存 客 識 し ス 系 相 環 に 観 こ 関 体 し か ト 関 境 …...地 理 的 環 境...

8
稿 者、この両者が縁起/空の理を観ずるように「檜垣」は構成され

Upload: others

Post on 04-Mar-2020

2 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

謡曲「檜垣」における縁起/空

本稿

は「

檜垣」

が大乗仏教の実相観に基

づいて構成

されてい

とを検

証す

る。実相観とは、諸

現象を観察し、縁起/

空の理

ずる行法

であり、主体、客体、コンテクストは相互依存

の関係

にあると観ずることをいう。コンテクストとは、社会的・地理的

環境と相互作用しつつ

主体

が構成す

る認識の準拠枠であり、相依

相関する主体

の観点

、知識体

系、先入見、価値観

、目的

、記号

系、認知・認識

のパターンによって構成

され

る。客体

はコ

ンテ

ストに於て顕現

し、コ

ンテ

クスト

の変換は顕現す

る客

体を変え

る。

かし

、主体は、

点によって構成し

たコ

ンテ

クストに於

て認

した客体を、記号

体系を通じて実

体化

・固

定化

し、固

定化した

客体に執着する傾向

がある。主体、客体、コ

ンテクストの相互依

存関

係に於て、主体と客体

が顕在化するという現実を把握するこ

が、執着に起因する苦よりの解脱である。その為には、反省を

越 智 礼 子

通じて観点

を転

換し、コ

ンテ

クストを変換していかなけれ

ばなら

ない。主体

、客

体、コ

ンテ

クストの相互

依存関

係の構図は、主体

が自己

を認識す

る場合

にも

、主体

が読み手としてテ

クスト

を解釈

る場合

にもあて

はまる。懺悔する老女

とテクストを解釈す

る読

者、この両者が縁起/空の理を観ずるように「檜垣」は構成され

てい

るので

ある。

垣」

檜垣」

は、一老女

が懺悔を通じて、自己の観点を転換し、解

しようとする過程を描写する。老女の懺悔は、生

が完結

した死

の観点から行われる。世阿弥は、老女

が自己の一生を有機的全

体として、同時に視野に入

れ得る共時的観点

を設定したのである。

この観点からは、一生を構成する諸要素相互

の関係・機能を常に

冖○

全体との関係に於て把握し得る。生

が、死

とい

う完結への過程で

ある為

に、コ

ンテクスト

が常に部分的全体(開いた体系)でし

あり得

ぬ生存中の懺悔とは異なる。老女の懺悔

は、生前の出来事

を異

なるコ

ンテクストに置き、異

なる観点

から観察

させ、異

なる

様相

を措定

させ

る。老女は、この懺悔

を通じて

、主体、コ

ンテク

スト、客

体の相互依存関係

を認識

し、一観点

に執着す

ること

に起

因す

る苦しみ

から自由になろうとす

るので

ある。

老女

の懴悔

は、死後という現在

の状

態を、生前

とい

う過去

との

関係

に於て

遡及的に把握す

る。果報

として

の「死後の状態」

が動

となって、死後の観点

から業因

とい

う結果

を、生存中に可逆的

に求

めるという構図である。これ

は、因

が果

に論理的・時間的に

先行するとする階層秩序的因

果関係の論理は

、実は果

から因

が遡

及的に設定されたものであり、因

と果は論理的

に相互依存関係に

あることを示唆し、縁起/空の理を表現している。

「檜

垣」

の構

めに、修業僧

によ

って

、観世音

の霊地である岩戸

に居住す

理由、百歳

にも

なろ

うという老女

の存在

、老女

の行動

が紹介

され

る。こ

の紹介

を通じて、仏教的解

釈の準拠枠

が形成

され、僧

には

懴悔

を聞く資

格があ

るこ

とが証明

される。次

に、老女

によ

って二

種の懴悔

が交互

に行

われ

る。初

めに、事

象の通

時的連関並

びに共

時的連関

を思念し、縁起/

空の理

を観

ずる観

察実相

懴悔が行

われ

る。ついで

、理

の具現としての老女

の個人的体験

を語る(あるい

は演ずる)発

露懺悔

が行われる。この二

種一組の懺悔は三度行わ

れ、悟り

と煩悩、一般

と個別の相即を体現する老女

が視覚的心象

によって

描き出

され

る。観察実相懺悔は、観世音

に供え

る閼伽の

水を汲

むという行為

によ

って、あるいは縁起/

空の理を体得した

