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Meiji University
Title明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関
係訴訟(上)
Author(s) 村上,一博
Citation 法律論叢, 85(6): 497-537
URL http://hdl.handle.net/10291/16142
Rights
Issue Date 2013-02-28
Text version publisher
Type Departmental Bulletin Paper
DOI
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/
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法律論叢 第八五巻 第六号(二〇一三・二)
【論 説】明
治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員
選挙関係訴訟(上)
村 上 一 博
目 次
1 ・はじめに―選挙干渉と選挙関係訴訟―
2 ・富山県第四選挙区(砺波郡)における選挙干渉
y 砺波の民権運動
z 砺波の選挙干渉
3 ・富山県第四選挙区(砺波郡)における選挙関係訴訟
y 第一次訴訟(選挙委員から選挙長に対する選挙投票不当決定取消請求)
a.富山地方裁判所判決
b.大審院判決
z 第二次訴訟(選挙人から選挙長に対する選挙投票不当決定取消請求)
a.富山地方裁判所判決【以上、本号】
b.同判決に対する評価【以下、次号】
c.大審院判決
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{ 第三次訴訟(島田孝之から武部其文に対する当選無効請求)
a.大阪控訴院判決
b.大審院判決
c.大阪控訴院中間判決
d.大審院中間判決
e.大阪控訴院判決
f.大審院判決
| 第四次訴訟(島田孝之から武部其文に対する訴訟費用請求)
4 ・むすび
1 ・はじめに―選挙干渉と選挙関係訴訟―
第一回帝国議会が開会中の明治二四(一八九一)年一月二〇日に焼失した議事堂が再築され、同年一一月二六日、
第二回帝国議会が開院された。この議会で、第一次松方正義内閣は、国防態勢の強化拡充を図って、明治二五(一八
九二)年度予算・法律案を提出したが、「政費節減・民力休養」をスローガンに掲げた民党側の激しい抵抗に遭い、軍
艦製造費の全額削除をはじめとして予算案の大幅な削減を余儀なくされ、また私鉄買収法など重要法案も否決された。
このため、開院から僅か一ケ月後の明治二四年一二月二五日、松方首相は、衆議院の解散に踏み切ったのである。
わが国最初の衆議院解散を受けて、第二回目の臨時衆議院議員選挙(明治二五年二月一五日投票)が行われることと
なったが、松方内閣は、民党派議員の当選阻止を謀り、品川弥二郎内務大臣・白根専一内務次官を参謀として、大規
模な選挙干渉に打って出た。選挙を控えて、一月二八日に、予戒令(勅令第一一号、地方長官に言論・集会等を制限
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する予戒命令を発する権限を付与した)を発して民党を牽制したほか、府県知事に対して、(1)政府反対議員の選挙区
においては有力な対立候補を選定して支援するとともに、(2)政府反対議員の当選を極力妨害するよう指示した。全国
各地、とくに東京・大阪・富山・石川・滋賀・高知・熊本の各府県において、官憲による様々な選挙妨害が行われ、ま
た民党・吏党それぞれの候補者・支持者や壮士たちが衝突して、民党支持者を中心に多数の死傷者を出す事態となっ
た。選挙期間中の全国の死者は二五名、負傷者は三八八名に及んだと言われている。
この明治二五年に起った選挙干渉事件については、すでに全国規模で数多くの研究があり(1) 、富山県における選挙干
渉の実態や当選無効訴訟の経緯についても、いくつかの先行研究がある(2) 。富山県第四区の事例が注目されたのは、①
第三帝国議会における選挙干渉批判の演説で度々言及され(3) 、判決内容と議員資格に関して国会質問書が提出されるな
ど、選挙干渉の象徴的な地域として知られていたからであり、さらには、②全国各地で当選無効訴訟が提起されたが、
当選者の変更が認められたのは、岩手県第一区・富山県第四区・高知県第二区の三件(4) にすぎなかったからである。もっ
とも、従来の研究は、選挙干渉の実態の解明に力点が置かれたため、選挙関係訴訟については、資料不足や事実誤認
もあって、未解明な部分が多かった。しかし、近年、末木孝典氏の精力的な研究によって、選挙干渉に関して複数の
訴訟が同時並行的に進行していた事実が明らかとなってきた(5) 。
そもそも、明治二二年二月一一日公布の「衆議院議員選挙法」(法律第三号)および翌明治二三年一月九日(『官報』
一月一〇日)公布の「衆議院議員選挙法施行規則」(勅令第三号)によって、衆議院議員選挙関係の訴訟としては、(1)選
挙不当決定取消請求、(2)当選無効請求のほか、(3)選挙人名簿訂正請求、(4)選挙違反事件などが提起されるようになるが(6) 、
富山県第四区や高知県第一区では、同一選挙区の紛争で複数の訴訟が次々と提起され、これらの裁判が錯綜しながら
進行していったのである(7) 。
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ちなみに、大審院判決から確認することができる「衆議院議員当選無効」訴訟のうちで、最も早い時期のものは、明
治二五年一月一九日判決(明治二四年第二四六号事件)である。この判決は、第一回衆議院議員選挙の群馬県第四区
において当選した木暮武太夫の得票のうち無効票を除けば、島田音七の得票が三票勝るとした原審(東京控訴院)判
決について、「不知ノ答述ヲ採用シ且ツ判決ノ要点ニ理由ヲ付セサル裁判」で破棄を免れないとしながらも、衆議院が
解散された以上、本案の曲直を判断する必要なしとして、木暮からの上告を棄却したものである。
第二回衆議院議員選挙では、選挙干渉のために、選挙後、全国各地で相当数の選挙関係訴訟が提起されたと推測され
るが、大審院判決から確認される「衆議院議員当選無効」訴訟(訴訟の名称は当選無効訴訟であっても、実質的に「選
挙不当決定取消」訴訟である二件を除外した)は、全五件(そのうち三件は同一事件)である。これらはすべて、①
岩手県第一区、②富山県第四区、③高知県第二区の事例であり、いずれの事例においても当選人の交代が認められた。
岩手県一区では、上田農夫が、現職であった自由党の谷河尚忠を、四票差で破って当選したが、谷河からの当選訴
訟で、大審院は、上田への投票者中一四名と、谷河への投票者中六名が、選挙当日において無資格者すなわち一五円
以上の納税地面積が不足していたと事実を認め、上田の当選無効と、得票次点であった谷河の当選を認めた宮城控訴
院判決を支持し、上田からの上告を棄却した(明治二五年第四九一号事件、明治二五年一〇月四日判決)。
高知県第一区では、開票時に、県知事が任命した中摩速衛選挙長が、民党(自由派)候補への投票を朗読せず、吏
党(国民派)候補への投票に読み替えるという不正操作を行って、吏党候補を当選させたが、自由派側は、(1)選挙人に
よる選挙権回復請求訴訟、(2)選挙長と選挙委員に対する刑事告発(投票偽造罪)、(3)片岡健吉・林有造から片岡直温・
安岡雄吉に対する当選無効訴訟を次々と提起し、結局、明治二六年六月九日の大審院判決(明治二六年第二九四号事
件)によって、片岡直温と安岡雄吉の当選無効が確定、判決の二カ月後の八月三日、県知事から片岡健吉と林有造に
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当選状が交付されて決着した(8) 。
本稿では、富山県第四選挙区(砺波郡)における選挙関係訴訟について検討してみたいのだが、当該選挙区(砺波
郡)では、富山県における立憲改進党の領袖であった現職議員(明治二三年の第一回衆議院選挙で当選)の島田孝之(9)
に対して、北陸自由党に属した代言人の武部其文(10) が立ち、島田およびその支持者らに対し「寒中に血花を散らし、腥
風雨血の惨を見」るに及んだ激しい選挙干渉が展開された結果、一旦は選挙会が武部の当選を告知したものの、島田
側から当選無効訴訟などが提起されて、島田の当選に決したことが知られている。以下では、先行研究を基礎として、
北陸自由党の機関紙であった『北陸政論』(明治二三年九月に、大同派の機関紙であった『北陸公論』﹇明治二二年四月
創刊﹈を改題して発刊)に掲載された社説・雑報記事などを主な資料としながら(11) ―なお、立憲改進党の機関紙であった
