在日ベトナム人の日本に対する意識...在日ベトナム人離国の経緯...

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1 在日ベトナム人の日本に対する意識 20427100 国際学部国際学科 グェンファンティホアンハー

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在日ベトナム人の日本に対する意識

20427100

国際学部国際学科

グェンファンティホアンハー

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目次

■ はじめに p.3

■ 第 1 章 「在日ベトナム人離国の経緯 ~ベトナム難民の発生~」 p.5 在日ベトナム人とは p.5

ベトナムにおける政変 p.5

ベトナム難民の発生 p.5

日本の受入れ状況 p.6

日本の定住支援と就労支援について p.8

■ 第 2 章 「神奈川におけるベトナム人の現在の状況」 p.10 2.1 就労状況 p.10

2.2 居住環境 p.12

2.3 ベトナム人のネットワーク p.14

■ 第 3章 「インタビュー」 p.16 まとめ p.30

■ 終章 p.33

■ 参考文献 p.36

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はじめに

経済のボーダーレス化とそれにともなう国境を越えた人口移動が進み、日本社会の中で

も至る所に多国籍化、多文化化の現象がみられる現在、民族的なマイノリティもマジョリ

ティも共生できる社会を築きあげることが必要なのではないだろうか。そのためには、日

本に在住している外国籍の人々が日本に対して抱いている思いから、日本社会が抱えてい

る課題とあり方について考えていきたい。この論文では、主にベトナム人を取り上げてい

く。彼を知るためには、まず彼らが日本に来た経緯を知る必要がある。

1975 年のサイゴン陥落により、南ベトナム政府や軍の関係者、華僑、商工業者など、共

産主義政策をかかげる新体制下で迫害を受ける恐れのある人や、新体制に強い不安や不信

を持つ人々が難民として大量に国外に流出し始めた。また、1979 年から 1989 年までのカ

ンボジア侵攻と 1979 年の中越戦争による軍事費の増大と生産力の減少によって、ベトナ

ムは経済の危機に陥り、共産主義政策への不安と不信感、絶望感がますます広まり、この

頃に多くのボートピープル流出の最初のピークを迎える。

1980 年代に入ると、より豊かな生活を求め、出稼ぎを目的とする人々が大量に増大し、

第 2 のボートピープル流出のピークを迎えた。多くの難民は、教育や職業紹介などの体制

が整えられているアメリカやカナダ、オーストラリアなどに定住を希望していた。その中

で、難民の受け入れに消極的だった日本はそういった体制が整っていなかったが、国際世

論の圧力により、日本も難民の受け入れを始め、彼らに対しての日本語教育や生活適応訓

練などをする施設を兵庫県姫路市、神奈川県大和市、東京都品川に開所していった。

1980 年後半から 90 年代の前半に入ると、日本での生活に慣れてきた難民は、ODP(合

法的出国)つまり、ベトナムに残した家族を日本に呼び寄せるようになる。また、90 年代

の後半になると、ODP の子供や独身であった難民は、ベトナムに帰り、結婚した相手を日

本に呼び寄せるなど、来日するベトナム人は、今でも増え続ける傾向にある。

在日ベトナム人が増え続けている一方で、彼らが抱えている公的制度や教育、就労、医

療などの問題は、未だに彼らに重くのしかかっている。例えば、教育機関に関して言うと、

外国籍の人々に対する日本語指導方法が未確立であったり、高校への進学が十分に保障さ

れておらず、入学後の支援が少ないなど、改善すべき点はまだ多い。就労について言えば、

日本人の働き手があまりいない低賃金かつ不規則な仕事であったり、十分な休日も取れな

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いような苛酷な労働環境であったり、一旦失業してしまうと日本語能力の不足のために次

の仕事がなかなか見つからないなど、非常に不安定な就労状況である。こうした就労状況

が、子供の進学を左右したり、離婚の原因になるなど不安定な家庭状況にも深く繋がって

いる。

こうした、在日ベトナム人が生きていくうえで課題の多い日本社会の中で、在日ベトナ

ム人はどのように生きているのか、どのような経験を積み重ねてきたのか、具体的にどの

ような問題を抱えているのかについて調査していくことで、個々人が日本に対してどのよ

うな想いを抱いているのか、日本社会をどのように感じているのかが、見えてくるのでは

ないかと思う。

個々の思いを知ることによって、多くの移民を受け入れて行くうえで日本社会が抱えて

いる問題点、あるいは改善すべき点が見えてくるのではないかと考えている。そして、日

本社会の問題点が見えてくることによって、移民してきた人々が日本社会の一員として、

新たな社会を築きあげることのできる社会、国籍に関係なく、自己実現の可能性を広げる

ことのできる社会を考える一助になるのではないかと考えている。

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第 1 章 在日ベトナム人離国の経緯

~ベトナム難民の発生~

在日ベトナム人とは 本論文で考察の対象とするのは在日ベトナム人である。日本には 2005 年現在で 2 万人

を超えるベトナム出身者が外国人登録をしているが、その中でも特に日本に長期的な滞在

あるいは永住をすることを視野にいれた人々を対象とし、研修生や留学生は含まない。基

本的にはベトナム戦争終結後に発生したベトナム難民とその家族として来日、滞在する人

である。よって、以下第 1 章では簡単に、なぜベトナム難民が発生したのか、そのベトナ

ム難民がどのようにして日本に定住することになったのかを振り返ってみたい。

ベトナムにおける政変 1954 年のインドシナ休戦協定に関するジュネーブ会議が行われ、ジュネーブ協定が調印

されたことにより、北緯 17 度線を境に、社会主義体制の北ベトナムと自由主義体制の南

ベトナムに分割された。1964 年 8 月 2 日にトンキン湾でベトナムの哨戒艇が米軍駆逐艦

マドックスに攻撃をしたとし、その報復措置としてアメリカはハノイへの航空機による爆

撃(北爆)を行ったため、ベトナム戦争が本格化し、アメリカ軍の直接介入へと突入し、

拡大していった。

ベトナム戦争は 1965 年以降の北爆の強化や南ベトナム解放区への爆撃、南ベトナム解

放戦線によって占領された南ベトナム領内への枯葉剤の散布などにより、泥沼化していく。

1973 年、反戦世論が高まっていった中、「ベトナムにおける戦争と平和の回復に関する協

定」による停戦協定が成立したが、1975 年 4 月 30 日、南ベトナムの首都サイゴンが陥落

し、南ベトナム政府が無条件降伏したために、北ベトナムによる南北統一とアメリカの敗

戦という形でベトナム戦争が終結した。

ベトナム難民の発生 サイゴン陥落前後、南ベトナム軍関係者や企業関係者、アメリカ軍の援助で富を築いて

きた人々、カトリック信者など、新政権の下で迫害を受ける恐れのある人々や、強い不安

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や不信を持つ 13 万人の人々が、撤退するアメリカ関係者と共にサイゴンを脱出した。

サイゴン陥落以降、前政権下の軍人、官吏、政治家などに対する思想教育が実施され、

サイゴン陥落前に国外に脱出できなかった人々と、中越関係の悪化と経済政策の失敗、天

災や慢性的な食糧不足、南部の急激な社会主義化などに馴染めなかった人々が、1978 年以

降にボートピープルとして国外へ脱出した。78 年の時点で、周辺 ASEAN 諸国や香港、日

本へボートで到着したベトナム難民は 8 万 7,164 人であったが、1979 年には 20 万 1,189

人に達し、周辺諸国の一時庇護が飽和状態になり、その対応を検討するために同年 7 月に

ジュネーブで「インドシナ難民問題国際会議」が開催された。1979 年にピーク以降減少し

ていたボートピープルの流出は再び増加に転じ、1989 年に入ると、約 7 万人以上のポー

トピープルが続出した。

日本の受け入れ状況 1975 年 5 月、米国船に救助された 9 人のベトナム人が千葉港に上陸したのが日本最初

のベトナム人難民であるが、第三国定住国が決まるまでは、日本政府は通過滞在の形で上

陸許可をしただけである。1975 年から 1978 年の 3 年間に、1,959 人が上陸し、1,357 人

が定住希望国の許可を待つ一時滞在者であった。つまり、ここからも分かるように日本政

府は積極的に難民を受け入れる方針はなく、第三国への通過のための一時滞在のみに限り

上陸を認めていた。

当初大量のインドシナ難民を受け入れた欧米諸国が、失業者の増大などの国内事情から、

難民受入れを大幅に削減したり、しだいに入国審査を厳しく[川上 2001:44]したため、内

外からの要請、特に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)からの要請により、1978 年の

「ベトナム難民の定住許可について」の閣議了解が行われ、日本政府は 1982 年に難民条

約を推進した。

また、1978 年、日本に一時滞在中の 3 人のベトナム難民の定住許可を初め、1979 年の

「インドシナ難民定住対策について」の閣議了解でインドシナ難民の受け入れ枠を設け、

受け入れ枠を 500 人に設定したのに対し、94 人が日本への定住を決めた。1980 年には、

家族の再会を目的とした「合法出国計画」(Ordinary Departure Program、以下 ODP の

略を用いる)による家族呼び寄せも認められようになり、受け入れ枠を 1,000 人に増やし、

396 人定住、81 年に枠を 3,000 人に増やし、初めて ODP を 20 人受け入れ、461 人定住

し、83 年の 5,000 人枠で 675 人、85 年の 10,000 人枠で 730 人へと増加していった。し

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かし、1989 年以降、出稼ぎ目的と思われるボートピープルが増大したため、1994 年以降

