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Hitotsubashi University Repository Title � : Author(s) �, Citation �, 7(4): 147-163 Issue Date 1983-01-31 Type Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/6256 Right

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Hitotsubashi University Repository

Title政治とクリティシズム : 「ニュー・レフト・レヴィウ」

誌上の議論を素材にして

Author(s) 吉田, 正岳

Citation 一橋研究, 7(4): 147-163

Issue Date 1983-01-31

Type Departmental Bulletin Paper

Text Version publisher

URL http://doi.org/10.15057/6256

Right

エ47

政治とクリティシズム

・『ニュー・レフト・レブイウ』

    誌上の議論を素材にして・・

吉 田 正 岳

 1、

 社会変革を考えてみれば,政治が挺子の役割を果すことは明らかであるが,

文化もまた重要な役割を担っている。そして「文化現象」が今日では新聞,雑

誌,ラジオ,テレビ,映画,等を表象すれぱわかるように,たんに活字・会話

を通してのコミュニケーションから成り立っていた時代とは異った有様を呈し

ている。このマスメディア時代に,文芸批評(CritiCiSm)の政治・文化に対し

て果たす役割は大きなものがあるに相違ない。とりあえずこのような言い方を

するのは,文芸批評の役割ということでは長い議論を独自についやさねばたら

ないからである。かかる前提的議論を避けて,ここではレイモンド・ウィリア

ムズの文芸批評をめぐる『ニュー・レフト・レヴィウ』誌上の議論の一部を追

うことにしよう。ウィリアムズの文芸批評は,政治・文化戦略に照準があわさ

れており,我々にとって興味深い問題が,彼と彼をめぐる論者の間に提出され

ているからである。

 2.