による弔いによって誘発されるという設定である。発露懺悔は、

に自己

を顕

現し、焦熱地獄で苦しむ因縁を反省・告白し、縁起

空の理を体現す

るという形

をとる。最後に、再

び、菩提

を望み、

伽の水を汲んで運

んで行く老女の姿を喚起しつつ「檜垣」は終

わる。

垣」

冥界

の裁判

の様子

を描写した十王

図、並びにチ

ベット仏教に於

ける閻魔―観音―阿弥陀の垂迹思想は「檜垣」を解釈する為の宗

教的枠組を示

唆して

くれる。十王図

には、鬼形をした獄卒

の前で

鏡に向

っている亡者の姿

が描

かれている。チ

ベッ卜仏教

には、地

獄に落ちた衆生は、観音の化身であ

る閻魔

が掲げる鏡

に向

って、

自分自身で判決を表明するという教えがある。観音は阿弥陀の化

身として無限の慈悲をもって地獄へ行き、閻魔の形

、(良

心の声を目覚めさせる知識

の)鏡の力で衆生の煩悩を浄化の火に

転換して罪(縁起/

空の理

に無知であ

ること)

を浄め、衆生の在

方を変換する。地獄で

、観世音

の化身

が掲げる鏡

に、衆生

が自

空作る作亅垣檜

L曲謡7

7

を映

し出

し、煩悩(の火)

を浄化

の火

に転

換し、縁起/

空の理

を体

得し解

説するという構図は、「檜

垣」の構成と類似して

いる。

「檜

垣」で

は、流れる白川

が実

相を「

映し出

す」

鏡の如く作用す

る観世

音の霊地で焦熱地獄の苦しみから解脱する為に、僧の前で

老女が懺悔をする。

僧に懴悔

を聞く資格

があるかどうかは、僧

が描写す

る岩戸の景

色を考察す

るこ

とにより分る。僧

が描写した景色(客体)は、僧

の観

点、認識方法、コ

ンテクストの捉え方を反映している

からで

ある。岩

の観世音

は、霊

仏殊勝のお

んこ

となれば

暫らく参籠

し所の致景

を見

るに、

南西

は海雲漫

々として萬古心のう

ちなり

人希

にして慰み多く

、致景あ

って郷里

を去

る、

年が間

は居

住仕

って侯。

はお籠り

をした後

、観世音信仰と関

わり

のあ

る宗教的脈絡に於

て、宗教的観点

から岩戸

の景色

を眺

め、霊地で

あると認識したの

であ

る。そ

して

、こ

の認識

は三

年間続いてい

る。従

って

、宗教的・

文化的脈絡

に於て「南西

は海雲漫

々として萬

古心のうちな’り」

いう表現の解釈

を試み

る。

浄土三部経

に基

づく阿弥陀来迎信仰

の影響

を受

けた文学

、美術

、観

と至

して

西

から

って死

の来

迎信

信(942-1017)

の著『往生要集』(985)によって普及したと言われる。『華厳経』

(入法

界品)に記述

されている如

く、観世音菩薩

の浄土は南海に

位置してい

るとされている。これは、紀州の南

端に位置する熊野

の那智

を観音浄土

とみ

る信仰に典型的に顕われてい

る。『法華経』

(観世音普門品)で

は、観音は種々に変化して六道を自由に往来

、苦

衆生

を助

現す

。更

に、

、慈

を行

る菩

とし

垂迹

と考

阿弥陀

の顔

が上

部に位置し、下

部に十

の観

音の顔

が位置する十一

面観音

は、こ

の本地

垂迹思想を体現したものと考えられる。解脱

る為

に行われる観法

には、種々の対象

がある。例え

ば、サンス

クリット語の阿字に本不生(縁起/

空の理)

を観ずる阿字観、肉

に対す

る執着を絶つ為

に人間の死骸の九種の相状を思念する九

想観、太陽が西に沈むのを見て阿弥陀の浄土が西にあることを想

う日想観

等である。

の宗教・文化の伝統的

脈絡に於ては「南西

は海雲

漫々として

南西

は海と雲

が一

つに融

け合

って広々と続く)」

は、観音

陀と両

者の浄土を観法

の対象

として念じ、両者の無限

の慈悲

「不二而

二・二

而不二」

を観

じたと解釈し得る。更に、南西は海

と雲

が一つに融け合って広々と続く

ので、僧は「

萬古(過去・現

・未来

という時間

的区別

を超え

た永遠)心のうちなり」と観ず

るのであ

る。これは、空間的区別・時間的区別を超え

、更

に空間

と時間という区別をも超え

た「

平等性智」を体得したことを表

したものと解釈し得る。

檜垣の老女は、この僧に地獄で苦しむ姿を顕わして懺悔するの

であ

る。僧は老女

の苦しむ姿を見て、二元

論的差別智

(価

値判断

を伴う階層秩序的分類)

