水とともに 2008 年 7 月号 no

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●特集:対談 愛 づる心が地球を救う JT 生命誌研究館 館長中村 桂子氏 水資源機構 副理事長 太田 信介 ●わが町紹介:輝くひと 輝くみどり 豊かな生活 創造都市 ~みどり市(群馬県)~ ●特集:対談 愛 づる心が地球を救う JT 生命誌研究館 館長中村 桂子氏 水資源機構 副理事長 太田 信介 ●わが町紹介:輝くひと 輝くみどり 豊かな生活 創造都市 ~みどり市(群馬県)~

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Page 1: 水とともに 2008 年 7 月号 No

●特集:対談 愛め

づる心が地球を救うJT生命誌研究館 館長/中村 桂子氏水資源機構 副理事長/太田 信介

●わが町紹介:輝くひと 輝くみどり 豊かな生活 創造都市 ~みどり市(群馬県)~

●特集:対談 愛め

づる心が地球を救うJT生命誌研究館 館長/中村 桂子氏水資源機構 副理事長/太田 信介

●わが町紹介:輝くひと 輝くみどり 豊かな生活 創造都市 ~みどり市(群馬県)~

Page 2: 水とともに 2008 年 7 月号 No

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太田 毎年8月 1日を「水の日」とし、この日から

一週間を「水の週間」として、国、地方公共団体及

び関係団体では、水資源の有限性や水の大切さなど

について国民の理解を深めていただくための様々な

イベントを行っています。もちろん水資源機構も

「水の週間」に参加しており、また、この週間に併せ

て広報誌『水とともに』に毎年著名な方をお招きし

て水を中心に幅広くお話を伺っています。本年は我

が国の生命科学研究の先駆けでいらっしゃる中村桂

子先生をお招きしました。

中村先生、本日はお忙しいところお越しいただき

有り難うございます。先生は早くから生命科学の研

究に携わられ、その後、「生命誌」という概念を提唱

され、そのお考えを実践されておられますが、この

ことについてまずお聞かせください。

生命科学から生命誌の道に

中村 私は生き物が好きなんですね。カメラやテレ

ビの仕組みは複雑でも全部説明がつきますが、生き

物って身近なわりに、種をまいたら何で芽がでるの、

何で花が咲くのと考えると、分かっていないことだ

らけです。私がDNA(デオキシリボ核酸)に出会

い、生物研究に入って半世紀、色々なことを考えて

きました。らせん構造の美しさに魅せられて実験を

中心に研究に没頭しましたが、1970年ごろ、ふと何

か「おかしいな」と思い始めました。1970年代は、

公害が社会問題となって社会と科学のかかわりを問

われた時代でした。有害物質を希釈するはずの水の

中に生物がいて、食物連鎖により却って魚の中に濃

縮され、水俣病という公害が発生しました。科学は

単に面白いだけでなく、そういうことも考えなくて

はいけないのだなと思ったわけです。その頃からち

ょっと社会的なことを考えるようになり、「生命科

学」(注1)という新しい分野に入りました。しかし、

当時中心だった、生き物を機械として扱う生命探求

のあり方に疑問をいだきました。また「科学」につ

いて、ある種の疑問を感じていました。

太田 生命の問題だけにとどまらず、環境問題にも

何らかの影響をもっているからでしょうか。

中村 科学技術として便利さと同時に戦争や環境問

題など問題も多いですね。そこで、生き物は機械の

ようにつくるのでなく、生まれてくるという当たり

前のことに眼を向けました。私がここにいるのは両

親のおかげ、両親はそのまた両親がいたから存在す

る。そして、DNA研究は地球上のすべての生き物

は、たった一つの祖先から生まれたことを示してい

注1 生命科学:第二次世界大戦後に起こり急速に発展した分

子生物学を中心とする、生命探求のための新しい学問領

域。観察・記載を主とした古典的な生物学と異なるのは、

生命に関する諸現象を遺伝子操作、細胞融合その他生

命操作技術を用いて、広範な分野にわたり研究する点で

ある。また、究極的には人間の生命・精神の解明を目指

しており、人文・社会科学とも深くかかわっている。(『ブリ

タニカ国際大百科事典より』)

特集特集

愛め

づる心が地球を救う愛め

づる心が地球を救うJT生命誌研究館 館長/中村 桂子氏水資源機構 副理事長/太田 信介

Page 5: 水とともに 2008 年 7 月号 No

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ます。つまり、機械のように分解して調べるのでは

なく、38億年という生き物の長い歴史をもとに考え

ると生き物らしさが見えてくるのです。そこで、「生

命誌」という新しい研究を始めました。1985年ぐら

いで、そこから悩みが消えました。

太田 生命誌の「誌」は歴史の「史」ではないので

すか?

中村 英語ではヒストリー、生命の「歴史物語」と

いう意味です。

太田 先生のようなお考えを具体化する場として

1993年、大阪にJT生命誌研究館が開館され副館長

にご就任、2002年からは館長をつとめられています。

命名も先生がされたそうですが。

中村 生命誌はバイオヒストリー、研究館はホール、

科学のコンサートホールです。例えば、ベートーベ

ンは、「第九交響曲」という素晴らしい曲を書きまし

た。彼にすれば楽譜を書いたら完成ですが、素人が

楽譜を見ても分かりません。演奏家が演奏して初め

て理解し、楽しめます。科学者も論文を書いて終わ

りではなく、音楽と同じようにできるだけ上手に美

しく演奏できれば誰もが楽しめると思います。表現

が必要です。表現の専門家とともに、展示、ビデオ、

ミュージカルなどで表現しています。

太田 コラボレーション(協働)ですね。「水の週

間」を考える上でもヒントにさせていただきます。

生き物と水の関係

太田 そういった先生のこれまでの歩みの中で、生

き物と水の関係をどうお考えでしょうか。

中村 生き物が生きて行く上で必要なものを尋ねる

と多くの方が空気、水、食べ物(栄養)と答えられ

ます。空気とは具体的には酸素ですが、生き物が誕

生したとき酸素はありませんでした。今でも嫌気性

菌(注2)のように空気を嫌うものもいます。生き物に

とって、もともと酸素は毒で、鉄をさびさせるし、

老化も促します。食べ物も植物は光合成でつくって

います。動物はそれができないので他の生き物を食

べなければなりませんが。しかし、水は不可欠。と

いうより太陽系で、地球は水の星だったから生き物

が生まれたのです。

太田 その水について、私たちが飲んだり、生活や

農業・工業に使ったりしている外にある水と、生き

物の中にある内なる水に区分してみるといかがでし

ょうか。

中村 食べ物と同じように今ここにあるお水を私が

飲めば私の体の一部になります。生き物の面白さは、

バラバラな個体のアイデンティティはきちんとして

いながら流動的で、さっきまで外にあったものが私

の中に入ると「私」になることですね。だから昨日

の私は今日の私と同じで、違うのです。外と内は明

確に区別されながらつながっています。それらをつ

なぐのが水です。38億年前に水の中で誕生した生き

物が、陸に上がってきたのは約5億年前。33億年も

水の中にいて、陸に上がったから、私たち人間もい

るわけで……。

太田 大冒険ですね。

中村 それには、必要な水を体にきちんと運べるア

クアポリン(注 3)が大きな役目を果たしています。

2003年にノーベル化学賞を受賞したピーター・アグ

レ教授が発見されたものです。

JT生命誌研究館館長/中村桂子さん

注2 嫌気性菌:酸素がなくても生きていける菌。地球に酸素

がなかった時代に、嫌気性菌は有害物質を浄化し、酸素

や各種の有機成分を合成して、生命進化の土台をつくっ

た。(食と農の総合情報センター・ルーラル電子図書館ホ

ームペ-ジより抜粋)

注3 アクアポリン:生物界に細菌から哺乳類まで普遍的に存在

し、300前後のアミノ酸から成る比較的小さな膜蛋白。水

チャネルとして高い水透過性を有しているが、それ以外に

も小物質やガスのチャネル、細胞接着、細胞遊走などに

働き多機能性があることが分かってきている。水を通過さ

せる穴に因みアクアポリン(aquaporin, AQP)と命名さ

れた。(東京医科大学腎臓内科ホームペ-ジより抜粋)

特集:対談 愛づる心が地球を救う

Page 6: 水とともに 2008 年 7 月号 No

太田 ナノチューブ(注4)みたいなものですか?

中村 はい。たんぱく質でできたナノチューブみた

いなものです。細胞膜に土管を通すみたいにいろん

なアクアポリンでできた小さな水のみちがあって、

各臓器がそれぞれ必要な水を上手にとるという仕組

みです。

太田 アクアポリンってすごい装置ですね。考えて

みると、生き物が体内でやっていることを、人間は、

家庭や田畑そして工場などに配水するためにダムを

設け、用水路をはりめぐらすなど、工学的な方法に

より社会を支える条件づくりを一生懸命やってきた

わけですね。お話を伺って、生き物が自分で体内の

水を調節しているように、水機構では飲み水から農

業や工業まで水にかかわる大事な仕事をしているの

だと強く感じました。

つまり、ダムは時間的な水の調節を、水路は空間

的な調節をと2つの調整を行って人々の暮らしが成

り立つように役割を果たしているのです。その水も、

昭和39年の東京オリンピック前の「東京砂漠」とい

われた大渇水の頃と違い、今では水道の蛇口をひね

りさえすれば水が飲めるのが当たり前になりました。

皮肉なことに、そのことが却って、将来にわたって

水を確保し続けることの大切さについて、人々の関

心を遠ざけているように思います。このような状況

について先生はどうお思いですか。

中村 今、ダムと水路は時間と空間を調整している

という話を伺い、生き物と同じだと思いました。き

ちんとやっていると気づかないところも同じ。でも、

それをもっと多くの方に知っていただく必要があり

ますね。

生命誌絵巻を開き生物の多様性に注目

中村 私たち人間の文明は、たかだか 1万年です。

科学技術文明は、ここ100年じゃありませんか。人

口やエネルギーの図をご覧になったことがあると思

いますが、20世紀になって急カーブで増えています。

私はあれを見ると正直ぞっとします。バクテリアを

飼うと、最初は小さく増えるのですが、どんどん加

速度的に増えて最後は死ぬのです。あるところで、

持続するには、成長でなく上手にバランスをとる必

要があります。

生き物は「続く」ことに関してはベテランです。

38億年もこの地球上で続いてきた方法は、人間にと

って参考になります。水機構も、これまでのダムや

水路の仕事のベースには成長・効率・便利という概

念があったと思います。この3つは20世紀のキーワ

ードでしたが、効率と便利は生き物にはない概念で

す。そろそろ考え直してバランスを考えないといけ

ないでしょう。それは、停滞や衰退ではなく、一直

線の進歩を止めて、いろんなものが生まれて様々な

形で「展開」できるようにすればよいのです。

太田 「展開」ですか? いい言葉を伺いました。

中村 実は、進化はevolution、evolveからきていま

す。“evolve”で辞書を引くと「絵巻物を開く」と最

初に出てきます。「世界中が一様に(物質文明で成長

した)アメリカを目指せ」はprogress(進歩)です。

何かを目指すのではなくて、これもできる、あれも

できる、様々なものが共に存在するという状態をつ

くるのが生き物なのです。

太田 多様性ですね。

中村 はい。もうアメリカに追いつき追い越せでは

なく、日本は日本なりに、中国は中国なりに、イギ

リスはイギリスなりに……それぞれの国がそれなり

に展開し、みんなでかかわり合いながら、世界中の

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生命誌絵巻 生命誌の提唱者、中村桂子氏(JT生命誌研究館

館長)が一つひとつの生き物がもつ歴史性と多様な生き物の関

係を示す新しい表現法として考案した図 

協力:団まりな 画:橋本律子 提供:JT生命誌研究館

注4 ナノチューブ:「ナノ=ナノメートル(nm)」と「チューブ=円

筒」の言葉を合わせたもの。炭素原子が網目のように結

びついて筒状になったもので、直径は数nm(1nm=10億

分の1m)。(富士通研究所ホームペ-ジより抜粋)