は ODP のみの受け入れとなり、現在では、定住者と永住者を合わせて 1 万人強のインド

シナ難民が日本に在住している。

表1 インドシナ難民定住許可数の推移(2005.12.31)

年 '78 '79 '80 '81 '82 '83 '84 '85 '86 '87 '88 '89 '90 '91

国 内 3 2 50 48 216 395 738 484 129 262 164 152 171 263

海 外 - 92 346 393 217 248 229 240 149 291 193 194 321 370

元留学

生等 0 0 0 742 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

O D P 0 0 0 20 23 32 12 6 28 26 143 115 242 147

合 計 3 94 396 1203 456 675 979 730 306 579 500 461 734 780

図 1(表 1 をグラフ化したもの) インドシナ難民定住許可数の推移(2005.12.31)

'92 '93 '94 '95 '96 '97 '98 '99 '00 '01 '02 '03 '04 '05 計

239 97 84 30 1 1 5 1 0 0 0 1 0 0 3536

411 300 165 85 4 4 5 5 9 40 15 9 18 19 4372

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 742

142 161 207 116 146 152 122 152 126 91 129 136 126 69 2669

792 558 456 231 151 157 132 158 135 131 144 146 144 88 11319

注)

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0

100

200

300

400

500

600

700

800

'78 '80 '82 '84 '86 '88 '90 '92 '94 '96 '98 '00 '02 '04

国 内

海 外

元留学生等

O D P

出典:難民事業本部

注)表中の「国内」とは国内一時滞在施設からの定住者数、「海外」とは海外からの難民キャンプからの定住者数、「元

留学生」とは政変以前に日本に滞在していた元留学生等から手住したものの数、「ODP」とはベトナムからの合法的家

族の呼び寄せ数を指す。

日本の定住支援と就労支援について 来日したベトナム難民を含むインドシナ難民に対する定住支援は、1979 年に本格的に開

始された。日本へ定住を希望する人への教育、健康管理、就職斡旋を目的として、1979

年 12 月兵庫県に「姫路定住促進センター」、1980 年 2 月神奈川県に「大和定住促進セン

ター」、1983 年東京都に「国際救援センター」を設置した。この各センターにおいて、以

下に詳述する定住支援プログラムが実施されることになった。

センターの実施内容

1、 入所者に対し居室、寝具類の提供等生活上の援助。

2、 入所者に対し、できる、普通、できないの三クラスに分け、日常生活で最低限必

要な日本語を約 4 ヶ月に渡って実施し、及び厚生労働大臣の許可による無料職業

紹介を地域の公共職業安定所と連携をとりつつ、センターに配置した職業相談員

が日本の労働慣行や職場での挨拶などをはじめ、保険制度、供与の仕組み、求職

活動の方法など、社会生活適応指導と共に就職の斡旋を行う。

3、 日本語教育終了した人を対象に基本的な日本社会の決まりや仕組みを学習するた

めの社会生活適応指導(約 20 日)及び各種カウンセリングの実施並びに関係機関

による審査や調査に協力、便宜の供与。

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4、 常駐の意思・看護師による入所者の健康管理。

5、 入所者のうちの乳幼児を対象とした保育。

6、 難民相談。

7、 日本語教育相談。

このようにセンターは、難民の定住支援プログラムを実施していたが、1996 年に「姫路

定住促進センター」、1998 年に「大和定住促進センター」、2006 年に「国際救援センター」

が閉所されるとともに、支援プログラムもなくなった。

定住後のアフターケアとして、地域に密接したケアを行うため、難民定住者が多数居住

している地域(群馬県、八尾市、姫路市、横浜市、厚木市など)にカルチャーショックか

らくる社会不適応の人ために地域難民相談コーナーをおいたり、定住難民のコミュニティ

ー団体の実施によるお正月の行事等の文化活動やスポーツ大会などへの資金援助を行って

いるとしている。

しかし、筆者の経験では、地域難民相談コーナーがあることは、この論文を書くために

センターについて調べるまでは聞いたこともなく、筆者の周囲のベトナム人にも知ってい

る人はほとんどいなかった。また、日本に定住する難民が、日本社会で自立して生活して

いくために最も重要な日本語と就業について言えば、センター出所以降、ほとんど何もサ

ポートがされていないというのが現状である。つまり、最初のベトナム難民が日本に定住

してから、すでに 30 年以上もの月日が経っているが、彼らの日本定住に対して、十分な

アフターケアがなされているとは言いがたいのではないのだろうか。

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第 2 章 神奈川におけるベトナム人の現在の状況

第 1 章では、在日ベトナム人の渡日の経緯と日本側のサポート体制についてふりかえっ

た。そこで述べたように、実際には日本語の学習支援や就労のサポートは皆無にひとしい。

それでは彼らは現実的にどのような地域に住み、どのように生活をしているのだろうか。

本章では、神奈川を中心にみた在日ベトナム人の現状、特にこれまでの就労状況、住居、

教育及び同国人間のネットワークについて明らかにしていく。

2.1 就労状況 姫路、大和の定住支援センターと品川の国際救援センターが入所者に対して実施した就

職支援サービスによって新規就職に成功したインドシナ系住民の人数は、1979 年から

2001 年 10 月末までの累計で 4,789 名である。その主要な職種を男女別に示すと、表 1 の

ような内訳になっている。またこれら 4,789 名が就職した企業 1,698 社の従業員規模別構

成は表 2 のようになっている[倉田 2003]。

表 1 センターの就労支援サービスにより就職決定した職種

出典:倉田良樹(2003)「日本に定住するベトナム系住民の就労状況」『国際化する日本の労働市場』より引用

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表 2 定住支援政策により就職決定した企業の従業員規模

出典:倉田良樹(2003)「日本に定住するベトナム系住民の就労状況」『国際化する日本の労働市場』より引用

上の表は、インドシナ難民がセンターを通して職種を得られた数であるが、筆者の周り

のベトナム人についてみてみると、男性は表 1 のように金属工作機械工や金属プレス工、

溶接工など非熟練労働が多いものの、女性に関しては、表 1 の職業に加え、クリーニング

や食品加工業などに従事する人も多いように思われる。これらの職業は、短期間的に勤め

る人が多く、多くの場合はより条件の良い職場に転職することが多いように思われる。

また男女とも、彼らの多くは、パートやアルバイトなどを含んだ非正規雇用の社員とし

て就労している。なぜなら、日本の会社の多くが彼らを正社員として受け入れないためで

あるが、その背景には、難民を始め多くの在日外国人を安くて保障の必要のない、単なる

労働力としてみている日本社会があるように感じる。ベトナム人の多くも日本語能力が十

分でないことや雇用条件を選んでいる生活的余裕がないため、正社員として勤めることを

諦めざるを得ないことが多い。また、残業が多かったり、週休 1 日であったり、日勤と夜

勤を 1 週間ごとに繰り返したり、土日出勤や休日出勤など、長時間労働で過酷な労働条件

にも関わらず、彼らの多くは低賃金で働かされ、手当てがされないことも少なくない。日

本人が働きたがらないような条件での仕事にしか就けないのが現状である。そして、正規

の仕事に就くのは難しく、不況や仕事の多少によって真っ先にリストラされるのは彼らで

ある。

彼らは次の 4 つのパターンで仕事を探すことが多い。まず、第 1 のパターンとしては、

外国籍の人々を受け入れる会社が限られているため、家族や友人に仕事を紹介してもらう

ことが多い。会社の経営上も同国人を雇用した方が効率的であるため、国籍別に同国人同

士が同じ会社に集中することが多いように思われる。その次に多い第 2 のパターンは、友

人の紹介のようなものではあるが、仕事を求めている人にその国籍の人が会社側の人と交

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渉し、紹介する。会社を紹介してもらった人は紹介してくれた人に紹介料を支払うことに