 R・ウィリアムズと文化運動とのったがりを述べるにあたっては,イギリス

のマルクス主義,特にニュー・レフトの歴史的背景を考慮しなければならな

い。またそこから入っていくのが妥当であろう。

 ソ連共産党第20回大会でのスターリン批判が世界にショックを与えた後,

1956年のハンガリー革命(forrada1om)はソ連の戦車の前に崩壊した。この二

つの事件は,世界の左翼,特に共産党に深刻な反応を呼びおこした。イギリス

エ48 一橋研究 第7巻第4号

でも例外ではなく,イギリス共産党からは脱党者が相ついだ。その中には,B・

ファリソトソ,R・L・ミーク,C・ヒルといった有名た知識人が含まれてい

た。このハンガリー56年革命とイギリス共産党内部の反応の詳しい過程につい

ては,富岡次郎rイギリス社会主義運動と知識人』(三一書房,1980)の第7章

「イギリス共産党とハンガリー動乱」に述べられている。そして水田洋氏は,

スターリン批判後のイギリス・ニュー・レフトの成立の動向を彼の見聞をまじ

えて追っている{1〕。

 水田氏によるとニュー・レフトという呼称は,”New Reasoner”と誌}Uni-

versities and』Left Review”が合体する過程で,1959年末にできたらしいと

のことであるω。両誌が合体して1960年にできたのが現在の}New Left Re-

VieW”誌である。ここで注目すべきことは,合体に先だって開かれたレフト・

クラブの創立大会の特徴として,(1〕文化運動を主とする,(2)トロツキズムとは

関係がない,という二点があげられていることである。(1)の文化運動とは、「さ

しあたって新左翼運動は,共産党,労働党とならぶ第三の左翼政党をめざすの

ではなく,文化運動として両政党の内外にはたらきかけようとしている」㈹と

いう規定が与えられていることからもわかるようにr政治的な」(政党組織を

欠如しているが)意味合いを持った文化運動である。イギリスのニュー・レフ

トが文化運動に「自己限定」したことは,既存左翼政党との関係でそうしたの

みならず,更には社会変革の長期的展望の上でそうしたのである。R・ウィリ

アムズの著作はこの意味における文化運動の線上で書かれてきた。彼のr長期

革命』,『コミュニケーション』等の著作はこの運動の中から生み出されてきた

のである。

 ここで文化と社会の考え方に触れておこう。上記のようなこと,つまり文化

(問題)を長期革命(IOng reVO1utiOn)の展望の中で考えることがどうして言

いうるのかということであるが,ウィリアムズについてみると,彼には文化を

社会全体とからめてとらえる見地があるからである。’COmmOn Culture’,

‘cu1ture is ordinary’という言葉はウィリアムズの文化観の一端をあらわす

ものである(4〕。文化=社会という考え方はウィリアムズのみに限定されるもの

ではない。このような考え方は,同じくイギリスの社会学者における文化=「杜

政治とクリティシズム j49

会的存在」と捉える観点と同様のものといえよう(ω。特に奇異な考え方という

0)ではなく,文化・文学の観点から社会に関する問題にアプローチすると出て

きやすい発想であろうω。

 文化と文芸批評との関係における社会のとらえ方に関しては後にウィリアム

ズの思想の該当箇所で追べることにして,イギリス『ニュー・レフト・レヴィ

ゥ』誌(以下NLRと略す)に話を戻せば,NLR誌100号で,ウィリアムズ

は‘Note on Ma欣ism in Britain Sin㏄1945’という論文を書いている。そ

こで彼はニュー・レフト運動をふり返って,自己批判を含んだ半ば自伝的た概

観を行っている。この論文はその題名からもわかるように戦後のイギリス・マ

ルクス主義を総括したものであるが,NLR誌が100号をむかえた時点でのニ

ュー・レフト運動の総括ともなっているω。このようにニュー・レフト運動

は,理論的にみて,70年代後半期の一定の反省と総括,その後の展望という時

期であったのだが,ウィリアムズの思想自体についてみても,文芸批評に関し

てみれば,それより早く1971年の’Literature and SocioIogy’,NLR,No.

67,May-Jm.1971あたりから再考・新展開をみせはじめている。そしてそ

れに対応してイギリス・マルクス主義の文化に関する議論が進んでいる。

 ここで文学・文芸批評・美学に関係のあるNLR誌上の1970年代の論文を本

稿に関係する範囲でピック・アップしておこう。

 (1)R.Wmiams,Literature and Sociology:in memory of Lucien

  Goldmam,NLR,No.67,May-Jm.1971、

 (2)R.Wi11iams,Base and Superstructure in Marxist Cu1tura1

  Theory,NLR,No.82,Nov-Dec.1973.

 (3)Ter了y Eagleton,CTiticism and Politics:the work of Raymond

  Wi11iams,NLR,No.95,Jan-Feb1976.

 (4)Anth㎝y Bamett,Raymond Williams and Marxism:A Rejoi-

  nder to Terry Eagleton,NLR,No,99,Sep_Oct.1976.

 (5)R.Wmiams,Notes on Marxism in Britaine since1945,NLR,

  No.100,Nov.1976-Jan.1977.

 (6) T.Eag1eton,‘Aesthetics and Po1itics,’NLR.No.107,Jan-Feb・

j50 一橋研究 第7巻第4号

  1978.

 (7)Francis Mulhem,Marxism in Literary Criticism,NLR.No.

  108,Mar-Apr.1978.

 (8)R・Wi11iams・Prob1em of Materia1ism,NLR.No.109,May-

  Jun.1978.

 (9) T.Eagleton,Liberty and Order:the Criticism of John Berley,

  NLR,No.110,Jul-Aug.1978

 (10) Anthony Easthope,On an Aside by Eagleton,NLR,No・110,

  Jul-Aug.1978.

 以上が70年代の論文で目についたものである。既にウィリアムズが,ルカー

チ,ゴルドマンの思想に対質しているのと同様に,イーグルトンの「文芸批評

と政治」(NLR.No.95)論文もフランスの構造主義的マルクス主義の手法を

導入しており,現在のイギリス・マルクス主義文芸批評は単にイギリス固有の

色彩を帯びたものから,ヨーロッパ大陸のマルクス主義思想からの影響をうけ

つつ展開されてきている。例えば,NLR,No..I1〇二にはルカ一チに関して’Intro-

duction to Luk6cs’,=P.81-82;G.Luk自。s,On Walter Benjamin,On

Bertolt Brecht,P.83-92.が掲載されているが,そ1れは.’Aesthetics and

Politics”,NLB,1978の出版と,それをうけたイーグルトンのNLB,No,107

の論文でE.Bloch,G.Luk6cs,B.Brecht,W.Benjamin,T.Adomoらの

1930年代の論争への論評を行ったことと関連している。このようにドイツ表現

主義論争にまでイギリス文芸批評家の目が向けられてきていることに我々は注

意しておかねぱたらないだろう。

 NLR誌での70年代の文芸批評を中心としたマルクス主義の展開過程は上記

の如くであるが,本稿ではR・ウィリアムズ,T・イーグルトン,及び付随的

ではあるがA・バーネットの1976年以前の論文にだけ焦点をあわせて,その二

・三の論点を追ってみたい。最近のNLR誌の論文については,ベンヤミン,

ルカーチ,ブレヒト,等への言及を含み,また別の論点を提示しているのでこ

こで取り上げることができない。

 それでは,ウィリアムズ,イーグルトン,バーネットの三者の論文の関係に

政治とクリティシズム j5{

ついて言及しておこう。ウィリアムズの諸論文の中心となるものは, 「マルク

ス主義文化理論における土台と上部構造」(NLR,No.82)である。この論文

を取りあげるとともに,それまでのウィリアムズの全業績を対象化して批判す

るという意図をもって書かれたのが,イーグルトンの論文「文芸批評と政治1

レイモンド・ウィリアムズの著作」である=8〕。この論文は加筆されてr文芸批

評とイデオロギー』(NLB,1976,London)の第一章に収められているω。こ

のイーグルトンの論文と彼の著作『文芸批評とイデオロギー』に対して,ウィ

リアムズの意図を救いあげながら一もちろんウィリアムズを全面擁護すると

いうわけではないが一バーネットが介入したという形をとっている。

 三者の論文の関連は以上の如くであるが,ここではそれらの論文の論点を全

て取り上げるわけにいかない。大枠として意識をめぐる問題についての私なり

の整理を以下で示すことにする。

 3.

