title 新時期文學における愛の諸相 中國文學報 (1993), 46: 99-133 … ·...

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Title 新時期文學における愛の諸相 Author(s) 三枝, 裕美 Citation 中國文學報 (1993), 46: 99-133 Issue Date 1993-04 URL https://doi.org/10.14989/177538 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Title 新時期文學における愛の諸相

Author(s) 三枝 裕美

Citation 中國文學報 (1993) 46 99-133

Issue Date 1993-04

URL httpsdoiorg1014989177538

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

新時期文学における愛の諸相

京都

大挙

中国における愛情文学の歴史は古いO唐代俸奇白話小

説近

現代小説の中で版版と息づいてきたそれは士大

夫の正統文学の系譜からははずれていたとはいえ

名作

「紅榛夢」が今でも高い人気を誇るように人々に愛され

績けてきたのである毛浮東の

「文蛮講話」以後は文塾は

政治に奉仕しなければならないという枠がはめられ愛情

小説も共産業や虹合主義の政治的理念に沿うように措かな

ければならな-な

ったが消滅したわけではなかったと

ころが文化大革命の極端にストイックな運動の中で愛情

はおろか文学

蛮術そのものが許されざるものとな

って

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

しまった迫害されて監禁された-命を落とした作家や蛮

術家も数多いその不毛の地鮎から再出顎したのが新時期

文学である文革中タブーとされてきた愛も息を吹き返し

た小論ではまず前半で新時期の愛情文学の中からこの

十数年の愛の描かれ方の襲化を見ることのできる特徴的な

幾つかの作品を取-上げて襲蓮をたど-後牛では時間の

枠を取-排

って愛と愛を妨げるものとの封立を軸とした

パターン別に分類整理して様

々な愛の在-方に迫

ってみ

たい

新時期愛情文学の襲遷

(

一)

-

池荊

「愛を語らず」と徐星

「主題のない襲奏曲」-

まずご-最近のものから見てみよう近年中国で注目さ

れるようにな

った作家に池和

いう女性がいる彼女の作

品に「愛を語らず」

(原題

一示

談愛情」

『上海文学』八九年

期)という中篇小説がある

題名からも想像されるように

99

中国文学報

第四十六柵

愛のない結婚がテーマである漢ロの花柳街生れの娘が

知識分子家庭出身で優秀な外科欝と知-合い男の親の反

対を押し切

って結婚するという話だがこういう設定から

身分を越えて愛を貫-といった純愛物語を期待してはなら

ない物語はそもそもすさまじい夫婦喧嘩で幕を開ける

妻は寛家

へ蹄-喧嘩は撃方の親

友人

職場を巻き込ん

で大騒動にな-かけるが原田は夫が妻の妊娠に束が付か

ずテレビのスポーツ観戦に熱中していたというたわいもな

いことであ

った離婚すると夫のアメリカ行きに差し障る

(単身者は身軽なので韓国しない恐れがあるから)とわかると

男の親が初めて花柳街を訪れて事態はにわかに解決する

このカップルにとって愛はそもそも存在しなかったのだ

主人公の外科腎妊建非にと

って結婚は

「聖人君子とちんぴらとの間にはただ前者が自慰を

経てから結婚を望むのにたいして後者は強姦や乱交

に襲展するという違いがあるだけであるo粧建非は君

子だ

ったので結婚を選んだ」

と言うように性欲を満たす合法的手段でしかない女の

方も計算づ-で近付いて結婚に持ち込んだのであるO結婚

が愛情に基づ-という意識はな-まるで感覚が麻痔して

しまったかのように愛のない結婚を不幸とも思

っていな

ヽ〇

一廿川じこの

「愛を語らず」は池新の出世作である中筋小説

「煩

わしき人生」(原題

「煩悩人生」『上海文学』八七年八期)の績

作であるこのあとの同じ-中笛

「太陽の誕生」(原題

「太

陽出世」『銀山』九〇年四期)とともに武漢を舞壷とした人

生喜劇三部作を構成する最初の

「煩わしき人生」で愛情

はどのように描かれていたかを振-返

ってみよう

「煩わしき人生」は漠口のある男の戦争のような長い長

い一日を描-絶え間ない現車に追われる毎日の生活のわ

ずらわしさそのものを題材にしてお-その意味ではこれ

までの現普代文学にあま-見られなかった新鮮な作品で

ある

住宅難通勤難等の中開の生活の不便さが背景にあ

るとしても生活に追われて生きる空しさは現代融合で普

遍性を持

ってお-それを文学に結晶させた意義は大きい

100

こんなあ-せ-した日々の中で美しい愛は下放時代の思

い出として主人公印家厚の心の奥底に仕舞いこまれてしま

う疲れ果てて蹄宅した剃郡に彼の胸をよぎるのは

「これこそが最も幸せな時間ではないか彼の家彼

の女房

たとえやつれたしょっちゅういがみあい

をしている女房であ

っても

この時月あか-の下

でささや-愛微妙な心の粁なんかこの磯え疲弊困

億した男からはるか遠-

へ去

っていってしまった」

という思いであ

ったこれが現資というものであろうか

疲れた心身を休める場でしかない家庭をえぐる作者の目は

鋭-容赦ないさらにこのあと彼は

別の二人の女性

(1

人は彼に好意を持つ同僚

一人は下放時代の懸人によ-似た幼稚

園の先生)の顔を思い浮べながら寝ている女房の頬をはた

いて肉鮭を求めるたしかに池和はこの作品で世間の夫婦

の賓態の一面を突こうとしているがここには愛の生きて

ゆ-飴地がないことも事責であるそれゆえ

「どうして婚

姻と愛情とは全-別のことなのだろう」という印家厚のつ

ぶやきは妙に説得力を持

っている

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

三作目の

「太陽の誕生」は結婚

妊娠

出産

青鬼と績

-ある夫婦の物語であるこの夫婦は始終喧嘩しながら

も協力して子育てにつとめ破局には到らないしかし大

普-心がすれちがう時が二回あ

った最初は妻のつわ-が

ひどい時

「わめいてやる

全世界の人間に聞かせてやるんだ

女房が妊娠して苦しんでいるのに亭主の野郎はそれ

をいいことに自分だけ良い目をして」

夫は別にやましいことをしているわけではない仕事が順

調なだけであるしかし自分だけ仕事で充寛しているのが

妻の気に食わない夫にと

って妻の怒-は不可解だ二度

目は出産後青鬼ノイローゼ気味の時

「あんたは毎日良い知らせがあるわよボーナスが出

た目標を達成した製品が某国の市場に進出した

試合に勝

った大学に行-ようになった私はどうな

の私も毎日良いニュースがあるわ朝陽

(赤ん坊の名

前)が指を噛まな-なった小菊(ベビー

シッタIの名

前)が醤油を買いに行

って

一園よけいにおっ-を貰

101

中国文筆報

第四十六掛

ってきた

朝陽がおむつを三枚しか濡らさな-な

った

抱えて五回おし

っこするようにな

った朝陽の大便は

一日二回から

一回にな

った軟らか-て黄色-て

棒状で臭-てなんていい知らせなんでしょうOあ

んたの娘は大人の排港をするようにな

ったのよ」

これは決して妻が子供をうとまし-思

っているのではない

自分が赤ん坊の世話にかか-

っき-にな

っている間に夫

だけが外の虹合でどんどん進展があるのを目の普た-にし

て自分が埋捜してしまいそ-な焦燥感に囚われているの

だ小説の中の夫は妻の自己喪失の苦しみを理解するこ

とな-公園に散歩に行

って同じ-らいの子供を持

つ母親

たちと友達になるよう勧めるo確かにそれによ-彼女の青

ノイ

ローゼは解消されたのだから良い解決方法であ

たことには達いない小説はここで終わるのだが夫婦の

関係二人の愛という鮎で考えるならばこの二度のささ

やかなすれちがいは購乗に亀裂の危険を学んでいる

池和の三部作を見てきたがどれも愛情を問題にしない

現代の結婚生活ばか-であるそれでも日々の暮らしはあ

たふたと過ぎてゆ-ここには美しい愛理想の愛を希求

する姿勢すらない

また

一方でも

っと若い世代の作家例えば

一九五六年生

れの徐星は庭女作の短篇小説

「主題のない襲奏曲」(原題

「無主題襲奏」『人民文筆』八五年七期)で都合の若者の虚無的

な心情をさら-と書-0

彼女の名前が老Qだと知る前にその晩俺たちは同

じスピードで

「愛」の最高峰に到達した

「私老Qっていうの」彼女は淡

々と名を告げると

もつれたブラジャーの紐を留め直しながらゆ

っ--

と言

った

「この段階にならないと

お互いに本営に

理解でき

っこないみたいねそうでしょ」

という具合に主人公の私と潜入の老Qは相手の名前さえ

知らないまま知-合

ったその晩に肉鰹関係を結ぶoしかし

大学中退で作家志望

1流

レストランのウエイターを勤め

る主人公の男は何かを待ちつつ何にも期待できないとい

う屈折した心理で自信はある-せにどうせ見込みはない

102

と投げや-になっている老Qの方は何とか彼を成功させ

たいと励ますのだがあま-にも無気力な男に愛想を轟か

して別れるその際も別れるべ-して別れたという感じで

蜜にあっさりとしている「主題のない奨奏曲」の績篤と

謹める翌年のご-短い小説

「殉道者」(『人民文学』八六年

十二月)はこの別れた懲人たちを思わせる男女が十年後に

偶然再合するというもので十年前の別れの場面の回想が

挟みこまれる再合しても二人の心はすれちがっているこ

とを確認しただけだった

(二)

った

-

劉心武

「愛情の位置」と

張抗抗

「愛する権利」-

いまご-最近の池新と徐星の小説に描かれた男女の有

様を見てきたが新時期文学十数年の歩みの中で最初か

らこれらのように文筆が愛にたいして淡泊だったわけでは

決してない文革で愛情とい-言葉を口にするのさえはば

かられるほど禁歴されまった-ゼロの地鮎からスタート

した皮切-の作品を見てみようまずこのタブーを破

って

新時期文嬰における愛の諸相(三枝)

愛の領域に踏み込んだのは劉心武の短篇小説

「愛情の位

置」(原題

「愛情的位置」『十月』七八年一期)であ

った

小説の内容は若い二人の出合いから彼らが愛を育んで

い-過程を描いたものである圏書館で

一緒に本を讃み

書物から目を移した見つめあいの中に思いを交わすデート

同僚の女性の打算的な結婚観を排し「あんた中風のお姑

さんの下の世話をする嫁にな-たいの~」という忠告にも

耳を貸さず相手の男性が安食堂のしがない賂餅焼きであ

るとい-ことも束にしない模範的懸愛であるOしかし彼

女は愛情と革命とのあるべき関係についての憾みすなわ

ち愛情自腹は健全なものであっても懲愛にうつつをぬかす

ことが革命遂行の妨げになるのではないかとの疑念を抱-0

それに封しては夫を国民薫に殺され

一生を革命に捧げてき

た老婦人を登場させ革命遅動の中で二人は熱烈に愛し合

いそれはむしろ革命

への情熱を掻き立てたのだと語らせ

愛情は革命家の生活の中で重要な位置を占めるべきだとい

う解答を輿えている

劉心武はこの小説で愛情をタブーから引き出し常時の

103

中国文学報

第四十六耕

風潮であった金銀至上主義的懲愛執を排して健康的で美し

い展の愛を求めるよう青年たちに呼びかけ正しい懲愛の

へ教え導こ-としたのであるo

「愛情の位置」は七八年七月二

〇日から二十三日まで四

日連続でラジオドラマとして放迭されたその反馨はすこ

ぶる大き-後に劉心武は

『愛情小説選』の序文の中で

「一九七八年の秋ある若者が外から締

ってきて戸を

開けると弟と妹が机の前に座

って放逸を聞いていた

ラジオからはちょうど

『愛情』の類の言葉が流れてい

て彼はびっ--仰天した後で私に手紙を-れて常

時の心境を形容して言うには『まった-政麺が起こ

ったのかと思いましたよ』その時放逸局が流してい

たのは私の短篇小説

『愛情の位置』でした小説の顎

表とラジオ放迭の後私は七千通の讃者の方々からの手

紙を受け取-ました

と語

っている愛情を押さえつけられてきた人々がいかに

大きな驚きを持

ってこの小説を迎えたかがわかろう

O

これ

ほど大きな反響を呼んだことで劉心武の目的は牛は達せら

れたといってよいしかし文学史的意義は大き-ても小

説自腹は意圏が明確すぎてまるで教科書のようであ-文

学作品としての水準は低いと言わざるをえないそれは劉

心武自身も自覚してお-今人々が求めているのは充分に

文学を楽しむことであるという理由から上に序文を引用

した

『愛情小説選』では自分の

「愛情の位置」を外して

いる彼のものでは新時期文学全鮭の出費鮎と評債される

「クラス捨任」(原題

「班主任」『人民文学』七七年十一月)の方

がまだしも説教臭さがな-優等生と不良少年に共通する

精神の歪みという盲鮎を突いた衝撃性において勝

っているO

無論後の劉心武は紀資小説の新しい試みなどで筆の冴えを

見せるようになるのだが

こうして出費した新時期の愛情文学だが翌年張抗抗

短篇小説

「愛する権利」(原題「愛的樽利」『収穫』七九年二期)

で新しい時代を迎えつつあるという樽換鮎の認識の上に

立って文革によって奪われていた人々の愛する榛利を取

-戻そうと訴えた小説の主人公は野貝野英の若い姉弟

- 104-

である彼らの父はバイオリニストで音栗大学の教授母

はソ連に留学した経験を持つソプラノ歌手だったがとも

に文革中に迫害を受ける父親は二年間

〝牛棚

に入れら

れ母親はスパイの濡れぎぬを着せられて自殺し

ていた

父は二年前

「弟の莫は二度と書架はやらぬこと姉の貝は

結婚をするなら必ず労働者を夫とすること」という遺言を

残して病死したところがまもな-四人組が打倒されたた

め弟はまたバイオリンを始めるが姉は文革中に受けた深

い心の痛手が障害となってひそかに愛する知識人の男性

に容易に心を開-ことができない「なぜ僕は僕の愛する

仕事をしてはならず姉さんは愛する人を愛してはいけな

いんだ」もはや以前とは違う新しい時代に入ったのだと

いう弟の信念は姉を突き動かし彼女もやがて心の扉を

開きはじめた

張抗抗は自侍の中で

「私は私の心の中の新しい時代に呼び醒まされた愛を

全部注ぎ込みました」「一人の人間が何を愛そうと阻

むことはできないものです

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

と語

っているO彼女は懲愛であれ個人の噂好であれ愛に

たいして全幅の信頼を寄せ政治が愛に介入し抑歴するの

を拒否し愛の成就

へ向けて理想と情熱を注ぎ込んでいる

「愛する構利」の段階ではまだ硬さが残

っているが翌年

「夏」(『人民文学』八〇年五期)では人間の個性を封じ込め

ようとする融合に反軍するみずみずしい若者像を描き出

して注目されるようになる

劉心武の

「愛情の位置」では愛という言葉を耳にする

だけでも恐ろしいという地鮎から出顎したが僅かl年で

聾高に愛する権利を主張する作品が出現したとい-ことは

人々の間で愛

への渇望が如何に強いものであったかを示し

ていよう

(

equiv)

の愛

-

張潔

「愛忘れがたきもの」-

劉心武と張抗抗が文学の中に愛を復活させ始めて間もな

い頃七九年十月から十

1月にかけて賓に十九年ぶ-に文

学蛮術工作者第四回代表大骨が開かれ郡小平が文学に封

する干渉を否定するなど思想解放ムードが高まる中で

- 105-

中開文畢報

第四十六か

張潔

短篇小説

「愛

忘れがたきもの」

(原題

「愛是不能

忘記的」『北京文蛮』七九年十一期)は

愛のない結婚と婚姻

外の愛を描きその賛否を巡

って激しい論争を巻き起こし

⑨た物

語は刑刑という女性が亡き母を回想する形で語られる

自分の遺骸と

一緒に茶舵に付して-れと母が遺言した

「愛

忘れがたきもの」と書かれたノートにはある男性に封す

る母の二十敷年間にわたる愛と苦悩が綴られていたその

男性は文革中に非業の死を途げたがその後も母はノート

に語-績け最後は天図で

1緒にな-ましょうと書き洩し

て死んでいった茸は刑刑の母は周囲の勧めるままに愛情

のない結婚をし刑刑が幼い頃に離婚していた母がノー

トの中で愛し漬けた男性の方も別の女性と結婚していた

その男性は解放前に上海で地下活動をしていたのだがあ

る労働者が彼を救うために犠牲となって娘が

一人残され

彼は道義的責任と階級的友愛からその娘と結婚していたの

った

「もう

一人の人間の幸福のために

彼らは自分の

情を

切-捨てざるを得なかった」のである刑刑は「世

間の法律やモラルなどというもののために二人はこの世

では結ばれなかったOそして

T度も手を振ることさえなか

ったけれども彼らは完全に相手を自分のものにした」

と確信する彼女は二度と母のような悲劇を繰-返さぬよ

う虞に愛し合える人が現れるまでは愛情のない結婚など

すまいと決心するO

この小説はどのよ-な理由であれ周囲からの歴力のまま

に結ばれた結婚を批判し県費の愛があるのに結婚できな

いという不僕理を訴えたものと諌める婚姻遺徳と愛情の

問題を考えさせる内容の深さにおいて新時期の愛情文革

を員に打ち建てたものと今では高-評債されているO面白

いことにこの十年の間に時代は急速に進み今ではこの小

説が不道徳であるとは感じられな-な

ってしま

った劉心

武はこういう話を紹介している

最近何人もの大学生がやってきて言うには「『愛

忘れがたきもの』のなかのあの老いら-の懲はまった

-お笑い草だ手を握

ったことさえないなんて

んなもの愛情のうちに入るものか」中の一人がさら

106

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

新時期文学における愛の諸相

京都

大挙

中国における愛情文学の歴史は古いO唐代俸奇白話小

説近

現代小説の中で版版と息づいてきたそれは士大

夫の正統文学の系譜からははずれていたとはいえ

名作

「紅榛夢」が今でも高い人気を誇るように人々に愛され

績けてきたのである毛浮東の

「文蛮講話」以後は文塾は

政治に奉仕しなければならないという枠がはめられ愛情

小説も共産業や虹合主義の政治的理念に沿うように措かな

ければならな-な

ったが消滅したわけではなかったと

ころが文化大革命の極端にストイックな運動の中で愛情

はおろか文学

蛮術そのものが許されざるものとな

って

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

しまった迫害されて監禁された-命を落とした作家や蛮

術家も数多いその不毛の地鮎から再出顎したのが新時期

文学である文革中タブーとされてきた愛も息を吹き返し

た小論ではまず前半で新時期の愛情文学の中からこの

十数年の愛の描かれ方の襲化を見ることのできる特徴的な

幾つかの作品を取-上げて襲蓮をたど-後牛では時間の

枠を取-排

って愛と愛を妨げるものとの封立を軸とした

パターン別に分類整理して様

々な愛の在-方に迫

ってみ

たい

新時期愛情文学の襲遷

(

一)