なっている。

第 3 のパターンは、職業安定所を通じて紹介してもらうというものである。しかし、第

3 のパターンは、日本語が話せないと職安に行くことそのものが難しく、職安でも日本語

の話せない人に紹介できる仕事が少ないので、第 3 のパターンで仕事を得る人は限られて

いる。第 4 のパターンとしては、定住促進センターの職員に職を紹介してもらうケースも

見うけられたが、すべての定住促進センターは閉所したため、彼らにとって職を探す方法

が一つなくなったことになる。限られた情報の中で職を探す彼らにとって、職を探すのは

困難を極めている。

2.2 居住環境

2.2.1 都市への居住傾向 表 3 は、在日ベトナム人の都道府県別にみた外国人登録者数である。この表から読みと

れることは、ベトナム人の人口が増加しているということと、神奈川には 3,807 人、兵庫

には 3,125 人、埼玉には 2,284 人、東京には 2,192 人など、都市近郊に集住する傾向があ

ることがわかる。神奈川と兵庫に多くの在日ベトナム人が住む理由として、大和定住促進

センターと姫路定住促進センターがあったこともあり、センターを出た後もその周辺に住

む傾向があるからだと考えられる。また、都市近郊には中小企業や零細企業が密集してお

り、仕事が大変きついがゆえに労働不足で、常に労働者を必要としているため、仕事を求

めて多くの在日ベトナム人が集住している。

表 3 在日ベトナム人の県別外国人登録状況

平成 14 年末 平成 16 年末 平成 14 年末 平成 16 年末 平成 14 年末 平成 16 年末 北海道 133 153 新潟県 84 117 徳島県 51 89

青森県 40 48 富山県 45 71 香川県 49 51

岩手県 113 136 石川県 97 181 愛媛県 48 29

宮城県 59 89 福井県 257 174 高知県 194 290

秋田県 5 7 山梨県 97 110 福岡県 224 286

山形県 271 342 長野県 86 128 佐賀県 21 34

福島県 180 213 岐阜県 988 820 長崎県 79 71

茨城県 422 505 静岡県 1,035 1,342 熊本県 107 120

栃木県 559 657 愛知県 1,065 1,955 大分県 131 183

群馬県 923 980 三重県 725 87 宮崎県 49 36

埼玉県1,847 2,284

滋賀県144 213

鹿児島県49 36

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千葉県 619 997 京都府 111 154 沖縄県 55 77

東京都 1,648 2,192 大阪府 1,548 2,010

神奈川県 3,371 3,807 兵庫県 2,730 3,125 計 21,050 26,018

出典:法務省管理局 『平成 16 年末現在における外国人登録者数統計について』より引用

図表 4 難民等の定住状況(2006.3.31)

都道府県 居住数 都道府県 居住数 都道府県 居住数

青森 1 福井 2 鳥取 1

岩手 1 山梨 37 岡山 12

宮城 8 長野 2 広島 75

山形 1 岐阜 3 山口 6

福島 26 静岡 475 愛媛 8

茨城 98 愛知 60 福岡 12

栃木 209 三重 3 長崎 20

群馬 534 滋賀 71 熊本 4

埼玉 1,252 京都 11 大分 1

千葉 331 大阪 502 佐賀 1

東京 1,030 兵庫 1,611 宮崎 24

神奈川 3,800 奈良 15 鹿児島 1

新潟 26 和歌山 12 沖縄 2

合計 10,288 出典:アジア福祉教育財団 難民事業本部ホームページより引用

表 4の難民等の定住状況と表 3を比較してみると、表 3では神奈川県が 3,807人に対し、

表 4 の神奈川県は 3,800 人であることから、神奈川県に居住するほとんどのベトナム人は

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難民であることがわかる。また、他の都道府県をみてみるとベトナム人の外国人登録者数

は多いものの、難民の数が少ないため、ほとんどは難民以外のベトナム人が居住している

と考えられる。

2.2.2 住居の確保

都市に集住するベトナム人が住居を確保するのも、また困難を伴う。民間のアパートは、

家賃が高いわりに住居が狭かったり、入居条件が厳しくて、外国籍であったり保証人が外

国籍の人であると受け入れてもらえなかったりすることが多い。それに比べ、県営住宅は

家賃も安く、入居条件もゆるいため、多くのベトナム人が集まり、ネットワークができる。

この親族や同国人間のネットワークを求めて居住する人も少なくない。

神奈川県だけに限って言えば、神奈川県の県営住宅は、外国籍の保持者でも神奈川県に

居住地を登録するその日から住居が借りることができる、という難民に優しい規定がある。

県営住宅に入居するには、所得条件があり、高所得になると退出しなければならない。す

ると、日本人の場合には、団地に住み続けられる人は高齢者に限られることになる。結果

として、空き部屋が増加する中で、外国籍住民への入居条件緩和が行われたため、こうし

た空家に、高所得を得ることが現実的に難しい外国籍の人たちが入居することとなった。

神奈川県に多くのベトナム人難民が居住しているのは、これらの住居上の好条件が揃って

いることも一因であると考えられる。

2.3 ベトナム人同士のネットワーク 神奈川県をはじめとした都市部に多くのベトナム人が居住しているが、ベトナム人同士

は、仕事や生活の面での情報をやり取りし、少しでも住みやすくするために、親族や友人

などのネットワークを構築している。長年日本に住んで、日本語がよくできるベトナム人

が日本社会との接点となり、こうした人を中心に情報のやりとりが行われるケースもある。

また、ベトナム人が経営するベトナム料理店に、ベトナム人同士で集まって情報を交換し

たり、つかの間の休息を楽しんだりする。ネットワークは主に友人や家族の間でできあが

り、友人が知り合うきっかけは地域の日本語教室で一緒に勉強する、ベトナムの正月のイ

ベントで知り合う、ベトナム料理店で友達になるなどである。

ネットワークの利点の一つは、情報の共有化である。ベトナム語では日本語のようには

公的な情報が十分に提供されておらず、求職に関する情報や病院、行政サービスなどの生

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活に関する情報などが、十分に得られない。そのため、情報の流通は口コミのネットワー