Page 7: 水とともに 2008 年 7 月号 No

人たちが素晴らしいと思う社会をつくればうまくい

くのだと生き物は教えてくれています。

驚くべき生き物の修復能力

太田 お話を伺って、水機構はevolution(展開)の

方向に少し踏み出しているかもしれないという感じ

がします。

例えば工業では工場内の水のリサイクルが進み、

水がどんどん要るという状況はなくなりました。生

活においても、例えば昭和53年に大渇水があった福

岡では、それ以来、相当節水型の社会がつくられて

います。一方、厳しい地方財政や環境の変化のなか、

社会の「生命装置」であるダムや水路など施設のメ

ンテナンスについて、関係者のご理解をいただけず、

水機構は壁に突き当たってしまう場合があります。

そうは言っても、ダムや水路などの施設は生き物で

はないので、「あなたの体調は良くありません」と診

断されても自分で修復はできないのです。

中村 私は何でも生き物にたとえてお話ししますが、

例えば、DNAは不安定で壊れやすいので間違いを

犯さないように修復しながら続いています。例えば

酵母菌は次の新しいDNAをつくるための遺伝子は

数個なのに、間違いを犯さないでちゃんとやるため

の遺伝子は50個ほどもあります。

太田 命をつなげていく際に遺伝子が間違えること

があるということですか。

中村 紫外線など外部からの影響もあり、間違いを

起こします。

太田 私たちにも間違いをしないですむ遺伝子がほ

しいですね。ともかく、生き物と違って自分で修復

できない施設を良い状態に保つために、ダムや水路

は自分たちの生命装置なのだと感じていただけるよ

う関係者としっかり対話をしていかなければと思っ

ています。

中村 間違ってはいけないというのが、工学の考え

方です。生き物は間違うのを前提に、それでも続い

ていけるようにしているのです。新しい建物を建て

ることは素晴らしいという発想でなく、公共事業の

予算ももっとメンテナンスに使うことを考えてほし

い、そのほうが社会を安定させると思います。社会

がメンテナンスを大事にし、美しさと、全体のシス

テムを守る方向に進むと、生き生きした社会になる

と思うのです。

水のまわりのことも意識して声を掛け合い連携しよう

太田 社会全体という点では、私たちの仕事も、水

のことだけでなく、周囲の環境のことも意識しなけ

ればいけないということですね。実は、ダムについ

ては、水源の森まで視野を広げた例があります。

岐阜県の揖斐川上流にできあがった徳山ダムは日

本で一番大きいことだけが自慢なのではありません。

イヌワシ、クマタカなどの猛禽類対策として、付替

道路をトンネルにしたり、上流の森を岐阜県に買っ

ていただいて、より良い森をつくるようにしました。

中村 岐阜県はよくお金がありましたね。

太田 もともとのお金はダムの建設事業費です。林

業のために道路を造る予定だったのですが、道を造

ればまた荒れるので森全体を買って保全することに

しました。私たちも発想をずいぶん変えてきている

のですが、こういうことはもっと知っていただく努

力が必要かもしれません。

中村 なるほど。自然のメンテナンスですね。

太田 水路も私たちが水をお届けした先で、土地改

良区が農家に配水されていますから、農業自体にも

っと関心をもつことが大事ではないかと思います。

中村 事業をやる上でも、そういうお考えが出てき

たら、余計なことだと思わずにおっしゃったほうが

いいです。特に国全体で考え、システムとして動か

していかなければいけないと、様々な立場の方々が

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特集:対談 愛づる心が地球を救う

水資源機構副理事長/太田信介

Page 8: 水とともに 2008 年 7 月号 No

感じ始めています。呼びかければ反応される方が出

てくると思います。

太田 呼びかけの効果については、先般、農水省が

総務省と文科省に呼びかけて、5年後には120万人

の小学4年生全員に一週間程度の農村滞在を体験さ

せようという話が決まりました。声を掛け合い連携

していけばいいのですね。

中村 それはいいことですね。10年、20年前に農業

体験なんていったら子どもはコンピューターを勉強

したほうがいいみたいなことを言われたと思います。

けれど、今は少し違ってきたから。

農業の力に学ぶ

太田 農業の話がでましたので、ここで、先生が応

援されている子どもたちの農業体験についてお話し

いただけませんか。

中村 きっかけは1990年、「学校農業クラブ」の全

国大会で講演を頼まれて出かけて以来、このクラブ

の魅力に惹かれ、ひとりで応援団をつくって毎年支

援しています。今年は熊本へ行ってきました。農業

高校の生徒さんたちが米粉でパンを作る工夫をし、

コンビニで売ってかなりの収益をあげました。その

体験談を聞いていると株やコンピューターで経済観

念を教育しようなどという話がばかげて聞こえます。

農業の力はすごいと思って「日本経済新聞」(平成

18年5月29日付)に英語も大事だが「農業こそ小学

校の必修に」と書いたら福島県喜多方市の白井英男

市長が平成19年に、本当に小学校3校に「農業科」

を設置され大成功を収められました。教育委員会が、

肥料の作り方、田植えの仕方、トマトのつくり方な

どを絵入りで説明した素晴らしい副読本もつくられ

ました。先生たちが知らないことは地域の人々が指

導にきてくださいます。

太田 地域と学校の連携ですね。

中村 おじいさんは張り切り、子どもたちは目を丸

くして尊敬します。また、私が面白いと思ったのは

成功ばかりでなく失敗することです。甘いウリを作

ったはずなのに甘くないのができた。自分が一生懸

命やってうまくいかなかったのだから誰にも文句を

言えません。そこで嫌にならずどこが悪かったのか

考え、次がんばろうとするのです。

太田 そこがいいところですよね。

中村 色々なことが起こっている中で、私が一番感

心したのは、上級生が下級生の面倒をしっかりみて

いることです。

太田 考えてみれば、私たちの世代では家に帰れば

子どもの社会でみんなやっていました。

中村 今はそういう子どもの中でのタテ社会がない

ですね。ところがそれができたのですよ。一人っ子

が多いのでしょうけど、6年生は1年生を教えてい

るのです。1年生をかばっている6年生が涙が出る

ほどかわいかったですね。

太田 先生がいつもおっしゃっているとおり、他人

のことを考えられるのが大人だとしたら、その6年

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喜多方市の農業授業の様子 写真提供:JT生命誌研究館

Page 9: 水とともに 2008 年 7 月号 No

生はもう立派な大人ですね。

中村 はい。最高学年だから自分がやらなきゃと自

然に思うのですね。心配してたのですが、白井市長

から「今年は9校でやります」とお手紙がありうれ

しかったです。

太田 是非続けてほしいですね。水機構でも、3年

前から新しく入社した職員を対象に、2週間ほど実

際に農家に滞在させていただく農業体験研修を行っ

ています。私たちは、水を土地改良区にお届けした

後のことについては必ずしも十分認識しているわけ

ではありません。そういうこともあって、職員には

いろんなことを実感し、創造的に仕事してほしいと

いう思いがありました。やってみると子どもたちと

同じように、期待以上の効果がありました。一人一

人が自分の仕事の大切さについてかなり意識できた

ようです。

中村 こんなに農業の力はすごいのに、この国では

農業の地位は低いですよね。

太田 最近は農業を始めようという若い人たちもで

てきて、ちょっと盛り返してきたようですが。

中村 でも食糧自給率は39%まで落ちてしまいまし

た。この素晴らしい国を支えているのは農業です。

基本は愛め

づる心

太田 ところで、先生がお書きになられた本の中で、

私が目を開かされたのは「蟲むし

愛め

づる姫君」の話です。

11世紀にかなり変わったお嬢さんがいたのですね。

だけど考えてみたら私たちは「愛づる心」を忘れて

しまっているのかもしれません。その心がないと生

き物の真実に迫れないのかなと強く印象に残りま

した。

中村 今年は『源氏物語』が書かれてから千年です。

源氏物語は色恋ばかりと思っていたら、自然を丁寧

に描写しているのですね。素晴らしい住まいを表現

するのに西洋ではヴェルサイユ宮殿のようにどんな

に立派なものを建てたかが注目されます。ところが、

源氏物語では、お庭に何を植えたということで、そ

の良さを表現しているのです。「蟲愛づる姫君」もま

ったく同じ時代に書かれた『堤中納言物語』に収め

られています。みんなに汚いと嫌われている毛虫を

集めて、きれいな蝶になるための生きる力を思って

眺めると「これはかわいい」と十代のお嬢さんが言

うんです。私は千年前に世界中のどこを探してもこ

んなことを考えていた人はいないと思います。しか

もこの姫君は面白くて、当時の常識であった眉をそ

るのもお歯黒も「嫌だ」と言うのですね。

太田 自然派ですね(笑)。

中村 「ゲジゲジ眉でおかしい」、「白い歯で笑って

おかしい」と書いてあります。また観察するために

髪が長いと邪魔だから当時いけないこととされてい

た「耳かけ」をします。完璧にナチュラリストです。

現在のエコロジスト(環境主義者)と同じことを言

っています。

太田 物語とはいえ、きっとそういう方がどこかに

実在したんですね。

中村 千年前にこういう考え方があったことって、

素晴らしいですよ。「愛づる」とは love ではなく、

philosophy(哲学)のphiloです。姫君のやっている

ことはとっても「知的」だけど「愛づる」なのです。

非常に科学的なのです。私は彼女を「生命誌の祖」

と決めています。しかもうれしいのはお嬢さんだと

いうことです。当時の常識の中から外れたことをや

ろうとしていたのですね。今でも女の子のほうがそ

ういうことやると思いますよ。

太田 「蟲愛づる姫君」が「生命誌の祖」だとは初

めてお聞きしました。私たちも常識にとらわれずに、

一つの水利システムを生き物と考えて、愛づる気持

ちで仕事をしていくことが大事なのですね。

中村 「愛づる」は全ての基本だと私は思います。

太田 次の時代に対応するためにも「愛づる」は基

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特集:対談 愛づる心が地球を救う

水機構農業体験研修の様子

Page 10: 水とともに 2008 年 7 月号 No

本だという気がいたしました。

日本の理科教育の良さを再認識して

中村 「理科」という科目があるでしょう? 学習

指導要領には、まず「理科は自然を愛する。そして

理解する」と書いてあります。

科学には自然を愛するは入りません。論理的に、

客観的に考えるものです。恐らく以前は、「日本人は

こんなことをやっているから遅れるんだ」と言われ

たと思います。しかし、今これを読むと、こちらの

ほうが先進的ではないでしょうか。愛づるを忘れて、

自然を操作する対象にしてはいけないと思うのです。

太田 遺伝子操作のことですね。

中村 それだけでなく、現代科学は操作的です。ま

ずは科学も「愛づる」から始めるのが21世紀型では

ないかと思います。日本の子どもは幸い理科で育ち

ました。これを大事にしたいと思います。

太田 日本には、そういう土壌があるからでしょう

か。水機構では、震度4以上の地震が起これば、夜

や休日でもすぐにダムや水路の点検を行います。仕

事とはいえ、そういうことが日常的にやれているの

も、愛づる気持ちがあるからでしょう。また普段か

ら愛づる気持ちで点検しないとちょっとした不具合

に気づきませんよね。こういう気持ちを次の世代へ

も引き継いでいってほしいと思います。

中村 素晴らしいですね。それが本当の技わざ

です。中

国四川省の大地震でもそうでしたが、災害時、水は

怖いものにもなります。

太田 なくてはならないけれども怖い存在にもなり

ます。例えばダムを計画する際には、治水対応につ

いて一定の洪水を想定しますが、実際はそれを超え

ることがあります。そのときに下流の状態を見て、

どういう貯め方、流し方をすればこのダムを一番う

まく生かせるのか、雨も生き物と同じで降り方が場

所と時間によって違うので、より柔軟に対応できる

よう検討しています。

中村 それは素晴らしい。

太田 また避難することになる下流の市町村の方々

とは連絡網をつくり、普段から情報共有を心掛けて

います。

中村 そこですよ、先ほど私が申したメンテナンス

とは。そういうところに力とお金をかけていけば、

結局安上がりになるのです。

太田 おっしゃるとおりです。トップコミュニケー

ションといいまして、担当レベルだけでなく、知事

さんや市町村長さんのところへ理事長や私たち役員

が出かけて対話に心掛けています。

中村 良いことですね、それは。

命を基本とする社会づくりを

太田 おほめいただいて有り難うございます。もう

ひとつ、水機構では特に次世代に向けて環境への影

響を減らすために、座学でなく山や川に出かけて環

境学習会を開くなど体験型の研修を進めています。

中村 私は生き物を基本に考えてきました。これは

多分変わらないと思いますし、ますます大事になる

- 10 -

対談風景

Page 11: 水とともに 2008 年 7 月号 No

のではと思います。今年の年賀状では地球規模環境

問題と、「人心の荒廃」が心配と書いてくださる方が

多かったのです。2つともマスコミにとっても大き

なテーマですよね。でも地球環境問題は地球環境問

題、人心の荒廃は人心の荒廃と分けています。私に

言わせればこれは完璧につながっています。両方と

も命を大切にしなかったから起きたことです。

太田 確かにそのとおりですね。

中村 今は早く早くというけれど、トマトは早くは

