「暴レ天竜ヲ恵ミノ川ニ変エテキタ 天竜川物語 人々ノ知恵ヲ...

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辿〒430-0811 静岡県浜松市中区名塚町 266 TEL:053-466-0111(代) URL:http://www.cbr.mlit.go.jp/hamamatsu/ 発行:2018 年 10 月

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Page 1: 「暴レ天竜ヲ恵ミノ川ニ変エテキタ 天竜川物語 人々ノ知恵ヲ …...天竜川のアユ釣り(写真提供:磐田市) 毎年、解禁日となる6月1日の明け方。天竜川の河原には、アユ釣りを心待ちにしていた釣り人

天竜川物語

「暴レ天竜ヲ恵ミノ川ニ変エテキタ

人々ノ知恵ヲ辿ル旅」

〒430-0811 静岡県浜松市中区名塚町 266TEL:053-466-0111(代)URL:http://www.cbr.mlit.go.jp/hamamatsu/ 発行:2018 年 10月

Page 2: 「暴レ天竜ヲ恵ミノ川ニ変エテキタ 天竜川物語 人々ノ知恵ヲ …...天竜川のアユ釣り(写真提供:磐田市) 毎年、解禁日となる6月1日の明け方。天竜川の河原には、アユ釣りを心待ちにしていた釣り人

一、旅めぐりマップ・・・・・・・・・一

一、旅めぐりマップ・・・・・・・・・一

二、恵みをもたらす母なる天竜川・・・三

二、恵みをもたらす母なる天竜川・・・三

三、暴れ天竜・・・・・・・・・・・・七 

三、暴れ天竜・・・・・・・・・・・・七 

四、暴れ天竜に挑む・・・・・・・・・一一

四、暴れ天竜に挑む・・・・・・・・・一一

五、天竜川とともに暮らす・・・・・・一五

五、天竜川とともに暮らす・・・・・・一五

天竜川物語 

目次

天竜川物語 

目次

 

発刊にあたって 

〜天竜川の歴史から防災を学ぶ〜 

発刊にあたって 

〜天竜川の歴史から防災を学ぶ〜 

 

私たちの暮らすまちの中を滔々と流れる天竜川。

 

私たちの暮らすまちの中を滔々と流れる天竜川。そのかつての姿は、ひとたび大

そのかつての姿は、ひとたび大

雨が降れば遠州

雨が降れば遠州平野を思うがままに流れを変えて猛威をふるう暴れ川でした。

平野を思うがままに流れを変えて猛威をふるう暴れ川でした。

 

明治時代、一生をかけてこの暴れ天竜に挑んだ郷土の偉人「金原明善」の治水・

明治時代、一生をかけてこの暴れ天竜に挑んだ郷土の偉人「金原明善」の治水・

治山・利水を一体とした事業を発端とし、暴れ川は恵みの川となり、遠州平野の

治山・利水を一体とした事業を発端とし、暴れ川は恵みの川となり、遠州平野の

安全・安心・発展につながりました。

安全・安心・発展につながりました。

 

しかし、近年は降雨の局地化・集中化・激甚化により、全国各地で洪水被害が

 

しかし、近年は降雨の局地化・集中化・激甚化により、全国各地で洪水被害が

多発しており、天竜川も再び暴れ川と化す日が来るかもしれません。そのような

多発しており、天竜川も再び暴れ川と化す日が来るかもしれません。そのような

時大切なのは、ここに住む私たち一人一人が自分の命を守る行動をとることです。

時大切なのは、ここに住む私たち一人一人が自分の命を守る行動をとることです。

 

そのためにも、まずは天竜川の歴史を知ることからはじめてみましょう。歴史は、

そのためにも、まずは天竜川の歴史を知ることからはじめてみましょう。歴史は、

私たちに天竜川のおもしろさや怖さを教えてくれます。

私たちに天竜川のおもしろさや怖さを教えてくれます。そしてそこから、

そしてそこから、この川と

この川と

どのように向き合えばいいのか見えてくるものがあると思います。一人でも多く

どのように向き合えばいいのか見えてくるものがあると思います。一人でも多く

の方に天竜川の歴史をまとめた本書「天竜川物語」を手にとっていただき、ご自身

の方に天竜川の歴史をまとめた本書「天竜川物語」を手にとっていただき、ご自身

と天竜川とのつながりを見つめていただければ幸いです。

と天竜川とのつながりを見つめていただければ幸いです。

 

平成三十年 

十月

 

平成三十年 

十月

            

国土交通省中部地方整備局 

浜松河川国道事務所長

            

国土交通省中部地方整備局 

浜松河川国道事務所長

                              

田中 

里佳

                              

田中 

里佳

とうとう

きんぱらめいぜん

げきじんか

えんしゅうへいや

もう

Page 3: 「暴レ天竜ヲ恵ミノ川ニ変エテキタ 天竜川物語 人々ノ知恵ヲ …...天竜川のアユ釣り(写真提供:磐田市) 毎年、解禁日となる6月1日の明け方。天竜川の河原には、アユ釣りを心待ちにしていた釣り人

静岡県森町

1111 磐田市役所浜松市役所 静岡県

袋井市

静岡県掛川市

静岡県磐田市浜名湖

遠州灘

天竜川

天竜川

天竜川

天竜川

旅めぐりマップ

旅めぐりマップ

旅めぐりマップ

旅めぐりマップ

天竜川

天竜川

 

物語

 

物語

愛知県東栄町

愛知県豊根村

愛知県設楽町

愛知県新城市

静岡県浜松市

佐久間ダム(P6)

天竜美林(P14)

金原明善翁顕彰碑(P13)

椎ヶ脇神社(P8)

旧浜名用水取入口(P5)金原明善胸像(P11)

鹿島の花火(P4)

彦助堤(P9)

天宝堤(P9)

寺谷用水完成四百年碑(P5)笠井聖観世音「福來寺」(P9)

有玉神社(P8)俊光将軍社(P8) 平野重定夫妻の墓

紀功碑「大円寺」(P5)金原明善生家(P12)

貴船神社掛塚湊廻船之碑(P6)

竜洋海洋公園(P3)掛塚灯台(P6)

中田島砂丘浜松まつり 凧揚げ(P4)

