tnricp(tobunken) top page - 美 學 と西洋畵 下...歷 畵 を 課 題 と す れ ば と て...
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◎歷
畵を課題とすればとて何も歷
畵を重んじての譯ではない假令ば智
とか愛とか云ふ樣な無形的の畵題
を促へて充
の想像を筆端に走らする如きは無論高尙な
なれど二三年やツた位の處では出來そうにもしない其
れよりは先づ相當な歷
畵を將ツて其課題とするのが至極
古中に
すると思ひます
◎第四年の卒業試驗-是れは第四年となれば
年を卒業製作の爲めに與へる即ち前
年は其搆案に後の
年
は其製作にといふ樣に‥‥‥
◎學
はほんの畵を描く土臺を
る處言はゞ畵かきの下拵へ
です‥‥此學
を卒業したからと云ツて一人前の
畵家に爲ツたと思はれては困る‥‥三四年の修業で直ぐ畵伯といふ連中があられては大變‥‥ところで美
學
では卒業試驗に及第せしものヽ中學
の先生に爲る人は格别左樣でなき人々は試驗
績の優等の處十二三人
を
んで之にモデル其外充
の材料を與へて前の卒業製作をほんとうの者に仕上げさせ其仕上げたものを閱して
最優等二人
を
び佛國に留學させる筈です此等は總べて經費と相談の上にも依れど毎年二人宛として少くも
三年間は彼地に留學させる心算です而して留學生は滯在中時々
物館等の作を臨摹して美
學
に‥‥丁度巴
里から羅馬に畵家を出だして古畵などを寫し來させる樣に‥‥絕へず其摹本を
ツて來る
にしたら參考品も
いのが殖へて斯
の發
を助けるだろうと思ひます
美
學
と西洋畵(下)
黑田淸輝氏の談話
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◎終始實地の
益を謀り自由に學問が出來る樣にして徃きたい精神ですから第三年に來て油繪を學びながらも
人物の寫生を少し硏究する必
の塲合が生じたら隨意二年の科に至りて之を
ふ
が出來二年生亦た時には一年
生の中にはいりて石膏物の寫生をする
もあるだろう時間になツたからと云つて仕事を離れられぬ塲合があツた
ら時間後だ處がやツて居る樣にしたい‥‥先づ余の考は斯んな事です
◎いよ〳〵九月から洋畵科が始まるとなツたら豫科の中よりも來やうし本科の今
日本畵をやツて居た人で之れ
に來るのもあるとか云ふ
ですから中々面白くなツて來ませう
◎油繪の
は今の處佛國より取寄せるのですが‥‥此頃大學より
學士一人を聘しました是は油繪の
等の製し
方を硏究し
々日本の油繪の
を製する樣にしたい考へなので‥‥‥ソレで日本人の頭腦から
合した繪の
が
出來日本の畵家が之を
ふ
となつたら其れこそ日本
せる洋畵が始めて其時に見られるでせう
(完)
『毎日新聞』
明治二九年六月九日
美 學 と西洋畵(下)
本文献は明治二九年六月二八日発行の『京都美術協会雑誌』四九
に転載された『絵画の将来』では『京都美術協会雑誌』
掲載のものを収録している