育ちません。命には時間がかかるのです。20世紀は、

効率・便利だけを良しとしてやってきたから環境問

題が起きたし、生き物である人間もどうしていいか

分からなくなったのです。命を基盤において、もっ

と命にあわせた社会を考えていけば、両方とも解決

に向かうと思います。命の大切さを発信していくこ

とが大事です。

太田 地球環境問題については、国連の IPCC(気

候変動に関する政府間パネル)の昨年の報告はかな

り衝撃的でした。温暖化は作物だけでなく水にも大

きな影響を与えています。

中村 私もそれは一番気になっています。

新しいダムの価値を広める

太田 平たく言えば、全体的に変動が大きくなる、

凶暴化するということです。雨の降らない日が続く

かと思えば、どっと降るというように変動の幅がよ

り大きくなります。それを調節するため、新たな大

きな水がめとなるダムを造る意味がでてきます。で

も、短絡的に新たなダムのことだけを考えればいい

という話でもないのです。

例えば、今管理しているダムでは毎年土砂が貯ま

りますが、土砂が貯まるぶん貯水量がどんどん減っ

てきます。そうした管理ダムの貯水容量を回復する

ために、貯水池の水位を下げて貯まりすぎた土砂を

安く掘削している間は、そのダムに代わって水をお

届けするのに新たなダムを利用することも一つの方

法として検討しています。先生は効率という言葉を

お好きでないかもしれませんが、今あるものを効率

的に利用することを大切に考えているのです。

中村 もちろんそういう効率は大事です。まず効率

ありきだと命が悲鳴をあげるので、そこは気をつけ

なければ。

太田 それから将来どんなことが予測されるかを含

めて、普段から将来を見据えた検討を進めています。

一例だけお話しします。東京都や埼玉の水がめとし

て群馬の矢木沢というところに私どもはダムを造っ

ています。黒い線が今の毎日の水量の変化です(下

図参照)。ところが温暖化の影響で雪の降り方が変わ

りました。温暖化すると、今まで降っていた雪が雨

に変わり、せっかく降った雪まで融かすので雪融け

は早まります。100年後の流量は赤い線のようにな

るわけです。今までは5月の雪融け水で水道用水を

手当てし、田植えもやっていたのですが、水量に合

わせて田植えを1ヶ月早くしようとしても、日照時

- 11 -

気候変動予測(河川流況の変化 平成17年度版水資源白書(「日本の水資源」)より

特集:対談 愛づる心が地球を救う

Page 12: 水とともに 2008 年 7 月号 No

間の関係で遺伝子組み換え作物でも使わない限り生

き物はそう簡単に対応してくれません。これからの

検討課題です。

中村 この図は初めて見ました。驚きですね。

太田 国土交通省の平成 17 年度版の水資源白書

(「日本の水資源」)に載っています。

中村 社会全体を見て、将来も含めて、社会の変化

に対応していくために必要だということでダムの意

味も違ってきたのですね。以前はどんどん水を流す

ために貯めるという話でしたけど、全体としての役

割があるのですね。ダムと聞いた途端に、たいてい

公共工事だ、環境破壊だと反応します。

太田 造ることが目的と化しているようにとられて

いるのです。ちょっと思い込みが激しくて残念な思

いがします。

中村 マスコミの影響力は大きいですから、造る目

的をもっと大きく書くようにおっしゃらないとまず

いんじゃないですか。

太田 是非がんばってみたいと思います。話題は尽

きませんが、しめくくりに、水機構への期待なりご

注文がございましたら、お願いします。

自然は一つ、もう対立の時代ではありません

中村 私たちは自然は休日に遊びに出て森林浴する

ような「和む自然」と「利用する自然」、そして「恐

ろしい自然」と別々に考えていました。お互い違う

自然を見ている感じですが、自然は一つなのですか

ら合体しなかったらうまくいくはずがありません。

もう対立の時代ではないのです。どちらも同じ自然

だと気づいて、統合して考えていかなければいけな

いわけです。

水機構はどちらかというと利用する側で、和む側

の人はただ守ります、みたいに思っていたわけでし

ょう。それでは自然は困るわけです。利用する側に

いると思われていた方々が和む側にも眼を向け、自

然は一つと考えてほしいですね。

太田 確かに自然を困らせないようにしなければい

けませんね。私たちはそこで生きていかなければい

けませんから。役職員一同努力したいと思います。

最後になりますが、7月25日から28日まで千代田

区北の丸の科学技術館で水に関する展示をします。

子どもたちもたくさん来てくれますので、お時間が

ありましたら是非いらしてください。

中村 有り難うございます。JT生命誌研究館にも是

非いらしてください。

太田 まだまだお聞きしたいことはあるのですが、

このあたりで終わらせていただきます。本日は貴重

なお話を有り難うございました。

- 12 -

東京生まれ。1959年、東京大学理学部化学科卒業、1964年、同大学院生物化学修了(理学博士)。国立予防

衛生研究所勤務。1971年、三菱化成生命科学研究所社会生命科学研究室長、1981年、同人間自然研究部長。

1989年、早稲田大学人間科学部教授。1993年、JT生命誌研究館を創設し副館長に。1995年、東京大学先端

科学技術研究センター客員教授。1996年、大阪大学連携大学院教授。2002年、JT生命誌研究館館長就任。

主な著書に『生命科学と人間』(NHKブックス)、『自己創出する生命』(哲学書房、毎日出版文化賞受賞)、

『あなたのなかのDNA』(早川書房)、『科学技術時代の子どもたち』(岩波書店)、『生命誌の窓から』(小学

館)、『「生きている」を見つめる医療-ゲノムでよみとく生命誌講座』(講談社現代新書)、『いのち愛づる

姫』(藤原書店)。訳書として『細胞の分子生物学』(教育社)、『二重らせん』(講談社)など多数。

中村桂子さんプロフィール

特集:対談 愛づる心が地球を救う

矢木沢ダム

Page 13: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 13 -

水資源機構の施設が所在する市町村の観光名所な

どをシリーズでお届けしています。

今回は草木ダムのある群馬県みどり市を取材しま

した。

1 みどり市プロフィール

群馬県みどり市は、平成18年3月27日に新田郡笠懸かさかけ

町、山田郡大おお

間々ま ま

町、勢多郡東あずま

村が合併して誕生した群

馬県では48年ぶりの12番目となる新しい市です。群馬県

の東部に位置し、人口は53,100人(平成20年4月末現

在)、総面積は208.23km2となります。市域は桐生市、栃木

県日光市をはじめ、群馬、栃木両県の7市と接しています。

地形は南北に長く、北部には足尾山地が連なり、その

山塊に源をもつ渡良瀬川が市の北東から南東にかけて流

れています。渡良瀬川の上流部に位置する東町地区には、

草木ダムが豊富な水をたたえ、首都圏に水を供給する役

割を担っています。

みどり市の地域は、足尾銅山の銅を運ぶあかがね街道

の宿場町として、また、生糸の集散地として人 の々行き交う

場所として発展してきました。市内には、JR両毛線、東武

鉄道桐生線、上毛電鉄、わたらせ渓谷鐵道と4つの鉄道

が走っており、中でもわたらせ渓谷鐵道は、トロッコ列車な

どが運行され、旅行番組などでも取り上げられているほど

です。

現在、みどり市は、市内の優れた食品や工芸品などを、

市として誇れる「みどり市ブランド」商品として積極的にPR

していくなど、市民との協働によるまちづくりを進めています。

そして、周りの自治体から尊敬され、市民も自分たちの住む

まちを誇りに思える「品格あるみどり市」を目指しています。

2 歴史と文化

(1)富弘美術館

絵と文字がひとつの画面に調和した独特な「詩画」の世

界。東町出身の星野富弘氏の作品を公開している美術

館には多くの方々が見学に訪れています。透明感あふれる

水彩で描かれた

草花と、素朴で美

しい詩の世界か

ら、見る者は「生き

ることのすばらし

さ」、「生きる勇気」

を与えられます。

(2)旧花輪小学校記念館

明治6年5月に開校した歴史ある小学校で、廃校後の

平成13年に登録有形文化財に指定されました。現存す

57輝くひと 輝くみどり

 豊かな生活 創造都市  ~みどり市(群馬県)~

T E L 0277-95-6333

開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

休 館 日 9月1日(H20展示替のため)、12月~3月までの月曜日

(祝日の場合は翌日)、12月26日 ~1月4日   

展示替のため、臨時休館することがあります。

入 館 料 大人500円 小中学生300円 幼児無料

Page 14: 水とともに 2008 年 7 月号 No

-14-

Page 15: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 15 -

わが町紹介(57) 輝くひと 輝くみどり 豊かな生活 創造都市 ~みどり市(群馬県)~

る木造校舎は、卒業生である日本鋼管(株)の創立者今

泉嘉一郎の寄付により建てられました。童謡「うさぎとかめ」

を作詞した、童

謡の父と称され

る石原和三郎

もこの学校の

卒業生です。

(3)陶器と良寛書の館

東町出身の実業家松嶋健壽の生家と収集した陶磁器

の品々が地元に寄贈され一般に公開されています。松嶋

コレクションとして有田焼・九谷焼などの日本各地の陶磁

器や東南アジアの陶磁器など約1,000点が展示されてい

るほか、良寛

直筆の屏風・

掛け軸なども

鑑賞することが

できます。

(4)童謡ふるさと館

「うさぎとかめ」や「金太郎」など、多くの童謡を作詞した

ことで知られる石原和三郎(東町出身)を顕彰する施設

で、自筆原稿などの遺品や童謡パネルなどが展示されて

います。

(5)大間々博物館(コノドント館)

赤城山東南麓の自然や歴史に関する資料を総合的に

展示しているほか、親子で

楽しめる恐竜の立体映像

などが上映されています。

展示室は、大正10年に建

築された旧大間々銀行の

建物を活用したもので、大

正期の貴重な洋風建築物

として、市の重要文化財に

も指定されています。

(6)岩宿遺跡・岩宿博物館

岩宿博物館は、旧石器時代の遺跡「岩宿遺跡」の隣に

あり、約3.5万年前から約1.3万年前の日本列島で展開

されていた人類の生活を再現しています。岩宿遺跡は昭

和21年、考古学者の相沢忠洋氏によって発見されました。

「日本に旧石器文化はない」というそれまでの学説をくつが

えし、縄文時代以前の文化が存在することを科学的に証

T E L 0277-97-2622

開館時間 午前10時~午後4時

開 館 日 土曜日、日曜日

入 館 料 無料

T E L 0277-95-6565

開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

休 館 日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日~1月4日

展示替のため臨時休館することがあります。

入 館 料 大人300円 小中学生 200円 幼児無料 

団体(20人以上)2割引

T E L 0277-97-3008

開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

休 館 日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月~3月

入 館 料 中学生以上200円 4歳~小学生100円

T E L 0277-73-4123

開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

休 館 日 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月27日~1月4日

入 館 料 大人100円 小中学生 50円

Page 16: 水とともに 2008 年 7 月号 No

明した大発見でした。

3 自然と遊び

(1)国民宿舎サンレイク草木

草木ダムから車で5分、自然いっぱいのダム湖畔に建つ、

赤い屋根と白い壁が印象的な国民宿舎サンレイク草木。

全国にある国民宿

舎の中でも人気が

高く、多くの方に利

用されています。自

然石、地元の御影

石を用い和風の趣

向を贅沢にこらした

露天風呂「美人の

湯」、漢方薬泉「ク

マ笹の湯」、竹炭を

使った「竹炭の湯」

などがあります。

(2)黒坂石バンガローテント村

草木湖に流れ込む黒坂石川のほとりに位置するキャン

プ施設です。キャンプ場を囲むように渓流が流れ、魚釣り

や川遊びが楽しめます。また、30人から50人を収容でき

る大バンガローもあり団体でも利用できます。

(3)ファミリーオートキャンプ場そうり

草木湖のほとりにある、緑に囲まれ、静かでゆったりとし

たキャンプ場です。場内には、炊事棟やバーベキューハウ

スなどの施設が

充実しているほ

か、トレーラー専

用サイトも用意さ

れており、夏場に

なると多くの人

たちでにぎわい

ます。

(4)わらべ工房

草木ダムの直下にある「わらべ工房」では、温かみのあ

る木工品の手作り体験ができます。オリジナル作品はもとよ

り、子供でも簡単に作れる工作キットを豊富に取り揃えて

います。

(5)小平の里 野口水車保存館

小平の里は、親水公園、鍾乳洞やキャンプ場などが整

備された複合観光施設です。親水公園内に保存されてい

る水車は、明治から昭和にかけて約45年間精米や製粉

の動力として稼働していたもので、今も昔ながらの作業風

- 16 -

T E L 0277-76-1701

開館時間 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)