 そこで,ルカーチ,ゴルドマン流の意識の理解の仕方と,構造主義的マルク

ス主義(イーグルトン)の理解の仕方の二通りの理解を示して,その上でウィ

りアムズのr意識」の理解の仕方へと接近してみよう。

 ウィリアムズはr文学と社会学」論文(NLR,No.60.1971)においてゴル

ドマンに論及しているのみならず,r土台と上部構造」論文(NLR,No.82.

1973)でもルカーチとゴルドマソの総体性(totaIity)概念に触れ,それを批判

的にとりあげている。そして「土台と上部構造」論文では彼らの総体性概念は

なお静態的であり,グラムシのヘゲモニー概念をもって動態的概念となし,総

体性概念にヘグモニー概念が付加されなければならたい,と述べている。ウィ

リアムズの「土台と上部構造」論文におけるルカーチの総体性概念自体の理解

には問題がある。しかし,意識の概念をルカーチ,ゴルドマソ流の意識の理解

と,イーグルトンのような構造主義的マルクス主義のそれとの差異の脈絡に置

いてみると,ウィリアムズの言おうとしているところは重要な問題提起を含ん

でいると思われる。それは,意識は存在(社会的存在)に規定されるq0〕,とい

う命題にかかわるこヒである。そしてr規定」ということの内容の理解も各論

エ52 一橋研究 第7巻第4号

音によって異っている。

 まずルカーチ,ゴルドマン流の意識の理解の仕方では,ウィリアムズはゴル

ドマンを典型的なものとして選択しているので,ゴルドマンの理解に焦点をあ

てて論じてみよう。

 ゴルドマソがカテゴライズした意識のあり方とは,可能意識と現実意識であ

る。彼はこのカテゴリーを総体性概念と結合させて何度も言及しているが,そ

の二つの意識カテゴリーは,ルカーチの『歴史と階級意識』,特に物象化論か

らゴルドマソが定式化したものであるω。現実意識とは物象化された意識,総

体性の意識にまで至っていない言語,現実に存在する意識のことである。これ

に対して可能意識とは社会的存在に対応する意識のマキシマムの状態,総体性

の意識である。この場合,社会的存在とは,具体的には社会集団,階級が考え

られており,例えば対自的な階級意識が可能意識に相当する。この意識把握で

は可能意識は究極的には社会的存在(社会集団)に規定されていると考える。

現実意識は種々の何らかの要因によって妨害されていて,可能意識にまで達す

ることがでぎていない。この可能意識と現実意識の距離を『歴史と階級意識』

の物象化論は示しているとゴルドマンは読み取るのである。つまり意識と存在

の間には物象化があって,存在から意識への直接的連関がつけられたいという

説明がなされるのである。ところで私は現実意識から可能意識に至りうるとい

う意識の理解の仕方には,可能態一現実態(潜勢態一顕勢態,デュナミスーエネ

ルゲイアδ3リαμs一三リ6ργ61α)のカテゴリーが働いていると考える。言葉の上で

注意したければたらないのは,この場合,ゴルドマンの可能意識は現実態(顕

熱態)に相当し,可能態(潜勢態)を指すのではないということである。なおゴ

ルドマソの意識理解は一種の目的論的理解ともいえよう。但しそれは,アリス

トテレスの目的論がその内に含んでいるような生物学的事実のアナロジーで理

解されると誤解と生む危れがある。目的論的といっても,自然的にかくなると

いう意味ではなく,意識は可能性,「客観的可能性」(ヴェーバーではなくルカ

ーチの意味での)カテゴリーとの連関でとらえられているからである。だが可

能意識への運動の終りが,たんなる終点ではなく, rそれのためのそれ」とし

て意識の運動がある限り,目的(τ6柵)の意味がそこにこめられていると考え

政治とクリティシズム ユ53

られるが故に,目的論的理解をゴルドマソは示していると言えるだろう。望〕。意

識と存在の間の距離措定はかようになされている。この意識一存在の理解と物

象化論を前提とすれば,何故に組織論が必要なのかが諒解されてこよう。ある

社会的運動体が社会の総体性把握を前提とし,それに向うかぎり,運動体とし

ては組織論が必要とされる。『歴史と階級意識』に組織論があるのは,意識一

存在問題の上記の発想と無縁ではないであろう。

 ウィリアムズの所論についてはあと回しにして,次に構造主義的マルクス主

義の考え方に移ろう。ここではイーグルトンの考え方で示すので,必ずしもフ

ランスの構造主義的マルクス主義者達の理解と同一ではないにしても,イーグ

ルトンは彼らの影響を受けており,積極的に彼らの考え方を取り入れているの

で,彼を構造主義的マルクス主義者と呼んでいいだろう。もっともイーグルト

ンは『文芸批評とイデオロギー』の成り立ちについては,「本書は,確かにル

イ・アルチェセール,ピエール・マシェレー等のヨーロッパの理論家を意識し

て書かれてはいるものの実質的には,熱病のごとく激論を安したかの動乱の日

々の所産である」(13〕と述べている。