『富山日報』(明治二一年七月に、『中越新聞』﹇明治一七年一月創刊﹈を改題して発刊)は、明治二四年七月〜二七年
一二月のほとんどの号が残存していないため、利用することができなかった―、複数の選挙関係訴訟の経過をできる
限り詳細に跡づけるとともに、右の新聞記事の内容についても検討してみたい。なお、富山地方裁判所および大阪控
訴院の判決については、当該時期の民事判決原本の全部あるいは殆んどが亡失しているため、内容を確認しえないが、
大審院判決については、民事判決録・裁判粋誌に加えて、民事判決原本を用いて判決内容を検証することとしたい。
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2 ・富山県第四選挙区(砺波郡)における選挙干渉
y 砺波の民権運動
富山県における自由民権運動を語るとき、稲垣示(12) と島田孝之の名前を逸することはできない。稲垣は、明治一三(一
八八〇)年一月、板垣退助・後藤象二郎らによって創設された愛国社の運動に共鳴、立志社を結成して、国会開設運
動に参加した。明治一四(一八八一)年に国会開設の詔勅が発せられ、中央で一〇月に自由党が、翌一五(一八八二)
年三月に立憲改進党が結成されると、富山でも、官界を去って帰郷した島田が、砺波郡の出町に北辰社を作り、さら
に同年五月には高岡超願寺で五〇〇余名を会して越中改進党を、これに対して、稲垣らは同年一月に高岡瑞龍寺で同
志三〇〇余名とともに北立自由党を結成した。その後、明治一八(一八八五)年の大阪事件で稲垣は入獄することと
なり、また後藤象二郎らによる大同団結運動をうけて、明治二〇(一八八七)年九月、当時富山県会議長であった島
田の発起により、富山県会を中心として、自由・改進両党の懇親会が実現し、憲法発布・地租軽減・集会言論の自由
について政府に陳情することが決議されたが、陳情手続きをめぐって分裂、自由党系は大同主義に賛成して、明治二
一(一八八八)年七月、中越大同倶楽部を結成した(武部其文もこれに参加)。井上馨に代わって大隈重信が外務大臣
に就任すると、中越大同倶楽部は大隈の条約改正案に反対の立場をとったが(中止建白書を提出)、他方、改進党は断
行建白書を提出した(島田・安念次左衛門・大矢四郎兵衛らが連署(13) )。
立憲改進党は、島田を中心に一致団結したが(砺波郡では島田のほか、大矢・安念・西能源四郎・河合八十八・石
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崎彦太郎らが知られる)、大同団結派はその後、立憲自由党(主に呉東が地盤)を結成、さらにそこから国民自由党が
分派した(稲垣﹇射水郡﹈が中心、砺波郡では武部・上埜安太郎が知られる)。国民自由党は、稲垣によって、明治二
四年八月には北陸自由党として再編されることになる。このとき、稲垣はひそかに政府と通じ、吏党結成の内旨を受
けていたとの説があり、北陸自由党は吏党的立場に近かったとも言えるが、地租の軽減や言論の自由の拡張を評議す
るなど、従来の民権主義の立場も残していた(14) 。
なお、富山県における政党とその機関紙としての新聞の対応関係を示すと、次の通りである。
立憲改進党(越中改進党、明治一五年)
島田孝之(主幹)・大橋十右衛門・大矢四郎兵衛・安念次左衛門ら
『中越新聞』(明治一七年一月発刊)・・・山野清平・関野善次郎
⇒
『富山日報』(明治二一年七月改題)
北陸自由党(明治二四年八月)
沿革・・大同団結派→
立憲自由党→国民自由党
稲垣示(主幹)ら
『北陸公論』(明治二二年四月発刊、大同派機関紙)・・・五十嵐政雄・横山隆通・武部其文・堀二作ら
⇒
『北陸政論』(明治二三年九月改題)
北陸自由党の機関誌であった『北陸政論』紙上では、改進党および立憲自由党に対する辛辣な批判が展開されてお
り、自党を「正義派」あるいは「真民党」と唱える一方、両党を「偽称民党」「民盗」、改進党を「売国党」「耶蘇教」、立
憲自由党を「土木党」などと罵って止まなかった(15) 。他方、立憲改進党の機関紙であった『富山日報』については、前
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述のように、当該時期のほとんどの号が残存しておらず、内容を検討することができない。その点で、利用する新聞
資料に政治的偏頗があることに留意しておく必要があろう。
z 砺波の選挙干渉
干渉選挙の結果、全国では、衆議院議員の定員三〇〇のうち、民党の自由党九四・改進党三八、吏党の中央交渉部
九五、中立派の独立倶楽部三一、無所属その他四二となり、民党・吏党のいずれも過半数に届かなかった。民党は自
由党と改進党をあわせて二九議席を減らしたものの、松方内閣による選挙干渉は、所期の目的を十分に果たせなかっ
たのである。のみならず、明治二五年五月六日に第三回帝国議会が開かれると、一一日、貴族院は、選挙干渉を非と
する建議案を可決して、選挙干渉に関与した官吏の処分を求め、さらに衆議院では、「選挙干渉ニ関スル上奏案」こそ
僅か三票差で否決されたものの、一四日には、内閣大臣を問責する「選挙干渉ニ関スル決議案」が可決されて、松方
内閣は窮地に追い込まれた(16) 。
明治二五年当時、衆議院事務局が第三帝国議会における審議に際して、全国で起こった選挙干渉の実態をまとめた
『選挙干渉ニ関スル参考書類(17) 』には、
官吏干渉ノ総指揮官ハ鈴木﹇定直﹈警部長ニシテ森山﹇茂﹈県知事其顧問トシテ後ロニ控ヘ鈴木警部長ノ配下ニ
ハ悉クノ警察県吏随ヘシモ其中ニ就テ帷幕ノ臣トモ云フヘキハ保安課長中西五六郎富山警察署長大楽新蔵ノ二人
ニシテ其他ハ各選挙区毎ニ一名ノ長ヲスヘ本部ヨリハ主トシテ干渉ノ方法ヲ此者ニ伝ヘ而シテ支部長ハ之ヲ部下
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page505 2013/02/13 16:40
505 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
郡吏巡査ニ布命シ以テ上下一致ノ運動ヲナシ吏党候補者ヲ助ケ民党候補者ヲ妨ケタリ
とあり、選挙干渉が組織的に行われたことが窺われる。
とくに「尤モ干渉暴行等ノ甚シカリシ」富山県第四区の有様について、右書類は次のように記している。
○候補者ノ遭難
二月三日島田孝之氏吏党壮士ノ為ニ傷ケラル此際警察ノ処置ハ実ニ緩漫ニシテ加害者ヲ見ス〳〵
逃亡セシメタリ
○吏党ノ暴行
二月五日民党有志荒川懇親会場ニ吏党壮士抜刀ニテ闖入シ民党有志重傷ヲ受ク会集警官ノ手ヌル
キヲ憤リ終ニ暴漢ヲ縛ス
○暴卒巡査ト連合シテ所々ニ民党有権ヲ脅カス
警官夜装ヲ変シテ暴士ヲ卒ヒ北山田東石黒井口等ノ各村選挙人
ヲ脅カス
○投票当日ノ光景
出町東野尻尻子撫石動殖生立野藪波福岡石堤福野等ノ各投票所ニテハ放火発砲抜刀ニテ民党
有権者ヲ脅カシ棄権セシメタリ警官ハ毫モ之ヲ咎メス且民党有権者ニ危険ナリトテ危険ヲ勧ム民党有志ハ小サ
キステッキヲ持テ尚且取上ゲラル
○選挙長ノ不当決定
選挙長ハ以上ノ如ク干渉セシモ尚吏党ノ票数少カリシカバ不当ノ決定ヲナス百四十余票而
シテ同票中半バ妨ケラレテ七十六票起訴セシニ果然六十九票ノ有効ヲ認メラレタリ以テ選挙長カ行為ノ一班ヲ
窺ヒ得ルニ足レリトス
○干渉ノ証跡吏党郡長ノ口ヨリ見ハル
第四区島田対武部ノ選挙投票不当決定取消ノ訴訟三月三十日対審法庭ニ
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page506 2013/02/13 16:40
――法 律 論 叢―― 506
於テ選挙長千々岩英一(砺波郡長)代言人佐藤義彦ハ左ノ申立ヲ為シタリ
元来開票ノ当日被告(選挙長)ガ無効有効ヲ決セシハ一々当日監督トシテ派出シタル県吏二名ノ意見ニ従ヒ
且選挙委員ノ意見ヲ聞キ一定ノ標準ヲ定メ該標準ニヨリテ決シタルモノニテ被告ノ専断ニテ決シタル者ニ非
ス云々
以上のように述べて、右書類は「右ノ言ヲ見ルモ明カニ官吏ガ不法ノ干渉ヲ為シタル証跡明白ナリ」と結論してい
る。後述する島田への投票のいくつかを無効とする選挙長の決定も、作為的に行われたことが窺われるのである(18) 。
また、当時富山県巡査であった城戸與吉郎の自叙伝『世路手記(19) 』(明治二五年五月の項)には、
是歳衆議員﹇院﹈選挙あり政府の干渉甚し為に官民両派の軋轢競争激烈を加へ石動町・小杉町に殺人二名あり其
他各郡に重軽傷頗ふる多し当時予は富山署の会計主任にして大楽﹇新蔵、当時は富山警察署長兼典獄﹈より支出
したる運動費各分署長へ配当したる千弐百円なりし此時滑川分署に達する金銭携帯の飛脚は途中暴漢に掠奪せら
れたり其金額三百五拾円なり・・・
とあり、選挙干渉のための運動費が警察署長から各分署に配分されていたことが分かる。県知事の命を受けた組織