休 館 日 月曜日(祝日の場合は翌日)

12月27日~1月5日、臨時休館あり

入 館 料 一般300円 高校生200円 小中学生100円

(団体20名以上割引きあり)

サンレイク草木

黒坂石バンガローテント村

ファミリーオートキャンプ場そうり

わらべ工房

Page 17: 水とともに 2008 年 7 月号 No

景を見ることができます。

(6)高津戸峡

“関東の耶馬渓”とも讃えられる高津戸峡。渓谷沿いに

遊歩道が整備されており、ゴリラ岩、ポットホールなどの景

勝地を眺めることが

できます。新緑の頃

から秋にかけてが

見頃で、とりわけ渡

良瀬川両岸の紅葉

が映える秋季の景

観は見逃せません。

4 「みどり市ブランド」商品

「みどり市ブランド」商品は、市内で製造された優れた商

品や工芸品等をみどり市が認証したもので、平成19年10

月にえごま油、舞茸せんべいなど27品目が認証されまし

た。これらの商品は、地域の特産商品として皆様に一押しで

きるものばかりです。詳しく知りたい方はみどり市ホームペー

ジ(http://www.city.midori.gunma.jp/)をご覧ください。

5 草木ダムの紹介

草木ダムがある渡良瀬川は、群馬県と栃木県の県境に

ある皇す

海かい

山さん

(海抜2,143.6m)に源を発する、流域面積

2,621km2、流路延長107.6kmの利根川最大の支川です。

草木ダムは渡良瀬川上流の群馬県勢多郡東村に建設さ

れた多目的ダムで、昭和42年に建設事業が着手され、昭

和52年3月に完成しました。草木ダムは、渡良瀬川沿岸

の洪水被害を軽減するとともに、首都圏などに水道、工

業、農業用水を供給する役割を果たしており、平成19年

には管理を開始してから30年を迎えました。

6 取材を終えて

今回は、みどり市の観光スポットとブランド商品を紹介し

ました。

誌面の都合から草木ダムがある東町を中心とした紹介

になりましたが、3町村が合併したみどり市はまだまだ見ど

ころが多く、季節に関係なく楽しめます。休日等には、ぜひ

足を運んでいただきたい街です。

最後になりましたが、取材にあたり、みどり市役所関係

者の方 に々ご協力いただき誠にありがとうございました。誌

面をお借りして厚く御礼申し上げます。

- 17 -

わが町紹介(57) 輝くひと 輝くみどり 豊かな生活 創造都市 ~みどり市(群馬県)~

小平の里 野口水車保存館

高津戸峡

プ●レ●ゼ●ン●ト●の●お●知●ら●せ 今回はみどり市から、「富弘美術館入場券」

10名様分をご用意いただきました。アンケー

ト(誌面に綴込み)にお答えいただいた方の

中から抽選でプレゼントいたします。どしど

しご応募ください(平成20年8月15日必着)。

草木ダム

Page 18: 水とともに 2008 年 7 月号 No

第四回  弥惣兵衛と才蔵~紀州流の源流~②

高崎 哲郎(作家、土木史研究家)

- 18 -

〈もののふの時―紀の川を制し、大地を潤す〉

紀の川流域は晩春の小雨にけむり、野山の視界を妨

げている。陣笠をかぶり蓑みの

を羽織った男たちの集団が、

伊都い と

郡小田お だ

の紀の川右岸堤防上を下流に向かって歩

いている。水脈み お

の流れは水かさを増して生き物のよう

に蛇行している。菅笠姿の農民たちは一行を避けるよ

うに土手の下で男たちの動きを見守っている。男たち

は紀州藩藩士たちであり、先頭を歩む2人は勘定奉行

大嶋伴六と勘定方井澤弥惣兵衛為永である。これに続

いて地じ

方かた

手て

代だい

大畑才蔵が歩み、そのすぐ後に御普請担

当の下級武士や手伝ら5人が続く。

「この辺りで、新しい井堰の説明を聞かせてくれ。藩

主様(注:第5代藩主吉宗)も米の一大増産につながる

ものとして、貴公らの計画に大きな期待を寄せておら

れる。藩政改革はまず新田開発から、との御考えだ。

紀の川の堤防も洪水を防ぐようになってくれるだろう」

大嶋は立ち止まると小雨を手で払いながら弥惣兵衛

に命じた。

「この堤防こそ、貴公らの工法の勝利となるであろ

う。御普請を藩の直営工事にしたことで、暴れ川の紀

の川を制することになりそうだ。『弥惣兵衛なければ才

蔵なく、才蔵なければ弥惣兵衛なし』だ。2人が一つの

輪になると、紀州藩55万5000石が誇る紀州流工法に

なる」

大嶋は視線を川面に移し満足そうに笑顔をつくって

語を継いだ。

「過分なるおほめの言葉、恐縮に存じます。拙者に

代って、井堰の工事を直接指揮する大畑殿に説明をさ

せます。大畑殿は9年前にここより上流に藤崎井を造り

上げ大きな成果をあげています」。(注:井または井堰は

水流を他所に引くために川水をせき止めたところ。今

日の頭首工)。

弥惣兵衛は才蔵を振り返って命じた。才蔵は還暦

(60歳)を超えていたが、背筋を伸ばしたその姿は老

齢を感じさせなかった。

「工事を1期と2期に分けて行いますが、工事はい

ずれも出水の時期を避け冬場から春先にかけて短期

間で行います。農民を多く動員して一気に完成を目指

します。相当額の出で

面づら

(日当)をご用意ください。私が

開発した『水盛の方かた

』を駆使すれば工事での手戻り(失

井澤弥惣兵衛為永の肖像(市川 正三氏画)

才蔵愛用の陣笠など(橋本市郷土博物館蔵)

連 載

Page 19: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 19 -

第四回 弥惣兵衛と才蔵~紀州流の源流~②

敗に伴う再工事)の心配はありません。完成の後には

紀の川右岸約1000町歩(1町歩は約1ヘクタール)の広

い田畑を潤すことになりましょう。紀州で最大の灌漑施

設となるはずです」

才蔵はきっぱりとした口調で説明した。

「ところで亀の川の改修と亀池の開発はどうなるの

かね」

大嶋は弥惣兵衛に質した。

「こちらも大畑殿の英知をお借りして、拙者の出身地

に近い所でもあり、拙者の責任において行う所存であ

ります。すでに亀の川を真っ直ぐにする改修には入っ

ています。亀池が完成しますれば、亀の川流域に300

町歩の新田が生まれます」

弥惣兵衛が答えると、大嶋は大声をあげて語りかけた。

「亀池とは面白い。『鶴は千年、亀は万年』というか

ら、むこう1万年間は田畑を潤してくれるだろうよ」

小雨は上がった。紀の川流域の広野に陽光が降り

注ぎ、川面が魚のうろこのように乱反射した。(以下、『才

蔵日記』、『紀の川治水史』、『小田井土地改良区概史』、

『日本の近世、支配のしくみ』、井澤家所蔵史料、海南

市歴史民俗資料館資料、国土交通省和歌山河川国道

事務所資料などを参考にする)。

◇ ◇ ◇紀州(現 和歌山県)一の大河・紀の川は「近畿の屋

根」・大台ケ原に源を発する。高見川、大和丹生川、紀

伊丹生川、貴志川などの支流を集めて西流し和歌山

港に注ぐ。流路延長約136キロ、流域面積約1700平方

キロ。いずれも紀州で最大である。(江戸時代、紀の川

は「大川」と俗称されていた)。紀州では、この大河の

右岸側にしか平地らしい平地を求めることが出来ない。

弥惣兵衛と才蔵は紀の川筋右岸の平地に目を付けた。

平地が新しい井や水路の開削により、新田開発の計画

からその面積がどれほど生まれるか、土地の付加価値

をいかに上げるか、2人は自然との闘いに挑んだ。小

田新井を論じるためには、これに先立って小田新井か

ら3里(12キロメートル)余り下流に建造された藤崎井

を語らなければならない。

元禄12年(1699年)、才蔵は勢州(現 三重県)内に

ある紀州藩領地の一志新井の堰造成工事が終わると、

上司である弥惣兵衛の許可を得て、紀の川の藤崎井

の水盛(現地調査)に入った。才蔵の計画では、藤崎

井は伊都郡伊都町藤崎地先の紀の川に井(大堰)を建

設し、急流を導いて右岸の粉こ

河かわ

、打田、岩出を経て、

遠く海草郡山口(現 和歌山市山口)まで延長5里10

町(約21キロ)の水路を走らせ、灌漑面積782町歩を

潤すというかつてない雄大な構想であった。井と水路

が造られる以前は、この地域は灌漑が出来ずやせ地が

広がって畑作が大半だった。

藤崎井は、元禄9年から同13年にかけて開削され

た。才蔵の「日記」によれば、元禄9年8月26日から30

日間那賀郡一帯を測量した。翌10年2月2日から3月

19日まで48日間、岩出より山口の水路の末端までを測

量して、さらに12年4月26日から6月28日まで、再び

那賀郡一帯の測量を続けたと記している。同年9月23

日から12月15日まで、81日間藤崎新井御用と記され

ていることから、この間に開削工事が行われたと考え

られる。翌13年2月に完成した。藤崎井は紀の川から

取水して伊都郡と那賀郡の53カ村、高1万石(1石は

約180リットル)の水田を灌漑する。ここに弥惣兵衛と

才蔵の紀州流の「原型」が誕生した。

◇ ◇ ◇宝永2年(1705年)2月から63日間、才蔵は和田川

の改修工事のため岡崎、出嶋、吉き

礼れ

(以上、現 和歌山

市)に滞在し、和田川と並行して低湿地であった安原

郷開墾に取り組んだ。このとき造成された沖おき

田た

井い

は吉

原、広原、朝日(以上、現 和歌山市)など70町歩余、

高950石ほどを灌漑した。藩の下級役人として登用さ

れ、池の築造や用水の開削など、多くの農業土木工事

に心血を注いできた才蔵が、最後の手腕を振り絞った

のが小田新井の大事業であった。

今日、小田新井は紀の川右岸の河岸段丘にのびる

等高線を巡るように開削されている。北に和泉山脈が

藤崎井の現場写真(現在)