 ここで意識一存在(社会的存在)関係に話を戻せば,イーグルトンも意識は

存在(社会的存在)に規定されることを認めるが,この「規定」(detemine,

bestimmen)の内容がルカーチ,ゴルドマン流の理解とは異っている。イーグ

ルトンはr規定(決定)」(determination)を構造主義的マルクス主義に特有

で,フロイトの精神分析学から引きついだ重層的決定(多元的決定,多国決定

。verdetermination)ωの理論でもって理解している。イーグルトンは重層的

決定と文芸批評との関係を「批評の歴史」にことよせて次のように述べてい

る。r・…・・r批評の歴史」は種々様々のイデオロギー形態が一群となって織りだ

す歴史の一断面であり,その断面構成は批評実践を,他のレベルによって複雑

に決定されたものとして,前面に押し出すのである。批評の歴史の科学は,文

芸美学のこのようた多国決定(を構成する歴史的決定要因)の科学に他ならな

い」㈹。イーグルトンは文芸批評の科学一科学的認識一の脈絡の中で決定

・規定をとらえている。

 なお一determine’の訳語として規定・決定の両方を与えているが,イーグ

j54 一橋研究 第7巻第4号

ルトンの所説との関連では同一の事柄として理解する。

 イーグルトンにとって問題となるイデオロギーとは複雑な構造をもったもの

であり,その構造とは「さまざまの仕方で個人を歴史と関わらせることによ

り,その歴史に対して,種類においても程度においても,多種多様なアプロー

チを可能にするような構造」(16)である。このような構造をとらえるにはr反

映.」,r再現」のカテゴリーでは把握できず,重層的決定の理論に依らねばなら

ないのである。ここからのみ作品の具体性を把握できるのだとイーグルトンは

言う。そしてマルクス主義的文学理論を構成する要素としてイーグルトンは,

全般的生産様式,文学的生産様式,全般的イデオロギー,作家のイデオロギ

ー一 Cテクストを列挙し,これらの構造の複雑な歴史的アーディキュレイション

の分析が文芸批評の仕事であると述べているατ〕。そしてカテゴリー的にみて重

要なことだが,彼は本質一現象のカテゴリーを採用しない㈹。作品はイデオロ

ギーという本質の現象ではないからである。上述のようだイーグルトンの意識

構造の考えには可能態一現実態のカテゴリーは働いていたい。それぞれの文芸

作品は各々の文学的構成諸要因によって決定される‘1o〕。

 イーグルトンはかかる見地からゴルドマソを批判する。「最も正当に価値の

ある作品とは,ある社会集団なり階級の「世界観」の構造を「創作」の次元で

最もr純粋」に表わしたものであるとするリェジアソ・ゴルドマンのr発生論

的構造論」は,そのような(=作品をイデオロギーという本質の現象として,

作品を「イデオロギー構造」,「深層構造」の縮図としてとらえること)誤謬の

最たる例といえよう。ゴルドマソにおいては作品は物としての存在を剥奪さ

れ,精神構造の単なる縮図と化している」蜆ω。

 これまでゴルドマンとイーグルトンの意識一存在関係についての理解を可能

態一現実態,本質一現象,規定(決定)というカテゴリーを通して対比してき

た。我々はここに考え方の大きな相異を読みとることができよう。それでは,

レイモンド・ウィリアムズはこれら二つの理解とどのような関係・位置にある

のだろうか。

 ウィリアムズは「土台と上部構造」論文において,土台,上部構造,規定の

それぞれに厳密な定義を与えているわけではないが,これら三つの概念をほど

政治とクリティシズム ユ55

んど通例の定義が意味をなさたいまでに変形し,再解釈の方向をうちだしてい

るのでこれが参考になろう。ウィリアムズはr規定」(detemine)の意味を,

その後の活動を全体として予言し,コントロールするという外的原因の概念,

神学的た意味を継承した概念,と,社会的実践の経験から由来している,限界

を設定し,圧力を発揮するという意味での規定の概念との二つの規定の意味を

分けた上で,r予言,予示,コントロールされた内容から離れて,限界の設定,

圧力の行使の方へと「規定」を再評価しなければならたい」伽)と述べている。

上部構造については「反映され,再生産された,あるいは特殊に依存的な内容」

ではなく,「文化的実践の一連の範囲」の方へと再評価し,土台カテゴリーに

関しては「固定した経済的,技術的抽象」から離れて「根本的な矛盾と変様を

含んでいる現実の社会的・経済的関連における,それゆえ常にダイナミックな

過程における人間の特殊な活動」の方に向けて再評価しなければならない,と

ウィリアムズは言う㈱。そしてこれら三つのカテゴリーを,総体性概念とヘゲ

モニー概念とを結びつけたr実践」概念でウィリアムズは捉えかえすのであ

る。従って従来の通説的土台・上部構造概念からは離れてしまっている。また

彼の議論の仕方も,日本の史的唯物論の議論の仕方とは違い,マルクスやエン