1

2

3

645

7

8

10109

11111212

1313

1414

15151616

1717

JR飯田線

中部天竜駅

473473天竜川 秋葉街道

473473

佐久間ダム

152152

佐久間町佐久間

佐久間町大井

浜松市天竜区

佐久間町戸口

佐久間町半場

佐久間駅佐久間駅佐久間駅

1

N

浜松市浜北区

N 浜松市天竜区

磐田市

152152

天竜二俣駅二俣本町駅

天竜川天竜川

西鹿島駅

鹿島橋鹿島橋鹿島橋

二俣町二俣

二俣町鹿島

上島

於呂

鹿島の花火椎ヶ脇神社

旧浜名用水取入口旧浜名用水取入口金原明善胸像金原明善胸像旧浜名用水取入口金原明善胸像

天竜浜名湖鉄道

天竜浜名湖鉄道

天竜浜名湖鉄道

飛龍大橋

飛龍大橋

飛龍大橋

465

銚子塚古墳

長者屋敷遺跡寺谷浄水場

磐田市

N

343343

寺谷

9

4444

寺谷用水寺谷用水完成四百年碑完成四百年碑寺谷用水完成四百年碑

寺谷取水場寺谷取水場寺谷取水場

八幡神社八幡神社八幡神社

天竜川

天竜川

N

有玉南町

小池町1111

馬込川

狢川 浜松市東区

浜松市中区

有玉神社有玉神社俊光将軍社俊光将軍社有玉神社俊光将軍社

遠州鉄道

遠州鉄道

遠州鉄道

鷺ノ宮南団地

有玉西町

三方原PA

152152

東名高速道路

261261

有玉小学校

自動車学校前駅自動車学校前駅自動車学校前駅

さぎの宮駅さぎの宮駅さぎの宮駅

N

296296

152152

312312

浜松市東区

安間川

安間町

安新町

薬新町 国吉町

天竜川

天竜川

1

261261 344344

313313

中野町

新天竜川橋新天竜川橋新天竜川橋天竜川橋天竜川橋天竜川橋1313

金原明善金原明善生家生家金原明善生家

磐田市

中田島砂丘中田島砂丘浜松まつり 凧揚げ浜松まつり 凧揚げ中田島砂丘浜松まつり 凧揚げ

掛塚灯台掛塚灯台掛塚灯台

竜洋海洋公園竜洋海洋公園竜洋海洋公園

貴船神社貴船神社掛塚湊廻船之碑掛塚湊廻船之碑貴船神社掛塚湊廻船之碑

浜松市南区天竜川

天竜川

1414

1515

1616

1717

N

掛塚橋掛塚橋掛塚橋

遠州大橋遠州大橋遠州大橋

150150

1

150150

316316

315315

259259

262262

260260

N

遠州豊田PA

1

343343

262262

4444

1212

平野重定夫妻の墓平野重定夫妻の墓紀功碑「大円寺」紀功碑「大円寺」平野重定夫妻の墓紀功碑「大円寺」

東名高速道路天竜川橋天竜川橋天竜川橋

熊野の長フジ熊野の長フジ熊野の長フジ

磐田市

加茂

豊田

池田

東名

富岡

天竜川

天竜川

1010

笠井聖観世音「福來寺」

笠井中学校

浜松市東区

N

笠井町

笠井上町

4545

6565

安間川

笠井新田町

笠井小学校笠井小学校笠井小学校

遠州芝本駅遠州芝本駅遠州芝本駅

遠州鉄道鉄道

遠州鉄道鉄道

遠州鉄道鉄道

浜北ゴルフガーデン浜北ゴルフガーデン浜北ゴルフガーデン

浜名高等学校浜名高等学校浜名高等学校

7

8遠州小林駅遠州小林駅遠州小林駅

天宝堤

彦助堤彦助堤彦助堤

ゴルフゴルフガーデンガーデン入口入口

152152296296

6161

4545

344344

343343

浜北大橋浜北大橋浜北大橋小林

西美園

新原

浜松市浜北区

N

永島

馬込川

浜名用水 天

竜川

天竜川

2金原明善翁顕彰碑3

秋葉神社

ペンションふるさと村

天竜川

天竜川

森林文化会館森林文化会館森林文化会館

天竜美林

龍山町瀬尻

龍山町下平

龍山町戸倉龍山町大嶺

ふるさと村ふるさと村入口の手前入口の手前

途中から舗装途中から舗装されていないされていない道になる道になる

浜松市天竜区

N

至白倉峡至白倉峡至白倉峡

至明善神社至明善神社至明善神社 至佐久間至佐久間至佐久間

秋葉ダム秋葉ダム秋葉ダム

152152

12

Page 4: 「暴レ天竜ヲ恵ミノ川ニ変エテキタ 天竜川物語 人々ノ知恵ヲ …...天竜川のアユ釣り(写真提供:磐田市) 毎年、解禁日となる6月1日の明け方。天竜川の河原には、アユ釣りを心待ちにしていた釣り人

天竜川のアユ釣り(写真提供:磐田市)

毎年、解禁日となる 6月 1日の明け方。天竜川の河原には、アユ釣りを心待ちにしていた釣り人

達が、続々と集まってきます。

いわ た し

恵みをもたらす恵みをもたらす   母なる天竜川   母なる天竜川

人の気持ちを解きほぐす

人の気持ちを解きほぐす

          

水辺の風景 

          

水辺の風景 

 

悠々と流れる天竜川の河口付近

では、水辺を背景にプールやキャン

プ・スポーツ等、レクリエーション

を楽しむことができる公園が整備

されています。

 

また、磐田市側に位置する竜洋

海洋公園では、高さ六〇メートル

におよぶ真っ白な風力発電のタ

ワーが設置され、日本最大級の発

電能力を誇っています。遠州灘の

潮風をうけ、優雅に回転する風車の

眺めが心を癒してくれます。

竜洋海洋公園(磐田市)

ゆうゆう

えんしゅうなだ

いや

りゅうよう

かいようこうえん

りゅうようかいようこうえん

天竜川の夏の風物詩

天竜川の夏の風物詩

         

鹿島の花火 

         

鹿島の花火 

 

鹿島の花火は明治の初め頃、産土

神である椎ヶ脇神社の五穀豊穣と村

内安全を祈願する行事として行われ

たのが始まりだといわれています。

 

山々にこだまする花火の豪快な炸

裂音や天竜川の水面に映しだされる

花火の情景も相俟って、毎年多くの

人々が夜空を彩る大輪の光の花に酔

いしれます。

ふうぶつし

うぶすな

がみ

しい

わきじんじゃ

ごこくほうじょう

さく

あい

じま

れつおん

鹿島の花火(写真提供:浜松市)

浜松市天竜区二俣町鹿島の天竜川河川敷

で行われ、およそ 4000 発もの花火が打ち

上げられます。

てんりゅうくふたまたちょうかじま

はままつ しか じま

 

初夏の頃、「遠州のからっ風」に

あおられ、中田島砂丘の大空には色

とりどりの凧が舞い上がります。

一七〇を超える町が参加し、各町

の凧糸を絡ませ、擦り合って相手の

糸を断ち切る戦いに、浜松人の熱気

と興奮は最高潮に達します。明治時

代に本格化した凧合戦は、第二次世

界大戦後に市民あげての「浜松まつり」

として盛大に開催され、現在に至り

ます。

なか

じま

さきゅう

から

さいこうちょう

勇み立つ大凧の合戦

勇み立つ大凧の合戦

 

熱気が渦巻く「浜松まつり」 

熱気が渦巻く「浜松まつり」 

いさ

おおだこ

凧揚げ(写真提供:浜松市)

初子の誕生を祝うとともに健やかな成

長を願い、子の名前と家紋が描かれた

凧揚げは、およそ 450 年前から続く伝

統行事です。

うい ご

か もん

たこ あ

 