Page 20: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 20 -

ほぼ東西に走り、これに平行して紀の川が西流してい

る。中央構造線上である。紀の川流域は豊かな平野

を形成し、右岸に発達する段丘は、粉河から東は高位

段丘・中位段丘が狭く帯状に、また粉河から西は、中

位段丘・低位段丘がまとまりを見せて発達し、紀北農

業の一大中心をなしている。この沃野を誕生させた一

大利水事業を追ってみよう。「伊都小田新井御掘次頭

書」(大畑才蔵)などを参考にする。

『才蔵日記』によれば、小田新井は、元禄9年(1696

年)に水盛して11年後の宝永4年(1707年)5月から工

事が始められている。「伊都小田新井御掘次頭書」は工

事に関する数少ない史料の一つで、才蔵自筆の控え

書きである。①工事に必要な人手の計算②工事に関す

る諸費用の算定③新たな工事のために差し引かれる

田・畑・家屋の面積などの書き上げ、が記されている。

才蔵は紀の川右岸丘陵地を繰り返し踏査を進めて

いくうちに、伊都郡と那賀郡の境を南流する穴あな

伏ぶし

川がわ

阻まれた。この地点でいかに水路を渡すか、またその

位置をどこにするかなど、一番の難所であった。穴伏

川の渡河位置、高さを決めて水の取水口を高野口町

小田地先(現在)に求めた。現地を視察した弥惣兵衛

の助言もあった。

穴伏川の渡河位置や標高が決まると、取水口をどこ

に求めるか、丘陵地を上流方向に測量して行かなけれ

ばならない。才蔵は紀の川の縦断勾配を水盛測量(水

準測量)し、流下勾配(勾配を「たれ」と言った)を知る

ことから始め、次に穴伏川の渡河位置と紀の川の高低

差を求めた。そして用水を円滑に安定して流す井溝の

縦断勾配を求めた。この両者間の勾配差によって生じ

る高低差が、穴伏川渡河位置における紀の川との高低

差を生み出し、同時に距離が必要となってくる。計算

から取水口の位置が割り出されても、その位置が適地

であるかを検討しなければならない。①洪水による土

砂で埋没しないか、また崩れないか②絶えず水を取水

することが出来るか③周辺の地盤が固いか、などの立

地が取水堰の管理から見て最適地の要件である。河

床の安定を求めるのである。現在の高野口町小田付

近は、これらの条件を満たすうえ、距離的にも取水可

能の適地であった。

「小田新井御掘次入用下勘定之時留書、丑五月、大

畑才蔵」は、小田井工事の際に弥惣兵衛などに差し出

した書状の下書きである。表題に「小田新井御掘次入

用下勘定之時留書」とあるように宝永4年からの第1期

工事が終わり、第2期工事にとりかかってからの上司へ

の伺い書である。「丑五月」とあるから宝永6年である。

書状の発送は5月7日は1通、8日は4通、10日は2通、

11日が3通の計10通である。宛先が分かるのは井澤

弥惣兵衛ら数人だけである。書状を書いた5月7日か

ら11日は、『才蔵日記』によると郡代官二見徳左衛門と

那賀郡池田垣内村に滞在中に発送している。書状の

下書きから、小田井の第2期工事がどの地点から起工

し、終点はどの村であったかを調べる手がかりが得ら

れる。たとえば「去年は毛付の時分にて名手川へ捨て

水有之」(現代語表記)とあり、宝永5年中に那賀郡名

手川まで小田井が完成していたことが分かる。

さらに、大雨のとき小田井の管理に心血を注ぐ苦労

をしていることや、宝永6年の田植えに粉河まで灌漑

用水が来ない場合、才蔵の責任問題にまで発展しかね

ないことなどを、書状から読み取ることができる。藩直

営の小田井の普請であっても、各村から水路設定場の

要望もあり、また農家の立ち退きの必要なところもある。

これらの難題を一つ一つ解決しながら工事を進めて

いる。才蔵が苦労を重ねて工事を進めても、藩の財政

支出に限界がある。伺い書を出して、上司の決裁を得

なければならない。「日記」に「老人の儀故物毎無覚束おぼつかない

と記した。才蔵は68歳である。才蔵の上司である弥

惣兵衛は藩会所詰役人で、藩の財政を処理し民生を

担当した。弥惣兵衛は手形改(経理・監査担当)の職

にも就いている。その後昇進して藩会所役人御頭分と

なった。才蔵の良き理解者だった。

◇ ◇ ◇小田新井は江戸中期の農業土木技術の最高水準の

ものであり、弥惣兵衛と才蔵によって開発された「水盛

小田井の現場写真(現在)

水の匠 水の司 ~私説・井澤弥惣兵衛為永~

おかしらぶん

Page 21: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 21 -

第四回 弥惣兵衛と才蔵~紀州流の源流~②

器」を使った水準測量の成果は、統制された用水路の

縦断勾配に表れており、その精密さは追随を許さない

高度なものであった。起伏に富む段丘地形を水平に近

い緩勾配で開削するたびに中小河川の谷間が立ちは

だかった。これらもサイフォンの原理を応用した伏越ふせこし

谷川の上に水路を架ける渡井と い

で解決した。穴伏川の

深い谷に無橋脚の水路橋を架設する難工事も、高度

な技術力で切り抜けた。この水路橋は「龍たつ

之の

渡と

井い

」と

呼ばれる。小田井の難工事を物語るものは、伏越や水

路橋の多いことである。現在用水には9カ所のサイ

フォンと「龍之渡井」など8カ所の水路橋がある。

才蔵の工法の特徴は、用水路を丁場(受け持ち区

域)割にして丁場ごとに必要な資材や掘(掘削)、築(盛

土)の土量などを算出したこと、そして、必要人足を割

り当てて各工区ごとに同時に着工し、施工期間を著し

く短縮したことである。丁場割の基礎として必要なこ

とは、人夫1人1日の作業量の基準を算出することで

ある。才蔵はこれについて、たとえば土砂を1日で運

搬する場合、「8里持ち」といって1荷か

(約50キログラム)

を8里(約31キロメートル)の距離、運搬すると定めて

いる。合理精神がうかがえる。

丁場割は60間(約109メートル)を基準とし、各丁場

ごとの掘深・天てん

端ば

(堤防などの上端)幅を求めて掘り取

り量を算出し所要労力を知る。さらに、現場の表示や

施設物の種類、数量、位置などを決め、これらを1冊

の帳簿に記録する。

土木工事で重要なことは測量である。才蔵は竹筒と

木で作った水盛台(レベル測量機器)を考案し、距離

60間を1区切りとして測量し、3000から5000分の1と

いう緩勾配の用水路を開削している。その他の工夫と

しては、水路壁の山側から浸透水を水路壁の下と山側

護岸の裏に砂の層を作って排水し、また水路の盛土壁

に脆弱箇所を意図的に作って大雨時の流入水による

決壊を最小限に食い止める方法をとるなど、水路の保

全確保に努めている。

「えらいもんじゃよ大殿様は、紀州・紀の川米でせく」

往時、紀の川街道筋を旅する人は、偉大なる小田新

井の大事業を見て舌を巻き、米でせくという風刺とも

とれるこの歌によって世に広くひろめ、功績を褒め称

えた。井堰を竹蛇籠で堰き上げたのを、米俵に見立て

たのである。

小田井開削中の宝永4年(1707年)10月4日、紀伊

半島から四国にかけての太平洋沿岸が大地震(マグニ

チュード8.6)に襲われた。紀州沿岸の漁村は大津波に

のみ込まれ打ちのめされた。「宝永の大地震」である。

紀州での被害は甚大であり、弥惣兵衛や才蔵らは小

田井の工事中断を命じられ、被災現場に投入された。

才蔵は「日記」に「老人たちも経験したことのない大地

震で、土地が割れ裂けた。場所によっては、水や砂や

土が噴出する(液状化)現象が起こり、家が傾いたり倒

壊した」と記した。犠牲者は、紀州で688人、大坂で

750人、土佐で1844人などとなっている。全国で3万人

以上が死んだとされる(『日本の大地震』)。この後、同

年11月23日、富士山が大爆発した。「宝永の大爆発」

である。江戸の町にも雪のように白い灰が大量に降り

そそいだ。

◇ ◇ ◇才蔵は、弥惣兵衛の指示を受けて、蛇行し水害を繰

り返す亀の川を直線河道に改修した。宝永3年には正

月から106日間現地で指揮をとり、内原村(現 和歌山

市)から西の川筋を替えて雑賀川さいかがわ

(和歌川)へ落ちるよ

うにした。洪水をいち早く海に流すようにした。これは

新川と呼ばれるようになった。新川は亀池築造に備え

る工事でもあった。

宝永6年(1709年)11月、才蔵は御奉行大嶋伴六に

随行して、山東筋代官の案内で、坂井村、小野田村、

溝口村(以上、現 海南市)、冬野村(現 和歌山市)を

視察した。これは亀池築造の下見であった。亀池は弥

惣兵衛の指揮によって築造された紀州で最大級の農業

用溜池である。巨大なアース・ダムである。

翌7年正月16日から名草郡山東組坂井村(現 海南

市)で亀池の開削と堤防構築が始められた。山間地に

龍之渡井(現在)

Page 22: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 22 -

残された小さな谷田池を使い、池の北側に高さ9間

(約16メートル)もの堰堤えんてい

(堤)を築きあげ湖底や周辺の

山肌を掘削して、池の大幅拡張を図るのである。弥惣

兵衛は藩会所役人御頭分の職務にあって、才蔵の上司

であり、2月と3月の2回、山東筋代官相川弥一右衛門

を伴って現場をつぶさに視察した。人足は池下の10カ

村から延べ5万5000人を動員し、総経費は銀71貫匁

(元禄13年〈1700年〉の1両は銀60匁であるのを基準

に換算すると、1180両ほどになる。今日の100億円余)

という空前の大工事だった。池の面積は13町歩(約13

ヘクタール)、周囲30町余(約3300メートル)。水源を

上流の亀ノ欠に求め32町の任せ溝(水路)で取水し同

年4月20日に完成した。開削にあたって普請方を竹田

徳左衛門、樋伐ひ き

り組方(池に溜まった水を堤の底を通

して取り出す管水路を作る作業集団)を志賀勘助が統

括した。樋伐り役・詰堀役(堤の芯に刃金を入れて水

の浸透を防ぎ、池床や両側の地山に刃金を食い込ま

せるために、地山を削る作業の監督)・任せ堀役(水路

を開削する作業の監督)・丁場ば

割役わりやく

(作業工区の割付

をする役人)・物書役(会計や作業記録を担当する役

人)を下役が分担した。丁場割役に保田太左衛門がい

ることに注目したい。彼は弥惣兵衛が幕臣にとりたてら

れた際、配下の技術者として行動を共にするのである。

支配下の郡から人足を多数出した名草郡奉行小笠

原彦左衛門、鈴木又五郎、海あ

士ま

郡ぐん

奉行岩橋幾右衛門、

夏目金兵衛も常時現場に詰め、山東組大庄屋西村六

左衛門、日方組大庄屋橋爪与三右衛門なども人足の

掌握に出張した。農閑期の3カ月余という短期間で完

成した。驚くべき早さである。

先に下流域で改修された亀の川流域の名草郡山東

組坂井村と海士郡日方組岡田村、多田村、且来村あっそむら

(以

上、現 海南市)、吉原組の新に

井い

辺べ

村むら

、小こ

瀬せ

田だ

村むら

薬勝寺村やくしょうじむら

、本渡村もとわたりむら

、内原村うちはらむら

、毛け

見み

村むら

、紀三井寺村(以

上、現 和歌山市)が亀池掛り(亀池の水を田に引く権

利をもつ村)となる。327町5反、高7000石の田地を灌

漑することになった。亀池が造成されたことにより、堂

池や谷田池などの小池が新田に生まれ変わり坂井新田

と呼ばれた。湖水のほとりに井澤弥惣兵衛の顕彰記念

の石碑が建てられている。大正3年(1914年)9月、亀池

の水利組合・亀川村長桑原林之助によって建てられた。

才蔵は「地方の天才」と評されているが、彼が手腕

を振るったのが、才蔵54歳から73歳である。高齢で

あったことは特筆すべきことだろう。享保5年(1720年)

9月24日、79歳で地方巧者の生涯を閉じた。戒名は

浄岸慈入居士で、墓は郷里の橋本市学か

文む

路ろ

にあり、和

歌山県の文化財に指定されている。

◇ ◇ ◇

亀池(現在)

亀池築役役人名録、筆頭に井澤の名が

ある(亀池土地改良区蔵)

亀池の井澤顕彰碑

才蔵の墓(橋本市内、県指定文化財)

水の匠 水の司 ~私説・井澤弥惣兵衛為永~

ちょう

かんもんめ

Page 23: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 23 -

大畑才蔵『地方の聞書』は農業土木の古典的文献で

ある。才蔵が「子孫のためになるようにと、親の教えを

伝え、身を立て家を興す種ともなるようにと、取り集め

た作業の品々をかき集めたものである」と記すように家

の発展を願って書かれた。しかし、才蔵は村役人から

勘定人並という藩の下級役人になり、農政全般にかか

わったことから、その内容は農業土木技術関係や年貢

徴収に関する地方役人の基本的な心得をまとめてい

る。同時に藩領の紀州・勢州をくまなく回って獲得した

豊富な作物栽培の技術、合理的な農業生産費の算定

など、農業経営の基本を述べている。才蔵が最晩年の

約20年をほとんど休むことなく勤め上げたことは、驚

異的なことであるが、その気迫の裏には「農民の生活

をよりよくするために」との心意気が働いていることを

知らねばならない。(つづく)。

一、水盛の台は、円周六、七寸(18センチから21センチ)

