戦時下小作農家の地主小作関係 url right · 戦 時 下 小 作 農 家 の 地 主 小...

18
Hitotsubashi University Repository Title Author(s) �, Citation �, 80(3): 313-329 Issue Date 1978-09-01 Type Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/13280 Right

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Page 1: 戦時下小作農家の地主小作関係 URL Right · 戦 時 下 小 作 農 家 の 地 主 小 作 関 係 (37) 戦時下小作農家の地主小作関係 は じ め に 本

Hitotsubashi University Repository

Title 戦時下小作農家の地主小作関係

Author(s) 田崎, 宣義

Citation 一橋論叢, 80(3): 313-329

Issue Date 1978-09-01

Type Departmental Bulletin Paper

Text Version publisher

URL http://doi.org/10.15057/13280

Right

Page 2: 戦時下小作農家の地主小作関係 URL Right · 戦 時 下 小 作 農 家 の 地 主 小 作 関 係 (37) 戦時下小作農家の地主小作関係 は じ め に 本

戦時下小作農家の

地主

小作関係

( 3 7) 戦時 下小 作農 家の 地 主 小 作関 係

じめ

稿は

三一

(

九三

年の

意。

同断)

-四

東北

単作地

帯の

作農家の

析の

環を

すもの

で、

題は

農家の

動向を

作関係の

変化の

面か

検討す

る。

知の

うに

三一

-四五

年は

慌↓フ

1農地

革を

くみ

展望

する

時期で

が、

主制史研

究の

最も

個別実証

析の

蓄積が

少い

とこ

ろで

る。

本稿の

場合に

基本

的資料が

農家の

記+

した

個別

記録

り、

方こ

補完

する

役場資料

とん

見られ

かっ

とも

り、

本稿の

結論をこ

まで

究史の

成果と

噛み

合わせ

なお

多く

妖介項を

要する

思わ

る。

稿で

検討しょ

うと

たこ

は、

時期の

作関係の

変動を一

戦時統

制と

制との

盾、

た一

作関係白体の

盾とい

う二

矛盾の

結合と

して

られ

か、

変動が

意味で

農地改

革を

展望し

点で

る。

析の

前提

稿で

扱う小

作農家

形県旧

西田

川郡

大泉村大字白

山林の

部太

る。

ず大

泉村と

白山

林の

要に

触れ

う。

(

1)

年の

泉村は

総耕地

町、

水田

%

余、

白山林は

村の

中央部に

総耕地二

九町

率九

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ご 「

一 橋 論叢 第八 十 巷 第三 号 ( 3 8 )

%

余で

る。

村の

稲反

収は

郡の

肩す

が、

山林は

壌、

利等の

反収が

劣る

大字の

町は

腐植質泥炭土で

稲熱病が

発生

すく

利が

(

2)

足する

積約八

〇町

歩、

平時

排水不

良な

の一

とい

態で

た。

(

3)

大泉村の

歩地

木村九

兵衛家

は、

強く

配し

白山林の

主小

作関係を

後述の

うに

特徴あ

た。

析対

象の

部太

耕作規模で

見る

大字の

平均

(

4)

下で

り、

年で

作農家

戸中八

番目

(

5)

内四

戸中三

番目

年で

作一

戸中

番目

大字内

戸中三

番目で

あっ

た。

がっ

耕作規模

零細な

方に

属する

が、

三一

-四

(

6)

平均耕作規模三

二・

反(

-四

人の

労働で

耕作

(

7)

維持し

うる

限に

近い)

維持し

た。

次に

象時期の

経営主で

ある

阿部太

性格に

(

8)

触れ

う。

部太

ちに

うに

精農家

る。

また

三一

-三

年に

農林省米穀生

産費調

を、

-四

年に

県の

農業経営指導農場記

帳農家を

四一

-四

年に

農林省農業経

営調

稲作部門を

当し

年に

県貴会主

催の

第一

中堅

農業経営講習会+

に、

年に

県か

関東地

視察に

参加し

他に

もい

くつ

会議へ

出席を

県か

要請さ

農家で

あっ

た。

がっ

て、

下で

優秀な

農家

目さ

解で

る。

最後に

部家の

構成に

説明

する

三一

年現

在の

人で

(

歳)

(

五)

太一

(

四)

妹四

(

八・

四・

六・

〇)

弟二

(

〇・

七)

る。

うち母

弟一

人は

基本的に

農業に

事し

ない

妹四

人の

うち

ず農業に

事し

年か

太一

妻が

加わ

り、

弟一

人が

抜ける

親は

年代

半ば

まで

稲作労働に

事する

が、

降は

稲作の

幹労働力で

る。

従っ

農業従

事者

数は

年まで

(

ち三

年まで

男三

女二

-三

年が

男二

女三)

年か

らは

男二

女二

計四

となっ

る。

4 3 2 1

山形

統計書』

る。

泉村役

場書類に

る。

前。

前。

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(

5)

太一

村の

動静』

(

未定稿)

(

6)

後出

表1

参照

(

7)

稿

和初

期地

制下に

単作地

帯の

業構造

その

変動+

度史学』

第七

参照

(

8)

後出図1

参照

慌・

作期(

三一

-三

年)

三一

-三

年は

和恐

慌に

打撃と

年の

( 3 9 ) 戦時下 小作農 家の 地 主 小 作関係

表 1 耕作 盈模 ・ 反当 契約小作 料

耕 作 面 積 契 約 反 当 契約小 作地 自作地 小作料 小 作料

糾 ㈱ ( B / A )