-

池荊

「愛を語らず」と徐星

「主題のない襲奏曲」-

まずご-最近のものから見てみよう近年中国で注目さ

れるようにな

った作家に池和

いう女性がいる彼女の作

品に「愛を語らず」

(原題

一示

談愛情」

『上海文学』八九年

期)という中篇小説がある

題名からも想像されるように

99

中国文学報

第四十六柵

愛のない結婚がテーマである漢ロの花柳街生れの娘が

知識分子家庭出身で優秀な外科欝と知-合い男の親の反

対を押し切

って結婚するという話だがこういう設定から

身分を越えて愛を貫-といった純愛物語を期待してはなら

ない物語はそもそもすさまじい夫婦喧嘩で幕を開ける

妻は寛家

へ蹄-喧嘩は撃方の親

友人

職場を巻き込ん

で大騒動にな-かけるが原田は夫が妻の妊娠に束が付か

ずテレビのスポーツ観戦に熱中していたというたわいもな

いことであ

った離婚すると夫のアメリカ行きに差し障る

(単身者は身軽なので韓国しない恐れがあるから)とわかると

男の親が初めて花柳街を訪れて事態はにわかに解決する

このカップルにとって愛はそもそも存在しなかったのだ

主人公の外科腎妊建非にと

って結婚は

「聖人君子とちんぴらとの間にはただ前者が自慰を

経てから結婚を望むのにたいして後者は強姦や乱交

に襲展するという違いがあるだけであるo粧建非は君

子だ

ったので結婚を選んだ」

と言うように性欲を満たす合法的手段でしかない女の

方も計算づ-で近付いて結婚に持ち込んだのであるO結婚

が愛情に基づ-という意識はな-まるで感覚が麻痔して

しまったかのように愛のない結婚を不幸とも思

っていな

ヽ〇

一廿川じこの

「愛を語らず」は池新の出世作である中筋小説

「煩

わしき人生」(原題

「煩悩人生」『上海文学』八七年八期)の績

作であるこのあとの同じ-中笛

「太陽の誕生」(原題

「太

陽出世」『銀山』九〇年四期)とともに武漢を舞壷とした人

生喜劇三部作を構成する最初の

「煩わしき人生」で愛情

はどのように描かれていたかを振-返

ってみよう

「煩わしき人生」は漠口のある男の戦争のような長い長

い一日を描-絶え間ない現車に追われる毎日の生活のわ

ずらわしさそのものを題材にしてお-その意味ではこれ

までの現普代文学にあま-見られなかった新鮮な作品で

ある

住宅難通勤難等の中開の生活の不便さが背景にあ

るとしても生活に追われて生きる空しさは現代融合で普

遍性を持

ってお-それを文学に結晶させた意義は大きい

100

こんなあ-せ-した日々の中で美しい愛は下放時代の思

い出として主人公印家厚の心の奥底に仕舞いこまれてしま

う疲れ果てて蹄宅した剃郡に彼の胸をよぎるのは

「これこそが最も幸せな時間ではないか彼の家彼

の女房

たとえやつれたしょっちゅういがみあい

をしている女房であ

っても

この時月あか-の下

でささや-愛微妙な心の粁なんかこの磯え疲弊困

億した男からはるか遠-

へ去

っていってしまった」

という思いであ

ったこれが現資というものであろうか

疲れた心身を休める場でしかない家庭をえぐる作者の目は

鋭-容赦ないさらにこのあと彼は

別の二人の女性

(1

人は彼に好意を持つ同僚

一人は下放時代の懸人によ-似た幼稚

園の先生)の顔を思い浮べながら寝ている女房の頬をはた

いて肉鮭を求めるたしかに池和はこの作品で世間の夫婦

の賓態の一面を突こうとしているがここには愛の生きて

ゆ-飴地がないことも事責であるそれゆえ

「どうして婚

姻と愛情とは全-別のことなのだろう」という印家厚のつ

ぶやきは妙に説得力を持

っている

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

三作目の

「太陽の誕生」は結婚

妊娠

出産

青鬼と績

-ある夫婦の物語であるこの夫婦は始終喧嘩しながら

も協力して子育てにつとめ破局には到らないしかし大

普-心がすれちがう時が二回あ

った最初は妻のつわ-が

ひどい時

「わめいてやる

全世界の人間に聞かせてやるんだ

女房が妊娠して苦しんでいるのに亭主の野郎はそれ

をいいことに自分だけ良い目をして」

夫は別にやましいことをしているわけではない仕事が順

調なだけであるしかし自分だけ仕事で充寛しているのが

妻の気に食わない夫にと

って妻の怒-は不可解だ二度

目は出産後青鬼ノイローゼ気味の時

「あんたは毎日良い知らせがあるわよボーナスが出

た目標を達成した製品が某国の市場に進出した

試合に勝

った大学に行-ようになった私はどうな

の私も毎日良いニュースがあるわ朝陽

(赤ん坊の名

前)が指を噛まな-なった小菊(ベビー

シッタIの名

前)が醤油を買いに行

って

一園よけいにおっ-を貰

101

中国文筆報

第四十六掛

ってきた

朝陽がおむつを三枚しか濡らさな-な

った

抱えて五回おし

っこするようにな

った朝陽の大便は

一日二回から

一回にな

った軟らか-て黄色-て

棒状で臭-てなんていい知らせなんでしょうOあ

んたの娘は大人の排港をするようにな

ったのよ」

これは決して妻が子供をうとまし-思

っているのではない

自分が赤ん坊の世話にかか-

っき-にな

っている間に夫

だけが外の虹合でどんどん進展があるのを目の普た-にし

て自分が埋捜してしまいそ-な焦燥感に囚われているの

だ小説の中の夫は妻の自己喪失の苦しみを理解するこ

とな-公園に散歩に行

って同じ-らいの子供を持

つ母親

たちと友達になるよう勧めるo確かにそれによ-彼女の青

ノイ

ローゼは解消されたのだから良い解決方法であ

たことには達いない小説はここで終わるのだが夫婦の

関係二人の愛という鮎で考えるならばこの二度のささ

やかなすれちがいは購乗に亀裂の危険を学んでいる

池和の三部作を見てきたがどれも愛情を問題にしない

現代の結婚生活ばか-であるそれでも日々の暮らしはあ

たふたと過ぎてゆ-ここには美しい愛理想の愛を希求

する姿勢すらない

また

一方でも

っと若い世代の作家例えば

一九五六年生

れの徐星は庭女作の短篇小説

「主題のない襲奏曲」(原題

「無主題襲奏」『人民文筆』八五年七期)で都合の若者の虚無的

な心情をさら-と書-0

彼女の名前が老Qだと知る前にその晩俺たちは同

じスピードで

「愛」の最高峰に到達した

「私老Qっていうの」彼女は淡

々と名を告げると

もつれたブラジャーの紐を留め直しながらゆ

っ--

と言

った

「この段階にならないと

お互いに本営に

理解でき

っこないみたいねそうでしょ」

という具合に主人公の私と潜入の老Qは相手の名前さえ

知らないまま知-合

ったその晩に肉鰹関係を結ぶoしかし

大学中退で作家志望

1流

レストランのウエイターを勤め

る主人公の男は何かを待ちつつ何にも期待できないとい

う屈折した心理で自信はある-せにどうせ見込みはない

102

と投げや-になっている老Qの方は何とか彼を成功させ

たいと励ますのだがあま-にも無気力な男に愛想を轟か

して別れるその際も別れるべ-して別れたという感じで

蜜にあっさりとしている「主題のない奨奏曲」の績篤と

謹める翌年のご-短い小説

「殉道者」(『人民文学』八六年

十二月)はこの別れた懲人たちを思わせる男女が十年後に

偶然再合するというもので十年前の別れの場面の回想が

挟みこまれる再合しても二人の心はすれちがっているこ

とを確認しただけだった

(二)

った

-

劉心武

「愛情の位置」と

張抗抗

「愛する権利」-

いまご-最近の池新と徐星の小説に描かれた男女の有

様を見てきたが新時期文学十数年の歩みの中で最初か

らこれらのように文筆が愛にたいして淡泊だったわけでは

決してない文革で愛情とい-言葉を口にするのさえはば

かられるほど禁歴されまった-ゼロの地鮎からスタート

した皮切-の作品を見てみようまずこのタブーを破

って

新時期文嬰における愛の諸相(三枝)

愛の領域に踏み込んだのは劉心武の短篇小説

「愛情の位

置」(原題

「愛情的位置」『十月』七八年一期)であ

った

小説の内容は若い二人の出合いから彼らが愛を育んで

い-過程を描いたものである圏書館で

一緒に本を讃み

書物から目を移した見つめあいの中に思いを交わすデート

同僚の女性の打算的な結婚観を排し「あんた中風のお姑

さんの下の世話をする嫁にな-たいの~」という忠告にも

耳を貸さず相手の男性が安食堂のしがない賂餅焼きであ

るとい-ことも束にしない模範的懸愛であるOしかし彼

女は愛情と革命とのあるべき関係についての憾みすなわ

ち愛情自腹は健全なものであっても懲愛にうつつをぬかす

ことが革命遂行の妨げになるのではないかとの疑念を抱-0

それに封しては夫を国民薫に殺され

一生を革命に捧げてき

た老婦人を登場させ革命遅動の中で二人は熱烈に愛し合

いそれはむしろ革命

への情熱を掻き立てたのだと語らせ

愛情は革命家の生活の中で重要な位置を占めるべきだとい

う解答を輿えている

劉心武はこの小説で愛情をタブーから引き出し常時の

103

中国文学報

第四十六耕

風潮であった金銀至上主義的懲愛執を排して健康的で美し

い展の愛を求めるよう青年たちに呼びかけ正しい懲愛の

へ教え導こ-としたのであるo

「愛情の位置」は七八年七月二

〇日から二十三日まで四

日連続でラジオドラマとして放迭されたその反馨はすこ

ぶる大き-後に劉心武は

『愛情小説選』の序文の中で

「一九七八年の秋ある若者が外から締

ってきて戸を

開けると弟と妹が机の前に座

って放逸を聞いていた

ラジオからはちょうど

『愛情』の類の言葉が流れてい

て彼はびっ--仰天した後で私に手紙を-れて常

時の心境を形容して言うには『まった-政麺が起こ

ったのかと思いましたよ』その時放逸局が流してい

たのは私の短篇小説

『愛情の位置』でした小説の顎

表とラジオ放迭の後私は七千通の讃者の方々からの手

紙を受け取-ました

と語

っている愛情を押さえつけられてきた人々がいかに

大きな驚きを持

ってこの小説を迎えたかがわかろう

O

これ

ほど大きな反響を呼んだことで劉心武の目的は牛は達せら

れたといってよいしかし文学史的意義は大き-ても小

説自腹は意圏が明確すぎてまるで教科書のようであ-文

学作品としての水準は低いと言わざるをえないそれは劉

心武自身も自覚してお-今人々が求めているのは充分に

文学を楽しむことであるという理由から上に序文を引用

した

『愛情小説選』では自分の

「愛情の位置」を外して

いる彼のものでは新時期文学全鮭の出費鮎と評債される

「クラス捨任」(原題

「班主任」『人民文学』七七年十一月)の方

がまだしも説教臭さがな-優等生と不良少年に共通する

精神の歪みという盲鮎を突いた衝撃性において勝

っているO

無論後の劉心武は紀資小説の新しい試みなどで筆の冴えを

見せるようになるのだが

こうして出費した新時期の愛情文学だが翌年張抗抗

短篇小説

「愛する権利」(原題「愛的樽利」『収穫』七九年二期)

で新しい時代を迎えつつあるという樽換鮎の認識の上に

立って文革によって奪われていた人々の愛する榛利を取

-戻そうと訴えた小説の主人公は野貝野英の若い姉弟

- 104-

である彼らの父はバイオリニストで音栗大学の教授母

はソ連に留学した経験を持つソプラノ歌手だったがとも

に文革中に迫害を受ける父親は二年間

〝牛棚

に入れら

れ母親はスパイの濡れぎぬを着せられて自殺し

ていた

父は二年前

「弟の莫は二度と書架はやらぬこと姉の貝は

結婚をするなら必ず労働者を夫とすること」という遺言を

残して病死したところがまもな-四人組が打倒されたた

め弟はまたバイオリンを始めるが姉は文革中に受けた深

い心の痛手が障害となってひそかに愛する知識人の男性

に容易に心を開-ことができない「なぜ僕は僕の愛する

仕事をしてはならず姉さんは愛する人を愛してはいけな

いんだ」もはや以前とは違う新しい時代に入ったのだと

いう弟の信念は姉を突き動かし彼女もやがて心の扉を

開きはじめた

張抗抗は自侍の中で

「私は私の心の中の新しい時代に呼び醒まされた愛を

全部注ぎ込みました」「一人の人間が何を愛そうと阻

むことはできないものです

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

と語

っているO彼女は懲愛であれ個人の噂好であれ愛に

たいして全幅の信頼を寄せ政治が愛に介入し抑歴するの

を拒否し愛の成就

へ向けて理想と情熱を注ぎ込んでいる

「愛する構利」の段階ではまだ硬さが残

っているが翌年

「夏」(『人民文学』八〇年五期)では人間の個性を封じ込め

ようとする融合に反軍するみずみずしい若者像を描き出

して注目されるようになる

劉心武の

「愛情の位置」では愛という言葉を耳にする

だけでも恐ろしいという地鮎から出顎したが僅かl年で

聾高に愛する権利を主張する作品が出現したとい-ことは

人々の間で愛

への渇望が如何に強いものであったかを示し

ていよう

(

equiv)

の愛

-

張潔

「愛忘れがたきもの」-

劉心武と張抗抗が文学の中に愛を復活させ始めて間もな

い頃七九年十月から十

1月にかけて賓に十九年ぶ-に文

学蛮術工作者第四回代表大骨が開かれ郡小平が文学に封

する干渉を否定するなど思想解放ムードが高まる中で

- 105-

中開文畢報

第四十六か

張潔

短篇小説

「愛

忘れがたきもの」

(原題

「愛是不能

忘記的」『北京文蛮』七九年十一期)は

愛のない結婚と婚姻

外の愛を描きその賛否を巡

って激しい論争を巻き起こし

⑨た物

語は刑刑という女性が亡き母を回想する形で語られる

自分の遺骸と

一緒に茶舵に付して-れと母が遺言した

「愛

忘れがたきもの」と書かれたノートにはある男性に封す

る母の二十敷年間にわたる愛と苦悩が綴られていたその

男性は文革中に非業の死を途げたがその後も母はノート

に語-績け最後は天図で

1緒にな-ましょうと書き洩し

て死んでいった茸は刑刑の母は周囲の勧めるままに愛情

のない結婚をし刑刑が幼い頃に離婚していた母がノー

トの中で愛し漬けた男性の方も別の女性と結婚していた

その男性は解放前に上海で地下活動をしていたのだがあ

る労働者が彼を救うために犠牲となって娘が

一人残され

彼は道義的責任と階級的友愛からその娘と結婚していたの

った

「もう

一人の人間の幸福のために

彼らは自分の

情を

切-捨てざるを得なかった」のである刑刑は「世

間の法律やモラルなどというもののために二人はこの世

では結ばれなかったOそして

T度も手を振ることさえなか

ったけれども彼らは完全に相手を自分のものにした」

と確信する彼女は二度と母のような悲劇を繰-返さぬよ

う虞に愛し合える人が現れるまでは愛情のない結婚など

すまいと決心するO

この小説はどのよ-な理由であれ周囲からの歴力のまま

に結ばれた結婚を批判し県費の愛があるのに結婚できな

いという不僕理を訴えたものと諌める婚姻遺徳と愛情の

問題を考えさせる内容の深さにおいて新時期の愛情文革

を員に打ち建てたものと今では高-評債されているO面白

いことにこの十年の間に時代は急速に進み今ではこの小

説が不道徳であるとは感じられな-な

ってしま

った劉心

武はこういう話を紹介している

最近何人もの大学生がやってきて言うには「『愛

忘れがたきもの』のなかのあの老いら-の懲はまった

-お笑い草だ手を握

ったことさえないなんて

んなもの愛情のうちに入るものか」中の一人がさら

106

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文学報

第四十六柵

愛のない結婚がテーマである漢ロの花柳街生れの娘が

知識分子家庭出身で優秀な外科欝と知-合い男の親の反

対を押し切

って結婚するという話だがこういう設定から

身分を越えて愛を貫-といった純愛物語を期待してはなら

ない物語はそもそもすさまじい夫婦喧嘩で幕を開ける

妻は寛家

へ蹄-喧嘩は撃方の親

友人

職場を巻き込ん

で大騒動にな-かけるが原田は夫が妻の妊娠に束が付か

ずテレビのスポーツ観戦に熱中していたというたわいもな

いことであ

った離婚すると夫のアメリカ行きに差し障る

(単身者は身軽なので韓国しない恐れがあるから)とわかると

男の親が初めて花柳街を訪れて事態はにわかに解決する

このカップルにとって愛はそもそも存在しなかったのだ

主人公の外科腎妊建非にと

って結婚は

「聖人君子とちんぴらとの間にはただ前者が自慰を

経てから結婚を望むのにたいして後者は強姦や乱交

に襲展するという違いがあるだけであるo粧建非は君

子だ

ったので結婚を選んだ」

と言うように性欲を満たす合法的手段でしかない女の

方も計算づ-で近付いて結婚に持ち込んだのであるO結婚

が愛情に基づ-という意識はな-まるで感覚が麻痔して

しまったかのように愛のない結婚を不幸とも思

っていな

ヽ〇

一廿川じこの

「愛を語らず」は池新の出世作である中筋小説

「煩

わしき人生」(原題

「煩悩人生」『上海文学』八七年八期)の績

作であるこのあとの同じ-中笛

「太陽の誕生」(原題

「太

陽出世」『銀山』九〇年四期)とともに武漢を舞壷とした人

生喜劇三部作を構成する最初の

「煩わしき人生」で愛情

はどのように描かれていたかを振-返

ってみよう

「煩わしき人生」は漠口のある男の戦争のような長い長

い一日を描-絶え間ない現車に追われる毎日の生活のわ

ずらわしさそのものを題材にしてお-その意味ではこれ

までの現普代文学にあま-見られなかった新鮮な作品で

ある

住宅難通勤難等の中開の生活の不便さが背景にあ

るとしても生活に追われて生きる空しさは現代融合で普

遍性を持

ってお-それを文学に結晶させた意義は大きい

100

こんなあ-せ-した日々の中で美しい愛は下放時代の思

い出として主人公印家厚の心の奥底に仕舞いこまれてしま

う疲れ果てて蹄宅した剃郡に彼の胸をよぎるのは

「これこそが最も幸せな時間ではないか彼の家彼

の女房

たとえやつれたしょっちゅういがみあい

をしている女房であ

っても

この時月あか-の下

でささや-愛微妙な心の粁なんかこの磯え疲弊困

億した男からはるか遠-

へ去

っていってしまった」

という思いであ

ったこれが現資というものであろうか

疲れた心身を休める場でしかない家庭をえぐる作者の目は

鋭-容赦ないさらにこのあと彼は

別の二人の女性

(1

人は彼に好意を持つ同僚

一人は下放時代の懸人によ-似た幼稚

園の先生)の顔を思い浮べながら寝ている女房の頬をはた

いて肉鮭を求めるたしかに池和はこの作品で世間の夫婦

の賓態の一面を突こうとしているがここには愛の生きて

ゆ-飴地がないことも事責であるそれゆえ

「どうして婚

姻と愛情とは全-別のことなのだろう」という印家厚のつ

ぶやきは妙に説得力を持

っている

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

三作目の

「太陽の誕生」は結婚

妊娠

出産

青鬼と績

-ある夫婦の物語であるこの夫婦は始終喧嘩しながら

も協力して子育てにつとめ破局には到らないしかし大

普-心がすれちがう時が二回あ

った最初は妻のつわ-が

ひどい時

「わめいてやる

全世界の人間に聞かせてやるんだ

女房が妊娠して苦しんでいるのに亭主の野郎はそれ

をいいことに自分だけ良い目をして」

夫は別にやましいことをしているわけではない仕事が順

調なだけであるしかし自分だけ仕事で充寛しているのが

妻の気に食わない夫にと

って妻の怒-は不可解だ二度

目は出産後青鬼ノイローゼ気味の時

「あんたは毎日良い知らせがあるわよボーナスが出

た目標を達成した製品が某国の市場に進出した

試合に勝

った大学に行-ようになった私はどうな

の私も毎日良いニュースがあるわ朝陽

(赤ん坊の名

前)が指を噛まな-なった小菊(ベビー

シッタIの名

前)が醤油を買いに行

って

一園よけいにおっ-を貰

101

中国文筆報

第四十六掛

ってきた

朝陽がおむつを三枚しか濡らさな-な

った

抱えて五回おし

っこするようにな

った朝陽の大便は

一日二回から

一回にな

った軟らか-て黄色-て

棒状で臭-てなんていい知らせなんでしょうOあ

んたの娘は大人の排港をするようにな

ったのよ」

これは決して妻が子供をうとまし-思

っているのではない

自分が赤ん坊の世話にかか-

っき-にな

っている間に夫

だけが外の虹合でどんどん進展があるのを目の普た-にし

て自分が埋捜してしまいそ-な焦燥感に囚われているの

だ小説の中の夫は妻の自己喪失の苦しみを理解するこ

とな-公園に散歩に行

って同じ-らいの子供を持

つ母親

たちと友達になるよう勧めるo確かにそれによ-彼女の青

ノイ

ローゼは解消されたのだから良い解決方法であ

たことには達いない小説はここで終わるのだが夫婦の

関係二人の愛という鮎で考えるならばこの二度のささ

やかなすれちがいは購乗に亀裂の危険を学んでいる

池和の三部作を見てきたがどれも愛情を問題にしない

現代の結婚生活ばか-であるそれでも日々の暮らしはあ

たふたと過ぎてゆ-ここには美しい愛理想の愛を希求

する姿勢すらない

また

一方でも

っと若い世代の作家例えば

一九五六年生

れの徐星は庭女作の短篇小説

「主題のない襲奏曲」(原題

「無主題襲奏」『人民文筆』八五年七期)で都合の若者の虚無的

な心情をさら-と書-0

彼女の名前が老Qだと知る前にその晩俺たちは同

じスピードで

「愛」の最高峰に到達した

「私老Qっていうの」彼女は淡

々と名を告げると

もつれたブラジャーの紐を留め直しながらゆ

っ--

と言

った

「この段階にならないと

お互いに本営に

理解でき

っこないみたいねそうでしょ」

という具合に主人公の私と潜入の老Qは相手の名前さえ

知らないまま知-合

ったその晩に肉鰹関係を結ぶoしかし

大学中退で作家志望

1流

レストランのウエイターを勤め

る主人公の男は何かを待ちつつ何にも期待できないとい

う屈折した心理で自信はある-せにどうせ見込みはない

102

と投げや-になっている老Qの方は何とか彼を成功させ

たいと励ますのだがあま-にも無気力な男に愛想を轟か

して別れるその際も別れるべ-して別れたという感じで

蜜にあっさりとしている「主題のない奨奏曲」の績篤と

謹める翌年のご-短い小説

「殉道者」(『人民文学』八六年

十二月)はこの別れた懲人たちを思わせる男女が十年後に

偶然再合するというもので十年前の別れの場面の回想が

挟みこまれる再合しても二人の心はすれちがっているこ

とを確認しただけだった

(二)