の竹を長さ十尺(約3メートル)に切り、節を抜き、そ

の中央に孔を穿うが

ち、長さ一尺(約30センチ)の細い竹

を差し込む。竹の先端には五器ご き

(水差し用)を取り付

けるが、これは着脱自在にしなければならない。さて、

長さ十尺の竹の先端に枕を付ける。枕は同型で、長

さ一尺四、五寸(約42センチから45センチ)、一辺五

寸(約15センチ)の角材を用い、入念に装置する。枕

の中央に長さ二尺(約61センチ)の見当を立てる。見

当の先端には長さ四、五寸(約12センチから15セン

チ)の板を打ち付ける。これは両方の見当を見合っ

て、遠くに立てた見当を見通すためで、それは鉄砲の

標準と同じ理屈である。

この台を土面上に据え、水平を保たせるためには、中央の五

器から水を注がなければならない。尤も、両枕に長さ二寸(約

6センチ)ほどの竹筒を挿し、同じ高さにそろえ、この竹筒の口

から両方が同じように水が出れば、台は水平に置かれたことに

なる。これが水盛の原理である。

水盛台で土地の高低を知るには、台を水平に置いて両端の見

当と前方の見当を一直線にそろえる。このとき手元の見当の高

さと前方の見当の高さを測り(地面からの高さ)、両者の差を

求める。

水盛台の操作には次の点に注意する。

一、水盛台は、いかに精巧につくっても台ごとに必ず癖が

ある。これがため、水盛に際しては台を数回振りかえ

て見当を測り、その平均値を求める。

二、水盛をする者にも癖がある。癖を除くには、台を測量

する距離の中央(正確に二等分点でなくてもよい)に

据え、上下かみしも

両方を見るようにする。

三、計算するとき、見当の短いほうは掘り、長いほうは埋

めることになる。これを誤らないことが肝要である。

四、井筋の測量で、見当をつなぎ合わせてゆく場合、つな

ぎ目の見当の高さに、その所の掘り寸法を加え、そ

の値から下(前方)見当の長さを差し引けば下位置の

掘り下げる深さが計算できる。

五、上かみ

(前の水盛り区間の下しも

位置)の見当が地面から五尺

(約1メートル52センチ)あったとする。そこは二尺の

築土が必要とされる地点。このとき下の見当も五尺あ

ったとすれば、上の見当と築土高の差三尺(約91セ

ンチ)を下の見当五尺から差し引いた二尺が下位置

の築土高である。

続いて「水盛入用之道具並水盛台左ニ記」(現代語訳)

である。

一、間竿けんざお

、長さ二間(約3メートル64センチ)、寸法を刻

む、2本。

一、角材木、長さ一間(約1メートル82センチ)、二寸角、

2本、これは水盛台を据える台に用いる。

一、割りくさび、長さ四、五寸(約12から15センチ)、4本、

水盛台の水平を得るとき、台の上げ下げに使う。

一、大工槌(大工の使う木槌または金槌)、2丁、水盛台

の上げ下げ、杭打ちに使う。

一、小杭、長さ一尺四、五寸(約42センチから45センチ)

一、団扇うちわ

、これは見当をにらむ人が持ち、遠くの見当を持

つ人へ上下左右の移動を指示するために使う。

一、しるし竹、長さ一尺(約30.3センチ)、細い弱 し々い竹

へ、紙を切ってつくったしで(四手、垂手とも書く。神

前に供える幣帛へいはく

(布切れ)を結わえつけたもので、遠

くの見当を持つ人に「よし」と合点の合図をするもの。

一、桶、杓(柄杓ひしゃく

)とも、水を容れるために使う。

一、人足、六人。一人は見当を矯た

める人、一人は水を入

れる人、一人は上げ下げのくさびを打つ、一人は前

方の見当を持つ人、一人は杭打ち、一人は小間使い。

一、鍬、唐鍬(開墾・根切りに使う鉄鍬)、鎌、鉈なた

弥惣兵衛や才蔵が使用した水盛器の解説(葛飾区郷土と天文の博物館資料)

第四回 弥惣兵衛と才蔵~紀州流の源流~②

才蔵の「水盛之事」(現代語訳)を読む。

Page 24: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 24 -

一ひと

庫くら

大おお

路ろ

次じ

川がわ

にアユがもどってきた一庫ダム管理所

1. はじめに

猪名川支川の一庫大路次川は、都市部から近く、その

昔はアユ釣り場として人気の川でした。しかし、一庫ダム(兵

庫県川西市)が完成した昭和58年以降は河川環境が

徐 に々変化し、近年ではアユが全く釣れない川になってし

まいました。その最大の要因は、河床にもともとあった砂礫

の流出によるアユの「食」と「住」環境の消失です。有識者

からは、このまま放置すると、生物の生産性の減少がさら

に増大する恐れがあるとして、まずは、ダム直下100mから

200m範囲の河床再生が急務であるとの指摘を受けまし

た。そこで、平成14年度から河床再生の取組を開始し、

6年目にしてようやくその成果が現れてきました。

以下にその取組などを紹介します。

2. 一庫ダムの紹介

猪名川は、流域内人口約65万人、流域関連市町の人

口約180万人、流域資産約6兆7,000億円、工業製品出

荷額約8,921億円の典型的な都市河川です。

一方、一庫大路次川は、京都府亀岡市、大阪府能勢

町・豊能町、兵庫県川西市を流れる流域内には約30,000

人弱の方々が生活しています。

一庫ダムは、猪名川の最下流から25km上流の一庫大

路次川に位置する、ダム高75m、堤頂長285m、総貯水

容量3,330万m3の重力式コンクリートダムです。ダムの管理

は昭和58年から開始し、本年で26年目を迎えます。ダム

の周辺は宅地化などが進んでいますが、多くの自然も残っ

ており、年間30万

人もの方々がダム

湖を訪れます。

3. 河床再生の取組

平成14年度からダム直下(150m程度下流の試験ヤー

ド)において、20年の歳月により失われた従前の環境を、

これから少しずつ取り戻していこうとの目標設定を行い、河

床再生に着手しました。

(1)平成14年度の取組

まず、初年度の取組として、魚が外敵から隠れる場所や

なわばりとなる場所を造る、また、水際域を復元して餌(虫)

場を造ることを目的に、2,000m2のヨシ伐採と190m3の玉

石投入を行いました。

(2)平成15年度から19年度の取組

平成15年度から平成19年度にかけては、魚類の産卵

床を造ることや、餌となる藻類の剥離・更新の支援を目的

に、ダム下流への土砂還元とフラッシュ放流(ダムに貯めた

水を一時的に放流して川底に付着した古い藻類等の更新写真-1 一庫ダム航空写真

玉石投入    190m3

ヨシの除去  2,000m2

図-1 河床再生場所

写真-2 平成14年度取組状況

上流

施工前

下流

上流

施工後

下流

Page 25: 水とともに 2008 年 7 月号 No

一庫大路次川にアユがもどってきた

- 25 -

を促すための放流)を行いました。この間の土砂還元量は

約4,500m3で、利水放流設備等によるフラッシュ放流の最

大放流量は約10m3/s程度です。土砂還元には、貯水池

上流の堆積土砂、浄水場取水口部に貯まった土砂や河

川工事の発生土砂などを用いました。

(3)取組の成果

河川生物生息環境調査の結果から、以下のことが判

明し、少しずつではありますが、河床再生の取組効果が確

認されました。

①平成14年度の対策以降、オイカワの稚魚(5cm以下)

の増加が確認されている。

②平成16年度以降のアユの個体数は増加傾向にある。

③全体的に確認種数や総個体数が増加傾向にある。

4. ダム直下でアユが釣れた

先にも紹介しましたとおりアユ釣り場として人気があった

一庫大路次川は、ダムができて6年目くらいからアユを放流

してもすぐに姿が見えなくなるなど、昔の面影を失ってしま

いました。それが平成14年度から実施してきた対策によっ

て、少しずつではありますが効果を現し始め、平成16年度

からは放流したアユが調査採補(網による)できるようにな

り、そして、平成19年の夏には待望のアユ釣りが再開され

ました(友釣りによる調査採捕)。

釣り人は、猪名川漁業協同組合員やアユ釣り名人とし

て知られている「大西満氏」などです。大西満氏はこの時

の釣りについて、釣り新聞に以下のようなコメントを寄せて

います。

5. おわりに

一庫ダムでは、貯水池・河川環境保全マネジメントを目

標に、貯水池の上流・貯水池内・下流の課題を整理し、ま

た、ダムからの放流水質・水温も含め、全てを一連としてと

らえた環境保全対策を行っています。これは、一庫ダム単

独の判断で行うのではなく、学識者や地域の方々が参加

する意見交換会(一般公開)での議論結果を反映させる

こととしています。今回、ダム下流で起きている問題とその

対策並びにその成果が少しずつではありますが、現れてい

ることを紹介しました。取組は緒についたばかりです。今後

とも猪名川漁業協同組合など多くの関係者の協力を得な

がら、昔のアユ釣り場として復活することを願い、河川環境

の保全に努めてまいります。

図-2 河床再生による魚相の変化

写真-3 平成19年度取組状況(バックホウによる土砂投入)

ダムの下流は「死の川」です。……一庫ダム下流も

そんな状態でした。……ところが、「ダムが壊した自

然を少しでも回復できたらと」5年前からダム下流に

小石の投入を始めたのです。……9月22日に試し釣り

を行いましたが、2時間で18匹の釣果。……正直に言

って、ダムは自然を壊すものだと思っていたのです

が、違う面もあることに大きな感動を覚えました。

よみがえった猪名川一庫ダム下流

写真-4 釣り風景 左写真は大西満氏、右写真下は柳川一庫ダム管理所長(当時)

Page 26: 水とともに 2008 年 7 月号 No

毎年8月1日は「水の日」です。また、8月1日から8月7日は「水の週間」です。

皆さんに楽しんでいただきながら水について関心を持っていただけるよう、各地でイベントが催されます。

皆さんもお気軽に参加できる行事ばかりですので、出かけてみてはいかがでしょうか。

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第32回「水の週間」~ウォーターフェア'08東京と各地のイベント紹介~

■《ウォーターフェア'08東京》■◆水の展示会日時:7月25日(金)~28日(月)場所:科学技術館2階イベントホール(千代田区)内容:オープニングセレモニー、第30回「全日本中学生水の

作文コンクール」入賞作品展示ほか◆水を考えるつどい日時:7月27日(日)14:30~16:00場所:科学技術館サイエンスホール内容:パネルディスカッション

主催:国土交通省・東京都・水の週間実行委員会

■《第28回ウォーターフェア隅田川レガッタ》■日時:8月3日(日)11:00~場所:隅田川言問橋~吾妻橋(大会本部:墨田区役所前)内容:男子エイト、ナックルフォアなどの競漕、パネル展示ほか主催:(社)東京都ボート協会・水の週間実行委員会

【以上問い合わせ先】水の週間実行委員会事務局((財)水資源協会内)TEL 03-5645-2991

■《水の週間 inさいたま新都心》■日時:7月29日(火)~31日(木)場所:ランド・アクシス・タワー(明治安田生命さいたま新都心

ビル)2階内容:第23回「水とのふれあいフォトコンテスト」入賞作品な

どの展示【問い合わせ先】水機構総務部広報課 TEL 048-600-6513http://www.water.go.jp

■《平成20年度ぐんまウォーターフェア》■日時:8月1日(金)~3日(日)場所:イオンモール高崎セントラルコート1階(群馬県高崎市)内容:テーマ展示、一般展示、パネル展示ほか主催:群馬県【問い合わせ先】群馬県企画部土地・水対策室 TEL 027-226-2361

■《水の週間イベント》■日時:8月2日(土)場所:霞ヶ浦ふれあいランド(茨城県行方市玉造)

利根川河口堰管理所(千葉県香取郡東庄町)(2ヶ所同時開催)

内容:水の貴重さと水資源の重要性をアピールするためにパネル展示やゲームなどを実施

【問い合わせ先】利根川下流総合管理所 TEL 0299-55-4331http://www.water.go.jp/kanto/kasumiga/利根川河口堰管理所 TEL 0478-86-0477http://www.water.go.jp/kanto/tonekako/

■《全国川サミット「利根川探検」矢木沢ダム視察》■日時:7月24日(木)場所:群馬県利根郡みなかみ町内容:矢木沢ダム見学、ボート源流探検、水上ラフティング、

利根大堰見学主催:みなかみ町【問い合わせ先】みなかみ町総合政策課 TEL 0278-62-2111

関  東

※イベント内容は変更される場合がありますので、お出かけの際はホームページ等でご確認ください。

Page 27: 水とともに 2008 年 7 月号 No

■《水の週間イベント》■◆比奈知ダムライトアップ日時:7月18日(金)~8月31日(日)場所:比奈知ダム(三重県名張市上比奈知)内容:ダムのライトアップを実施◆比奈知ダム施設見学会日時:8月3日(日)場所:比奈知ダム内容:ダム内部の点検用通路や操作室等の見学会、水質調査体

験などを実施【問い合わせ先】比奈知ダム管理所 TEL 0595-68-7111

■《室生ダム・比奈知ダム施設見学会》■日時:8月5日(火)場所:室生ダム(奈良県宇陀市室生区)

比奈知ダム(三重県名張市上比奈知)内容:奈良県在住の方を対象に施設見学、クイズ、利き水などを

実施(事前の申し込みが必要)主催:奈良県・水機構関西支社【問い合わせ先】奈良県地域振興部資源調整課水資源計画係TEL 0742-27-8489http://www.pref.nara.jp/