に囚われていることを告げる(「

はしのおん有様やな、今

も執心の水を汲み、輪廻

の姿見え給

ふぞ

や」)。僧は、無知故

に苦しむ衆生を助

ける為

に地

獄に往来す

る観

音の役割と同

時に、事物

を「如

実に映す鏡」

の機能

を果

して

いる

と言え

る。差別智

を超

越し、平

等性智で現実

を見

る者

のみ

が果

得る機能なので

ある。僧

の平等

性智を通

して老女

に自己

の現

実を

認識させるという構図は

、自己認

識に於

ける自己

と他者

との相互

依存関

係を明示す

る。即

ち、自己

は他者

が「映

し出

した」自己

姿

を通

じて自己

を認識す

るとい

うこと、その他者は如実

に自己

「映

し出す」他者で

なけ

ればならぬとい

うこ

と、自己

は他者

に自

を如実

に顕

わす自己で

あり

、他者

が「映

し出

した」自己

を如実

に「見

る」自己で

なけれ

ぱならぬとい

う関係で

ある。

作用

僧にとって

、岩戸

の景

色・位置

は、縁起/

空の理(不二而二・

二而不二)

とい

う記号内容

を具

現した記号表現

の働き

をして

いる

といえ

る。僧

は、宗教・文化

の伝統的脈絡に於て認識

した景

色を

記号化したのである。記号

化された景色は、逆に僧に理を観念さ

せ、悟りを強化する作用を果すと言え

る。それ故に、僧は「

まこ

とに住むべき霊地と思ひ」三年間居住しているのである。僧と岩

の関係には、主体、コ

ンテ

クスト

、客体の相互

作用の構図があ

てはま

る。

この相互作用の構図は、老女

と白川

との関係にもあてはまる。

流れる白川に現われては消え

る泡は、老女にとって現象世

界の無

常(記号内容)、即ち通時態を体現した記号表現の役割を

す。

に、白川は老女の姿を「

映し出す」鏡

として機能し、老女自身

に顕現した無常を自覚させる。それ故

に、老女は「ここは所も白

の(ここは所の名も〔知る〕という白川)」と、白川の「

白」

「知る」

に掛けるのである。

って、「

岩戸

の観世

音は、霊仏殊勝

のお

んことなれば(霊験

たかである)」

は、縁起/

空の理を体現した地理的環境に

と解釈し得る。因

みに、観世

音という名には二つの解釈

がある。

々の音を現じて、又、千

変万化

して衆生を教化し、解脱

せしめ

るものという意と、救いを求める衆生

の音声を聞

いて救済するも

のの意である。無知の為に地獄で

苦しむ老女は、この岩戸

の環境

と相互作用しつつ解脱へと導かれ、一方、僧は悟り

を強化

してい

く。岩戸は観世

音の霊地と呼ばれるにふ

さわしい所

なので

ある。

パ雛るWに亅垣檜rL

曲謡-

79

の世

老女

が訪

、二

と三

の懺悔は、僧が老女の世界を訪れた時に行われるという設定であ

る。

の内

と対

実相

る閼

白川

る(「

の 

の理

る」)。

、社会

的・

行動

姿

み」(「

」・「

み」)

は」(「

泡」・「

れ世

」)を

、自

在り

が環

ンテ

スト

、(

人間

る)

の三

、老

の観

を具

と解

し得

る。

の観

察実

懴悔

に続

懴悔

に於

筑前

の守

に白

を汲

だ時

年経

が黒

はぐ

まで

で昔

黒髪

なり

、老

姿

を汲

った

あ)」

老女

の正

の和

・容

姿

・職

む(老

る)/

む」

使

時間

の中

・容

姿

・職

業(

的地

位)・経

の共

的連

た生

老女

心理

を端

る。

は、

から

んだ

し出

た」

姿

と自

の昔

の栄

を彷

彿

って

、「若

」から「

老」、「

(美

)」

「白

(醜

)」、「

子」

「水

」、「

(中

心)

に住

から

辺)

に住

の相

立す

る質

ので

る。

「白

ら水

を汲

とい

う生

の相

が、

老女

生前

を思

させ

を誘

る。

かし

がら

・老

の目

が異

る為

に、

は「嘆

・執

・輪

廻」

、死

の観

は「

の認

・解

へと

老女

を導

む」

う行

に両

を付

、コ

ンテ

スト

存関

を表

ので

る。

懴悔

と発

相同

老女

人的

て重

なり

より

され

とし

が止

、平

で静

な共

「風

とい

が孕

う両

義性

を言

って

る。

に、

を用

の区

なく

る死

が、

生活

を営

る受

に突

変換

る無

の理

る。(人

が認

る)