的な選挙干渉が行われていたことは疑いないと言える。
もっとも、『北陸政論』は、投票期日の確定を報じるに際して、選挙人と議員候補者に対して、「金銭的に、浪費的
に、散財的に、贈賄的に、買票的に激烈」な運動を行うこと、「運動費―賄賂」の横行に強い警告を発し(20) 、衆議院議員
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page507 2013/02/13 16:40
507 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
選挙法第九〇条を引きながら賄物授受による投票は「憲法政治の神聖を瀆すもの」と断じているから(21) 、民党としての
自負は持合わせていたと考えてよいかも知れない。
武部其文が、島田孝之の対立候補に決定したことは、明治二五年一月三〇日の『北陸政論』紙上で、次のように報
じられている(22) 。
県会議員として武部其文氏の着実なる思考家たることは吾輩之を知れり、代言人として武部其文氏が温和なる法
律家たることは吾輩之を知れり、
法律家は温和なり易からずして武部氏実に温和なり、代言人は着実なり易からずして武部氏実に着実なり、明治
廿四年の臨時県会に於て又明治廿五年の通常県会に於て武部氏が終始正義の為め尽力したることは今更言ふを要
せず、氏が事に当りて緻密なる思考を絞り物に接して奪ふべからざるの志気を持するは蓋し代議士の任に適せり
と謂ふべし、
今や第四選挙区の正義派は武部氏を推て代議士の候補者たらしめたり、氏は自今越中改進党首領に対抗して毒焔
を発つの老狐的権謀家に対抗して鎬を削らざるべからず、而して正義の士が選挙競争の為め奮勇するや宜しく此
種の宣戦に於て力瘤を固めざるべからず、吁嗟砺波郡は維れ富山県に於ける隈伯崇拝家の牙城なり、此れを破る
は正義の士が最も力を尽すべき所なり、我党の選挙人よ、天に誓ッて改進党撲滅の一事を誤ること勿れ
北陸自由党の第四区候補者たらんとした荒木正修を、売国党・御用候補者をなじる記事も見出される(23) 。第四区につ
いては、当初、荒木が政府直命の候補者とされたが、「選挙区ノ模様悪シキヨリ」知事から政府へ具申し、警部長が荒
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――法 律 論 叢―― 508
木に断念させ、夜中に微行して選挙区に赴き、武部を選定したと言われている(24) 。こうした記事によれば、武部が島田
の対立候補に挙げられたのは、明治政府の直接の意向に沿ったものではなく、富山県知事を中心とした富山県政側の
自主的判断だったようである。実際の選挙運動では、上埜安太郎が武部のために資産をなげうって尽力した由である(25) 。
二月三日には、島田孝之が二名の壮士に襲撃されるという事件が起こった。『富山日報』は後年、この島田襲撃事件
について、次のように記している(26) 。
二月三日、君は出町西村方に止宿し居りしが、午前八時君は洗湯よりの帰途、二名の暴漢に要撃せらる、鮮血淋
漓、君一たび絶して漸く蘇す、而して警吏は暴漢を不問に附して之を検挙せさるなり、当時の事実を君は記して
曰く、『暗黒界に墜ちしが如し』と、真に暗黒界たりしなり・・・
犯人は、北陸自由党員の荒井初太郎らであったとも言われているが(27) 、『北陸政論』は、耶蘇教信者である島田孝之が
仏教信者に殴打されて「余程の重傷」を負ったと報じているに過ぎない(28) 。島田は数カ所刃傷を負ったものの、「軽傷ニ
シテ生命ニハ故障ナ」(29) かったにもかかわらず、『北陸政論』を見ると、島田は危篤状態に陥り、病床で洗礼を受けるほ
どで(30) 、その後も危篤状態が続き(31) 、投票当日には、死亡したとの風説まで報じられている(32) 。極めて陰湿で詐術的な投票
妨害と言えるが、『富山日報』側もまた、武部が候補を辞退した旨の記事を載せていたようであるから、両派は互いに
非難中傷・妨害の泥仕合を展開していたのである(33) 。
投票日が迫るにつれて、『北陸政論』は、改進党および島田に対する批判を一段と強めていく。「砺波郡は越中改進
党の巣窟」であり、「改進党は政治を以て一種商業と見做せるの党類」「立法権を以て行政権を攻め取るの武器と見做
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せるもの」であるから「今にして此種の人党を撲滅するにあらずんば則ち日本の国会は唯是れ告朔の
羊として・・・
寧ろ有毒無益の国会として了」ってしまう。それゆえ、「大隈党撲滅せざるべからず、大隈党の勢力を殺で・・・私欲
的人党を排斥し奮ッて温厚篤実なる正義派の武部其文氏を推薦すべし」と訴えている(34) 。
明治二五年二月一五日の投票は、一七日に選挙会による開票作業が行われた。第四区の有権者は三五五三名であっ
たが、投票妨害などによる棄権者が七四七名(このうち六八五名が民党系)の多数にのぼり、投票総数は二八〇六票
であった。開票の結果は、武部其文一三四一票、島田孝之一三〇〇票、安念次左衛門他六票、無効一五九票で、武部
其文の当選となった(35) 。
『北陸政論』は、北陸自由党が、富山県の四選挙区すべてで勝利したことを、誇らかに宣言した(36) 。
我が富山県正義派は今回の代議士撰挙に於て四名の候補者を定めたり、第一区の岩城隆常氏、第二区の谷順平氏、
第三区の稲垣示氏、第四区の武部其文氏是れなり、
岩城氏破竹の勢を以て政府党と売国党、土木党とを一目に睥睨し、谷氏脱兎の趣を以て出抜けに正義の旗を高揚
し、稲垣氏旭日の姿を以て優に第三区の魑魅罔兩を照殺し、武部氏飛龍の運を以て猛絶、劇絶に越中改進党の牙
城を撃破し、四氏共に心地善くも当撰せり、
正義勝てり、自由の元気、赫として光あり、吾輩は富山県民七十余万の為め手を揚げて之を祝せざるべからず、然
れども戦勝ちて将誇るは遂に覆亡を招く所以なり、吾輩は茲に我が正義派が全勝を得たるを祝すると共に富山県
将来の為め正義派の経営益々疎怠なからんことを祈らざるべからず、
於戯、愉絶なり、快絶なり、吾輩は七十余万兄弟と共に真民党の全勝を祝す、
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――法 律 論 叢―― 510
正義派万歳!、正義派万歳!、正義派万歳!
西金城
三唱
この結果を受けて、北陸自由党は、連日のように、各所で武部当選の祝賀会を催し、次いで、二月二六日付で当選
状も送付されて、富山県知事の思惑通り、武部の当選が決定したかに思われた(37) 。
3 ・富山県第四選挙区(砺波郡)における選挙関係訴訟
y 第一次訴訟(選挙委員から選挙長に対する選挙投票不当決定の取消請求)
a.富山地方裁判所判決
『北陸政論』は、『富山日報』の報道として、砺波郡の千々岩選挙長が選挙委員の意見を
退けて島田への投票二八〇票を無効と決した旨の記事を伝え、選挙掛六名中五名が改進党員のため、かかる「病み附
き」が為されたこと(38) 、下馬住民が千々岩選挙長を告訴するため出富したことを報じている(39) 。
『北陸政論』は、この訴訟を「耶蘇党」による「負惜み訴訟」となじりつつ、①金沢市の西永公平を代言人に頼んで
(相川久太郎代言人が後ろ盾)、下馬十余人が出富し、西永公平及び頼成村の長久太一が有権者百余名の総代として、
また、②石黒村大字和泉村の石崎宇三郎が選挙立会人の資格で、それぞれが、千々岩選挙長の不当決定の取消を求め、
無効とされた一五五票を島田の得票とすべき旨の訴訟を富山地裁に提出したと報じている(40) 。
この時点では、『北陸政論』は、裁判の成り行きを楽観視していたようである。「無効投票」と題した論説では、一
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511 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
票でも多く票を有効とすることが選挙の本意であり、選挙長も選挙委員も投票点検にあたっては、自党他党の別を忘
れて心気を平にして公平を持すべしとしたうえで、誤字による無効の問題に論を進める(41) 。
彼の「孝之」を「孝六」と誤り「孝三」と誤りたるが如き若し単に字画の誤りならば之を有効とするの道なきにあ
らずと雖も選挙人果して初より明に「孝六」と記し「孝三」と記すの意思ありて然る後斯く記したるならんには仮
令「之」と「六」「之」と「三」の略ぼ相似たるが如きにもせよ選挙者の意思を憶測して誤字投票を有効とするこ
と寧ろ不当なり、独り此の如くなるのみならず、誤字投票の無効有効を決するは実に選挙長の職権にして法律は
之を有効とするよりも無効とするを本則とせり、選挙長の心証に於て或誤字を視る「寛仮するに足らざる」を以