反 反 石 斗/ 反2 7 .2 5 9 .5

2 7 .3 0 9 .5

2 7 .3 0 9 .5

2 7.3 0 9 .5

2 7 .4 0 9 .5

2 7 .7 4 9 .6

3 4 .6 9 9 .9

3 4 .6 1 9 .9

3 4 .8 1 1 0 .0

3 4 .8 1 1 0 .0

3 2 .1 6 9 .8

2 7 .8 3 8 .5

2 7 .8 3 8 .5

3 0 .2 9 1)

2 6 .1 3 1)

3

3

3

3

3

2

2

2

2

2

2 8 .7

2 8 .9

2 8 .9

2 8 .9

2 9 .0

2 9.0

3 5 .0

3 5 .0

3 5 .0

3 5 .0

3 2 .7

3 2 .7

3 乙7

3 5 .6

3 0 .7

1

2

3

4

5

0

7

8

9

0

1

2

つJ

4

5

3

3

3

3

3

3

3

3

3

4

4

4

4

4

4

(

uノl

作の

打撃と

踵を

接した

時期と

概括し

うる

単作地

帯で

最大の

商品作物で

米の

格は

年に

当一

(

1)

八・

円を

記録

して

徐々

持ち

直しっ

あっ

(

2)

え、

三一

-三

年の

平均

米価は

四・

円で

ない

米価が

年ぶ

台を

復した

(

3)

年ほ

作の

は一

石に

激減し

泉村で

(

4)

年作に

此し

約三

%の

減収で

あっ

た。

した

がっ

て、

時期に

庄内

農村全

体が

疲弊した

る。

部家の

期の

経営は

次に

見る

史料 : 阿部太 一 家文書

注) 1) 実約小作料不 詳の た め以下 の 方法 で推計

4 4 年 : (4 3 年契約小作料) +( 4 3 年反当小作料)

× (4 4 年小作地増加 分)

4 5 年 : ( 43 年契約 小作料)- (4 3 年反当小作料)

× ( 45 年小作地減少分)

して

停滞的で

あっ

た。

作料

払の

基礎と

耕作規模は

(

5)

八・

反か

ら二

九・

反に

増加する

が、

も三

年以

後に

決して

大き

く、

しか

もこ

増加は

畑の

借入に

(

表1)

畑面

積は

年に

畝半+

年に

畝二

半+

増え

伴っ

作料も

各々

升、

斗五

増加し

た。

しか

当小

作料は

九・

斗の

準に

あっ

変化し

ない

加え

時期の

産力水

準ほ

図1

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一 橋論叢 第八 十 巷 第三 号 ( 4 0 )

団 1 水 稲 反 収

年次

量収・当反

反西 田川郡 大泉村 阿部家

. 5

. 0

.5

/ A t \′

〉+ .ノ'

㌦. 一

ニ _J_. ア

ンハ ご、

‾ ‾‾ヽ-

、ふ

じプW Ⅴ

19 30 35 40 4 5

史料 : 阿部家文書。山形県

『山形県 における来作統計』 。

2

2

1

うに

安定

あっ

た。

阿部家

稲反

収は

年に

村平

均を

駕す

が、

作や

作に

村平均

下に

落ち

むと

う、

激しい

豊凶

差を

る。

うな

産力

脱却しょ

うと

する

努力ほ

既に

時期に

開始さ

土に

質改

良、

(

6)

稲作の

ど)

(

例え

堆肥の

増産と

善、

気温の

測定に

が、

まだ

具体

成果を

まで

至っ

かっ

た。

産力

準の

阿部家に

時期の

経営維持

はか

難で

あっ

た。

阿部家ほ

連年小

作料

借金

料代の

払い

追わ

れ、

飯米と

売米は

常に

足した

年収

穫が

終わ

未調

整の

時期に

記+

飯米

米の

量を

試算する

頻出し

年一

月に

番米よ

り五

等米を

俵をと

る。

父と

人一

(

7)

る。

米が

足に

なっ

だ+

とい

記事も

られ

る。

三一

-三

年の

年間で

契約

作料どお

りに

作料が

完納さ

(

作)

と三

(

豊作)

り、

年間をの

年は

石か

ら一

石の

作引

また

借米が

(

表2)

三一

年の

借米六

石の

うち五

石は

米穀投

機の

敗に

もの

が、

除い

ない

石の

作引が

られ

ある

作引が

行な

とい

う(

8)

は、

域全体の

作況が

悪か

意味する

が、

実際阿部家の

玄米生

産高に

占める

実納小

作料の

率は

作引

後で

四〇

%

前後(

表3)

り、

借米の

済を

加し

負担率(

実納-2)

四・

%

達した

上の

析か

ら、

慌・

作期に

阿部家の

経営が

定な

状態に

置か

らか

が、

期の

阿部家の

営が

的土

所有を

して

主に

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面的に

掌握さ

次に

指摘し

なら

ない

図2

は、

部家の

稔収

入に

占め

穀奴売収

入の

比重

をみ

も■の

ある

阿部家が

売し

米穀は

総収入の

〇-七

〇%

らに

作地の

産物で

ある

畑作物

藁加工

等の

販売収

える

と、

作地の

産物販

(

9)

収入は

捻収

入の

〇%

占めて

る。

慌・

作期の

以上の

析か

らか

に、

期の

阿部家の

収入

基盤は

的に

主の

配下に

て、

経営は

安定か

難な

状態に

あっ

た。

質改良

め、

養鶏

養豚の

導入な

経営を

向・

安定さ

努力

もな

たが

果は

年以

また

らな

かっ

た。

年以

後の

析に

前に

阿部家をめ

ぐる

作関係の

特徴を

章で

検討

( 4 1 ) 戦 時下 小 作農 家 の 地 主 小 作関 係

第 2 表 実納 小 作料

備 考実 納小 作料 作 引 借 米

¢)