クが非常に大きな部分を占めており、そういった意味で同国人のネットワークは大きな役

割を持っているといえる。

また、もう一つの大きな利点は、同国人同士で集まり母国語で会話をすることで、日頃

日本社会の中で吐き出すことができないストレスを解消することができるということであ

る。これは、一見なんということもないものにも見えるが、異文化・異言語の社会で生活

していくうえでは、一番重要なものであるともいえるかもしれない。

他方、欠点としては、少ない情報が口コミのネットワークを通じて伝わっているため、

得られる情報が限られているということである。

また、それらの情報についても専門的な知識と十分な日本語能力を持っている人は限ら

れているため、一部の人や子供などに負担がかかりやすく、結果的に十分な問題解決に繋

がらないケースもあると考えられる。

もう一つ、欠点を挙げるとすれば、狭く密度の濃い在日ベトナム人社会の中では、人間

関係も限られているため、会話を楽しむことは出来ても、生活に関わる、あるいは人間関

係に関わる相談などはしづらいという側面もある。

以上見てきたように、現在日本に在住するベトナム人は、①来日後ほとんどの人が就労

するものの、その就労先は限定されており、かつ非常に条件の悪いところに集中し、不安

定な生活を余儀なくされている、②居住地は大都市圏で、就労状況が悪くても何とか職を

得られる地域に集住する傾向があり、特に県営団地などの所得制限、入居基準のゆるいと

ころにすむ傾向がある、③就労、居住ともこうした情報は口コミのネットワークによって

流通するが、ネットワークだけではすべての定住問題を解決するには至っていない、とい

う状況で暮らしている。それでは、こうしたベトナムの人々は、現在自分が生きる日本の

社会をどのように見ているのだろうか。

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第 3 章 インタビュー

厳しい日本社会で生きている在日ベトナム人を対象に、彼らが日本社会に対してどのよ

うな意識を持ち、どのような思いを持っているのかを明らかにするためにインタビューを

行ったものである。インタビューは、女性 7 人、男性 4 人の計 11 人に行った。ここでは、

何年のどの時期に来日したか、また来日してきた時の本人の年齢を重視し、女性も男性も、

来日する年数の長い人と短い人の数が均等になるようにした。また、来日する年数が長く

日本語ができる若者と、日本語が多少できる大人と、日本語に不自由している大人の人を

中心にインタビューを行った。個々により質問を変えたり、増やしたり多少形を変えなが

ら行ったが、大きく 6 つの項目を中心にインタビューを行った。

母語(ベトナム語)でインタビューをしているため、以下のインタビュー内容は筆者が

翻訳したものであり、できるだけ本人が話した雰囲気に近い形に合わせて書いたものであ

る。

インタビューした人のデータ-

名前 年齢 日本での居

住年数 性別 職業 来日方法

O さん 50 代 14 年 女性 電子部品の組み立て ODP

S さん 40 代 27 年 男性 トラック製造 難民

U さん 40 代 1 年半 女性 電子部品の検査 結婚

N さん 30 代 3 年 女性 主婦 結婚

T さん 30 代 8 年 男性 造園業 結婚

G さん 20 代 10 年 男性 部品加工 ODP

D さん 20 代 10 年 男性 トラック製造 ODP

L さん 20 代 6 年 女性 学生 ODP

V さん 20 代 13 年 女性 印刷会社 ODP

B さん 20 代 1 年半 女性 学生(副業:弁当工場) 連れ子

H さん 20 代 1 年 女性 主婦 結婚

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質問した項目は、以下の 6 項目を中心にしている。

(1)来日の目的、来日以前の生活について

(2)職業について(現在働いている会社の労働条件と以前働いた会社の労働内容、職場

の人間関係)

(3)家族形態、友人関係、

(4)言語、将来の展望(日本語学習、将来は日本に住みたいか帰国したいか、夢はある

か)

(5)必要な情報(行政の情報や生活情報など)を入手する方法

(6)行政や会社、日本社会に対してどのような不満を持っているか

1.来日経緯 70 年代から 80 年代にかけて、難民として日本に来日したベトナム人が、80 年代後半か

ら 90 年代にかけて、ベトナムに残した家族を日本に呼び寄せるという形で、在日ベトナ

ム人の数が増えてきた。その後、さらに、難民として来日したベトナム人が本国で結婚し、

配偶者を日本に呼び寄せるという形で増え続けてきた。最近では、夫婦関係の不調によっ

て離婚したベトナム人が、さらにもう一度ベトナムで相手を見つけて再婚するということ

もあるようである。今でも、難民による結婚と再婚の傾向は残っているが、それに加えて、

ODP として来日してきた子供たちが成長してきたため、彼らの結婚によって呼び寄せられ

るベトナム人が多く、今では前者以上にこの形で来日してきているベトナム人の方が多い

傾向があると筆者は感じている。

聞き手:日本に来た経緯を教えてください。

S さん:ベトナムにいるのは危ないから、家族が僕を船に乗せることを勧めたんだ。実際

に政府の人たちに殴られたりしてたから、家族が心配してね。僕ももう 1 回何かあ

ったらただじゃすまないし、危険を感じたから逃げることにしたんだよ。船の上で、

飛行機を見つけて旗を振って・・・。1 回通り過ぎたけど、その後戻ってきて食料

を飛行機から落としてくれた。飛行機の上の人はどっかの船が僕たちを見つけるの

を待っていたんだ。次の日 長崎の船にあって、助けてもらったよ。

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H さん:結婚したから。旦那がこっちにいるから日本に来て生活するしたのよ。(20 代、

女性)

L さん:私のお姉さんは、チャットでオーストラリアに住むベトナム人と知り合ってね、

で、結婚して向こうに行っちゃったんだよね。(20 代、女性)

N さん:結婚よ。旦那とは昔からの知り合いで、彼が来日した後もちょくちょく連絡して

くれたの。こっちで家族できてからは連絡が途絶えてしまったけど、家族とうま

くいかなくて、離婚してしまったの。落ち込んでいる彼をみて、彼の母が私に連

絡をするように勧めてくれたお陰でチャットや電話をするようになって、お互い

に気持ちがまた燃え上がって(笑)、彼が何度か帰国して、やっぱりこの人しか

ないと思って結婚したのよ。(30 代、女性)

このように様々な問題で離婚したベトナム人が、再びベトナムに帰国して再婚する相手

を見つけることもあるようである。また、インターネットなどを通じて知り合い、来日す

る人もいれば、日本に住んでいる人が他の国に住むベトナム人と知り合い、第三国に行く

ことも稀にあるが、多くは知人や親戚からの紹介で知り合うことが多いようである。

聞き手:どうやって旦那さん又は奥さんと知り合いましたか?

H さん:旦那は、日本に住んでいるおばさんの友達で、おばさんを通じて知り合ったの。

(20 代、女性)

T さん:奥さんのお兄さんとは昔からの学校友達だったんだ。たまたま遊びに帰ってきた

時に、一緒に旅行などに誘われて行ったら、彼女と徐々に距離が近づいてで、結

婚に至っただけだよ。簡単な話しでしょ(笑)。(30 代、男性)

目的 来日する目的は、大人の世代であるか若者の世代であるかによって考え方が違うようで

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ある。大人の場合、配偶者が日本にいるため来日をし、子供により良い教育を受けさせた

いと考えている人が多いようである。一方で、子供の場合は、親が決めたことに従うしか

ないため、一緒について行くしか他がなかったのである。

L さん:お父さんが行くって言ったから行くしかなかった。(20 代、女性)

U さん:日本は先進国だから、子供に良い教育を受けさせて、ステップアップすることに

も繋がるのかなあと思ったのよ。(40 代、女性)

2.来日前と来日後の変化 来日する前と来日後のギャップ 自由を求めて来日してきた難民やODPの人々の他にも、その後結婚で来日してきた人々

の中にも自由を求めて来日する人がいるようである。しかし、90 年代以降で来日してきた

人々にとって、日本は工業が発展しているというイメージが浸透しており、来日後はベト

ナムより良い暮らしを望む人もいるようである。特に、大人の人は自分の子供に良い教育

を受けさせ、立派に成長して欲しいと期待している人が多いようである。しかし、実際に

来日してみると、ベトナムと比べれば給料は高いものの、全体的に物価も高く、殆どの時

間を仕事に費やしても生活していくのが大変だということと、家族内の愛情が薄いという

ことに失望する人が殆どのようである。

聞き手:来日前は日本がどんな国だと思いましたか?

G さん:日本は機械が発展してるから、ベトナムの暮らしよりは良い暮らしができるんじ

ゃないかなって思ってたよ。(20 代、男性)

N さん:全く、想像がつかなかったし、イメージもできなかったわ。旦那が日本にいたか

ら来ただけなのよ。(30 代、女性)

日本がどんな国か、分からない或いは想像がつかなかったと答えた人は少なくなかっ

た。幼い時期に来日した人はいうまでもないが、10 代後半の人や成人の人でも殆ど日本の

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情報がないため、日本がどのような国であるか知らずに来日する人が多く、親戚がいても、

どのような生活を送っているかは殆ど聞かされなかったのだという。また、来日後の生活

を期待しすぎる人はその分落ち込み、期待せずに知らないで来た人の方が日本での生活を

受け入れられているように思われる。

聞き手:来日後、どんな生活ができると思いましたか?

G さん:ベトナムよりも良い暮らしができると思ってたし、海外に出てみたかった。国内

にいても何もできないから。(20 代、男性)

T さん:どこに行っても仕事はしないといけないとは思ってた。でも、日本はベトナムよ

り自由だろうと思ってたし、権利の面もそうだろうし・・・。心が気楽っていう

感じかなあ。(30 代、男性)

U さん:日本に来るっていうことは、一歩で天国に行けるような良い生活ができて(笑)、

華やかしい夢のような世界が待っているんだと思ってた(苦笑い)。(40 代、女性)

殆どの人は G さんのように、国内にいるより海外にでた方が、暮らしが楽になると考え

ているようである。インタビューする中で彼らが話す「暮らし」とはどういうことを指し

ているのかが分かった。彼らが思う暮らしとは、安定した生活、行政に左右されない生活、

個人の権限が認められる生活のことを指しているように思われた。

どの時期に来日した人にせよ、ベトナム政府に対して不満と批判を持っている人が多い

ようである。彼らは筆者が思っていた以上にベトナムと日本を適切に捉え、良し悪しを判

断している。彼らはただ単に愛国心だけで物事を見ているのではなく、行政、生活、家族

や友人などの人間関係、その土地や地域の風土など、彼らを取り巻く全てのことを視野に

入れ、物事を見ているのだと気づかされた。

聞き手:今、日本に住んでみてどう思いますか?