てするときは則ち選挙長の心証に立ち入りつゝ法律は誤字投票に有効を命するの力を有せざるなり、否な法律の
正文を的として誤字投票の効力を論するときは裁判官寧ろ第五十一条の本則を取りて誤字を無効とするの外、選
挙長の推断を許すが為めの除外例(但書)を借りて誤字を有効と断するの道あらざるなり、誤字投票の有効無効
を論するもの豈に此理を知らずして可ならんや
そもそも、明治二二年二月の「衆議院議員選挙法」第八章第四六条以下によれば、選挙長は、郡長が務めることと
され、立会人の中から抽選で選挙委員三名以上七名以下を選ぶなど、投票および開票に関する一切の事項を決定する
権限を有しており、そこには投票の有効無効の決定権も含まれていた。
ちなみに、無効投票について、同法(第五一条)は、次のような六項目を挙げている。
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――法 律 論 叢―― 512
一 選挙人名簿ニ記載ナキ者ノ投票但シ裁判言渡書ヲ所持シタルニ依リ投票シタル者ハ此ノ限ニ在ラス
二 成規ノ用紙ヲ用井サルモノ
三 選挙人自己ノ姓名ヲ記載セサルモノ
四 資格ナキ被選人ノ姓名ヲ記載スルモノ但シ連名投票ニ列記スル人員中資格アル者ニ付テハ其ノ効アルモノトス
五 誤字又ハ汚染塗抹毀損ニ依リ記載スル所ノ選挙人又ハ被選人ノ姓名ヲ認知スヘカラサルモノ但シ通常ノ仮名
字ヲ用井又ハ誤字ニ係ルモ明ニ其ノ姓名ヲ認知スルコトヲ得ルモノハ此ノ限ニ在ラス
六 第三十八条第二項ニ規定シタル外他ノ文字ヲ記載シタルモノ但シ被選人ノ指名ヲ誤ラサル為ニ其ノ官位職業
身分住所ヲ附記シ又ハ敬称ヲ用井タルモノハ此ノ限ニ在ラス
(なお、「選挙人ハ投票所ニ於テ投票用紙ニ被選人ノ姓名ヲ記載シ次ニ自己ノ姓名住所ヲ記載シテ捺印」しなけれ
ば、無効となった)
投票効力について疑義のあるとき、選挙委員は意見を述べることはできたが、決定権は選挙長にあり、この決定につ
いて選挙会場で異議を申し立てることは許されなかった(第五二条)。また、選挙長は、選挙点検に関する一切の事項
を記載した選挙明細書を作成・署名・保存する義務を負ったが、選挙委員も同書に署名することとされた(第五七条)。
しかし、明治二三年一月の「衆議院議員選挙法施行規則」は、その第二九条において、「選挙法第五十二条ノ選挙長
ノ決定ニ対シ異議アル者又ハ第七十六条ノ投票所管理者ノ決定ニ対シ不服ナル者ハ始審裁判所ニ出訴スルコトヲ得此
ノ場合ニ於テハ選挙法第二十六条ノ例ニ依ル」と規定し、選挙長の投票無効決定に対して、始審裁判所に出訴する道
を開いていた。
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513 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
開票結果の点検に際して、石崎宇三郎・館五郎平ほか五名の選挙委員は、千々岩英一選挙長(砺波郡長)による大
量の投票無効決定に異議を唱え、選挙明細書への署名を拒否したようであり、石崎宇三郎ほか五名は、二月二五日に、
西永公平・桑田房吉を代言人として、選挙長を相手取り、「不当決定取消訴訟」を、富山地方裁判所に提起した(被告
側代言人には、佐木龍次郎と佐藤義彦が任じられた
(42)(43) )。
最初の対審は三月一八日に予定され、傍聴のため、正義派から上埜安太郎ら二〇余名、改進党から坂井與次右衛門ら
下馬の一四〜一五名と雇い壮士四〜五名が繰り出したが、佐藤義彦代言人が病気のため、二一日に延期された(44) 。三月
二一日の公判では、傍聴者は六〇名程度(正義派から砺波郡の太田作平・白井庄二ら約三〇名、改進党側から坂井與
次右衛門・武部冉之ら下馬の約二〇名)という盛況であった(45) 。同日の公判において、被告側代言人の佐藤義彦は、原
告たる石崎宇三郎は、「自身の投票に対し出訴した」のではないから、本件と直接の関係なき者であり、公益に関して
誰でも出訴しうるものでないこと、佐木龍次郎はさらに、選挙規則第五二条は選挙立会人に出訴権を認めたものでな
い旨を主張(立会の大井検事正も同意見)した(46) 。ちなみに、『北陸政論』は、選挙長の職務は郡長市長の公職に伴うも
のであるのに対して、選挙委員の職務は多数の選挙人に代わって選挙事務を監視するに止まり、選挙会が終われば消
滅する便宜上仮に設けられた名代人に過ぎないから、原告側代言人のように、選挙委員の職務を選挙長に比するのは
「無知の極」であると断じている(47) 。
三月二三日に下された判決の詳細は、前述したように、富山地裁の判決原本が亡失しているため確認できないが、
『北陸政論』によれば、「原告石崎宇三郎等は選挙立会人の資格を以て本案訴訟を提出せしも右は衆議院議員選挙法第
五十二条の明文により出訴権の無きものなれば被告代言人が妨訴申立の如く本案訴訟は成立せざるにより棄却すべし」
との趣旨であった(48) 。ちなみに、この判決当日は、後述するもう一つの訴訟(第二次訴訟)の第一回公判日でもあった
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――法 律 論 叢―― 514
ため、傍聴席には、羽島検事、中川砺波郡書記および富山組合代言人一同(武部を除く)のほか、正義派・耶蘇派併せ
て、六〇余名が占めていたと言う(49) 。
b.大審院判決
石崎・館ら五名は、この判決を不服として、大審院に上告(七月九日上告受理)したが、一〇月
八日、大審院は上告を棄却した。大審院は、富山地裁判決を全面的に支持し、衆議院議員選挙法第五二条および同施
行規則第二九条に定める選挙長の決定につき異議あるとき云々の規定は、一般有権者(選挙人)を対象としたもので
あって、選挙委員には原告適格がないと判旨したのである(50) 。
明治廿五年第二百廿九号
判 決 原 本
富山県越中国砺波郡出町大字深江村四百五十四番地
平民農富山県第四区衆議院議員撰挙委員
上告人
館
五郎平
外五名
右訴訟代理人代言人
桑
田
房
吉
山
谷
虎
三
同県砺波郡長同県第四区衆議院議員選挙長
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515 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
被上告人
千々岩
英
一
右訴訟代理人代言人
山
田
喜之助
館五郎平等ヨリ千々岩英一ニ係ル衆議院議員選挙投票不当決定ニ対スル取消請求事件ニ付富山地方裁判所カ明治
廿五年三月廿五日言渡シタル判決ニ対シ上告人ハ全部破棄ヲ求ムル申立ヲ為シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ為シ
タリ
判決主文
本件ノ上告ハ之ヲ棄却ス
上告費用ハ上告人之ヲ負担ス可シ
理 由
上告第一第二ノ趣旨ハ帰スル所明治廿二年法律第三号衆議院議員選挙法第五十二条ノ法文ハ明治廿三年勅令第三
号衆議院議員選挙法施行規則第二十九条ノ規定ト相待テ選挙委員モ選挙長ノ決定ニ対シ選挙長ヲ被告トシ出訴ス
ルヲ得可キヤ否ヤノ一点ニ止ルモノトス依テ右選挙法第五十二条ヲ閲スルニ「投票効力ノ有無ニ付疑義アル時ハ
選挙委員ノ意見ヲ聞キ選挙長之ヲ決定ス此決定ニ対シテハ選挙会場ニ於テ異議ヲ申立ルコトヲ得ス」又施行規則
第二十九条ニ「選挙法第五十二条選挙長ノ決定ニ対シ異議アル者ハ始審裁判所ヘ出訴スルコトヲ得」云々トアリ
此法文ハ恰カモ選挙委員ニモ通シテ適用シ得ラル可キカ如クナレトモ抑モ該委員ナル者ノ職務如何ハ選挙法第四
十七条「選挙長ハ各投票所ヨリ集会シタル立会人ノ内ヨリ抽籤ヲ以テ選挙委員三名以上七名以下ヲ定ム可シ」ト
アルニ始リ同第五十七条「選挙長ハ選挙明細書ヲ作リ選挙点検ニ関ル一切ノ事項ヲ記載シ選挙委員ト共ニ署名シ
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――法 律 論 叢―― 516
之レヲ保存ス可シ」トアルニ終リ他ニ何等所作上ノ視ル可キ者アルニアラサレハ其職務ハ閉会ニ伴ハレテ自然消
滅ス可キ筋合ナリ左レハ選挙法第五十二条後段ノ法文ハ委員其者ニ応用ス可ラスシテ一般有権者ヲ指シタルモノ
ト解釈セサルヘカラス故ニ原裁判所カ右第五十二条後段ノ法文ヲ掲ケ其会場ニ参観シアリシ投票有権者等ヲ指示
シタル法意ナリト云ヒ尋ヒテ「原告委員等ヨリ云々施行規則第二十九条ニ基キ本訴ヲ提起シタルハ被告抗弁ノ如
ク失当ノ訴訟ナリトス」ト言渡シタルハ相当ニシテ毫モ不法ノ裁判ニアラサルモノトス
大審院第二民事部
裁判長判事
高
木
勤 ㊞
判事
増
戸
武
平 花押
判事
岡
村
為
蔵 花押
判事
谷
津
春
三 ㊞
判事
井
上
正
一 花押
判事
小
杉
直
吉 ㊞
判事
児
玉
淳一郎 花押