ゲルスの原典と照しあわせて議論をすすめるやり方はとっていないΩ3〕。

 ウィリアムズの上記のような把握の仕方は,彼のr文学」というものの理解

と関連していよう。既に,彼はr文化と社会』(1958)において,文学は経済

的要因に対してのみ規定を受けるのかどうかという問題を提起して,「文学が

関係づけられねぱならないのは,経済制度ただ一つというよりは,むしろ一・・

生活の仕方全体に対して」Ω4〕であるという回答を出している。そういう意味で

はウィリアムズの実践概念はr文化と社会』における文学把握の線上にあり,

彼の意識に対するとらえ方もこの実践概念の中に組み込んで理解さるべきであ

ろう。

 それでは先程の意識に対するルカーチ・ゴルドマン的理解とイーグルトン的

理解の双方に対してウィリアムズはどのようた位置を占めるのかという問題に

移ろう。総体性概念を維持しようとする点では,ウィリアムズはルカーチ,ゴ

ルドマソの線上にある。そしてウィリアムズは構造主義的批評に対しては,文

j56 一橋研究 第7巻第4号

学作品の構成要素への還元主義と手口は同じであると批判している(捌。この還

元主義とは,作品を対象(object)としてとらえる消費(consumpti㎝)の理論

であって,生産(production)の理論ではなく,生産の真の社会的条件は無視

されている,とウィリアムズは考える。逆にイーグルトンからすれば,ウィリ

アムズにあらわれた科学性と実証主義とのとりちがえはr『スクルーティニー』

の近視眠的な見方のいくつかだけでたく,ルカーチのロマン主義的「反科学主

義」とフランクフルト学流と,ウィリアムズとをつなげている」㈱)と批判され

ることになるのである。対象(object)に対してイーグルトンとウィりアムズ

では関わり方、重点のおき方が異なっている。イーグルトンでは対象の科学的

認識(唯物論批評)に重点がある一テクストの産出法則の解明とはいえ一

のに対して,ウィリアムズでは対象そのものの創造とその社会的条件,つまり

実践の条件が解明さるべき事柄なのである。

 次に問題は,ウィリアムズがルカーチ,ゴルドマソの思考に近いとしても,

彼らの思考との違いは何であるかである。前にも述べたことだが,ウィリアム

ズが総体性概念にヘゲモニー概念を加えて考えるところがゴルドマソとの相違

である。ウィリアムズはヘゲモニー概念の導入によって,ルカーチ,ゴルドマ

ソが意図した以上に意識の能動性を把握できると考える。そしてヘゲモニー十

総体性概念は,実践(practice)概念に収敏されるのである。

 ウィリアムズの意識の可能性の考えに言及すれば,彼は実践概念に諸条件の

概念を結合させることによって,へ一ゲル論理学の現実性論的な考え方で可能

一現実の問題を解こうとしている。これを政治的意識の方まで議論をリンクさ

せると「土台と上部構造」論文の後半部分の文化に関する議論とたるのであ

る。

 ウィリアムズの意識・実践概念のもつ土台一上部構造概念との立体的構造は

後に述べることとして,イーグルトンとともに,ウィリアムズの実践概念の不

明確さの点にだけ解れておきたい。意識の能動性,実践の強調の点では確かに

ウィリアムズは正しい。しかし,この実践の概念は全能の神のようなものであ

って,文化戦略に引きつけられて考えられており,文学あるいは社会の科学的

分析方法を形成するもかどうかについては疑問を抱かざるをえない。この科学

政治とクリティシズム ユ57

的分析方法の視点からすれば一ウィリアムズの言おうとしたこととズレが感

じられるのだが一次のイーグルトンの評言は当っていよう。 rレイモンド.

ウィリアムズの仕事は,「ヒューマニズム」や観念論に損われているものの唯

物論的批評構築に際して,最も重要な叩き台を提供してくれる。芸術的生産の

経済的・物的土台を全て捨象しまうが如き文芸批評によくある観念論を斥ける

ことにより,ウィリアムズは,芸術はr経済的・物質的実践」である,といみ

じくも主張してきた。しかし,彼の「実践」としての芸術という概念は,ヒュ

ーマニズム的要素の残津を深く留めていることはもとより,少なくとも今まで

のところ,その実践を構成する構造は,彼の著作において殆ど体系的分析を受

けていない」倣〕。文芸批評における実践概念の強調が,文芸批評を一種の職人

芸的様相を帯びたものに,科学的分析方法を欠如させれば,してしまうのであ

る。もっとも科学的分析方法・概念があれば美的感性が保証されるというもの

ではない。

 意識の能動性に関しては,これまでマルクス主義では,上部構造から土台へ

の反作用,土台と上部構造との交互作用の概念でもってとらえられてきた。し

かし今までみたように土台一上部構造概念自体が再検討に付きているととも

に,アリストテレス,スピノザ哲学的カテゴリーとの関連で意識の問題を見直

してみるだけでも別様のアプローチが可能であることがわかる(28〕。

 4.