T さん:日本は忙しい。時間は・・・、何ていうの・・・、金のようだよ。時間がないか

ら家族愛や友達との親密な関係が少ないと思う。でも、良いのは、自由の風潮が

あって、仕事をした分、自分で享受することができるし、誰かに屈服する必要も

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ないし、町を歩いてても金持ちも貧乏人も誰もが同じだってこと。(30 代、男性)

U さん:日本に来たことを凄く後悔してる(笑)。ベトナムにいた時は家族が団結してて

支えあってたから、精神的にも物質的にも楽だったの。お金がなくても助けてく

れる人はいるし・・・。仕事は儲かっていた訳じゃないけど、一人手で子供 2 人

を 2 食分は食べさせることができてたわ。それに比べ、日本は家族の愛情が冷め

てるし、物質が高いから仕事をしてもお金が貯まらないし、何よりも辛いのは言

葉が分からないってことよ。それでいじめられたり、バカにされたり・・・。(40

代、女性)

T さんの父は、南ベトナムの行政に勤めたため、T さんの家族や親戚は、金銭的な面や

環境など条件が揃っていても、中学までの勉学しか許されなかった。そういったこともあ

り、T さんはベトナム政府に対して不満を持っていたようである。U さんはベトナムで、

2,3 人雇い、市場で陶磁器を売る店の持ち主であり、仕事に対してやりがいを感じており、

家族や友人といった生活の面でも十分に満足しているのに対し、日本での仕事は使用人の

ように扱われるため 100%不満だと話しており、家族や親族、友人関係に対しても、ベト

ナムとのギャップの大きさに不満を抱いているようである。T さんと U さんのように殆ど

の人は、日本に住む人々の家族の愛情や友情などが薄いということを感じ、寂しく思って

いるようである。また、U さんと比べて、T さんのように殆ど日本に対して期待を持って

いない人は来日後、日本の生活を受け入れやすく、U さんのように膨大なイメージと期待

を寄せている人は日本の生活を受け入れにくい傾向があるようである。

3.職業について 就労内容・形態

第 2 章でも触れたが、多くのベトナム人は男性であれば、金属工作機械工や金属プレス

工、溶接工、女性は、電子部品の組み立て、プラスチック成型、食品加工業などの単純肉

体労働に従事している。また、雇用形態は正社員ではなく、多くがパートやアルバイトで

ある。

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聞き手:以前はどんな仕事をしていましたか?今は、何の仕事をしていますか?

U さん:今は電子部品の修正やってる。一時間 720 円よ。残業をしても残業代は出ないし、

土曜、出勤しても手当てはつかないのよ。前はパン工場で働いてた。重かったか

ら、腰を痛めちゃって・・・。(40 代、女性)

N さん:化学薬品をやってたの。でもね、そこで仕事をしてから髪の毛が凄く抜けちゃっ

て。しかも、帰ってからも食器を洗う時は、手袋をしないと肌が荒れちゃうの。

で、もうダメだなあと思ってやめて、クリーニングをやったの。その後、赤ちゃ

んができたから今は、家で内職をやってるよ。(30 代、女性)

T さん:車の組み立てやラジエーターやビニールハウスをやってた。家族の関係で大変だ

けど、多少融通が利くビニールハウスを今、やってるよ。(30 代、男性)

G さん:前はコカコーラやクリーニング、電子部品の工場に行ってたよ。一番大変だった

のは力を使うコカコーラの工場かな。今は部品加工をやってるよ。(20 代、男性)

D さん:僕は 16 歳から働き始めたんだけど、家族の生活が大変だったから働こうと思っ

たんだ。皆言わなかったけど、僕のことも凄く心配してたみたいだったしさあ。

で、今は、派遣で今の会社でプレス工をやってるよ。でもね、社員になりたいん

だけど入れてくれないんだ。

O さん:ベトナムにいた時は役所で会計の仕事をやってたの。戦後、新しい政権になって

も私の仕事は幸運にも続けることができたの。他の人は仕事によっては続けられ

なかったからね。今(日本で)は単純労働の仕事じゃない、最初はやっぱり辛か

ったわ。仕事が違いすぎるて。でも、良かったことに会社の皆も良い人ばかりだ

し、こっちには子供たちもいるから少しずつ、何とか生活に慣れてきたのよ。

O さんのような会計士やネイルアートなどの資格を持っている人でも、日本で活かせる

ことができずにいるため、不満を抱える人も多くいるようである。また、N さんはベトナ

ムにいた頃、ボランティアで老人ホームなどに通い年配の方とお話したり、行事がある時

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にはプレゼントなどを作ってあげたり、ホームレスの人にも食事を配布していたのだとい

う。N さんのように有意義なことをしていた人や家族の中では大黒柱だったという人は、

来日後、そういった責任感が薄くなったことや有意義なことができなくなったことで、ス

トレスをためる人も多いようである。

仕事に就いた方法

長年日本に居住している人であっても、殆どはベトナム人のネットワークによる口コミ

で仕事をみつけることが多い。また、日本に親戚が在住し、日本に来日したばかりの人は

親戚に頼ったり、親戚がもつネットワークを利用して仕事を見つけることが多い。その他

には、職業安定所や難民促進センターに行っていた人はセンターから紹介してもらうこと

もあるようである。

U さん:今の会社は、お姉さんに紹介してもらったの。仕事がなかった時は、お姉さん

が他のベトナム人に仕事を聞きまわってくれてたみたい。前の会社は、ベトナ

ム人に紹介してもらったのよ。(40 代、女性)

L さん:うち、品川のセンターにいたんだけど、そこに仕事を紹介してもらったの。(20

代、女性)

G さん:職業安定所に紹介してもらったんだ。仕事を探したい時は殆どそこに行ってる。

聞き手:職業安定所の人は親切に接してくれましたか?

G さん:僕には親切だったかな。日本語が分かる人には進んで紹介してくれるけど、日

本語が分からない人は紹介してもらえないね。難しいとかって言ったりね・・・。

前、日本語が分からない人を連れて行ったことがあるから。なんか、(日本語

が分からない人は)制限されてるね。(20 代、男性)

職業安定所や会社内など、彼らが関わり生活していく日本社会の中で、日本語が分からな

いことは大きなデメリットであり、課題である。日本語が分からないがために、少ない情

報の提供をも制限されてしまい、いじめられたり、バカにされたりするのだと言う。筆者

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も実際に失業した人を職業安定所に連れて行ったことがあるが、職安は仕事を紹介してく

れない、紹介するのを嫌がり大した仕事は見つからないなど、結局は友達から聞いて探す

しかないと、殆どの人は口を揃えてそう言う。

会社内の人間関係

日本語が分からずに悔しい思いをしたり、日本人にいじめられたり、無理な仕事を押し

付けられることも多いようである。殆どの人は会社の中でいじめられる事の他にも、生活

する中で外国人であるために「日本人にバカされている」と感じている人が多い。

U さん:仕事はいくつかあるんだけど、交代の時間になっても交代してくれなくて、私に

はずっと重い仕事をやらすの。しかも、商品の名前があるんだけど、私の知って

る言葉じゃなくて違う言葉で言って、で、聞いても説明しないで同じことばかり

言って、私を叱るのよ。違う人に聞いてみたら、そんな言葉は使わないって言っ

てくれて、その時凄い頭にきたの。でも、日本語が分からなくて、言い返せない

し何もできないから悔しくて、悔しくて・・・。他にも理不尽に怒られたりして

ね・・・。(40 代、女性)

G さん:いじめとかもあったかな。悪口とか言われたり、いやな目で見てきたり、仕事と

かもちゃんと教えてくれなくて、怒られたり・・・。でも、そういう人とは話さ

ないようにしてる。でも、ダメだなあと思ったら仕事を変えちゃうかな。(20 代、

男性)