った

-

劉心武

「愛情の位置」と

張抗抗

「愛する権利」-

いまご-最近の池新と徐星の小説に描かれた男女の有

様を見てきたが新時期文学十数年の歩みの中で最初か

らこれらのように文筆が愛にたいして淡泊だったわけでは

決してない文革で愛情とい-言葉を口にするのさえはば

かられるほど禁歴されまった-ゼロの地鮎からスタート

した皮切-の作品を見てみようまずこのタブーを破

って

新時期文嬰における愛の諸相(三枝)

愛の領域に踏み込んだのは劉心武の短篇小説

「愛情の位

置」(原題

「愛情的位置」『十月』七八年一期)であ

った

小説の内容は若い二人の出合いから彼らが愛を育んで

い-過程を描いたものである圏書館で

一緒に本を讃み

書物から目を移した見つめあいの中に思いを交わすデート

同僚の女性の打算的な結婚観を排し「あんた中風のお姑

さんの下の世話をする嫁にな-たいの~」という忠告にも

耳を貸さず相手の男性が安食堂のしがない賂餅焼きであ

るとい-ことも束にしない模範的懸愛であるOしかし彼

女は愛情と革命とのあるべき関係についての憾みすなわ

ち愛情自腹は健全なものであっても懲愛にうつつをぬかす

ことが革命遂行の妨げになるのではないかとの疑念を抱-0

それに封しては夫を国民薫に殺され

一生を革命に捧げてき

た老婦人を登場させ革命遅動の中で二人は熱烈に愛し合

いそれはむしろ革命

への情熱を掻き立てたのだと語らせ

愛情は革命家の生活の中で重要な位置を占めるべきだとい

う解答を輿えている

劉心武はこの小説で愛情をタブーから引き出し常時の

103

中国文学報

第四十六耕

風潮であった金銀至上主義的懲愛執を排して健康的で美し

い展の愛を求めるよう青年たちに呼びかけ正しい懲愛の

へ教え導こ-としたのであるo

「愛情の位置」は七八年七月二

〇日から二十三日まで四

日連続でラジオドラマとして放迭されたその反馨はすこ

ぶる大き-後に劉心武は

『愛情小説選』の序文の中で

「一九七八年の秋ある若者が外から締

ってきて戸を

開けると弟と妹が机の前に座

って放逸を聞いていた

ラジオからはちょうど

『愛情』の類の言葉が流れてい

て彼はびっ--仰天した後で私に手紙を-れて常

時の心境を形容して言うには『まった-政麺が起こ

ったのかと思いましたよ』その時放逸局が流してい

たのは私の短篇小説

『愛情の位置』でした小説の顎

表とラジオ放迭の後私は七千通の讃者の方々からの手

紙を受け取-ました

と語

っている愛情を押さえつけられてきた人々がいかに

大きな驚きを持

ってこの小説を迎えたかがわかろう

O

これ

ほど大きな反響を呼んだことで劉心武の目的は牛は達せら

れたといってよいしかし文学史的意義は大き-ても小

説自腹は意圏が明確すぎてまるで教科書のようであ-文

学作品としての水準は低いと言わざるをえないそれは劉

心武自身も自覚してお-今人々が求めているのは充分に

文学を楽しむことであるという理由から上に序文を引用

した

『愛情小説選』では自分の

「愛情の位置」を外して

いる彼のものでは新時期文学全鮭の出費鮎と評債される

「クラス捨任」(原題

「班主任」『人民文学』七七年十一月)の方

がまだしも説教臭さがな-優等生と不良少年に共通する

精神の歪みという盲鮎を突いた衝撃性において勝

っているO

無論後の劉心武は紀資小説の新しい試みなどで筆の冴えを

見せるようになるのだが

こうして出費した新時期の愛情文学だが翌年張抗抗

短篇小説

「愛する権利」(原題「愛的樽利」『収穫』七九年二期)

で新しい時代を迎えつつあるという樽換鮎の認識の上に

立って文革によって奪われていた人々の愛する榛利を取

-戻そうと訴えた小説の主人公は野貝野英の若い姉弟

- 104-

である彼らの父はバイオリニストで音栗大学の教授母

はソ連に留学した経験を持つソプラノ歌手だったがとも

に文革中に迫害を受ける父親は二年間

〝牛棚

に入れら

れ母親はスパイの濡れぎぬを着せられて自殺し

ていた

父は二年前

「弟の莫は二度と書架はやらぬこと姉の貝は

結婚をするなら必ず労働者を夫とすること」という遺言を

残して病死したところがまもな-四人組が打倒されたた

め弟はまたバイオリンを始めるが姉は文革中に受けた深

い心の痛手が障害となってひそかに愛する知識人の男性

に容易に心を開-ことができない「なぜ僕は僕の愛する

仕事をしてはならず姉さんは愛する人を愛してはいけな

いんだ」もはや以前とは違う新しい時代に入ったのだと

いう弟の信念は姉を突き動かし彼女もやがて心の扉を

開きはじめた

張抗抗は自侍の中で

「私は私の心の中の新しい時代に呼び醒まされた愛を

全部注ぎ込みました」「一人の人間が何を愛そうと阻

むことはできないものです

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

と語

っているO彼女は懲愛であれ個人の噂好であれ愛に

たいして全幅の信頼を寄せ政治が愛に介入し抑歴するの

を拒否し愛の成就

へ向けて理想と情熱を注ぎ込んでいる

「愛する構利」の段階ではまだ硬さが残

っているが翌年

「夏」(『人民文学』八〇年五期)では人間の個性を封じ込め

ようとする融合に反軍するみずみずしい若者像を描き出

して注目されるようになる

劉心武の

「愛情の位置」では愛という言葉を耳にする

だけでも恐ろしいという地鮎から出顎したが僅かl年で

聾高に愛する権利を主張する作品が出現したとい-ことは

人々の間で愛

への渇望が如何に強いものであったかを示し

ていよう

(

equiv)

の愛

-

張潔

「愛忘れがたきもの」-

劉心武と張抗抗が文学の中に愛を復活させ始めて間もな

い頃七九年十月から十

1月にかけて賓に十九年ぶ-に文

学蛮術工作者第四回代表大骨が開かれ郡小平が文学に封

する干渉を否定するなど思想解放ムードが高まる中で

- 105-

中開文畢報

第四十六か

張潔

短篇小説

「愛

忘れがたきもの」

(原題

「愛是不能

忘記的」『北京文蛮』七九年十一期)は

愛のない結婚と婚姻

外の愛を描きその賛否を巡

って激しい論争を巻き起こし

⑨た物

語は刑刑という女性が亡き母を回想する形で語られる

自分の遺骸と

一緒に茶舵に付して-れと母が遺言した

「愛

忘れがたきもの」と書かれたノートにはある男性に封す

る母の二十敷年間にわたる愛と苦悩が綴られていたその

男性は文革中に非業の死を途げたがその後も母はノート

に語-績け最後は天図で

1緒にな-ましょうと書き洩し

て死んでいった茸は刑刑の母は周囲の勧めるままに愛情

のない結婚をし刑刑が幼い頃に離婚していた母がノー

トの中で愛し漬けた男性の方も別の女性と結婚していた

その男性は解放前に上海で地下活動をしていたのだがあ

る労働者が彼を救うために犠牲となって娘が

一人残され

彼は道義的責任と階級的友愛からその娘と結婚していたの

った

「もう

一人の人間の幸福のために

彼らは自分の

情を

切-捨てざるを得なかった」のである刑刑は「世

間の法律やモラルなどというもののために二人はこの世

では結ばれなかったOそして

T度も手を振ることさえなか

ったけれども彼らは完全に相手を自分のものにした」

と確信する彼女は二度と母のような悲劇を繰-返さぬよ

う虞に愛し合える人が現れるまでは愛情のない結婚など

すまいと決心するO

この小説はどのよ-な理由であれ周囲からの歴力のまま

に結ばれた結婚を批判し県費の愛があるのに結婚できな

いという不僕理を訴えたものと諌める婚姻遺徳と愛情の

問題を考えさせる内容の深さにおいて新時期の愛情文革

を員に打ち建てたものと今では高-評債されているO面白

いことにこの十年の間に時代は急速に進み今ではこの小

説が不道徳であるとは感じられな-な

ってしま

った劉心

武はこういう話を紹介している

最近何人もの大学生がやってきて言うには「『愛

忘れがたきもの』のなかのあの老いら-の懲はまった

-お笑い草だ手を握

ったことさえないなんて

んなもの愛情のうちに入るものか」中の一人がさら

106

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

こんなあ-せ-した日々の中で美しい愛は下放時代の思

い出として主人公印家厚の心の奥底に仕舞いこまれてしま

う疲れ果てて蹄宅した剃郡に彼の胸をよぎるのは

「これこそが最も幸せな時間ではないか彼の家彼

の女房

たとえやつれたしょっちゅういがみあい

をしている女房であ

っても

この時月あか-の下

でささや-愛微妙な心の粁なんかこの磯え疲弊困

億した男からはるか遠-

へ去

っていってしまった」

という思いであ

ったこれが現資というものであろうか

疲れた心身を休める場でしかない家庭をえぐる作者の目は

鋭-容赦ないさらにこのあと彼は

別の二人の女性

(1

人は彼に好意を持つ同僚

一人は下放時代の懸人によ-似た幼稚

園の先生)の顔を思い浮べながら寝ている女房の頬をはた

いて肉鮭を求めるたしかに池和はこの作品で世間の夫婦

の賓態の一面を突こうとしているがここには愛の生きて

ゆ-飴地がないことも事責であるそれゆえ

「どうして婚

姻と愛情とは全-別のことなのだろう」という印家厚のつ

ぶやきは妙に説得力を持

っている

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

三作目の

「太陽の誕生」は結婚

妊娠

出産

青鬼と績

-ある夫婦の物語であるこの夫婦は始終喧嘩しながら

も協力して子育てにつとめ破局には到らないしかし大

普-心がすれちがう時が二回あ

った最初は妻のつわ-が

ひどい時

「わめいてやる

全世界の人間に聞かせてやるんだ

女房が妊娠して苦しんでいるのに亭主の野郎はそれ

をいいことに自分だけ良い目をして」

夫は別にやましいことをしているわけではない仕事が順

調なだけであるしかし自分だけ仕事で充寛しているのが

妻の気に食わない夫にと

って妻の怒-は不可解だ二度

目は出産後青鬼ノイローゼ気味の時

「あんたは毎日良い知らせがあるわよボーナスが出

た目標を達成した製品が某国の市場に進出した

試合に勝

った大学に行-ようになった私はどうな

の私も毎日良いニュースがあるわ朝陽

(赤ん坊の名

前)が指を噛まな-なった小菊(ベビー

シッタIの名

前)が醤油を買いに行

って

一園よけいにおっ-を貰

101

中国文筆報

第四十六掛

ってきた

朝陽がおむつを三枚しか濡らさな-な

った

抱えて五回おし

っこするようにな

った朝陽の大便は

一日二回から

一回にな

った軟らか-て黄色-て

棒状で臭-てなんていい知らせなんでしょうOあ

んたの娘は大人の排港をするようにな

ったのよ」

これは決して妻が子供をうとまし-思

っているのではない

自分が赤ん坊の世話にかか-

っき-にな

っている間に夫

だけが外の虹合でどんどん進展があるのを目の普た-にし

て自分が埋捜してしまいそ-な焦燥感に囚われているの

だ小説の中の夫は妻の自己喪失の苦しみを理解するこ

とな-公園に散歩に行

って同じ-らいの子供を持

つ母親

たちと友達になるよう勧めるo確かにそれによ-彼女の青

ノイ

ローゼは解消されたのだから良い解決方法であ

たことには達いない小説はここで終わるのだが夫婦の

関係二人の愛という鮎で考えるならばこの二度のささ

やかなすれちがいは購乗に亀裂の危険を学んでいる

池和の三部作を見てきたがどれも愛情を問題にしない

現代の結婚生活ばか-であるそれでも日々の暮らしはあ

たふたと過ぎてゆ-ここには美しい愛理想の愛を希求

する姿勢すらない

また

一方でも

っと若い世代の作家例えば

一九五六年生

れの徐星は庭女作の短篇小説

「主題のない襲奏曲」(原題

「無主題襲奏」『人民文筆』八五年七期)で都合の若者の虚無的

な心情をさら-と書-0

彼女の名前が老Qだと知る前にその晩俺たちは同

じスピードで

「愛」の最高峰に到達した

「私老Qっていうの」彼女は淡

々と名を告げると

もつれたブラジャーの紐を留め直しながらゆ

っ--

と言

った

「この段階にならないと

お互いに本営に

理解でき

っこないみたいねそうでしょ」

という具合に主人公の私と潜入の老Qは相手の名前さえ

知らないまま知-合

ったその晩に肉鰹関係を結ぶoしかし

大学中退で作家志望

1流

レストランのウエイターを勤め

る主人公の男は何かを待ちつつ何にも期待できないとい

う屈折した心理で自信はある-せにどうせ見込みはない

102

と投げや-になっている老Qの方は何とか彼を成功させ

たいと励ますのだがあま-にも無気力な男に愛想を轟か

して別れるその際も別れるべ-して別れたという感じで

蜜にあっさりとしている「主題のない奨奏曲」の績篤と

謹める翌年のご-短い小説

「殉道者」(『人民文学』八六年

十二月)はこの別れた懲人たちを思わせる男女が十年後に

偶然再合するというもので十年前の別れの場面の回想が

挟みこまれる再合しても二人の心はすれちがっているこ

とを確認しただけだった

(二)

った

-

劉心武

「愛情の位置」と

張抗抗

「愛する権利」-

いまご-最近の池新と徐星の小説に描かれた男女の有

様を見てきたが新時期文学十数年の歩みの中で最初か

らこれらのように文筆が愛にたいして淡泊だったわけでは

決してない文革で愛情とい-言葉を口にするのさえはば

かられるほど禁歴されまった-ゼロの地鮎からスタート

した皮切-の作品を見てみようまずこのタブーを破

って

新時期文嬰における愛の諸相(三枝)

愛の領域に踏み込んだのは劉心武の短篇小説

「愛情の位

置」(原題

「愛情的位置」『十月』七八年一期)であ

った

小説の内容は若い二人の出合いから彼らが愛を育んで

い-過程を描いたものである圏書館で

一緒に本を讃み

書物から目を移した見つめあいの中に思いを交わすデート

同僚の女性の打算的な結婚観を排し「あんた中風のお姑

さんの下の世話をする嫁にな-たいの~」という忠告にも

耳を貸さず相手の男性が安食堂のしがない賂餅焼きであ

るとい-ことも束にしない模範的懸愛であるOしかし彼

女は愛情と革命とのあるべき関係についての憾みすなわ

ち愛情自腹は健全なものであっても懲愛にうつつをぬかす

ことが革命遂行の妨げになるのではないかとの疑念を抱-0

それに封しては夫を国民薫に殺され

一生を革命に捧げてき

た老婦人を登場させ革命遅動の中で二人は熱烈に愛し合

いそれはむしろ革命

への情熱を掻き立てたのだと語らせ

愛情は革命家の生活の中で重要な位置を占めるべきだとい

う解答を輿えている

劉心武はこの小説で愛情をタブーから引き出し常時の

103

中国文学報

第四十六耕

風潮であった金銀至上主義的懲愛執を排して健康的で美し

い展の愛を求めるよう青年たちに呼びかけ正しい懲愛の

へ教え導こ-としたのであるo

「愛情の位置」は七八年七月二

〇日から二十三日まで四

日連続でラジオドラマとして放迭されたその反馨はすこ

ぶる大き-後に劉心武は

『愛情小説選』の序文の中で

「一九七八年の秋ある若者が外から締

ってきて戸を

開けると弟と妹が机の前に座

って放逸を聞いていた

ラジオからはちょうど

『愛情』の類の言葉が流れてい

て彼はびっ--仰天した後で私に手紙を-れて常

時の心境を形容して言うには『まった-政麺が起こ

ったのかと思いましたよ』その時放逸局が流してい

たのは私の短篇小説

『愛情の位置』でした小説の顎

表とラジオ放迭の後私は七千通の讃者の方々からの手

紙を受け取-ました

と語

っている愛情を押さえつけられてきた人々がいかに

大きな驚きを持

ってこの小説を迎えたかがわかろう

O

これ

ほど大きな反響を呼んだことで劉心武の目的は牛は達せら

れたといってよいしかし文学史的意義は大き-ても小

説自腹は意圏が明確すぎてまるで教科書のようであ-文

学作品としての水準は低いと言わざるをえないそれは劉

心武自身も自覚してお-今人々が求めているのは充分に

文学を楽しむことであるという理由から上に序文を引用

した

『愛情小説選』では自分の

「愛情の位置」を外して

いる彼のものでは新時期文学全鮭の出費鮎と評債される

「クラス捨任」(原題

「班主任」『人民文学』七七年十一月)の方

がまだしも説教臭さがな-優等生と不良少年に共通する

精神の歪みという盲鮎を突いた衝撃性において勝

っているO

無論後の劉心武は紀資小説の新しい試みなどで筆の冴えを

見せるようになるのだが

こうして出費した新時期の愛情文学だが翌年張抗抗

短篇小説

「愛する権利」(原題「愛的樽利」『収穫』七九年二期)

で新しい時代を迎えつつあるという樽換鮎の認識の上に

立って文革によって奪われていた人々の愛する榛利を取

-戻そうと訴えた小説の主人公は野貝野英の若い姉弟

- 104-

である彼らの父はバイオリニストで音栗大学の教授母

はソ連に留学した経験を持つソプラノ歌手だったがとも

に文革中に迫害を受ける父親は二年間

〝牛棚

に入れら

れ母親はスパイの濡れぎぬを着せられて自殺し

ていた

父は二年前

「弟の莫は二度と書架はやらぬこと姉の貝は

結婚をするなら必ず労働者を夫とすること」という遺言を

残して病死したところがまもな-四人組が打倒されたた

め弟はまたバイオリンを始めるが姉は文革中に受けた深

い心の痛手が障害となってひそかに愛する知識人の男性

に容易に心を開-ことができない「なぜ僕は僕の愛する

仕事をしてはならず姉さんは愛する人を愛してはいけな

いんだ」もはや以前とは違う新しい時代に入ったのだと

いう弟の信念は姉を突き動かし彼女もやがて心の扉を

開きはじめた

張抗抗は自侍の中で

「私は私の心の中の新しい時代に呼び醒まされた愛を

全部注ぎ込みました」「一人の人間が何を愛そうと阻

むことはできないものです

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

と語

っているO彼女は懲愛であれ個人の噂好であれ愛に

たいして全幅の信頼を寄せ政治が愛に介入し抑歴するの

を拒否し愛の成就

へ向けて理想と情熱を注ぎ込んでいる

「愛する構利」の段階ではまだ硬さが残

っているが翌年

「夏」(『人民文学』八〇年五期)では人間の個性を封じ込め

ようとする融合に反軍するみずみずしい若者像を描き出

して注目されるようになる

劉心武の

「愛情の位置」では愛という言葉を耳にする

だけでも恐ろしいという地鮎から出顎したが僅かl年で

聾高に愛する権利を主張する作品が出現したとい-ことは

人々の間で愛

への渇望が如何に強いものであったかを示し

ていよう

(

equiv)