天竜川河口の右岸には、風紋で有

名な中田島砂丘があります。

 

天竜川上流から運ばれる花崗岩由

来の石英を多く含み、真っ白に煌め

く砂浜には、黒潮に乗って一万キロ

の旅を超えた絶滅危惧種のアカウミ

ガメが、産卵のためにやってきます。

 

産まれた子ガメが大海原に泳ぎだし、

再び産卵のために帰ってくることがで

きるよう、砂丘の環境を守り続けた

いものです。

ふうもん

こうがん

せきえい

きら

ぜつめつ

しゅ

おおうなばら

アカウミガメ集う中田島砂丘

アカウミガメ集う中田島砂丘

つど

なかたじまさきゅう

中田島砂丘(写真提供:浜松市)

上陸するアカウミガメ(写真提供:浜松市)

なかたじまさきゅう

34

Page 5: 「暴レ天竜ヲ恵ミノ川ニ変エテキタ 天竜川物語 人々ノ知恵ヲ …...天竜川のアユ釣り(写真提供:磐田市) 毎年、解禁日となる6月1日の明け方。天竜川の河原には、アユ釣りを心待ちにしていた釣り人

磐田平野の穀倉地帯を潤す

磐田平野の穀倉地帯を潤す

         

寺谷用水

         

寺谷用水

いわ

へい

こくそう

うるお

てらだにようすい

 

その昔、天竜川の下流は、磐田原

台地と三方原台地間の氾濫原を流れ

の勢いにまかせて乱流していたため、

洪水の時はあり余る大水に、また常

日頃は逆に水不足に悩まされていま

した。

 

戦国時代、徳川家康が伊奈備前守

忠次に新田開発を命じ、現在の磐田

だい

いわ

はら

かたはらだい

はんらんげん

らんりゅう

せんごく

だい

とくがわいえやす

びぜんのかみ

ただつぐ

旧取入口跡に建つ「寺谷用水完成四百年碑」

(磐田市寺谷)

てらだにようすいかんせいよんひゃくねんひ

てらだに

市加茂・匂坂付近で代官を務めてい

た平野重定が大井堀の開削にあたり

ました。寺谷の天竜川支流に取入口

を設け、浜部までの一二キロに大井

堀を掘り導水したのです。これによ

り、七三カ村二万石余りの新田が灌漑

され、浜松藩にとっての重要な用水

となりました。

 

しかし、その後も頻発する洪水に

より被害を受け、用水の維持には大

変な労力を必要としました。幾多の

変遷を重ね、昭和一九年(一九四四)

に取入口が上流の浜松市天竜区二俣

に設けられ、磐田市上野部付近で磐

田用水と寺谷用水に分水されるに至

り、現在でも磐田平野の穀倉地帯を潤

しています。

さぎさか

ひら

しげさだ

おお

ぼり

かいさく

はま

どうすい

まんごく

かんがい

はままつはん

ひんぱつ

いく

へんせん

てんりゅうく

ふたまた

かみ

平野重定夫妻の墓と

功績を称える紀功碑

(磐田市 大円寺境内)

こうせき き こう ひ

だいえん じ けいだい

ひら の しげさだ

 

明治の初め頃、天竜川の浜松市側

では、金原明善により灌漑と通船を

目的とした利水計画が立てられまし

たが実現に至りませんでした。

 

その後この計画は、流域住民によ

り結成された用排水改善期成同盟会

の計画に引き継がれ、第二次世界大

戦後の昭和二一年(一九四六)、浜名用

水が通水し、浜名平野に天竜川の水

がもたらされました。

きんぱらめいぜん

ようはいすいかいぜんきせいどうめいかい

かんがい

浜名平野に恵みをもたらした

浜名平野に恵みをもたらした

         

浜名用水

         

浜名用水

はま

へい

はま

ようすい

旧浜名用水取入口(浜松市天竜区鹿島)

昭和 53 年(1978)、上流側に新しい農業用

水の取入口として船明ダムが完成し、浜名

用水の取入口は閉鎖されました。

てんりゅうく か じま

ふなぎら

「遠州の小江戸」と呼ばれた

「遠州の小江戸」と呼ばれた

          

掛塚湊

          

掛塚湊

えんしゅう

かけつかみなと

 

江戸から明治にかけて天竜川の河

口磐田市側に位置する掛塚湊には廻

船問屋が立ち並び、商業港として栄

えていました。天竜川上流から運ば

れてくる江戸幕府の御用材(木材)

貴船神社と掛塚湊廻船之碑(磐田市掛塚)

掛塚に鎮座する貴船神社の祭神は「高 神」で水を司る神様

です。掛塚湊の守護神であり、廻船問屋等の崇拝を受けてき

ました。境内にある「掛塚湊廻船之碑」は、かつてここに繁栄

した港があったことを伝えています。

き ぶねじんじゃ かけつかみなとかいせんのひ

ちん ざ たかおかみのかみ つかさど

しゅ ご しん すうはい

はんえい

かけつか

大発電地帯形成の始まり

大発電地帯形成の始まり

        

佐久間ダム

        

佐久間ダム

さ 

く 

掛塚灯台(磐田市 竜洋海洋公園内)

かつては現存より南側の砂丘上にあり、明治 30 年

(1897)に初点灯、100 年以上にわたり遠州灘の

見張り役を務めてきました。

かけつかとうだい りゅうようかいようこうえん

えんしゅうなだ

 

戦後に急増した電力需要に応える

ため、昭和二八年(一九五三)、豊

富な水量を誇りつつも開発が困難と

いわれた天竜渓谷において佐久間ダ

ムの建設が始まりました。日本の土

木技術力を結集し、建設史上初めて

となる全面的な機械化による施工の

末、わずか三年間で完成しました。

 

この成功を受けて秋葉ダム等の建

設も進められ、天竜川流域の電源開

発が活発化し、大発電地帯が形成され

ました。

あき

さ く ま

てんりゅうく さ く まちょうさ く ま佐久間ダム

(浜松市天竜区佐久間町佐久間)

ダムの高さ 155.5m は、当時世界

で 10番目を誇りました。

最大出力 35 万 kW を発電し、関

東・中京圏へ供給されています。

かい

せんどん

の積み出しや、遠州一円の物資を船

で江戸や大阪へと運ぶための拠点と

なり、製材や造船・鋸鍛冶などの産

業も発展し、「遠州の小江戸」と呼ば

れるほどの賑わいをみせていました。

 

明治二二年(一八八九)の東海道

線の開通と船舶の大型化により、次

第に衰退していきましが、その面影

は貴船神社などに残っています。

のこぎりかじ

にぎ

せんぱく

すいたい

56

Page 6: 「暴レ天竜ヲ恵ミノ川ニ変エテキタ 天竜川物語 人々ノ知恵ヲ …...天竜川のアユ釣り(写真提供:磐田市) 毎年、解禁日となる6月1日の明け方。天竜川の河原には、アユ釣りを心待ちにしていた釣り人

78

天竜区二俣

天竜川下流域の旧河道

だくりゅう

 