職業安定所の対応や会社内の日本人の対応など、目に見えない形で、「日本への順応度」

が評価されることが多く、「日本語」を重視する日本社会の風潮がベトナム人社会にも影響

を及ぼし、「日本への順応度」が高いかどうか、日本語ができるかどうかで、優劣関係や嫉

妬心などが生まれることもあるようである。

U さん:同国人同士なのに手を取り合って生きてない。本来なら、他国にいるわけだし、

助け合って生きるべきじゃない?でも、ベトナム人同士なのに、いじめをしたり、

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命令をしたりするなんて・・・。(40 代、女性)

L さん:会社に入った時は、私とお姉さんが初めてのベトナム人だったの。仕事もまじめ

にやってたから、他のベトナム人も入れるようになったんだ。で、私は課長に可愛

いがられてたから、何か他の(ベトナム)人にやきもち?されて、後ろで悪口を言

われたの。(20 代、女性)

また、中には、会社を運営する側の人もいじめの問題や言葉といった問題を心配して、

できるだけ同じ国同士の人を雇うように努める傾向にあるようである。そういった同国人

同士を雇い入れる会社では、書類や会社内でのチラシや張り紙はその国の言語で書かれて

いる。筆者も以前、ベトナムの人を面接に連れて行った時に、会社側から出された契約書

や会社内での案内などがスペイン語で書かれていた。その会社ではスペイン人が多いのだ

という。また、別の会社では、契約書類や張り紙は勿論のこと、機械そのものにもベトナ

ム語が表示され、面接の時には「ベトナム語ができるか?」と聞かれた程であった。そこ

の会社では、殆どがベトナム人で日本人は何人かいるぐらいなのだという。しかし、こう

いった会社の時給は安く、交通費手当てがつかなかったり、夕方から夜中にかけての仕事

だったり、時給は入ったときから一定額で、それ以上は 1 円たりとも上げないのだという。

4.人間関係 家族形態

単純肉体労働であり低賃金しか稼げないため、家賃が高い所であれば 5,6 人でシェア

して一緒に住むか、あるいは、安い家賃で住める所や団地に移住する傾向がある。また、

来日したばかりの時は日本語が分からず、不慣れな日本で生活するのが困難であるため、

頼れる兄弟や親族がいると安心できるという点と、最近では日本で家族同士でのお見合い

や紹介で結婚して来日してくるケースもあり、多くの人は親族の近くに居住する傾向が強

いようである。

V さん:最初は栃木に住んでて、その後瀬谷に移って、で、団地に引っ越したんだ。安い

からね。(20 代、女性)

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T さん:最初は、奥さんの家族と一緒に(団地に)住んでたんだ。その後、(同じ)団地

に申し込んで当たったから、今はそこに住んでる。(30 代、男性)

N さん:団地の近くに旦那さんのお母さんがいるから、疲れてたり、買い物をする時とか

は、たまに預けてもらってるよ。凄く助かってるの。(30 代、女性)

日本語学習と出会い

多くのベトナム人は生活する中で、会社以外ではなかなか日本人やその他の人々と関わ

る機会が少ないが、日本人ボランティアが行う日本語教室に行けば、日本人と会うことが

でき、長時間会話することもできる。また、同じ教室で学ぶ同国人の友人もできるし、そ

の他の外国籍の人々とも知り合う機会につながっている。

それ以外にも、子供が仲良く遊んでいる友達の家族と仲良くなったり、子供をきかっけ

に親同士が仲良くなり、家族ぐるみで付き合うこともあるようである。ベトナム人はこう

いったケースで知り合うことも多いようである。

H さん:町に歩いているとバングラデッシュの人とか、中国の人とかカンボジアの人とか

に会うの。でもね、全部日本語教室の人(笑)。(20 代、女性)

しかし、仕事が忙しく、日本語を勉強したくても、勉強する時間がない人が殆どである。

また、年齢のこともあり、仕事をする時間を割いて日本語を勉強してもなかなか伸びてい

かないため、挫折する人もいるようである。

U さん:日本語を勉強したいんだけど、時間がないし、覚えられないよ。仕事をして帰っ

てくるのは夜で、ご飯を準備して食べて、風呂に入ったら 1 日が終わっちゃう。

土曜も仕事だから。日曜は平日のために買い溜めをしないといけないし・・・。

(40 代、女性)

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5.不満 ベトナムでの生活と日本での生活とのギャップ、あるいは、そこから発生する不満は様々

なところにあるようだ。行政であったり、生活そのものであったり、家族や教育など様々

な面で不便を感じており、不満を感じているようである。また、彼らが持つ日本社会に対

する不満を知ることで、日本社会がどのように彼らを見つめているのかを知ることができ

た。

S さん:僕は難民だから国籍がないのと同じようなもんでね、子供の出生証明が必要で、

ベトナム大使館に行って取った時は嫌がられて、もうベトナム人じゃないから日

本の機関に行けって言われたんだよ。でも、日本の機関に行ったらベトナム大使

館に行けって言われたんだ。国籍がないようなもんだから、何をやっても不便だ

し、子供のことを考えて日本国籍取った方が移動しやすくなって、いじめもされ

なくて済むのかなって思って取ったんだよ。でも、なかなか取れなくて苦労した

んだよ。(40 代、男性)

S さん:日本の会社は、どんだけ長年尽くしても、会社に利益を生まなければ必要とはさ

れないんだよ。力があって働けるならおだてられるけど、働く能力が低下したら

何とも思っちゃくれないね。僕は日本の会社のそういう所が不満に思ってるんだ。

(40 代、男性)

L さん:家賃や電気代、ガス、水道、保険など全部ずっと払わないとダメだから、日本で

生活するのは大変だよ。それに日本の生活は忙しい。僕は日本とベトナムがもっ

と交流をして欲しいんだ。お互いに理解する必要があるんだよ。仕事で物質的な

面ばかり良くするんじゃなくて、精神的な面も良くしていかないとダメだと思う

よ。(20 代、男性)

D さん:差別を感じるね。日本人は外国人を差別してるよ。例えば、僕は社員になりたい

んだけどダメだって言われたし、正社員にもなれないし。それに、会社は皆に支

払う給料が安いんだよ。皆の給料を抑制して、ぼったくってるんだよ。皆、そう

思ってるよ。(20 代、男性)

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T さん:日本は家庭に関する教育が良くないね。もっと、子供たちに家族が大事だってこ

とを学校が教えないとダメだと思うんだ。国がもっと取り組むべきだよ。子供が

悪くなるのは、国のせいでもあると思うんだよ。(30 代、男性)

U さん:家族愛が薄いと思うの。ベトナムみたいに兄弟や親子が支え合ったり、庇護しあ

ったりして生きていないと思うの。孤立してるみたい。(40 代、女性)

U さん:この前、役所に行った時、窓口の人と話したけど、他のところもそうなんだけど、

外国人だから、対応が悪かったわ。上から見られてるような気がして。軽蔑され

てるみたいだったわ。(40 代、女性)

H さん:日本語が分からないと本当に生きにくい。不便だよ。(20 代、女性)

6.将来 ある一定の年齢に達してから来日した人は、日本語が分からないという理由で自分の将

来を考えるよりも、子供に良い教育を受けさせ、良い職業に就き、良い人生をと、自分の

人生の全てを子供の将来に託している傾向がある。子供の立場あるいは、若者の方では、

日本語能力が十分に取得できる年齢で来日した人や機会がある人で、生活する上ではそれ

程困らない人は、何らかの形でベトナム語を使いつつ、日本に住むベトナム人を手助けし

ていきたいという思いが強いようである。

聞き手:将来の夢はありますか?

L さん:今、看護学校に行ってるから、看護士になりたい。それで、ベトナム人がよく利

用する病院で働いて、日本語が分からない人には通訳してあげたいの。(20 代、

女性)

V さん:将来はベトナム語を使う関係の仕事がしたい。でも、子供ができて、で、ちょっ

と生活が安定してからかな。(20 代、女性)

G さん:うーん、病気とか、精神病とか・・・。こっちに住んでるベトナム人は凄くスト

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レスを抱えてるし、お金が足りないと思って金銭的な面に追われたり、悪い方向

にいかないように、日本に住んでいるベトナム人にもう少し気楽に生活して欲し

いし、手助けしたいんだ。ベトナム(本国)にも何かできたら良いんだけどね。

(20 代、男性)

このように若い世代の人は、親たちの世代を見て、苦労をし、ストレスを抱いて生きて

いることを実感しているため、生活する上で重要な言葉のつまずきを少しでも解消し、ス

トレスを抱え込むような生活ではなく、おおらかな生活を送って欲しいと考えているので

ある。

聞き手:これから先、ずっと日本に住み続けるますか?それとも帰りますか?