の愛

-

張潔

「愛忘れがたきもの」-

劉心武と張抗抗が文学の中に愛を復活させ始めて間もな

い頃七九年十月から十

1月にかけて賓に十九年ぶ-に文

学蛮術工作者第四回代表大骨が開かれ郡小平が文学に封

する干渉を否定するなど思想解放ムードが高まる中で

- 105-

中開文畢報

第四十六か

張潔

短篇小説

「愛

忘れがたきもの」

(原題

「愛是不能

忘記的」『北京文蛮』七九年十一期)は

愛のない結婚と婚姻

外の愛を描きその賛否を巡

って激しい論争を巻き起こし

⑨た物

語は刑刑という女性が亡き母を回想する形で語られる

自分の遺骸と

一緒に茶舵に付して-れと母が遺言した

「愛

忘れがたきもの」と書かれたノートにはある男性に封す

る母の二十敷年間にわたる愛と苦悩が綴られていたその

男性は文革中に非業の死を途げたがその後も母はノート

に語-績け最後は天図で

1緒にな-ましょうと書き洩し

て死んでいった茸は刑刑の母は周囲の勧めるままに愛情

のない結婚をし刑刑が幼い頃に離婚していた母がノー

トの中で愛し漬けた男性の方も別の女性と結婚していた

その男性は解放前に上海で地下活動をしていたのだがあ

る労働者が彼を救うために犠牲となって娘が

一人残され

彼は道義的責任と階級的友愛からその娘と結婚していたの

った

「もう

一人の人間の幸福のために

彼らは自分の

情を

切-捨てざるを得なかった」のである刑刑は「世

間の法律やモラルなどというもののために二人はこの世

では結ばれなかったOそして

T度も手を振ることさえなか

ったけれども彼らは完全に相手を自分のものにした」

と確信する彼女は二度と母のような悲劇を繰-返さぬよ

う虞に愛し合える人が現れるまでは愛情のない結婚など

すまいと決心するO

この小説はどのよ-な理由であれ周囲からの歴力のまま

に結ばれた結婚を批判し県費の愛があるのに結婚できな

いという不僕理を訴えたものと諌める婚姻遺徳と愛情の

問題を考えさせる内容の深さにおいて新時期の愛情文革

を員に打ち建てたものと今では高-評債されているO面白

いことにこの十年の間に時代は急速に進み今ではこの小

説が不道徳であるとは感じられな-な

ってしま

った劉心

武はこういう話を紹介している

最近何人もの大学生がやってきて言うには「『愛

忘れがたきもの』のなかのあの老いら-の懲はまった

-お笑い草だ手を握

ったことさえないなんて

んなもの愛情のうちに入るものか」中の一人がさら

106

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文筆報

第四十六掛

ってきた

朝陽がおむつを三枚しか濡らさな-な

った

抱えて五回おし

っこするようにな

った朝陽の大便は

一日二回から

一回にな

った軟らか-て黄色-て

棒状で臭-てなんていい知らせなんでしょうOあ

んたの娘は大人の排港をするようにな

ったのよ」

これは決して妻が子供をうとまし-思

っているのではない

自分が赤ん坊の世話にかか-

っき-にな

っている間に夫

だけが外の虹合でどんどん進展があるのを目の普た-にし

て自分が埋捜してしまいそ-な焦燥感に囚われているの

だ小説の中の夫は妻の自己喪失の苦しみを理解するこ

とな-公園に散歩に行

って同じ-らいの子供を持

つ母親

たちと友達になるよう勧めるo確かにそれによ-彼女の青

ノイ

ローゼは解消されたのだから良い解決方法であ

たことには達いない小説はここで終わるのだが夫婦の

関係二人の愛という鮎で考えるならばこの二度のささ

やかなすれちがいは購乗に亀裂の危険を学んでいる

池和の三部作を見てきたがどれも愛情を問題にしない

現代の結婚生活ばか-であるそれでも日々の暮らしはあ

たふたと過ぎてゆ-ここには美しい愛理想の愛を希求

する姿勢すらない

また

一方でも

っと若い世代の作家例えば

一九五六年生

れの徐星は庭女作の短篇小説

「主題のない襲奏曲」(原題

「無主題襲奏」『人民文筆』八五年七期)で都合の若者の虚無的

な心情をさら-と書-0

彼女の名前が老Qだと知る前にその晩俺たちは同

じスピードで

「愛」の最高峰に到達した

「私老Qっていうの」彼女は淡

々と名を告げると

もつれたブラジャーの紐を留め直しながらゆ

っ--

と言

った

「この段階にならないと

お互いに本営に

理解でき

っこないみたいねそうでしょ」

という具合に主人公の私と潜入の老Qは相手の名前さえ

知らないまま知-合

ったその晩に肉鰹関係を結ぶoしかし

大学中退で作家志望

1流

レストランのウエイターを勤め

る主人公の男は何かを待ちつつ何にも期待できないとい

う屈折した心理で自信はある-せにどうせ見込みはない

102

と投げや-になっている老Qの方は何とか彼を成功させ

たいと励ますのだがあま-にも無気力な男に愛想を轟か

して別れるその際も別れるべ-して別れたという感じで

蜜にあっさりとしている「主題のない奨奏曲」の績篤と

謹める翌年のご-短い小説

「殉道者」(『人民文学』八六年

十二月)はこの別れた懲人たちを思わせる男女が十年後に

偶然再合するというもので十年前の別れの場面の回想が

挟みこまれる再合しても二人の心はすれちがっているこ

とを確認しただけだった

(二)

った

-

劉心武

「愛情の位置」と

張抗抗

「愛する権利」-

いまご-最近の池新と徐星の小説に描かれた男女の有

様を見てきたが新時期文学十数年の歩みの中で最初か

らこれらのように文筆が愛にたいして淡泊だったわけでは

決してない文革で愛情とい-言葉を口にするのさえはば

かられるほど禁歴されまった-ゼロの地鮎からスタート

した皮切-の作品を見てみようまずこのタブーを破

って

新時期文嬰における愛の諸相(三枝)

愛の領域に踏み込んだのは劉心武の短篇小説

「愛情の位

置」(原題

「愛情的位置」『十月』七八年一期)であ

った

小説の内容は若い二人の出合いから彼らが愛を育んで

い-過程を描いたものである圏書館で

一緒に本を讃み

書物から目を移した見つめあいの中に思いを交わすデート

同僚の女性の打算的な結婚観を排し「あんた中風のお姑

さんの下の世話をする嫁にな-たいの~」という忠告にも

耳を貸さず相手の男性が安食堂のしがない賂餅焼きであ

るとい-ことも束にしない模範的懸愛であるOしかし彼

女は愛情と革命とのあるべき関係についての憾みすなわ

ち愛情自腹は健全なものであっても懲愛にうつつをぬかす

ことが革命遂行の妨げになるのではないかとの疑念を抱-0

それに封しては夫を国民薫に殺され

一生を革命に捧げてき

た老婦人を登場させ革命遅動の中で二人は熱烈に愛し合

いそれはむしろ革命

への情熱を掻き立てたのだと語らせ

愛情は革命家の生活の中で重要な位置を占めるべきだとい

う解答を輿えている

劉心武はこの小説で愛情をタブーから引き出し常時の

103

中国文学報

第四十六耕

風潮であった金銀至上主義的懲愛執を排して健康的で美し

い展の愛を求めるよう青年たちに呼びかけ正しい懲愛の

へ教え導こ-としたのであるo

「愛情の位置」は七八年七月二

〇日から二十三日まで四

日連続でラジオドラマとして放迭されたその反馨はすこ

ぶる大き-後に劉心武は

『愛情小説選』の序文の中で

「一九七八年の秋ある若者が外から締

ってきて戸を

開けると弟と妹が机の前に座

って放逸を聞いていた

ラジオからはちょうど

『愛情』の類の言葉が流れてい

て彼はびっ--仰天した後で私に手紙を-れて常

時の心境を形容して言うには『まった-政麺が起こ

ったのかと思いましたよ』その時放逸局が流してい

たのは私の短篇小説

『愛情の位置』でした小説の顎

表とラジオ放迭の後私は七千通の讃者の方々からの手

紙を受け取-ました

と語

っている愛情を押さえつけられてきた人々がいかに

大きな驚きを持

ってこの小説を迎えたかがわかろう

O

これ

ほど大きな反響を呼んだことで劉心武の目的は牛は達せら

れたといってよいしかし文学史的意義は大き-ても小

説自腹は意圏が明確すぎてまるで教科書のようであ-文

学作品としての水準は低いと言わざるをえないそれは劉

心武自身も自覚してお-今人々が求めているのは充分に

文学を楽しむことであるという理由から上に序文を引用

した

『愛情小説選』では自分の

「愛情の位置」を外して

いる彼のものでは新時期文学全鮭の出費鮎と評債される

「クラス捨任」(原題

「班主任」『人民文学』七七年十一月)の方

がまだしも説教臭さがな-優等生と不良少年に共通する

精神の歪みという盲鮎を突いた衝撃性において勝

っているO

無論後の劉心武は紀資小説の新しい試みなどで筆の冴えを

見せるようになるのだが

こうして出費した新時期の愛情文学だが翌年張抗抗

短篇小説

「愛する権利」(原題「愛的樽利」『収穫』七九年二期)

で新しい時代を迎えつつあるという樽換鮎の認識の上に

立って文革によって奪われていた人々の愛する榛利を取

-戻そうと訴えた小説の主人公は野貝野英の若い姉弟

- 104-

である彼らの父はバイオリニストで音栗大学の教授母

はソ連に留学した経験を持つソプラノ歌手だったがとも

に文革中に迫害を受ける父親は二年間

〝牛棚

に入れら

れ母親はスパイの濡れぎぬを着せられて自殺し

ていた

父は二年前

「弟の莫は二度と書架はやらぬこと姉の貝は

結婚をするなら必ず労働者を夫とすること」という遺言を

残して病死したところがまもな-四人組が打倒されたた

め弟はまたバイオリンを始めるが姉は文革中に受けた深

い心の痛手が障害となってひそかに愛する知識人の男性

に容易に心を開-ことができない「なぜ僕は僕の愛する

仕事をしてはならず姉さんは愛する人を愛してはいけな

いんだ」もはや以前とは違う新しい時代に入ったのだと

いう弟の信念は姉を突き動かし彼女もやがて心の扉を

開きはじめた

張抗抗は自侍の中で

「私は私の心の中の新しい時代に呼び醒まされた愛を

全部注ぎ込みました」「一人の人間が何を愛そうと阻

むことはできないものです

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

と語

っているO彼女は懲愛であれ個人の噂好であれ愛に

たいして全幅の信頼を寄せ政治が愛に介入し抑歴するの

を拒否し愛の成就

へ向けて理想と情熱を注ぎ込んでいる

「愛する構利」の段階ではまだ硬さが残

っているが翌年

「夏」(『人民文学』八〇年五期)では人間の個性を封じ込め

ようとする融合に反軍するみずみずしい若者像を描き出

して注目されるようになる

劉心武の

「愛情の位置」では愛という言葉を耳にする

だけでも恐ろしいという地鮎から出顎したが僅かl年で

聾高に愛する権利を主張する作品が出現したとい-ことは

人々の間で愛

への渇望が如何に強いものであったかを示し

ていよう

(

equiv)

の愛

-

張潔

「愛忘れがたきもの」-

劉心武と張抗抗が文学の中に愛を復活させ始めて間もな

い頃七九年十月から十

1月にかけて賓に十九年ぶ-に文

学蛮術工作者第四回代表大骨が開かれ郡小平が文学に封

する干渉を否定するなど思想解放ムードが高まる中で

- 105-

中開文畢報

第四十六か

張潔

短篇小説

「愛

忘れがたきもの」

(原題

「愛是不能

忘記的」『北京文蛮』七九年十一期)は

愛のない結婚と婚姻

外の愛を描きその賛否を巡

って激しい論争を巻き起こし

⑨た物

語は刑刑という女性が亡き母を回想する形で語られる

自分の遺骸と

一緒に茶舵に付して-れと母が遺言した

「愛

忘れがたきもの」と書かれたノートにはある男性に封す

る母の二十敷年間にわたる愛と苦悩が綴られていたその

男性は文革中に非業の死を途げたがその後も母はノート

に語-績け最後は天図で

1緒にな-ましょうと書き洩し

て死んでいった茸は刑刑の母は周囲の勧めるままに愛情

のない結婚をし刑刑が幼い頃に離婚していた母がノー

トの中で愛し漬けた男性の方も別の女性と結婚していた

その男性は解放前に上海で地下活動をしていたのだがあ

る労働者が彼を救うために犠牲となって娘が

一人残され

彼は道義的責任と階級的友愛からその娘と結婚していたの

った

「もう

一人の人間の幸福のために

彼らは自分の

情を

切-捨てざるを得なかった」のである刑刑は「世

間の法律やモラルなどというもののために二人はこの世

では結ばれなかったOそして

T度も手を振ることさえなか

ったけれども彼らは完全に相手を自分のものにした」

と確信する彼女は二度と母のような悲劇を繰-返さぬよ

う虞に愛し合える人が現れるまでは愛情のない結婚など

すまいと決心するO

この小説はどのよ-な理由であれ周囲からの歴力のまま

に結ばれた結婚を批判し県費の愛があるのに結婚できな

いという不僕理を訴えたものと諌める婚姻遺徳と愛情の

問題を考えさせる内容の深さにおいて新時期の愛情文革

を員に打ち建てたものと今では高-評債されているO面白

いことにこの十年の間に時代は急速に進み今ではこの小

説が不道徳であるとは感じられな-な

ってしま

った劉心

武はこういう話を紹介している

最近何人もの大学生がやってきて言うには「『愛

忘れがたきもの』のなかのあの老いら-の懲はまった

-お笑い草だ手を握

ったことさえないなんて

んなもの愛情のうちに入るものか」中の一人がさら

106

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

と投げや-になっている老Qの方は何とか彼を成功させ

たいと励ますのだがあま-にも無気力な男に愛想を轟か

して別れるその際も別れるべ-して別れたという感じで

蜜にあっさりとしている「主題のない奨奏曲」の績篤と

謹める翌年のご-短い小説

「殉道者」(『人民文学』八六年

十二月)はこの別れた懲人たちを思わせる男女が十年後に

偶然再合するというもので十年前の別れの場面の回想が

挟みこまれる再合しても二人の心はすれちがっているこ

とを確認しただけだった

(二)

った

-

劉心武

「愛情の位置」と

張抗抗

「愛する権利」-

いまご-最近の池新と徐星の小説に描かれた男女の有

様を見てきたが新時期文学十数年の歩みの中で最初か

らこれらのように文筆が愛にたいして淡泊だったわけでは

決してない文革で愛情とい-言葉を口にするのさえはば

かられるほど禁歴されまった-ゼロの地鮎からスタート

した皮切-の作品を見てみようまずこのタブーを破

って

新時期文嬰における愛の諸相(三枝)

愛の領域に踏み込んだのは劉心武の短篇小説

「愛情の位

置」(原題

「愛情的位置」『十月』七八年一期)であ

った

小説の内容は若い二人の出合いから彼らが愛を育んで

い-過程を描いたものである圏書館で

一緒に本を讃み

書物から目を移した見つめあいの中に思いを交わすデート

同僚の女性の打算的な結婚観を排し「あんた中風のお姑

さんの下の世話をする嫁にな-たいの~」という忠告にも

耳を貸さず相手の男性が安食堂のしがない賂餅焼きであ

るとい-ことも束にしない模範的懸愛であるOしかし彼

女は愛情と革命とのあるべき関係についての憾みすなわ

ち愛情自腹は健全なものであっても懲愛にうつつをぬかす

ことが革命遂行の妨げになるのではないかとの疑念を抱-0

それに封しては夫を国民薫に殺され

一生を革命に捧げてき

た老婦人を登場させ革命遅動の中で二人は熱烈に愛し合

いそれはむしろ革命

への情熱を掻き立てたのだと語らせ

愛情は革命家の生活の中で重要な位置を占めるべきだとい

う解答を輿えている

劉心武はこの小説で愛情をタブーから引き出し常時の

103

中国文学報

第四十六耕

風潮であった金銀至上主義的懲愛執を排して健康的で美し

い展の愛を求めるよう青年たちに呼びかけ正しい懲愛の

へ教え導こ-としたのであるo

「愛情の位置」は七八年七月二

〇日から二十三日まで四

日連続でラジオドラマとして放迭されたその反馨はすこ

ぶる大き-後に劉心武は

『愛情小説選』の序文の中で

「一九七八年の秋ある若者が外から締

ってきて戸を

開けると弟と妹が机の前に座

って放逸を聞いていた

ラジオからはちょうど

『愛情』の類の言葉が流れてい

て彼はびっ--仰天した後で私に手紙を-れて常

時の心境を形容して言うには『まった-政麺が起こ

ったのかと思いましたよ』その時放逸局が流してい

たのは私の短篇小説

『愛情の位置』でした小説の顎

表とラジオ放迭の後私は七千通の讃者の方々からの手

紙を受け取-ました

と語

っている愛情を押さえつけられてきた人々がいかに

大きな驚きを持

ってこの小説を迎えたかがわかろう

O

これ

ほど大きな反響を呼んだことで劉心武の目的は牛は達せら

れたといってよいしかし文学史的意義は大き-ても小

説自腹は意圏が明確すぎてまるで教科書のようであ-文

学作品としての水準は低いと言わざるをえないそれは劉

心武自身も自覚してお-今人々が求めているのは充分に

文学を楽しむことであるという理由から上に序文を引用

した

『愛情小説選』では自分の

「愛情の位置」を外して

いる彼のものでは新時期文学全鮭の出費鮎と評債される

「クラス捨任」(原題

「班主任」『人民文学』七七年十一月)の方

がまだしも説教臭さがな-優等生と不良少年に共通する

精神の歪みという盲鮎を突いた衝撃性において勝

っているO

無論後の劉心武は紀資小説の新しい試みなどで筆の冴えを

見せるようになるのだが

こうして出費した新時期の愛情文学だが翌年張抗抗

短篇小説

「愛する権利」(原題「愛的樽利」『収穫』七九年二期)

で新しい時代を迎えつつあるという樽換鮎の認識の上に

立って文革によって奪われていた人々の愛する榛利を取

-戻そうと訴えた小説の主人公は野貝野英の若い姉弟

- 104-

である彼らの父はバイオリニストで音栗大学の教授母

はソ連に留学した経験を持つソプラノ歌手だったがとも

に文革中に迫害を受ける父親は二年間

〝牛棚

に入れら

れ母親はスパイの濡れぎぬを着せられて自殺し

ていた

父は二年前

「弟の莫は二度と書架はやらぬこと姉の貝は

結婚をするなら必ず労働者を夫とすること」という遺言を

残して病死したところがまもな-四人組が打倒されたた

め弟はまたバイオリンを始めるが姉は文革中に受けた深

い心の痛手が障害となってひそかに愛する知識人の男性

に容易に心を開-ことができない「なぜ僕は僕の愛する

仕事をしてはならず姉さんは愛する人を愛してはいけな

いんだ」もはや以前とは違う新しい時代に入ったのだと

いう弟の信念は姉を突き動かし彼女もやがて心の扉を

開きはじめた

張抗抗は自侍の中で

「私は私の心の中の新しい時代に呼び醒まされた愛を

全部注ぎ込みました」「一人の人間が何を愛そうと阻

むことはできないものです

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

と語

っているO彼女は懲愛であれ個人の噂好であれ愛に

たいして全幅の信頼を寄せ政治が愛に介入し抑歴するの

を拒否し愛の成就

へ向けて理想と情熱を注ぎ込んでいる

「愛する構利」の段階ではまだ硬さが残

っているが翌年

「夏」(『人民文学』八〇年五期)では人間の個性を封じ込め

ようとする融合に反軍するみずみずしい若者像を描き出

して注目されるようになる

劉心武の

「愛情の位置」では愛という言葉を耳にする

だけでも恐ろしいという地鮎から出顎したが僅かl年で

聾高に愛する権利を主張する作品が出現したとい-ことは

人々の間で愛

への渇望が如何に強いものであったかを示し

ていよう

(

equiv)