明治廿五年十月八日判決言渡
明治廿五年十月十四日原本領収
書記
西牟田
豊
親 ㊞
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517 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
z 第二次訴訟(選挙人から選挙長に対する選挙投票不当決定の取消請求)
a.富山地方裁判所判決
右に述べた石崎ら選挙委員からの訴訟とは別に、二月二五日に、第四区選挙人(小竹助四
郎外一〇三名)から選挙長(千々岩英一)に対して、「衆議院議員選挙投票不当決定ニ対スル取消請求」の訴えが、富
山地方裁判所に提起されている(この訴訟でも、原告側代言人は、西永公平と桑田房吉、被告側代言人は佐木龍次郎と
佐藤義彦であった)。『北陸政論』の言う「負惜み第二訴訟」である。当初は、二月三〇日に初審が予定されていたが、
原告代言人から期日短縮の申請があったため、三月二三日に第一回公判が行われた(51) 。二三日は、第一訴訟の判決日で
もあり、石崎選挙委員からの請求は訴権なしとの理由で棄却されたため、被告側代言人は、訴訟委任状の疑義に加え
て、右と同様な理由に基づく妨訴を申し立てた。すなわち、民事訴訟法第一九五条第一項および第二〇六条に言う「権
利拘束」は、「事件及ひ原被両造の同一なる場合に於て裁判を異にすれは或は判決に矛盾を生し執行に苦むより設けら
れた法律」であり、本訴の場合も事件・原被両造も同一であると主張した(佐木代言人(52) )。しかし、休憩後に再開され
た法廷では、民事訴訟法第一九五条および第二〇六条により、権利拘束を理由とした被告代言人の申立は退けられて、
事実調べに入った(53) 。事実調べでは、原告側代言人は、投票および選挙名簿、選挙明細簿の取り寄せを申請している(54) 。
こうした第一回公判の模様を伝える傍ら、『北陸政論』は、当該訴訟に、武部其文が訴訟参加すべきことを求めてい
る(55) 。
吾輩は第四区の当選者なる武部其文氏が此場合に於て自己の利益を保護せんが為め訴訟参加人となるの当然なる
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――法 律 論 叢―― 518
を知れり、訴訟内の幾票にして有効を宣言せらるゝものあるときは訴訟外、同類の幾票をして同一の裁判を蒙ら
しめんが為め、即ち投票効力の裁判に依りて自己の当選が損害を受くることを防がん為め原告(選挙人)と被告
(選挙人)との間に介して訴訟に参加するの極めて必要なるを知れり、苟も裁判の結果をして選挙の結果を傷けざ
らしめんことを期せば今に於て武部代議士の訴訟参加人たらんこと豈に夫れ已むべけんや
三月二八日の第二回公判では、原告側が請求した選挙名簿と選挙明細簿の取調べが行われ(56) 、被告側代言人には、佐
木龍太郎に代わって、服部猛彦と山岸佐太郎が加わった(57) 。この日の証拠調べにおいて、原告一〇五名中三〇名が訴訟
から脱退している(58) 。また、同日の傍聴には、正義派・耶蘇派のほか角袖巡査二〜三名が交じっていたという(59) 。
続く、三月三〇日の第三回公判において、本案審理が開始されている。原告側の主張の大要は、次の通りである。出
訴の際は、砺波郡下庄村大字矢木村の小竹助四郎ほか一〇三名の無効投票を島田孝之への有効投票として扱うよう求
めるものであったが、二八日に投票取調により既に有効となっていた分は訴訟の権利を失ったとして、五七名につい
てのみ求め、また千々岩選挙長は無効決定に際して、第一被選人の認知すべからざるもの、第二選挙人名簿に選挙人
の名当なきもの、第三選挙人名の認め得ないもの、第四選挙人の住所を記せざるもの、第五選挙人住所の不明なるも
のという標準によって、五七票を五種に分けて論じ、衆議院議員選挙法第五一条第五項但書の「誤字ニ係ルモ明ニ其
ノ姓名ヲ認知スルコトヲ得ルモノハ此ノ限ニ在ラス」を根拠として、同区の候補者は武部其文と島田孝之のみである
から、たとえ鳥田あるいは教三とあっても全て島田として有効とすべきだと主張した。これに対して、被告側は、第
五項本文の「誤字又ハ汚染塗抹毀損ニ依リ記載スル所ノ選挙人又ハ被選人ノ姓名ヲ認知スヘカラサルモノ」を根拠と
して、鳥田孝之や島田孝六を島田孝之と決定すべき言われはない。姓名の認知とは投票面にあらわれた文字によって
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519 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
島田か鳥田かを認知するという意味であって、決して鳥田とあるのを島田と認知することではない。ましてや、選挙
名簿に名当なきもの、住所不記載のもの、無捺印のものは無効であり、これらの無効投票を一束にして島田孝之への
有効投票とみることは決して為し得ないと抗弁した。また、立会の大井検事正は、選挙法第一条の精神は、認知でき
るものは成るだけ有効となすべしとの法意であるが、本件投票の認知と否とは、裁判官の公断に一任すべきである。
もっとも、選挙人住所の不記載を無効としたのは不当な処置であると述べている(60) 。
判決は、四月四日に下され、原告七五名のうち六九票が島田孝之に対する有効投票と認められた。その要旨は、投
票面に顕れた島田孝三や島田彦六といった文字は選挙当時、選挙人が島田孝之に投票する意志を持ちながら誤写した
ものであることは、当時の種々の事情から察して明瞭であるから、選挙法第五一条第五項但書により、第一二三種類
即ち姓名の認知し得ない無効投票五六票(五七票のうち一票取下げ)の内五票を除き五一票を有効とし、さらに第四
五種類即ち選挙人住所の認知し得ない無効投票一八票を合わせて、六九票を有効と判示したのである(61) 。
判 決
富山県砺波郡庄下村大字矢木村百十三番地平民農
原 告
小
竹
助四郎
外七十三名
石川県金沢市出町四番町十九番地
代言人士族
右訴訟代理人
西
永
公
平
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――法 律 論 叢―― 520
富山県砺波郡東般若村大字東保村五千廿五番地平民農
原 告
長
久
太
一
東京府東京市神田区表神保町十番地平民代言人
右訴訟代理人
桑
田
房
吉
富山県第四区衆議院議員選挙長
富山県砺波郡長
被 告
千々岩
英
一
仝 富山市総曲輪二百七十四番地士族代言人
右訴訟代理人
佐
藤
幾
彦
仝市同町八十四番地平民代言人
仝
山
岸
佐太郎
仝市千石町百六十七番地士族代言人
仝
服
部
猛
彦
右当事者間の衆議院議員選挙投票不当決定に対する取消事件に付当地方裁判所は検事大井治義立会双方の弁論及
検事の意見を聴き判決すること左の如し
判 決
被告選挙長か無効と決定して甲第一号証第六節第一乃至第五に掲くる投票中原告等か為したる投票七十五票の中
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page521 2013/02/13 16:40
521 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
富田宗右衛門村岸孫九郎岡嶋助三郎遠藤與三平平田源右衛門
師嘉作の分に当るべき六票を除き其他六十九票を
有効ならしめんとする原告請求は至当なるに因り右六十九票は悉く之を有効なりと判定す然れども前顕富田宗右
衛門外五名の分に属すべき六票をも共に有効ならしめんとする原告請求は不当なるを以て此の六票に関する原告
請求は之を棄却す従て訴訟費用は其十分の一を原告に於て其他は総て被告に於て之を担当すべし
事 実
原告代理人は原告等は富山県第四区衆議院議員の選挙有権者にして選挙を為したるものなり被告は其選挙長なり
而して原告等七十五名は島田孝之を候補者と為し同人を当選せしめんと欲し投票を為したり尤も其投票は総て完
全にして一も無効と為るべきものあらざるに被告は選挙委員多数の反対なるにも関せす無効なりと決定したり而
して其理由を聞くに選挙明細書第六節第一より第五に至るまての理由を以て無効と為したり即ち第一被選人誰た
るを認知し難きもの第二選挙人選挙名簿に名当なきもの第三選挙人誰たるを認知し難きもの第四選挙人住所記載
なきに依り何人たるを認知し難きもの第五選挙人住所記載方不分明に付何人たるを認知し難きもの以上の廉を以
て無効と決定せられたり然れども原告等に於て一も認知し難き記載方を為したる投票は致さゞるなり仮りに多少
の誤字若くは見易からさる記載方を為したる一に投票ありとするも元来富山県第四区の候補者は武部其文島田孝
之の両名なることは社会に於て掩ふへからさる事実なれは決して被選人の誰たるを認知し難きものあらさるなり