U さん:子供達が成長したら、私は帰りたいわ。(40 代、女性)

L さん:多分、ずっと日本かな。逆に、今ベトナムに帰っても何をしたら良いか、何がで

きるかも分からないし…。(20 代、女性)

T さん:日本かな。ベトナムで大学を卒業しても、資格を持っていても地位のある人と知

り合いでなかったり、紹介してくれる人がいないと、ちゃんとした職に就けない

し、工場で働くしかないんだ。それと比べれば、日本は良い仕事に就けるかどう

かは、その子の学力によるから、子供を日本で教育を受けさせたいんだ。(30 代、

男性)

将来、日本に住み続けたいかどうかは日本に在住する年数が長いかどうかに関わってく

ることがよく分かった。来日したばかりの人は将来、ベトナムに帰りたいと望んでいるが、

日本に長く住んでいる人は日本に拠点を置き、遊びにベトナムには帰るが、住もうとは思

っていないようである。

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まとめ インタビューから読み取れる問題点

以上のインタビューから、いくつかの問題点が浮き彫りになった。多くのベトナム人が

大きな不満と失望を抱いているのは、職業についてである。ベトナム人の親世代は、ベト

ナムでの職業や学歴、資格などを活かすことができず、日本での職業は不安定であり、危

険で尚且つ低賃金のいわゆる3K 職場である。

また、職業選択に関しても、殆ど選択できる余地がない要因は様々あると考えられるが、

インタビューからは、日本語能力による部分が大きいものの、日本社会による疎外と偏見

も大きな一因になっている。

日本語が分からないがゆえに、いじめられたり、だまされたり、命令されたりする場合

があり、不便で生きにくいと感じていることが分かった。しかし、日本語を勉強したくて

も、生活を支えるために長時間労働せざるを得なかったり、土日出勤や過酷な労働条件で

あったり、家族の世話などによって、日本語を勉強する機会が少ないため、低賃金の職業

から抜け出せる道がないのである。

また、会社内の日本人による個人的な差別だけでなく、役所の窓口や職業安定所の人の

態度や接し方など、行政やサービス機関にも、外国籍であるというだけで嫌な目で見られ

たり、バカにされたり、きちんとした説明をしてもらえなかったり、漠然とした不安など

を感じさせられることから、疎外感や偏見などを感じているようである。

このように、日本語が分からなければ軽蔑され、低賃金で単純労働の仕事をせざるを得

ないことから、日本語能力は職業問題と切り離せないものであることが分かった。長時間

労働や過酷な労働条件により、日本語を取得できる機会は奪われる一方、日本語が分から

ないということで、いじめや差別の対象にされるなど、悪循環が繰り返され、生きにくさ

を感じ、失望感を抱き、全ての希望を子供の将来に託す傾向が強いようである。また、ベ

トナムに残した家族や親族のために厳しい条件でありながらも、その条件を受け入れ一所

懸命働くより他ないのである。

日本人または会社や行政機関、地域住民など、日本の社会の側が日本語能力に対する関

心が強く、無意識に日本語能力や日本文化を知っていることを求める場面が多いため、そ

のことがベトナム人にとって多くの影響を及ぼし、同じ認識がベトナムにも浸透している。

そのために、日本語習得は日本への順応度の基準として考えられ、ベトナム人同士の間で

も優劣関係や階層が自然と、できあがってしまうようである。このことは、日本社会が日

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本人に「似る」あるいは、日本人に少しでも「近づいている」ことを求めていることから

起こった現象だと言えるのではないだろうか。

また、若者の世代に関して言えば、親の世代だけにとどまらずに、子供の世代にも引き

続き単純労働に従事している傾向がみられる。両親が共働きであっても、家計を支えるの

は大変であり、家族が抱える不安が子供にも伝わってしまうため、高校あるいは大学への

進学の妨げとなり、そのことが若くして働きに出る一因になっている。

また、親の従事している仕事以外に知っている仕事がなく、またモデルとなる人も身近

にいないことも単純労働に従事する一つの大きな要因になっていると考えられる。

日本人による差別への不満と教育への期待

多くのベトナム人の不満は、日本人がどのようにベトナム人を見ているのか、どのよう

なイメージを抱いているのかにも関わっているようである。L さんや S さん、G さんなど、

インタビューの中から殆どの人が、差別されることもあるが、会社によってはベトナム人

以上に日本人との方が仲良いのだという。このことから、彼らは「日本人」と「私たちベ

トナム人」という見方で境界線を引いているのではなく、性格の一致や不一致、互いに理

解し合えるのかどうかといった点で、一人の人間として接していることがよく解る。

しかし、日本人の中には、このように彼らがそれぞれ違う個々の人間であることを顧み

ずに、「ベトナム人」という括りで物事をみなし、一人がしたことを全て共通であるとみな

すため、何をしても評価されていない、認めてもらえないなど、疎外感を感じ、不満を感

じているようである。

また、インタビューの回答の中で、多くのベトナム人が日本の教育に関して強く関心を

抱いていることが分かった。なぜなら、多くのベトナム人は、ベトナム政府への不満だけ

でなく、学歴よりも、人脈とお金が物事を決めてしまうベトナムの社会の仕組みに不満を

感じているため、日本には自由や教育、将来の展望などを求めている傾向が強いのである。

しかし、学校が行っている教育は、家族を尊重する気持ちや大事にする教えが薄く、外

国籍児童に対しての学習補助も少なく、学校自体がきちんとした権限を持って子供に教育

を行えていないところなどから、様々な不信感と不満を感じているようである。また、こ

れらを解決することで、学校教育の改善や子供の心の豊かさがさらに増すことへの一助に

なるのではないだろうか。そのためにも、多くのベトナム人が主張しているように、学校

がしっかりした権限を持って子供に指導を行い、国レベルで今よりさらに教育に力をいれ

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るべきである。

労働差別に対しての不満と治安や秩序への関心

多くの会社で、外国籍の人々の労働を必要としながらも、彼らに支払う金額は神奈川県

で定められている最低賃金である時給 736 円よりもずっと低く、労働者なら保障されてい

る条件などをも削られ働かされている。例えば、交通費が支給されなかったり、面接時で

聞かされた給料の額より低かったり、研修期間が雇用主の好き勝手に延長されるなど、様々

な面で賃金が搾り取られ、削られている。そのため、一所懸命に働いても、生活に余裕は

なく、節約をしてもギリギリなのだと、多くのベトナム人が語ってくれていることから、

ベトナム人の間では、特に仕事に関して大きな不満を持っていることがうかがえる。

また、その反対に、多くのベトナム人が関心を持ち、褒め称えるのは、役所などの公的

手続きが規則正しく行われ、交通や物質的な利便性も高く、秩序も整っていて安全であり、

平穏であるということである。しかし、こうした物質的なものや、システムなどが殆ど備

わっている日本の生活の中でベトナム人が日本に不足していると感じているものは、日本

での生活は時間に余裕がなく、殆どがせわしない生活を送っているので、友達や家族とさ

えも交流が盛んに行われていないため、愛情や人情を感じる機会が少なく寂しいと、多く

の人が口を揃えて言う。

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終章 ~日本社会に求めること~

第 3 章でみてきたように、日本で生活する上で、ベトナム人は、就労や日本語、生活な

ど、様々な面で課題を抱え、日本社会側のベトナム人に対しての対応や態度、持っている

意識などによって影響を受け、様々な問題へと繋がっているようである。

(1)日本語の問題 多くのベトナム人にとって困難であり、壁となってぶつかるのは日本語であるが、生活

や仕事にも大きな影響を及ぼしていながらも、長時間の労働や過酷な労働条件によって日

本語を習得する機会が奪われているということが非常に大きな課題である。

日本語ができないことによって、ベトナムでの経歴や得た資格なども活かすことができ

ず、多くの人が不満に感じ、自信を失う原因となっているようである。

また、日本語の問題を解決することで、生活や就労問題の改善がなされ、公平な社会へ

と繋がっていくことができるのではないかと考えている。

(2)就労の問題 職業に関しては、日本語が不充分であるため職業の選択肢が狭く、低賃金の仕事から抜

け出せないでおり、若者世代にモデルとなる職業や人がいないことから、大人だけでなく

若者世代まで低賃金の仕事に引き続き従事する傾向があるようだ。

筆者は就職活動の際に、ベトナム国籍ということで不採用にされたことがあるが、日本

の文化を身にまとい、日本で成長してきたこと、生きてきたことが無視され、認めらなか

ったように感じ、とても悔しく、大きな失望感を抱いた。これは筆者のみならず筆者の周

りの人たちにも共通の体験である。このようなことから、日本語の有無によって生活しや

すさが多少変わってくるものの、日本語ができていても職業選択が狭まれていることには

変わりはないということが言えるのではないだろうか。

つまり、外国籍の人の職業選択が限られているのは、日本語能力の問題だけではなく、

日本の社会側の認識と理解が不足していることが大きく関わっていると考えられる。

また、親世代だけでなく第 2 世代とも言うべき若者世代まで、職業選択の幅が狭く、低

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賃金で単純労働に従事せざるを得ない環境におかれていることから、ベトナムコミュニテ