■《豊川用水スタンプラリー》■日時:8月予定場所:豊川用水関連施設内容:豊川用水関連施設を巡るスタンプラリーを実施予定【問い合わせ先】豊川用水総合事業部 TEL 0532-54-6501http://www.water.go.jp/chubu/toyokawa/

■《2008岩屋ダム水まつり》■日時:8月2日(土)場所:岩屋ダム(岐阜県下呂市金山町)内容:水の貴重さやダムの役割をPRするため湖上パトロールや

各種アトラクションを実施【問い合わせ先】岩屋ダム管理所 TEL 0576-35-2339http://www.water.go.jp/chubu/iwaya/

■《秩父さくら湖まつり》■日時:8月3日(日)場所:浦山ダム(埼玉県秩父市荒川)内容:水の大切さやダムの役割をPRするためのパネル展示や施

設見学会などを予定【問い合わせ先】(有)秩父浦山振興センター TEL 0494-24-3333

■《草木湖まつり》■日時:8月15日(金)場所:みどり市東運動公園ほか(群馬県みどり市)内容:マスのつかみ取り、草木ダム探検、パネル展示など主催:草木湖まつり実行委員会【問い合わせ先】みどり市観光政策課 TEL 0277-76-1270

■《あゆみ祭り》■日時:8月16日(土)場所:歩崎公園(茨城県かすみがうら市坂)内容:地域交流と霞ヶ浦の水質浄化を目的にステージや青空広場

での各種催し物、湖面でのドラゴンボートレースなどを実施

主催:あゆみ祭り実行委員会【問い合わせ先】かすみがうら市観光商工課 TEL 029-897-1111http://www.city.kasumigaura.ibaraki.jp/

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第32回「水の週間」~ウォーターフェア'08東京と各地のイベント紹介~

■《まちかど・水・キャンペーン2008》■日時:7月26日(土)~8月1日(金)場所:四国中央紙まつり会場内(愛媛県四国中央市)

イオン高松ショッピングセンター(香川県高松市)帯屋町商店街(高知県高知市)

内容:水資源の重要性などをPRする目的で、四国中央市(7月26日・27日)、高松市、高知市(ともに8月1日)においてパネル展示、アンケートなどを実施予定

【問い合わせ先】吉野川局総務課 TEL 087-835-6600http://www.water.go.jp/yoshino/yoshino/

■《吉野川フェスティバル》■日時:8月1日(金)~3日(日)場所:「吉野川フェスティバル」会場(徳島県徳島市)内容:パネル展示、流木アート展(予定)主催:吉野川フェスティバル実行委員会【問い合わせ先】吉野川局総務課 TEL 087-835-6600旧吉野川河口堰管理所事務グループ TEL 089-665-1435

中  部

関  西

四  国

Page 28: 水とともに 2008 年 7 月号 No

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■《水辺の納涼祭》■日時:8月3日(日)10:00~21:00(予定)場所:香川用水記念公園(香川県三豊市財田町)内容:香川用水の水源地域への感謝、水の大切さを認識していた

だくことを目的としたイベント。昨年はキャラクターショーや打ち上げ花火を実施

主催:(財)かがわ水と緑の財団・三豊市【問い合わせ先】(財)かがわ水と緑の財団香川用水記念公園TEL 0875-67-3760

■《湖水まつり》■日時:8月2日(土)場所:金砂湖(柳瀬ダム湖)(愛媛県四国中央市)内容:水資源への感謝、地域活性を目的としたイベント。21回目

を迎える今年は柳瀬ダム湖畔で開催され、和太鼓演奏、よさこい踊り、花火大会等を実施予定

主催:四国中央市湖水まつり実行委員会【問い合わせ先】湖水まつり実行委員会事務局(四国中央市水道局庶務課内)TEL 0896-28-6452

■《やまびこカーニバル》■日時:8月2日(土)・3日(日)場所:早明浦ダムふれあい広場ほか(高知県土佐郡土佐町)内容:“四国のいのち”早明浦ダム直下の広場にて開催。ダムの

ライトアップ、花火大会、アメゴつかみ等を実施予定主催:やまびこカーニバル実行委員会【問い合わせ先】土佐町企画振興課 TEL 0887-82-2450

■《平成20年度水の週間イベント》■日時:8月1日(金)~7日(木)場所:徳島県内各所(徳島駅前・鳴門市役所前・松茂町役場前・

北島町役場前・板野町役場前)※それぞれ実施日が異なります

内容:パネル展示ほか【問い合わせ先】旧吉野川河口堰管理所事務グループTEL 088-665-1435http://www.water.go.jp/yoshino/qyoshino/

■《筑後川リバーフェスタ inみくま川》■日時:8月下旬場所:大分県日田市内容:みくま川で子供たちが遊ぶイベントを実施(ターザンロー

プ、水鉄砲作成等)主催:リバーフェスタ inみくま川実行委員会【問い合わせ先】リバーフェスタ inみくま川実行委員会・青年会議所TEL 0973-24-7150

■《あさくら3ダム見学会》■日時:8月3日(日):江川ダム・寺内ダム

8月1日(金)~3日(日):小石原川ダム場所:江川ダム・小石原川ダム建設所外・寺内ダム(福岡県朝倉市)内容:ダムなどの施設見学会、写真パネルの展示、出張ブースで

の映像上映ほか【問い合わせ先】両筑平野用水総合事業所 TEL 0946-25-0113http://www.water.go.jp/chikugo/ryochiku/小石原川ダム建設所 TEL 0946-25-1100http://www.water.go.jp/chikugo/koishi/寺内ダム管理所 TEL 0946-22-6713http://www.water.go.jp/chikugo/terauchi/

■《水・うるおいギャラリー見学会》■日時:8月上旬場所:佐賀揚水機場(佐賀県三養基郡みやき町)内容:高さ30mもある吐水槽、大型ポンプ6台が並ぶポンプ場

や操作室などの見学会を実施【問い合わせ先】筑後川下流総合管理所総務課 TEL 0942-26-3484http://www.water.go.jp/chikugo/ckaryu/

■《河川愛護キャンペーン》■日時:展  示:7月 1日(火)~31日(木)

イベント:7月19日(土)~21日(月)7月26日(土)~27日(日)

場所:筑後川発見館くるめウス(福岡県久留米市)内容:筑後川の写真展示、親子お宝たんけん隊、子供たちによる

河川に関わる活動報告会、水辺の観察会ほか主催:きれいかちっご川事務局【問い合わせ先】筑後川発見館くるめウス TEL 0942-45-5042

九  州

Page 29: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 29 -

長良川河口堰は、揖斐川・長良川の河口から上流

5.4km地点に設置された可動堰で、長良川の治水や水道

用水、工業用水の利用を目的としています。

長良川河口堰の計画及び建設にあたっては、木曽三川

河口資源調査(KST調査)に始まる詳細な環境調査が実

施され、環境保全に係る様 な々取組が行われました。そ

の1つに河口堰建設に伴う河道の浚渫土砂を利用した人

工干潟の造成があります。

人工干潟は、平成5~6年度に揖斐川・長良川河口の

城南沖及び長島沖の2ヶ所にそれぞれ約20haの規模で

造成され(図-1)、造成直後より生物の生息場としての機

能を把握するため、調査が実施されてきました。

今回、人工干潟が造成されてから10年余を経過したこ

とを機会に、これまでの調査結果から、人工干潟の経年

的な変遷の状況や生物の生息場としての機能についてと

りまとめましたので、報告させていただきます。

■2.1 地形の変化について

人工干潟の造成後の地形の変化を把握するため、造

成時(平成6年度)、5年後(平成11年度)、10年後(平成

16年度)の3回、地形測量を実施しています。その結果か

ら、それぞれの地形測量の間における地形の変化量を色

で示したのが図-2です。

図に示されている色の分布を比較すると、造成~5年

平成19年度技術研究発表会

理事長賞受賞論文

人工干潟における環境の変遷について

常松 晃長良川河口堰管理所 環境課

1 はじめに

2 人工干潟の地形変化及び底質環境について

図-1 人工干潟の位置

図-2 干潟地形の変化図(左:H6~H11間の変化量、右:H11~H16間の変化量)

しゅんせつ

Page 30: 水とともに 2008 年 7 月号 No

後の期間である平成6~11年度は比較的大きな変化を

示す濃い赤色や青色の部分が見られます。

しかし、造成5年後~10年後の期間である平成11~

16年度は、無変化や小さな変化を示す白や薄青色で示

された部分が多くなっています。この結果から、大きな地形

の変動は造成から約5年までの間に進行し、それ以降は

おおむね安定していることが分かります。

■2.2 底質環境について

底質の状況を把握することは、底生生物の生息環境を

把握する上で重要です。特に有機汚濁が進むことにより

底質が還元状態になると、底生生物などの生息環境が悪

化することから、有機汚濁の指標としてCODや底質を構

成する砂泥の状況の指標として中央粒径について整理し

ました。これら項目の経年変化を図-3に示します。

両干潟のCODは造成後しばらく年変動が大きい状態

が続いていますが、平成9年ごろ以降は減少傾向を示し、

有機汚濁の観点からは清浄な状態へと推移しています。

中央粒径については、城南沖干潟及び長島沖干潟と

も造成以降、年変動はあるものの、おおむね横ばいの状

態で、経年的な泥質化あるいは粗粒化の進行は見られま

せん。

今後、大規模な出水や渇水などによって底質が変化す

る可能性はありますが、人工干潟の底質状況は、現在、

ほぼ安定した状態にあると考えられます。

■3.1 調査内容

人工干潟における貝類などの生息環境を把握するた

め、干潟の土砂を採取し、それに含まれる貝類やその他

の底生生物について調査を行いました。

干潮の時に水面上に干出する地点では、50cm×50cm

の正方形の枠を利用して、その枠内の底泥を採取し、干

潮でも水底にある地点では、船上からスミス・マッキンタイヤ

型採泥器を降ろして底泥を採取しました。採取した底泥

は、1mm目合いのフルイにかけ、フルイに残ったものを分析

しています。

■3.2 調査結果

3.2.1. 主要な貝類の生息状況について

干潟上の底生生物の生息状況に係る1つの指標とし

て、重要な水産種であるハマグリ、アサリについて、出現状

況の経年変化をグラフにまとめたものを図-4に示します。

ハマグリについては、干潟造成以降、地元漁組による継

- 30 -

図-4 主要貝類の出現状況(1)