 今まで意識カテゴリーをウィりアムズとイーグルトンとの対比において,か

つ可能一現実,本質一現象のカテゴリーとの関連で示したが,次に土台一上部

構造カテゴリーと,意識一社会的存在カテゴリーの問題をウィリアムズに即し

て整理してみよう。そのことによって意識カテゴリーが,ウィリアムズにおい

ては,土台一上部構造カテゴリーと立体的関連を持っていることが明らかにな

ると思われる。

 ウィリアムズは,土台一上部構造カテゴリーと社会的存在一意識カテゴリー

はその内実が異っている意味のことを述べている㈱〕。その相異の意味するとこ

ろをウィリアムズは論述していない。しかし,その意味するところのものは,

j58 一橋研究 第7巻第4号

ウィリアムズにとって諸々の主張点の基本を成すところのものであると考えら

れる。

 r土台と上部構造」論文(NLR,No.82)においてウィリアムズが問題とし

ていたのは,マルクス主義文化理論における従来の土台一上部構造カテゴリー

の不適切さである。彼はこのカテゴリーにいわば代えて,総体性(tOtaIity),

ヘゲモニー,実践の諸(praCtice)概念を提起してくるのである。問題はマルク

ス主義文化理論に即してたてられているが,文化の問題は,文字,社会の問題

へと転移させて考えられうるもの,あるいは同一の側面をもつもの,とされて

いることはいうまでもたい。ところで文学にとって土台一上部構造カテゴリー

が不適切であるという発想は,この「土台と上部構造」論文に始まるものでは

ない。すでにr文化と社会』の中で,文学については同様の発想がみられた。

ウィリアムズはその著書の中で,経済的要因(我々はこれを土台と言い換えて

よい)が実際に文学に対して規定的か否かという間いに対して,r文学が関係

づけられねばならたいのは,経済制度ただ一つにというよりは,むしろこの生

活の仕方全体にたいして」(3ωである,という見地をとっていた。文化理論,文

化問題,及び文学にアプローチするに,彼は経済制度(要因)土台から上部構

造を解き明す方途をすでにとっていたい。彼は,芸術の理解に関して,機械的

唯物論的理解,ロマン派詩人的理解とともに,エンゲルスのブロッホあて書簡

(1890,9,24)にみられる土台一上部構造交互作用論も相対化してとらえてい

る。ウィリアムズにとって文学が関係づけられねぱならたいのは生活の仕方全

体(the who1e way of Iife-T.S.エリオットから)である。生活の仕方全体

という概念は,経済的要因が生活の仕方全体に対して規定的であるにしても,

経済的要因を内に含んだ概念であり,文化の概念で置きかえられることができ

るものである。文化とは社会を一つにまとめているものであって(これはイー

グルトンの批判するところである。「文化」という空虚な人類学的抽象は,政

治戦略を双葉のうちに摘みとるものである。NLR,No.95,P.11.),イギリス

の文化理論の流れからみれば社会概念に転用しうる。従って,ウィリアムズに

おいては,生活の仕方全体=文化=社会の等式が成立し,文学はこれに関係づ

けられるのである。この事柄を意識一社会的存在カテゴリーで表現すると,生

政治とクりティシズム エ59

活の仕方全体が社会的存在に当り,文学が占める位置に意識がくる。それゆえ

社会的存在は土台に同じではなく,意識は上部構造に同じではない。文学が生

活の仕方全体=土台一上部構造に関係するように,意識は文学と同じく土台一

上部構造に関係する。なおウィリアムズは土台一上部構造概念を旧来の理解と

は別様に読みかえ,再解釈しているのであるから,他の言葉を用いれば,社会

的実践の総体性が意識を規定する社会的存在にあたる。

 上記の事柄を空間座標(X,y,Z軸座標)を用いて表わすと,土台一上部構造

と意識との立体的関係がわかりやすくなるだろう。X軸,y軸上にそれぞれ点

x’ Cy’,y”をとり,x’>O,y”>y’>Oとする。x=x’,y=y’で囲まれる平面

をα平面とし,X=X’,y=y”で囲まれる平面から砒平面を除いたものをβ平

面とする。ここでα平面を土台,β平面を上都構造と考える。砒とβとのあ

いだには土台と上部構造の関係があるものと考える。土台と上部構造のあいだ

の関係がX,y軸平面上の二次元的関係で表現されうるか否か? 社会的意識

諸形態は? というたぐいの問題は,この際は図式化が課題ゆえ,ここで問う

必要はない。

 そこでα十βが社会的存在に該当する。ところで,z軸上に(z’>0)をとる

と, (0,O,0),(x’,O,O),(x’,O,z’),(0,y”,O),(x’,y”,0),(x’,y”,乞’),(O,y”,z’)