の愛

-

張潔

「愛忘れがたきもの」-

劉心武と張抗抗が文学の中に愛を復活させ始めて間もな

い頃七九年十月から十

1月にかけて賓に十九年ぶ-に文

学蛮術工作者第四回代表大骨が開かれ郡小平が文学に封

する干渉を否定するなど思想解放ムードが高まる中で

- 105-

中開文畢報

第四十六か

張潔

短篇小説

「愛

忘れがたきもの」

(原題

「愛是不能

忘記的」『北京文蛮』七九年十一期)は

愛のない結婚と婚姻

外の愛を描きその賛否を巡

って激しい論争を巻き起こし

⑨た物

語は刑刑という女性が亡き母を回想する形で語られる

自分の遺骸と

一緒に茶舵に付して-れと母が遺言した

「愛

忘れがたきもの」と書かれたノートにはある男性に封す

る母の二十敷年間にわたる愛と苦悩が綴られていたその

男性は文革中に非業の死を途げたがその後も母はノート

に語-績け最後は天図で

1緒にな-ましょうと書き洩し

て死んでいった茸は刑刑の母は周囲の勧めるままに愛情

のない結婚をし刑刑が幼い頃に離婚していた母がノー

トの中で愛し漬けた男性の方も別の女性と結婚していた

その男性は解放前に上海で地下活動をしていたのだがあ

る労働者が彼を救うために犠牲となって娘が

一人残され

彼は道義的責任と階級的友愛からその娘と結婚していたの

った

「もう

一人の人間の幸福のために

彼らは自分の

情を

切-捨てざるを得なかった」のである刑刑は「世

間の法律やモラルなどというもののために二人はこの世

では結ばれなかったOそして

T度も手を振ることさえなか

ったけれども彼らは完全に相手を自分のものにした」

と確信する彼女は二度と母のような悲劇を繰-返さぬよ

う虞に愛し合える人が現れるまでは愛情のない結婚など

すまいと決心するO

この小説はどのよ-な理由であれ周囲からの歴力のまま

に結ばれた結婚を批判し県費の愛があるのに結婚できな

いという不僕理を訴えたものと諌める婚姻遺徳と愛情の

問題を考えさせる内容の深さにおいて新時期の愛情文革

を員に打ち建てたものと今では高-評債されているO面白

いことにこの十年の間に時代は急速に進み今ではこの小

説が不道徳であるとは感じられな-な

ってしま

った劉心

武はこういう話を紹介している

最近何人もの大学生がやってきて言うには「『愛

忘れがたきもの』のなかのあの老いら-の懲はまった

-お笑い草だ手を握

ったことさえないなんて

んなもの愛情のうちに入るものか」中の一人がさら

106

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文学報

第四十六耕

風潮であった金銀至上主義的懲愛執を排して健康的で美し

い展の愛を求めるよう青年たちに呼びかけ正しい懲愛の

へ教え導こ-としたのであるo

「愛情の位置」は七八年七月二

〇日から二十三日まで四

日連続でラジオドラマとして放迭されたその反馨はすこ

ぶる大き-後に劉心武は

『愛情小説選』の序文の中で

「一九七八年の秋ある若者が外から締

ってきて戸を

開けると弟と妹が机の前に座

って放逸を聞いていた

ラジオからはちょうど

『愛情』の類の言葉が流れてい

て彼はびっ--仰天した後で私に手紙を-れて常

時の心境を形容して言うには『まった-政麺が起こ

ったのかと思いましたよ』その時放逸局が流してい

たのは私の短篇小説

『愛情の位置』でした小説の顎

表とラジオ放迭の後私は七千通の讃者の方々からの手

紙を受け取-ました

と語

っている愛情を押さえつけられてきた人々がいかに

大きな驚きを持

ってこの小説を迎えたかがわかろう

O

これ

ほど大きな反響を呼んだことで劉心武の目的は牛は達せら

れたといってよいしかし文学史的意義は大き-ても小

説自腹は意圏が明確すぎてまるで教科書のようであ-文

学作品としての水準は低いと言わざるをえないそれは劉

心武自身も自覚してお-今人々が求めているのは充分に

文学を楽しむことであるという理由から上に序文を引用

した

『愛情小説選』では自分の

「愛情の位置」を外して

いる彼のものでは新時期文学全鮭の出費鮎と評債される

「クラス捨任」(原題

「班主任」『人民文学』七七年十一月)の方

がまだしも説教臭さがな-優等生と不良少年に共通する

精神の歪みという盲鮎を突いた衝撃性において勝

っているO

無論後の劉心武は紀資小説の新しい試みなどで筆の冴えを

見せるようになるのだが

こうして出費した新時期の愛情文学だが翌年張抗抗

短篇小説

「愛する権利」(原題「愛的樽利」『収穫』七九年二期)

で新しい時代を迎えつつあるという樽換鮎の認識の上に

立って文革によって奪われていた人々の愛する榛利を取

-戻そうと訴えた小説の主人公は野貝野英の若い姉弟

- 104-

である彼らの父はバイオリニストで音栗大学の教授母

はソ連に留学した経験を持つソプラノ歌手だったがとも

に文革中に迫害を受ける父親は二年間

〝牛棚

に入れら

れ母親はスパイの濡れぎぬを着せられて自殺し

ていた

父は二年前

「弟の莫は二度と書架はやらぬこと姉の貝は

結婚をするなら必ず労働者を夫とすること」という遺言を

残して病死したところがまもな-四人組が打倒されたた

め弟はまたバイオリンを始めるが姉は文革中に受けた深

い心の痛手が障害となってひそかに愛する知識人の男性

に容易に心を開-ことができない「なぜ僕は僕の愛する

仕事をしてはならず姉さんは愛する人を愛してはいけな

いんだ」もはや以前とは違う新しい時代に入ったのだと

いう弟の信念は姉を突き動かし彼女もやがて心の扉を

開きはじめた

張抗抗は自侍の中で

「私は私の心の中の新しい時代に呼び醒まされた愛を

全部注ぎ込みました」「一人の人間が何を愛そうと阻

むことはできないものです

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

と語

っているO彼女は懲愛であれ個人の噂好であれ愛に

たいして全幅の信頼を寄せ政治が愛に介入し抑歴するの

を拒否し愛の成就

へ向けて理想と情熱を注ぎ込んでいる

「愛する構利」の段階ではまだ硬さが残

っているが翌年

「夏」(『人民文学』八〇年五期)では人間の個性を封じ込め

ようとする融合に反軍するみずみずしい若者像を描き出

して注目されるようになる

劉心武の

「愛情の位置」では愛という言葉を耳にする

だけでも恐ろしいという地鮎から出顎したが僅かl年で

聾高に愛する権利を主張する作品が出現したとい-ことは

人々の間で愛

への渇望が如何に強いものであったかを示し

ていよう

(

equiv)

の愛

-

張潔

「愛忘れがたきもの」-

劉心武と張抗抗が文学の中に愛を復活させ始めて間もな

い頃七九年十月から十

1月にかけて賓に十九年ぶ-に文

学蛮術工作者第四回代表大骨が開かれ郡小平が文学に封

する干渉を否定するなど思想解放ムードが高まる中で

- 105-

中開文畢報

第四十六か

張潔

短篇小説

「愛

忘れがたきもの」

(原題

「愛是不能

忘記的」『北京文蛮』七九年十一期)は

愛のない結婚と婚姻

外の愛を描きその賛否を巡

って激しい論争を巻き起こし

⑨た物

語は刑刑という女性が亡き母を回想する形で語られる

自分の遺骸と

一緒に茶舵に付して-れと母が遺言した

「愛

忘れがたきもの」と書かれたノートにはある男性に封す

る母の二十敷年間にわたる愛と苦悩が綴られていたその

男性は文革中に非業の死を途げたがその後も母はノート

に語-績け最後は天図で

1緒にな-ましょうと書き洩し

て死んでいった茸は刑刑の母は周囲の勧めるままに愛情

のない結婚をし刑刑が幼い頃に離婚していた母がノー

トの中で愛し漬けた男性の方も別の女性と結婚していた

その男性は解放前に上海で地下活動をしていたのだがあ

る労働者が彼を救うために犠牲となって娘が

一人残され

彼は道義的責任と階級的友愛からその娘と結婚していたの

った

「もう

一人の人間の幸福のために

彼らは自分の

情を

切-捨てざるを得なかった」のである刑刑は「世

間の法律やモラルなどというもののために二人はこの世

では結ばれなかったOそして

T度も手を振ることさえなか

ったけれども彼らは完全に相手を自分のものにした」

と確信する彼女は二度と母のような悲劇を繰-返さぬよ

う虞に愛し合える人が現れるまでは愛情のない結婚など

すまいと決心するO

この小説はどのよ-な理由であれ周囲からの歴力のまま

に結ばれた結婚を批判し県費の愛があるのに結婚できな

いという不僕理を訴えたものと諌める婚姻遺徳と愛情の

問題を考えさせる内容の深さにおいて新時期の愛情文革

を員に打ち建てたものと今では高-評債されているO面白

いことにこの十年の間に時代は急速に進み今ではこの小

説が不道徳であるとは感じられな-な

ってしま

った劉心

武はこういう話を紹介している

最近何人もの大学生がやってきて言うには「『愛

忘れがたきもの』のなかのあの老いら-の懲はまった

-お笑い草だ手を握

ったことさえないなんて

んなもの愛情のうちに入るものか」中の一人がさら

106

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

である彼らの父はバイオリニストで音栗大学の教授母

はソ連に留学した経験を持つソプラノ歌手だったがとも

に文革中に迫害を受ける父親は二年間

〝牛棚

に入れら

れ母親はスパイの濡れぎぬを着せられて自殺し

ていた

父は二年前

「弟の莫は二度と書架はやらぬこと姉の貝は

結婚をするなら必ず労働者を夫とすること」という遺言を

残して病死したところがまもな-四人組が打倒されたた

め弟はまたバイオリンを始めるが姉は文革中に受けた深

い心の痛手が障害となってひそかに愛する知識人の男性

に容易に心を開-ことができない「なぜ僕は僕の愛する

仕事をしてはならず姉さんは愛する人を愛してはいけな

いんだ」もはや以前とは違う新しい時代に入ったのだと

いう弟の信念は姉を突き動かし彼女もやがて心の扉を

開きはじめた

張抗抗は自侍の中で

「私は私の心の中の新しい時代に呼び醒まされた愛を

全部注ぎ込みました」「一人の人間が何を愛そうと阻

むことはできないものです

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

と語

っているO彼女は懲愛であれ個人の噂好であれ愛に

たいして全幅の信頼を寄せ政治が愛に介入し抑歴するの

を拒否し愛の成就

へ向けて理想と情熱を注ぎ込んでいる

「愛する構利」の段階ではまだ硬さが残

っているが翌年

「夏」(『人民文学』八〇年五期)では人間の個性を封じ込め

ようとする融合に反軍するみずみずしい若者像を描き出

して注目されるようになる

劉心武の

「愛情の位置」では愛という言葉を耳にする

だけでも恐ろしいという地鮎から出顎したが僅かl年で

聾高に愛する権利を主張する作品が出現したとい-ことは

人々の間で愛

への渇望が如何に強いものであったかを示し

ていよう

(

equiv)

の愛

-

張潔

「愛忘れがたきもの」-

劉心武と張抗抗が文学の中に愛を復活させ始めて間もな

い頃七九年十月から十

1月にかけて賓に十九年ぶ-に文

学蛮術工作者第四回代表大骨が開かれ郡小平が文学に封

する干渉を否定するなど思想解放ムードが高まる中で

- 105-

中開文畢報

第四十六か

張潔

短篇小説

「愛

忘れがたきもの」

(原題

「愛是不能

忘記的」『北京文蛮』七九年十一期)は

愛のない結婚と婚姻

外の愛を描きその賛否を巡

って激しい論争を巻き起こし

⑨た物

語は刑刑という女性が亡き母を回想する形で語られる

自分の遺骸と

一緒に茶舵に付して-れと母が遺言した

「愛

忘れがたきもの」と書かれたノートにはある男性に封す

る母の二十敷年間にわたる愛と苦悩が綴られていたその

男性は文革中に非業の死を途げたがその後も母はノート

に語-績け最後は天図で

1緒にな-ましょうと書き洩し

て死んでいった茸は刑刑の母は周囲の勧めるままに愛情

のない結婚をし刑刑が幼い頃に離婚していた母がノー

トの中で愛し漬けた男性の方も別の女性と結婚していた

その男性は解放前に上海で地下活動をしていたのだがあ

る労働者が彼を救うために犠牲となって娘が

一人残され

彼は道義的責任と階級的友愛からその娘と結婚していたの

った

「もう

一人の人間の幸福のために

彼らは自分の

情を

切-捨てざるを得なかった」のである刑刑は「世

間の法律やモラルなどというもののために二人はこの世

では結ばれなかったOそして

T度も手を振ることさえなか

ったけれども彼らは完全に相手を自分のものにした」

と確信する彼女は二度と母のような悲劇を繰-返さぬよ

う虞に愛し合える人が現れるまでは愛情のない結婚など

すまいと決心するO

この小説はどのよ-な理由であれ周囲からの歴力のまま

に結ばれた結婚を批判し県費の愛があるのに結婚できな

いという不僕理を訴えたものと諌める婚姻遺徳と愛情の

問題を考えさせる内容の深さにおいて新時期の愛情文革

を員に打ち建てたものと今では高-評債されているO面白

いことにこの十年の間に時代は急速に進み今ではこの小

説が不道徳であるとは感じられな-な

ってしま

った劉心

武はこういう話を紹介している

最近何人もの大学生がやってきて言うには「『愛

忘れがたきもの』のなかのあの老いら-の懲はまった

-お笑い草だ手を握

ったことさえないなんて

んなもの愛情のうちに入るものか」中の一人がさら

106

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中開文畢報

第四十六か

張潔

短篇小説

「愛

忘れがたきもの」

(原題

「愛是不能

忘記的」『北京文蛮』七九年十一期)は

愛のない結婚と婚姻

外の愛を描きその賛否を巡

って激しい論争を巻き起こし

⑨た物

語は刑刑という女性が亡き母を回想する形で語られる

自分の遺骸と

一緒に茶舵に付して-れと母が遺言した

「愛

忘れがたきもの」と書かれたノートにはある男性に封す

る母の二十敷年間にわたる愛と苦悩が綴られていたその

男性は文革中に非業の死を途げたがその後も母はノート

に語-績け最後は天図で

1緒にな-ましょうと書き洩し

て死んでいった茸は刑刑の母は周囲の勧めるままに愛情

のない結婚をし刑刑が幼い頃に離婚していた母がノー

トの中で愛し漬けた男性の方も別の女性と結婚していた

その男性は解放前に上海で地下活動をしていたのだがあ

る労働者が彼を救うために犠牲となって娘が

一人残され

彼は道義的責任と階級的友愛からその娘と結婚していたの

った

「もう

一人の人間の幸福のために

彼らは自分の

情を

切-捨てざるを得なかった」のである刑刑は「世

間の法律やモラルなどというもののために二人はこの世

では結ばれなかったOそして

T度も手を振ることさえなか

ったけれども彼らは完全に相手を自分のものにした」

と確信する彼女は二度と母のような悲劇を繰-返さぬよ

う虞に愛し合える人が現れるまでは愛情のない結婚など

すまいと決心するO

この小説はどのよ-な理由であれ周囲からの歴力のまま

に結ばれた結婚を批判し県費の愛があるのに結婚できな

いという不僕理を訴えたものと諌める婚姻遺徳と愛情の

問題を考えさせる内容の深さにおいて新時期の愛情文革

を員に打ち建てたものと今では高-評債されているO面白

いことにこの十年の間に時代は急速に進み今ではこの小

説が不道徳であるとは感じられな-な

ってしま

った劉心

武はこういう話を紹介している

最近何人もの大学生がやってきて言うには「『愛

忘れがたきもの』のなかのあの老いら-の懲はまった

-お笑い草だ手を握

ったことさえないなんて

んなもの愛情のうちに入るものか」中の一人がさら

106

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

に口を

への字に曲げて言うには「こんな愛情小説は

あま-に保守的だ遺徳意識が強過ぎる

O」

若者たちのこのような批評は小説費表時と比べるとまさ

に隔世の感があるOこの十年の問に人々の心は大き-襲わ

-常時は衝撃的だった

「愛忘れがたきもの」も彼らの

日には色あせてしまったただこの小説が提起している愛

の在-方の意義そのものは減じていないと私は思うこの

鮎については後に考察するが「愛忘れがたきもの」が

「法律とモラルよ-ももっとしっか-したもっと確かな

私たちを結び付けるもの」として愛情を捉え理想的な愛

情は存在すると確信していることに注目しておきたい

(四)

結婚による愛の消滅

-

張潔

「方舟」と誘客

「錯

措錯」「頗得離婚」1

「愛忘れがたきもの」に見られる愛が紹封の債値を

有するという観念と冒頭に掲げた池和や徐星における

淡泊なあるいは虚無的な愛を媒介としない男女の結び付

きの在-様との間に我々は大きな断権を感じないではい

新時期文革における愛の諸相(三枝)

られないではこれらの小説の間に横たわる十年の歳月で

愛は

一撃に冷めてしまったのだろうか資はそこに至る間

には結婚あるいは結婚生活に封する失望や幻滅が挟みこ

まれているのであるO

八二年には

「愛忘れがたきもの」を書いた同じ張潔が

中篇小説

「方舟」(『収穫』八二年二期)で三人の離婚した女

の共同生活を描いた

(厳密に言うとうち一人は正式に離婚はし

ていないが賓質的には離婚同然の別居状態)

離婚した女性が

いかに世間から誹誘中傷されるか女性が自立して事業を

成し遂げようとするにはどれほど困難を伴うかその困難

にもかかわらず自己賓現と杜倉

への貢献を目指して女性が

どんなに超人的忍耐力で闘

っているかをまざまざと見せて

くれるこの小説は現在ではフェミニズム文学

みなされ

高い許債を受けている

愛情と結婚という親鮎から見ると三人の女性の一人曹

荊華の場合結婚はそもそも反動的構成とされた父と妹の

生活を助けるための身頁-同然であ

った夫は荊華が中緒

したのを怒

って離婚を迫る夫にとって妻は寝て子供を生

107

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中開文革報

第四十六桝

むためのものでしかない

もう

一人の柳泉の場合結婚以

来夫は彼女を金を出して買

った物のよ-に毎晩求め彼女

は夜を怖れた心身共に疲れはてた時も夫は愛の督みを

強要し妻を性欲の吐け口としか見ていなかった荊華と

柳泉の受けた仕打ちは結婚の経済的動機

(生活のため)と

性的動機

(性欲の充足)を暴露しているでは熱烈懲愛から

結婚に至った梁倍の場合はどうかかつて愛し愛され新

婚の頃こそ仲睦まじかったがはどな-お互いのベー

ルが

剥がれてきて虞寛の決して美し-ない魂があらわになる

と愛情が沿え失せおたがいに見限

ってしま

った架構

は別れる決意をするが夫は高級幹部である岳父の力を利

用しようと正式な離婚に麿じない彼女も父の地位と家柄

を考えると容易に離婚に踏み切れないそこで二人は紳

士協定を結んで不干渉主義でゆ-ことにした梁侍のケー

スは結婚生活によって本来あ

ったはずの愛が沿えうるとい

う恐ろしさを提示しているoどんなに熱烈な懲愛をしても

結婚という形で愛が成就するととたんに懲愛ではな-な

る共同生活の中でお互いの醜い面がさらけだされる時

愛は死滅してしまうここには愛を死なせてしまう結婚生

活に封する失望と幻滅がある

八四年の謁容

中篇小説

「鈴錨錯-」

(『収穫』八四年

二期)も情熱態愛が結婚生活の中で冷めてしまう悲劇であ

る小説は病死した妻に夫が語-かける回想というスタイ

ルをとっている男の亡妻

への慨梅と甘-睦まじかった

懲愛時代

新婚時代のロマンチックな思い出がい-まじ-

これほどひたむきに愛し愛された二人がどうして憎み合わ

ねばならなかったのかと胸を締め付けられずにはいられ

ないO

和の原因は日常生活のご-些細なことから生じたい

さかいと和解を日々繰-返すうちにしだいに二人は心が

離れてゆ-夫はそれでも女優である妻が髄調を維持し

仕事に打ち込めるよ-にと家事

一切を引き受けて献身す

るのだが夫婦の間の満は探せってゆ-ばか-だったoや

がて子供が生まれるが妻が出産

青鬼は自分の女優とし

ての生命を蝕むと主張したことから夫は青鬼も

1手に負

108

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

うのだがいさかいは以前にも槽して頻繁になる子供は

両親の絶え間ない喧嘩の中で育

っていった冷めき

った関

係のまま失

った愛を取-戻す横合も見出せずに二人は

年老いてゆ-

しかし男は妻が病死した時

「間違

ってい

た」(原文

〝錯錯錯

Prime

)