ィ自体の社会上昇の可能性が削られ、機会が奪われていることに繋がる。

賃金

多くのベトナム人は、最低賃金よりもかなり下回った額で就労をしている。殆どの場合

は、会社側の要求が一方的に押し付けられたり、解雇を恐れているがために賃金の額を下

げられても我慢をして働くなど、様々な面で賃金が削られている。

また、多くの場合は外国籍の人々と同じ仕事をしていても日本人というだけで高い賃金

で雇われるが、反対に外国籍だというだけで、安い賃金でしか雇ってもらえないのだとい

う。

労働条件

多くのインタビュー回答者が語ってくれたように、会社側は外国籍の人々を正社員とし

て雇用することを好まず、アルバイトやパートとして非正規の形で雇用をする。また、低

賃金で働いているだけでなく、不安定であり、危険な仕事でありながらも、労働者なら保

障されるべきことがほとんど保障されていない。

労働条件や賃金などの就労環境を改善するためにも、政府の機関が企業に対してちきん

とした取り締まりを行うべきであり、労働に必要な保障や最低賃金を守らることなど、少

なくとも最低条件を行使するように対策を行うべきである。

差別

一見、自由で平等に見える日本社会だが、ベトナム人に対してそうであるように、一部

の人間が労働力や賃金などの搾取を行っていたり、結果的に親と同じ職業を選択せざるを

得ないなど、実際には不平等の社会が根底にあるのだということが見えてくる。

そのような社会において、ベトナム人は、仕事に追われ、お金を稼ぐことに生活の全て

を注ぎ込み、一方で家族とのコミュニケーションは薄れ、こどもたちは教育の機会から引

き離されていくという状況が見えてくる。結果的に、仕事だけでなく家庭に対しても生き

甲斐が見出せずにいるのである。そういったこともあり、殆どの人は、自らの生きがいを

子供の将来に託す傾向があるようだが、子供の将来のためになる具体的な方策が見出せて

いるわけでもないというのが現状である。

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(3)社会的差別の問題 職場などの個人的な差別だけでなく、役所や職業安定所などの行政機関など、日本人側

の無意識な態度や対応によって、多くの人が疎外を感じ、認めてもらえないことから偏見

を感じることも少なくないようである。

行政機関で手続きを行う場合、外国籍の人々に対する理解が不足しているがために、様々

な機関を次から次へとたらいまわしにされたり、医療機関などで受診する場合も詳しい話

は聞かせてもらえなかったり、ほとんどの日本人に見下されていると感じさせられるなど、

生活での様々な面で、不安や不満を抱えている人も多いようである。このような社会的差

別問題を改善するためにも、より多くの日本人に、外国籍の人々について理解することが

できるような教育をしていくが欠かせないのである。

また、日本社会がより豊かな社会となり、より多くの人に愛され、ベトナム人だけでな

くより多くの外国籍の人々、そして多くの日本人にも生きやすい社会に変えていくために、

ベトナム人から見た日本社会の欠点や彼らに及ぼす影響、理解不足などの点を改善するこ

とで、豊かな日本社会を築き上げることが可能になるのではないかと考えている。

(4)問題解決をするために まず、日本語能力を高め、生活の向上を図るために、雇う側である企業が、ベトナム人

に対して、ボランティアなどが行う日本語教室や日本語学校に通うための支援を行うべき

である。また、就労に関しては明らかに差別を行っており、国の政府機関や地方自治体も

そうした企業や外国籍の人々への支援を行うべきであり、労働条件の改善や賃金の見直し

などを行う必要がある。

そして、若者世代が社会上昇するためにも、その日本語能力のハンデに左右されず、教

育を受ける機会を提供し、受け入れ後も学習の支援体制を築くなど、今よりもさらに教育

に力を注ぎ、彼らの可能性を広げていくことが重要である。

また、日本人の考え方や価値観、外国籍の人々に対する偏見や先入観が、外国籍の人々

を取り巻く様々な問題に影響を及ぼしていると考えられる。そのため、これらの問題を解

決するためには、教育の場や外国籍の人々がもっとも多くの日本人と接する場でもある職

場などで、より多くの日本人が外国籍の人々について理解できるような教育をしていくこ

とが必要なのである。

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日本人側の認識と理解を得ることによって、日本人の外国籍の人々に対するイメージや

固執概念、差別問題や職業問題なども改善でき、国籍に左右されることなく、様々な面で

の選択の自由が広がることにも繋がるのではないだろうか。

(5)文化・価値観の問題 ベトナム人が日本社会に対して感じていること、日本に住む上で抱える課題やベトナム

人の生活から見えてくる問題点などを模索することによって、日本社会を中心に捉えて物

事を見ることで見えなくなっている課題や見失っている問題点を、違った視点から探るこ

とができる。

多くのベトナム人が感じているのは、日本の生活は多忙過ぎるということである。その

ことによって、友人や親戚との付き合い、家族間のコミュニケーションなどが極端に減少

し、家族愛や友情が薄いのだという。

2007 年に 7 年振りに帰省した筆者は、ベトナムに居住するベトナム人の家族の暖かさ

に触れ、お互いに大事にする気持ちや誰かが一人でも欠けることのできないような家族形

態がとても情熱的に思え、ゆったりと流れる時間を味わいながら知人の家を訪ねたり、親

戚のお手伝いなどをしたり、様々な人間関係の情愛に触れ、感銘を受けずにはいられなか

った。また、仕事よりも友人や家族を大切にし、残業をするか否かは自ら決定することが

でき、休みたい時には休めるなど、仕事に縛られすぎず、過労し過ぎることも少ない所も

あった。

しかし、日本への帰国後、ベトナムの世界観で改めて日本を見直した時、多くのインタ

ビュー回答者も語ってくれたように、日本の生活は多忙過ぎるのだということ、将来への

漠然とした不安を抱えながら、仕事に邁進し続ける結果、人間関係が希薄になりがちなの

ではないかということに気づかされた。

このように、彼らベトナム人が抱えるベトナムと日本での生活のギャップという観点か

ら、日本社会を見てみると、日本人だけの視点から見ていたのでは可視化されにくい部分

を、浮き彫りにすることが可能なのかもしれないと感じた。そして、ベトナム人の目を通

して可視化にされた課題を解決する努力を行うということは、結局のところ、日本人を含

めた日本社会自体の豊かさにつながっていくと考えられるのではないか。

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参考文献

アジア・アフリカ研究所 編(1978)『ベトナム 下』水曜社

神奈川県県民部国際課(2001 年 8 月)『神奈川県外国籍住民生活実態調査報告書』かなが

わ自治体の国際政策研究会

神奈川県渉外部国際課『平成十年度「内なる国際化地域フォーラム」レポート』神奈川県

川上郁雄(2001)『越境する家族 在日ベトナム人系住民の生活世界』明石書店

木村汎/グェン・ズイ・ズン/吉田元夫(2000)『日本・ベトナム関係を学ぶ人のために』世

界思想社

松本基子(1986)『インドシナ難民の我が国での受け入れ』社会福祉

桜井由躬雄 編 (1995)『もっと知りたいベトナム』弘文堂

坪井善明(1994)『ヴェトナムー「豊かさ」への夜明け』東京:岩波書店(岩波新書)

参考 HP

外務省法務局 HP(2007.1.30)http://www.moj.go.jp/PRESS/050617-1/050617-1-1.pdf

難民事業本部 HP(2006.11.29)http://www.rhq.gr.jp/japanese/know/ukeire.htm