0

石"

0

0

0

4

2

8

0

1

0

石 石1 5 .5 9 4 .9 6

2 4 .1 8 3 .1 2

2 7 .3 0

20 .7 1 6 .5 9

2 7 . 40

2 7 .3 4

33 .5 3

3 3 . 81

3 4 .8 1

030

3

b

)

4

J

nⅥ

Ul

3 4 .3 8

1 5 .1 0

2 7 ,8 3

2 7 .8 3

3 0 .2 9

2 6 ユ3

1 93 1

3 2

3 3

3 4

3 5

3 6

3 7

3 8

3 9

4 0

4 1

4 2

43

4 4

45

史 料 : 阿部太 一 家文 亀 山形 地方気象台 『山形県災

異年表』 (増補 第5 版),

1 97 2 年。

表 3 小 作 料 率

玄 米 小 作 料 率 返 済

生産 高 対 契約 対 実納-1 対 実納- 2 借米高

( D ) ( B / D ) ( C/ D ) (( C +E )/ D ) ( E )

% 石石 % %4 7

.0 0 5 8 .0 3 3 .2 3 4 .0 0 . 40

4 9.9 0 5 4 .7 4 8 .5 5 8 .

2 1 . 87

7 5 .55 3 6 .1 3 6 ユ 3 8 .6 1 . 87

4 4.5 7 6 1 .3 4 6 .5 4 8 .7 1■. 0 0

6 8 .9 8 3 9 .7 3 9 .7 4 1 .9 1 .4 8

6 4 .7 2 4 2 .9 4 2 .2 4 4 .6 1 .5 2

7 1 .1 8 4 臥7 4 7 ユ 4 7 .9 0 .5 5

8 1 .5 7 4 2 .4 4 1.4 4 3 .4 1 .2 0

9 1 ・0 3 3 8丁2 3 8 ・2 3 9 ・1 0 ・8 0

7 8 .7 0 4 4 .2 4 3 .7 43 .7

1 9 3 1

3 2

3 3

3 4

3 5

3 6

3 7

3 8

3 9

4 0

3 J 7

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■「 ‾【‾‾

一 橋論叢 第八 十 巻 第 三 号 ( 42 )

図2 米 穀販 売 収 入 の 比 重 ( 1 9 3 1 - 4 0)

米穀肢売収入

総 収 入

年次

%

70

60

50

4 0

30

≧珊‾

.1 93 2 3 4 3 6 3 8 ' 40

史料: 阿部家文書。

注 : 1) 米穀販売収入 には白米販売額 を含 む。

して

う。

(

1)

斉藤善良

米穀

流通

経済

史』

米改

良協

会連合

会、

年、

附表

第九

(

2)

書よ

算出

(

3)

統計

書』

る。

(

4)

泉村

役場書類

る。

庄内

米価+

る。

(

5)

時期の

耕作

規模は

下の

資料の

突合

出。

部太

記+

吾が

家の

作状況』

実測

図』

形県

営指

概要』

年。

(

6)

月の

気温に

よっ

月の

温を

推定

し、

稲作

樹て

で、

詳し

ほ、

太一

知は

ない

か』

農業荘内

社、

七七

年、

参照

(

7)

阿部太

記+

3

(

8)

作引

借米の

違い

施さ

件な

は、

章を

参照

(

9)

阿部

家の

収支

況に

は、

稿を

意し

る。

年代の

作関係

東北

単作地

帯の

的土地

所有は

とも

米価

制の

実施まで

強固に

命脈を

持した

地主

営分

どの

個別

析の

匙を

利用で

きる

が、

本章で

作慣

行の

析を

軸に

作関係の

検討を

し、

固さ

年以

後の

農家に

えた

影響を

考え

掛りを

得る

とに

い。

期は

依然と

して

主が

作に

威圧

的で

優位に

立っ

た。

たと

ば、

年一

(

三一

年不

作)

白山林の

農民が

作引を

顧み

行っ

とこ

ろ、

作引

剖の

要求に

応ずる

が、

条件と

して

測を

(

2)

作料を

ろ+

地主に

言わ

れ、

年一

(

年凶

作)

太一

身が

別の

主に

作引を

希望し

性合ほ

返し

うだ+

言わ

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( 4 3 ) 戦時下 小 作農 家の 地 主 小 作関 係

(

3)

る。

般に

時期の

作関係ほ

大正

期の

再逆

転し

側が

勢的で

側は

勢に

あっ

結論さ

(

1)

が、

右の

事例が

作間の

攻守再逆転に

考え

くい

むし

次に

見る

うに

的土

所有に

基づ

主層全

体の

強固さ

とこ

する

作層の

弱さ

因る

もの

られ

る。

析の

めに

ほ、

次の

事が

考に

る。

内ほ

用者の

注で

る。

断。

年〔

年〕

は一

年度に

此し

て一

剖五

分の

減収

故、

作引

して

貴び

たい

とこ

なれ

ど、

偲村で

なこ

とは

きか

故、

めて

貸して

貰び

とに

決+

昨夜寺寄

合あ

て、

今年は

年の

が、

白山

白山

林〕

作の

ば、

出づ

得ず

倍米をお

願い

する

決定+

前者ほ

年一

月、

後者は

年一

月の

部落寄合に

(

5)