天竜川は、八ヶ岳の最高峰である赤岳(二八九九メートル)

に源を発し、水は一旦諏訪湖(長野県)に集められ、東に赤

石山脈(南アルプス)、西に木曽山脈(中央アルプス)といっ

た険しい山々に囲まれた伊那盆地を南に流下し、三遠南信

境の狭窄部を経て、静岡県浜松市天竜区二俣付近で大きく

蛇行してから広大な遠州平野の中を流れ、遠州灘に注ぐ日

本屈指の急流河川です。

 

普段は水量が豊富でたくさんの恵みを与えてくれる川で

すが、かつては一度大雨が降るとたちまちに急変し、濁流が

渦巻く猛烈な暴れ川と化して流域住民に襲いかかりました。

やつがたけ

さいこうほう

あかだけ

す 

わ 

いしさんみゃく

きそさんみゃく

ぼん

さんえんなんしん

きょうさくぶ

てんりゅうくふたまた

こう

えんしゅうへいや

えんしゅうなだ

もうれつ

おそ

あか

暴れ天竜暴れ天竜

こうがん

ちゅうおうこうぞうせん

せんじょうち

かたはら

だい

いわ

はら

だい

へんせん

はいしっち

こう

伊那山地の崩壊状況

大西山(大鹿村)の大崩壊

い な さん ち

おおにしやま おおしかむら

上流域の大災害(36災害)

坂上田村麻呂将軍と

坂上田村麻呂将軍と

       

赤大蛇の伝説

       

赤大蛇の伝説

さかのうえのたむらまろ

 

大昔、遠州平野は「岩田の海」と

呼ばれる広大な大海原で、大きな

一匹の赤大蛇が棲んでいました。

 

岩田の海では、一日に一度だけ

旅人が船に乗って渡ることができ

ましたが、それ以上の船が渡ろう

とすると赤大蛇が怒り出し、船を

ひっくり返してしまうのです。

 

その頃、朝廷より蝦夷征討を命

じられた坂上田村麻呂将軍が大勢

の兵士を引き連れ、岩田の海を渡

ろうとしましたが、広大な海に棲む

赤大蛇を退治する手立てもなく、船

岡山に陣屋を建て、一日一艘ずつ兵

士たちを渡らせながら幾日かを恨め

しく過ごしていました。すると美し

い女が陣屋に現れ、将軍のお世話を

するようになりました。

 

蝦夷征討を果たした将軍が船岡山

に戻ると、女のお腹には赤ん坊が

宿っていました。決して産屋の中を

覗かないで下さいとお願いされた将

軍でしたが、板の隙間から中を覗くと、

とぐろを巻いた赤大蛇が赤ん坊を乗

せていました。正体を見られた赤大

蛇は、赤ん坊と宝珠の潮干る珠を将軍

に託し、岩田の海へと姿を消しました。

 

月日は流れ、再び蝦夷征討を命

じられた将軍が赤大蛇の子俊光を

連れて船岡山に着くと、岩田の海

は荒れていました。俊光が母の形

見である潮干る珠を海に投げ入れ

たところ、海水が引いて広大な陸

地が現れ、一瞬姿を見せた赤大蛇は

椎ヶ脇の淵へと消えていきました。

 

後に干潟となった陸地には多く

の人々が住むようになり、船岡山

の東方で毎夜怪しく光っていた潮

干る珠を見つけ、その地に有玉神

社をお祀りしたということです。

いわ

おおうなばら

ちょうてい

えみし

せいとう

おかやま

じん

いっそう

やど

うぶ

のぞ

すき

ほうじゅ

しお

たま

たく

としみつ

しい

わき

ふち

がた

あや

ありたまじん

じゃ

まつ

ふな

有玉神社(浜松市東区有玉)ありたまじんじゃ ひがしくありたま

俊光将軍社(浜松市東区有玉)としみつしょうぐんしゃ

てんりゅうくふたまたちょうかじま赤大蛇が祀られている椎ヶ脇神社

(浜松市天竜区二俣町鹿島)

赤大蛇が身を隠したという

椎ヶ脇神社下の淵ふち

 

上流域では風化しやすい花崗岩が

広範囲に分布し、中央構造線等が走

るもろい地質構造になっているため、

大雨で崩壊した大量の土砂が流出し、

下流域に広大な扇状地(遠州平野)が

形成されました。天竜川が現在の河

道に固定される以前は、三方原台地

と磐田原台地に囲まれた遠州平野の

中を思うがままに流れを変えていたため、

河道の変遷に伴って水が流れなくなっ

た旧河道や洪水により流出した土砂

が堆積してできた自然堤防、また自然

堤防の背後で水はけの悪くなった後

背湿地が網目のように形成されています。

雄大な流れが急変 

濁流が渦巻く暴れ川

雄大な流れが急変 

濁流が渦巻く暴れ川

まつ しい が わきじんじゃ

Page 7: 「暴レ天竜ヲ恵ミノ川ニ変エテキタ 天竜川物語 人々ノ知恵ヲ …...天竜川のアユ釣り(写真提供:磐田市) 毎年、解禁日となる6月1日の明け方。天竜川の河原には、アユ釣りを心待ちにしていた釣り人

  

×

910

一二五〇

一二五〇年前に建造され

年前に建造され

   

   

  

現存する「天宝堤」 

  

現存する「天宝堤」 

てんぽうづつみ

 

天竜川流域の治水事業として記録

に残る最古のものは、天平宝字五年

(七六一)に行われた天宝堤の築堤

です。「続日本記」によると、水害

で麁玉川(天竜川)堤防が約一〇〇〇

メートルにわたって決壊、延べ人員

三〇三、七〇〇人を用いて修築した

といわれています。修築堤防の断面

は天端三・六m、高さ一・三六m、

敷高五・四mで、当時の技術水準と

しては最高の施工であったと考えら

れています。

ちくてい

てんぴょうほうじ

しょくに

ほん

あらたまがわ

しゅうちく

てん

しきだか

人柱となって命を投げ出し

人柱となって命を投げ出し

   

   

  

完成させた「彦助堤」 

  

完成させた「彦助堤」 

ひとばしら

ひこすけづつみ

 

江戸の初期、天竜川は大天竜・小

天竜の二つに分かれて流れ、しばし

ば氾濫し、人々を苦しめていました。

新原村の庄屋松野彦助は、天竜の流

れを締め切って本川に合流させる工

事を率先して実施しましたが、川の

流れが強く、工事は進みませんでした。

 

彦助は人々を励ますため、自ら人

柱となり、その熱意にうたれた農民

の努力により、延宝三年(一六七五)、

大堤長六一間高一丈、土堤長五八間

高四尺の堤防が完成しました。

はんらん

しんぱらむら

まつのひこすけ

えんぽう

けん

じょう

しゃく

彦助堤(浜松市浜北区新原)

この堤防が破堤すると天領だけ

でなく、下流の浜松藩領も含む

65ヵ村が被害を受けてしまう

ことから、大変重要な堤防で

あったため、完成後も破堤と修築

の記録が多く残されています。

ひこすけづつみ はまきた く しんぱら

てんりょう

はままつはんりょう

洪水で流れ着いた

洪水で流れ着いた

   