と叫ぶのだ

った

何が間違

っていたのか

男は妻の職業のために家事

1切をこなして献身したのにもかかわらず

(このあた-日

本の読者にとってはうらやましいかぎ-である中国といえども

賓際にここまでする夫は稀であろう)美貌と才能に恵まれな

がら女優として成功しない妻が精神的な助けを必要とし

ていたのに夫は外面的な援助しかしなかったことが

一つ

夫がリアリストで妻が

ロマンチストであるずれ(たとえば早

朝まだ妻が寝ているうちに妻の好物の魚を買出しに行った夫が

蹄宅して行列の奮戦ぶ-を話すと目が覚めた時にあなたがそば

にいて欲しかったと言う妻によ-表れている普通の男女と逆の

タイプ)をお互いに認識していなかったことが

1つ

そし

て何よ-夫婦の問で愛を語らな-な

っていたことが奉げら

れるだろう

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

しかし妻の死によって男は愛を取-庚した妻が死んで

しま

って愛も恨みも失-した氷のように冷たい生活の苦

しみから解き放たれてはじめてなぜあれほど激し-愛し

った自分たちが恨み合うようにな

ったのかなぜ愛が冷

めき

ってしま

ったのか自分に問いかけることができたの

だまた妻が生きているうちは共通の言葉をな-し語-

かけることもな-な

っていたが死んだ今とな

っては胸の

うちをすべて吐き出すことができたのだそしてい-ら悔

やんでもと-かえしがつかないと知-つつも愛を失-し

たまま死なせてしま

ったことを後悔せずにはいられない

魯迅の

「傷逝」を想起させる男の懐悔は痛切に読者の胸

を打

話容と言えば八

〇年の中篇小説

「人中年に至れば」(原題

「人到中年」『収穫』八〇年

一期)で

中年知識人の不遇と献

身を描

いて大きな反響を呼んだがその主人公の女馨と技

術者の夫との美しい夫婦愛は印象深かったところがこの

「鎧銘錯-」

では

ロマンチックな愛は現賓の結婚生

109

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中開文革報

第四十六耕

活には耐えられないという方向に持換してしま

っている

さらに彼女の八八年の中篇小説

「別れるのも面倒」

(原題

「働得離婚」『解放軍文塾』八八年六期)に到

っては離婚する

のも煩わしいという空恐ろしいものとなる

若い女性記者方芳は近年祉倉問題とな

っている離婚の

現状をリポートしたいと主任に申し出るが主任はそれに

反封なばか-か逆に彼女に模範的な夫婦を表彰して社

食の安定圏結を促進するよう言い渡すやむな-彼女はあ

る居民委員合の事情通のおばあさんを尋ね模範的だと太

鼓判を押されている夫婦を紹介してもらうところが取材

を重ねてゆ--ちに表面的には仲睦まじいこの夫婦に賓

は感情の上での亀裂があることを費見する夫はかつてあ

る女性と親し-な

ったのだが周囲の歴力に負けて交際を

やめていたこの夫婦はかつてのようにいさかいこそな-

ったがそれは互いに我慢してなんとか折-合

っている

に過ぎないのだ

った

記者方芳の問題意識は明らかに作者話容のものであろう

認容はこの小説で離婚が埠えているとはいっても茸際は

世間の風普-が強-てなかなか離婚できないという中国の

現状を訴えているしかも内賓の愛の破綻を取-繕

って

自分を偽-ながら日々を遮るとい-背筋が寒-なるよう

なしかし多-の家庭の資態を措

いている作中の夫が夫

婦仲を良-保

つために挙げる三つの候件すなわち二間の

部屋があること

(相手の蕨を見ないでもすむ空間を確保する)

日曜毎に友人を招-

こと

(準備に忙殺されて喧嘩する暇がな

い)夫婦がそれぞれ何でも心おきな-話せる友人を持ち

逆に夫婦間では秘密を持

つこと(相手に何もかもさらけださな

いで自分だけの世界を持つ)を讃んで身につまされるのは中

国の譲老だけではあるまい

「別れても別れな-とも同じ

さ別れるのも面倒だ」との言葉には

ロマソチックな愛

は結婚生活に耐えられないという現寛にたいして

「錯

錯錯」のように死によって愛を取-戻すでもな-は

じめから諦めてしま

った倍-の境地が見られる

(五)

こうしてみて-ると愛を奪

っていた文革が終結した結

110

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

果破壊された権威に代わるものとして人々の心に愛が蘇

った新時期文筆の初期の頃は愛に封する信頼と情熱があ

りへ愛を至高と考え理想的な愛

馬糞の愛を追求してや

まないという虞肇な態度が大勢を占めていたところが愛

を死なせてしまう結婚生活

への幻滅から愛そのものにた

いして信頼を寄せな-な-冷めた見方が埼えてきたと言

えるだろう若い世代にはそれが刺郡的な愛という形で表

れている

文革後愛情が文学に復活した最初の劉心武の

「愛情の位

置」あた-では健康的で美しい愛情が求められしかも

革命の理想を同じ-し赦合主義現代化を促進する愛であ

ることが前提となっていた

(たとえば女主人公は技術革新グル

ープに参加しデートを我慢してでも目標達成のために残業する)0

つま-愛が崇高であるか否かは薫や革命との関係によって

意味づけられている文革が終結して間もない七八年の段

階では硬直した思考様式に縛られているのは無理もない

これはある意味では人民文学の延長線上にあると言えるだ

うたとえば題樹理の

「小二黒の結婚」(四三年)で板

新時期文革における愛の諸相

(三枚)

接地の農村の若い二人の自由懲愛が民主政府の支持を得て

結ばれるように革命の目標と懲愛の行方が

1致していた

のと性質を同じ-する後に述べる張弦の小説もこの傾向

が強い

その鮎張潔の

「愛忘れがたきもの」はいちはや-革

命は革命愛は愛と切-離しはじめている革命活動の中

で自分を助けたために犠牲にな

った労働者の娘と結婚した

男性を賞賛するわけでもな-むしろ彼の選樺を否定的に

措いているもはや愛に外的棟威づげは必要ない政治と

個人の内面の領域を最も徹底的に切-離したのはおそら

-遇羅錦であろう私小説と分類される所以である

ところが革命遂行に役立つ愛が正しいというふうに愛

に革命的意義を付輿することがな-な-愛を意味づける

権威を喪失すると何によって崇高さを輿えられるかとい

うことになる外にそんなものがない以上畢寛目は自己

内部

へ向かわざるを得ないそこで愛の行方を追

ってみる

「方舟」

「錯錯錯」のように愛を死なせてしま

う結婚

への幻滅が生じる愛

への信頼が揺らいで-ると

111

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中園文畢報

第四十六冊

しだいに愛に希望を抱かな-な-「別れるのも面倒」「愛

を語らず」にみられるように愛に封して冷めた態度を取

るようになるO他方内

へ向かった目が愛と性の営みの

本質を探ろ-とするとき人間の業をみすえた王安憶の愛

情三部作のよ-なものが出て-ることになるのであろう

この愛の本質の探求については次章で詳し-考察したい

愛の描かれ方の分類

-

基層中層上層最上層-

(

)

分類の基準

今まで新時期愛情文学の大きな流れを見てきたが今度

は作品をパターン別に分難してみよう分類の基準は基

中層

上層は愛と愛を妨げるものとの封立の構園であ

る愛の成就を妨げるものあるいは愛するカップルを引

き離すものとしては封建道徳新しい政治的身分として

の右派既成の婚姻道徳の三種を考えてみる

教千年にわたって人々を縛-付けてきた封建道徳は新

中閲になっても

l朝

1夕に拭い去ることのできるものでは

ない親の決める結婚寡婦の貞節などは今だに寛際に

力を持

ってお-後れた農村では直接的に威力を振るい

都市でも人々の意識に根強-生きている愛との封立の最

も根底に位置するという意味でこれを基層に分数した

そのつぎの段階として新中園にな

って新し-登場した

政治的身分の問題がある地主や富農といった出身が政治

的身分として子孫にも受け糎がれるという鮎でまさし-

世襲の身分制だ

った本来ならこの政治約

人為的に造-

出された身分制全髄を取-上げるべきであるがその中

でもよ-先鏡に愛と対立する右派問題を考えてみたい右

涯は五七年の反右涯闘争から文革後の名著回復まで歴史

的にはんの

一時期に存在した政治の受難者であるがそれ

はあたかも現代の賎民のように右涯を愛することはなら

ず右派と結婚していた者は離婚を飴儀な-されたそう

しなければ自らの政治的純潔を保

つことはできなかったの

だからこの問題は身分制という鮎で封建的性質を牛は持

ちながらたとえ親の決める結婚からは自由になったとし

ても右涯の障壁は乗-越えられないという意味で中層

112

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

に位置付けた

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾が考えられる

現代社食では社合主義的婚姻道徳であれ資本主義的婚姻

道徳であれ

一夫

一婦制が基本である原則として婚姻外

の愛は許されないだから婚姻外の愛は不倫だとして非難

されるのであるしかし純粋な愛を結婚という枠にはめら

れるだろうか今その問いかけは中国文学でもなされはじ

めている

さてここで愛と愛を阻むものの封立の圏式を取-排

って

みよう何にも妨げられない愛はどうなるのであろ-か

封立するものがなければ愛はすばらし-花開-のであろ-

かそう考えて-ると最上層には愛の本質

永遠性の探求

が位置するつま-外的世界とはいっさい切-離しよ-

私的なよ-観念的な愛の世界

へと向か-のである

(二

)

基層--反封建

まず愛情文学の基層には反封建という立場がある新

中図になってもなお残存する封建遺徳との封立の囲式の中

新時期文孝における愛の諸相(三枝)

で愛が障害を克服しょうともがいているさまが浮かび上

がるoそのlつに親の決める結婚人身頁男のような結婚

自由な樺愛を踏み潰す古い観念を措いた張弦

短篇小説

「愛情に忘れられた片隅」(原題「被愛情遺志的角落」『上海文

学』八〇年一期)があるここには母娘三人の三重の愛の不

幸が措かれている母菱花は解放直後に親の決めた結婚を

拒否し新婚姻法に則

って自由懲愛で結婚したのにもかか

わらず貧しい山村での長-苦しい生活の末やは-娘に

は結網目嘗ての頁買結婚を押し付けようとする姉の存姫

は未婚で妊娠したのが肇魔して捕らえられ自ら命を断

った妹の荒妹は姉の事件で受けた心の傷によって愛に

臆病になる小説は荒妹が愛情の虞の大切さに目覚め姉

たちの罪が菟罪であ

ったことを悟-村を豊かにするため

に力を義-す共青囲支部書記の青年許柴樹のもと

へゆくこ

とで未来に展望を持たせている

「愛情に忘れられた片隅」に措かれた寅男結婚は過去の

遺物ではな-反封建も時代後れではな-て今なお意味を

っている

このことについては

巴金が

『随想録』の

113

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文孝報第四十六

頁買婚姻」

の中で

「人々は反封建はとっ-に時代後れになったと思

って

いる私も我

々はすでに奮時代の悪夢から逃れたと考

えていたOあにはからんや生き残-はいまだに委展

し害毒はなおも漬大しているのだ頁買結婚に反封

し男尊女卑に反封し

『父母の命

媒始の言』に反

封するために私は丸々六十年もペンで闘

ってきた

ところが私の姪は今日頁買結婚に直面してなすすべを

知らないのだ二十数年前に彼女が結婚した時は誰

も何も物を要求せず彼女の結婚に干渉する者もいな

かったoしかし彼女の息子は金鏡と財物で新しい家庭

を築かざるをえない」

と結婚に莫大な費用がかか-嫁を買い取るのとなんら

襲わ-がない現在の結婚の在-方を嘆いている

「私は『菩鶴涙』のようなテレビドラマや『愛情に忘

れられた片隅』のような映書を見たことがある--

何と多-の涙

何と多-の苦しみであろうか

朝ラジオである省の八人の娘さんが連名で自分た

ちが先頭に立

って結婚の自由を勝ち取-俸統と決裂す

ると唱えているのを耳にした彼女たちの精神は賞賛

に値するし彼女たちの勇気は激励に値するけれど

も私は問わざるを得ない五

四時期の俸統はどこへ

いったのか二十年代から五十年代にかけての反封建

の俸続はどこへいったのかどうして今日でも封建的

俸銃があんなに勢力を誇示しているのか」

巴金の述懐が示すように五

四以来長年反封建を叫んで

ってきたのにもかかわらず封建的侍統は容易には排拭

できず今なお姿を襲えて人々を害しているそれゆえ張

弦の反封建の精神に支えられた

「愛情に忘れられた片隅」

のような文学作晶も存在意義を持

っており何をいまさら

と退けることはできないそれどころか反封建というテー

マは愛情文学の最も基礎になるものである

張弦は

「愛に忘れられた片隅」で愛を抑歴する山村の封

建的鰻質を突いたが翌年も短篇

「未亡人」(『文匪月刊』八

1年l期)と

「断ち切れなかった赤い林」(原題

「挿不断的紅

114

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

飾線」『上海文学』八一年六期)で漬けて愛をめぐる小説を

書いている「未亡人」は市委員合薫書記未亡人周良憲の

許されぬ慾を描き全篇が亡夫に宛てて心の内を綴った手

紙という構成になっている夫の維明は文革中造反派に捕

われて死亡迫害にさらされ績ける良意を終始陰で支え励

まして-れたのは郵便配達の男だったしかし文革終結

後亡夫が名巻回復し良意も復職すると彼は自分が郵便配

達夫であることを恥じて良憲を避けるようになる良意は

それでも以前のような親しい関係を持ち蹄けようとするが

彼女の懸をめぐって様々な噂や臆測が流れ周囲から願力

がかけられて降格させられるざらに結婚を決意した二人

の前に

1人息子が寡婦と結婚するのを嫌う男の母親と

父親の名著が傷付けられるのを恐れて再婚に強硬に反対す

る良意の二人の子供が立ちはだかる

これは寡婦の椿を許さない封建道徳が今も執勘に生きて

いて女性を苦しめていること

への告頚である「私は愛情

を必要とするの夫が要るのよ遺影じゃな-て生身の

亭主が」との叫びは虞に迫

っているただし作者の主

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

張が先走-すぎて文学的鑑賞には耐えない女主人公の

猪自腹を採用しているのにもかかわらず自己辞護が先に

立っているため彼女の内面の苦悩が見えてこないむ

しろ張弦自身の脚本による映毒の

「未亡人」の方が許さ

れざる慾を静かに温める二人の心の交流の機微が味わい深

ヽ0-しヽ

「未亡人」はもう

一つの問題を提起しているそれは亡

夫と郵便配達人との二通-の愛の在-方である張弦は故

意に二人の証倉的地位の間に天と地はどの差をつけた看

護婦だった良意が妻を亡-したばか-の市委員合副書記と

結婚したのは言

ってみれば玉の輿であるそして夫の愛

は上位の者が下位の者に輿える恩寵のようなものであ

った

それにたいして郵便配達夫の愛は逆境にあった彼女を支え

る人間として封等な愛であ

っただからこそ彼女が高位

に復職すると自分から身を引こうとしたのだ良書もこれ

は二度日の懸愛ではな-初めての本営の懲なのだと悟る〇

二人の愛の封比は寡婦の懸を正常化するのに役立ち周囲

の中傷や非難の理不義さを際立たせているが逆に言え

115

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文学報

第四十六鮒

ばこんな理屈を加えなければ寡婦にはご-普通に轡をし

ご-普通に再婚する自由さえ興えられていないということ

総じて張弦は反封建の立場から愛を描いているが彼の

作品は封決構圏が明確で新中園に残存する封建道徳を排

拭しなければならないという主張がはっき-しすぎていて

深みに放ける愛そのものを深-探求してはいないし張

弦の意圏もそこにはないのだろう

また「未亡人」と同じ-寡婦の貞節すなわち女性だ

けに

一方的に課せられた再婚禁止の封建遺徳に縛-付けら

れて愛が結ばれないというものに戴厚英

中篇小説

「や

わらかな-さ-」(原題

「鎖鍵是柔軟的」『庚州文垂』八二年

九~十一期)があるこちらの寡婦文瑞霞は

「未亡人」の

周良憲のように自覚的な女性ではない夫が菟罪で死んだ

後磯餓線上にあ

った母子を救

って-れた劉四に再嫁する

のはむしろ自然の成行きであ

ったが彼女にはその勇気が

なかったすでに婚姻法が整い誰も再婚してはならない

と口に出して言うこともないのに義兄をはじめ周囲の人

iが息子を生んだ彼女に再婚を望まないことを感じとって

心惹かれる男性を逃してしまう(この子は迫腹兄でもし生ま

れた子が女だったら婚家を去れるはずだった)もし奮社食だっ

たらおまえに牌坊を建ててやるところだと賞賛されて満足

する女の心に逃した男の影がちらつ-女性が自分で自

分の心を縛

ってしまい貞節を守-按-とい-自分で建

てた心の牌坊ほど悲しいものはない貞節とい-

「やわら

かな-ざ-」の恐ろしさは魯迅の

「群林煙」の頃とたい

して襲わってはいないここでの貞節という束縛は

「未亡

人」よ-も深刻である

その意味では航鷹の中篇小説

「東方女性」(『上海文学』

八三年八期)は夫の浮気相手の女性を助けてや-間に生

れた子供を自分の子として育てあげる女主人公が存在感を

っていていかにも我

々東方の園の女性だなあという感

慨を興えるこのように自分たちの心の奥深-にまで板を

下ろししかも今なお美徳とされることの方が俸統的な

観念の根強さを感じさせる

116

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

張弦のもう

1つの作品

「断ち切れなかった赤い林」もや

は-愛について二つの問題を提起している0

1つは中層に

分類される

「天雲山俸奇」と同じ-右派という政治的身

分が夫婦を引き裂-ものもう

一つは組織による包雛婚姻

(請け負い結婚普通は親の決めた結婚を指す)

親の命ならぬ

組織の命による結婚の強要は新しい衣を着た古い封建的髄

質の表れに他ならない主人公の博玉潔は十七歳の女子学

生の時あふれんばか-の情熱を抱いて解放軍の部除の文

工園に入るが年老いた醜い副師園長に見染められ組織

部長の牛ば強制的な説得を受けるその時はきっば-と求

婚を断わったものの後に夫と離婚した玉潔は妻を病気

で亡-したこの老軍人と再婚して豊かな生活を得男と女

を結ぶ赤い林は切れていなかったと思うのだ

ったずいぶ

ん身勝手な女性に描かれているが讃者に彼女をそこまで

追い詰めたものに憤慨させるよう故意に反面教師的存在

に仕立てあげられている

組織の包群婚姻は

「断ち切れなかった赤い林」ではその

時は貴現しなかったが解放戦争昔時戦争で婚期を逸し

新時期文革における愛の諸相

(三枝)