記事で

が、

借米を

願う先は

も二

木村家で

ら、

右の

記事ほ

六・

年の

作料

関して

木村家に

作引

借米を

願出る

香か

部落寄合

開い

決定

して

もの

る。

慣行は

第一

作引も

借米も

共同

的規制の

下に

り、

第二

作引と

借米とが

確に

内容

する

作引の

成立

は、

作が

くと

数村規模以

上の

広が

持つ

と、

呑む

他村で

作引を

要求する

動き

とが

要条件で

り、

ければ

借米に

る。

らか

主に

とっ

有利な

慣行で

ある

部家

デー

(

表3)

推定する

契約小

作料が

産高の

%

超え

時作引が

実現さ

が、

、こ

作引

行は

単に

木村家

白山

林の

作との

関係を

縛る

ない

作引

作が

的に

成立

する

とを

条件と

作引を

決定

する

香か

質的

権限が

主の

掌中

振られ

措くと

も、

作引

率の

決定

権も

(

6)

木村家に

る。

体と

木村家と

間で

決定さ

引が

準と

なっ

他の

白山

林の

作との

間で

作引

率が

決まる

で、

作引

率は

常木村家よ

分か

ら一

低く

木村の

引+

ぶ。

作慣行調査

書』

各自二

作引

率を〕

決定ス

如キコ

方二

於ケ

主ノ

軽減歩合

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一 橋論叢 第八 十巷 第三 号 ( 4 4 )

(

ァ)

定ス

他ハ

之二

倣ヒ

同一

程度二

決定ス

リ+

慣行

すと

すれ

ば、

右の

慣行は

年代に

まで

遡り

うる

作引

実現の

条件が

うに

厳しい

も、

すべ

作人が

契約小

作料全

額を

納入

うる

けで

ない

めに

借米が

認め

られ

る。

しか

場合で

実際

個々▲・の

作が

自由に

借米を

願出る

けで

い。

白山

林の

場合

個々

作の

借米ほ

寄合で

まと

られ

主に

出さ

る。

式に

次の

味を

認め

とが

る。

第一

に、

けの

借米を

求する

共同

構成

員の

視の

下に

置か

ら、

米量に

自己

規制が

加え

とで

る。

第二

作に

とっ

借米は

主の

諾を

要する

もの

ら、

借米ほ

主の

恩恵と

して

意識さ

る。

られ

借米量の

多寡は

主の

情度の

厚薄で

り、

がっ

借米は

作関係を

維持する

めの

要な

手段

とな

る。

主に

とっ

借米は

払期限の

あっ

作料の

最終的

減免で

ない

ん、

多くの

借米を

める

とが

は、

個々

主が

作料収入に

活の

基盤を

置い

る。

した

庄内地

方の

大地

主が

般に

情で

も、

的土

所有の

規模さ

基本的に

来する

考え

が、

主的土

所有の

葦回さ

とい

う。

以上の

うな

作関係

的規制の

用と

借米の

妙さ

含む地

作関係は

方で

代を

じて

産米の

〇%

をコ

作料

して

実現

する

能に

たの

ず、

四一

年以

降の

阿部家の

行動を

規制す

役割も

果し

る。

(

1)

とえ

ば、

岩本

純明

東北

作地

帯に

経済の

展開+

制度史学』

号、

清水洋二

東北

作地

帯に

主・

係の

展開

1秋田

歩地

主丁

事例と

して

-+

制度史学』

七四

号、

森武

麿

東北

方に

ける

更生

賛体

-山

形県

村の

-+

駒沢

大学

経済

集』

第一

ど。

(

2)

阿部太

記+

三二

年一

月一

項。

(

3)

右、

年一

月二

日の

項。

(

4)

西

英昭の

第二

期小

争蔑

階+

論が

る。

原・

村・

西田・

松元

制の

構成と

段階』

東京

会、

年、

頁以

参照

(

5)

ずれ

太一

記+

Page 10: 戦時下小作農家の地主小作関係 URL Right · 戦 時 下 小 作 農 家 の 地 主 小 作 関 係 (37) 戦時下小作農家の地主小作関係 は じ め に 本

( 4 5) 戦 時下小 作農 家の 地 主小 作関係

(

6)

作引

率の

定に

たり

村家ほ

年白山

林で

検見を

行なっ

た。

(

7)

作慣行

調

書』

(

年現

況の

調

査)

頁。

戦時統制期(

1四

年)

-四

年の

時期は

国的に

景気が

向き

農村で

∴1)

再び

価、

作料の

昇が

た。

阿部家に

とっ

も、

三一

-四五

年の

最も

経営が

上向

発展した

期で

あっ

た。

本革で

ほ、

展が

部家の

経営を

変え

的を

絞り

析を

する

が、

前に

時期の

主小

作関係に

触れ

う。

1四

年の

作関係は

次の

指標に

限り

変化ほ

ない

第一

に、

部落共同

体の

寄合と

規制を

媒介に

作料収

取機構と

随伴す

慣行が

期を

通して

維持さ

る。

第二

に、

阿部

家の

玄米生

産高に

する

実納小

作料の

率も

〇%

台を

らない

第三

に、

時期の

部家の

契約小

作料

昇傾向を

(

表1)

後に

に、

-四

年に

けて

阿部家の

耕作規模は

作地の

新規借入に

増加する

が、

新規借入の

契約小

作料は

実に

昇して

る。

作料の

国的

高騰

傾向と

軌を

する

が、

主の

作料収

取カが

くと

絶対

額の

面で

低下

して

ない

とも

意味す

る。

上の

点で

三一

-三

年と三

-四

年の

間に

主小

作関係の

面で

期性を

認め

とは

難で

る。

しか

部家の

営は

次の

うに

変化

する

ず、

耕作規模が

拡大した

(

表1)