の状

が顕

るか(潜在化してい

るか)

は、環境を構成する事象相互の通時

・共時的連関によ

って決定

され、予

期で

きぬという認識を、折

と対偶法

を用いて具現

したのである。

第二の観察実相懴悔

に続く発

露懴悔

に於て

、地

獄で体験す

る両

義性を描写する。生前と同じく、階層秩序的差別智で客

体を措

し続ける老女

は「

煩悩の火」

に悩ま

されな

がら、死後も地

獄で

熱湯を汲

み続

ける。し

かし、老女

の目的・状況

(僧と

の遭遇)

の変化に応

じ、「

煩悩の火」は「浄化

の火」へと転

換し、老女の地

獄での在り方

が変

って

くる。これは、主体の観点

が客体を措定し

水/熱湯

、猛火

の釣

瓶/

釣瓶、煩悩の火/

浄化

の火、地獄の三

瀬川/透明に澄

んだ白川)、同

時に、その客体

が主体

の在り

決定する(焦熱の苦痛を味わ

う/焦熱

の苦痛

が和らぐ

、心の苦

心の静寂)

という構図を「水」と「火」に付与した両義性

によ

って表現したのである。

第三の観察実相懴悔は、解脱

の為

に白川

から水を汲む時

に誘発

される。明

暗、寒暖の変化に反応する人間の行動、温度

の高低

依存する事物の形

状、プ

ロセ

スにより決定される色

の濃淡

、罪業

の深

さに決定

される苦痛の度合に、事象の通時的連関を観

ずる。

程度(量)

の変化

に応じて

決定される質的変

化(事物の在り方)

に実相

の理

を観じ

たので

ある。

第三

の観察実相

懴悔に続く発

露懴悔は、第一の発

露懴悔で示唆

した、自らの栄華と落魄を形状(姿の良さ/くずれた姿)と色

(鮮

使

E空

(topic―com

ment)

使

白拍子の全体像から始め、顔↓髪↓まゆ毛↓顔↓髪の順に、次々

「美

(価

は、白拍子の舞を所望した興範とのやりとりを、主客一如の如く

ばいなんとぞ思ふ」を本歌に取る「根をこそ絶ゆれ浮草の……」

は、檜垣の姥と小町の老後落魄の運命を重ね合わせる。同時に、

姿

「却

「螺

イクルの軌跡」を描きながら、再び、悟りと煩悩を繰り返してい

空/起縁るけおに亅垣檜Γ曲謡―冖δ―

くことを示唆される。環境と相互作用しつつコンテクストを構成

し、そのコンテクストに於て認識した客体を通じて、あるいは客

使

調

使

、・

使

114-

12

04

風体抄」(1197?―1201?)に於て、和歌と止観を結びつけた理由で

(―)本稿はReiko 0chi, ”Buddhism and Poetic Theory: An

Analysis of Zeami's Higaki and Tdkasago:” Ph. D. disserta-

tio

, 

rn

ll 

iv

rs

ity

, 

19

84

 

bo

: 

iv

ers

ity

Microfilms International, 1444-893)に基づく。

分析に使用したテクストは、横道萬里雄・表章校注「檜垣」「謡

. S

tc

er

ts

ky

, T

he

 C

cep

tio

 o

 B

is

ir

, in

tr

du

io

 b

 J

id

 S

in

ew

 Y

 S

am

iser

, In

.,

 

197

) 

Jon

th

an

 C

ll

er

, O

 D

ec

tr

c-

tio

 T

heo

ry

 a

 

itic

ism

 a

te

 

tr

uc

tu

ra

lism

 (

Ith

ca

or

ll U

iv

rs

ity

 P

re

ss

, 19

82

), p

.86-

88

) 

82

lic

ia

 Ma

tsu

ag

, T

 B

is

t P

ilo

sop

 o

 A

ss

im

ila-

tion: The Historical Development of the Honji―Suijaku

eo

: S

op

ia

 U

iv

ers

ity

。 

196

), p

. 3

4-

. 

W

. Y

. E

s-W

en

tx

, 

he

 

ibe

ta

 B

 

 the

 D

ea

 (

don :Oxford University Press, 1960), xxx―xxxiは異なる伝

) 

) 

(7) Alicia Matsunaga, Ibid

., p

. 1

24

) 

(9) 武邑尚邦「仏教思想辞典」教育新潮社、一九七二。

(10) 現代語訳は、横道・表校注、前掲書に基づく。

(11

) 

「能の美学」(『比較思想研究』比較思想学会一二、一九八五、八五

―九五)を参照した。

(おち・れいこ、日本文学、同志社大学講師)

空/起縁るけおに亅垣檜r曲謡-

83