た地位の高い軍人のために某組織に依頼して若い女性を

半ば強制的に結婚させることがあ

ったらしいのは諾容の

中篇小説

「楊月月とサルトルの研究」

(原題

「楊月月輿薩特

之研究」『人民文寧』八三年八期)でも描かれていることから

分かるこの小説では革命に封する情熱に燃えていた若

い女性楊月月が家庭に人らされ子供ができて身動きが

取れな-なって落伍してゆきついには夫に愛人ができて

離婚の憂目を見るまるで丁玲が「国際婦人デーに感あ-」

(原題

「三八節有感」四二年)で取-上げた女性の運命を地で

ゆ-ような話で自分の意志通-に人生を切-開いてゆ-

ことができない

(謁容はそれを賓存主義に封する疑問として投

げかけている)女性に生れたが故の不自由の悲劇である

話容は夫を断罪するようなことはせず楊月月の苦悩夫

の苦悩息子の苦悩そして今は妻の座に納まった愛人の

苦悩までそれぞれの人生を調査にきた作家の目を通し

て重層的に掘-下げてお-全鰻を作家と作家の夫との往

復書簡集で構成した形式上の試みと寛存主義の探求に加え

て謎容猪特の心の琴線に解れる筆使いによって小説と

117

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文革報

第四十六耕

してかな-優れた作品となっている

金鏡至上主義的懲愛敬家柄を重んじる結婚を措いた小

説なども基層に分額してよかろ-

「愛情の位置」

「愛

を語らず」がこれに入る他にも高級幹部の門地主義

への

反費が見られる白樺の短篇

「一束の手紙」(原題

「一束信封」

『人民文筆』八〇年一期)など数多-の小説がこれらの問題

を取-扱

っている新しい衣をきて姿を襲えた封建的停銃

の力は破-純粋な愛情の行-手に立ちはだかっているの

である

(

equiv)

中庸--新しい政治的身分右涯

つぎに中層として新し-登場した政治的身分と-わ

け右涯分子の問題があるo右涯問題を取-上げる小説も多

いが愛情との関係では某を盲信する無邪気さであれ

保身のためであれ唐人や配偶者を楕てざるを得なかった

悲劇において二人の間にあ

ったはずの愛情が犠牲になっ

ている

七九年からは文革が人々の心に残した傷跡を見つめる傷

痕文学に止まらずに五

〇年代の反右涯闘争や大躍進政策

にまでさかのぼって問い直したいわゆる反思文学が出て-

るがその中で初めて右派分子をと-あげたのは魯彦周

中篇小説

「天雲山停奇」(『清明』七九年一期)である

これ

は右涯問題の告頚という意味以外に愛情と政治的身分と

の葛藤という問題を突き付けたという鮎で意義深いこの

小説は

「薫」を盲信する少女が反右涯闘争で右涯と断罪

された懲人を捨て二十年後に悔恨の念にかられるという

社合主義中国で新たに作-出された右涯という政治的身分

が懲愛を破壊してしまった悲劇であるこういうケースは

賓際に数多-あ

ったであろうしこれ以後も多-の作品で

とりあげられてゆ-0

王家の中篇小説

「糊蝶」(『十月』八〇年四期)では愛はサ

テーマにすぎないが右涯とざれた妻との離婚が主人

公の心に深い傷を負わせている張弦の

「断ち切れなかっ

た赤い締」では夫が右涯として批判された時は愛情を

よ-どころにして苦難に耐えていたが右涯のレッテルを

- 118-

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

外された後も

「摘帽右涯」(レッテルを外された右涯)として

迫害が績-中で夫がしだいに自尊心をな-してゆ-のに

愛想をつかして離婚する夫には酷だが断固とした盲信

や保身よ-もこちらの方が人情に近いoこれらは結婚愛の

破綻である寛際さらに文革の嵐の中では

一線を劃すると

解して離婚が急博した盲信のためであれ保身のためであ

れ政治によって多-の愛が死んだのであるこの政治に

よって引き裂かれた人間と愛のテーマは戴厚英の長篇小説

「ああ人間よ」(原題

「人岡人perp

〇年十l月虞東人民出

版聾

で成熟をみることになる

(四)

上層--婚姻遺徳と愛

上層としては既成の婚姻道徳と愛との矛盾があるこ

れには結婚外の愛と愛のない結婚が常にペアとな

って

表れるこの問題で最初に論争を巻き起こしたのは先に

も解れた張潔の

「愛忘れがたきもの」であ

った賛成者

はほとんどが

エンゲルスの

「愛情にもとず-結婚のみが道

徳にかなう」(「家族私有財産および国家の起源」)という言

新時期文撃における愛の諸相(三枝)

葉を引用して論操とする反対者は婚姻外の愛を不道徳だ

と非難し格調が低いとか(老幹部の正義感と階級的友愛に

ょる結婚を否定的に描いているので)革命道徳を冒清するもの

だとする

だがこういう表面的な議論とは別に小説の中で作者が

訴えている主張を検討してみよう張潔は三十歳にな

って

も結婚を跨

っている女主人公の娘の刑刑に母たちのよう

に婚姻と愛情が分離する悲劇を繰-返さぬよう魂に呼び

掛ける人が現れるまで待つ決心をさせているここには純

粋な愛情によるものでない結婚

への批判世間の猪身者に

封する中傷

への反論があるつま-結婚を押し付けよ-と

する祉合に反覆している愛情によって結び付いた結婚で

も崩壊しうるのを措-のは

「方舟」にな

ってからだが「愛

忘れがたきもの」の段階では主人公たちに結婚という枠

を超えて更には生身の相手の人間をも超えて魂だけの

純粋な愛を貫かせている結婚による結び付きに意義を見

出さず愛の対象となる人間の存在さえも必要とせず愛

そのものに絶封的な債値を興えている以上それは妻子あ

119

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文筆報

第四十六射

る男性を愛して不道徳だなどという非難の次元を超えてい

る張

潔は八四年の中篇小説

「エメラルド」(原題

「租母線」

『花城』八四年三期)では愛を貫-ために結婚を拒む女性

を造-出した女主人公の骨令兄はある大挙で反右涯闘

争の時愛する左戒をかば

って自分が大字報を書いたと言

い張-右涯分子として適境

へ労働改造にやらされること

った

一夜限-の決心で左威に抱かれた彼女は

一人で

へ旋

立つがそのたった

一晩のことで妊娠してしま

ていた愛する人の子を宿しているとい-思いが迫害され

る日々の辛さから彼女を救う妊娠したことは左戒に告げ

ず他人にも父の名を明かさなかった私生見を生んだこ

とでいっそうひどい仕打ちを受けたが子供と教学の研究

を心の支えに生きてきた

一方左戒は同じ-大学の同級生

で薫支部書記の虞北河と結婚する彼らの家庭は外見は

っているが内資は崩壊寸前で氷のように冷たい曾令

兄と再合した鹿北河が語る二鰻の船のたとえ順風満帆

の豪華な船が鹿北河運命の荒波に挟まれるおんぼろ船が

曾令兄

だが鹿北河の船は韓覆してしまう幸福であるか

に見えた慮北河は資は愛のない生活に落ち込んでしまっ

たのだ

張潔はここで鹿北河の愛のない結婚と曾令兄の結婚外の

愛を対比させている曾令兄は結婚という形で結ばれるの

を拒んだことで愛を死なせずにすんだが鹿北河は結

婚によって逆に愛を死滅させてしまったのだこの

「エメ

ラルド」でもそうだが総じて張潔には結婚生活に封す

る幻滅が見られる

「方舟」とともに結婚と愛とを無関係

なものとして捉える傾向がある

張潔の

「愛忘れがたきもの」に緯いて婚姻道徳と愛

の問題で波紋を投げかけたのは先に

「愛する権利」を書

いた張抗抗の中篇小説

「オーロラ」

(原題

「北極光」『収穫』

八一年三期)であるただし婚姻外の愛といってもすでに

結婚登記を済ませてあることつま-法律上は夫婦である

ことは目立たないように滑-込ませてあるだけである

120

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

l責した限-では凡庸な婚約者との結婚に束乗-のしな

い女性が結婚式が近付-につれしだいに憂欝にな-別

男性二人に次

々と心ひかれ県の愛と理想を求めて結婚を

拒否するtと責める書き方であるつま-未婚の女性がフ

ィアンセをふる話に思えるだが資際はもう法的に夫婦な

のだ婚約を解消するだけなら道徳的にさほど大きな問題

はないであろう理想を追求する若者の青春物語として受

けいれられる

(題名のオーロラは理想の象徴)

しかし作者が

意圏的に二人を結婚登記後に設定してあることは重要だ

張抗抗自身は次のように語

っている

「既婚女性が異性と交際してはいけないという法律は

どこにもあ-ません(中略)自分の愛していない人と

無理に

一緒に暮らすのは他者と自己に封する責任を

負わない不道徳な行馬であると

(主人公は)認識するに

ったのですこのような不道徳な行篤が彼女に輿え

る苦しみは樽雲梓との決裂が招-

『不道徳』を拾う

ことによる非難がもたらす苦悩を賓際すでにはるか

に越えているのです(中略)もちろん結局どの道徳

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

観念がよ-社食の吏展規律に合致するかはなお琴

琴と彼女の友人たちが正に前進し襲化しっつある生

活の中で賓操の検認を受けるのを得たねばな-ませ

⑬ん」

これはかな-過激な車言で既成の婚姻道徳を排斥Lt新

たな遺徳の生れるのに期待する姿勢が讃み取れる現在の

若者なら違和感はないだろうが八

一年の段階では作者の

問題意識がかな-先行していたと思われる主人公が既婚

であることを気付きに-いように書いたのもそのせいかも

知れない

小説に登場する樽雲群

費淵

曾儲の三人の男性はそ

れぞれ凡庸で世俗的思索はするが利己的な虚無主義者

国家と人民のために力を壷-して幸福を勝ち取ろうという

信念を持つ正義漢という風にはっき-とタイプが別れて

いて三つの世界観を代表している主人公の苓琴が順に

封象を移すということは後者ほど優れているという作者

の債値親の表れであるここで曾儀が最も立派な人物であ

るから琴等が最後に彼を選揮するのは大いに正しいなど

121

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文畢報

第四十六班

と論じても何にもな-はしないだろ-むしろ登場人物を

このように典型に書き分けてその善悪を読者に押し付ける

のは文学としての幅や奥行きを自ら挟めているようなも

のである張抗抗もやは-人民文学の桓格から脱け出せな

かったのだろうか婚姻外の愛という極めて先鋭な問題を

敬-上げながらご-平凡な結末を読者に濠感させるのは

それが彼女の誠寛ぎの表れであ

ったとしても何かしら失

望を感じざるをえない

婚姻外の愛で赴合的に最も注目されたのは通産錦

の長篇

小説

「春の童話」(原題

「奉天的童話」『花城』八二年1期)で

あるこれは兄の遇羅克が

「出身論」を書いて銃殺された

一家の生活のために東北の農民と身責-同然の結婚

初夜のショックからナイフを身につけて棄て夫を拒否別

の男性

への愛子供を捨てて離婚懸人との愛の破局と蹄

-遺尿錦の鰻験を綴

った

「ある冬の童話」

(原題

「一個冬天

的童話」『普代』八〇年三期)の横笛である「春の童話」では

北京に戻

って勢働者と再婚妻子ある新聞副編集長との懸

愛夫との離婚訴訟愛人の裏切-その報復のため作品

の中でのラブレター公開に至る襲表された昔時は現資の

離婚訴訟と不倫の相手の失脚がだぶってスキャンダラスに

敬-沙汰されたが中国では時機尚早だったとい-不運の

他は非難されるほどの内容ではないそもそも彼女の愛

の在-方について言えば愛の成就のために夫と正式に

離婚した上で再婚という正常な手段を取る極めてオーソ

ックスなものである遇羅錦の懲愛結婚観は結婚愛を

至善とする鮎でむしろ倫理を逸脱するものではなかった

茄志閥の娘で母娘ともに活躍している王安憶

八六

para

年から愛情三部作

言える

「荒山の懸」

(原題

「荒山之懲」

『十月』八六年四期)「小さな町の懸」(原題

「小城之懲」『上

海文学』八六年八期)

「錦誘谷の懲」(原題

「錦紡谷之懲」『鍾

山』八七年一期)の中篇三作の力作に取-組んだ王安憶は

農村を措いた

「小飽荘」

(『中国作家』八五年二期)で童義絶

の轡と寡婦の懲を扱

っていて許されざる愛を考える兆し

が見えるけれどもこの三作では人間における愛と性のい

122

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

となみの業のような部分をみすえた重いものとなってい

るequiv

作のうち

「荒山の懸」と

「錦紡谷の懸」は既婚男女の

婚姻外の愛を措-

「荒山の懲」は

手法的にも斬新な仕

立て方で

一二

一章では出身地も育

った過程も異なる主人

公の男女をそれぞれの生い立ちから大人

へと成長し

各々が結婚するまでを全-無関係に交互に筆を進めてゆ

-したがって二人の人生は二章までは平行線を辿るし

かし運命の林は徐

々に二人を引き寄せ第三章では今ま

で出合うことな-生きてきたこの男と女が

ついに悲劇と

なる出合いを迎える二人は自分たちの意志に反してど-

しようもなく惹きつけられ人目を盗んでは求めあいそ

の関係が露見してももはや離れられない苦しみぬいた

末男は女に誘われるままに荒れた山に登-毒をあおい

で心中するこの小説は理性の力では抑えようがな-

運命にあらがうことができない愛の恐ろしささえ感じさせ

るこの男女はお互いに精神的に相手を必要としたわけで

はないむしろそれぞれの配偶者と子供たちでなる家庭に

新時期文拳における愛の諸相

(三枝)

撃方満足していたのである自分でもなぜ相手を欲するか

分からないのだそれはいわゆる愛情とは違うがただの

肉欲かというとそうでもない肉鰻の交わ-だけでな-千

は-相手の存在そのものを欲してやまない職場の降格虞

分を受けようと各々の夫や妻に妨害されようと惹きあ

い求めあう二人をどうにも止めることができないまさし

-宿命としか言いよ-がない

「荒山の懲」と

「小さな町の懲」が性愛に重鮎がおかれ

ているのにたいして「錦紡谷の額」

の方は精神面での結

び付きが強いしかも鷹山という俗世界を離れた山上の場

を設定し神秘的な裸の魂のふれあい沈獣のうちの心の

通い合いを措-この愛はあたかも下界では愛を貴現す

るのは不可能であるかのごと-産山を下-た途端に夢か

幻のように消え失せるそして女主人公は何事もなかった

かのように夫の待

つ家

へと野-着き冷めた夫婦関係を漬

けるのである彼女には不倫であることの罪の意識はさら

さらない愛は法を超越しさらには現章世界をも超越し

ている

123

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文革報

第四十六冊

王安憶のこれらの婚姻外の愛は形式的には愛と婚姻遺

徳が封立する構圏を取るが資は婚姻遺徳は何はどの力も

持ちえていない

「荒山の懲」では

確かに婚姻関係が梗

桔となって二人を心中に追いやるのだが宿命的に結び付

いた二人には自分たち以外の如何なるものも無力である

「錦紡谷の懸」では下山すると資にあ

っさ-元の家庭に

もど-

一見婚姻遺徳に屈服しているように思えるしか

「夫はこの晩彼らが貴は三人で寄-添

っていたことを

夢にも思わなかった三人で二人ではないこれか

らの長い年月ず

っと三人である二人で平和に暮ら

すのではない風波は立つはずがない第三の人間が

その場にいないことであらゆる悶着は雲散霧治してし

まう」

とあるように愛の冷めた結婚を容認しているだけである

この結婚を解消してまで別の態を成就させる気は毛頭ないO

「夫婦の間のすべてはあま-にあからさまで」「何もかも平

凡になってしまう」から

結婚に期待はしていない

「彼

らは愛情は距離を保

ってこそ滑滅しないでいられるという

ことを良-知

っていた」から下界では合うどころか手紙

も交わさない

「彼と彼女は

必ず神聖なはど清らかな環

境で出合わなければならず決して細々したことに煩わさ

れてはならないそうしてはじめて封話できる」のでベ

ッドの上で静かに相手に思いをはせるだけであるそれは

婚姻道徳に縛られているのではな-むしろ結婚を無意味

なもの愛を損なう障害物とみなしている

つかのまの愛

が夢だ

ったとい-書き方だがひょっとすると日常生活の

方が夢で裸の魂が向き合

ったつかのまの愛が県費だった

のかもしれないO

(五)

最上層--愛の本質永遠の愛

よ-私的なよ-観念的な

これまでみてきた基層

中層

上層は愛と愛を阻むも

のの封立の固式であ-愛を抑贋しているものがなければ

愛はすばらし-花開-はずだという前提が暗獣の内にあ

たところが対立の固式を離れた最上層では政治信念の

124

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

沿失

結婚に封する幻滅を経て愛を外的世界と切り離し

愛の本質と永遠性の探求がなされている

つま-よ-私的

なよ-観念的な愛の世界を指向している

上層の項の王安憶の愛情三部作のうち「荒山の懸」は

人間の理性では抑えることのできない愛の宿命的性質を捉

えていた先に解れなかった

「小さな町の懲」は同じ-人

間の理性で抑えられない情欲のすさまじさをえぐっている

「小さな町の唐」の主人公は子供の時から同じ劇圏で

一緒

にバレエの練習をしてきた

一組の若い男女である思春期

にな

って女性を性的に意識しはじめた男がそれを隠そ-

として二人の間に亀裂を生じ仇敵のような間柄となる

ところが苦しみの果てに結び付いた後はどうにも抑制で

きない情欲の虞とな

ってもはや離れようにも離れられな

いこうした肉欲に支配された関係は二人に自己を汚れ

たものとして意識させその後悔の念はたがいに相手を

抹殺したいという憎しみをさえ生じさせるO男と女はこの

苦しみから逃れようと互いに避けるようになるが公演の

族先ではふたたび人目を盗んで求め合-情欲を満たすこ

新時期文学における愛の諸相

(三枝)

とも恥辱をはらすこともそのはけ口を相手に求めるしか

ない二人は不倶戴天の敵のように殿-合わずにはいられ

ないこうして恰んでは求め求めては恨むことを繰-近

すうちに罪の意識はますます深-な

ってゆ-

ついに女は

死を決意するが死にきれないそんな彼女を救

ったのは

自分の鮭に宿

った小さな命だったそれは彼女の情欲の炎

を消し去-

一人で汚名を着て私生見のまま子供を生み落

とした男はしかし他の女と結婚して去

っていった

この小説の情欲が人間を突き動かす力の大きさと求

めては罪の意識で憎み合い相手を抹殺せんばか-の愛惜

のすさまじさはゾラの

「テレーズ

ラカソ」を努寮とさ

せるただ新たな生命の誕生による浄化を興えているとこ

ろにわずかに救いがあるが

王安憶の

「荒山の懸」と

「小さな町の懸」の宿命的愛や

すさまじい情欲の行き着-虚は自らを破滅に追いやる人

間の業であろう

張潔の

「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の結

125

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文畢報

第四十六射

婿はおろか生身の相手をさえ必要としない愛はそれゆえ

に永遠の命を手に入れることができた

「愛忘れがたきもの」の刑刑の母は相手の男性と愛

を語る代-にノートに語-績け

「母の精神は日夜彼と

緒でまるで仲睦まじい夫婦のようだ

ったところが彼

らが

一生の-ちで接解した時間は合わせても二十四時間

を越えはしないのだしかしこの二十四時間はおそらく

他の人が

一生の間に受け取るものよ-もず

っと探-ず

っと多い」

はどの愛を得られた

「それは心に刻み込まれ

たものだ

ったのだそれは愛なんかじゃな-て激しい苦

痛あるいは死よ-もも

っと強い力だもし世の中にいわ

ゆる不滅の愛が本営にあるとしたらこれがその窮極には

かならない」彼女の愛は結婚によって成就することはな

-また相手の男性の死という障害にぶつかったしかし

まさにそのゆえにこの愛が滑滅することな-永遠のも

のとな-えたのではなかろうか

「エメラルド」の曾令兄は世間的な幸福を得られなかっ

たにもかかわらずなぜ幸せだ

ったと言えるのかそれは

彼女が左威との結婚を拒否したからに他ならない恩返し

とい-義務的な結婚を受け入れていたら愛を守-抜-こ

とができたかどうか疑わしいむしろ結婚しなかったから

こそ左威の代-に彼との愛の護である息子の中に愛を見

出し常に挺らせ生かし績けることでどのような苦難

も乗-越えてこられたのである彼女にはもはや現貴の相

手さえ必要でないかつて狂わんぼか-に愛しその愛の

ために喜んで犠牲とな-限-ない愛を抱き活けたことで

極度に精神的な崇高な愛

へと高められたといえるこの鮎

で小説の最後に括入されているエピソードは示唆的である

曾令兄が汽車の中で知-合

った新婚旋行中の夫婦が大雨

の中を海に泳ぎに出て新郎が溺れ死んでしまう新婦は

後を追おうとして人

々に引き留められ睡眠薬を飲まされて

っているO曾令兄は新婦が目を覚ましたらこう言おうと

っている新婦はたとえ

一日でも報われる愛を得たのだ

から幸せであるとこの夫婦は結婚生活であるいは死滅

してしまうかもしれなかった愛が死というも

っとも大き

な障害によってかえ

って永遠の命を得ることができたの

- 126-

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

だ「愛忘れがたきもの」と

「エメラルド」の主人公の愛

のあ-かたとこの新婚夫婦のエピソードは永遠の愛とい

うテーマについて考えさせる

そもそも愛は永遠なるや否やを考えてみる時現資世界

でめでた-結ばれてしまってはいずれ愛は冷め永遠の

愛など不可能であろ-その意味で神仙世界のよ-な山上

を設定しその場に限

って愛を成-立たせた王安憶の

「錦

梼谷の懸」も現寛世界での結ばれた愛の永遠性に疑問を

持つものであろ-

また結ばれた愛に封する懐疑からは死はむしろ不滅の

愛を手に入れさせる最も確寛な保障となる「荒山の懸」

の心中の結末を安易だとする見方もあるが彼らの宿命的

愛は死によって成就ざれるしかあるまい

「愛忘れがた

きもの」

の相手の男性の死も

「エメラルド」

の新婚夫婦

の新郎の死も愛に永遠の命を輿えたO詔容の

「錯錆

錯-」は二人の愛し方がすれちがったために結婚生活

の中でとうとう愛をな-してしまったところが妻の死

新時期文皐における愛の諸相

(三枝)