1四

年に

約六

反歩が

増加する

が、

水田

五・

占め

る。

三一

-三

年は

〇・

反の

しか

畑の

増加で

あっ

ら、

部家に

とっ

期の

耕作規模増加の

意味

大きい

また

経営が

向・

発展した

は、

売米

米に

関する

試算メ

られ

くなっ

と、

作引

米の

量が

激減し

と、

資産の

増加が

1四

年まで

連年み

られ

よっ

知る

前二

者の

変化を

能に

要因は

なに

も生

産力が

時期

高位に

安定した

る。

とこ

ろ一

山土

撮入し

最大の

因で

(

2)

想っ

第なり+

うに

年以

前か

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一 橋論叢 第八 十 巷 第三 号 ( 4 6 )

らの

技術改善が

実を

結び

めた

る。

また

資産

投資が

能に

なっ

由と

して

ほ、

ず、

養豚など

入れ

多角形の

経営+

利潤を

して

きた

と、

(

3)

また

1四

年の

県の

指導と

補助

あっ

と、

る。

ろん

右の

うな

要因が

体と

好結果を

は、

時期の

経済

体の

動向

ない

調

指摘し

らぬ

が、

阿部家の

営の

要因の

とつ

個人

的努力の

積み

重ね

あっ

部氏の

意識の

変化を

考え

うえ

要で

る。

に、

営の

向・

発展の

結果

慌・

作期の

ぅに

入の

基盤が

的に

主に

よっ

掌握さ

状態か

脱却

した

る。

部家の

総収入に

占め

米穀販

売収

入の

重は

%

前後に

後退し

代っ

養畜収入

仕送り

収入

等の

高く

なっ

(

図2)

穀販

売収

率の

低下

が、

米価の

昇、

阿部家の

処分

玄米量の

増加の

象し

意し

い。

上か

らも

明ら

うに

期の

阿部家の

営は

収入

盤が

同時に

全的に

主の

掌握下に

状態か

離脱し

自立

的性格を

強化

した

る。

経済的

自立

化が

方で

阿部

太一

意識を

変え

あっ

たこ

とを

次に

指摘し

けれ

ない

時期

部家の

資産投下

は、

列挙する

と、

年に

出して

部落寄合へ

員権を

購入

皮切

りに

堆肥舎と

豚舎の

築、

年に

購入

年に

鮮牛購入

動力

脱穀機設

置、

堆肥倉の

購入

翌三

年に

根葺香え

納屋新築

年に

林四

購入

し、

翌四

年一

月に

水田

約二

購入

とい

うこ

とに

る。

右の

四一

年の

水田

購入

価格九二

銭の

うち

円を

親戚か

借入

し、

残金

約六三

円を

部家が

支払

た。

しか

も、

借入

円の

ち一

円は

年の

月一

に、

残金二

円は

年一

月に

払っ

る。

間の

差引い

も、

1四

年の

家の

経営上

昇の

勢い

物語る

動き

とい

う。

しか

も、

資産投下が

部落寄合へ

加入に

始ま

購入に

終っ

点に

時期の

阿部家の

性が

端的に

物語ら

る。

部落寄合へ

加入は

阿部豪が

落共同

体の

成員

∂ββ

Page 12: 戦時下小作農家の地主小作関係 URL Right · 戦 時 下 小 作 農 家 の 地 主 小 作 関 係 (37) 戦時下小作農家の地主小作関係 は じ め に 本

( 47 ) 戦時下 小 作農家 の 地 主 小 作関係

権を

穫得し

前+

部落構成

員に

なっ

表わ

す。

確か

阿部家

員権を

獲得し

寄合は

先に

触れ

うに

〇町

歩地

木村家の

配機構の

部を

構成

が、

他方

農作業の

労賃を

定す

農業生

産自

体を

統轄し

調

整する

組織で

もあ

る。

して

部家が

ず寄合の

員権を

購入

した

由は

共同

体の

構成

員と

前+

農家に

らん

あっ

う。

は、

年一

月の

記+

に、

弟は

り。

祝入

営旗の

庭に

めい

書家

まっ

らの

大慶事故

実に

愉快で

らぬ

大い

身を

広く

して

い+

とい

記事が

ある

ずる

営的な

自立

化に

慕うち

自信ほ

方で

前記の

うな

会的自立を

促すと

もに

他方で

期に

展開さ

上か

らの

的運

動に

する

次の

うな

批判

じて

くる

今日

学校に

経済更生

委員会とか

で、

程の

(

)

会あっ

由。

船頭多く

して

舟山

式で

ない

様に

希っ

第なり

+

今夜経済更生

らの

基本

申告の

申合

記入あっ

が、

労多く

して

劾少ない

村の

有力家の

とを

考へ

る。

真に

受け

会の

御歴々

面の

皮だ

+

前者は

年四

月、

後者は

年五

月の

で、

ずれ

(

4)

大泉村の

済更生

動に

する

批判で

る。

大泉村は

(

5)

月に

済更生

指定

村とな

が、

更生

運動自体

的色彩の

強い

構成メ

節色彩の

頚い

梢成メ

担わ

れ、

時期を

通し

経営を

向・

発展さ

あっ

て、

また

経営的

腕と

自信を

身に

けて

阿部太

ほ、

済更生

動と

官製運

動か

排除さ

ある

動自

体が

然と

秩序の

内で

担わ

れ、

うした

動自

体に

する

太一

軽侮の

持を

読み

とが

る。

運動が

的秩序の

枠内に

とい

うこ

とは

地主

的支

秩序が

依然と

存続し

を、

また

太一

侮の

持ちに

年代に

げて

昇し

産農民の

自信と

意気軒昂な

を、

示し

とい

思わ

る。

(

1)