   

   

   

 

笠井聖観世音 

 

笠井聖観世音 

かさいしょうかんぜおん

 

福來寺のご本尊である笠井聖観世

音は、上流から流れ着いたと伝えら

れています。

 

昔、村人が天竜川の川底に光るも

のを見つけ、掘り出してみるとみご

とな観音様でした。村にお迎えして

お堂におさめましたが、あまりにも

光り輝いているため、あらたかな観

音様ということで笠をかぶせまし

た。あとから聞いたところによると、

上流の長島に祀られていた観音様で

あったといいます。

ふくらい

ほんぞん

かんのんさま

ながしま

まつ

福來寺 笠井聖観世音

(浜松市東区笠井町)

笠井観音堂を中心に「市」がた

つようになり、たいへんなにぎ

わいであったといいます。

ふくらい じ かさいしょうかんぜおん

ひがしくかさいちょう

いち

天宝堤(浜松市浜北区道本)

堤防は、浜北区小林から東区有玉

まで続いていたといわれ、浜松市

の史跡に指定されています。

はまきた く どうほん

はまきた く こばやし ひがしくありたま

てんぽうづつみ浸水状況(浜松市浜北区上島)浸水状況(浜松市浜北区上島)浸水状況(浜松市浜北区上島)浸水状況(浜松市浜北区上島)

浸水につかる JR東海道線浸水につかる JR東海道線(磐田市気子島付近)(磐田市気子島付近)浸水につかる JR東海道線浸水につかる JR東海道線(磐田市気子島付近)(磐田市気子島付近)

 

明治四四年八月三日から五日にかけて、台風の影響に

より、総雨量が二俣で三六八ミリ、浜松で三四一ミリを

観測しました。天竜川の水位は鹿島で七・八八mに達し、

大洪水に加えて山林の崩壊が数十箇所で発生しました。

旧佐久間町半場では、大崩壊が発生して天竜川を堰き止

める土砂ダムが形成され、約二時間後に決壊し、平野地域

に段波となって押し寄せ、大被害を発生させました。

 

流域内では破堤、溢水、土砂崩れが頻発し、特に磐田

郡(現磐田市)では死者・行方不明者一九名、損壊家屋

三六三戸、浸水家屋八、九六三戸の甚大な被害をうけ、

浸水面積は九四・五㎢に及びました。

明治四四年(一九一一)八月洪水

明治四四年(一九一一)八月洪水

ふたまた

じま

さくまちょうはんば

だん

てい

いっすい

ひんぱつ

いわ

ぐん

じんだい

 

昭和一九年(一九四四)の東南海地震、

終戦直前の浜松大空襲に続き、昭和二〇

年(一九四五)一〇月には二つの台風

の接近と前線が刺激されたことにより、

浜松市南区金折町の天竜川西派川の堤

防に掘られた防空壕跡から決壊が始まり、

決壊箇所は四〇m以上に及びました。

 

芳川・河輪・五島・飯田地区を中心

に大規模な被害となり、流域の死者三四

名、浸水家屋八四七戸、浜松市南区では

一二㎢が浸水の被害をうけました。

昭和二〇年(一九四五)一〇月洪水

昭和二〇年(一九四五)一〇月洪水

とうなんかいじしん

はままつだいくしゅう

かなおりちょう

にし

せん

ぼうくうごうあと

かわ

いい

ほうがわ

とう

堤防の決壊直後(浜松市南区金折町)堤防の決壊直後(浜松市南区金折町)堤防の決壊直後(浜松市南区金折町)堤防の決壊直後(浜松市南区金折町)

堤防決壊堤防決壊箇所箇所

天竜川天竜川西派川西派川

天竜川天竜川東派川跡東派川跡

天竜川

天竜川

堤防決壊箇所

(昭和 22年(1947)航空写真)

※国土地理院 WEB サイト(地理院地図)

 に一部加筆

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1112

暴れ天竜に挑む暴れ天竜に挑む

明治時代 終始一誠意 天竜川の治水・治山・利水事業に生涯を捧げ暴れ天竜を恵みの川に変えた浜松の偉人     ― 金原明善 ―

しゅうしいつにいをまことにす

 

金原明善は、天保三年(一八三二)

天竜川にほど近い現在の浜松市東区

安間町で山林を多く持ち、造り酒屋

なども営んでいた名主七代目久右衛門

の子として生を受けました。

 

一四歳の時に大病を患い、回復後

に母と祖父を亡くし、嘉永三年

(一八五〇)の洪水被害に見舞われ、

度重なる不幸に打ちひしがれる日々を

過ごしていました。

 

明治元年(一八六八)、またもや暴

れ天竜の猛威により堤防が決壊し、

特に浜松市側の中瀬・善地・豊西地

区の被害は激甚でした。

 

しかし、明治維新という新しい時代

の到来とともに、新政府に対する意

見を述べる路が開かれたことにより、

ここから明善の私財をなげうった治

水事業に対する挑戦が始まったのです。

明治時代の到来

明治時代の到来

   

   

 

暴れ天竜への挑戦

暴れ天竜への挑戦

めい

だい

きんぱらめいぜん

てんぽう

ひがしく

わずら

えい

もう

ぜん

なか

とよにし

げきじん

めい

しん

あんまちょう

金原明善生家(浜松市東区安間町)

築後約 200 年が経過している生家内には、

実業家・慈善家であった明善に関する貴重

な資料や遺品が展示されています。

きんぱらめいぜんせいか ひがしくあんまちょう

じ ぜん か

 

明治元年の水害後、新政府の財政

基盤が確立されていない中、明善は

旧幕府の所有林から復旧工事用資材

の伐出し許可をとり、浜松藩に被災者

の扶食米を放出させ、自らも多額の工

事費用を寄付し、天竜川の復旧工事を

献身的に進めました。

 

その情熱が認められ、後に浜松県

から天竜川御普請専務に任ぜられた

明善は、多くの事業を立案しました。

天竜川を鹿島地先から分流し、船に

よる主要輸送路として浜名湖に通ず

る新河川を開削し、本流は鹿島から

河口までを真っすぐに川幅を一定に

する堤防をつくることで暴れ天竜を

治めようと計画しました。

きり

はままつはん

まい

けんしんてきて

んりゅがわ

しんせん

じま

はま

治水事業に対する流域住民の

治水事業に対する流域住民の

     

一致団結を呼びかけ

     

一致団結を呼びかけ

 

明善は、新堤構築工事には長い歳

月と流域住民の協力が必要であると

訴え、明治七年(一八七四)に天竜

川通堤防会社(翌年「治河協力社」

に改組)を設立し、最上流の諏訪湖

から河口までの基礎調査や測量、既存

堤防の補修や岩石破砕による河道整

備を行いました。全財産を一旦新政

府に寄付する覚悟を決めて大規模な

新堤構築工事を遂行しますが、思う

ような補助が得られず、政府直営の

工事にした方が良いとの考えに至り、

明治一八年(一八八五)治河協力社

を解散しました。

 