又選挙有権者に於て投票を為すものなれは選挙人名簿ある以上は選挙名簿に名当なきもの或は選挙人の誰たるを
認知し難き理由あらざるなり
又選挙人住所の記載なきか若くは不分明なるものあるも決して無効の投票なりと云ふべからざるなり然るに被告
は此等の投票を無効なりと決定したるは不当なるに付茲に有効なりとの判決を受け度又原告の内筱岡貞次仝與四
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page522 2013/02/13 16:40
――法 律 論 叢―― 522
平仝與次朗平の筱の字が篠の字に記載せざりしとて無効なりとせられたるも元来筱の字は篠の字の古字なるのみ
ならず原告等の姓は筱の字を記載する方正当にして現に原告の戸籍簿には筱の字を記載しあるなりと主張し其他
被告に於て全国他の選挙長に問合せ且選挙委員の意見を聴き予め一定の標準を立て而後ち決定をなしたる旨申立
るも此等の事実は原告に於て見認る能はざるのみならず法律以外に立てたる標準の為めに原告等の投票を無効な
りと決定せらるべき謂れなしと陳述し尚ほ又選挙法第五十一条は制限的の条項にして本条項以外に無効の制裁を
求む可からず且つ本条第五の但書の趣旨は参政権を尊重するの意に出て成るべく投票を無効ならしめさらんこと
を慮りたる精神なりと弁し前訴旨を拡張したり
被告代理人は原告等は孰れも選挙有権者なりとの事実は之を看認む然れども元来被告に於て原告等の投票を無効
と決定したるは理由各仝一ならずと雖も要するに違法にあらざるは勿論選挙会を開き投票函廿七個中始め四五函
を開くや多少の疑義ある投票を発見せるに付選挙委員一致の意見を採用して一定の標準を定め是に因て其効力を
決定せるものなり故に原告の請求は応ずべき理由なし加之ならず第一種の無効投票に属する分の内田島與三郎高
田清次郎高畠與平吉永要次郎森田徳兵衛坊田次郎右衛門岡島徳右衛門荒木宗平の投票の如きは啻に被選人の誰た
るを認知し難きのみならず選挙人の誰たるを認知し難きに依り之を無効と決定したるなり又原告は筱岡の筱の字
は篠の古字なる旨申立ると雖も被告は古字までをも取調べ置くの責任なし其他選挙人住所の記載なきか或は不分
明なるものゝ如きは選挙法第五十一条に無効なりとして掲けざるも畢竟住所の記載なきか若くは不分明なる時は
大部なる選挙人名簿中より一々之を見出すことを得ざるに付之を無効と為さゞる可からず且又石崎徳左衛門の投
票の如きは其名下に捺印なきのみならず原告本人の直筆にあらざりしを以て是亦無効と決定したる次第なり而て
被告は成るべく公平の決定を為さんと欲して他区選挙長の振合を問合せたることは乙第一号証を以て証明し得ら
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523 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
るべしと信ずと陳述し尚又被告は候補者云々と主張すると雖も元来候補者なるものは法律に之れなく従て原告が
被選人の誰れなるを認知し得るは容易なりとの申立は不当たるを免かれず殊に選挙法第五十一条第五の但書に所
謂誤字云々とあるの意は原告の如く広き意味に之を解釈す可からず故に例へば鳥田孝之と記載したる投票の如き
は島田孝之を誤記したるものと云ふ能はず明に鳥田孝之なる一個の有効投票として之を視るべきなり然るに尚強
て是れ島田孝之なるものゝ誤記投票なりと附会するに至ては鳥田孝之なる姓名の外に憶測を以て無形の事柄を想
像するものにして現に本条但書に其姓名を認知云々とありて其誰たるを認知云々と記載せられざる法文に背反す
るにあらずや因て所謂誤字なるものとは前例を以て之を云へば島と云ふ字に一画若くば一点を増し或は減じ即ち
島にあらず又鳥にもあらず到底一個の文字として之を読み下し難き場合を指示したるに外ならざれば若し原告等
に於て鳥田孝之なる投票を鳥田孝之なりとして之を有効ならしめんとする請求なりとせば固より速に之に応ずべ
き道理なりと雖も否らずして島田孝之なりと強ひ之を有効ならしめんとする請求には応じ難しと弁じ更に進んで
該条の認知といふことは行政官たる選挙長の決定に一任すべきものにして裁判所なりとも此職権内に立入り之れ
が当否を判定すべきものにあらずと論じ結局被告が公平なる処置をなしたることは武部其文の投票に就て之を観
るも輙く知り得る事実なれば速に原告請求を棄却せられ度旨答弁したり
理 由
茲に本訴判決の理由を説明し被告が無効なりと決定したる判定の当否を審査するに際りては先つ被告が何故に原
告等の投票を無効なりと決定したるや其判定の理由を調査せざる可からず而して其決定の理由は載せて選挙明細
書に在り是れ選挙法第五十三条の規定に基き記載したるものなれは被告が無効なりと判定したる理由は到底明細
書に拠るの外あらさるなり依て今明細書に掲くる順序に従ひ共無効なりと決定したる理由の当否如何を吟味する
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page524 2013/02/13 16:40
――法 律 論 叢―― 524
こと左の如し
第一条
無効投票の第一に掲くる被選人誰たるを認知し難きもの九十票中原告等に於て被告が与へたる決定に対し異議を
唱ふるものは正に五十六票なり而して此五十六票の内村岸孫九郎岡島助三郎両名の為したる投票は共に鳥由為之
若くは為三と読み得て姓名共に島田考之と甚しく相違するを以て之をしも尚ほ島田孝之と記載すべきを誤りたる
ものと認知し得るとの原告申立は頗る極端に渉りたるの論にして到底認知の (ママ)抵 度を超越したる説たるを免かれず
次に富田宗右衛門の為したる投票も島田孝と記載しありて前者とは島田孝之なる姓名に稍接近するも現に其名に
脱字ありて誤字あるものと云を得す故に被告が以上の三票を被選人誰たるを認知し難しとの理由を附し之を無効
なりと判定したるは固より相当にして此三票に係る原告請求は不当なりとす
次に田島與三郎の為したる投票は島田孝之のなる之の字に当る文字の画多く或は立の字の如く見へ得て稍字体に
穏当ならざる所ありと雖も如此文字は被告代理人も亦選挙法第五十一条第五の但書を解釈して所謂誤字なる部類
に属するものなれは島田孝之なる姓名を誤りたるものと視て毫も差支へあらさるなり況んや本項但書の誤字云々
とある誤字とは被告代理人か解釈する如く単に画若しくは点の増減ありたる場合のみを指示する如き範囲狭隘な
るものにあらず例へは島字を鳥と誤記したる場合も尚亦誤字なる文字中に包含せしめて之を解釈するを至当とす
るに於ておや何となれは事実若し島字を記載する場所に誤て鳥字を記入したりとせん歟此場合に於て誤字を記載
したりと云はずして将た之を何と称するや現に世間普通誤字とは被告代理人が主張する如き場合は勿論尚ほ事実
島字を記すべきに際し鳥字を記し若くは之字を記すべきに誤て立字を記したる如き場合をも亦誤字を記したりと
称して毫も怪まざるなり否怪まず此れ即ち畢竟事実誤字なるに外ならざればなり被告代理人は尚曰く島と鳥とは
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page525 2013/02/13 16:40
525 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
各一個の正字を成すものにして決して之を誤字なりと云可からずと固より島又は鳥と云ふ字は被告代理人主張の
如く各一個の正字にして誤字とならさるは勿論なりと雖も個は各別に文字其の者をのみ指示して之を読み下す際
に主張するは格別今否らずして事実島字を鳥字に誤記したるときは鳥の字は正に島の字の誤字なりと云はずして
何ぞや
被告代理人は又曰若し果して所謂誤字云々とあるを如此解釈するに於ては姓名以外に尚ほ無形の事実を推測する
如き不当なる結果を見るに至るべしと固より本項殊に其但書は事実の認定を命じたる条項なることを念頭に記臆
し置かざる可からず既に事実の推定を命じたる条項なる以上は数個の事実を相対照して始めて其適当なる事実を
認知し得るものなること亦た捻却す可からす故に例へは被選人島田孝之と記載したる投票ありとせん歟単に之れ
を其文字の如く読み下すときは少なくも富山県に被選拳資格を有せす而て翻りて一方には島田孝之なる故 (ママ)の に被
選人候補者と為したる顕著なる事実ありて世間之を掩ふ可からさるものなりとせは即ち本項但書の場合に遭遇し
たるものにして果して鳥は島の誤字なりや否やを認知するの必要を生じたるものなり但た事実誤字なりや否やを
認知するは判定人たるも﹇選﹈挙長の決定如何にあるのみ故に如此場合に於て果して島田孝之の誤記投票なりや
否やを認知するは固より選挙長たるものゝ判定如何に存すると雖とも被告代理人主張の如く本項但書は如此認知