ば、

作料

令要綱

案+

(

度資料

集成

編纂

員会

農地

制度資料集成

巻』

所収)

照。

(

2)

部太

記+

年九

月二

日の

項。

J

(

3)

時期の

家ほ

述の

うに

形県

農業経

営指

(

6)

』 +

_ __二____

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一 橋論叢 第 八 十 巷 第 三 号 ( 4 8 )

表 4 換算小 作料 率 ( 1 9 4 1 - 4 4 年)

換 算 玄 米 換 算 米 納小 換算小

小 作 料 生 産高 生産額 作料 率 作 料 率

( H ) (J) ( K ) ( F/J ) ( E / E )次年

円 石 円 % %6 1 1 .2 5 7 .6 6 26 22

.4 2 6 .2 2 3 .3

11 2 6 .6 8 3 .6 8 3 80 5 . 8 3 3 .3 2 9 . 6

12 0 3 .4 7 0 .6 6 4 15 0 . 6 3 9 .4 2 9 .0

13 0 9 .7 8 7 .0 2 5 1 11 . 6 3 4 .8 2 5 .6

1

2

3

4

4

4

4

4

0ノl

: 阿部豪文書 。

1 ) 換算小作料 の 計算式 は以 下 の 通り。

( 政府買入価椿) × ( 阿部家歩留) × ( 実納小作料,

F ) 。

政府買入価 樺 は,

1 9 4 1 ・ 4 2 年 4 4 円/石 ,4 3 ・ 叫 年4 7

円ノ石 。 阿部豪歩留 ( 0 . 9 2) は次 の 計算式で算出。 (4 1

年阿部家販売価格,

4 2.75 円/石)/( 41 年政府買入価軌

4 4 円/石)

2 ) 換算生産額 の 計算式 は以下 の 通 り ○

〔( 政府異 人価格) ×( 阿部家歩留) + ( 補給 金)〕×(玄 米

生産高 , J ) 。

補給金 Iま 1 9 4 1 ・ 4 2 年生産奨励 金 と して 5 . 0 円/石 ,4 3 ・

4 4 年は生産確保補給金 と して 1 5 ・ 5 円/ 石 0

3 ) 硬 ・ 精米椅差 の 縮小 , 超過供出分 に 対す る奨励 金 ( い

ずれ も 4 4 年) 等 ほ除 外し た 。

4 5 年 Iま史料上推定困難の た め 除外 した ○

尊意

場記

帳貴家と

り、

県の

指導と

補助

得ら

た。

(

4)

ずれ

部太

記+

(

5)

形県

規画課

十一

年虔経済更生

指定

村基

調

計』

阿部

太一

記+

(

6)

西田

泉村

泉対数

振興

経済

更生

書』

員名

簿に

る。

戦時統制期(

四一

-四

年)

四一

-四

年は

戦時農政の

展開に

主小

作関係

多大の

変化を

蒙っ

期で

る。

四〇

年一

月に

朗3

米穀管理

規則+

出さ

れ、

四一

年一

月「

米穀

産奨励金

交付

規則+

四二

年に

作料統制令+

(

年)

第四

条の

定に

基づ

適正

作料+

(

1)

大泉村で

実施さ

た。

して

四三

年七

月のし「

米穀生

産確保補給金

交付

則+

年四

米穀

産及

供出奨励二

関ス

特別

措置+

等が

る。

章で

ほ、

前章ま

明ら

した

うな

年代の

動向が

四一

-四五

年で

う変化

した

検討する

とこ

ろで

本章の

表題に

うに

年以

降を

もっ

戦時統制期+

た。

般に

戦時体

制の

期を

年の

国家

総動員法

農地

調

法に

が、

東北

単作地

帯で

期ほ

四一

年頃に

求め

(

2)

妥当と

らで

る。

四一

年以

降の

作関係の

変貌は

めて

が、

をま

ず小

作料の

変化か

検討する

とに

よゝ

フ。

契約小

作料は

四一

-四五

年の

うち

年に

少す

(

表1)

適正

作料+

実施に

もの

る。

Page 14: 戦時下小作農家の地主小作関係 URL Right · 戦 時 下 小 作 農 家 の 地 主 小 作 関 係 (37) 戦時下小作農家の地主小作関係 は じ め に 本

( 4 9 ) 戦時下 小作農 家の 地 主 小 作関 係

大泉村全体

水田

反当

作料が

〇三

〇・

石に

約九%

低下

し、

作料率

%

(

3)

八・

%に

減少し

た。

阿部

家で

当小

作料も

〇・

石か

〇・

石に

落し

た。

しか

も、

米価

制が

導入

に、

実際の

作料負担は

表4

うに

%

台に

低下

した

る。

右の

うに

四一

年以

後に

作料負担は

顕著に

減少す

が、

作料負担の

量的減少

する

らば

方で

作料

負担の

質的

変化と

呼ぶぺ

動きが

指摘し

けれ

らない

端的に

られ

ほ、

四一

年の

作引

率五

二・

%

(

表2)

四一

年に

東西

郡に

稲熱病が

蔓延

し、

西

郡で

大泉

山・

郷・

京田

各町

村が

大き

被害を

(

4)