その後、明善の援助によりフラン

ス留学で治水技術を学んだ小林技師

や明善が設立した水利学校の卒業生

らが国の直轄工事に携わり、ついに

明治三二(一八九九)に工事が完成、

現在の天竜川下流の骨格がつくられ

ました。

ちかきょうりょくしゃ

かい

さい

すいこう

こばやし

ちょっかつ

たずさ

むかしの水防技術蛇籠(じゃかご)蛇籠(じゃかご)竹で編んだ籠の中に石を詰め、川岸の水が強く当たる部分に敷き並べ、土砂が削りとられるのを防ぎます。

菱牛(ひしうし)菱牛(ひしうし)組み上げた丸太を川底に据え付けて、川の急な流れを抑えます。

沈床(ちんしょう)沈床(ちんしょう)堤防の根元が水流で掘られないよう、組んだ丸太を積み重ね、中に石を詰めます。

なぬしななだいめきゅうえもん

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14 13

半生をかけた植林事業

半生をかけた植林事業

      

北遠地方林業の発展 

      

北遠地方林業の発展 

ほくえん

 

治河協力社時代、明善はオランダ人

技師リンドウが説いた水源涵養林の

大切さに感銘を受けました。

 

治河協力社の解散を機に、下流域

の効率的な治水事業の進展のため、中

流域の荒廃が進んだ山々に目を向け

ました。明善は、瀬尻の御料林の貸

与を申し出て、手元に残った私財を

投じ、約二九〇万本以上のスギやヒノ

キを植え、天然林から人工林への転

換を図りました。

 

また、瀬尻付近の荒廃した民有林

地を次々と買い入れ、約三九〇万本

以上の植林を行い、金原林を造成し

ました。

 

苗を育て、天然林の木々を伐採し、

根や岩石を取り除いて整地し、育てた

苗を植え込み、そして雑草や芝を刈り

人工林を育てる作業は、多大な時間と

労力と資金を必要とします。明善は、

切り出した材木を輸送する会社の設

立や洋式製材の普及化を図り、植林

と三位一体となった政策として事業

を進め、北遠地方の林業発展にも貢献

しました。

 

また、立ったまま固い芝も刈ること

ができる金原鎌も発明され、全国の

植林地に広く普及しました。

 

明善は五五歳から、天竜川を見据

え続けたその目を落とす九二歳まで

の半生をかけ、この壮大な植林事業

に取り組みました。そして、天竜川

の利水事業を託した疎水財団(現金

原治山治水財団)に金原林の全てを

寄付し、治水・治山・利水を一体と

して事業を進めることにより、暴れ

天竜を恵みの川へと変えたのです。

ちかきょうりょくしゃ

すいげんかんようりん

かんめい

こうはい

じり

ごりょうりん

たい

ばっさい

さんみいったい

こうけん

きんぱらがま

たく

すいざいだん

しば

金原鎌(写真提供:金原治山治水財団)

きんぱらがま

金原明善翁顕彰碑

(浜松市天竜区龍山町瀬尻)

きんぱらめいぜんおうけんしょうひ

てんりゅうくたつやまちょうせじり

森林の水源涵養機能(すいげんかんようきのう)(すいげんかんようきのう)① 洪水の緩和① 洪水の緩和森林地の土壌では、降った雨がたくさんしみ込んで地下水となって蓄えられ、少しづつ川へ流れ込むため、急な水位の上昇を抑えて洪水を緩和します。② 水質の浄化② 水質の浄化雨水が森林地の土壌にしみ込むと自然の力でろ過されると同時に自然のミネラルが溶け込み、きれいな水になります。

天竜美林(浜松市天竜区龍山町瀬尻)天竜美林(浜松市天竜区龍山町瀬尻)大空に向かって真っすぐに成長した美林の姿は、「自彊不息」を生涯貫いた大空に向かって真っすぐに成長した美林の姿は、「自彊不息」を生涯貫いた明善翁の生き様と重なり、水源から河口までを一貫した治水事業の大切さ明善翁の生き様と重なり、水源から河口までを一貫した治水事業の大切さを語りかけてくれます。を語りかけてくれます。

天竜美林(浜松市天竜区龍山町瀬尻)天竜美林(浜松市天竜区龍山町瀬尻)大空に向かって真っすぐに成長した美林の姿は、「自彊不息」を生涯貫いた大空に向かって真っすぐに成長した美林の姿は、「自彊不息」を生涯貫いた明善翁の生き様と重なり、水源から河口までを一貫した治水事業の大切さ明善翁の生き様と重なり、水源から河口までを一貫した治水事業の大切さを語りかけてくれます。を語りかけてくれます。

じきょうふそくじきょうふそくじきょうふそくじきょうふそく

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期間降水量分布図(6 月 28 日 0 時~7 月 8 日 24 時)

期間降水量と平年値(7 月)との比較図(6 月 28 日 0 時~7 月 8 日 24 時)

未来への備え

未来への備え

      「いざという時にちゃんと逃げる」

      「いざという時にちゃんと逃げる」

 

近年、滝のようにゴーゴーと降り続く時間雨量五〇ミリ

を超える短時間強雨の発生件数が増加しています(左上図)。

静岡地方気象台によると、二一世紀末の静岡県における時

間雨量五〇ミリ以上の雨が発生する回数も増加すると予想

されています(左下図)。

 

また、雨の降り始めから終わりまでの雨量が数百ミリから

数千ミリを超える大雨も全国で頻発しています。特に平成

三〇年(二〇一八)七月に発生した豪雨災害では、停滞し

た前線や台風の影響により日本付近に暖かく非常に湿った

空気が供給され続け、総雨量が四国地方で一八〇〇ミリ、

ひんぱつ

1 時間降水量 50ミリ以上の年間発生回数

(アメダス 1,000 地点あたり)

1時間降水量 50ミリ以上の発生回数の

変化(静岡地方気象台HPより)

天竜川とともに暮らす天竜川とともに暮らす

平成30年 7月豪雨時の総雨量

(気象庁HPより)

東海地方で一二〇〇ミリを超え、全国の

多くの観測地点で観測史上第一位とな

る降水量を記録しました(左図)。この

大雨で西日本を中心とした一府一〇県

に特別警報が発表され、各地で河川の

氾濫や浸水害、土砂災害が発生し、死者・

行方不明者が多数となる甚大な被害が

発生しました。

 

雨の降り方が局地化・集中化・激甚化し、

河川氾濫のリスクは高まっています。

天竜川とともに暮らしている私たちには、

「いざという時にちゃんと逃げる」ため

の備えが必要です。

とくべつけいほう

はんらん

じんだい

げきじんか

 

洪水浸水想定区域図の情報は、「ある

条件下での想定」なので、区域外で

浸水する場合や実際の浸水深と異な

る場合もありますが、自分の住んで

いる場所でどのような浸水が発生す

る可能性があるかを知るめやすにな

ります。

 