権を選挙長に与へたるものにあらすと論するに至ては本項但書を徒らに無用の法文睨するものたるを免かれざる
なり況んや被告代理人主張の如く所謂誤字とは島にあらず又鳥にもあらざる場合のみを指示したるものと仮定す
るも之れを鳥田孝之と認知する歟将た又島田孝之と認知する歟に至ては均しく数個の事実を相対比して而後ち一
個の島田孝之若くは鳥田孝之なる姓名を推定するものにして二者の間認知の程度に開して果して若干の差異あり
とするや此間に於て両者の差異は毫髪を容るに余地なきに於てをや要するに其上に鳥と記するは下に掲くる嶋田
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page526 2013/02/13 16:40
――法 律 論 叢―― 526
孝之の文に照らし其中に記する教又彦の如き宇は上に掲くる島田と下に掲くる之の文に照らし其下に記する六又
三の如き字は上に掲くるる島田孝の文に照らし連続読来れは皆明瞭に島田孝之たるを認知し得べし殊に本項と仝
一事を規定し﹇た﹈る府県会議員選挙規則第四十二条第六の律文を爰に参照し来る時は本項の意義益々被告代言
人解釈する如くならざることを明示するに余ありとす而して又被告代理人の選挙長の認知権に対しては他より容
喙す可からざるものゝ如く主張すると雖も既に選挙長の決定に対し異議あるもには選挙法施行規則第二十九条に
依り出訴することを許しあるに付き其主張する論旨の不当なること弁ぜずして明かなり既に出訴することを得は
裁判所に於て当事者間の争点に関し自由なる心証に質り之れか当否を判断する固より当然の事なりとす故に田島
與三郎の為したる投票は其被選人姓名の末尾なる文字が仮りに立なる文字の如くなりとするも事実嶋田孝之を選
挙したるものと認定するを相当なりとす況んや明に立なる文字なりと断言し能はさるに於ておや
次に以上の四票を除き原告山崎作蔵外五十一名の為したる投票は一見被選人島田孝之なること明了にして何故に
被告が此等の投票を指して被選人誰たるを認知し難きものと做したるや殆んど其理由を了解するに苦しむ或は此
等の投票中島田孝之の之なる文字が三若くは六字に稍類似すと雖ども畢竟書方の拙にして且つ草体に書するが為
めに其字形に就き詳細に批評を下すときは固より多少の非難なしとせざるも前条に説明するが如く上下通覧せは
之を島田孝之なる姓名に読み下すに於て毫も困難とせざるなり殊に之の字を草書体にて記載するときは動もすれ
ば三の字に類似するの嫌ひあることは蓋し免かる能はざる所なりとす爰に於て乎更に被告代理人は高田清次郎高
畠與平吉永要次郎森田徳兵衛坊田次郎右衛門岡島徳右衛門荒木宗平の為したる投票の如きは啻に被選人誰たるを
認知し難きのみならず且つ選挙人誰たるを認知し難き理由ありしを以て併せて之れを無効なりと決定したりと陳
述するも明細書に拠るときは此等の投票を無効なりと決定したる原因に其併合の理由あることを示さゞれは此申
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page527 2013/02/13 16:40
527 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
立に毫も信を措き難しと雖ども仮りに今此理由に依り無効なりと決定したるものなりとするも此等の投票を調査
するに是亦選挙人誰たるを認知し難きもの一として之れあるを見ざるなり故に右原告山崎作蔵外五十一名の投票
は悉く島田孝之を被選人と為したるものと見認むるを適当なりとす
第二条
無効投票の第二﹇に﹈属する選挙人名簿に名当なきもの廿七票中原告土倉弥平堀仁丞小谷川善藏高原五左衛門の
為したる投票も既に前条に説明したる如く各字の字形に就き仔細に品評を附するときは是亦幾分の (ママ)
假瑾 なしとせ
ざるも少しく文字を読み下す上に於て仮借するときは右土倉彌平外三名の為したる投票なりと認知するに充分な
りとす況んや住所の記入しあるに於ておや況んや又選挙法第三十七条仝四十一条及仝施行規則第十六条乃至第廿
一条等の規定ありて選挙人投票を為すに際りては頗る厳密なる法律及手続あるに於ておや殊に況んや選挙会には
選挙長の他に尚ほ数名の選挙委員あるに於ておや故に原告等の姓名を選挙人名簿中に見出すこと蓋し又容易の事
なりとす然るに被告は原告等の投票を名簿に名当なきものとして輙く之を無効なりと決定したるは失当なりとす
次に筱岡貞次仝與平仝與次郎平の筱の字は名簿に記載しある篠の字と相違ありとて之を無効なりと決定したるに
至ては不当も亦甚しきものと云はざる可からず抑も筱の字は篠の字の古字にして素より普通書し得る仝一文字な
れば也
第三条
無効投票の第三に係る選挙人誰たるを認知し難きもの十八票中原告遠藤與三乎
師嘉作の試したる投票は其姓名
全体が不判明に属し又平田源右衛門の為したる投票は其姓名を記載せざりしに付被告に於て此三票を無効なりと
決定したるは相当なりと雖とも宮崎三次郎長谷川直助両氏が為したる投票をも共に無効なりと決定したるは不当
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page528 2013/02/13 16:40
――法 律 論 叢―― 528
なりとす何となれは明に其姓名を認知し得れは也
次に石崎徳左衛門が為したる投票は啻に名下に捺印なきのみならず其直筆にあらざりしに因り之を無効なりと決
定したりと云ふ左れども徳左衛門の投票を検するに捺印なきは相違なきも其直筆にあらざるや之を見るに由なし
然れども仮りに今直筆にあらずとするも選挙法第五十一条には如此投票を無効なりとして制裁を加へざるに付捺
印なきのみならず直筆にあらずとて直に之を無効なりと速断するを許さゞるなり何となれば本条は元来制裁法な
るを以て制限的条項にして決して例示的条項にあらざることは一般法理の然らしむる所なり既に該条は制限的条
項なりとせは漫に本条項以外に無効の制裁を与ふ可からざるや固より論を竢たざれば也
第四条
無効投票の第四及第五に位する選挙人住所記載なきか若くは不分明なるに因り何人たるを認知し難きもの都合十
八票中原告中島栄右衛門外五名が為したる六票も住所記載なく又不分明なるに相違なきも前条に示したる如く選
挙法第五十一条に無効なりとの制裁を加へたるものにあらざれは擅に右六票を無効なりと決定したるは到底失当
の判定たるを免かれず
被告は又公平の決定を為さんと欲し一定の標準を設けたり或は武部其文嶋田孝之の上に彼是偏頗の処分なかりし
旨申立ると雖ども良し公平無私の処置に出でたるにあるも之れが為めに以上に示したる決定の不当なることを打
消すこと能はず何となれは仮令へ嶋田孝之に属する投票を決定したる標準と同一なる標準を以て武部其文に係る
分をも決定したりとて苟も其決定にして失当たる以上は仍ほ不適当の判定たるを免かれず但だ要するに最初決定
を下すや双方に対し公明正大なりしと云ふに過ぎずして今日之を以て決定の誤らざりしことを弁明するの具と為
すに足らざる也
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page529 2013/02/13 16:40
529 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
第五条
前条々に説明する如き理由なるに依り前主文の如く判決するを正当なりとする所似なり
明治二十五年四月四日於富山地方裁判所民事部
裁判長判事
小
林
藹㊞
判事
矢
部
成
凭㊞
判事
宇
野
美
苗㊞
(以下、次号)
注(1)
たとえば、佐々木隆『藩閥政府と立憲政治』(吉川弘文館、一九九二年)二〇〇頁以下、坂野潤治「明治天皇の選挙干渉」(『日
本の歴史、別冊・歴史の読み方』7、朝日新聞社、一九八九年)二五頁以下、有馬学「松方内閣の選挙干渉とは何か」(『日本歴
史』第六〇〇号、一九九八年)など、参照。
(2)
『富山県史
通史編Ⅴ近代上』(富山県、一九八一年)四九八頁以下、『富山県議会史』第1巻(富山県議会、一九七七年)四
五七頁以下、などに詳しい。
(3)
『帝国議会衆議員議事速記録』第4巻(東京大学出版会、一九七九年)四八頁以下。
(4)
岩手県第一区では谷河尚忠と上田農夫、富山県第四区では島田孝之と武部其文、高知県第二区では片岡健吉・林有造と片岡
直温・安岡雄吉がそれぞれ当選を争った。
このうち、高知県第二区の当選訴訟については、拙稿「参政権」(浅古弘・岩谷十郎・村上一博編著『日本近代法史―判決を
読み解く―』成文堂、近刊)を参照されたい。ちなみに、『北陸政論』(第七四号、明治二六年六月一三日、第二面)は、雑報
「高知県第二区当選訴訟確定」において、明治二六年六月九日に、自由党系の片岡健吉・林有造の勝訴が確定したことを伝え、
「吏党撲滅自由万歳」と歓喜の声を挙げている。
(5)
