れ■で
あ
る。
右
の
よ
うな
地
主に
対
する
意識の
変化が
あ
ら
わ
れ
る
原因と
し
て、
既に
指摘し
た
よ
うな
、
阿部太
】
白身の
経営的
・
意識
的自立
化、
小
作料決定の
論理の
変化が
あ
る
こ
と
ほ
も
ち
ろ
ん
だ
が、
こ
れ
に
加え
て
四一
年の
「
米穀管理
実施要綱+
の
改正
を
指
摘しな
けれ
ば
な
ら
ない
。
こ
の
改
正に
よ
っ
て、
地
主層が
自家
保有米を
認め
ら
れ
る
衣村地
主とそ
れ
を
認め
ら
( 5 1 ) 戦時 下小 作農 家の 地 主 小 作関 係
れ
ない
不
在地
主と
に
大
別さ
れ
た
こ
とは
、
四
〇
年以
前の
借
米=
恩恵の
関係を
もつ
在村地
主
と、
そ
れ
を
持た
ない
不
在
地
主の
区
別と
重な
る
こ
とに
よっ
て、
ま
ず第
一
に
不
在
地
主
へ
の
反
撥意識を
促進せ
さ
た
とい
え
る
で
あ
ろ
う。
そ
の
こ
と
に
注意する
と
と
も
に、
な
お
他
方で
は
そ
の
意
識
が
大
地
主
で
あ
る
木村家を
は
じ
め
と
する
在村地
主
に
対
し
て
ま
で
は
普遍化
する
こ
と
が
なか
っ
た
こ
と
に
も
注
意せ
ね
ば
な
る
ま
ヽ
0
、
.∨
戦時
統
制
期の
以
上の
よ
う
な
変化と
あ
わ
せ
て、
直
接的生
産過
程白体が
特に
四
三
年以
後急
激に
破
壊さ
れ
て
く
る
こ
と
を
次に
明ら
か
に
し
ょ
う。
ま
ず供出で
あ
る。
「
日
記+
で
み
る
限
り
で
は
供
出が
激
し
表 5 供出率 ( 1 9 4 3 - 4 5 年)
脚
…
供 出 供 出量割 当量 ( L )
年次
石 石 %6 7
.2 6 7 .6 9 5 .7
7 3 .2 7 3 .2 8 4 .1
4 7 .2 4 7.2 7 3 .
1
1 9 43
4 4
4 5
史料 : 阿部家文書
注 : 1 ) 4 5 年 の 玄米生産高 (J) は 6 4 .
5 5 石 。
2) 供 出割 当量 , 供出量 とも1 俵 4
斗 で換算 。
くな
る
の
は
四
三
年以
降で
あ
る。
四三
-四
五
の
三
年間で
、
阿部
家
は
割当の
超過
達成
一
回
(
四
三
年)
、
「
完
遂+
二
回
(
四
四・
四
五
年)
で
あ
る
が、
供
出米が
産米全
体に
古
める
比
率は
最低の
四
五
年で
も
七
三
%
で
あ
る
(
表5)
。
供
出率が
八
〇
%
を
超え
る
四
三・
四
四
年に
ほ
「
還
元
配給+
を
う
けて
い
る。
四三
年五
月
を
み
る
と、
六
日
に
「
供出米の
改
装
をや
り、
午後に
入
庫+
し、
一
〇
日
に
ほ
「
配
給米を
受け
入れ+
て
い
る。
こ
の
年の
白山
林で
は、
供出割当
七
六
八
〇
俵の
と
こ
ろ
三
月一
七
日
現
在で
四
六三
俵が
不
足し
て
い
た。
七
六八
〇
俵
は、
白山林の
全
員家の
水田
面
積で
単
純に
平均して
も
反
当
二
石の
割当で
あ
る。
こ
の
年の
割
当
は
結局
部落全
体と
し
て
は
「
完遂+
さ
れ
た
が、
五
月六
日
に
「
完遂+
し、
一
〇日
に
「
還元
配給+
を
うけ
る
こ
と
自体に
割当
量の
非科
学
性を
見
る
こ
と
が
で
きる
し、
供出割当
達成の
や
り
方
白休
も
再生
産
を
無視し
た
暴力
的
なも
の
で
あっ
た。
四
三
年に
は、
三
月一
九日
「
午後
供米の
こ
と
で
学校へ
村民
一
同
参集す
。
田
川地
方
事務所長長瀬氏
来り
て
ビ
リ
ビ
リ
と
や
られ
て
全
く
困
窮の
(
8)
他は
ない+
、
四
月ニ
ー
日
「
今
日
も
部落会長
等米の
こ
と
で
役場へ
集め
ら
れ
て、
今度は
い
よ
い
よ
自家
保有米を
供出し
(
8)
な
け
れ
ば
な
らぬ
ら
しい+
と
あ
る
し、
四
四
年も
二
月
七
日
「
今夜
供米の
件に
.て
、
村長
、
田
川
事務所
、
県か
らと
借方
が
来て
、
血の
出る
様な
び
どい
言語で
米を
出せ
と
の
こ
と。
ガ'
J
一 橋論叢 第八 十 巷 第三 号 ( 5 2 )
償供米もへ
っ
た
くれ
も
あっ
た
も
の
で
ない。
全部供出だ+
(
8)
と
あ
る。
生
産過
程の
破
壊は
人
出不
足、
農耕馬
徴発
、
肥
料欠
乏、
農具
補填難と
し
て
具体
化
する
。
阿
部家で
は
肥料と
農具が
四三
年頃
、
人
手不
足は
四
四
年、
馬耕馬不
足は
三
八
年頃か
ら