これを活用して河川氾濫による被

害をイメージし、どのような場所に

どうやって避難するのかを日頃から

考えておくことが、「ちゃんと逃げる」

ことへの第一歩となります。

はんらん

天竜川下流の洪水浸水想定区域図:想定最大規模)

http://www.cbr.mlit.go.jp/hamamatsu/bousai/shinsui_tenryu/

浸水の深さのイメージ

~0.5m~ 0.5m

~ 1.0m~ 1.0m

~ 3.0m~ 3.0m

~ 5.0m~ 5.0m

1階の床下までつかる1階の床下までつかる

1階の床上までつかる1階の床上までつかる

2階の軒下までつかる2階の軒下までつかる

1階の屋根までつかる1階の屋根までつかる

住んでいる住んでいる場所の場所のリスクをリスクを知る知る

 この図は、天竜川の洪

水予報区間について、水

防法の規定により指定さ

れた想定し得る最大規模

の降雨(※)による洪水

浸水想定区域、および浸

水した場合に想定される

水深を表示した図面です。

※天竜川流域の 48時間

 総雨量 526 ㎜

1516

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【高】【高】

1718

逃げる逃げる判断のための判断のための情報を集める情報を集める

① 危険度の高まりを伝える情報を知ったら!!!① 危険度の高まりを伝える情報を知ったら!!!◆警報級の可能性・・・これからどうなる?

西部

種別

大雨警報級の可能性

1時間最大雨量(ミリ)

07/20 18:00 発表20日 21日明け方まで 朝~夜遅く

18-24 0-6 6-12 12-18 18-24

【高】【高】 【高】【高】

40 50 20 15 以下15以下

07/20 17:00 発表

22日 23日 24日25日

注意報注意報

災害が発生する災害が発生するおそれがある場合おそれがある場合

警報警報

重大な災害が発生重大な災害が発生するおそれがあるするおそれがある場合場合

特別警報特別警報

重大な災害が発生重大な災害が発生するおそれがするおそれが著しく大きい場合著しく大きい場合

土砂災害土砂災害警戒情報警戒情報

命に危険を及ぼす命に危険を及ぼす土砂災害がいつ土砂災害がいつ発生してもおかし発生してもおかしくない状況くない状況

記録的短時間記録的短時間大雨情報大雨情報

土砂・浸水・洪水土砂・浸水・洪水害の発生につなが害の発生につながるような、稀にしるような、稀にしか観測しない雨か観測しない雨

② 危険度の高まるタイミングや場所を確認しましょう!② 危険度の高まるタイミングや場所を確認しましょう!

いつ?いつ?

どこで?どこで?

◆ 情報の収集先 ◆

 警報(危険度の時系列)・・・・・気象庁WEB(https://www.jma.go.jp/jp/warn/)

 警報の危険度分布(土砂災害)・・気象庁WEB(https://www.jma.go.jp/jp/doshamesh/index.html)

 警報の危険分布(浸水害)・・・・気象庁WEB(https://www.jma.go.jp/jp/suigaimesh/inund.html)

 警報の危険度分布(洪水害)・・・気象庁WEB(https://www.jma.go.jp/jp/suigaimesh/flood.html)

 天竜川のライブ情報・・・・・・浜松河川国道事務所WEB(http://www.cbr.mlit.go.jp/hamamatsu/live_view_kasen/pc/)

◆警報の危険度分布

洪水害洪水害

浸水害浸水害

土砂災害土砂災害

天竜川の水位や川のようすは?天竜川の水位や川のようすは?

◆天竜川のライブ情報 河川がはん濫するおそれのある水位

はん濫危険水位はん濫危険水位

避難情報発表の目安となる水位

避難判断水位避難判断水位

河川のはん濫の発生を注意する水位

はん濫注意水位はん濫注意水位

水防団が待機する目安となる水位

水防団待機水位水防団待機水位

◆警報(危険度の時系列)・・・いつ頃危ない?○○市

発表中の警報・注意報等の種別

(浸水害)

1時間最大雨量(ミリ)

大雨

今後の推移(  特別警報級   警報級   注意報級)

20日 21日備考・

関連する現象

浸水注意

18-21 0-321-24 12-15 18-213-6 6-9 9-12 15-18

40 40 40 40

 避難勧告等が発令されたら、速やかに避難行動をとる必要があります。なお、突発的な災害では、発令が間に合わないこともあります。危険を感じたら「自分で判断し、避難行動をとる」ことが大切です。

避難準備・高齢者等避難

開始避難勧告 避難指示

(緊急)

避難に時間を要する人(高齢者、障害者、乳幼児等)とその支援者は避難を開始しましょう。その他の人は、避難の準備を整えましょう。

速やかに避難場所へ避難をしましょう。外出することでかえって命に危険が及ぶような状況では、近くの安全な場所への避難や、自宅内のより安全な場所に避難をしましょう。

まだ避難していない人は、緊急に避難場所へ避難をしましょう。外出することでかえって命に危険が及ぶような状況では、近くの安全な場所への避難や、自宅内のより安全な場所に避難をしましょう。

※必ずしも、この順番で発表されるとは限らないので、 注意が必要です。

浸水や土砂災害等のおそれのない

市町村が指定している「指定緊急避難場所」

へ早めに避難

できる

できない ※夜間や大雨が降っている状況など、移動が困難な場合

避難をする時近所の人にも声をかけるなど地域で助け合いましょう!

自宅内の上層階で山や崖からできるだけ離れた部屋等に移動する。

近隣の「安全な場所」(民間のマンション等)に緊急的に移動する。

できる

※外の安全性 が確認できた場合

氾濫した水は非常に勢いが強いため、ひざの高さの深さでも歩くのが困難になります。

氾濫した水は茶色く濁っているため、道路と側溝の境やふたの空いたマンホールなどは見えません。やむを得ない場合、棒で足元を確認しながら移動しましょう。

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天竜川マスコットキャラクターりゅっぴぃ

命を守る命を守る行動について行動について

考える考える

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1920

いざという時いざという時の行動をの行動をチェックチェック

 下のチェック図は、大雨が降る可能性が高まった時から数十年に一度のこれまでに経験したことがないような異常事態の発生や天竜川にはん濫が発生するまでに備えて、わたしたちが行うべき行動の一例を示しています。 この図を参考にして、より具体的な防災行動について、家族と一緒に考えてみましょう!