末木孝典「明治二十五年・選挙干渉事件の一考察」(『法学政治学論究』第五五号、二〇〇二年)一九一頁以下。
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page530 2013/02/13 16:40
――法 律 論 叢―― 530
(6)
選挙人名簿訂正請求としては、判決原本から数件の訴訟が確認されるが、大審院判決録では、民権家として著名な大井憲太郎
が、大阪府第二区の選挙長であった袋井寛直を相手取って、選挙名簿への登録を求めた事案(「衆議院議員選挙人名簿中氏名脱
漏事件」)において、この請求を棄却した明治二三年九月二七日の大審院判決(裁判粋誌大審院判決例民事集第五巻二三〇頁)
が見出されるにすぎない。
また、選挙違反事件についてみると、大審院判決録に掲載されている最も早い例は、「直接又ハ間接ニ金銭物品・・・ヲ授与」
(衆議院議員選挙法第九一条・刑法第二三四条)して伊藤大八(長野県第七区)への投票を依頼した平澤保太郎ほか三名が罪に
問われた、明治二三年一二月二三日の大審院判決(裁判粋誌大審院判決例刑事集第五巻二六九頁)である。
(7)
なお、衆議院議員選挙法によれば、選挙人名簿の脱漏・誤載は、選挙長に申立てることができ、その判定に不服であれば、選
挙長を被告として判定の日から七日以内に、始審裁判所に出訴(さらに大審院へ上告)することが認められていた(第二三条
以下)。
大審院判決録に掲載されている衆議院議員選挙関係訴訟は、次の通りである。
A.選挙人名簿の訂正請求
1.大井憲太郎から袋井寛直に対する「衆議院議員選挙人名簿中氏名脱漏ノ件」大審院明治二三年九月二七日判決(裁判粋
誌大審院判決例民事集第五巻二三〇頁)
B.選挙不当決定取消請求
1.内田林八から河田景雄に対する「衆議院議員選挙投票不当決定取消要求ノ件」大審院明治二三年一一月一四日判決(裁
判粋誌大審院判決例民事集第五巻二六二頁)
2.河田景雄から赤松新右衛門ほか一名に対する「衆議院議員選挙不当決定取消ノ件」大審院明治二三年一一月二四日判決
(裁判粋誌大審院判決例民事集第五巻二六八頁)
3.館五郎平ほか五名から千々岩英一に対する「衆議院議員当選訴訟﹇選挙投票不当決定取消﹈ノ件」大審院明治二五年一
〇月八日判決(大審院判決録明治二五年自九月至一〇月九七頁、裁判粋誌大審院判決例民事集第七巻五九〇頁)
4.白上俊一から斉藤四郎兵衛ほか六六名に対する「衆議院議員選挙投票不当決定取消ノ件」大審院明治二五年一〇月一三
日判決(裁判粋誌大審院判決例民事集第七巻六〇六頁)
5.谷澤龍蔵から藤田孫平に対する「衆議院議員無効当選取消ノ件﹇選挙投票不当決定取消﹈」大審院明治二六年一月一三日
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page531 2013/02/13 16:40
531 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
判決(大審院判決録明治二六年自一月至二月五頁)
6.佐藤兵次郎ほか一六名から赤津克郎に対する「衆議院議員選挙会投票不法決定取消ノ件」大審院明治二七年一〇月八日
判決(大審院判決録明治二七年自七月至一〇月四四五頁)
C.当選無効請求
1.木暮武太夫から島田音七に対する「衆議院議員当選無効ノ件」大審院明治二五年一月一九日判決(大審院判決録明治二
五年自一月至二月三九頁、裁判粋誌大審院判決例民事集第七巻二一頁)
2.島田孝之から武部其文に対する「衆議院議員当選無効ノ件」﹇中間判決﹈大審院明治二五年七月九日判決(大審院判決録
明治二五年自六月至八月一二〇頁、裁判粋誌大審院判決例民事集第七巻五七三頁)
3.上田農夫から谷河尚忠に対する「衆議院議員当選訴訟ノ件」大審院明治二五年一〇月四日判決(大審院判決録明治二五
年自九月至一〇月八三頁、裁判粋誌大審院判決例民事集第七巻五八一頁)
4.武部其文から島田孝之に対する「衆議院議員当選無効ノ件」﹇中間判決差戻審﹈大審院明治二五年一二月一日判決(大審
院判決録明治二五年自一一月至一二月六七頁)
5.武部其文から島田孝之に対する「衆議院議員当選無効ノ件」﹇本案﹈大審院明治二六年五月一七日判決(大審院判決録明
治二六年自五月至七月一九三頁)
6.片岡直温・安岡雄吉から片岡健吉・林有造に対する「衆議院議員当選無効ノ件」大審院明治二六年六月九日判決(大審院
判決録明治二六年自五月至七月二五一頁)
D.選挙違反事件
1.平澤保太郎ほか三名に対する「衆議院議員選挙法違反ノ件」大審院明治二三年一二月二三日判決(裁判粋誌大審院判決
例刑事集第五巻二六九頁)
2.中西正輝ほか二名に対する「衆議院議員選挙法違犯ノ件」大審院明治二四年二月二八日判決(裁判粋誌大審院判決例刑
事集第六巻八〇頁)
3.竹山倉次郎ほか七名に対する「衆議院議員選挙法違犯ノ件」大審院明治二七年一一月六日判決(大審院判決録明治二七
年自一一月至一二月三九一頁、裁判粋誌大審院判決例刑事集第九巻二一四頁)
4.千葉直胤ほか三名に対する「衆議院議員選挙法違犯ノ件」大審院明治二七年一一月二七日判決(大審院判決録明治二七
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page532 2013/02/13 16:40
――法 律 論 叢―― 532
年自一一月至一二月四五八頁)
5.佐藤又三郎・小池末吉に対する「衆議院議員選挙法違犯ノ件」大審院明治二八年一月二二日判決(大審院判決録明治二
八年自一月至二月五〇頁)
(8)
ちなみに、明治二二年衆議院議員選挙法は、明治三三年三月二九日に改正されて(法律第七三号)、大選挙区制(都市は独立
区)・無記名投票方式となり、選挙権資格の納税額は一〇円以上と引下げられたが、選挙関係訴訟については、第八〇〜八五条
において、当選訴訟とともに、新たに「選挙ノ全体若ハ一部ノ無効」を争う選挙訴訟が認められることとなる。
(9)
島田孝之は、越中富山を代表する自由民権運動家として知られる。その生涯については、「島田孝之君略伝」(全 11 回)(『富
山日報』第七二一八〜七二二〇・七二二二〜七二二七・七二二九〜七二三〇号、明治四〇年一月一七〜一九・二一〜二六・二八
〜二九)、「故嶋田頭取葬儀」(『富山日報」第七二二一号、明治四〇年一月二〇日、第二面)、島田孝之先生顕彰会編『顕彰紀要』
(同顕彰会、一九六八年)、中田町誌編纂委員会編『中田町誌』(同刊行会、一九六八年)三二五頁、松田富雄編『島田孝之とそ
の生涯』(島田孝之先生顕彰会、一九七〇年)、『富山県議会史』第2巻(富山県議会、一九七九年)九二二頁。前掲『富山県史
通史編Ⅴ近代上』二七六・五三三頁、『富山大百科事典』上巻(北日本新聞社、一九九四年)八〇六頁、稲垣剛一「清廉高潔を
貫いた民権運動家
島田孝之」(『越中人譚』第三九号、チューリップテレビ、二〇〇一年)など、参照。
(10)
武部其文は、旧加賀藩十村で、富山県会初代議長を勤めた武部尚志の二男として生まれ、明治法律学校に学び、代言人となっ
た。其文には「県下名士の書生時代(18)」(上・下)(『富山日報』第八三四一・八三四二号、明治四三年二月二五・二六日)とい
う若き日を回顧した談話筆記があるが、選挙関係訴訟については、何も語られていない。なお、拙稿「草創期明治法律学校出
身の代言人《武部其文》の回顧録」『明治大学大学史紀要』第一三号、二〇〇九年三月、三六八頁以下、参照。
(11)
新聞資料の閲覧についは、とくに、富山県立図書館および高岡市立図書館(北日本新聞ライブラリー)のお世話になった。な
お、富山県における諸新聞の発達史については、『北日本新聞社八十五年史』(北日本新聞社、一九六九年)、『北日本新聞社百二
十年史』(北日本新聞社、二〇〇四年)などに詳しい。
(12)
稲垣示については、櫻木成一『自由民権の先覚者
稲垣示物語』三訂(私家版、一九七八年)、『大門町史』(大門町、一九八
一年)八三四〜八三七頁、前掲『富山大百科事典』上巻、一二四〜一二五頁など、参照。
(13)
前掲『砺波市史』六八一頁以下。
(14)
前掲『富山県史』通史編Ⅴ近代上、五〇一〜五〇五頁。
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明治大学 法律論叢 85巻 6号:責了 tex/murakami-856.tex page533 2013/02/13 16:40
533 ――明治二五年における富山県砺波郡の衆議院議員選挙関係訴訟(上)――
(15)
前掲『富山県議会史』第一巻、四五四頁以下。
(16)
ちなみに、政界内では、すでに選挙中に、選挙干渉に批判的であった伊藤博文が枢密院議長を辞任し、また選挙後には、陸奥
宗光農商務大臣が品川を批判して、明治二五年三月には両人とも辞任した。品川の後任として内務大臣となった副島