受け

りわ

大泉村ほ

最も

激甚な

被害を

蒙っ

た。

大泉

村の

平均

収は

前年の

二・

石か

四一

年に

ほ一

石へ

約二

七・

%の

減少を

た、

反収

六六

石は

年の

石を

廻り

-四

年の

最低で

(

図1)

作料減免率もこ

間で

高の

二・

%に

り、

年の

四・

%を

造か

超えた

しこ

減免率五二

%に

主小

作関係の

大き

変化

反映さ

とを

見逃せ

ない

うの

は、

(

5)

和十

年小

作事情調

査+

と、

形県で

減免歩合

-六

剖は

作ノ

程度+

剖減収だ

ある

変化の

具体的

事例と

して

次の

革を

掲げよ

う。

常時局二

於テ

食料

増産ヲ

確保ス

今日

(

度大山町地

域内ノ

稲作状況八

億憾乍意外ノ

作ヲ

来シ

真二

寒心二

耐へ

第デ

座居マ

就テハ

般農民ノ

嘆願ニ

本会並二

農地

委員会二

於テ

慎重

議ノ

表ノ

範囲二

於テ

引ノ

御協定二

頚ル

来レ

最モ

当デハ

審議サレ

訳デア

ス。

真二

越乍本会並二

農地

委員会ノ

使命二

鑑、

徒ラ

.議ヲ

慮り

参考二

供ス

第デ

リマ

ス。

幸本

案ヲ

(

)

御採訳

下サ

幸甚ノ

至リ

デア

+

大山町

農業

報国

会が

四一

年一

月一

付で

在地

宛に

郵送し

版刷り

紙の

部で

る。

表+

最高六

割か

ら三

剖まで

和十

年度小

料作引

議案(

十二

月十

決議)

+

る。

右に

られ

うな

大幅な

作引率と

作料決定に

農地

委員会や

農業報国

会が

関与す

とい

う変化が

戦時統制に

基づ

もの

まで

もな

が、

右の

変化の

Page 15: 戦時下小作農家の地主小作関係 URL Right · 戦 時 下 小 作 農 家 の 地 主 小 作 関 係 (37) 戦時下小作農家の地主小作関係 は じ め に 本

一 橋論叢 第八 十巻 第三 甘 ( 50 )

作引決定の

論理

自体の

変更が

注意し

らな

い。

すな

ち、

年代に

ける

作引決定

論理

すで

見た

うに

主か

らの

恩恵で

あっ

し、

年代の

在ノ

如ク

単ナ

地ノ

提供

者タ

主ノ

所得ガ

外ノ

資本及

労力ノ

殆ン

部ヲ

提供ス

農業経営者タ

作ノ

配所得卜

相伯仲

作人ノ

所得中ニ

農業利潤ノ

含マ

ザル

勿論ノ

ト、

普通ノ

労働賃銀二

当ス

報酬サヘ

獲得シ

待ザ

(

6)

如キ

状態ヨ

.り

脱却セ

メ+

とい

論理

り生

産者の

護+

論理

らで

る。

変化が

方で

主の

作料収

取機構の

構成

部分と

寄合の

機能を

変化せ

た。

四一

-四

年の

寄合を

核と

部落共同

体は

主の

作収

構と

して

機能を

停止

する

が、

後に

うに

債と

貯蓄と

供出の

割当

単位と

して

割当

量の

完遂の

責任

単位

して

国策遂行+

最末端に

位置づ

られ

る。

ば、

四三

年三

月の

寄合で

供出

米、

貯蓄の

割当が

議題で

り、

月に

供出米の

とで

寄合が

開か

る。

年六

月に

ほ、

阿部家が

植の

伝い

他部落の

間に

頼ん

とこ

農地

委員会で

部落よ

労力

する

(

7)

けない

意+

る。

部落を

右の

うに

単な

割当

完遂の

単位と

して

位置づ

ける

自体

が、

既に

産そ

壊す

とに

ずる

めて

摘する

まで

ない

上に

うな

農村内で

諸変化と

1四

年に

形成さ

阿部太

自立

意識とが

結び

き、

作人の

主に

意識の

変化が

じて

る。

阿部氏の

場合

借米=

恩恵関係が

木村家に

四五

年に

至る

まで

意を

払っ

関係の

なぃ

在地

して

うで

ない

場合が

られ

くる

る。

四二

年一

月の

らの

紙を

読ん

昨年貸米三

斗二

合二

白米で

貰ひ

い、

との

と。

注文

仲々

虫の

話だ+

して

結局

要望を

受けい

なか

とい

うの

れ■で

る。

うな

主に

する

意識の

変化が

原因と

て、

既に

指摘し

うな

阿部太

白身の

経営的

意識

的自立

化、

作料決定の

論理の

変化が

が、

加え

四一

年の

米穀管理

実施要綱+

改正

摘しな

けれ

ない

正に

て、

主層が

自家

保有米を

認め

衣村地

主とそ

認め

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( 5 1 ) 戦時 下小 作農 家の 地 主 小 作関 係

ない

在地

主と

別さ

とは

年以

前の

米=

恩恵の

関係を

もつ

在村地

と、

持た

ない

主の

別と

重な

とに

よっ

て、

ず第

撥意識を

促進せ

とい

う。

注意する

に、

方で

木村家を

する

在村地

普遍化

する

なか

意せ

0

.∨

戦時

期の

上の

変化と

て、

接的生

産過

程白体が

特に

年以

後急

激に

壊さ

次に

明ら

う。

ず供出で

る。

記+

出が

表 5 供出率 ( 1 9 4 3 - 4 5 年)

供 出 供 出量割 当量 ( L )

年次

石 石 %6 7

.2 6 7 .6 9 5 .7

7 3 .2 7 3 .2 8 4 .1

4 7 .2 4 7.2 7 3 .