※気象庁作成の「危険度の高まりに応じて段階的に発表される防災気象情報とその利活用例」を

 参考に作成。(https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/newstage.html)

気象状況気象状況 気象庁からの情報気象庁からの情報 わたしたちの行動の一例わたしたちの行動の一例

□危険度の高まるタイミングや場所を確認□危険度の高まるタイミングや場所を確認 【以後、継続】→(P17) 【以後、継続】→(P17)□土砂災害警戒区域等に住んでいる方は□土砂災害警戒区域等に住んでいる方は 避難準備が整い次第、避難を開始、高齢 避難準備が整い次第、避難を開始、高齢 者等は速やかに避難→(P18) 者等は速やかに避難→(P18)

□土砂災害警戒区域等や河川沿いに住んで□土砂災害警戒区域等や河川沿いに住んで いる方は避難準備が整い次第、避難を開 いる方は避難準備が整い次第、避難を開 始、高齢者等は速やかに避難→(P18) 始、高齢者等は速やかに避難→(P18)

□危険な区域の外の少しでも安全な場所に□危険な区域の外の少しでも安全な場所に 速やかに避難→(P18) 速やかに避難→(P18)

□この状況になる前に避難を完了しておく□この状況になる前に避難を完了しておく →(P18) →(P18)

□危険度の高まりを伝える情報を確認□危険度の高まりを伝える情報を確認 【以後、継続】→(P17) 【以後、継続】→(P17)□浸水想定区域図・ハザードマップを確認し、□浸水想定区域図・ハザードマップを確認し、 指定緊急避難場所等や避難経路を確認→(P16) 指定緊急避難場所等や避難経路を確認→(P16)□家族全員の今後の予定を確認□家族全員の今後の予定を確認□避難する場合に備え、持ち物を準備□避難する場合に備え、持ち物を準備□家の周りの風で飛ばされるものは片付け、土のう家の周りの風で飛ばされるものは片付け、土のう を設置する等、自衛策を行うを設置する等、自衛策を行う

特別特別

警報警報

はん濫はん濫

発生情報発生情報

極めて極めて

危険危険

土砂災害警戒情報

土砂災害警戒情報

記録的短時間大雨情報

記録的短時間大雨情報

はん濫はん濫

危険情報危険情報

非常に非常に

危険危険

警報警報 はん濫はん濫

警戒情報警戒情報

警報警報

はん濫はん濫

注意情報注意情報

注意注意注意報注意報天竜川の天竜川の洪水予報洪水予報

警報の警報の危険度危険度分布分布

警報級の警報級の

可能性可能性

注意報注意報警報等の警報等の情報情報

大雨の大雨の数日~約 1日前数日~約 1日前

大雨の大雨の半日~数時間前半日~数時間前

大雨の数時間大雨の数時間~ 2時間程度前~ 2時間程度前

広い範囲で広い範囲で数十年に一度数十年に一度

の大雨の大雨

大雨の可能性大雨の可能性が高くなるが高くなる

雨が降り始める雨が降り始める

雨が強さを増す雨が強さを増す

大雨となる大雨となる

雨が一層雨が一層激しくなる激しくなる

天竜川マスコットキャラクターりゅっぴぃ

■ 国土交通省中部地方整備局河川部河川計画課・国土交通省国土地理院地理調査部社会地理課(2009)『天竜川・菊川 川の流

  れと歴史のあゆみ』

■ 石川純一郎(1980)『天竜川 その風土と文化』

■ 久保田稔(2001)『天竜川とともに その地形・地質と激流に挑んだ人々』

■ 北村 丑郎(1980)『鹿島の花火考』

■ 歌川小雨(1931)『郷土伝説童話集』

■ 鈴木要太郎(1979)『金原明善 その足跡と郷土』

■ 金原治山治水財団(1968)『金原明善』

■ 和田傳(1959)『現代傳記全集(5)金原明善』

■ 上伊那川たんけんブック編集委員会・上伊那教育会郷土館部専門委員会(2006)『上伊那 川たんけんブック』

■ 土屋昭彦(1981)『図解河川・ダム・砂防用語事典』

■ 国土交通省水管理・国土保全局(2017)『水害レポート 2017』:国土交通省WEBサイト 

  http://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/pdf/suigai2017.pdf

■ 国土交通省中部地方整備局浜松河川国道事務所(2016)『昭和 20年 10月天竜川大洪水の記憶』:国土交通省中部地方整備局

浜松河川国道事務所WEBサイト http://www.cbr.mlit.go.jp/hamamatsu/river/gaiyo_tenryu/gaiyo_tenryu02.html

■ 国土交通省気象庁(2018)『平成 30年 7月豪雨(前線及び台風第 7号による大雨等)』:国土交通省気象庁WEBサイト

https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/bosai/report/2018/20180713/jyun_sokuji20180628-0708.pdf

■ 内閣府防災担当(2018)『水害・土砂災害から家族と地域を守るには』:内閣府防災情報のページWEBサイト

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/pdf/h30_tebikisho.pdf

■ “天竜川浸水想定区域”:国土交通省中部地方整備局浜松河川国道事務所WEBサイト

  http://www.cbr.mlit.go.jp/hamamatsu/bousai/shinsui_tenryu/

■ “過去の災害”:国土交通省中部地方整備局天竜川上流河川事務所WEBサイト

http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/think/pastday.html

■ “みんなでタイムラインプロジェクト”:国土交通省関東地方整備局下館河川事務所WEBサイト

http://www.ktr.mlit.go.jp/shimodate/shimodate00285.html

■ “「新たなステージ」に対応した防災気象情報の改善”:国土交通省気象庁WEBサイト

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/newstage.html

■ “水源涵養機能”:林野庁WEBサイト http://www.rinya.maff.go.jp/j/keikaku/tamenteki/con_2_4.html

■ “静岡県の気候変化”:静岡地方気象台WEBサイト https://www.jma-net.go.jp/shizuoka/kikou/kikouhenka.html

■ “しずおか河川ナビゲーション 天竜川水系の文化財等”:静岡県交通基盤部河川砂防局河川企画課WEBサイト

http://www.shizuoka-kasen-navi.jp/html/tenryu/history_01.html

■ “ふじのくに文化資源データベース 寺谷用水の碑”:静岡県文化・観光部文化政策課WEBサイト

http://www.fujinokunibunkashigen.net/resouce/main.php?search=category&mode=detail&article=1785

■ “ふじのくに文化資源データベース 旧浜名用水取入口”:静岡県文化・観光部文化政策課WEBサイト

http://www.fujinokunibunkashigen.net/resouce/main.php?search=area&mode=detail&article=1589

■ “広報いわた No.0053”:磐田市WEBサイト https://www.city.iwata.shizuoka.jp/shimin/kouhou/pdf/h19/190615.pdf

■ “竜洋しおさい風力発電所”:磐田市WEBサイト

http://www.city.iwata.shizuoka.jp/shisetsu/entry/shisetsu100335.php

■ “8月 1日「鹿島の花火」が行われました”:浜松市WEBサイト

https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/tn-shinko/dekigoto/150801_dekigoto.html

■ “必見!浜松人が熱く燃える 3日間「浜松まつり」”:浜松市WEBサイト

https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/miryoku/hakken/kanko/matsuri.html

■ “アカウミガメが集う海岸”:浜松市WEBサイト

https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/miryoku/hakken/kurashi/akaumigame.html

■ “佐久間ダム完成から 60年”:電源開発株式会社WEBサイト

http://www.jpower.co.jp/damcard/sakuma60th/

■ “有玉神社の伝説”:有玉神社WEBサイト http://ayucalifornia.wixsite.com/aritama

< 参考文献 >

< 参照WEBサイト > 最終参照日:2018.08.20