を頂点とする空間ができる。この空間内の任意の点(X’”,y”’,Z’”),(但し,

O<x’”,y’”,2”’<x’,y”,z’)が意識にあたる。この(x”∫,y’”,z”’)と(α十β)

との関係が意識と社会的存在との関係である。この空間座標を用いた図形化を

おこなえば,土台一上部構造カテゴリーと意識一社会的存在カテゴリーはその

アスペクトを異にしていることが視覚的に理解されるであろう。土台一上部構

造カテゴリーと意識一社会的存在カテゴリーは異っているということでもっ

て,ウィリアムズはこの異相のことを言っているのだと私には考えられる舳。

 文学一生活の仕方全体のカテゴリーは,意識一社会的存在のカテゴリーと置

換え可能である。そうするとウィリアムズの理論構成のなかで,意識,意識の

能動性,文学,文芸批評といったことにどのようた比重がおかれているのかが

理解されるであろう。意識一社会的存在視角から政治一文化一社会がみられる

とぎ,旧来の土台一上部構造カテゴリーはウィリブムズの分析視角からはずれ

エ60 一橋・研究 第7巻第4号

た位置にある。もしその用語が使われるときは,旧来の意味内容が変じて使用

されざるをえないのである。ウィりアムズにとって政治戦略とは文化戦略のこ

とである。なおヘゲモニー概念を加味して考慮すると,時代の実践,意味,価

値の中心的体系が文化戦略の焦点になる。この体系をコーポレット・システム

と彼は呼んでいる(グラムシの言うコーポレットとは異る)。社会変動を考え

る際に,社会的意図が問題であり,選択(SeIeCtiOn),オールタナティブが問題

である。文化の地平で言えば,支配的文化(dominant culture)にコーポレッ

トされているか否か,residuaI cultureかemergent cu1tureか,支配的文

化に対してaItemativeか0ppOsitiOnalか,といったことがらが理論的課題

となってくるのである。このような視角からウィリアムズは文化の変革=政治

の変革を考えており,文芸批評家としての彼の役割もこの文脈上にある。

 ここで簡略ながらイーグルトンのウィリアムズ批判に触れておこう。イーグ

ルトンはrアルチェセールの徒」として従来の史的唯物論の理論と挟をわかっ

ているが,あくまで土台一上部構造カテゴリーの脈絡で話をすすめている。イ

ーグルトンのウィリアムズ批判は次のようなものである。ウィリアムズは芸術

の第一次的リアリティと物質的生産の第一次性のあいだのジレンマを「芸術を

事実上物質的土台そのものへとおし戻すことによって解決する。彼の以前の戦

略一土台をいわば上部構造の方へとおしやる一一がたんに逆転されているに

すぎない」伽〕。このような「土台還元論」批判が出てくるのにも理由がある。

ウィリアムズは土台を,実践,生産諸力との関係で,それらを含むものとして

重視しなければならない,と述べているし,土台,上部構造,規定に旧来の概

念とは別様の概念に再定義されているのを既にみたが,なお土台,上部構造と

いう用語を用いてもいるので,それらの概念からみるかぎりイーグルトンの批

判するようなイメージを与えるからである。

 ウィリアムズの理論に関して出てくる根本問題のひとつは,既述の如く土台,

上部構造概念がどのように組み込まれてくるか,あるいはそのような組み込み

は必要でないのか,である。イーグルトンの批判は土台一上部構造概念保持の

方向からする批判である。イーグルトンにとって文字は一とりわけ資本主義

構成体にあっては一「’土台’と’上部構造’に同時に属する  物質的生産と

政治とクリティシズム {6ユ

イデオロギー構成に同時に現われる」舳ものである。但しイーグルトンの場

合,文学は土台,上部構造概念を含めて,重層的決定・構造によって把握され

ねばならない。ウィリアムズとイーグルトンでは文学の把握の仕方,理論構成

上の位置付けが異っている。イーグルトンの立場からすれば,ウィリアムズの

理論には科学的理論構成上の不明瞭さがつきまとう。ウィリアムズのrヘゲモ

ニー T念は構造的に分化していない概念,即ち‘実践,意味,価値の中心的体

系’であって,それは基本的な経済的・政治的・イデオロギー的構成へと整理

分類されていない」㈹ということにたる。このイーグルトンの言葉は,彼の立

場をとらたい場合でも,ウィリアムズの理論に対してひとつの疑問点を提示し

ている。ウィリアムズの立場を(イーグルトンが「ポピュリズム」ととらえる

のに対して)r文化主義」ととらえ,国家論,政治学の見地からするとr資本

主義国家」,国家権力の問題がウィリアムズの著作からは事実上消え去ってし

まっている(rメーデー宣言』も同様である)と批判するバーネットの意別3ω

もこの疑問点に重ねあわさってくるであろう。要するに先に立体化してとらえ

た意識と社会的存在との関係,「規定」の内容と,社会的存在の内容が間われ

ているのである。そこで,例えば階級意識という論点を持ち込めばわかるよう

に,政治と文化の変革に関して更に多くの議論を呼びおこす性質のものであ

る。

(注)