に直面して夫は悔恨の思いを亡き妻に語-かける相手

の死によって彼は失

った愛を取-戻したのだ死という人

と人との問に横たわる最大の障壁は愛というものを考え

る時それを永遠に燃え立たせ輝きを興える最高の恩

寵であるのかもしれない

以上新時期愛情文学をその流れとパターン別に分類して

考察してきたが現代の文学に表れた愛の在-方の全鮭像

がおぼろげながら見えてきたように思われるまず基本は

愛に封する外的意味付けを拒否する態度である例えば初

期には祉合主義中国の建設四つの現代化促進に貢献する

形の愛が賞賛されていたのがしだいに政治的意義を間わ

な-なるまた石渡や反革命との愛は許されないという政

治的制限が加えられたことに反頚するあるいは封建道徳

が生き残

って祉合主義道徳に姿を襲え離婚

再婚の不自

由満身主義の否定となって人々をと-わけ女性を歴迫

していることを糾弾する本来きわめて個人的な領域のも

727

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文筆報

第四十六筋

のであるはずの愛を政治的道徳的に外から規制することに

抵抗する姿勢が全鰹に見られる個人の内面にはいかなる

束縛も加えられるべきではな-

一人の人間が誰をどのよ

-に愛そうと全-自由であるというのがあるべき証合の

理想像と考えていいだろう

それがさらに既存の婚姻道徳にも向けられ愛に結婚と

いう足かせをはめることから生じる矛盾がと-あげられる

「愛情にもとづ-結婚」という幻想さえ崩れつつある結

婚生活の中で愛が沿えうるとすれば愛の冷めたあるい

は愛のない結婚を冷ややかに容認するとともに婚姻外の

愛を罪悪感な-求めることになるかといって中国の場合

事寛上婚姻制度の枠はし

っか-してお-最近離婚が急曙

しているとはいえ法律婚が前提とな

っているためよ-

自由な男女の結び付きが可能な形態にな-に-いそこで

むしろ愛に現貴逃避させ生身の相手を不要とする自己完

結的な愛の世界を築き上げた-死の断絶によ

って愛を成

就させることで愛に崇高さ永遠性を輿えようとしてい

るのではないだろうかOそれが県理であるかどうかはとも

か-

一つの方向ではある

一九五七年湖北省儒桃市に生まれる高校卒業後

農村に下放し教師となる七六年冶金腎学事科学校の

「七

二lL工人大学に合格卒業後撃師として武漢鋼鉄公司衛

生虞に配属される〇八三年武漢大学中文系に合格八六年ま

で学ぶ八二年中国作家協合湖北分合に加入現在武漢市

文聯の月刊誌

『芳草』の編集者

「煩悩人生」を韓載した

『小説選刊』

1九八七年十

1期は

編集者の言を附して作者がご-普通の人間の日常生活の平

凡な細々した事柄の中に

「小説」を謀見したことを高-評債

しているまた

「太陽出世」を掲載した

『鍾山』九〇年四期

は干可訓の

「人生的鮭儀-

『太陽出世』来談

池和的人

生三部曲」と題する評論を

「太陽出世」の後に添えそこで

は池刺の人生三部作を新寓賓主義と捉えている

一九四二年四川省成都市に生まれる幼年期は重慶

で過ごし五〇年に北京に移る六l年に北京師範専科学校

を卒業以後

七六年まで十五年間北京第十三中撃の教師を

勤める七七年『人民文筆』十

l期に諌表した

「班主任」

が文革後の新しい文学の出費鮎となった七六年から文重雄

『十月』の編集に摘わ-八七年から

『人民文学』主編o

現在中開作家協合理事その他の主な作品に中篇小説

「如

128

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

意」(『十月』八〇年三期)長篇小説

「鐘鼓模」

(『普代』八

四年五

六期)紀黄小説

「五二

九長鏡頭」(『人民文筆』八

五年七期)「公共汽車詠嘆調」(『人民文学』八五年十二期)

などがある

中国新時期小説鑑賞叢書

『愛情小説選』

一九八八年七月寧

夏人民出版社

なおラジオ局

へ届いた二千五百通飴りの投書のうち劉心

武と相談して選んだ二十五通飴-の手紙が

『議我刑衆討論愛

情』と題して出版されてお-

(一九七九年三月上海人民出版

社)全図各地の様々な人の鮭放談と意見が収められていて

興味深い

一九五〇年新江省杭州市に生まれる両親は四〇年

代初期から革

命に参加した知識人で文学好きの両親の影響

下に小学校五年生の時の作文

「我僧撃散等生」が上海の

『少年文塾

に掲載されるなど早-から創作を始めた六

六年初級中学卒業後紅衛兵運動に積極的に参加する六九

年黒龍江省北大荒の農場への下故を志願八年間の農場で

の生活で様々な仕事を控除する七六年に農場を離れ黒龍

江省垂術学校編劇班で学ぶ七九年中開作家協食器龍江分合

に加入専業作家となる主な作品に短篇小説

「夏」(『人

民文撃』八〇年五期)中篇小説

「淡淡的農霧」

(『収穫』八

〇年三期)

「北極光」(『収穫』八一年三期)「塔」(『収穫』

八三年三期)長篇小説

『隠形伴侶』(作家出版社八六年)な

新時期文草における愛の諸相

(三枝)

どがあるO

張抗抗

「従西子湖到北大荒」『中青年作家自俸』

一九八八

年十二月時代文蛮出版社

一九三七年北京に生まれる張潔が幼い頃父は妻

子を置去-にした抗日戦争中母子は桂林

四川

駅西を種

々とLt駅西の農村で解放を迎えたその後遼寧省撫順に移

-五六年に撫順高級中学を卒業中国人民大学計劃統計系

に入学六〇年人民大学を卒業閥務院第

一機械工業部に

入る六九年に下放し五七幹部学校に入る七二年北

京に庚-元の職場に復蹄七八年子供の頃からかわいがっ

てもらった騒案基に励まされて虚女短篇小説

「徒森林襲来的

孫子」を書き好評を博す七九年中国作家協合に加入現

在理事o主な作品に短篇小説

「愛是不能忘記的」(『北京

文萄』七九年十

1期)長篇小説

「沈重的趨勝」

(『十月』八

一年四

五期)中編小説「方舟」(『収穫』八二年二期)「七

巧板」

(『花城』

八三年

一期)「組母線」

(『花城』八四年三

期)短篇小説

「他有甚磨病」(『竜山』八六年四期)長篇小

「只有

1個太陽」(作家出版敵八九年)などがある

なお張潔はこのころ

「有

一個青年」(『北京文墾』七九年

期)「未了錬」(『十月』八〇年五期)「波西米亜花瓶」(『花

城』

八一年四期)と授けて純愛路線で書いている「沈重的

超勝」で社台経済を描いて作風を襲えたo

潜時の賛成論としては黄秋転「関於張潔作品的断想」(『文

129

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中国文畢報

第四十六珊

塾報』八〇年

l期)戴晴

「不能用

l種色彩描縛生活」

(『光

明日報』

八〇年五月二八日)などがまた批判としては李

希凡「備若

県有所謂天図--」(『文蛮報』八〇年五期)宵林

「試談

『愛へ是不能忘記的』格調問題」(『光

明日報』八〇年

五月

一四日)骨鋸南

「愛的美感爵甚庶幻滅~」(『光明

日報』

八〇年七月二日)などがある

註④に同じ

女性の問題を深-掘-下げた文学という贋義でこの言葉

を用いた中国の女性解放の歴史と照らし合わせて文学に

表れた各段階の典型的な女性像として封建痘教の犠牲とな

った女性あるいは目覚めた新女性がよ-と-あげられる

たとえば現代文撃では魯迅の

「祝福」の辞林娘「傷逝」の

子君丁玲の

「謬非女士的日記」の滞非「我在霞村的時

候」

の貞貞などがあるその路線を受け鮭ぐものとして文革後

では張潔の

「方舟」と張辛欣の

「在同

一地平線上」(『収

穫』八一年六期結婚と女性の自立の板挟みを描いた)がフ

ェ-ニズム文学に教えられるこの女性解放の蔵鮎から論じ

たものに中国では笹大柄

「関於文学中的婦女問題-

『方舟』及其批評」(『山花』八二年十二期)夏中義

「徒辞林

娘弥非女士到

『方舟』」『普代文聾思潮』八三年五期日本

では福地桂子

「張潔の

『方舟』に見る中国女性解放の現賓」

『長崎総合科学大挙紀要』第二六名第

一壁

1九八五年度秋

山洋子「三つの観鮎-

中国現代の女性作家たち1

」『女性

撃年報』第九班

一九八八年

(「在同

1地平線上」を論じる)な

どがある

女本名講徳容o

l九三六年湖北省漢口に生まれる父

は図民業政府の高等法院

最高法院の裁判官をつとめたo

l

歳の時に日中戦中が起こ-成都

垂慶

北平などを特々と

し四七年重慶に戻る五一年

一五歳の時垂慶の西南

工人出版社門市部の阪貿員となる翌年『西南工人日報』

杜読者来信部に移るこのころ中学

高校の課程を滞撃で

学ぶ五四年北京ロシア語専科学校に入学五六年共青

園に入園五七年に卒業後中央人民贋播電重に配属され

ロシア語の研諸と銀音編集を据嘗するが病気でよ-倒れる

六二年北京市教育局に移る六三年から翌年にかけて自

費で山西省の農村に滞在北京に戻ってから話劇を書-が

文革が始まると上演中止となる六九年からは北京郊外の通

牒に下放O長篇小説

「高年者」執筆

(七五年に人民文学出版

社よ-出版)

七三年北京に戻-北京市第五中学のロシア

語教師となる七九年中開作家協合に加入現在理事八

〇年中篇小説

「人到中年」(『収穫』八〇年

一期)で注目を

浴びる

その他の主な作品に長篇小

説「光明興票暗」(人

民文学出版社七八年)「永遠是奉天」(『収穫』七九年三期)

中篇小説

「太子村的秘密」(『普代』八二年四期)「楊月月興

隆特之研究」(『人民文学』八三年八期)へ「錯錯錯-」(『収

穫』八四年二期)「備得離婚」(『解放軍文蛮』八八年六期)

- 130-

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

などがある

加々美光行氏

「『私小説』作家

遇羅錦における政治と文

学」(『ある冬の童話』

一九八六年十二月田畑書店)は日本近

代文学と比較して「およそ国家秩序によって捕捉されえな

い私的領域というものが存在しうる」(丸山虞男)近代の開幕

「私小説」の成立を可能にするという意味で遇羅錦の小

説を

「私小説」に数えるO

また

「中開新時期文学の一〇年」中国研究所編『中国年鑑』

l九八七年版別筋では「鮭

漁を告白することで世間の

〝常

識に挑戦したとい-意味で」私小説に分親している

一九三四年上海に生まれる本名張新華南京市第

五中学を卒業後五三年に清華大学に入学し冶金機械専修

科で学ぶ卒業後遼寧省鞍山銅銭設計公司で技師とな-

創作も始める五七年反右派闘争の際右涯とされ里五八

年湖南

安徴の農村に下放六〇年安徽省馬鉄山銅銭設計

院に配属される六三年馬乾

山市文化局の戯曲作家となる

七二~七五年安徽省の農村に下放七九年に復権八三年中

国作家協合江蘇分合に加入主な作品に短篇小説

「記憶」

(『人民文革』七九年三期)「被愛情迫忘的角落」

(『上海文

学』八〇年

一期)「未亡人」(『文匪月刊』八

一年

一期)「梓

不断的

紅林線」(『上海文学』八

一年六期)「銀杏樹」(『鍾山』

八二年二期)などがある脚本には「青春寓歳」(王蒙の同

名の小説を映蓋化したも

の)「湘女蒲葡」(沈従文の小説

「葡

新時期文撃における愛の諸相

(三枝)

詣」を映蓋化したもの)「被愛情遺志的角落」「秋天里的春

天」(「未亡人」を映蓋化したもの)などがある

三聯書店香港分店七九年初版引用は生活

議書

新知三

聯書店の八七年出版の合訂本によった

女o

l九三八年安徽省頴上牒南照集生まれo父は店員で

後に小さな荘貨店を開いた母は文盲の主婦故郷で中学教

育を終え五六年に上海の華東師範大学中文系に入学六〇

年に卒業上海作家協合文学研究所に配属ざれ文学評論

文学理論の研究をした六六年の夏に積極的に文革に参加し

たがうまもな-右傾として批判された父も右派とざれてお

-苦難をなめた七九年

一月上海復旦大学中文系講師主

な作品に長篇小説

「詩人之死」

(八二年福建人民出版社虚

女作だが出版が遅れ第二作の

「入明人」の方が先に出

版された)「入明人」(八〇年十

7月鹿東人民出版社)

中篇小説

「鎖鍵是柔軟的」(『虞州文聾』八二年九月~十二

月)などがある

一九二八年安徽省巣鯨魯集村の農民の家に生まれる

達郎な貧しい村で学校もな-私塾で学ぶ抗日戦争後外に

出て学問をした-て麟城の補習班に入る四六年夏高級中

学に入学四八年夏に私立の国学専科学校に再校するが二

箇月で生活費がな-な-蹄郷するまもな-革命に参加

渡江戦役の後華東大学院北分校で学ぶ五〇年院北行政公

署文数虞院北文聯を経て五二年安敏文聯

に移る主に編

131

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

中開文革報

第四十六肪

集活動を行なう

一万創作を始める映喜脚本や話劇を数多

-書-文革中筆を奪われるが七七年よ-創作再開七九

年の中篇小説

「天雲山俸寄」が正面から反右派闘争の問題を

描いて反饗を呼んだ現在中国作家協合理事安敏文聯副主

席張

抗抗

「我寓

『北極光』」

『文匪月刊』八二年四期

1九四六年北京に生まれる両親は日本留学生で

五七年の反右派闘争で二人とも右派とされた六一年に北京

女子十二中学を卒業北京工塾美術学校

へ進撃六五年に卒

業後市の玩具第六工場で見習い工として働-文革が始ま

ると両親は再び批判され弟二人は駅西省の農村

へ下放兄

の遇羅充は六七年に豪表した

「出身論」で血統主義を批判し

たため六八年

一月に反革命罪で逮捕され七〇年に銃殺さ

れた遇羅錦自身も六六年に日記の中の言葉が

原田で労働改

造三年の刑を受け七〇年三月に刑期を終え河北省臨西鯨に

移ったがt

l家の貧困

を解決するため北大荒の農民と身責-

同然の結婚をLt男兄を生んだ七四年に離解七八年九月

北京に戻-七九年四月に名暑回復職場復鋸七八年七月

に瓦工と再婚したが『光明日報』副編集長と懲愛し

八〇

年五月に離婚を提訴八一年五月正式離婚八〇年九月へ最

初の結婚から離婚にいたる自己の経歴を赤裸々に描いた虞女

「一個冬天的童話」(『普代』八〇年三期)で大きな反草を

呼ぶO副編集長との懲愛を描いた綾篇「春天的童話」(『花城』

八二年

丁期)は

「スキャンダル文学」(隠私文学)として激し

い非難を浴びた

八二年七月に三度目の結婚をLt「求索」

(『個善文塾』八三年四期)でその経緯を綴るO八六年初め西

ドイツ訪問三月ボンで政治亡命

1九五四年南京に生まれる母は作家の薪志醜O翌

五五年母とともに上海に移る六九年初級中撃卒業

(翠

校では一度も授業は行なわれなかった)

七〇年安徽省匪

北の人民公社に下放七二年徐州地匠の文

工圏の圏員に合

格しチェロを弾-七八年中国作家協合上海分合に加入

同年四月中国作家協合第五期文筆講習班で学ぶ主な作品

に短篇小説

「雨沙沙沙」(『北京文蛮』八〇年六期)「本

次列車終鮎」(『上海文学』八1年

一〇期)中

篇小説

「流逝」

(『鍾山』八二年六期)「小飽荘」(『中国作家』八五年二期)

「荒山之懲」(『十月』八六年四期)「小城之懲」(『上海文学』

八六年八期)「錦紡谷之懲」(『鍾山』八七年

一期)などがあ

通稀

「三倍」題材のほかに三作ともセ-フがほとんどな

いこと登場人物に名前がな-

「他」と

「地」でしか表され

ないこと

(したがって非常に読みに-いこ-

いう作家の猪

-善が-は果たして演者に受けいれられるのか疑問である)

でも共通している

132

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期

新時期愛情文学年表

(網羅的ではな-本文で論及したものに限る)

1九七八年

劉心武

「愛情的位置」

『十月』七八年

一期

一九七九年

張抗抗

「愛的権利」

『収穫』七九年二期

魯彦周

「天雲山俸奇」

『清明』七九年

1期

張潔

「愛是不能忘記的」

『北京文垂』七九年十

1期

一九八〇年

張弦

「被愛情遺志的角落」

『上海文筆』八〇年

一期

遇羅錦

「一個冬天的童話」

『普代』八〇年三期

戴厚英

「人間人-」

虞東人民出版社

八〇年十

1月

一九八五年

一九八六年

一九八七年

1九八八年

1九八九年

張潔

「租母緑」

徐星

「無主題奨奏」

王安憶

「荒山之懲」

「小城之懲」

徐星

「殉道者」

王安憶

「錦紡谷之懸」

誰容

「備得離婚」

池荊

「不談愛情」

『花城』八四年三期

『人民文筆』八五年七期

『十月』八六年四期

『上海文学』八六年八期

『人民文学』八六年

1期

『鍾山』八七年

1期

『解放軍文蛮』八八年六期

『上海文筆』八九年

一期

l九八一年

張弦

「未亡人」

『文匪月刊』八

1年1期

『中国

「新時期文学」の1〇八人』中

国文蛮研究合

八六年十月

『普代中国作家百人俸』

求箕出版社

八九年六月

『中国普代青年女作家許博』

中国婦女出版社

九〇年六月

133

「挿不断的紅練線」

『上海文学』八一年六期

張抗抗

「北極光」

『収穫』

一九八二年

遇羅錦

「春天的童話」

『花城』

張潔

「方舟」

『収穫』

戴厚英

「鎖鐘是柔軟的」

『庶州文垂』

一九八四年

詰容

「錯錯錯-」『

収穫』

新時期文拳における愛の諸相

(三枚)

八一年三期

八二年

一期

八二年二期

八二年九~十

一期

八四年二期