1

1 9 43

4 4

4 5

史料 : 阿部家文書

注 : 1 ) 4 5 年 の 玄米生産高 (J) は 6 4 .

5 5 石 。

2) 供 出割 当量 , 供出量 とも1 俵 4

斗 で換算 。

くな

年以

降で

る。

四三

-四

年間で

阿部

割当の

超過

達成

(

年)

遂+

(

四・

年)

が、

出米が

産米全

体に

める

率は

最低の

年で

%

(

表5)

出率が

%

超え

三・

年に

配給+

けて

る。

四三

年五

と、

供出米の

をや

り、

午後に

庫+

し、

給米を

受け

入れ+

る。

年の

白山

林で

は、

供出割当

俵の

月一

在で

六三

俵が

足し

た。

六八

は、

白山林の

員家の

水田

積で

純に

平均して

石の

割当で

る。

年の

結局

部落全

体と

完遂+

が、

月六

完遂+

し、

〇日

還元

配給+

うけ

自体に

割当

量の

非科

性を

きる

し、

供出割当

達成の

白休

再生

無視し

暴力

なも

あっ

た。

年に

は、

月一

九日

午後

供米の

学校へ

村民

参集す

川地

事務所長長瀬氏

来り

られ

窮の

(

8)

他は

ない+

月ニ

部落会長

等米の

役場へ

集め

て、

今度は

自家

保有米を

供出し

(

8)

らぬ

しい+

し、

年も

今夜

供米の

件に

.て

村長

事務所

県か

らと

借方

来て

血の

出る

様な

どい

言語で

米を

出せ

と。

ガ'

J

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一 橋論叢 第八 十 巷 第三 号 ( 5 2 )

償供米もへ

くれ

あっ

ない。

全部供出だ+

(

8)

る。

産過

程の

壊は

出不

足、

農耕馬

徴発

料欠

乏、

農具

補填難と

具体

する

部家で

肥料と

農具が

四三

年頃

手不

足は

年、

馬耕馬不

足は

年頃か

激化

する

が、

うち

馬耕馬の

足は

鮮牛へ

乗り

換えに

抜け

られ

り、

結局生

産条件

体が

定的に

悪化す

年か

らで

る。

四五

減収に

本年は

敗戦の

年に

して

料事情は

最悪也

(

9)

魚粕の

類の

配給は

殆ど

して

硫安の

為減

収せ

り+

とい

うコ

付さ

る。

(

1)

済部

課『

内地

方の

適正

作料』

四二

年。

(

2)

前掲

論文の

期も

年頃に

定さ

が、

析の

容に

ば四

年画

期の

うが

しい

る。

(

3)

庄内

方の

適正

作料』

(

4)

業試

験場

庄内

稲熱病の

発生

環境』

四二

年、

頁。

(

5)

前掲『

農地

度資料集成

第一

巷』

四三

頁。

(

6)

前掲『

農地

制度資料

第十

巷』

頁。

(

7)

部太

記+

年六

月二

日の

項。

(

8)

ずれ

部太

記+

(

9)

阿部太

吾が

家の

稲作

況』。

とめ

上の

析の

結論は

次の

うに

理で

る。

庄内

単作地

帯で

作料収

取の

面で

主小

作関係は

三一

-四

年に

質的変化を

なか

が、

年以

なる

作経営が

向を

開始し

た。

年頃か

らの

経営の

向は

東北

方に

通の

動向と

考え

が、

くそ

的支

配か

済的

意識的

側面で

作経

営の

自立を

結果した

済的自立

四一

年以

後の

戦時統制の

強化に

伴っ

押し

潰さ

考え

が、

意識面の

自立

戦時

農政の

浸透と

頼ま■つ

在地

主へ

意識の

変化を

む。

農地

革を

支持

推進する

カに

連なっ

考え

られ

が、

他方

借米=

恩恵を

受け

大地

主に

する

意識は

変わ

ず、

らは

戦後民

主化

期の

課題と

して

残さ

る。

戦時

農政の

浸透が

作料決定の

論理

部落寄合の

機能

変え

前者は

先の

意識の

変化に

り、

後者

寄合を

国債

預金

供出の

最終的割当

単位に

3 ββ

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末端の

責任

単位に

転化さ

が、

進行の

程で

農業

産全

体が

壊さ

る。

上の

析は

筆者の

量の

措くと

して

も、

資料的制約と

紙数の

関係か

部家

ぐる

況に

まで

触れ

ずに

終っ

が、

課題の

次の

炭問を

筆者の

今後の

課題と

提出して

きた

い。

第一

ほ、

部落共

体と

合と

主の

作料収

構と

関連で

る。

者の

関連は

部家の

意識と

動を

規定し

し、

林の

農民に

影響を

与え

い■た

ずで

る。

影響が

なる

もの

域で

貴地

革を

考え

要な

掛り

とな

し、

た、

域に

作争議が

発生

なか

由を

解く

鍵の

う。

第二

ほ、

物論と

関連で

更生

動の

部家

位置付け

う問題で

る。

泉村の

動の

方は

第一

疑問に

繋が

が、

究史の

問題

して

更生

動と

本フ

農村の

編の

連関の

方を

問う必

要が

ある

とと

に、

上の

者と

中堅

物論との

関係を

物の

義も

含めて

検討

する

要が

ある

うに

うの

る。

(

会奨

励研

究員)

( 5 3 ) 戦時下 小 作農家 の 地 主小作 関 係

∂2 9