(1) 『増補現代とマルクス主義』,後編,第二章rイギリスの新左翼」,新評論,参

  照。

(2)同上,173頁。

(3) 同上,173頁。

(4)テリー・イーグルトン・r文芸批評とイデオロギー』,:岩波書店,1980,第1章

  参照。NLR,No.95,p.12.

(5) r史的唯物論と現代』1.青木書店,1977,p.143-144.河村望氏によってA・ス

  ウィンジウッドrマルクスと現代社会理論』1975,M・レヴィタス『教育社会学

  におけるマルクス主義の視角』1974,が紹介されている。

(6)ついでに言うとr史的唯物論と現代』第1巻の論者間には・文化の把握の仕方

  に,ここで述べるような相違がある。

ユ62 一橋研究 第7巻第4号

(7)NLR,No.1OOにはPerryAndersonの‘TheAntimmiesofAntonio  Gramsci’が掲載されている。ヨーロッバ諸国における現代の革命思想の基本を

  形成してきたグラムシ思想の総括である。

(8) イーグルトンはケンブリッジ大学でウィリアムズに学んだ。

(9) とくに第一章の前半部分が加筆されている。

(10)後に述べるように,意識一存在(社会的存在)と,社会的意識諸形態一土台と

  は異ったアスペクトをもったカテゴリーである。以下ではr意識」についてであ

  って・「社会的意識諸形態」については述べない。

(11)可能意識と現実意識については,ゴルドマンの『人間の科学と哲学』岩波新

  書,『ルカーチとハイデガー』法政大学出版局,『人間の科学とマルクス主義』紀

  伊国屋書店,r全体性の社会学のために』晶文杜でそれぞれ論じられている。

(1章)アリストテレス哲学のカテゴリーが働いているといえる。

(13) イーグルトン,『文芸批評とイデオロギー』,日本語版への序文V、

(14) r重層的決定」の用語が,言語学と,ことに精神分析学から借用されたもので

  あることは,アルチュセールr甦るマルクス』皿,人文書院,p・440-141・参照

(15) イーグルトン,前掲書,19頁。高田訳苧

(16)同上書,93頁。

(17) 同上書,54頁。

(18)アルチュセール『甦るマルクス』皿,p.108-141参照。アルチュセールは本質一

  現象カテゴリーを採らな.い。「矛盾と重層的決定」で彼は弁証法のへ一ゲル的理解

  をしりぞけている。アルチュセールの場合弁証法は矛盾の役割の移動d6Place-

  m㎝t,凝結。㎝densati㎝で把握される。故に政治的実践が土台の現象としてで

  なく,把握できる。

(19)可能態一現実態,本質一現象カテゴリーの欠如には,アルチュセール推賞のス

  ピノザ哲学的思考をうかがえることがでぎよう。

(20) イーグルトン,前掲書,141頁。高田訳。

(21) NLR,No.82,p.6.

(22) NLR,No.82.p,6、

(23) ただ結果として,R・ウィリアムズの議論は,日本における社会構成体をめぐ

  る論争に含まれている史的唯物論の諸概念の中の土台一上部構造概念の位置づけ

  の理解の仕方の一部分に近似的な思考法を提示している。

(24) レイモンド・ウィリアムズr文化と社会』ミネルヴァ書房,228頁。

(25) NLR,No.82,p.15。

(26) NLR,No.95,p.16..

(27) イーグルトン,前掲書,53頁。高田訳。

(28)一般にいっても我々の前には,意識の運動空間があるのか,創造的意識,変革

  的意識はいかにして生ずるのか,またこれらの意識と日常意識との関連は,とい

政治とクリティシズム エ6,3

(29)

(30)

(31)

(32)

(33)

(34)

(35)

った問題が残されている。なお幾多の問題が伏在しているのである。

 NLR.No.82.p.4.7.

 ウィリアムズ『文化と社会』邦訳228頁。

 もちろんここでマルクス『序言』の定式の解釈の問題が起ってくる。このこと

が不問にされてよいということではないが,こういったことはウィリアムズの議

論の仕方からして当面捨象せざるをえない。

 NLR,No.95.p.22.

 NLR.No.95.p.22.

 NLR.No,95,1〕.23.

NLR,No.99.p.56。

(住所:国立市中2-8-4 き一しの苑)