そ
れ
ぞ
れ
激化
する
が、
こ
の
うち
馬耕馬の
不
足は
鮮牛へ
の
乗り
換えに
よ
っ
て
切
り
抜け
られ
て
お
り、
結局生
産条件
全
体が
決
定的に
悪化す
る
の
は
四
四
年か
らで
あ
る。
四五
年
の
減収に
は
「
本年は
敗戦の
年に
して
肥
料事情は
最悪也
。
(
9)
魚粕の
類の
配給は
殆ど
な
く
主
と
して
硫安の
為減
収せ
り+
とい
うコ
メ
ン
ト
が
付さ
れ
て
い
る。
(
1)
山
形
県
経
済部
企
画
課『
庄
内地
方の
適正
小
作料』
、
四二
年。
(
2)
前掲
清
水
論文の
画
期も
三
八
年頃に
設
定さ
れ
て
い
る
が、
分
析の
内
容に
即
せ
ば四
一
年画
期の
は
うが
ふ
さ
わ
しい
と
考
え
ら
れ
る。
(
3)
前
掲
『
庄内
地
方の
適正
小
作料』
。
(
4)
山
形
県
立
農
業試
験場
『
庄内
地
方
に
お
け
る
稲熱病の
発生
と
環境』
、
四二
年、
四
頁。
(
5)
前掲『
農地
制
度資料集成
第一
巷』
、
七
四三
頁。
(
6)
前掲『
農地
制度資料
集
成
第十
巷』
、
五
頁。
(
7)
阿
部太
一
「
日
記+
、
四
四
年六
月二
二
日の
項。
(
8)
い
ずれ
も
阿
部太
一
「
日
記+
。
(
9)
阿部太
一
『
吾が
家の
稲作
状
況』。
ま
とめ
′
以
上の
分
析の
結論は
次の
よ
うに
整
理で
き
る。
庄内
単作地
帯で
は
小
作料収
取の
面で
の
地
主小
作関係は
三一
-四
〇
年に
質的変化を
み
せ
なか
っ
た
が、
三
六
年以
後
に
なる
と
小
作経営が
上
向を
開始し
た。
三
六
年頃か
らの
農
民
経営の
上
向は
恐
ら
く
東北
地
方に
共
通の
動向と
考え
ら
れ
る
が、
と
も
か
くそ
れ
が
地
主
的支
配か
ら
の
経
済的
・
意識的
両
側面で
の
小
作経
営の
自立を
結果した
。
そ
の
経
済的自立
は
四一
年以
後の
戦時統制の
強化に
伴っ
て
押し
潰さ
れ
て
い
っ
た
と
考え
ら
れ
る
が、
意識面の
自立
は
戦時
農政の
浸透と
頼ま■つ
て
不
在地
主へ
の
意識の
変化を
生
む。
こ
れ
が
農地
改
革を
支持
・
推進する
カに
連なっ
て
い
く
と
考え
られ
る
が、
他方
で
は
借米=
恩恵を
受け
た
大地
主に
対
する
意識は
変わ
ら
ず、
こ
ち
らは
戦後民
主化
期の
課題と
して
残さ
れ
る。
ま
た
戦時
農政の
浸透が
小
作料決定の
論理
と
部落寄合の
機能
を
変え
、
前者は
先の
対
地
主
意識の
変化に
つ
な
が
り、
後者
は
寄合を
国債
・
預金
・
供出の
最終的割当
単位に
、
ま
た
最
3 ββ
末端の
責任
単位に
転化さ
せ
る
が、
そ
の
進行の
過
程で
農業
生
産全
体が
破
壊さ
れ
る
の
で
あ
る。
以
上の
分
析は
、
筆者の
力
量の
乏
し
さ
は
措くと
して
も、
資料的制約と
紙数の
関係か
ら
阿
部家
を
め
ぐる
状
況に
まで
触れ
え
ずに
終っ
た
が、
こ
の
課題の
ほ
か
に
な
お
次の
炭問を
筆者の
今後の
課題と
し
て
提出して
お
きた
い。
第一
ほ、
部落共
同
体と
寄
合と
地
主の
小
作料収
取
機
構と
の
関連で
あ
る。
こ
の
三
者の
関連は
阿
部家の
意識と
行
動を
規定し
た
で
あ
ろ
う
し、
ま
た
白
山
林の
農民に
も
影響を
与え
て
い■た
ほ
ずで
あ
る。
そ
の
影響が
い
か
なる
もの
で
あ
っ
た
か
ほ
こ
の
地
域で
の
貴地
改
革を
考え
る
重
要な
手
掛り
とな
る
で
あ
ろ
う
し、
ま
た、
こ
の
地
域に
小
作争議が
発生
し
なか
っ
た
理
由を
解く
鍵の
一
つ
と
も
な
ろ
う。
第二
ほ、
中
堅
人
物論と
の
関連で
更生
運
動の
な
か
で
の
阿
部家
を
ど
う
位置付け
る
か
と
い
う問題で
あ
る。
大
泉村の
更
生
運
動の
あ
り
方は
第一
の
疑問に
繋が
る
が、
研
究史の
問題
と
して
は
更生
運
動と
日
本フ
ァ
シ
ズ
ム
お
よ
び
農村の
再
編の
相
互
連関の
あ
り
方を
問う必
要が
ある
とと
も
に、
以
上の
三
者と
中堅
人
物論との
関係を
中
堅
人
物の
定
義も
含めて
検討
する
必
要が
ある
よ
うに
思
うの
で
あ
る。
(
日
本
学
術
振
興
会奨
励研
究員)
( 5 3 ) 戦時下 小 作農家 の 地 主小作 関 係
∂2 9