3 貝類などの生息状況について

平成19年度技術研究発表会

図-3 底質項目の経年変化

Page 31: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 31 -

続的な放流活動にもかかわらず、出現数が極めて少ない

状態が続いていました。しかし、両干潟とも平成16年以

降、個体数が大きく増加する傾向が見られます。調査にお

いては、干潟上で再生産されたと思われる稚貝の出現も

多く見られており、今後の状況が期待されているところです。

アサリは、年ごとの変動はあるものの、経年的に比較的

多く確認されており、シオフキガイと並んで人工干潟域を代

表する貝類となっています。ヤマトシジミは、城南沖干潟で

は比較的見られるものの、長島沖干潟ではほとんど見られ

ていません。

以上のように、水産種だけをとっても種類ごとに出現状

況の違いはありますが、貝類全体での出現種類数は、経

年的におおむね10種前後で推移しており、貝類の生息環

境としては安定していると考えられます。

また、人工干潟においては前述の主要な二枚貝類のほ

か、三重県レッドデータブックにおいて「絶滅危惧Ⅱ類」

(VU)に指定されている甲殻類のオサガニ、「準絶滅危惧」

(NT)に指定されているオチバガイなど希少種が数種確認

されています。これらの希少種は、もともと河口域の干潟に

広く生息していた生物であり、近年の干潟環境の消失に

伴って減少したと考えられています。こうした生物が確認さ

れたことは、人工干潟が、自然干潟に近い、生物にとって

良好な生息の場になっていることを示すものではないかと

考えています。

3.2.2.人工干潟の多様性に関する評価

人工干潟の底生生物群集の多様性を評価する方法と

しては、多様度指数を利用することとしました。多様度指

数とは、対象とする生物群集について、群集を構成する種

類数や種同士の構成比率に着目して指数化する手法で

す。特定の種のみが個体数の大半を占めるのではなく、

様 な々種が均衡して共存している状態ほど高い値となり、

文字どおり多様な生物相を持つ豊かな環境であることの

指標として用いられるものです。

本論では、一般的に用いられることの多いShannon-

Wienerの多様度指数(シャノン指数)と、Simpsonの多様

度指数(シンプソン指数)の2つの方法で、平成18年度の

調査データから人工干潟における多様度指数を算出する

とともに、古賀ら1)により計算されている全国の主要な自然

干潟の多様度指数と比較しました。その結果は表-1の

とおりです。

算出された多様度指数を比べてみると、人工干潟の多

様度指数は自然干潟とほぼ近い値となっており、豊かな環

境を有する干潟として知られる伊勢湾の藤前干潟、東京湾

の西三番瀬などと比較しても、ほぼ遜色ありません。

人工干潟は造成から10余年を経た現在、地形や底質

は安定した状態となり、木曽三川河口域における多様な

生物の生息の場として、自然干潟に近い環境を備えるに

到っていると考えられます。

こうした豊かな環境が人工干潟上に成立した背景には、

自然の作用による地形、底質の安定化はもとより、これま

で地元の赤須賀漁業協同組合が努力してきた、稚貝の放

流及び干潟周辺の「場」の保護といった地道な取組も大

きく寄与していると考えられます。

以上、人工干潟の造成に関する1つの成功例として報

告しましたが、人工干潟に関する調査結果のとりまとめに

あたっては、赤須賀漁業協同組合の秋田清音組合長より

貴重な御指導を頂きました。また、これらの成果は、人工

干潟の計画・造成から、その後の経年的な調査の実施に

到る過程に関わってきた、赤須賀漁業協同組合の組合員

各位や国土交通省、水資源機構の歴代職員による長年

にわたる努力の上になっているものです。

その成果をとりまとめ、発表する機会を与えていただきま

したことを、この場をお借りして深く感謝いたします。

参考文献

1)古賀庸憲・佐竹潔・矢部徹(2005):「マクロベントス相における種

の豊富さ、現存量、多様度指数、絶滅危惧種を用いた干潟の評価」

干立

古見

田古里川河口

七浦

藤前

南知多奥田

西三番瀬

富津海岸

琵琶瀬川河口

春国岱

人工干潟

  長島干潟

  城南干潟

  全域

沖縄県西表島

沖縄県西表島

佐賀県鹿島市

佐賀県鹿島市

愛知県名古屋市

愛知県知多半島

千葉県

千葉県

北海道東部

北海道東部

三重県桑名市

前浜干潟

前浜干潟

河口干潟

前浜干潟

前浜干潟

前浜干潟

前浜干潟

前浜干潟

河口干潟

前浜干潟

河口干潟

砂質

砂質

泥質

泥質

砂泥質

砂質

砂質

砂質

砂泥質

砂質

砂質

4.7

12.8

9.0

9.2

13.8

11.6

20.7

9.3

6.8

6.7

17.6

16.9

18.5

1.175 ± 0.123

0.938 ± 0.624

0.723 ± 0.573

2.232 ± 0.158

2.179 ± 0.287

1.666 ± 0.445

1.631 ± 0.413

1.570 ± 0.720

0.623 ± 0.672

1.166 ± 0.695

1.852 ± 0.539

1.860 ± 0.690

1.812 ± 0.746

0.502 ± 0.023

0.282 ± 0.225

0.256 ± 0.245

0.698 ± 0.054

0.701 ± 0.063

0.568 ± 0.124

0.525 ± 0.142

0.510 ± 0.270

0.243 ± 0.286

0.426 ± 0.229

0.597 ± 0.152

0.595 ± 0.178

0.569 ± 0.214

0.09

0.09

0.09

0.09

0.09

0.09

0.09

0.09

0.04

0.09

0.25

0.25

0.25

調査地 多様度指数(湿重量)

Shannon-Wiener Simpson平均値±SD 平均値±SD

平均 種類数

調査点の 採泥面積 (m2) 地形クラス 底質 都道府県 干 潟

注:1.各干潟のデータは古賀1)ほかによる。

  2.調査時期による差異を考慮し、比較には人工干潟のデータのうち、春季および夏季のデータのみを用いた。

表-1 多様度指数による人工干潟と自然干潟の比較

4 おわりに

平成19年度技術研究発表会

Page 32: 水とともに 2008 年 7 月号 No

- 32 -

水の話あらかると

水道施設としては数少ない国指定重要文化財の五本松堰堤をはじめ、

神戸市水道創設時の諸施設は、土木デザイン上、優れたものが多いという定評がある。

そのなかでも白眉といえるのが、この奥平野浄水場旧急速ろ過場上屋だ。

当時の著名な建築家が設計した建物は背後の緑に映え、重厚で優美なたたずまいを見せている。

浄水施設としての機能は昭和57年(1983年)に停止。今は、「水の科学博物館」に衣替えされ、

神戸市民をはじめ多くの人 に々愛されている。

編集部

第57回

奥平野浄水場旧急速ろ過場上屋奥平野浄水場

旧急速ろ過場上屋

初期水道施設群におけるデザインの白眉。今は「神戸市水の科学博物館」に初期水道施設群におけるデザインの白眉。今は「神戸市水の科学博物館」に

奥平野浄水場旧急速ろ過場上屋(現水の科学博物館)。大正6年(1917年)完成。登録有形文化財及び土木学会選定「現存する重要な土木構造物2800選」Aランクであるほか、建築、景観分野の賞にも輝く。

Page 33: 水とともに 2008 年 7 月号 No

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奥平野浄水場旧急速ろ過場上屋

神戸市水道は、明治30年(1897年)起工、明治33年

(1900年)に日本で7番目に給水を開始した。奥平野浄

水場は創設当初からの浄水場で、起工式、通水式の式

典が行われた記念すべき場所だった。給水人口25万人、

給水量1人1日83.5リットルという当初計画でスタートした

水道事業は、明治38年(1905年)の工事竣工のころには

早くも水不足が心配されるようになる。人口増加と一人当

たりの水道使用量増加が急激だったからだ。その後、貯

水池や浄水場の新設、既存浄水場の能力増強、などを

目指す第1回拡張工事が明治44年(1911年)に着手さ

れ、その主要工事の一つとして、大正6年(1917年)、奥

平野浄水場の一角にこの急速ろ過場が造られた。水源

の一つ、烏原貯水池からの原水に粘土の溶解物が多い

ことや、敷地が限られていたため、当時設置されていた緩

速ろ過装置に比べ、約50倍の能力をもつ急速ろ過池を

新設することになった。

急速ろ過とは、ろ過の前処理として原水に硫酸ばん土

(当時使用の薬剤)などの凝集剤を混ぜ、不純物を沈殿

させてからろ過する方法だ。ろ過材が目詰まりしたら、下

から圧搾空気を送って水を逆流させて目詰まりを解消す

ることができる。現在のろ過方式の主流だが、日本で初

めて急速ろ過が始まったのは、明治45年(1912年)、京

都市の蹴け

上あげ

浄水場でのこと。その5年後、大正6年(1917

年)に完成した奥平野の急速ろ過施設は、日本における

最も初期のものの一つ。建物が現存するものでは最古と

いう。

現在、水の科学博物館として使われている建物には、

急速ろ過池が11槽(最初は9槽、のちに2槽増設)設置

されていた。ろ過装置は数社による入札の結果、「パター

ソン式」という機種が採用されたが、当時は他の機種もす

べて外国製という時代だった。折しも第一次世界大戦中

で、高額の戦時保険金をかけて輸入したことも時代を感

じさせる。そしてろ過槽を収めるこの上屋は、実用建築で

ある水道施設からすれば想像外の豪壮な建物である。か

つてのヨーロッパ都市国家の浄水場は、侵略者やバクテ

リアの汚染などから住民を守るため頑丈なつくりにしたと

いう。それに学んだのではないかというが、そういえばこ

の時代の日本各地の水道施設には立派なものが多い。

建物は左右の隅に円塔状の階段室、正面中央に玄関

を配し、玄関上部の破風に水道局のマークを浮き彫りに

した、正面性の強いデザインだ。正面外壁は、基礎部、

柱、梁、窓周りなどが花崗岩、そのほかはレンガ積み。建

物全体を花崗岩と同じ灰白色に仕上げており、外壁の化

粧張りに使われたのは、花崗岩に色を合わせて焼き上げ

た磁器質のレンガタイルだ。こんなところにも意匠へのこだ

わりが見て取れる。母屋の屋根は天然スレートぶき。一

方、銅版ぶきの半円ドーム屋根をもつ左右円塔部は、神

戸異人館などに通じる異国情緒がたっぷり。設計者、河

合浩蔵(1856~1934)が得意としたドイツ・ルネッサンス風

重厚さのなかに、水道施設らしい明るい清潔感が感じら

れる外観だ。

第1回拡張工事で新設される

急速ろ過施設としては最古の部類

一流建築家設計の豪壮な洋風建築

河合浩蔵の作品は、神戸市や大阪市などで保存され、現代に生かされている。神戸地方裁判所(上)、小寺家厩舎(中・国指定重要文化財)、海岸ビル(下)。いずれも神戸市内。

Page 34: 水とともに 2008 年 7 月号 No

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水の話あらかると

河合浩蔵は、工部大学校(東京大学工学部の前身)

を卒業後、工部省入り。ドイツに留学し、建築の研さんを

積んで帰国。現存するものとしては旧司法省庁舎(東京

都千代田区霞ヶ関)など明治政府の首都中央官庁街建

設に参画したあと、官庁建築のエキスパートとして旧造幣

局火力発電所(現造幣博物館・大阪市)、神戸地方裁判

所(神戸市)などを設計した。退官後は神戸市に事務所

を開設して神戸を中心に活躍した。

著名建築家による大正期の優れた建築物であるため、

ろ過施設としての機能停止に際し、(社)日本建築学会か

ら建物保存の要請が神戸市に寄せられた。こうした動き

などを受け、神戸市水道局では、一時は解体を検討した

建物を、市民に開かれた施設「水の科学博物館」として残

すことにした。建物には、基礎杭の劣化、不同沈下、亀

裂などが見られ、再利用に向けて大々的な補強を必要と

した。補強工事が終わったのは、阪神大震災の6年前。

事前調査で、大地震での倒壊の恐れありとされていたた

め、関係者は胸をなで下ろしたという。

改修・補強工事において、外観は、玄関に一部手が加

えられたほかは、できる限り創建時の姿が保たれた。一方、

内部は、2階の床が新設され、2フロアをもつ展示スペース

に改装された。1階には、水の物理的特性を楽しみなが

ら学べる「ウォーターサイエンスゾーン」や立体映像で水の

様 な々姿に迫る「テーマシアター」が、2階には、「水と環境・

生命のゾーン」、「水とくらしのゾーン」などがある。市内小

学校の約70%の学校が社会科見学に訪れるほか、市外

からの見学者も多く、館内が混み合うこともしばしば。人気

の秘密は、展示の多くが実際にさわったり動かしたりできる

からだろう。アルキメデスの原理やサイフォンの原理などを

体験するコーナー、水で硬いものをらくらく切ってしまう「ア

クアカッター」、自分が描いた魚が泳ぎだす「バーチャルア

クアリウム」などに興ずる子どもたちの歓声が館内に響く。

「水の科学博物館」の建物は、建築物の優れた改修

例として、たびたび表彰、指定などを受けている。立地環

境を活かした市民に親しまれる建築物を表彰する「神戸

市建築文化賞・建築再生賞」、建築物の優良な改修・維

持・保全を表彰する「BELCA賞のベストリフォーム・ビル

ディング賞」を受賞したほか、景観形成上重要な建物で市

民に親しまれている建築物として神戸市から「神戸市景

観形成重要建築物」の

指定を受けている。前

庭には、建物をよりよく

見せる修景空間として

噴水、植栽などが施さ

れ、特に春は桜の名所

であることから訪れる人

が多い。かつては市民

に水道水を供給してい

た施設は、今、市民と

水道を結ぶ憩いの場と

なっている。

資料提供、取材協力:神戸市水の科学博物館

参考文献:『神戸市水道拡張誌』(神戸市、1922年刊)

価値ある建物として保存要請が高まる

水の不思議を体験させる博物館

賞や指定を受けて

河合浩蔵の胸像が見守る館内で、子どもたちが歓声をあげる。

「水の実験室」のコーナーでは、白衣を着た先生が様々な水の不思議を見せてくれる。

建物2階から、前庭の修景空間の一部を眺める。

Page 35: 水とともに 2008 年 7 月号 No

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Page 36: 水とともに 2008 年 7 月号 No

入選

「楽しいプール清掃」三嶋 光

撮影場所:山口県下関市吉田

第22回

水とのふれあいフォトコンテスト

http://www.water.go.jp

水とともに 2008年7月号 No.58

監修:独立行政法人水資源機構広報課 〒330-6008 さいたま市中央区新都心11番地2 TEL.048-600-6513(直通)発行:財団法人水資源協会 〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町22番6号 TEL.03-5645-2991(代表)

「水とともに」のバックナンバーはホームページに掲載しています。